2024.9 NO.213  こころない  VS こころない

  トランプ前大統領銃撃事件が起き、7/14のTBS系報道番組「サンデーモーニング」にて取り上げられた。元外務事務次官の藪中三十二氏から、トランプ氏が発砲音の直後に右こぶしを振り上げて無事をアピールしたことについて「『オレは元気だぞ!』と。むしろ選挙戦でいうと、変な話ですけど、有利に働く可能性がある」と発言があった。それを受け、膳場貴子MCも「そうですね。プラスのアピールにもなりかねない、という感じもしますね」と応じた。

 それに対して、批判的なネット民に交じって堀江貴文氏が同日、Xに「思わず本音が出ちゃった感じだな。人の心はないね。。」と投稿した。

 堀江氏のこの投稿に対し米山隆一議員が「言い方の是非はあるにせよ、人の心はあるに決まっているじゃないですか」と指摘。さらに「何でこう、一つの事で全人格を否定する様な断罪をするのだろうかと思います」と膳場MCの発言が炎上している現状に疑問の声をあげた(柔道での敗戦時号泣した阿部詩選手に対する日本人の批判もどうなのか。五輪でなければあれほど泣かないのでは。彼女は、口にしていないものの日本人を代表して、日本国民からの兄妹二連覇という重すぎる期待を背負いながら、思いがけずその期待を裏切ったと分かった瞬間取り乱したものではないのか。海外からの批判は仕方ないとはいえ、そんな彼女に石もて追うようなマネは「惻隠の情」が国民性であるべき日本人に相応しいのか)。

 堀江氏に対しては、過去の収監以降は随分大人しくなったと見ていたが、最近国家権力にではなく芸能人などを相手に心無い発言をしていると感じていた。

 本ブログ前号NO.212にて「堀江氏にも有力なインフルエンサー・キラーが必要なのではないか。」と書いた。

 批判する(問題点を指摘し改善や反省を促す)のはよいが、中傷と変わりない言い方は相手を傷つけるだけではなく、発言当人の品性も貶める。米山議員の投稿により堀江氏は反省しているかと思ったら、米山議員に言われたことを逆手にとって、7/29の『女性自身』のWEB記事によれば、膳場MCを「こんなにひどいこと言う人だったんだ」と言っている。

 反省するどころか自らの発言を正当化しようとしているとしか私には思えないが。

 米山議員が私の前号を見たハズはないだろうが、今後とも米山議員には堀江氏の発言にも関心を持ち続けてもらいたいものだ。

 

 さて、本ブログエッセイは200号をとうに超えてしまった。こんな続けられるとは思わなかった。100号を過ぎたあたりからもうすぐ終わると何度か言ってきたような気がする。「オレオレ詐欺」ならぬ「終わる終わる詐欺」みたいだが、知人から連載を止めるなとの声がある訳ではない。

 連載を止めると悪い頭を使うことがなくなり認知症になってしまうのではないかと心配になる(元来ボケているから軽い認知症ぐらいでは自他ともに気づかないかもしれないが)。

 名曲『ら・ら・ら』で大黒摩季さんは「何かやらなきゃ誰にも会えない」と歌うが、会えなくても、コメント拒否で一方通行ではあるが社会と繋がっているとの実感を得ていたいとの気持ちもある(いいね!数の多寡で意見が受け入れられたか否かを判断している。なお、フォロワーの変動は? 当方は来る者拒まずで削除することはない。ご自身が削除していないのに消えている場合は管理人に問い合わせ願えれば)。

 さらに、アホはアホでもアホなりに思うところがある。その思いを賢い人に汲み取って欲しいとの思いもあり、なかなか筆を置くことができないでいる。
  とはいえ、本ブログの初号をアップしてからもう13年になる。元々引き出しが少ない上各引き出しの中が空っぽになってきた。下ネタなら少なからずまだ残っているが、披露できるものは少ない。
   作家林真理子女史は、2020年7月「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」でギネスに載った。なんと37年間週一で1,655号も連載できる。そんな天才と違い、ちょっとした話題でも数千字書ける能力は私にはない。

 この際、表題となる「一字違い」の在庫の中で、3千~5千字前後のストーリーを紡ぐことが難しい「一字違い」は断捨離することにした。

 まず、「パンプキンVSカンプキン」。パンプキンはかぼちゃ。自民党は政治資金パーティの裏金を還付金と呼ぶ。

 「バサキVSバサシ」は「バサキ」はバイト先の省略で、「バサシ」(馬刺し)は馬肉の刺身の略称。「ジャイカVSジャマイカ」は、JAICAがジャマイカに国際協力していることは知っているが、4,000字前後の文章を書ける知識も情報も持たない。「チェンナイVSチェンマイ」はインドの都市とタイの都市。それでと言われても。「はかばかしいVSばかばかしい」はストーリーを考えるのも馬鹿馬鹿しい。

   嫌いなものと好き(あるいは嫌いではないもの)の対比としては、まず、「ツァーリズムVSツーリズム」。「ツァーリズム」はロシア帝国の絶対君主制体制。「ツーリズム」は、観光事業や観光旅行を意味するが、京都、富士山やバルセロナなどでオーバーツーリズムが大きな問題となっている。

 「おこじょVSおごじょ」。「おこじょ」(オコジョ)はイタチ科で冬は白毛に変わる見た目は可愛い小動物である。しかるに、“死のダンス”と呼ばれるかく乱する動きでウサギをパニックさせ固まらせる。自らより体が大きいウサギに一旦首に嚙みついたらウサギが死ぬまで離さない獰猛な獣。

  「おごじょ」は鹿児島の女性を指す方言。「薩摩おごじょ」と聞けば良妻賢母のイメージが浮かぶが、怒髪天を衝くほど怒れば「薩摩おごじょ」は「薩摩おこじょ」に変わるのか。それなら薩摩隼人も形無しか。
 なお、「オコジョ」は怖いが、アプリを使って男性を女装させる「カコジョ」はお笑いのくっきー!さんを野獣?から愛らしい美女に変える。

 「ラーテルVSメーテル」は猛獣と美女。ラーテルは世界一怖い物知らずの動物でライオンも手出し出来ない。メーテルは『銀河鉄道999』のヒロイン。まさに一字違いで大違い。
   若者にとって共に死語になりつつあるのは「もぐさVSいぐさ」。お灸は、ヨモギの葉の裏にある繊毛から作られた半米粒大の「もぐさ」を皮膚の上にのせ火をつける。幼児の疳の虫を抑えるのに効果があると言われ、私も何度か背中にお灸された記憶が65年以上前で朧気であるが残っている。

 少学校低学年の頃までは、文字通り「お灸を据える」と言って、私が悪さをすると、母親から「今度やったらお灸を据えるから」とよく脅かされていた。

  「いぐさ」は、単子葉植物で茎の部分が畳表に使用される。畳を替えたとき青々としているが、経年劣化し茶色く焼けてくる。引っ越しの際箪笥を除けるとその所だけ畳が青々としている。その当時のことが蘇り、感慨深くなる。
  「すまじきものVSすさまじきもの」も一字違い。「すまじきものは宮仕え」という。私の現役の頃より世のトップ層が劣化なら、同情申し上げる。

 「すさまじきもの」と言えば、メジャーで活躍している大谷翔平選手。二刀流では収まらず、走・攻・守の日本レジェンドであるイチロー選手、松井秀喜選手、野茂英雄投手が合体したような規格外の選手(打撃だけでMLB史上初の800試合以内で200本塁打以上、500打点以上、100盗塁以上を記録)。打球音・打球スピードはすさまじい。ハーフでない日本人が、体格、パワーで怪力のメジャーリーガー達を凌駕するのは、驚愕する他はない。

 なお、嫌な「すさまじきもの」と言えば、3.11の津波。津波がこんなに怖いものかと初めて認識した。
 
 人名の「一字違い」は探すのに苦労しない。韓国では、女優に限っても「イ・ハニVSイ・ヨニ」「イ・ダヒVSイ・ダヘ」「チョン・ソヨンVSチョン・ドヨン」等数多くある。

 日本では、まず、「こうだくにこVSむこうだくにこ」。行田邦子元参議院議員は政党を渡り歩きダッチロールした感はあるが、昨年行田(ぎょうだ)市長に着陸(就任)した。

 作家・脚本家故向田邦子は残念にも1981年飛行機事故により台湾で亡くなる。同じ脚本家で96歳の誕生日の前月亡くなった故橋田壽賀子は、向田より4つ年下で1970年代故山田太一、倉本聰氏と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた向田に対しては「天才脚本家で『妬みさえ湧いてきません』」と著書に書いている。今頃50代のままの向田と90代の橋田が天国でどんなシナリオ談義をしているのだろうか。
 女性歌手二人の「あいだしょうこVSはいだしょうこ」は、一字違いで大違いではなく、二人はよく似ている。ともに色白美人、歌手で、しかも天然タイプ。ただ、相田翔子さんの生まれ年を知って驚いた。拝田祥子さんより9歳も年上のアラフィフ。とてもそうは見えない美魔女の一人だ。
 似ていると言えば、双子の名前は「一字違い」が多い。

  「マナVSカナ」、姉妹タレント姉・三倉茉奈さんと妹・三倉佳奈さん。姉の方が先に結婚すると思ったが、2012年に先に妹カナさんが結婚した。姉のマナさんはいつ結婚するのか、“マナカナ”と思っていたら、7年遅れの2019年に結婚した。今は共に母親になっている。

 大食いの『はらぺこツインズ』は、一卵双生児姉妹で、姉がかこ、妹があこ。
 双子のボクシング世界チャンプ・チャーロ兄弟、ファースト・ネームは日本語では兄はジャーモールで弟はジャーメルではあるが、英語表記は兄Jermallで弟Jermellと一字違い。
 お笑いコンビ『ザ・たっち』の兄弟は、兄「たくや」で弟が「かずや」。人気漫画・アニメの『タッチ』の双子兄弟は、兄が「たつや」で弟が「かずや」。ウイキペディアによると、二人の母親が、『タッチ』を観て後で弟が事故で亡くなるのを知らないうちに、一見ダメンズタイプの兄「たつや」の名前を避け「たくや」と名付けたらしい。
 もし母親が、弟「かずや」が事故で亡くなるのを知っていたら、弟「かずや」の方を変え「かつや」と命名し、「たつや」と「かつや」の一字違いになっていたかもしれない。
 女子プロゴルフのタイ出身ジュタヌガーン姉妹は、双子ではないが、姉が「モリヤ」で妹がメジャーチャンピオンの「アリヤ」。同じく女優兼歌手の上白石姉妹も、愛らしいアネモネのような姉が「もね(萌音)」で妹が「もか(萌歌)」。タレントの古川(こがわ)姉妹も芸名も本名も一字違いで姉が「ゆうちゃみ」こと「ゆうな(優奈)」で妹が「ゆいちゃみ」こと「ゆいな(結菜)」。

 最後に、私に関するものとして「カキオコVSゲキオコ」を挙げる。私は子供がまだ学生の頃よくお好み焼きを作った。とくに牡蠣が出回るRのつく月に。一つのお好み焼きに牡蠣を4~5個いれるが、岡山県備前市日生(ひなせ)町のお好み焼き店ではもっとふんだんに牡蠣を乗せる、牡蠣が主体のお好み焼きを提供するという。「カキオコ」と呼ばれ郷土料理となっている。兵庫県の赤穂からほど近い日生町には行ったことがない。不愉快になるだけだからと私との旅行を嫌がる妻を宥めすかして一緒に訪れたいと思っている。
 ひと昔「地震雷火事親父」と言われた。今はオヤジの権威が落ち、カミさんに替えた方がよいか。私も激怒した妻は怖い。天才歌手さだまさしさんは『関白宣言』の中で、「いつもきれいでいろ 出来る範囲で構わないから」と新妻に求めた。アホな私は前期高齢者入りした古女房にそれを言う。それも茶化して。肥大した前立腺と古女房を刺激するのはタブーなのだが。
  普段妻は苦笑いするが怒ることはない。ところがある日いつもの同じ調子で言っただけなのに、虫の居所が悪かったのか、うっ積していた私への不満が爆発したのか「激おこ」状態になった。(本気で怒った時は妻は泣き出すので、それほどではと思うも)予期せぬ事態にうろたえてしまった。

 「怒った顔もかわいい」が通用する時期はとうに過ぎた。苦し紛れに「オレには他人に自慢できるものが何もない。唯一オマエだけが自慢だったんだ」と訴えると、妻は怒るに怒れない顔になった。「シメシメ、これはまた使えるぞ」と内心ほくそ笑んだ。もっとも3回目には「そう言えば許されると思ったら、大間違いよ!」と妻が怒りを増幅させるのがオチではあるが。
 懲りない私は、この前旅先で帰国便に乗る前晩妻に窘められたのを逆切れし暴言を浴びせた(元々性能がよくない前頭葉の劣化を実感した)。カスハラ(カスタマーではなくカスハズバンドによるハラスメント)と言え、翌朝目が覚めて今度ばかりは成田熟年離婚もあるかと気が滅入った。

 だが、妻の方は真剣には相手にしていなかった。「娘を二重人格と言ってるけど、アンタこそが二重人格じゃないの。今度同じことをしたら認知症の検査を受けてもらうからね」と約束させられた。お仕置きは意外にもそれだけだった。

 43年の夫婦生活を経て、妻は「このろくでなしが私から離れられる訳はない」との自信をのぞかせる。ますます妻に頭が上がらないとの思いが募り、それに自己嫌悪が追い討ちをかける。

(次回214号は8/20アップ予定)