先日12月25日にBS朝日さんで口裂け女の件が放映されたそうだ、私は鹿児島への出張(ふっ、仕事しているアピールか?)

で観れていないが、ちゃんと放送されたか?ええ男に映っていたか甚だ心配ではある

 

 さて、前回の続きだ、ええっと・・・

 

                お化け屋敷をつくることになった・・・・

 

 まことに申し訳ない話だが私はお化けとかオカルトなもの全般について全く興味がなかった・・・・

更に言えば私はお化け屋敷がキライだ! あの得体の知らない怖さが嫌なのだ、ついでに言えばホラー映画も最後まで観たことが無い!

 キライ・・・・でも好き♡というのでは無いただひたすらにキライなのだ!なのにお化け屋敷をつくらなければいけない

 

 私は意を決してお化け屋敷体験ツアーに行くことにした、全国の有名なお化け屋敷を巡るのだ

 

 まず岐阜の近くの遊園地の中のお化け屋敷に行った、入る時は『怖いかなぁ・・・ドキドキ』出るときは『なんや?全然こわくねえな!!』という、私の言う縁日的というヤツだった

 

 更に京都にある有名なヤツ、最恐とか書いてあるが・・・・・全然だめだ看板に偽りありだ予定調和の連続だ・・・アカン参考にならん

何件か言ったが、アカンかった「もっと本気でこい!」と思った・・・・しかし求め彷徨ううちにであった、東京のお台場にある

 

                         怪奇学校

 

 ここは凄い!店の佇まいから違う!いけないオーラが外まであふれている・・・『一人じゃ無理や、死ぬかもしれん・・・』

と感じた私は近くの女子高生に「ねえ、オジサンがお金出したげるから一緒に入ってくれない?」とお願いすると何人かいた女子高生のうちの一人が嫌々同行を承知してくれた、助かった!意味不明のカップルで入場だ、良かった、、、、と思ったのも束の間

漆黒の闇の中から何かが「ガサガサ」と飛び出してきた!これに女子高生は「ムリ~ ムリ~ もうムリ~ リタイア~!」と言って途中退場してしまった・・・・一人だ!JKに逃げられてオッサン一人、俺もムリムリ・・・だが行かねば!

 どこをどう行ったかは覚えていないが・・・恐怖の連続を抜けて出口にたどり着いた

 

 散々なこの体験で分かったことがいくつかあった

 

 1.物語をつくる、ミッションをつくる

 2.不安を煽る(照明、音声、映像、五感に訴える)

 3.予定調和を排除する(くるくる・・・こーへんのかい! わっ!キタ~)

 

 こんな感じだ、ここを責めていけば低予算でも 怖いお化け屋敷が出来る!という手ごたえを持った、しかしまだ朧気な手ごたえでしかない、この先(つくる喜び)の何倍もの苦しみが始まった

 

 まあでも記者会見のあと色んな反響があった「新聞みたで、あんたらみたいな人達は初めてや!柳ケ瀬のうちの土地無料で使ってくれ!」と言ってくれた人がいた、

 私は気が小さく自分の会社への遠慮から昼休みに抜け出して制作に行っていたのだが、会場近くの団体職員の『先生』と呼ばれていた人と女子何人かが毎日、昼休みを返上して手伝ってくれた・・・結局『先生』は制作の人が増えてきた時に「もう、大丈夫ですね、頑張ってくださいね」と言って去っていった、名前もわからなかったけど、本当の感謝を感じた、他にも沢山の善意いただいた、もちろん私を良く思わない人たちの声もあった、途中で抜けていく仲間も沢山いた・・・

 しかし感謝なのだ!荒唐無稽の成功が担保されない取り組みに関わってくれたのだから!

 

 このくだりは書きだしたらキリがないのでこの辺りでやめよう

 

 次回は「ついに始まる!恐怖の細道」の巻です。

 

 年末ですが今日も仕事してます(^_-)-☆

 

 

 柳ケ瀬

岐阜に住む人たちの間で柳ケ瀬は憧れの場所でした

美川憲一さん(お化け屋敷の名誉顧問をつとめていただきました)の大ヒット曲柳ケ瀬ブルースにも象徴されるように繁華街として賑わいは昭和の時においては、それは眩しいばかりの耀きを放っていました

大人には歓楽街として、女性やお年寄りには買い物(銀座を買い物をしながら散策する銀ぶらに寄せて柳ぶらという言葉があった程でした)私たち子どもにとっては百貨店の遊園地で遊んだり映画を観たり時におもちゃを買ってもらえる場所でした、当時のアーケード街は人がぶつかりあいながら歩く様な賑わいだったと記憶しています。

 

 時は流れて昭和が平成になった頃からか?様子が変わり始めました

 

 街が寂しくなっていったのです、年月が過ぎるたびに、あんなにいた人たちが少しずつ確実に減少していきました・・・・

すっかり大人になってしまった私は、ぼんやりと悲しい気持ちでその様子を眺めているだけでした・・・・

私はこの現状に何か出来ることはないか?と考え始めました、そんな時、前回書いた口裂け女の話にであいました

 

 うっ? 岐阜発祥の口裂け女? 柳ケ瀬? 街おこし?・・・・・

 

                  柳ケ瀬で口裂け女のでるお化け屋敷

 

 これか?・・・・これや! そう思いついた私は仲間にこの荒唐無稽なビジョンを語りはじめました、普通は相手にもされない話でしょうが、私の仲間は楽しく真面目に聞いてくれました(素晴らしい仲間たちです!)

さあはじめよう!私たちはお化け屋敷製作委員会(やながもん)を立ち上げ走り始めました!

 

 しかしとても順風満帆とは言えない船出でした、まず問題は口裂け女というコンテンツを使うことに問題はないか?という問題が会議にて議論されました、この2012年の時点では口裂け女はタブー的な扱いでした、実在の人物がモデルである?障がい者への配慮?などから不適切で使用するべきではない、会議では大方の意見がそうでした、しかし私はタブーに挑戦しなければ活路は無いという確信がありました、ショッキングなテーマを掲げなければ人は注目してくれないという確信がありました、縁日的なろくろ首や傘お化けなどがユルユルと登場するお化け屋敷でこの寂れた繁華街に突破口があくものか!そう思っていたのです・・・

とはいうものの四面楚歌の状態でした、皆がいうのももっともです・・・・・

 

そんな時に私の仲間が発言してくれました「1978年の岐阜日日新聞の記事に口裂け女の記事がある、塾に行きたくない子どもたちの作りあげた幻想か?とあります、大丈夫です」と新聞の切り抜きを示して発言してくれたのです。

ありがたかったです、私は「口裂け女と柳ケ瀬に賑わいを取り戻しましょう!何とか協力お願いします」と言いました。

口裂け女のお化け屋敷が承認されたはなしでした 。

 

 そして、2012年の4月(ゴールデンウイークの直前か?)に記者発表をしました

 

            2012年の夏に柳ケ瀬で口裂け女のお化け屋敷を開催する!と

 

 もう戻れない・・・・退路をなくした4月のことでした。

 

では続きは次回、仕事も結構しっかりしています(^_-)-☆

 

口裂け女のお化け屋敷を開催する

 先日、BS朝日さんというテレビから取材をしていただいた「口裂け女」についてだ

なぜ口裂け女でもない私が取材を受けたかというと私は2012年から2019年まで岐阜柳ケ瀬で開催された岐阜柳ケ瀬お化け屋敷恐怖の細道に関わっていたからだ、このお化け屋敷は口裂け女出現する!という唯一無二の特徴から当時は結構な話題になったのだ

そんな関係で取材していただいたのだ2025年12月25日にBS朝日で放送されるので観ていただきたい。

 

 さて本題、「口裂け女の話」をはじめよう

 

 1978年の秋だったか?当時中二の岐阜市に住まう私の廻り一つの深刻な噂が広がっていた、夜な夜なコートを着た髪の長いマスクをした女性が出没し道行く人に「ワタシ・・キレイ?」と質問してくる、そして「はいキレイです」などと返答すると、彼女はマスクを取り「これでもキレイ!」とパックリ裂けた口を見せつける・・・・・

 

 この一連の確認行為がその後にひろがる都市伝説のベースであり、私たちが最初に聞いた噂話もその程度ではあった

 

 その後に「パックリ食われる」「逃げても100m4秒で走る脚力で逃げられない」とか「ベッコウアメが好き」「整髪料のポマードが嫌い」・・・などの尾ひれがついて全国にひろまっていった、ここではっきり言おう「彼女は岐阜出身だと!」

 

 ともあれ私たちは1978年の秋から1979年の冬にかけて口裂け女に大いに恐怖したのだ!

私などは山道で熊に会いたいと願望するほどの好奇心とアメリカでイエローデビルと恐れられた柔道の技術とフィジカルを持つ男だったので廻りの恐怖する同級生ほどには感じなかったが、それでも街でコートを着た髪の長い女性を見かけると「ビクッ」としたのを記憶している

 そう同級生の大方は口裂け女に完全にビビりまくっていた・・・・当時、受験戦争などという死後がまだ生きていた頃、学習塾に「口裂け女が怖いから塾に行きたくない!」と真顔でいう子どもが続出していた、私も当時、柳ケ瀬(岐阜最大の繁華街)に遊びにいった時の帰り道にふざけて「あっ!口裂け女や!!」と脅かしたら、その子は「ギャー助けて~」と叫び泣きながらすさまじいスピードで走り去ってしまった・・・・・・

 

               恐れられ、一部では信じられていたのだ「口裂け女」

 

 そんな私たちを恐怖に落とした口裂け女だったが春になる頃には「あの人は今?」みたいな感じになり私たちは平静を取り戻し

た、しかし時間差で口裂け女の話は全国に広まっていった・・・・・不思議な感じがした、「アレは何だったのか?」私は疑問に思ったのだが、年月が流れ中二だった少年はいつしか大人になり彼女の事は忘れてしまった

 

 そして40台も半ばを過ぎたある日、私はオカルト研究家の山口敏太郎さんとであった、彼は私に

 

「口裂け女の発祥は岐阜ですよね」と私に言った

またクリプトツーリズムというYUMAやUFOやお化けを題材にした町おこしの手法がある、という話を聞き、岐阜発祥の口裂け女を軸にした街おこしは出来ないだろうか?

 

 それからぼんやりとお化け屋敷について考え始めた2011年の夏のことだったか・・・・

 

 

では続きはまた、仕事もしています(^_-)-☆

 

 12月になってから遺品整理の現場に入りっぱなしで余裕がなくブログ更新もない・・・・余裕がない中だがふと空を見たら青空に鱗雲(うろこぐも)浮かんでいた

 

 雲のある空の方がいいな

 

って思ったわ、雲一つない青空より良い、人間もそうなんだなあ・・・・って 相田光男かよ(^_-)-☆

 

仕事もしてます(^_-)-☆

 会社が始まったころの話なのですが

 

 意気揚々と事務所を借りて、それ!地域と人のために働くぞ~ と張り切っていたものの2023年の冬から春から初夏にかけて

全然仕事が無い・・・・営業に行っても中々仕事がない、チラシを作製してポスティングをした!会社の近所から、岐阜市内の団地や市街地にポスティングをした・・・仕事がないから毎日ポスティングだ・・・・が仕事が無い・・・・岐阜市の大体の団地を廻りつくした、まあ初めての経験で発見もあり楽しかったのだが、やはり仕事が無いと生きていけない、やはり焦る(失敗体験があるから余計か?)ついに給料が出なくなった・・・まあ社員がいないので大丈夫だが(大丈夫じゃないわ!)

 

 6月か?初夏のある日に愛知県にポスティング進出した、一宮という愛知県北部にポステイングに行ったのだった、やはり土地勘が無いのと初夏の暑さで朝から始めて昼過ぎには疲れてしまった・・・・『だめやなぁ・・・もうあかんなあ』とぼんやり考えて歩いていたのだが

 なぜか神社に導かれるように自然と鳥居をくぐっていた、尾張猿田彦神社という神社だった

そんなに大きな神社ではないのだが、明るいのだ雰囲気が(オーラというのか?)

 

『なんだろう?この感じは』と・・・しばらく飲み物を飲んだりして休憩しながら不思議な感じに浸っていた、お参りして、お守り(商売繁盛)を購入して神社を離れたのだ

 

家に帰って、すっかり神社のことは忘れてしまったのだが・・・翌日に仕事の依頼の電話がかかってきた! 少額の片付けだが、なにも無い状態だからうれしかった!一生懸命仕事をした!ありがたかった!!

 この仕事は長年の友人が自分の従弟に薦めてくれて戴いた仕事だった、チラシをいっぱい配ってくれていたのだ、結局は人に助けられていると実感したのだ(そう感じた)

 

 それからは多少の浮き沈みはあるもののお仕事をいただけるようになって現在にいたる、ありがたいです

いろんな人に助けられ支えられて生きていると感じれた

 

 あまり信心深い方ではないけど、運気が変わったなと・・・神様ありがとうって思った出来事でした、今も月の初めにはお参りさせてもらっています。

 

 さて、今日も感謝とともに仕事をちゃんとしています(^_-)-☆

 学生時代はいつも『なんか面白いことねえかなぁ?』と思って生きていた

私は特に不良とかではなかったが校則とかに縛られるのは嫌だな・・・ぐらいにははみだした人間だった

 

 高校3年生の春の良い天気のある日、その日は体力測定(50m走とか反復横跳びとか測るヤツ)が午前中行われていた

私と友人のI君は「かったるいな、どっか遊びにいくか?そうや!Yの家に行こう、あいつは謹慎で家におるはずや」

ということで授業中だが自転車でYの家に遊びにいくことにした

 

 I君と私はY君の家に体操服のままで遊びに行った、Y君のお母さんは「あら、テル君I君よく来てくれたねぇ、ありがとうね」

と授業中に抜け出して来た私たちを大いに歓迎してくれたのだ

 

 Y君のお母さんは「どうしよう突然やで何もお菓子とかないわ・・・・あっ!?桃缶があったわ桃缶、好き?」

何を隠そう私は現在でも無類のフルーツ好きを自負しておりとりわけ桃は大好きだった特に白桃!

 

 私は「好きです!お母さん!!」と目をみて答えた なぜかお母さんは一瞬ドキっとした顔をした・・・・

 

 待望の白桃が運ばれてきた、それも贅沢にも半割のままだ!

遠慮のないタイプのI君は真っ先に半割の桃を口の中に入れた!私はI君の顔に目を近づけて彼の桃の味に対する反応を見逃してなるものか!と凝視した

 

すると奇跡が起きた

 

 先に少しI君について説明しようIは日本人にしてはイタリアっぽい顔・・・ダスティンホフマンのような顔だちで鼻が大きい

 

 半割の桃を丸ごと口に含んだ彼は私の真剣な表情に反応し、次に『カッ!」と弾けるように反応した!そして、あろうことか

 

半割の桃がI君の鼻からそのままの形で飛び出してきたのだ!

 

 口からではなく花の穴から勢いよく飛び出した桃は体力測定の関係で短パンだった私の太ももの上に着地ししばらくプルプル震えていたのだ・・・・

 この奇跡の光景を目にしたY君のお母さんは眼前で展開されている光景に驚き恐怖したのか「キャ~!」という悲鳴をあげ逃げ出してしまった!

 私は私の人体の一部になったかのように震える桃を見て次にIを見たIは鼻水を垂らしながら「マジか?マジかて?」と自らが起こした奇跡に自らが驚きを隠せないようにつぶやいていた・・・・・

 

 とんでも無いものを目撃した私とY君はしばらく意識が危うくなるほど笑った、なぜか張本人のIも一緒に笑った!恐怖のあまりに逃げ出したY君のお母さんも戻ってきて一緒に笑った!「ちょっとI君あんた、そうやって良く鼻から食べ物出すの?」という質問に「はい、でも桃ははじめてです!」と言っていた・・・・

 もうその日はアホらしくなって学校にはもどらなかった・・・・


 しかし翌日私はその奇跡を黒板に図解つきで説明しクラスメイトに周知した!しばらくして学年中いや学校中がこの奇跡を知ることになった!!

 

        以後、彼はピーチ君と言われ人々の尊敬を集めるようになった!”

 

 若い時ってなんであんなに笑えたのだろう?楽しかったなぁ 学生時代

 

 今日は日曜日でもちゃんと仕事しています(^_-)-☆

 この歳になると最も重要なものは健康だとしみじみ感じます

 特に私は内臓に問題を抱えているのでなおさらであります。

 

 健康には気を付けてはいるのです、タバコも吸わなくなったし酒ももともと弱いのもあり、あまり飲まない、気を付けなければいけないのは甘いものだ・・・・甘いものが好きだ

 

 しかし運動は苦にならないのは幸いである、むしろ体を動かすのは好きだ、フルマラソンも6回かな?走った強者であります(マラソンについても書こう)

 

 ウェイトトレーニングとキックボクシングもやっていた

 効果的にパワーをつけて良い肉体を作るためにトレーニングの後にプロテインドリンクを飲んでいた・・・特別なヤツじゃなくコンビニにも売っているヤツだ

 

 『おう、マッチョになっとるわ』と喜んでいたのだが

 定期的に検査をお願いしている病院で血液の検査をしたら・・・・

 

  腎臓の数値が異常に悪くなっていた・・・お医者さんが言うには『人口透析しなければいけない数値だ』と言われた・・・

 

 しばらく茫然としていた・・・・『何が悪いのか?』

 

 いつか聞いた事がある「人によってプロテインで腎臓を壊す場合がある」と

 

 それだ!”犯人はプロテインだ!!と確信し急いでやめた!! そうしたら少しづつ数値が改善され始めた・・・まにあったか?

いや安心はできない!!

 

 体質に合わないものには気をつけましょう

 

 では今日も一生懸命仕事しました(^_-)-☆

 毎回ブログで「熊とであったら」とか「イエロウデビル」とか「お茶ぶっかけたろかぁ!」とか本業と随分と離れたことばかり書いているが・・・・昼間はきちんと仕事をしているのだ軽バンに乗って走り回っているが最近は担当の保険屋さんが乗らなくなったバイク(HONDA Dio110)を譲ってくれたので乗っている50Km/l ぐらい燃費が良いので経費節減に効果的だ、また天気の良い時はとても気分がいい(^_-)-☆ 私は仕事が下手(儲け下手)だが、この仕事(遺品整理)が好きだ

 

 人の人生に出会える 人の終活を助けられる これは幸せなことだ

 

 先日も お客さまからお問合せをいただき弊社のスタッフと伺ったのだ

 

 お客様は80歳を過ぎた年配の方で若い時は岐阜に住んでいたがもう何十年も今も九州に住んでいる方だ

随分前に亡くなった両親の家が残されており、たった一人の相続人の彼が九州から一年に一回一カ月程度この家に住み込み家財の整理、処分をしているのだそうだ、頭の下がる行いである。

 

 であるのだが・・・その方法は問題だ・・・自転車しか乗れない彼はママチャリの前と後ろのカゴに処分する荷物を積んでエコボックスと片道30分かかる処分場に運んでいるのだ・・・・私は『こりゃ何年かかるか?』と不安になったのだ

 また、家の中にある鳥のはく製とかコケシ(民芸品の方)とかタンスとか家具とかを「いくらで買ってくれるか?」とか尋ねられる・・・なんと答えればよいのか・・・「○〇さん、申し訳ないのですが私どもはこの品々を買取することは難しいです」となるべく丁寧に答えるのだが「何を言っているのですか?このフクロウの剥製は私の父が台湾がまだ日本統治下であったころに地元の実力者にいただいた感謝の品物です!それを価値が無いとは何事ですか!」と言われてしまい、困ってしまい少し無口になった

 

 お客様の身の上話が始まった、結構な時間その80年を超える人生の物語を聞かせていただいた・・・・大変だ、大変な人生だ

しかし私はふと思った『おれも結構たいへんやな』って・・・つまり誰でも生きるとは大変なのだ・・・と

 

 私の仕事はこういった方の人生を受け止めてあげることも本当に大切な仕事なのだと改めて思いました

 

 結局、お金のいただける仕事にはならなかったのですが「今度、私が時間のある時に連絡させていただくので、私の軽バンに荷物を乗せて処分しにいきましょうね、お金はいいから」と伝えました「そんなこと言われたの初めてです!」と感激して言ってくれた、私も「そんなこと言ったの初めてです」と言って二人で笑った

 

 こんなのはビジネスとしてアカンことです・・・わかっているのです私の悪い癖です・・・・

しかし私の仕事の「遺品整理」はそういう寄り添う、優しい気持ちを大切にしなければいけない!と改めて思いました。

 

 では、今日も仕事しています(^_-)-☆

 今、熊が町に下りてきて問題になっている。

 大きな意味での環境問題(温暖化、生息地の縮小化など)の影響なのだろう、熊に罪のない話だが人間の穏やかな生活が脅かされているのだからやはり問題だ、しかし母熊が子熊を連れて歩く姿はいじらしくもある。

 

 そして私はもし歌にあるように♪ある日 森の中 熊さんに 出会った・・・・らどうしよう?と毎日考えているのだ

 

 まずは先方(熊さん)が私を避けてくれるように騒がしく歩く、、歌を歌う、なるべく賑やかな(北島さぶちゃん とか 細川たかしとか Sex Pistolsとか)熱唱する

 

 それでも先方(熊さん)に出会ってしまったら・・・どうしようか?  叫ぶ!そうだ叫ぶ!!

「おうら!誰にメンチきっとるんじゃボケ!お前のオヤジをオフクロにしてもうたろかぁ!!」などと大阪弁を交えつつ恫喝する

 

大抵は熊さんは「あかん、こいつ関ったらアカン」と思い退散していただけるはずだ・・・・

が、、「おう?オドレににきまっとろうが!?このジジイ」と思って向かってきたなら・・・・やるしかないのか?話し合いの余地はないのか? お詫びで許してもらえるのなら、額を地面に打ち付けてお詫びさせていただくが・・・・そうもいくまいて

 

 さて、やるしかないか! 猛獣相手に勝ち目は薄いが私も50年前にはアメリカでイエロウデビルと恐れられた男だ!むざむざとやられはしない

 

 熊は時速50Kmで走り、木にも登る、そして私も武道家のはしくれ!逃げるという選択肢は無い!闘う!!

 

 情報によれば熊は前足によるフック気味のパンチを顔面に放ってくるという この攻撃をスエイバックでかわす、そして踏み込み顔面に前蹴りをいれる、無事一発めが入ったら続けて2発目の回し蹴りをいれる、そこからは恐らくひるんだ熊を大声で恫喝する

「こらぁ まだやんのか コラア!!」と叫びながらパンチを入れる!!戦意喪失した熊は山に帰っていく

タイマンだ、、人と熊とのフェアでガチなケンカだ・・・親友だ・・熊は私を振り返りながら親友になった私との別れを惜しみながら山に帰っていった・・・・『さうようなら グッドファイト!」と私は親指を立てた。

 

 まあ、そんなシュミレーションだが・・・・妄想がヒドイ・・・・

 

そんな感じで毎日ちゃんと仕事してますから(^_-)-☆

 

 

 さて、柔道海外激闘編も最後の地ハワイを残すのみとなった

 

 ハワイに上陸するに際して私を不安にさせることがあった・・・それはハワイに飛行機が降りるときフラダンスの恰好をしたハワイの女性に歓迎のレイをかけられてキスをされる・・・(そいう映像がイメージされていた)

 今なら「おおええやないか!おん💛」と言える61歳だが、その時はまだ小6の子どもだ・・・ドキドキする・・・ええのかファーストキスがハワイの女性で、そんでアグネスラムみたいな・・・ああどうしよう?と真剣に悩んでいた・・・のだがそんな歓迎は受けることなく、少し拍子抜けで少し安心して、少し残念でありました。

 

 ハワイでの試合も私は無事勝ちました、各地で試合し全勝で終えることができました

 

 試合が終わり2日くらいのバカンスをいただきました! しかし全国から集められたエネルギーを持て余した少年たちです、ホテルでじっとなどしている訳がなく・・・ある子はホテルのバルコニーつたいにスパイダーマンのように縦横無尽に移動していました

もちろん通報されて消防隊が来て大騒ぎになりました。

 

 私はサーフィンに憧れていました、なのでレンタルでサーフボードを借りました、なかなか上手くは波に乗れないのですが、体力はあるのでパドリングは凄いです、どこまでも行けます、そして振り返るとスゴイ遠くまで来てしまっていました(アカン来過ぎた)と思った後にビッグウェイブが私を襲いました!ボードも遠くに飛ばされてしまいました、、その後も次々に大波にのまれました

私はブクブクと何度も海の中に沈められました、『もうアカン・・』と諦めかけたその時!地元の勇敢なサーファーの男子が颯爽と助けにきてくれて自分のボードを私に渡して私のボードを回収してくれました・・・・今でも良く憶えています・・・かっこよかったです・・・スーパーマンみたいでした・・・・とにかくサーファーの男子のおかげで私は命を救われました・・・もう少しでイエロウデビルはハワイの海の藻屑と化すところでした・・・お礼を言いたい・・・できる事なら感謝の食事会にお招きしたい!

 

なんだか最近は叶わなかったことばかりを思いだします(なんでかな?)

 

もちろん私は以後ハワイでの外出禁止の処置をうけました(まあそうでなくても身体は憔悴しきって動けなかったですが・・)

 

「俺、登山はじめようかな?」と最近、実の弟にいったら「勇気があって計画性がないお兄みたいなタイプが一番遭難するヤツやわ!」と吐き捨てるように言われました・・・・しみじみその通りや・・・と今思います

 

でも小6の時の柔道での思い出は今でもキラキラした少年の思い出として輝いています

これで柔道編は終わりです。

 

大丈夫です仕事もしています(^_-)-☆