滋賀県能登川町の親戚の家で目が覚めた、あれほど困憊した疲労も朝はスキッキリ目が覚めた、そうだまだ若いのだ!足の筋肉痛は残っているが大丈夫だ

 私は朝ごはんをいただき京都に向けて出発しようと思ったのだ、そしたら「テル、もう行くのか、なら駅まで送ったろう」などとオジサンが言うので「お願いします(^_-)-☆」と軽トラに乗り込んで「?」『あれ?俺はなんで車に乗っとるんや?』と思ったが後の祭り私を乗せた軽トラは草津まで走ってしまった・・・・「お願いですもう下して下さい( ;∀;)」とお願いして下車して再び自分の足で京都を目指して走りだしたのだ

 

 謎のワープ走行をしてしまった私は昼前に滋賀と京都の県境に到達した!良いペースだ!?少し早いが叔母さんが持たせてくれたお弁当を食べることにした、豪華なお弁当だった(^_-)-☆ウナギとかトンカツとか精のつきそうな食材がいっぱい入っていた!

美味しかった(^^♪ そしてよく見ると封筒が入っていた手紙が・・・テルちゃん頑張ってな でも無理したらアカンで・・・と書いてあった( ;∀;)なんと優しい・・・そしてさらに封筒の中には1万円が入っていた!感激した!!1万円!!!ありがとう叔母さん

 

 元気をフルチヤージした私は再び走り出した!すると雨が降り出した!夏特有の強い雨だった「うわぁー雨宿りぃ~( ;∀;)」

と道沿いのパチンコ店に入った・・・・タダで雨宿りもパチンコ屋さんに申し訳ない・・・・ので・・・叔母さんにもらった1万円でパチンコをした・・・・しばらくしたら雨が上がった・・・・お金も無くなった・・・・(ごめんなさい叔母さん俺は本当にダメな人間です)

 

 また走り出した山があった、迂回する道路もあったがショートカットの為に山を登った、めちくちゃ疲れた( ;∀;)

昔の人は長い距離を徒歩で歩いてエライ!というが道路がアスファルトの現代の方が足にかかる負担は大きいとおもった

 

 しかしなんだカンダで京都の街中に入った四条の角を曲がった時に正面に京都駅が見えた! それと同時に私のウォークマンはスプリングスティーンのThe Promised Landという曲が流れた、約束の場所という意味か、スプリングスティーンは

 

 ♪俺はもう子どもじゃない大人だ、そして俺は約束の場所を信じている♪と言った

だんだんと近づいてくる京都駅を感じながら『そうだスプリングスティーン!その通りだ俺はもう大人だ!その通りだ』と確信して京都駅に到着した

 

 旅は終わった・・・・時間は夕方6時ぐらいで通勤ラッシュの時間で電車で座ることは出来なかった・・・が、もう立っていられない状態だったので電車の地べたに座った・・・そのままウトウトしていたら岐阜についた・・・・文明は素晴らしいと思った

 

 夜10時か?家についた、ぼんやり旅のことを振り返っていたら眠ってしまい朝になった・・・なんだか不思議なきもちだったな

 

 さ~仕事、仕事! 新年度は少し仕事が薄いな~ 

 さて、私は24歳の真夏のある日の朝「俺は西に向かう」と書置きを残し家を出た・・・今になって色々と思うことがある

実の弟が私に「お兄ぃみたいに勇気があって計画性の無い人間が一番遭難するんや・・・:」と言った事を思い出すのだ、さすがに一緒に育った兄弟は騙せない( ;∀;)

 

 京都までいくために私が用意した持ち物は

 1.お金

 2.ウォークマン(カセットテープのやつ)中身はボブマーレイー ブルーススプリングスティーンとか

   以上だ・・・・なんというか( ;∀;)

 

 しかし夏でも朝は涼しく気持ちよく走り出した、朝の9時ぐらいには大垣に到達した『ふふ・・この調子なら今日中に京都に着くんじゃないかな?(^_-)-☆』などと感じていたアホである

 

 大垣まで約20Km 朝の9時!快調だ・・・が太陽は徐々に天空高く上がり8月の強烈な日光が私からジワジワと体力と精神力を確実に奪っていくのだった・・・関ケ原を通過する・・・明らかなペースダウン・・・昭和はまだコンビニが今ほど普及していない、水分補給にも苦労した( ;∀;)恥ずかしいが民家で「すみませんお水いただけませんか?」とお願いする・・思いつめた顔で・・・・

 

 それでも関ケ原を突破し滋賀県に突入した!もう走れない・・・よたよたと歩くだけだ・・・・そして夕方の5時頃には米原に到達していた、ここまで50Kmか?

 

 今夜は滋賀県の能登川町の母の実家に泊めてもらうことにした!公衆電話から電話した「おじさん岐阜のテルやけど今晩泊めて下さい」

おじさんは「ええけどお前は何してるんや?」

私は   「家から京都まで走っていくんや!冒険やおじさん( `ー´)ノ」と

おじさんは「・・・・・わからんけど気ぃつけて来るんやで」と、よく理解していない様ではあったが了解はいただいた

 

ひたすら国道八号線を進む!彦根を超えた頃、日も沈んだ・・・・8時頃か? もうボロボロである・・・すると軽トラから身を乗り出して叫んでいる人がいる

「テルアキ!テルアキ!おじさんやで~」と、迎えに来てくれたのだ!ありがたい( ;∀;)しかし車に乗せてもらう訳にはいかない! 私にも意地があるのだ

しばらくオジサンの軽トラと国道8号線を並走状態だ

「もうテルここまで来たら初志貫徹やろ?乗れ!もう乗れ!ええから乗れ!」と・・・

私は「いやや!乗れん、乗らん( ;∀;):」と・・・

しかしオジサンが「お前の歓迎のご馳走を用意してるしウチの家族も待ってるんや!もうええやろ!」

と言われ倒れこむように軽トラに乗った・・・オジサンは「お前は本当にアホやな、本当にアホや!」と言って私の肩に手を当ててくれた、泣けてきた、自分のアホさ加減と人の優しさに泣けてきた

 

 滋賀県能登川町の母の実家に着いた軽トラで!私の歓迎食事会が始まった(^_-)-☆ 酔っぱらってきた、気分よくなり風呂に入って気絶するように寝た・・・また次の日も冒険は続く!

次回に続く

 

あ~仕事仕事あ~依頼ないかな~

 

 あ~アカン!びっくりした

 

 私はバスとか電車とか船とか飛行機だって、乗り物の振動が心地よく眠くなってしまう・・・・

 

 先日もそうだった名鉄電車で岐阜からセントレア駅まで乗っていったのだが気候も良く車窓からの景色も穏やかで、ウトウトと眠ってしまった・・・・

 それで気が付くと電車は停車していた『少し長い停車だな』とは感じたのだが、しばらくするとアレ!?電車は進行方向と逆方向に走り始めたのだ!!『なんだぁ?なんで逆走!?ウォ~えらいこっちゃぁ~』

寝ぼけていたのもあって少々取り乱した私だったが冷静になると

 

 セントレアに到着したが寝たままだった私は降車せずに折り返しの岐阜行電車に乗っていたのだ( ;∀;)あかん人間だ、でも廻りの人も「オッサン起きろ」とでも起こしてくれても良いのに・・・・・

 

 でも結構よくある!名古屋から終電に乗って岐阜で降りるはずが電車のアナウンスは「垂井ぃ~垂井ぃ~」『どこじゃ垂井!?』

私は冬の深夜に垂井に置き去りにされたのだ・・・・・とんでもない!!なんとかタクシーを拾って帰ったのだが2万5千円かかった( ;∀;)

 

 とんだポンコツオヤジだ( ;∀;)

 

では仕事仕事、ポンコツオヤジの仕事

 今朝、現場の打ち合わせを済ませてバイク(最近はガソリン代が高騰して経費節減のために小型のスクーターで移動している)

で事務所に戻る途中に私に向かって手お振る小さい子ども二人がいた『どうしたんや?』とバイクを下りて聞くと

「ママが ママがいなくなっちゃったの( ;∀;)」と泣きながら言った・・・・『ふむ、これはどういうことか?』と聞き進めると

どうも迷子になったようだ、保育園に通う幼い兄弟だった、お兄ちゃんは弟の手をしっかり繋いだまま泣きながら私に言った

私はこういうのに弱い・・・『よーしおじちゃんが助けたる心配するな!』

 

 まず、「ママの携帯わかる?」と聞いたが、「わからない」と

 

 じゃあ「家は?」と聞くと「あっちの方」と言った、ので、あっちの方へ一緒に歩くことにした

 

彼らは「ママに会いたい( ;∀;)」と泣きながら歩いた、私が泣かせている様にも見えるシチュエーションだったので事情を話して近隣のおばあちゃんに一緒に歩いてもらった

 

 彼らは「10時のおやつの時間に間に合わない( ;∀;)」どうも保育園のおやつの時間が気になってもいるようだ

 

 随分歩いた『こんな遠くまで二人で来てしまったのだな』と思った・・・が、彼らのお家に着いた

ママが待っていた!” 兄弟はママに突撃して3人は道路で倒れこんで再会を喜んだ!ママも泣いていた・・・感動のシーンだ

 

 話を聞くと兄弟は通常はママが保育園に車で送るのだが二人で歩いて行ってしまったようだ、『おお、君らもアドベンチャーやな』でも良かった

 

ママはしきりに感謝の言葉を言ってくれて「お名前をお聞かせいただけませんか?」と言ってくれたが、すっかり自分に酔ってしまった私は「いや名乗るほどのものじゃありませんよ、良かったですね(^_-)-☆」と訳のわからないことを言って立ち去った・・・

 

 なんか心が温かくなったな☺

 

さーて仕事仕事、激しく仕事(^_-)-☆

 伊勢の整体の先生によって自分の本質(冒険者)に気づいたのは55歳の歳だった訳だが振り返れば若い頃からその兆しがあったことに気づくのだ

 

 私はブルーススプリングスティーンという歌手が好きなのだが彼の♪涙のサンダーロードという曲の一節に

 

So you`re  scared  and  you`re  thinking  That  maybe  we  ain`t  that  young  anymore. 

 

というフレーズがある下手な訳だが「君は僕たちは もうそんなに若くないと怖がっている」そんな感じか?

ブルーススプリングスティーンがこの曲を書いたのが24歳だという・・・私も24歳だった・・・共感した!10台とか20台前半なら自分を若いと信じることが出来たのだが20台中盤になると『俺はもうそんなに若くないなぁ・・・』と思い始めるころだ

今、61歳のオヤジである現時点からすると罰当たりな話だが当時24歳だった私はこのフレーズに激しく共感したのだ!

 

 若さを確認するために渡すが選択したアドベンチャーはなんと

 

 岐阜の家から京都駅まで走る

 

 という選択だった・・・もちろん車やバイクや自転車でもなく自分の足でだ・・・八月初旬の暑い日に125km(フルマラソン3回分)を2日で走ることにした

 

 朝の5時に日の出と共に、家には「俺は西にむかった」と書置きを残し走り始めた!完全にイカレタ人間である( ;∀;)

 

 さて、今日はこの辺で次回に続く!

 

 仕事してます!仕事依頼してください!

 今日は3月15日(日曜日)外は良い天気だ

 

 唐突だが最近、私は『人生とは冒険』そして自分はアドベンチャーなのだと思うようになった、先日も岐阜から鹿児島まで遺品整理の仕事に出かけたのだ、もちろん不慣れな土地でトラブルも起きるし上手くいかないことも多かったのだが、なぜか私の心はトキメクのだ異文化との出会いや人との出会いに心が躍るのだ・・・・・

 

こんな出来事があった

 

 さかのぼると2019年の春に上手くいかない会社の運営にどん詰まりの日々を過ごし明らかに心を病んでいる私をみかねてか友人が「今、伊勢から整体師さんが名古屋にきていてその人に心と体を治して貰ったらよい」と言われた・・・私はスピリチャルなものに興味が無いのだが『まあ、肩こっとるし腰も痛いので行ってみるかな』ぐらいの気持ちで行くことにした

 期間借りりしている喫茶店に置かれたベッドに横たわると施術が始まった

身体を押したり揉んだりしてくれるのだが先生は「あ~あ~」とか「ふんふん」とか言いながら施術をしていた・・・『なんやろう?』と疑問に思ったが45分ぐらいで施術は終わった、その後カウンセリングというか問答が行われた

 

 先生は「あなた今の仕事を始めて何年ですか?」と

 私は 「そんですね30年ぐらいです親の会社を継いで7年です」

 先生は「自分に向いてない仕事(おいおい勝手にきめつけんな( ;∀;)でもそうだなぁ)釈迦だって苦行を6年ですよ・・・・辛かったですね」

 更に先生は「あなたは人のタイプで冒険者なんですや未知の出会いや発見に心躍らすアドベンチャーです、それなのに・・・・苦しかったですね」

 そして先生は「もうすぐ嫌でも苦行は終了します(この夏に会社は倒産した)そしたら本当の自分の生き方ができます、大丈夫です!」といって背中を念を入れるように押した

 その瞬間にとめどなく涙が溢れた・・・・しばらく止まらなかった

 

 それから夏まで本当に大変でその出来事も忘れがちになった、先生の名前も忘れてしまった・・・・でも今になってその時の出来事をありがたく想い返すのです

 

 「お釈迦様でも6年の苦行をあなたは30年務めたのです、もう充分ですもう本当の自分の生き方を始めて下さいね」と言ってくれた

 

 内なる自分に気づくことのきっかけになった体験でした

 

61歳になっても落ち着きのない人間ですがこれからも未知のものに心をときめかす冒険者でいたいと思います。

 

 日曜日で良い天気なのに事務所で仕事しています(^_-)-☆

 資格試験の話も5話になった

 

 今回は1級建築施工管理技士の話だ、この資格は国家資格である、この試験も1次と2次に分かれていて1次(学科)2次(論述+学科)という形式で1次通過者に2次試験の受験資格があり中々である、しかし幸いにも図面が無い幸いである。

 

 随分前に1次試験は合格したことがあるのだが2次試験の日に仕事のクレームが入ってしまい試験に行けなかった苦い経験がある

翌年も2次試験を受験することは出来るのだが、なんか嫌になって受けにいかなかった( ;∀;)アホである、今思えばもったいないことをした

 

 令和3年に一次試験を受けた、当時はサラリーマンだったので勉強する時間はあった結構勉強して試験に臨んだ、時はコロナの真っ盛りで広い受験会場でセーフティーディスタンスを確保した受験だったことを印象的に記憶している

 

 出来た!確かに手応えあった! しかし負け癖のついてしまっている私は不安だった・・・1次は初夏(確か6月)で2次は10月にある、1次の合格発表は8月だったので合格発表を待たずに見切り発車で2次の勉強を始めた・・・・そして

 

1次合格

 

やれやれ、やれやれだぜ俺 😥 それからはエンジン全開で勉強した! そして試験!!

大丈夫だ!しかし2次試験に弱い私・・・不安だが順調に回答出来た!・・・・が不安だ・・・発表までドキドキドキドキ・・・

そして令和4年の1月末、合格発表・・・・

 

                            合格した!
 
 ついに1級建築施工管理技士だ!おまけに交付者は今をときめく中道連合の斎藤鉄夫さんだ(当時、国土交通大臣だった)
 
 この資格は大きかった、建設業を開業することが出来た8Born㈱は一般建設業の認可を受けることが出来た!
鉄夫さんありがとう!!
 
 結局、この年はインテリアコーディネーターと1級建築施工管理技士のダブル合格という結果を得ることが出来た!ついでに遺品整理士の資格も取ることが出来た!うれしい年だったな(^_-)-☆
 
 そして8Born㈱をこの年に開業することが出来た!還暦前のロートルだが一生懸命にチャレンジして良かったと思ってます。
 
 そして還暦となった私ですが今は宅建の勉強をしています良い結果を報告出来ると良いなぁ(^_-)-☆
 
 今日も激しく地域と人の為に働いています(^_-)-☆

 

 2019年インテリアコーディネーター2次試験

 

不合格

 

 ドラマのようにはいきません、1級建築士の時のような激しい落胆はなかったものの『くっ、またか( ;∀;)』と感じました

でもこの年末に受けた福祉住環境コーディネーターの試験には合格し軽く一矢報いた感じだが・・・・

 

 まあ、インテリアコーディネーターは一次に受かれば二次は3年間受験できるので2020年に受けることにした!

不退転の思いで挑んだ2020年インテリアコーディネーター2次試験( `ー´)ノ思わぬ罠が待っていた・・・・

「キッチンにペニシュランキッチンを設置せよ」・・・・ペニシュラン?な、なんだ?ペニシュラン???その意味を知らない私

ここでつまずいてアイランドキッチンを書き入れた・・・後で知るのだがペニシュランとは半島のことで半分が壁に接している形状のキッチンのことだった・・・・ここで大幅に時間を費やし時間が無くなってしまった(不覚( ;∀;))

 

あとはお決まりのバタバタ状態でパースの着色を色鉛筆で行うのだが時間が無い焦燥感からなんというのか・・・・ゴッホの絵みたいに・・・・油絵のようなコテコテな感じになってしまった( ;∀;)色鉛筆でサラッと均等な感じで彩色するべきなのに・・・・

例題に色鉛筆で芯が折れんばかりに着色せよ!とあれば良いのだが・・・・そんな訳はなく・・・・きったない図面になってしまった( ;∀;)

1.ペニシュラン

2.ゴッホ風

上記の重大なミス・・・受かろうはずがなく

 

不合格

 

もう嫌になってしまった・・・・それでも受験資格がまだ残っているので2021年も惰性で受験した

しかしここで奇跡か!?前2年の失敗が経験として生きていたのか?何故か順調に書き進む!進む!奇跡の快進撃!

論文も良く、計画も間違いない、着色もゴッホにならずサラッとキレイに仕上がる!家具図も良くかけた(^_-)-☆時間も間に合い

『ヤッタ!ヤッタ!!」と満足に浸っていて試験官の「まもなく時間終了です」のアナウンス 私は一応図面を見直す、見直す、み な お す・・・・『げっ!家具図断面図を書き忘れとる( `ー´)ノ』未記入の図面があれば一発不合格だ!あ~あ~

間もなく試験終了だ! 『えーい ままよ!」と定規もあてずにフリーハンドで適当に家具断面図を書く!さらに寸法を書く、そして殴り書きで(家具断面図)と書く・・・2分ぐらいだ、おおよそ完成図とはいえない・・・時間終了!

 

 あ~あ、またやっちまった( ;∀;) また来年か・・・途中までうまくいっただけに悔やまれた、が止む終えない自分のミスだ

私は不合格を確信し合格発表すら見なかった・・・・合格発表から1週間も経過した頃『一応確認するか?」と機構のホームページを確認すると・・・・

 

合格!

 

なんと、、、合格!奇跡が起きた!! まあ殴り書きの家具断面図だったが他の出来が良かったので補ったのだろう

学んだ、諦めてはいけない 最後まであきらめてはいけない!!

 

 さて、まだ資格試験の話をもう少し書きますね(^_-)-☆

 

 今週は鹿児島で遺品整理の仕事をしてきました鹿児島はよかとこでした

 

仕事は今週も激しくしています(^_-)-☆

 

 きつい話だが2019年のお盆過ぎに私は会社倒産により失業してしまった・・・・

お客様や協力業者さんや社員さん関係者に多大な迷惑をかけてしまった・・・・いまでも自責の気持ちは激しく忘れられない思いがある、本当に申し訳ない・・・・しかし一文無しになった訳で家も車も無くしてしまった・・・

 

 働かなくてはいけない!しかし就職をもとめても資格が無いので良い給料をいただける仕事が見つからない(こんなことになるなら何か資格をとっておけば良かったと後悔しても後の祭りだ)この時点で私は55歳のただの失業者でしかない・・・

 

 また、倒産と個人破産の処理などから働くこともできない・・・出来事の直後は精神も深く病んでいて何も出来ない状況だった

ヤケになって酒でも飲もうかとおもったが、そんなことしたらきっとダメになってしまうと思った

 

 少なくとも家族を食わさなければいけない!私は資格試験の勉強をもう一度始めようと思った・・・・

しかし8月末の時点では主だった資格試験(建築士、建築施工管理技士、宅建士)などは申し込みが終わってしまっている・・・

何か無いか?と調べているとインテリアコーディネーターという資格の締め切りが8月末だった、しかし試験は10月だ( ;∀;)一カ月で間に合うか?という疑問があったがこの時期は勉強に没頭することで自分の精神を保つ・・・やるしかない!と決意し9月から猛勉強を始めた

 

 インテリアコーディネーターという資格は1次(学科)2次(製図+論文)と2部構成になっていて1次試験に合格した者が2次試験に進めるという形式だ、特徴としては1次試験が難しく確か23%程度の合格率だった、これは内装や家具など室内装飾をコーディネートするまあ設計的なアドバイザーという感じの資格だ

 

 試験になった!愛知県の私立大学での試験だった多岐にわたる出題が特徴で難しかった・・・時間いっぱいかかったが何とか最後まで回答することができた

 

 なんと合格できた!一次試験突破した

 

 負け癖がついてしまっていた私はとてもうれしかった!それも1カ月の勉強期間で合格できた!うれしかったし自分を少し見直すことが出来た

 

 しかし2次試験が12月に待っている、それに合格しなければ資格取得にはならないのだ・・・・

 

 二次試験の勉強を始めたのだが普通の製図に加えてパースとかアイソメ図とかを書かなければいけない・・・

 

 時間が無い!間に合うか?俺

 

 では続きは次回に

 

 ああ、土曜日なのに仕事している・・・さらに来週は鹿児島で遺品整理の仕事で出張だ・・・疲れてます。

  度重なる資格試験の失敗は28歳の私を35歳にしてしまった・・・一次試験(学科)も落ちるならまだ諦めもつくのだが・・・

実際に何回かの2次試験は良いとこまでいっていたという実感もあったのだが

 

 さすがに打ちのめされた、親や家族に申し訳ないし社員たちにも面目ないと恥じた私・・・あまりの不甲斐なさにその年の年末は深く落ち込んだ

 

 そんな姿を見かねて尊敬する義理の父が私を訪ねてきてくれた、今でもその情景は記憶している、彼は優しい微笑で私に話しかけた「テルちゃん、君は気づいてないかもしれないな・・・資格試験は残念だったねぇ、でも君は人を引き付ける普通の人には無い魅力のある人なんだよ、だから人に関わる仕事にシフトしたらどう?きっと成功するから」と言ってくれた

ありがたかった・・・・

 

 つまりは営業だ!それから営業に力を注いだ、今に繋がっている色んなお客様に合うことができた、仕事のきっかけをつくり交渉して仕事をまとめる、これを楽しいと思えたし達成感を生きがいとして感じることができた!

 

 挫折・・・心の傷のおかげで人の心が少しは理解できるようになったと思う、そして資格修得にはいたらなかったが勉強した分の知識は身についた!建築の営業の知識になった!つまり無駄ではなかったと信じている

 

 35歳の時に資格チャレンジは止めてしまった訳だが、その後20年経過してまた勉強を始めた・・・会社の倒産により失業してしまった・・・建築の仕事しかしたことのない私『ああ、あの時一級建築士とれてたら・・・』無資格の私には良い仕事に就くことが困難だという現実に向き合うことになった

 

 では次回!第二期資格試験チャレンジ編に続く

 

 さて、日曜だけどダラダラ仕事しています(^_-)-☆