さて、柔道の話をどこまで書いたか?

 ロサンゼルスでの思い出までだ

 

 それから私たちはメキシコに飛んだ メキシコシティだ、ここも良いところだったロスよりハワイより印象はよかったな

当時はまだ発展途中という感じだったけど、なんというか太陽が近い感じで中米の陽気で開放的な雰囲気が良かった

アステカ文明か?遺跡とかピラミッドとかも見られてよかったな~またメキシコは行ってタコスとか食べてテキーラとか飲んで、飲み過ぎて酒場の客とトラブルになったりして、でも仲直りして「アミーゴ」と言ったりしたい・・・願望がある

 

 しかし柔道だ!前回のロスで生卵を飲まされてエライ目にあったが子どもは回復も早くメキシコ戦に向けて万全であった

 

 しかし、またロッキーにかぶれた監督のミーティングは恒例に開催された監督は

「今から30数年前に日本はアメリカと戦争をしたことは諸君は知っているか?私も出征した!大変な目にあった・・・(言葉に詰まる)君たちは戦争を知らない子供たちだ!だから知らないだろうが日本はアメリカに負けて、多くの日本人が亡くなり・・・町は焼かれ、家は焼かれ、食べるものもなく、近所のキレイなお姉さんは米軍相手にパンパンして食いつないでいた!!

君らは知らんだろう!?時が流れて皆が忘れても、俺は忘れん!絶対にだ!!今日は諸君頼む!!勝ってくれ!!アメリカを倒してくれ!!頼む」と完全に自分に陶酔してしまっていた・・・・しかしそばにいたコーチが「先生、今日はメキシコが相手ですよ、日本はメキシコとは戦ってないんですから・・・」と言った(確かにそうだ)しかし監督は「バカヤローそんなもん知るかー とにかく今日の試合に負けたら許さん!!絶対に許さん!!」と自らの無知が恥ずかしかったのもあってか逆切れ状態のまま部屋を出て行ってしまった

部屋に残された私たちは不安になった『どう許さんのだろう?』とこの後に起きる出来事を想像して恐くなっていた・・・

 

試合が始まったメキシコ軍は強かった、本当に強かった日本軍は次々に負けていく・・・・(私は勝った、なにせ私はロスを震撼させたイエロウデビルだ負けるはずがない)

 

 そして日本軍は全体として負けてしまった・・・・悪い予感がした・・・

 

 試合後に監督が叫んだ!「一列に並べぇ~恥知らずどもが~おめおめと負けくさりやがってぇ!」というや否や選手たちに鉄拳制裁をあびせはじめたのだ、恐ろしい男だ・・しかしふと気が付いた「なんで俺まで殴られなあかんのや?俺は勝ったんやぞ!?そうやないか」その列から逃げ出した!しかし遠くから見ても「ズカッ」と鈍い音が会場に響き渡り子どもは倒れたり泣いたり・・異様な光景が展開された

その光景にメキシコのメディアが クレイジージュウドーティーチヤー!というような題で翌日の新聞に結構大きく掲載してしまった! すぐにそのニュースは日本にも伝わり新聞に載ったという

帰国してから色んな人に「大変な目にあったな!痛かったやろ?」 と聞かれた、私は「おん、めっちやくちや痛かったわ!頭おかしいわ」と言った・・・・本当は殴られてないのだが

 

メキシコ戦のあとチームの雰囲気は最低になりました、そして監督はなぜかいなくなってしまいました

そして私たちは最終の地ハワイに向かったのでした。

 

大丈夫です仕事もしています(^_-)-☆

 

 さて、前回は建国200年のアメリカにアメリカ人を倒す!と心に誓った小6の柔道少年が渡った話だった

 

 まず、行ったのはロサンゼルスだった試合の前にディズニーランドに行かされた・・・本場のディズニーランドだ・・・

 

 クッソ・・・なんじゃここは?・・・ばかやろう!! 

                  

                     楽しすぎるやろう~!!

 

ミッキーやドナルドや白雪姫がおるやないか~! 英語やで何言っとるか全然わからんけど歓迎してくれているやないか~

まさに夢の国や!乗り物も何乗ったかは覚えてないけど、岐阜の百貨店の屋上にあるやつとは全く別物で生まれて一番楽しかったわ~  幸せやったわ!最高やった!!

 

 それからユニバーサルスタジオにも行ったわ、、これも素晴らしかった映画のシーンを体験するというコンセプト(USJは少し違うかな?) 十戒の海が割れるシーンとか・・・アメリカの映画の名シーンが再現されていたのだ

こっちにはディズニーランドにいないヤツ(ウッドペッカーとか)がお出迎えしてくれた! 楽しかったわ~

また行きたいな~

 

 しかし、楽しいのもつかの間ロス選抜の選手たちと試合が待っている、初戦なので緊張感が半端ない・・・しかし総監督はロスの街に映画を観にいったそうだ! 「ロッキー」を観たそうだ,最初のやつだ、感動したようだ・・・それは良い・・・・しかし変な影響は受けないでほしかった・・・

 

 試合当日の朝食の時だ「おい!みんな!昨日ロッキーは生卵をジョッキで飲んでいたぞ!!お前らも飲め!!勝つために飲め!」

 

めちゃくちゃだ・・・しかし時は昭和51年だ監督は戦争経験者で恐い!とても逆らえる感じではない・・・飲むしかない・・みんな飲んだ・・・私ものんだ・・・気持ち悪くなった・・

そんな状態で試合開始だ!相手もさすが選抜された選手で強い! 私も日本を背負って戦った!!死闘の末に勝利した

敵も味方も大喝采だった

 

が、その試合の直後に 吐いた・・・・畳の上で吐いた・・・気持ち悪かったから・・・・ゲボは卵のせいで黄色いゲボだった

みんな驚いた!!特にアメリカ人は驚いた、なにせ勝利の直後に口から黄色いゲボを吐く少年が現れたのだ

 

 悪魔だ!!黄色い悪魔!! イエロウデビル フロム ジャパン!!

 

思えば日本では空気投げを使う少年として恐れられ、アメリカでは勝利の後に黄色いゲボを吐くイエロウデビルと恐れられる・・

可哀そうな子供だ・・・・

 

 その事件のあと私は生卵を食べられなくなりました、一切無理です、卵かけご飯、すき焼きも無理です・・・・今でも無理です

 

 監督、アホか?と思います!!

 

では気分が悪くなったのでこのあたりで、また・・・仕事してます(^_-)-☆

 さて、柔道の話の続きです

 

 先日テレビで知ったのだが来年はアメリカ建国250年だそうだ、まったくおめでたい!コングラチュレーションだ!!

 

 ふと、思い出すと私は建国200年の年にアメリカに行った!そりゃぁもう大騒ぎで何処にいっても200年!200年!!で大騒ぎだった

 

 しかし50年前・・・・・なんという時間の経過・・・・・正に光陰矢の如しである

 

 50年前のアメリカに何をしに行ったのかというと柔道をしに行ったのだ、選抜されて遠征に行ったのだ6年生の時だ

全国から集まったイガグリ頭のゴツイ小学生たちと一緒にロサンゼルス(まだ大谷はいない)メキシコ、ハワイとサーキットで試合をした。

 みんなはデズニーランドとかユニバーサルスタジオとか(子供だからしゃあない)を楽しみにしていたのだが・・・私は違った

当時はベトナム戦争の報道の影響でアメリカの戦地での行為とか『アメリカ許しまじ!』と梶原一騎先生の「花も嵐も」というマンガから得た薄っぺらい知識で!正義の鉄槌をくらわしてやる!!と心に決めていたのだ(それにしても梶原先生に影響されている)

 

 そのような勘違いの旅に出た11歳の私・・・・(アカン仕事に行かなアカン続きはまた)仕事(^_-)-☆

 子供の頃、「柔道一直線」というドラマがやっていた

近藤正臣が罰当たりにもピアノを足で弾き桜木健一の度肝を抜く有名なシーンで知られるスポ根ものだ、主人公が確か「地獄車」とかいう技を開発したり、鉄下駄でうさぎ跳び(今なら絶対に許されないトレーニングだ)したり、さすが梶原先生というべきドラマだった

 

                     私は憧れてしまっ

 

 父親にお願いして柔道場に入れてもらった、その名も「岐阜道場」当時は柔道は人気競技で沢山の生徒がいた、私は確か小学3年生だったかな、入門してみてすぐに『ああ、柔道一直線とは違う・・・あれはテレビの中だけのものだ』と気づいた、入りたての頃は投げられてばっかりで痛いし、練習も単調だし、全然面白くない・・・』ので父に「柔道やめたい」といったら「馬鹿やろう!それでも男か!!」と言われ暴力を振るわれた(まあ、そいういう時代かな)

やむ終えず続けた、せめて投げられるのではなく投げる側になりたい(痛いのは嫌なので)と思い稽古していたら強くなってしまった、それもすごく強くなってしまったのだ

 

 どれぐらい強いかというと5年生の1月に昇級試験で2級(2級から茶帯になる)になった、多分これは全国でも最も早い茶帯取得だと思う、ほとんど負けることはなく勝ち続けた・・・・私は天狗になった、慢心の塊で謙虚さの欠片もないヤツになっていた

 後年、柔道の先生が柔道の 心・技・体を語る時に良く私を引用したそうだ「強ければ良い訳ではない」という意味で

また随分後に大人になってからも「あんただけは許せんかった、けど強いで何も言えなかった」とか実の弟にも今、61歳になった今でも柔道時代の文句をいわれる有様だ

まあ、そんな風なので試合でも相手が嫌がった、「あの子(私)とはやりたくない!」といって泣く子もいた、審判の先生も試合開始の前に「めちゃくちゃしたらあかんぞ、やさしく投げたれ」と言う始末だった

 

私がいかに強かったか?を上手く伝えるエピソードがある

 

6年生のある試合での出来事だ、相手は私と対峙しても少しもひるむことなく闘志にあふれた眼差しで私を見据えていた、「コイツは只者ではない!何か秘策を持っているな?」私の野獣の感はすぐにそれを見抜いた!

審判の「始め!」という言葉とともに試合が始まるのだが「始めの」号令の後に驚愕のシーンが眼前で展開された!!

61年の人生でも最大の驚き!!

 なんと相手の少年は

               バック転をした!

 

 そして着地に失敗して負傷して泣きながら退場していった・・・・ 私はしばらく茫然とした・・・不戦勝ちになった

50年近く前の出来事だが、彼の名前もしらないが、今でも「バック転の後、成功したとしてどうするつもりやったの?」と聞きたい

・・・・しかし場内も驚きと一部の笑いにつつまれ異常な雰囲気となった、そしてこの試合を観ていた一部の人は

 

             「岐阜のアイツは掴まずに投げた!空気投げを使った!!」

      

という都市伝説を吹聴し益々私は恐れられるようになったとさ

 

しかし、私の柔道はそれでもその時あたりがピークでした、やはり心・技・体の心が欠けたヤツは本当の意味で強くなれない

驕ることなく慢心せず謙虚な気持ちで精進する人間こそが本当の意味で強くなれるのだろう・・今ならわかる

 

 さて、また続き「柔道編」を書きますね、今日も祭日ですが大丈夫です仕事してます(^_-)-☆

 

 

 やはり、少年時代の忘れられない思い出というものはあります。

 61歳のオヤジ忘備録という側面の当ブログで思い出してみたい。

 

 それは小学4年生の時のことでした、クラスメートのS君の家で何人かで遊んでいたのだ、自分の名誉のために言うのだが

 

              私はそれほど悪ガキではないが面白いことが大好きな子供だった

 

 s君の家でS君のお父さんが見ていたであろうエロ本を発見した!まあそんなにエグイ内容ではなかったのだが・・・

 私たちはそのエロ本の写真モデルさんの真似をし始めた、女豹のポーズとか色々なしぐさを真似て大いに楽しんだのだ

 そのバカ坊主たちにS君のお母さんが見かねて「ちょっとアンタらいい加減しやあ!」と注意したのだが、私たちはやめない

楽しさの真っ盛りだった・・・するとS君のお母さんが明らかにイライラしはじめた・・・にもかかわらずやめない私たち(いや主にわたし)にS君のお母さんは ついにキレた!そして

 

          「やめろって言っとるやろう!お茶ぶっかけたろか~」と叫ぶやいなや湯呑のお茶を私にぶっかけたのだ!

 

 熱いお茶をしたたかにぶっかけられた私は「アツイ アツイ なにするんや くそばばぁ(すみません)」と言いながらS君の家を飛び出したのでした(いや実際に私が悪いのですが・・)

 

 その帰り道に仲間と語ったのだ

私:  「なあ、お茶ぶっかけたろか!で同時にぶっかけるのはおかしくないか?」

友だち:「うん、なんで?」

私  :「だって、ぶっかけたろか?って警告して、それでもやめんかったらかけてもいいけどさあ、同時やったやん?」

友だち:「そうや!そうや!おかしいわ!!」

 

という話のあと、なぜか「お茶ぶっかけたろか!」が流行語になってしまった

 

次の日の給食の時、当時は給食には(今でもかな?)お茶が出ていた・・・・アカン止められん

私は湯呑のお茶を見つめ昨日のS君のお母さんを思い出し、昨日一緒だったO君に向かって

「お茶ぶっかけたろか~!」の一声とともに、ぶっかけたのだ! そうしたらO君も「お茶ぶっかけたろか~!」と叫び私にぶっかけてきたのだ、連鎖反応が拡大し経緯を知らないヤツまで「お茶ぶっかけたろか!」と叫びながら・・・優勝チームのシャンパンファイトのように盛り上がってしまった

 

めちゃクチャ楽しかった、苦しくなるほど笑った!

 

しかし大抵の生徒には迷惑でしかなかったようで、先生に言いつけられて廊下に立たされた、何人かで立たされていても

誰かが「お茶・・・」というたびにみんなが一斉に吹き出した

 

ああ、楽しかったなぁ 「お茶ぶっかけたろか」事件の話でした、迷惑かけた皆さんすみませんでした、反省しております。

 

さて、今日も仕事しています(^_-)-☆

 今週は遺品整理の仕事をいただいて私も作業させていただきました。

 

とある青年団体で一緒だった後輩が手伝いにきてくれ作業の休憩中での会話の内容なのだが

 

後輩:「先輩 将来どんな人間になりたいっすか?」

私 :「おっ?俺は61歳だがまだどんな人間にもなれていないってことか?」

後輩:「いや、そういう訳ではないんですが・・・すみません・・・と」

私 :「まあいい、そうやなぁ まず食べ放題の店で適度に好きなものを選択して食べる人間になりたいな」

後輩:「ん?と言いますと?」

私 :「うん、ほら食べ放やと勝負にでるやろ?元とらなアカンみたいな食い方してまうやろ?結果、気持ち悪くなったり具合悪くなったりして・・・そうじゃなく品良く節度もって適度に食べ放に臨める男になりたいな、わかる?」

後輩:「めっちやわかります!俺も滋賀県の信楽「暴れ食い」という近江牛、松茸食べ放題の店でメッチヤ食いました、ワインも5本飲んで、近江牛も松茸も自分の限界を超えて食いまくった結果、店のオバちゃんに「もうやめてぇ」と懇願されました、それですね先輩」

私 :「・・・・それは食いテロやん?・・・まあそんな感じかな」

私 :「あと、これは俺の先輩とのエピソードだが、あるとき先輩とメキシコ料理屋にいった時だが、ブリトーだかタコスだったか具材を選ぶ場面があったのだ ビーフ、チキン、ビーンズの三種類で値段は同じだ、お前なら何を選ぶ?」

後輩:「そんなんビーフに決まっとるやないすか!具材の値段が違い過ぎるやないっすか!?ビーフ以外ないっす!」

私 :「やろ?俺もまったく同じ考えなんや、けどその先輩はメキシコ料理の店員に「んじゃ、俺はビーンズでお願いします」 って言ったんやて!カッコよいやろ! 俺はそういう人間になりたいと思っているのだよ、君ぃ」

後輩:「はい、わかる気がします」

 

なかなか目指す人間性への道のりは遠そうですね・・・・今日も仕事しています(^_-)-☆

 さて、2021年の1月のある日、泣かず飛ばずの日々を送る私は『起死回生の旅』に出たパワースポットを廻りパワーを身につけて帰ろう!という旅だ

 天空の社をもつ高屋神社に行った、素晴らしかった、のが前回のブログ

 

 四国を少し西に進み金毘羅さんに行ったのだ、、、が、2,000段近くある階段をクソ重てえバイクブーツでのぼったので、その後何日にも筋肉痛に悩まされたのだ、が金毘羅さんは参道にも店が沢山あったし賑やかな神社だったな

 

 四国から九州に船で渡り別府の温泉めぐりをして(別府は温泉が生活の一部で200円ぐらいの銭湯が町に点在していて面白かった、また行きたい)

 

 それで別府から大阪までフェリーで帰ったのだが、時はコロナの真っ只中、また冬も冬で積み込んだバイクは私の1台だけ、更に一番安いザコ寝の船室は私だけ・・・本当に一人で怖かった、でも生まれて初めての船旅は楽しかった

 

 それから、大阪から和歌山の那智の滝と神社を廻って三重県の伊勢神宮を廻って岐阜に帰った・・・・ハードな旅だった・・・

俺は元気で良かった・・・・

 

 さて、ご利益はいかに? その後も相変わらずの泣かず飛ばずだったなぁ・・・・でも光を求めて生きている感じが良かった

今もあまり変わらないけど希望を忘れず生きている感じが良い!

 

 また『第二回起死回生の旅』に出たいなぁ、次はモンゴルを馬で旅する、とかアラスカを犬ぞりで旅するとか、いいなぁ・・

がんばんなきゃびっくりマーク

 

 では、今日もちやんと仕事してます😊

 

お世話になっております。

今回は自分の経験した『起死回生の旅』について書こうと思います。

 

私は2019年に会社を倒産させてしまい2020年に就職したのだが上手くなじめずに2021年の1月に退社した、思えば上手くいかない人生にぶちあたっていた・・・・・こんな時に思うことは起死回生、神頼み、現実逃避、旅、温泉、など・・・・

失業中なので金は無いが時間はある!バイクで旅にでるか!?しかし時は1月で冬まっっ只中だ、、、しかし人生ドン詰まりなので出ることにした!

 

                     『起死回生の旅』

 

移動手段はバイク(その時は自家用車さえ持ってなかった・・・)でコースは自宅(今も住んでるアパート)から西へ向かって

淡路島~四国~九州 まあざっくりそんな感じでパワースポットを廻ってパワーを身につけて帰ってくる!そんな感じだ

 

さて、そんな1月の朝、バイクで颯爽と旅立ったのだが、滋賀県の米原あたりで吹雪にあった・・・『もう、帰ろうかな』

辛かったが滋賀県を通過したら吹雪はやんだ、ので走り続けた(でも本当に辛い)

しかし神戸あたりから淡路大橋を渡る!さすがに絶景!素晴らしい解放感!四国に上陸して徳島~香川、香川で一泊した、温泉付きのビジネスホテルだった、冷え切った体に温泉が染み渡る! ガチガチの身体が溶けてゆくようだ、ありがたい!温泉ありがたいの巻だった

 

次の日、目指すは  

                    『高屋神社~天空の鳥居」

 

 ご利益スゴイパワースポットだそうだ、道中『こんなとこに本当にあるのか?』と不安になったが、険しい山道を登りたどり着いた!

 絶景も絶景!山頂から鳥居超しに瀬戸内海が一望だった、そりゃああご利益あるわ!心洗われる絶景!いや~パワーもらいました、本当に行く価値ある神社でした

 

 

 ↑が神社の鳥居と瀬戸内海、その時の写真、冬ばれで天気も良かったな~

 

 さて、また続きを書きますね

 

大丈夫、ちゃんと仕事もしています(^_-)-☆

 

 

 

 

 


 

 

 

 

思えば昭和という時代は身勝手な男を健気な女が待つ、という図式が一般的だったのだろう、この曲以外でもそんな歌ばかりだったように感じる・・・・・さて行きます。

 

♪恋人よ 今も素顔で 口紅もつけないままか? 見間違うようなスーツ着たぼくの写真 写真を見てくれ

 

「口紅もせえへん?」大きなお世話や!お前は港区女子みたいな女が好みなんやな、しかも見間違うようなスーツ着たぼくの写真

写真(それも2回も・・)どうせボーナス全部使ってしまったのやろう! 田舎もん丸出しやわ

 

♪いいえ草にねころぶあなたが好きだったの でも木枯らしのビル街 からだに気をつけてね からだに気をつけてね

 

あきらめはじめとる・・・・化粧せんのか?って言われ、更におかしなスーツ写真送りつけられ山口県の田舎町で共有した思い出まで・・・・

 

♪恋人よ 君を忘れて 変わっていく ぼくを許して 毎日愉快に過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない

 

ひ 開き直りよったぁ!帰れない?いやお前はもう帰ってこんでいい!!どうせ「田舎はいいなぁ空気がきれいで、みんなのんびりしてて」とかのたまうに決まっとる! 君をわすれてだぁ! そいつの親にこのこと言ったれ 情けねえ・・・・・

 

♪あなた 最後のわがまま 贈り物をねだるわ ねえ涙ふく木綿のハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい

 

もうええ・・・それぐらいの嫌味は大丈夫や・・・あんたはええ娘や

 

この時代、今もか?地方の若者は東京に行って・・・帰ってこない、その結果私の街もお年寄りばかりなのだ

私はずっと地方都市の岐阜にいるが東京にも言ったことはある(3カ月ぐらいだが)その期間、東京語を話している自分に気づきゲンナリしたのを憶えている、まあいいか。

 

大丈夫!仕事もしています(>_<)

 

 少し前にラジオで「木綿のハンカチーフ」という曲をフルコーラス聴いた

フルコーラス聴くのは初めてではないが、内容を理解するようにしっかり聴くのは初めてだった

1975年発表の本作、太田裕美という歌手の歌なのだがアイドル?うんまあアイドルだったので8時だよ全員集合とかバラエティーとかで良く聴いた記憶だった『いい歌だな・・』ぐらいの印象だった、しかし歌番組ではこの4番まである歌の2番ぐらいしか歌わないのでこの作詞 松本隆 作曲 筒美京平からなる本作の内容を当時理解していなかった・・・・・40年近い時間を経て理解したのだ! ついに理解した

 

♪恋人よ僕は旅立つ 東へと向かう列車で はなやいだ街で君への贈り物 さがす さがすつもりだ

 

   対話形式で進行する本作の冒頭部分だ、男は東京に向かう、おそらく地元の大学を出て東京に就職するために故郷の駅を旅立ったのだろう、さて彼らの故郷はどこだろう?到着するのは東京なので西の街だろう神奈川や静岡では無い近すぎる、旅立ち感が必要だ、すると愛知、岐阜、三重・・・もっと遠い、大阪?いやイメージが違う! 関西人では無い、彼らは東京への対抗意識が強い

心の奥では東京に憧れても言わない!はなやいだ街などとはいわない!! のでもう少し西へ・・・兵庫県、違う、神戸とかじゃない、田舎だ!もう少し・・・岡山?広島?山口・・・・この3県のうちのどれかだ! 容易に帰郷できない距離であることを鑑みて

ズバリ!山口県か!?そうだ、きっとそうだ!!

 そして山口県男は浮かれ気分で上京した、目に浮かぶようだ・・・精一杯のおしゃれで時代的にVANとかのトレーナーにコーデュロイのパンツとか着て故郷を旅立ったのだろう(恥ずかしいヤツ)

 

♪いいえ あなた私は欲しいものはないのよ ただ都会の絵具に染まらないで帰って 染まらないで帰って

 

 彼女は内心、知っていたのだ『こいつはきっと東京で田舎者のくせに早々に浮かれてのぼせあがってしまう』ってね

思えばよくいたものだ高校でて東京の大学に行って夏休みに帰省した時に「へぇ~元気してたんだ~よかったね~心配してたんだよ~」とか3カ月ぐらいですっかり東京に染まってしまうヤツ!

彼女は知りながら、こいつは東京に染まる・・・と知りながら願望として願ったのだ!東京に染まらないで、そして帰ってきてと

 

♪恋人よ半年が過ぎ 逢えないが泣かないでくれ 都会で流行りの指輪を送るよ 君に君に似合うはずだ

 

 おい・・・半年も帰っとらんということか?それで「恋人よ、泣かないでくれ」だぁ?キープか?それで偉そうに指輪を送る?

なんじゃそりゃ!? 送り返したれ!!「こんなもんいらん!」って、せめて3か月に一回帰郷したれ!可哀そうに

 

♪いいえ 星のダイヤも海に眠る真珠も きっとあなたのキスほど きらめくはずないもの きらめくはずないもの

 

 ・・・・欲求不満や欲求不満やないか!?半年も放置されたら欲求不満やろ!可哀そうに、そんなこと言うから図にのるんやわ

 

 

  アカン腹立ってきたわ! 今日はこのへんで ちゃんと仕事しています(^_-)-☆