2025.6 NO.227 なみだ VS なのだ
私はこの8月75歳になりいよいよ後期高齢者入りする。これまでは私はガキがそのまま爺になったような男なので年齢を感じなかった。
カラオケも、演歌の方がレパートリーは豊富だが、(今どきの若い人の曲は無理とはいえ)ゆずの『栄光の架橋』。チェッカーズの『ジュリアに傷心』。スピッツの『チェリー』。荻野目洋子さんの『ダンシング・ヒーロー』も。いきものがかりの『YELL』は「持ち歌を歌わないで!」と娘がむくれる。娘の旦那らは呆れ顔。
肉体的には、髪もさすがに白髪も交じってきたがまだ髪量は少なくない。太ってもいない。加えて若作りだし。でも、新型コロナ禍が明けてもマスクがとれなくなった。長い間見せてなく素顔を世間に晒すのに抵抗感が生じた私なのだ。
ブ男なのは今に始まった事ではない。毎日が日曜で自己肯定感が低下したのか、男性ホルモンの枯渇で男としての自信がなくなったのか、分らないが。さらに白内障手術で視力が回復し目の下の弛みに愕然としマスクに加えサングラスをかけるようになった。年齢不詳にはなる(不審者と思われてはとコンビニ等ではサングラスは外すが)。
妻から自身が何歳か鏡を見たらとよく言われるが、鏡を見ようとしない。顔を洗う時も、歯を磨く時も。外出の際の整髪の時は目の焦点は髪に。鏡を見て現実を直視できない。より客観的な写真を見ると落ち込んでしまう。
40歳過ぎると自身の顔に責任を持てという。恥じることない人生を歩んできたつもりなのに、この顔では納得できないし責任が持てない。母親を恨みたいところだが、母には生前「可愛く産んであげたのに」と責任放棄された。
大人の女性は毎日顔をじっくり観察している。化粧をすれば美人でなくともそれなりに私はイケてると皆思っているに違いない。そのポジティブさが羨ましい(顔出ししない若手人気歌手のAdoさんは街中ではマスクもせず素顔で歩いているのか気になる)。
5月3日で結婚44周年を迎えた。「光陰矢の如し」とはよく言ったものだ。今年末不惑の年を迎える娘が小さい頃TVで故岸部四郎を観て妻が娘にパパが出てると言うと本当だと娘が応じたという。10年前には妻は吉本新喜劇の小藪千豊氏に似てると私に言った。もっとも妻のオチは「両方とも向こうの方がいいけどね」である。今妻は鏡を見ろと言うばかり。
一緒にTVを観てると、妻は前期高齢者ながらイケメンを観て大はしゃぎ。ふと疑問が湧いた。今まで「良い人よと言う銀行の先輩女子行員達に騙された」としか聞いていない。改めて何でイケメンを選ばず俺と結婚したのかと聞くと「イケメンは心配だから」との返事。恋愛と結婚は別というありふれた話を、今頃になって。
ある朝私が食卓で日テレ天気予報キャスターのハーフタレント(今3月卒業)を観て、いつにも増して可愛く見え「ああ、可愛い!」と思わず声が出てしまった。他意はなかったのに、妻は「可愛いから出てるに決まっているでしょ!?」と怒りまかせに私を詰る。女心は年を取らないみたいだ。
こんな私が「年寄りなんだ!」と自覚するのは、同世代の芸能人が亡くなったとき。2023年10月から、2歳上の故谷村新司、同学年の故もんたよしのり、同年末には同い年の故八代亜紀(訃報に一番驚いた)と人気歌手が相次いで亡くなった。
2024年11月には「モテ男の代名詞」と言われた一つ上の故火野正平が逝く。次は自分の番かと寿命を身近に感じる。
(顔を隠した)外見は老人に見えなくとも中身は歴とした老人。男は「歯」「目」「マラ」(陰茎の隠語)の順番に老い衰えると言われる。マラにおける状況については、前々号のNO.225(「かん VS がん」)に書いているので、名誉でもないことを二度書きするつもりはない。
「歯」は、出来損ないの私は頭、顔だけでなく歯並びも悪い。老いどころか小学校の頃から、敗者が良い、でなかった、歯医者通い。磨き方も悪いが、上手く磨けないところがある。虫歯になる。直ぐに歯医者にいけば良いが、歯痛で寝られない状態にならないと行こうとしない。癌は自己免疫力で自然治癒することも稀にあるが、虫歯はほっといては自然治癒することはなくどんどん奥に浸食するだけ。
分っちゃいるけど直ぐに嫌いな歯医者に行けない。30歳で結婚しその披露宴の写真を見るとどれも私は口を開けていない。上の前歯が欠けており、晴れ舞台なのに口を開けて笑えなかった。
今は上も下も右も左も奥の2本は差し歯もダメになり抜いている。入れ歯は嫌で、これ以上櫛の歯が欠けるように抜けていくのを避けるために毎夜糸ようじを使うようになった。もっとも上はほとんどが差し歯で歯と歯の間に糸ようじが通らないが。
「芸能人は歯が命」とはCMでの話。実際は歯より「目が命」だと思う。とくに女優などにおいては。大きな目や魅力的な目は美人の必要条件か。しかし、老化すると目がしょぼしょぼしてくる。目の下もたるんでくる。
私は、小学校の時まで視力は両眼1.2あった。中学校に上がるとその頃背が伸びず(高校生になると年々10㎝以上伸びたのだが)、背が小さかったこともあるのか教室の最前列のど真ん中で、教壇に立つ教師から唾が飛んでくるような席に座っていた。その辺から目が悪くなり、高校に上がると頭のよい生徒たちに負けまいと人一倍勉学に勤しんだ(今にして思えば、要領、効率が悪くやたら時間が長かっただけ)のでド近眼になってしまった。
牛乳瓶の底のような分厚いレンズのメガネが嫌で大学生の時にコンタクトレンズ(以下「コンタクト」)にした。バスに乗ったとき当時流行っていたミニスカートから太ももが大きく眼に飛び込んできたので、ドキッとしたことを覚えている。
社会人になると一定期間毎にメガネにしたりコンタクトに替えたりとしていた。
コンタクトでも伊達メガネをかけた。美人はメガネをかけない方がよいと言われ、ブ男はメガネを掛けるように言われる。妻からメガネなしでは見られないとディスられていた。
そうこうしてるうちに50歳になると目の病気になり眼医者から免疫力が落ちてくるので異物であるコンタクトは止めるように言われた。と同時に、白内障、緑内障の症状も出ていると指摘された(白内障等の治療については近々「はいしゃVSめいしゃ」で触れる予定)。
50歳を過ぎると目の病気とともに涙腺も緩んでくる。元来泣きみそ(「よく泣く」の方言)であったが、妻の前では結婚して25年ほど涙を見せることはなかった。が、2005年末封切の邦画『男たちの大和/YAMATO』(長渕剛さんが歌う主題歌『CLOSE YOUR EYES』はカラオケでの私の十八番の一つ) を妻と一緒に劇場で観たとき、涙を浮かべ妻がそっとハンカチを差し出してくれた。男としての妻へのつっぱりも無くなっていたのかもしれない。
今の歳になると、自らのことで哀しいとか悔しいとか涙することはもうない。TVを観て、もらい泣きしたり、感動して泪することが多い。昨年末YouTubeで観た、年賀づくりのCM『島の郵便屋さん』 での主演の俳優古舘寛治さんと子役泉谷星奈ちゃん(目黒蓮さん主演のフジテレビ系ドラマ『海のはじまり』で娘の海役で天才子役との呼び声も)の二人の微笑ましい交流に涙目になる。若い時自身の子供以外小さい子供を見ても何にも思わなかったが、孫が出来た今他の小さな子を見てもかわいいと思う。人並みに爺になったかと実感する(私が成長したのではなく、人類の代替わりの摂理による本能に過ぎないが)。
プロ歌手の歌を聴いてもよく涙をこぼす。
歌手小柳ゆきさんは18歳の時2000年11月の東京ドーム球場での日米野球の開催に際し日米両国歌を独唱した。そのTV放送がYouTubeに乗っているが、小柳さんが歌い上げる米国歌『星条旗』を聴いて感動し泪する。
今は米国に憧れなど抱いていないが、米国は五輪などで金メダルを多くとるので米国歌は聴き馴染み気に入っている。
『星条旗』の歌詞は1812年の米英戦争(第二次独立戦争) における史実が元になっているという。それで国別対抗の競技などにはマッチしているのかもしれない。ただ、小柳さんのこの独唱(上記以外米国歌は歌っていない?)を除いて他の歌手らの米国歌を聴いても涙は出ない。
その時の小柳さんの歌唱には、今でも外国人YouTuber達が外国人でも上手く歌えない難曲を完璧に歌いこなすと絶賛している(その驚きと感動が私の涙腺も刺激するのか)。
故ホイットニー・ヒューストンの歌い方に似ているとも言われるが、154㎝の小さな日本女性がなぜそんな声量と歌唱力があるのか、天才としか言いようがない。
なお、日本国歌『君が代』も独唱されたが、こちらは私にとっては、バタ臭い感じがあり好みではない。君が代はソプラノ歌手野々村彩乃さんが高校3先生の時に選抜高校野球での独唱が厳かで好きである(プロとしての君が代はこちら)。
最近歌手歌心りえさんがさだまさしさんの『道化師のソネット』を歌うのを視聴して 感銘を受けた。この曲は当然前から知っていた。ただ、私は『精霊流し』『秋桜』『無縁坂』(一人カラオケする前は宴会ではこの曲一択)などの哀調を帯びた曲が好きだったので、私にはのびやかな曲に聞こえ、あまり聴いていなかった。
りえさんは、実力があるも日の目を見ぬ時期が長く続くが、夫に支えられ、娘を生きがいに歌を捨てず夢を諦めなかった。2024年4月~5月の韓国ケーブルテレビ局MBNでの『日韓歌王戦』で花開いた。日本人より先に韓国人が虜になった。
高い歌唱力とまるでりえさんの人生かと思わせる歌詞が私を含め聴き手の涙を誘う。りえさんが20代でこの歌を歌ったとしたらこれほど感銘は受けなかったかもしれない。
天才さだまさしさんの歌の中では、『償い』 を聴いては涙を流す。この曲は2002年2月東京地裁において少年2人に対して実刑判決が下された折被告人2人に対し「この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と裁判長が歌謡曲の具体名を挙げ異例の訓戒を述べた。それがマスコミに取り上げられ、さだファンでなくとも多くの人がこの曲を知ることとなった。
歌詞の中の「僕」が同僚である「彼」の交通事故を起こした経緯とその後の償いの日々をさださんが朗読するかのように謡う(私が唄うとお経のようになってしまう)。そして7年後遺族の奥さんからの手紙が届き「彼」はありがたいと泣く。
クライマックスで「僕」の感極まった心の震えをさださんが熱唱して終わる。「神様って思わず僕は叫んでいた 彼は許されたと思っていいのですか」「人間って哀しいねだってみんなやさしい それが傷つけあってかばいあって」を聴くところで、泣くまいと思うも私はいつも涙がこぼれてしまう(一人カラオケでしか歌わないが、歌っている時難曲を歌いこなすのに必死で泣く余裕がない)。
この歌詞はさださんの知人の女性が交通事故で夫を亡くした実話に基づいて書かれているという。
我が妻の親戚に被害者の母親がいる。内向的な娘によかれと思い、夏休み愚図る娘に無理にプールに行かせた。トラックに跳ねられ亡くなった。遺族である母親は、娘を失うだけではない。無理に行かせなければよかったと、自責の念と後悔は口には出さずとも生涯続くだろう。加害者の運転手も罪を償っても断末魔の悲鳴は耳から消えることはないハズだ。
何げない日常が突然修羅場に変わることは自動車事故だけではない。ビルの清掃でも起こりうる。清掃が完了したと思い電源を復旧したらビルの屋上にある送風機の中のプロペラを清掃していた同僚が巻き込まれて死亡した事故を私は知っている。
同じ仕事を毎日していればマンネリになりがち。自戒の一つとして、定期的にこの『償い』を聴いてはどうだろうか。
「歯・目・マラ」の諺は、いつ、だれが言ったか分らない。たぶん今のように認知症が問題になるほど長生きしない時代に流行ったのであろう。
歯も目もマラも老化で機能が落ちる分には、生活の質は落ちるが、命に直結しないし、人間の尊厳を失うまでには至らない。しかし、脳が老化で壊れると、命も危ないし、認知症になれば人間としての尊厳を失われてしまう。
年取ると丸くなると言われるが、性格が穏やかになるのではない。性格は変わらない。男は男性ホルモンが枯渇していき攻撃性が弱まるだけだと思う。ただ、前頭葉も機能が落ちるから、自制が利かない場合が起こりうる。兵庫県知事選を前に記者たちを前に相生市長が机を叩いて激怒したが、地元では普段温厚だと見られているという。
仕事から離れ日々穏やかに過ごしている私も、最近元々短気ではあるとはいえ激怒する姿を晒してはいけない所で晒してしまい、長男を困惑させた。あとで怒りを上手く制御できないことに我ながら違和感を覚えた。
私を長男は表立って非難しない。呆れる妻も私を見捨てようとはしない。「仲良くしようね」と私が言っても無理!といつも即答する妻ながらこれからも連れ添ってくれるだろう。
若い頃記憶力だけはまだいい方だと思っていたが、最近検索しようと思いパソコンに向かうとはて何をしようと思ったのかわからなくなる。後で思い出すのだが、その内思い出さなくなるだろう。
センセーショナルに「がんと闘うな!」と問題提起した医師故近藤誠の思いが少し分ったような気がする。
無理やり癌にはなれないが、後期高齢者入りを機により積極的な癌予防は止めることにした。癌の罹患に気づかず気づいた時は末期癌でよい。治療せず緩和ケアに身を委ねたい。
とはいえ、軟弱な私は前立腺がん認定の前から17年間続けてきた3ヶ月に一度のPSA(前立腺がん腫瘍マーカー)検査をスパッとは止められない。今年から年に一度に変えた。80歳で生きてたらPSA検査は絶対受けないとの確信はあるが。
病院も替え、担当医師に「認知症で家族に迷惑をかける前に癌で逝く方がいい」と言うと、否定はされず「妻より早く逝きたいよね」と返してくれた。
思うに、前期高齢者は老人の予備軍。後期高齢者からが真の老人。老人の癌は天寿に基づく自爆装置の作動に過ぎない。80歳過ぎて亡くなれば癌名などを公表せず、「天寿を全うした」だけでよいではないかと私は思う(若者の癌は自爆装置の誤作動か。克服して人生を謳歌して欲しい)。
「歯・目・マラ」は、歯や目は女も同じ、最後だけ男に関するもの。男の衰えを揶揄しているだけだ。諺として男の為の教訓とするなら「歯・目・マラ・頭」に替えた方が良いのではないか。
(次回228号は6/1アップ予定)