星新一の作劇法:AというキャラにBという性格・属性があり、Bという性格・属性に基づいた言動によって劇的なシーンを構成することが多い。

 

尾田栄一郎の作劇法:AというキャラにBという性格・属性があるのだが、Bとは逆の性格・属性に基づいた言動によって劇的なシーンを構成することが多い。

 

こんな印象を持っているのは自分だけなのかな。

 

 

ヒカキンのファン層以外には余り知られていない曲が約3000万回再生。

イントロを聴けば多くの日本人が「この曲しってる!」となる有名曲が約300万回再生。

 

JITTERIN'JINNの夏祭りは1990年に日本コロンビアというメジャーな音楽会社より発売され、2000年にはWhiteberryというガールズバンドによるカバーもヒットしている。

 

しかし、YouTubeの再生回数だけで判断してしまうと、ヒカキンの「夢」は老若男女に愛されている名曲「夏祭り」の10倍も価値があることになってしまう・・・。

 

 

ヒカキン&セイキン - 夢  32,031,956回視聴  2019/12/15

 

ジッタリン・ジン / 夏祭り  (Jitterin’ Jinn / Natsumatsuri )【MV】  3,128,208回視聴  2019/04/20

 

 

〇名曲「おっくせんまん」とは

2007年2月に成立したネット発の名曲。昭和の時代にCAPCOMが作曲したメロディ(1988年発売のゲームのBGMの一節)に対して、複数の匿名ネットユーザーが2007年1~2月に作詞していったことで誕生した楽曲。曲名は「思い出は億千万」と表記される場合もある。

 

 

 
 

 

〇おおまかな経緯

2007年1月21日にファミコン向けアクションゲーム『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』(1988年発売)のタイムアタック動画がニコ動で投稿される

2007年1月22日、その動画に「おっくせんまん!」というコメントがつく(ただし『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』のBGMのメロディに「おっくせんまん」などといった歌詞をあてる風習はニコ動が誕生する前から存在していた模様)

それがきっかけとなって『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』のBGMのメロディに歌詞を当てはめるムーブメントがニコ動で起こる

2007年2月1日、現在の「おっくせんまん」の歌詞の原型となるコメントが書き込まれる(この時点では1番の歌詞の一部分しか成立しておらず2番も含めた全体の歌詞が成立していったのは2007年2月2~6日の時期)

2007年2月1~6日、現在の「おっくせんまん」の歌詞がニコ動の一般人(匿名ネットユーザー)によるコメントを通して次々と考案されていく

2007年2月6日、『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』のプレー映像に、現在の「おっくせんまん」の歌詞の1番の部分までのテロップを載せた動画が投稿される(この動画はもともと蒼い牙氏のサイトhttp://www.geocities.jp/family_comcertに投稿され、mokudai masanori氏がその動画をYouTubeに転載したものと見られる)

2007年2月14日、mokudai masanori氏が「おっくせんまん」のフル・ヴァージョンの歌詞を載せた動画「ロックマン2 - おっくせんまん Full ver.」をYouTubeに投稿(これはあくまで「フル・ヴァージョンの歌詞のテロップを載せた動画」であって「歌ってみた動画」ではない)

しばらくして「ロックマン2 - おっくせんまん Full ver.」が話題となり、蒼い牙氏が自身のサイトその動画の制作経緯を述べる(<作詞者様と思われる方からメール>というのは「複数人いる作詞者のうちの一人が蒼い牙氏にメールを送った」という意味だと思われる)

 

Twitterの検索結果から判断してmokudai masanori氏は株式会社トリスターに勤務する目代という方だと見られる。

 

 

 

 

〇「おっくせんまん」の「歌ってみた動画」を初めて動画サイトに投稿した人物

諸説あり。

フル・ヴァージョンではないものの、現在の「おっくせんまん」の歌詞を歌った動画が2007年2月12日にYouTubeで投稿されている。

なお、その3日後の2007年2月15日、2月12日の動画とは別の人物がフル・ヴァージョンではない歌ってみた動画を投稿している。

 

現在の「おっくせんまん」の歌詞をフル・ヴァージョンで歌った動画は、現存する中では2007年2月16日の住宅街さんによるヴァージョンが最古とみられる。

その3日後の2007年2月19日、okkusenmanというネットユーザーが小宮真央さんによるヴァージョンをYouTubeに投稿したが、動画概要欄に<mixiのコミュから拾ってきたやつを勝手に合体しちゃったごめんよ。動画は適当。>とあることから、2月19日以前の段階で小宮真央さんはフル・ヴァージョンで歌った音源をmixiで公開していたと考えられる。2月19日の小宮真央さんのヴァージョンは音源こそ「おっくせんまん」を歌ったものとなっているものの、動画は「おっくせんまん」とは何の関係もない代物(レッツゴー!陰陽師)となっている。okkusenman氏は翌日の2007年2月20日、動画の内容をレッツゴー!陰陽師から『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』のプレー映像に変更したヴァージョンを投稿している。

 

同じく2007年2月20日、ゴム氏によるヴァージョンがYouTubeに投稿されるが、後々このヴァージョンにはDNA氏によるFLASHアニメーションがつき、このアニメーション付きのヴァージョンはYouTubeで再生回数が1000万回を超えている。

(このアニメ動画はひろゆき氏も賞賛している。)

 

なお、「NEET GENERATION」などの曲で知られるGun-SEKI氏も現在の「おっくせんまん」の歌詞をフル・ヴァージョンで歌った動画を発表している(本人のツイート)。その動画はokkusenman氏によって2007年2月24日にYouTubeで投稿されている。

 

 

 

 

〇参考リンク

ASCII.jp:ニコ動「おっくせんまん」は4畳半で生まれた (1/4) (archive.ph)

おっくせんまんとは (オックセンマンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 (archive.fo)

思い出は億千万とは (オモイデハオクセンマンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 (archive.fo)

おっくせんまんの歌詞ができるまで。(訂正あり) - Myrmecoleon in Paradoxical Library. ニコニコ分室 - ニコニコ部 (archive.fo)

おっくせんまんの歌詞ができるまで。(追加調査) - Myrmecoleon in Paradoxical Library. ニコニコ分室 - ニコニコ部 (archive.org)

 

 

 

〇現在の「おっくせんまん」の歌詞(歌い手によって細部の歌詞が異なる場合がある

[1番]

子供の頃 やった事あるよ
色褪せた記憶だ 紅白帽 頭に
ウルトラマン ウルトラマン セブン

子供の頃 懐かしい記憶
カレーとかの時に 銀のスプーン目にあて
ウルトラマン ウルトラマン セブン

でも今じゃそんな事も忘れて
何かに追われるように 毎日生きてる

振り返っても(忘れていたアルバムの中に)
あの頃には(馬鹿やってる自分) 戻れない(友達と笑って)
ウルトラマン ウルトラマン セブン

今あいつら どこに居るの? 何をしているの?
答えはぼやけたままで
ウルトラマン ウルトラマン セブン

でも今じゃそんな事も忘れて
何かに追われるように 毎日生きてる

君がくれた勇気は 億千万 億千万
過ぎ去りし季節は ドラマティック



[2番]
子供の頃 やった事あるね
雑誌に付いてきた 3Dメガネかけ
ウルトラマン ウルトラマン セブン

大人になり 忘れてた記憶
蘇る 鮮やかに 腕でL字作り
ウルトラマン ウルトラマン セブン

でも今じゃそんな事も忘れて
何かから逃げるように 毎日生きてる

振り返っても(古ぼけた日記帳 開き)
あの頃には(色褪せた ページには) 戻れない(初恋の娘の名前)
ウルトラマン ウルトラマン セブン

ただあの頃 振り返る 無邪気に笑えた
汚れも知らないままに
ウルトラマン ウルトラマン セブン

でも今じゃそんな事も忘れて
何かから逃げるように 毎日生きてる

見過ごしてた景色は 億千万 億千万
過ぎ去りし季節は グラフィティ

君がくれた勇気は 億千万 億千万
過ぎ去りし季節は ドラマティック

 

私は小学生の頃、資源は多ければ多いほど良いと無邪気に考えていた。

だから、資源が乏しい日本が第二次世界大戦後に世界第二位の経済大国となったことが不思議に感じられた。(後に、日本はGDPが世界三位となった。)

日本が太平洋戦争に突入した経緯を当時から知っていた影響で、「どんだけ技術力が優れていても鉄資源や石油資源がなければ製品を量産できない。非常時の代表例とも言える戦争の際に資源がないと兵器を量産できないじゃん」という発想があった。

 

中学に入り、資源の呪いという用語を知った。

そのころになると「非常時は資源国が強いが、資源は技術集約型のハイテク機器などと違って、どの地域のものでも大差ないため、平時は資源国よりも技術国が強い。実際、モノカルチャー経済に依存している国は、平時において数種類の輸出品の市場価格が変動するたびに打撃を受けがちである」と考えるようになっていった。

 

大学に入った後、コロナ禍が発生した。パンデミックに混乱する医療機関を目の当たりにした庶民の間で、日本の医療機関のシステムに関する議論が活発となったが、平時と非常時という視点はそのような議論で役立つ場合があるのではないか。

 

2022年にコロナ禍が収まることを祈り、本エッセイを結ぶこととする。

 

 

 

令和4年1月1日 A倉R郎

 

 

 

 

 

※今年中に『ツァラトゥストラはかく語り』解説プロジェクトを進めていく予定ですので、ニーチェ思想に関心のある方はお待ち下さい。

〇「月の爆撃機」とは

ブルーハーツのアルバム『STICK OUT』に収録されている名曲。ブルーハーツ後期の代表曲と評する声もある。

 

 

 

〇動画

THE BLUE HEARTS - 月の爆撃機 - YouTube

 

 

 

〇歌詞
ここから一歩も通さない
理屈も法律も通さない
誰の声も届かない
友達も恋人も入れない

手掛かりになるのは薄い月明り


あれは伝説の爆撃機
この街もそろそろ危ないぜ
どんな風に逃げようか
すべては幻と笑おうか

手掛かりになるのは薄い月明り

僕は今コクピットの中にいて
白い月の真ん中の黒い影


(ギターソロ)



錆びついたコクピットの中にいる
白い月の真ん中の黒い影



いつでもまっすぐ歩けるか
湖にドボンかもしれないぜ
誰かに相談してみても
僕らの行く道は変わらない

手掛かりになるのは薄い月明り

 

 

 

 

〇解説

甲本ヒロト氏は「歌詞の意味は聴き手が自由に感じ取ってほしい」という姿勢を取っている。

そのため、ヒロト氏が書いた曲の歌詞に本当の意味などといったものを想定するのは妥当ではないと思われる。

本曲は聴き手一人一人によって歌詞の解釈にかなり幅があるため、多種多様な解釈が存在する。

 

私の考えでは、本曲は「物語の語り手が『爆撃機が夜空を飛んでいる情景』をまず思い浮かべ、『その情景において爆撃機に載っている人』と『その爆撃機を地上から眺めている人』に言葉を投げかけていく構図」となっている。

 

物語の語り手というのは、本曲の歌詞の物語世界をリスナー(本曲の聴き手)に伝えていく人物のことを指しており、「本曲の作詞者でブルーハーツのヴォーカリストであるヒロト氏」と同一視しても構わないだろう。(以下ではヒロト氏と表現する。)

 

なお、物語の語り手(ヒロト氏)が「自分が思い浮かべた情景」の登場人物に言葉を投げかけているのではなく、その情景の登場人物が別の(その情景の)登場人物に言葉を投げかけていると解釈できる箇所も存在する。

 

 

ヒロト氏は「ここから一歩も通さない」~「友達も恋人も入れない」の箇所で、夜空を飛ぶ爆撃機に載っている人の物理的状況or心理的状況を歌っており、爆撃機のパイロットにとって、爆撃機の現在位置や爆撃機の進行方向の手がかりになるのが薄い月明りであることを表現している。

 

 

「あれは伝説の爆撃機」~「すべては幻と笑おうか」の箇所は、ヒロト氏が爆撃機を地上から眺めている人(地上の人)に投げかけている言葉か、地上の人が自分(ら)に投げかけている言葉かのどちらかである。

前者の場合、ヒロト氏は「伝説の爆撃機が君らの街に来ているけど、この街に住む君らはどうするんだい?どんな風に逃げるのかい?それとも、そもそも逃げ出すことすら放棄して『すべては幻のことに過ぎない』だなんて笑い飛ばすのかい?」と地上の人に問いかけていることとなる。

後者の場合、街の住人が数人や数十人単位で集まって、「爆撃機が来ているけど、うちらどうしようか?」などと語り合っていることになる。

 

 

因みに本曲において、爆撃機が地上の人の味方国のものなのか、敵国のものなのかは明示されていない。

爆撃機が味方国のものな場合は、「自分が住むこの街の上空にすら爆撃機が飛ぶようになったということは、戦線が自分の街に迫っていることを示しており、この街から逃げることも考えねば」という意味となる。爆撃機が敵国のものな場合は、「まもなく自分が住むこの街にも空襲が始まるだろうので、空襲が本格化する前に逃げ出さねば」という意味となる。後者の方が緊迫度が高いと言える。

 

「あれは伝説の爆撃機」~「すべては幻と笑おうか」の箇所の直後に来る「手掛かりになるのは薄い月明り」は、この街から逃げ出すことを決意した地上の人にとって、自身の居場所や進行方向の手がかりになるのが薄い月明りであることを歌っている。

 

 

「僕は今コクピットの中にいて」「白い月の真ん中の黒い影」「錆びついたコクピットの中にいる」「白い月の真ん中の黒い影」はヒロト氏が「自分がもし爆撃機のパイロットだったら自分はどのような状況になっているのだろうか」といった想像力を働かせたことで紡ぎ出された歌詞であろう。

爆撃機のコクピットの中にいる者が「爆撃機の外部にいる人間からすれば、いま自分が載っている爆撃機は月の真ん中で黒い影を作っているかのように見えているだろう」という発想に至るのは、そのパイロットに余程の文才や想像力がある場合を除き、困難なのではないか。

 

 

「いつでもまっすぐ歩けるか」~「湖にドボンかもしれないぜ」の箇所はヒロト氏が爆撃機のパイロットか地上の人かのどちらかに投げかけている言葉である。

 

前者の場合は「地上でまっすぐ歩けるような平衡感覚がないと、飛行機を正確に操作できず爆撃機ごと湖に落ちてしまうかもしれない」などのような意味になる。

その場合、「誰かに相談してみても僕らの行く道は変わらない」は「自分が属する軍隊の上司等に相談することこそあっても自分ら一人一人が操縦している爆撃機の進路は変わらない」という意味になる。

 

後者の場合は「この街から逃げるにしても道路状況が良好ではないため、まっすぐ歩き続けることが出来ないと、湖に転落してしまうかもしれない」などのような意味となる。

その場合、「誰かに相談してみても僕らの行く道は変わらない」は「街から逃げ出すという自分らの選択に関する事柄で誰かに相談することこそあっても自分らの行く道は変わらない」などのような意味となる。

 

 

また、「いつでもまっすぐ歩けるか」は「いつでも自分のスタイルを曲げることなく貫けるか」という意味として解釈することも可能。その場合、「湖にドボンかもしれないぜ」はヒロト氏が或る人ら(本曲の聴き手、爆撃機のパイロット、地上の人etc)に対して「(或る人らが)人生で何かに挫折する可能性」を指摘しているということになる。この解釈に立つならば、「誰かに相談してみても僕らの行く道は変わらない」は「誰かに自分の人生について相談することがあったとしても、根幹となる自分自身のスタイルは変わらない」という意味になる。

 

 

「誰かに相談してみても僕らの行く道は変わらない」の「僕ら」の「僕」を「僕は今コクピットの中にいて」~「白い月の真ん中の黒い影」の「僕」と同一人物だとみなすかは聴き手によって意見が分かれる。

少なくとも、「僕らの行く道は変わらない」の直後の「手掛かりになるのは薄い月明り」は「僕らの行く道は変わらない」の「僕ら」にとって、自身らの行動の手がかりとなるのが薄い月明りであることを歌っている。

 

 

 

 

 

〇動画

Journey - Escape - YouTube

 

 

〇和訳

He's just a young boy out of school

彼は単に学校を出たばかりの幼い少年


Livin' his world like he wants to

望むがままに自分の世界を生きている

 

They're makin' laws, but they don't understand
彼らは法を作っているが 彼らは理解していない

 

Turns a boy in to a fightin' man
一人の少年が戦う男へと変化していくことを


They won't take me

彼らは私を連れて行こうとしない


They won't break me
彼らは私を壊そうとしない



No one could tell him what to do

誰も彼に何をすべきか説き伏せられなかった


Had to learn everything the hard way
難しい方法で全てを習得しなければならなかった

 

He's on the street, breakin' all the rules
彼は全ての支配を打破しながら街路にいる

 

I'm tellin' you that he's nobody's fool no

彼は誰からも愚か者扱いされていないということを私は君に教えているんだよ


They won't take me

彼らは私を連れて行こうとしない


They won't break me
彼らは私を壊そうとしない




No, no, no
まさか何ということだ



Oh now he's leavin', gettin' out from the masquerade

いま彼は去っている 仮面舞踏会から抜け出している


Oh gotta go
行かねばならないのだ



I'm finally out in the clear and I'm free

遂に危機を脱して外に出た私は自由となり


I've got dreams I'm livin' for

自分が生きていくための夢を得ている


I'm movin' on where they'll never find me

私は彼らに見つからない場所へ移動している


Rollin' on to anywhere
どこまでも転がっていくようにして

 


I'll break away, yes I'm on my way

私は逃げ出そうとしている ああ私は自分の道にいる


Leavin' today, yes I'm on my way
今日去って行く ああ私は自分の道にいる

 



Just when you think you had it all figured out

君が全てを理解したと思った矢先に


Runnin' scared can change your mind
怯えながら走ることで君の気持ちが変わっていくこともある

 

I never knew I had so much to give

自分がこんなにも与えるべきものを持っているとは全く知らなかった


How hard times can fool ya
どれほど辛い月日であれば君を馬鹿にすることが出来るのか

(いや、どれほど辛い月日であっても君を馬鹿にすることは出来ない)


Oh I'm okay, I'm alright
私は大丈夫 何事も申し分ない

 

Feelin' good out on your own

独り立ちは気分が良い


I'll break away, I'll break away tonight

今夜私は逃げ出そうとしている


I've got dreams I'm livin' for
自分が生きていくための夢を手にしている


I'll break away Yes, I'm on my way

私は逃げ出そうとしている ああ私は自分の道にいる


I'm leaving, leavin' today Yes, I'm on my way
今日私は去ろうとしている ああ私は自分の道にいる

 

This is my escape Yes, I'm on my way

これは私の逃避 ああ私は自分の道にいる


I'll break away Yes, I'm on my way
私は逃げ出そうとしている ああ私は自分の道にいる


I'll break away Yes, I'm on my way
私は逃げ出そうとしている ああ私は自分の道にいる

 

I'm leaving, leaving today Yes, I'm on my way
今日私は去ろうとしている ああ私は自分の道にいる

 

This is my escape Yes, I'm on my way

これは私の逃避 ああ私は自分の道にいる


I'll break away Yes, I don't need to stay

私は逃げ出そうとしている ああ私はここにいる必要がない

 

 

 

 

〇訳後メモ

Turns a boy in to a fightin' manの主語は文脈や三単現のsから状況のitだと考えた。

Had to learn everything the hard wayの主語はIかheかのどちらか。

I'm tellin' you that he's nobody's fool noのnoは間投詞的に使われるnoであろう。無理やり訳出するなら「オーノー」や「まさか」といったところか。

How hard times can fool yaは漢文の反語のようなニュアンスなのかなと感じた。「どれほど辛い月日であっても君を馬鹿にすることは出来ない」は「君がどれほど辛い月日を送っていたとしても、そのような月日が君を馬鹿にすることは決して無い」という意味。

Feelin' good out on your ownはYou are feelin' good out on your ownという意味だと考え、このYouやyourは「一般論のyou」かなと考えた。

 

 

 

〇原詞

He's just a young boy out of school
Livin' his world like he wants to
They're makin' laws, but they don't understand
Turns a boy in to a fightin' man


They won't take me
They won't break me


No one could tell him what to do
Had to learn everything the hard way
He's on the street, breakin' all the rules
I'm tellin' you that he's nobody's fool no


They won't take me
They won't break me


No, no, no


Oh now he's leavin', gettin' out from the masquerade
Oh gotta go


I'm finally out in the clear and I'm free
I've got dreams I'm livin' for
I'm movin' on where they'll never find me
Rollin' on to anywhere


I'll break away, yes I'm on my way
Leavin' today, yes I'm on my way


Just when you think you had it all figured out
Runnin' scared can change your mind
I never knew I had so much to give
How hard times can fool ya


Oh I'm okay, I'm alright
Feelin' good out on your own
I'll break away, I'll break away tonight
I've got dreams I'm livin' for


I'll break away Yes, I'm on my way
I'm leaving, leavin' today Yes, I'm on my way
This is my escape Yes, I'm on my way
I'll break away Yes, I'm on my way


I'll break away Yes, I'm on my way
I'm leaving, leaving today Yes, I'm on my way
This is my escape Yes, I'm on my way
I'll break away Yes, I don't need to stay
 

大衆音楽では低音部の演奏にウッドベース、シンセベース、エレキベースなどが用いられる。

ウッドベースはクラシック音楽っぽさやジャズ音楽っぽさが漂うので、それら以外のジャンルではシンセベースかエレキベースが使われることが多い。

シンセベースもエレキベースもそれぞれの良さがあるが、今まで音楽を余り聴いてこなかった人の場合は、スラップ奏法を前面に出す曲などを除き、エレキベースよりもシンセベースの方が魅力的に聴こえるのかなと思う。

エレキベースは、指と弦がすれる音や、フレットと弦があたる音などが出やすい。

エレキベースを聴きなれている層からすれば、それらの音は装飾音として魅力的に聴こえるだろう。

だが、音楽を余り聴いてこなかった人からすれば、それらの音はノイズとして聴こえてしまうおそれがある。

これは、音楽を余り聴いてこなかった人に落ち度がある訳ではない。単にそう聴こえてしまうだけである。

自分もバンド音楽を聴き始めた頃はノイズとして聴こえてしまっていた一人だったが、最近では装飾音として感じ取れるようになった。

 

来年の1月に、今年の3月に発表したオリジナル曲「美味しいハンバーガー (Delicious Hamburger)」の伴奏つきヴァージョンを自分のチャンネルに投稿する予定だが、その伴奏つきヴァージョンで私はシンセベースを採用している。

(2022年1月追記→美味しいハンバーガー[伴奏あり] Delicious Hamburger[accompaniment] - YouTube

M-1決勝のトップバッターは「様子見」などの理由の為、高得点が出にくく非常に不利である。

過去の大会でトップバッターが優勝したことは2021年12月5日現在、1度しかないそうだ。

 

このトップバッター不利すぎる問題の解決策を考えてみた。

 

M-1決勝は「芸人コンビが漫才を披露→審査員が点数発表と寸評→次のコンビが漫才を披露」という流れである。

冒頭3コンビは「芸人コンビが漫才を披露→審査員が寸評→次のコンビが漫才を披露」という流れにしたらどうか。

審査員の寸評があれば、出演者や視聴者は冒頭3コンビの点数が出る前の段階でも、だいたいの点数を判断できる。

また、冒頭3コンビの点数発表を冒頭3コンビが漫才を披露した後にすれば、審査員は冒頭3コンビ全員の漫才を見た後に、トップバッターや「トップバッターの次のコンビ」の点数を出すことが出来る。

 

私のこの案に読者の皆様はどうお考えになるだろうか。

ご意見などありましたら、コメント欄でお書きください。

ジャニーズに関心のない人でも「世界に一つだけの花」という曲は知っているように、世の中には別格というカテゴリーが存在する。

放送禁止用語も同様ではないかと思う。

十代のころ、私は夜中に数十キロメートルほど歩くという行事に6回ほど参加した。

或る年のこと、私は道中で足の爪を痛めてしまい、脚を引きずるようにして帰宅した。

その有様を見た母親は私に「びっこを引いてるけど、どうしたの?」と尋ねてきた。

そう言われた私は直ちに「びっこを引くって確か放送禁止用語だったよな。そういえば祖母もその表現使ってたな」などと思った。

そして母に「今どき、その表現は不適切だと思うよ」と伝えておいた。

その際、私は「学校の同級生に『びっこを引く』と言っても通じないだろうな」とも思った。

 

昨今、若い世代を中心に「推し」という単語が使われているが、年配の方々の中には「唖(おし)」という同音の放送禁止用語を連想してしまう方もいるそうだ。

しかし、圧倒的大多数の若い世代はそもそも「唖(おし)」という放送禁止用語が存在していること自体を知らない。

このように、放送禁止用語に指定された単語は、公の場所での使用が躊躇われていくことで、若い世代のボキャブラリーに定着せず、時が流れるにつれて、古語や死語となっていく。

 

だが、「気違い」という単語は放送禁止用語とされているにも拘らず、古語や死語とは言い難い。

小学生であっても「気違い」は通じるだろう。

ブルーハーツですら「終わらない歌」という曲で「気違い」と叫んでいたぐらいだ。

(そういえば「青空」の或るヴァージョンで真島昌利は「めくら」という放送禁止用語を唄っていた。)

なお、ネットでは「気違い」とほぼ同様のニュアンスで用いられる「ガイジ」という単語も若い世代で定着している。

BLEACHで或る敵キャラが「気狂い」と述べているコマがあったが、「気違い」が言葉狩りに遭っている影響で「気狂い」という表現が使われているのかなと、読んでいる時に少し感じた。

 

因みに、言葉狩りは無益なケースが多いのではないかと思う。

混血の子供のことを昔「合いの子」と言った。

今でも「合いの子弁当」という言い回しがある。

しかし、「合いの子」が言葉狩りに遭ったことで「ハーフ」という表現が使われるようになった。

だが、「ハーフは半分という意味である。混血の方は半分なんかではない」と主張する勢力が現れ、最近は「ダブル」や「ミックス」という単語が普及しつつあるようだ。

ミックス(mix)は「混合」や「合わせる」という意味の外来語なので、結局「合いの子」に戻っている。

言葉狩りを続けた結果、元の意味に戻るというのは余りにも不毛過ぎないだろうか・・・。

藤井聡太フィーヴァーの影響で将棋関連のニュースが増えているように感じられる。

Twitterで「多くの日本人はプロの将棋の先生を三人(羽生善治、加藤一二三、藤井聡太)は挙げられる。しかしプロの囲碁の先生を一人以上挙げられる日本人は多くない気がする。」と書いたところ、加藤一二三先生ご本人様から「いいね」をいただくという僥倖を受けたが、若者の囲碁離れは、古作登氏の「将棋人口は530万人、囲碁人口は180万人と減少――コロナ禍が大きく影響」という記事によると、かなり深刻らしい。

囲碁離れの要因としては、勝敗の分かりにくさが関係しているやもしれない。

王や玉を取れば勝利という将棋に比べて囲碁の勝敗は初心者には分かりにくいのではないか。

自分が囲碁界隈の関係者だったら、囲碁離れを食い止めるべく、何らかの策を講じるかと思う。