<演奏>

西洋楽器A ヴァイオリン:亀井庸州  トイピアノ:神田佳子

邦楽器A    篠笛:新保有生  箏:西 陽子

西洋楽器B オーボエ:林 憲秀  ヴィオラ:甲斐史子

邦楽器B    篳篥:中村仁美  笙:中村華子  三味線:守 啓伊子

西洋楽器C ツィンク:曽我部清典  バスーン:塚原里江

邦楽器C    法螺貝:川島素晴  琵琶:久保田晶子

 


 

 アンサンブル室町の委嘱により、エリック・サティ生誕150年をテーマとした公演のために作曲。また、クリスマス当日の公演ということもあり、そのことも踏まえるオーダーだった。そもそもアンサンブル室町という、「室町時代には西洋の古楽器と邦楽器が出会っていた」という想像から生まれた団体のための作曲ということだけでも情報量が多いわけだが、そこに上記の要素も加味され、ギミックの多い内容となった。

 本作の解説は、初演時に書いた長文のものが存在するので、内容やコンセプトについての詳細はこちらを参照されたい。

 

 上記リンク先の記事を、1割程度の内容に要約すると・・・

 


 

「ギュムノパイディア」とは、サティのジムノペディの語源であり、古代ギリシャで裸の若者が行っていた祭典である。本作の素材は、《3つのジムノペディ》の断片のみであり、常にそれが(洋邦の楽器や伝統の違いにより)変化していく様を示していく。

 キリスト教との関連では、三位一体が意識されている。中音域の群に対して、高音域の群は3倍の速度、低音域の群は1/3の速度に至る。それが同時に存在すると、低音に対して高音は9倍速となる。(このように音域によって分割が細かくなるのは、ガムランの構造に似ているが、ガムランの場合は2倍、2倍の分割である。3分割を重視した文化でそうした構造を指向したなら、こうなったのではないか、という夢想である。)

 なお、それぞれの群の楽器は固定されていない。旋律、和音、低音のセットを2-3の楽器によって成立させられれば、組み合わせは自由になっている。

 


 

 なお、初演時、私はCの法螺貝を拭いたが、低音を担当していた。その後、法螺貝リサイタルを開催した経験を踏まえ、今回は同じく邦楽Cの組で法螺貝を担当するが、旋律パートに挑戦する。

 

 初演時との決定的な違いとして、初演は阿部加奈子の指揮によって演奏したが、総勢13名、指揮者の手は残っていなかったので、今回は指揮無しでの演奏に挑戦する。 

 《ASPL》もそうだが、こうした、ある種の「遊び」を行っている情景というのは、やはり奏者たちの自発的な空気で行えると、より楽しい空間になる。

 

(今回のコンサートは、皆さんの芸達者ぶりが特筆されるが、とりわけ亀井庸州の、超絶技巧尺八作品への参加、そして超現代奏法を駆使したヴァイオリンの作品、そしてこの曲でのバロック的演奏という、変幻自在ぶりは特に強調しておきたい。)

 

 本作は、私が2017年に一柳慧コンテンポラリー賞を受賞した際の提出作品となっている。(賞そのものは、当該作品のみを対象したものではなく、年度の総合的な活動に対するものであるが。)

 実は《ASPL》が一柳慧のポケットマネーが入った委嘱であったことは既述したが、そのことと、今回、オールスターキャストによってこの作品の再演を果たすことを、私なりの追悼、オマージュとしたい。

(本企画が決定した際には、当然、そのようなつもりはなかった。この場にいらして頂けることを期待していた。)

 


 

 古代のアウロス、正倉院復元楽器の大篳篥、そして今に伝わる雅楽の篳篥と、時空を辿る前半。

 そして後半は、最前衛、アクション全開、ヴィデオスコアによる最新作、という具合に、篳篥の新しい可能性を探求。
 最後はオールスターキャストでのサティ大会。(このアンサンブルでも篳篥の存在感は際立っている。)
 
 以上7曲を通じて、中村仁美という演奏家の様々な顔(それも、普段は見られないような特別な顔)、そして篳篥族の様々な音色を、ご堪能頂けるのではないかと思う。

 この小さな楽器から、このような可能性を引き出す稀有の演奏家の力を借りて、私自身も、これまで以上に冒険的な作品個展となったとの自負をもって、解説を終えたい。

 


 

曲目表

中村仁美⇄川島素晴 相互評

1)アウロスイッチ(2014)

2)ASPL 〜正倉院復元楽器による「遊び」(2011)

3)ASPL II(2021)

4)ポリプロソポス III(1995)

5)三巳一体(2013)

6)ひひきちり ちちきりひりり ききちりひ(2023/初演)

→7)ギュムノパイディア / 裸の若者たちによる祭典(2016)*本投稿