思えば昭和という時代は身勝手な男を健気な女が待つ、という図式が一般的だったのだろう、この曲以外でもそんな歌ばかりだったように感じる・・・・・さて行きます。

 

♪恋人よ 今も素顔で 口紅もつけないままか? 見間違うようなスーツ着たぼくの写真 写真を見てくれ

 

「口紅もせえへん?」大きなお世話や!お前は港区女子みたいな女が好みなんやな、しかも見間違うようなスーツ着たぼくの写真

写真(それも2回も・・)どうせボーナス全部使ってしまったのやろう! 田舎もん丸出しやわ

 

♪いいえ草にねころぶあなたが好きだったの でも木枯らしのビル街 からだに気をつけてね からだに気をつけてね

 

あきらめはじめとる・・・・化粧せんのか?って言われ、更におかしなスーツ写真送りつけられ山口県の田舎町で共有した思い出まで・・・・

 

♪恋人よ 君を忘れて 変わっていく ぼくを許して 毎日愉快に過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない

 

ひ 開き直りよったぁ!帰れない?いやお前はもう帰ってこんでいい!!どうせ「田舎はいいなぁ空気がきれいで、みんなのんびりしてて」とかのたまうに決まっとる! 君をわすれてだぁ! そいつの親にこのこと言ったれ 情けねえ・・・・・

 

♪あなた 最後のわがまま 贈り物をねだるわ ねえ涙ふく木綿のハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい

 

もうええ・・・それぐらいの嫌味は大丈夫や・・・あんたはええ娘や

 

この時代、今もか?地方の若者は東京に行って・・・帰ってこない、その結果私の街もお年寄りばかりなのだ

私はずっと地方都市の岐阜にいるが東京にも言ったことはある(3カ月ぐらいだが)その期間、東京語を話している自分に気づきゲンナリしたのを憶えている、まあいいか。

 

大丈夫!仕事もしています(>_<)

 

 少し前にラジオで「木綿のハンカチーフ」という曲をフルコーラス聴いた

フルコーラス聴くのは初めてではないが、内容を理解するようにしっかり聴くのは初めてだった

1975年発表の本作、太田裕美という歌手の歌なのだがアイドル?うんまあアイドルだったので8時だよ全員集合とかバラエティーとかで良く聴いた記憶だった『いい歌だな・・』ぐらいの印象だった、しかし歌番組ではこの4番まである歌の2番ぐらいしか歌わないのでこの作詞 松本隆 作曲 筒美京平からなる本作の内容を当時理解していなかった・・・・・40年近い時間を経て理解したのだ! ついに理解した

 

♪恋人よ僕は旅立つ 東へと向かう列車で はなやいだ街で君への贈り物 さがす さがすつもりだ

 

   対話形式で進行する本作の冒頭部分だ、男は東京に向かう、おそらく地元の大学を出て東京に就職するために故郷の駅を旅立ったのだろう、さて彼らの故郷はどこだろう?到着するのは東京なので西の街だろう神奈川や静岡では無い近すぎる、旅立ち感が必要だ、すると愛知、岐阜、三重・・・もっと遠い、大阪?いやイメージが違う! 関西人では無い、彼らは東京への対抗意識が強い

心の奥では東京に憧れても言わない!はなやいだ街などとはいわない!! のでもう少し西へ・・・兵庫県、違う、神戸とかじゃない、田舎だ!もう少し・・・岡山?広島?山口・・・・この3県のうちのどれかだ! 容易に帰郷できない距離であることを鑑みて

ズバリ!山口県か!?そうだ、きっとそうだ!!

 そして山口県男は浮かれ気分で上京した、目に浮かぶようだ・・・精一杯のおしゃれで時代的にVANとかのトレーナーにコーデュロイのパンツとか着て故郷を旅立ったのだろう(恥ずかしいヤツ)

 

♪いいえ あなた私は欲しいものはないのよ ただ都会の絵具に染まらないで帰って 染まらないで帰って

 

 彼女は内心、知っていたのだ『こいつはきっと東京で田舎者のくせに早々に浮かれてのぼせあがってしまう』ってね

思えばよくいたものだ高校でて東京の大学に行って夏休みに帰省した時に「へぇ~元気してたんだ~よかったね~心配してたんだよ~」とか3カ月ぐらいですっかり東京に染まってしまうヤツ!

彼女は知りながら、こいつは東京に染まる・・・と知りながら願望として願ったのだ!東京に染まらないで、そして帰ってきてと

 

♪恋人よ半年が過ぎ 逢えないが泣かないでくれ 都会で流行りの指輪を送るよ 君に君に似合うはずだ

 

 おい・・・半年も帰っとらんということか?それで「恋人よ、泣かないでくれ」だぁ?キープか?それで偉そうに指輪を送る?

なんじゃそりゃ!? 送り返したれ!!「こんなもんいらん!」って、せめて3か月に一回帰郷したれ!可哀そうに

 

♪いいえ 星のダイヤも海に眠る真珠も きっとあなたのキスほど きらめくはずないもの きらめくはずないもの

 

 ・・・・欲求不満や欲求不満やないか!?半年も放置されたら欲求不満やろ!可哀そうに、そんなこと言うから図にのるんやわ

 

 

  アカン腹立ってきたわ! 今日はこのへんで ちゃんと仕事しています(^_-)-☆

 

 

 昨日、中森明菜について書いたのだが何故か寝覚めが悪い・・・何かが引っかかっている・・・・

 

 「少女A」・・・・・「熟女B」by五月みどり そうだ!五月みどり「熟女B」

少女Aに驚いた後に熟女Bに度肝を抜かれた!!

忘れようにも思い出してしまう・・・うう・・♪バナナの皮をむくようにぃ~わたしの服を脱がせてねぇ わたし熟女Bぃ~♪

なんというパロディー!五月みどりさんは『おひまならきてよね』とか『一週間に10日来い』などのヒット曲で有名で何を血迷ったか日活ロマンポルノにも主演し熟女ブームを牽引したアーチストだ!明菜はどう思っただろうか?「熟女B」

 

 さて、そんなことはどうでも良い、今日はピンクレディーについて書こう(日曜日だから)

 

 私はピンクレディーを知っている、登場した時から、小6だったか?日曜日の午後なんとなくテレビを観ていた、司会はせんだみつおだった(当時、せんだは人気者だったな)

 

 そしたら出てきたのだ!超ミニのワンピースの二人組の女の子が!歌は『ペッパー警部』驚いた!せんだも驚いていた、ゲストの松崎しげるも驚いていた!歌が終わったあとスライディングしていた!色気があふれていた!ダンスも挑発的だった!

 多分デビューの時は多分ね お色気路線だったのでは?思春期の男子やスケベなオヤジがターゲットだったのでは?

 

衝撃の初見からしばらくして売れた!ピンクレディーは売れた! なぜか女子に売れた!もちろん男子にも人気があったのだが

女子、私と同世代の女子で『UFO』を踊れない女子はいない(多分・・)休み時間には教室のいたるところで『UFO』が踊られていた!『UFO』多分この曲あたりがピークだろう、毎日聴いた、自分の意思ではないが耳に入ってくる・・・・

このころのヒット曲は好きでなくても覚えてしまう、アホな友だちと♪地球の男に飽きたところよ!というフレーズに「なにいっとるんやミーちゃん、俺まだ試してもらってへんやん へへへ」と・・・・(ミーちゃんの方が好き)

 

 まあ、脱線したが、この頃から彼女たち、徐々に明るさが失われているように感じた・・・痩せていっていたし

聞けば全然睡眠も取れないほどに多忙だったそうな・・・この時代のアイドルの過酷さはヒドイ、にもかかわらず給料は異常に安かったそうだ、同時代のキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」という名台詞は本心なんだろうな・・・・

 

 健康的なお色気はいつしか失われ、人気は下降し時代を席巻したピンクレディーは人のまばらな後楽園球場で解散した

 

 芸能界とは厳しいところなんだなって思う、でも彼女たちは氷山の一角と言って良い成功例なのだろう、日の芽を観ることなく消えていく大多数のアイドルの中で。

 

 さて、今日はこれまで、仕事もちゃんとしています(^_-)-☆

 本日は土曜日、あいかわらず事務所にいるのだが土曜日なのでユルユルしています。

 

 中森明菜について書こう!

 

 彼女は私の一つ年下かな?まあ同世代ということだ、中森明菜の登場は衝撃だった!デビューから2作目か、タイトルも衝撃的なのだが『少女A』歌詞の中にも♪いわゆる普通の17さいだわ♪とあるから彼女は17歳だったのだろう、17歳のアイドルなら通常はメルヘンチックな内容、つまり松田聖子の『赤いスイートピー』とか河合奈保子の『ヤングボーイ』とか、彼女の少し前に登場したアイドルにしてもそんな感じだ

 

 しかし明菜はニコリともせず♪わたし少女A~ と歌う この時代のアイドルに対する特異性には私たちは大いに驚き先の聖子、奈保子の反対側のニーズを独占した感がある、かくいう私も明菜派ではある。

 

 『少女A』から明菜の快進撃は始まる!ヒット曲を連発しレコード売上は松田聖子を凌駕していた。時代は同化するものより反抗するものを求めたのだろう

 

 しかし誰もが同じだが恋愛をした・・一途な恋だ、この一途さが相手の近藤さんには重すぎたのか?まあモテルし若いから他にも目がいくのか?(気持ちはわかるよマッチ)また、芸能界のダークな部分も併せて・・・・つまり彼女は恋に破れた・・・・

聖子ぐらいタフで『お~ら次々ぃ~』と感じれたら良かったのだけど上手く自分をコントロール出来なかった明菜ちゃん

 

 それからしばらくしてTVから姿を消してしまった・・・・30年以上も・・・・何をしていたのだろう?

 

 最近、明菜は戻ってきてくれた、私たちの前に、映像をみた・・・・

 

 正直いって悲しかった、あのギラギラした表現者として突き抜けた彼女は?

歌声は声量も音域も、動きも、容姿も、MCで話す内容も・・・・見る影もない

 

 しかしファンはみんな明菜を温かく迎えてくれた、彼女をずっと待っていてくれて声援を贈ってくれた・・・悲しかったし、うれしかった、帰ってきてくれただけで良かった! 生きていてくれただけでよかった!!

 

 日本人って優しい!って思った。

 

では、仕事もしています(^_-)-☆

 8Born株式会社ですが、JAさんの温室に宮古から取り寄せたマンゴーを置かせていただいて育てております。

 

 この温室が素晴らしい施設で室温が35度を超えると排気ファンが猛烈に回転し始めるのです、なのでこの異常な暑さの夏でも

温室の中の方が涼しい現象が!

 

 まだ、今年の春に導入したばかりなので本格的には来年に実をつけ始める予定ですが、気の早い娘が実をつけています。

まだ小さい実ですが食べてみると『なんと美味い!』おそらく海原雄山も「士郎、、、まあ食えなくもない、、、」と最大限の賛辞を贈る美味さだ!

 

 さて、ここまで美味いと更なるファイトに満ちてくる!

 

 おかしな記事ばかり書いている社長のブログですが、今日は真面目にいきました。仕事もちゃんとしています(^_-)-☆

 前回MTVの事を書いていたらなんか急に嫌になって最終回にしてしまった『音楽と人生』番外編でコンサートを振り返ってみようかな? 61のオヤジの忘備録だから・・・・笑って許して!

 

 ということで、最初に見たアーチストは長島温泉でのR&Bの女王 和田アキ子でした!小学生だったのでアッコのソウルフルな部分は響かなかったけど生バンドの迫力とアッコの歌声は迫力満点だったな~

 

 で、次に見たのが父のロータリークラブのクリスマス会でのキングトーンズ!知ってるかなドゥーワップというかR&Bのコーラスグループで代表曲は♪グッドナイトベイビー♪ きぃっとい~つぅかは 君のぱぱもほ グッナイ グナイベイビー 涙こらえて~

ってヤツ、いい曲なんだけどヒット曲がコレしかないのか?ワンステージで4回か?グッナイベイビーを歌った・・・・

 

まあ上記は小学校の体験です

 

 そして高校になって

1980年、高1の春かな?だからまだ15歳か、Jガイルズバンドを見た!名古屋でだ!LP『ラブスティンクス』を出したツアーだ、このバンドはこの後

『堕ちた天使』というLPを出して堕ちていく(売上は爆上がり!)のだが、おそらく最高の状態のコンサートだ!フロントマンのピーターウルフがカッコよく、マジックディックのマウスハープが聴いたことのない音を出し、ギターのJガイルズも素晴らしく他のメンバーもガッチリとタイトでパワフルで・・・・とにかくKOされた!アンコールも5回か6回ぐらい出てくる(今思えばそれがJガイルズの顧客満足獲得法だったかな?)

まあ、アメリカのB級バンド、まだ売れる前のギラギラしたバンドを見れたのは幸運だった!

 

 ラモーンズやボブマーレイーも見たな

 

 それから自分もバンドをやっていたので日本のアーチストのライブが中心となったRCサクセションやARB、モッズ、ルースターズなんか色々、中でもARBは好きで沢山出かけたな、石橋凌にはスゴイ憧れて今でも『魂コガシテ』という歌は私の人生のテーマソングです

 

 大学生になってからもドゥービーブラザーズやボズスキャッグスやボブディラン(トムペティーも一緒だった)それからブルーススプリングスティーン(Eストリートバンドも)トレイシーチャップマン、ピーターガブリエル、シンディローパー・・・あと

 

 働き出してからはあまりいけなかったけど40歳ぐらいからイーグルス(再結成してからの)エリッククラプトン、THE WHO(感激やったな)ブライアンセッツァー(ストレイキャッツの人)ジェフベック、ホールアンドウォーツあとクレイジーケンバンド(好きだったなー)

 

 なんかいっぱい忘れてしまっているけど、またコンサート行きたいな~

 

 では(仕事もしてます(^_-)-☆)

 遺品整理屋のオヤジが今や音楽評論家気取りである・・・・

 

 私の青春時代1970台後半~1980初頭にかけて音楽シーンは60年代70年代にスターだったビッグアーチスト(ポールマッカートニー ローリングストーンズ エルトンジョン他)は時代に乗り遅れまいとディスコミュージックやテクノポップを取り入れた音楽を恥ずかし気もなく垂れ流していた(商業主義とは?私はウンザリしていた・・・・((パンクの影響か?))

 

 しかし時代はそういうOLDWAVEを嘲笑うかのようにアフターパンクのNEWWAVEが百花繚乱となる、ポリス、ダイアストレイツ(これもニューウエイブだった)ポップグループ、ブロンディー(デビーは素敵だったな)プリテンダーズ(クリッシーカッコよかった)ディーヴォ、B52、ヒューマンリーグ・・・・本当にドキドキした!今思うと音楽志向がぐちゃぐちゃだが実に楽しい時代だった

 

 そして80年代も中ごろに差し掛かると、あれだぁMTVが出現した!マイケルジャクソンやマドンナが俊逸なビジュアルと共に音楽を発表したのだ・・・それは良い彼らは良いのだ・・・

 

 しかしそれが無いと音楽が売れない時代になってしまった、私の好きなアーチストのブルーススプリングスティーンやJガイルズバンドまでが、変な子芝居付きのミュージッククリップを出し始めたのだ・・・見てる方が恥ずかしくなる・・・

 

 さらにこの時代の音楽はシンセサイザー(DX7)の安い音やドラムの音もゲートリバーブのかかったパシッパシッという音で本当に嫌いだった! ウンザリした私は時代の音楽を聴くのをやめてしまった・・・・

 

 AC/DCというバンドがある、彼らはMTVの時代に売れなくなったが、MTVブームが去るとまた売れ始めた、彼らはミュージッククリップに力を入れなかったのだ『音楽勝負や!』と思っていたのだ!なのでブームが去ったあと売れ始めた、彼らは何も変わっていない、勝手に時代が浮き沈みをつくり出していたのだろう。

 

 とにかくMTVで終わった私の音楽だったな(偏見は承知なのだが)

 

 それから昔の音楽を聴くだけだ、コンサートも昔のアーチストのヤツしか行かない、モチベーションは昔好きだったから、見とかないと死んでしまうから・・・・

 

 ドキドキすることは無くなったのは80年代の中頃だった、まだ20歳

 

 このあたりで音楽と人生シリーズは完結としよう。

 

 では(仕事もしてますよ(^_-)-☆

 私は会社(8Born)の事務所で音楽を聴いているリサイクルショップで買ったアナログ盤もCDもカセットも聴ける優れもので確か8,500円ぐらいで買ったコンポだ、一人の時に少しボリュームを上げて聴くのだ老眼鏡をかけて歌詞やライナーを読みながら聴くのは至福の時だ!

 今風の女子が「音楽が人生? ってか 人生が音楽?」

       「どっっちでもいいよ~めんどくせー」

       「だよね~ あははは(空虚な笑い)

       と言われても仕方ないくらいに音楽が好きで61になった!

こんなオヤジの駄文を読んでいただいている事は凄く励みになります、ありがとうございます。

 

 さてシリーズも6回となりました今回は私のアフタービートルズについて書こうと思います。

 

 殿さまキングスからビートルズそしてソロ活動を経てもっと色んな音楽を聴こうと思った私はロック名盤100枚みたいな本で上位にランキングされているアルバムを聴こうとボブディランの『ブロンドオンブロンド』という2枚組のLPを買った・・・聴いた・・

その時の感想は正直に・・『なんじゃこりゃ?』だった・・・1曲目から調子の狂ったラッパが鳴りマーチ風の音楽で笑ったり叫んだりダルな調子で続くのだ・・・『ラリっとるんか?コイツ」(いや実際ラリっとるのかもしれん)

思えばビートルズはしっかりしとる!曲も演奏もハーモニーも、やはりヨーロッパ人だなと思った

 

 しかし、しかしだ、高い金を出して買ったLPだ!我慢して聴いていくうちに大好きになったディランの『ブロンドオンブロンド』

やはりアメリカ人のディランのルーツミュージックはブルース、ブルーグラス、フォーク、ジャズたちなのだ、なので本作はナッシュビルで録音したそうだ、ラフでダルな感じが心地よく聴こえるようになったのだ!(レンジが広がった!)

 

ビートルズはPOPミュージックの可能性を追求したのに対してディランはアメリカのルーツミュージックのサウンドの中で楽曲を表現したのだろう

 

 それからローリングストーンズ!も大好きになったWHOも、ちなみにビートルズをいれてブリティシュロック御三家というそうだ

日本という国は何でも御三家にしてしまう橋幸夫、舟木和夫、西郷輝彦とか秀樹、ひろみ、五郎、タノキントリオみたいな・・・

まあ良いか!

 

色んな音楽を聴いた!思春期に沢山聴いた!心に刺さる音楽が沢山あった!幸せだった!

 

また次回も音楽と人生について書こうと思います(仕事もしています) では

 さてさて脱線しまくりの『音楽と人生』シリーズだが、シリーズとは得てしてそういうもので名作『男はつらいよ』であっても

長いシリーズの中には素晴らしい!涙が止まらない・・・・てのもあれば『なんやコレ?』というヤツもある、うんある。。。

なので気にせず61歳のオヤジの人生の忘備録(うん、良いな!)ぐらいの感じで書いていこう。

 

 あらためて私は音楽が好きです!

 

 好きなものとの出会いを書こうと思います

 

 初めて買ったレコードは殿さまキングスの『涙の操』でした、まあああいう音楽が好きなのでクールファイブとか、うん今でも好きなのですが、小学生がランドセルを背負って♪あなたぁ~のためぇにぃ~守りぃ~通したぁ女のぉ操~♪と歌っているのは妙な感じですが・・・・この後が大事です

 

 中一の夏になる前でしたAMラジオ(岐阜放送)を聴いていたらスゴイ音楽が流れてきました、若々しいエネルギーに溢れた音楽でした歌は英語なので何を言っているのかわからなかったのですが衝撃を受けました!激しい衝撃でした、調べるとそれはビートルズでありました!LPをまるごと放送していたのでしたLPはA Hard Days Night でありました、ポップな曲やメロウな曲や楽曲が素晴らしいと思いました、ビートルズの名前は以前から聞いていたのですが音楽を聴いたのはその時が初めてでした、それ以前に知っていた笑点出身の4人組『ずうとるび』に異常に腹がたったのを覚えています。

 

 それからはビートルズです寝ても覚めてもビートルズですLPを買ったり、人に買わせたりして聴きまくりました、聴くだけではとどまらず関連の本も読みまくりました、半年もたたずにビートルズ博士状態です、毎日ビートルズを掛けるので家族や近所の人や知人、親戚からビートルズキチガイと言われました。

中一だから1976年か・・・思えばまだ解散して6年ぐらいか?まだ4人も若かったからそれぞれに活躍していたし再結成の噂も流れたりした、ビートルズを一通り聴いたのでソロ活動の音楽に流れていった、ポールはなんかPOPS路線に走って『なんかチャライヤツ』って感じになったけど・・・・反対にジョンはどんどんシンプルに研ぎ澄まされていった感じがする、最たるものが『ジョンの魂』というLPで、退行催眠の心理療法を受けて人のコンプレックスの核心に辿りつく! ジョンのコンプレックスの核心が『お母さん』だったのだ、LP1曲目が「マザー」という曲で正に赤裸々に叫ぶように歌うジョンが痛い苦しい!他の収録曲もヘビーで苦しい

聴き終えた後に買ったレコード屋に返しにいこうと思ったほどに重苦しい・・・・正に名作

 

 それからジョンレノンに傾倒しソロのLPを聴きまくった、しかしジョンはその時期1976年~1980年は小野洋子との間に出来た子どものショーン君のハウスハズバンドで音楽活動を休んでいた時期だった、私はいつジョンがレコードを出しても買えるように机の奥に2500円を隠していた(当時のLP料金)

 

 で!やっと出た待望のLPダブルファンタジー!発売日に買ったヨーコの曲は?まあいい!ジョンの曲はいい歌ばかり、さすがジョンレノン!!すごいうれしかった!!!

 

 なのに死んじゃったジョン・・・たった40歳・・・あなに悲しい出来事は・・・今、こうして書いていても悲しい・・・

最近、従弟にあって、その時の私について「他人の死であんなに悲しんでいる人を始めて見た」と言われた

 

音楽との出会いはビートルズだったな。

 

 さて、勝手なシリーズ化の「音楽と人生」も⑤を数え、そろそろ ええ加減にせなアカンと思っています・・・

 

 今、朝ドラ「あんぱん」を観ています、最近のテーマが「手のひらを太陽に」という主人公が作詞した有名な楽曲が週のテーマだった。

 ♪ぼくらはみんな 生きている

  中略

  ミミズだってオケラだってアメンボだって

  みんなみんな 生きているんだ

  友達なんだ

 

  僕が小学校の頃、多分、音楽の時間にこの歌を歌っていたのだと思う、純真だった僕は

『ああ・・ええ歌や・・ホントや生き物はみんな友達なんや・・・』と歌のメッセージを受け取った!!

 

 数日後、私は家の裏の空き地で驚愕のシーンを目撃した! なんとオケラがミミズを捕食していたのだ・・・

しばし茫然自失だったが、私はオケラに「やめろ!友だちやろ!?」と叫び両者を引き離した・・・・

私は考えた『食べられても 友達なのだろうか?ミミズ君?』小学生の私は『いいいや違う!断じて違う!!それは敵や!!!』

と確信し、意を決して学校でみんなに伝えた

「おーい、あの歌ウソやぞ、昨日オケラがミミズ食べとったんやて~!」と言ったのだ

みんなの反応は様々だった「うそやろ?」「いや俺も見たことある」「それでも友達やろ!」「アホか食われてなんで友達なんやて!」

クラスに波紋が広がった・・・・さしあたり私と何人かの仲間は音楽の時間に歌唱拒否をした(すみません、アホなガキの出来心です)

 

看過できない、と判断した担任の先生が学級会で「ミミズとオケラは果たして友達なのか?」というテーマで討論した

まあ、色んな意見が出て、なぜかミミズのために泣き出す女子もいたりして、、、

あまり結論を記憶してはいないのだが、自然界のしくみの上で食う食われるの関係は友達!という先生の考えが押し通された形で

結果「私の負けミミズとオケラは友達」として私は釈然としない思いで目撃した裏の空き地にたたずみ

「ごめんなミミズ・・・もう助けたれんわ」と思った。

 

そんな金木犀の香りがした少年時代の思い出でした。

 

なんかすごく脱線しているので、今回「音楽と人生」は最終回にする予定だったけど、また書きます。

 

ご精読いただいた方ありばとうございました(仕事もちゃんとしています)