日本のロック黎明期の記憶(その29)/『柳ジョージ』(2) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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私自身が体験してきた日本のロック黎明期の話です。1970年代前半を彩ったバンド、アーティストを紹介しています。これまでジャックス、The M、はっぴいえんど、フライドエッグ、キャロル、四人囃子、サディスティック・ミカ・バンド、カルメン・マキ&OZなどを紹介してきました。また前回は、日本最初のスーパー・ギタリスト大村憲司さんをご紹介しましたが、今回も昨日に続いて、ロック黎明期から第一線で活躍してこられた柳ジョージさんの話です。

昨日はジョージさんの最初のバンド、パワーハウスの事をお話しましたが、パワーハウスは短命に終り、1970年ジョージさんはベーシストとして、後期のゴールデンカップスに参加しました。しかしメンバーのドラッグによる逮捕を経て、1972年1月にカップス解散。その後、フライドエッグのボーカルとしてサポートを経て、成毛滋とともに渡英するなどしていましたが、1975年に自身のバンド、レイニーウッドを結成します。このバンドのレコード・デビューは1978年、日本武道館でのさよなら公演を行う1981年まで、約6年間の活動期間に、「雨に泣いている」「微笑みの法則~スマイル・オン.ミー」「青い瞳のステラ、1962年夏」など多くのヒットを生み出しました。


(2005年のレイニーウッド再結成コンサートのDVD)

その後、ソロ活動に入りますが、彼のバックを務めていたナイト・アウル・バンドはほぼ固定メンバーのパーマネント・グループとして活躍していました。そのメンバーの一人が、私の昔のバンド仲間であったことから、ジョージさんとは親しくさせてもらったのですが、あの渋い声とは対照的に、本当に楽しい人でした。
特に記憶に残っているのが、楽器フェアのフェンダー・イベントにジョージさんに出演いただいた際のこと、マスタービルダーのトッド・クラウス氏と一緒にステージに上がってもらい、トーク・ショーを行いました。トッドは当時、エリック・クラプトンやジェフ・ベックなどのアーティストのためにギターを製作しているビルダーでした。そのトッドが、ジョージさんのことを気に入り、以前エリック・クラプトンのために製作した、ゴールドリーフ・ストラトキャスターと全く同じ仕様のギターを作り、翌年にジョージさんにプレゼントしてくれたのです。

このギタープレゼントを本当に喜ばれたジョージさんは、それ以後、晩年のメインギターとして、このストラトをずっと使用し続けていました。このストラトはその名の通り、金箔を施した豪華なボディ、そしてクラプトン・モデルに装備されているものと同じミドル・ブースターを搭載し、ネック・プレートにはジョージさんの名前が刻まれていました。


(そのギターがジャケットに使用された、ジョージさん晩年のアルバム『Still Crazy』。絶品のボーカルが聴ける名作です。)

ジョージさんはまた無類のお酒好きで、常にビールを水代わりに飲んでおられたのですが、それが災いして身体を壊し、2011年に残念ながら他界されました。元ナイト・アウル・クラブ・バンドのメンバーだった私の友人と一緒に、再活動の予定も決まっていたところであり、新たな一歩を踏み出そうとする直前のことでした。本当に残念です。

日本のロック黎明期の話は、また日を改めて!