2024.7 NO.210 つ VS は
 4/28の衆院3補選で実質全敗が決まった時、見限っていたハズの麻生副総裁が岸田首相を擁護する発言をして驚かせた。岸田降ろしの声が高まれば、何をするか分らない首相が道連れ自爆解散をしないとも限らないので、それを防ぐ為ではなかったか。
 この状況に至っても、今月末にも岸田首相が解散・総選挙すれば、約束が違うと公明党が態度を硬化させ自民党との選挙協力を反故すれば自民党は惨敗する。
 麻生副総裁が現状自民党の現職最高権力者であることの是非はともかく、その役割を担っているとは言えるのでは。
 さらに5/26の静岡県知事選でも自民党が推薦する候補が敗れた。此の期に及んでも岸田首相は解散・総選挙を匂わす発言はするだろう。自らへの批判を牽制する為にだが。

 安倍派を中心とする政治パーティーの裏金疑惑問題は、メディアが森本宏・最高検刑事部長、伊藤文規・特捜部長のコンビと年末に地方検事も動員しての大掛かりな体制だと国民の期待を煽っていたが、大山鳴動して鼠数匹で早々と収束してしまった。 
 大多数の国民から不満の声が挙がるが、ただ、日本の政治において安倍派が最大派閥であることが大きな問題と言っていた(もうなぜそんなことを言うのかという国民は少ないだろう)私は、安倍派が解散したことには満足している。
 安倍シンパは急逝したからと言うかもしれないが、安倍元首相は後継者づくりをしていない。歴代の官僚派首相は、二人の後継候補を競わせ、自派の存続を図り、自身の政権延命にも寄与すると考えていた。吉田茂首相は、故池田勇人と故佐藤栄作を競わせ、池田首相は故佐藤栄作と故河野一郎(河野太郎大臣の祖父)と争わせ、佐藤首相は故福田赳夫(福田達夫議員の祖父)と故田中角栄とを競り合わせた。
 いずれ安倍派は分裂すると思っていた。上記福田達夫議員の父親福田康夫元首相が安倍元首相とは水と油でもあり達夫議員が分派すると思っていた。しかし、旧統一教会に対する発言で遠のいたと見ていた。が、今回の派閥解散において新たな政策集団を立ち上げると公言した。
 安倍派が解散したが、若手議員も自らの利害で派閥解散と叫んでいた。しかし、裏金を謝罪して派閥解消を訴えた安倍チルドレンと呼ばれる議員など、目先の解散・総選挙で無派閥で立候補しても裏金、不記載を説明しない解散派閥に怒り心頭の選挙民が再選させると思えない。旧安倍派の議員は大きく減るのではないか。

 岸田首相は裏金疑惑の段階で安倍派を排除したが、検察の安倍派幹部7人の立件見送りで、当てが外れた?ばかりか、自身の宏池会も飛び火してしまい、尻に火が付いた岸田首相は慌てて派閥解散に打って出た。メディアは「岸田の乱」と呼んだ。
 派閥は、本来、日本を日本国民をどう導くか、同じ理念、ビジョンを共有する議員が結集して、若手議員の育成だけではなく、他の派閥と切磋琢磨して、その競争から勝ち抜いた派閥から首相を誕生させる為にある。
 派閥に問題が内包されているにせよ、今般の裏金、不記載の問題は派閥そのものの問題ではない。派閥の問題ならすべての派閥に問題が起きるハズ。派閥の長、派閥内議員の資質の問題に過ぎない。
 今般の派閥解消は、例えば、家の中で何をしていたかと詮索されたら、家全体を壊してしまうようなものだ。領袖が亡くなっている、領袖の引退が近い、そんな他派の派閥解消を察知しあわてて総裁派閥として先手を打つべく伝統ある名門宏池会を解散したと見られる岸田首相は、今般茂木派から脱退した小渕議員が過去“ドリル優子”と、今回逮捕・起訴された池田佳隆議員が“ドライバー池田”と揶揄されたなら、“デストロイヤー(壊し屋)岸田”と名付けられてもおかしくない。
 岸田首相が先頭に立ってやるべきは、宏池会の元会計責任者の略式起訴についての説明であり、派閥解散ではない。
 本来、裏金の説明責任を果たさず派閥解散するのを止めるべき立場にありながら先頭を切って解散表明した岸田総裁が政治刷新本部の本部長に就任した。立件されなかった麻生派、茂木派は解散しないと言っていた。内紛を避けて、政治刷新本部の中間答申は、政策集団として派閥の存続を認める形となった。それは本来の派閥の在り方に戻っただけ。「岸田の乱」は「岸田の乱心」と言うべきではないか。
 政治倫理審査会も国民が知りたいことが何ら解明されなかった。強力捜査陣の検察が解明できなかったものを国会議員ではどだい無理と言うものか。
 裏金問題を起こした自民党が最もやる気がないことが浮彫になった政治資金規正法改正案、看板倒れが異次元と言うべき少子化対策、点数稼ぎのハズが事務負担増で企業や自治体が悲鳴をあげオウンゴールとなった定額減税など発言にも芯のない岸田首相が何を言っても、BS『報道1930』のコメンテーター堤伸輔氏でなくとも「どの口が言う」と国民は怒り岸田首相の支持が回復する訳はない。

 時事通信社の5月世論調査によると、岸田文雄首相に自民党総裁任期が切れる9月以降も続けてほしいとの回答はわずか6.0%だという。
 
 今回の騒動を自民党内の派閥権力争いの視点で見れば、次の通りか。田中派から経世会が独立し竹下登首相、橋本龍太郎首相、小渕恵三首相らで経世会が自民党を主導してきた。が、2000年小渕首相の急逝に伴う5人組の密談により、傍流に甘んじていた清和会の森喜朗氏が首相となった。21世紀に入って小泉純一郎議員が「自民党をぶっ壊す!」と言い総裁になり経世会から権力を奪い清和会は下剋上に成功した。
 その後清和会安倍首相の一強体制が続き、日本は「失われた10年」が30年と言われるようになった。そして満を持して宏池会政権が誕生した。これが保守本流と謳う宏池会の政権かと疑うが、今回の裏金疑惑問題で最大派閥清和会を崖下に突き落とした。と思ったら足元がぐらつき、一緒に崖下に。
 誰が岸田首相を助けるのか。宏池会の首相は、これまで最大派閥の支援を受けているという。大平正芳首相は田中派、宮澤喜一首相は竹下派。岸田首相も安倍派から。その最大派閥の安倍派を怒らせた。萩生田前政調会長を可愛がる森元首相と手を打った岸田首相に萩生田氏が甘い処分をしてもらったと思う?旧安倍派議員の中で、萩生田氏が総裁選で岸田支持の笛を吹けど踊る議員はどれだけいるのか。
 相談もなく恩を仇で返えされたと思う麻生派と茂木派は、守旧派とされてしまい岸田首相に相当怒っていると言われる。(大宏池会構想を捨てておらず? )旧宏池会とは喧嘩したくないが、犬猿の仲である古賀誠前宏池会会長がバックにつく岸田首相本人の再選は応援しないのでは、麻生副総裁は。
 我慢して政権を支えてきた茂木幹事長も派閥解散の流れに乗じた小渕優子議員の乱で窮地に立たされ、怒り心頭では。
 幹事長としての権力を奪われた二階派は言うまでもなく。いわば「無派閥」派の領袖的存在の菅前首相も現首相に厳しい。派閥がなくなれば安倍一強体制のようにと思っても、総裁選で岸田総裁が再選されることは期待薄ではなかろうか。
 連立を組む公明党からも石井幹事長が唐突に3月民放のBS番組で「自民党の総裁選で選ばれた総裁は非常に支持率が高くなる」「秋に予定されている総裁選の後に次の衆院選が行われる可能性が高い」と言及した。首相の専権事項に触れるだけではなく岸田総裁の再選を念頭に置いた発言とは思えない。公明党からも岸田首相は見放されたと国民もそう思ったのでは。

 日英伊共同開発次期戦闘機の輸出容認に自民党にとっては不可解な公明党の一時的な反対も、9月総裁選後の新総裁での年内解散とのバーターとは言えまいか。
 岸田首相が総裁選に立候補し再選された場合公明党が選挙協力を断る可能性は低くない。そうなれば解散総選挙で惨敗し岸田首相の政治生命は終わる。

 延命を図るなら岸田首相はキングメーカーもどきとして生きる道しか。総裁候補として急浮上した「跛鼈千里」の上川陽子外相を総裁候補として擁立するしかないのでは(なお、単に諺を引用しただけで、上川外相を「跛鼈」【はべつ;足の悪いすっぽん】と揶揄した訳ではない。今世紀初めから20年以上自民党議員として首相になりたいとか浮かれず地道に努力し、それが評価されてきたという意味。失言癖の麻生副総裁の二の舞にならないように、念の為申し添えておく)。
 上川大臣はクリーンなイメージであり地味な分敵が少ない。自民党議員内で人望がない、茂木幹事長と石破元幹事長との両者が総裁選に向け見苦しい権力闘争しても国民をしらけさせるだけ。自民党の体質が変わるとも思えない。

 結党以来69年男性総裁で舵取りしてきた自民党は今や末期的体たらく。挙国一致ならぬ挙党一致で難局に立ち向かわねばならない。が、憲政史上初の女性総裁・総理誕生でしか自民党に国民にアピールできる謳い文句はないのではないか。
 当の上川大臣は静岡県知事選候補の応援で、女性達のパワーで自民党推薦候補を知事として誕生させようと言ったのを「うまずして何が女性か」とあたかも「産まない女は女ではない」と言い放ったように切り取られて報道され、不本意ながら発言を撤回させられた。
 曲解させるメディアの悪意なのか、それとも女性総理の誕生を快く思わないタカ派などが裏で糸を引いているのか(それは穿ち過ぎか)。岸田首相もメディアに苦言を呈し上川大臣を擁護しようとしなかったとみえる。上川大臣は元領袖にもう遠慮する必要はない。
 5/21付けのPRESIDENT Onlineによると、1,000人よる総裁候補支持率におけるアンケート調査で、実際の自民党支持者に限定すると1位・上川氏、2位・石破氏となるという。上川大臣は覚悟を決めて麻生副総裁に総裁選へ出馬したいと申し出るべきだと思う。

 メディアは、派閥解散派が改革派、派閥維持派を守旧派と呼ぶ。従前と違うことをするのを改革派と呼ぶことは、本当にいいことで、正しいのか。
 今や諸悪の根源とも言える「小選挙区制」もそれを唱える議員が当時改革派と称された。
 故浅川博忠の『裏切りと嫉妬の自民党抗争史』(講談社)によれば、経世会の主導権争いにて、竹下元首相と小沢元幹事長が対立し、小沢側は改革派(官軍)、竹下側は守旧派(賊軍)とメディアにも報じられた頃賊軍の将とされた故梶山静六は、小沢氏は従前の中選挙区制を完全に否定しているとして、「農耕民族の日本には本来、中選挙区制がマッチしている。小選挙区制はアングロサクソン、すなわち狩猟民族にふさわしい」と言ったとする。
 小沢一郎現立憲民主党議員はライフワークとして、「小選挙区制」「二大政党制」の推進に陣頭に立っていた。それが今や、自民党を批判ツイート(現Xでのポスト)する政治評論家みたいな感がある。
 尽くしてくれた糟糠の妻から三行半を突き付けられたように「人間性」に問題があるとしても、「小選挙区制」「二大政党制」が成功していないことも大きな要因ではないか。
 当時「政治とカネ」の問題も、中選挙区制が諸悪の根源と言われたが、それよりも今の小選挙区制の方がもっと酷いではないか。
 “竹小戦争”と言われる中で小沢側に圧されていた竹下側が盛り返し、結局小沢側は自民党を離党した。新生党→新進党→自由党へスクラップ&ビルドを繰り返し、2003年9月自由党は民主党にいわば吸収合併された。合併により204人(衆院137・参院67)の大所帯となり、2大政党制への下地ができ6年後民主党は政権交代を実現させ、2大政党制が実現した。
 小選挙区制については、2020年2月臨時号NO.128(「ふっこVSふっこう」)にてこう書いた。
 「たしかに、二大政党化に寄与すると見られ、簡単に政権与党が替わるが、本ブログ2018年5月号NO.92(「かんりょうVSまんりょう」)で指摘したように、生煮えの首相が誕生し、素材自体も悪ければ、それをありがたく頂戴する国民はたまったものではない。」「民主党政権が瓦解すると、今度は小選挙区制が政権与党に有利に働きだした。議席に結び付かない『死票』が大量に出ることや民意と議席の乖離という弊害が露呈してきた。」
 小選挙制では、一選挙区で一人しか当選しないのであれば、一強多弱の中では大政党である自民党が圧倒的有利となる。
 古代の朝廷での出世コースにおける本筋のコースは、内大臣→右大臣→左大臣→太政大臣という。現代に置き換えると、幹事長(内大臣)→通産大臣or外務大臣(右大臣) →大蔵大臣(左大臣)→内閣総理大臣(太政大臣)となろう。その本筋のコースを歩んだ故田中角栄は、(上記の本の「あとがき」に書かれているが)著者の浅川に“首相の条件”を聞かれて「そうだなぁ。それは蔵相、外相、通産相などの主要官僚二つと党三役のうち二つを務めることだな」と答えたとする。
 今や、主権者たる国民が株主の国策会社で最も大きな日本企業と比喩される自民党が、中小オーナー企業のように世襲で総裁・総理が決まるようになってしまった。
 故青木幹雄元官房長官の「小渕元首相の愛娘優子氏をいずれ総裁候補に」との発言を遺言として森元総理もそう公言する。メディアはそれを批判しようともしない。
 その“ドリル優子”と揶揄される小渕優子氏は、事務所のパソコンのハードディスク(HD)が電気ドリルで破壊された以降総裁候補になる研鑚ドリルを積んできたと思えないが、選対委員長に抜擢されている。
 小選挙区制に移行後上記本筋のコースを経ないで初めて首相になったのが、小泉首相であり、その後継に指名されたのも、同じく本筋コースを経ていない安倍首相である(旧民主党政権も同じだった。次の総選挙で立憲民主党政権の誕生もあるかとも言われるが、9月?の党代表選挙では総理に足る能力、閣僚経験、人望のある議員を選ぶ必要があろう。そうでなければ、またぞろすぐに国民からの支持を失うだろう)。
 今の自民党を予見し中選挙区制からの移行に反対していたのが当時の小泉議員でその言と裏腹に首相時最大限利用し、選挙公認という生殺与奪権を握った官邸による独裁体制を自民党内に敷いた。それは派閥を弱体させ、派閥同士の政策競争や人材育成による党の活力や派閥による政権監視という長所も無くしてしまった。
 後を継いだ安倍首相は、さらに内閣人事局を作り、幹部官僚の生殺与奪権をも握り、安倍一強体制の中友人案件や安全保障などの関心案件以外は側用人と言うべき官邸内官僚に好きなようにさせたと見える。
 この二人の首相により「失われた10年」は30年になったと言っても過言ではない。
 
 小沢氏が推し進めた二大政党制は結局自民党から人材が流出し、極端に言えば、黄金時代と呼ばれる自民党が単独与党の時代から比べれば、人材が半減してしまったと言えるか。
 そして、小選挙区制の一人区は地盤、看板、鞄の3バンを有する世襲議員が押さえてしまうので、官僚が議員を目指しても野党から立候補せざるを得なくなる。そうなれば、さらに政権与党としての自民党の人材の劣化を招いたとは言えまいか。
 本ブログ2023年11月臨時号NO.199(「たろうVSじろう」)で触れたように、世襲議員は初代からハーフ、クォーターと世代が移るほど劣化していく傾向があるとすれば、そんな世襲議員が若くして議員となり当選回数を増やして総裁選に立候補しても、派閥内で教育もされず、主要大臣ポストも経験せずして、政治家口調だけ上手くなっても、日本どう導くかビジョンなど言えるハズもないではないか。
 立憲民主党の野田元首相は世襲を批判している。自民党は、早く議員となり当選回数を増やす元首相の子女がプリンス、プリンセスともてはやされるのか。
 私が首相候補と思う斎藤健経産大臣までが、派閥解散騒動の折小泉進次郎議員について聞かれ、「『ふさわしいか』『ふさわしくないか』ではなくて、ふさわしくなってもらうようにやるしかない」と答えている。元自民党衆議院議員の金子恵美さんもTV番組で「ポスト岸田」について「小泉さんはまだ地アタマがそんなによくないんで。経験を積まないといけない。早いのかな」と発言したらしい。地頭は変わりようがないが、将来の首相候補と見ているのに変わりはない。それより前に、松野官房長官の更迭に伴う新官房長官候補においても『ゴゴスマ』で金子氏は進次郎議員の名を挙げていた(その時は金子氏は旦那を含めただのイケメン好きなのかとの印象を抱いたが)。
 永田町(自民党村)の空気を一旦吸えば、国民とは乖離してしまうのか。議員の世襲が日本政治をダメにしていると思っている国民が多いと思うのだが。
 毎日新聞よれば、2021年の前回衆院選では、世襲候補は全体で12・5%を占めた。政党別では自民党が約3割、次いで立憲民主党が約1割で、自民党の割合が突出していると言う。

 自民党も候補者の公募制度を導入している。だが、現職議員が引退表明を衆院解散の直前に行うことで、事実上、世襲候補以外の選択肢を封じているという。9月の総裁任期満了による新総裁決定後の解散総選挙解散・総選挙があるときは、また直前引退発表し子息・息女に世襲する議員が現れるのか(今般の二階元幹事長の引退による世襲もこれに該当するか。ただ、長男と三男の後継争いがしこりを残し、さらに世耕前参議院自民党幹事長が衆議院への鞍替えを目論み対抗馬として出馬するなら、思惑どおりになるか不明だが)。
 
 若手議員も自らの利害で派閥解散と叫んだ。が、世襲議員は無派閥でも大丈夫だが、裏金を謝罪して派閥解消を訴えた安倍派の議員など、目先の解散・総選挙で無派閥で立候補しても再選は難しいのでは。たとえ再選されても、裏金を得た派閥の政治資金パーティーも禁止になり、派閥領袖の庇護もなくして、独りで政界の荒波を乗り切ることができるのか。
 世に3人寄れば2人と1人に分かれるという。俳優玉山鉄二氏もTVで言っていた。家庭で3人寄れば2手に分かれる。どちらにつくか踏み絵を踏まされると。結局、派閥とは呼ばない派閥がすぐ出来るだけでは。過去もそうだったように(今回の派閥解散もすでに偽装ではとの声もある)。
 派閥の問題よりも、世襲の制限とともに諸悪の根源となった小選挙区制を廃止し中選挙区制に戻すべきだ。
 元に戻すのは改革派とは呼ばれないのか。ともあれ、「改むるに憚ることなかれ!」だ。
(次回211号は6/20アップ予定)

2024. 6 NO.209 ひるんどん  VS ひる

              どん
 昭和35年(1960年)前後私が小学生の頃、日本はまだ貧しく、一生懸命勉強や努力をして立身出世を目指すべきとの教えであったと思う。その目標とすべき人物として、豊臣秀吉、二宮金次郎、野口英世が挙げられる中で、私は当時秀吉が好きであった。また神戸から播州は近くないが、同じ兵庫県でもあり赤穂浪士、とくに大石内蔵助にも憧れていた。
 長じるにつれ、秀吉は好きでなくなった。北野武監督の映画『首』で監督自身が秀吉役に扮し、悪賢く、下品に演じていたが、秀吉の実像に近いのではと感じた。

   信長、家康含めた3人の中では、私は、エキセントリックな面はたしかに引くが、常識に拘らず、先見の明がある信長を推す。歴史は勝者によって書かれる。天下統一の志半ばで亡くなった後を継ぎ天下人になった、コンプレックスのある秀吉にやや足蹴にされ信長の悪い面が強調されている面もあるのではと思っている。

 神戸っ子は生涯野球の阪神ファンになるところだが、私は小学生の時に阪神を捨てている(動機ついては年末アップ予定の「きおくVSきろく」にて触れる)。結局東京に出てきたから上昇志向が強いとも言えるが、それでも反権力という関西人気質は失っていない。
 私は、昔の「任侠」みたいだが「強きをくじき、弱きを助ける」を信条とし、正義に与したい。さらに、できるだけ正直に生きようとしてきた。
   小学3年生の頃か親の授業参観で私の親は来ていなかったが、国語の授業で「教科書を何回以上読んだ人手をあげて」と先生に言われ読んでいないのに私は手を挙げてしまった。すると順番に読んでと言われて読んでいないことがみんなの前でバレてしまった。

   魔が差したとしか思えないが、そんな恥ずかしい自分を許せず、それ以来正直に生きようと心している(昨年バーガーキングで1万円札を出しお釣りを9千円と硬貨を貰うのに5千円札と千円札5枚を店員が渡そうとするので、元銀行員だからすぐ判ると指摘した。「銀行員は正直なのね」と中年の女性店員が答えた。辞めて30年になるが銀行員のイメージアップに一役買っている)。
   本ブログにおいても、後述の映画の主人公と違い本当にnobodyに過ぎない私がある程度信用されるには正直に書くしかない。恥ずかしいことを含めて。
   肝心の「強きをくじき、弱きを助ける」は、如何せん、非力な上、行動力がない。それで本ブログにて「権力者を批判し、弱者に同情する」ことしかできていない。中島みゆきさんが名曲『銀の龍の背に乗って』で「まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている」と歌うがごとく。
 ガザ地区で貧しい人々の為に尽力する国境なき医師団の医師やスタッフの日本人女性の志と行動力に頭が下がる。

 カナダに亡命した香港の民主化運動でのシンボリックな存在の周庭さん(亡命されるリスクがあるのにカナダへの留学を中国当局が黙認したのは、転向を強制してもしそうになく、さりとて世界を敵に回すこともできず、いわゆる国外追放させたか)を見ても、「強さ」とは、腕力でないと理解する。
 何者でもなく何もできない私は、実際にはこんな人物は実在しないと思いながらも、超人的なヒーローに憧れを抱く。そんな映画を観ることを好む。
 最近のシリーズの中では、デンゼル・ワシントン氏の『イコライザー』シリーズが一番の押し。ワシントン氏自身も続編は出演しない主義を破っている。3作で終わるが、初作が一番気に入った。続編にはよほど初作の評判がよくなければと考えれば、当たり前か。
   妻に先立たれ孤独な主人公が深夜の簡易食堂で連日静かに本を読む。そこでクロエ・グレース・モレッツさん扮するストリートガールと親しくなり、彼女に売春を強要するロシアマフィアを電光石火の早業で殲滅させ、彼女の歌手への夢を後押しする。
 続いて、トム・クルーズ氏の主人公『ジャック・リーチャー』シリーズ。元米エリート軍人で、放浪の旅を続ける中で正義のため超人的な働きをする。初作は2012年の『アウトロー』。好きな女優ロサムンド・パイクさんとの競演でもあり、とくによかった。
   2016年の続編『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』は主人公を父親と思う女子が現れるが、映画の最後にて親子でないと判る。疑似親子関係が微笑ましいと思ったが、クルーズ氏の映画としては余り入りが良くなく次作が宙に浮いたまま(2020年に3作目はR指定でとの報道もあったが、未だ実現に至っていない)。
 キアヌ・リーブス氏主演の主人公『ジョン・ウィック』シリーズもすべて観た。イコライザーと同じく主人公が最愛の妻を亡くし孤独に沈む中で、凄腕の殺し屋に復帰して敵を殲滅させる。主人公の心理面の描写は少なく、とにかく撃ちまくる。銃とカンフーを組み合わせた“ガン・フー”という手法 を編み出したとか。
   昨年公開された第4作『ジョン・ウィック:コンセクエンス』で主人公が亡くなる。最強の敵は座頭市を思わせる盲目で、映画の最後西部劇の決闘の如く離れたところから銃の打ち合いで主人公が倒れるのを観て、さすがにあり得ないと少し興ざめしたのは残念であった。

 この3シリーズの主人公は皆普段からスキを見せないが、続編が予定されている『Mr.ノーバディ』 (2021年公開)の主人公は、イコライザーの主人公の前職とよく似ているが、辞めた後仕事でもうだつがあがらず家族にも愛想をつかされた冴えない中年男がいざとなれば超人的な力を発揮する。そこに斬新さ感じる。スーパーヒーローの原点とも言える『スーパーマン』も普段は人間の姿をしているが、“だめんず”までには描かれていない。
 『Mr.ノーバディ』 を観た日本人なら、ボブ・オデンカーク氏扮する主人公が日本の『必殺』シリーズの同心・中村主水とよく似ていると思う人が多いハズだ。
 私は故藤田まことが演じる中村主水が好きだ。TVコメディー『てなもんや三度笠』(1962年~1968年)で藤田はコメディアンとして一世風靡するも、元々歌手志望で歌手としては心地よいバリトンボイスと相まって2枚目で通している。世間を欺くためにはまず味方から欺くための昼行燈からの仕置き人への変身ぶりは藤田のはまり役と言える。

 大石内蔵助の祇園での遊蕩も吉良側を油断させる為に味方も欺く仮の姿。
 私は、「公」はしっかりしている(知人はそう思っているか分からないが)のは同じだが、「私」の“だめんず”は演技ではなくただの素に過ぎない。
   私は2つの社団の事務局長を歴任したが、整理整頓ができないのは公私とも同じである。が、「公」では、真面目で真剣に取り組み、税金を無駄遣いする政治家と違い会員からの会費を無駄遣いしない。後ろ指を指されないよう「私」での浪費や怠惰な面は見せない。微塵もとは言わないが。
   事務局長の分際で、役員としての権利を享受するも義務を果たさない理事には平気で対立する。当然問題視される。

 最初は重宝に感じてもらえるのだが、次第に事務局長の権限を越えるような言動が目につき、トップとしては煩わしく思えてくる。それで2つの社団も10年程で辞任している。
 私の周りの人は「奥さんも大変だろうな」と思うが、実際は全然違う。妻は、夫には、堅苦しく口うるさい、妻自身の父(妻も親となり父親の想いを今は理解しているが)とは違うタイプを望んでいたのだが、私に向かって「そこまで違わなくもいい!」と訴える。それほど、妻を変にいじる以外、何も言わないし、毎昼夜の手(ぬき)料理と週一の自室部屋掃除以外何もしない。電球の交換から風呂掃除、庭はないが隙間に植えた木の電線にかかる枝の剪定まですべて妻任せ。
   そんな私なので妻から文句ばかり言われる。とくに最近物忘れが酷くなり、つい最前した事を忘れ悪手を打ってしまう。さすがに昼天丼で夜カツ丼みたいなことはしないが。昼ソース焼きそばを食べたので夜八宝菜でご飯を食べるつもりが、夕方になると塩味より今日は醤油味でとマルちゃん正麺のスープを活用しようと思ったのがいけなかった。五目あんかけ焼きそばを作り、八宝菜には麺がつくことを好まない妻に指摘され始めて気がつく体たらく。
   トイレとかクローゼットの電気の消し忘れは日常茶飯事。妻から毎週月曜と木曜の朝は自室のゴミを出すように言われているが、最近とかく忘れがち。
   文句ばかり言うと妻に口答えすると「文句じゃないでしょ。注意でしょ!」とキレられ、妻から「文句」と「注意」との違いとの講釈を黙って拝聴させられる羽目になる。
 3人の子供がいるが、子供にも何にも言わなかった。妻から放任主義が一番悪いと言われていた。勉強は本人の意志次第と思っていた。長男が小学6年生の頃たまたま私が居合わせた時ついて行けなくなったのか進学塾に行きたくないとぐずっていた。「いやなら無理して行かなくていいよ」と私は諭すように返した(記憶は美化されるから一通り怒った後かもしれないが)。すると長男は泣きながら走って塾に向かった。

   それが長男の人生の分岐点の一つになったかと思う(今長男は公私共々私が想像していた以上の人生を歩んでいる。父親である私を反面教師としたかのように)。
 我が家を企業に喩えると、妻が代表取締役社長で、私が代表権のない会長。家長としての主導権は放棄している。妻からよく「ふざけてばかりいないで少しは子供たちに尊敬されることを言ったらどうなの!?」と言われていた(2011年7月から本ブログを始めたのも、当時前立腺がんと判明しこのままバカなオヤジだったと子供たちに葬られてはとの思いもあった)。
   普段は社長が取り仕切る。社長が手を焼いた時だけ会長が重い腰を上げる。のんびりした神戸の田舎から東京の下町に引っ越して長男は不良が暴れるすさんだ中学校生活で鬱積したストレスを家で発散させた。手に負えなくなった妻からSOSが入った。私は長男に「お母さんの言うことが聞けないのなら、この家から出て行け!」と一喝した。幸いそれで長男は態度を改めた。その時ばかりは男親の存在価値を認めたと妻は言っていた(今はもう用なし。妻は捨てることは厭わないが、誰かに拾われるのが嫌。見た目も悪い粗大ゴミを拾う物好きな女性はいる訳ないが)。

   二重人格かとも思うが、ドアを開けて家の中に入れば「私」モードに替わるスイッチがある訳ではない。人間の体でそんなスイッチがあるのは、デジタル的にわずか1秒から数秒で「睡眠」と「覚醒」が切り替わる関係だけだと言われている。
   よくよく考えて解った。私は生来の怠け者。「私」の私が正体なのだ。
   「公」の私は、運命のいたずらか、意に反して、高校では2年生の時か適任者が他にいるのにからかい半分に学級委員長をやらされ、社会人になってからも公共性の高い銀行に入社し、それも組合専従にもなり、その後2つの非営利法人の事務局長を歴任した。身を律すべき半生だったと思う。
   責任感と(身勝手な)正義感が突き動かしていたと思うが、自然体の私ではなく無理している面もあるので、物言いが強くなり、衝突することも多くなったかとも思う。
   妻は私の母から申し送りで私のことを「偉そうに言う 食べ物にうるさい のんき」と聞かされたという。「さすが母親は息子のことをよく知っている」と妻に言われた。怠惰とは自覚しているが呑気だとは思わないが、身近な二人がそう言うのなら、そうなのだろう。
   私は同じ哺乳類のナマケモノに似ているのかもしれない。しかもナマケモノは私より偉い。一日の食事量は約8gでしかない。「働かざる者食うべからず」を守っている。そのナマケモノは「のんびり屋で怠惰な性格にもかかわらず、環境に適応し、エネルギーを節約する効率的な方法を見つけることで絶滅を免れてきた」とWEB上に書かれている。
   私が行動力がないのも頷ける。長生きする為に1日7,000歩の散歩や運動をと言われるが、そんなことしなくても家事だけで米寿を迎えた老女は多数いることだろう。
   ナマケモノの寿命は飼育下で約30年。百獣の王ライオンの狩りで走り回るメスの飼育下では15年~20年(野生では10年~15年)と言われる。ナマケモノの半分に過ぎない。それはストレスの差もあると素人考えながらそう思う(寿命を左右する健康への最大の敵は、偏食、運動不足ではなく、ストレスだと思う)。
   卒職する前後は今後は散歩しなければと思ったが、新型コロナ禍を経て天寿を含めて人それぞれと考えるようになった。飼われているカメの運動不足の解消は週一の散歩でよいらしい。妻に飼われている私もそれぐらいでいい。
   体育会系の人ならともかく、運動部に入ったことのない私は、雨ニモマケズ、風ニモマケズ毎日散歩するそんなストレスが溜まることをするより、枯渇気味であるが男の原動力である男性ホルモンを刺激した方がよいと思っている(和田秀樹精神科医によれば、近年の研究によって、男性ホルモンがポジティブな生き方と密接に関係しているという)。
   たとえ思惑が外れてもいい。常日頃妻から早く逝って!と言われている。妻孝行できる。
   運動はともかくとして、私はナマケモノそのものではなく怠け者なので、少しは反省している。妻が専業主婦の時夫が家事をやらなくても妻も不満はなかった。35年前当時はそんな時代でもあった。私が銀行員から転身し妻も正社員と働き出してからは、妻は仕事と家事(含む育児)との二足の草鞋。社団の運営が大変だったとは言え、私も家事をすべきだったと反省している。妻に感謝している。
   「そう思うなら、今もっと家事をしないと、反省だけならサルでもできる」と女性読者から言われても、そうできないのが、怠け者たる所以。
   そんな私でも、66歳で卒職した時7つ年下の妻は59歳でまだ定年に1年あり、洗濯物の取り込みだけではなく、干すのも私がやろうかと申し出た。が、世間体もあるからと妻は断った。
   フジテレビ水曜『ホンマでっか!?TV』でお馴染みの池田清彦先生は近著『人間は老いを克服できない』(角川新書)で、あんな偉い先生が自ら進んで毎日風呂に入った後風呂場を1時間かけて掃除する。風呂場は常にピカピカだという。運動も兼ねてと言うがそんな几帳面な人だとは思わなかった。私なら毎日は到底無理。週1でも5分しかできないだろう。
   私と正反対の妻は進んで自分でやろうとする。介護福祉士の資格を持つ娘は「ボケるから、もっとやらせなきゃ、ダメよ!」と陰で妻にハッパをかけているみたい。だが、私のことを何やってもきちんとできない、却って二度手間になるだけと思っているのだろう。それよりも何もしないと文句、否注意をして憎たらしい私を凹ます方が嬉しいと思っている。きっとそうに違いない。

   怠け者は、怠惰だから、昼行燈を決め込み、いざというときに力を発揮すればよいと思うものなのだろう。養老孟子氏の『生きるとはどういうことか』(筑摩書房)を読むと、養老先生が東大の助手時代外国留学するにあたって恩師の推薦状には「この男は怠け者だが、気か向いたらよく働く」と書かれていたという。本人が有意義だと思えは一心不乱に取り組み大きな成果をあげるという意味だろう。私は自身や家族がピンチになったとき頑張るだけだ。タコが天敵に遭遇したとき墨を吐くのと同じにすぎない。月とすっぽん、鯨と鰯だ。
   末っ子の長女とは、仕事が忙しい時期でもあり、風呂に入れたのも1回か2回しかない。娘と二人で外出したのも、娘が小学生の頃有楽町で101匹のナントカの映画を観て回転寿司屋に寄ったぐらいしか記憶にない。娘がいたのに内孫の女児にどう接してよいか分からない。
   娘のすることに干渉するつもりはなかった(海外への一人旅だけは絶対させないと思っていたが、娘は国内でも一人旅しなかった)。結婚も、我ら親に財産と言えるものもなく、いたらぬ娘を貰ってくれる男性はよい人に決まっているから、誰でも熨斗をつけてと思っていた。
   その娘が結婚式で両親への感謝の手紙を読むとき、妻には感謝しても感謝し切れないだろうが、私には話すべきことがないのではと案じた。が、娘は「いざという時はいつも助けてくれた」と話した。理解してくれていたかと嬉しく思った(嫁いだ娘が家に来て私に向かってボロクソに言うことが多いが、その度毎に結婚式の手紙を持ってきてと妻に頼む)。
   もちろん、娘の一大事、一番のいざという時である結婚式では、娘とバージンロードを歩き、作法を指示してくれた係の女性から完璧と声を掛けられた。披露宴にて最後の両家を代表して(新郎の父が鬼籍の為)の御礼の挨拶もふざけず真っ当に挨拶した。まず新郎を立て、娘には、二人の娘をもつ長男のイクメンぶりを見て今更ながら反省していると謝罪した。そしてそんな父親なので娘に何も望むことはない。「楽しい時も、そうでない時も、どんな時も、精いっぱい生きてくれたら、それでいい」と結んだ。
 
   「go up like a rocket and coming down like a stick」とは「竜頭蛇尾」の英訳の一つ。頭でっかち尻すぼみ的な今回のブログの内容に相応しい。「竜頭」はスーパーヒーローで「蛇尾」が私の話。もっとも蛇の尾の方が私よりよく動くだろうが。

 (次回210号は6/1アップ予定)

2024.5 臨時号 NO.208   NASA  VS NISA
  アダムとイヴ(エバとも)がエデンの園から追放されるとの話は、私のように旧約聖書そのものを読んでいなくても、知っている日本人は多いのではないか。
 月本昭男氏の『物語としての旧約聖書』(NHK出版)によれば、神は最初にアダムを造り、そして動物たちを形づくったが、その中には「アダムと向き合う助け手」を見いだすことができず、アダムの肋骨から1本を抜き取りエバを造った。
 妻となったエバに対して(神により創造された生き物の中で最も賢いとされた)蛇が「善と悪を知る木」の実を食べるよう誘惑する。この木の実を食べれば、人は神のように善と悪を知る。それで神は食べることを禁じていると唆す。
 唆されたエバはその木の実をとりアダムにも与えアダムも食べてしまった。神から追及を受け、アダムはエバに責任転嫁した。エバは蛇に欺かれたと弁明する。
 神は、蛇に対して「地上の生き物の中で最も呪われる」と宣告し、アダムとエバにも罰を科しエデンの園から永久追放した。
 水原一平(以下「一平」)氏の違法賭博問題にて、米国では、まるで、大谷翔平選手がアダムで一平氏がエバ、違法賭博の胴元が蛇ではないかとそんな見方をする。あたかも大谷選手も禁断の木の実を食べたと言わんばかりに。
 日本の国際弁護士も、後で批判を受けないように思うのか、こんなことは考えたくないがと言いながら、聞きたくもない最悪なケースに言及していた。
 私は、報道を受け、自身の問題ではないのに、陰鬱な気分に沈んでしまった。
 私は、一平氏の最初の弁明が具体的で、もっともらしく聞こえた。普通シーズンオフに結婚を発表するのに開幕前に降って湧いたように結婚を大谷選手が発表したことも納得できると思ったぐらい。一平氏とは通訳だけのビジネスライクに徹して身の回りやマネージャーの役は妻に任せるために急いだと(そうではなかったが、結果的には早く結婚したのは正解となった)。
 ところが、一夜にして大谷側の弁護士が水原氏の弁明を否定し、窃盗で告訴した。急展開に私は頭が〇×△となり驚くばかり。著名な日本人国際弁護士は「大谷側の弁護士は問題を大きする余計な悪手を指した」と批判していた(その後の発言も天才肌特有なのか大谷選手を案ずるより自身に依頼しておけばと言わんばかりに終始し不愉快極まりないが)。
 日本人の中にも、手のひらを返す人やこんな時が来るの待っていたかのように酷いことを口にする人がいる(身が貧しくても心まで貧しくなっては。我々は「ぼろは着てても こころの錦 どんな花より きれいだぜ」と堂々唄える人でありたい)。
 早く大谷選手自身の口から真実を語ってほしいと思った。そして、大谷選手は、日本時間3/26に質疑応答のない会見ではあったが、大谷選手にとっては国会での参考人招致ではなく嘘つくと偽証罪に問われる証人喚問と言え、その中で疑惑のすべてを日本人なら納得できる形で全面否定した。
 メディアは「なぜ一平氏が勝手に送金できたか」などまだ疑問が残るとしたが、私は、今後もメディアは色々報道しても選手生命が絶たれる事態は起きないと理解し、安心した。

 その後、一平氏が大谷選手の銀行口座を銀行に嘘をつき不正利用したと報道された。捜査官も早々と大谷選手は被害者だと表明した。捜査官は事件が報道される以前から大谷選手はシロと調べがついていたのでは。違法賭博の黒幕を追うため一平氏を泳がせていたのだろう。


 私は本ブログ2024年1月臨時号NO.202(「ヨヨミVSヨソミ」)にて、韓国人気歌手ヨヨミさんを“女大谷”と呼び、本家の大谷選手には「情に流されず経営者としての資質も備え持つ大谷選手は“野球界の大統領”と言えるだろう。」と書いている。とくに深い意味もなく、その時はまさかこんなことが起きるとは思ってもみなかった。大谷選手は、韓国のホテルの地下会議室での二人きりの中で、一平氏から話を合わせて欲しいと懇願されたが、決然と断っている。
 一平氏は、地頭がよく、詐欺師的要素もあると言えるか。いかにもペテン師な風ではペテン師にはなれない。だからこそ、大学への問い合わせもされず、元選手が通訳してもらっていないと思っても表沙汰にしなかったのであろう。
 一平氏は奥さんにも何も知らせていなかったか。大谷夫人と一緒に試合観戦し無邪気にハイタッチしていた一平夫人が一夜にして天国から地獄を見るのは不憫でならない。顔を知らなければそこまで思わないかも知れないが、顔を見てしまうと(韓国から強制送還とも揶揄される中出国時大谷夫人は世界一幸せな新婦として入国した時と変わらない穏やか表情であり俯くこともなかった。それを見て沈鬱だった私に大谷選手はシロだとの安心感が芽生えていた)。
 大谷選手は、経営者としての資質もあるとはいえ、野球小僧がそのまま大人になったと言える面もある。大谷選手の言動は、この世は汚し、汚される世界だと思う普通の大人たちには理解がし難い。とくに得てしてけち臭くお金に細かいとされる大金持ちにとってはなおさらに。
 野球界という楽園の中で子供の頃から天才と注目され、大事にされ、怪しい人からもガードされていた。大谷選手は、今回初めて、醜い面もある人間社会にいると実感したのではないか。
 戻ってくる可能性の低い1,600万ドル(24億5千万円)はお金に執着しない大谷選手にとって大した金額でないだろう。

 選手としての年俸だけで100億円もある者にとって 24億5千万円はどんなものかと年収1,000万円のサラリーマンに置き換えると、2,450千円と3ヶ月分の給料になる。痛くはないとは言えないが、人生設計には何ら影響を与えない。

 しかも、大谷選手には年俸以外の副収入が年間5,000万ドルとも言われるのであれば。
 それでも高額には違いない。代理人たちをメディア等が批判しても大金は戻ってこない。大谷選手自身が定期的に自分の目でチェックしていたなら、一平氏も不正できるとは思わなかったであろうし、不正されても1,600万ドルまで詐取されることはなかっただろうに。

 大谷選手は、全ての口座管理を代理人、会計士、ファイナンシャル・アドバイザーが「監視していると考えている」と思っていたという。それがメジャー選手なら珍しくないとしても、あくまで選手は個人事業主であり責任者。信頼して「任せる」とは、当然「任せきりにする」こととは違う。

 任せきりにして、横領された銀行や団体は少なくない。
 いたって普通の人ではないが“いたって普通の人”と大谷選手が言った才色兼備の真美子夫人に支えられて、大谷選手こそ、ファンに心配をかけないよう野球以外では“いたって普通の大人”になってもらいたいものだ。 
   
 一平氏は、自らをギャンブル依存症と言ったが、収入も増え気が大きくなりより大きな掛け金が可能な違法賭博を利用したとはいえギャンブル好きの部類かもしれない。他のスポーツより知識が豊富なハズなのに、禁断の野球賭博には手を出さない自制心が働いているのであれば。胴元にネギを背負ったカモに仕立てられた面もあるのではないか。
 私が言いたいのは、一平氏が依存症かどうかではなく、ギャンブル依存症でないから自分自身とは関係ない、他人事と思わない方がよいということ。他山の石とすべし。金額の多寡の差はあれ誰にでも起こりうる。
 私の座右の銘は、「好事魔多し」。自戒を込めて。海外では高額宝くじが当選した為に却って家族が不幸になるケースがよく紹介される。作家故北杜夫が有名だが、躁鬱の人は、躁状態のときに問題を起こす。
 ありえないチョンボだが、それがある意味絶妙にて却って大受けしたが、TV番組『ゴゴスマ』でベテラン女性アナがどうしたことか大谷翔平選手の英語表記を「ショウタニオオヘイ」と読みあげてしまった。

 小(ショウ)谷は横柄でも、大谷は謙虚。こんな他人の揚げ足をとる私は少しHighになってるかも。気を引き締めねば。
 一平氏も、2021年大谷選手の二刀流が大きく花開き、通訳の自身も注目され前途も大きく開けたと思ったときに違法賭博の胴元と知り合い(胴元から近づいた?)違法賭博に手を染めることになったか。
 1年後には100万ドル(1億5千万円)ほど負け借金を抱える。取り戻そうとしてさらに傷口を広げ、気がつけば、負けは62億円とも言われ、どうしょうもなくなる。
 ギャンブル症候群の症状に負けを取り戻す(負け追い)の心理も挙げられているが、依存症でなくとも、人は負けをとり戻そうとはするものだ。
 競馬ファンなどの経理担当者も、気のゆるみか魔が差したのか、少しの間借りるだけのつもりで会社の金を流用するが、馬券等がはずれ、取り戻そうとして泥沼にはまり、横領事件として逮捕されたとの報道が散見される。

 今新NISAで株式に関心が高まっていると思うが、株式はギャンブルとは違うと言っても地獄を覗くリスクは同じである。株式にもビギナーズラックがある。ただ運がいいだけなのに2、3度儲けると自分は株に向いている、才能があると思いがちになる。身の程を超えた額を投じたとき、とかく誰もが予想しない大事件が起こり、大損してしまう(米国ツインタワーに飛行機が突っ込んだ時、首謀者のグループは直前に株や先物を売って大儲けしたろうが)。
 私の経験を話してみる。今のように、1989年(平成元年)12月29日、長い間右肩上がりに上昇し続けていた日経平均株価が史上最高値3万8915円87銭 をつけ、新年は4万円に乗るかと囃し立てていた(故ケネディ大統領の父親が靴磨きの少年まで株の話すのを見て米国の株の暴落を予見したように、株に縁のない主婦までが口にするようになるのを見て悲観的な見方もあったのだが)。
 だが、新年初より株は下がり続け、3月には平均株価は3万円を割り、さらに9月には2万円割れ寸前になり、10/1には一瞬19,781円と2万円を割り込んだ日に私に証券部長への異動が発令された(2012年9月号NO.15「ハブとカブ」ご参照)。
 私はそれまで株に関心がなく従業員持ち株会以外一度も購入したことがなかった。まったくのド素人が難局に立ち向かうことになった。今思えば私は部長なのだから部を統括するだけでよかったとも思うが、根が賭け事が嫌いでなく、一ディラーとしても何とかは蛇におじずでいきなり日経平均先物の売買をしていた。
 着任後すこし相場が回復したのとビギナーズラックがあった。先物の売買に加え今の日経225オプション取引(あらかじめ定められた期日にあらかじめ定められた価格で日経平均を買い付ける、または売り付ける権利を売買する取引)を2本行った。
 6カ月先の期日に日経平均が25,000円を超えているか否かにおいて(期日がいつだったか忘れたが、1991年5月と10月が25,000円台であったので、多分10月か)素人の私は25,000円を上回ると「プット(売る権利)の売り」に賭けた。

 先方はプロだろうから株価が先行き下がると見てプットを買った(例えば期日の日経平均が20,000円だとすると、利益=5,000円(25,000-20,000)×ロットーオプション料。それは正しい判断なのだが、たまたま期日前後株価が25,000円を超えていた。
 素人の私が勝ちプレミアム(オプション料)5億円を2本、いわば10億円をただ取りした(大蔵省検査でその話をすれば銀行経営になじまないと褒められるどころか叱られたが)。
 私は、これで味をしめオプション取引を続けることはしなかった。株は勝ち逃げすべきと思っていた。

 “相場の神様”と呼ばれる名相場師の伝記を読むと、そんな相場師でも、続けていると、株を買い上げて行くのよいが、買い上げたときには皆が注目しているので降りるに降りれない事態になるときがある。その時に梯子を提供してくれるスポンサーが現れ事なきを得る。スポンサーが現れるか否かは相場師の「人徳」によると理解した。
 続けているといずれ負ける。逃げるは恥だが、役に立っても、命が絶つことはない。
 しかし、先物の売買については私はしくじった。1992年正月休みの5日間ずっと月曜日(1/6)場が立てば先物を売ろうと決めていた。ところが、場が動き出したらどいう訳か買ってしまった。それで間違えたと思えばすぐ損切すればよかったのだが。そこがプロと素人の違い。プロは、すぐに損切する。含み益は長いこと持続させる。素人は悲しいかな、含み益はなくなってはとすぐに益出してしまうが、逆に含み損は損出しして損を確定させるのを嫌がる(私はそれを理解していたハズだったのだが)。

 私は大学生で覚えた麻雀を社会人になっても続けており、負けが混んでくるとどういう精神状態になるか分っていたのに。麻雀で、負けがこむとツイていないのに取り戻そうとやり続け、さらに負けが増える。あまりに増えてしまうと焦燥感にかられるのではなくもうどうにでもなれと思う精神状態になってしまう。
 評価損が膨らんでくると相場はいずれ上がるとしか思えなくなってくる。「プロスペクト理論」における損失回避心理。「見込み」で期待値を歪めてしまい、客観的な事実だけで合理的な意志決定できなくなる。

 部下がそういう状態になれば部長が休ませればよい。部長自身がそんな状態になると部下は見て見ぬフリになる。近づかなる。部長はより孤独な心理状態に追い込まれる。

 NASA(アメリカ航空宇宙局)でもロケットを打ち上げるだけではなく、大きな隕石が落ちてこないか監視している。私もそんな立場であるべきなのにNASAけない。

 長い間右肩上がりに株価は上がり続けてきたので、早晩上がり戻ると大半の人がそう見ていたが、上下はするもののその後も下がり続け何と2003年には8,000円(3月末7,972円)を割り込んでしまう(バブル崩壊後の最安値は2009年3月10日の7,054円98銭)。
 株価が下落する中ずっと難平(ナンピン:先物を買い増しして簿価を下げる)を続けていた私はどうなったか。
  1992年23.030円で始まったが7月には16,000円を割りこんでいた。絶望的な状況にあった。ところが8/18の14,309円から上昇に転じ9/24には18,609円となりこの間に評価損を解消し続け、すべての評価損を消すまでには至らなかったが、辞表を出さずに済んだ。
 私はユダヤ教徒やキリスト教徒、イスラム教徒でもない。その頃は阪神大震災(1995.1.17)にてやり場のない怒りを壊れた神社に向け八つ当たりする(2012年3月号NO.9「アダムとサダム」ご参照)前なので、まだ神社に行けば手を合わせていたが、神頼みはしていない。神に助けられたとも思っていない。善行を積んだ記憶などある訳がない。単に巡り合わせに恵まれたに過ぎない。
 私は株価が戻らなければ辞表を提出するしかないと思っていた。どうやって不正するかなど頭の片隅にもなかった。

 そんなことは決してしない、嘘をつかないというのがド素人の私に白羽の矢(毒矢みたいだが)が射られた一番の理由だろうし。
 信頼してくれる人を裏切る一平氏は前からそんなことをする人生だったのかも。ドジャースも通訳とセットが条件の大谷選手を何としても獲得する為には大谷選手が信頼する通訳の詳しい身辺調査などできなかったのであろう。
 銀行員としての首はつながったが、その代わり、大月みやこさんが名曲『白い海峡』で「こころも胸もぼろぼろで」と唄うように、私は身も心もボロボロとなった(当時の大手証券の株式部長は皆胃がないと言われていた。もっと大変だったと思う)。
 持病の慢性蓄膿症が悪化し全身麻酔による手術を受ける入院中に証券部から融資企画部に横滑りした (異動させて欲しいとは言っていない。役員がもう限界かとタオルを投げたのかと思ったが、移った融資分野の方がもっとバブルの後遺症が酷かった)。
 その手術の折には前立腺がんは発見されていなかったが、ストレスによる免疫力低下により免疫細胞が癌細胞を見逃し10数年かけて前立腺がんが増殖していったと思っている(前立腺がんでのトホホな話は10/1アップ予定11月号NO.216「かんVSがん」にて)。
 証券部長としては1990年(平成2年)10月~1992年(平成4年)9月のたった2年間であった。が、最初の数カ月はビギナーズラックもあり心穏やかでもあったが、翌年の1991年には相場の下落だけではなく、1月に第一次湾岸戦争があり、6月には4大証券の巨額損失補填問題の発覚、8月にはゴルバチョフ露大統領の失脚に伴うレッドマンデーもあり、翌1992年は上記先物による失敗があり、証券不況の荒波に翻弄され苦難の連続であり10年以上証券部に在籍したような疲労感があった。
 個人としては、証券部在籍中も、離れてからも、江戸っ子でもないのに宵越しの銭は持たず従業員持ち株会の持ち分を株券化しては同僚等に買ってもらっていた(その中の1人女性行員は40年こつこつ自社株を買い集め一時1億円程度あったものが、まさかの銀行が傾城し紙切れ同然になったのでは)以外一切株式には関わっていない。非営利法人に転身した以降も関心を示すことはなかった。余裕もなく余資もなかった。
  今も、残された時間が少ないのに株価の値動きに一喜一憂する生活は送りたくない。妻から「ブログを書くだけで、お気楽で良いご身分ね!?」と嫌味を言われる日々だが、「裕福でなくても家族が心穏やかに過ごせればそれでいい」と思っている(家族の誰かがピンチになればその時は豹変する残り火は消えていないが)。

 哲学者故ジョージ・サンタヤーナは『過去に学ばない者は、過ちを繰り返す』と言った。バブル崩壊後の証券不況と悪戦苦闘した我々戦士たちがほとんどリタイアした中で、バブル時の最高値を34年かかってようやく上回っただけと株価はまだまだ上がると証券会社等が煽るかもしれない。が、癌闘病中の森永卓郎氏は、『バフェット指数』(名目GDPと市場全体の時価総額を比べた指標)『シラーPER 』(去10年間の1株あたり純利益の平均値をインフレ率で調整した実質純利益でPER<株価収益率>で計算)の指標を見て、株価は暴落してもおかしくないと警鐘を鳴らす。

 私はシラーPERは知らーなかったが、バフェット指数は前から知っている。名目GDPは600兆円弱に対して上場株式時価総額は1,000兆円弱。なんにしても株式時価総額が高すぎる。大暴落するかは私ごときでは分らないが調整局面があっておかしくないと思っている。
 こういう状況下黒田日銀は約37兆円のETF(上場投資信託)を買い入れていて、現在株高で約70兆円に膨れ上がっている。買い入れとの差額約33兆円は含み益。そして、日銀多くの上場企業の大株主(1位アドバンテスト、3位ファーストリテイリング、8位東京エレクロンなど)になっている。
 国家資本主義ではないので、それは解消すべきであり、含み益がなくなる前に、最悪大暴落して日銀が債務超過に陥る前に、株式を手放す必要がある。が、年間の売却額は通常3千億円程度で、それでは200年かかってしまうと言われる。
 今の日銀は上述名相場師と同じで売りたくても売れない状況にある。スポンサーが現れるとすれば、それは政府でしかなく、その時は日銀のバランスシートから除外することだとも言われている。
 なんにしろ、黒田日銀のETF買い入れは、物価2%目標に寄与することなく株価を押し上げ富裕層を喜ばせさせただけだが、その尻ぬぐいは円安株高下の外国投資家ではなく日本国民が担わされるしかない(「異次元の金融緩和」問題に対する黒田日銀総裁への批判は、7/10アップ予定の8月号NO.212「トリプルダウンVSトリクルダウン」にて言及する)。
 
 そのために、新NISAを政府が推進しているのではないだろうが、投資初心者向け新NISA(投資枠18百万円に増額、無期限の非課税など)は、先が長い世代が預貯金に偏った個人の長期金融資産のポートフォリオに活用するのはよいと思う。
 浦島太郎のような私は時代遅れかも知れないが、基本、高金利水準であれば国債(私が証券部いた頃10年国債が7%台でそこから下げ基調にあった)、低金利水準であれば株式投資(今は買い時とは言えないが)。これから金利は上昇せざるを得ないので、変動金利型10年国債(個人投資家のみが購入できる「個人向け国債」であり、国が「元本割れなし」を約束)もよいだろう(円高なれば米国の10年国債もよいか。長期的には円高傾向は期待しにくいが)。
 新NISAは今すぐでなくてもよいのでは。株が暴落するとき株が乱高下する傾向にある。それを見極めてからでも遅くはないのではないか。
 個人では株をやらないのに、かく言う私は「講釈師、見てきたような嘘をつき」みたいだが、新NISAから始めた若葉マークの初心者には証券の営業マンが個別銘柄の短期売買を勧めるだろう。薦めた株が上がれば、ともに喜んでくれて別の銘柄を薦められ、下がれば、謝ることはなくもっともらしい後講釈の上違う銘柄を勧めてくれる。株価変動リスクを負わない営業マンはそのリスクを背負う顧客に頻繁に売買させて手数料を稼ぐのが仕事ならば。
 短期売買で味をしめたら、信用取引(現金、株の担保の3.3倍)をやりたくなり、さらには、1000倍の取引が可能な日経平均先物(日経平均先物価格が40,000円の時1単位(1枚)は 40,000円 × 1,000 倍= 4,000万円。日経平均先物価格が10円変動した時 1枚あたりの損益は 10円 × 1,000倍 = 10,000円)に向かう個人もいるかもしれない。ただ、身の程を超えた単位で、あてがはずれたら、証拠金が不足するようになれば、厳しい取り立てが待っていよう。家まで取りにくれば、家庭の団らんは壊れてしまう。一平氏の二の舞になりかねない。
 TV番組でテニスと投資に一家言ある元国会議員杉村太蔵氏は、政府一丸となって新NISAなどを推奨していることに対して「投資は貧乏な人が絶対にやっちゃいけない。ふんだんに余裕のある人がやるべき」「投資をしたら資産が増える。そんな幻想を抱かせるなって政府に言いたい」と訴える。

 とくに我々貧乏な高齢者にとってはけだし至言であろう。

2024.5 NO.207  んのう VS んのう
 今年2月の初めTV番組『ざわつく!金曜日』にてレギュラーの長嶋一茂氏が、共演する高嶋ちさ子さんに勧められ、医療脱毛を始め、とりあえずVIO脱毛だけをしたと言った後、施術した二人の担当女性を食事に誘ったと話した。それを観た女性たちがキモい!とネット上でドン引きしていた。

 VIO脱毛における、Vラインとはいわゆるビキニライン、Iラインとは性器の周り、Oラインとはお尻の穴の周りのことだという。永久脱毛には8回以上かかると言われている。
 このVIO脱毛を含め今私が思っていることを書いてみることにする。
 神戸で生まれ育った私は小学3年生まで母親と銭湯に行き女子風呂に入っていた。そのことについて、本ブログ2017年4月号 NO.70(ジョシブロVSジョシプロ)に書いた。そして(他にも覚えていることはあるが言わぬが花だ)とカッコ書きしたのだが、それについて今回少し触れてみる。
 65年前の私は、二次性徴にもまだ間があり、今と違ってパソコンもスマホもなく親、兄からも情報が無く、銭湯に行くのは毎夜寝ることと変わりがなかった。物心付いてから5年ほど何百回と女湯に入っているハズだが、あまり記憶がない。それでも、はっきり覚えているのは、湯殿では女性はどこも隠さない。が、アンダーヘアが薄い人が恥ずかしそうにしていたこと。それから数年後経った頃親戚に嫁入り前の娘がいたが、薄いと悩みを私の母に打ち明けていた。
 アンダーヘアが無毛(以下「パイパン」)なのはホルモン異常である為か、パイパンの人の方がかなり少なかったのか。それで当時偏見視されていたのか。
 小学4年生以降女子風呂の様子は私には分からない。が、2017.3.2付けの『教えてGOO』での男性からの質問に対してベストアンサーの庶民女性は次のように回答している。
 「日本の女には3通りありまして、抵抗なくつるつるにできる人と恥ずかしがりながらも好きな男が言うならできる人とアホか冗談じゃないと切って捨てれる人とです。私の勝手な感覚では、1:0.5:8.5くらいの割合じゃないですかね。。。」「女風呂に入ったことないでしょう?日帰り温泉にいっても、あそこがつるつるの人、見たことないです。キレイに整えている人をたま~に見るくらい。」「生きている場所によって、かなり違ってきます。外国じゃないですからね。ここは日本です。あそこの毛をそるのは商売女のすること・・・とされてきたのです。庶民の女は基本、ぼうぼうです。」
 あくまでも一人の庶民女性の意見ではあるが、私が女子風呂に入っていた頃と大きく変わっていないように思える。パイパンの人を見かけないのは公衆浴場を避けていることもあるのではないか。
 最近アイドルグループ出身の女子タレント達がパイパンを公表した。古い人間としては驚きだが、VIO脱毛によるもので、生まれつきのパイパン女性の負い目も知らず、欧州のセレブと同じとの優越感から口にしたのであろうか。もっとも、VIO脱毛せよ公衆浴場に堂々入るパイパンの人が増えて奇異な目を向けられることが無くなれば、それ自体はよいことではあるが。
 数年前欧州で活躍するサッカーの日本男子選手も、パイパンにすると言っていた(単にカミソリで剃るだけかVIO脱毛による永久脱毛か知らないが)。エチケットなのか相手の欧州の女性がVIO脱毛しているに合わせるためか。
 子作りを終えた日本のセレブたちが、お金を使い、痛みを我慢して何をしようと勝手である。しかし、妊娠・出産をこれから予定する庶民の若い女性がセレブのマネをすることには、賛同しない。
 彼氏に言われれば剃る彼女は、上記7年前のベストアンサーの女性は10%+5%と言うが、今はもっと多いだろう。しかし“老爺心”ながら、永久脱毛は止めた方がいい。彼氏と別れて新にできた彼氏から、ロリコン趣味はない、その気になれないと言われるかもしれない。パイパンが市民権を得たとしても、人の好き嫌いは仕方がない。それは差別ではない。

 人間が二足歩行を始めるとお尻が目立たなくなり、胸を大きくしていったとされる。それでも、日本男性は、本能かは分からないがアンダーヘアの方に注視するのではないか。
 新年早々前評判が高かったエマ・ストーンさん主演の『哀れなるものたち』を映画館で観た。驚いたことに、清純派として人気の高いエマさん自身が全裸となり、アンダーヘアまで見せていた。

 そんな事前情報はなかった。R-18も後で知った。まさに体を張った演技でハリウッドではエマさんを絶賛(2024アカデミー賞主演女優賞を授賞)しているが、ファンの私としては見たいような見たくないような複雑な気分となった。
 これまで金髪かブラウン系の髪色のエマさんはこの映画では漆黒の髪にしている。アンダーヘアも真っ黒に見える。それで裸体は日本女性とよく似ていると言える。ハリウッドセレブのエマさんはVIO脱毛とは無縁なのかもしれない。
 命に関わる頭を護る髪の毛は生まれる前から生えている。アンダーヘアや脇毛は二次性徴として遅れて生える。大事な所を護る意味もあるが、とくに女性の場合それよりも男をその気にさせる意味合いが強いのかも(腋毛はフェロモンを拡散させるに役立つらしいが、日本女性はアンダーヘアを想像されたくないとして剃ってしまう)。
 約700万年前に人が猿から分かれたのであれば、最初は体じゅう毛むじゃらで進化とともに毛が少なくなってきたということか。その中で、アンダーヘアが、退化せず変わらないとすれば、やはり生物学的に大きな意味があるのだろう。
  人間の女は、動物のメスのように決まった繁殖期や発情期はないと言われる。むしろ性行為は頻繁?に行われるから、ある意味、男も女も365日発情期とも言える。ただ、男は、女と違って、打ち上げ花火のこどく筒を立てなければならない。それには男は(人間だけ?の)欲情する必要がある。
 欧米の女性のアンダーヘアはブロンドやブラウンの色が多いが、それでは白い肌とのコントラストがあまりなく雑草みたいに見える。しかし、日本女性のは、昔「白壁にコウモリ」と呼ばれたように、コントラストが際立った日本女性の裸体は、男を欲情させるほど卑猥であり、かつ芸術的なのだ。それでこそ上記女優で当該映画のプロデュースにも関わるエマさんも日本の女性のようにした方が映画としても芸術性が高くなると判断したのではなかろうか。
 VIO脱毛業界はもっともらしいアンケート調査結果をもって世論を誘導しているように見える。

 『オトナのハウコレ編集部』に至っては、2021.09.08付け『パイパンに対する男の本音 毛があるのとないのどっちが好きなの?』と題した記事の中で、女性ライターが「日本人男性はアンダーヘアに対してこれほどまでに執着するのは、パイパンという言葉が世の中にまだ浸透していないからではなく、彼らが単純に変態だからではないでしょうか。」と書いていた。私は変態なのか(助平は認めるが)。
 アンダーヘアがあるなら、手入れはしても、わざわざ無くす必要はない。小さな庭なのに、庭の手入れはしても草が生えるのは嫌だと更地にする人はいないだろう。
 香水の本場フランスの風呂に入る習慣がないと言われたフランス人と違い、湿気が高い一方水資源に恵まれた日本では、私のようなズボラな人間でも毎日風呂に入る。ましてや女性なら(毎日入れる環境にない女性でも環境が整えば毎日入りたいと思うだろう)。行為に及ぶ際にも風呂に入るかシャワーを浴びるだろう。そんな清潔好きな日本人にとってアンダーヘアは不潔な存在ではないハズ。
 パイパンが好きな人はそれでいい。しかし、影響力のある著名識者たちがイメージを気にしてこの問題では口を挟みにくいことをいいことにして、日本女性の特性を顧みずパイパンであるべきだとの極端な主張をするのなら、それはいかがなものかと思う。
 欧米、アングロサクソンのやることが全て正しいと認める時代ではもはやない。何事も盲従する必要はない。

 日本女性は、上記に加え肌のきめ細やかさもあるハード面だけではなく、奥ゆかしさ、優しさ、強圧的ではなく掌の上で男を転がす等ソフト面を含めると、世界の男たちにとってNO.1。アニメ、グルメ、治安と並んで世界一だ。それに対して、日本女性はもっと自信と自覚を持つべきだ。
 
 65年前神戸下町の当時の相場なのか条例なのか知らないが、私は小学4年生からは男湯に入っていた。
 今は、2020年12月に、混浴に関するトラブル等の防止のため「公衆浴場における衛生等管理要領」が改正されたのに伴い、東京都では条例改正を行い、東京都内の公衆浴場の混浴制限年齢を10歳から7歳に引き下げた。2022年より施行されているという。
 私が10歳のときより今の10歳はマセている。年齢の引き下げは妥当だろう。ただ、7歳なら小学1年生か。男の子をもつ母子家庭のママは心配だろう。父子家庭で7歳の女の子が一人で女子風呂に入っても心配ない。母性豊な大人の女性も温かく見守ってくれるだろう。男の子は潜ったりするから心配だ。周りの男性は気遣いしてくれるか。(昔は男性も座っていたが)番台の女性によく配慮してもらう必要があるだろう。
 そんな中、男性が女性に扮して女子風呂に入ろうとして逮捕される事件がまだ見受けられる。子供の頃に銭湯に通っていれば、女装してまで女子風呂に入ろうとは思わないのにと私などそう思うが、そんな問題ではないのか。

 煩悩が昂じて、女に成りすまして、透明人間になってと妄想することは男性にとって不思議ではないが、それを実践までしてしまう人がいる。昔と違い女性の裸を見るならAV動画があるというのに。
 スカート内の盗撮も、登りのエスカレーターで前方にミニスカートの女性がいれば私も気にはなるが、それを盗撮したいとは思わない。かつて年収1億円と言われた著名エコノミストが盗撮で(選挙に纏わる陰謀論も出ていたが)有罪となった。リスク対リターンが全然釣り合っていないと思うが、地位や年収を失いかねないスリルがたまらないのであろうか。

 「LGBT理解増進法」が2023年6月16日に国会で成立し、23日に施行された。作家百田尚樹氏がその法案成立に危惧していた。近著『大常識』(新潮新書)にて。

 私は9年前『大放言』(新潮新書)を読み腹を立て二度と百田氏の本は読むまいと誓うも、怖いもの見たさからか、肩もこらないし、ついつい購読してしまう。この『大常識』も他の件では怒る(7/10アップ予定8月号NO.212「さいはんVSさいばん」にて)のではあるが、次の件に関しては別だ。
 百田氏はLGBT理解増進法が成立すれば、男性器がついた自称女性が女性の裸を観たいがために女子風呂に入ってくると懸念する。そして「法案反対派が恐れるのはそんな輩であり、決して本物のトランスジェンダーのことではありません」と言う。
 さらに、「『少数意見の尊重』『弱者の救済』とは異論をはさみにくい耳障りのよい言葉ですが、少数派の為に大多数が我慢、いや被害を強いられる社会を『差別のない社会』とはいいません」と言う。私はこれを支持する。
 男性のシンボルがついたたまの女性が、戸籍抄本か証明書を首からぶら下げて(それが本物だとして)女子風呂に入っても、それでも不快とか怖いとか感じる女性は少なからずいるのではないか。
 2023年10月25日、生殖機能をなくす手術を性別変更の事実上の要件とする性同一性障害特例法の規定が憲法違反かどうかについて、最高裁は「違憲」との判断を示した。
 これまで合憲とされた「性同一性障害特例法」の5要件(①18歳以上②婚姻していない③未成年の子供がいない④生殖腺がないか、生殖機能が欠く状態⑤変更後の性別に近い外観を備える)。
 この内今回「④生殖腺がないか、生殖機能が欠く状態」が違憲とされた。しかし、「⑤変更後の性別に近い外観を備える」については視今回最高裁は判断を示さなかった。
 しかも、違憲判決出る前の2023年6月において厚労省が「公衆浴場における男女の区別について『風紀の観点から混浴禁止を定めている趣旨から、身体的な特徴をもって判断する』」との通知を出している。
 今般の違憲判決を受け、心が女と言えば女湯に入れるのかとネット上で一時騒然となったが、現時点おいても体が男なのに心が女だからと言って女子風呂に入れる訳ではない。
 百田氏は、トイレもジェンダーレスに統一するのではなく、現行「女子トイレ+男子トイレ」を「女子トイレ+ジェンダーレストイレ」にすべきと提案する。私も賛同する。
 欧米では、リベラルが「理想」を御旗に極端に走るきらいがある。しかし、結局米国も英国も国民が分断されてしまっているではないか。度重なる天災の中で培われてきた助け合い・和の精神の日本には馴染まない。少数派も多数派も互いに相手のことを尊重し、気遣い、時には譲歩しあう。傲慢だった戦前はともかく、それが古来からの日本人というものではないのか。

(次回208号は4/20アップ予定)

2024.4 NO.206 せんきょ  VS せんきょ
 1週間後の3月17日に自民党の党大会が開かれる。厳しい岸田自民党総裁再選にとって4/28の補欠選挙が鬼門とも見られるが、その前に党大会で明るい材料を出せるか。
 同日の3月17日にはロシアの大統領選挙が行われる。岸田首相と違い、プーチン大統領が再選されるのは確実。

 関心は投票所の防犯カメラが撤去された中支持率がどれぐらいになるかだけ。2期12年後の83歳になる2036年まで大統領になる可能性もある。ロシアの平均寿命(男性60歳)を考えれば、終身大統領になるのと同じだ。
 米国では今11月の大統領選挙に向けて予備選の真っただ中にある。民主主義の宗主国であったハズの米国の国内では、経済的にはひと握りの富裕層と大勢を占める貧困層の格差が極端に拡がり、政治的には相容れぬ「自由」と「平等」を巡って共和党支持者と民主党支持者とが鋭く対立している。
 米国を人間の体に喩えれば、頭と足が上下に引っ張られ、右手と左手とを逆方向に思い切り引っ張られ、今にも体が破裂寸前な状況にあると言える。
 この断末魔の状況を好転させることは誰が大統領になっても容易ではない。が、圧倒的多数を占める貧困層は、オバマ元大統領と変わらぬバイデン大統領に失望し、(私には分断を煽っている様にしか見えない)トランプ前大統領にすがる他はないと思っているように見える。
 これまで、共和党と民主党の二大政党から大統領が選出されてきた。二大政党の違いは、民主党が「リベラル」で「大きな政府」を志向。シンボルカラー「青」。共和党は「保守」で市場重視であり「小さな政府」を主張している。シンボルカラーは「赤」。
 “野球界の大統領”と言ってもおかしくない大谷翔平選手のユニホームは赤から青に替わった。本家の大統領のネクタイは、青から赤に替わるのか。
 支持層は、民主党が東西海岸沿い、大都市を選挙基盤とし、共和党は内陸部の農村地帯の多くの州を押さえている。

 50州あっても、実際はラストベルト地帯を初めとするスイングステートと呼ばれる数州を押さえた方が大統領となる。
 最近の世論調査では、その内の6州(ネバダ、アリゾナ、ミシガン、ペンシルベニア、ジョージア、ウイスコンシン)において、全てバイデン現大統領よりもトランプ前大統領の方が、次期大統領として支持されているとの結果が出ていた。
 バイデン大統領は、高齢に加えて、ウクライナ支援・イスラエル支援の「ダブルスタンダード」が、アラブ人の反発を招いている(共和党が「イスラエル支持」で民主党が「パレスチナとイスラエルの共存」。本来共和党への批判が多いハズだが、表に立つ政権与党である民主党の方が批判されてしまう)。さらに高齢やダブルスタンダードはZ世代の若者からも敬遠されている。それで民主党は若者に大きな影響力を持つ人気歌手テイラー・スウィフトさんを担ぎ出したいところだが、トランプ前大統領からの牽制もありテイラーさん自身は今のところ4年前と違いバイデン支持を表明していない。
 これが大方の見方であるが、両党の大統領の違いについて申し添えたい。民主党の大統領は、「鳴かぬなら、殺してしまえ」の信長型。共和党は「鳴かぬなら、鳴かせてみせよう」の秀吉型。共和党の大統領の方が信長型と思われがちだが、強面の、レーガン大統領もトランプ大統領も任期中には大きな戦争は起きていない。脅すだけで相手がおとなしくなる。トランプ大統領が再選されていたなら、プーチン大統領はウクライナ侵攻をしていない。金正恩総書記もこんなにミサイル実験しないだろう。民主党のオバマ前大統領もバイデン現大統領も怖くなく相手になめられる。いきおい「リベラル」の問題点である「理想」を御旗に相手の事情も考慮せず問答無用と戦争を仕掛ける(第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、過去の長期化した大きな戦争は皆民主党政権)。

 “世界の警察官”の座から降りると言ったのは民主党のオバマ大統領。次のトランプ共和党大統領も「アメリカファースト」を掲げ、NATOからも脱退すると言っていた。バイデン民主党現大統領は、世界の警察官の座を降りながら、影で糸を引き、ゼレンスキー大統領に代理戦争させる。
 その結果、戦況が膠着しウクライナの惨状は増すばかりとなるも、ロシアは思うほど弱体化していない。中国・ロシア・イラン・北朝鮮の結束を招いた。ドイツは米国に不信の目を向ける。グローバルサウスの諸国は、食糧価格、エネルギー価格の高騰により米国離れを加速させる。
 人格に問題があり、政治家としても合衆国連邦政府の長ながら国民の分断を煽るも、国際関係においては、アフガニスタンからのお粗末な撤退を初め米国の威信を傷つけ続けるバイデン大統領よりトランプ前大統領の方が筋が通っている。

 中国、ロシア、インドも基本それぞれの価値観を認める棲み分け主義(囲碁型)。天下布武の旗を降ろした米国(将棋型)が多極化の流れに沿うのであれば。

 米時間3/5のスーパーチューズデーでの圧勝劇により、11月の本選挙は高齢者同士のリターンマッチとなった。トランプ1.0が決まってから8年も経つのに、共和党も民主党も、46歳で大統領に就任したクリントン大統領みた若い候補が台頭してこない。米国退潮のシンボリックな事態と言えるのか。

 仮にトランプ大統領が次期大統領になれば、多くの罪状で起訴されているトランプ氏が刑務所から大統領として発信する事態もありうるとする。免責特権が認められなければ。
 それはともかくとして、3選が禁止されている為最後の政権運営になるから好き放題に運営する。前政権時代にはマチス国防長官のようなもの言える家老がいたが、今度はイエスマンばかりとなり、トランプ大統領は独裁者になり米国は権威主義国家になると見られている。ただでさえ、世界は権威主義国家の方が民主主義国家より多いのに、民主主義の宗主国である米国が権威主義国家になってしまうのだ。
 一方米国と覇権を争う中国では、習近平総書記も独裁者と見られている。ただ、プーチン大統領のように個人的な独裁ではなく中国共産党の一党独裁の中でのワンマンプレーが許されるだけ(一時期例外があるものの戦後与党独占を続ける自民党における安倍一強体制と同じだが、それを反面教師とすればよいのに)。その意味ではトランプ氏と変わらない。

 経済運営に失敗し北戴河会議のメンバーである長老たちから叱責を受けたように、失敗しても簡単には失脚しないプーチン大統領のようにはいかない。
 習近平氏に総書記への道が開かれたのは、2023年3月臨時号(NO.187「せんろうVSせんどう」)で書いたように、慶応大小嶋華津子法学部教授よれば「2007年6月に実施された、中央委員・同候補による政治局委員候補者リストへの無記名投票である。この投票の結果、習近平の得票が李克強の得票を上回ったことにより、胡錦濤は、自らの腹心である李克強への権力委譲をあきらめざるを得なかったと伝えられている」とする。清廉潔白な賢者である胡錦濤前総書記がいわば民主主義とも言える「党内民主」を推し進め党員の無記名投票を実施したことが却ってアダになった。
 民主主義(多数決)は、民度は一定との理想を前提している。現実は賢者<賢者でない者。民主主義は根本的矛盾を内包している。民主主義は却って独裁者を生む。
 今頃になって人民は天才肌・経済通の李克強前首相の方がよかったと言い出し「死せる李克強生ける習近平を走らす」との事態を招いている。
 このまま国内の混乱が続けば後年胡錦濤前総書記は“中国のゴルバチョフ”と呼ばれるかも。何としても中国共産党の一党独裁を守らなければならない。人民への監視・統制の強化、経済の回復との大きな国内課題が抱えた習総書記にとってはトランプ前大統領が返り咲きは弱り目に祟り目になろう。

 トランプ大統領が次期大統領になれば、日本はどうなるのか。トランプ氏が2016年秋に大統領に決まった時、安倍首相はあわてて怖そうなトランプ氏に会いに渡米した。当初靴まで舐めるかとメディアに揶揄されたが、個人的には安倍氏はトランプ氏の信頼を得た。
 ただし、その代償は大きかった。どうやら、向こう5年の43兆円防衛費増額は、トランプ大統領の要求に安倍首相が約束したのではないか。そうすると、辻褄が合ってくる。河野大臣がイージス・アショアの中止を突然言い出し、その後自民党が「敵基地攻撃」に言及し出したとき、自衛隊制服組の幹部OBたちが「防御対策を変えるなら次も防御対策ではないか!?」と憤慨したのに後に賛同に回ったことが。裏話を聞かされ「これで弾不足も解消される」と喜んだのではないか。
 岸田首相は、一国民に安倍元首相が暗殺されたのに独断?にて国葬にしたことに加えて、国民が望んでいない、安倍氏の負の遺産と言える、宏池会の理念に合わないものを自身の手柄のようにしたことが大きな躓となったのではないか。

 不評の敵基地攻撃を言い換えた「反撃能力」は、安倍首相の約束を隠し、正当性を持たせるための大義名分に過ぎないと見るべきでは。43兆円(大幅な円安で50兆円を大きく超えるか)を国民に無理やり承知させたら、敵が攻撃に着手した時点をどうするかなどの論議は雲散霧消したかの如くだ(その主導的立場にあった自民党安全保障調査会長の小野寺五典氏は暇になったのか、今は衆議院予算委員長として奮闘する)。

 日銀の植田和男総裁は、本来受けるべき人たちが貧乏くじを引こうとせず、異次元の金融緩和という後遺症から日銀及び日本経済をどう立て直すかとの難題を背負わされたと、同情する国民も少なくないだろう。

 岸田首相は、国民に裏話はできないにしろ、国民から同情されないだけではなく、何を言っても『どの口が言う』と国民から怒りを買うばかりである。
 「お上に逆らってはならない」というのが日本の国民性であるが、現職でなくなり、亡くなってもいれば、国民は批判し出す。私は安倍元首相が現職時代からABE政治を批判してきた。岸田首相なら、宏池会の領袖であれば、変えてくれると思うも、結局ABE政治を踏襲しているに過ぎない。

 「異次元の少子化対策」一つを取り上げても。国民は「異次元の金融緩和」の顛末を見て「異次元は、無茶で、意味がないが、後遺症が大きい」と捉えているのに、タブー視すべき「異次元」を使用するようでは。それで中味はというと、異次元とは名ばかりで、財源もなく、子育て支援の月500円(実際は1,000円以上か)の負担に至っては、何をか言わん。
 岸田首相は、同じボンボンの三世議員の安倍元首相と同じく自身も国民から受け入れられると思ったかもしれないが、安倍首相はもっと“人たらし”で、しかも、安倍氏には良くも悪くも菅官房長官という盾にも矛にもなる強面の官房長官がついていた。
 松野官房長官の起用は最大派閥の安倍派に配慮した為だろうが、私は以前内閣改造するときが来れば、新官房長官には志・教養(歴史観)・気概のある官僚出身の議員をと言い、例えばとして斎藤健元法務大臣(現経産大臣。古巣に錦を飾り、一歩一歩首相に近づいている)の名を挙げた。しかし、官房長官を続投させた。記者との会見を見ても、岸田首相を助けるよりも足を引っ張っているようにしか見えないのに。そして政治資金パーティ券の裏金問題でようやく更迭した。

 トランプ前大統領が返り咲いた場合、何を要求されるか分からない。安倍首相や岸田首相のようなボンボンの世襲議員の首相では自らの権力保持しか眼中にないと言え米国にさらに隷従しかねない。
 米国の弟分だとしても日本の国益を踏まえ隷属はしないタフなネゴシエイターの首相でないと。トランプ大統領ならなおさらに。その意味では、天才肌にありがちな人望がないのがネックだが茂木敏充幹事長が該当するのでは(米国もタフなネゴシエイターと認めている。経世会出身の首相は米国に物申し短命政権になりがちではあるが)。
 企業のトップには、「社員に優しいが、経営能力は疑問」タイプと「社員から人気はないが、経営能力は高い」タイプと、どちらが社員及びその家族の生活を護れるか。この問いに、程度の問題もあるが、私は後者だと思う立場なので。
 対トランプ大統領なら却って女性首相の方がよいかも(大統領も脅しづらいか。女性首相の方がめげない、ひるまないか)しれない。となれば、1月末麻生副総裁が前置きは余計だったが外務大臣としての手腕を褒めて永田町界隈から全国区となった旧宏池会の上川陽子大臣が一番手となろう。

 相談なく派閥解散をぶち上げられ守旧派にされたと怒り心頭の麻生副総裁が岸田首相を見限ったか。旧自派の上川大臣が首相なら、岸田氏もキングメーカーの体裁を繕うと思えば繕えるか。
 国民人気1位の石破茂議員は、平時批判するのはある意味大事なことで貴重な存在だが、自民党や首相が有事の時にも批判し、離党もしないので、麻生、安倍、岸田の歴代首相から恨みを買ってしまう。
 首相サイドからか6月解散も囁かれているが、旧統一教会問題、裏金問題、女性局「パリ視察」問題、青年局「過激ショー」問題の自民党四重苦で解散などできる訳がない。

 追いつめられると何するか分からない、道連れ自爆解散もしかねない岸田首相から解散総選挙という伝家の宝刀を取り上げ、新総裁下での解散総選挙が行われると私は見ている。

 4月の訪米を花道としての総裁退任論もあるが、私は岸田総裁は粘り9月末の総裁任期満了による総裁選が行われるとと見ている。上川大臣、茂木幹事長、石破元幹事長らが立候補した場合、「国会議員票」と同数の「党員党友票」をあわせた有効票の過半数を取った者が当選する(1/19現在の自民党国会議員は376名。ミナロクデナシと覚える。無論そうは思っていないが)。

 過半数を取った者がおらず、上位2人の決選投票(党員・党友票は都道府県連に1票ずつ割り振られた計47の地方票に縮小)になれば、石破元幹事長に勝ち目は薄いのではないか。

 その意味でも、石破氏を嫌う麻生氏が同じく岸田首相を見放す茂木氏の総裁選出馬を後押しするのではないか。

 私は、本ブログ2023年11月臨時号NO.199(「たろうVSじろう」)にて議員の世襲問題に触れているが、初代から離れれば離れるほど劣化している感のある世襲議員の首相ではなく、今こそ官僚出身の首相が日本の舵取りをすべきだと常々そう思っている(灘高→東大・法→キャリア官僚という典型的なエリートコースを歩んだハズの西村康稔前経産大臣、盛山正仁文科大臣には兵庫県人としてがっかりさせられるが)。
 その意味では、私は前々から志・教養(歴史観)・気骨がある上述斎藤経産大臣を推している。しかし、文春オンラインの記事では、当選同期で親しい間柄の小泉進次郎氏について聞かれ、「有力な候補でしょう。今すぐではなくて、みんなで育てていかなくちゃいけない。『ふさわしいか』『ふさわしくないか』ではなくて、ふさわしくなってもらうようにやるしかない」と答えている。リップサービスや深謀遠慮があるにしても、『ふさわしいか』以降の発言は余計だ。本当にそう思っているのかとの賢い国民から?が付くではないか。

 小泉議員は源氏の嫡流でもあるまいし。議員の世襲が日本の政治をダメにしているので、斎藤大臣を推しているのに。
 派閥解散を記者に問われ、斎藤大臣は若手議員みたいに「自由に総裁候補を選びたいから」と発言していたが、斎藤大臣が中心となる政策集団を早く立ち上げるべきではないか。総裁選には20名の議員推薦が必要でもあるし。
 キャリア官僚も、外資系の高給取りの道ではなく、官僚を目指した志は、尊敬しない首相に対してヒラメ官僚になることではないだろう。国を憂う心ある官僚が結束して信頼に足る官僚派の議員を擁立・支援しようとする気概はないのか。
 最近東大のトップクラスは外資系企業に就職すると言われる。職業の自由で仕方がない。志がないのに、無理やり官僚にしても、政治家に阿り出世を目指すだけだろう。
 東大入試を合格する学力があればそれで十分。志、先見力、決断力、統率力(人望も)、誠実さが大事。戦前陸軍は陸軍大学校の成績順で登用し、戦地の日本兵は連合国軍の攻撃より酷い目に遭わされたと言っても過言ではない。
 私は、地獄に落ちるほど悪いことはしておらず天国に行く準備をしているが、井上陽水さんが『人生が二度あれば』と歌うように、人生が二度あり、そして数段頭がよく生まれ変われるならば、私は官僚になりたいと思っている(もっとも、性格も変わっていなければ、相手が大臣でも賢者でない政治家とは言い合いになり、直ぐに辞める羽目になるだろうが)。

 国際問題では、トランプ大統領になれば、確実にウクライナ戦争は終わるだろう。自らは停戦を口が裂けても言えないが、さりとて死ぬ兵士が増えるだけの負け戦を続ければ軍部クーデターが起き失脚しそうなゼレンスキー大統領も“渡りに船”とは言わないまでもで終戦を米国の責任に転嫁するだろう。それでも大統領としての再選は絶望的だが。

 日本はロシアとの関係修復を図ることが出来るだろう。
 ロシアがウクライナに侵攻したときすぐさま日本はNATOと歩調を合わせ、ウクライナ支持を表明した。遠い戦争で、しかも隣の核大国で北方領土問題も抱えるロシアがウクライナより重要で、大統領再選を狙うトランプ前大統領が戦争に反対していることも勘案すれば、中立的な立場を採り、早期停戦を呼びかけるべきだった。

 一方、ハマスからのイスラエルへの奇襲に際しては、日本はNATOとは足並みを揃えず、中立的な立場を採った。
 この違いは何か。ハマスの奇襲について米国は察知しておらず日本に対して要請がなく、日本が石油の安定的輸入確保との国益を考えて行動することが出来たのか。

 ウクライナ戦争では裏で糸引くバイデン政権から「強い要請」という命令があったのではないか。在任中プーチン大統領と27回も会談した安倍元首相が、岸田首相に「私の顔をつぶす気か!?」と怒るのではなく、あえて「ウクライナを支持する」と発信したことを見ても。
 対中国に対しては、トランプ共和党政権になるなら、佐藤優氏はバイデン民主党政権のような軍事的圧力より経済的なディールで中国に圧力をかけると見ている。
 どちらにしても、中国を挑発するのに変わりがない。偶発にしろ、米中で戦闘が始まれば、日本が戦場となる。ウクライナ国民と同じ目に我々は遭う。中国に対しては強硬発言するのではなく、中国に対して「米国の挑発に乗るな」との自重を日本の政治家は求めるべきなのだ。
 20世紀の大哲学者サルトルは、「金持ちたちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ。」と名言を残した。宮殿を持つと言われるプーチン大統領が侵攻を命令し、ロシア南部の貧乏な人々やロシアに来た移民たちがウクライナの戦地で弾避けにされる。汚職疑惑も囁かれるゼレンスキー大統領が戦争に舵を切り、国内外に避難できない貧しいウクライナの人々が犠牲になる。カタールで優雅な生活と揶揄されるハマスの指導者が奇襲を指示し、貧しいガザの住民が悲惨な目に遭っている。
 日本で金持ちの政治家と言えば、誰か。麻生太郎自民党副総裁を思い浮かべるか。

 私と同じ貧乏人の同胞たちよ、麻生氏が強硬発言で中国を刺激しているのを「威勢がいい」と評価するとき、愛する家族や彼女のことを考えた上での発言なのか?

(次回207号は4/1アップ予定)

2024.3臨時号 NO.205 じる VS しじる
 諺に「名物に旨い物なし」がある。江戸時代からなのか、誰が言い出したのか、不明だが、今も死語になっていないようなので、そう思う人は少なくないのだろう。
 私が「名物に旨い物なし」と思ったのが、50年前に地元神戸中華街の『老祥記』の豚まんを食べた時。当時から元祖豚まんじゅうの店として有名だった(今は東京在住にて食べる機会がないが、今も食べログで3.5を超え、人気店として健在のようだ)。
 当時日頃から食べ慣れている豚まんより特段美味しいとは思わなかった。店も一番美味しいとは謳っていない。自分自身で勝手にハードルを上げていたのかもしれない。神戸中華街に来る観光客にとっては、元祖豚まんを初めて食べたとの感慨が味覚にプラスに作用しているとも言えるか。
 現在の私の地元とも言える亀戸のソウルフードの一つに『亀戸餃子』がある。食べログで3.5前後の評価もあり人気は高い。私自身は神戸にいた青春時代のソウルフードは大阪『眠眠』 (三宮店。今は錦糸町北口店に通う) の餃子。私の餃子の評価基準にもなっている。皮は薄く、野菜は白菜中心、野菜と肉の比率は6対4か、にんにく使用。

   亀戸餃子はキャベツ主体か。私は白菜の方が肉と渾然一体となった餡になり好きなので、そんなに高評価ではない。
 三大餃子都市は、宮崎市、宇都宮市、浜松市。“ちびっ子鉄道博士”と私が呼ぶ外孫5歳児が新幹線『つばさ』が好きだが乗ったことがないと言う。それで早速計画した(日々の躾は親の責任と言い孫に甘々の私は妻娘から“爺ばか”呼ばわりされているが)。
 昨年末、孫好物の餃子、イチゴでも有名であり、昨秋開業のスタイリッシュな路面電車『ライトレール』が走る宇都宮市に爺がエスコートした。地元特産とちおとめのイチゴスイーツとともに『宇都宮みんみん』の餃子を食べたが、「見た目」が麗しく具の野菜が白菜中心で私の好みに合っていた。
   数年前には一人で、(2023年度餃子消費額日本一に返り咲いた)浜松餃子を食べに浜松市に遠征した。駅近くの店で餃子を食べたが、キャベツ主体の為か亀戸餃子と同じ味がしてわざわざ来る必要がなかったかと餃子店をはしごする気が失せてしまったことが覚えている。
 とはいえ、食通の有吉弘行さんが、フジテレビ『有吉くんの正直さんぽ』で、『亀戸餃子』を絶賛していた。仕事を離れて個人的にも『亀戸餃子』を褒め称えている。

 私は、今や国民食と呼べるチキンラーメンが食べられない。バカ舌だとコンプレックスを持っている。アンジャッシュの渡部建さんは仲の良い有吉さんのことを「めちゃめちゃホラ吹き!」と言ってるが、私は有吉さんの評価に従う。
 ハマっ子のソウルフードと言えば、『崎陽軒のシウマイ』か。元神戸っ子の私はあまり食する機会がなく、駅弁でしか食べたことがない。元々餃子が好物で町中華によく寄るが、春巻(とくにエビ春巻)を注文することがあってもシュウマイを頼むことがない。たまたま入店したJR五反田駅東口向かいの町中華『亜細亜』で(餃子はないのかと思い)かなり大粒のシュウマイを頼んだ。初めてシュウマイを美味しいものだと感じた。それ以来、当店に寄れば、塩味の中華丼とシュウマイ2個を頼む。
 ハマっ子にとっては、小さい頃から崎陽軒のシウマイを食べ親しんでいるから、いわば“おふくろの味”なのだろう。おふくろの味に優る物はない。
 名物に本当に不味いと思う物がある。それをバカ舌の私が書くのは営業妨害にしかならないので控えることにする。


  「信じる者は救われる」と言われるが、それはキリストを信じる者か。イスラム教徒には言ってはならぬか。イスラム教徒でも「努力は報われる」とか「努力はウソをつかない」には異論はないだろう。
 「努力は報われる」と私も信じる。私は、天賦の才能がなく、怠惰な性分なのに努力するしかなかった。子供の頃から他人よりややストイックな生活を強いられたが、努力すればすべてではないにしろ人並にはと悟った。人生のゴールに近づいたが、人として生まれた甲斐はあったと思っている。
 フィギュア・スケートの金メダリスト羽生結弦選手は、一番強い人が一番努力しても勝てず、その一方で若い人が勢いだけで勝つときもあり、「努力はウソをつく、でも無駄にはならない」と言ったという。
 頂点を極めた羽生選手は、努力の正解があるという。プロゴルファーも高みを目指してスイングを替えたりする。五輪銀メダリストで2021年だけで8勝もした稲見萌寧選手も球筋をフェードからドローに変え勝てなくなった。苦汁を嘗めたが元に戻すことを決断し日米共催の2023年TOTOジャパンクラシックに勝つ。米ツアーの出場権を得た。
 人気はいまだに高いがアンチも増えてしまった、石川遼選手や渋野日向子選手も努力しているに違いない。早く努力の正解を見つけてほしいものだ。

 私は、物を斜めから見るきらいがあり、“文句たれ”でもあるので、信じることより、信じないことの方がはるかに多い。
 まず、「そば屋の出前」。配達が遅いとの催促の電話があると「もう 出ています」とか適当なことを言う。今は『Uber Eats』、『出前館』など宅配代行が流行る時代、蕎麦屋に直接催促することはないか。
 「健康食品のCMに出る医師」は、私は信じないと言うより信用しない。たとえ著名な医師でも本人が愛用していても。有名シェフの場合は、不信感は持たないが、不快になる。BSで著名シェフのドキュメントかと興味深く観ようとしたら健康食品のCMだと判り臍を曲げる。緑の葉っぱの粉なら豆乳に混ぜて毎朝妻から飲まされている。否、有難く頂戴している。気休めにしか思っていないが。

 「宇宙人の写真」も信じない。無限のような広大な宇宙の中で地球人だけとは思わない。ただ、今メディアに登場する宇宙人は皆地球人に体型が似ている。それが嘘っぽい。
 人間に近い形でないと我々は同じ人として認識することが難しい。気づかないだけで既に地球に来ていたとすれば、高度な文明の宇宙人であり、地球人が無事に生き延びてこられたとは私は思わない。
 「妻の正直に話してくれたら絶対怒らない」も信じることはできない。信じては酷い目に遭うこと間違いない。
 高校の大先輩・俳優故高島忠夫(本名高嶋忠夫、ヴァイオリニスト高嶋ちさ子さんの伯父)はモテモテだったのに妻(元タカラジェンヌの寿美花代さん)一筋。聖人と言え、我々凡人にはマネできない。

 しくじることがあって、半分浮気がばれた時、妻から「正直に話してくれたら・・・」との言葉を信じる凡人は皆無では。「遊び」で夫が他の女と体を合わすのは、我慢できない妻と「まったく!」と言って我慢する妻に分かれる。「浮気」で心も合わすなら、妻は皆怒髪天を衝くに違いない。

 妻は信じたくない。裏切られたと認めたくないのだから、否定し続けるのが正解。芸人のネタのように、ホテルの部屋なら、裸になっていない。裸なら、していない。していたら・・・とあくまでも否定し続ける。妻と離婚する気がなければ。裏で物心誠意を尽くして浮気相手と別れるしかない。

 正直に話してその時は許されたとしても、妻はずっと覚えている。年老いたとき復讐される。
 経験者が語るみたいだが、私自身は浮気をしていない。正確には出来なかった。30年以上前男性ホルモンが湧きいずる泉のごとくであった銀行員時代に浮気願望はあったのだが、口先だけで如何せん行動が伴わない。

 親しいクラブのオーナーには「マメじゃない」と言われた。モテるタイプでないのに、マメでなければ、ダメとなる。お呼びじゃない。これは紛れもなく真理と言える。
 今は、浮気未経験が幸いし、単なる粗大ゴミではなく憎まれ口を叩く大きなゴミの存在でも、妻から捨てられないで済んでいる。

 私が好きだった昭和モテ男故山城新伍、故竹脇無我の晩年は寂しかったのでは。平成モテ男石田純一氏は大丈夫か?

 政治面では、ロッキード事件の顛末を信じていない。故田中角栄自身が金権体質であったとしても。生涯の師と仰ぎ角栄死後も冤罪解明に奔走した故石井一は、角栄の冤罪を晴らせないまま一昨年角栄が棲む天国に旅立った。誤算があったとすれば、キーマンの故中曽根康弘は先に逝ったが、まさか一回りも年上の故キッシンジャーがこれほど長生きするとは思わなかったことではないか。ロッキード事件の黒幕とみられ解明への最大障壁と言えるキッシンジャーが昨年末百寿で大往生した。真相が明らかになる日が来るのであろうか。
 ウクライナ戦争では、西側の情報を信じなくなった。ロシアからの情報はソ連時代から鵜呑みにはしていないが。民主主義の国であればと思うが、英国の国防省はプーチン大統領の死亡説を流したり、大英帝国の誇りは失ったのかと思う。

 それに乗っかったのか筑波大名誉教授中村逸郎氏に対してはハズレ話だけではなく何ももう私は聞こうとしない。
 同じ筑波大でも東野篤子教授は、ウクライナ、EUが専門であるが、ウクライナの不利な話もきちっと話すので、聞き耳を持つ。失礼ながらNATOにおける日本の広報担当かと思った鶴岡路人氏は、れっきとした学者で慶応大准教授、しかも上記東野教授のご主人。夫妻共闘?して、ロシアと対峙か。
 大国ロシアの研究者は学者を含め多数いると思うが、BS番組に登場しない。親ロシアと思われるのを忌避しているのか、それともテレビ局が呼ぼうとしないのか。

 その中で、ロシアの侵攻時点から話を展開する軍事研究者と違い、笹川平和財団(以下「笹川財団」)の畔蒜泰助主任研究員は、立場上反ロシアだとしても、軍事面だけではなく、ロシアの歴史的、文明的な背景も説明するので参考になる。
 BS情報番組に軍事研究者として出演する防衛研究所の兵頭慎治現研究幹事、高橋杉雄前政策研究室長に対して最初はさすが防衛省直轄のシンクタンクの職員は優秀だと感心した。が、次第に疑問を感じるようになった。
 TVの仕事は、東大で准教授に昇格した小泉悠氏、笹川財団小原凡司上席フェローや軍事ジャーナリスト黒井文太郎氏などに任せるべきではないか。BS番組の視聴者は我々庶民だけではなく非友好国の諜報部員も観ているだろう。公安や諜報部員と同じ立場でないにしろ表に出てよいのか。それもBS番組等になぜ頻繁に出演するのか。防衛研究所として国民に戦争への覚悟を求めているのか、あるいは政府からウクライナ支援の正当性を国民に説明するよう指示されているのかと。

 それで、その疑問と懸念を昨年4/1アップの2023年5月号NO.189(タカハVSタカハシ)に記した。
 それから1か月も経たないうちに、週刊誌『FRIDAY』が高橋氏から既婚女性に卑わいなメールが送られたとのスキャンダルを報じた。私は、銀行員時代浮気願望があり偉そうなことを言える立場にないが、それでも社団に移ってからは身を律していた。報道が本当なら、「英雄色を好む」とはいえ「色事」に行動を起こすとは。高橋氏の置かれた立場を考えれば、またそれを抜きにしても、今はAVがありそれを煩悩の捌け口に止めるべき。それなら、賢くても所詮ただのオスかと妻に思われるだけで、妻を傷つけることもないだろうに。
 8月になって高橋氏がTV出演できない部署に異動になった。不倫ではないから(それならより悪質とならないか?) 今後の予防措置として異動させたと言うのか。
 民間のサラリーマンとは立場が違う。非友好国からのハニートラップのターゲットとして狙われるかもしれないから即刻異動させるべきではなかったか。過去も女性問題があったという報道もある。なのに優秀な人材をあわや失いかねない事態を招いたのであれば、TV局からいいように利用されること含めて、防衛研究所自体のガバナンスの問題ではないか(文藝春秋2月号の『霞が関コンフィデンシャル』は現所長が上がりではなく栄転するかもと予想する。その機に真に国を護るにふさわしい国のシンクタンクとしての見直しを)。

 最後に、最後なのに読者にとって犬も喰わない話だが、私が一番信じないことは、妻が「私を嫌いだ」と言うこと。

 私は結婚して42年一度も妻を嫌いと言ったことがない。なのに、何かにつけて私を嫌いと言う妻は、嫌いと言って、すぐ大嫌いと言い直す。「女の大嫌い」は意味が違うと私が言うと、大きな勘違いをしていると妻は言い返す(5/10アップ予定2024年6月号NO.209「ひるてんどんVSひるあんどん」を読んだ人は妻に軍配を上げるか)。
 それでも、大月みやこさんが『乱れ花』で「愛する気持ちとおなじだけ ニクい気持ちがつのります」と唄っているが、「可愛さ余って憎さが百倍」かと思い直す私は、おめでたくできている。老いがさらに進んでも鬱による介護負担は妻にかけないで済みそうだ。
 (次回206号は3/10アップ予定)

2024.3 NO.204  ひまり VS ひま
 新年を迎えたのに、常日頃能天気な私が、無常を感じている。昨秋より10/8故谷村新司(74歳)、10/18故もんたよしのり(72歳)、10/19故大橋純子(73歳)、12/30故八代亜紀(73歳)と、同世代の人気歌手が次々と亡くなっている。
 華やかな舞台でスポットライトを浴び大勢の観衆に感動を与え、歌手自らもドーパミンを全開させ快感を得る。その一方でストレスが体を蝕むのか。数十年も続くのであれば。

 私はまだ遠い先のことと高を括っていた「臨終」が身近に感じてしまう。
 元日に能登地震が発生した。被災地でなくとも我々もお屠蘇気分が吹き飛んでしまった。
 私は本ブログ2012年3月号NO.9(「アダムとサダム」)にて「平成7年に起きた神戸の大地震のときには、神戸に地震が起きるなど44年神戸に在住して一度も聞いたことがなかったこと。自分自身は前年の平成6年に神戸を捨て居を東京に移したことを負い目に感じたことから、やり場のない怒りがこみ上げた。地震で壊れた生田神社をTVで見て、神社に八つ当たりし、もう浅草寺・神社をはじめ初詣ですらどこにも行っていない。」と書いている。
 今回の能登地震でも神社が壊れていた。荒廃からの復興のシンボルは欧米なら教会か。日本なら神社ではないか。無論民家もそうだが神社も壊れないで欲しいと思う。
 29年前の1995年阪神・淡路大震災(M7.3)以降、M6以上.の大地震は、2004年新潟県中越地震(M6.8)、2005年福岡県西方沖地震(M7.0)、2007年能登半島地震(M6.9)、2007年新潟県中越沖地震(M6.8)、2008年岩手・宮城内陸地震(M7.2)、2011年東日本大震災(M9.0)、2016年熊本地震(M7.3)、2018年大阪北部地震(M6.1)、2018年北海道胆振東部地震(M6.7)、2021年福島県沖地震(M7.3)、2022年福島県沖地震(M7.4)、2023年石川県能登地方を震源とする地震(M6.5)、2024年能登半島地震(M7.6)。2021年以降毎年大きな地震が起きている。嫌な予感も。杞憂であれば。
 日本は地震列島。どこにでも起こりうる。まだ地震予知はできない。予知できるようになっても止めることは現代科学では無理。日本は火山列島でもある。天災は日本人に課せられた宿命と思うしかない。
 能登の被災状況をみていると、イスラエルの攻撃を受けるガザ地区を思い起こす。石造りと木造の違いはあれど。
 地震の為ではないが、戦前広い領土を求めて満州に進出したが、結局戦争により満州は失った上米軍から日本の各地に大空襲され、広島長崎に原爆を落とされ、大地震以上に日本は焼野原となってしまった。
 「天災」から逃げられない日本は、事前の備え・避難体制やスクラップ&ビルドを背負わされている。その費用は天は支払ってくれない。もちろん奪った命も返してくれない。

 しかし、最大の「人災」と言える戦争は避けることが出来る。天災で苦難を義務づけられたような日本で戦争を口にする者は金持ちかつ強欲な者だけだろう。

 松本人志氏の性加害疑惑も、世の中を嫌な気分にさせる。2019年6月に吉本興行の芸人の闇営業問題が発覚した頃芸能界に関心を持ち、とくに松本人志氏に注目していた。公人及び公人に準ずる著名人を批評するスタンスなので。

 他人様の顔をとやかく言える立場にないブ男の私ではあるが、松本氏は若い頃それなのに女性にモテる顔をしていたと思う。が、数十年経って人相が悪くなった(加齢はあるもその理由が分らずそうは書けなかったが)。相方の浜田雅功氏や明石家さんま氏は変わらないのにと、当時そう思っていた。
 2020年6月臨時号 NO.134「 ボブ VS ボク(2)」において、「松本氏の天才的な所は、当意即妙な切り返し、アドリブにあると思う。だが、思いつきやアドリブなら、ツイッター発言は失言に繋がりやすい。」と記した。続いて、松本氏の営業自粛で生活苦の芸人に対する「上限100万円の無利子貸し付け」に関して、「ただ、その報道がなされた5/4、『善意にケチを付ける人達がいます。あーほー』と松本氏はツイートした。それは、松本氏を支持するネット民が言うことであって、本人が発してよい言葉ではない。才能ある若手芸人を助けたいとの一心なら、他人の評価なんかに動じないハズ。世にインパクトを与えた有徳な功業を成そうとする時に、そういう発言を軽々にするから『善意の衣の下に名誉心・権力欲という鎧が透けて見える』と言われかねない事態を自ら招く(それこそある程度の実績を残さねば、その時は何を言われるか分からない)。長年ボランティアをし続ける俳優杉良太郎さんは、売名行為だとの心無い声を浴びせられてきたが、「ああ、売名行為ですよ。みなさんもなされたら、どうですか」と言い放つ。」と私は松本氏を叱咤した。
 それから、こう書いた。「人は変わる。と言っても、変わらないように見える人もいる。周りの見る目が変わってもいつまでも本人は変わらない人と言えば、明石家さんまさんだ。さんまさんは変わらない。『みんなを笑わせたい。笑顔にしたい』と言うだけで、それ以上でもそれ以下でもない。浜田雅功さんも、人柄が滲み出た人懐っこい顔は若い時から変わらない。礼儀知らずの若手やぼやぼやした番組スタッフには厳しいらしいが。」と。
 松本氏は権力欲に執着しているのでは。政治スタンスがラサール石井氏とは真逆のようで、安倍元首相ら国の権力者に与みする中で自身はお笑い界の権力者になりたいと思っているのではと私は見ていた。

 時事問題を扱うフジTV『ワイドナショー』にて次第に出演を減らして行ったのも、本人が「同番組内での発言を部分的に切り取った記事が出される」ことを嫌ったと報道されているが、国の権力者らに対して批判するようなことを言いたくないからではと私は見ていた。

 私がどう見ていようと松本氏にとっては「大きなお世話」にもならなかったハズなのに。権力は腐敗する。そして結末を迎える。ただ、お笑い界の権力者松本氏の腐敗が女性問題に現れるとは思わなかった(週刊文春の報道が事実に近いのであれば)。その不明を恥じる。
 松本氏は2009年「出来ちゃった婚」で日テレのお天気キャスターを卒業した女性と結婚した。私もお天気キャスターとして可愛い女(ひと)だと観ていたので、いよいよ年貢を納めるのだと思った。その後も『人志松本の酒のツマミになる話』の中でも、家に帰ったら男物の雪駄があり動揺した(奥さんが趣味の和太鼓の稽古の為に用意しただけ)とか奥さんへの愛情を示す発言もあり、女遊びは卒業していると私は勘違いしていたのか。
 問題となる疑惑が平成15年だとすると娘さんはまだ小学生に上がる前後か。週刊文春の記事が出る前だが、上記番組で、お笑い『おぎやはぎ』の小木博明氏が参加者に「朝帰りする妻から『浮気していい』と言われているが、みなさんならどうします」と問いかけた。松本氏は「浮気する」と答えた。もう一度小木氏から聞かれた時、松本氏は「娘次第やな」と答えを変えた。それが父親心の吐露で本心だと思う。

 娘を溺愛と言われる松本氏は文藝春秋(週刊文春)を相手どり提訴した。思春期の娘さんを思ってのことではないか。だが、娘さんにとって良いことなのか。本人にとっても。

 「当該事実は一切ない」と言っていた吉本興業ではなく松本氏個人が裁判慣れの文藝春秋と闘うというのも、どうなのか。吉本興業は松本氏と距離を置いたのか。

 週刊文春は被害を訴える女性がいると報道しているだけ。飲み会は認めた形の松本氏と証人として出廷する被害を訴える女性(以下「被害女性」)との間で性行為の同意の有無について争われると思うが、密室だけに水かけ論になる可能性も高い。たとえ被害女性が、不利な立場になっても、証人として出廷しなくても、被害女性の言い分を信じるだけの証拠や裏付け調査や他の被害女性たちの証言集めを(本疑惑を報道する「公共性」を充足させる為にも)全社あげて既に対応していよう。週刊文春は負けない自信を持っているのではないか。
 高額賠償請求も、松本氏が裁判に専念すると勝手に休業しただけ。民事裁判では弁護士が出廷し最後の本人尋問時に松本氏が出廷するだけでは。仮に松本氏が勝訴しても名誉棄損でそんな高額は現実的でないと週刊文春側も思っていよう。
 裁判が始まれば、週刊文春側は“花見コウ”に過ぎないと余裕でこれでもかと攻めたて、さらなる娘さんが目を覆う、耳を塞ぐような話が世に出てしまうだけかもしれない。

 安倍派を中心とする政治パーティの裏金疑惑問題は、大山鳴動して鼠数匹で早々と収束したように見える。民間が相手なら何でもありのような東京地検特捜部が。メディアも森本宏・最高検刑事部長(以下「刑事部長」)、伊藤文規・特捜部長のコンビと年末に地方検事も動員しての大掛かりな体制だと国民の期待を煽っていたのだが。
 検察OBは庇う。「政治資金規正法の建付けが、会計責任者の責任を問うことになっており、政治家を挙げるには、法律を変えるべし」と言う。
 事務総長との共謀の証拠が見つけられないのか。『ドラえもん』にとっていい迷惑だが、事務総長たちから、「一生そばにいるから 一生そばにいて」と因果を含められたら、会計責任者は断れないだろう。断れば、罪の重さに耐えきれなかったのか「虹」のはるか上に旅立ったとのニュースが流れるのかも。会計責任者は賢い。就任時に覚悟を決めているハズ。そんなことは検察もハナから予想していただろうに。
 特捜部長時代の森本刑事部長に対しては、奇しくも上述NO.134の次号2020年7月号NO.135(「ひんかく」VSひんいかく)で次のように批判している。
 「その検察は今どうなのか。公権力の私物化疑惑ではなく、一民間企業の権力の私物化を捜査し大山鳴動した事件は裁判の未開廷と日産の業績・株価大幅悪化で終焉を迎える。逃亡したゴーン氏はレバノンからICBMのごとく日産・検察に反撃する。政府関与?の国策捜査の不当性、人質司法の非人道性を世界に晒し、海外メディアは一定の理解を示した。ゴーン氏への捜査、弘中弁護士事務所への強制捜査等における『検察の強さ』をよりはき違えたような特捜部の捜査手法も合わさり『検察の品格』が今問われている。」

 当時『深層 カルロス・ゴーンとの対話』(小学館)を上梓した検察OBの郷原信郎弁護士はゴーン氏の日産「私物化」以上に森本特捜部は検察の権限を「私物化」をした(国連作業部会も「4度にわたる逮捕と勾留は根本的に不当だ」と意見書)と言えるのではと結論づけている。
 このままでは失態と言える森本刑事部長の検察庁トップの芽は完全になくなっただろう。名明石市長から過激なインフルエンサーに変身したかのような泉房穂氏は今すぐにでもと言っていたが、森本刑事部長がトップなることがあるならその時には、検察庁の看板にペンキを投げつける市民がまた現れるのではないか。
 
 暗い世相の中で、心が晴れることもある。
 ドジャースの選手として大谷翔平選手が3/20にデビューする。今から待ち遠しい。今季は打者に専念するので、三冠王になることが期待される。

 チームは強力打線なので打点は100打点をかなり上回るか。ホームラン王、打点王は可能性が高い。
 問題は打率。大谷選手は昨季ア・リーグで自己最高の0.304だが、立ちはだかる高い壁となりそうなナ・リーグの首位打者アラエス選手は何と0.354。昨年のナ・リーグMVPのアクーニャJR選手も0.337と高い。同僚となったフリーマン選手(0.331)、ベッツ選手(0.307)もいる。打率をどう改善していくか、それを観るのも楽しみだ。
 日本人である大谷選手が怪力自慢のMLBスター選手をパワーで凌駕するのは痛快。人格も称賛され、MLBを代表する選手と見られるのは、日本人として誇らしい。

 大谷選手だけではなく、昨年WBCで優勝した日本チームの選手たちも世界から敬仰されている。
 (私的な立場では色々取り沙汰されるが)弱冠21歳の佐々木朗希投手が準決勝・メキシコ戦で先発し3ランを浴びる。敗色が濃くなった7回吉田正尚選手が起死回生の同点3ランを放った時涙目で試合を見つめていた佐々木投手は狂喜し帽子を地面に叩きつけた。170キロ?で肩が抜けたかと思うほどに。
 第二次世界大戦で日本の敗戦が濃厚になった頃チャーチル英首相とルーズベルト米大統領とは、見下していた黄色人種の日本軍のあまりの強さに恐れを抱いていた。チャーチル首相は、日本から武器を取り上げ、アメ(経済繁栄)を与え、二度と歯向かわないようにと考えた。
 天国の二人は、思惑通り日本の政治家は武士から商人(あきんど)になり牙が抜けたことを見て、ほくそ笑んでいるか。
 しかし、日本国民、とくに若者は、80年経っても変わらない。WC、WBC、五輪でも、日の丸を背負えば、皆一致団結し、死ぬ気で最後まで戦う。それを観て、世界は日本人との戦争は避けたいと思うだろう。軍事力を増強するよりよほど戦争への抑止力となろう。

 能登地震の翌日救援に向かう離陸待機の海保機と日航旅客機が衝突した。不幸中の幸いにも奇跡的に18分でJAL乗客全員無事に脱出できた。CAの機転と適格な誘導とそれに従う冷静な乗客(度重なる天災で培われた国民性~助け合い精神と規律性)に世界は称賛した。
 空の船長である機長も今にも爆発炎上の危険の中乗客が一人も残っていないか点検し一番最後に脱出した。

 日本に追い付いた、追い越したと思う韓国の人々も、まだまだと思ったことだろう。
 新型コロナ禍の1年前か長男がJALのマイルを使って航空券を用意してくれてパリに短期留学していた長男ファミリーに夫婦で会いに行った。シャルル・ド・ゴール空港に着き荷物が廻って出てくるのを待っていたらベテラン?女性CAがたまたま私を見かけ「席の下にハンカチを落としていましたよ。少し待っててくださいね」と言って、たかが安物のハンカチなのに忘れ物預り所へ走って取りに行き手渡してくれた。多数いるエコノミー席の一人に過ぎない私を覚えていて親切に対応してくれた。
 少し感動を覚えた私は、2021年2月号NO.146(「トラベルVSトラブル)にて、そのことに触れ、「耐用年数を過ぎた脳コンピューターに『JALはJALでしかない。今後とも乗らない。しかし、女性CAは優秀のようだ』と上書き保存した。」と書いた。
 私は、JALの上層部の姿勢、「親方日の丸」体質に対して偏見があったが、社長が女性に代わる。それも吸収合併された側のCA出身とのこと。JALは変わる、変わろうとしているとの思いに至り、クルーの優秀さも再認識した私は、この度アンチJALを返上することにした。

 天災は嫌いだが、天才は大好きだ。世界が注目する天才少女ヴァイオリニストがいる。HIMARIの名で世界で活躍する吉村陽鞠(12歳)さん。日の光のマリなら「太陽」であり、オーケストラという宇宙で輝くひまりさんを観続ける我々は「ひまわり」(向日葵)と言える。
 父親は作曲家・シンセサイザー演奏家の吉村龍太氏、母親はヴァイオリニストの吉田恭子さんの音楽一家。3歳で弾き始め、8歳の時には国際コンクールで審査員3人全員が満点を出した上あり得ないことにアンコールを意味する手拍子をした。2022年米名門カーチス音楽院を最年少(10歳)で合格している逸材。
 日本には、ひまりさん以外にも、村田夏帆さん(16歳)、服部百音さん(24歳)、五嶋みどりさん(52歳)等の天才女性ヴァイオリニストがいる。夫々のファンがかまびすしい。クラシックに疎い私は、語る資格はないし、優劣に興味はない。
 ただ、私はひまりさんが奏でる音色が好きだし、小さいながら指揮者と共にオーケストラをリードする姿にオーラを感じる。なによりも感心するのは、10歳までに42の賞を獲得しているひまりさんは「コンクールは自分の為に弾くから好きではない。聴衆の為に弾くのが好き」と言う。小学生にてマズローの欲求6段階説の最上位の「利他行の実践」の域に達している(第5段階:自己実現の欲求、第4段階:自尊の欲求)。
 「同じ匂いがする」は悪い意味で使われることが多いので、ひまりさんは大谷選手と同じ香りがする。頭がよく読書好き。ヴァイオリン以外でも積極的に学ぼうとする。
 ひまりさんに限っては「神童も二十歳過ぎればただの人」にはならないと確信している。
 「蛙の子は蛙」という意味では、野田樹潤さん(明日18歳の誕生日)もいる。通称は「Juju」(JUJUは人気女性歌手)。

 並み居る男性ドライバーを従え、F3(時速260キロ)で女性ドライバー初の年間チャンピオンとなった。新幹線の運転手も、同260キロで操縦するが、障害物のないレールの上を走る。3歳からカートに乗るJujuさんは怖くないという。F1ドライバーであった父親野田英樹氏は操縦する適性(才能)は自身より娘の方が高いと言う。Jujuさんは最高峰F1(同350キロ)を目指すらしい。すごい女性が現れたものだ。
 こうしてみると、日本はまだまだ捨てたものではないと思える。喜ばしいことだ。
 問題は、やはり「政治」であり、「政治家」だ。立憲民主党が二大政党制の片方の雄として復活するチャンスが到来した。旧民主党時代の「行政仕分け」みたいなスタンドプレーを反省し、いきなりの政権奪取ではなく、日本の政治を正す為に、真正面から「政治改革」の論戦を挑んでもらいたい。主権者たる国民から強い不信の眼が向けられているのに背を向け、論点ずらしの派閥解散をし、それに乗じて党内で権力争いする、傲慢かつ劣化した自民党に対して。
(次回206号は2/20にアップ予定)

2024.2 NO.203  たいん VS たい
 新年2024年は、日本は元日の能登地震、翌日の地震救援・海保機と日航機との衝突という最悪のスタートを切った。
 新年は選挙イヤーとも呼ばれるが、世界はどうなるのであろうか。3月にロシア大統領選、4月にはインド、韓国で総選挙、11月には米国大統領選がある。

 それに先駆けて、3日後の1月13日には台湾総統選がある。2期目の蔡英文総統は3選が禁じられており、与党民進党は、党首で副総統の頼清徳氏を擁立した。野党は最終的に2名が立候補。最大野党・国民党は新北市長の侯友宜氏が出馬した。台湾民衆党からも前台北市長の柯文哲氏が出馬した。

 昨年10/18付けアメブロ『中国情報ジャーナル ディープな香港・中国・台湾』によれば、「蔡英文政権の路線を引き継ぐ与党・民進党の頼清徳氏が野党各党の候補より一歩リードを保っている。最大の焦点は、支持率が伸び悩む国民党の侯友宜氏が他の野党候補と共闘して野党統一候補が結成できるか。実現できれば一気に野党有利の形勢に逆転できるが各党の思惑があり、まとまらない」とのこと。結局そのとおり、野党は一本化できなかった。
 そうなると、与党の頼氏が有利となるハズだが、11月21日から23日にかけて行った支持率に関する第77回民意調査では、民進党の頼候補は「31.4%」で、国民党の侯候補の支持率は「31.1%」と、拮抗しているという。遠藤誉女史が言うように、民進党副総統候補蕭美琴女史が米国かぶれと不人気に対して国民党副総統候補趙少康氏が73歳と高齢ながら人気があり、副総統候補の人気の差が影響しているのか。

 台湾独立を主張する頼氏が当選すれば、台湾独立へ舵を切るかと言えば、それはNOだろう。台湾の大手紙「聯合報」の世論調査を基にした過去10年間の傾向を見ると、世論は「独立支持」30%、「統一支持」14%、「現状維持支持」50%となるらしい。
 選挙は、「現状維持支持」派の支持を取り付けないと勝てない。頼氏も選挙前から台湾独立のトーンを落としている(独立支持派は不満も)。当選してもねじれ議会も懸念され、台湾独立に豹変できる環境でもない。

 対中融和路線の国民党侯氏が勝利しても、中台関係は雪解けが進むかもしれないが、台湾統一に向かうことは予想されにくい。外省人の二世・三世はもう台湾人としてのアイデンティティを有している。白色テロによる弾圧を乗り越え勝ち得た民主主義社会を手放すことを欲しないであろう。
 従って、どちらが勝利しても台湾は「現状維持」を継続する。台湾が「現状維持」を堅持している限り、中国が武力進攻することはない。もともと中国は戦争下手。中国四千年の中でまともな漢族の国家は、漢と明ぐらいでは。
 中国には諸葛亮孔明の格言がある。それは「賢者は戦う前に勝つ。愚者は戦って勝とうとする」。賢者は、展開しうるあらゆる局面を想定し、自らの有利となるように戦略的環境を操り、その上で最終的な勝利を確信してから戦いに臨む。習近平総書記は愚者と呼ばれたくないから、ウクライナのゼレンスキー大統領のマネ (高い人気で当選したものの政権運営に失敗し支持率が急降下したゼレンスキー大統領は、自らの保身のため、一か八か米国・NATOの支援を当て込んで、核保有大国に対して非核保有小国が無謀な戦争の道を選んだ) はしないだろう。
 孔明の格言もさることながら、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」』(ビジネス社)の著者遠藤誉女史によれば、習近平総書記は荀子の「兵不血刃」(ひょうふけつじん; 「刃に血塗らずして勝つ」)を哲理としているという。
 それでも、習近平総書記が在任中に公約を果たしレガシーを残すことに執着するならば、台湾本土を攻撃するのではなく、中国から近い馬祖諸島か金門島を併合することはあるかもしれない。本土から取り残された金門島に人民解放軍が上陸すれば、金門島の住民は、一旦退散はしても、抵抗はしないだろう。金門島は中国の経済頼みであれば。
 それらの島だけでは、米国の防衛ライン(アチソンライン+韓国・台湾本土)に入っていないので、防衛大学校名誉教授の村井友秀氏が『日中危機の本質』(PHP研究所)で言うように、中国本土と近すぎて米国側にメリットもない。米国はあえて戦争しないかもしれない。それだけでも、習総書記にとっては、故毛沢東、故鄧小平がなし得なかったレガシーになるという。

 中国の戦略に影響を与えるウクライナ戦争は、泥沼化の様相にある。戦争が長期化すれば、人口規模、経済力、軍事力に大きく劣る小国が大国に負ける。
 反攻が思うに任せないゼレンスキー大統領はNATOの直接参戦を目的としてウクライナのNATOの加盟を訴える。ラスムセン前NATO事務総長は、停戦の条件を意味しないとして、ロシアが制圧している領土以外、いわゆる西ウクライナをNATOに加盟させてはと言う。それを呑むはずがないロシアのプーチン大統領は、戦争している国は確実にNATO入りできないからとわざと戦争を長引かせる戦略を採るかもしれない(EUへの加盟の話もあるが、それはゼレンスキー大統領への戦争継続させる為の単なるリップサービスか。しかもEUの大統領は任期満了前の7月に辞任するとか。何という無責任さ。もっとも戦争前からプーチン大統領はウクライナのEU加盟には問題視していない)。
 在日韓国人である政治学者姜尚中氏は、近著『アジアで生きる』(集英社新書)で、日本は「兵営国家」「諜報国家」としての韓国と米軍基地のある沖縄が共産主義陣営に対する緩衝地帯となり80年の平和を享受したと触れている。
 NATOの東方拡大に際し最後の砦としてウクライナを緩衝地帯と死守すべく、ロシアはウクライナに侵攻した。ウクライナがロシアに併合されれば、ポーランドはロシアと国境を接することになり、何としてもそれは避けたい。それで積極的にウクライナが支援してきたが、余力がなくなった。さらにウクライナ産穀物の輸入規制をめぐって対立しウクライナと関係がぎくしゃくし出した。
 昨年末のEUサミットでウクライナに対する500億ユーロ(約7.8兆円)の軍事支援について採決も、ハンガリーが拒否権を発動したため、否決された。
 肝心要の米国も、ウクライナの反攻が思うように進まず、ゼレンスキー大統領の汚職疑惑も浮上し、ウクライナ支援に反対する国民の声が過半数を超えてきた。
 そこに来てハマスとウクライナの戦争が勃発し、下院を牛耳る共和党はイスラエルの支援はしてもウクライナへの支援はやろうとしない。
 ウクライナ戦争の雌雄がはっきりしてきた。戦争継続の支援ができなくなるバイデン大統領はバイデン親子のウクライナ利権疑惑の秘密を知るゼレンスキー大統領に引導を渡すことは出来ないか。ロシア、ウクライナ双方と友好関係にある習近平総書記が両国の仲介の手柄をとることを黙認するのではないか(それがなくとも、来年1月にトランプ前大統領の復職なら、そうでなくとも共和党政権に替われば、戦争は終わるだろう)。
 そうした中でウクライナ戦争を終結させるためには、結局ロシアが占拠した東武・南部の4州以外を西ウクライナとしてロシア・NATO双方の緩衝地帯とせざるを得ないのではないか(戦争が続くほど、ロシアの占領する領土が増え、ウクライナは領土だけではなく無辜の住民の命も減る)。
 死活問題であるロシアと違い米国にとってウクライナは所詮“花見コウ”に過ぎない。
 NATO側の支援疲れとウクライナ側の苦戦でゼレンスキー大統領は世界に向けてウクライナが負ければ第3次世界大戦が起きると訴えるが、それは逆。ロシアが負けそうになれば核戦争の危険性が高まる。「NATO側の目的が、ウクライナが勝つことではなく、負けてしまわないこと、そしてロシアを弱らせ続けることだ」と真に理解し、2年前からウクライナ国民が遭っている悲惨な目がわが身に降りかかると発狂寸前のゼレンスキー大統領を持て余し、負けを認めたくないNATO諸国も潮時と思い始めているのではないか。
 ウクライナ内部においても、大統領と軍総司令官が対立し、ク―デターもなしとしない。ウクライナ国民も、戦闘が中止されアドレナリンが治まれば、ゼレンスキー大統領を選んだことを後悔することになるか。いや、もう国民は大統領を疑問視し始めている(ゼレンスキー大統領よりザルジニー軍総司令官の方が国民からの信頼が高いという)。
 
 防衛研究所の高橋杉雄氏は、職員の立場ではなく個人としての意見として、『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか』(文藝春秋)を上梓して、「戦争は始めるよりも終わらせることが難しい」とし、「戦争を始めさせないこと」が肝腎という。日米同盟を前提とし、プーチン大統領のウクライナ侵攻を蛮行とし、いかにロシア軍を撤退させるかを主眼とする立場で、北方領土の返還をライフワークとする鈴木宗男議員とは対極にある。
 姜氏は上記近著のエピローグで(要約すると)「ロシアのウクライナ侵攻を『蛮行』と言うなら、湾岸戦争からイラク戦争、アフガニスタン戦争と、米国の単独主義的軍事介入も『蛮行』に近いと言えるが、それが許されるのは覇権国家としての米国だけの特権だからなのか」と問う。
 私は、近著『問題はロシアより、むしろアメリカだ』(エマニュエル・トッド氏と池上彰氏の対談;朝日新聞社)のタイトルどおり、そう言うトッド氏及び同調する遠藤誉女史等の見方をウクライナ戦争当初から支持している。私に言わせれば「問題はプーチン大統領よりむしろバイデン大統領だ」。
 高橋氏は、米国のバイデン政権はロシアにウクライナ戦争を思い止まる抑止に失敗したと見ている。だが、2014年2月マイダン革命が起こり、親ロ派のヤヌコビッチ大統領はロシアに逃亡し、親欧米派の野党が暫定政権を樹立した。これにバイデン大統領が副大統領時代に関与していたとみれば、話は変わってくる。その親欧米派政権がNATO入りを志向しているのに対抗すべくクリミア半島を併合した。ウクライナ戦争はその延長線上にある。米ロの対立だが、共に毛嫌いするバイデン大統領とプーチン大統領との確執よる戦いとも見れる。トランプ大統領が再選されていれば、ウクライナ戦争は起きなかったであろう。
 プーチン大統領がウクライナに侵攻するようバイデン政権が仕向けたと見るべきだ。ウクライナを犠牲にしてロシアを弱体化させる為に(1950年6月からの朝鮮戦争におけるソ連スターリン党書記長の戦略を逆手に取るように。1950年1月アチソン国務長官が防衛ラインを引くが韓国が入っておらず北朝鮮の金日成首相はスターリンに韓国攻撃を上申した。スターリン党書記は承認するもソ連兵は派遣せず北朝鮮を犠牲にして米国を弱体化させようとした。違いは、侵攻した側の金日成首相から国がボロボロとなり戦争の終結をスターリン党書記長に懇願するも認められず、一方侵攻された側のゼレンスキー大統領が戦争継続を求めるも米国・NATOに同意してもらえないかもしれないということ)。
 さらに、佐藤優氏等はバイデン大統領がロシアへの経済制裁を通じて天然ガス等をロシアからの輸入に頼る(EUで独り勝ちの)ドイツの弱体化も狙っていると見ている。 
 
 世界一強であるハズの米国の工業力低下の露呈、身勝手な米国に対するグローバルサウスの離反の増進等バイデン政権の失敗の中でも大失敗と言えるのは、プーチン大統領が軍事侵攻の決断するのを促すがごとく、「米国はロシアとの核戦争を避けるために参戦しない」と言ってしまったことだ。

 核の抑止力は、「敵が核兵器を使えば必ず核兵器で報復する。双方破滅する」ということにあるのに。そんなこと言えば、ロシアに戦術核にしろ使用の余地を与えてしまう。それどころか、世界中から、「自国本土を攻められたことがない米国はそれを極度に恐れているのか」と思われてしまう。
 米国はアメリカ合衆国を成立させた1775年からのアメリカ独立戦争(13の植民地とフランスとの連合軍とイギリス国軍との戦い)の勝利以降海外の外国と米本土での戦闘はしていない。2001年の未だに陰謀説が払拭されない9.11事件はテロ攻撃として、「テロとの戦い」と称して、アフガニスタン、イラクで戦争している。
 戦前日本と戦争状態にあったが、日本軍にハワイの真珠湾が奇襲された後、本土攻撃を恐れて疑心暗鬼から西海岸に居た無辜の日系人を強制収容所に押し込んだ。
 日米開戦の末期に日本は風船爆弾(気球爆弾)を飛ばした。米国本土に届いたが、米国は国民がパニックなることを恐れ、それを国民に秘匿した。その為木に引っかかって不発弾を触った民間の6人が犠牲となってしまった。心理的効果は日本の思惑通りであった。
 戦後の核大国米ソ対立においては、戦前に続く疑心暗鬼は  米国内に赤狩りの嵐を引き起こした。
 核攻撃ついて、米国がどの国よりも恐れを抱くのは不思議でもない。核爆弾を落とされた広島、長崎から落とした米国が膨大な資料・データーを持ち帰ったことでもあり、その惨たらしさを一番理解していよう。
 スターリン総書記に利用され朝鮮戦争で悲惨な目に遭い核保有を国是とした北朝鮮のミサイル実験は国というより金王朝存続の為の「盾」でしかない。さらに人民の生活を犠牲にしてまで推し進める核開発の必要性を国民にアピールすることとイラン等顧客にデモンストレーションしているだけに過ぎない。米国が必要以上に過剰反応するのは、危機感を煽り、日本に高額の防衛機器を買わせる為だと思っていたが、それだけではなく、北朝鮮からの自国本土への核攻撃を本気で恐れているのかと私は疑い始めた。
 ロシアもそう見ているのだろう。ロシアの著名な政治学者カラガノフ氏は“核先制攻撃論”を唱え、ロシアがNATOに核攻撃しても米国は核で反撃してこない(戦略核による米本土への報復を恐れて)と見透かす。メドヴェージェフ前大統領も再三米国本土への核攻撃を警告する。プーチン大統領も包括的核実験禁止条約(CTBT)批准を撤回すると仄めかし、実際11月初めに批准を撤回した。
 米国は核が怖いなら通常兵器なら圧倒的に世界一であるので核兵器禁止に舵を切り替えればよいのだが、もう口にすることは出来なくなった。
 北朝鮮はICBMの実験を増やし、米国からの譲歩を引き出そうとするだろう。中国は、400個もない核兵器の増産に走り、米国の5千個までいかなくとも、ある程度確保できれば、習近平総書記は故毛沢東が言ったごとく「核戦争になれば米国2億人が全滅しても、14億人の中国人は全滅することはない」と嘯き、米国を脅すかもしれない。

 台湾有事が起きる一番の不安要素は、米国と言える(文藝春秋2023年12月号への寄稿『米国はすでに敗北している』にて“知の巨人”と呼ばれ親日派でもあるエマニュエル・トッド氏はバイデン民主党政権を「バイデンという老いぼれに率いられた子供っぽい集団」とこき下ろしている)。
 ただ、サウジアラビア(以下「サウジ」)とイランと間を仲介した中国に対抗して、バイデン政権によるイスラエルとサウジの仲介(着手はトランプ大統領)をしようとしていることよりとり残されるとの危機感も要因の一つとして、ハマスのイスラエル攻撃を招き、ウクライナだけではなく、イスラエルも支援せざるをえなくなった。当面の間台湾有事の危険は去ったと見られる。
 しかし、米国は、自国さえ攻撃されなければ、機を見て世界での覇権国の座を死守すべく台湾有事も辞さないのかもしれない。米国が目に見える形で今後も台湾に軍事支援し、中国を挑発していこう。中国通の遠藤誉女史が、「米国は中国が世界一の経済力・軍事力を有する前に叩きたいと思っている」と見ているように。
 米国の思惑どおり中台軍事衝突すれば、米国は軍事介入はしても(米国本土への反撃を受けないよう)中国本土への攻撃はしないだろう。中国が日本に戦術核にしろ核攻撃すれば、米国は反撃せず、日本を見捨てるかもしれない。日本は、“アジアでのウクライナ”と化し、国土は荒廃し、大勢の住民に死傷者が出てしまう。1945年当時の日本の二の舞に。
 
 日本としては、戦争を始めさせないためには、米国の挑発行為を止めさせることが必要であるが、今の日本でそんなことできるのか。
 米国と同盟国の英国スナク首相は、オスロ条約に加盟の立場から米国がウクライナに米国製クラスター弾を供与することに反対した。米国が意に介さないとしても英国の姿勢を世界に示した。同じく条約に加盟しているのに日本の岸田首相は、米国の供与に反対する意向も示さず悪びれた様子も見せず追認するだけ。
 日米同盟とは名ばかりで、実際は日米安保関係でしかない。ただ、属国でも主権国家であり、日本の国益を守らなければならないが、昨年6月頃バイデン大統領が、日本の防衛費の大幅増額とウクライナ支援に関し、「私が説得した」と発言した。慌てて日本は誤解を招くとして訂正を求めたが。黒田前日銀総裁は日銀の独立性を捨ててまで安倍政権に追従したのに、「日銀は政府の子会社」と安倍元首相に言われたのと同じ。「それを言っちゃ、おしまいよ」みたいな事を言われてしまうのは、ただ歓心を買おうとするからだ。最後は兄の米国に従わざるをえないとしても弟のファミリーの為に弟は言うべきことを言わなければ、単に舐められるだけに終わる。
 日没する米国と日出ずる中国との覇権争いの中で、グローバルサウスの小国たちは米国に頼ってればいいとはもう思っていない。TVドラマ『家なき子』で安達祐実さん扮する主人公は「同情するなら金をくれ」と言ったが、その小国たちは「介入するなら経済支援してくれ」と米国に言いたいのであろう。米国内で国民が分断されてしまっているのに拘わらず上から目線で民主主義、人権を押し付けてくるが、ハマスとイスラエルの戦闘でダブルスタンダートがより明確になった身勝手な米国よりも、罠かもしれないが有難迷惑なことを言わず経済援助してくれる中国にシンパシーを感じるだろう。

 グローバルサウスの大国であるインドやサウジは、表舞台に登場し全方位外交により世界への影響力を高めている。その中で、日本は退潮する米国の属国と見られていては影響力の低下は避けられない。
 私自身は、日本がまだ貧しかった中学生の頃、米ドラマ『ハワイアン・アイ』(日本1963年~66年)で、ホノルルの楽園、スポーツカー、コニー・スティーブンスさんの可愛さを観て、米国は天国かと憧れた。長じてもそれは続き、本ブログにても同盟するなら米国しかないと書いてきた。しかし、トランプ共和党政権よりもひどいバイデン民主党政権の誕生により、憧れ・敬意は幻滅に変わった。大統領が代われば、また尊敬できる米国に戻るのであろうか。
 人口の長期的減少、経済力の低下もありこのまま米国の属国に甘んじて生きていくのか。それとも属国からの離脱を模索するのか。その為には何をすべきなのか考える、そんな時期に来ていると思う。
 テレビによく出演している自衛隊OB、国の軍事研究者は、日米同盟を前提として国防の在り方を考える。国の方針を決めるのは政治家であり、政治家がそれを怠っているなら、それを批判するのがメディアの仕事である。ウクライナ戦争の戦況だけを語る自衛隊OB、国の軍事研究者だけが活気づき、それをBS情報番組が加油していると映るのは、国として健全と言えるのか。

 “環境破壊”の20世紀の遺物であるべき核兵器がゾンビのごとく復活してしまった今、上述トッド氏は著書で再三日本も核武装すべきと提唱する。
 北朝鮮は朝鮮戦争後大国は信用ならずと核で自国を守ろうと核開発を国是とし、今は米国も簡単に手出しできない。ウクライナはソ連崩壊から独立する時経済的、技術的問題があったとはいえ大国たちを信用してロシアに核を返還してしまい、ロシアに攻め込まれてしまった。
 核廃絶が理想であるが、現実は反対の方向に向かっている。国防面だけではなく属国から抜け出すためにも、日本においても一番の方策かもしれないが、トッド氏も日本が核武装できる方策は示していない。氏もそれが極めて難しいことを理解しているのだろう。
 唯一の被爆国として核廃絶を求め(実態は核保有大国の既得権を守っているだけだとしても)NPTで核保有国と非核保有後の橋渡しをしている。それを無視しても核実験する場所がない等日本が核武装できる可能性は極めて低い。
 現時点では日米同盟しか選択肢しかないのであれば、弟である日本が兄の言いなりになるのではなく、中国とも友好関係を築き、日本の国益も米国に主張しうる「愚兄賢弟関係」であるべき。そのためには、(21世紀に入って続いている)歴史観・国家観のない世襲ボンボン議員の首相であってはならない。
 AIに依存すれば、人間は考えることを止め人間は劣化すると言われる。その前に日本人は米国依存(隷属)で劣化している。それもトップから。魚が頭から腐るように。

 2023年度からの5年総額43兆円(同じ機器を買うだけでも円安で50兆円を超えるか)の防衛費(計画から積み上げられたものではなくトランプ大統領に安倍首相が約束し、そのツケを岸田首相が払うだけか)が年間だけで30兆円の国防費を持つ中国に対する抑止力になるとは思えない。むしろ中国を挑発することになるのでは。
 矢部宏治氏の『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)を読むと、米国にもの言える首相に代わっても米国が台湾有事を起こすのを日本が反対することはまず困難と思える。「遠い親戚より近くの他人」ではないが、隣国中国に挑発にのらないよう働きかけするしかない。それが日本が採る最善の策だ。
 戦後55年体制にて与党自民党は米国、野党第一党の社会党は中国と友好関係にあった。今自民党の軍国化に一定の歯止めをかけているとはいえ追認している以上は平和を標榜する公明党の存在価値は薄れていく。池田大作名誉会長が亡くなった。もう何が何でも与党にいる必要はないのでは。国民民主党が加われば、なおさらに。
 門外漢ではあるが、故池田の「平和外交路線」の遺志を継ぐのが党としての生き残れる道ではないかと思う。さらに世襲議員が少ない公明党は、「世襲廃止」「国会議員の削減」をアピールすれば、学会員以外からも支持が得られるかも。
 公明党は、同類と思われるのを由しとせず、パーティ券裏金問題で自民党を厳しく批判する。前々から国交省利権の独占を巡って苦々しく思う自民党がいよいよ業を煮やし、公明党が切られることもなしとしない。その前に下野し“雪駄の雪”の汚名を雪いでは(今のままでは中国に相手にされない)。
 小選挙区からの撤退は慌てなくてもいつでも出来る。安倍一強の後遺症にて旧統一教会問題、パーティ券裏金問題で自民党の足元が大きく揺らいでいる。一小選挙区2万票を軍資金として、「世襲が諸悪の根源」と言う野田佳彦元首相が再注目され始め、地に堕ちた評価も底を打った立憲民主党と連携しては。旧社会党の果たした役割を担い、中国に自重を求め、不幸にして戦闘に及んでも日本の民間人に対する攻撃はしないよう働きかけるべきではないか。
(次回204号は2/1アップ予定)   

2024.1臨時号 NO.202  ヨミ VS ヨ
 本号では、"令和の歌まねヒロイン"と呼ばれる、人気ものまねタレント『よよよちゃん』ではなく、韓国の歌姫『YOYOMI』(요요미、ヨヨミ)を紹介する。
 ヨヨミさんを知ったのは、日本でもファンが多いトロット(韓国演歌)歌手桂銀淑さんがちあきなおみさんの名曲『紅(あか)とんぼ』をカバーし唄っているのを昨年youtubeで視聴しているときだったと思う。偶々彼女の動画を目にした。
 ヨヨミさんは、2013年18歳の時にトロット歌手としてデビューするも芽が出ず、2018年に再デビューする。まず本業の歌手より内外のヒット曲をカバーしたユーチューバーとして人気が沸騰。この辺は日本の長山洋子さんに似ているか。 

   長山さんは、演歌歌手としてスタートするハズだったが16歳では演歌はまだ早いと1984年にアイドル歌手としてデビュー。1986年にカバーした『ヴィ-ナス』がヒットし人気歌手に。1993年満を持して演歌歌手として再デビューした。
 ヨヨミさんは、現在29歳だが、キュートなルックスと愛らしい歌声で、年齢より若く見える。演歌は40歳を過ぎてから、色んな人生経験を積んでからでもよいのでは。桂銀淑さんほど「山高く谷深し」は必要ないが。
 ファンが多いオジサンたちから“中統領”(中年〔たちにとって〕の大統領)と呼ばれるヨヨミさんは、歌が上手いだけではなく、踊りながら歌える。トロット、ダンス、R&B、バラード等何でも歌いこなし、英語、スペイン語、中国語、日本語等外国語の発音も苦にしない。
 次々にyoutubeにアップするところを見ると短期間で振付や歌詞を覚えられる。物覚えが速いのは記憶力が秀逸なのだろう。シンガーソングライターであり女優でもある。なんでもこなす天才肌のヨヨミさんは、世界とはまだ言い難いが韓国歌手界の“女大谷”と言っていいだろう。
 本家の大谷翔平選手は、投手と打者の二刀流だけではなく、外野も守れるし、頭が良いから捕手だってできる(実際投手なのにピッチクロック対策もあるとはいえ自身で配球を決めている)。所属チームだけではなく、野球界全体のことも考える。情に流されず経営者としての資質も備え持つ大谷選手は“野球界の大統領”と言えるだろう。 
 ヨヨミさんの数あるカバー曲の中で、私が「推す」カバー曲をアクセス数が多い順に並べると、下記の通りとなる。

 まだ聴いたことがない殿方は一度視聴されてはと思う(妻に見せたが、「ふん!」と言った切り、関心を示さず)。
새벽비』(夜明け) 視聴677万回
『노바디』(no body) 同236万回
『Despacito』    同131万回
 エンゼルスのチームバスの中で大谷選手も日本語バージョンを熱唱したという。歌も上手いとか。
『Beat It』     同71万回
 故マイケル・ジャクソンのカバーでは『Billie Jean』『Thriller』も。
『When we disco』 同39万回
 『NiziU』をプロデュースしたJ. Y. Park氏のシンガーソングライターとしてのヒット曲。
  

   私はアイドル歌手など若い女性歌手のファンになったのは、30歳で結婚してまもなくの頃20歳前後の松田聖子さんが最後。その聖子さんが海外進出するに向け外人好みのメイクに変えた頃から関心を無くして行き、その後若い女性歌手のファンになったことはない。
 70歳を超えてからヨヨミさんのファンになった。色ボケと思われるかもしれないが、ヨヨミさんが1994年10月8日生まれであることに縁を感じている。
 当時私は20年務めた銀行を辞め、1994年早々社団設立に参画すべくひとり上京した。その年の10月初めから家族5人での生活を再開した。その数日後の10/8に私が好きだった長嶋監督の下で日本プロ野球史上初めてという、同率首位で並んだ巨人と中日が「優勝決定戦」を行い巨人が優勝した。ヨヨミさんが人生の歩みを始めた頃、私は家族とともに東京で銀行員時代とは激変した第二の人生に踏み出していく。
 ヨヨミさんは、下記動画でキャンプ地においてヨヨミママとヨヨミさんを前にしてヨヨミパパ(トロット歌手パク・シウォン氏)が日本でも人気を博した歌手チョー・ヨンピルさんの『傷』を熱唱しているのを観ると、歌の才能は父親から、色白の容姿は母親から、受け継いでいることが解る。
 父親のパク・シウォンさんは、実力があるもヒット曲に恵まれなかったのか30数年無名歌手に甘んじてきた。父親は娘の成功を祈り、娘はそれに応えようと頑張る。娘も父親を盛り立てる為に父親と一緒に舞台等に立つ。

 そして、2020年5月韓国KBSの看板音楽バトル番組『不朽の名曲-伝説を歌う』での芸能人家族6組のバトルでシウォン・ヨヨミ父娘が優勝した。
 その折ヨヨミさんが父の涙を初めて見たと言ったという。この動画(3:23あたり)がそうだと思われる。ハングルは分からないが、ヨヨミさんがアッパ(お父さん)と何度も言っているので父に対する尊敬の念や想いを述べているのでは。
 そんなヨヨミさんの父を思う健気さもオジサンたちのハートをつかむ一因になっているのではないか。
 下記のオリジナル曲でもセクシーな踊りをするが、卑猥さは感じない。爺の私の目からすれば、孫娘が背伸びして演じているようにしか見えない。
 29回目のシングル『위하여』(Cheers)

  

   ヨヨミさんのカバー曲を聴きながら,よそ見して横の縦に並んだyoutubeを観ていたら、「あれ? 韓流ドラマ『夫婦の世界』に出演していた美人女優のハン・ソヒさんでは?」と訝った。色白な美人チェリストのチョ・ユンギョン(조윤경、Yoon Kyoung Cho)さんであった。チョさんも、『CelloDeck』名でyoutubeにアップしている。
 『Romeo and Juliet - Love Theme』
 『Song from a Secret Garden』
 上記の動画を観ていて演奏の優美さに感動するが、如何せん演奏技術はどれほどのものか私には判らない。チョさんの経歴を見ると、9歳でチェロを始め、ソウル大学音楽大学(音楽大学は日本では音楽部。東京芸大音楽部に相当か)を首席?で卒業した。それで「へぇ~」と思い、その後奨学金にてニューヨークのジュリアード音楽院を卒業し、点数が発表され透明性の高いヨハネス・ブラームス国際コンクールのチェロ部門で2位となる。それで「ほぉ~」と唸る。天は二物を与えるのだと理解する。
 私は、クラシックに疎く、バイオリニストもよく知らないぐらいなので、チェリストなど男性のヨーヨーマさんしか知らない。女性のチェリストは全く知らなかった。女性チェリストを探してみると、アジアにはチョさんのような若い美人チェリストが多くいることを知った。
 中国には“チェロのプリンセス”と呼ばれるリ・ラ(李拉)さん、台湾には “天才超絶美少女”と言われ、歌手欧陽菲菲さんの姪にあたるナナ(Nana、欧陽娜娜)さん、日本にはグラミー賞を受賞した松本エルさん、若手の登龍門である2021年全日本ビバホールチェロコンクールで優勝した柴田花音さん達がいる。
 「天は二物を与えず」と言われるが、プロの世界では天から二物を与えられた者が求められる。より聴衆を集め、CDが売れる者を。音楽界では「技量」だけではなく「容姿」も重要。とくにソリストであれば。
 技量が低いのに顔だけで優遇されるのでなければ、後述するルッキズムとは言えない。(私のエンゼルス残留予想は外れ本命視されたドジャースに移籍が決まった)大谷翔平選手に対して日本や米国の野球をよく知らない娘達まで球場に来て「Marry me !」などのプラカードを掲げるのは、野球の才能、飼い犬を愛おしむ優しい心根、高き品格だけではなく、やや童顔のハンサムであることも関係していよう。

 日本でスーパースターの、野球界でミスターと呼ばれる長嶋茂雄選手しかり、ゴルフの尾崎将司選手しかり。

 音楽の国際コンクールで容姿にて点数が加除されることはないだろう。それは学校においても同じ。
 そんな学校の中で「容姿」が問われる学校がある。来月受験シーズンを迎える宝塚音楽学校だ。学校というより野球で言えば2軍と言うべきか。違いは給料をもらうのではなく授業料を払うところか。
 宝塚音楽学校のH.P見ると、ルッキズム(見た目に基づく差別)への批判が高まる中応募資格に堂々と「容姿端麗で、卒業後宝塚歌劇団生徒として舞台人に適する方」と記している。「容姿端麗」と書かなくとも受験生は皆承知していると思うが。
 春先日テレのバラエティ番組での2023年度受験者の悲喜こもごものドキュメントを観たが、某予備校の4人の受験生にスポットライトを当てていた。その内の一人は、中学3年1次試験不合格、高校1年不受験、高校2年1次試験不合格、そして最後の受験機会となる高校3年も1次試験不合格で終わった。合格する40人対し、減少傾向にあるとはいえ多すぎる受験生600人から300人にふるい落とすことが目的なのか、1次試験はレオタード姿で、受験番号、年齢、身長、体重、出身地を面接官に伝えるだけ。その間たった30秒でしかない。容姿を観ているとしか思えない。

 私は、ルッキズム批判の闘士ではないので、1次試験を廃止すべきとまでは言わない。ただ、最大4度1次で落ちる可能性のある現行制度を(私には親心とは思えず)2度1次試験に落ちれば受験資格を喪失する(タカラジェンヌとしては合わないだけ)に変えてはと思う。

 容姿は本人の努力では何ともし難い。ダンス、バレー、歌唱等2次試験に向け青春を賭けて打ち込んできた彼女たちが不憫でならない(彼女たちの人生に無駄とは思わないが)。
 他の3人の受験生は皆1次試験をパスした。皆過去2次試験をパスした経験を持つ。その受験生には1次試験を免除してはどうか。受験資格の中3~高3は女性としての魅力度が年々上がる期間であり、しかもタカラジェンヌを夢みる乙女たちが激太りしたりするようなことは考えられない。
 受験料(1次試験1万円)の減収を問題とするなら2次試験料(3次試験料込み)を2万円から3万円か4万円に引き上げればよいではないか。
 2次試験をパスした2人のうち、一人は高校一年生で視聴者の皆が「この子は合格間違いない」と思うような人で、三次試験の面接で「舞踏が良かったと言われた」と感想を問われたインタビューで答えた。もう一人は高校3年生でたぶん合格できるのではと思ったが「さらりとした形で終わったが」と返答した。結果は舞踏がよかったと面接で言われた高校一年生のみ合格。
 3次の面接の中で合格を暗示するような発言を試験官がするなら2次試験で300人を100人に絞り込んだ直後には40人の合格者がほぼ決まっているのではないか。3次の面接は、旧司法試験のごとく、思想、人格等でとくに問題が無いか確認しているだけなのではないか。
 この一大イベントの模様は他のテレビ局も同様に行っているが、テレビ局にお願いしたい。不合格になりタカラジェンヌの夢を叶えられなかった人々が他の道で輝いている事例の特集を組んでもらいたい。


 宝塚歌劇団のタカラジェンヌのいじめによる自殺疑惑が昨年週刊誌で報じられた。ある意味治外法権とも言える、いわゆる学校では「いじめ」で済むかもしれないが、歌劇団は学校ではない。それが真実なら「犯罪」という言葉が適当だろう。なのに、理事長は、旧ジャニーズを他山の石とせず、事実を認めようとはせず、(それでも潰れることはない)学校の校長のごとく、いじめやパワハラはなかったと言い張る。

 驕れる者久しからずは平家だけを意味しない。6年目の団員からは(実態として拘束があるのに)労務管理が必要としない業務提携契約にしているが、それを労務管理が必要な労働基準局の対象となる労働契約に変更する必要があろう。労務管理から逃げ、結果として先輩団員のパワハラを見てみる見ぬふりとなる体制を変革しなければならない。
 宝塚音楽学校においてもいじめ疑惑が浮上した。人気に胡坐をかいたかのような旧態依然とした体制を見直すとともに、入試も含め運営方針は、修練に厳しさも必要だが「タカラジェンヌにさせてやる」→「タカラジェンヌになっていただく」へ改革すべきではないか。宝塚歌劇団のシンボルである「すみれ」の花言葉は、「謙虚」「誠実」である。

 2019年ミス日本の度會亜衣子さんと同年ミス東大の上田彩瑛さんは共に東大医学部。2020年のミス東大で東大経済学部在籍の神谷明采さんは水着グラビアに挑戦している(ネット上で物議を醸しているが、同じ才色兼備でも、TV『東大王』はよくてグラビアはダメなのか)。

 「天は二物を与えず」は、我々凡人に対しての慰めの言葉に過ぎない。白鳥も水面下では一所懸命水掻きで漕いでいるという話も。無理に漕がなくでも優雅に浮かんでいる。
 しかし、二刀流の大谷翔平選手や将棋の羽生善治永世七冠のごとく、斯界のトップに君臨し続ける人達は、孤高を厭わず見えないところでストイックなまでに努力している。
 「天は汚物しか与えず」としか思えない私のような石ころは、そんな眩しい輝きを放つダイヤモンド対しては嫉妬することはない。偉大過ぎてただただ感服するだけ。ダイヤモンドも磨いているなら、大勢いる石ころ達はもっと磨かなきゃと思うなら、世の中はよい方向に向かって行くだろう。

(次回203号は1/10アップ予定)

2024.1 NO.201  トVS ト(1/2)
 MLBのワールドシリーズ(WS)にレンジャーズが初めて制した。シーガー選手は、ポストシーズン(PS)進出を優先し 首位打者のタイトルを逃すことになったが、WSのMVP(2度目)を受賞し報われた。
  大谷翔平選手が所属するエンゼルスは今季もPSに進出できずに終わった。しかし、大谷選手個人を見れば、アジア人・日本人初のホームラン王と史上初の2度目の満票MVPとに輝いた。まことに喜ばしい。
 今季の二刀流をふり返ると、8月末前後の時点では米時間9月3日で今季バッターとしては最後になるとは思わず、下記の通り最高の成績(カッコ内は実数)を収めると思っていた。
 「600(599;規定打席502)打席、500(497)打数、150(151)安打、100(102)得点、100(95)打点、本塁打50(44)、100(94)四死球、盗塁20(20)」
 打率も0.304と初めて3割を超え、OPSもメジャー1位の1.066(出塁率.0.412+長打率0.654)とこれもはじめて1.0を超えた。打撃フォームが5月半ばぐらいからグリップを少し下げ大きな縦振りをせずコンパクトになりミート率が上がった。左投手には前の右足をオープンにして球を見やすくしたことが、打率向上に寄与したと思われる。
 ルール変更については、大谷シフトの禁止は、さほどプラスになったとは見ていない。ベースが15インチ(約38.1センチ)四方から18インチ(約45.7センチ)四方になった。それは打率アップに寄与したと思う。本塁から一塁までの距離は3インチ(約7.6センチ)短くなり、イチロー選手張りに内野ゴロがヒットになった。一塁から二塁、二塁から三塁の距離は4.5インチ(約11.4センチ)短くなり、盗塁も増え失敗が少なくなった(成功20、失敗6)。
 来季は打者に専念するので三冠王も夢ではない。今季開幕し立ての頃はこんな輝かしい成績を上げるとは思っていなかった。むしろバットを1インチ長くしたのを危ぶんでいた。
 ホームランも開幕からの第1号(米時間4/2)~第10号(同5/18)は全て変化球(スライダー3、カーブ3、チェンジアップ2、シンカー1、カットボール1)を打ったもの。
 カウントを取りに来るストレートを打たなければホームラン数は伸びない。ホームラン46本の2021年のオールスター直前からカウントを取りに来た速球、とくに95マイル(153キロ)以上の速球を仕留めることができていない。

 それなのに、大谷選手が今季よりバットを替え1インチ(2.54㎝)長くした。必要なのは飛距離ではなく、いかに芯にあてることだとして、長くしたことに対して、止めるべきだと批判しようと思った。
 しかし、5/10アップの2023年6 月号NO.191(「さいこう! VSさぁいこう!」)では「より問題である疲れた時の打撃力の低下に対して、バットを長くするのは逆効果ではないかと素人の私はそう思うのだが。常識を超える大谷選手のバッティングが暑く疲れも出て来る7月以降実際どうなるか注目したい。」に止めた。正解だった。ド素人が分かった風な口を利くもんじゃないと嗤われるところであった。
 5月に入るとメディアも速球をホームランできていないと騒ぎ出した。だが、それを嘲笑うかの如く、大谷選手はストレートをホームランしていった。米時間5/20に真ん中高めの94マイルのストレートを弾き返した11号ホームラン皮切りに同8/23の44号までの34本の内13本においてストレートをホームランしていた(内96マイル・154.5キロのストレートが2本、97マイル・156キロのストレートを打ったのが1本ある)。飛距離も長尺が板についてきたのかほとんどが130m以上のビッグフライ。同6/30の30号は150.3mの自己最長を記録した。6月には月間15本を放ち、ジャッジ選手のア・リーグホームラン記録を塗り替えるかと噂された。
 しかし、8月に入ると疲れもたまり、またPS進出に向け相手チームから警戒され四球が増え、8月のホームランは同8/23の44号を最後に5本に留まった。
 四球自体を制限することは難しい。投手はランナーを背負うハンディを負うのでもあるし。申告敬遠は試合時間の短縮、投手への負担軽減が目的に創設された。ただ、敵方監督の一存による申告敬遠が増えれば、打者による長打して打点得る権利が阻害されることがクローズアップされてくる。
 大谷選手に対する申告敬遠(メジャー最多21回)は、米時間7/28ブルージェイズ戦でエースのガウスマン投手がゲームの初っ端なに大谷選手にソロホームラン(39号)を打たれただけなのに、お山の大将なのかチャップマン選手が格下?(メジャーでの選手出場経験がない)新米監督に「なぜ勝負する!?」と皆が見えるベンチの中で抗議したことより、翌試合より申告敬遠が増加した(ただ、残り5戦となってもPS進出が決まらず大事な米時間9/27のヤンキース戦にてはブルージェイズのペリオス投手が4回先頭打者に4連続ボールで四球を出し、次のジャッジ選手にストライクを投げ本塁打された。初球のストライクを狙われるのは分かっているのに。それを仕留めるジャッジ選手も凄いが。次の5回の2アウト1塁では申告敬遠したが後続に打たれ2失点。7回の2アウト1塁では2番手の投手が敬遠せず4球同じチェンジアップを投げストライクゾーンに入った4球目をジャッジ選手にスタンドに放りこまれた。チャンプマン選手が怒り狂った様子はない。どういうことか)。
 それに伴い大谷選手のホームランが出にくくなった。ホームランを期待する我々大谷ファンにとって苦々しい申告敬遠を“チャップマン敬遠”と命名しようではないか。
 終盤の米時間9/2のアスレティックス戦では100敗目前の圧倒的最下位のアスレティックスの監督が大谷選手を2度も申告敬遠した(四死球は計3個)。
 申告敬遠は、「当該試合において一打者に対する申告敬遠は1回のみとする」とすべきではないか。

 投手としては、4月においては、MBCの優勝のいきおいそのままに開幕を迎え、実際新人オホッピー捕手と相性も良く、彼とのコンビの開幕からの5試合(米時間3/30~4/21)の登板で、28イニング投げて、被安打8、被本塁打0、奪三振38、自責点2。防御率は4/21時点で0.64とこの調子が続けばサイ・ヤング賞も夢ではないと思っていた。
 ところが、オホッピー捕手が故障し捕手が代わった6登板目(米時間4/27)~19登板目(同7/21)の14試合にて、防御率は3.71まで悪化した。ホームランは18本打たれ、1試合当たり1本以上ホームランを打たれている。18本の内、左打者から9本打たれ、その内スライダーは6本、カットボールは3本。この14試合の前半スイーパーを多投していた。次第にそれを打者に狙われるようになる。スイーパーは右打者には球が体からより離れて行くので良いが、左打者には体に当たってしまう。そんなに曲がらないスライダーでストライクゾーンに入れば、スライダーを狙っている左バッターに外野スタンドに放り込まれる。
 スイーパーはよく曲がるようにやや右肘を下げて投げる。それでは打者に見破られるので、縦振りのストレート、カーブ、スプリットも同じように右肘を下げて投げる。それでは威力が削がれてしまう。
 後半はスイーパーの多投を止めていた。ストレートも多くし、防御率も改善するかと思われたが、19登板日(同7/21)には初めて4ホームランを浴びた(当日孫らと名古屋に遠征中でそんな惨劇を観なくて済んだが)。初めてタイス(サイスとも)捕手と組んだ影響かと思ったが、球が上澄み、155キロ(しかでない)ストレートをホームランされたのであれば、もうこの時点で投手として疲労からの限界を迎えていたのではないかと後からそう思った。
 20登板目(米時間7/27)~22登板目(同8/9)の3試合では、限界が来ている中7/27には初めての完封。8/9には防御率も3.17とさがり、このまま調子を維持すれば、またサイ・ヤング賞も見えてきたと思った。
 この3試合においては、ピッチクロック対策としても季初から大谷選手がサインを出していたやり方を踏襲せず、最初は大谷選手がサインを出すも4回ぐらいから捕手がサインを出すに変えていた。そうなるとタイス選手の方からスプリットを要求するので、この方がよいと思った。
 いよいよ待ちに待ったオホッピー捕手が23登板日(米時間8/23)に復帰した。だか、皮肉にも2回で途中降板し、今季登板の最後となってしまった。

 昨年11/27アップの1月号NO.183 (トラウトVSトラウマ)にて、私はこう書いていた。
「しかし、大谷選手がプレーオフに進出すれば、二刀流としての寿命が縮まる。「神様、仏様、稲尾様」の二の舞になりかねない。ワイルドカードで進出すれば最大22試合(ワイルドカード戦3試合、地区代表選5試合、リーグ代表戦7試合、ワールドチャンピオン戦7試合)も出ることになる。レギュラーシーズンだけでもヘトヘトなのに(最多18勝、防御率1位1.75でサイ・ヤング賞に輝いたアストロズのバーランダー投手もPSでは防御率5.85と疲労と緊張からか本調子ではなかった)。とくに、来季は3月にWBCがある。参加意向の大谷選手は日本代表として凱旋出場する公算が高いが、その影響で来季は例年の9月より早い段階で疲労の影響が打者としての方に出てくることが心配される」と。
 疲労の悪影響を懸念したが、実際投手として故障するとまでは思わなかった。大谷選手は、意欲、前向きな姿勢には底なしではあるが、体力はやはり限界がある。二刀流とワールドチャンピオンとの二兎を追うことはできない。大谷選手が二刀流に固執するなら、既に優勝しMVPとなったWBC出場やPS進出は諦めなければならない。進出できるチームに移籍することは二刀流に引導を渡すことになると私は思う。
 我々は勘違いしていたのだ。何しろ登板の翌日・翌々日にホームラン(タブルヘッターも当日とすれば、44本中「当日」9本、「翌日」5本、「翌々日」6本)するのを見て。他の投手は楽し過ぎではないかと。そうではなく中4、5日程休むのは腕を休める必要があるからだ。
 そうしても、160キロ以上剛速球を投げるデグロム投手は、今季2010年以来2度目のトミー・ジョン手術を受けた。
 肘へのダメージは、投球数の増加や休養不足により、時間をかけて蓄積していくという。大谷選手は腕を休ませるどころか、翌日からも打者としてフル出場してさらに腕を酷使していた。大谷選手本人は気付かなかったとしてもじわじわと肘を蝕んでいたのだ。
 酒豪と同じだ。体に悪いアセトアルデヒトを分解する能力が高く酒量が底なしで二日酔いがないとしても、肝臓には負担となり、腎臓の機能も低下する。他の内臓にも悪影響を与え、免疫力も低下させ、長生きできないと言われる。酒量制限、休肝日が必要なのと同じように大谷選手も出場制限、休養が必要なのだ。
 大谷選手は賢い。ホームラン競争も一部反対の声が挙がっていたが、ホームラン競争やオールスターに出て自身が理解すれば、その後ホームラン競争も、投手としての出場も、していない。同じ轍は踏まないと思うが。

 2024.1 NO.201  トVS ト(2/2)
   大谷選手の二刀流の挑戦は、前人未到とは言えないが、先人の故ベーブ・ルースの領域をはるかに超えている。①規定打席数と規定投球回をクリアした上での②15勝、34本塁打は、MLB史上における不滅の金字塔。

   この記録を破る可能性があるのは大谷選手だけではあるが、二刀流をできるだけ長く継続したいとする大谷選手はもう①には拘らないではないか。
   昨季私も二刀流を目指す選手が増えると思っていたが、今では今後二刀流は増えないと考えを改めた。
 第一に、世界最高峰のMLBで二刀流を成し遂げるには、一人で二人分の働きをするのであるからその体力を維持するには比叡山の修行僧みたいな生活が不可欠。人間としての本能的な3大欲求は食欲、性欲、睡眠欲である。が、体に悪い物は案外おいしい物が多いが、大谷選手は体にいい物しか摂らない。酒もほとんど口にしない。食楽を犠牲にしている。
   性欲は、性欲を満たすことが野球にマイナスになるとまで考えているかは分からないが、少なくとも大谷選手は女性に現を抜かし快楽に溺れる様子はない。同棲しているのは飼い犬だけみたいであるし。
   睡眠欲は、大谷選手にとって快眠を楽しむ権利というより、設定された時間枠の中で体力を回復させるための必要睡眠量をクリアする義務と言えるだろう。寝具に拘り、睡眠データもとるのであれば。筋トレと同じ仕事ではと思うが、大谷選手自身はさらさらそんなつもりはないのであろう。
 MBLの選手は皆野球界の天才であり、高い報酬を得て人気もある。何でも得られる一方でそれに見合う働きをしなければとのストレスもある。その中で3大欲求を犠牲にして大谷選手のように禁欲的な修行僧のような生き方ができる選手がいるとは思えない。結婚しても二刀流の為には家族孝行することも控えなければならないとすれば、なおさらに。
   第二に、近代野球は二刀流を必要としていない。一人で行うゴルフと違い、野球はチーム(DH含めて) 10人で戦う。10人が上手く機能するチームが強豪チームである。100年間二刀流が出現しなかったのは、二刀流は無理との固定観念もあろうが、分業化した近代野球においては必ずしも必要としなかったとういうこともあるのではないか。
   大谷選手のように一人で主力選手二人分(例えば、ヤンキースのコール投手とジャッジ選手)近くの働きが出来なければ、実際には出現しないのでは。出現したとしても、大谷選手ほどの活躍が出来なければ、監督、コーチからだけではなく、中4日を中5日に変更を余儀なくされる投手(サイ・ヤング賞等に不利)やDHを奪われる選手からも、どっちつかずと言われ長続きしづらい。若手銀行員時代組合半専従と企画室調査担当の二足の草鞋を履いた私が双方の部署から責められ組合専従に専念したように。
   アストロズの今季で引退した名将ベーカー監督は、大谷選手をスーパースターを超える“メガスター”と呼び最高の選手と称賛するも、欲しいとは言っていなかった。
   すべての野球選手にとっては、大谷選手は理想であり憧れの的でもある。が、チームにとっては、大谷選手が打者であれ投手であれチームの勝利に大きく貢献してもらえばよいのであって、二刀流に拘る理由はない。

 上記のような状況下で、移籍問題を考えれば、エンゼルスを退団する意見が大勢ではあるが、私はあえてエンゼルスに残留としたい。もうすぐ結果が出てしまうが。
   仮に大方の予想どおりドジャースに移籍したとしても私が大のファンだった野茂英雄投手がかつて所属したドジャースなら文句はない。ドジャースファンもドジャーススタジアムで敵方の大谷選手が32号ホームランを打った時スタンディングして拍手していた。ドジャースファンもドジャース入りを熱望しているように感じた。
 ただ、私は大谷選手が残留を選ぶような気がするのだ。
 第1に、エンゼルスの他の選手も、皆大谷選手が好きで残留を望んでいる。大谷投手が投げるときはトラウト選手を初め皆必死で守っているのが、目に見えて分かる。
 メジャーリーガーなら皆ワールドチャンピオンになりたいと思うのは当たり前。だが、大谷選手はチャンピオンリングそのものが欲しい訳ではない。好きな仲間と切磋琢磨してPSに進み、チーム一丸となって勝ち進んでいくことを望んでいるのではないか。
 大谷選手を慕う若い選手も育ってきた。内野手では、大谷投手と相性がよく、打撃力も期待されるオホッピー(オハッピーとも)捕手。ショートではゴールデングローブ賞も夢ではないネト選手。同じタイプのソト選手は打撃力がつけばネト選手と黄金の二遊間を組める。さらにセカンドもショートも守れる俊足のパリス選手も2Aから上がってきた。1塁にはエンゼルスが今年のドラフトで1巡目、全体11位で指名し異例にも直にメジャーデビューした上デビューから10試合連続安打と28試合連続出塁をマークしたシャヌエル選手がいる。
   外野は2016年ドラフトで全体1位で指名(フィリーズ)されたモニアック選手。先頭打者としてはシャヌエル選手と並んで“切込み隊長”として期待される。将来の大砲と目されるアデル選手も成長してきた。身体能力が高く、足も速いアダムス選手もいる。
 投手では、約170キロの大学最速記録を持つジョイス投手を初め将来性のあるシルセス投手、バックマン投手やソリアーノ投手もいる。
 大谷選手は、エンゼルスに残留し、ネト選手、オホッピー選手、モニアック選手など慕ってくる若い人達と一緒に、愛読する『SLAM DUNK』の世界を野球のフィールドで再現するのを夢見ているのではないか。私はそう思いたい(ネットではネト選手らに大谷選手が熱心に指導しているのは最後の御奉公だとする意見も見られたが)。
 第2に、二刀流への理解はエンゼルスが一番。2018年にデビューするも故障や手術で満足に二刀流ができなかったが、辛抱強く待ってくれた。ラストチャンスであった2021年に大谷選手は二刀流を花開かせた。選手だけではなく、オーナー、GM、マドン元監督に対して大谷選手は感謝の念があると思う。
 来季は投手としてリハビリ期間となるなら、新天地ではなく、なおさらエンゼルスに残留した方がやりやすいのではないか。
 第3に、オーナーの意向。オーナーは球団売却を公言したが、保有継続に言を翻した。私は売却希望額に届かなかったからだと見ている。その後大谷選手がWBCでMVPに輝き、MLBでもMVPになったとすれば、球団価値がさらに上がり、球団売却額はオーナーの希望額超えると見られる。
 オーナーにとっては、売却するまではなんとしても大谷選手を残留させなくてはならない。大谷選手のいない球団売却額を想像するだけで恐ろしい(その割には焦っている様子は聞こえてこない。自信があるのか)。
 FAする大谷選手に必要な金額は10年5億ドル~6億ドルと言われていたが、故障してもあまり影響しないと見られている。1年5千万ドルになるとしても、現オーナーは10年間支払うことは考えていないだろう。(2~3年後)売却すれば、現オーナーには関係なくなるのでは。嫌がると言われているぜいたく税も支払うのではないか。
 MLB通のAKI猪瀬氏も、3年の短期間になるも(名監督に代わった)エンゼルスに残留するのが有力と見ている。その間に球団が身売りされ、新オーナー・新GMに代わるとするなら、それも一考ではないか。
  
 規定打席、規定投球回をクリアしての二刀流は7月末ぐらいに限界を迎える。8月以降大谷選手の都合を中心に試合を回すことができるのはエンゼルスしかないのではないか。
 長期離脱が増えたとはいえMVP三度受賞のトラウト選手もおり打線も揃ってきたのに、語彙の少ない私はこんな言い方しかできないが、大谷選手が思い描く二刀流が許されるのは、そもそも“鶏群の一鶴”状態のチームだ。
 メジャーでは生え抜きでない大谷選手は、どう頑張っても、バリー・ボンズ選手やノーラン・ライアン投手の生涯記録を塗り替えることはできない。大谷選手をOnlyOneたらしめ100年後も伝説の選手と語られるには二刀流を極めること。そのためには、最も二刀流に理解のあるエンゼルスが一番よいのでは。

 二刀流を卒業した暁には、どこでもいい。12年目の途中でマリナーズからイチロー選手はヤンキースに移籍した。大谷選手も狭く左打者に有利なヤンキース球場でジャッジ選手と一緒にホームランを量産しワールドチャンピオンを目指すのもありかと。

(次回202号は12/20アップ予定)