子供の頃、「柔道一直線」というドラマがやっていた
近藤正臣が罰当たりにもピアノを足で弾き桜木健一の度肝を抜く有名なシーンで知られるスポ根ものだ、主人公が確か「地獄車」とかいう技を開発したり、鉄下駄でうさぎ跳び(今なら絶対に許されないトレーニングだ)したり、さすが梶原先生というべきドラマだった
私は憧れてしまった
父親にお願いして柔道場に入れてもらった、その名も「岐阜道場」当時は柔道は人気競技で沢山の生徒がいた、私は確か小学3年生だったかな、入門してみてすぐに『ああ、柔道一直線とは違う・・・あれはテレビの中だけのものだ』と気づいた、入りたての頃は投げられてばっかりで痛いし、練習も単調だし、全然面白くない・・・』ので父に「柔道やめたい」といったら「馬鹿やろう!それでも男か!!」と言われ暴力を振るわれた(まあ、そいういう時代かな)
やむ終えず続けた、せめて投げられるのではなく投げる側になりたい(痛いのは嫌なので)と思い稽古していたら強くなってしまった、それもすごく強くなってしまったのだ
どれぐらい強いかというと5年生の1月に昇級試験で2級(2級から茶帯になる)になった、多分これは全国でも最も早い茶帯取得だと思う、ほとんど負けることはなく勝ち続けた・・・・私は天狗になった、慢心の塊で謙虚さの欠片もないヤツになっていた
後年、柔道の先生が柔道の 心・技・体を語る時に良く私を引用したそうだ「強ければ良い訳ではない」という意味で
また随分後に大人になってからも「あんただけは許せんかった、けど強いで何も言えなかった」とか実の弟にも今、61歳になった今でも柔道時代の文句をいわれる有様だ
まあ、そんな風なので試合でも相手が嫌がった、「あの子(私)とはやりたくない!」といって泣く子もいた、審判の先生も試合開始の前に「めちゃくちゃしたらあかんぞ、やさしく投げたれ」と言う始末だった
私がいかに強かったか?を上手く伝えるエピソードがある
6年生のある試合での出来事だ、相手は私と対峙しても少しもひるむことなく闘志にあふれた眼差しで私を見据えていた、「コイツは只者ではない!何か秘策を持っているな?」私の野獣の感はすぐにそれを見抜いた!
審判の「始め!」という言葉とともに試合が始まるのだが「始めの」号令の後に驚愕のシーンが眼前で展開された!!
61年の人生でも最大の驚き!!
なんと相手の少年は
バック転をした!
そして着地に失敗して負傷して泣きながら退場していった・・・・ 私はしばらく茫然とした・・・不戦勝ちになった
50年近く前の出来事だが、彼の名前もしらないが、今でも「バック転の後、成功したとしてどうするつもりやったの?」と聞きたい
・・・・しかし場内も驚きと一部の笑いにつつまれ異常な雰囲気となった、そしてこの試合を観ていた一部の人は
「岐阜のアイツは掴まずに投げた!空気投げを使った!!」
という都市伝説を吹聴し益々私は恐れられるようになったとさ
しかし、私の柔道はそれでもその時あたりがピークでした、やはり心・技・体の心が欠けたヤツは本当の意味で強くなれない
驕ることなく慢心せず謙虚な気持ちで精進する人間こそが本当の意味で強くなれるのだろう・・今ならわかる
さて、また続き「柔道編」を書きますね、今日も祭日ですが大丈夫です仕事してます(^_-)-☆