2006年の初フルマラソンの灼熱の地球に生まれて良かった!ホノルルマラソンを終えて(まあどうあれ完走した)

私は次の目標をフルマラソンサブ4に定めた!サブ4とはフルマラソンを4時間以内で走る事を言う、私は確か2009年の揖斐川マラソンに出場したフルマラソンだ、『よーし4時間切ったるわーい!』と意気揚々と走り出したのだがアップダウンの激しい山岳コースの消耗は予想を超えて厳しく確か4時間40分ぐらいかかってしまった、しかし揖斐川マラソンもとても温かい良い大会で満足感は素晴らしかった、翌2010年も出場したが同程度のタイムだった(残念( ;∀;))やはりマラソンをするには体重が重いのか?しかし食いたい盛りの40台後半で摂生は苦手だ・・・・

 

 そして2011年 サブ4チャレンジ第一回神戸マラソンに挑むことになった! なった!!

 

 さて、仕事が忙しいので本日はここまで(^_-)-☆

 さて、ホノルルマラソンについて書こう! 私の初フルマラソンだ、憧れのホノルル(^_-)-☆

 

 私は青年団体のマラソンクラブに所属しており毎月述べ200キロ走ることをノルマに練習を続けてきた!ホノルルを完走するために!

 当初はクラブで結構な人数で(5人ぐらいかな?)走る予定だったが直前になって次々に脱落していき会長と私の2人での出陣となってしまった・・・・しかし男が一度行くと決めた訳だから・・・・走る!(実際には会社とか家庭とか風当りが厳しかったな( ;∀;))

 

 それでも飛行機は飛び立ちホノルルに降り立った! やはりハワイは素敵だビーチやハーバーをジョギングするだけでウキウキした気持ちになる、プールでビールを飲むだけでもリゾート感スゴイ(^_-)-☆ 芸能人にも沢山出会った(間寛平師匠にも会って少し話した)自ずと気持ちは高まりいざ当日! 確か朝の5時頃のスタートだった、まだ暗い時だ号砲一発!!花火も上がるワイキキビーチを走り出す感激だしばらくはアップタウンを抜けダイヤモンドヘッドあたりで日の出を迎える!素晴らしいロケーション!!

テンションはパンパンだ、心から『よかったぁ地球に生まれてよかったぁ!!」と織田裕二の気持ちが理解できた!!

 

 しかし熱帯の太陽が昇り始めたころランニングコースはひたすらハイウェイだった・・・・灼熱のハイウェイ!!一本道が延々と続く・・・ハイウェイスターだ熱い!アツイ、朝早くスタートした理由はこれか!? 道は熱射病か?死屍累々の様相で倒れている

『あかん・・・俺もクラクラしてきた・・・やめたい!走るのやめたい!』そんな感じだった

騙されてはいけない、あのテレビに映る素敵なホノルルマラソンはスタート直後のせいぜい10キロ程度の距離だけだ!

 

 それでも私は走った、意識が薄れたので良く憶えていないが多分、歩いたと思う・・・それでもゴールにたどり着いたタイムは5時間を超えていたが正確なタイムは憶えていない・・・・灼熱の地獄は終わった・・・

 

 それでもホテルに帰って仮眠して夜のワイキキビーチに出ると完走を喜び称えあうランナーたちが溢れてお祭り騒ぎだ!私も大いにはしゃいだ!『こうなりゃどうにでもなれぇ』と飲みまくって騒いだ!楽しかった・・・さっきまでの後悔は消し飛び

 

       ホノルルマラソン最高!!~地球に生まれて良かったぁ~by織田裕二 と思った

 

 もう20年前の出来事だが本当に極彩色の色で彩られた素晴らしい思い出だ、人生は少し無理をした方が楽しいな(^_-)-☆

って思っている

 

 さて、マラソンネタをもう少し書こうかな(^_-)-☆

 

 ああ、今日も激しく仕事をしたなぁ~(^_-)-☆

 30歳を過ぎた頃から再び走るようになった私だ体重増加もありダイエットの意味でも必要だった

レースにも出るようになった、地元岐阜で開催されていた長良川マラソンで最初は10KMに出た(10キロでも凄く長く感じた)

そのうちにハーフマラソン21.1KMにも出たが準備不足もありタイムカットギリギリで走っていた(私の後ろの選手は「はい、タイムカットぉ!」と言われゼッケンをむしり取られていた)その後はハーフマラソンに毎年出場するようになった、ある年はレース中に転倒して足を骨折(ヒビ程度)した・・・・走行不可能と判断されて救護車に乗せられた、それは通称「負け犬バス」と呼ばれている、まあそのうちフルに出たい!と思い始めてフルマラソンに舵を切った私・・・・確か2006年・・・・・

 

                  ホノルルマラソンに出場だ!

 

 次回、激闘ホノルルマラソンの巻 です!

 

 今日も仕事しています(^_-)-☆

 最近は寒い・・・でも朝ランニングしたりしている、冷たい空気の中で走っていると体の内から熱が湧いてくるのが気持ちよいのだ!

 さて、今回のテーマはマラソンについてだ、なぜか私はマラソンが好きだ!子どものころからだ、友だちは「気が知れん」とかいうが好きなものは好きなのだ、中学校の頃からマラソン大会などあると俄然燃えてくる!大会の1か月ぐらい前から走ったりトレーニングするのだ、一番古い記憶では中一のマラソン大会では学年で11位になった(まだ少子化などと言われる前で1学年13クラスあったのでなかなか良い成績( `ー´)ノ)

 

 それから高校でもマラソン大会では頑張った!1年の時は学年で8位か9位になって全校朝礼で表彰されたか?少し曖昧な記憶だ

これも、陸上部や野球部、サッカー部など走る系のメンバーに混じって、私のような柔道部崩れが走った成果としては中々だと思う

 

 その大会でのエピソードなのだが、堤防をメインとしたコースを走るのだが、、、常々『なんかキザやつ』と感じていたI 君という子がいてI君が私を追い抜き際に「テルっお先ぃ(^_-)-☆」と嫌な感じで私を追い抜こうとした、その時、私は『イラッ』と感じて

I君のほうによろけてしまい接触してしまったのだ、するとI君は堤防を転げ落ちてしまった、その様は映画、楢山ぶしこうの母親が山から転げ落ちる様に似ていた(わからんかなぁ)

 私は『しまった!」と堤防下に救助に向かったのだ、I君を無事救助した、彼は無傷だった・・・しかし意気消沈してしまい・・・

先ほどの憎々しいまでの気迫は全く消え失せてしまった・・・彼には悪いことをした

 

 高校を出てからは走らなくなった・・・また走りだしたのは30歳を過ぎた頃からだった

 

 では次回に続きます

 

 最近は何件か遺品整理の案件が入ってきてありがたい

そして仕事はしっかりしています(^_-)-☆

 今日は日曜日、行くとこのない私は今日も事務所にいる・・・最近は遺品整理の仕事がひと段落して暇である、、、

まあ、良い真面目に一生懸命に毎日生きていれば仕事もくるさ!(よろしくお願いいたします(^^♪)

 

 さて、若くして糖尿病で入院してしまった私だが一番の悩みは入院先の隣にある焼肉店だ、この店は私の子どもの頃からある店なのだが、昔は庶民的な店だったのだがそのころにリニューアルして雰囲気が良くなりメニューも一新され少し高級感のある良い店になっていた・・・入院前に行ったのだが・・・・残念ながら・・・・美味しかった・・・・ハッキリと素晴らしかった・・・・

 

 そんな店が隣にあって夜な夜な焼肉の香りを私に向かって放ってくるのだ・・・・なんという苦行・・・・本当にパジャマのまま飛び込んでビールとタラフク焼肉を食ってやろうか!?と毎晩思ったものだ(もちろん我慢したのです)

 

 入院は2週間ぐらいで終わった、結構楽しかった(^^♪というのも毎日毎日仕事に追われていたので、その2週間は毎晩睡眠をとれたし本を読んだり、お見舞いに来てくれる人も沢山きてくれてうれしかったし、なんか良い経験だったな(^_-)-☆

 

 しかし退院してしばらくは食事や生活習慣に気をつけているのだが・・・・結局もとの木阿弥で 結果3か4回入院してしまった

発症から20年ほど心筋梗塞や脳卒中などの血管系のいわゆる重篤な合併症に至っていないのは?自分なりの分析なのだが

 

 もともと身体が強い

 

 ずっと有酸素運動(マラソン、キックボクシングなど)を継続しており血圧を正常にコントロールできたこと、血糖値と血圧が両方高いと危ない!

 

そんな理由で20年間無事に過ごせた(無事でもないか?)しかし私の父は60過ぎで人工透析になっている・・・気を付けなければ・・・・

そんな思いで先月から身体に血糖値を測定するセンサーを取り付けスマホで絶えず血糖値を管理することになった

最初は『絶えず血糖値ぃ?( `ー´)ノ』と気乗りしなかったのだが、これがなかなか面白い!

『何食べたら上がるんやろ?』とか『運動との相関関係は?』『睡眠との関係は?』『ストレスとの関係は?』とか試してみるのが楽しくなってきた、今までの気づきは!

 

 1.3食適度にたべること、間食しない(食事を抜いたあとに食べると血糖値爆上がり)

 2. 食後に軽い運動(ウォーキングとか)をする、すぐ寝転がらない

この2つは効果が高かったな!ダイエット効果もあるし

 

 そんな感じで60過ぎても糖尿病克服に向けて格闘中です、相談にのりますよ(^_-)-☆

 

 では、健康の話でした

 

日曜日ですが大丈夫です仕事(^_-)-☆

 少々、ブログがご無沙汰になってしまいました。

さて、今回は健康の話をさせていただきます、まず私は糖尿病です、残念ですがそうです父とお祖母ちゃんが糖尿だったので遺伝的な素因もあったのですが30歳代に不摂生な生活(まさに生活習慣病ですね)を重ねた結果42歳の若さで発症しました・・・

 

 なんでわかったかというと体重減少でした、発症前は90キロを超える体重だったのが2~3か月で10キロほど体重減少がありました、最初は一切摂生していないのに体重が減るので『こりゃぁ良い(^_-)-☆』と思っていたらとんでもない、ある日家内の父(彼は医者です)「君、そりゃ糖尿だぞ、入院しろ!」といわれて緊急入院しました

 

 入院生活は苦しい日々でした、何が苦しいって食べることです! それまで好きなものを好きなだけ好きな時に食ったり飲んだりしていたのが病院では3食決まった時に『なんじゃこりゃぁ( `ー´)ノ』という内容の食事しか食べられない・・・お替わりもない

寝ても覚めても食べる事ばかり考えていました(何度も隣の焼肉屋に飛び込もうかと真剣に思ったものです)

 

 さて仕事の時間です、続きは次回

 

 大丈夫です、ちゃんと仕事しています(^_-)-☆

 正月に怖いものの代表として獅子舞であったが、実はテレビでもっと怖いものをみていた・・・・子供の頃

 

 それは「ナマハゲ👹」こいつはヤバイ!勝手に人の家に「なぐごいねぇかぁ?」と言いながら押し入ってくる・・・・

また顔がヤバイし格好もイカレテいる!それも団体で来る!!

あれが来たらどうしようブルブル・・・と怯えていた、が少し調べたらアレは東北地方限定のヤツだと知って安心した、それにしても東北の子どもは大変だ・・・・と思った

 

ナマハゲが獅子舞より怖い

 

今日は挨拶まわり! 頑張って仕事しています(^_-)-☆

 なんかゆっくり正月を過ごしている、ずっとバタバタだったから良い気分だ

 

 暇だから子供の頃の正月を思いだしていた、正月は親戚のみんなが集まって飲んだり食ったり、お年玉をもらえるし嬉しい♡

 

 普通にコマ回したり凧上げたり竹馬に乗ったり人生ゲームしたりして楽しかったな(今はあまり見かけない)正月は楽しかった

 

 でも苦手なものがあった・・・・獅子舞・・・・こいつはヤバイ・・・あんな怪物みたいなヤツに嚙まれたらヤバイ・・・目が怖いし

 正月は好きだけど獅子舞はキライ。

 

ああユルユル ユルユル

 

それでも行くとこなく会社にいる私・・・・まあ良いか(^_-)-☆

 新年あけましておめでとうございます。

 2026年が始まりました、今年もよろしくお願いいたします。

 

 さて、前回で2012年のお化け屋敷が終わった、大成功だった・・・・?表面上は、でもあんなに賑わったのに結局私は赤字だった

まあ60万円程度を個人的に供出で済んだわけだけど成功のために人も物量も大量投入したわけだからしょうがない、閉会あとも会場の跡片付けや残務処理が沢山残って全ての残務が片付いたのは秋も深まり冬のおとずれを感じるころだった

 

 私は文字通り燃え尽きてしまった・・・・その冬は全くやる気がない、簡単に使いたくないが「鬱」に近い状態か?

表面上の成功体験は次の年2013年も開催を後押しすることになった結果として2013年は前年を大きく上回る期間動員2万2千人に上り大成功となった!しかし私の心は最初の年のようにときめくことはなかった(もうこれでやめよう・・)利益が上がった分は全額寄付することにした170万円ほど寄付できた(これには後日談があるが、今回は触れない)・・・・上出来だ

その後も2015年、2016年、2017年(肝試しだったが)

 

 そして最後の年となった2019年、その年は会社が厳しい(ずっときびしかったのだが・・)状況だったが開催することになった

今思えば思いとどまる決断をするべきだったのだろう、誰かが私の代わりに代表を務めてくれないか?・・・そう思ったが虫の良い話だ・・・・どうしようもない会社の状態と並行してお化け屋敷が行われている・・・ただただ不安で怖かったことだけを記憶している・・・・そして2019年の盆明けに会社が継続不能の状態となった・・・当然お化け屋敷も私は関わることが出来ない状況になった・・・心も体もボロボロだった、そして私は代表でありながらケツを割ってしまったのだ、後の期間を仲間がやって閉会まで頑張ってくれたようだ・・・・その後の事は良く知らない・・・迷惑をかけた・・・申し訳ない、会社の清算や個人の破産や壊れてしまった身体(糖尿病をこじらせたようだ)で勇気も持てず仲間にはお詫びも挨拶すら出来なかった。

 

 あれから6年半が経過した、先日も取材を受けたりした、「もう一度お化け屋敷を」という声をきくこともある、正直『もう一度がんばれるかな?』と思ったりした・・・・

 

 でも、もう無理だ・・・それが現状の私の答えだ、悲しいかなもう61歳だ、先日も駅の階段で老人丸出しの不細工な転び方をした

年末にひいた変な風邪も中々治らなくなった・・・・

それにどの面さげてまた人の前に出ればよいのか? 昔の仲間は受け入れてくれないだろ!

果たしてそうでは無いかもしれないが、そういったモノを振り切って「やってみせる!」などとは思えなくなってしまったのだ

 

 会社を一度潰してしまった、それは決してお化け屋敷のせいではないと信じているのだが世間はそう見てはくれない、倒産については本当に親しい仲間ですら「計画倒産した、財産を隠し持っている」などと信じているほどだ、、天地神明に誓って違うのだが

結果は多大な迷惑をかけてしまった

 

 今、この再起の会社を立ち上げた、7転び8起きの8Bornを今は守り抜き社業を通じて社会貢献することが最優先だろうと思っている

 

 いつか余裕が出来て誰かの後方支援が出来れば幸せだ・・・・今は気持ちを封印します

 

 一生懸命仕事をします、それだけです。

さて2026年も始まりました皆さんがんばりましょう!良い年にしましょう!幸せになりましょう!!

 

 では1月2日ですが働いています(^_-)-☆

 ついに始まる!恐怖の細道の巻!

 

ついにお化け屋敷が始まることになった、2012年の7月13日の金曜日だ!

この日はアメリカンホラー映画の大傑作『13日の金曜日』その日だ! 更にその日は1973年の7月13日ホラーの金字塔『エクソシスト』が公開された日でもあり、また当日は仏滅ということもあり、お化け屋敷のオープンに最適の日であった!ので結構早い段階でオープン日は決められたのだ・・・・・が制作が追い付かない・・・・・夜通し作業するのだが見えてこない・・・・何分、始めてのことで要領を全く得てない・・・・・

取材に来ていた新聞やTVの記者さんも「大丈夫ですかぁ?間に合いますかぁ?」と心配になり、ついにお手伝いを自主的に始める始末だ(本当に感謝だったな)現場は常にピリピリしていて揉め事が頻発する・・・(あまり思い出したくない)

それでも時は過ぎオープンの日は来てしまった!

私はその朝も仲間と制作していたのだ7月13日オープンの朝だ!私は「おい、朝になってまったぞ、ちょっと会社行ってくるわ、お前も一旦帰れ」

オープンになった!しかし制作はオープンの後1週間ほど続いたと記憶している、つまり未完成で始まってしまったのだ!

しかし、オープンしてしばらくはユルユルした感じだったキャスト(口裂け女さん)も手探りな感じだしスタッフもしかりだ

来店者数も1日50人とかだった・・・・しかし7月も後半になるころから風向きが変わったテレビで盛んに放送されるようになったキー局全部が放送してくれた!岐阜柳ケ瀬で何かが起きている!

客層も若年層から親子連れや子どもたちが中心だった、私も毎日のようにテレビ、ラジオ、雑誌の取材を受けるようになった

お盆頃は凄く!朝10時にオープンするのだが行列が朝からできており夜8時の閉店でPM3時に予約終了になった・・・・

異常な賑わいだった!すごかった!!大成功だった、9月のシルバーいウイィークに閉店したのだが、ずっとその調子で人が押し寄せた!最終日には山車からお祝いの菓子まきをしたり感謝を伝えた、最後のキャストやスタッフが泣き崩れて抱き合いながら歓んでいた姿は本当に美しかった・・・私の宝物だ、みんなで手探りで作り上げたお化け屋敷だ!本当に誇りに思うし一生で一番感動した出来事だった。

 

しかし祭りは終わり祭りの後・・・・・

次回は「祭りの後」です。

 

今日は12月30日ですが、ガツッリ仕事しています(^_-)-☆