人生百年時代のSDGs を考える際に当たって、欠かせないのが健康長寿であり、それには、快食、快眠、快動、快便が重要になって来る。
特に、コロナ禍で鈍った筋肉、体力、気力を徐々に回復させて行かないと、オーバー100は絵空事に成りかねない。
そんな懸念を払拭させる為にも、先日2日土曜日、コロナ禍で休止していたこの大会に参加した。
~TOKYOウオーク2023/12/2 木場大会~
今回は無理なく師走の下町風情を楽しむつもりで参加しました。
おまけに2大会完歩賞として、こんなメダルまで戴いちゃいました。
激動の2023年を生きた証としても感慨深い記念になるで🥇しょう。
そして、今回は江戸の下町、都立木場公園からのスタート。
下町も少しずつ変化していて、いいものはいつまでも残っていきます。
それでは、早速ウォーキングしていて目についたポイントをピックアップしていきます。
先ず、都立木場公園スタート。
深川江戸資料館
松尾芭蕉の奥の細道
巨匠 小津安二郎監督 生誕地
そして、深川辺りを歩けぇ、歩いてるとお腹が空いてきたらしく、赤札堂のところに東天紅が見えて来たので、腹ごしらえのランチ。
彩りコース
さて、満タンになったところて、
下町は、由緒ある地域性なので、⛩️神社、仏閣、老舗店舗が多い事に気付かされる。
富岡八幡宮
そして、ゴールデンゲートブリッジならぬシルバーゲートブリッジ、、、
その先には、スカイツリーが、、、
ツーショットは、ウォーカー共の感嘆を誘った。
そして、いいお天気に恵まれて、おかげさまで無事ゴール。
5キロ強の健康ウォーキングでした。
東京都現代美術館
天は自ら助くる者を助く、ではないが、人生100年時代を生きる為には、出来る自助努力も必要になって来るのではなかろうか。
以上、2023年の東京下町ウオークでした。
以下は、同じTOKYO ウオークで、コロナ禍前の哲学ウオークもありました。
回顧録として再掲させて頂きます。宜しかったら、お時間の許す限りお付き合いくださいまし。
さて、歩いてみると「えっ、こんなのが?」とかいろいろ発見があります。
チャリンコだと素通りして見過ごしていたものも見えてくる。
ウォーキング、そこには新たな発見があり、喜びがあり、そして100年時代の筋肉エネジー(燃料、意欲)になるのです。
車なら尚更、信号は見えてもじっくり個々の町の造作、工夫が見えてないのである。
歩く愉しみといえば、家屋にしても自然界と人間のそれぞれの歴史と工夫、が垣間見られるからであって、こういうことを見たり考えたりしながら歩くと結構楽しいものであり、ましてやいつの間にか歩数や距離が延びているのである。
それにチャリンコはウオーキングに較べ消費カロリーが微々たるものである。
1、2kg脂肪を減らすならウオーキングの方がベター。
ただ、いきなり1万歩とか5kmとかは長続きしないでしょうから、少しずつ伸ばしていけば誰でもできる有酸素運動です。車椅子の方だって以前このブログで完歩ドキュメンタリーを紹介させていただきました。
千里の道も一歩から
Rome is not built in a day
ローマは一日にして成らず。楽して健康は得られず。
いやいやそれだけではない。安心安全な今の時代、ウォーキングほど地に足の着いた安全な乗り物はないのである。
おまけに体力や筋肉、気力も鍛えられる。
ただ多少の日頃のケア、つまり栄養と休養と運動は欠かせないメンテナンスはどの乗り物でも同じ。
また、車だと都内は駐車場を探し、待つ方に余計なエネジーを使わされるが、テクシー(歩き)だといつでもどこでも停められる。それに公共交通機関も発達しているし。
楽をしようと車で出かけたのはいいが、渋滞でいらいらしながら焦って車の奴隷と化し、地域の醍醐味を、時間切れで堪能せずに、せわしなく人生を消耗してしまっていいものだろうか。
以前、新宿歌舞伎町にサンダーバードというディスコが在って、そこで Mops というGSのスズキヒロミツが唄っていた「の~んびり ゆこぉ~よぉ お~れ~た~ち~は~」というCMソングが流行った時期もあったが、人生そんなに急いでどこへいく?どうせなら人生たのしんでのんびりいきたいものである。
急がば回れという言葉もある。
車だと渋滞に巻き込まれる、血圧が上がる。上らないためには、血圧計を積んでおく。
ん?いや、そうじゃない血圧を計りながら運転は出来ない。
と、都内に住んでいたら、Time is money で、急かされがちになり、心身のストレスが蓄積し、健康に留意が行き届きにくくなり易い。
そこで、政府や東京都などが推奨しているのが、老若男女誰でも出来る健康ウォーキングである。
私は、2014年から、TOKYO ウオークに参加させてもらっているが、中でも異色な大会もありました。
それを以下に紹介させて頂きます。
練馬区光が丘から、中野区哲学堂のコース。
シティーウォークだから道幅がそうない。どちらかというとこの辺はありふれたバス通り。
スタートして二時間近く。ぞろぞろゼッケンをつけた集団が続く。
8km過ぎか。・・・・・・少し足が重くなってきたように感じる。
周りの景色が単調だからかもしれない。
あと10km。
もう何のために歩いているのか分からないような惰性が忍び寄ってくる。
そんなときである。
こんなアーキテクチャー(建造物)が突然、目前に現出したのである。
ん?なんだ?
目をよーく凝らしてみる。
みずのとう幼稚園。
何だろう。調べてみる。
「園内には、野方配水塔(野方給水塔・水道タンク)がそびえたっており、そのエキゾチックなドームは周囲からもよく見え、江古田のシンボルともなっています。この塔は、荒玉水道の給水場につくられた塔です。
荒玉水道は大正12(1923)年の関東大震災後、東京市に隣接した町村の急激な都市化による水の需要に応じるため、当時の豊多摩・北豊島両郡にある13の町々が連合して設立されたものです。
配水塔は、ドイツで衛生工学を学び、淀橋浄水場をつくった「近代上水道の父」中島鋭治博士(1858~1925)が設計しました。着工は昭和2年、完成は同5年です。高さは33.6メートル、基部の直径約18メートルの鉄筋コンクリート造りです。
世田谷の喜多見で多摩川から引水し、60万人の2時間分の貯水が可能といわれ、昭和41年まで使われていました。」 (中野区公式ホームページより)
水を制する者は天下を治めるというが、人間生活に不可欠な水はこうして幼稚園時代から学ぶのか。
そういえば茨城に旅した時にも似たようなのがあった。
上の画像は水戸市水道低区配水塔。
水戸市の低地への配水を目的として1932年(昭和7年)に造られた配水塔で有形登録文化財に登録されています。二階塔屋部の壁面や窓の周囲に施されたウエッジウッドのような細かいレリーフ、流麗なテラス風の廻廊、そして一階入口のゴシック調装飾など優雅で瀟洒な外観ですね。
どちらも円形だが、どうしてそうなのかわかりますよね。
水圧を全体分散した方が建物が頑丈になる考え方ではないでしょうか。
だらだらとウォーキングしていたのが、こういうパッと目を引くのに出くわすと脳が回転する。
マンネリじゃなく、メリハリの利いたコース設定。
さらに、このコースの目玉ともいうべき「哲学堂」エリアに入って行った。
ここは精神修養のための「哲学のテーマパーク」だそうだ。
先ほどは円形で、こちらは方形造り。西洋と東洋の時代がコラボしているな、この地域は。
そも哲学とは何ぞや?
日本の文化に禅問答とかがさかんな時代がありました。
そこで改めて哲学とは?
子曰く 「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」(学而篇)
いわゆる概念を人間の高みに合わせて理論化することのようですな。
ここ哲学堂のベンチでお弁当をひろげて楽しく中食をとっておられた方々もいた。
そういえば以前来たときは広場になっていて花見しながらお弁当食べたのを憶いだした。
いや食べることも哲学だがここでは、その時代の世界の哲学を圧縮しているようだ。
Walk Life Balance という言葉はワークライフバランスをもじった私の造語だが、健康のために歩くの意。
Outdoor Sports Walk という言葉はグローバル(世界)で共通使用されている。
つまりヘルスウォーキングというQ.O.L(生活質の向上)のスタイルが国際標準になってきている。
パリ協定然り、この地球温暖化を世界市民で食い止めようという動きだ。
寒いときは自家発電で運動すればいい、というヒトゲノム(遺伝子情報)に記録された塩基配列の人間工学応用ともいえよう。(それでマンモスの滅んだ氷河期を生き抜いてきた)
ノーベル賞受賞学者の本庶佑(ほんじょ・たすく)教授の著書「ゲノムが語る生命像」のなかで「生物の3つの特性は『自己複製・自律性・適応性』を有するもの」とし、ウイルスもその自己複製という点で、生命体という分類になり、無生物ではないとされている。
なぜならば、ウイルスがゲノムを有しているからだとある。
ヒトは上記「自己複製・自律性・適応性」を有するヒトゲノムで構成されているとしたら、自然環境に適応する自律性が芽生えてくるはず。
デトックス(自浄)作用然り、鍛錬・強化の必要性も出てくるだろう。適合するためには。
因みによく「ストイックだね」というが、あれはストア派からきているという哲学に関する余談。
さて、丁度ここに滝に見立てた築山が見えてきたのでイメージし易いと思うが、修行僧が滝にうたれて悟りを啓くべく 自己トレーニングする様を思い浮かべていただきたい。
ブルッ。ガクガクガク。歯の根が噛みあわない寒さに襲われる。
斎戒沐浴。禊(みそぎ)とも。
喝!
心頭滅却すれば火も水も恐るるに足らず。
自己を虚しゅうして自然と一体化する。
そして無我の境地に至る。
その前に己の惰弱な肉体を鍛えることから始まる。乾布摩擦からでもよい。
走り込み、読み込みをルーティーン(日課)にして。
先ず、フィジカル(筋力)をしっかり鍛錬し、メンタル(精神)面も充実させ、課題を設け、クリア(克服)していく。
自然を変えるととんでもないことが起こるので、吾々が自然に合わせる、ということ。
ことに、平成の年末年始も今年で幕が引かれるようだが、この「平成」は元号名に反して何だかやたら自然災害が多かったような気がしないでもない。
阪神淡路大震災、東日本大震災、新潟、熊本、北海道、大阪などの地震被害。そのほか台風や豪雨災害。
さらに地球温暖化の象徴ともいえる最高気温41.1度を記録した熊谷、など。
さてこの先どうなるのだろう。
人間の驕りに対して大自然がお灸をすえたという見方もあろう。
人間このままでいいのかという危惧も生じないでもない。
人間はこの地球に対して他の動物たちをも守りながら、一人一人がどのくらい責任を自覚しながら、子孫繁栄いぜんに人類を絶滅させないでいられるかという危機的な時が来ないことを願っているが……。
トランプの強硬姿勢から端を発した、米中摩擦やフランスの軽油値上げでの暴動は、この先、東京オリ・パラ2020を控えて、単なるガス抜きや膿み出しのストレス・テストや打音検査であれば懸念はないのだが。
こうして郷に入れば郷に従えで、哲学堂に入れば哲学と戯れてみたりしたのである。
そして今回も、おかげさまで無事完歩。
天よ、地よ、そして関係者の皆さん、読者の皆さん、今日も ありがとうございました。
(吟)