ジャニーズに関心のない人でも「世界に一つだけの花」という曲は知っているように、世の中には別格というカテゴリーが存在する。

放送禁止用語も同様ではないかと思う。

十代のころ、私は夜中に数十キロメートルほど歩くという行事に6回ほど参加した。

或る年のこと、私は道中で足の爪を痛めてしまい、脚を引きずるようにして帰宅した。

その有様を見た母親は私に「びっこを引いてるけど、どうしたの?」と尋ねてきた。

そう言われた私は直ちに「びっこを引くって確か放送禁止用語だったよな。そういえば祖母もその表現使ってたな」などと思った。

そして母に「今どき、その表現は不適切だと思うよ」と伝えておいた。

その際、私は「学校の同級生に『びっこを引く』と言っても通じないだろうな」とも思った。

 

昨今、若い世代を中心に「推し」という単語が使われているが、年配の方々の中には「唖(おし)」という同音の放送禁止用語を連想してしまう方もいるそうだ。

しかし、圧倒的大多数の若い世代はそもそも「唖(おし)」という放送禁止用語が存在していること自体を知らない。

このように、放送禁止用語に指定された単語は、公の場所での使用が躊躇われていくことで、若い世代のボキャブラリーに定着せず、時が流れるにつれて、古語や死語となっていく。

 

だが、「気違い」という単語は放送禁止用語とされているにも拘らず、古語や死語とは言い難い。

小学生であっても「気違い」は通じるだろう。

ブルーハーツですら「終わらない歌」という曲で「気違い」と叫んでいたぐらいだ。

(そういえば「青空」の或るヴァージョンで真島昌利は「めくら」という放送禁止用語を唄っていた。)

なお、ネットでは「気違い」とほぼ同様のニュアンスで用いられる「ガイジ」という単語も若い世代で定着している。

BLEACHで或る敵キャラが「気狂い」と述べているコマがあったが、「気違い」が言葉狩りに遭っている影響で「気狂い」という表現が使われているのかなと、読んでいる時に少し感じた。

 

因みに、言葉狩りは無益なケースが多いのではないかと思う。

混血の子供のことを昔「合いの子」と言った。

今でも「合いの子弁当」という言い回しがある。

しかし、「合いの子」が言葉狩りに遭ったことで「ハーフ」という表現が使われるようになった。

だが、「ハーフは半分という意味である。混血の方は半分なんかではない」と主張する勢力が現れ、最近は「ダブル」や「ミックス」という単語が普及しつつあるようだ。

ミックス(mix)は「混合」や「合わせる」という意味の外来語なので、結局「合いの子」に戻っている。

言葉狩りを続けた結果、元の意味に戻るというのは余りにも不毛過ぎないだろうか・・・。