ほうしの部屋

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 マンガ家のつげ義春(本名・柘植義春)が3月3日に誤嚥性肺炎で亡くなりました。88歳でした。私の最も好きなマンガ家でした。若い頃から、つげは対人恐怖症で不安神経症を患い、自殺未遂や蒸発を企て、死の恐怖に襲われつつ死に憧れるような矛盾した心理を抱えて生きていました。1999年に妻の藤原マキをガンで亡くし、一人息子を育て上げました。そしてなんだかんだ言って88歳まで生きたのですから、大往生でしょう。

 つげの日常は、自伝的マンガやエッセイでも知られており、(唐十郎の状況劇場の女優だった)妻のマキが発表したエッセイを併せて読むと、つげの日常や本音、病気の実態などがよく見えてきます。

 東京生まれで、貧しい家に育ち、中学校も出るか出ないうちに工場労働などで働きはじめ、その傍ら、コツコツとマンガを描き、1954年に貸本マンガでデビューしました。貸本マンガ時代の作品は、白土三平などの影響の強い作風や絵で、オリジナリティは、なかなか見出せませんが、不条理な死などを扱ったものもあります。一時期、水木しげるのアシスタントも務め、あの細々した背景を描き込む水木をして「つげ君は一番絵が上手かった」と言わしめました。弟のつげ忠男もマンガ家になり、ハードボイルドな渋い作品を生み出しましたが、その後、古本屋になりました。

 そして、何と言っても、1967年から1968年にかけて、伝説のマンガ雑誌「ガロ」に発表した一連の作品群が、つげ義春を伝説にしました。「通夜」「山椒魚」「李さん一家」「峠の犬」「海辺の叙景」「紅い花」「西部田村事件」「長八の宿」「二岐渓谷」「オンドル小屋」「ほんやら洞のべんさん」「ゲンセンカン主人」「もっきり屋の少女」「ねじ式」といった作品群です。他にも「沼」「チーコ」「初茸がり」「やなぎ屋主人」といった佳作をガロに発表しています。これらの作品は、小学館文庫の『ねじ式』『紅い花』という2冊で全て読めます。私が高校生の頃、つげ義春を知って、最初に購入した本も、この小学館文庫の2冊でした。

 その後も、寡作ながら「リアリズムの宿」「無能の人」「別離」など傑作を生み出し、数多くの作品が映画化されました。貧乏くさい生活や旅行を描いたエッセイも秀逸で人気が出ました。つげが訪れた温泉などの場所を巡る聖地巡礼をするファンもたくさんいます。つげのエッセイでは「蒸発旅日記」「貧困旅行記」が好きです。私も「長八の宿」を探して伊豆の松崎に行きましたが、長八の鏝絵は芸術品としての価値が上がり、美術館までできていました。また、千葉の房総中部の洞窟(?)にも行きました。

 つげの作品は、様々な出版社から(文庫やハードカバーなど)様々な形態で散発的に売り出されたため、私は非常に苦労してほぼ全てを集めました。ところが、2022年になって、全22巻の「つげ義春大全」が講談社から刊行されたので、ガックリきました。つげは、病気や寡作であることなどから、貧困に陥ることを極度に怖れていましたが、実際は、印税でかなり儲けていたでしょう。1987年以降、マンガを描いていません(エッセイや写真集は出していますが)。2017年には『つげ義春 夢と旅の世界』(新潮社)と一連の作品で第46回日本漫画家協会賞大賞受賞。2020年には第47回アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞。2024年11月の秋の叙勲で旭日中綬章を受章しました。本人の意向はいざ知らず、名実ともに認める大芸術家になってしまいました。

 つげ義春の作品は、本人の(いい加減な)意図や動機とは離れて、芸術作品として高い評価を受けており、高校の教科書に載るほどになっています。その最たるものが「ねじ式」でしょう。「メメクラゲ(××クラゲの誤植)」に噛まれた主人公が、海辺の町を右往左往して医者を探し周り、奇妙な目に遭い、最終的に婦人科医によって腕の血管をねじで締められる物語であり、シュルレアリスム的な脈絡のないコラージュの連鎖で、不気味な不条理さを演出していました。しかし、創作の実態は、つげ義春が、下宿の屋根に登って昼寝していた時の奇妙な夢をマンガに描いただけだといいます。たしかに、ポール・デルヴォーのように、夢の世界を描くシュルレアリスムの画家もいますから、つげの「ねじ式」もシュルレアリスムの系譜に位置づけても良いかもしれません。とはいえ、私は、思いつきをそのまま絵にする、つげ義春の一種の「いい加減さ」の面白みを、もっと評価しても良いのではないかと思うのです。

 つげのエッセイや写真集を読んでいると、つげ義春という奇妙な人物のフィルターを通すからこそ、ひなびた寒村などの日常風景が、奇妙な様態で読者に迫ってくると言えるでしょう。つげの見立てや切り取り方によってこそ、貧乏くさくも奇天烈な情景が現われ、読者に衝撃を与えるのです。

 1987年を最後に、マンガを描くことを辞めていましたから、新作などは期待するべくもない状態でしたが、過去の作品群は何度読み返しても新たに滋味があふれてくる、スルメのような味わいがあります。つげ義春という人物自身もそうだと思います。