2023.11臨時号 NO.199 たろう VS じろう
屋号で「三代目」が付く飲食店を見かける。築地の寿司店『築地三代目青空』や亀戸の居酒屋『三代目まる天』、錦糸町のワタミ系列の『三代目鳥メロ』や松本市のラーメン店『豊潤らあめん 三代目紀守』とか(ポップス界で『EXILE』の弟分は『三代目 J SOUL BROTHERS』と名乗る)。
四代目がつく店は、鰻の名店『四代目菊川』のように無くはないが、三代目より断然少ない。数字の「四」は忌み嫌う「死」と発音が同じで避けられがち。日本人は数字の3が好きだと言われている。我らの世代は長嶋茂雄選手の背番号で好きになった人も多いのではないか。
三代目は隆盛のイメージがある。室町幕府三代将軍足利義満は国王となり、天皇にとって代わろうとしたとも。徳川幕府三代将軍徳川家光は260年の徳川幕府の基礎を固めた。
歌舞伎の名跡『市川猿之助』も先般亡くなった三代目(猿翁)がスーパー歌舞伎を創作しその名前を高めた。それを継ぐ四代目は、李氏朝鮮王朝の21代英祖から22代正祖へのごとく祖父から孫への道は当初選択肢にはなかったのか、紆余曲折の末三代目の甥(弟の長男)にバトンタッチされた。
四代目はその名をより高める必要とプレッシャーがあったが、それにたがわぬ活躍を見せた。が、パワハラ、セクハラ、LGBTQの今の世相を代表する問題発覚による一家心中事件を起こし、四代目は猿之助の名に泥を塗ってしまった(自殺するのに薬、ビニール袋を処分したことなどの疑問が残るが自殺ほう助で収束する方向か。故西部邁の場合はいわば善意?の第三者による自殺ほう助。本件は、問題を起こした子による親への自殺ほう助。こんな親不孝はない。公判が始まろうが、執行猶予がつけば復帰が許されるという問題ではないだろう)。
評論家においては、猿之助の名跡を「止め名」になると予想する向きもある。が、野球の大打者・大投手になされる「永久欠番」と同じで、スーパー歌舞伎で名を馳せた三代目がそれを望まなかったのであれば、三代目の実孫にあたる市川團子が五代目猿之助を継承し地に堕ちた名跡の再興を果たすことになるのか。
市川宗家と呼ばれる歌舞伎界随一の大名跡である『市川團十郎』においても、十三代も続くも波乱に満ちている。服部幸雄氏の『市川團十郎代々』(講談社学術文庫)によれば、前代未聞の作者と役者との二刀流であった初代は舞台上で初代に不倫を諫められた役者の逆恨みにより暗殺された。17歳で突然後を継ぐ二代目はつらい立場にあったが、市川團十郎家の歌舞伎界における地位を確固たるものとするだけではなく、「江戸歌舞伎」の基盤を作り出す鍵を握っていたと著者は評価する。
その二代目の養子(初代の高弟の子)が三代目となるが、嘱望されるも22歳で夭折してしまう。六代目も同じ22歳で夭折する。五代目の孫(次女の子)が七代目となり、「勧進帳」を初主演し、「歌舞伎十八番」を制定し、市川宗家の権威を確立するが、天保の改革により江戸を追われる憂き目に遭う。その七代目の長男が八代目團十郎を襲名するが、32歳の若さで自害してしまう。
七代目の五男(八代目とは異母兄弟)が九代目となる。九代目は明治維新の新時代における歌舞伎の在り方を模索し、新演技術を創始し、かつ役者の社会的地位の向上に貢献したという(反面天覧劇も行われ歌舞伎が高尚な演劇になるに伴い庶民から遠い存在になる)。
偉大な九代目を継ぐ者がなかなか見つからず59年空いた後九代目の門弟であった七代目松本幸四郎の長男が十一代目を襲名する(九代目の娘婿が歌舞伎役者になるも自他ともに團十郎を名乗ることを許さず、亡くなった告別式に後継者となる十一代目が十代目の名跡を追贈したという)。その十一代目も「海老さま」ブームを起こし戦後を代表する花形役者となるも襲名後3年で亡くなってしまう。
その孫である今の十三代目市川團十郎は、堀越寶世氏個人の生き方としては大根役者と言える。それが父親、妻の寿命に影響を与えたと私はそう思っている。しかし、歌舞伎役者としては、作家が娘時代十一代目團十郎のファンだったと言う大作家塩野七生女史から月刊『文藝春秋』2023年6月号の中で十三代目の歌舞伎を観て「隔世遺伝だ。主役には“華”のあることが不可欠だが、“美”の中に“華”ある」と千両役者と言わんばかりに称賛されている。
『世襲 政治、企業、歌舞伎』(幻冬舎)の著者中川右介氏は、「独善的に見える十三代目だが、どこにどんな役者がいるのか、劇界全体を見ており、機を観て抜擢する先見性を持ってもいる。役者の才能を見抜く力もある。團十郎として劇界最高位に立つという自覚があるのだろう」と評している。
市川宗家を最高位に押し上げた歴代の團十郎の才能と努力を受け継いでいる十三代目は、大いなる“役者ばか”(侮蔑の意味はない)として苦境にある歌舞伎界を牽引してもらいたいと思う。それが天国の二人に対する何よりの供養にもなろう。
世の荒波を越えてきた歌舞伎界は大衆演芸ではなく高尚な芸術に昇華されセレブ達の贔屓筋に支えられている(ある意味我々一般大衆とは無縁の世界でもあるが)。その中で歌舞伎役者とその子達が不断の精進をしていくのなら、日本の伝統芸能としての歌舞伎が簡単に廃れていくことはないだろう。
政界においても、政治家も3代目が頂点となるのか。米国のトランプ前大統領はドイツ系移民の3代目。岸田首相は国会議員としては3代目。小泉元首相も同じく3代目。安倍派の福田達夫議員は、国会議員としての3代目。初代は福田赳夫首相、2代目は福田康夫首相。賢そうで見栄えもよい達夫議員も首相になるのかと思ったのだが。
私は、安倍派が最大派閥であることが日本低迷要因の大きな一つだと思っている。途中で首相職を投げ出した共通点はあるものの安倍晋三元首相と福田康夫元首相は水と油であるからして、政界オンチの私は達夫議員が分派行動に出ると期待した。しかし、旧統一教会問題で、祖父が故文鮮明を褒めたことがあるとは言え、父は関係を持たず、子の達夫議員も関係を持たなかったことから、個人的にはと前置きして「何が問題なのか分からない」と正直に話した。が、大きな社会問題に対して浮世離れした発言として捉えられ、国民にダメな世襲議員と同列の印象を持たれたことは痛かった。
故ケネディ大統領はアイルランド系移民の4代目。財を成した3代目の父ジョセフ・P・ケネディは駐英大使となり、息子が大統領に上り詰めたが、暗殺された。その後次々と不幸が襲い“ケネディ家の呪い”と呼ばれている。
小泉元首相の次男進次郎氏は4代目の政治家。岸田首相の長男翔太郎氏も国会議員の4代目となるのか。
果たして、両4代目に首相になる日が来ることがあるのか。「狂言」においては「主」に仕える召使いの筆頭が太郎冠者、その次が次郎冠者。ともに「主」になることはないのだが。
その4代目小泉進次郎議員が(政治家が)歌舞伎俳優や落語家と比較された発言に「失礼」だと厳しく指摘したことに対して、6/4の『サンデーモーニング』にて藪中三十二元外務事務次官が新次郎議員を批判したと中日スポーツ紙が報じた。
藪中氏は「先程の小泉進次郎さんの言葉、僕は失礼だなと思ったのは、歌舞伎役者とか落語家はものすごく稽古しなきゃいけない。ところが自民党もそうですが、小選挙区の時には党の候補。その時の党の候補にどうやってなるかという時に、候補者の親の力、それで世襲ができるんです。ちゃんとその人の資質をチェックしていない。これは問題だと思う」と反論した。
進次郎議員はこんな話でしか出る幕がないのか、意気込んで発言したのであろうが藪の中からいきなり噛みつかれてしまった。これを世に「藪蛇」と言う。
私に言わせれば、米国の民主主義は「白人優位」を前提にしている。インドの民主主義はカースト制の上に成り立つ。日本の民主主義に差別はないのか。
苫米知英人氏は『世襲議員という巨大な差別』(株式会社サイゾー)を上梓した。氏は、政治家一族と財閥家、宮家のほとんどが幾層もの絡み合いで一つの支配層を作り上げている。それが明治維新以降150年続いている。(度重なる問題発言でも政界に君臨し続ける)麻生太郎自民党副総裁を代表例として挙げ、「世襲制は身分制度を作るものであり差別であること」を国民はそろそろ気づくべきと説く。
故青木幹雄元官房長官の遺志だとして森元首相らが故小渕恵三元首相の娘小渕優子議員を幹事長などにと言っているとネット上に拡散していた。民間の上場企業でさえ、元社長の子弟ということだけで厚遇などしない。したいと役員の間で内緒話することがあっても全社員に聞かれるマネはしないだろう。自民党は中小オーナー企業みたいになってしまった。
政治家は、進駐軍女性将校が着替えている所を日本人のハウスキーパーの男に見られても何も思わなかったと伝わるように、主権者たる国民を愚民扱いするのか。世襲だけによる重用とその公言を批判しないメディアもどうかしている(もっとも「ドリル優子」の幹事長の話は「エッフェル姉さん」炎上の飛び火で焼失した。それでも適任とは思えないが定例会見のない選対委員長に処遇された)。
思うに、世襲議員は、公職選挙に必要な、「地盤」「看板」「カバン」を既に備わっている。若くして立候補できる。それだけ再選回数が増え、一般的に大臣の椅子には5回程度当選が必要と言われるが、非世襲議員より早く到達す可能性が高い。さらに世襲議員は血筋をもって信用される面がある。キャリア官僚出身であればそれなりの信用があるが、民間の社長等から政治家への転身は信用を得るには時間がかかる。さらに、小選挙区制に替わった今、公認権で若手議員を押さえつけ、田中角栄のような傑物が頭角を現すことが容易ではない。
世襲議員でも、有能であればよいが、ダメな世襲議員が多い印象がある(ダメな議員ほどメディアに取り上げられやすい面もあるが)。
その要因の一つは1996年の衆院選からの「小選挙区制度」に関係していると思われる。上述の中川氏よれば、明治から戦前の昭和までは親子で総理大臣だった一族はない。昭和戦後の首相で二世、三世議員は5人だけで、残り11人は平成・令和の首相だと言う。
中選挙区時代は、総理大臣までになる大政治家は大半が自分の力で国会議員となり、党内抗争に勝利して総理大臣になったという。中選挙区制度の下では大物自民党議員でも同じ選挙区内で1位当選すべく切磋琢磨していた。小選挙区制の今では、それがなくなってしまっている。
歌舞伎役者は、親と子の関係では優しいが、稽古舞台にあがれば師匠と弟子の関係となり厳しい。戦後は実子による世襲が一般的で、幼い頃から子を厳しく指導する。とくに市川宗家においては、子は、家督は継ぐことができるが、歌舞伎界の総帥に足る才能と人気がなければ市川團十郎を襲名することは許されない。子も長じるにつれその重責が重くのしかかる。それでこそ、直接の利害のない贔屓筋が支えてくれるというものだろう。
想像上の獅子の「子落とし」のモデルがハイエナではなくライオンなのはライオンが百獣の王だからであろう。トップに対する心得なのだ。しかし、政治家は、代々世襲の岸田家を見ても、子を厳しく指導しているようには見えない。
ダメな世襲議員の要因のもう一つは地元の後援会の問題にある。戦後間もなくの頃は地元の利益誘導はそれほど強く求められていなかったという。今の後援会が欲するのは、日本をよくしてくることではなく、自分たちの既得権を維持してくれることだ。後継政治家の能力、人格等は二の次なのだ。
長男で俳優の小泉孝太郎氏が父の躾は厳しかったが政治家への道を強要されることはなかったと言う小泉元首相は、首相時代世襲を否定していたハズ。だが、次男進次郎議員に世襲した。地元の後援会の要請を無視しえなかったのではないか。
安倍元首相も、自身は神戸製鋼に骨を埋める覚悟ではなかったか。母方の祖父岸信介も、父方の祖父(反骨の政治家)安倍寛も、父晋太郎も東大法学部卒。国会議員も東大卒が多い。コンプレックスを持つ故晋三は父晋太郎から秘書官への転身を言われるも拒否している(外堀を埋められて最終的には秘書官になるも)。能力や性格をよく知る父晋太郎よりも地元の後援会の方が強く求めたのではないか。
故安倍元首相のごとく3代目の世襲議員となると、地元に暮らさず東京でボンボンとして暮らす。同じ3代目の世襲議員である岸田首相も広島に暮らしていない。それでは原爆被災者の家族や遺族の気持ちが肌感覚では感じられないのではないか。
私は本ブログ2018年2 月号NO.85 (「いしば VS いしばし」)こう述べている。
「週刊ポストで外務省OBの天木直人氏に『もともと安倍首相と政治の方向が違うのに、何も批判しなかったから4年間外務大臣を続けさせてもらった。その外交も外務省の役人のいいなり。政治家としての信念がなく、総理大臣ふさわしい器ではない』と酷評された。手厳しすぎるとは庇えない。9月の総裁選に出馬するのなら、核兵器禁止条約不参加決定の折決然と閣外に去り、広島選出の国会議員としての矜持を見せつけるべきだったと思う。」
首相になりトップになれば岸田氏は変わるのではと思う私は、いつよりもまして愚かだ。
思えば、ウクライナ戦争の勃発時に首相が岸田氏というのは不運としか。故石原慎太郎が“米国務省の東京支店”と揶揄した外務省のいいなりの首相でなければ、ロシアと和平交渉をしてきた森元首相、鈴木宗男議員、佐藤優氏の意見を聞き違った対応になったかもしれない。そうであれば、メディアも、ウクライナ寄りではなく中立の立場で、「ウクライナ兵もロシア兵と同じ。戦争は愚かで悲惨だ」と日本国民により再認識させることが出来ただろうに。
そう思った矢先、ハマスとイスラエルとが戦争状態になった。哲学者サルトルの名言「金持ちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ」は蓋し言い得て妙。カタールで優雅な暮らしかと取り沙汰されるハマスの指導者は奇襲の成功によりアラブのヒーローだが、ガザ地区の民衆は悲惨極まりない。
私は世襲を全く排除すべきとまでは思わないが、世襲、毛並み(血筋)のよさだけで首相になることは避けなければと思っている。中選挙区制時代は、大企業のごとく、派閥間の競争に勝ち、大蔵大臣、外務大臣、幹事長の主要3役を経ないと首相になれなかった。その中では身勝手なこともできなかった。小選挙区制に替わり、中小オーナー企業の世襲のようになってしまった。
教養・歴史観に裏付けされた信念はないがコンプレックスはある首相たちの辞書には「できない」との言葉は載っていない。安倍元首相はアベノミクスでやっているフリをした(残ったのは、日銀の機能不全と大幅な円安)。
岸田首相は、煙に巻く「新しい資本主義」を掲げ、経済対策として5本の「課題」を挙げ、やるフリをする。そんなつもりは無くても、そうなるかも。「物価高対策」「持続的な賃上げ」とかは「目的」(課題)に過ぎない。それを成就させる為の「手段」(具体的施策)が経済対策。それが出来てから発表すべきなのだが、それはこれからと言うなら、果たして実効性の高い施策を打ち出せるのか。結局解散総選挙、総裁選対策としての偽減税と疑う向きもある「減税」や「バラマキ」でお茶を濁すだけになるやもしれない。
賢者でない首相が続き、失われた10年が30年になったが、さらに40年になるやもしれぬ。日本が沈んでいく。
政界では、マイナ保険証への対応でマイナー化したが一時首相にとの呼声も高かった河野太郎大臣(祖父河野一郎副総理、父河野洋平自民党総裁)も例外ではないが、3代目の世襲議員は、ボンボン育ちで劣化している(4代目はさらに)傾向にあると思うが、政界の地位的にはホップ・ステップ・ジャンプするきらいがある。それは日本国、日本国民にとって幸いではない。
世襲は、一挙に廃止するのではなく、初代の遺志を継ぐ2代目までとする。加えて、中選挙区制度に戻すなど改革が不可欠。その中で、有能な3代目であるなら、違う選挙区で立候補し勝ち上がればよい。老子は「子孫に美田を残さず」と言った。政治家は「孫に票田残さず」と言うべきだ。
そのような改革がなされるまでは、とりあえず、もう一度(「志」「教養」「気骨」のある)官僚派首相の登場が必要と思っている。同じ官僚依存とはいえ、「官僚主導」では神輿は軽くても問題はなかったのかもしれないが、今の「官邸主導」の政治ではトップは官邸内官僚に我物顔に好きなようにさせない賢者でなければならない。
(次回200号は11/10予定)