来週からのカナダ旅行に合わせて、木村和男著作の「カナダ歴史紀行」を読んでいる。
カナダと聞いて、あまり歴史的背景に興味を持つ人は少ないと思うし、私もその一人。
でもカナダはカナダで、先住民はもちろん、移民たちの織りなすそれぞれの歴史は、それぞれに興味深い。
カナダでは、アングロサクソンのイギリス系とフランス系の移民が有名だが、ケベックのフランス系以外にも、「赤毛のアン」で有名なプリンスエドワード島に住む、フランス系移民「アカディア人」、プレーリーの広大な大地に移住してきたウクライナ系移民。大陸横断鉄道の建設に関わった中国系、悲しい歴史を持つバンクーバーの日系移民。
カナダには、カナダなりの、移民たちのドラマティックな物語がある。
来週からの旅行では、主にロッキー山脈とバンクーバーの旅となり、カルガリーでのグレンボー博物館などは、寄りたいけど時間の関係で寄れない。プレーリーの開拓史や先住民たちの歴史が、実体験できる、非常に面白い博物館らしい。
プレーリーの広大な大地。カナディアンロッキーの壮大な風景。来週からのカナダ旅行。
書籍の中の文章の備忘録
107ページ
ヴァン=ホーンとスプリングスホテルより
1885年11月にクレイゲラキーでカナダ太平洋横断鉄道が完成された時、バンフはもちろん名もない通過点でしかなかった。大陸横断国家の大動脈として、鉄道に期待されていたのは、プレーリー小麦の輸出とヨーロッパ移民の輸入であったが、鉄道建設の最高責任者であったヴァン=ホーンは、ロッキー貫通に辛苦を重ねただけに観光資源としての魅力を逃さなかった。「景色を輸出できぬからには、観光客を輸入しなくてはならぬ。」が彼の哲学であったという。最高のホテルを建てる場所として選ばれたのがボウ川とスプレイ川の合流点であるこの地。つまりバンフ。カナダ太平洋横断鉄道社長、ジョージスティーブンの出身地であるスコットランドのバンフシャーにちなんで「バンフ」と命名。
203ページ
ケベックシティからセントローレンス川をさかのぼり、ここまで到達した最初のフランス人はジャック・カルティエ。彼は1535年に現在のモントリオール島に上陸し、そこの丘に十字架を立て「国王の山」つまりモン・ロワイヤル=これが転じてモントリオールとなった。
205ページ
1977年にケベック州政府は、フランス語憲章を可決し、フランス語を州内で唯一の公用語に定めた。
→フランス語ができないと学校にも通えない、イギリス系移民たちは、英語一切禁止。看板も禁止。広告も交通標識も全て英語禁止。言語警察が、英語を発見するとペンキを持って消去。
フランス語系以外の学生が州内で就職できない。しかもフランス語系の名前でないだけで就職差別。まるで南アフリカのアパルトヘイトみたいだ。
218ページ
カナダのフランス系は、イギリス系と対等のパートナーたるべきことを求める当然の歴史的権利を持っている。同様に、アメリカ大陸において先住民は、少なくとも土地所有に関してはフランス系以上に強固な歴史的権利を持っているはずだ。ケベック州の主権回復を目指すケベコウが、ケベック州内での主権回復を目指す先住民を弾圧するのは、まさに自家頓着であり、ケベックの中に「もう一つのケベック」を生み出しはしないだろうか?
→世界の歴史を学ぶと、みんな自分勝手。自分が被害者の時は恨み百万年というぐらい忘れないが、自分が加害者の時は、喉元過ぎれば熱さを忘れる状態。これが現実。結局、人間も生物の法則から逃れることはできず、人類の歴史は弱肉強食の歴史なのです。