エホバの証人2世子供は1世親からどんな宗教教育を受けるのか?
について、書いていますが、今回はその3。
ムチという「体罰」によって叩き込む。
ハルマゲドンで死ぬという「精神的な脅し」で縛る。
今回は、そんな体罰でも脅しでもない、第三の方法で行われる宗教教育について論じます。
単刀直入に言いますと、それは「親に対する承認欲求」です。
挿絵追加:家族が楽しそうに奉仕(伝道)に参加すると言う歌。歌で洗脳ってのは古来からある手法ですね。こうやって両親そろってエホバの証人だと、信者でないほうの片親(大抵は父親)から反対されることがないので、余計に子供たちの洗脳は加速します。
なんだ、そんなの普通じゃん?って思えるかもしれませんね。
いや、普通の生活ならいいんですよ。宿題やったら親に褒められる、お手伝いしたら喜んでもらえる・・・きわめて健全です。
しかーし!これが「宗教教育」となると、話は違ってきます。
誤解してもらいたくないのは、エホバの証人の場合の宗教教育とは、たとえ子供でも大人の信者顔負けに宗教生活を送る、というレベルの話です。
単に神様を信じるとか、日曜に教会に行く、という単純な話ではありません。
例をあげると、手術で輸血をしないと死ぬという場合でも、エホバの証人の教理ゆえにそれを「子供自ら」拒否するようになる、というレベルの話です。
挿絵1:大人ですら死を前にして決断するのは極めて困難です。まして、最も生存本能の強い子供時代に自ら死を選ぶのは精神的に追い詰められた極限状態にあると思う。
こういうレベルの「信仰」(実際は違うのだが)になると、単に体罰や精神論だけで子供がそれにしたがって行動するようにはなりません。
そこに関係するのは紛れもなく「親」そのものの存在です。
ここでいよいよ核心に迫ろうと思います。
この一連の記事を書くにあたって、冒頭で「子供に寄り添って相談に乗るという程度ではこの問題は解決しない」と言いました。問題は宗教ではなく「親」そのものにあると。
これがその「親」の話です。
では、説明しましょう。
1世親がこの宗教に入る場合、必ず親族にも「証言」するように強く勧められます。
「証言」という言い回しはエホバの証人独特のもので、つまりは「勧誘」のことです。
まずは配偶者からですが、子供の場合はどうでしょうか。
子供が中学生以下の親に依存しないと生きていけないような年齢の場合、有無を言わさず宗教教育を施されます。
そこに選択の自由などありません。
エホバの証人は、まず自分の子供を信者にすることを第一に行動します。
集会に連れてゆき、奉仕にも参加させます。強制です。
挿絵2:子供を集会に連れてこない親はいません。子供が泣こうがわめこうが、強制参加です。そうしないと親自身が会衆の皆から責め立てられるからです。
挿絵3:こんな、年端もない子供でさえ伝道という「宗教会員勧誘営業」に参加させられます。子供がですよ?大人ですら極度の緊張にさらされる戸別訪問営業をこんな子供にさせるのは、まさに鬼畜の所業といえます。
なぜそうするのか?
理由は簡単、そうしないとハルマゲドンで子供が死ぬからです。
親、とくに母親の場合、子供をハルマゲドンから救うためなら、何をすることもためらいません。
引きずってでも集会に連れて行き、ぐずればムチという体罰でおとなしくさせ、学校では七夕や誕生会、国旗掲揚に至るまで、あらゆる「宗教上の禁止事項」を守らせます。
エホバの証人の子供達は、学校で先生に「証言」して、これらの行事に参加しないのですが、はたからみると子供自らの「信仰」によって行動しているように見えます。
挿絵4:エホバの証人の子供は、学校に行くとあらゆる場面で目に見えない圧力を感じながら過ごすことになります。いつ何時教理に反する行事や誘いがあるか分からないからです。学校生活なんでちっとも楽しくありません。できないことばかりだからです。このソフィアの表情をみればわかりますね。
実情を知らない人が見れば、「この子たちは盲目的に信じてやっているのかもしれない。相談にのって話し合えば、きっとバランスのとれた広い見方ができるかもしれない」と思って、「寄り添う」なんて言葉が出るのでしょう。
ハッキリいいますと、子供は盲目的に信じているからそう行動しているのではありません。
ホントはそんなこと、やりたくないのです。
皆と一緒に行事に参加して楽しく学校生活を過ごしたいと強く願っています。
これが本心です。
では、なぜあえて宗教上の理由と言って、参加を拒否するのか。子供自らがそう言うのか。
「親」が原因です!
いいですか、学校は1日に数時間過ごすだけですが、家に帰ればそこには宗教親がいて、24時間365日「エホバの証人」であることを要求してきます。
そして、親はこの宗教に対してまさに「命がけ」でとりくんでいます。
なにせ、ハルマゲドンは近いので、1秒も無駄にできません。
子供も滅びてしまわないよう、ちゃんと宗教生活を送っているか常に目を光らせています。
なにせ、エホバの証人の「規則」は細かいものを含めると無数にあって、主なモノはそれこそ実践が命がけになるような教理です。
挿絵5:「しかるのはあいじょう」って・・・そりゃ、人として当然のことを教えるならそうでしょうけど、エホバの証人の場合は宗教教理に従わないと怒られるという特殊な環境なので、しかる理由が違いすぎます。まして、こんな穏やかに話し合いなんかありません。逆上してどなる、ムチする、罵倒するってのが通常です。
子供は生存本能のカタマリのような存在です。
どうすれば生き残れるか、本能で感じ取ります。
エホバの証人の親のもとでは、親の宗教上の要求に従う事、それしか生き残る術はありません。
拒否することは事実上不可能です。
親が服を与え、ご飯を食べさせ、あたたかい布団をあたえてくれます。
エホバの証人にならない=ハルマゲドンの死
親はとてつもない圧力を子供に掛け続けます。
子供はその態度に「死の恐怖」を感じます。
生き残るには親に従う以外、道はないのです。
そして、宗教教理を覚え、上手に実践したり集会でうまく立ち振る舞えるようになると、今度は親からの「承認」を得ることができるようになります。
それまでは訳も分からずイヤイヤやっていたものが、上手にできると親から褒められるようになるのです。
この親からの承認によって得られる満足感や安堵感は、麻薬のように子供の脳に作用します。
こうして、周囲の大人たちからいかに脅されすかされ、説得されようとも、一歩も譲らずエホバの証人の親に従う「信仰のある」子供ができあがります。
親は子供が「信仰」を持ったと思い込んでいるようですが、実際にはまやかしにすぎません。
単なる子供の「生存本能」の作用です。
多くの親はとてつもない勘違いをしていますし、当の子供本人も自分の「真の心の姿」を見失っています。自分でもこれは「信仰」だと思っているかもしれません。
エホバの証人はバプテスマを受けて「正規会員」となり、正式なエホバの証人と見なされます。
大人でもこの段階に至るまで、かなり苦労するのが普通です。
でも、2世子供の場合、多くは10代半ば、早いと前半でこの段階に入ることがあります。
よく、バプテスマは神との「結婚」にたとえられます。まあ実際の結婚だと思っているひとはいませんが、たとえとしてよく使われます。
結婚は成人に許された段階です。なぜなら、それなりの精神的発達と判断力が求められるからです。
なのに、エホバの証人は子供でもバプテスマを受けさせようとし、年齢が若ければ若いほどすばらしい信仰だとみなす傾向があります。
10歳の子供が「自分は結婚する」と言い出したら止めない親はいないでしょう。まあ、法律上無理ですが。
なのに、バプテスマは推奨します。
挿絵6:エホバの証人の間では、バプテスマの低年齢化が推し進められ、賞賛されています。子供が人生を左右する決定をさせられるわけなので、完全に違法行為だとおもいます。たんなる洗礼儀式でキリスト教になるのとはわけが違います。組織との永遠の契約に入る。それがバプテスマです。
矛盾していることに気が付かないのです。
子供自身も気が付いていません。
問題は「親」にあります。
エホバの証人の場合、神様は天国にいるのではありあせん。
家の中に「親」と呼ばれて存在しています。
逆らうことも拒否することもできません。むしろ、その愛情を求め、承認を求め、宗教生活をおくることになります。
これが最大の原因です。
次回は結論を書きたいと思います。