2023.1臨時号 NO.184  り VS  ひ
 前々号(11/8掲載182号「こなもんVSこんなもん」)、前号(11/27掲載183号「トラウトVSトラウマ」)で「フォロワーがついた後すぐに解除になること」について問題提起した。
 こんなことを書くと、何かヤバそうと既フォロワーで逃げる人も出たが(女性フォロワーの方が動じないようだが)、男性A氏は、11/8の182号掲載後も11/21にフォロワーとなり、以前と同様に11/24には解除となる。11/27のNO.183号掲載後も、なおも試みてくれたが、11/29フォロワー、11/30解除、12/1フォロワー、12/2解除、12/18フォロワー、12/19の1amまでには解除とイタチごっこに終わる。
 アメブロ側が解除しているとしか思えない。ただフォロワーが元々少ないのにそんな必要性があるのかと思うが、あるとすれば、フォロワーもアクセスも多く影響力があるA氏が私のブログのフォロワーになることを嫌がるということなのか。
 私自身は作家内舘牧子女史流に言うと「終わった人」。所詮暇人が戯言を書いているに過ぎない。アメブロ国からペルソナ・ノン・グラータ扱いを受けても特段不都合はない。却って生き長らえているだけの生活に刺激を与えてくれる。しかし、A氏は将来ある身。多くの読者も頼りにしていよう。A氏の心意気には感謝しかないが、こんなことで不利益を被ることがあれば、申し訳ないし、望まない。
 フォロワーになるメリットの一つはブログが更新されると案内がくること。フォロワーにならずとも掲載日が分かるようにしたい。最近掲載日はマチマチだが、新年1/10から掲載日を2か月に3回(10日→翌月1日→20日)のローテーションに戻して更新していきたい。換言すれば、奇数月は10日に掲載。偶数月は1日と20日(臨時号)に掲載となるようにしたい(それ以外の日に掲載する場合あれば特別号として別建てとする)。

 今年最後の今回は「左利き」がテーマ。私は生来左利き。小さい頃近所の悪ガキに「ぎっちょ ぎっちょ」とからかわれた。「ぎっちょ」は、現在差別用語か。
 物心ついた頃には食卓で親に箸の持ち手を注意された。向かいに座っている、右利きの兄と同じ側に箸を持っているので、兄と一緒で何が悪いのと抵抗した。4つ上の右利きの兄はわざわざ私の後ろにまわって箸の位置が違うだろうと教えてくれた。それでも直らなかった。
 養老孟司氏の『遺言。』(新潮新書)を読むと、銃は右利き用にできているので、戦前の学校では左利きを右利きに直していたという話が出てくる。戦後においても、その名残りか昭和32年小学1年の折怖いおばあちゃん(50歳には届いていなかったかもしれないが、小さい私にはそう思えた)先生に何度か注意されているうち、私は直に右手で書くようになった。故石原慎太郎のように目をパチパチさせる副作用も出なかった。
 お蔭で、今も箸とペンは右手で持つ。以外は、ボールを投げるのも、絵具を塗るのも、尻を拭くのも、ミスしたときエヘッと頭をかくのも、みな左手。洋画を観てると、ダブルベッドの右側に夫(建前は利き手で妻を守れるように)が、左側に妻が寝ている。ホテルに泊まった時私は左側に位置どる。
 しがない人生を振り返ってみて、左利きで得したことがなく、いい思い出もない。
 草野球をしても、自身の左利き用のグラブを持ち合わせていない時クラブを他人から借りられない。右利きの人のグラブを無理やりはめても何とも具合が悪い。内野を守る時はいつも一塁だけ。花形のショート、サードは守れない。憧れた長嶋茂雄選手の三塁からの華麗なスローイングを真似することもできない。野球というスポーツは右利き用に作られている。
 楽器も、弦楽器は右利き用なら弦を張り替えないといけない。私自身も少学3年のときウクレレを兄から引き継いたが、長続きしなかった。ポール・マッカートニーさんも左利きだから、単に才能がなく熱意が湧かなかっただけかもしれないが。
 18歳になるとパチンコができるので早速試したが、当時手打ち式で、右手の親指でレバーを弾く。左利きは右手では弾く加減が難しく、左手の親指で弾こうとするが、レバーを左から右下に撫でる形になり却って加減が難しい。姿勢もくの字に曲げ恰好も悪い。左手で連続して球を入れ右手で連射できる右利きの人を見て、連発銃に対してこちらは火縄銃かと嫌気がさし、すぐにパチンコ店には行かなくなった。
 タバコも、チャレンジしたものの、体に悪いものを無理して覚えなくてもと止めてしまった。大人の仲間入りは酒と成人映画だけだった。昭和44年当時ピンク映画と呼ばれ、パートカラーで情交の場面になると急にモノクロからカラーに変わる。ある時、神戸新開地の映画館で80歳を優に超えたヨボヨボの老人が私より前々列に座っていた。カラーに変わった途端、老人はぬくっと立ち上がり身を乗り出した。思わず笑ってしまうと同時にこれが長生きの秘訣かと理解した(その理解に対する「自信」は50年後和田秀樹医師が最近肉とともにAV鑑賞を薦めているのを知り松坂大輔投手の名言を借りれば「確信」に変わった。年老いてもAVを観て男の原動力と言える男性ホルモンを刺激している殿方に対して「役立たずのくせに!」と嘲笑ってはいけない。元気で長生きしてほしいと思う奥方は)。
 余談だが、人気作家万城目学氏のエッセイ『べらぼうくん』(文春文庫)を読むと、作者が高校3年生の時大阪新世界のオンボロポルノ映画館に行ったときの話が出てくる。館内は当時の新開地より新世界の方がガラが悪いと思った。

 昭和48年銀行に入行してからも、左利きで少し苦労をした。研修で札勘定の練習をする。札勘定には縦読みと横読みがある。縦読みだけでは新札など札がくっついたりして数え間違いもあるので、扇形にお札を広げて5枚ずつ数えていく。縦読みは(左手でもよいハズだが)右手の親指で札を繰っていくので、左利きの場合どうしても敏捷性に劣る。模擬紙幣50枚タイム競争では右利きの人に後塵を拝した。当時オンラインでなくオフライン端末機であったが、右利き用に設計されていた。新人時代はハンディと感じた。
 ゴルフはもっと悲惨だった。新宿支店に居た昭和50年頃ゴルフを覚え始めた。左打ちゴルファーをレフティと呼ぶが、当時レフティが少なく、ゴルフ道具のレフティ用が少なかった。岡本綾子プロや野球の王さんは左利きなのにゴルフは右で打っていた。超一流のアスリートと違い右では飛距離が出ないので、レフティで通したのだが、いいことは何もなかった。練習場では、混んでると、右利きの人とお見合いになる。目が合えば気まずいし、なにしろお互いソケットしたら相手の顔面にゴルフボールが当たりそうで怖い。多勢に無勢。すごすごと一番左の打席に。皆に尻を向け、壁とお見合いする。すこしでもスライスすればすぐ左側のネットにかかってしまう。惨めで卑屈な気分になったものだ。今はSDGsで左利きにも優しいらしいが、当時銀行の支店コンペでは、支店長に「何か調子が狂う」とイヤミを言われてしまう始末。
 そんな左利きが一時脚光を浴びることがあった。麻丘めぐみさんが歌う『わたしの彼は左きき』がヒットしたが、私には実際にそう言ってくれる彼女もいなかった(母親を恨みたいが、可愛く産んであげたのにと逆ギレされ、憤懣遣る方無し)。イケメンなら、アリスが歌う『秋止符』の「左ききのあなたの手紙 右手でなぞって真似てみる」と言われることもあろうが。右手で鉛筆を持ち、書いて直すときは、消しゴムに持ち替えせずとも、左手で消しゴムを使い、両手使いが出来る(2/10は二刀で「左利きの日」ではなく、「0210」が英語のレフトと読めるからとか)。それを見て便利だねと言われても、それぐらいでは全然帳尻は合わなかった。

 不憫な私とは違って、世の中には左利きで才能を開花し成功した者は少なくない。2016年の週刊ポストの特集記事によると、アイオワ大学の研究者ベンボウ氏は「アメリカの大学入試SATを平均より5年早く受験し、数学試験で高得点を挙げた英才児291人の利き手を調べたところ、左利きの割合は平均の2倍だった」と報告している。
 左利きは、右脳の発達を促すので、数学や音楽、美術、スポーツなどの才能に優れるとする。まさに左利きに天才が多い。実際、プロ野球では、サウスポーのピッチャーは右打者から球が離れるところが見やすく不利と言われる。が、それを物ともしない大投手がいる。メジャー史上最高左腕投手故サンディー・コーファックス、メジャーのオールスターでNOMOと投げ合ったランディー・ジョンソン投手や日本のプロ野球で400勝を挙げた投手故金田正一、オールスターで連続9奪三振の離れ業を成し遂げた江夏豊投手がいる。
 サッカーでは、さきほど悲願のWC優勝を達成したメッシ選手や(ペレ選手と並ぶ)レジェンドの故マラドーナがいる(WC連覇を逃すも得点王となったエムバペ選手の利き足は右足であるが、ペンは左手で持つ。右手から左手に変える人はいないだろうから左利きと認めてよいか)。今WCで2ゴールを挙げた堂安律選手も左利き。

 テニスは、ボクシングと同様、サウスポーが少なく相手がやり辛い利点がある。マッケンロー男子プロやナブラチロワ女子プロとか左利きの超一流プロがいた。
 美術の世界では、ルネサンス時代の三大巨匠(レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)も皆左利きと言われる。天才画家ピカソも左利き。科学の世界でもニュートン、アインシュタイン、エジソン、ダーウィンという天才科学者たちも左利き。
 音楽の分野では、神童モーツアルト、楽聖ベートーヴェンとウィーン古典派三大巨星のうち2人が左利きと言われる。歌手では、天才歌手故美空ひばりも左利き。松崎しげるさんもそうだ。左利きは全体の10%と言われるが、こんなにも左利きの天才たちがいる。

 血液型で言えばAB型も天才型と言われる。AB型も全体の10%と言われ、左利き、AB型両方に該当する人は1%しかいない。それに加え36年に一度の五黄の寅年生まれ(気学・九星の「五黄」と干支の「寅年」とは、どちらも強運で、二つ合わされば最強運と言われる。今年はその五黄の寅年にあたる)になると0.03%にも満たない。鬼に金棒と言え、大天才が誕生しても不思議ではない。
 その3つを合わせ持つ日本人を私は二人知っている。一人は日本を代表するプロサッカー選手。WCの3大会連続でゴールし今WC2022では解説者としての解説が話題となり「代表監督待望論」がSNSに上った、左利き、AB型、1986年五黄の虎年生まれの本田圭佑選手。もう一人は何を隠そう私自身。左利き、AB型、1950年五黄の虎年生まれだ。ただ、残念ながら何事にも例外がある。当たり外れがある。
 妻は物欲が強くなく野心には縁遠い。それで助かったが、それでも機嫌が悪い時の妻は私に向かってハズレとイヤミを言う。妻なりに思い描いていたプチ左団扇で暮らす生活が左前になって行ったのを故として。

2023.1 NO.183  トラ VS トラウ
 前号(NO.182:11/8掲載)の冒頭でフォロワーがついた後すぐに解除になることについて問題提起した。しかし、11/21に2人の方がフォロワーになられたが、やはりすぐ解除状態になった(九州の方は翌日。ON&OFFが続くもう一人の方は3日後に)。問題提起するも、功を奏さずか。

 私自身のスタンスは「来る者は拒まず」。もし当人が解除してないのなら、アメブロの管理人に問い合わせ願えればと思う。

 自意識過剰と思われるかもしれないが、私はアメブロ国にとってペルソナ・ノン・グラータなのかもしれない。それなら、それで、上等だ。私が尊敬する、ユダヤ人の多くの命を救った故杉原千畝もソ連からペルソナ・ノン・グラータ扱いを受けた。「月とすっぽん」ではあるが。

 

 さて、今サッカーのWCで日本中が盛り上がっているが、ここではMLBで活躍の大谷翔平選手をとり上げる。今季のMLBにおけるア・リーグMVP争いは、ア・リーグのホームラン記録を塗り替え、ホームラン王と打点王の二冠に輝いたヤンキースのジャッジ選手に軍配が上がった。
 米国人は、二刀流の方ではなく、その後からの年間60本、通算714本のホームランキングとしてのベーブルースを敬愛しているとも言える。
 大谷選手ファンとしては、どうせならジャッジ選手が三冠王になってくれていた方が諦めがついた。三冠王の価値は数値化できないから。
 大谷選手が2年連続の受賞を逃しても、規定打席、規定投球回をクリアした、史上初の“完全二刀流の樹立”が輝きを失うことはない。
 MVPを選定する際の有力参考指標とされるWAR(打撃や走塁、守備、投球を総合的に評価して選手の貢献度を表す指標)は前季ジャッジ選手10.6、大谷選手は9.6とした。二刀流の存在を前提としているとは思えない。
 大谷選手は、下記成績のとおり、打者として昨年MVPを争ったゲレーロJR選手と同じような成績を上げ、投手として今季防御率2位で「13試合連続自責点1以下」のメジャー新記録を作ったシース投手と遜色ない成績を上げている。ひとりで二人分(しかも主砲級の打者とエース格の投手)の働きをしているのにMVPにならないのは、常軌を逸していると言えるだろう。
 米国で行われるMLBで、米国のファンが、ナイスガイの米国人でしかも人気チーム・ヤンキースに所属するジャッジ選手の活躍に欣喜雀躍してMVP! MVP!と叫ぶのは理解できる。が、そんな感情がないWARがジャッジ選手を推すのは指標として不適格と言えよう。
  <投手成績>
 2021年 23試合、 9勝2敗、防御率3.18、
奪三振156、奪三振率10.77、WHIP1.09
 2022年 28試合、15勝9敗、防御率2.33、
奪三振219、奪三振率11.87、WHIP1.01
 VS シース投手
 2022年 32試合、14勝8敗、防御率2.20、
奪三振227、奪三振率11.10、WHIP1.11

 ※WHIP =(与四球 + 被安打) ÷ 投球回
<打者成績>  
 2021年 打席数537、打率.257、本塁打46、
打点100、OPS.965(出塁率.372+長打率.592)
 2022年 打席数586、打率.273、本塁打34、
打点95、OPS.875(出塁率.356+長打率.519)
 VS ゲレーロJR選手    
 2022年 打席数638、打率.274、本塁打32、
打点97、OPS.818(出塁率.339+長打率.480)

 WARの問題点については、ある米記者が、こう指摘している。
 「WARは守備負担の違いを考慮するためにポジションごとの補正が加えられ、捕手や遊撃手が大きく数値加算される一方で、比較的に負担の小さいとされる左翼手と右翼手、一塁手、先発投手の評価は低く「0」。大谷が登板日以外に“主戦場”としてきた指名打者に至っては無条件でマイナス評価が下されるのだ。このマイナス評価によって1.7ポイントを損失しておりこれを加算すると、ジャッジの10.6を上回る11.3になる。この結果は、投手と指名打者を兼務する偉才の『価値』を数値化しきれていないとも言える。」
 この記事は、WARの問題点は前から指摘されていながら、日本時間10/6のレギュラーシーズン終了後(ワールドシリーズの成績が影響しないよう)即30人の記者がMVPの投票を済ませた後に報じられた。
 記者の投票前は、ジャッジ選手が有力との記事が多かった。米記者サイドに限らず、今年はなんとしてもジャッジ選手にMVPをとって欲しいと言うのが大方の意思ではなかったか。なぜならマリスの持つ実質年間ホームラン最高記録をジャッジ選手が更新した記録的な年にMVPになれないなら、毎年大谷選手がMVPに固定されてしまうと思うからではないか(凱旋門賞で日本競馬界の至宝ディープインパクトが敗れた時もう日本馬で勝つことはないと悄然と諦観した日本の競馬関係者やファンの当時の心境を思い起こす)。

 前代未聞の「W規定回数達成」を正当に評価するために、WARよりより簡単でもっと分かりやすい指標として下記TWV(Two-Way Value)指数を提案したい。
 TWV指数=OPS指数1.0(主砲級の働き) ×当該OPS指数+ WHIP指数1.0(エース級の働き)÷当該WHIP指数(1より低い程よい)
 2022年度の大谷選手のTWV=1×0.875+1÷1.01=0.875+0.990=1.865となり、いわゆる1人で1.8人前の働きをしていることが分かる。これに対し、ジャッジ選手を当てはめるとTWV=1×1.111(OPS=出塁率O.425+長打率0.686)+1÷0=1.111にしかならない。ジャッジ選手は安打数177の内62本のホームランを打っているが、仮に安打のすべてがホームラン(4塁打)だとする。それでも長打率は177本×4塁打/570打数=1.242で出塁率0.425をたしてもOPSとTWVは1.667にしかならない。大谷選手がどれだけ凄いことをしているか実感できるだろう。
 現MVPは、二刀流の大谷選手が独占することがないよう、MVB(Most Value Batter)に改変し、大谷選手も打者の成績だけで他の野手と競う。投手もMVPの対象であったが、サイ・ヤング賞だけとし、大谷選手は投手成績だけで他の投手と競うことにする。なお、選考は従来どおり記者による投票とする。三冠王や完全試合など数値化できないものも加味する必要があろうから。
 新MVPは別名KOB(King Of Baseball)とする。上記評価指数はTWV(Two-Way Value)指数とする。なお、新MVPについては記者の投票方式ではなく、打率、防御率と同じく数値のみで評価するものとする。
 二刀流は、二刀流の経験がある同僚ロレンゼン投手も言っていたが、大谷選手がハードルを上げてしまった。それで、次の二刀流の選手が出現しにくい。大谷選手が二刀流を卒業すれば次第に増えてくるのではないか。
 新MVPは、大谷選手が引退後Shohei Ohtani賞に改名する。なお、二刀流として評価されるためには、対象の条件として、下記を設ける。
  A:当該打席数/規定打席数(502)+B:当該投球回/規定投球回(162)≧1.25

 ちなみに、今季の大谷選手は666/502(1.33)+166/162(1.02)=2.35。2人前以上の働きをしている(成績では1.8人前)。
 大谷選手が超人的なだけで1.25は対象条件として低くない。仮にコール投手が投手中心で二刀流に挑戦したとしたら、B=200.2(今季の投球回)/162=1.23で、0.02不足を補うために10打席(502×0.02)分打席に立つ必要がある。200回(>先発33試合×6回)投げること自体が容易ではなく、1.25の条件をクリアすることは楽ではない。
 
 進化を続ける大谷選手は来季どんなパーフォーマンスを見せてくれるだろうか。投手としては、本ブログ2022年10月号NO.179(「しょうへいvsしょうらい」)で、今季は13勝と予想したが、15勝を挙げた。通算で28勝あげたことになる。先発で100勝の大台まであと72勝。15勝ペースで後5年で達成できる。
 今季の防御率は2.33だったが、防御率に直接係わる自責点の内訳を見ると、先発28試合の内自責点0の試合が10試合、同1点が7試合、同2点が6試合、同3点以上が5試合。その自責点3点以上の5試合で自責点を24点とし総数43点の56%を占める。
 その5試合とは、米時間4/14のレンジャーズ戦(自責点6)で満塁ホームランを打たれた。開幕前の労使交渉が難航し春季キャンプの開始が遅れ、まだ本調子ではなかった。同5/26ブルージェイズ戦(同5点)では先頭打者にホームランを打たれる。初回にホームランを打たれるのは球にキレがない為で、敗戦投手で終わりやすい(ちなみに、今季28回先発登板し、被ホームラン0本は18回で敗戦投手になったのは開幕戦と最終戦だけ。被ホームラン1本は7回でその内4回が敗戦投手。被ホームラン2本は2回でどちらも敗戦投手。被ホームラン3本は1回で敗戦投手)。
 同6/2ヤンキース戦(同4点)で前季1回も持たずにノックアウトされたトラウマはないと思うがヤンキーススタジアムのピッチャーマウンドとの相性も悪いのか打ち込まれジャッジ選手にもホームランを打たれた(ヤンキースファンから過大評価と野次られた)。同7/12ブレーブス戦(同6点)では、味方打線が不振の中強力打線に対して6回まで完璧な投球を続け0対0の均衡を保っていたが、7回四球を出し次の打者に2球目のスプリットが高めに浮きホームランとされてしまった。緊張の糸が切れ心が折れて降板させるべきであったが、そのまま続投し傷口を広げる。監督代行が自身の責任とコメントした。同8/21タイガース戦(同3点)では先頭打者の初球をホームランとされる。4回までに4四球と乱調で降板。食あたりにより朝から体調が悪かったことが判明した。
 たらればに過ぎないが、仮にその5試合自責点を平均2点に止めておれば、5試合の自責点24は10となり、総自責点43は29に減り、防御率=29÷166(投球回数)×9回=1.57となる。それはすこし厳しいとしても、その5試合自責点を平均3点に止めることはできるかもしれない。それでも防御率1.84と2点を切り、奪三振率1位と併せてサイ・ヤング賞もバーランダー投手と受賞争いしていたことだろう。
 大谷選手には、スライダーには「横滑り」と「縦落ち」があり、それに曲がり幅の大小があり、さらにスピードの緩急もある。加えて新魔球シンカー (ツーシーム)を投げ始め、右打者は真ん中から体にくいこんでくるシンカーを見せられた後では甘く入ったスライダーでも対応しづらい。来季は是非防御率を1点台、WHIPも1を割り込み、サイ・ヤング賞を受賞してもらいたい。
 唯一心配なのは、ルール改正により来季より「投手は走者なしの場面で15秒以内(走者ありの場面で20秒以内)に投球すること」義務づけられること。
 日本人選手は少年野球から投げ急ぎをしないよう指導されているから大谷選手もそのような投球スタイルになっている。今季何度も捕手のサインに首を振っている光景を多く見た。解説の今中慎二氏はスタッシー捕手が出すサインにはスライダーが数種類あるのではと言っていった。ルール改正により時間に急かされて大谷選手が本当に投げたいボールが投げられないことが心配される。
 
 打撃の方は、投手の時ほどに進化しているとは言えない。今季の二刀流は“投高打低”が顕著になったと言える。大谷選手本人や解説者は前季より良くなったと認めているようだが、ファンの私としては、欲深いのか、素人だからなのか、そうは思わない。たしかに打率は向上した。来季以降は「大谷シフト」が禁止されるから一二塁間の強烈なライナーやゴロがヒットになる確率が高くなり、3割近くまで打率が上がる見方がある。
 しかし、大谷選手は、アベレージヒッターではなく、ホームランバッターとしてはどうなのか。長距離砲の指標と言えるOPSは昨季より下がり0.9に届かなかった。現役最高峰の打者トラウト選手は2011年~2022年の12年間の平均で打率は0.303と3割を超え、OPSは1.002(出塁率0.415+長打率0.587)と驚異的。43試合欠場した今季においてもOPSは0.999で、ホームランもジャッジ選手に次いで40本を打ち長期離脱がなければ50本を超えジャッジ選手と本塁打王争いをしただろうと見られている。
 ジャッジ選手も2016年~2022年の7年間の平均で打率は0.284、OPSは0.977(出塁率0.394+長打率0.583)と高い。
 米時間8/31にヤンキースのエース・コール投手から30号ホームランを放ったとき、9月からジャッジ選手とのMVP争いの為にもホームラン40本、打点100、もう少しのOPS0.9台を目指して大谷選手は最後の追い込みをかけると見ていた。
 米時間4月~8月までホームラン30本の内訳は、右翼席15本、左翼席9本、バックスクリーン6本。もっとも月間ホームランの多い8月(8本)は、右翼席3本、左翼席3本、バックスクリーン2本。半数以上がバックスクリーンより左であった。
 上記本ブログNO.179にて、ある専門家の見方を紹介した。「不調時の大谷は、より強く振ろうという意識が強いせいか、見た目にも引っ張り傾向が強く出る。体を開かず、じっくりと引き付け、ボールの内側から叩いて外に押し出す。左打者である大谷がこのように打てば、当然センターからレフト方向へと飛ぶようになるが、これが面白いほどに伸びていく。引っ張った時とは逆に、ややボールの下にバットが入ることでバックスピンがかかり、打球はいつまでも落ちてこない」
 8月末までは、そのように打つべくバッターボックスに立った時右手をセンター方向に振り上げ、そうイメージしていた。ところが9月に入ると、それがなくなり引っ張る傾向が顕著になった。打つポイント体に近いのに引っ張れば、球が上がらない。ゴロになりやすく、米時間9/11に34号を放ってから最終戦の同10/5までホームランが1本も出なかった。メディアはそのことを報じるべきなのだが、アベレージヒッターでもないのに連続安打ばかり報じていた。
 ホームラン(4塁打)が出なければ、OPSも打点も上がりにくく、結局OPSは0.9台に乗らず、打点も100打点に到達しなかった。二刀流が正当に評価されない中ではこれで大谷選手の今季のMVPはないと残念ながら確信した。
 今シーズン終了後記者からの問いに答えて、最終盤ホームランに届かないことに関し、飛ばないボールも影響していると答えた。今季のボールが飛ばないのは5月頃にはもう言われていた。嘘をつく大谷選手ではないので、鉄人の大谷選手は自身で気がついていないが9月には疲労が蓄積していた影響ではないかと思う。それで引っ張る打ち方にならざるをえなかったのではないか。
 今大谷投手が大谷打者と対戦すれば、インハイのカットボール、外角高めのフォーシームで2ストライクに追い込み、外角低めのシンカーかバックドアのスライターで3球3振に仕留める公算が高い。
 スラッガーNO.1、NO.2のトラウト選手、ジャッジ選手は、どしっと腰を落としコンパクトに(大谷選手のバットと長さは変わらないハズだが)太短いバットで鋭くミートするイメージ。打撃フォームが違う大谷選手は腰高で細長いバットを大きく振る。芯を外すことが多い印象がある。
 カウントをとりに来た高めの速球を仕留められるようにできるか、打つポイントをもう少し前にもってくるのか、今オフ大谷選手がどう修正して来季現れるか、楽しみにしたい。

 来季もエンゼルスでプレーする大谷選手はシーズン終了後FAとなる。今から金満メッツや(ジャッジ選手が抜けた場合の後釜に)ヤンキースが狙っていると報道されているが、気候もファンも厳しい東海岸の球団には、お宮のダイヤモンドのようには大金に目が眩まない大谷選手は行かないと思う。結局エンゼルスに残留すると私は見ている。
 まだ新オーナーが決まっていないが、大谷選手の存在で買収金額が吊り上げられ、買収後大谷選手に逃げられれば、踏んだり、蹴ったり。大谷選手が去るということは、世界中の大谷ファンもスポンサーも離れることを意味する。新オーナーも大谷選手残留に全力を傾けるだろう。
 ボスとも言える主砲のトラウト選手も大谷選手残留への希望を公言している。それが嘘でない証に、大谷選手の登板時センター方向への捕れそうもないボールをダイビングキャッチしようとしユニホームを汚す。他の野手も同じだ。それを意気に感じない大谷選手ではないだろう。
 大谷選手は、いくら頑張っても、バリー・ボンズ選手の通算762本塁打、ノーラン・ライアン投手の通算5,714Kに追い付くことはない。このレジェンドの二人に肩を並べられるには二刀流を極めるしかない。
 メジャーリーガーになれば、国会議員が皆大臣や総理大臣になりたいと思うのと同じで、誰しもチャンピオンリングが欲しいと思う。
 今季のワールドシリーズは、大谷選手に対しメガスターと敬意を表してくれるベーカー監督率いるアストロズが制した。20年前エンゼルスに大逆転負けし唯一持っていない勲章を名将が得たことに対して、私も我がことのように喜んだ。
 しかし、大谷選手がプレーオフに進出すれば、二刀流としての寿命が縮まる。「神様、仏様、稲尾様」の二の舞になりかねない。ワイルドカードで進出すれば最大22試合(ワイルドカード戦3試合、地区代表選5試合、リーグ代表戦7試合、ワールドチャンピオン戦7試合)も出ることになる。レギュラーシーズンだけでもヘトヘトなのに(最多18勝、防御率1位1.75でサイ・ヤング賞に輝いたアストロズのバーランダー投手もPSでは防御率5.85と疲労と緊張からか本調子ではなかった)。
 とくに、来季は3月にWBCがある。参加意向の大谷選手は日本代表として凱旋出場する公算が高いが、その影響で来季は例年の9月より早い段階で疲労の影響が打者としての方に出てくることが心配される。
 とはいえ、エンゼルスの打線は、下記を見るように、ケガや故障がなければ、プレーオフに進出するチームとそん色ない。同投手陣も、今季15勝を挙げたドジャースのアンダーソン先発左腕投手を獲得した。若手投手も今季より活躍が期待できる。補強された来季はプレーオフに進出するかもしれないのだが。
 打線(敬称略)1番ウォード(左)、2番トラウト(中)、3番大谷(DH)、4番レンドーン(三)、5番ウォルシュ(一)、6番レンヒーフォorソト(二)、7番レンフロー(右)、8番スタッシーorオホッピー(捕)、9番フレッチャーorウルシェラ(遊) 
 体力的に二刀流が可能な間は大谷選手はエンゼルスに留まるのではないか。私はそう思いたい。

2022.12 NO.182 こなもん VS こなもん

 本文の前に気になっていることをまず書かせていただく。

 2011年7月号より掲載し始めた本ブログは私と家族にまつわる下世話なエッセイと時事問題を扱うコラムの基本2本立てである。が、コラムでは、2016年60号前後から安倍首相などの公人や著名芸能人などの準公人の問題への批判を強めた以降世間に受け入れられるか案じられたが、一人でも「いいね!」がつくと安心した。
 もっとも、新しいフォロワーがついたと連絡が入ると嬉しさより不安がよぎる。ここ1、2年、フォロワーになって数日後解除されるケースが少なからずある。3か月ほど継続して4、5号読み「つまらない」「考えが違いすぎる」と解除するのは理解できる。せっかくフォロワーになったのに次号も待たず慌てたかのように解除される。私の知らないところで何に気づかれたのか気にかかる。

 ブログを読む限り真っ当と思しき2人の方のケースにはより困惑している。先月に、一人の方は過去フォロワーになり数日後解除していたがまたフォロワーになりまた数日後解除した。もう一人の方は、過去フォロワーになり数日後解除したがまたフォロワーになりまた数日後解除したのは前者と同じだが、さらに10/25にフォロワーとなり、翌26日に解除された。なおも11/3もフォロワーとなり11/5には解除されていた。何が起きているのか。
 もしかして、解除したのはフォロワーになった当人たちではなく、当人たちは私が解除したと思っているということなのか。そうだとすれば、一体何を意味するのか。
 

 

 ウクライナ戦争は膠着し長期化の様相にある。その中で、西側の報道によれば、キーウ近郊のブチャでロシア軍により虐殺があったとされる。第三者の機関により、その真実と、上からの指示なのか現場の暴走なのか、調査する必要があろう。
 ただ、戦争の中では、兵士は普通の精神状態にない。ある意味そうでないと困る。異常な精神状態にないと人は殺せない。戦前の日本軍にも、今も徴兵制のある韓国軍にも、理不尽なしごきやいじめを受けるのは、その為もあると言われている。
 ロシア兵によるレイプ等は国連性暴力担当代表が「軍事的な戦略」との見方を示す。が、異常な精神状態に戦場での性的な飢餓状態が加われば、最も獰猛な部類がロシア兵だとしても、どこの軍兵士も、程度の差はあれ、よほどの自制心がなければ猛獣化する。反抗で攻める側に転じているウクライナ兵においても、西側から情報が流れず実態が分からないが、ウクライナ内ではないとしてもロシア領土で戦闘すれば同じことをする者が現れよう。

 厳しく軍本部から自制を指示されていた戦前の日本兵でも白髪三千丈の中国が大虐殺と呼ぶのはともかく南京虐殺も起きた。 

 飼い主の元から猛獣が逃げ出し住民を襲っても猛獣自体を批判する者はいない。戦争するほどのことでないのに戦争したロシア・ウクライナ両大統領が非難されるべき。さらにそれを仕向けたバイデン米民主党大統領も。明日の米国中間選挙で審判が下るのか。
 

 地球の氷河期と氷河期の狭間の温暖期に生を受け、戦争のない日本で育ち老いを迎える私たちは、奇跡的と言えばオーバーすぎるが、幸運としか言いようがない。20年後には確実に私はこの世にいないだろうが、下記みたいな「こんな呑気な話をする平和な時代があったのか」と言う日が来ないことを願う。
 関西は粉もん(食)文化と言われる。私が子供の頃そんな呼び方はなかったと思うが。大学生の頃私は172.5㎝、51~53㎏。子供の頃は“もやし”とあだ名されていた(今も貧弱だが約20㎏も無駄に増量している)。関西のもやしは細くひょろ長いので、痩せっぽちの私はそう呼ばれていた。関東のもやしは太短い。皮もしっかりしているので、そば焼きに入れると存在が主張しすぎる。映画の主役を喰う脇役みたいで嫌われる。関西のもやしは入れてもそばの邪魔にはならない。
 私は、やせっぽちでも172㎝まで育ったのは、牛乳ではなく、ひとえにメリケン粉(小麦粉)のおかげだと思っている。
 昭和32年からの小学校の6年間は神戸下町の近所の駄菓子屋でたこ焼きを毎日のように喰らっていた。たこ焼きの中には定番のタコではなく、小さなこんにゃくの角切りが一つ入っているだけ。丼に10個ほど入れ、上から出汁をかけ、たこ焼自体には刷毛でソースを塗っていた。
 中学にあがると、駄菓子屋が閉店したこともあり、お好み焼き屋に連日通い、そば焼きを食べていた。二つ玉(そばの量がダブル)で具は好みの生タコ(茹でタコはおいしいエキスが無くなっている)を注文していたように思う。上記のお好み焼き屋とは違う店にも通っていたのだが、店主のお婆さんがいないときはがっかりした。嫁いできた義娘が代わりに作るのだが、美味しくないのだ。同じ材料でも料理人の腕で味が変わることを子供の頃にすでに私は理解していた。ともあれ、粉もんの代表格たこ焼きとお好み焼きで私の原型が形づけられた。
 その後は今日まであまりたこ焼きは食べなくなった。たまに、卵をたくさん使ってよりふわふわした「明石焼」を食べる程度となった。なお、本場の明石では「玉子焼き」と呼ぶ。「明石焼」と呼ぶとすれば観光客向けではないか。関東風のおでんを関西人は「関東だき」と呼ぶが関東人は「おでん」としか言わないのと同じ。ちなみに、関西で「おでん」と呼ぶのは名古屋風の味噌おでんのこと。
 お好み焼きについても、関東との違いに少し触れてみる。吉本の芸人さんが「お好み焼きでご飯を食べる」とTV番組で話すと、関東のタレントさんが炭水化物をおかずに炭水化物を食べるのかと不思議がる。その場合の「お好み焼き」とは広義のお好み焼きを指している。つまり、関西で言う所の(広義の)お好み焼き=(狭義の)お好み焼き+そば焼き(うどん焼き)+モダン焼き+広島焼き(亜流扱いかと、広島焼きをTHEお好み焼きと主張する広島県人は怒るが)等となる。それで関東のように「焼きそば」と言わず「そば焼き」と呼ぶことになる(関西でも中華料理であれば「焼きそば」と呼ぶ)。
 神戸っ子の私は家で作る(広義の)お好み焼きをおかずに白米を食べた記憶はない。しかし、銀行員時代ランチにお好み焼き屋で「そば焼き定食」(時間のかかる、狭義のお好み焼きはランチタイムに不向きでその定食はなかった)をときどき食べていた。そば焼きにごはんと味噌汁とお新香がセットになっていた。関東の人でもラーメン、半チャーハンセットは食べるであろう。それと変らないと思うのだが。
 大学生になった頃は、たこ焼きに限らずお好み焼きもよく食べたという記憶がない。ラーメンとか餃子、豚まん(関東では肉まん。関西では「肉」は牛肉を意味するので、それで豚まんと呼ぶ)をよく食していた。これも広義での粉もんと言えるだろう。

 結婚し、子供がまだ小さい頃、家でお好み焼きをつくることが多かった。親戚に作ってもらった厚さ1㎝強の鉄板にて。子供たちはそば入りのお好み焼きを好んだので、鉄板に半分ぐらいのそばを先に乗せ、その上からお好み焼きの生地(小麦粉、山芋、卵、出汁、天かす、青ネギ、紅ショウガ)をのせた“変わりモダン焼き”というものよく焼いたものだ。
 昨今は、神戸から本籍も移し東京人の端くれの私だが、中身は関西人なので、もんじゃ(と納豆)はどうにも好きになれない。キャベツをたくさん使いヘルシーだと女子にも人気の高い広島焼きをよく外食していた。
 数年前、亡き母の法事で神戸に戻った時足を延ばして、まだ降りたことのなかった広島に夫婦で向かった。広島・新天地にある『お好み焼き村』に立ち寄りある店に入った。
 カウンターに座っているのに、白い陶器の皿に乗っけて出された。これでは何の為にカウンターにいるのか分からない。隣にいた地元の子供が皿を口元に寄せ箸で犬食いしていた。食べ辛いことこの上ない。思わず「広島のお好み焼きってこんなもんか!?」と啖呵を切ろうとした。その時、顔に直ぐ出る単細胞の私の顔を見て危険を察知した妻が、私の袖を突き、目配せした。焼いていた店員のTシャツの袖から立派なタトゥーが覗いていた。それがどうした! それしきのことでビビるとでも思うのかとの強がる素振りも見せず、妻からの無言の忠告を受け入れた。

 大きなコテ(関東はヘラ。コテコテ、ヘラヘラの形容詞とは共に無関係)を両手に持つ店員に対し客だから何を言っても安全ということはない。ましてや知らない土地で(駿河のすし屋で客と刃傷沙汰になり塀の内に入るすし職人がいたと聞く)。
 東京に戻り、広島ではどの店もそうなのかと行きつけの広島焼きの店で聞くと、店によると言っていた。お好み焼き村で空いているからと安直に入ったのが、いけなかっただけらしい。
 その時の旅は原爆ドーム、鎮魂のために創られたひろしま美術館、安芸の宮島に行くのが目的だった。時間的に余裕なく、東京でも名の知られた『八昌』には行けなかった。
 それが心残りだったので、天然ふぐ目当てのひとり旅で博多、下関に行った折(2017年2月68号「ふぐ VS ふく」参照)広島まで足を延ばした。薬研堀にある名店八昌の創業者が別の店に移っていると知り、幟町のその店に行き、お好み焼き(広島焼き)を堪能した。
 東京にある広島焼きの店より1.2倍はあろうかというでかいお好み焼きに驚いた。それが大きな鉄板に10数枚並んでいる様は壮観の一言。創業者らしきシルバーグレイの小柄な大将がしきりにコテでお好み焼きを上から押し付けていた(もやしやキャベツの水分を飛ばすためであろうが、関西のお好み焼きはコテで押さえつけるのはご法度)。
 八昌が使用する卵は噂どおりキミが双子の卵であった。味は、ようやく念願のと言えるほどの感慨はなかったが、中のそばがパリパリで、私好みだった。麺を茹で、水で洗い(麺に腰をつけるため?)、鉄板の上に乗せた後ヤカンで上から油を注いでいた。東京では、その頃よく立ち寄った神田『カープ』、旗の台『秀』は麺は柔らかい気がしていた(他の有名店も名前は知っているが、テーブル席に鉄板を敷かず、白い陶器皿で出す店には訪れないので、麺が柔らかいか否かは不明)。
 生ビールを頼んでちびちび飲みながらカウンターで待っていたが、ジョッキがすっかり空いてしまった。店が空いているときでも20分はかかるだろう。私は昼時の込んでいるときに八昌に辿り着いたので、席についてから30分以上待たないとありつけなかった。手間を惜しまないのが秘訣なのかもしれないが、店主もきっと気の長い人だと思った。
 せっかちな東京人ならとても待っていられない。東京で麺が柔らかいのは、好みの問題というより、麺がパリパリになるまでの手間(時間)を省略しているためかと勝手に納得した。
 
 念願の八昌訪問以来お好み焼き屋には足が向いていない。とくに最近は新型コロナ禍もあるが。
 糖尿病を心配する身になった。私を形作った粉もんも老骨の身にはもう不要ということなのだろう。だが、作る分には問題ない。ジジイと言う妻と違いジイジと呼んでくれる可愛い孫たちが皆小学校に上がる頃になれば、家に遊びに来たときは昔取った杵柄でお好み焼きを振る舞ってあげたいと思っている。

2022.11臨時号 NO.181  だ VS き
 2月から始まったウクライナ戦争における世界の関心は敗勢にあるロシアのプーチン大統領が核兵器を使用するか否かに移っている。

 プーチン大統領の誕生日前後にプレゼントならぬクリミア大橋の爆破がなされた。ウクライナによる公算が高いが、プーチン大統領は、ロシア領土への攻撃と見做せば、核兵器による反撃をせざるを得ない。テロ行為として捉え、核使用を自重している。攻勢に図に乗ったウクライナの軽挙は弱っていた虎の尾を踏み、厳冬を前にして重要インフラを破壊させる格好の口実を与え、その軽挙の代償は戦火は去ったと思っていたキーウ住民等ウクライナ国民がより酷い形で負わされる。ロシアは、今後もロシアの劣勢が続く中核兵器の前に生物・化学兵器を使用してウクライナ国民に危害を加え、国民の厭戦感情を醸成させていく狙いか。
 非核保有国ウクライナの大反抗が続き、敗戦しそうになっても、ロシアが核兵器を矛として使えず敗れ去るのであれば、他国で一番困るのは、人民の生活を犠牲にして核開発を推し進めてきた北朝鮮の金王朝であろう。北朝鮮は陰に陽にロシアを支援するのではないか。

 核の(戦争)抑止力は、今は核保有大国同士の間で働くと思われているが、もともとは非核保有国が核保有国から核攻撃されるのを避けるために戦争が抑止されることを意味していた。今回非核保有国ウクライナのゼレンスキー大統領が防衛のための戦争とはいえ核保有大国ロシアと戦争しているのは、無謀なのか、それとも米国から核の傘を保障されていると思うからなのか。
 西側から補給を受けるウクライナと違い、ロシアは戦力が枯渇したのか、プーチン大統領は停戦する用意があると言い出した。
 米時間11/8の中間選挙に向けウクライナ戦争への関与が中間選挙にプラスにならないバイデン大統領が停戦に動くことはないのか。ロシアが戦術核でも使用してしまえば、米国は対応に苦慮する。反撃しなければ米国の威信は地に堕ちる。反撃すれば、ロシアが米国本土への戦略核攻撃の構えを見せる(双方が破滅する米ロ間の戦略核戦争は起きないだろうが)だけで、「なぜウクライナの為に米国が」と国民からバイデン政権が見放されよう。水面下で米国はロシアへ強力な圧力をかけているだろう(窮鼠に猫が脅しても効果はどうなのか)。

 攻勢のウクライナは停戦に応じないかもしれないが、それなら米国が支援を止めると言えばウクライナは敗れるしかなくなる。それとも中間選挙で予算の先議権を有する下院は共和党が掌握するのが確実で、今のうちにと支援を強化しているのか。それは危険ではないのか。

 手負いの獅子が第三次世界大戦を起こす(防衛研究所高橋杉雄室長は戦術核と違い戦略核兵器なら兆候は事前把握しづらいという)前にもう停戦の方に動くべきではないか。キューバ危機においてはソ連が一触即発直前に回避した。今度は米国の番ではないか。
 バイデン大統領が動かなければ、今行われている党大会で国家主席の3選が決まるハズの習近平氏が、ロシアというより独裁者としてのプーチン大統領の窮地を救うべく、3選後の初仕事として両国とも友好関係にあるロシア対ウクライナの戦争における停戦を仲介することはないのだろうか。

 

 日本は地政学的には“北東アジアのウクライナ”と言える。中国、北朝鮮、韓国、ロシアと対岸の近隣諸国は皆反日国になっており、同盟国の米国ははるか海の東方の先にある。ウクライナ戦争を他山の石として、日本はウクライナの二の舞を演じてはならない。
 日本は核保軍事大国と戦争などできない。陸続きのウクライナと違い島国日本は核兵器を落とされやすい。1945年の時のように。
 元自衛隊幹部の福山隆氏, 宮本一路氏による『ロシア、中国、北朝鮮が攻めてくる日』(幻冬舎新書658:改訂版)にて、最悪の事態は、「米中のパワーバランスが逆転し、米国が北東アジアから撤退する。日米安保条約は米国から一方的に終了を通告されること」という。
 軍事関係者があらゆるシュミレーションを行い最悪の事態を想定することは必要であり構わない。が、「最悪の事態」は、最も悪いケースであるとともに最も起こり得ないということ。それを国民向け公開する必要はあるのか。一度ならずも二度までも。国民の不安をさらに煽り、日本のタカ派(「保守」=「タカ派」ではないからメディアは「タカ派」を「保守」とオブラートに包むべきではない)の政治家が防衛費増大に利用するだけ。
 上記著者の両人は「自分の国は自分で守らなければ」と言いたいのだろうが、それを受けて「通常兵器を増強すれば抑止力になる」と言う政治家らは、戦前の軍部と同じで自分の都合のよい見方でしかない。
 現実問題として核兵器が地球上から無くならない以上、米国が日米安保を破棄すれば、(核兵器廃絶を訴えるも)日本は自前で核を保有するか、他の核保有国の傘に入るしかない。
 NPT(核兵器不拡散条約)における核保有国と非核保有国との橋渡しをしている日本の核保有を世界が許さない。国際連盟の脱退のように強行しても中国・北朝鮮が許さない。日米同盟を破棄した米国ならいつ自国に向けられるかと阻止しようとする。世界最強の米中二大強国を同時に敵に回すことが真の最悪の事態なのだ。
 結局、米国の傘が無くなれば、中国、ロシア、北朝鮮からの核攻撃の脅威から逃れる為には、中国と同盟を結び、中国の核の傘に入らざるを得ない。昔から朝鮮半島を中国が併合しないのは、辺境にあり、大量の兵力と財力を使って農業生産に適さない地域を支配するのは得策でないとする地政学的要因が主因と言われる。が、さらに朝鮮人は、他のアジア人と同じく頭がよく、その上自尊心が高く、理屈をこね回し、しつこく、扱いにくい(あり得ないことが延々と続く韓流ドラマを観て国民性の違いを痛感し日韓交渉で日本側が根負けしとりあえず謝ってドツボに嵌ってしまうのが理解できた)からではないか。楽観すぎるかもしれないが、日本人も、優秀かつ勤勉で中国人を凌駕し、主要中枢に食い込んでくると警戒し併合されることはないのではないか。
 米国が北東アジアを放棄するとした場合、日米同盟関係を解消するのは、置き去りにされる日本の方から(ただ、横田基地に勤務経験がある元CIA職員のスノーデン氏は日本が日米同盟を破棄すれば社会インフラが麻痺すると暴露しているが)であり、米国の方は、日本が中国の同盟国となり中国と一緒に攻撃してくる危険性が高まるので、よほど日本が体たらくでなければ米国自ら日本との同盟関係を破棄するというのは現実的ではない。
 現実的な問題としては、“両雄並び立たず”の米中2大強大国が緊張関係になるのは、共に破滅する戦略核戦争ではなく、中国の太平洋への進出という野望のため日本を占領しようとするとき。通常兵器による米中戦争が勃発する。当然日本が戦場となる。日米同盟軍が人民解放軍に敗北すればより悲惨だが、勝利しても、我々庶民は犠牲となったウクライナ住民と同じ運命を辿ることになる。
 日米同盟を堅持しながら、米中が日本を戦場として戦わないよう中国に対して挑発的ではなく友好的な関係を維持し、働きかけていくことがウクライナの二の舞にならない良策であろう。米ソ冷戦時代は野党の社会党がその役割を担っていた。今は立憲民主党や社民党にそれが期待できない。連立与党ながら公明党が、自民のタカ派路線に追従するのではなく、その役割を、平和の党として担ってもらいたい。

 

 中国よる日本の占領があるとするなら、その前に台湾有事が起きると考えられる。昨年12月に防衛大学校の元教授村井友秀氏により『日中危機の本質』(PHP研究所)が上梓された頃まではいつ台湾有事が起きても不思議ではないとの雰囲気にあった。
 しかし、1年も経たないのに今は、中国が22年振りに台湾白書を発表し、「平和的な統一のために最大限の努力を続ける」とし「武力行使は放棄しない」とトーンダウン。今党大会でも「武力放棄は断固として約束せず」と言いう(人民解放軍も「武力行使を辞さない」とでも言ってもらわないと肩に力が入らないだろう)。私には、中国が米国に「台湾に軍事進攻しないから、ちょっかいを出すのは止めて欲しい」と言っているように聞こえる。
 習近平国家主席に過去軍事進攻する気があったとしても、クワッドの枠組みの強化、バイデン政権によるトランプ政権からの台湾への軍事支援の継承に加えて、ウクライナ戦争でのロシア軍の苦戦ぶりを見て、中国一国で西側の先進国連合軍と相まみれるのはリスクが大きいと理解したであろう。戦争下手な中国にそんな蛮勇心はなくなった。
 中国が脅しによるペロシ米国下院議長の訪台阻止も米国に無視されメンツを潰されても、直接米国に対抗措置はとれず、怖がってくれる台湾、日本に対する軍事演習・示威行動で(国内向けにも)虚勢を張るしかない。

  ロシアはプーチン大統領一人の独裁体制、失敗してもすぐに失脚するわけではない。中国は中国共産党の一党独裁。習国家主席が3選されるが、失敗すれば、北戴河会議の長老たちから習国家主席は解任されてしまう。
 不動産バブル崩壊、ゼロコロナ政策等で習政権も盤石でなくなった。経済の立て直しが急務。台湾との統一問題は秀吉型から家康型に戦略変更していると見るべきだ(もっとも米国は警戒心と圧力を緩めてはならないが)。
 元々覇権・戦争観が違う。米国は将棋型。相手を滅ぼし世界を統治する。中国は囲碁型。陣地をより多くとり中華帝国を拡大する。よって中国は米国に太平洋の2分割統治を呼びかけたりする。
 バイデン民主党政権も「一国二制度」は認めている。蔡英文台湾総統も「現状維持」(一国二制度は容認できないが、さりとて完全独立には動かない)を表明している。台湾を防御する目的は地政学的な見地のほかに最先端を行く半導体ファウンドリTSMCの確保であったが、米国(アリゾナ)に日本(熊本)にTSMCの工場が建設される。それを阻止する行動を中国はとっていない。米国としても台湾を守るべき緊急性はないとみられる(当のTSMCは米国への従属姿勢はとらず中国にも工場を持ち、最先端ナノ技術のチップは台湾で製造し独立性を維持する構えと『2030 半導体の地政学』の著者太田泰彦氏がそう述べる)。台湾有事は遠のいたと思う。

 そんな中で、増税してまで、防衛費を無理に増やす必要はない。再生産に寄与しない、例えば、不足しているからと弾薬を大量に保有しても耐用年数が過ぎればただの鉄くずになる。今やるべきことは遅れているサイバー戦への対応だ。
 本当に日本の危機だと認識すべきことは、日本は、少子化と、私を含め2024年から年間150万人以上死ぬことにより、2100年には日本の人口が6,000万人に半減すると言われることだ。
 日本が縮んでいくその長期的な課題に取り組むべしとの時代の要請が、清和会政権から宏池会政権へ交代させたと認識すべきだ。岸田政権は、少子化対策と経済力・技術力の強化に傾注すべきだ。
 人口が半減すれば、一人当たりのGDPが変わらなければGDPも半減する。小国になってしまう。たとえ防衛費をGDPの2%に拡大させ11兆円にしても結局5.5兆円に戻ってしまう。軍事費年間41兆円?規模の中国に軍事的に対抗させるのは土台無理。
   米中の狭間で小国の日本人が尊厳をもって生き、米中のどちらからも重んじられるには、経済力・技術力をつけるしかない。企業に喩えれば台湾のTSMCのように。

 2021年5 月号NO.151 (「ムネオハウス VS ムネオハウソ」)の文末で、佐藤優氏が紹介した東郷和彦外務省キャリア官僚の「官僚観」(「官僚」には4通りある。それは、第一が『能力があり意欲もある』、第二が『能力があるが意欲がない』、第三に『能力がないが意欲はある』、第四が『能力がなく意欲もない』のどれかだ。どれが最低かといえば、『能力がなくて意欲がある』ヤツだ)を取り上げた。そして「それは官僚よりも国のトップの方がより問題となると言うべきではないか。小泉元首相からの流れを断ち切る必要があろう。」と私は結んだ。
 ロシアのプーチン大統領は、一介のKGBの対外情報部員から大統領にのし上がったのであるから秀吉のごとく『能力があり意欲もある』にあたる。ただ、独裁者の末路裸の王様になり果てたが。
 そのプーチン大統領から、NATOとの緩衝地帯になりさえすれば、EUに加盟しようがウクライナの武装・中立を認められていたハズなのに、人気凋落からの一発逆転を狙い、ロシアに対して敵対姿勢を強め、ひいては多くの国民を犠牲にしてしまったゼレンスキー大統領は、典型的な第三の『能力がないが意欲はある』タイプだと思う。
 岸田首相はさしずめ第二の『能力があるが意欲がない』にあてはまるか。本ブログ2018年2月NO.85(「いしばVSいしばし」)の中で、私は岸田外相についてこう評している。
 「週刊ポストで外務省OBの天木直人氏に『もともと安倍首相と政治の方向が違うのに、何も批判しなかったから4年間外務大臣を続けさせてもらった。その外交も外務省の役人のいいなり。政治家としての信念がなく、総理大臣ふさわしい器ではない』と酷評された。手厳しすぎるとは庇えない。9月の総裁選に出馬するのなら、核兵器禁止条約不参加決定の折決然と閣外に去り、広島選出の国会議員としての矜持を見せつけるべきだったと思う」
 それでも、首相になり、広島選出国会議員の首相として大声を上げられ、それをレガシーにできる立場なのに、核兵器禁止条約(通常兵器で世界一の米国にとって必ずしも不都合でもない)に参加しようとしない。日本の置かれた立場から困難かもしれないが、広島県民の切なる願いを背に米国と折衝したが同意が得られず苦渋の選択との姿も見せない。その反面来年のG7サミットを広島で開催するとのお為ごかしのようなことを言って、核兵器禁止を悲願とする広島県民の神経を逆なで?する。
 先の国葬で日本の世界への影響力の低下が明らかになった中(外務省は大国意識が抜けないプーチン大統領を嗤えない)、何も決められない、5大核保有国の既得権を守るだけのようなNPTに加え (国連を機能不全にする常任理事国の拒否権が国際連盟からの日本脱退に起因し、さらに今の日本が米国の属国と思われているのに) お門違いの国連改革においても(故石原慎太郎が生前米国国務省の東京支店と揶揄した)外務省に振り付けられた通り言動しているだけのように見える。岸田首相に信念があるようには思えない。

 世襲3世議員として、広島ではなく東京でお坊ちゃんとして育ち、国会議員のレールが敷かれているからそれに乗ってきただけなのか。無難に政権運営し長期政権を図ろうとするだけなのか。安倍元首相の非業の死を目の当りにして、ますますその傾向が色濃く出てくるのか。
 権限の少ない日本の首相と言っても、権力者だ。畳の上では死ねないかもと思うのが普通なのだ。究極の権力者、独裁者の北朝鮮の金正恩総書記が若くして健康不安が何度も取りざたされるのは暗殺されるではとの恐怖心がなせるもの。軍部のクーデター、腹心の裏切り、人民の一斉蜂起、米国からの刺客等心配の種は尽きない。ロシアのプーチン大統領も暗殺に怯えを抱いている。民主主義の宗主国米国のケネディ大統領は多数のアンチ勢力が結集してなされたかのように暗殺され、レーガン大統領は好きな女優の気を引く為との非政治的事由で一人の男に暗殺されそうになった。暗殺の種は尽きない。
 明治の首相たちは、元々下級武士であり、常に死を意識していた。それに比し劣化したと言われた昭和初期の首相たちも毅然としていた。高橋是清は首相を経験したのち蔵相就任の依頼を受けた時、周りから危ないからと反対されたのに老い先が短いからと蔵相に就き2・26事件で暗殺された。
 田中角栄が米国に潰された以降日本の首相は米国をオーナーとするサラリーマン首相になってしまった。一企業ならダメなサラリーマン社長でもよい。自身が社長の間株価が維持できればと言い会社を傾城させてもその一企業が破綻するだけ。首相はそんな訳にはいかない。
 日本国、日本国民の末永い繁栄の為命を賭して自らの信ずることを断行していくのが首相というものだろう。その姿に国民は感銘を受け、国民一人ひとりも自らを奮い立たせるのだ。そうであったならば、日本が今こんなに体たらくにはなっていないだろう。
 その信念をはき違えたかのように、支持率が低迷している折に「岸田家の世襲のための公権力の私物化」と国民に疑念を抱かせるようなオウンゴールをする岸田首相には、故後藤田正晴のような大所高所から首相に忠言でき、官僚も統率できる人物が必要だが、ないものねだりはできないか。

 岸田首相自身は自民党総裁選立候補の時自民党NO.2の二階幹事長を政治的に葬ったように尻に火が付けばやる。天下の開成高校卒なら信念がなくとも考える力はあろう。代えるべき余人がいない中、黄金の3年間は真の権力者になる為の試練の期間。主権者たる国民は岸田首相に対してこの先2年激励よりもっと叱咤する方が良い。

2022.11 NO.180  んげき VS んげき
 「国防」とは、読んで字の如く国を防ること。外敵の侵略から国家を防衛することである。「国家」とは何か。一定の地域の住民に対して、排他的な主権を持つ政治組織。 国家が成立するには、「主権」「領域」「国民」 という3つの要素が必要とする。
 ウクライナに軍事侵攻したプーチン大統領は、「主権」が脅かされたら、核攻撃も辞さないと言う。全体主義国家は、主権在民の民主主義国家と違い、「人命」の位置づけが低いのか。それ故侵攻の際ウクライナの政治的中枢を攻撃せず、病院や集合住宅を破壊するのか。
 向かい打ち反撃するウクライナのゼレンスキー大統領も国民総動員令により18歳~60歳の成人男性の出国を禁止している。戦下になれば仕方ないのかもしれないが、国民の人命が失われることを考えれば、核保有軍事大国に対して核の傘もない非核保有国が戦争に向かうことにはならないハズだ(外交努力を続けていれば「武装・中立」が維持でき、国民がかくも悲劇に見舞われることもなかったであろう)。ゼレンスキー大統領は、ロシア兵の死者数の多さに言及するが、自国の兵士、住民の惨劇に触れず徹底抗戦としか言わない。
 後世から戦国の名将と呼ばれる柳川藩主立花宗茂は戦に負け知らずで秀吉から“西国無双”と称せられその恩義から関ケ原の合戦にて西軍に与したが戦いには参加できず、戻った九州・柳川で東軍に攻められた時戦わず降伏した。柳川を去るとき領民が一緒に戦うから去らないでと訴えた時、「何れも申聞けゝる所、満足なり、領内の諸人の為めに、下城致すなり」と領民を巻き込みたくなかったので降伏したと言ったという(浪人に身を落とし辛酸を嘗めるも前々から家康にも認められており後年柳川藩主に返り咲く)。ゼレンスキー大統領は後世からどんな評価を受けるのだろうか。

 ウクライナは、大統領が民主的な直接選挙で選ばれるが、前身はロシアと同じソ連邦であり、全体主義的な色彩が色濃く残っているようだ(ニューズウイークによるとゼレンスキー大統領もウクライナのすべての野党メディアを閉鎖し、野党の政党結成を禁止しているとする)。
 
 それに対して日本はどうなのか。日本は戦前全体主義国家であった。『未完の敗戦』(集英社新書)で作者の山崎雅弘氏は「日本軍は陸軍と海軍を合わせて1827機という厖大な飛行機に特攻を実行させ、3,067人が命を落とした」と書く。神風特別攻撃隊の創始者の一人大西瀧次郎中将は終戦時自決した。多くの若者の命を奪いながら我関せずと生きながらえ生き恥を晒した者も少なからずいた。
 日本はどう反省したのか。軍部は、非武装にする為としてGHQにより解体された。だが、朝鮮戦争の勃発により私が生まれた数日後の1950年8月10に警察予備隊がGHQの令により編成され再軍備に方向転換された。保安隊への改組を経て現在の自衛隊に至る。
  当初旧軍人は排除されていたが次第に旧軍人も採用されるに至ったという。しかし、形の上では旧軍部とは切り離されているので、どのように総括し反省したかは分からない。
 現自衛隊は、演習は十分積んでいるかもしれないが、一度も敵国と戦闘したことがない。ウクライナ戦争でBSの情報番組で自衛隊の幹部OBたちがロシア軍を見下す発言を繰り返す。旧日本軍が、「中国侵略において短期間で制圧できる。中国は直に降伏する」と見ていたのは今のロシアと同じ。戦術だけで戦略がないのも同じ。幹部OBからそういった観点からの言及がない。戦前の将校とどう違うのか。心強さより危うさを私は感じてしまう。
 自衛隊の現役も、中国からの脅威に対する南西諸島への基地強化に対して地元住民に対する説明がない。保護政策も後回しと言われている。
 イージスアショアの配備停止も、敵国からのミサイル攻撃による大きな被害から国民を護るために配置するのに、大事の前の小事でしかないブースーターが自衛隊内や海上に落とすことが確実でないからとして、真の事由を隠し誰も責任をとろうとしないように思えるのは戦前の軍部と変わらない。それ以上に問題なのは、政府と一緒になって、中国の領海侵犯に対して毅然とした対応をとらず気概のある姿を国民に見せないのに、敵基地攻撃など飛躍したことを言って、住民を護る代替措置が検討されず放置されているように思えることだ。
 主権者たる国民から負託された国会議員も敵基地攻撃能力改め反撃力の強化、防衛費の増大ばかり主張するが、国民の生命と財産をどう護るかは議論の蚊帳の外に置きがちだ。
 疑いの眼で見る私にすれば、未開の地と言われた台湾の「衛生」に尽力した後藤新平の志を継いだ台湾政府と違い、感染症災害の渦中にせこくコロナ利権をむさぼろうとした政治家達が今度は米国への忖度に加え国防利権が狙いだと邪推してしまう(新産業を育成し発展した産業界から政治献金を与党が受けるのが政治家としての本筋だと思うが)。
 為政者側もGHQにより排除された全体主義の問題について自身で反省することがなかったのではと言えるが、国民側も民主主義を苦労の上勝ちとったものではなく、GHQから与えられたもので、全体主義への親和性は消えていないのではないか。
 国民主権という意識は薄く、「お上」の言うことは従わなければならない。逆らってはいけないという思考回路。「お上」が代わると、平気で批判を口にし出す。憲政史上最長在任の安倍元首相に対しても同じ(後述の国葬に反対する国民の多さを見ても。あまりの手のひら返しに安倍元首相は空の上から日本人の惻隠の情はどこへ行ったかと困惑しているのではないか)。
  保阪正康氏が“平成の人間宣言”と捉えた、(前皇后陛下と二人三脚で長年に亘って築き上げてこられた象徴天皇像を無にしかねない中での)前天皇陛下による2016年8月の「生前退位への想い」を我々がもっと重く受けとめ主権者たる国民にふさわしい言動をとっておれば、政権を放任したことによる世界経済における日本の地盤沈下や貧富格差の拡大もなかったかもしれないし、安倍元首相が非業の死を遂げることもなかったのではないか。
 日銀の独立性をないがしろにしてまで、安倍政権に追従したのに、まさかその安倍元首相から“政府の子会社”呼ばわりされるとは思わなかったであろう日銀の黒田総裁に対して辞任要求の声が高まってよいハズだが、そうならない。来年4月に任期満了で退任すれば、批判が噴出することになるのか(歴代日銀総裁の中での位置づけは、歴代首相の中での近衛首相と同じ位置に固定されるのは確実だが)。
 平和ボケと言ってしまえばそれまでだが、凶弾に倒れた安倍元首相に対する警備体制もゆるく、一発目の銃声が聞こえた時近くの警官は(海外でよく見かける光景だが)元首相の体に覆いかぶさるべきなのにその場で身をかがめていただけだと警視庁0Bが批判していた。選挙関係者も、首相を辞めたとはいえ自民党内の最大の影響力を持った権力者に対して、結果論として安全面の配慮が足りなかった。選挙カーで演説するか選挙カーを壁にしておれば防げたのかもしれない。現職の首相では違っていたのではないか。
 
 日本の全体主義への回帰は憲法改正にも表れている。
 自民党の「党の憲法」とも言うべき「綱領」は、立党時の昭和30年(1955年)には「文化的民主国家の完成」「民生の安定と福祉国家の完成」と並んで「自主独立の完成」が掲げられていた。米国との戦争に負け属国となってしまったが早く真の独立をとその象徴が自主憲法制定であったハズだ。
 ところが、50年後の平成17年(2005年)の綱領では、「自主独立の完成」の文言が消え、代わりに「新しい憲法の制定を」(私たちは近い将来、自立した国民意識のもとで新しい憲法が制定されるよう、国民合意の形成に努めます。) と謳われた。
 そしてその5年後の2010年野党に下野した自民党の谷垣総裁が「改めて立党の原点を再確認するとして3度目の綱領を世に問い、現在に至る。新綱領における「綱領」の前に書かれた「現状認識」で次のように述べている。

 「家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務を誇りを持って果たす国民でもある。これ等の伝統的な国民性、生きざま即ち日本の文化を築きあげた風土、人々の営み、現在・未来を含む3世代の基をなす祖先への尊敬の念を持つ生き方の再評価こそが、もう1つの立党目的、即ち『日本らしい日本の確立』である。」
 愛国心を持ち、国に奉仕する義務を自覚し誇りを持つことが求められているのか。『日本らしい日本』とは、戦前の全体主義国家としての日本を意味するのか。下野した自民党とって、国益の「自主独立」は遥か忘却の彼方に。「日本のタカ派(保守=タカ派ではない)層からの支持を保持する」との党利が主眼となったのではないか(神戸製鋼から急遽政治家に転身した安倍元首相にタカ派としての信念があったとは私には思えない。日本のタカ派層の支持を得るために、変わって行ったのではないか。その中で祖父・父の時代から関係の深い旧統一教会関連団体にのめり込んで行ったのでは。母の洋子さんが心配するほどに。上記党利が主眼となったという見方が間違っていないとするならば、自民党がその根本を変えなければ、旧統一教会関連団体と関係を断つと言っても砂上の楼閣に終わるのではないか)。
 そして、今般の自民党の憲法改正案の中で、「『現行憲法の自主的改正』は結党以来の党是であり、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの基本原理はしっかり堅持し、初めての憲法改正への取組みをさらに強化します。」と謳う。
 今年から高校の履修科目から「現代社会」を廃し「公共」を新設しているが、「基本的人権の尊重」「平和主義」の項目は無くなっている。それで上記3つ基本原理を堅持とは、空々しい。「国民は国に奉仕する為にある」と全体主義思想を高校生に教え込むとしか思えない。
  自民党に「党是」と明記されたものはないのではないか。立党時の「党の使命」がそれにあたるとすれば、「わが党は右の理念と立場に立って、国民大衆と相携え、・・(中略)・・第六、現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行し、もって、国民の負託に応えんとするものである。」と書かれている。「現行憲法の自主的改正」はone of themに過ぎず、「独立体制の整備」、つまり「自主独立」(属国ではなく真に独立した日本)が目的のハズだ。

 田中角栄元首相が米国により潰されたと思う政治家たちは、米国に恭順の姿勢を貫くようになる。米国の政治家に「日本が反抗的な態度をとれば、脅せば直に大人しくなると舐められた発言をされてしまう。
 「自主独立」という目的が消え、「現行憲法の自主的改正」には「自主的」の意味がなくなり、単なる「憲法改正」に変えられ、いわゆる手段が、目的化している。そして、その改憲案は①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消・地方公共団体、④教育充実の4項目を提示する。
 その憲法改正の主眼は、GHQから新憲法を押し付けられたとの象徴である、長年護憲派と改憲派が論争してきた第9条、とくに2項(戦力不保持、交戦権の否認)の改正ではなくなっている。自主独立には第9条の改正は不可避であるが、米国に従属するなら米国との集団的自衛権が可能となればそれでこと足りるということか。
 それで何故自衛隊を憲法に明記する必要があるのか。国民は自衛隊を認めているのに。安倍元首相は自衛隊員とその家族が肩身の狭い思いをしていると煙に巻いた。
  自衛隊は、国内においては軍隊でないとしているが、海外では軍隊と見做されており、自衛隊員が他国の軍隊の捕虜となった場合はジュネーブ条約の適用を受け戦闘員としての捕虜の権利を享受できる。今のままでも自衛隊員が不利益を被ることはない。
  あるTV番組では「自衛隊違憲論の解消」という見方を示していたが、憲法に明記されたからと言って違憲論者が黙る訳ないだろう。
 『自衛隊と憲法』(増補版)において著者の憲法学者木村草太氏によれば、軍を持つ国の憲法は、軍の指揮権や派遣の手続きについて規定を設けて、軍をコントロールするのが普通だが、日本国憲法にはそういった規定が一切存在しない。憲法第9条に基づき、軍を置かないことが前提になっているからだとする。言い換えれば、主権者たる国民は内閣や国会に軍事活動を行う権限を負託しないことを決断したことを意味するという。さらに、自衛隊は、憲法9条2項が禁止する「軍隊」ではなく、憲法72条が規定する「行政各部」と位置付けられるとする。
 そこで、公明党北側副代表は、「(憲法9条)1、2項堅持は大前提だ。そこを改正しようと言うなら賛成できない」と断りを入れつつ、個人的意見としながら、「首相は行政各部を指揮監督する」と定められていることに触れ、自衛隊法で規定されている自衛隊に対する首相の指揮監督権を憲法72条などに加えることなどを検討すべきだと言う。これでは自民党が進めたいであろう「軍隊として諸整備」に結びつかないし、「自衛隊違憲論の解消」に繋がらないのでは。自民党はその私案に乗ってこないだろう。
 木村氏は、憲法に自衛隊を明記するなら、自衛隊は何をする組織か、それを明示することが最低限必要だとする。公明党は、国民が認めている個別的自衛権行使のための「自衛隊明記」は賛成だが、国民全体が容認していると言えない集団的自衛権行使のための「自衛隊明記」には反対と旗幟を鮮明にすべきではないか。改憲に前のめりであった安倍元首相が亡くなった上、本心は改憲に乗り気でないと見られてもいる宏池会の岸田首相であれば、なおさらに。
 もう一つの改憲の目玉で、なんとしても阻止すべきは「緊急事態条項」。地震や津波など自然災害にて国民の理解を得ようとするだろう。だが、「戦争」より重大な緊急事態はあるのか。「緊急事態条項」に制限を設けていても拡大解釈にしろ何しろ、発令されてしまう。そうなれば、戦前の国家総動員法と変わらない。「徴兵制禁止条項」と呼ばれる憲法第18条(何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。)も有名無実にして。
 さらに、国の借金は1,200兆円を超えGDPの2年分にあたるという。私は45年以上前の若手銀行員時代「借入総額が年商(の1年分)と同額になれば、その企業は倒産予備軍」と教えられた。政府に忖度するエコノミストは、借金の相手は日本の国民がほとんどであるから、国債を借り換え金利払うだけで済むと嘯く。たしかに今日銀は恣意的に長期金利を0%近くに抑え込んでいるが、物価の上昇や米国などとの金利格差でそれも難しくなり長期金利が上がって行きすべての国債が2.5%になるだけで国債の利息払いは30兆円となる。防衛費をGDPの2%、11兆円にするのに財源が大きな問題なっているのに、もっと金利があがれば国の財政破綻が確実となる。それこそ緊急事態。

 「緊急事態条項」があれば、政府は、責任をとることなく、日銀救済を名目に、“令和の徳政令”(国の借金と国民の預金を相殺をすること)も不可能ではなくなる。
 表向きは西側の一員として、民主主義を装うが、いざとなればいつでも全体主義国家に変貌することが可能となる。「緊急事態条項」が民主主義の中で独裁者を誕生させると言っても過言ではない。他国には見られないオールマイティな「緊急事態条項」を憲法に明記することは絶対に認めてはならない。
 自民党の「党是」は「自主独立」から「全体主義への回帰」に変質しているように私には思える。

 賛否が分かれる安倍元首相の国葬が明日行われる。これまで憲政史上暗殺された首相で国葬されたのは初代伊藤博文ただ一人であった。韓国併合には反対の立場であった伊藤元首相をハルビン駅で韓国人安重根が狙撃したとされる(結果として翌年の韓国併合を招いたとも言えるが、韓国では英雄扱い)。
 国内にて他の軍人や民間人の日本人に暗殺された首相経験者の原敬、高橋是清、犬養毅、斎藤実、濱口雄幸(傷がもとで後に死去)は皆国葬されていない。一方、老衰・病死した多くの首相経験者の中で山縣有朋、松方正義、西園寺公望、吉田茂は国葬されている。今回前例からすると国葬に該当しない(凶行したのが日本人である以上全国民が心一つになって故人を悼む国葬にはそぐわないということなのか)。
 戦後民主主義に変わり77年経った中で民主主義の根幹である選挙の最中での暴挙に多くの日本人が驚きと憤りを表すが、容疑者にとっては、宗教団体への恨みからだけで安倍元首相を狙撃したのであろうか。宗教団体のせいで奈落の底に落とされた。しかし、そこから這い上がることができれば怒りは消えなくとも薄れるかも。自由と平等の民主主義の中でなぜ這い上がることができないのか。その怒りを安倍元首相その人ではなく日本の為政者の象徴に向け、絶望死の道連れにしようと思ったとも考えられる。
 そうであれば、本暗殺事件を宗教団体に関連した特殊な稀なケースと見るべきではない。自民党内で、宗教団体との関係だけではなく、新自由主義に基づき貧富格差の拡大を招いた小泉政権とそれを後継した安倍政権による清和会政治に対する真摯な検証が必要となってくる。
 容疑者への減刑嘆願が増えていることは、尋常とは言えないが、保阪正康氏は『文藝春秋』今9月号『「テロ連鎖」と「動機至純主義」』と題し、今の世情がテロが横行した戦前と似ていると言う。テロがテロを呼び5・15事件とつながり、大衆が事を起こした青年将校らの行動を「義挙」と讃え、減刑嘆願運動が全国に拡がったという。

 日大先崎彰容教授も指摘しているように、思っている以上に今社会が深刻な状態にあるのかもしれない(小学校教員による給食への漂白剤混入事件は米国の生徒銃乱射以上に震撼させる)。国民の大半が反対する国葬ではなく、自民党の問題として党葬か内閣との合同葬にすべきであったろう。
 国葬の実施に対しては、非業の死を遂げた当選同期の知己朋友である安倍元首相に対して麻生副総裁の助言を受け入れ国葬をもって送ってあげたいと思っただけなのか、安倍元首相を支えた日本のタカ派層も取り込むという目論見が岸田首相にあったかは分からない。が、多くの国民は、保守の中ではリベラルな宏池会の首相に対して、支持率の低下で応えた。
 岸田首相は、国税による国葬への民主主義的な手続きを失念したことは深く反省するとして、国葬を強行するのであれば、「国葬がABE政治からの決別を意味していた」と国民が理解するのを期すればよい。岸田政権の独自の路線が進められ、貧富格差の是正とともに全体主義への傾斜を堰き止めることに繋がるものと思いたい。

 

2022.10 NO.179 しょうい VS しょうい(1/2)
 大谷選手は、昨年メジャー4年目で、ケガや手術もあり思うように二刀流が発揮できず、二刀流が続けられるか剣が峰に立っていた。が、投打で活躍し、二刀流を完遂させた。そしてア・リーグのMVPに輝いた。
 今年は、ホームランが少ない感じはあるものの、ベーブルース以来104年ぶりの「二桁勝利、二桁ホームラン」を達成した。さらに、メジャー史上初で(米時間6/21、22)「8打点の翌日に2桁K(13)」を記録(ルースのキャリアハイは1試合7打点、1試合11奪三振)した。
 さらに、「二刀流としての規定打席、規定投球回」をクリアしようとしている。規定打席502打席(162試合×3.1)は既にクリアしている。規定投球回162回(162試合×1)の方は、あと26。今後とも6人で回すと登板が4回(米時間9/10、9/17、9/23、9/30)しかない。それで行くと今後の4登板は暑い中7イニング×2回+6イニング×2回が必要となる。序盤に大量点を取られると交代させられるので、毎回クオリティ・スタート(先発投手が6イニング以上を投げ、かつ3自責点以内)を義務付けられているのと同じ。投球数制限もあり、容易ではない。規定投球回に足りなければ中4日で最終日10/5(日本時間10/6)に足りないイニングを投げるか、米時間9/30の登板予定を試合のない日も含めて中5日になる9/29に変更し、中5日で最終日10/5も投げられるようにするしかないだろう。
 ベーブルースがなし得なかった、規定打席、規定投球回をクリアした“完全二刀流”が史上初で樹立(これがプレーオフ進出の可能性がなくなった大谷選手の今のモチベーション?)できれば、ホームラン王へ独走中のヤンキース・ジャッジ選手とのMVP争いがいい勝負に(記者でなく選手が選ぶなら大谷選手のMVPはもう当確なのだが)。
 前季は「二刀流の完遂」。今季の「完全二刀流の樹立」が成就すれば、来季の目標は史上初の「完全二刀流として15勝、50本塁打達成」及び「通算600奪三振、100本塁打」か。今後二刀流の選手が現れてもその数字を超えるのは難しい。究極の目標、見果てぬ夢は、「完全試合の当日に満塁ホームラン」となるか。

 投手としては、昨年後半から先発投手としての投げ方を習得したが、今年はさらに進化し、速球がスピードを増し、平均球速97.3マイル(約157キロ)は昨年比で2マイル(約3.2キロ)も速いという。より磨きがかかった高速スライダーやカーブに加え新兵器シンカーも投げる(昨日の対アストロズ戦では160キロのシンカーで三振をとる)ようになり、過去にサイ・ヤング賞に輝いた投手たちと遜色ないレベルに到達している。前季の9勝を今季は前半戦だけで到達している。
 一方、打つ方は、昨年の後半戦からの不調から脱し切れていないように見える。米時間7/13の昨年オールスター前までの前半戦では、ホームラン33本(右翼21本、バックスクリーン5本、左翼7本)に対して、後半戦のホームラン13本(右翼12本、バックスクリーン1本、左翼0本)で、後半戦は引っ張る打ち方に偏り、ひっかけたセカンドゴロが多くなっていた。
 初の二刀流で出場したオールスター前日のホームラン競争でも、出だしはゴロばかりで球が上がらず(ホームラン競争でヘトヘトになり、野球の才能からすれば異星から来たスーパーマンを彷彿とさせるが、体力からするとやっぱり日本人だと再認識した。今季は辞退した)、オールスター本番でも2打席とも内野ゴロに終わる。スイングにも影響が出でホームランが出にくくなったと言われた。
 今季はホームラン競争、オールスターの投手としての登板も辞退したように、たしかにその疲れはあろうが、いわゆる“投高打低”の節目は、昨年の米時間6/28~30のヤンキース戦だと私は見ている。6/28、29で3本のホームランをかっとばしヤンキースファンの度肝を抜いた。ヤンキース・スタジアムは右翼側が狭く、新球場になってからはさらに左打者に有利となっている。それで大谷選手も引っ張り癖がつき、そのままホームラン競争に突入した。さらに勝負を避けられる中ホームラン王争いへの焦りが引っ張りに走らせたと思う。
 オフになれば、疲れもとれ、悪癖も修正されると思っていたが、前季後半から続いて速球をホームランにできない状態が続いた。カウントをとりに来た速球を打てなければホームランは増えにくい(速球を打ち損じ2ストライクになってからのホームランは前季46本中16本あった。が、今季は30本中8本しかない。その内7本は2ストライク2ボールか3ボールの場合。2ストライク0ボールか1ボールの投手有利なカウントでは、外角低めに、右投手からチェンジアップで、左投手からスライダーで、三振か内野ゴロで打ちとられることが多い)。
 ある専門家は「不調時の大谷は、より強く振ろうという意識が強いせいか、見た目にも引っ張り傾向が強く出る。体を開かず、じっくりと引き付け、ボールの内側から叩いて外に押し出す。左打者である大谷がこのように打てば、当然センターからレフト方向へと飛ぶようになるが、これが面白いほどに伸びていく。引っ張った時とは逆に、ややボールの下にバットが入ることでバックスピンがかかり、打球はいつまでも落ちてこない」と言う。
 大谷選手自身も、心得ており、最近は毎打席センター方向に打つよう心掛けている(今季30本のホームランにつき、バックスクリーン6本と左翼9本とで半数を占める)。その反面、「打つポイントを体の近くに置いてあるため速球に振り遅れているのでは」と解説の小早川毅彦氏は見ている。打撃は難しいものだ。
 一方投手としての節目も前季6/30のヤンキース戦だったと思う。打撃でヤンキースファンを降参させ今度は投手でヤンキースファンを絶望させることが期待されたヤンキースタジアム初先発はまさかの2/3回を2安打5四死球7失点で降板。暑さ、マウンドの傾斜がきついことに加え、気負いもあったのではないか、制球が定まらず、1回も持たなかった。その時の反省から、クローザーが先発しているかのようなスタイルではなく、炊飯のごとく「はじめチョロチョロ中パッパ」から5回ぐらいより160㎞前後の速球を投げ始める先発投手としての本来のスタイルに変貌したと見ている。前季において前半戦は4勝1敗、防御率3.49(上記ヤンキース戦の前までは2.58)、後半戦5勝1敗、防御率3.18(シーズン通して)と余り変化はないように見える。が、コントロールがよくなり、志村朋哉氏の『ルポ 大谷翔平 日本メディアが知らない「リアル二刀流」の真実』(朝日新書)によれば、9回あたりの四球数は年間で3.04(9位)であったが、後半戦だけで限れば1.28と60イニング以上投げた投手の間では1位となっている。さらに今年に入れば、調子が出ない登板時においても失点を抑えそれなりにゲームを作り先発投手としての役目を果たすなど、進化を見せている。

 MLBに移籍した当初米国では打者より投手としての評価が高かった(育ての親の栗山元監督ら日本の関係者は打者の方をより高く評価していた)が、昨年のオールスターの頃は打者としての評価の方が上回ったであろう。後半戦以降では、また、より進化を遂げる「投手」の方に評価が高くなったのではないか。今6月頃ブレーブスで2度のサイ・ヤング賞に輝き殿堂入りしているトム・グラビン氏が「両方やってほしいが、もし片方だけに絞るのであれば、打者より投手の方が支配的な存在になれる」とコメントしているように(それに対しての表立った反論はないようだ)。
 もともと打撃は水物。3打席に1回ヒットで好打者。兄貴分と大谷選手が慕うMVP獲得3度のトラウト選手でも6月に30打席ノーヒットとスランプに陥った。
 そのトラウト選手は2021年までの11年間の平均で、打率0.305と3割を維持し、それ以上にメジャーで重視するOPSの11年間平均が1.002 (出塁率0.419+長打率0.583)とは驚異的(ホームラン46本の2021年の大谷選手は0.965でしかない。今季は0.9に届いていない)。ホームランをビッグフライとも言うように特大弾が野球の醍醐味だとしても、ゴルフと同じで飛距離を争うスポーツではない。打撃ではファンの身贔屓としてもトラウト選手を凌駕しているとは軽々に言わない方がよい。
 投手としても、現役でサイ・ヤング賞数度受賞の投手たちがいる。先発投手3冠の内今季防御率、最多勝の2冠が有望で3度目の受賞も夢ではないアストロズのバーランダー投手を初めメッツのシャーザー投手及び1年振りの復帰登板で164キロを記録したデグロム投手、ドジャースのカーショー投手を差し置く訳にはいかない。
 二刀流は一人で二人分働くことが凄い。よって疲れるのは当たり前。先発投手をすることは打撃への負担になり、打者での毎日の出場は投手としてのパフォーマンスに影響する。打撃練習を控えることになる。その中で、大谷選手は出場機会を奪った他の選手を黙らせるほどの活躍をしなければ、二刀流は許されない。
 大谷選手の投打での活躍は奇跡的であり、King of Baseball (「クロスカントリースキー」と「スキージャンプ」でのトップでなくとも、その2種目複合の「ノルディック複合」の王者がKing of Skiと呼ばれるように)と称されるに相応しい。それぐらいに、エンゼルスのマドン前監督、ホワイトソックスのラルーサ監督、メッツのショーウォルター監督、アストロズのベイカー監督(スーパースターの上メガスターと称賛する)、レッドソックスのコーラ監督らMBLの名将達が認めているのが、何とも心強い。
 二刀流で、しかも打者としても投手としてもメジャーのトップとして君臨するなら、もはや地球人ではない。我らファンはそれをつい期待してしまうが。
  
 故障がなければ、大谷選手はいつまで二刀流が続けられるであろうか。伝説のヤンキースのスラッガーAロッド氏と元レッドソックスの主砲で殿堂入りしているデビッド・オルティズ氏との話の中で「結婚すると家族孝行もあり無理だろう」と話していた(元々ロッド氏は先発投手ではなく負担が少ないクローザーでの二刀流を主張していた)。
 松井秀喜選手は34歳の手前の現役中結婚したが、より野球一筋でストイックな大谷選手は松井選手とヤンキースの同僚で名選手ジーター選手のように引退してから結婚するかもしれない。少なくとも40歳までは現役でいると仮定すると、あと12年、先発で7年、クローザーで5年はどうか。もうホームランで100本打った。先発で100勝(前季までで13勝。今季13勝するとすればあと7年で74勝)、クローザーで100セーブ(5年×20ペース)、100盗塁(既に66)の「クアドラプル100」達成もあるかもしれない。12年後84歳になる私は見届けられないだろうが。

2022.10 NO.179 しょうい VS しょうい(2/2)
 大谷選手は2023年オフFAの権利を取得する。大谷選手、球団オーナーを差し置き、トレードだ、移籍だと外野が喧しい。米東部時間8/2午後6時のトレード期限近くでは、球界の宝をトレードでオーナーが手放す訳ないとメディアによる憶測のトレード話には苛立ちしか覚えなかった。
 昨年後半「エンゼルスに残留したいか?」との質問に「ファンの人も好きだし球団自体の雰囲気も好き。ただ、それ以上に勝ちたいという気持ちが強い。プレーヤーとしてはそれの方が正しいんじゃないかなと思っている」と、このままチームが弱ければ、FA権を行使し移籍する可能性があることを大谷選手が示唆したともとれる微妙な発言をしたと報じられた。
 これに対しては、重たい発言には違いないが、他の選手に奮起を促しただけだと私は見ている。剛速球しか投げない私なら「オレは客寄せパンダじゃない!」と怒り任せに仲間に関して非難めいたことを言うかもしれない。賢く自制心が利いており、怒っても野球以外では剛速球を投げない大谷選手が他の選手の奮起を婉曲的に求めただけの発言だと思っている。
 一度「このままなら、離婚するしかない」と妻が言ったからといって、妻が離婚したがっていると思う夫はいるだろうか。
 オーナーやフロントに対しては、大谷選手は内心快くよく思っていないかもしれない。最初のコンビを組んだマルドナード捕手(現アストロズ所属)がシーズン途中で急遽放出されたこと。メジャー3年経過し年俸調停権を得た時、年俸は思いのほか格安水準であり実際に調停に向かうとは思っていなかったのではないか。球団側の大幅譲歩により調停は回避されたが、大谷選手には金額ではなく評価や球団姿勢に対してわだかまりが残ったのでは。さらに、今季途中で恩人マドン監督を切腹ではなく打ち首のような形で解雇したことに関して。
 ただ、大谷選手本人より、ファンの方がエンゼルスにあいそをつかしたようだ。米時間6/22のエンゼルス世界一20周年セレモニーの試合で当時のメンバーが臨席している中で大谷選手が投げるのにトラウト選手、ウォルシュ選手が休み、ストッパーのイグレシアス投手も登板回避した。2安打13Kと意地を見せた大谷選手より日本人ファンの方がエンゼルスから心が離れてしまった。それからメディアによる移籍報道が過熱した。
 大谷選手がエンゼルス以外に移籍する場合には、次の3つの要件を満たす必要があると言われている。
  A. 中4日の先発を望むスーパーエースが不在
  B. DHを大谷が独占しても大丈夫な戦力編成 
  C. 大型契約が必至の大谷を引き受けられる資金力
  ナ・リーグでもDH制に移行したのでア・リーグに限らないが、C.を満たすならヤンキースが一番手となろう。
ヤンキースはOBだけではなく現役からも大谷選手への称賛を惜しまない。逃がした魚は大きいと思っているのか。それとも、まるでFAになればヤンキースへとアピールしているかのように。通算251勝、奪三振3,093 の上述C.C.サバシア氏は一番の大谷ファンと言って憚らない(元同僚でホームランを量産するアーロン・ジャッジ選手を差し置いて今季も大谷選手がMVPと断言する)。野茂英雄投手と同時期にMLBで活躍し通算213勝154セーブを挙げ野球殿堂入りしたジョン・スモルツ氏も大谷選手が今季ヤンキース戦で投打に精彩を欠いた中で2018年から2年連続サイ・ヤング賞に輝く当代屈指の剛腕と比較して、「デグロムは投げるだけだ」と言い「ただただ脱帽だ」と大谷の実力を評価している。
 上述Aロッド氏は大谷選手のことを「彼は全てのユニークな才能を1人の人間に繋ぎ合わせた存在」と言う。「パワーはブライス・ハーパー(2015年にMVP、本塁打王などに輝き、オールスターにも6度出場しているパワーヒッター)。ピッチング能力はマックス・シャーザー(サイ・ヤング賞3度の名投手)。スピードはトレイ・ターナー(メジャー屈指の俊足で、年間43盗塁を記録した18年に盗塁王)に匹敵する」と言うのだ。
 ヤンキースの現エース右腕コール投手も「一番すごいのは両方をこなす準備とそれを負担に思っていないことが凄い」と賛辞を昨季贈った。現ヤンキースの顔であるジャッジ選手は、MLB全体の顔になれる立場なのに、自身が大学時代二刀流を実践した経験から、最高峰の舞台で二刀流を実現していることに驚き、野球少年のごとく褒めちぎっている。今季の直接の対決でも大谷投手からホームランを打ったのにジャッジ選手は大谷選手を「最高の選手」だと賛美する。島国根性の日本人にはマネできない米国人のすごいところだ。
 ただ、入団にとなると、話は別だ。移籍の三要件のCは、お金に拘泥しない大谷選手にとって、決め手にはならない。Aについては、エースのコール選手がいる。大谷投手が移籍すれば5人で中4日での登板が6人で中5日になる。中5日では、登板回数が減り、中4日の投手に比べて、最多勝、奪三振数で不利になる。さらに試合数162と同じ規定投球回数(162試合×1回)をクリアするには27試合登板で毎試合平均で6イニング投げないと規定投球回数不足となる。短くともIL入りすればたちまち苦しくなる。不足すれば、防御率の投手ランキングに名前が載らなくなる。それではサイ・ヤング賞争いから脱落する。投手専業の選手にとって死活問題となる。
 Bについても、スター軍団のヤンキースで、大谷選手が打撃でスランプに陥った時、野手からだけではなく、二刀流を続けることにMLBの本場で手厳しいファン(今季ヤンキースとの対戦でヤンキースファンから「過大評価」と野次られる)やメディアが黙っているか。
 ニューヨークと違い年中温暖ロス郊外アナハイムにあるエンゼルス同様西海岸ロスのドジャースも候補に挙げられているが、大リーグアナリストAKI猪瀬氏は「エースのビューラーが、けがで長期離脱が確定なので大谷投手は欲しい選手ですが、指名打者を固定しなければいけない打者・大谷は、戦力構想にはフィットしません」と言う。

 ビューラー投手は2度目の手術で来季も全休予定だが、ドジャースにはサイ・ヤング賞3度受賞のカーショー投手やIL入りで規定投球回クリアが微妙ながら16勝1敗、防御率2.10のゴンソリン投手もいる。他にも、防御率2点台で、15勝のウリアス投手や13勝のアンダーソン投手もいる。FAという変動要因もあるが他球団ならエース級の投手が居並ぶ投手王国で強力打線のドジャースに移籍と言う米記者は、アジテーターとしか私には思えない。
 パドレスも有力候補と見られているが、ダルビッシュ有投手が在籍しており、迷惑を掛けたくないとの思いから、日本人選手がいるチームには移籍しないのではないか。
 結局のところ、二刀流にこだわる大谷選手は、4番でピッチャーという高校野球のような「二刀流できるチーム」と「ワールドチャンピオンになれるチーム」と二兎を追うことはできない。
 唯一無比の二刀流をまだ極めたとは言えず、強いチームに移り二刀流を止めれば、唯一無二のメガスターではなくなり、数多いるスーパースター選手のone of themに過ぎなくなる。
 普通投手は登板の翌日には肩が張り体のあちこちが痛い。それなのに、却ってバランスがいいかもと言う大谷選手はフル出場しホームラン(前季米時間6/18のタイガース戦及び今季同4/15のレンジャーズ戦、同8/4のアスレティック戦では、登板日の翌日の試合なのに2ホームラン)も打てる。そんな選手は来世紀は分からないが今世紀中は大谷選手しかいないのでは。 前季46本のホームラン中、登板「翌日」にホームランを打ったのが8回9本。「翌々日」も6回 7本打っている。現時点で、今季も、30本中登板「翌日」にホームランを打ったのが4回6本。「翌々日」も8回 8本打っている。両日だけでホームランの半数近くを稼ぐ。スター投手・野手もそれに驚愕している。
 それだけに人気が凋落気味のMLBとしても大谷選手に出来るだけ二刀流を続けてもらいたいとするのが本音ではないか。
 メディアは移籍すると報道し、それを支持するファンが多いが、移籍するとしても気候のよい西海岸を有力として他の日本選手がいない弱いチームに限られるだろうし、口約束ではなく二刀流を契約書に明記する球団はないだろう。ネビン監督代行が大谷選手の登板間隔を中5日にとの発言を聞いた時なぜそんなに無理させるのかと思ったが、大谷選手と相談し規定回数をクリアして史上初の完全二刀流を樹立させる為と知った。大谷選手をより高く他球団に売りつける為とは思わない。色々あっても大谷選手の可能性を信じ辛抱強く見守ってくれたエンゼルスに残るのが良いと私は少数意見になろうがそう思う。
 MLB史上最高の投手で、エンゼルスに1972年から在籍していたノーラン・ライアン選手も最初から6年間チームは西地区の4位~6位に低迷していた。それでもライアン選手は1979年までの8年間もエンゼルスに在籍していた。
 そうした中、鍵を握るエンゼルスのオーナーが球団を売却するとの報道がなされた。現オーナーに対しては、「オーナー肝いりのレンドン選手が大型不良債権となって大谷選手との大型契約ができない」「オーナーはぜいたく税を払う気がない」と言われていた。(すぐ見つかるか分からないが)2~3千億円にも上ると言われる売却額を払える新オーナーならぜいたく税の支払いを厭わないのではないか。メガスターの大谷選手で売却額を吊り上げられ、それで大谷選手にFAで去られては新オーナーは踏んだり蹴ったりになる。オーナーの交代によって大谷選手の残留の可能性は却って高くなったのではと思うのだが。
 

 トラウト選手からも希望され大谷選手がエンゼルスに残留した場合でも、故障がちでDHにと自他ともに思うトラウト選手とDHを分け合うことが必要になるかもしれない。その場合、中5日で投手として出場(降板後DH)、登板明けながらホームランが多い翌日と翌々日の試合は大谷選手がDH。その次の2試合はトラウト選手がDHで、大谷選手が外野を守る。登板の前日は大谷選手が調整の為ベンチ入りとなるか。
 トラウト選手と大谷選手とは、本人同士は尊敬しあっていても、「両雄並び立たず」が世の常。エンゼルスは生え抜き米国人のトラウト選手のチーム。ヤンキースにおけるジーター選手と松井秀喜選手との関係に似ていると言える。人種差別には関係なく、米国では外国人の大谷選手は、ワールドチャンピオンが狙えるチームに将来移籍することになるのではないか。その時は唯一無二の二刀流へのこだわりを捨てて。
 

2022.9 臨時号 NO.178 っかVS っか
 8月で満72歳となった。6回目の年男でもある。
 今年は、寅年でも、36年に一度の「五黄の寅年」に当たる。気学・九星の「五黄」と干支の「寅年」とは、どちらも強運で、二つ合わされば最強運と言われる。
 五黄の寅年の人は、今年2022年に生まれた赤ちゃん並びに今年誕生予定の胎児、1986年生れの36歳、1950年生まれの我ら72歳、1914年生れの108歳、しかいない。もっとも108歳で五黄の寅の人はいないかもしれない。
 最強運なら「末は博士か大臣か」と言われてもよさそうだが、私が子供の頃「末は乞食か大臣か」と親らに声かけられた。最強運でもリスクを追う気質がある為か。私自身は限りなく乞食に近づいている。
 私に限らず1950年の五黄の寅年生まれの人は、他の年生まれの人が経験していない試練を味わっている。今から思えば50年以上前の懐かしい思い出ではあるが、当時は重大すぎる出来事であった。現役の私らより臥薪嘗胆で今度こそはと思っていた浪人生の方がはるかにショックだったと思う。1969年(昭和44年)の東大入試の中止である。政商と揶揄される竹中平蔵氏は東大に入る学力はあったろうがやむなく一橋大に入りそのまま卒業した。業界団体に私がいた時お世話になった某教授は、一旦千葉大に入り翌年東大を受験し直し合格した。その後民間企業を経て千葉大に教授として戻ることになる。私と神戸高校の同級生で、国立がんセンター勤務時代胃がん手術の名医と週刊誌に度々紹介されることになる笹子三津留氏(本ブログ初号「オスとメス」で紹介)は、京大の理系に合格し通ったが、ほどなく医師を目指すことに転向し予備校に通う。当初地元の神大医学部でもと思っていたが模擬テスト成績がずば抜け東大医学部に志望変更し合格した。
 同じく9/30で72歳になる、仏文学者、翻訳家、思想家、武道家と多彩な顔を持つ内田樹氏は、(Wikipediaによれば)日比谷高校に入学しその後少し回り道したが東大入試中止の為京大法学部を受験し不合格となる。翌年東大の文Ⅲを受験し合格する。私は、京大の経済学部を志望していたが、東大入試が中止となり、内田氏を初め東大志望者が多数都落ちしてくると他の京大志望者と同じく京大受験を諦め他大学に志望を変更した(その時の心情等は本ブログ2013年6月号NO.24「ゆい と ぬい」に書いたので省略する)。
 その年の京大の入試問題は新聞紙上ですぐに確認したが、過去問と比べて大きく問題様式が変わっていた。国語では高村光太郎の詩『火星が出てゐる』の全文を読み、思うところを述べよと記述式の問題が新設されていた。受験勉強1本槍の私は本を読むのは教科書と参考書のみ。小説も好きでない(今も新書中心。小説は歴史小説か経済小説。推理小説は偶にしか読まない)。そんな私に詩情を解せる訳もなく、また作文も苦手とした私はお手上げだ。数学もIQテストみたいな問題も載せられていた。受験していれば私は激しく動揺したであろう。いきなりOBを連発し散々なスコアで上がるゴルフと同じに結果になっていたことだろう。

 1969年の受験経験者に対しては、会ったことのない人でもいわば戦友のような感情を私は抱く。だが、上述の竹中氏や神戸高校の某同期生(その頃から話をしたことがない)はアメリカナイズされビジネスの世界で成功者と言えるが、日本という国家について思い入れがあるように私には思えず、二人に敬意を払うことはない。

 数多の庶民の中から選ばれしエリートにノブレスオブリージュを求めるのはスジ違いかもしれないが、そんな心意気を持つ人を尊敬したい。
 私は、内田氏の言説にすべて賛同する訳ではないが、安倍元首相を首相在任中から批判しており、非業の死後も変に持ち上げたりしないことをもって、信用するに足ると思っている。日本の行く末を憂う内田氏に作家・歴史研究家故半藤一利の後継者として期待せずにおれない。
 今は、出征して20歳で帰国した生存者でも97歳にもなる。戦争経験を語れる人はもうほとんどいない。東京大空襲で生死をさまよい15歳で玉音放送を聞いた半藤は90歳で逝った。
 1950年(昭和25年)生まれでは、物心つく1954~55年ぐらいまでほとんどリアリティがない。それでも戦後から10年経過していても敗戦の痛みは感じていた。まだ街には白装束の傷痍軍人姿でアコーディオンを弾き托鉢僧のごとく立っていた。子供ながらに戦争は嫌だなと思わせた。敗戦後の貧しさも、まだ続いていた。私にはなかったが、4つ上の兄は弁当に麦飯が入っていた時は恥ずかしかったと言っていた。

 いち早くテレビを購入した家に近所の子供と一緒に夜群がった。帰ると玄関の鍵が掛かっており呼んでも開けてくれない。兄は泣かなかったが、私は泣きべそをかいていた。親から「迷惑だから行くな!」と制せられていたが、テレビのある家の人は観せてやるという態度でもなければ迷惑そうな様子も見せない。そうであれば子供ながら感づく。今の貧富の断絶ではなく、助け合うことが自然であった、互助の精神が息づいたよき時代でもあった。東京タワーが建設される頃を映した邦画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズでもそのように描かれている。
 満州に出征した父は帰国後度々膵炎を起こした。その度ごとに酷寒の満州で寒さを凌ぐため酒ですい臓を痛めたと言っていた。満州に関してはそれだけ。どんな理不尽な目に遭ったか、満州で自身が何をしたか、一切語ることはなかった。敗軍の将でない一兵卒の父も沈黙した。凡庸な私も自分から聞こうとはしなかった。私より約2か月遅れで生を受けた内田氏は、『戦後民主主義に僕から一票』(SB新書)の中で、小学生の頃担任の先生に「先生は戦争に行ったの?」「先生、人を殺したことある?」と訊いたとしている。その頃から私とは頭の出来が違うのだ(比較すること自体不遜だが勝手に親近感を覚え内田氏の本を読む度自らの頭の悪さを痛感する)。
 内田氏は、戦争の悲惨さ、軍部上層部の愚かさ・無責任さ等を教えてくれた半藤の逝去を残念がる。上記新書の中で「歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じだ。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになるとぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は『修正』しようがない。」と危惧する。
 今の戦争を知らない政治家は、敵基地攻撃とか憲法改正とか「手段」しか語らない。「目的」は米国に従属することに決まっていると思っているからであろう。内田氏も私も同じ戦争を知らない世代に違いないが、戦中派の「二度と戦争はしてはいけない」の想いをまだ受け継いでいると私はそう思っている。
 戦争の生き証人がいなくなる上、責任の所在を明らかにしない日本の悪弊により歴史的資料が散逸・消滅することを憂慮する作家保阪正康氏は82歳になるが、「帰納的な、実証主義的な歴史検証を行い、それによって得た教訓を次世代に伝えていく」ことを使命とするとまだ意気軒昂だ。ぜひ内田氏と共鳴しあってもらいたいものだ。

 我々の世代から10歳下に、今や“知の巨人”と呼ばれる佐藤優氏がいる。小選挙制導入以降劣化した自民党内で最近俄かに「敵基地攻撃能力保有」(さらに飛躍して「核の共有」)の声が高まっている中、佐藤氏は週刊東洋経済2020年8月1日号にて「勇ましいことを言う人が愛国者とは限らない 敵基地攻撃能力をめぐる自民党の危険なアプローチ」と題して敵基地攻撃能力の保有に関する問題点を指摘し、外務省OBがその必要性を支持することを憂慮した。私も、武器を持たない戦争という外交を担当する外務省のOBによる敵基地攻撃能力の保有への前向き発言には違和感しか覚えない。
 佐藤氏の発言は国民に影響力がある。ぜひ憲法改正の自民党の目玉「緊急事態条項」についてもその危うさを国民に語ってもらいたい。
 ところが、年初佐藤氏が前立腺がんであると公表された。腎臓移植ができるかの検査の中で発見された。前立腺がんより腎臓移植が必要なほど腎臓が機能不全なのが深刻な問題と分かった。その後情報がないが、どうなのか。週刊新潮の対談は一時中断から復活し、その中で透析を受けていると書かれていたが。
 腎臓移植した場合免疫抑制剤の投与を続けるので癌の増殖を抑えられなくなるため癌があれば腎臓移植には不適合となるのか。ただ、前立腺がん患者の先輩である私(2012年放射線治療、再発なし)に言わせれば、佐藤氏のPSAの値は公表されていないが、癌の悪性度を判定するグリソンスコアは中位なので、自覚症状がないことを勘案すれば、癌が前立腺内に留まりまだ転移していない公算が高いと思われる。前立腺がんは他の癌と違い男性ホルモンの影響が大きい。ホルモン療法で前立腺がんの餌である男性ホルモンを止めれば熊と同じように冬眠状態になり増殖しない。その間に、腎臓移植できるのではと素人の浅知恵ながら、そう思いたい。
 ありがたく、うるわしいことに奥方が腎臓を一つ提供されるという。腎臓は一つあれば大丈夫。私の妻によれば、義父は18歳で自ら志願して海軍に入り、しごきか事故か知らないが、腎臓を一つ失くした。新婚旅行先で義母は背中に大きな刀傷を見て腎臓が一つ無いことを知った。その時義母は義父の余命を不安がったが、義父は一つ失くしてから55年は生きた。タバコを止めていればもっと長生きしていただろう。
 佐藤氏には、沖縄だけではなく日本国全体の為に、長生きしてもらわないと困る。

 宏池会の岸田政権に代わっても、昨年度より高校の「学習指導要領」で「現代社会」が廃止され、「基本的人権の保障」と「平和主義」が削除されている。それはそのままにして国民は政治的にますます愚民にされていくのか(旗振りの安倍元首相が亡くなったので、変わると思いたいが)。  
 その目的は何なのか。中国のような全体主義国家を目指すのか、それとも米国に従属することに疑問を持つ国民を無くす為か。いずれにしろ政府が国民を愚民化するなら上記知識人たちに国民に啓発してもらう他はない。
 その中で、私が尊敬する一人藤原正彦氏は、そう言いながら先生の本を多数読んでいるわけでもなく、月刊『文藝春秋』での印象に過ぎないが、最近発言が過激になっておられるのか。2022年4月号で『驕れる中国とつきあう法』で中国をボロクソに言い放ち、同5月号の連載コラムで「核攻撃をほのめかしさえすれば、台湾や尖閣を手に入れられると、習近平が勘違いしないよう、プーチンの侵攻を破滅的大失敗に終わらせねばならない」と息巻く。その後に続く、ソ連侵攻の満州から命からがら奇跡的に帰国を果たす感動的な話が色あせると私には感じる。しかし、 同6月号でもロシアに触れているが、普段のトーンに戻っていた。命からがらの満州からの家族の逃避行が甦り一時的に感情が高まった?に過ぎないと安心した。
 嫌いでも関係を持たざるを得ない隣国に対しアンチ中国、反ロシアへと国民が傾斜しているときにそれを煽るようなことは賢人の役割ではない。ナチスがポーランドへ侵攻したとき、一般大衆とともにドイツの知識人も諸手を挙げてヒトラーを歓迎し、危ない権力者をさらに暴走させた。真珠湾攻撃の成功の時も同じ。日本の知識人も狂喜乱舞した。権力者が正しい道と信念を持っていたとしてもその道を選ぶことを国民が許さなくなる。賢人の役割は、「原子炉の冷却水」であるべきだと思う。
 

2022.9 NO.177  い VS
 今週月曜日に閉幕した2022世界陸上で、サニブラウン・ハキーム選手が、長年の日本選手の夢であった世界陸上100m走のファイナリストに初めて輝いた。本ブログ2017年1月号NO.67(「ルメートルVS二メートル(1)」)でハキーム選手に期待を寄せていると書いたが、その後日本人初の9秒台は先を越され、昨年の東京五輪では走れる状態になかった。この5年間非常にもどかしさを感じていたが、この1年で精神的にも随分大人になったように見える。日本人最速記録の9.95秒も抜き返し、名実共に第一人者になる日も近いと期待される。

 

 さて、今回は「心」がつく漢字の話をしてみたい。
 少し前「そこに愛はあるんか?」でお馴染みのCMで和尚に扮した大地真央さんが「この世に愛がなくなってしもうたら、ア行は『ウ』と『エ』と『オ』だけになってしまう」と説法していた。私も悪ノリして「この世に恋がなくなればコーヒーは皆うすいアメリカンになってしまう」と。言わなきゃよかった。バナナの皮を踏んでしまった。
 韓流ドラマ『人生最高の贈り物』にて主演の10年経っても童顔のままのイ・ジョンウさん扮する主人公の父親が(字幕で)「貧困と愛は隠せない」と言っていた。
 思うに、金持ちは貧乏のフリはできる。我々貧しい者は金持ちのマネはできない。「愛」は隠してもにじみ出るものなのか。それは「恋」も同じでは。古代ローマの詩人オウィディウスは「恋と咳は隠せない」と残した。平兼盛は「しのぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで」と詠う。人の心が、「愛」の方に対してより感受性が高いとは思わない。「愛」は空気と同じで無くしてから気づくことが多くないか。本ドラマで言う「愛」とは恋愛を意味するのか。
 そもそも「愛」は隠す必要がないのか。「恋」は隠す場合もある。不倫もその一つか。
 不倫といえども、本来恋愛は自由。よって不倫は刑事罰に問われないのか。ただ、不倫に伴う不貞(「配偶者以外の異性と自由な意思で肉体関係を持つこと」)は民法上の不法行為となり、夫が不倫の場合妻は不倫相手に損害賠償請求(慰謝料請求)できる。妻が不倫の場合も同様(民法709条)。
 今や不倫の相手は異性とは限らない。世に同姓愛が認知されてくると、不倫相手が同性ということが表面化してきても不思議ではない。その問題を風刺したのが、2020年公開の『アンモナイトの目覚め』。19世紀半ばの英国社会を舞台に、実在の女性古生物学者(扮するは『タイタニック』のヒロインを演じた英国ケイト・ウィンスレットさん)と若き人妻(演じるは「愛」と漢字表記のアイルランド女優シアーシャ・ローナンさん)が運命の恋に落ちていく様子を描いている。
 同年日本公開の映画『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』では、英国女優で007シリーズボンド役でお馴染みのダニエル・クレイグさんの奥方でもあるレイチェル・ワイズさん扮する、ニューヨーク在住の女性カメラマン・ロニート(両性愛者?)とレイチェル・マクアダムスさん演じる幼馴染のミセス教師・エスティ(同性愛志向者)との性的関係がロンドンの厳格なユダヤコミュニティの中で問題となる。ラビ(ユダヤ教の聖職者・教師)の後継者としてのエスティの夫は、妻の自由にして!との求めに対して、葛藤するも、「君は自由だ!」と許してしまう。しかし、結局妻は夫のもとに留まり、ロニートは一人ニューヨークに返る。
 もし、夫が許さず、妻が去り、夫が妻の愛人ロニートを訴えた場合、同性の性的関係は不貞(「配偶者以外の異性と自由な意思で肉体関係を持つこと」)に準ずるのであろうか(昨年2月東京地裁にて、夫が妻と不倫をした女性に対して慰謝料などの支払いを求めた訴訟で、同性同士の不倫であっても不貞行為にあたるとして女性に対し慰謝料など11万円の支払いを命じる判決が出された。まだ確定している訳ではないが)。

 話が道ならぬ恋に逸れたので、元にもどす。「愛」とか「恋」とかは私には縁遠いが、歌謡界にとって「愛」と「恋」は避けて通れない究極のテーマなのだろう。美輪明宏さんは「恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの」と宣う。
 恋愛に「ときめき」はつきもの。故西城秀樹のヒット曲『この愛のときめき』では作詞家故安井かずみが「どんな風に 愛したら この恋が結ばれる」と書く。小川知子さんの『この恋のときめき』では作詞家故有馬三重子は「やっと見つけた すてきなあなた わたしだけを みつめていて」と結ぶ。前者は愛を与えるから「愛のときめき」。後者は愛を求めるから「恋のときめき」と題しているのか。
 台湾人歌手故テレサテンは『愛人』で「あなたが好きだから それでいいのよ たとえ一緒に街を 歩けなくても」と唄った。中国人なら怪訝に思う。中国語の「愛人」は妻のこと。愛する人との意味であれば、それが相応しい。日本で言う「愛人」は「情人」と呼ぶのか。日本もそのように変更した方がよいだろう。

 発売当初批判を浴びたというさだまさしさんの『関白宣言』も西野カナさんの『トリセツ』も、結婚相手に求めるから恋の歌の範疇に属するか。
 若い男女が「つきあう」と認め合う。「つきあう」とは何か。「友達以上結婚未満」と思った爺の私は時代遅れ。今は2つに分かれる。「友達以上恋人未満」がSOME(サムと読む。由来先韓国はソム。somethingが語源とか)。SOMEから進展すれば「つきあう」になるという。
 「つきあう」は、恋の始まりであり、愛への入り口か。相手を互いに束縛することでもある。相手を独占したいという気持ちは女より男の方が強い(歌手中西保志さんが歌う名曲『最後の雨』の作詞は意外にも女性の夏目純さんだが「誰かに 盗られるくらいなら 強く抱いて 君を壊したい」と思う世の男性は少なくないだろう)。
 40~50年前肉体関係=結婚との考え方がまだ女の大半であった頃肉体関係になれば男の独占欲、安心感が満たされた。今は男がそれを口にすると「そんなことぐらいで自分のものになったと思わないで!」言い返されるのか。何をもって男の独占欲は満たされるのだろうか。A(キス)→B(ペッティング)→C(セックス)⇒D(結婚)→E(妊娠)ではなく、A→B→C→E⇒D にならないと安心感は得られないものなのか(こんなことを想い及ぶこと自体私が時代にとり残された遺物なのか)。
 さださんは『恋愛症候群』で「無償の愛」「不変の愛」をとり上げ、「相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋 与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛」と唄う。
 アベガーではなく、アガペー(無償の愛)は、自らを犠牲にして相手に与える。見返りを期待しない。母性愛がそれだ。彼女は彼氏に恋しいと言う。母は子に愛おしいと言う。母が子に恋しいと言うときがあればI miss youの意味か。昨年11月末妻と二人で映画『梅切らぬバカ』を鑑賞したが、加賀まりこさん扮する母の子に対する愛は至上。男にはとても到達できない境地。
 「愛は真ん中に心という漢字があるから真心、恋は下に心があるから下心」と言われる。不倫は「恋」。それが結婚・再婚に発展すれば、心の位置も上昇し「愛」に昇華する(周りのすべての人に祝福されるとは限らないが)。 
 心の位置が中から下へ行く。つまり、「愛」から「恋」に変わることはあるか。家族愛から恋に変わることは少ないか。連れ子を持つ同士再婚し連れ子の男女が兄弟となれば兄弟愛が生まれても「恋」に発展するのは稀のようだ。

 恋愛問題は、経験の少ない私の得意な土俵ではない。この辺で手仕舞おう。「恋」以外にも下心の漢字は少なくない。心の有り様を表す漢字が多いが、直感的には、「悪」を筆頭に悪い意味を表す、あるいは暗いイメージの漢字が多い印象を持つ。忌、忘、怠、怒、恐、懲、愚、患、恣、惑、悶、悲、愁、惷(みだれる)、慝(よこしま)等少なくない。それに対して、良い意味の下心の漢字は少ないか。忠、恵、恩、慈、恕(ゆるす)、慧(かしこい)ぐらいか。
 その他の下心の漢字では、「念」は今の下心。「志」は侍の下心。本当は真心。武士道精神に通じるか。「息」は自身の下心。意味は生活の広範囲に広がる。gooの辞書によれば、①いき「嘆息」②生きる「生息」③やすむ「休息」④やめる「息災」⑤こども「子息」⑥ふやす「利息」。
 「忍」は心の上に刃(やいば)が乗る。仏教では「刃を向けられても動じない心」。因幡晃さんが歌う『忍冬』(すいかずら)で作詞家ちあき哲也さんは「忍という字は難しい 心に刃を乗せるのね 時々心がいたむのは 刃が暴れるせいなのね」と歌わせる。刃とは自身を取り巻く厳しい環境を意味しているのかも。
 私がゴルフを始めた頃練習場のコーチに診てもらったところ、腰が揺れているとセットアップの初めから腰の位置を固定しインパクト時の形をとらされた(剣術のごとく脇も締められ非常に窮屈であったが、その時は芯に当たりよく飛んだ)。そんな私は心もよく揺れる、と言うより、乱れる。言葉を抑えられず相手を傷つけるが、自身も傷つく。「忍」が難しい私にとって、刃は暴れず、乱れる心が刃にあたるのだ。
 将棋の羽生善治棋士、競馬の武豊騎手、野球の大谷翔平選手は、斯界の第一人者としてプライドも高く負けん気も強いと思われるが、いらだつことを言われても人前で乱れることがない。自制心が利いているそんな年下の天才たちに尊敬心を抑えられない。

2022.8 NO.176  ふるえ VS ふるえ

 安倍元首相が不条理にも凶弾に倒れた。私は、安倍元首相を第二次政権頃から一貫して批判してきたが、「安倍晋三様のご冥福を心よりお祈ります。」と言わせていただく。

 国際情勢含めて嫌な世相になってきた。70年以上続いた日本の平和も終焉に向かうのか。

 

 明日は参議院選挙。朝食を摂ったあと妻と一緒に投票所に向かう。選挙予想は私には無理なので、今日は好みのプロスポーツの話をする。

 MLBの大谷翔平選手は、ホームランが昨年ほど出ず物足りない感はあるが、前半戦二刀流として十分過ぎる働きを見せている。何しろ下記投打のスター選手と遜色ない成績を一人で挙げている。日本時間7/8時点で大谷選手は投手として8勝4敗、防御率2. 44、 奪三振率12.33、WHIP0.99(ヤンキースのエース・コール投手は8勝2敗、防御率3.26、奪三振率11.03、WHIP1.03)。打者としては、打率0.257、ホームラン18本、打点53、OPS0.833(昨年ホームラン王のゲレーロJR選手は打率0.268、ホームラン19本、打点54、OPS0.841)。低く見てもひとりで1.8人前の働きをしてると評価できる。

 後半戦もこのまま調子を維持できれば、ベーブルース以来104年ぶりに「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」を達成する。ホームラン王争いのヤンキースのジャッジ選手、アストロズのアルバレス選手の2人とMVP争いに。

 果たして2年連続のMVPになるか、さらに大谷選手登板日にトラウト選手、イグレシアス投手ら投打の主力選手が出場せず日本人ファン達がエンゼルスに強烈な不信感を募らせてからメディアが一斉に煽り始めた移籍問題も併せ、秋には本ブログ(「しょうへいVSしょうらい」)で触れてみたい。

 

 海外の男子プロゴルフでは、私が応援している日系4世のコリン・モリカワ選手がシーズン初め最終日普通に回れば優勝し、念願の世界ランク1位になると見られたが、まさかの崩れで叶わなかった。3つ目のメジャー勝利かと思われた全米オープンは3日目が+7と大きく乱れた。+2程度で収めておれば優勝できただろうに。
 それに反し、モリカワ選手より8か月早く生まれたスコッティ・シェフラー選手が、2月の初優勝を皮切りに3月も勝ち、さらにマッチプレーも優勝し、あっという間に世界ランク1位に輝いた。その余勢を駆って4月のメジャー・マスターズにも優勝し、新王者に君臨してしまった。まったくノーマークだったので、驚いた。
 女子プロの方は、1/3掲載の2022年2月号NO.166(「さそうVSむそう」)で、亀に喩えたコジンヨン選手が、一時ネリ―・コルダ選手に抜かれるも、メジャーには手が届かなかったがコツコツと成績を伸ばし、世界ランク1位の座を守り続けている。ライバルで私がウサギに擬えたネリ―・コルダ選手が、油断ではなく、左腕の血栓を取り除く手術で休んだのは、想定外であった。
 今シーズンから米ツアー参戦の渋野日向子選手は、早々と来季のシード権を確実にした。オフに練習を積んだのかドライバーの飛距離も伸びている。ハワイでのロッテ選手権では、風が苦手と思われたが、2位に終わるも優勝争いしたのには予想外で感心した。
 渋野選手はメジャーという大舞台には相変わらず強い。今季メジャー初戦のシェブロン選手権で3日目トップで迎え2番ホールでバーディを取った時、勘違いしてファンになり、また勘違いしてファンを辞めてしまったかと悔いた。と同時に「凡人の素人が分かった口を利き天才肌の女子プロに対して批判的なことを縷々言ってきたことをこの場を借りてお詫びする」との謝罪文を用意しなければと思った。その2、3時間後には優勝圏外に去っていた。
 ドライバーが曲がりスコアにならなかったが、解説の岡本綾子さんが「まっすぐ打つ練習ばかりしないで、曲げる練習もしないと。そうすればなぜ曲がるか分かる」と話していた。その後17番で偶々?バーディが出ると光明が見えたと言い、翌日またスコアがよいと「やっぱり、思い切りだ」と渋野選手は言う。言うことが我々素人と同じレベル。練習すればアプローチ等上手くなるが、「頭」は良くならない(私も、勉強した方だが、「知識」が増えても「頭」は良くはならなかった)。
 日本ツアーのプロテストに落ち、才能があるのに上手くいかず青木翔コーチに見てもらい、青木コーチがキャディを務めた2019全英女子オープンに優勝する。意外にも早く恩人青木コーチから離れると知った時もう一段高いステージの為にコーチを替えるのだと思ったが、コーチはつけていない。浮いた話も流れてきて私は失望しそれ以降称賛するのを止めた。誰の入れ知恵かスイング改造も否定的に書いてきた。修正を加えて板についてきたと思われた改造スイングも予選落ちした全米女子オープンでは、改造当初のスイングに戻ってしまったとネット民が嘆いていた。日本ゴルフジャーナリスト協会顧問菅野徳雄氏も「渋野はトップの位置が低いだけでなく、シャフトも寝かせているのだから理解に苦しむ。会場が上から落とすアイアンショットを要求しているのだから、トップでシャフトを立ててグリップエンドを下に向けなければならない。」と言う。先月のメジャー・KPMG女子PGA選手権(以下「全米女子プロ」)は予選通過するも体調不良で途中棄権した。渋野選手には、スポンサーサイドではなく、指導者、つまり「頭」を補完してくれるコーチが必要だ。
 それでも渋野選手の人気は衰えない。シブコ節によるファン、メディアへのサービス精神が旺盛な渋野選手はスポーツマンシップも話題になり、ぴょこぴょこ走りも好感されている。日本だけではなく米ツアーでも人気者であろう。どんなプロスポーツでも人気は大事。計算してではないから、それも天賦の才能。プロボクシングでも強くても人気(ファンを魅了させるもの)がなければリングサイドにファンは集まらない。放映権を買ってもらえない。渋野選手の人気に対してやっかむようなことは言わない。今もファンの人は家族のように長所も短所もすべて受け入れて応援する。それが真のファンの姿だろうし。
 私自身は今笹生選手を応援している。メジャーの2勝目は笹生選手が先だと思っている(渋野選手が先にメジャー2勝目を挙げたなら、まだ本ブログを続けていれば謝罪文を載せる)。
 その笹生選手には、昨年の全米女子オープン(以下「全米女子」)優勝後早く1勝をと上述166号で書いた。全米女子優勝・米ツアー初優勝の先輩にあたる2020年のキム・アリム選手、2019年のイ・ジョンウン6選手も次の1勝が遠い。イ・ジョンウン6選手は2年間1勝も挙げられなかったが、メジャー2勝目の絶好の機会が訪れた。昨年のエビアン選手権にて第2ラウンドで10アンダーを叩き出し、2位に5打差をつけて最終日を迎えた。楽勝かと思われたが、何としても勝たねばとのプレッシャーからか7打差あったミンジー・リー選手とプレーオフになってしまい、結局負けてしまった。念願のメジャー優勝を果たした豪国ミンジー・リー選手はその後好調さを維持し今年の全米女子も制した。世界ランクも今や2位となりトップ選手の仲間入りを果たした。
 笹生選手は、国を背負っている感のある韓国女子プロと違い、重荷になっていると思わないが、それ以降未勝利で1年過ぎてしまった。ドライバーを変えたがまだしっくりこないのか。この前の全米女子プロの解説者レジェンドの樋口さんが動きが少し大きすぎるとも言っていたが。初コースが多いこともあるか。今季初日の出遅れが目立つ。爆発的なスコアで上がるラウンドもあるので不調とも言えないが、とにかく早く1勝を挙げてもらいたいものだ。
  昨年の全米女子で笹生選手にプレーオフで敗れ優勝を逃した畑岡奈紗選手は、今季も1勝を挙げ、日本選手の中では一番安定感がある。まだ悲願のメジャー優勝はないが、焦る必要はない。ミンジー・リー選手もメジャー初優勝は時間がかかったがメジャー2勝目は早かった。
 古江彩佳選手は、ナポレオンのごとく小さい人ほど気が強いと言われるように、どんな大舞台でも足が震えることがないような精神的な強さがあると思う。渋野選手と同様来季のシード権をほぼ手中にしている。
 バンク・オブ・ホープ・LPGAマッチプレーは惜しくも準優勝となったが、自信につながったのではないか。ただ、シード権は毎年確保できる実力はあると思うが、世界のトップゴルファーが集まる米ツアーで優勝するのはどうか。上位入賞の位置に慣れてしまう中で、移動距離も長い米ツアーで身も心も“勤続疲労”を起こしていかないだろうか。
 個人的には、今週日本でプレーしている古江選手には日本で優勝を重ねてもらいたい。後述するガラパゴス化しそうな日本ツアーのレベルを維持する為にも古江選手が日本ツアーをリードしてもらいたい。海外参戦はメジャーだけでよいのではないかと思っている。
 なお、上記マッチプレーは5日間(決勝ステージは2日間で4ラウンド)。気温も高い中7ラウンド消化してへとへとになって得られる優勝賞金は22.5万ドルで翌週開催の全米女子賞金180万ドルの1/8に過ぎない。コジンヨン選手、畑岡選手、笹生選手など多くの有力選手は出場しない。もっと賞金額を上げるとともに日程変更すべきだと思う(全米女子を制したミンジー・リー選手は出場していた。決勝ステージには進出していないので、それならよい肩慣らしになるのかもしれない)。

 同166号で笹生選手を筆頭として新世紀世代と呼ばれる2001年以降生まれの世代のNO.2にアッタヤ・ティティクン選手を挙げていた。タイの天才プロゴルファーと呼ばれ、アマ時代の成績は笹生選手に勝るとも劣らず、米ツアーでも活躍すると思ったが、早くも1勝を挙げた。世界ランクも5位(笹生選手は19位に後退)。新人王争いでも韓国チェ・ヘジン選手や渋野選手、古江選手を抑え、トップに立っている。メジャー優勝も時間の問題であろう。
 この他、2004年1月生れのスベロニア国ピア・バブニック選手がいる。身長は180㎝もある。4月シェブロン選手権で3位に入賞している。アマで2006年3月生まれの米国アナ・デービス選手16歳。昨年梶谷翼選手が優勝したオーガスタ・ナショナル女子アマチュアで優勝する。女子ゴルファーでは珍しいレフティで、“女ミケルソン”と呼ばれる日も近いのかもしれない。
 日本にも有望株がいる。馬場咲希選手17歳。日本人離れした体格で175cmから270ヤードのドライバーを放つ。難コースで繰り広げられた今年の全米女子で予選を通過した。

 その全米女子に出場した(予選落ち)日本プロテスト未合格の識西諭里選手のコーチ兼キャディとして参加した井上透プロコーチが『「この先5年、10年で日本人メジャーチャンプが5人は誕生すると思っています」。全米女子オープンを戦ったプロコーチ・井上透が感じた、日本女子ゴルフの“これから”』と題して、感想を述べ、次のように結んでいる。
 「選手たちの海外ツアーへの挑戦が盛んになれば、個々人の日本では得られない経験値もどんどん蓄積していく。普段のアメリカツアーに日本人選手が10~20人くらい参戦している未来が作り上げられたら、それこそ韓国ツアーと同じ状況が作れると思いますよ」
 米ツアーは遠い。メジャーだけならとかく簡単に言ったり来たりできない。行くなら米ツアーに転戦となるのでは。井上コーチは「今回のメジャーで15名の日本人選手がそこまでいい結果を残せなかったのは『日本に似たようなコースが非常に少ない=経験値に乏しい』という点に尽きます。」とも言う。それなら難しいセッティングをJLPGAに働きかければよいではないか。
 井上コーチもJLPGAも日本ツアーのことを本気で考えているのだろうか。私は2019年12月臨時号NO.125(「ひさこVSひなこ」)でJLPGAを批判している。
「かかる情勢変化の中で、プロテストに合格した選手でなければQTを受験させないという新制度が2020年度から実施される。要は、強い韓国女子選手を来させないためだろう。日本の女子ツアーを(男子ほど日米に賞金額の差がない)米女子ツアーに匹敵する(日本、韓国、中国、台湾、タイ等の選手が参加する)一大アジアツアーに昇華させていく。そのよいチャンスでもあるのに、わざわざマイナーツアーに留めおこうとする協会の制度変更に対して、レベルの低下、ガラパゴス化を懸念する批判は少なくない。エビアン選手権チャンピオンのキム・ヒョージユ選手も日本への転戦希望を表明している(韓国選手の方が日本ツアーを評価している?)が、そんな強い選手こそ歓迎すべきではないのか。」
 キム・ヒョージュ選手は、日本ツアーを諦めたようだが、その後昨年5月HSBC女子世界選手権、今年もロッテ選手権に勝ち、もう峠を越えてからでないと日本ツアーには参戦しないだろう。
 今目標とする外国選手は韓国の申ジエ選手と台湾のテレサ・ルー選手ぐらいしかいない。だが、全盛期は過ぎているのでは。日本女子選手の優勝が続いていると喜んでいてよいものなのか。このままでは、無料の地上波ならまだしも、有料放送で観ると思うのか。
 メジャー優勝者に日本のプロテストを受けろと言うのは酷。親日で日本人ファンも少なくない、チョン・インジ選手もユ・ソヨン選手も日本女子オープンに勝っている(キム・ヒョージユ選手も2012年に16歳のアマ資格で参戦し当時の史上最年少で日本のトーナメントで優勝している)。
 「メジャー優勝者又は日本ツアーで優勝している選手はプロテスト受けずともQTに受験できる」ように例外規定を設ければ、日本に来てくれるのかもしれない。と思ったが、チョン・インジ選手が先月の全米女子プロで優勝し6年ぶりにメジャー3勝目を挙げた。日本ツアー参戦は夢のまた夢となってしまった。やはり上記QT受験における制限を撤廃すべきだと思う。
 米国LPGAのワン前会長(現全米ゴルフ協会CEO)はやり手だ。不人気にあえいでいた米ツアーを米国・アジア・欧州ツアーとして発展させた。今季メジャーの全米女子の優勝賞金は倍増し、180万ドル(1ドル130円換算2億34百万円)となる。全米女子プロも倍増し135万ドル(同1億7550万円)となり、円安もあり日本の公式戦優勝賞金とは雲泥の差となってしまった。
 このままでは、日本男子ゴルフと同様日本女子ゴルフトーナメントを観なくなる日も近い。そう思うのは私だけなのだろうか。
 

2022.7臨時号 NO.175 せいん VS せい
 本題に入る前に、先月山口県阿武町が4630万円を誤って振り込んだ問題について少し触れておく。30年前になるが、私は小さな銀行に任意退職するまで20年間勤め新宿支店など3店舗の支店長を歴任した。町役場の不始末にではなく、本事件に関わった銀行について私見を述べてみたい。

 町役場が振り込みに行った地銀?の支店は、二重送信を事前に気づけなかったか。4/1と4/6と手続き日が離れていれば無理からぬか。それは仕方ないとしても、逮捕された容疑者が口座取引しているメガバンクの支店に4/8町役場職員と口座の本人とが来店し誤送金の組み戻しをすることが支店前まで来て不自然な形でキャンセルされたことを知った時点で嫌な予感が脳裏をよぎったと思う。送信側の銀行は町役場に仮押さえを進言べきではないか。あるいは、そうしたけれど、町役場が応じなかったということなのか。

 受信側のメガバンクの支店長の方がもっと嫌な予感がしたハズであり、私がその立場なら、本件は顧客を第一義に考えることに当たらない。(容疑者の)「口座を凍結しろ」と担当役席に指示する。担当役席は、顧客を怒らせ問題を却ってこじらせると反対するだろう。それならば、「口座残金665円と正規の入金10万円を併せ100,665円の残高を超える出金があった時点で凍結しろ。責任は私が負うから」と指示する(実際4/8当日の15時以降に678,967円が出金されているらしい)。その後町役場に仮差押えの手続きをすぐ手配するよう連絡させる。

 「銀行が勝手にできるのか。一時的に借用しただけですぐに戻そうとしたが、入金できなかった」と抗議してくるかもしれないが、その場合は受けて立つ。

 私は銀行員当時「銀行員らしくない銀行員」を売りとして粋がっていた面があるが、人材が少ない銀行は減点主義ではなく加点主義なので、こんなこともできるのかもしれない。メガバンクは、人材が豊富で減点主義なので、事なかれ主義になるのか。仮押さえによる凍結依頼がないからと(善意の第三者として)呆然と毎日口座残高が減っていくのを眺めていたのだろうか。

 不運が重なったと言うが、大きな事故や事件は皆そんなものだ。公共性の高い、送信側と受信側の2銀行が関わっている。ことは多額の公金の喪失(機転の利いた役場側の弁護士の働きにより9割方戻ったが)であり、また愚かとは言え一人の若者の人生を狂わせた(有罪になるかも。執行猶予が付いたとしても)。世間を騒がすほどに問題が大きくなり、一部の顧客にはゴネてもいいんだとの誤った先入観を抱かせることになったかも。銀行協会としても、銀行対応にも問題があったと検証し、奇貨とすべきではないか。

 

 さて、7月10日に参議院議員選挙が行われる。昨年の衆議院議員選挙は立憲民主党が政権交代の選挙と位置付けたが、惨敗し立憲民主党の代表者交代の選挙となってしまった。自民党は絶対安定多数を確保し実質圧勝したが、参院選は、衆院選に比べて比例の割合が高く、大勝ちしにくいと見られている。ただ、今参院選は野党の足並みが揃わず無風と見られている。が、(意外で老いの色ボケなら賢愚を問わず他山の石とすべき)衆議院議長の晩節を汚すセクハラ疑惑騒動、自派議員の「パパ活&未成年と飲酒」疑惑に加え、「岸田インフレ論」への警戒感もあり、岸田政権は慎重な態度を崩していない。
 その参院選は「政権交代の選挙ではない」と言われる。直接的にはそうだが、その勝敗は間接的に政権交代に関わってくる。
 我が国の政権交代は、次の手順を踏んでいると言われる。①参議院で与党側の議席が過半数割れ②ねじれ国会③法案が通らず与党側の権力の弱体化・さらなる支持率の低下④参議院選後の衆議院の総選挙で野党が過半数の議席獲得。
 第一次安倍内閣の下で行われた2007年参院選は相次ぐ閣僚の不祥事や「消えた年金問題」等で自公の与党の非改選との合計で103となり参議院の過半数を割り込む結果となる。それ以降、安倍政権、福田政権、麻生政権で「ねじれ国会」に苦しむことになる。2009年8月の麻生内閣の下での衆院選で政権交代を求める国民の声を受け民主党が大勝し、自民党は結党以来初めて衆議院第2政党に転落する憂き目に遭い、自公政権が一旦終焉する。
 今度は、民主党の菅直人政権の下で実施された2010年の参院選で、民主党が野党・自民党に惨敗し、民主党が参院で少数与党に陥りねじれ国会となる。国会での主導権を自民党に握られた民主党は機能不全となり、尖閣諸島中国漁船衝突事件、東北大地震・福島原発所事故等失点続きの菅首相の後を継いだ野田政権の下での2012年の衆院選で自公に政権を奪還された。
 かくして、細川政権で小選挙区制が導入され、ライフワークとした小沢一郎議員が英国流の二大政党制を目指したが、大いなる“実験”は失敗に帰した。残ったのは、自民党の一強及び多弱党。元に戻ったのではなく、政権を担う自民党は、民間企業に擬えれば、大企業から中小オーナー企業に劣化してしまった。中選挙区時代の自民党は派閥同士切磋琢磨しその中から、幹事長、外務大臣、大蔵大臣等主要ポストを歴任し勝ち上がってきた政治家が総理・総裁に上り詰めた。今は自民党だけではなく、総理・総裁も劣化している。ようやく清和会から宏池会に首相が代わったが、米国バイデン政権への追従、対ロ政策の転換・(憲法第9条擁する日本の)軍事同盟NATOへの接近や敵基地攻撃能力保有の検討継続等宏池会らしさがないように思え残念至極(魚は頭から腐ると言われるが、隣国から“腐っても鯛”と思われている間に、遅まきながら下記で述べる官僚派の首相に頭を替え日本の立て直しが必要と私は言い続けている。持続化給付金の相次ぐ不正受給事件も官僚派首相の元であれば官僚がそんなおざなりな制度設計をするハズはないと思うのだ)。

 

 中国の共産党とは性格が違うが、戦後政権をほぼ独占してきた自民党政権の歴史を振り返ると、1955年保守合同により自由民主党が結成され、その後38年自民党単独政権が続くことになる。初代自民党総裁・総理であった鳩山一郎は、東大卒ながら市会議員出身で、いわゆる「官僚派」ではないが、後に続く岸信介、池田勇人、佐藤栄作等ほとんどが東大卒の官僚出身で占められた。鳩山と対立していた官僚出身の大宰相吉田茂が吉田学校と言われるように官僚出身の議員を多く擁した(故城山三郎の『小説日本銀行』によれば、うるさい党人ではなく若い官僚出身者を揃え新しい支配層を形成しようとしたとする)ことが大きいが、「日本の赤化阻止」との時代要請にもマッチしたのであろう。

 共産主義の顛末を知る今の我々と違い、敗戦直後の庶民は、暴力による革命に今ほど違和感がなく、新興共産主義陣営の言うことの方が正論だと思っていた人も多かったことだろう。
 GHQも日本の共産主義化を懸念しソ連の分割統治要求も退けた。日本自体も共産主義化を防ぐべく、今岸田首相が唱える「成長と分配」により、戦後復興とともに貧しい人がほとんどであった国民の生活レベルの向上を急務とした。共産主義化すれば既政治家・官僚自身が真っ先に粛清されるとの恐怖心からも官僚出身の政権による強力な上からの推進が急がれたとは、ちと穿ち過ぎか。
 その後天才・庶民宰相田中角栄が登場し、党人派の代表としての田中への支持をめぐって官僚派、党人派入り乱れ、両派の対立は形骸化して行った。そして、1993年8月に宮沢喜一が退陣して、それ以降官僚派の首相は出現していない。宮沢政権は消える寸前に一瞬輝くロウソクの火と同じで、1987年官僚派中曽根康弘から党人派竹下登に代わったとき、実質官僚派首相の役目が終わったと言える(1980年代に入ると、高度成長期を経て革新自治体が減り、学生運動も下火となる一方、自民党単独による長期政権に揺らぎが生じ自民党にとって国家政策よりも選挙基盤の強化が重点課題となり、官僚出身の自民党議員自体も減っていく一方で、世襲議員等が増えていくことになる)。
 1989年11月ベルリンの壁崩壊、1991年12月ソ連瓦解を前にして、資本主義と共産主義の対立は共産主義の自壊で決着するのが明白になっていた。もう日本の共産主義化の懸念が無くなる。1989年4月竹下政権の下で低所得者に累進課税的な消費税が導入された。それ以降貧富格差が広がっていく起点となったと言えるかも。
 1991年3月にバブルが崩壊してから失われた10年と言われたとき、2001年4月(大衆迎合的な)ポピュリスト小泉純一郎氏が首相となる。フランスの人口統計学者、歴史学者で親日のエマニュエル・トッド氏は著書『老人支配国家 日本の危機』(文春文庫・電子書籍)の「ポピュリズムを克服する方法 - 8/8」の中で、「ポピュリズムは、エリートが民衆の声に耳を傾けるのを拒否し、国民を保護する国家の枠組みを肯定的に引き受けないときに台頭してくるもの」と言う。
 私は過去に五人組による密室での森喜朗首相誕生がなければ、政変・加藤の乱もなく小泉首相の存在もなかったと書いたが、そうではなく、バブル崩壊後の失われた10年の中で欝々とした大衆が小泉首相の誕生を待ち望んでいたということか。ただ、小泉首相は、大衆の期待に応えることなく、新自由主義に基づく、規制緩和、貧富の拡大をもたらしただけだった。後継者である安倍首相に引き継がれ、失われた10年は20年、30年となっていった。2018年には堤未果女史が『日本が売られる』(幻冬舎新書)と警鐘を鳴らすに至る。
 新自由主義の旗頭である、米国レーガン大統領が1989年1月に、英国サッチャー首相が1990年11月に、退陣している。それから10年経ち既に英国でサッチャリズムが批判されていたハズの2001年から何故か(米国からの要求か)小泉首相が新自由主義政策を展開していく。中国においても、レーガン、サッチャー両巨頭が退陣した直後の1992年にソ連の瓦解を受けて鄧小平が「南巡講話」を発し、資本主義を導入し、市場経済化・グローバル化が進められた。東西を分離する鉄のカーテンが除かれた中で新自由主義が時代の寵児となったのであろうか。
 新自由主義の見直しは、2016年6月国民投票でブレグジット(2020年末EUからの離脱)の支持、2016年に就任したトランプ大統領の保護主義への転換まで待たなければならなかった。
 昨年11月新自由主義からの転換(国民の声を聞き、貧富格差を是正する)を唱える岸田政権が誕生した。それは時代の要請による必然であろう。
 (経済成長していない中で)裕福な人々をより裕福にすることではなく(私に言わせれば、トリクルダウン理論は詭弁。シャンパンタワーにシャンパンを注ぐようにはいかない)、新産業を育成し、アメとムチにより企業の投資意欲を喚起させる一方、貧しい人々も日本人としての誇りと生きがいを持って生きていけるよう下支えすることが、時代の流れの中の一過性のブームではなく、聖帝仁徳天皇の治世以来普遍的な国の役割だと私は思う。
 ただ、成長と分配による「令和版所得倍増」ではなく、格差を拡げることがあっても是正はありそうにない「一億総株主」と聞けば、安倍政権かと見誤るほどに、岸田首相の唱える「新しい資本主義」はもうメッキが乾く間もなく剝がれて行くのか。

 

 宮沢政権の退陣は、官僚派首相の終焉だけではなく、38年に亘る自民単独政権並びに55年体制の終焉との意味合いがある。
 ポスト55年体制ではすべて連立政権となっていく。中北浩爾氏の『自公政権とは何かー「連立」にみる強さの正体』(ちくま新書)によれば、第1期細川政権、羽田政権(非自民非共産)、第2期村山政権、橋本政権(自社さ政権)、第3期小渕政権~麻生政権(自公政権)、第4期民主党政権(民主、社民、国民新の三党連立)、第5期第2次安倍政権以降(自公政権)となっている。
 この中で、自公による連立が双方にメリットがありうまく機能している。公明党はとにかく与党側にくっつくことが目的と見ていたが、民主党政権誕生したとき、公明党は自民党と一緒に下野した。公明党の山口那津男代表は民主党政権が短命に終わることを予見していた(その先見の明には敬意を表する)。さらに地方の支持基盤が弱い民主党の選挙協力はメリットが少ないとの判断もあったろう。自民党も2016年参議院選で大勝し単独政権が可能となるも選挙協力の観点から公明党との連立を解くことはしなかった。
 国民側としても、公明党支持・不支持に関係なく、右傾化する自民党がアクセルなら公明党がブレーキの役割を果たし、憲法第9条が守られたと認めざるを得ないのではないか。小泉政権に対する神崎武法代表は「平和の党」との看板を守っていたと言える。
 ただ、安倍政権に対する山口代表はどうだったのか。右傾化アクセルが強い安倍首相は変人と言われた小泉首相より御し難がったのか。第二次安倍政権以降特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認(限定的な集団的自衛権で済んだのは公明党の功績と佐藤優氏は評価するが)、安全保障関連法の制定、改正組織犯罪処罰法の制定等安倍政権の右傾化を許してきた。自民党側に、憲法第9条、とりわけ9条2項に触らなければ公明党を黙らせられると思わせていないか。支持母体の創価学会(以下「学会」)はそれをどう思っているのであろうか(その意思表示でないのか。年明けの「自民支援は『自動的ではない』候補者支援は『人物本位』」との学会側の発言は。没になった自公での年金生活者への1律5千円支給案がそれに対する回答なら、ズレているのではないか)。
 黒子であるべき財務官僚トップによるバラマキ批判が物議を醸したが、公明党主導?の度重なるバラマキは学会側が公明党に要望しているのか。それとも公明党がただ忖度しているだけなのか。どちらにしろ国民も批判的なバラマキが学会女子部の選挙協力に対する見返りと国民に邪推されるのは得策ではない。
 安全保障面は、岸田政権に代わっても安倍政権と代わり映えしなく、危うい。自民党が進める改憲による「緊急事態条項」について公明党はどう対応するのか。

 山口現代表は13年の長きに亘る。今般の参議院選挙の選挙結果に拘わらず代表交代も視野に入れた方が良いのではないか(学会員でもなく、大きなお世話だが)。
 今後も連立政権が続くと思われる中、年初に立憲・菅直人元首相から「ヒトラーを思い起こす」と誹謗?された(表現は問題だがその菅氏の懸念は一概に的外れとは言えない)日本維新の会(以下「維新」)が躍進し「自維連立政権」が樹立されることが起きるならば、ブレーキがなくなるかも。だが、今すぐはその心配はないかもしれない。参院選を前に自民党と維新の関係が険悪に。さらに維新内で掲げるベーシックインカムの財源は「増税」か「赤字国債」かで内輪もめし、ルッキズム発言等問題議員が目立っている間は。