さて、3年たちましたシリーズも最終回にしたいと思います。

 

 この遺品整理という仕事を通じて私が強く感じたことは、この仕事は『亡き人と遺品を通じて会話して残された遺族様の心を慰める仕事』だと感じています、遺品を片づけていると写真やCDや本なんかから亡き人をリアルに感じることができます、少し不思議な感じになる時もあります

 あと、私も経験ありますが自分の親族の片付けは思いがある分、手が動きません(ああ・・この写真は・・・)とか思ってしまうからです、私たちは仕事なので手際よくしますが親族さんに寄り添う気持ちを片時も忘れてはいけない!と戒めています。

仕事が終わった時に「これでホッとしました、ありがとう」と言っていただけると『少しは心を慰めることができたのかな?」と思えます。

 

 3年間でいろいろなドラマを見させていただきました、この仕事を選んでよかったと思っています、今からも本業を通じて人の心を慰めていきたいと願っています。

 

 ありがとうございました。

 孤独死および特殊清掃をテーマとした書き込みが続いていますが辟易としていませんか?

でも今の国と地域が直面している問題な気がします、いましばらくお付き合いください。

 

 私は2019年に仕事を失いました、それからしばらく働かずにいたのですが2020年の3月からリース建築の会社に雇っていただき営業の仕事をさせていただくことになりました、飛び込み営業をするセールスマンです。

 

 就職した直後に新型コロナが蔓延しはじめました・・・・パンデミックスです、日本中いや世界中がコロナで大騒ぎでした

感染を防止するためにマスクが無くなり、ステイホームといって家の中に閉じこもることが奨励されました、不特定多数との接触

三密、飲食店の休業、時短営業、旅館ホテルは休業・・・・・大混乱でした

 

 私はそんな時に飛び込み営業をはじめました、簡単に会ってはくれません、ほとんどインターホン超しの話で終了でした、消毒スプレーを噴霧されたこともありました・・・・・無理でした上手くいきませんでした1年で退社しました。

そんな時代が2020年 2021年 2022年と三年続いたと記憶しています。

 私の会社は2022年の秋過ぎに始まりました、コロナの終息を待っていた訳ではありませんが幸運だったと思います。

 

 話がズレたわけではありません「孤独死」という問題はパンデミックスを経て若年層にも散見される状態になっていました

それはこのようなケースです。

 

 コロナが蔓延しステイホームの名のもとに非正規社員の20台の男子が自宅待機になってしまいました、毎日家にいても何もすることはなくゲームと酒にあけくれました、お酒はだんだん摂取量がエスカレートするようで、コロナの3年間酒を飲み続けたようです

コロナは終わりましたが彼は職場復帰出来ず2024年に自分の部屋で亡くなりました・・・・お父さんから依頼を受けて特殊清掃をさせていただきました、お父さんといっても私より若かったのですが憔悴しきった様子でした、子に先立たれた親の姿ほど悲しいものはありませんずっと悲しい目をしていました。

片付け終わって帰る時のお父さんの悲しい笑顔が今でも目に浮かびます。

 

 やはり書いていて少し気が滅入るのでこのへんで。

 ついに「3年たちました」も8まできてしまいました、そろそろ終わりにしようと思います。

 

 さて前回の続きで特殊清掃のケースについて書きたいと思います

 

 岐阜に帰ってきてから1年経過した2023年の夏に依頼がきました、老夫婦の旦那様からの依頼でした、現場に迎いお話を聞くことになりましたが、どうも憔悴しきった様子でした、概ね次のような話です

 ①ある日妻が突然いなくなった

 ②妻は認知症である

 ③失踪してから一週間後に近所の方の倉庫で見つかった

 ④発見されたときは既に死亡しており死後一定時間が経過していた

 前回と同じく真夏の孤独死は厳しいです・・・・このケースも腐敗が随分と進行していたようで、私たちが現地を見たときにも

『ああ・・・東京と一緒の人間の臭いだ・・・」と思いました・・・表現できない臭いです血液と流れ出た体液と腐敗した臭いです

 『どんな思いだったか?彷徨い歩いて苦しんだ末に他人の倉庫で亡くなる』 みんな悲しいです、ご主人も、倉庫の持ち主も

彼らの家族も、私たちも・・・・悲しみに満ちた現場で特殊清掃をさせていただきました。

 虫が湧いていたので消毒し、血液や体液が付着した物品を分別し、外部に出し、再び消毒と消臭をした上で内部を高圧洗浄し、再度消臭しました、処分品は養生の上に外に置き、その他の物品は倉庫に戻しました、最後に消臭、消毒です、しかしその臭いはなかなか簡単には取れません、あとは扉を開放し時間の経過に期待するわけです。

 

 仕事が終わりました、不思議にみんなの表情が少しやわらいだ気がしました・・・・気のせいでしょうか?

それぞれの心に悲しい出来事は多分ずっと残るのでしょうが、私たちの特殊清掃という仕事によって現地でおきた悲しい出来事は終わりました、限定的ではありますが安堵していただくことが出来たのでしょう

 私たちにも辛く悲しい仕事ですが、上手くいえませんが『良い仕事をした!』と感じました

 

 この国の高齢化という問題が生んだ悲しい現実がここにあります、高齢化社会、老々介護・・こういう問題を解決する事は出来ませんが、このようなケースの処理については貢献することができます、まだまだ増加するであろうこのケースに心をもって向き合っていきたいと思っています。

 

 次回も書きたいと思います。

  この遺品整理という仕事を始めて一番感じることは

この世の中の問題を皮膚感で感じる、ということです。

【ゴミ屋敷・孤独死】

    ↑この体験を最初にしたのは2022年の7月の東京での研修でした

まだ若い多分30台~40台の男性の案件でした、アパートで一人暮らしされている方の孤独死であったと記憶しております。

もちろん部屋にご遺体は無いのですが入室と共に驚きの光景、高さ1m程度のゴミの山、ゴミには生ごみ(コンビニ弁当や酒類、スナック類、本雑誌 等)の山、浴室やトイレにもゴミは山積みで排泄物もペットボトルに詰め込んである状態でした

真夏だったので生ごみが腐った臭いに人体から出た体液の臭いが混じって経験したことの無い臭いでありました

また様々な虫が大量発生していました

そこの片付けをしました膨大な量のゴミを撤去していくと床のフローリングに人形の血液の跡が現れました、夏の孤独死は惨いです、私たちの片付けが終わった後は消臭(オゾン)内装の切り取りが特殊清掃業者によっておこなわれました

なんとも言えない気持ちでアパートに帰りました、皮膚に染み付いた臭いを落とそうと風呂で強く皮膚をこすりました、なかなか落ちない臭いにその日は7回風呂に入りました、しかし鼻孔に残った臭いは容易には消えませんでした

もちろんその日は食欲はなくビールを飲みました、疲れていたせいもあり酔いが早く回り、朧気に孤独死された方の事を思いました「可哀そうに・・・真際に何を思っただろう?」その夜は一晩中彼が頭から離れませんでした(部屋の中にある写真で顔が分かるから)朝方に思ったのは『これは本当に価値のある仕事なのでは、世間に迷惑をかけた俺にふさわしい仕事なのでは?』

と思いはじめました

『遺品整理』という仕事は人の最後に寄り添う崇高な仕事だと感じ、3年経過した今もその確信をもっています

良い経験をしたと思いました

 次回ももう少しこのテーマで書かせていただこうと思います

 

 

本日は、浴室のみのクリーニングのご依頼をいただき、お仕事させていただきました。

 

ご年配の方からのご依頼で、腰が悪く、ご自身がかがんで、掃除は難しかったため、

床の奥のカビがどうしようもなかったとのこと。

早速、クリーニング開始。

 

カビがぎっしりでしたが、きれいにさせていただきました。

これで、毎日気持ちよくお風呂には入れるとのご感想をいただきました。

 

今回のような、おうちの中のある一部分だけの清掃、片付けなど

お気軽にご相談ください。

 8Born(エイトボーン)が、お手伝いさせていただきます!

 

 

 

     Before                                                                   After

             

              

 

 

 

 

  昨日なんと私のこのつたないブログを読んでくれている人を確認した!

ので、喜び勇んで続きを書こうと思いました

 

 岐阜にかえってからでしたね

 

 東京修行から帰って、さて遺品整理の仕事を始めよう!とは思ったものの・・・・何をどうして始めたものか?

なので友人から紹介してもらい、山口県の岩国市で遺品整理の仕事をしている方を紹介してもらい「第二期修行(岩国編)」に出かけました、今度は3~4日の予定でした しかし前に紹介させていただいたボロボロのエアコンも一切効かないBorn号での遠征なので岩国までの道のり自体がアドベンチャー状態でありました、しかし「なるほど なるほど」の気づきも沢山あり短期間でしたが有意義な研修になりました、また先方の社長さんとは趣味や話に共通するものが多々あり現在も親交が継続しています。

 

 そして2022年から2023年に年が変わるころに当社8Born(エイトボーン)の遺品整理業がはじまりました

最初はお世話になっているJAぎふ様の役員さんや職員さんの家の整理からでした、さまざまな方々にご指導いただき手探りでしたが仕事を始めることができました感謝でした。

 

 そして一般のはじめてのお仕事がきました

 

 岐阜市内のアパート4階建てエレベーター無し、私より少し上(62、63?)ぐらいの方の亡くなられた後の遺品整理でした

1人暮らしの男性でした、夜間の急死のようです

 几帳面な方だったらしく部屋の中は整然としていました、遺品整理という仕事は故人と対話するかの仕事です片づけるうちに

「ああ、こんな本を読んでたんだ、俺と一緒な趣味!? こんなCD聴いてたんだ・・・・」とかアルバムの整理をすれば、その方がいるような感じすらしてくることもあります

 

 違うかも知れませんが故人に寄りそって仕事する、亡き人に思いをはせて仕事をする、とはこういうことなのか?と感じました

片付けが終わった時は何か「スッキリ」すこし寂しい感じがします。

 

 この片付けには故人は5人の男ばかりの兄弟の4番目の方だったみたいで、お兄ちゃんたちが隣の部屋で寂しそうにタバコを吸っていたのが印象的でした

 

 最初の仕事でしたが遺品整理という仕事が少しだけわかった気がしました、よい始まりの仕事だったと思っています。

 

 また書かせていただきます。

 

 少し投稿がご無沙汰になりました

話の続きは東京の修行から岐阜へ帰ってきたところからでした

 その前に気づきというか

 私は人生が終わった・・・どん底だ・・・と思う体験をした人間ではあります

落ちぶれたとかも感じました、またアカンことですが「お前は終わった」という幻聴が聞こえたりもしました

様々な方々に迷惑をかけてしまったという自責の念から吐くことが不定期にありました

 

 しかし、私は思いました「俺は落ちぶれたのか?」その自問自答の答えについて

まわりの状況、環境が変化したのだ、つまり社長じゃなくなった、家がなくなり貯金がなくなり車がなくなり廻りに人がいなくなっだだけだ・・・・・俺は俺だ何も変化していない、でもこの環境に腐ったり潰されたりしたらダメだ、強く自分を保ち向上心を持って生きていかなければ!

そう思ったのです

多くの私と同じ体験をした人たちが自分を責め世間を恨んで酒におぼれたり、やる気をなくして本当にダメになってしまう

悲しいことです

生きている限り希望があります!私は同じような経験をした人たちを励ましたいと思っています。

 

 さて、岐阜に戻ってから・・・・また次回ですね。  では

 さて、3年経ちましたもパート④まできました

 

なぜか忘備録のようになっていますが、前の会社が倒産したあと、倒産は令和元年の8月末だったのですが、その直後に創業者である父が入院して、その年の12月1日に亡くなりました

 不思議なもので会社が無くなって父の枕元に沢山居ることが出来ました、父は意識も虚ろでまともな会話はできませんでしたが

間際の父と一緒にいられたのは幸せでした

最後が近くなると昏睡状態が多くなりました(ああ、、もうアカンのか?)という瞬間が何回もありましたがオヤジは驚異的な生命力で何度も戻ってきました

不謹慎ですが私は臨死体験に興味があったので「オヤジ、川みた?三途の川」と聞きましたが「見とらん・・」と答えました

なんか私も面白くって笑ってしまいました

あまり分かり合えない親子でしたが私はオヤジを尊敬していたし大好きでした、そんなオヤジの出身地であった岐阜県七宗町から」命名された前の会社である八創建設を不詳の息子の私は倒産させてしまいました・・・・ですがもう一度立ち上がるのなら

8の字をもらおう! 七転び八起きの精神で、もう一度、魂コガシテ!生まれ変わろう、という思いで会社名を

 

  8Bornにしました

 

 岐阜にもどって事務所も借りて仕事が始まりました、車が必要なので写真の軽バンを買いましたボロボロですエアコンも効かない、20万円でした、でもなぜかよく故障するこの車がカワイイのでBorn号(ボーン号)と呼んでいました。

 

 まだ仕事も無い状態でしたが未来があって夢があるって楽しいと思っていた令和3年の秋の頃でした。

また続けます。

 

 さて、ついにサラリーマン不適合の私も独立しました。

 

 そして、私が独立した仕事は遺品整理・・・しかしわからない・・・仕事がわからない・・・私

 修行の旅にでました!東京に!田舎者(岐阜)は東京に行きたがる、実は東京で生活することに憧れていたのです

ずっと若いころから、57歳で夢が叶った俺! 5月の連休明けから3か月(盆まで)世田谷区のウィークリーアパート

ウキウキした気持ちで遺品整理の修行がはじまりました

 

 しかし、そんなうわついた幻想はすぐに崩れさりました

 そもそも私は苦手なのです、片付けとか積み込みとか、そもそも作業が不得意なのです

ほぼ朝から作業です・・・57歳には過酷な状況です!

しかし、これは私が悪いのです、スキルがないのです「あなたは今まで研修に来た人の中で最低です」と真顔で言われてしまいました・・・それは発奮を促すための言葉では無く本当にそう思ったのでしょう・・・・ウグググ

次第に時が過ぎ5月が6月になるころ以上な酷暑がやってきました、基本的に締め切って空調無しの作業でしたので異常な暑さでした、温室の中で作業していたら意識が薄くなったこともありました、夜に熱中症か?足がツリまくりました

しかし特殊清掃も経験できたし(亡くなられた方の部屋片付け)ゴミ屋敷の片付けも出来たし墓清掃とか色んなケースの経験をさせてもらえたのです

 仕事仲間と学生時代みたいに酒を飲んだし(3回くらい意識が不確かになりました)

 仕事が休みの日には東京で昼飲みとかできたし有意義で楽しい東京研修でした、美味しいものも沢山ご馳走になったし

得るものが多い思い出深い修行になりました。

 

 疲労困憊でお盆前の8月に岐阜の帰ってきました。

 

 続きます。

 

 次回からの続きで 会社をはじめて3年たっての2回目です

その1で少し書き足らなかったので、前の会社が倒産した後の話を少し書かせていただきます

会社が倒産して代表者だった私は破産することになりました

破産とはすべての財産を失うことです

家も貯金も車も全部なくなりました・・・当然です

なんか『あいつは上手いこと隠した』って言う人がいましたが、本当に全部なくしました・・・

住むとこが無いので親切な先輩から実費でアパートを貸してもらいました

家賃28,000円の4階建ての4階(エレベーター無し)風呂は故障、エアコンは不動、ムカデ付きの物件でした、車もないので借りた原付のりました、しばらくそこで暮らしました(風呂は近くの銭湯です)

本当に苦しみましたが、よくTVにある感じの酒を飲むすさんだ生活ではありませんでした、タバコもやめました

なんというか「退廃したらダメになる!」って思ったのです、気が小さいのです、むしろ近所の川沿いの道を毎朝ランニングしました、それは良かったかなと思いました。

が、癒えることの無い心の傷を負った私でありました・・・・

まだ書くことなど沢山ありますが不幸自慢みたいになってはいけないし、世間に多大な迷惑をかけた訳なので

すみません、この程度にします。

次回につづきます。