ほうしの部屋

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 アンソニー・ホロヴィッツの長編推理小説『命取りのエピソード』を読了しました。

 年末に1作ずつ翻訳されるホロヴィッツの新作を、年末読書の愉しみにしている人も少なくないと思います。とにかく、毎年、ハズレがなく、文学的実験も持ち込んだホロヴィッツの豪腕ぶりに感嘆させられます。

 著者のホロヴィッツは、いまやイギリスを代表する作家の1人と言えます。「女王陛下の少年スパイ!アレックス」シリーズがベストセラーになり、テレビシリーズ「刑事フォイル」の脚本、コナン・ドイル財団公認のシャーロック・ホームズのシリーズの続編を手がけました。そして、アガサ・クリスティへのオマージュを込めたメタ・フィクションの推理小説『カササギ殺人事件』が大ヒットします。この作品は、日本でも、「このミステリーがすごい」「本屋大賞翻訳部門」などの1位を含めて、史上初の7冠に輝きました。続編の『ヨルガオ殺人事件』『マーブル館殺人事件』も大ヒットしました。これらのシリーズとは別に、探偵ホーソーンの捜査過程を作家のホロヴィッツが実録小説にするという体裁の「ホーソーン&ホロヴィッツ」シリーズも大ヒットしています。『メインテーマは殺人』『その裁きは死』『殺しへのライン』『ナイフをひねれば』『死はすぐそばに』があり、これらも日本の年末ミステリー・ランキングを制覇しています。そして、そのシリーズの最新作が本作品『命取りのエピソード』です。正統派の推理小説のスタイルを維持したまま、メタ・フィクションと額縁小説の構造を持つ、(その誰もが殺人の動機を抱えているような)登場人物の多い、複雑な小説を書き上げています。

 ホーソーン&ホロヴィッツのシリーズ第1作である『メインテーマは殺人』の映画版が制作されることになります。その撮影現場に立ち会っていたホーソーンとホロヴィッツの目と鼻の先で、ホーソーンを演じていた俳優が刺殺死体で発見されます。その俳優は、さほど売れてもいないのにスター気取りの鼻持ちならない男であり、彼を憎んでいる人は数多くいました。共演俳優、監督、脚本家、プロデューサー、エージェント、アシスタントなどなど。殺害事件の数日前、映画関係者が集まる飲み会が開かれていたバーに、ホーソーンとホロヴィッツも居合わせました。そこのウェイトレスをしていた女性が、ホーソーンを見るなり、不可解な言動をします。そこには、ホーソーンが警察を辞めて探偵として最初に関わった事件が絡んでいました。ホーソーンは自ら解決したその事件の真犯人について疑念を抱き続けていました。俳優殺害事件の捜査と並行して、過去の事件の再調査も行われ、双方の事件の真相が、意外な形で関係を持ってきます。

 

 それでは、本作品の内容を紹介します。本作品は、書き手のホロヴィッツが一人称(わたし)で語る額縁小説ですが、便宜上、ここでは、「わたし」を三人称の「ホロヴィッツ」とします。

 

[第1部]

 ホーソーン&ホロヴィッツシリーズの第1作目『メインテーマは殺人』の映画版の撮影が、イングランド南部のヘイスティングスで行われていました。撮影拠点は、町の中心部に近い、ザ・ステイドという地区です。『メインテーマは殺人』の中の、幼い子供二人が58歳の女性ダイアナ・クーパーの運転する車に撥ねられるシーンの撮影が主体でした。原作者のホロヴィッツはそもそも、事件の舞台を変更することに反対していたのですが、その声は無視され、ザ・ステイドで撮影は行われていました。映画撮影が始まって3週間目にホロヴィッツはようやく現場を訪れました。シーンの撮影がほとんど終了した頃、俳優がスタンバイするトレーラーハウスから出てきたアシスタントのイジーというう女性が、監督のトルーマンやプロデューサーのテレサのもとに駆け寄り、「ホーソーンが死んでいる」と金切り声を上げました。それから遡ること18ヶ月、ホロヴィッツは、映画化の打ち合わせで、テレサの運営する『ダンデライオン企画』という会社を訪れていました。この会社は、女性の灯台守を主人公にした『その光の照らすすべて』という映画で、ウェールズの映画祭で賞を獲っているといいます。打ち合わせには元警察官で探偵のホーソーンも来ていました。脚本家のシャニカも訪れました。ホーソーンは、シャーロック・ホームズよろしく、テレサやシャニカたちの隠れた秘密を推理でズバズバ言い当てて驚かれます。シャニカは、環境保護の活動家としての顔をホーソーンに茶化されて腹を立てました。それから1年半後、映画版『メインテーマは殺人』の脚本第3稿がホロヴィッツのもとに届きました。脚本家のシャニカは復讐のつもりか、ホーソーンをかなり邪悪な性格に描いていました。『その光の照らすすべて』も撮った監督のトルーマンにホロヴィッツは会いましたが、黒ずくめの服にスカーフをつけた50歳ぐらいにしてはかなり老けている元俳優でした。トルーマンは、起用する俳優はあまり名が知られていないほうが良いし、予算の節約にもなるといいます。『その光の照らすすべて』で助演を務めた二人の俳優、デイヴィッドとラルフの名が上がりました。二人はBAFTA(英国アカデミー賞)の助演男優賞にノミネートされ、ラルフが受賞していました。ホーソーン役にデイヴィッド、ホロヴィッツ役にラルフという配役で決まりました。ラルフは受賞後に病気になり、俳優を辞めてニュージーランドに渡り、隠遁生活を送っていたといいます。ラルフに会ったホロヴィッツは受賞時の姿から変わり果てたラルフの様子を見て落胆します。ラルフのほうはホロヴィッツ作品の大ファンだといい、家族に会いたいとまでいいました。とにもかくにも、撮影が始まり、その3週間後にホロヴィッツも現場を訪れることになったのです。現場には、ホーソーンもアドバイザーとして来ていました。俳優のデイヴィッドは本物のホーソーンによく似た恰好をしていましたが、ラルフのほうはホロヴィッツとは似ても似つかぬ恰好で、ホロヴィッツを落胆させました。シャニカの脚本に出てくる台詞には、そこかしこに環境活動家めいたフレーズがちりばめられていました。撮影の合間の雑談も、ホーソーンとホロヴィッツのイヤフォンで聞こえてきて、デイヴィッドがラルフに向かって、撮影やスタッフの悪口を叩く様子が聴き取れました。監督のトルーマンはデイヴィッドを主役に配するのに反対していた様子です。撮影拠点のザ・ステイドのトレーラーハウスに、ホーソーンとホロヴィッツはデイヴィッドから食事に招かれます。デイヴィッドはヴィーガン(菜食主義者)でした。イジーというアシスタントの娘が給仕しました。デイヴィッドはかつて《最期の呼吸》という環境保護団体を組織していて、その活動で脚本家のシャニカと知り合ったといいます。壁に掛けられた写真には、3月2日のウェールズの祝日に、高速道路M62号線をゆっくり歩くデイヴィッドたちのデモの様子が写っていました。その後、俳優として売れてきたデイヴィッドは環境保護活動からは遠ざかりました。しかし、ヴィーガンとして生活し、《最期の呼吸》に多額の寄付を続けているといいます。デイヴィッドのトレーラーを後にしたホーソーンはホロヴィッツに「沸点が目の前に迫っている」と謎の言葉を言いました。その晩、ホーソーンとホロヴィッツは映画関係者が集まるパブ《かの戦い》を訪れます。監督のトルーマンは、プロデューサーのテレサに、主演のデイヴィッドがことあるごとに脚本にケチをつけてくると憤慨していました。別の席では、デイヴィッドの要求でアシスタントをクビになるイジーの送別会が行われていました。脚本家のシャニカは、今でもデイヴィッドに惚れ込んでいるようです。環境活動家でもあるシャニカは、自分をその道に導いたデイヴィッドを崇拝していました。高速道路をデモ行進するイベントには、シャニカも参加していたといいます。ホロヴィッツは、バー・カウンターで飲み物を出してくれたバーテンダーの女性が、恐怖におののいたような表情をしているのが気になりました。ホロヴィッツは帰宅しました。そして木曜日の朝、ホーソーンから電話で、俳優のデイヴィッドが殺されたという知らせを受けました。トレーラーハウスで何者かに首を刺されて死んでおり、第一発見者はアシスタントのイジーだそうです。映画制作は中断し、当分は完成の見込みもたたないといいます。ホーソーンとホロヴィッツが現場を訪れると、警察のミルンズ警視とフラー巡査が出迎えました。ミルンズ警視は警察官に似つかわしくなくおしゃれな服装をした人当たりの良い女性でした。ホーソーンに協力的でした。フラー巡査に案内されてトレーラーハウスの中に入ったホーソーンとホロヴィッツは、デイヴィッドが刺殺された現場を見ました。デイヴィッドは座って机に向かっているところを首を刺されて死んでおり、凶器のナイフも残されていました。日本製の《匠神》というブランドのナイフでした。食卓で使うように作られた刃渡り11センチ半、鋸刃加工のナイフです。デイヴィッドが殺害直前まで《ワッツアップ》という携帯アプリで売れないミュージシャンである弟とメッセージをやりとりしていたおかげで、死亡時刻が午後2時4分と正確にわかりました。デイヴィッドの最後のメッセージは「とっとと失せやがれこのろくでなしどういうことか聞かせてもらおう」というもので、送信されていないことから、このメッセージを入力中に刺殺されたと考えられました。デイヴィッドは前夜、エージェントのオーブリーをクビにしたそうです。ショートメールでのデイヴィッドとオーブリーのやりとりも残されており、オーブリーが次第に酔い潰れていく様子がわかりました。関係者は全てヘイスティングスに足止めしてあるとフラー巡査はいいます。オーブリーは《ロイヤル・ヴィクトリア》というホテルに泊まっており、事件のあった時刻には自室に閉じこもっていたといいます。ケータリングのトラックにいた女性が、男性らしき人物がデイヴィッドのトレーラーハウスから飛び出して逃げ去るのを目撃していました。デイヴィッドの血痕を踏んだスニーカーがプラダ製の高級品であることが判明していました。ホーソーンは、遺体の第一発見者であるアシスタントのイジー、そしてオーブリーに話を聞くことにして行動開始しました。イジーは、演劇学校を出た後、つてをたどって映画制作の道に進もうと、このアシスタントの仕事を得ていました。イジーは友人のラナと一緒に、《飛行士》というパブに入ろうとして、店に主演俳優のデイヴィッドがいることに気づき、ラナが写真を撮りました。これに怒ったデイヴィッドは店を出て、後に、スターのプライバシーを侵害したかどで、イジーはプロダクション・マネージャーから解雇を告げられました。イジーはラナが撮った写真をホロヴィッツの携帯電話に送ってくれました。イジーは、デイヴィッドの使い走りとして、毎日、食事を運ぶ役割でした。殺害当日も、コーヒーを飲むかどうか聞きにトレーラーハウスに入ると、デイヴィッドの首にナイフが突き立っており、デイヴィッドは死んでおり、あたりは血まみれだったといいます。デイヴィッドは性格が悪く、色々な人に嫌がらせをしていたとイジーはいいます。共演者のラルフのあら探しをしたり、からかったりして、ラルフを自信喪失に追い込んでいたといいます。イジーから送られてきた写真には、サングラスをかけたデイヴィッドが写っており、テーブルのカトラリーには、何と、デイビットの首に刺さっていたのと同じナイフが写っていました。ホーソーンとホロヴィッツはそれぞれ《ロイヤル・ヴィクトリア・ホテル》に部屋をとっていました。生前のデイヴィッドに最後に会ったエージェントのオーブリーに話を聞くことにします。オーブリーはデイヴィッドから契約を打ち切られていました。『メインテーマは殺人』はとんでもない駄作だとデイヴィッドは言っていたといいます。監督のトルーマンにも不満だったようです。トルーマンはゲイで、BAFTA(英国アカデミー賞)にデイヴィッドがノミネートされた頃、デイヴィッドはトルーマンと一夜限りの関係を持ったといいます。デイビッドは両刀使いで、自分の将来のためなら寝る相手は誰でもよかったといいます。脚本家のシャニカも属していた環境保護団体《最期の呼吸》の活動をデイヴィッドに辞めさせたのはオーブリーでした。俳優としての将来にかかわると思ったからです。ホーソーンとホロヴィッツは、オーブリーの部屋でプラダのスニーカーを探しましたが見つかりませんでした。ホーソーンは、オーブリーがデイヴィッドともう一度話し合ってみようとトレーラーハウスを訪ね、そこでデイヴィッドの死体を見つけ、血だまりに足を踏み入れて狼狽し、走って逃げたと見ていました。当時、目撃された、トレーラーハウスから飛び出してきた男というのはオーブリーで間違いないと思われました。ホーソーンとホロヴィッツはプロデューサーのテレサに会いました。撮影の続行は困難になり、テレサは疲れ果てていました。女性の灯台守を描いた映画『その光の照らすすべて』の映画評では、デイヴィッドよりもラルフのほうが賛辞を浴びていたといいます。デイヴィッドが『メインテーマは殺人』の主役を引き受けたのは脚本家のシャニカの強い推薦があったからで、最初はラルフが共演者になるとは決まっていなかったといいます。脚本はたわごとを連ねただけの代物、監督はうぬぼれ屋、主演俳優たちは憎しみあっている、そして資金繰りもうまくいかない。ホーソーンは映画制作が行き詰まっていると見ていました。テレサは、メキシコ人の実業家である父親から資金援助を受けていましたが、父親が病死して、あてが無くなりました。デイヴィッドにかけられた保険金が映画制作費用として重要だったとホーソーンは見ていました。デイヴィッドが死んだ時、テレサはすぐ近くの制作事務所にいたといいますが、それを見た者はいませんでした。次に、ホーソーンとホロヴィッツは、脚本家のシャニカに会いました。シャニカは大学生の頃にデイヴィッドと知り合い、その活動にぞっこん惚れ込みました。シャニカは、パブ《かの戦い》でイジーやバーテンダーの女性とかなり話し込みました。そして、《かの戦い》とデイヴィッドが写真を撮られた《飛行士》は同じグループの姉妹店であることを知りました。バーテンダーの女性の話だと、有名人もかなり来店するが、写真を撮られて怒った人はデイヴィッド以前にはいなかったそうです。イジーはその写真を多くのスタッフに見せて回ったそうです。シャニカは自分がデイヴィッド殺害の犯人だと疑われていることに憤慨し、自分ほどデイヴィッドを敬愛している人間はいないといいました。シャニカは当時、撮影現場にいましたが、トレーラーハウスとは目と鼻の先であり、誰もが撮影に目を奪われている隙に抜け出してデイヴィッドを殺害し、トイレで返り血を洗い落とすことは可能だったとホーソーンは見ていました。ホーソーンがミルンズ警視と食事をとると言うので、ホロヴィッツが一人でいるときに、自分を演じている俳優のラルフに食事に誘われました。ラルフは、デイヴィッド殺害の犯人として最も疑われています。殺害当時、子供たちが車に撥ねられるところを、幽霊のようにホーソーンが眺めているというシーンを付け加えるために、デイヴィッドは待機していて、相棒のホロヴィッツ役のラルフもそばにいるように言われたそうです。ラルフはデイヴィッドの共演者であるばかりか、小間使いのように働いていたといいます。ラルフの俳優復帰を進言したのはデイヴィッドだったそうです。映画『その光の照らすすべて』でラルフのほうが評判が良かったこと、共演女優とラルフが関係を持ったことなどで、デイヴィッドはラルフに対して強い対抗心を燃やしていたといいます。BAFTAの授賞式の時、その朝から緊張もあって体調を崩していたラルフは、会場で、デイヴィッドにシャンパンをすすめられて飲み、一層具合が悪くなったといいます。そして、助演男優賞の授賞が発表され、ラルフは登壇しましたが、そこで体調が最悪になり、激しく嘔吐して脱糞までしてしまいました。巨大な噴水のようにラルフの吐瀉物は最前列の客席まで降りかかりました。謝罪の言葉を残してラルフはすぐに会場を出て、タクシーでホテルに戻り、バスタブに身を沈めました。ラルフの嘔吐シーンはカットされてテレビでは放送されませんでした。ラルフはそのままニュージーランドに向かい、映画界に別れを告げました。妻とも離婚し、数年間逼塞していたラルフに、テレサから連絡が入り、『メインテーマは殺人』への出演を依頼されたそうです。ホロヴィッツは、傲慢なデイヴィッドがラルフを服従させている異常な関係に思いを馳せました。翌朝、ダイニングに行くと、ホーソーンとミルンズ警視が親しげに話をしていました。ミルンズ警視の服装が昨夜と同じであることから、ホーソーンと一夜を共にしたとホロヴィッツは勝手に想像しました。ホーソーンが渡された資料から、ミルンズ警視とフラー巡査は勤勉に職務を遂行していることがうかがわれました。デイヴィッドのエージェントのオーブリーは嘘をついていました。4ヶ月前にAmazonでプラダのスニーカーを購入していました。オーブリーの銀行口座の残高はさほど潤沢とはいえませんでした。監督のトルーマンは犯行時刻にどこにいたのかを説明できませんでした。そして、ケータリングのワゴンから出てきたトルーマンの手が赤く染まっているのを目撃されていました。アシスタントのイジーには、未成年のときに加重窃盗の前科がありました。薬物に溺れていたようです。プロデューサーのテレサは、父親に続いて母親も亡くしていましたが、その相続金額では、映画制作の支払いには到底足りませんでした。デイヴィッドの死に関して、保険会社に対して100万ポンドを超える額を請求しています。脚本家のシャニカにも、環境保護活動に関して前科がありました。そしてデイヴィッドとの間に子供をもうけていました。現在は、トレーナーの男性と交際中で、彼はアジア台所用品店の上階に住んでいました。ホロヴィッツは凶器の日本製ナイフのことを連想しました。共演俳優のラルフは、ニュージーランドで心理療法士の治療を受けていました。酒量がかなり増えており、怒りを抑制できず、デイヴィッドの出演作を上映中の映画館に放火した疑いをかけられているといいます。ホロヴィッツがホテルの部屋に戻ると、ホテルスタッフが、こういうものは洗濯できないからお返ししますと言って、ランドリー袋を渡しました。その中にはオーブリーが履いていた、靴底に血痕の残る、プラダのスニーカーが入っていました。ホーソーンによると、オーブリーはスニーカーをランドリー袋に入れて、手近な他人の客室のドアノブに引っ掛けた、それがたまたまホロヴィッツの部屋だったと推理しました。ホーソーンとホロヴィッツは監督のトルーマンのもとを訪れました。トルーマンは、もうこの映画が実現する見込みはないとテレサに言われて、早くロンドンに戻りたがっていました。トルーマンによると、デイヴィッドは性根のねじくれた俳優だったといいます。監督の指示を聞かず、あらゆる台詞、動作を自分の思い通りにしないと気が済まなかったといいます。エグゼクティブ・プロデューサーの肩書きも持っていたデイヴィッドは、映像全てを見て、ダメ出しのメモをよこしました。デイヴィッドはトルーマンのことを好きではありませんでしたが、それ以上に、共演のラルフのことを心底憎んでいました。トルーマンはゲイで、デイヴィッドに惚れていましたが、その本性がとんでもないブタ野郎だと知って幻滅したといいます。BAFTA(英国アカデミー賞)の審査員を依頼されて、デイヴィッドとラルフがともにノミネートされている審査を担当しました。デイヴィッドは早々に敗退しており、有力候補はラルフで、トルーマンもラルフに投票したといいます。そしてラルフが受賞者に決まったことを、誘惑されて一夜を共にしたデイヴィッドに話してしまったといいます。授賞式の夜、ラルフとデイヴィッドが一緒に飲んでいるのを目撃しました。デイヴィッドがラルフの飲み物に何かを入れたのは間違いないとトルーマンは考えていました。そして、授賞式での嘔吐事件のことを、後になっても、デイヴィッドはことあるごとにラルフに蒸し返すのでした。『メインテーマは殺人』のホーソーン役にデイヴィッドを強く推薦したのは、彼に惚れ込んでいる脚本家のシャニカでした。そして、デイヴィッドのエージェントのオーブリーは、BAFTAの審査内容を漏らしたことでトルーマンを脅迫していました。ホーソーンが、事件の時刻近くに、トルーマンが赤い液体を手につけているのを目撃された件を持ち出すと、それはアイスクリームについたラズベリーソースだったとトルーマンは言いました。そして、事件の前のパブ《かの戦い》での飲み会で、トルーマンは、ラルフから、BAFTAの授賞式の夜、デイヴィッドに頭痛薬をもらって飲んだと明かされました。ホロヴィッツは、デイヴィッドを殺したのは、オーブリーではなく、ラルフに間違いないと確信しました。しかし、ホーソーンは、デイヴィッドを問答無用で刺し殺すのは不自然だといいます。ラルフが犯人なら殺す直前に口論があったはずだといいます。ホロヴィッツは、別の推理も開陳しました。犯人が狙っていたのは、デイヴィッドではなく、本物のホーソーンだったというのです。今までにホーソーンのために酷い目に遭った人物がその恨みからホーソーンを狙い、服装や見た目が似ているデイヴィッドを誤って刺し殺したというのです。トレーラーハウスのドアの名札には「ホーソーン」と書かれていたのです。しかし、ホーソーンは否定もせず、デボラ・モーガンという女性に話を聞きに行くといいます。パブ《かの戦い》のバーテンダーです。かつて、ホーソーンとホロヴィッツの姿を狼狽した表情で見つめていたのをホロヴィッツは思い出しました。デボラは、ホーソーンのせいで、今は家族を失って一人ぼっちになってしまったといいます。系列店の《飛行士》も含めて、店のカトラリーのことも《匠神》というナイフのことも知らないといいます。デボラは、かつてホーソーンの捜査によって、夫のハリーを逮捕され、そのハリーは刑務所で自殺し、自閉症だった娘も病死していました。ホーソーンとホロヴィッツは、デボラの夫ハリーが埋葬されている墓地を訪れました。この事件は、ホーソーンが探偵になって初めて手がけたものでした。ハリーは、ホーソーンの捜査の結果、ダンカン・マクリントックという人物を殺害した旨を自白したといいます。ヨークシャーのフォス屋敷という場所で起きた事件でした。ホーソーンは事件の顛末を話し始めました。

 

[第2部]

 ヨークシャーのフォス屋敷はラトクリフ家の所有で、殺人事件の起きた2010年7月9日当時、11人が屋敷に暮らしていました。当主のエドワード・ラトクリフは外交官を務めた後、領地の管理に専念していました。妻のアン・ラトクリフは従順で、一家の切り盛りをして、乗馬が趣味でした。二人の息子、25歳のルパートと21歳のジョージがいて、法学徒のルパートはリーズで暮らし、ジョージは歴史を学び、フォス屋敷についての本を執筆していました。ルパートは自動車事故のせいで片脚が不自由でした。6年前、パーティーで飲み明かした後、車のハンドル操作を誤って木に激突しました。運転していた友人のジャック・レイコックは即死、助手席にいたルパートも重傷を負いました。この事故の後も、ラトクリフ家とレイコック家の親密さは変わらなかったといいます。フォス屋敷の1階には、アンの母親で90歳になるローレン・アシュワースが住み、その介護をするジェーン・ベイリーと息子のガレスが、いちばん小さな使用人小屋で暮らしていました。ガレスは庭の手入れや馬の世話をしていました。ハリーとデボラのモーガン夫妻は、使用人の中で一番の古株で、ハリーはエドワードの運転手や雑用をこなしており、デボラはコックと家政婦を兼務していました。モーガン夫妻の17歳の娘ジェニーは軽度の自閉症でした。モーガン一家は厩舎の反対側に立つ使用人小屋で暮らしていました。屋敷の管理は、領地管理人兼猟番のダンカン・マクリントックが仕切っていました。土地全体の手入れを任されていましたが、その下働きで力仕事をさせられるガレス・ベイリーは不満を持っていたようです。マクリントックは、不機嫌で攻撃的な態度の持ち主でした。マクリントックが一人暮らしなのに最も大きな使用人小屋をあてがわれていることに、デボラ・モーガンは不満を持っていました。そのダンカン・マクリントックが2010年7月9日に姿を消して、12日には他の皆が行方不明を認めることになります。7月9日は金曜日で、マクリントックはいつものようにガレスをどなりつけ、デボラと口論し、屋根の葺き替えを依頼した建設業者を訴えると脅しつけていました。エドワードはマクリントックの携帯電話を呼び出してみましたが、すぐに留守電に切り替わりました。そして3日後に、ついにエドワードは警察に連絡しました。マクリントックのクレジットカードは使用された形跡がなく、銀行から金を引き出しておらず、海外渡航や病院収容の記録もありませんでした。周辺の駅などの防犯カメラにも写っていませんでした。携帯電話を使用した形跡もありませんでした。9日の18時半に、厩舎で働くガレスが家に入っていくマクリントックを目撃したのが最後でした。しかし、老齢のアシュワース夫人が、20時頃に、マクリントックが厩舎に入っていくのを自室から目撃していました。警察の現場検証で、マクリントックは自宅で夕食をとり、ウイスキーをグラスに注いだところで、いったん家を出たと考えられました。厩舎の中の空いている馬房の奥の壁に、血痕がこびりついているのが見つかりました。それはマクリントックの血液でした。9日の夜、エドワードとアンは4人の客を晩餐に招いており、デボラは厨房で忙しく働き、ハリーとジェニーは自宅にいました。ルパートは裁判の準備で自室で事件の整理をしていました。ジョージは恋人とリッチモンドへ出かけていました。アシュワース夫人はテレビを観ていました。介護人のジェーンは自宅へ戻り、自分と息子のために夕食を準備していました。それを食べた後、息子のガレスは近くのパブで友人と会っていました。誰かが厩舎でマクリントックと会い、殺害した後、遺体を持ち出してどこかに埋めたと考えられました。朝になればガレスが馬に餌をやりに来てしまうので、夜のうちに遺体を運ぶ必要がありましたが、中庭を見わたせる位置に寝室がある、ジェーンとアシュワース夫人に、車のエンジン音を聞かれてしまいます。フォス屋敷の門のすぐそばに建つ貸別荘の宿泊客たちは、ラトクリフ家の招待客が帰っていく車の音を聞き、ジョージがタクシーで帰宅するところを目撃していました。マクリントックは誰からも好かれていませんでしたが、その誰もが、殺人に至るとは考えにくいものでした。マクリントックは、自閉症のジェニーが友人のように可愛がっていた犬のバジャーを、家畜を脅したと言いがかりをつけて射殺していました。愛犬を殺されたジェニーは、泣きじゃくり、3日間食事も喉を通りませんでした。警察の鑑識の結果、マクリントックの血痕が、ルパートの所有するフォルクスワーゲンのハッチバックから発見されました。ルパートは車の鍵を玄関に置いていたので、他の誰かが使うことが可能でした。しかし、ルパートはマクリントックに何回もまとまった金を渡していました。マクリントックに恐喝されていたとも考えられ、有力な殺人容疑者になりました。ルパートは6年前の自動車事故の時、深酒と薬物摂取をしながら車の運転をしていたのは実は自分だったと両親に告白しました。事故を起こして動転し、マクリントックに連絡を取りました。マクリントックが見事な偽装工作をして、運転席に死んだジャックを座らせて、助手席にルパートを移動させました。その後、事故の偽装を巡って、マクリントックはルパートに金をたかるようになったといいます。ジェニーの愛犬バジャーが射殺されたときも、マクリントックを擁護したのはルパートでした。ルパートは殺人の有力容疑者になっていましたが、自分では絶対に人殺しなどしていないといいます。エドワード・ラトクリフは、ホーソーンを呼ぶことに決めました。ここまでの話をホロヴィッツは苦労しながらホーソーンから聞き出しました。フォス屋敷の5キロほど先にリースという村があります。ホーソーンが子供時代の何年かを過ごし、その人生に暗い影を落としている謎の場所です。自分が隠し続けてきた過去を、ホロヴィッツに知られてしまう危険性がありましたが、夫のハリーがフォス屋敷の事件で無実の罪で逮捕され、自殺したとしたら、撮影現場でホーソーンを狙って誤ってホーソーン役のデイヴィッドを刺し殺した犯人はデボラ・モーガンに絞られます。ここは、フォス屋敷の件をホロヴィッツに打ち明ける必要がホーソーンには生じていたのです。ホーソーンとホロヴィッツがフォス屋敷に到着すると、アン・ラトクリフに歓迎されました。広い玄関ホールには、ミニチュアの高価な骨董品の鉛の兵隊が無数に並んでいました。エドワード・ラトクリフは脳卒中になって会話が難しくなっているといいます。食事が始まり、いまだに夫の無実を訴え続けるデボラ・モーガンの話題になりました。ルパートは家を出て暮らすようになり、自動車事故でのジャックの死の真実を父母のレイコック夫妻に話したところ、許してくれたといいます。ホーソーンはマクリントック殺害に関してルパートの無実を証明し、ハリー・モーガンを真犯人として自白に追い込んだのでした。しかし、ホーソーンはその自分の判断に誤りがあったのではないかと思っていました。事件当時の話が再び始まります。10年前、警察を辞職したばかりのホーソーンがラトクリフ家を訪れたのは、マクリントックの失踪から2週間後でした。ホーソーンはルパートから詳しく話を聞き、ルパートは犯人ではないと断定しました。ホーソーンは厩舎と近辺を調べて、厩舎からシャベルが1本無くなっていること、近くの貯氷庫にマクリントックの遺体がしばらく隠されていたことを見抜きました。また、ルパートの乗っていたフォルクスワーゲンのハッチバックについていた初期のカーナビ《トムトム》をルパートの自室から見つけ出しました。その走行履歴から、フォス屋敷の北東8キロぐらいのストーニーゲート・バンクという地名が浮かび上がりました。ホーソーンは現場を見て、細長い空き地を発見しました。そこに埋められた遺体が見つかり、凶器となった馬の蹄切りナイフや穴を掘ったシャベルも見つかりました。マクリントックは蹄切りナイフで喉を深くえぐられて殺されていました。そのナイフからハリー・モーガンの指紋が発見されました。マクリントックを厩舎で殺害し、その遺体を貯氷庫に隠し、翌々日にルパートの車でストーニーゲート・バンクまで運び、埋めたと考えられました。また、ハリーは、フォス屋敷の玄関ホールに飾られた膨大な鉛の兵隊のコレクションを少しずつ盗み出して、骨董品店や骨董市で売りさばいていたことも判明しました。さらに新たな証拠として、ハリーが妹に送った犯罪をほのめかすようなメール、遺体発見現場の枝に引っかかっていたハリーの服の断片などが上がり、ついにハリーは自白しました。ハリーは、ラトクリフ家の鉛の兵隊を盗んでいることをマクリントックに見つかり、脅迫されていました。刑務所に収監されたハリーは、そこでの過酷な生活に耐えきれず、2012年3月2日に首を吊って自殺しました。妻のデボラは、夫の遺体をヘイスティングスに埋葬し、今も夫の近くで働いているのです。夫の無実を訴え続けましたが、耳を傾ける者はいませんでした。ホーソーンは幼い頃からラトクリフ家と付き合いがあったとホロヴィッツは見ていました。ハリーの墓を訪れた時、ホーソーンは「何かがおかしい」と言っていました。その真意をただすと、ホーソーンは疑問点を明らかにしました。ハリーはマクリントックの遺体を埋めたストーニーゲート・バンクの近辺をよく知っており、カーナビを使う意味がわかりません。また、ラトクリフ家の鉛のミニチュア兵隊を何年にもわたってくすねて金にかえていましたが、突然、マクリントックが気づいてハリーを脅したのも不自然です。それに、殺人事件の捜査の真っ最中に、3体の鉛の兵隊を売るためにわざわざ骨董市に出かけているのも不自然です。ハリーは嘘の供述をしていたとホーソーンは見ていました。ハリーはマクリントックの遺体を埋めた時、シャベルの指紋を拭き取ったのに、凶器の蹄切りナイフの指紋は拭き取りませんでした。また、シャベルを目立つところに投げ捨てているのも不自然でした。ハリーはルパートと自分を担当したシェパードという弁護士に自死の直前に手紙を書いていました。しかし、弁護士は手紙の内容を語ろうとはしませんでした。ホロヴィッツは、大学で講義があるからと嘘をついて、ロンドンへ帰るホーソーンと別行動をとりました。ホーソーンが幼少期を暮らしたリースという村を訪れるためです。今までホーソーンと共にした事件の最中に、ホーソーンとリースの関わりをほのめかす出来事や証言がいくつも出てきていました。ホーソーンの義理の兄のローランドによると、ホーソーンの実の両親は悲惨な死に方をして、ホーソーンは養子になったといいます。リースでかつて起きたことからホーソーンを解き放ち助けになることが自分の役割だとホロヴィッツは考えていました。リースにあるパブでホロヴィッツは、かつてホーソーンに旧知の仲だと声をかけたマイク・カーライルという人物について聞き込みをしました。マイクと両親は、村を離れていました。村人の話だと、この村で起きた事件とは関係ないといいます。村の事件は「セント・エドウィンズの件」と言っていました。ホロヴィッツはネットで検索したり、郵便局で調べてみたりしましたが、セント・エドウィンズについては全くわかりませんでした。郵便局員は、セント・エドウィンズについては話せないといいました。ホロヴィッツは郷土資料館を訪れました。セント・エドウィンズという学校が火災で焼失したことがわかりました。ホロヴィッツは、リースの郊外の雑草の茂る広大な空き地に、火災の跡を発見しました。おそらくホーソーンの母校だったはずのセント・エドウィンズは、火災で焼け落ちたのみならず、何も残らないように徹底的に破壊しつくされていました。ホロヴィッツはフォス屋敷に戻り、ラトクリフ夫妻に再び会います。アン・ラトクリフによると、ホーソーンの両親は自動車事故で亡くなり、ホーソーンは10歳の時にラトクリフ家に来て1年半暮らしたといいます。ホーソーンの家族と知り合いのモートン医師の依頼でした。モートン医師にはアラステアという息子がいて、ホーソーンを雇っている、保安や情報管理に携わる《フェンチャーチ・インターナショナル》という組織の最高経営責任者であることをホロヴィッツは知っていました。アラステア・モートンは、ホロヴィッツのあらゆることを調べて知っており、敵に回したくない男だとホロヴィッツは思っていました。アン・ラトクリフが来客の相手をしている間、フォス屋敷の庭園を散策していたホロヴィッツの前に、アラステアの父親のモートン医師が現われました。モートン医師はこれ以上ホーソーンのことを調べるのをやめるように言いました。セント・エドウィンズ校のことを完全に消去したのはモートン医師の一味の仕業と思われましたが、モートン医師は知らないといいます。ホーソーンの両親が亡くなり、ホーソーンが養子になる頃には、モートン医師は《フェンチャーチ・インターナショナル》を設立していたといいます。モートン医師はホーソーンを守りたいのだといいます。これ以上、ホーソーンの隠された秘密を探ろうとすれば、ホロヴィッツの個人情報を公開すると脅しました。ホロヴィッツは、ロンドンに帰る列車内で、俳優デイヴィッド・ケイン殺害事件の関係者である、俳優のラルフ、監督のトルーマン、脚本家のシャニカ、エージェントのオーブリー、アシスタントのイジー、プロデューサーのテレサ、パブ《かの戦い》のバーテンダーでマクリントック殺害犯として服役中に自殺したハリーの妻デボラについて、覚え書きを作成しました。その時、ホーソーンから明日朝9時に《かの戦い》で会おうというメッセージが携帯電話に入り、ホロヴィッツはヘイスティングスに戻ることになりました。翌朝、《かの戦い》にホロヴィッツが向かうと、ミルンズ警視とフラー巡査も待っていました。ホーソーンたちは、バーテンダーのデボラに向かって、デイヴィッドが殺害された時刻近くにデボラが殺害現場近辺に行っていたことを尋ねました。ホーソーンによると、フォス屋敷のマクリントックを殺害したのはデボラの夫ハリーではなく、ハリーが罪をかぶったのだといいます。マクリントックを殺したのは、ハリーとデボラの娘であるジェニーでした。愛犬をマクリントックに殺されて、さらに厩舎で馬を愛でているところをマクリントックに罵られ、かっとなって犯行に及んだというのです。ジェニーはハリーに携帯電話で助けを求め、その通話記録も残っていました。自閉症のジェニーは刑務所で生きていけないと思ったハリーは自分が罪をかぶることを決断しました。ハリーはマクリントックの遺体を貯氷庫に隠し、ルパートの車で週末にストーニーゲート・バンクに運んで埋めました。旧知の場所に行くのにカーナビを使ったのは、わざと足跡を残すためでした。凶器の蹄切りナイフには自分の指紋をつけました。シャベルを近くに投げ捨て、自分の上着の破片を周辺に残しました。そしてマクリントックに脅迫されていることをでっち上げるために、ラトクリフ家の鉛のミニチュア兵隊を盗み出して骨董市で売りました。もうだいぶ前から兵隊を売っていたようなふりをしました。ハリーは10年ぐらいで刑務所から出てこられるはずでしたが、運悪く収監されたマンチェスター刑務所は環境が最悪で、ハリーは耐えきれずに自殺してしまいました。ルパートの無実を証明し、ハリーの自白を促したホーソーンをデボラは恨んでいました。映画でホーソーン役だった俳優のデイヴィッド・ケインを殺したのは、デボラだったのではないかとホロヴィッツは推測しました。ホーソーンは、ラルフ、トルーマン、シャニカ、オーブリー、イジー、テレサといった容疑者たちはみな動機に真実味を欠いているといいます。イジーは、他に働き口がすぐに見つかるだろうといいます。オーブリーは、自分との契約解除を撤回させようと、最後の望みをかけてデイヴィッドのトレーラーハウスを訪れ、デイヴィッドが死んでいるのを見つけ、血だまりをプラダのスニーカーで踏んでしまったといいます。テレサは映画の制作資金が底をついていましたが、映画制作を中止して保険会社から金を得るにしても、主演俳優を殺すのはいささかやりすぎだといいます。シャニカにはそもそも動機がありません。デイヴィッドを推薦したのはシャニカなのです。トルーマンはデイヴィッドを殺したいほど嫌っていましたが、殺すにしてもタイミングが悪すぎるといいます。そしてラルフです。デイヴィッドを殺す動機は充分にありました。デイヴィッドは英国アカデミー賞の授賞式の夜、ラルフに頭痛薬を飲ませましたが、そのカプセルにはラルフがアレルギーを持っているナッツの粉末が入っていました。それを飲んだラルフはアレルギー症状を起こして嘔吐事件に発展しました。その事実を、デイヴィッド殺害の前夜に知ってしまったのです。しかし、いきなりデイヴィッドを殺すのではなく、まず真実かどうかを聞きただすはずだったとホーソーンは見ていました。6人が犯人ではないとすると、デイヴィッドを殺したのは誰なのか。いきなりデイヴィッドを殺す動機が沸点のように沸き返ったのだとホーソーンはいいます。きっかけは、パブ《飛行士》でイジーの友人が撮ったデイヴィッドの写真でした。そこに写っているカトラリーには《匠神》のナイフがありました。それはステーキ用の肉切りナイフでした。環境保護活動に熱心でヴィーガン(菜食主義者)を自認していたデイヴィッドが肉を食べようとしていたのです。それを写真に撮られたせいで、デイヴィッドは激怒したのです。しかも、デイヴィッドは弟のライブからの帰途にプライベートジェットを使っていました。これも環境保護活動家にはあるまじき行為です。写真からその事実に気づいたシャニカは、敬愛するデイヴィッドに裏切られた思いで、泣いていたといいます。デイヴィッドが最期の時刻に弟とかわしたメッセージの一文も俎上に載りました。「とっとと失せやがれこのろくでなしどういうことか聞かせてもらおう」という文です。デイヴィッドは音声入力していました。「とっとと失せやがれ」は弟に向けたデイヴィッド本人のメッセージですが「このろくでなしどういうことか聞かせてもらおう」というのは、トレーラーハウスに踏み込んだシャニカの声が文に変換されたものだったのです。しかし、シャニカは生活に行き詰まっており、映画を完成させてギャラを得ることが必須でした。映画をぶち壊すことになるデイヴィッド殺害には踏み込めなかっただろうと思われました。最後の証拠は、デイヴィッドの背後に飾られていた、高速道路でのデモ行進の記事でした。その日付は2021年3月2日。それはデボラの夫ハリーが刑務所で自殺した日でした。その日、デボラはハリーに面会するために車で刑務所に向かっていましたが、デイヴィッドたちのデモ行進で生じた大渋滞のせいで、刑務所に行き着けず、その間にハリーは首を吊ってしまったのでした。ハリーの自殺はデイヴィッドのせいだとデボラはずっと恨んでいました。さらにイジーの友人がパブ《飛行士》で撮った写真を見せられて、デイヴィッドが環境保護活動家を名乗るとんでもない偽善者であることが判明し、デボラの殺意は固まりました。《匠神》のステーキナイフを使ったのも、復讐の意味をはっきりさせるためでした。デボラは犯行の事実を認めました。そして、ホーソーンに向かって「あんたは頭が切れるかもしれないが、ハリーには勝てなかった。うまいことあんたを出し抜いたのはハリーだったのだから」と言いました。帰りの列車の中で、ホロヴィッツは自分の考えの間違い、見落としをホーソーンに列挙されて幻滅しました。

 

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 本作品は、ホロヴィッツが一人称「わたし」で語る額縁小説(枠物語)の体裁をとっています。あくまでもホロヴィッツが見聞し体験したことのみが語られています。そのため、ホーソーンの単独行動や思考の流れなどにはあまり触れず、クライマックスの謎解きに意識が集中するようにできています。また、ホーソーンの過去の秘密を解き明かそうとしてうまくいかないじれったさも、額縁小説ならではの効果と言えるでしょう。コナン・ドイルもシャーロック・ホームズのシリーズで、ワトソンが一人称で語る額縁小説の体裁をとっています。ホームズ物の続編を執筆するほどドイル作品に精通しているホロヴィッツならではの手法とその成功例が「ホーソーン&ホロヴィッツ」シリーズであり、本作品もそうだと言えます。

 ホロヴィッツは、メタ・フィクションの名手でもありますが、本作品でも、メタ・フィクションの手法を持ち込んでいます。俳優のデイヴィッドの殺害事件とその顛末がメタ・テクストであり、ホーソーンが過去に手がけた、フォス屋敷でのマクリントック殺害事件が原テクスト(作中作)です。しかし、『カササギ殺人事件』の「アティカス・ピュント」シリーズのように、あからさまに小説中にもう1編の小説が組み込まれているわけではありません。デイヴィッド殺害事件の捜査で浮かび上がった過去の事件としてマクリントック殺害事件が扱われています。しかも、原テクスト中の登場人物が、メタ・テクストでも重要な役回りとして登場します(真犯人などで)。原テクストは、メタ・テクストでの謎解きの補助線として機能しているのです。それが、本作品に奥行きを与えています。また、原テクストの舞台が、ホーソーンの出身地であるリース村に近いこと、ホーソーンが少年時代の一時期、フォス屋敷のラトクリフ家の養子だったことなどが出てきて、ホロヴィッツが単独行動でリース村を訪れ、ホーソーンの過去を調べるというオマケも付いています。リース村では、ホーソーンを巡って、何やら怖ろしい事件が過去に起こっているようでしたが、ホロヴィッツは真相にたどり着くことはできませんでした。このホーソーンの過去を巡る逸話は、次回以降の作品でも引き続き扱われる公算が高いと言えます。乞うご期待というところでしょうか。

 デイヴィッド殺害事件では、登場人物のほとんどに殺害の嫌疑がかかりますが、動機の強さを巡って、ホーソーンは容疑者を次々と削除していきます。そして、残ったデボラですが、当初は、本物のホーソーンを狙っていたと思われていました。しかし、デイヴィッドのエセ環境保護活動家という偽善者ぶりと、彼の組織したデモで生じた大渋滞のせいで、夫ハリーの自殺を止められなかった恨みから、デボラはデイヴィッド本人を殺すつもりになったのです。この動機の鮮明・不鮮明が、真犯人を見分ける基準になっているのも、本作品の特徴だと思われます。この謎解きのプロセスは、アガサ・クリスティばりの正統派推理小説になっています。

 コナン・ドイル直伝の額縁小説の体裁で、アガサ・クリスティばりの登場人物の多さと謎解きを仕掛け、しかも、メタ・フィクションの手法まで、あくまでも自然な形態で取り入れている本作品は、娯楽と文学的実験が噛み合った、見事な出来栄えになっています。1年に1本のペースで、これだけ完成度の高い、しかも面白い作品を生み出し続けるホロヴィッツの構想力と筆力は物凄いとしか言いようがありません。今後も、毎年、読者を愉しませてくれることでしょう。