私は小学生の頃、資源は多ければ多いほど良いと無邪気に考えていた。

だから、資源が乏しい日本が第二次世界大戦後に世界第二位の経済大国となったことが不思議に感じられた。(後に、日本はGDPが世界三位となった。)

日本が太平洋戦争に突入した経緯を当時から知っていた影響で、「どんだけ技術力が優れていても鉄資源や石油資源がなければ製品を量産できない。非常時の代表例とも言える戦争の際に資源がないと兵器を量産できないじゃん」という発想があった。

 

中学に入り、資源の呪いという用語を知った。

そのころになると「非常時は資源国が強いが、資源は技術集約型のハイテク機器などと違って、どの地域のものでも大差ないため、平時は資源国よりも技術国が強い。実際、モノカルチャー経済に依存している国は、平時において数種類の輸出品の市場価格が変動するたびに打撃を受けがちである」と考えるようになっていった。

 

大学に入った後、コロナ禍が発生した。パンデミックに混乱する医療機関を目の当たりにした庶民の間で、日本の医療機関のシステムに関する議論が活発となったが、平時と非常時という視点はそのような議論で役立つ場合があるのではないか。

 

2022年にコロナ禍が収まることを祈り、本エッセイを結ぶこととする。

 

 

 

令和4年1月1日 A倉R郎

 

 

 

 

 

※今年中に『ツァラトゥストラはかく語り』解説プロジェクトを進めていく予定ですので、ニーチェ思想に関心のある方はお待ち下さい。