けふは、11月22日
いい夫婦の日、いいニャンニャン。
うららかな小春日和の或る日❣️
季節は晩秋から初冬へと移ろい行く。
此処、ねりまは、
東京のベッドタウンである。
だから、少子化対策に前向き💌
「あなた、もうねりましょう❣️」
と模範的積極性…。(プッ)
今日も健康で生産的。
だが、昼間からイチャイチャも…
だから宵闇までお預け❣️
それまで、乙な散策なぞはいかが❓
さて、まったりと揺蕩(たゆと)う如き、そぞろ歩きのお散歩と洒落てみましょうか♪
その、そぞろ歩きの起点は、都の西北西、練馬駅から北方向の「練馬文化センター」、
それの右手前、つまり北北東に進路を取って右手に伸びる商店街からこのお話は始まる。
・・・・くんくん、なにやら人間の匂いがしてくる。
いや人間の、生活の匂いだ。
干物魚を焼いて軒先に並べているのは水産看板の屋根の掛かったやや露天風な軒下で、
この店のおきゃんな看板娘か……。物価高に賃上げを求めてか、
七輪でせっせ、てきぱきと団扇を煽(あお)ぎ干物を焼くわ、焼く、どんどん焼く。
凝視した眼が、まるで嫉妬か、恋焦がれシニアせんかと思う程のやきっぷり。
おいおい、そこの、焼きつくして、Co2になってるよ❣️ 焦げて二酸化炭素になってるよ❗️
ちらと目が合う。が、屹度(きっと)戻す。それにしてもいい女だ。いやいい薫だ。
うーむ、時折り吹く晩秋の風に唆(そそ)られて、潮の香漂う往来の焼き魚、なんたる香ばしさかな。
・・・その昔、嘗(かつ)ての町娘、先代さんも湯浴みしたであろう当時の社交場でもある、
かかりつけ医ならぬ地域包括銭湯がこの辺りに在った。…家政婦は見たと言った。
100年近く続いた『日乃出湯』。激動の大正、昭和と数代続いた地域の文字通り裸づきあいの場。
諸行無常な潮流に呑まれながらもマンションの下でスーパー銭湯温泉なるリバイバル版もあるが、
ここではそのちょっと前の往時に焦点をあてて心象風景を虫干ししてみたい…、
五感度Maxに、耳をすませば、聞こえてくる・・・
・・・カタカタ、ゾロゾロ洗面器で石鹸箱を鳴らしながら坊主頭の子供たちのゴム草履の足音が。
中には、セーターにドテラを着込んだお姉ちゃんに連れられて来た幼い子もいる。
ん?この香りも懐かしい。
これは、シャボン? 石鹸のにおいだぁー。
レトロの世界に
タイムスリップしたかのような、錯覚におちいる。
黄色い桶がタイルにあたって銭湯の高天井からカラーンと甲高くこだまする響きは、
これから始まる斎戒沐浴か禊(みそ)ぎの掛け声のようで、妙に清々しい裸のルーティンでもある。
銭湯の♨️作法たってそう難しいものじゃない。
要は、皆が入る湯船を大事にして汚さない事。
その為に、洗い場で先に軽く洗体して、湯船の前で掛け湯をして入れば、
古参に一目置かれるようになり、おっ年寄が見守る中、あッつぅ~い湯舟に我慢して漬かり、
ひとしきり巧妙な筆遣いの富士山の壁絵を眺めた後、
また洗い直そうが、洗髪しようが着替え場で牛乳飲もうとそれは自由だ。
やがて喉の渇きを覚え、
おもむろに脱衣場にそろり脱出。
ふぅ~。そこで百貫も計れそうなでかい台と針がぶーんと揺れる体重計に乗ったあとは、
声がビブラートしそうな首振り扇風機となんだか足の裏がチクチクするヤシマットを踏んづけて、
ここでのお決まりのポーズなのか
腰に手を当てて、背を伸ばして
フルーツの牛乳瓶を呑み干す。
ぷっはー
……これは、「生き返る」という蘇生感覚を覚えたのも幼少の砌(みぎり)
その頃だったろうか。
口の周りに白い乳あとをつけて。
そうして、やや上気した面持ちで番台脇を抜け、ガラガラガラー。
下駄箱に年季の入った木の札を差し込み、履いてきた茶色のちびたゴム草履を
地に着ける。
ほてった体に冷気が心地いい。
当時流行っていた「神田川」になぞらえて
彼女の要望で、洗面器持たされて
一緒にのれんをくぐったのはいいが
出る時は随分待たされたっけ、、、
危うく風邪を引きそうになったのにはまいった。 (笑)
あの時の彼女も幸せに暮らしているといいが、、、。
ーそれは昭和の日の一コマであったー
ほんわかしたのれんに腕押しで、出たところは現代の練馬の商店街だった。
威勢のいい店の者らしい掛け声があちこち飛び交っている。
先刻の小股の切れ上がったおきゃんな娘さんは、どうしたろ…。
湯屋にでも行ったかな。
はい。
そんな表の店通りを一歩内側に抜けるとなにやら風趣ありげな旧家の佇まいがこのあたりに……。
曇りガラス格子戸の玄関の側に出っ張った小部屋が見える。
どういうえにしがあって、そこにどんな人々が起居していたのか、
近辺でひと際目立つ建物構造から人間ドラマを推測するのも人生の愉しみのひとつ。
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門構えから察するに、
かつては武家屋敷で、当主が帰宅した際の日常儀式の一例。
主「(無表情を繕って)コホン。おーい、只今戻ったぞぉー。わしじゃぁ。」
奥「(奥から微かに上気した早足で式台に着座し、安堵したように襟を正しながら)
お帰りなさいまし。(そして着衣や表情から心衷を忖度斟酌し、おごそかに両の袖を差し出す)
主「(腰の大小の刀抜きながら、表情を和らげ)うむ、大儀」と武士は無駄な事は言わない。
奥方妻女が式台から武士の魂と云われる大小を袖で謹んで拝受し出迎えねぎらう。
粗相があってはならない。当時の作法には真剣さも伺えた。
そして脇の小部屋は家来や書生、客が控える間であったろうか。
廊下の雑巾がけも精が出るだろうな。
ちょいと裾を端折って、
ドタドタドター足腰の鍛錬に丁度良いか。
玄関ランプの明りもいろんな人生ドラマを照らしてきたのだろうなぁ・・・・・・。
さて、も少し歩を進めると、なにやら田園風景とまでは行かないが、
こじんまりした田畑が見えて来た。
小泉園の葡萄棚に成った紫のぶどう房を見ながら、今年のボジョレー・ヌーボーの出来は❓
はたまた緑のキャベツ畑を見て、雑草も抜かれていて土も作物もよく手が入っている。
こりゃ今夜はロールキャベツか、ナポリタンパスタか、カッパ巻きもいいなぁ、などと地産の味覚に思いを巡らす始末。
そうしてボランティアの案内で着いたところは住宅街の中に聳える進学校で名高い
開進第二小学校。
そのガラス校舎と校庭全容がクローズアップされ迫ってくる。
静かな立地環境のようだ。授業に身が入るだろう。
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そしてなぜか、その横の日陰にあるひんやりした通路があり通称「ネコの小路」と親しまれている
秘密のスポットにも案内される。
登下校の学童の間でひそかな癒しを求めてホッと一息する。
そっと給食を残し持ってきて分け与える子の純心ないじらしさ。
生き物同士、可愛がる気持ちも共感さえ覚える。
そうして人生や社会を学んでいくのだろうか…。
ねこを愛して撫でたその感触は残る。
福祉もそれに似たところを感ずる。
弱いもの、可愛いものを見たらなんとか力になりたいという人間としての素直な気持ち。
ふだんの
くらしを
しあわせに
分ければ増える
と通ずるところを感じたのはあの「ネコの小路」がかくれた慈悲の原点パワースポットではなかったかと思っている。
そういえば「ねりコレ」もにゃんこの絵が、ついてる。
こころやさしい人にとってネコはいやしの守り神のような象徴なのかもしれない。
お互いに生きる活きていることが幸せで、ふれあう歓びを楽しむのも生きるものの特権なのか。
そうしてもっと成長したら。ねこを巡って住民同士の意見の対立にも出くわすこともあるだろう。
公園にネコの餌やり禁止と立札を見るところもあるが、一概にどちらがいいとも悪いとも言えないような。
ハトの餌やりにしてもそう。立場の角度と距離と心の余裕度を試されているようにも思われて、、、、対立の調和か。
国民にとって中長期的に健全な思考過程はどの選択肢がベストなのか。
この国のトップが米国のポチになるより、困っている弱い日本国民の声をよく聴き、支持率の向上に心がけることも大事だと思う。
大手企業になれば、とかく利益優先となり焦りがちで人間の心を置き忘れあとでしまったと気が付いても遅いのである。
間違いに気付いたらもっと先を考え、人間的勇気をもってやり直すことによって、
将来も見通せるし地域社会に活力と言う
風を送ることで繁栄が芽生える。
SDGsとは、継続的地域活性化でもある。
東電の原発事故もかの予兆を見逃した点に過失責任を問われている案件がある。
1979年米国TMI(スリーマイル島)原発事故の教訓に学べば2005年宮城県沖地震で我が国の課題も明確となり
2011年の東日本大震災で放射能洩れなど国内外に多大な脅威を与えることはなかったし、
国益を著しく損なう愚かさも露呈することはなかった。
これらの教訓から謙虚に疑問の声を聴き、初心にかえって検証し真摯に気が付いたら正す勇気も必要ではなかろうか。
それが現代にもいきる人間の進化の過程ではないだろうか。
黒船に例えられるTPP交渉の問題だが、一次産業から重心を工業国にシフトしてしまって
自給自足、地産地消など先行き心配でないのか?助成金でなんとか農業、
漁業を手当てする事で後継者とかノウハウ独自の文化を継承できるのか。
更にこの先、ちゃんと育つのか。
漁師がハングリーに漁をする
意欲を失ったら、、、、
輸入に頼って国益を損ね、GDP2位だったのが、今は中国に抜かれ、
そして、ドイツにも抜かれて4位に
落ち込んでしまった、、、
後戻りはできない崖っぷちへ追いやられて子や孫の未来はあるのか?
次に身近な一例で非言語コミュニケーション(以心伝心)を考えてみる。
これはレジと買い物客の普段のやりとりである。
馴染みの10年来の店員さんの挨拶で今日はどんな体調でどんな仕入れで何が旬なのか。
瞬時に伝わるものがある。アイコンタクトや表情での以心伝心。
だから、冗談も通じるし、気心知れて気持ちは晴れ晴れ。
もう、苦楽を共にした肉親のように肚の底がよめるし共感もできる。
で顔色をうかがうと、「もうこれ以上食品値上げしないで欲しい。
価格転嫁は大企業だけにして欲しい。中には便乗値上げまでしてるのもある」
俺「そうだよ、玉子は前は100円だったのが、ここ数年で3倍の300円ぐらいになってる。
もう、物価の優等生じゃないよね」
店員「玉子もね~、ありゃ~、鳥インフルだね。何十万羽もいっぺんに殺処分しちゃったから品薄になっちゃんたんだね。
まったく参っちゃうね~」
俺「時には玉子が無い時もあるよ」
店員「そうなの。年金暮らしの馴染みのお爺さんなんか、栄養失調にならないようそれだけが楽しみで生きてるような方が、
今日も玉子がない……と、がっかりして帰っていく後姿をお役人に見せてやりたいわ。ほんま」
俺「政策、施策が咬み合ってなかったんだね。厚労省と経済産業省と消費者庁で、
施行前の影響度打合せ協議やって無いのでは無いのか?何のために高い税金貰って
学術会議員を食わしてるのか?こんな時にぐらいちったあ役に立って見ろ!
たとえば、こんな低所得者を見殺しにするような価格高騰になった要因と管理体制、
さらに打開策として高所得者の累進課税など意見具申するべき学術調査はいくらでもあるだろう。
役に立たない理論の為の学術なんかより、実践国民生活安全保障。
それができないならみんな年金生活者になって平民、庶民になってしまえ。
国や国民の役に立たない学者なんか要らん!」
これは、岸田政権の防衛費増額と関係があるのか?
なまじっかな外交、防衛力で先の大戦の世になっては困るな。
日本をウクライナにしない為にもスピーディーに学術会議員を厳選すべきだな。
公取委などが政党間の「不正競争防止法」を取り締まってくれればこの先大きな間違いはしないだろうに。
首相たる者は、耳に快い言葉に惑わされることなく、常に声なき声に耳を澄まし、
初心に帰って公私混同あやまりなき政治を行わなければなりません。
真摯に、そして、どこからも疑問や不平不満を生じさせない事が、
ポリティシャン(政治家)の為すべき仕事ではなかろうか?
おやおや、いつの間にかグローサリー
(八百屋)で馴染みの店員さんと
庶民の生活苦の吐口だか
政治談議だかになってしまってた。
そのうち、私が立たなきゃならん時が
来るのかも知れんかな…。
.
.
先ずは、今宵から…
これが股、大仕事だな…。
ふぅ〜む❣️たつかな❓(笑)
玉子が先か、鶏が先か……
いや、雌鶏が先だろう。
畑が出来てなきゃ、
いくら種蒔いても育たんだろ。
…思ふに、Lady’s first と言う言葉は、
その辺から来とる、と吾は観ておる。
人生は、これからだ❗️
お互いに張りを持って
生きようじゃないか❣️
(吟)
Hi!everyone
Please enjoy
Winter events‼️