2024.9 臨時号 NO.214 ごりん VS ごしん
今回は、先週閉幕したパリ五輪についてお家芸と言われる種目を中心として観た感想を述べてみたい。
柔道については、毎回強い関心を持って見ている。とはいえ、最近は五輪しか柔道の試合をTV観戦していないが。それもあり、パリ五輪日本人金メダル第1号(通算日本500個目の金メダル)となった女子48キロ級の角田夏美選手は知らなかった。
角田選手は、試合場に向かう時は笑顔で、畳の上では真剣な表情になり勝っても嬉しそうにしない。畳から降りる時は深々と礼をする。
準々決勝ではライバルで世界ランク1位の自国開催で仏国民からの期待を一身に集めたブクリ選手を得意の巴投げで下した。最後に中央で握手するとき角田選手はブクリ選手の頬にそっと左手を添えた。失意のブクリ選手を気遣った。私は素敵な“令和の巴御前”だと思いいっぺんにファンとなった。
日本が期待した兄妹同時連覇は、妹の女子52キロ級の阿部詩選手が破れ達成されなかった。思いもよらずの敗戦から詩選手は取り乱した。ブクリ選手のようには振舞えなかった。
会場からブーイングが起きてもおかしくないが、仏国民らから「ウタ! ウタ! ウタ! 」と激励のコールが鳴り響いた。詩選手に勝ったケルディヨロワ選手(金メダル獲得)選手も「『彼女はレジェンド』尊敬しているのであえて喜ばなかった」と惻隠の情を見せた。
それなのに、一番詩選手の心情を慮るべき日本人が批判する。進行を遅らせたとの批判は、全日本柔道連盟(全柔連)が決めた「コーチの役割」(「自身の選手が大会会場に入場してから退出するまでの間、選手の行動に責任を持たなければならない」)からすれば、我を忘れたかのような詩選手ではなく、コーチが受け止めるべきであろう。
さらに、批判から逸脱し彼女に心無い発言をする者には、貧富如何によらず心の貧しさを感じる。昔は「たとえ身は貧しくとも心まで貧しくなるなかれ」と教えられたものだが。
五輪出場の可能性を鑑み葛藤の末父親のカナダ国籍で出場(それでも東京五輪には出場できず)し57キロ級で金メダルを獲得した出口クリスタ選手は次のように述べている。
「カナダのチーム内ではすごく気持ちの切り替えが早くて、負けても怒られない。次、頑張ろう! って、超プラス思考なんです。それが私の性分にウマが合ったというか。今これだけ結果が出てるのも、技術面よりも、メンタル面のほうが大きいと思います。『負けてもいい』というスタンスが、すごくやりやすい。以前は『負けたらあとがない』でした。それが『負けても次がある』となれば、必要以上に気負う必要もないし、だから、決勝に進出する確率も上がっているんだと思います」
日本の柔道界は金以外は銀も銅も初戦敗退も同じ。負けたら終わりと教えるのか。負けて3位決定戦に勝ち銅メダルを獲得しても申し訳なさそうな顔をする。あるいは、内心銅メダルで本望と思っていても顔には出せない。
そんな振る舞いは日本の柔道選手だけではないか。
スェーデンのタラ・バブルファト選手(18歳で次のロス五輪では優勝候補の一人に目されよう)は、準決勝で不可解な判定(「待て」がかかるまで攻めてたのに3度目の「指導」をとられ反則負け)で角田選手に敗れて審判に抗議し憤りを見せていたが、3位決定戦に勝って銅メダルを獲得。表彰式では金メダルを獲得した角田選手に向けて拍手やハグをして、そのさわやかなスポーツマンシップぶりが観客を感動させた。
柔道以外の日本人選手も、金メダルを目指すも負けて3位決定戦に回っても死力を尽くし、勝利した時感涙に咽ぶ。利き腕の痛みを注射で抑え強行出場した早田選手しかり、バトミントンの“ワタガシ”混合ペア、“シダマツ”女子ペアしかり。まさかの初戦敗退のレスリング女王須崎優衣選手(謝罪ポーズは不要との声が多く寄せられた)しかり。
負けて貰う「銀」、勝たないと貰えない「銅」。レジェンドの谷亮子(五輪:金2銀2銅1)さんは「銅は金に同じと書く」と讃える。
日本柔道が特に拘りを見せる100キロ超級(昔は無差別級に対して)の斉藤立選手は、金メダルが義務付けられたような立場に置かれ、決勝戦を前に敗れてしまうと3位決定戦にも負けてしまった。負けたら終わりと絶望してしまったのか。
翌日の混合団体戦でも、普通1度負けるだけだが同じ相手に2度負けてしまった。個人戦で銅メダルを獲得していればまだ救いはあったかもしれないが、リベンジの機会は4年先とは長すぎる。
斉藤選手が2度負けることになった混合団体戦は、男女各3人の6人制で争う。3勝3敗で並んだ場合は、抽選で選ばれた体重区分の選手同士によるゴールデンスコア方式の代表戦で決着を付ける。
素朴な疑問としてまず思うのは、将棋や囲碁のタイトル戦のように7戦(4勝した方が勝ち)の奇数にしていれば代表戦は必要なくなる。男女7階級あるのに、男子は73キロ以下、90キロ以下、90キロ超、女子は57キロ以下、70キロ以下、70キロ超の3階級ずつ。男子か女子かどちらかを4階級にしないのは男女平等のリベラル的な考え方なのか。
今般の日仏の混合団体戦で3勝3敗で並んだのは筋書きのないドラマだと皆そう思う。この後のゴールデンスコア方式の代表戦がデシタル・スロット方式で決定する。それが何と仏の英雄五輪二連覇のテディ・リネール選手が該当する90キロ超級に決まった。
開催仏国での、仏国民による、仏国民の為のフィナーレを飾る柔道ショーのクライマックスが始まるのかと疑いの目を向ける人がネット上で溢れ出てくる。
90キロ超級が出る確立はサイコロを振って「1」の目が出る確立と同じ。別に奇跡的でもない。不正していないのに不正していないと証明するのは悪魔の証明と言われる。ただ、国際柔道連盟が管理していると言われてもその連盟をよく知らない者にとっては何の説得力も持たない。
疑われるようなことを事前に避けることが大事なのだ。デジタルだからと言っても管理は密室で行われている。
日本宝くじ協会はこのデジタル時代にアナログ的なやり方でしかも公開してロト6などの当選番号を決めている。
ロト6の抽せんは、ロト専用抽せん機「電動攪拌式遠心力型抽せん機(愛称:夢ロトくん)」を使って番号の付いたボールが抽選され、6個の「本数字」と1個の「ボーナス数字」により当選者が決まる。
デシタルは便利であり公平性も高いかも知れないが、不正はないとは限らない。3勝3敗の後の代表戦は予め日仏双方から希望の階級を提出させ、観衆も見つめる試合会場にて審判がコイントスして決めるのが良いのではないか。
外国人選手に見られないような、詩選手の批判を招いた号泣、金メダルの道が閉ざされた以降の斎藤選手の茫然自失、後述の永山竜樹選手の握手拒否など日本選手をそこまで追い込む全柔連も内省する必要があるのではないか。
五輪は国別対抗とはいえ戦争ではない。五輪のDUDOは武道ではなく競技。武道精神もさることながら、スポーツマン精神を学び発揮する場である。
剣道は、柔道と同じ武道であるが、剣道はオリンピック競技に入っていない。全日本剣道連盟が反対している。剣道は「剣の理法の修練による人間形成の道」とし、競技性の高い五輪では、重要視される相手を尊重し礼節を重んじる武道の文化がなくなり、勝利至上主義に走るスポーツなりかねないと危惧する為とする。
たしかに、DUDOも勝利至上主義に走っていると言える。とはいえ今更国際柔道連盟から離脱はできない。きちっと組み合い一本で相手を倒す「美しい柔道」を行うワールドカップをとも思うが、サッカーほどの市場がなければ無理というものか。
あるネット民は提案する。「レスリングは古来からのグレコローマンスタイルとルールをより興行的に緩めたフリースタイルに分かれているのですから、柔道もIJFが推し進めるフリースタイル柔道と日本人が知る武道を基本としたジャパンスタイルに分けても良いのではないでしょうかね。」と。妥協案としてはなかなかの妙案と私は思うが、どうか。
柔道で心配された誤審はやはり起きた。レジェンドの前人未踏の柔道三連覇の野村忠宏氏は、運営側も誤審の防止に努力していると前置きした上で、「ただ、今回は、いつもより、ん?って思うのが正直多かった」 と発言している。
とくに問題になったのは、柔道男子60キロ級永山竜樹選手の準々決勝。メキシコの女性審判員が 「待て」と言っているのに、対戦相手が6秒前後首を締め続けた。ようやく手を緩めたら永山選手が“落ちた”状態になり、それを観た審判が「1本」と発した。永山選手は納得がいかず、対戦相手からの握手を拒んだ(後日和解したが)。
長年に亘り選手出場及び国際審判員を務め、“柔道界の鉄人”と呼ばれた正木照夫氏は「あんな下手な判定はない」「背中を叩くのは基本中の基本」と批判する。「選手経験のない主審では、実体験がないので締め技や関節技等の奥深いところが見えない」「『待て』が聞こえないことは少なくない。選手の耳元で大きな声を出し、それでも止めなければ腕や背中を叩いて伝えるのが基本中の基本」と指摘する。
その正木氏はパリ五輪が始まる前の7/25NEWSポストセブンにて『【パリ五輪はどうなる?】柔道国際大会への「ジュリー制度」「ビデオ判定」の導入でなくなる“誤審の涙”柔道界の鉄人は「審判員の威厳低下」を懸念』と題して、これまで多くの選手が「誤審」によって涙を流してきた。それがなくなる“代償”として、審判の威厳はどんどん失われていると懸念する。
門外漢の私からすれば、違和感がある。一番の問題は、誤審により選手の4年間もの努力が一瞬にして無になりその後の人生を狂わされることであろう。
柔道では競技の性質上「実績を残した高段者が審判を務める」という伝統があるというが、実際五輪では上記で正木氏も指摘しているように経験の浅い審判員が誤審している。“世紀の誤審”と言うべき篠原信一選手の場合も経験の浅い審判員であった。
1994年からビデオ判定を開始するにあたり“ジュリー”と呼ぶ審判委員が設けられた。しかし、主審の「技あり」を「1本」に格上げすることはあっても、選手の判定への抗議に対して審判側が誤審を認めて判定が覆ることはないという。審判委員は判定には介入しないことになっているらしい。
経験が浅く誤審をした審判は処罰されず、ただ次の五輪には呼ばれないたけなのか。ジュリー制度は審判の権威、自尊心を守る為にあるのか。
柔道と同じ国技である大相撲では年寄り(通常横綱などを経て親方になった者)に構成される勝負審判団がおり、行事の軍配に異議がある場合意思表示の上5人の審判が評議する。行事は意見は述べられるが評決には参加できない。だからと言って、軍配をいい加減にするようなことはありえない。指し違えが続けば行事は責任を痛感し進退伺いを出す。
相撲の行事はプロだが、柔道の審判はアマなのか。報酬があってもボランティアに近いから審判に気を使うのか。アスリート・ファーストでジュリーに判定の最終的決定権を与えるべきであろうに。
パリ五輪で日本は金メダルを20個(メダル総計45個)を獲得し海外五輪の中で最多であった2004年アテネ大会の16個を大きく上回った。その中で、新しいお家芸となろう新種目が台頭しスケートボード2個、フェンシング2個、ブレイキン1個。計5個の金メダルを得た。それ以外の種目ではこれまでのお家芸の種目で不振種目もありアテネより1個金メダルを減らしている。
柔道と並んでお家芸の水泳をこれまで私はよく観ていた。しかし、時差による深夜放送でもあり今回はほとんど観ていない。金はおろか銀1つだけに終わっていた。
話題になったのは、最年長の鈴木聡美選手の頑張りだけ。鈴木さん本人はインスタで水泳よりもフランスパンの方がバズるかとの複雑な心境。
印象的なシーンは、池江璃花子選手が女子100メートルバタフライの準決勝で敗退し水泳場の隅に座り俯いていた。日本の関係者はあえてそっとしていたのだろう。外国の女子選手が見つけ近づき気遣っていた。すると堪えていた涙が池江選手の目から溢れ出た。哀しくも美しい光景を見た。
ほかにも体操個人総合二連覇を目指していた橋本大輝選手が指の負傷の影響で本来の力が出せずともエースとして団体金メダル獲得に奮闘し、自身が獲るハズだった金メダル3個を後輩の岡慎之助選手が獲得するのに心から激励していた。まだ23歳の若さだというのに。
至言の諺『健全な精神は健全なる身体に宿る』はアスリートの為にあると実感した。
過渡期とも言われる水泳の競泳界に対して、五輪メダリストではないが背泳を中心として2002年日本選手権水泳大会にて史上初の個人4冠を達成したレジェンドの萩原智子さんが、投稿して困惑している。
謙遜して「私が偉そうに言うことではないけれど」 と前置きした上で、「批判」でもなく、「チーム全体での対話はなされているのか」との「問題提起」しただけなのに、それに対して「誹謗中傷」する声が多く寄せられたという。
マラソンの川内優輝選手もマラソン補欠問題で「何様のつもりか?」と中傷コメントを受けている(それに対する川内選手の反論は世の支持を得ているが)。
世間は「批判・問題提起」と「誹謗・中傷」とを混同するヒステリックな状況にあるのか。何でもいいから攻撃して憂さを晴らしたいとする人が余りにも多いのか、政治の問題なのか(と思っていたら首相が代わることになった)。
私の本ブログは公人及びそれに準ずる著名人、いわゆる強者の問題を批判する(溺れた子犬に石を投げつけるマネはしない)のがテーマの一つとしている。それを変えるつもりはない。ただ、当初よりコメント拒否にしているが、今のこの状況には居心地の悪さを感じる。
陸上競技も好きな種目であったが、今回大きな関心を抱いたのは女子やり投げの北口榛花選手が金メダルを獲るかだけであった。ライブで観たかったのに日にちを間違え日曜日目覚めたら既に優勝していた。
北口選手は最終6回目に大投てきして逆転勝利するのが今までのパターン。ところが、優勝候補筆頭の北口選手が1投目で65.80メートルの大投てき(北口選手自身は満足していないが)。この強烈な先制パンチに他の選手たちは北口選手が最終投てきではもっと飛ばすだろうとパニクってしまい、その結果他の選手はだれも65メートルに達する投てきが出来なかったのでは。65メートルを超える実力がありながら。
卓球は、日本女子チームと中国女子チームの差は紙一重。ただその紙が分厚い。4年後のロス五輪では二十歳になる張本美和選手が中国選手を破ることが期待される。兄の智和選手はメンタルの強化が課題。鍛えることは技を磨くことより難しいが。
レスリングは8個の金メダルを獲得した。アテネでは伊調馨選手と吉田沙保里選手女子2名だけ(ロシアは男子5名金メダル)。今回大幅に増やした。今回レスリング大国ロシアが今回不参加であり、お家芸復活と手放しで喜ぶのではなく、“勝って兜の緒を締めよ”とすべきか。
二連覇が確実と思われた須崎優衣選手は一回戦で敗北したのには驚いた。2014年のデビュー以来外国選手に対して94連勝していた。柔道の詩選手も、5年間外国選手に負けたことがなかった。
今にしてみれば1回でも負けていた方がよかったのかもしれない。結果論としては、外国選手たちが研究し尽している中で今までの延長戦で努力してきたということになるのかもしれない。
他方、柔道男子81キロ級で永瀬貴規選手は二連覇した。強豪ぞろいのこの階級では五輪史上初。東京五輪73キロ級にて二連覇を達成し引退した無双の大野翔平元選手が最強と呼ぶ(ボクシングのPFP1位の意味か)永瀬選手は東京五輪で優勝後なかなか優勝できなくなっていた。スケーボードのストリートで大逆転で二連覇した堀米雄斗選手も東京五輪後採点方法が変わり苦戦していた。
レスリング女子53キロ級で優勝した藤波朱理選手(20歳)は、2017年9月からの公式戦連勝記録を137に伸ばしている。が、これから世界中の選手から研究され過去に勝った相手もその時と同じ相手ではなくなるだろう。
次のロス五輪ではゴールドメダリストとしての防衛戦ではなく、ロス五輪の金メダルに対するチャレンジャーとして臨んでもらいたい。その為にこの4年間で何をするべきか考え精進してもらえればと思うのだが。
東京五輪から新種目となったスケートボードは早くも日本の新お家芸と呼ばれるか。東京五輪に続いて、日本の男女が金メダルに輝いた。
女子「ストリート」で金メダルを獲得した14歳の吉沢恋(よしざわここ)選手は「ここまで頑張ってきて良かったと思う。自分をここに立たせてくれたのは、追いかけてきた先輩たちのおかげ。感謝して、追いかけられる存在として頑張っていきたい」と話す。
また「大人になっても優勝できることを見せたい」とも言っている(東京五輪で13歳の西矢椛さんが金メダルに輝いた時、日本スケートボード協会の横山純事務局長は「大人になると体がけがに耐えられず、競技を続けるのが辛くなる」と指摘している)。
4年後のロス五輪との時には吉沢選手は18歳。ライバルは、大学生や社会人ではなく、中学生となるのか。吉沢さんは優勝しても浮かれることなく、次を見据えている。自分の為だけではなく、スケ―トボード界を自身が背負っていくとの気概もあるのではないか。また、同じことを持続して練習できるストイックさからもメジャーの大谷翔平選手に似通っており、スケボー界の“女大谷”と呼ばれる日が来るのではと期待する。
スケートボードには、「ストリート」のほかに「パーク」がある。北京冬季五輪で平野歩夢選手が優勝した男子ハープパイプとよく似ているが、スノボーは足とボードがくっ付いているがスケボーは足とボードがくっ付いていない。空中での回転技はより難しいと言えるか。
15歳の開心那(ひらきここな)選手が東京五輪に続いて銀メダルに輝いた。開選手の滑りを初めて見た。解説者が絶賛する技の凄さは私には理解できないが、安定感は群を抜いており、さすが世界ランク1位もむべなるかなと思った。背が22㎝も伸び170㎝近くありスタイリストでもあり女王としての風格が備わっている。
ただ、五輪は一発勝負。決勝の1本目開選手は91.98と高得点で他の選手にプレッシャーを与えた。が、優勝した14歳アリサ・トル―選手は最終の3本目で空中でボードに乗った状態で、ノーズ側の手を背後に伸ばしてボードを掴み一回転半(540度)スピンさせるエアートリックを2度決めて93.18点とトップに立つ。開選手とっては出したことのない高い点数で、動揺したと思うが、最終演技で難しい技を初めて成功させ自己最高の92.63をマークし、女王の意地をみせた。その精神力に感心した。
開選手は板と車輪をつなぐ金具部分でコースの縁を削るように滑る「グラインド」系と呼ばれる技に特化してきたが、ロス五輪では高得点が出やすく見栄えもよいエアでの回転技がより主流になろう。
開選手はロス五輪時19歳になり、身長も170㎝を優に超えているだろう。エアの回転技には不利になるが、三度目の正直金メダル獲得に向けてどう進化させてくるか、4年後を楽しみにしたい。
メダルに届かなかった選手達もケガと闘いながら3年間猛練習してきたことだろうに、柔道らの選手と違い、驚くほど皆サバサバとしてメダリストたちを笑顔で祝福している。内心悔しさもあるハズだが。
それに関して、大島和人スポーツーライターは、『ブレイキンだけでなくスケートボードもそうですけど、伝統的なスポーツとは違う、ストリート発祥の自由で「楽しむ」「魅せる」競技が強いのは、五輪における日本の特徴ですね。スポーツは良くも悪くも「体育会」というステレオタイプに収められがちですが、日本社会には「やらされるのでなくエンジョイする」「本気で楽しむ」カルチャーがしっかりあって、それは素晴らしいことだなと思います。』と言っている。
ブレイキン(発祥国のロス五輪では除外されその後も未定でAMIこと湯浅亜美選手が最初で最後の女王とならなければよいが)やスケートボードは体が小さいことが不利とならない。
金メダルは取れなかったが(男子安楽宙斗選手銀メダル、女子森秋彩選手4位)重力に抗いながら登る技とスピードを競うスポーツクライミングも体が大きくない日本人が有利。しかも選手間の雰囲気はスケートボードと似ている。さらにボルダー(約4メートルのクライミングウォールに設置されたホールドという突起物をロープなしで登る) では攻略方法について出場選手間で話し合っても構わない。
日本人の80%以上が持つと言われる不安遺伝子(SS型遺伝子)により緊張から実力を発揮できないことが少なくない日本選手からすれば、ノリノリ、イケイケの雰囲気のスポーツの方が日本人選手には向いていよう。
スケ―トボードやスポーツクライミングなどが、10年後には、お家芸として定着しているのか、それとも新技(回転レシーブ、時間差攻撃等)を開発し一時期頂点を極めたバレーボールのように日本の優位性が失われていくのか。爺の私にはそれを見届けることはできないだろうが。
(次回215号は9/10アップ予定)