この歳になると最も重要なものは健康だとしみじみ感じます

 特に私は内臓に問題を抱えているのでなおさらであります。

 

 健康には気を付けてはいるのです、タバコも吸わなくなったし酒ももともと弱いのもあり、あまり飲まない、気を付けなければいけないのは甘いものだ・・・・甘いものが好きだ

 

 しかし運動は苦にならないのは幸いである、むしろ体を動かすのは好きだ、フルマラソンも6回かな?走った強者であります(マラソンについても書こう)

 

 ウェイトトレーニングとキックボクシングもやっていた

 効果的にパワーをつけて良い肉体を作るためにトレーニングの後にプロテインドリンクを飲んでいた・・・特別なヤツじゃなくコンビニにも売っているヤツだ

 

 『おう、マッチョになっとるわ』と喜んでいたのだが

 定期的に検査をお願いしている病院で血液の検査をしたら・・・・

 

  腎臓の数値が異常に悪くなっていた・・・お医者さんが言うには『人口透析しなければいけない数値だ』と言われた・・・

 

 しばらく茫然としていた・・・・『何が悪いのか?』

 

 いつか聞いた事がある「人によってプロテインで腎臓を壊す場合がある」と

 

 それだ!”犯人はプロテインだ!!と確信し急いでやめた!! そうしたら少しづつ数値が改善され始めた・・・まにあったか?

いや安心はできない!!

 

 体質に合わないものには気をつけましょう

 

 では今日も一生懸命仕事しました(^_-)-☆

 毎回ブログで「熊とであったら」とか「イエロウデビル」とか「お茶ぶっかけたろかぁ!」とか本業と随分と離れたことばかり書いているが・・・・昼間はきちんと仕事をしているのだ軽バンに乗って走り回っているが最近は担当の保険屋さんが乗らなくなったバイク(HONDA Dio110)を譲ってくれたので乗っている50Km/l ぐらい燃費が良いので経費節減に効果的だ、また天気の良い時はとても気分がいい(^_-)-☆ 私は仕事が下手(儲け下手)だが、この仕事(遺品整理)が好きだ

 

 人の人生に出会える 人の終活を助けられる これは幸せなことだ

 

 先日も お客さまからお問合せをいただき弊社のスタッフと伺ったのだ

 

 お客様は80歳を過ぎた年配の方で若い時は岐阜に住んでいたがもう何十年も今も九州に住んでいる方だ

随分前に亡くなった両親の家が残されており、たった一人の相続人の彼が九州から一年に一回一カ月程度この家に住み込み家財の整理、処分をしているのだそうだ、頭の下がる行いである。

 

 であるのだが・・・その方法は問題だ・・・自転車しか乗れない彼はママチャリの前と後ろのカゴに処分する荷物を積んでエコボックスと片道30分かかる処分場に運んでいるのだ・・・・私は『こりゃ何年かかるか?』と不安になったのだ

 また、家の中にある鳥のはく製とかコケシ(民芸品の方)とかタンスとか家具とかを「いくらで買ってくれるか?」とか尋ねられる・・・なんと答えればよいのか・・・「○〇さん、申し訳ないのですが私どもはこの品々を買取することは難しいです」となるべく丁寧に答えるのだが「何を言っているのですか?このフクロウの剥製は私の父が台湾がまだ日本統治下であったころに地元の実力者にいただいた感謝の品物です!それを価値が無いとは何事ですか!」と言われてしまい、困ってしまい少し無口になった

 

 お客様の身の上話が始まった、結構な時間その80年を超える人生の物語を聞かせていただいた・・・・大変だ、大変な人生だ

しかし私はふと思った『おれも結構たいへんやな』って・・・つまり誰でも生きるとは大変なのだ・・・と

 

 私の仕事はこういった方の人生を受け止めてあげることも本当に大切な仕事なのだと改めて思いました

 

 結局、お金のいただける仕事にはならなかったのですが「今度、私が時間のある時に連絡させていただくので、私の軽バンに荷物を乗せて処分しにいきましょうね、お金はいいから」と伝えました「そんなこと言われたの初めてです!」と感激して言ってくれた、私も「そんなこと言ったの初めてです」と言って二人で笑った

 

 こんなのはビジネスとしてアカンことです・・・わかっているのです私の悪い癖です・・・・

しかし私の仕事の「遺品整理」はそういう寄り添う、優しい気持ちを大切にしなければいけない!と改めて思いました。

 

 では、今日も仕事しています(^_-)-☆

 今、熊が町に下りてきて問題になっている。

 大きな意味での環境問題(温暖化、生息地の縮小化など)の影響なのだろう、熊に罪のない話だが人間の穏やかな生活が脅かされているのだからやはり問題だ、しかし母熊が子熊を連れて歩く姿はいじらしくもある。

 

 そして私はもし歌にあるように♪ある日 森の中 熊さんに 出会った・・・・らどうしよう?と毎日考えているのだ

 

 まずは先方(熊さん)が私を避けてくれるように騒がしく歩く、、歌を歌う、なるべく賑やかな(北島さぶちゃん とか 細川たかしとか Sex Pistolsとか)熱唱する

 

 それでも先方(熊さん)に出会ってしまったら・・・どうしようか?  叫ぶ!そうだ叫ぶ!!

「おうら!誰にメンチきっとるんじゃボケ!お前のオヤジをオフクロにしてもうたろかぁ!!」などと大阪弁を交えつつ恫喝する

 

大抵は熊さんは「あかん、こいつ関ったらアカン」と思い退散していただけるはずだ・・・・

が、、「おう?オドレににきまっとろうが!?このジジイ」と思って向かってきたなら・・・・やるしかないのか?話し合いの余地はないのか? お詫びで許してもらえるのなら、額を地面に打ち付けてお詫びさせていただくが・・・・そうもいくまいて

 

 さて、やるしかないか! 猛獣相手に勝ち目は薄いが私も50年前にはアメリカでイエロウデビルと恐れられた男だ!むざむざとやられはしない

 

 熊は時速50Kmで走り、木にも登る、そして私も武道家のはしくれ!逃げるという選択肢は無い!闘う!!

 

 情報によれば熊は前足によるフック気味のパンチを顔面に放ってくるという この攻撃をスエイバックでかわす、そして踏み込み顔面に前蹴りをいれる、無事一発めが入ったら続けて2発目の回し蹴りをいれる、そこからは恐らくひるんだ熊を大声で恫喝する

「こらぁ まだやんのか コラア!!」と叫びながらパンチを入れる!!戦意喪失した熊は山に帰っていく

タイマンだ、、人と熊とのフェアでガチなケンカだ・・・親友だ・・熊は私を振り返りながら親友になった私との別れを惜しみながら山に帰っていった・・・・『さうようなら グッドファイト!」と私は親指を立てた。

 

 まあ、そんなシュミレーションだが・・・・妄想がヒドイ・・・・

 

そんな感じで毎日ちゃんと仕事してますから(^_-)-☆

 

 

 さて、柔道海外激闘編も最後の地ハワイを残すのみとなった

 

 ハワイに上陸するに際して私を不安にさせることがあった・・・それはハワイに飛行機が降りるときフラダンスの恰好をしたハワイの女性に歓迎のレイをかけられてキスをされる・・・(そいう映像がイメージされていた)

 今なら「おおええやないか!おん💛」と言える61歳だが、その時はまだ小6の子どもだ・・・ドキドキする・・・ええのかファーストキスがハワイの女性で、そんでアグネスラムみたいな・・・ああどうしよう?と真剣に悩んでいた・・・のだがそんな歓迎は受けることなく、少し拍子抜けで少し安心して、少し残念でありました。

 

 ハワイでの試合も私は無事勝ちました、各地で試合し全勝で終えることができました

 

 試合が終わり2日くらいのバカンスをいただきました! しかし全国から集められたエネルギーを持て余した少年たちです、ホテルでじっとなどしている訳がなく・・・ある子はホテルのバルコニーつたいにスパイダーマンのように縦横無尽に移動していました

もちろん通報されて消防隊が来て大騒ぎになりました。

 

 私はサーフィンに憧れていました、なのでレンタルでサーフボードを借りました、なかなか上手くは波に乗れないのですが、体力はあるのでパドリングは凄いです、どこまでも行けます、そして振り返るとスゴイ遠くまで来てしまっていました(アカン来過ぎた)と思った後にビッグウェイブが私を襲いました!ボードも遠くに飛ばされてしまいました、、その後も次々に大波にのまれました

私はブクブクと何度も海の中に沈められました、『もうアカン・・』と諦めかけたその時!地元の勇敢なサーファーの男子が颯爽と助けにきてくれて自分のボードを私に渡して私のボードを回収してくれました・・・・今でも良く憶えています・・・かっこよかったです・・・スーパーマンみたいでした・・・・とにかくサーファーの男子のおかげで私は命を救われました・・・もう少しでイエロウデビルはハワイの海の藻屑と化すところでした・・・お礼を言いたい・・・できる事なら感謝の食事会にお招きしたい!

 

なんだか最近は叶わなかったことばかりを思いだします(なんでかな?)

 

もちろん私は以後ハワイでの外出禁止の処置をうけました(まあそうでなくても身体は憔悴しきって動けなかったですが・・)

 

「俺、登山はじめようかな?」と最近、実の弟にいったら「勇気があって計画性がないお兄みたいなタイプが一番遭難するヤツやわ!」と吐き捨てるように言われました・・・・しみじみその通りや・・・と今思います

 

でも小6の時の柔道での思い出は今でもキラキラした少年の思い出として輝いています

これで柔道編は終わりです。

 

大丈夫です仕事もしています(^_-)-☆

 さて、柔道の話をどこまで書いたか?

 ロサンゼルスでの思い出までだ

 

 それから私たちはメキシコに飛んだ メキシコシティだ、ここも良いところだったロスよりハワイより印象はよかったな

当時はまだ発展途中という感じだったけど、なんというか太陽が近い感じで中米の陽気で開放的な雰囲気が良かった

アステカ文明か?遺跡とかピラミッドとかも見られてよかったな~またメキシコは行ってタコスとか食べてテキーラとか飲んで、飲み過ぎて酒場の客とトラブルになったりして、でも仲直りして「アミーゴ」と言ったりしたい・・・願望がある

 

 しかし柔道だ!前回のロスで生卵を飲まされてエライ目にあったが子どもは回復も早くメキシコ戦に向けて万全であった

 

 しかし、またロッキーにかぶれた監督のミーティングは恒例に開催された監督は

「今から30数年前に日本はアメリカと戦争をしたことは諸君は知っているか?私も出征した!大変な目にあった・・・(言葉に詰まる)君たちは戦争を知らない子供たちだ!だから知らないだろうが日本はアメリカに負けて、多くの日本人が亡くなり・・・町は焼かれ、家は焼かれ、食べるものもなく、近所のキレイなお姉さんは米軍相手にパンパンして食いつないでいた!!

君らは知らんだろう!?時が流れて皆が忘れても、俺は忘れん!絶対にだ!!今日は諸君頼む!!勝ってくれ!!アメリカを倒してくれ!!頼む」と完全に自分に陶酔してしまっていた・・・・しかしそばにいたコーチが「先生、今日はメキシコが相手ですよ、日本はメキシコとは戦ってないんですから・・・」と言った(確かにそうだ)しかし監督は「バカヤローそんなもん知るかー とにかく今日の試合に負けたら許さん!!絶対に許さん!!」と自らの無知が恥ずかしかったのもあってか逆切れ状態のまま部屋を出て行ってしまった

部屋に残された私たちは不安になった『どう許さんのだろう?』とこの後に起きる出来事を想像して恐くなっていた・・・

 

試合が始まったメキシコ軍は強かった、本当に強かった日本軍は次々に負けていく・・・・(私は勝った、なにせ私はロスを震撼させたイエロウデビルだ負けるはずがない)

 

 そして日本軍は全体として負けてしまった・・・・悪い予感がした・・・

 

 試合後に監督が叫んだ!「一列に並べぇ~恥知らずどもが~おめおめと負けくさりやがってぇ!」というや否や選手たちに鉄拳制裁をあびせはじめたのだ、恐ろしい男だ・・しかしふと気が付いた「なんで俺まで殴られなあかんのや?俺は勝ったんやぞ!?そうやないか」その列から逃げ出した!しかし遠くから見ても「ズカッ」と鈍い音が会場に響き渡り子どもは倒れたり泣いたり・・異様な光景が展開された

その光景にメキシコのメディアが クレイジージュウドーティーチヤー!というような題で翌日の新聞に結構大きく掲載してしまった! すぐにそのニュースは日本にも伝わり新聞に載ったという

帰国してから色んな人に「大変な目にあったな!痛かったやろ?」 と聞かれた、私は「おん、めっちやくちや痛かったわ!頭おかしいわ」と言った・・・・本当は殴られてないのだが

 

メキシコ戦のあとチームの雰囲気は最低になりました、そして監督はなぜかいなくなってしまいました

そして私たちは最終の地ハワイに向かったのでした。

 

大丈夫です仕事もしています(^_-)-☆

 

 さて、前回は建国200年のアメリカにアメリカ人を倒す!と心に誓った小6の柔道少年が渡った話だった

 

 まず、行ったのはロサンゼルスだった試合の前にディズニーランドに行かされた・・・本場のディズニーランドだ・・・

 

 クッソ・・・なんじゃここは?・・・ばかやろう!! 

                  

                     楽しすぎるやろう~!!

 

ミッキーやドナルドや白雪姫がおるやないか~! 英語やで何言っとるか全然わからんけど歓迎してくれているやないか~

まさに夢の国や!乗り物も何乗ったかは覚えてないけど、岐阜の百貨店の屋上にあるやつとは全く別物で生まれて一番楽しかったわ~  幸せやったわ!最高やった!!

 

 それからユニバーサルスタジオにも行ったわ、、これも素晴らしかった映画のシーンを体験するというコンセプト(USJは少し違うかな?) 十戒の海が割れるシーンとか・・・アメリカの映画の名シーンが再現されていたのだ

こっちにはディズニーランドにいないヤツ(ウッドペッカーとか)がお出迎えしてくれた! 楽しかったわ~

また行きたいな~

 

 しかし、楽しいのもつかの間ロス選抜の選手たちと試合が待っている、初戦なので緊張感が半端ない・・・しかし総監督はロスの街に映画を観にいったそうだ! 「ロッキー」を観たそうだ,最初のやつだ、感動したようだ・・・それは良い・・・・しかし変な影響は受けないでほしかった・・・

 

 試合当日の朝食の時だ「おい!みんな!昨日ロッキーは生卵をジョッキで飲んでいたぞ!!お前らも飲め!!勝つために飲め!」

 

めちゃくちゃだ・・・しかし時は昭和51年だ監督は戦争経験者で恐い!とても逆らえる感じではない・・・飲むしかない・・みんな飲んだ・・・私ものんだ・・・気持ち悪くなった・・

そんな状態で試合開始だ!相手もさすが選抜された選手で強い! 私も日本を背負って戦った!!死闘の末に勝利した

敵も味方も大喝采だった

 

が、その試合の直後に 吐いた・・・・畳の上で吐いた・・・気持ち悪かったから・・・・ゲボは卵のせいで黄色いゲボだった

みんな驚いた!!特にアメリカ人は驚いた、なにせ勝利の直後に口から黄色いゲボを吐く少年が現れたのだ

 

 悪魔だ!!黄色い悪魔!! イエロウデビル フロム ジャパン!!

 

思えば日本では空気投げを使う少年として恐れられ、アメリカでは勝利の後に黄色いゲボを吐くイエロウデビルと恐れられる・・

可哀そうな子供だ・・・・

 

 その事件のあと私は生卵を食べられなくなりました、一切無理です、卵かけご飯、すき焼きも無理です・・・・今でも無理です

 

 監督、アホか?と思います!!

 

では気分が悪くなったのでこのあたりで、また・・・仕事してます(^_-)-☆

 さて、柔道の話の続きです

 

 先日テレビで知ったのだが来年はアメリカ建国250年だそうだ、まったくおめでたい!コングラチュレーションだ!!

 

 ふと、思い出すと私は建国200年の年にアメリカに行った!そりゃぁもう大騒ぎで何処にいっても200年!200年!!で大騒ぎだった

 

 しかし50年前・・・・・なんという時間の経過・・・・・正に光陰矢の如しである

 

 50年前のアメリカに何をしに行ったのかというと柔道をしに行ったのだ、選抜されて遠征に行ったのだ6年生の時だ

全国から集まったイガグリ頭のゴツイ小学生たちと一緒にロサンゼルス(まだ大谷はいない)メキシコ、ハワイとサーキットで試合をした。

 みんなはデズニーランドとかユニバーサルスタジオとか(子供だからしゃあない)を楽しみにしていたのだが・・・私は違った

当時はベトナム戦争の報道の影響でアメリカの戦地での行為とか『アメリカ許しまじ!』と梶原一騎先生の「花も嵐も」というマンガから得た薄っぺらい知識で!正義の鉄槌をくらわしてやる!!と心に決めていたのだ(それにしても梶原先生に影響されている)

 

 そのような勘違いの旅に出た11歳の私・・・・(アカン仕事に行かなアカン続きはまた)仕事(^_-)-☆

 子供の頃、「柔道一直線」というドラマがやっていた

近藤正臣が罰当たりにもピアノを足で弾き桜木健一の度肝を抜く有名なシーンで知られるスポ根ものだ、主人公が確か「地獄車」とかいう技を開発したり、鉄下駄でうさぎ跳び(今なら絶対に許されないトレーニングだ)したり、さすが梶原先生というべきドラマだった

 

                     私は憧れてしまっ

 

 父親にお願いして柔道場に入れてもらった、その名も「岐阜道場」当時は柔道は人気競技で沢山の生徒がいた、私は確か小学3年生だったかな、入門してみてすぐに『ああ、柔道一直線とは違う・・・あれはテレビの中だけのものだ』と気づいた、入りたての頃は投げられてばっかりで痛いし、練習も単調だし、全然面白くない・・・』ので父に「柔道やめたい」といったら「馬鹿やろう!それでも男か!!」と言われ暴力を振るわれた(まあ、そいういう時代かな)

やむ終えず続けた、せめて投げられるのではなく投げる側になりたい(痛いのは嫌なので)と思い稽古していたら強くなってしまった、それもすごく強くなってしまったのだ

 

 どれぐらい強いかというと5年生の1月に昇級試験で2級(2級から茶帯になる)になった、多分これは全国でも最も早い茶帯取得だと思う、ほとんど負けることはなく勝ち続けた・・・・私は天狗になった、慢心の塊で謙虚さの欠片もないヤツになっていた

 後年、柔道の先生が柔道の 心・技・体を語る時に良く私を引用したそうだ「強ければ良い訳ではない」という意味で

また随分後に大人になってからも「あんただけは許せんかった、けど強いで何も言えなかった」とか実の弟にも今、61歳になった今でも柔道時代の文句をいわれる有様だ

まあ、そんな風なので試合でも相手が嫌がった、「あの子(私)とはやりたくない!」といって泣く子もいた、審判の先生も試合開始の前に「めちゃくちゃしたらあかんぞ、やさしく投げたれ」と言う始末だった

 

私がいかに強かったか?を上手く伝えるエピソードがある

 

6年生のある試合での出来事だ、相手は私と対峙しても少しもひるむことなく闘志にあふれた眼差しで私を見据えていた、「コイツは只者ではない!何か秘策を持っているな?」私の野獣の感はすぐにそれを見抜いた!

審判の「始め!」という言葉とともに試合が始まるのだが「始めの」号令の後に驚愕のシーンが眼前で展開された!!

61年の人生でも最大の驚き!!

 なんと相手の少年は

               バック転をした!

 

 そして着地に失敗して負傷して泣きながら退場していった・・・・ 私はしばらく茫然とした・・・不戦勝ちになった

50年近く前の出来事だが、彼の名前もしらないが、今でも「バック転の後、成功したとしてどうするつもりやったの?」と聞きたい

・・・・しかし場内も驚きと一部の笑いにつつまれ異常な雰囲気となった、そしてこの試合を観ていた一部の人は

 

             「岐阜のアイツは掴まずに投げた!空気投げを使った!!」

      

という都市伝説を吹聴し益々私は恐れられるようになったとさ

 

しかし、私の柔道はそれでもその時あたりがピークでした、やはり心・技・体の心が欠けたヤツは本当の意味で強くなれない

驕ることなく慢心せず謙虚な気持ちで精進する人間こそが本当の意味で強くなれるのだろう・・今ならわかる

 

 さて、また続き「柔道編」を書きますね、今日も祭日ですが大丈夫です仕事してます(^_-)-☆

 

 

 やはり、少年時代の忘れられない思い出というものはあります。

 61歳のオヤジ忘備録という側面の当ブログで思い出してみたい。

 

 それは小学4年生の時のことでした、クラスメートのS君の家で何人かで遊んでいたのだ、自分の名誉のために言うのだが

 

              私はそれほど悪ガキではないが面白いことが大好きな子供だった

 

 s君の家でS君のお父さんが見ていたであろうエロ本を発見した!まあそんなにエグイ内容ではなかったのだが・・・

 私たちはそのエロ本の写真モデルさんの真似をし始めた、女豹のポーズとか色々なしぐさを真似て大いに楽しんだのだ

 そのバカ坊主たちにS君のお母さんが見かねて「ちょっとアンタらいい加減しやあ!」と注意したのだが、私たちはやめない

楽しさの真っ盛りだった・・・するとS君のお母さんが明らかにイライラしはじめた・・・にもかかわらずやめない私たち(いや主にわたし)にS君のお母さんは ついにキレた!そして

 

          「やめろって言っとるやろう!お茶ぶっかけたろか~」と叫ぶやいなや湯呑のお茶を私にぶっかけたのだ!

 

 熱いお茶をしたたかにぶっかけられた私は「アツイ アツイ なにするんや くそばばぁ(すみません)」と言いながらS君の家を飛び出したのでした(いや実際に私が悪いのですが・・)

 

 その帰り道に仲間と語ったのだ

私:  「なあ、お茶ぶっかけたろか!で同時にぶっかけるのはおかしくないか?」

友だち:「うん、なんで?」

私  :「だって、ぶっかけたろか?って警告して、それでもやめんかったらかけてもいいけどさあ、同時やったやん?」

友だち:「そうや!そうや!おかしいわ!!」

 

という話のあと、なぜか「お茶ぶっかけたろか!」が流行語になってしまった

 

次の日の給食の時、当時は給食には(今でもかな?)お茶が出ていた・・・・アカン止められん

私は湯呑のお茶を見つめ昨日のS君のお母さんを思い出し、昨日一緒だったO君に向かって

「お茶ぶっかけたろか~!」の一声とともに、ぶっかけたのだ! そうしたらO君も「お茶ぶっかけたろか~!」と叫び私にぶっかけてきたのだ、連鎖反応が拡大し経緯を知らないヤツまで「お茶ぶっかけたろか!」と叫びながら・・・優勝チームのシャンパンファイトのように盛り上がってしまった

 

めちゃクチャ楽しかった、苦しくなるほど笑った!

 

しかし大抵の生徒には迷惑でしかなかったようで、先生に言いつけられて廊下に立たされた、何人かで立たされていても

誰かが「お茶・・・」というたびにみんなが一斉に吹き出した

 

ああ、楽しかったなぁ 「お茶ぶっかけたろか」事件の話でした、迷惑かけた皆さんすみませんでした、反省しております。

 

さて、今日も仕事しています(^_-)-☆

 今週は遺品整理の仕事をいただいて私も作業させていただきました。

 

とある青年団体で一緒だった後輩が手伝いにきてくれ作業の休憩中での会話の内容なのだが

 

後輩:「先輩 将来どんな人間になりたいっすか?」

私 :「おっ?俺は61歳だがまだどんな人間にもなれていないってことか?」

後輩:「いや、そういう訳ではないんですが・・・すみません・・・と」

私 :「まあいい、そうやなぁ まず食べ放題の店で適度に好きなものを選択して食べる人間になりたいな」

後輩:「ん?と言いますと?」

私 :「うん、ほら食べ放やと勝負にでるやろ?元とらなアカンみたいな食い方してまうやろ?結果、気持ち悪くなったり具合悪くなったりして・・・そうじゃなく品良く節度もって適度に食べ放に臨める男になりたいな、わかる?」

後輩:「めっちやわかります!俺も滋賀県の信楽「暴れ食い」という近江牛、松茸食べ放題の店でメッチヤ食いました、ワインも5本飲んで、近江牛も松茸も自分の限界を超えて食いまくった結果、店のオバちゃんに「もうやめてぇ」と懇願されました、それですね先輩」

私 :「・・・・それは食いテロやん?・・・まあそんな感じかな」

私 :「あと、これは俺の先輩とのエピソードだが、あるとき先輩とメキシコ料理屋にいった時だが、ブリトーだかタコスだったか具材を選ぶ場面があったのだ ビーフ、チキン、ビーンズの三種類で値段は同じだ、お前なら何を選ぶ?」

後輩:「そんなんビーフに決まっとるやないすか!具材の値段が違い過ぎるやないっすか!?ビーフ以外ないっす!」

私 :「やろ?俺もまったく同じ考えなんや、けどその先輩はメキシコ料理の店員に「んじゃ、俺はビーンズでお願いします」 って言ったんやて!カッコよいやろ! 俺はそういう人間になりたいと思っているのだよ、君ぃ」

後輩:「はい、わかる気がします」

 

なかなか目指す人間性への道のりは遠そうですね・・・・今日も仕事しています(^_-)-☆