2023.8 NO.194  オタク VS  オタク
 ギリシャ神話での巨人一族であるタイタン(Titan)は、ゼウスが率いるオリンポスの神々との戦いに敗れ、地底に幽閉されたとする。
 タイタンの形容詞であるタイタニックという名の豪華客船は海底に幽閉された。それを探索するTitan製の潜水艇「タイタン」は爆縮し海底に沈んだ。
 巨人は仮の姿で真のタイタンの姿は人間の「驕り」「過信」に対する戒めの神ではなかろうか。
 今回道連れとなったお金持ち達には、心より弔意を表する。その上で、貧乏人の私から、お金持ちに苦言を呈する。

 親の遺産であれ、自らの才能と努力の賜物であれ、自身のお金を何に使おうと勝手である。我々庶民がディズニーランドに行き喜ぶようなことでは飽き足らないのは理解できる。

 ただ、リュックではなくリスクを背負い宇宙旅行するのは良いが、大勢の乗客が亡くなった悲劇のタイタニック号を好奇心の対象にしたのであれば、それはいかがなものか。

 さて、SHINE! と書かれた文字だけを見れば、普通は「輝け!」と英語読みするだろう。その気になるよう日々妻から「早く逝くように」と言われる私はついローマ字読みしてしまう。

 次はどうだろう。
 OTAKU NO OTAKU NO OTAKU WA OTAKU ? 「なんのこっちゃ?」と理解できないだろう。ローマ字では意味不明でも日本語にすれば意味が通じる。「お宅のオタク(君)の御宅は大田区?」と漢字、ひらがな、カタカナの組み合わせで視覚的にすぐ理解できる(実際は、大田区は、オタクと区別する為ではないが、OTAKUではなくOTA―KUと記す)。
 自身を表すのに、英語ではI(アイ)しかない。日本語では、例えば落語において、「わし」「私」「俺」「ぼく」「拙者」と男を表す語彙だけでも数多い。その一言で、その人の身分や年齢が連想できると何かに書かれていた。
 この世界に誇るべき日本語が、無くなる危機的状況が2度起きた。1度目は明治維新で洋行帰りの学者や作家に母国語を英語にという運動が起ったとき。2度目は敗戦後GHQに(英語が母国語になっていれば、今よりもっと米国の属国になっていたことだろう)。

 明治・大正時代の国語学者上田万作を初め優れた先達が体を張って日本語を守ってくれた。深謝しなければならない。

 中国では「宅男」と言うオタクの聖地は大田区ではない。周知のとおり、東は秋葉原。西は大阪日本橋(でんでんタウン)だ。サブカルチャーで言えば、その聖地は中野ブロードウエイ、池袋乙女ロードとなるか。
 大田区は、東京の、ひいては日本の縮図と言える。「太田区」と書き間違われやすいが、前身の大森区と蒲田区とが合併しそれぞれ一字を採っているから「大田区」。本当なら大と蒲の字を採用してもよさそうなものだが、英語表記がOKAMA-KUになるのを避けたのであろうか(そんなことあるわけないか)。
 大田区は、東京23区総面積の9.6%を占め、一番大きい。現在は便宜上4地域に分けられ、北西の調布地域、北東の大森地域、南西の蒲田地域、糀谷・羽田地域と区分する。
 調布地域は、言わずと知れた高級住宅街田園調布がある。長嶋茂雄氏を始め作家、歌手等多くの著名人が住む。といっても、セレブタウンと言われるほど超高級住宅街と言われるのは田園調布3丁目あたりのごくわずかな地域で、ちょっと高級そうな住宅地へと変貌しつつあると『日本の特別地域⑨ これでいいのか 東京都大田区』に書かれている(高級住宅街と言えば、何といっても芦屋の六麓荘。銀行員時代に車で外観を見回ったことがあるが、大企業のサラリーマン社長ではとても住める所ではない)。
 なお、田園調布郵便局は、東急の田園調布駅の近くにあるのではなく、西島三重子さんの歌で知られる『池上線』(蒲田駅~五反田駅)の中間あたりの雪が谷大塚駅から3~4分の所(近くに田園調布警察署、田園調布消防署も)にある。
 ちなみに、郵便局の斜め向かいに往年のアイドル林寛子さんのカラオケサロン『寛寛』(カンカン)がある。往年の彼女を知る高校の同級生が上京の際に案内すると、すごく喜ばれた。
 北西の調布地域が山の手なら北東の大森地域、南西の蒲田地域は下町と言える。蒲田地域は日本の物づくりを支える中小企業のメッカと言える。世界に羽ばたく、タシロイエール、ツクモ電子工業、三信精機、下町ボブスレー、桂川精螺製作所、北嶋絞製作所等がある。TV化もされた、池井戸潤氏の小説『下町ロケット』もモデル企業はないとするも舞台は蒲田となっている。
 “両班”への憧憬から抜け出せない韓国人は、物づくりを良しとせず、一流大学から財閥企業へとしか考えない。韓国経済は日本の中小企業依存から脱却するのは容易ではない。  
 蒲田地域はB級グルメの宝庫とも言える。羽根つき餃子は食の地場産業と言えるほどに拡大した。蒲田3大餃子、長男の『ニイハオ』、弟の『金春』 (コンパル)、妹の『歓迎』 (ホアンヨン)に加え、『春香園』、『大連』(大森)も、長男八木功氏の一族。八木氏は旅順から中国残留孤児として45歳の時帰国。八木氏の料理と人柄に魅かれた地元の人々78人のカンパにより小籠包と焼きまんじゅうをヒントにした羽根つき餃子の店が誕生したという。
 餃子の店だけではなく、とんかつの店も蒲田に多いという。“とんかつ御三家”と言われる、(TV番組『ラヴィット!』にて俳優上川隆也さんが食べるを待ち望んでいたと言う)『とんかつ檍(あおき)』や『丸一』、『まるやま食堂』がある。
 蒲田の鳥料理『鳥樹』もよい。若鳥の水たきや唐揚げが美味しい。私は品川区旗の台駅に近い東口店を公私に亘ってよく利用させてもらった。
 蓮沼にお好み焼き『福竹』がある。店の売りは、大女将の技と口上。大女将の焼くお好み焼きは小麦が少なく分厚くふっくら(断面は骨粗鬆症の骨みたい)焼くのは技術がいる。うるさく、やや高圧的な物言いは賛否が分かれる。私ら4人で行った時も評価は半々に分かれた。10年以上前になるかグルメ雑誌『大人の週末』にこの店が掲載され、推奨人に世界の王貞治さんが載っていた。大女将が人により態度を変えると思わないので、よほど王さんは懐の深い人物だと思ったことを覚えている。
 さらに、蓮沼では欧風カレーと透明であっさりとした志那そばの店『インディアン』も有名。セットで頼むと先に志那そばが出てくるが、関西人の私でもスープの味が薄いと感じる。頃合いを見てカレーが提供される。カレーを食べた後スープを飲むとちょうどよい塩梅になってくる。たしか初代は資生堂パーラー出身と何かで観たが、よく計算されていると感じた。
 洋食店も、大きな生姜焼きが評判の『ぐるり スズコウ』が有名だが、大森には、大森海岸の『洋食入舟』はアジフライ、カキフライが美味しい。インドカレーでは、南インドカレーの先駆け的存在の『ケララの風Ⅱ』があった。
 ちなみに、南インドカレーは、他には、船堀『ゴヴィンダス』、虎ノ門『ナンディニ』に加え、TV『孤独のグルメ』Season8で紹介された小川町の『三燈舎』ぐらいしか私は知らないが、都内に50店ほどあるらしい。
 仏国・伊国・中国と同じく印国も北は肉中心で、南はシーフード主体で、さらにさらっとしているので北インドカレーより南インドカレーを好む。ランチでミールス(南インドのベジ料理を中心とする定食)を食べることが多い。上述ケララの風Ⅱ(前身『ケララの風』)の店主はミールスが認知されてきたので、ティファン(南インドの軽食)を世に広めたいと『ケララの風モーニング』で再出発したという。この前そのティファンを食べに大森に出かけた。辛くなくさっぱりしている。これなら毎朝食べても苦にならない。ただ、北インドの人はカレーと認めないかもしれないと思った。昼には蒲田に足を延ばし手軽に一品ずつ揚げたてが食べられる『天ぷらすずき』の暖簾をくぐった。
 糀谷・羽田地域は、言わずとしれた、成田空港と並ぶ日本の空の玄関口羽田空港がある。最近隣接して(天空橋駅) 先端産業と文化産業を融合させた大型複合施設『羽田イノベーションシティ』もできた。
 この他、大田区は、青果の大田市場があり、公営3大ギャンブルの内競馬場(大井)、競艇場(平和島)がある。競輪は隣の川崎に行けばよい。国立大学も一つあるし、他に無い物と言えば、大きな音楽ホールか。私にはそれぐらいしか思いつかないが。
 いい事ばかりの大田区ではあるが、一つ不満がある。押上から京急蒲田駅から近い上記ニイハオに行くのに私は都営・京急を利用する。乗り換えなしで便利なのだが、そこから池上線沿線に行くのに不便を感じる。それ以上に不満感が擡げてくる。
 京急蒲田駅から東急池上線蒲田駅まで10分前後かかること自体はとくに珍しいこととは言えない。栃木県の東武宇都宮駅からJR宇都宮駅へ行くのに徒歩で20分はかかる。
 私が独身の頃芦屋と神戸との境に近い神戸市の東端に住んでおり、下町を通る阪神芦屋駅を通勤に利用していた。阪神芦屋駅からJR芦屋駅には北東に10~15分歩く。さらにJR芦屋駅から山手を通る阪急の芦屋川駅に行くには北西にまた10分~15分かかる。不便ではあるが、不満は感じない。これが、JR芦屋駅と阪急芦屋川駅が隣接していて阪神の芦屋駅だけ離れていたら、下町に住む住民は不満を感じるに違いない。
 不満感が擡げてくるのは、東急(多摩川線・池上線)蒲田駅とJR蒲田駅が隣接しているのに、京急蒲田駅だけ離れている、そのためだろう。私は大田区民ではないのだが。

 (次回195号は8/1アップ予定)