さて、人生と音楽シリーズも4回目になりました!

他人のことばかり書いていてもアカンので自分のことを書きますね

 

 映画と音楽の関係は時にとても濃厚です、忘れられないシーン音楽があります、記憶が曖昧ですが中学生か高校生のころか?

「グロウイングアップ」という映画を観た、この映画は映画ファンの間でも全く評価されていないモノだ・・・ので後世で観られていないと思う、内容も大ヒットした「アメリカングラフィティ」の路線で50年代~60年代のアメリカンオールディーズの楽曲を作品中に散りばめた感じの2番煎じにお色気プラス+という青春映画である(しかし制作はイスラエルという不思議な作品)

 

 どうでも良い映画なのだが、素晴らしく忘れられないシーンがあった!

主人公のベンジーが失恋した帰り道に壊れた自転車を押しながら・・・ラストシーンなのだが♪ロンリー アイミスタロンリー

とジェットストリームで有名な「Mr Lonely」が流れる! 素晴らしいシーン・・・青春大爆発!!涙ながらに時に夜空を見上げながら歩くベンジー・・・・・ああやりて~! このシーンやりて~!俺はアメリカ人でもイスラエル人でもないが失恋してこのシーンやりてぇ~と思ったのです

 

 しかしまだ私は当時恋愛したことも無かったのです(ハードル高い)しかし私は虎視眈々とこの機会を待っていました

 

 そして高校1年の夏についにその時が来ました待ちに待った失恋の時が!(告白して断られただけですが・・)

失恋の予感と共に出かけてやはり見事玉砕です!しかし用意周到な私は当時発売間もないウォークマン(これは画期的なヤツでした外で音楽をヘッドホンで聴けるのです)を持っていったのです、もちろんカセットテープの1曲目にはMr Lonelyを頭出しした状態です、予定調和の失恋のあと・・・・おもむろにヘッドホンを装着し自転車を押しながらスイッチON!

 

♪ロンリ~ アイ ミスタァ~ ロンリ~ アイハブノウバディ~ ♪

 

もうどっぷりグロウイングアップのベンジ~ 泣かなアカン 泣こ 泣こ 曲短いで急がなアカン! 間に合わんかったので もう一回巻き戻し! 『ああ良かった これが青春かぁ~』 と酔えた・・・

泣きながら夜道を壊れてもいない自転車を押していたので通りすがりの親切なオバちゃんに「アンタァ大丈夫?大丈夫なの?」と声を掛けられたが 大丈夫だ!むしろ大丈夫過ぎた!

 

少々強引な感じだが 音楽と映画と失恋と青春のコラボレーションの達成となったのだ!

 

また書くか分からないけど、お盆なのでこのあたりで終わりますね(あ~楽しかった)

 

 

 

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 私は昭和39年の7月31日に生まれた、現在61歳である。

私の少年時代にはスマホもビデオゲームはなかった

そんな昭和の少年たちの興味は映画、音楽、漫画ぐらいで、自ずとそれらのモノの占める比重は日々の生活の中で高かった

 

 音楽

 

少年は成長する過程でいろんな音楽を聴く

少年は成長する過程で恋愛に憧れ恋をして、恋にやぶれる・・・失恋というヤツだ・・・

 

しかし失恋には特効薬がある! それが音楽だ、特に青春期には特別に効く!!

 

 音楽と恋愛 この甘酸っぱい相関関係を何例かの実例サンプルの下に説明したいと思う

 

 まずは友人Y君、彼は高校時代に失恋した・・・初恋だったそうだ、少し内気なY君がそんな時に選択した音楽は

「失恋レストラン」♪悲しけりゃここでお泣きよ 涙ふくハンカチもあるし・・・ねえマスターつくってやってよ涙忘れるカクテル

というご存じかぁ?清水健太郎さんのデビュー曲で大ヒット曲だ、健太郎さんは今でこそ幾度にもわたる覚せい剤で逮捕されと務めのインターバルにヤクザ系のVシネマに出演する危険で痛すぎるタレントさんだが、当時は男子も女子も憧れる素敵なメンズであった、ついでに健太郎カットというヘアースタイルが大流行していた、ショートカットにパーマをあてるスタイルなのだが、私の知り合いも何人も岐阜の床屋で「健太郎カットにしてください」と依頼したのだが田舎町の散髪屋では健太郎カットを具現化するスキルなどあろうはずもなく、全員が全員ただのパンチパーマの田舎ヤクザに変身して後悔したのだ

 

 脱線した・・・・Y君は青春のほろ苦い失恋のその日、部屋にこもって「失恋レストラン」を聴いた!!56回も!!

アナログシングルレコードが回転するのを涙ながらに眺めながら56回だ(ちなみにこの56回という回数はY君は熱烈なジャイアンツファンだったため、途中から記録を意識しはじめ王選手のシーズンホームラン記録55本を超えて56としたそうだ!ここら辺も昭和感あふれるエピソードだ)

 

・・・・・・・・・だから何だ?という疑問が書きながら湧いてくるのだが Y君はつまり・・・・

 

青春のある日、失恋し甘美な気持ちで♪失恋までのフルコース♪を腹いっぱい味わいつくしたんだ!よかったなY君

 

他にも 石野真子の「失恋記念日」♪ノンノノノンといヤツを聴いたヤツとか色々あるがキリがないので

このあたりで本日は終わりますね。

皆さんの失恋ソングも教えてほしいです。

 

 前回PUNKロックについて書いた、私は少しでもPUNKロックの素晴らしさを知ってもらう為に友だちにSexPistolsの邦題 勝手にしやがれ(Never Mind)をカセットに録音して配った、大抵の友だちは「アカン よーわからん」という反応なのだが、1人だけ好きになってくれた!(A君としよう)

 それどころかA君は自分の黒い通学カバンに白いペンキ文字で大きく堂々とSex Pistolsと書いてきてくれた!

私は「おお素晴らしい!」と感激し彼を褒めたたえた、『ついに俺は人に影響を与える人間になった!』うれしかった!!同志だ!!

 

 しかし1週間もたった頃 栄光のSexPistolsのネームがはいったカバンに思わぬ変化が・・なんか違うぞ・・と思い確認すると、これはいかに? SexがSoxに変更されているではないか? eのの文字が白ペンキで塗りつぶされoになってしまっていたのだ!

 

 私はA君に「理由(わけ)を聞こうじゃないか」と詰め寄り問いただすと、申し訳なさそうに彼は話始めた・・・

 

 通学のバスの中で近所のオバちゃんに出会ったと、オバちゃんはカバンのSexの文字をジッと冷ややかな眼差しで見ていたと・・

 

 その後に多分彼女は近所のオバちゃんに触れ回ったのだろう「ちょっとアンタあ、あそこの子カバンにSexって書いとるよ・・」

と言って歩いたのだろうか?

 何日か後にこのSexカバン事件はA君のお母さんの知るところとなった

A君のお母さんはA君に「ちょっあんたカバンみせてみやあ!」(岐阜弁です)と言われたので素直なA君はSexPistolsと書かれたカバンを母親にみせると「あんたなんか生むんやなかったわぁ」と言ったきり慟哭した・・・と

 

 A君は母の悲しむ姿を見かねて、その夜カバンのSexの文字をそっとSoxに書き換えた・・・母親思いの優しいA君

 

 しかし Sex Pistols=性拳銃 は

     Sox Pistols=靴下拳銃 と意味の分からない変更を余儀なくされてしまったのだ・・・・

 

 私は何を書いているのか?

 

 次はちゃんと「音楽と人生(恋愛編)」を書きます では!

 

 

 私は音楽が好きだ!音楽と人生、なんだか大袈裟だがこの関連性について最近考えさせられる機会があったので社業や遺品整理に関係ないのですが書かせていただこうと思います。

 

 先日カーラジオからPUNKロックが流れてきた!SexPistols(セックスピストルズ・・いやあスゴイバンド名だ)のゴッドセイブザクイーンという曲だ、そもそもロックはカウンターカルチャーで反体制が基本ではあるものの

ピストルズはヒドイ・・・・英国女王をあらん限りの言葉でこきおろすのだ!(結果左翼に襲われたそうだが)題材は女王陛下にとどまらず、ありとあらゆる物に毒づくのだ!音楽も攻撃的な8ビートでボーカルはメロディー無視の巻き舌で捲し上げギターとベースは同じ音でひたすら弾き続ける!

 

 SexPistolsを聴いてしまった・・・・中二の夏に・・・・

 

 こっちも思春期突入!そして反抗期にも突入だ!”!激しい共感!マズイ!!同級生たちは『うんうん』とうなずきながらチューリップやアリスやさだまさしを(ファッキン↓)聴いているのに私は毎朝ピストルズを聴いて登校だ!誰にも理解されない・・まずバンド名のSexの時点でアウトだ(ファッキン↓KISSは良いのか?)さらに私は柔道の試合の前にもPistolsを聴いていた!破壊的なモチベーション!破滅的トランス状態で試合開始だ!ほぼキ〇ガイ相手の試合で今思えば相手が気の毒だった(いつか柔道についても書こうかな)

 とにかく攻撃的、破壊的、破滅的、中二病の少年のフラストレーションの素晴らしい受け皿になってしまったPUNKロック・・

 

 おかげであまりグレずに済んだかな・・・ああ懐かしい・・・大好きだったPUNKロック・・・でも中二病の終了とともにパンク熱も冷めてしまった・・・

 

 最近61歳の私がラジオから流れるPUNKロックを聴いた時には青春のノスタルジーと心地よい8拍子の音楽しか感じなかったのだ大人になるってアレだな

 しかし!しかしだ!!

 私は人生の最高のタイミングで心に刺さる音楽(PUNKロック)を聴くことが出来た!! 

本当に最高だったなSexPistols!!

 

 次も音楽について書こう(仕事もしてます)

 さて、3年たちましたシリーズも最終回にしたいと思います。

 

 この遺品整理という仕事を通じて私が強く感じたことは、この仕事は『亡き人と遺品を通じて会話して残された遺族様の心を慰める仕事』だと感じています、遺品を片づけていると写真やCDや本なんかから亡き人をリアルに感じることができます、少し不思議な感じになる時もあります

 あと、私も経験ありますが自分の親族の片付けは思いがある分、手が動きません(ああ・・この写真は・・・)とか思ってしまうからです、私たちは仕事なので手際よくしますが親族さんに寄り添う気持ちを片時も忘れてはいけない!と戒めています。

仕事が終わった時に「これでホッとしました、ありがとう」と言っていただけると『少しは心を慰めることができたのかな?」と思えます。

 

 3年間でいろいろなドラマを見させていただきました、この仕事を選んでよかったと思っています、今からも本業を通じて人の心を慰めていきたいと願っています。

 

 ありがとうございました。

 孤独死および特殊清掃をテーマとした書き込みが続いていますが辟易としていませんか?

でも今の国と地域が直面している問題な気がします、いましばらくお付き合いください。

 

 私は2019年に仕事を失いました、それからしばらく働かずにいたのですが2020年の3月からリース建築の会社に雇っていただき営業の仕事をさせていただくことになりました、飛び込み営業をするセールスマンです。

 

 就職した直後に新型コロナが蔓延しはじめました・・・・パンデミックスです、日本中いや世界中がコロナで大騒ぎでした

感染を防止するためにマスクが無くなり、ステイホームといって家の中に閉じこもることが奨励されました、不特定多数との接触

三密、飲食店の休業、時短営業、旅館ホテルは休業・・・・・大混乱でした

 

 私はそんな時に飛び込み営業をはじめました、簡単に会ってはくれません、ほとんどインターホン超しの話で終了でした、消毒スプレーを噴霧されたこともありました・・・・・無理でした上手くいきませんでした1年で退社しました。

そんな時代が2020年 2021年 2022年と三年続いたと記憶しています。

 私の会社は2022年の秋過ぎに始まりました、コロナの終息を待っていた訳ではありませんが幸運だったと思います。

 

 話がズレたわけではありません「孤独死」という問題はパンデミックスを経て若年層にも散見される状態になっていました

それはこのようなケースです。

 

 コロナが蔓延しステイホームの名のもとに非正規社員の20台の男子が自宅待機になってしまいました、毎日家にいても何もすることはなくゲームと酒にあけくれました、お酒はだんだん摂取量がエスカレートするようで、コロナの3年間酒を飲み続けたようです

コロナは終わりましたが彼は職場復帰出来ず2024年に自分の部屋で亡くなりました・・・・お父さんから依頼を受けて特殊清掃をさせていただきました、お父さんといっても私より若かったのですが憔悴しきった様子でした、子に先立たれた親の姿ほど悲しいものはありませんずっと悲しい目をしていました。

片付け終わって帰る時のお父さんの悲しい笑顔が今でも目に浮かびます。

 

 やはり書いていて少し気が滅入るのでこのへんで。

 ついに「3年たちました」も8まできてしまいました、そろそろ終わりにしようと思います。

 

 さて前回の続きで特殊清掃のケースについて書きたいと思います

 

 岐阜に帰ってきてから1年経過した2023年の夏に依頼がきました、老夫婦の旦那様からの依頼でした、現場に迎いお話を聞くことになりましたが、どうも憔悴しきった様子でした、概ね次のような話です

 ①ある日妻が突然いなくなった

 ②妻は認知症である

 ③失踪してから一週間後に近所の方の倉庫で見つかった

 ④発見されたときは既に死亡しており死後一定時間が経過していた

 前回と同じく真夏の孤独死は厳しいです・・・・このケースも腐敗が随分と進行していたようで、私たちが現地を見たときにも

『ああ・・・東京と一緒の人間の臭いだ・・・」と思いました・・・表現できない臭いです血液と流れ出た体液と腐敗した臭いです

 『どんな思いだったか?彷徨い歩いて苦しんだ末に他人の倉庫で亡くなる』 みんな悲しいです、ご主人も、倉庫の持ち主も

彼らの家族も、私たちも・・・・悲しみに満ちた現場で特殊清掃をさせていただきました。

 虫が湧いていたので消毒し、血液や体液が付着した物品を分別し、外部に出し、再び消毒と消臭をした上で内部を高圧洗浄し、再度消臭しました、処分品は養生の上に外に置き、その他の物品は倉庫に戻しました、最後に消臭、消毒です、しかしその臭いはなかなか簡単には取れません、あとは扉を開放し時間の経過に期待するわけです。

 

 仕事が終わりました、不思議にみんなの表情が少しやわらいだ気がしました・・・・気のせいでしょうか?

それぞれの心に悲しい出来事は多分ずっと残るのでしょうが、私たちの特殊清掃という仕事によって現地でおきた悲しい出来事は終わりました、限定的ではありますが安堵していただくことが出来たのでしょう

 私たちにも辛く悲しい仕事ですが、上手くいえませんが『良い仕事をした!』と感じました

 

 この国の高齢化という問題が生んだ悲しい現実がここにあります、高齢化社会、老々介護・・こういう問題を解決する事は出来ませんが、このようなケースの処理については貢献することができます、まだまだ増加するであろうこのケースに心をもって向き合っていきたいと思っています。

 

 次回も書きたいと思います。

  この遺品整理という仕事を始めて一番感じることは

この世の中の問題を皮膚感で感じる、ということです。

【ゴミ屋敷・孤独死】

    ↑この体験を最初にしたのは2022年の7月の東京での研修でした

まだ若い多分30台~40台の男性の案件でした、アパートで一人暮らしされている方の孤独死であったと記憶しております。

もちろん部屋にご遺体は無いのですが入室と共に驚きの光景、高さ1m程度のゴミの山、ゴミには生ごみ(コンビニ弁当や酒類、スナック類、本雑誌 等)の山、浴室やトイレにもゴミは山積みで排泄物もペットボトルに詰め込んである状態でした

真夏だったので生ごみが腐った臭いに人体から出た体液の臭いが混じって経験したことの無い臭いでありました

また様々な虫が大量発生していました

そこの片付けをしました膨大な量のゴミを撤去していくと床のフローリングに人形の血液の跡が現れました、夏の孤独死は惨いです、私たちの片付けが終わった後は消臭(オゾン)内装の切り取りが特殊清掃業者によっておこなわれました

なんとも言えない気持ちでアパートに帰りました、皮膚に染み付いた臭いを落とそうと風呂で強く皮膚をこすりました、なかなか落ちない臭いにその日は7回風呂に入りました、しかし鼻孔に残った臭いは容易には消えませんでした

もちろんその日は食欲はなくビールを飲みました、疲れていたせいもあり酔いが早く回り、朧気に孤独死された方の事を思いました「可哀そうに・・・真際に何を思っただろう?」その夜は一晩中彼が頭から離れませんでした(部屋の中にある写真で顔が分かるから)朝方に思ったのは『これは本当に価値のある仕事なのでは、世間に迷惑をかけた俺にふさわしい仕事なのでは?』

と思いはじめました

『遺品整理』という仕事は人の最後に寄り添う崇高な仕事だと感じ、3年経過した今もその確信をもっています

良い経験をしたと思いました

 次回ももう少しこのテーマで書かせていただこうと思います

 

 

本日は、浴室のみのクリーニングのご依頼をいただき、お仕事させていただきました。

 

ご年配の方からのご依頼で、腰が悪く、ご自身がかがんで、掃除は難しかったため、

床の奥のカビがどうしようもなかったとのこと。

早速、クリーニング開始。

 

カビがぎっしりでしたが、きれいにさせていただきました。

これで、毎日気持ちよくお風呂には入れるとのご感想をいただきました。

 

今回のような、おうちの中のある一部分だけの清掃、片付けなど

お気軽にご相談ください。

 8Born(エイトボーン)が、お手伝いさせていただきます!

 

 

 

     Before                                                                   After

             

              

 

 

 

 

  昨日なんと私のこのつたないブログを読んでくれている人を確認した!

ので、喜び勇んで続きを書こうと思いました

 

 岐阜にかえってからでしたね

 

 東京修行から帰って、さて遺品整理の仕事を始めよう!とは思ったものの・・・・何をどうして始めたものか?

なので友人から紹介してもらい、山口県の岩国市で遺品整理の仕事をしている方を紹介してもらい「第二期修行(岩国編)」に出かけました、今度は3~4日の予定でした しかし前に紹介させていただいたボロボロのエアコンも一切効かないBorn号での遠征なので岩国までの道のり自体がアドベンチャー状態でありました、しかし「なるほど なるほど」の気づきも沢山あり短期間でしたが有意義な研修になりました、また先方の社長さんとは趣味や話に共通するものが多々あり現在も親交が継続しています。

 

 そして2022年から2023年に年が変わるころに当社8Born(エイトボーン)の遺品整理業がはじまりました

最初はお世話になっているJAぎふ様の役員さんや職員さんの家の整理からでした、さまざまな方々にご指導いただき手探りでしたが仕事を始めることができました感謝でした。

 

 そして一般のはじめてのお仕事がきました

 

 岐阜市内のアパート4階建てエレベーター無し、私より少し上(62、63?)ぐらいの方の亡くなられた後の遺品整理でした

1人暮らしの男性でした、夜間の急死のようです

 几帳面な方だったらしく部屋の中は整然としていました、遺品整理という仕事は故人と対話するかの仕事です片づけるうちに

「ああ、こんな本を読んでたんだ、俺と一緒な趣味!? こんなCD聴いてたんだ・・・・」とかアルバムの整理をすれば、その方がいるような感じすらしてくることもあります

 

 違うかも知れませんが故人に寄りそって仕事する、亡き人に思いをはせて仕事をする、とはこういうことなのか?と感じました

片付けが終わった時は何か「スッキリ」すこし寂しい感じがします。

 

 この片付けには故人は5人の男ばかりの兄弟の4番目の方だったみたいで、お兄ちゃんたちが隣の部屋で寂しそうにタバコを吸っていたのが印象的でした

 

 最初の仕事でしたが遺品整理という仕事が少しだけわかった気がしました、よい始まりの仕事だったと思っています。

 

 また書かせていただきます。