今朝、現場の打ち合わせを済ませてバイク(最近はガソリン代が高騰して経費節減のために小型のスクーターで移動している)

で事務所に戻る途中に私に向かって手お振る小さい子ども二人がいた『どうしたんや?』とバイクを下りて聞くと

「ママが ママがいなくなっちゃったの( ;∀;)」と泣きながら言った・・・・『ふむ、これはどういうことか?』と聞き進めると

どうも迷子になったようだ、保育園に通う幼い兄弟だった、お兄ちゃんは弟の手をしっかり繋いだまま泣きながら私に言った

私はこういうのに弱い・・・『よーしおじちゃんが助けたる心配するな!』

 

 まず、「ママの携帯わかる?」と聞いたが、「わからない」と

 

 じゃあ「家は?」と聞くと「あっちの方」と言った、ので、あっちの方へ一緒に歩くことにした

 

彼らは「ママに会いたい( ;∀;)」と泣きながら歩いた、私が泣かせている様にも見えるシチュエーションだったので事情を話して近隣のおばあちゃんに一緒に歩いてもらった

 

 彼らは「10時のおやつの時間に間に合わない( ;∀;)」どうも保育園のおやつの時間が気になってもいるようだ

 

 随分歩いた『こんな遠くまで二人で来てしまったのだな』と思った・・・が、彼らのお家に着いた

ママが待っていた!” 兄弟はママに突撃して3人は道路で倒れこんで再会を喜んだ!ママも泣いていた・・・感動のシーンだ

 

 話を聞くと兄弟は通常はママが保育園に車で送るのだが二人で歩いて行ってしまったようだ、『おお、君らもアドベンチャーやな』でも良かった

 

ママはしきりに感謝の言葉を言ってくれて「お名前をお聞かせいただけませんか?」と言ってくれたが、すっかり自分に酔ってしまった私は「いや名乗るほどのものじゃありませんよ、良かったですね(^_-)-☆」と訳のわからないことを言って立ち去った・・・

 

 なんか心が温かくなったな☺

 

さーて仕事仕事、激しく仕事(^_-)-☆

 伊勢の整体の先生によって自分の本質(冒険者)に気づいたのは55歳の歳だった訳だが振り返れば若い頃からその兆しがあったことに気づくのだ

 

 私はブルーススプリングスティーンという歌手が好きなのだが彼の♪涙のサンダーロードという曲の一節に

 

So you`re  scared  and  you`re  thinking  That  maybe  we  ain`t  that  young  anymore. 

 

というフレーズがある下手な訳だが「君は僕たちは もうそんなに若くないと怖がっている」そんな感じか?

ブルーススプリングスティーンがこの曲を書いたのが24歳だという・・・私も24歳だった・・・共感した!10台とか20台前半なら自分を若いと信じることが出来たのだが20台中盤になると『俺はもうそんなに若くないなぁ・・・』と思い始めるころだ

今、61歳のオヤジである現時点からすると罰当たりな話だが当時24歳だった私はこのフレーズに激しく共感したのだ!

 

 若さを確認するために渡すが選択したアドベンチャーはなんと

 

 岐阜の家から京都駅まで走る

 

 という選択だった・・・もちろん車やバイクや自転車でもなく自分の足でだ・・・八月初旬の暑い日に125km(フルマラソン3回分)を2日で走ることにした

 

 朝の5時に日の出と共に、家には「俺は西にむかった」と書置きを残し走り始めた!完全にイカレタ人間である( ;∀;)

 

 さて、今日はこの辺で次回に続く!

 

 仕事してます!仕事依頼してください!

 今日は3月15日(日曜日)外は良い天気だ

 

 唐突だが最近、私は『人生とは冒険』そして自分はアドベンチャーなのだと思うようになった、先日も岐阜から鹿児島まで遺品整理の仕事に出かけたのだ、もちろん不慣れな土地でトラブルも起きるし上手くいかないことも多かったのだが、なぜか私の心はトキメクのだ異文化との出会いや人との出会いに心が躍るのだ・・・・・

 

こんな出来事があった

 

 さかのぼると2019年の春に上手くいかない会社の運営にどん詰まりの日々を過ごし明らかに心を病んでいる私をみかねてか友人が「今、伊勢から整体師さんが名古屋にきていてその人に心と体を治して貰ったらよい」と言われた・・・私はスピリチャルなものに興味が無いのだが『まあ、肩こっとるし腰も痛いので行ってみるかな』ぐらいの気持ちで行くことにした

 期間借りりしている喫茶店に置かれたベッドに横たわると施術が始まった

身体を押したり揉んだりしてくれるのだが先生は「あ~あ~」とか「ふんふん」とか言いながら施術をしていた・・・『なんやろう?』と疑問に思ったが45分ぐらいで施術は終わった、その後カウンセリングというか問答が行われた

 

 先生は「あなた今の仕事を始めて何年ですか?」と

 私は 「そんですね30年ぐらいです親の会社を継いで7年です」

 先生は「自分に向いてない仕事(おいおい勝手にきめつけんな( ;∀;)でもそうだなぁ)釈迦だって苦行を6年ですよ・・・・辛かったですね」

 更に先生は「あなたは人のタイプで冒険者なんですや未知の出会いや発見に心躍らすアドベンチャーです、それなのに・・・・苦しかったですね」

 そして先生は「もうすぐ嫌でも苦行は終了します(この夏に会社は倒産した)そしたら本当の自分の生き方ができます、大丈夫です!」といって背中を念を入れるように押した

 その瞬間にとめどなく涙が溢れた・・・・しばらく止まらなかった

 

 それから夏まで本当に大変でその出来事も忘れがちになった、先生の名前も忘れてしまった・・・・でも今になってその時の出来事をありがたく想い返すのです

 

 「お釈迦様でも6年の苦行をあなたは30年務めたのです、もう充分ですもう本当の自分の生き方を始めて下さいね」と言ってくれた

 

 内なる自分に気づくことのきっかけになった体験でした

 

61歳になっても落ち着きのない人間ですがこれからも未知のものに心をときめかす冒険者でいたいと思います。

 

 日曜日で良い天気なのに事務所で仕事しています(^_-)-☆

 資格試験の話も5話になった

 

 今回は1級建築施工管理技士の話だ、この資格は国家資格である、この試験も1次と2次に分かれていて1次(学科)2次(論述+学科)という形式で1次通過者に2次試験の受験資格があり中々である、しかし幸いにも図面が無い幸いである。

 

 随分前に1次試験は合格したことがあるのだが2次試験の日に仕事のクレームが入ってしまい試験に行けなかった苦い経験がある

翌年も2次試験を受験することは出来るのだが、なんか嫌になって受けにいかなかった( ;∀;)アホである、今思えばもったいないことをした

 

 令和3年に一次試験を受けた、当時はサラリーマンだったので勉強する時間はあった結構勉強して試験に臨んだ、時はコロナの真っ盛りで広い受験会場でセーフティーディスタンスを確保した受験だったことを印象的に記憶している

 

 出来た!確かに手応えあった! しかし負け癖のついてしまっている私は不安だった・・・1次は初夏(確か6月)で2次は10月にある、1次の合格発表は8月だったので合格発表を待たずに見切り発車で2次の勉強を始めた・・・・そして

 

1次合格

 

やれやれ、やれやれだぜ俺 😥 それからはエンジン全開で勉強した! そして試験!!

大丈夫だ!しかし2次試験に弱い私・・・不安だが順調に回答出来た!・・・・が不安だ・・・発表までドキドキドキドキ・・・

そして令和4年の1月末、合格発表・・・・

 

                            合格した!
 
 ついに1級建築施工管理技士だ!おまけに交付者は今をときめく中道連合の斎藤鉄夫さんだ(当時、国土交通大臣だった)
 
 この資格は大きかった、建設業を開業することが出来た8Born㈱は一般建設業の認可を受けることが出来た!
鉄夫さんありがとう!!
 
 結局、この年はインテリアコーディネーターと1級建築施工管理技士のダブル合格という結果を得ることが出来た!ついでに遺品整理士の資格も取ることが出来た!うれしい年だったな(^_-)-☆
 
 そして8Born㈱をこの年に開業することが出来た!還暦前のロートルだが一生懸命にチャレンジして良かったと思ってます。
 
 そして還暦となった私ですが今は宅建の勉強をしています良い結果を報告出来ると良いなぁ(^_-)-☆
 
 今日も激しく地域と人の為に働いています(^_-)-☆

 

 2019年インテリアコーディネーター2次試験

 

不合格

 

 ドラマのようにはいきません、1級建築士の時のような激しい落胆はなかったものの『くっ、またか( ;∀;)』と感じました

でもこの年末に受けた福祉住環境コーディネーターの試験には合格し軽く一矢報いた感じだが・・・・

 

 まあ、インテリアコーディネーターは一次に受かれば二次は3年間受験できるので2020年に受けることにした!

不退転の思いで挑んだ2020年インテリアコーディネーター2次試験( `ー´)ノ思わぬ罠が待っていた・・・・

「キッチンにペニシュランキッチンを設置せよ」・・・・ペニシュラン?な、なんだ?ペニシュラン???その意味を知らない私

ここでつまずいてアイランドキッチンを書き入れた・・・後で知るのだがペニシュランとは半島のことで半分が壁に接している形状のキッチンのことだった・・・・ここで大幅に時間を費やし時間が無くなってしまった(不覚( ;∀;))

 

あとはお決まりのバタバタ状態でパースの着色を色鉛筆で行うのだが時間が無い焦燥感からなんというのか・・・・ゴッホの絵みたいに・・・・油絵のようなコテコテな感じになってしまった( ;∀;)色鉛筆でサラッと均等な感じで彩色するべきなのに・・・・

例題に色鉛筆で芯が折れんばかりに着色せよ!とあれば良いのだが・・・・そんな訳はなく・・・・きったない図面になってしまった( ;∀;)

1.ペニシュラン

2.ゴッホ風

上記の重大なミス・・・受かろうはずがなく

 

不合格

 

もう嫌になってしまった・・・・それでも受験資格がまだ残っているので2021年も惰性で受験した

しかしここで奇跡か!?前2年の失敗が経験として生きていたのか?何故か順調に書き進む!進む!奇跡の快進撃!

論文も良く、計画も間違いない、着色もゴッホにならずサラッとキレイに仕上がる!家具図も良くかけた(^_-)-☆時間も間に合い

『ヤッタ!ヤッタ!!」と満足に浸っていて試験官の「まもなく時間終了です」のアナウンス 私は一応図面を見直す、見直す、み な お す・・・・『げっ!家具図断面図を書き忘れとる( `ー´)ノ』未記入の図面があれば一発不合格だ!あ~あ~

間もなく試験終了だ! 『えーい ままよ!」と定規もあてずにフリーハンドで適当に家具断面図を書く!さらに寸法を書く、そして殴り書きで(家具断面図)と書く・・・2分ぐらいだ、おおよそ完成図とはいえない・・・時間終了!

 

 あ~あ、またやっちまった( ;∀;) また来年か・・・途中までうまくいっただけに悔やまれた、が止む終えない自分のミスだ

私は不合格を確信し合格発表すら見なかった・・・・合格発表から1週間も経過した頃『一応確認するか?」と機構のホームページを確認すると・・・・

 

合格!

 

なんと、、、合格!奇跡が起きた!! まあ殴り書きの家具断面図だったが他の出来が良かったので補ったのだろう

学んだ、諦めてはいけない 最後まであきらめてはいけない!!

 

 さて、まだ資格試験の話をもう少し書きますね(^_-)-☆

 

 今週は鹿児島で遺品整理の仕事をしてきました鹿児島はよかとこでした

 

仕事は今週も激しくしています(^_-)-☆

 

 きつい話だが2019年のお盆過ぎに私は会社倒産により失業してしまった・・・・

お客様や協力業者さんや社員さん関係者に多大な迷惑をかけてしまった・・・・いまでも自責の気持ちは激しく忘れられない思いがある、本当に申し訳ない・・・・しかし一文無しになった訳で家も車も無くしてしまった・・・

 

 働かなくてはいけない!しかし就職をもとめても資格が無いので良い給料をいただける仕事が見つからない(こんなことになるなら何か資格をとっておけば良かったと後悔しても後の祭りだ)この時点で私は55歳のただの失業者でしかない・・・

 

 また、倒産と個人破産の処理などから働くこともできない・・・出来事の直後は精神も深く病んでいて何も出来ない状況だった

ヤケになって酒でも飲もうかとおもったが、そんなことしたらきっとダメになってしまうと思った

 

 少なくとも家族を食わさなければいけない!私は資格試験の勉強をもう一度始めようと思った・・・・

しかし8月末の時点では主だった資格試験(建築士、建築施工管理技士、宅建士)などは申し込みが終わってしまっている・・・

何か無いか?と調べているとインテリアコーディネーターという資格の締め切りが8月末だった、しかし試験は10月だ( ;∀;)一カ月で間に合うか?という疑問があったがこの時期は勉強に没頭することで自分の精神を保つ・・・やるしかない!と決意し9月から猛勉強を始めた

 

 インテリアコーディネーターという資格は1次(学科)2次(製図+論文)と2部構成になっていて1次試験に合格した者が2次試験に進めるという形式だ、特徴としては1次試験が難しく確か23%程度の合格率だった、これは内装や家具など室内装飾をコーディネートするまあ設計的なアドバイザーという感じの資格だ

 

 試験になった!愛知県の私立大学での試験だった多岐にわたる出題が特徴で難しかった・・・時間いっぱいかかったが何とか最後まで回答することができた

 

 なんと合格できた!一次試験突破した

 

 負け癖がついてしまっていた私はとてもうれしかった!それも1カ月の勉強期間で合格できた!うれしかったし自分を少し見直すことが出来た

 

 しかし2次試験が12月に待っている、それに合格しなければ資格取得にはならないのだ・・・・

 

 二次試験の勉強を始めたのだが普通の製図に加えてパースとかアイソメ図とかを書かなければいけない・・・

 

 時間が無い!間に合うか?俺

 

 では続きは次回に

 

 ああ、土曜日なのに仕事している・・・さらに来週は鹿児島で遺品整理の仕事で出張だ・・・疲れてます。

  度重なる資格試験の失敗は28歳の私を35歳にしてしまった・・・一次試験(学科)も落ちるならまだ諦めもつくのだが・・・

実際に何回かの2次試験は良いとこまでいっていたという実感もあったのだが

 

 さすがに打ちのめされた、親や家族に申し訳ないし社員たちにも面目ないと恥じた私・・・あまりの不甲斐なさにその年の年末は深く落ち込んだ

 

 そんな姿を見かねて尊敬する義理の父が私を訪ねてきてくれた、今でもその情景は記憶している、彼は優しい微笑で私に話しかけた「テルちゃん、君は気づいてないかもしれないな・・・資格試験は残念だったねぇ、でも君は人を引き付ける普通の人には無い魅力のある人なんだよ、だから人に関わる仕事にシフトしたらどう?きっと成功するから」と言ってくれた

ありがたかった・・・・

 

 つまりは営業だ!それから営業に力を注いだ、今に繋がっている色んなお客様に合うことができた、仕事のきっかけをつくり交渉して仕事をまとめる、これを楽しいと思えたし達成感を生きがいとして感じることができた!

 

 挫折・・・心の傷のおかげで人の心が少しは理解できるようになったと思う、そして資格修得にはいたらなかったが勉強した分の知識は身についた!建築の営業の知識になった!つまり無駄ではなかったと信じている

 

 35歳の時に資格チャレンジは止めてしまった訳だが、その後20年経過してまた勉強を始めた・・・会社の倒産により失業してしまった・・・建築の仕事しかしたことのない私『ああ、あの時一級建築士とれてたら・・・』無資格の私には良い仕事に就くことが困難だという現実に向き合うことになった

 

 では次回!第二期資格試験チャレンジ編に続く

 

 さて、日曜だけどダラダラ仕事しています(^_-)-☆

 

 

 2月18日(水)昨夜は久しぶりにラジオ(ギフチャン)に呼んでもらって会社のことや仕事のことを話させていただきました

さらに拙い素人の自作曲を歌わせていただきありがたくも楽しい時間になりました、また応援していただいた皆様に心から感謝であります(^^♪

 

 さて、今回は私の資格試験の思い出を書かせていただこうと思っております。

 

 建築屋の息子に生まれた私は学校を卒業して準大手ゼネコンで働かせていただき5年務めて親の会社に入った、親は一級建築士

だったので私も一級建築士になろうと思い(動機付けが軽い( ;∀;)受験することにした、この資格は1次試験(学科)と2次試験(製図)であり1次試験をクリアしないと2次試験に進めず2次試験まで合格しないと取得できない仕組みになっている

確か私が28歳の時に初受験で1次試験に不合格だった、これは勉強しなくては合格できるものでは無いと知り次の年は真剣に勉強したら1次試験に合格できた アホな私は『1次が受かれば2時は余裕だ』と勘違いしていたら2次試験に落ちた・・・この資格は当時1回学科に受かれば次の年に2次試験を受けることが出来たので次の年に製図試験を受けた、題は神戸淡路の震災の後だったので震災対応の施設の設計の問題だった、ヤマが当たった!5時間半の制限時間で書き終えた、しかし不合格だった・・・・落ち込んだ

 

 しかし諦めの悪い私は次の年に再び1次試験から受験し1次試験をクリアした、この年は100点満点中85点という高得点で学科に通り2次試験に進んだ、さすがのアホな私ももう舐めてはいない!来る日も来る日も製図を書きまくり万全の準備で挑んだ!一緒に勉強した仲間たちも沢山出来て「みんなで合格しよう!」と励ましあった!本当に張り詰めた空気の中の試験だった、試験中に隣の席の仲間が製図台に伏せて泣き始めた・・・試験中だが私は心配になり「どうしたんや?」と聞いた、彼は「計画がまとまらない・・ダメです・・・1年間努力してきたのに・・・」と泣いていた・・・私は「ばかやろう!あきらめるな!!顔を上げろとにかく書け!!」と励ました、彼は書き始めた、とにかく完成させなければ合格はしないから、後日、彼は無事合格した!よかった(^^♪

「テルさんのおかげです」とお礼をいってくれた。

 

 とにかく異常な緊張状態の試験なのだ、私も書き上げた!帰り道の車の中で仲間が放心状態で虚ろに「ああ、子どもの時は良かったなぁ 砂遊び楽しかったなぁ・・・お山つくって穴ほって水流して・・・」と訳のわからないつぶやきを言っていいた『こいつ・・・壊れたな( ;∀;)』と思った、彼も合格した

 

 年末に合格発表がある、クリスマスの日だった、当時はインターネットがまだ普及していない時代だったので発表の日に県庁に合否を確認しに行った、県庁の職員の人が「これが今年の一級建築士の合格者名簿です」と言って閲覧させてくれた

私の名前は・・・・・むっ?無い・・・・そんなはずは・・・・無い・・・・間違いでは?私はずっと私の名前をさがし続けた

他県に紛れ込んでいるのでは?と思いズット探し続けた・・・やはり無い・・・一時間も名簿を見続けた、たかだか30か40人の合格者しかいないのだ・・・見かねた職員の方が「残念やったな、また来年がんばれ」と言ってくれて出ていくことになった

恥ずかしい話が腰が抜けた・・・とめどなく涙がでた

 

 この年は日本サッカーがフランスワールドカップの予選を戦っていた年だったカザフスタンからメンバーを外されカズが帰国させられた事と比べて、一緒に勉強した仲間たちが「カズとテルさんとどっちが悲しいかな?」と語ったそうだ・・・・

 

 また次の年も1次試験をクリアし2次試験を受けたけど不合格だった・・・次の年もダメだった

 

 こうして私の一級建築士の受験は合格を得ることなく終わってしまったのでした

 

さて、仕事仕事(^_-)-☆

 サブ4に挑んだ神戸マラソンが終わり、それからも2回ぐらいフルマラソンを走ったが4時間の壁は厚かった・・・・

 

 それからもハーフマラソンは走っているのだが悲しいことにタイムは年々遅くなっていく・・・

やむ終えない・・・・61歳だ、もうサブ4は無理だな

それよりあと何年走れるだろうか?

死ぬまで走っていたいのだが

 

マラソンは自分との会話のように思う、心肺や脚部や頭の中と会話しながら走るのは楽しい(^_-)-☆『おい!?どうした今日は少し疲れ気味だな!」とか「今日は絶好調やないか?」とかね(^_-)-☆

 

 今まで色んな所を楽しく(時に苦しく)走った思い出が沢山できたたし、これからも走っていきたいと思う

 

 Born to  Run!だからね( `ー´)ノ

 

 では、今日も祭日にも関わらず仕事しています(^_-)-☆

 

 今日は日曜日、雪が降っている、そして選挙だ投票にいこう

 

 さてサブ4チャレンジ!神戸マラソンの巻だ!新幹線に乗って いざ神戸!!頭の中ではクールファイブの♪こ~べ~泣いてどうなるのかぁ~捨てられたわが身がぁ~♪が鳴り続けていた・・・

 

サブ4に執念を燃やした2011.年 月間200キロのトレーニングをかさね臨んだ私だった

 

まず、コースが素晴らしかった!街並みは美しくまた関西ならではの元気で温かい声援がうれしかった(^_-)-☆街中を走るコースがメインだったので途切れることの無い応援がわたしのみならずランナーをはげましてくれた!(ありがとう神戸)好調にラップを刻みハーフのタイムは確か1時間50分だった!倍にして3時間30分か、まあ終盤のペースダウンはあるにしてもサブ4はイケル!!と感じた(^_-)-☆実際にこの日は調子が良く30キロ地点でも4時間をクリアするペースを保っていた!!トイレに行くのも我慢して走り続けた私、しかし終盤に罠が待っていた・・・・・

 

 マラソンは30キロを超えたぐらいに『おい!子泣きジジイが乗ったのか?』と感じる程の重さを背負う・・・・さらにこの年の神戸マラソンはゴール前の10キロがほぼ上り坂であったのだ・・・ラップ5分30秒を保っていたペースが子泣きジジいとダラダラとした上り坂のせいでドンドンとペースダウンだ( ;∀;)痛さと苦しさで泣きそうになった・・・・でも死力を振り絞り頑張る私・・・

しまいには沿道の「がんばれ!頑張りなはれ!!」という声援にも「がんばっとるやろう!”」と言い返すほどに精神も荒廃してしまった(沿道のみなさんすみません( ;∀;))

 

 最後のポートアイランドのゴール手前ではほぼ歩くスピードまでペースダウンしてゴールした・・・・・

 

 結果、4時間19分とサブ4ならずに終わった・・・・残念・・・・

 

 これが今までで一番サブ4に近づいたマラソンだった

 

 とてつもない疲労感が残り帰りの新幹線で駅弁を2.5個やけ食いした、、悔しかったなぁ

 

でも神戸の街並みや美しいシーサイドを楽しめた本当に良いマラソンだった、最近は最後の上り坂が不評でフラットなコースに変更されたそうだ、また走ってみようかなぁ(^_-)-☆

 

 では、日曜日なのに事務所で仕事しています(^_-)-☆