2023.10 NO.197 ほうか VS あほうか
TVドラマはBSかWOWOWで韓流ドラマを観ることが多い。今年見た中でも『悪魔判事』(2021年)の主人公を演じた、風間俊介さん似の人気俳優チソンさんが主演の『医師ヨハン』(2019年)と日本にはいない軍検事が主人公の『軍検事ドーベルマン』(2022年)が特に印象に残った。
年の初め日本のドラマも観ていた。妻夫木聡さんと藤原竜也さんが共演したTBSドラマ『Get Ready! 』、西島秀俊さん、濱田岳さん上白石萌歌さんがタッグを組んだテレ朝ドラマ『警視庁アウトサイダー』のサスペンス物を観た。が、なぜ出演者にそんなことさせるのか、深みの無い内容から目を逸らさせる為かと訝しく思った。
『Get Ready! 』では刑事課の婦警が意味もなくよくコケる。男性刑事がむやみに大声を上げ、ドアに大袈裟にぶっかる。このドラマだけかと思っていたら、『警視庁アウトサイダー』でも上白石萌歌さんに場にそぐわないコミカルな動きをさせる。サスペンス物の緊張感を一時和らげるユーモアはあってよいと思うが、不自然なコミカルな動きは必要がなく白けさせる。脚本の問題なのか、それとも監督の問題なのか。
その点、木村拓哉さん(以下「キムタク」)主演のフジドラマ『風間公親-教場0-』では重苦しい中堀田真由さん演じるユーモラスな言動が束の間空気を和ませていた。しかし、視聴者からは批判的な意見が出ていた。最終回も中途半端で終わり、その翌週の特別編で私も明らかになると思ったが、単なる総集編でしかなかった。キムタクドラマとしては視聴率が低かったが、キムタクの問題ではなく、脚本を含め制作サイドの責任だと感じた。
アンチも多いキムタクだが、孤高としての立場を崩さずストイックさを貫く点においては大谷翔平選手、羽生善治棋士と同様に、私は好きなのだ。何を演じてもキムタクでしかないと言われるが、同じく何をやってもトムはトムでしかないと言われ、アカデミー賞にも縁がないクルーズさんも私は好きだ(演技派の、トム・ハンクスさん、アル・パチーノさん、韓国のナングン・ミンさんも好みではあるが)。
ともかくも教場0を最終話まで鑑賞した(歌手Uruさんが歌う主題歌『心得』もドラマにマッチして心に染みた)。
第1話では、赤楚衛二さん扮する瓜原新米刑事が、交番勤務から刑事に転進し刑事指導官の風間に冷徹に試され、打ちのめされる。胃痛に悩まされるだけではなく無力感に陥る。「嘘をついて逃げ出そうとした。交番勤務に戻れ!」と風間から宣告される。
その箇所を観て、私は45年前3長銀の内の一行へ調査トレーニーとして出向したことを思い出した。私は調査マンやエコノミストに漠然とした憧れは抱いていたが、それに向けた勉強はしている訳ではなかった。当時勤務していた新宿支店で6か月の海外研修に受験すべく英会話の試験にパスする必要があったのだが、自信がなくどうしたものかと思っていた。その矢先、支店長から調査トレーニーの話があると持ち掛けられ、渡りに船とその話に飛びついただけだったのだ。
先進銀行に赴き、東大卒の行員らに圧倒されカルチャーショックを受けた。私を担当するトレーナーは、初めて外部の行員を指導するということもあり非常に熱心に、公私に亘り指導してくれた(私はその後の人生の師と仰ぐのであるが)。
債券を買ってくれるお客さんの地方銀行へのサービスの一環として適当にあしらってもよいのだが、私の独身寮まで来て、部屋を見て、こんな生活ではダメだ、給料の1/3は本代に使うものだと諭された(自発的に日本橋高島屋へ行き8万円もする本棚をまず購入した)。
指導も風間のような冷酷さはなかったが、私の書いた文章をわざと部内で一番きれいな女子行員の近くのテーブルで「これは何だ!?」と指摘される(男は怒られたときの態度が大事ということらしい)。わざわざ自宅に呼んで徹夜で添削してくれる。「他人の書いたものを使うな、自分で見たこと聞いたことだけを書く」「引用する場合は出典を明記せよ」「・・・等と書いているが、等には何があるのか。ないなら書くな」「文章は短く簡潔に」とこまごま注意される。
メジャーリーグの大谷選手だけではなく、プロの世界では体力がものを言う。調査の分野でも、体力が必要と悟る。体力がなくなれば頭が回らない。こまごまの注意も気を配るとゴルフのイップスのごとく一字もペンが進まなくなった。さらに、銀行員の枠を超えた目立つトレーナーを快く思わない同僚が私に「大変だろう?」と耳元でささやいてくる。調査部長は私の席の近くに来て「悩んだフリして遊んでいる」とひとりごつ(部長自身真剣に悩めば涙とともに何かは出ることを体験から知っているのだろう)。
場違いな所に来たと私は逃げ出そうとした。しかし、かなり追い詰められたとはいえ銀行員を辞めるのは躊躇したし、またいろんな人に迷惑がかかる。思い留まりトレーニー期間満了まで続けたのではあるが。
私の職業人生での大きな挫折、汚点となった。だが、潰れてしまった訳ではない。私の中で何かが割れた。そこから本性が現れた。好戦的で、我を押し通す性格が(仕事ではプラスになったが、可愛げは影を潜めていく)。
韓流ドラマに比べて予算が少ない日本のドラマの中で、より低予算と見られる、古びた校舎が舞台の『女神(テミス)の教室~リーガル青春白書~』。このドラマは、法科大学院(ロースクール)における法曹を目指す受験生たちの群像劇。法科大学院生としてはレベルが低いとの批判コメントもあったが、我ら門外漢の視聴者にとってはあまり専門的になってもついていけない。難関の司法試験に向け、受験生がどんな生活、どのような想いを抱いているのかが垣間見れてよかったと思っている。
最終回まで飽きることなく連続して観たのは、私の知人たちの生き様を通して司法試験に大きな関心、疑問を持っていたからである。
高校3年で同じクラスになってバスで一緒に帰るなど親しかった同級生と地元の大学を受験した。私は合格し、彼は不合格となった。それ以来10数年音信不通となった。再会したとき彼は弁護士として現れた。司法試験には8回か9回受けたという。旧司法試験ではとくに珍しいということではなかった。そういう受験生に対して、“知の巨人”と呼ばれ博覧強記の佐藤優氏は『地政学入門』(KADOKAWA)の中で、「余計な情報はたっぷり仕入れるのに、本質的なところを勉強しないこと。だから記憶が混乱して錯綜する。勉強法を間違えているんです」と言っているが。
浪人中彼はバイトに勤しむ必要のない身の上であったかもしれないが、精神的にはきつかったのではないか。弁護士になれるか分からない彼を信じて精神的に支え続けた彼女(のちの奥方)に対して彼が恐妻家であることは無理からぬことだと思った。
私が今で言う公益社団法人に居た時一時コンサル事務所に籍も持ち二足の草鞋を履いていた。コンサル先のビルメン企業に法律にやけに詳しい総務部長がいた。何度か司法試験に挑戦したが途中で夢を諦めていた。何回目かの受験の時他の試験科目の出来がよく、欲が出て、裁判官も夢でないとある試験科目に攻めて記述した。すると、まとまりがつかなくなり、失敗してしまったと聞いた。
コンサルとしての私の発言に激怒し柔道の経験のある彼に襟締めのごとく首を絞められたことがあった。後年そんな彼が経営者が代わり新たな経営者にパワハラされ精神的に参ってしまったという。私には意外に感じられたが。ある時私は某弁護士事務所に寄った。彼が雑業をしていて驚いた。予備校時代からの友人の弁護士の所に身を寄せていた。数年後彼は自裁したという。
知人の長男に小学校時代天才と他の子供たちから呼ばれていた子息がいた。当然のごとく東大法学部に合格した。そんな彼でも司法試験に一度目落ちたと聞いた時そんなに難関なのかと少し驚いた。TV番組『東大王』で脚光を浴びたという、東大法学部卒で才色兼備の鈴木光さんも、一回では合格しなかった。翌年合格し(さすがと言うべきか)渉外弁護士を目指しているという。
生きた経済には答えがないが、クイズ番組など答えがある世界ならば記憶力に優る東大生が一番のハズ(昔の東大生はそんな当たり前のことを自慢するようなマネはしなかった。記憶力の高さは感じるが、知性は感じられない。もっとも、志には関係なく、TVクイズ番組『東大王』等の出演を青春の一ページとして割り切っているだけかもしれないが)。
司法試験は、明確な一つの答えがある数学の試験問題のようにはいかないと思うが、答えのある世界に違いない。
それなのに、東大生や卒業生が苦戦し、その一方で、私が証人として出廷した民事裁判で私に尋問した弁護士は本当に司法試験に合格したのかと疑う、阿呆かとあきれる弁護士もいた。
当時、私大生が多く合格している。そして私大出の法曹人の不祥事が目立つ。私大は、司法試験に向けてのテクニックに傾注し、法曹人としてのあるべき姿を教えていないのではとの疑問を浅学かつ短絡的思考の私は抱いていた。
そんな(感覚的でしかない)私の独断と偏見の中で、新司法試験制度の下2004年にロースクールが開校されることになる。それから19年経過してドラマ化された上述の『女神(テミス)の教室』は、ロースクールの意義とあり方について我々に問いかけている。
現役裁判官でロースクールの教員をする、北川景子さん扮する主人公柊木雫は、法曹人としてのあるべき姿を教えようとする。そんな柊木に対して、山田裕貴さん演じる、天才肌の藍井仁教員は、司法試験に合格しなければ意味がないと反発する(次第に柊木に感化されていくが)。
及川光博さん演じる代表の守宮清正は「どちらか一人が欠けてもいけない。二人が必要」と言う。あるべき姿を教えても司法試験に合格しなければ意味がない。だからと言って傾向と対策やテクニックばかりでは予備校と変わらない。
そのロースクールは今過渡期にあるという。新司法試験制度では、ロースクールを修了した人だけが司法試験を受験できる。ただ、それでは経済的に余裕のない人は司法試験に受験できなくなるので、「予備試験」を受験して合格した者にも受験資格が認められている。
ところが、その例外の予備試験の合格者の合格率が97.5%と高い(予備試験の最終合格率は例年3%前後で、そもそも予備試験自体が非常に難関)。ロースクールは司法試験に合格しても時間がかかりすぎる。ロースクールへの入校者も減り、廃校する大学が増えてきた。
暴論的私見だと批判されそうだが、偏差値の低い人が集まる大学がロースクールを廃校することについては驚かない。最難関の国家試験とも言われる司法試験を合格する為にはそれ相当の学力が必要であり、それに見合う大学だけロースクールの開校を認めても本来おかしくない。しかし、それは差別にあたるから全大学に開放したに過ぎないのでは。
現実問題として補助金が出ると飛びついても運営ができなくなる大学が出てくるのは当初から予想できたことではないか(そうだとしても、ドラマの柊木がいるロースクールのような趣旨に沿って真面目に一生懸命取り組んでいるところは数字だけを見て補助金をストップさせることは無いようにすべきではあるが)。
ロースクールからの2022年合格率を上位から見てみると、京都大学68.0%(119人/175人)、東京大学60.9%(117人/192人)、一橋大学60.0%(66人/110人)、慶應義塾大学57.5%(104人/181人)となっており、本来?の趣旨に適っており、ロースクール存続に意義がある。
予備試験ルートでは予備校に通って受験すること多いだろうから、それだと旧司法試験と変わらない。私は、権力側に立つ裁判官、検事は法科大学院に通い法曹人としてどうあるべきかもじっくり考えてもらいたいと思う。とくに裁判官にあっては、死刑か無期懲役かは裁判長の胸三寸でもあるからして。
私は公益社団や業界団体で東大卒の学者と接する機会が多くあったが、東大卒の学者たちは東大卒としてのプライドを持ち、その裏返しとして責任感も強く、奇をてらうこともしない。私心をより抑えられるだろうし、既存秩序を守るには東大卒が適していると理解した。法曹三者の中で権力側に立つ裁判官や検事は東大卒の法曹が向いていると思っている。
私が“裁判官の鑑”として尊敬するのは、私が若き日憧れた石田芳夫棋士、武宮正樹棋士等多くの名囲碁棋士を輩出した木谷道場の総帥木谷實九段の次男で、東大法学部卒の木谷明元裁判官(現弁護士)。冤罪・1997年東電OL殺人事件の一審で無罪となったネパール国籍のゴビンダ被告人に対する検察側の勾留請求に応じなかった。長い物には巻かれず正義を貫き、退官後も冤罪被告人の救済に尽力しておられる。なお、本冤罪事件については本ブログ2013年10月号NO.28 (「ゴビンダとゴビンタ」)を参照願いたい。
青木理氏の『時代の異端者』(河出書房新書)によれば、(検事が起訴するかどうかを決め)起訴した案件の99.9%が裁判官に有罪とされる中で、木谷判事は無罪判決を30件以上出し、そのすべてが無罪で確定しているという。
ドラマ『イチケイのカラス』における、主演竹野内豊さん扮する「入間みちお裁判官」を裁判官に導いた「駒沢部長」のモデルの一人は木谷氏だとされる。
だからと言って、東大卒の裁判官なら問題がないとは言うつもりはない。東大法学部卒の岡口基一判事が弾劾裁判で被告席に座らせられている。
岡口判事については、彼の本も読み、“裁判所改革の星”と期待したが、まさかパンツ一丁の半裸姿をネット上に披露したり、我々庶民が眉を顰める発言をするとは夢にも思わなかった。
皇族が憲法の枠組みを超えた特別な存在にも拘わらず憲法上の権利に言及すれば国民から異議の声が上がる。同じく、裁判官は罪人とはいえその命を奪う権限を持つ権力者側にありながら権力者側から抑圧される側の庶民のごとく「表現の自由」「言論の自由」を主張すれば、法曹界だけではなく国民から批判されるのは、私は当然だと思う。裁判官が国民から信頼を失えば法による秩序は揺らいでしまう。
「司法の独立」を盾に岡口判事を擁護するグループがあるが、権力者に屈せず正義を貫くために「司法の独立」があるのであって、一判事の(国民が見て)非常識な言動を守る為にあるのではないと思う。
一小市民の私でさえ、自らを律している。首相のシンパからすれば、上から目線で時の権力者を批判する私を何様のつもりだと怒っていよう。下ネタの持ちネタなら読者に受けるに違いないと思っていても、掲載を躊躇する。頭が悪いと自覚するも開き直って日本がこれ以上落ち目にならないようにと願う発言を、こんな奴が偉そうに首相らを批判しているのかと思われない為に。裁判官ならなおさらに。
岡口判事は最高裁からの支配と戦っていたハズ。厳しいが、岡口判事は人生を賭けて戦う場を間違えているとしか思えない(ただ、7/26の弾劾裁判第8回公判の中で「岡口氏が来年4月の再任を希望しない」ことが弁護人から明かされ、弾劾裁判が途中で打ち切られ、任期満了の退官扱いになる可能性も出てきたという)。
日本国憲法76条は「すべての裁判官は、その良心に従い、独立してその職務を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」とする。後述の裁判官OBの瀬木比呂志氏によれば、実態は「すべて裁判官は、最高裁と事務総局に従属してその職権を行い、もっぱら組織の掟とガイドラインによって拘束される」とする。そのために、司法試験を1、2回で、しかも最優秀な成績でパスした者を囲い込み、民間との接点も遮断する。純粋培養する (司法の独立がエスタブリッシュメントによる既存秩序を脅かすことを恐れるため。より邪推すれば、日本の法秩序を守るとの使命感からではなく、歴代最高裁上層部の支配欲、エゴだと言える)。
そのため、司法試験勉強に勤しみすぐに社会から隔離された若い裁判官だけではなく、『犬になれなかった裁判官』(日本放送出版協会)を上梓した東大法学部卒のベテラン裁判官安倍晴彦氏でさえ報酬に対しての発言は庶民感覚からずれていると思う。
弁護士界、財界から裁判官が浮世離れした判決がすくなくないと批判され、弁護士界から法曹の一元化が要求される。それに対して、法曹の一元化を忌避したい裁判所側は 裁判員制度(2009年創設)でかわす。
それから14年ほど経つ裁判員制度は、辞退者が6割を超えると報道があったが、その報道もされなくなったか。もう辞退率は7割に届いているのだろうか。私は本ブログ2011年11月号NO.5(「サイパン と サイバン」)で裁判員制度を批判したが、国民の間にも裁判員制度の問題点が広く周知されてきたか。『絶望の裁判所』(講談社現代新書)の著者瀬木比呂志元裁判官が裁判員制度を主導した最高裁長官の私心を暴露したことの影響もあるか。
国民の負担も大きい裁判員制度をもう止めて法曹の一元化を図るべきである。
キャリア官僚も他の省庁へ出向したり、海外に留学する。裁判官も若いうちは検察庁や弁護士事務所に出向し、社会経験、人生経験を豊かにし、視野を広げればよい。上述の私も、出向し、挫折はしたが、先進銀行の仕事への厳しさ、物事の考え方を学んだ。親元の銀行に戻ってからは、“井の中の蛙”の行員がほとんどの中で頭角を現すことができた。
東大出に限らず、他の国立大出でも私大出でも、弁護士からも、実績だけではなく人格と見識が優れた者を裁判官に登用できるように法曹制度を変更すべきであろう。
(次回198号は10/1アップ予定)