2022.10 NO.179 しょうい VS しょうい(1/2)
 大谷選手は、昨年メジャー4年目で、ケガや手術もあり思うように二刀流が発揮できず、二刀流が続けられるか剣が峰に立っていた。が、投打で活躍し、二刀流を完遂させた。そしてア・リーグのMVPに輝いた。
 今年は、ホームランが少ない感じはあるものの、ベーブルース以来104年ぶりの「二桁勝利、二桁ホームラン」を達成した。さらに、メジャー史上初で(米時間6/21、22)「8打点の翌日に2桁K(13)」を記録(ルースのキャリアハイは1試合7打点、1試合11奪三振)した。
 さらに、「二刀流としての規定打席、規定投球回」をクリアしようとしている。規定打席502打席(162試合×3.1)は既にクリアしている。規定投球回162回(162試合×1)の方は、あと26。今後とも6人で回すと登板が4回(米時間9/10、9/17、9/23、9/30)しかない。それで行くと今後の4登板は暑い中7イニング×2回+6イニング×2回が必要となる。序盤に大量点を取られると交代させられるので、毎回クオリティ・スタート(先発投手が6イニング以上を投げ、かつ3自責点以内)を義務付けられているのと同じ。投球数制限もあり、容易ではない。規定投球回に足りなければ中4日で最終日10/5(日本時間10/6)に足りないイニングを投げるか、米時間9/30の登板予定を試合のない日も含めて中5日になる9/29に変更し、中5日で最終日10/5も投げられるようにするしかないだろう。
 ベーブルースがなし得なかった、規定打席、規定投球回をクリアした“完全二刀流”が史上初で樹立(これがプレーオフ進出の可能性がなくなった大谷選手の今のモチベーション?)できれば、ホームラン王へ独走中のヤンキース・ジャッジ選手とのMVP争いがいい勝負に(記者でなく選手が選ぶなら大谷選手のMVPはもう当確なのだが)。
 前季は「二刀流の完遂」。今季の「完全二刀流の樹立」が成就すれば、来季の目標は史上初の「完全二刀流として15勝、50本塁打達成」及び「通算600奪三振、100本塁打」か。今後二刀流の選手が現れてもその数字を超えるのは難しい。究極の目標、見果てぬ夢は、「完全試合の当日に満塁ホームラン」となるか。

 投手としては、昨年後半から先発投手としての投げ方を習得したが、今年はさらに進化し、速球がスピードを増し、平均球速97.3マイル(約157キロ)は昨年比で2マイル(約3.2キロ)も速いという。より磨きがかかった高速スライダーやカーブに加え新兵器シンカーも投げる(昨日の対アストロズ戦では160キロのシンカーで三振をとる)ようになり、過去にサイ・ヤング賞に輝いた投手たちと遜色ないレベルに到達している。前季の9勝を今季は前半戦だけで到達している。
 一方、打つ方は、昨年の後半戦からの不調から脱し切れていないように見える。米時間7/13の昨年オールスター前までの前半戦では、ホームラン33本(右翼21本、バックスクリーン5本、左翼7本)に対して、後半戦のホームラン13本(右翼12本、バックスクリーン1本、左翼0本)で、後半戦は引っ張る打ち方に偏り、ひっかけたセカンドゴロが多くなっていた。
 初の二刀流で出場したオールスター前日のホームラン競争でも、出だしはゴロばかりで球が上がらず(ホームラン競争でヘトヘトになり、野球の才能からすれば異星から来たスーパーマンを彷彿とさせるが、体力からするとやっぱり日本人だと再認識した。今季は辞退した)、オールスター本番でも2打席とも内野ゴロに終わる。スイングにも影響が出でホームランが出にくくなったと言われた。
 今季はホームラン競争、オールスターの投手としての登板も辞退したように、たしかにその疲れはあろうが、いわゆる“投高打低”の節目は、昨年の米時間6/28~30のヤンキース戦だと私は見ている。6/28、29で3本のホームランをかっとばしヤンキースファンの度肝を抜いた。ヤンキース・スタジアムは右翼側が狭く、新球場になってからはさらに左打者に有利となっている。それで大谷選手も引っ張り癖がつき、そのままホームラン競争に突入した。さらに勝負を避けられる中ホームラン王争いへの焦りが引っ張りに走らせたと思う。
 オフになれば、疲れもとれ、悪癖も修正されると思っていたが、前季後半から続いて速球をホームランにできない状態が続いた。カウントをとりに来た速球を打てなければホームランは増えにくい(速球を打ち損じ2ストライクになってからのホームランは前季46本中16本あった。が、今季は30本中8本しかない。その内7本は2ストライク2ボールか3ボールの場合。2ストライク0ボールか1ボールの投手有利なカウントでは、外角低めに、右投手からチェンジアップで、左投手からスライダーで、三振か内野ゴロで打ちとられることが多い)。
 ある専門家は「不調時の大谷は、より強く振ろうという意識が強いせいか、見た目にも引っ張り傾向が強く出る。体を開かず、じっくりと引き付け、ボールの内側から叩いて外に押し出す。左打者である大谷がこのように打てば、当然センターからレフト方向へと飛ぶようになるが、これが面白いほどに伸びていく。引っ張った時とは逆に、ややボールの下にバットが入ることでバックスピンがかかり、打球はいつまでも落ちてこない」と言う。
 大谷選手自身も、心得ており、最近は毎打席センター方向に打つよう心掛けている(今季30本のホームランにつき、バックスクリーン6本と左翼9本とで半数を占める)。その反面、「打つポイントを体の近くに置いてあるため速球に振り遅れているのでは」と解説の小早川毅彦氏は見ている。打撃は難しいものだ。
 一方投手としての節目も前季6/30のヤンキース戦だったと思う。打撃でヤンキースファンを降参させ今度は投手でヤンキースファンを絶望させることが期待されたヤンキースタジアム初先発はまさかの2/3回を2安打5四死球7失点で降板。暑さ、マウンドの傾斜がきついことに加え、気負いもあったのではないか、制球が定まらず、1回も持たなかった。その時の反省から、クローザーが先発しているかのようなスタイルではなく、炊飯のごとく「はじめチョロチョロ中パッパ」から5回ぐらいより160㎞前後の速球を投げ始める先発投手としての本来のスタイルに変貌したと見ている。前季において前半戦は4勝1敗、防御率3.49(上記ヤンキース戦の前までは2.58)、後半戦5勝1敗、防御率3.18(シーズン通して)と余り変化はないように見える。が、コントロールがよくなり、志村朋哉氏の『ルポ 大谷翔平 日本メディアが知らない「リアル二刀流」の真実』(朝日新書)によれば、9回あたりの四球数は年間で3.04(9位)であったが、後半戦だけで限れば1.28と60イニング以上投げた投手の間では1位となっている。さらに今年に入れば、調子が出ない登板時においても失点を抑えそれなりにゲームを作り先発投手としての役目を果たすなど、進化を見せている。

 MLBに移籍した当初米国では打者より投手としての評価が高かった(育ての親の栗山元監督ら日本の関係者は打者の方をより高く評価していた)が、昨年のオールスターの頃は打者としての評価の方が上回ったであろう。後半戦以降では、また、より進化を遂げる「投手」の方に評価が高くなったのではないか。今6月頃ブレーブスで2度のサイ・ヤング賞に輝き殿堂入りしているトム・グラビン氏が「両方やってほしいが、もし片方だけに絞るのであれば、打者より投手の方が支配的な存在になれる」とコメントしているように(それに対しての表立った反論はないようだ)。
 もともと打撃は水物。3打席に1回ヒットで好打者。兄貴分と大谷選手が慕うMVP獲得3度のトラウト選手でも6月に30打席ノーヒットとスランプに陥った。
 そのトラウト選手は2021年までの11年間の平均で、打率0.305と3割を維持し、それ以上にメジャーで重視するOPSの11年間平均が1.002 (出塁率0.419+長打率0.583)とは驚異的(ホームラン46本の2021年の大谷選手は0.965でしかない。今季は0.9に届いていない)。ホームランをビッグフライとも言うように特大弾が野球の醍醐味だとしても、ゴルフと同じで飛距離を争うスポーツではない。打撃ではファンの身贔屓としてもトラウト選手を凌駕しているとは軽々に言わない方がよい。
 投手としても、現役でサイ・ヤング賞数度受賞の投手たちがいる。先発投手3冠の内今季防御率、最多勝の2冠が有望で3度目の受賞も夢ではないアストロズのバーランダー投手を初めメッツのシャーザー投手及び1年振りの復帰登板で164キロを記録したデグロム投手、ドジャースのカーショー投手を差し置く訳にはいかない。
 二刀流は一人で二人分働くことが凄い。よって疲れるのは当たり前。先発投手をすることは打撃への負担になり、打者での毎日の出場は投手としてのパフォーマンスに影響する。打撃練習を控えることになる。その中で、大谷選手は出場機会を奪った他の選手を黙らせるほどの活躍をしなければ、二刀流は許されない。
 大谷選手の投打での活躍は奇跡的であり、King of Baseball (「クロスカントリースキー」と「スキージャンプ」でのトップでなくとも、その2種目複合の「ノルディック複合」の王者がKing of Skiと呼ばれるように)と称されるに相応しい。それぐらいに、エンゼルスのマドン前監督、ホワイトソックスのラルーサ監督、メッツのショーウォルター監督、アストロズのベイカー監督(スーパースターの上メガスターと称賛する)、レッドソックスのコーラ監督らMBLの名将達が認めているのが、何とも心強い。
 二刀流で、しかも打者としても投手としてもメジャーのトップとして君臨するなら、もはや地球人ではない。我らファンはそれをつい期待してしまうが。
  
 故障がなければ、大谷選手はいつまで二刀流が続けられるであろうか。伝説のヤンキースのスラッガーAロッド氏と元レッドソックスの主砲で殿堂入りしているデビッド・オルティズ氏との話の中で「結婚すると家族孝行もあり無理だろう」と話していた(元々ロッド氏は先発投手ではなく負担が少ないクローザーでの二刀流を主張していた)。
 松井秀喜選手は34歳の手前の現役中結婚したが、より野球一筋でストイックな大谷選手は松井選手とヤンキースの同僚で名選手ジーター選手のように引退してから結婚するかもしれない。少なくとも40歳までは現役でいると仮定すると、あと12年、先発で7年、クローザーで5年はどうか。もうホームランで100本打った。先発で100勝(前季までで13勝。今季13勝するとすればあと7年で74勝)、クローザーで100セーブ(5年×20ペース)、100盗塁(既に66)の「クアドラプル100」達成もあるかもしれない。12年後84歳になる私は見届けられないだろうが。

2022.10 NO.179 しょうい VS しょうい(2/2)
 大谷選手は2023年オフFAの権利を取得する。大谷選手、球団オーナーを差し置き、トレードだ、移籍だと外野が喧しい。米東部時間8/2午後6時のトレード期限近くでは、球界の宝をトレードでオーナーが手放す訳ないとメディアによる憶測のトレード話には苛立ちしか覚えなかった。
 昨年後半「エンゼルスに残留したいか?」との質問に「ファンの人も好きだし球団自体の雰囲気も好き。ただ、それ以上に勝ちたいという気持ちが強い。プレーヤーとしてはそれの方が正しいんじゃないかなと思っている」と、このままチームが弱ければ、FA権を行使し移籍する可能性があることを大谷選手が示唆したともとれる微妙な発言をしたと報じられた。
 これに対しては、重たい発言には違いないが、他の選手に奮起を促しただけだと私は見ている。剛速球しか投げない私なら「オレは客寄せパンダじゃない!」と怒り任せに仲間に関して非難めいたことを言うかもしれない。賢く自制心が利いており、怒っても野球以外では剛速球を投げない大谷選手が他の選手の奮起を婉曲的に求めただけの発言だと思っている。
 一度「このままなら、離婚するしかない」と妻が言ったからといって、妻が離婚したがっていると思う夫はいるだろうか。
 オーナーやフロントに対しては、大谷選手は内心快くよく思っていないかもしれない。最初のコンビを組んだマルドナード捕手(現アストロズ所属)がシーズン途中で急遽放出されたこと。メジャー3年経過し年俸調停権を得た時、年俸は思いのほか格安水準であり実際に調停に向かうとは思っていなかったのではないか。球団側の大幅譲歩により調停は回避されたが、大谷選手には金額ではなく評価や球団姿勢に対してわだかまりが残ったのでは。さらに、今季途中で恩人マドン監督を切腹ではなく打ち首のような形で解雇したことに関して。
 ただ、大谷選手本人より、ファンの方がエンゼルスにあいそをつかしたようだ。米時間6/22のエンゼルス世界一20周年セレモニーの試合で当時のメンバーが臨席している中で大谷選手が投げるのにトラウト選手、ウォルシュ選手が休み、ストッパーのイグレシアス投手も登板回避した。2安打13Kと意地を見せた大谷選手より日本人ファンの方がエンゼルスから心が離れてしまった。それからメディアによる移籍報道が過熱した。
 大谷選手がエンゼルス以外に移籍する場合には、次の3つの要件を満たす必要があると言われている。
  A. 中4日の先発を望むスーパーエースが不在
  B. DHを大谷が独占しても大丈夫な戦力編成 
  C. 大型契約が必至の大谷を引き受けられる資金力
  ナ・リーグでもDH制に移行したのでア・リーグに限らないが、C.を満たすならヤンキースが一番手となろう。
ヤンキースはOBだけではなく現役からも大谷選手への称賛を惜しまない。逃がした魚は大きいと思っているのか。それとも、まるでFAになればヤンキースへとアピールしているかのように。通算251勝、奪三振3,093 の上述C.C.サバシア氏は一番の大谷ファンと言って憚らない(元同僚でホームランを量産するアーロン・ジャッジ選手を差し置いて今季も大谷選手がMVPと断言する)。野茂英雄投手と同時期にMLBで活躍し通算213勝154セーブを挙げ野球殿堂入りしたジョン・スモルツ氏も大谷選手が今季ヤンキース戦で投打に精彩を欠いた中で2018年から2年連続サイ・ヤング賞に輝く当代屈指の剛腕と比較して、「デグロムは投げるだけだ」と言い「ただただ脱帽だ」と大谷の実力を評価している。
 上述Aロッド氏は大谷選手のことを「彼は全てのユニークな才能を1人の人間に繋ぎ合わせた存在」と言う。「パワーはブライス・ハーパー(2015年にMVP、本塁打王などに輝き、オールスターにも6度出場しているパワーヒッター)。ピッチング能力はマックス・シャーザー(サイ・ヤング賞3度の名投手)。スピードはトレイ・ターナー(メジャー屈指の俊足で、年間43盗塁を記録した18年に盗塁王)に匹敵する」と言うのだ。
 ヤンキースの現エース右腕コール投手も「一番すごいのは両方をこなす準備とそれを負担に思っていないことが凄い」と賛辞を昨季贈った。現ヤンキースの顔であるジャッジ選手は、MLB全体の顔になれる立場なのに、自身が大学時代二刀流を実践した経験から、最高峰の舞台で二刀流を実現していることに驚き、野球少年のごとく褒めちぎっている。今季の直接の対決でも大谷投手からホームランを打ったのにジャッジ選手は大谷選手を「最高の選手」だと賛美する。島国根性の日本人にはマネできない米国人のすごいところだ。
 ただ、入団にとなると、話は別だ。移籍の三要件のCは、お金に拘泥しない大谷選手にとって、決め手にはならない。Aについては、エースのコール選手がいる。大谷投手が移籍すれば5人で中4日での登板が6人で中5日になる。中5日では、登板回数が減り、中4日の投手に比べて、最多勝、奪三振数で不利になる。さらに試合数162と同じ規定投球回数(162試合×1回)をクリアするには27試合登板で毎試合平均で6イニング投げないと規定投球回数不足となる。短くともIL入りすればたちまち苦しくなる。不足すれば、防御率の投手ランキングに名前が載らなくなる。それではサイ・ヤング賞争いから脱落する。投手専業の選手にとって死活問題となる。
 Bについても、スター軍団のヤンキースで、大谷選手が打撃でスランプに陥った時、野手からだけではなく、二刀流を続けることにMLBの本場で手厳しいファン(今季ヤンキースとの対戦でヤンキースファンから「過大評価」と野次られる)やメディアが黙っているか。
 ニューヨークと違い年中温暖ロス郊外アナハイムにあるエンゼルス同様西海岸ロスのドジャースも候補に挙げられているが、大リーグアナリストAKI猪瀬氏は「エースのビューラーが、けがで長期離脱が確定なので大谷投手は欲しい選手ですが、指名打者を固定しなければいけない打者・大谷は、戦力構想にはフィットしません」と言う。

 ビューラー投手は2度目の手術で来季も全休予定だが、ドジャースにはサイ・ヤング賞3度受賞のカーショー投手やIL入りで規定投球回クリアが微妙ながら16勝1敗、防御率2.10のゴンソリン投手もいる。他にも、防御率2点台で、15勝のウリアス投手や13勝のアンダーソン投手もいる。FAという変動要因もあるが他球団ならエース級の投手が居並ぶ投手王国で強力打線のドジャースに移籍と言う米記者は、アジテーターとしか私には思えない。
 パドレスも有力候補と見られているが、ダルビッシュ有投手が在籍しており、迷惑を掛けたくないとの思いから、日本人選手がいるチームには移籍しないのではないか。
 結局のところ、二刀流にこだわる大谷選手は、4番でピッチャーという高校野球のような「二刀流できるチーム」と「ワールドチャンピオンになれるチーム」と二兎を追うことはできない。
 唯一無比の二刀流をまだ極めたとは言えず、強いチームに移り二刀流を止めれば、唯一無二のメガスターではなくなり、数多いるスーパースター選手のone of themに過ぎなくなる。
 普通投手は登板の翌日には肩が張り体のあちこちが痛い。それなのに、却ってバランスがいいかもと言う大谷選手はフル出場しホームラン(前季米時間6/18のタイガース戦及び今季同4/15のレンジャーズ戦、同8/4のアスレティック戦では、登板日の翌日の試合なのに2ホームラン)も打てる。そんな選手は来世紀は分からないが今世紀中は大谷選手しかいないのでは。 前季46本のホームラン中、登板「翌日」にホームランを打ったのが8回9本。「翌々日」も6回 7本打っている。現時点で、今季も、30本中登板「翌日」にホームランを打ったのが4回6本。「翌々日」も8回 8本打っている。両日だけでホームランの半数近くを稼ぐ。スター投手・野手もそれに驚愕している。
 それだけに人気が凋落気味のMLBとしても大谷選手に出来るだけ二刀流を続けてもらいたいとするのが本音ではないか。
 メディアは移籍すると報道し、それを支持するファンが多いが、移籍するとしても気候のよい西海岸を有力として他の日本選手がいない弱いチームに限られるだろうし、口約束ではなく二刀流を契約書に明記する球団はないだろう。ネビン監督代行が大谷選手の登板間隔を中5日にとの発言を聞いた時なぜそんなに無理させるのかと思ったが、大谷選手と相談し規定回数をクリアして史上初の完全二刀流を樹立させる為と知った。大谷選手をより高く他球団に売りつける為とは思わない。色々あっても大谷選手の可能性を信じ辛抱強く見守ってくれたエンゼルスに残るのが良いと私は少数意見になろうがそう思う。
 MLB史上最高の投手で、エンゼルスに1972年から在籍していたノーラン・ライアン選手も最初から6年間チームは西地区の4位~6位に低迷していた。それでもライアン選手は1979年までの8年間もエンゼルスに在籍していた。
 そうした中、鍵を握るエンゼルスのオーナーが球団を売却するとの報道がなされた。現オーナーに対しては、「オーナー肝いりのレンドン選手が大型不良債権となって大谷選手との大型契約ができない」「オーナーはぜいたく税を払う気がない」と言われていた。(すぐ見つかるか分からないが)2~3千億円にも上ると言われる売却額を払える新オーナーならぜいたく税の支払いを厭わないのではないか。メガスターの大谷選手で売却額を吊り上げられ、それで大谷選手にFAで去られては新オーナーは踏んだり蹴ったりになる。オーナーの交代によって大谷選手の残留の可能性は却って高くなったのではと思うのだが。
 

 トラウト選手からも希望され大谷選手がエンゼルスに残留した場合でも、故障がちでDHにと自他ともに思うトラウト選手とDHを分け合うことが必要になるかもしれない。その場合、中5日で投手として出場(降板後DH)、登板明けながらホームランが多い翌日と翌々日の試合は大谷選手がDH。その次の2試合はトラウト選手がDHで、大谷選手が外野を守る。登板の前日は大谷選手が調整の為ベンチ入りとなるか。
 トラウト選手と大谷選手とは、本人同士は尊敬しあっていても、「両雄並び立たず」が世の常。エンゼルスは生え抜き米国人のトラウト選手のチーム。ヤンキースにおけるジーター選手と松井秀喜選手との関係に似ていると言える。人種差別には関係なく、米国では外国人の大谷選手は、ワールドチャンピオンが狙えるチームに将来移籍することになるのではないか。その時は唯一無二の二刀流へのこだわりを捨てて。
 

2022.9 臨時号 NO.178 っかVS っか
 8月で満72歳となった。6回目の年男でもある。
 今年は、寅年でも、36年に一度の「五黄の寅年」に当たる。気学・九星の「五黄」と干支の「寅年」とは、どちらも強運で、二つ合わされば最強運と言われる。
 五黄の寅年の人は、今年2022年に生まれた赤ちゃん並びに今年誕生予定の胎児、1986年生れの36歳、1950年生まれの我ら72歳、1914年生れの108歳、しかいない。もっとも108歳で五黄の寅の人はいないかもしれない。
 最強運なら「末は博士か大臣か」と言われてもよさそうだが、私が子供の頃「末は乞食か大臣か」と親らに声かけられた。最強運でもリスクを追う気質がある為か。私自身は限りなく乞食に近づいている。
 私に限らず1950年の五黄の寅年生まれの人は、他の年生まれの人が経験していない試練を味わっている。今から思えば50年以上前の懐かしい思い出ではあるが、当時は重大すぎる出来事であった。現役の私らより臥薪嘗胆で今度こそはと思っていた浪人生の方がはるかにショックだったと思う。1969年(昭和44年)の東大入試の中止である。政商と揶揄される竹中平蔵氏は東大に入る学力はあったろうがやむなく一橋大に入りそのまま卒業した。業界団体に私がいた時お世話になった某教授は、一旦千葉大に入り翌年東大を受験し直し合格した。その後民間企業を経て千葉大に教授として戻ることになる。私と神戸高校の同級生で、国立がんセンター勤務時代胃がん手術の名医と週刊誌に度々紹介されることになる笹子三津留氏(本ブログ初号「オスとメス」で紹介)は、京大の理系に合格し通ったが、ほどなく医師を目指すことに転向し予備校に通う。当初地元の神大医学部でもと思っていたが模擬テスト成績がずば抜け東大医学部に志望変更し合格した。
 同じく9/30で72歳になる、仏文学者、翻訳家、思想家、武道家と多彩な顔を持つ内田樹氏は、(Wikipediaによれば)日比谷高校に入学しその後少し回り道したが東大入試中止の為京大法学部を受験し不合格となる。翌年東大の文Ⅲを受験し合格する。私は、京大の経済学部を志望していたが、東大入試が中止となり、内田氏を初め東大志望者が多数都落ちしてくると他の京大志望者と同じく京大受験を諦め他大学に志望を変更した(その時の心情等は本ブログ2013年6月号NO.24「ゆい と ぬい」に書いたので省略する)。
 その年の京大の入試問題は新聞紙上ですぐに確認したが、過去問と比べて大きく問題様式が変わっていた。国語では高村光太郎の詩『火星が出てゐる』の全文を読み、思うところを述べよと記述式の問題が新設されていた。受験勉強1本槍の私は本を読むのは教科書と参考書のみ。小説も好きでない(今も新書中心。小説は歴史小説か経済小説。推理小説は偶にしか読まない)。そんな私に詩情を解せる訳もなく、また作文も苦手とした私はお手上げだ。数学もIQテストみたいな問題も載せられていた。受験していれば私は激しく動揺したであろう。いきなりOBを連発し散々なスコアで上がるゴルフと同じに結果になっていたことだろう。

 1969年の受験経験者に対しては、会ったことのない人でもいわば戦友のような感情を私は抱く。だが、上述の竹中氏や神戸高校の某同期生(その頃から話をしたことがない)はアメリカナイズされビジネスの世界で成功者と言えるが、日本という国家について思い入れがあるように私には思えず、二人に敬意を払うことはない。

 数多の庶民の中から選ばれしエリートにノブレスオブリージュを求めるのはスジ違いかもしれないが、そんな心意気を持つ人を尊敬したい。
 私は、内田氏の言説にすべて賛同する訳ではないが、安倍元首相を首相在任中から批判しており、非業の死後も変に持ち上げたりしないことをもって、信用するに足ると思っている。日本の行く末を憂う内田氏に作家・歴史研究家故半藤一利の後継者として期待せずにおれない。
 今は、出征して20歳で帰国した生存者でも97歳にもなる。戦争経験を語れる人はもうほとんどいない。東京大空襲で生死をさまよい15歳で玉音放送を聞いた半藤は90歳で逝った。
 1950年(昭和25年)生まれでは、物心つく1954~55年ぐらいまでほとんどリアリティがない。それでも戦後から10年経過していても敗戦の痛みは感じていた。まだ街には白装束の傷痍軍人姿でアコーディオンを弾き托鉢僧のごとく立っていた。子供ながらに戦争は嫌だなと思わせた。敗戦後の貧しさも、まだ続いていた。私にはなかったが、4つ上の兄は弁当に麦飯が入っていた時は恥ずかしかったと言っていた。

 いち早くテレビを購入した家に近所の子供と一緒に夜群がった。帰ると玄関の鍵が掛かっており呼んでも開けてくれない。兄は泣かなかったが、私は泣きべそをかいていた。親から「迷惑だから行くな!」と制せられていたが、テレビのある家の人は観せてやるという態度でもなければ迷惑そうな様子も見せない。そうであれば子供ながら感づく。今の貧富の断絶ではなく、助け合うことが自然であった、互助の精神が息づいたよき時代でもあった。東京タワーが建設される頃を映した邦画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズでもそのように描かれている。
 満州に出征した父は帰国後度々膵炎を起こした。その度ごとに酷寒の満州で寒さを凌ぐため酒ですい臓を痛めたと言っていた。満州に関してはそれだけ。どんな理不尽な目に遭ったか、満州で自身が何をしたか、一切語ることはなかった。敗軍の将でない一兵卒の父も沈黙した。凡庸な私も自分から聞こうとはしなかった。私より約2か月遅れで生を受けた内田氏は、『戦後民主主義に僕から一票』(SB新書)の中で、小学生の頃担任の先生に「先生は戦争に行ったの?」「先生、人を殺したことある?」と訊いたとしている。その頃から私とは頭の出来が違うのだ(比較すること自体不遜だが勝手に親近感を覚え内田氏の本を読む度自らの頭の悪さを痛感する)。
 内田氏は、戦争の悲惨さ、軍部上層部の愚かさ・無責任さ等を教えてくれた半藤の逝去を残念がる。上記新書の中で「歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じだ。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになるとぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は『修正』しようがない。」と危惧する。
 今の戦争を知らない政治家は、敵基地攻撃とか憲法改正とか「手段」しか語らない。「目的」は米国に従属することに決まっていると思っているからであろう。内田氏も私も同じ戦争を知らない世代に違いないが、戦中派の「二度と戦争はしてはいけない」の想いをまだ受け継いでいると私はそう思っている。
 戦争の生き証人がいなくなる上、責任の所在を明らかにしない日本の悪弊により歴史的資料が散逸・消滅することを憂慮する作家保阪正康氏は82歳になるが、「帰納的な、実証主義的な歴史検証を行い、それによって得た教訓を次世代に伝えていく」ことを使命とするとまだ意気軒昂だ。ぜひ内田氏と共鳴しあってもらいたいものだ。

 我々の世代から10歳下に、今や“知の巨人”と呼ばれる佐藤優氏がいる。小選挙制導入以降劣化した自民党内で最近俄かに「敵基地攻撃能力保有」(さらに飛躍して「核の共有」)の声が高まっている中、佐藤氏は週刊東洋経済2020年8月1日号にて「勇ましいことを言う人が愛国者とは限らない 敵基地攻撃能力をめぐる自民党の危険なアプローチ」と題して敵基地攻撃能力の保有に関する問題点を指摘し、外務省OBがその必要性を支持することを憂慮した。私も、武器を持たない戦争という外交を担当する外務省のOBによる敵基地攻撃能力の保有への前向き発言には違和感しか覚えない。
 佐藤氏の発言は国民に影響力がある。ぜひ憲法改正の自民党の目玉「緊急事態条項」についてもその危うさを国民に語ってもらいたい。
 ところが、年初佐藤氏が前立腺がんであると公表された。腎臓移植ができるかの検査の中で発見された。前立腺がんより腎臓移植が必要なほど腎臓が機能不全なのが深刻な問題と分かった。その後情報がないが、どうなのか。週刊新潮の対談は一時中断から復活し、その中で透析を受けていると書かれていたが。
 腎臓移植した場合免疫抑制剤の投与を続けるので癌の増殖を抑えられなくなるため癌があれば腎臓移植には不適合となるのか。ただ、前立腺がん患者の先輩である私(2012年放射線治療、再発なし)に言わせれば、佐藤氏のPSAの値は公表されていないが、癌の悪性度を判定するグリソンスコアは中位なので、自覚症状がないことを勘案すれば、癌が前立腺内に留まりまだ転移していない公算が高いと思われる。前立腺がんは他の癌と違い男性ホルモンの影響が大きい。ホルモン療法で前立腺がんの餌である男性ホルモンを止めれば熊と同じように冬眠状態になり増殖しない。その間に、腎臓移植できるのではと素人の浅知恵ながら、そう思いたい。
 ありがたく、うるわしいことに奥方が腎臓を一つ提供されるという。腎臓は一つあれば大丈夫。私の妻によれば、義父は18歳で自ら志願して海軍に入り、しごきか事故か知らないが、腎臓を一つ失くした。新婚旅行先で義母は背中に大きな刀傷を見て腎臓が一つ無いことを知った。その時義母は義父の余命を不安がったが、義父は一つ失くしてから55年は生きた。タバコを止めていればもっと長生きしていただろう。
 佐藤氏には、沖縄だけではなく日本国全体の為に、長生きしてもらわないと困る。

 宏池会の岸田政権に代わっても、昨年度より高校の「学習指導要領」で「現代社会」が廃止され、「基本的人権の保障」と「平和主義」が削除されている。それはそのままにして国民は政治的にますます愚民にされていくのか(旗振りの安倍元首相が亡くなったので、変わると思いたいが)。  
 その目的は何なのか。中国のような全体主義国家を目指すのか、それとも米国に従属することに疑問を持つ国民を無くす為か。いずれにしろ政府が国民を愚民化するなら上記知識人たちに国民に啓発してもらう他はない。
 その中で、私が尊敬する一人藤原正彦氏は、そう言いながら先生の本を多数読んでいるわけでもなく、月刊『文藝春秋』での印象に過ぎないが、最近発言が過激になっておられるのか。2022年4月号で『驕れる中国とつきあう法』で中国をボロクソに言い放ち、同5月号の連載コラムで「核攻撃をほのめかしさえすれば、台湾や尖閣を手に入れられると、習近平が勘違いしないよう、プーチンの侵攻を破滅的大失敗に終わらせねばならない」と息巻く。その後に続く、ソ連侵攻の満州から命からがら奇跡的に帰国を果たす感動的な話が色あせると私には感じる。しかし、 同6月号でもロシアに触れているが、普段のトーンに戻っていた。命からがらの満州からの家族の逃避行が甦り一時的に感情が高まった?に過ぎないと安心した。
 嫌いでも関係を持たざるを得ない隣国に対しアンチ中国、反ロシアへと国民が傾斜しているときにそれを煽るようなことは賢人の役割ではない。ナチスがポーランドへ侵攻したとき、一般大衆とともにドイツの知識人も諸手を挙げてヒトラーを歓迎し、危ない権力者をさらに暴走させた。真珠湾攻撃の成功の時も同じ。日本の知識人も狂喜乱舞した。権力者が正しい道と信念を持っていたとしてもその道を選ぶことを国民が許さなくなる。賢人の役割は、「原子炉の冷却水」であるべきだと思う。
 

2022.9 NO.177  い VS
 今週月曜日に閉幕した2022世界陸上で、サニブラウン・ハキーム選手が、長年の日本選手の夢であった世界陸上100m走のファイナリストに初めて輝いた。本ブログ2017年1月号NO.67(「ルメートルVS二メートル(1)」)でハキーム選手に期待を寄せていると書いたが、その後日本人初の9秒台は先を越され、昨年の東京五輪では走れる状態になかった。この5年間非常にもどかしさを感じていたが、この1年で精神的にも随分大人になったように見える。日本人最速記録の9.95秒も抜き返し、名実共に第一人者になる日も近いと期待される。

 

 さて、今回は「心」がつく漢字の話をしてみたい。
 少し前「そこに愛はあるんか?」でお馴染みのCMで和尚に扮した大地真央さんが「この世に愛がなくなってしもうたら、ア行は『ウ』と『エ』と『オ』だけになってしまう」と説法していた。私も悪ノリして「この世に恋がなくなればコーヒーは皆うすいアメリカンになってしまう」と。言わなきゃよかった。バナナの皮を踏んでしまった。
 韓流ドラマ『人生最高の贈り物』にて主演の10年経っても童顔のままのイ・ジョンウさん扮する主人公の父親が(字幕で)「貧困と愛は隠せない」と言っていた。
 思うに、金持ちは貧乏のフリはできる。我々貧しい者は金持ちのマネはできない。「愛」は隠してもにじみ出るものなのか。それは「恋」も同じでは。古代ローマの詩人オウィディウスは「恋と咳は隠せない」と残した。平兼盛は「しのぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで」と詠う。人の心が、「愛」の方に対してより感受性が高いとは思わない。「愛」は空気と同じで無くしてから気づくことが多くないか。本ドラマで言う「愛」とは恋愛を意味するのか。
 そもそも「愛」は隠す必要がないのか。「恋」は隠す場合もある。不倫もその一つか。
 不倫といえども、本来恋愛は自由。よって不倫は刑事罰に問われないのか。ただ、不倫に伴う不貞(「配偶者以外の異性と自由な意思で肉体関係を持つこと」)は民法上の不法行為となり、夫が不倫の場合妻は不倫相手に損害賠償請求(慰謝料請求)できる。妻が不倫の場合も同様(民法709条)。
 今や不倫の相手は異性とは限らない。世に同姓愛が認知されてくると、不倫相手が同性ということが表面化してきても不思議ではない。その問題を風刺したのが、2020年公開の『アンモナイトの目覚め』。19世紀半ばの英国社会を舞台に、実在の女性古生物学者(扮するは『タイタニック』のヒロインを演じた英国ケイト・ウィンスレットさん)と若き人妻(演じるは「愛」と漢字表記のアイルランド女優シアーシャ・ローナンさん)が運命の恋に落ちていく様子を描いている。
 同年日本公開の映画『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』では、英国女優で007シリーズボンド役でお馴染みのダニエル・クレイグさんの奥方でもあるレイチェル・ワイズさん扮する、ニューヨーク在住の女性カメラマン・ロニート(両性愛者?)とレイチェル・マクアダムスさん演じる幼馴染のミセス教師・エスティ(同性愛志向者)との性的関係がロンドンの厳格なユダヤコミュニティの中で問題となる。ラビ(ユダヤ教の聖職者・教師)の後継者としてのエスティの夫は、妻の自由にして!との求めに対して、葛藤するも、「君は自由だ!」と許してしまう。しかし、結局妻は夫のもとに留まり、ロニートは一人ニューヨークに返る。
 もし、夫が許さず、妻が去り、夫が妻の愛人ロニートを訴えた場合、同性の性的関係は不貞(「配偶者以外の異性と自由な意思で肉体関係を持つこと」)に準ずるのであろうか(昨年2月東京地裁にて、夫が妻と不倫をした女性に対して慰謝料などの支払いを求めた訴訟で、同性同士の不倫であっても不貞行為にあたるとして女性に対し慰謝料など11万円の支払いを命じる判決が出された。まだ確定している訳ではないが)。

 話が道ならぬ恋に逸れたので、元にもどす。「愛」とか「恋」とかは私には縁遠いが、歌謡界にとって「愛」と「恋」は避けて通れない究極のテーマなのだろう。美輪明宏さんは「恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの」と宣う。
 恋愛に「ときめき」はつきもの。故西城秀樹のヒット曲『この愛のときめき』では作詞家故安井かずみが「どんな風に 愛したら この恋が結ばれる」と書く。小川知子さんの『この恋のときめき』では作詞家故有馬三重子は「やっと見つけた すてきなあなた わたしだけを みつめていて」と結ぶ。前者は愛を与えるから「愛のときめき」。後者は愛を求めるから「恋のときめき」と題しているのか。
 台湾人歌手故テレサテンは『愛人』で「あなたが好きだから それでいいのよ たとえ一緒に街を 歩けなくても」と唄った。中国人なら怪訝に思う。中国語の「愛人」は妻のこと。愛する人との意味であれば、それが相応しい。日本で言う「愛人」は「情人」と呼ぶのか。日本もそのように変更した方がよいだろう。

 発売当初批判を浴びたというさだまさしさんの『関白宣言』も西野カナさんの『トリセツ』も、結婚相手に求めるから恋の歌の範疇に属するか。
 若い男女が「つきあう」と認め合う。「つきあう」とは何か。「友達以上結婚未満」と思った爺の私は時代遅れ。今は2つに分かれる。「友達以上恋人未満」がSOME(サムと読む。由来先韓国はソム。somethingが語源とか)。SOMEから進展すれば「つきあう」になるという。
 「つきあう」は、恋の始まりであり、愛への入り口か。相手を互いに束縛することでもある。相手を独占したいという気持ちは女より男の方が強い(歌手中西保志さんが歌う名曲『最後の雨』の作詞は意外にも女性の夏目純さんだが「誰かに 盗られるくらいなら 強く抱いて 君を壊したい」と思う世の男性は少なくないだろう)。
 40~50年前肉体関係=結婚との考え方がまだ女の大半であった頃肉体関係になれば男の独占欲、安心感が満たされた。今は男がそれを口にすると「そんなことぐらいで自分のものになったと思わないで!」言い返されるのか。何をもって男の独占欲は満たされるのだろうか。A(キス)→B(ペッティング)→C(セックス)⇒D(結婚)→E(妊娠)ではなく、A→B→C→E⇒D にならないと安心感は得られないものなのか(こんなことを想い及ぶこと自体私が時代にとり残された遺物なのか)。
 さださんは『恋愛症候群』で「無償の愛」「不変の愛」をとり上げ、「相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋 与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛」と唄う。
 アベガーではなく、アガペー(無償の愛)は、自らを犠牲にして相手に与える。見返りを期待しない。母性愛がそれだ。彼女は彼氏に恋しいと言う。母は子に愛おしいと言う。母が子に恋しいと言うときがあればI miss youの意味か。昨年11月末妻と二人で映画『梅切らぬバカ』を鑑賞したが、加賀まりこさん扮する母の子に対する愛は至上。男にはとても到達できない境地。
 「愛は真ん中に心という漢字があるから真心、恋は下に心があるから下心」と言われる。不倫は「恋」。それが結婚・再婚に発展すれば、心の位置も上昇し「愛」に昇華する(周りのすべての人に祝福されるとは限らないが)。 
 心の位置が中から下へ行く。つまり、「愛」から「恋」に変わることはあるか。家族愛から恋に変わることは少ないか。連れ子を持つ同士再婚し連れ子の男女が兄弟となれば兄弟愛が生まれても「恋」に発展するのは稀のようだ。

 恋愛問題は、経験の少ない私の得意な土俵ではない。この辺で手仕舞おう。「恋」以外にも下心の漢字は少なくない。心の有り様を表す漢字が多いが、直感的には、「悪」を筆頭に悪い意味を表す、あるいは暗いイメージの漢字が多い印象を持つ。忌、忘、怠、怒、恐、懲、愚、患、恣、惑、悶、悲、愁、惷(みだれる)、慝(よこしま)等少なくない。それに対して、良い意味の下心の漢字は少ないか。忠、恵、恩、慈、恕(ゆるす)、慧(かしこい)ぐらいか。
 その他の下心の漢字では、「念」は今の下心。「志」は侍の下心。本当は真心。武士道精神に通じるか。「息」は自身の下心。意味は生活の広範囲に広がる。gooの辞書によれば、①いき「嘆息」②生きる「生息」③やすむ「休息」④やめる「息災」⑤こども「子息」⑥ふやす「利息」。
 「忍」は心の上に刃(やいば)が乗る。仏教では「刃を向けられても動じない心」。因幡晃さんが歌う『忍冬』(すいかずら)で作詞家ちあき哲也さんは「忍という字は難しい 心に刃を乗せるのね 時々心がいたむのは 刃が暴れるせいなのね」と歌わせる。刃とは自身を取り巻く厳しい環境を意味しているのかも。
 私がゴルフを始めた頃練習場のコーチに診てもらったところ、腰が揺れているとセットアップの初めから腰の位置を固定しインパクト時の形をとらされた(剣術のごとく脇も締められ非常に窮屈であったが、その時は芯に当たりよく飛んだ)。そんな私は心もよく揺れる、と言うより、乱れる。言葉を抑えられず相手を傷つけるが、自身も傷つく。「忍」が難しい私にとって、刃は暴れず、乱れる心が刃にあたるのだ。
 将棋の羽生善治棋士、競馬の武豊騎手、野球の大谷翔平選手は、斯界の第一人者としてプライドも高く負けん気も強いと思われるが、いらだつことを言われても人前で乱れることがない。自制心が利いているそんな年下の天才たちに尊敬心を抑えられない。

2022.8 NO.176  ふるえ VS ふるえ

 安倍元首相が不条理にも凶弾に倒れた。私は、安倍元首相を第二次政権頃から一貫して批判してきたが、「安倍晋三様のご冥福を心よりお祈ります。」と言わせていただく。

 国際情勢含めて嫌な世相になってきた。70年以上続いた日本の平和も終焉に向かうのか。

 

 明日は参議院選挙。朝食を摂ったあと妻と一緒に投票所に向かう。選挙予想は私には無理なので、今日は好みのプロスポーツの話をする。

 MLBの大谷翔平選手は、ホームランが昨年ほど出ず物足りない感はあるが、前半戦二刀流として十分過ぎる働きを見せている。何しろ下記投打のスター選手と遜色ない成績を一人で挙げている。日本時間7/8時点で大谷選手は投手として8勝4敗、防御率2. 44、 奪三振率12.33、WHIP0.99(ヤンキースのエース・コール投手は8勝2敗、防御率3.26、奪三振率11.03、WHIP1.03)。打者としては、打率0.257、ホームラン18本、打点53、OPS0.833(昨年ホームラン王のゲレーロJR選手は打率0.268、ホームラン19本、打点54、OPS0.841)。低く見てもひとりで1.8人前の働きをしてると評価できる。

 後半戦もこのまま調子を維持できれば、ベーブルース以来104年ぶりに「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」を達成する。ホームラン王争いのヤンキースのジャッジ選手、アストロズのアルバレス選手の2人とMVP争いに。

 果たして2年連続のMVPになるか、さらに大谷選手登板日にトラウト選手、イグレシアス投手ら投打の主力選手が出場せず日本人ファン達がエンゼルスに強烈な不信感を募らせてからメディアが一斉に煽り始めた移籍問題も併せ、秋には本ブログ(「しょうへいVSしょうらい」)で触れてみたい。

 

 海外の男子プロゴルフでは、私が応援している日系4世のコリン・モリカワ選手がシーズン初め最終日普通に回れば優勝し、念願の世界ランク1位になると見られたが、まさかの崩れで叶わなかった。3つ目のメジャー勝利かと思われた全米オープンは3日目が+7と大きく乱れた。+2程度で収めておれば優勝できただろうに。
 それに反し、モリカワ選手より8か月早く生まれたスコッティ・シェフラー選手が、2月の初優勝を皮切りに3月も勝ち、さらにマッチプレーも優勝し、あっという間に世界ランク1位に輝いた。その余勢を駆って4月のメジャー・マスターズにも優勝し、新王者に君臨してしまった。まったくノーマークだったので、驚いた。
 女子プロの方は、1/3掲載の2022年2月号NO.166(「さそうVSむそう」)で、亀に喩えたコジンヨン選手が、一時ネリ―・コルダ選手に抜かれるも、メジャーには手が届かなかったがコツコツと成績を伸ばし、世界ランク1位の座を守り続けている。ライバルで私がウサギに擬えたネリ―・コルダ選手が、油断ではなく、左腕の血栓を取り除く手術で休んだのは、想定外であった。
 今シーズンから米ツアー参戦の渋野日向子選手は、早々と来季のシード権を確実にした。オフに練習を積んだのかドライバーの飛距離も伸びている。ハワイでのロッテ選手権では、風が苦手と思われたが、2位に終わるも優勝争いしたのには予想外で感心した。
 渋野選手はメジャーという大舞台には相変わらず強い。今季メジャー初戦のシェブロン選手権で3日目トップで迎え2番ホールでバーディを取った時、勘違いしてファンになり、また勘違いしてファンを辞めてしまったかと悔いた。と同時に「凡人の素人が分かった口を利き天才肌の女子プロに対して批判的なことを縷々言ってきたことをこの場を借りてお詫びする」との謝罪文を用意しなければと思った。その2、3時間後には優勝圏外に去っていた。
 ドライバーが曲がりスコアにならなかったが、解説の岡本綾子さんが「まっすぐ打つ練習ばかりしないで、曲げる練習もしないと。そうすればなぜ曲がるか分かる」と話していた。その後17番で偶々?バーディが出ると光明が見えたと言い、翌日またスコアがよいと「やっぱり、思い切りだ」と渋野選手は言う。言うことが我々素人と同じレベル。練習すればアプローチ等上手くなるが、「頭」は良くならない(私も、勉強した方だが、「知識」が増えても「頭」は良くはならなかった)。
 日本ツアーのプロテストに落ち、才能があるのに上手くいかず青木翔コーチに見てもらい、青木コーチがキャディを務めた2019全英女子オープンに優勝する。意外にも早く恩人青木コーチから離れると知った時もう一段高いステージの為にコーチを替えるのだと思ったが、コーチはつけていない。浮いた話も流れてきて私は失望しそれ以降称賛するのを止めた。誰の入れ知恵かスイング改造も否定的に書いてきた。修正を加えて板についてきたと思われた改造スイングも予選落ちした全米女子オープンでは、改造当初のスイングに戻ってしまったとネット民が嘆いていた。日本ゴルフジャーナリスト協会顧問菅野徳雄氏も「渋野はトップの位置が低いだけでなく、シャフトも寝かせているのだから理解に苦しむ。会場が上から落とすアイアンショットを要求しているのだから、トップでシャフトを立ててグリップエンドを下に向けなければならない。」と言う。先月のメジャー・KPMG女子PGA選手権(以下「全米女子プロ」)は予選通過するも体調不良で途中棄権した。渋野選手には、スポンサーサイドではなく、指導者、つまり「頭」を補完してくれるコーチが必要だ。
 それでも渋野選手の人気は衰えない。シブコ節によるファン、メディアへのサービス精神が旺盛な渋野選手はスポーツマンシップも話題になり、ぴょこぴょこ走りも好感されている。日本だけではなく米ツアーでも人気者であろう。どんなプロスポーツでも人気は大事。計算してではないから、それも天賦の才能。プロボクシングでも強くても人気(ファンを魅了させるもの)がなければリングサイドにファンは集まらない。放映権を買ってもらえない。渋野選手の人気に対してやっかむようなことは言わない。今もファンの人は家族のように長所も短所もすべて受け入れて応援する。それが真のファンの姿だろうし。
 私自身は今笹生選手を応援している。メジャーの2勝目は笹生選手が先だと思っている(渋野選手が先にメジャー2勝目を挙げたなら、まだ本ブログを続けていれば謝罪文を載せる)。
 その笹生選手には、昨年の全米女子オープン(以下「全米女子」)優勝後早く1勝をと上述166号で書いた。全米女子優勝・米ツアー初優勝の先輩にあたる2020年のキム・アリム選手、2019年のイ・ジョンウン6選手も次の1勝が遠い。イ・ジョンウン6選手は2年間1勝も挙げられなかったが、メジャー2勝目の絶好の機会が訪れた。昨年のエビアン選手権にて第2ラウンドで10アンダーを叩き出し、2位に5打差をつけて最終日を迎えた。楽勝かと思われたが、何としても勝たねばとのプレッシャーからか7打差あったミンジー・リー選手とプレーオフになってしまい、結局負けてしまった。念願のメジャー優勝を果たした豪国ミンジー・リー選手はその後好調さを維持し今年の全米女子も制した。世界ランクも今や2位となりトップ選手の仲間入りを果たした。
 笹生選手は、国を背負っている感のある韓国女子プロと違い、重荷になっていると思わないが、それ以降未勝利で1年過ぎてしまった。ドライバーを変えたがまだしっくりこないのか。この前の全米女子プロの解説者レジェンドの樋口さんが動きが少し大きすぎるとも言っていたが。初コースが多いこともあるか。今季初日の出遅れが目立つ。爆発的なスコアで上がるラウンドもあるので不調とも言えないが、とにかく早く1勝を挙げてもらいたいものだ。
  昨年の全米女子で笹生選手にプレーオフで敗れ優勝を逃した畑岡奈紗選手は、今季も1勝を挙げ、日本選手の中では一番安定感がある。まだ悲願のメジャー優勝はないが、焦る必要はない。ミンジー・リー選手もメジャー初優勝は時間がかかったがメジャー2勝目は早かった。
 古江彩佳選手は、ナポレオンのごとく小さい人ほど気が強いと言われるように、どんな大舞台でも足が震えることがないような精神的な強さがあると思う。渋野選手と同様来季のシード権をほぼ手中にしている。
 バンク・オブ・ホープ・LPGAマッチプレーは惜しくも準優勝となったが、自信につながったのではないか。ただ、シード権は毎年確保できる実力はあると思うが、世界のトップゴルファーが集まる米ツアーで優勝するのはどうか。上位入賞の位置に慣れてしまう中で、移動距離も長い米ツアーで身も心も“勤続疲労”を起こしていかないだろうか。
 個人的には、今週日本でプレーしている古江選手には日本で優勝を重ねてもらいたい。後述するガラパゴス化しそうな日本ツアーのレベルを維持する為にも古江選手が日本ツアーをリードしてもらいたい。海外参戦はメジャーだけでよいのではないかと思っている。
 なお、上記マッチプレーは5日間(決勝ステージは2日間で4ラウンド)。気温も高い中7ラウンド消化してへとへとになって得られる優勝賞金は22.5万ドルで翌週開催の全米女子賞金180万ドルの1/8に過ぎない。コジンヨン選手、畑岡選手、笹生選手など多くの有力選手は出場しない。もっと賞金額を上げるとともに日程変更すべきだと思う(全米女子を制したミンジー・リー選手は出場していた。決勝ステージには進出していないので、それならよい肩慣らしになるのかもしれない)。

 同166号で笹生選手を筆頭として新世紀世代と呼ばれる2001年以降生まれの世代のNO.2にアッタヤ・ティティクン選手を挙げていた。タイの天才プロゴルファーと呼ばれ、アマ時代の成績は笹生選手に勝るとも劣らず、米ツアーでも活躍すると思ったが、早くも1勝を挙げた。世界ランクも5位(笹生選手は19位に後退)。新人王争いでも韓国チェ・ヘジン選手や渋野選手、古江選手を抑え、トップに立っている。メジャー優勝も時間の問題であろう。
 この他、2004年1月生れのスベロニア国ピア・バブニック選手がいる。身長は180㎝もある。4月シェブロン選手権で3位に入賞している。アマで2006年3月生まれの米国アナ・デービス選手16歳。昨年梶谷翼選手が優勝したオーガスタ・ナショナル女子アマチュアで優勝する。女子ゴルファーでは珍しいレフティで、“女ミケルソン”と呼ばれる日も近いのかもしれない。
 日本にも有望株がいる。馬場咲希選手17歳。日本人離れした体格で175cmから270ヤードのドライバーを放つ。難コースで繰り広げられた今年の全米女子で予選を通過した。

 その全米女子に出場した(予選落ち)日本プロテスト未合格の識西諭里選手のコーチ兼キャディとして参加した井上透プロコーチが『「この先5年、10年で日本人メジャーチャンプが5人は誕生すると思っています」。全米女子オープンを戦ったプロコーチ・井上透が感じた、日本女子ゴルフの“これから”』と題して、感想を述べ、次のように結んでいる。
 「選手たちの海外ツアーへの挑戦が盛んになれば、個々人の日本では得られない経験値もどんどん蓄積していく。普段のアメリカツアーに日本人選手が10~20人くらい参戦している未来が作り上げられたら、それこそ韓国ツアーと同じ状況が作れると思いますよ」
 米ツアーは遠い。メジャーだけならとかく簡単に言ったり来たりできない。行くなら米ツアーに転戦となるのでは。井上コーチは「今回のメジャーで15名の日本人選手がそこまでいい結果を残せなかったのは『日本に似たようなコースが非常に少ない=経験値に乏しい』という点に尽きます。」とも言う。それなら難しいセッティングをJLPGAに働きかければよいではないか。
 井上コーチもJLPGAも日本ツアーのことを本気で考えているのだろうか。私は2019年12月臨時号NO.125(「ひさこVSひなこ」)でJLPGAを批判している。
「かかる情勢変化の中で、プロテストに合格した選手でなければQTを受験させないという新制度が2020年度から実施される。要は、強い韓国女子選手を来させないためだろう。日本の女子ツアーを(男子ほど日米に賞金額の差がない)米女子ツアーに匹敵する(日本、韓国、中国、台湾、タイ等の選手が参加する)一大アジアツアーに昇華させていく。そのよいチャンスでもあるのに、わざわざマイナーツアーに留めおこうとする協会の制度変更に対して、レベルの低下、ガラパゴス化を懸念する批判は少なくない。エビアン選手権チャンピオンのキム・ヒョージユ選手も日本への転戦希望を表明している(韓国選手の方が日本ツアーを評価している?)が、そんな強い選手こそ歓迎すべきではないのか。」
 キム・ヒョージュ選手は、日本ツアーを諦めたようだが、その後昨年5月HSBC女子世界選手権、今年もロッテ選手権に勝ち、もう峠を越えてからでないと日本ツアーには参戦しないだろう。
 今目標とする外国選手は韓国の申ジエ選手と台湾のテレサ・ルー選手ぐらいしかいない。だが、全盛期は過ぎているのでは。日本女子選手の優勝が続いていると喜んでいてよいものなのか。このままでは、無料の地上波ならまだしも、有料放送で観ると思うのか。
 メジャー優勝者に日本のプロテストを受けろと言うのは酷。親日で日本人ファンも少なくない、チョン・インジ選手もユ・ソヨン選手も日本女子オープンに勝っている(キム・ヒョージユ選手も2012年に16歳のアマ資格で参戦し当時の史上最年少で日本のトーナメントで優勝している)。
 「メジャー優勝者又は日本ツアーで優勝している選手はプロテスト受けずともQTに受験できる」ように例外規定を設ければ、日本に来てくれるのかもしれない。と思ったが、チョン・インジ選手が先月の全米女子プロで優勝し6年ぶりにメジャー3勝目を挙げた。日本ツアー参戦は夢のまた夢となってしまった。やはり上記QT受験における制限を撤廃すべきだと思う。
 米国LPGAのワン前会長(現全米ゴルフ協会CEO)はやり手だ。不人気にあえいでいた米ツアーを米国・アジア・欧州ツアーとして発展させた。今季メジャーの全米女子の優勝賞金は倍増し、180万ドル(1ドル130円換算2億34百万円)となる。全米女子プロも倍増し135万ドル(同1億7550万円)となり、円安もあり日本の公式戦優勝賞金とは雲泥の差となってしまった。
 このままでは、日本男子ゴルフと同様日本女子ゴルフトーナメントを観なくなる日も近い。そう思うのは私だけなのだろうか。
 

2022.7臨時号 NO.175 せいん VS せい
 本題に入る前に、先月山口県阿武町が4630万円を誤って振り込んだ問題について少し触れておく。30年前になるが、私は小さな銀行に任意退職するまで20年間勤め新宿支店など3店舗の支店長を歴任した。町役場の不始末にではなく、本事件に関わった銀行について私見を述べてみたい。

 町役場が振り込みに行った地銀?の支店は、二重送信を事前に気づけなかったか。4/1と4/6と手続き日が離れていれば無理からぬか。それは仕方ないとしても、逮捕された容疑者が口座取引しているメガバンクの支店に4/8町役場職員と口座の本人とが来店し誤送金の組み戻しをすることが支店前まで来て不自然な形でキャンセルされたことを知った時点で嫌な予感が脳裏をよぎったと思う。送信側の銀行は町役場に仮押さえを進言べきではないか。あるいは、そうしたけれど、町役場が応じなかったということなのか。

 受信側のメガバンクの支店長の方がもっと嫌な予感がしたハズであり、私がその立場なら、本件は顧客を第一義に考えることに当たらない。(容疑者の)「口座を凍結しろ」と担当役席に指示する。担当役席は、顧客を怒らせ問題を却ってこじらせると反対するだろう。それならば、「口座残金665円と正規の入金10万円を併せ100,665円の残高を超える出金があった時点で凍結しろ。責任は私が負うから」と指示する(実際4/8当日の15時以降に678,967円が出金されているらしい)。その後町役場に仮差押えの手続きをすぐ手配するよう連絡させる。

 「銀行が勝手にできるのか。一時的に借用しただけですぐに戻そうとしたが、入金できなかった」と抗議してくるかもしれないが、その場合は受けて立つ。

 私は銀行員当時「銀行員らしくない銀行員」を売りとして粋がっていた面があるが、人材が少ない銀行は減点主義ではなく加点主義なので、こんなこともできるのかもしれない。メガバンクは、人材が豊富で減点主義なので、事なかれ主義になるのか。仮押さえによる凍結依頼がないからと(善意の第三者として)呆然と毎日口座残高が減っていくのを眺めていたのだろうか。

 不運が重なったと言うが、大きな事故や事件は皆そんなものだ。公共性の高い、送信側と受信側の2銀行が関わっている。ことは多額の公金の喪失(機転の利いた役場側の弁護士の働きにより9割方戻ったが)であり、また愚かとは言え一人の若者の人生を狂わせた(有罪になるかも。執行猶予が付いたとしても)。世間を騒がすほどに問題が大きくなり、一部の顧客にはゴネてもいいんだとの誤った先入観を抱かせることになったかも。銀行協会としても、銀行対応にも問題があったと検証し、奇貨とすべきではないか。

 

 さて、7月10日に参議院議員選挙が行われる。昨年の衆議院議員選挙は立憲民主党が政権交代の選挙と位置付けたが、惨敗し立憲民主党の代表者交代の選挙となってしまった。自民党は絶対安定多数を確保し実質圧勝したが、参院選は、衆院選に比べて比例の割合が高く、大勝ちしにくいと見られている。ただ、今参院選は野党の足並みが揃わず無風と見られている。が、(意外で老いの色ボケなら賢愚を問わず他山の石とすべき)衆議院議長の晩節を汚すセクハラ疑惑騒動、自派議員の「パパ活&未成年と飲酒」疑惑に加え、「岸田インフレ論」への警戒感もあり、岸田政権は慎重な態度を崩していない。
 その参院選は「政権交代の選挙ではない」と言われる。直接的にはそうだが、その勝敗は間接的に政権交代に関わってくる。
 我が国の政権交代は、次の手順を踏んでいると言われる。①参議院で与党側の議席が過半数割れ②ねじれ国会③法案が通らず与党側の権力の弱体化・さらなる支持率の低下④参議院選後の衆議院の総選挙で野党が過半数の議席獲得。
 第一次安倍内閣の下で行われた2007年参院選は相次ぐ閣僚の不祥事や「消えた年金問題」等で自公の与党の非改選との合計で103となり参議院の過半数を割り込む結果となる。それ以降、安倍政権、福田政権、麻生政権で「ねじれ国会」に苦しむことになる。2009年8月の麻生内閣の下での衆院選で政権交代を求める国民の声を受け民主党が大勝し、自民党は結党以来初めて衆議院第2政党に転落する憂き目に遭い、自公政権が一旦終焉する。
 今度は、民主党の菅直人政権の下で実施された2010年の参院選で、民主党が野党・自民党に惨敗し、民主党が参院で少数与党に陥りねじれ国会となる。国会での主導権を自民党に握られた民主党は機能不全となり、尖閣諸島中国漁船衝突事件、東北大地震・福島原発所事故等失点続きの菅首相の後を継いだ野田政権の下での2012年の衆院選で自公に政権を奪還された。
 かくして、細川政権で小選挙区制が導入され、ライフワークとした小沢一郎議員が英国流の二大政党制を目指したが、大いなる“実験”は失敗に帰した。残ったのは、自民党の一強及び多弱党。元に戻ったのではなく、政権を担う自民党は、民間企業に擬えれば、大企業から中小オーナー企業に劣化してしまった。中選挙区時代の自民党は派閥同士切磋琢磨しその中から、幹事長、外務大臣、大蔵大臣等主要ポストを歴任し勝ち上がってきた政治家が総理・総裁に上り詰めた。今は自民党だけではなく、総理・総裁も劣化している。ようやく清和会から宏池会に首相が代わったが、米国バイデン政権への追従、対ロ政策の転換・(憲法第9条擁する日本の)軍事同盟NATOへの接近や敵基地攻撃能力保有の検討継続等宏池会らしさがないように思え残念至極(魚は頭から腐ると言われるが、隣国から“腐っても鯛”と思われている間に、遅まきながら下記で述べる官僚派の首相に頭を替え日本の立て直しが必要と私は言い続けている。持続化給付金の相次ぐ不正受給事件も官僚派首相の元であれば官僚がそんなおざなりな制度設計をするハズはないと思うのだ)。

 

 中国の共産党とは性格が違うが、戦後政権をほぼ独占してきた自民党政権の歴史を振り返ると、1955年保守合同により自由民主党が結成され、その後38年自民党単独政権が続くことになる。初代自民党総裁・総理であった鳩山一郎は、東大卒ながら市会議員出身で、いわゆる「官僚派」ではないが、後に続く岸信介、池田勇人、佐藤栄作等ほとんどが東大卒の官僚出身で占められた。鳩山と対立していた官僚出身の大宰相吉田茂が吉田学校と言われるように官僚出身の議員を多く擁した(故城山三郎の『小説日本銀行』によれば、うるさい党人ではなく若い官僚出身者を揃え新しい支配層を形成しようとしたとする)ことが大きいが、「日本の赤化阻止」との時代要請にもマッチしたのであろう。

 共産主義の顛末を知る今の我々と違い、敗戦直後の庶民は、暴力による革命に今ほど違和感がなく、新興共産主義陣営の言うことの方が正論だと思っていた人も多かったことだろう。
 GHQも日本の共産主義化を懸念しソ連の分割統治要求も退けた。日本自体も共産主義化を防ぐべく、今岸田首相が唱える「成長と分配」により、戦後復興とともに貧しい人がほとんどであった国民の生活レベルの向上を急務とした。共産主義化すれば既政治家・官僚自身が真っ先に粛清されるとの恐怖心からも官僚出身の政権による強力な上からの推進が急がれたとは、ちと穿ち過ぎか。
 その後天才・庶民宰相田中角栄が登場し、党人派の代表としての田中への支持をめぐって官僚派、党人派入り乱れ、両派の対立は形骸化して行った。そして、1993年8月に宮沢喜一が退陣して、それ以降官僚派の首相は出現していない。宮沢政権は消える寸前に一瞬輝くロウソクの火と同じで、1987年官僚派中曽根康弘から党人派竹下登に代わったとき、実質官僚派首相の役目が終わったと言える(1980年代に入ると、高度成長期を経て革新自治体が減り、学生運動も下火となる一方、自民党単独による長期政権に揺らぎが生じ自民党にとって国家政策よりも選挙基盤の強化が重点課題となり、官僚出身の自民党議員自体も減っていく一方で、世襲議員等が増えていくことになる)。
 1989年11月ベルリンの壁崩壊、1991年12月ソ連瓦解を前にして、資本主義と共産主義の対立は共産主義の自壊で決着するのが明白になっていた。もう日本の共産主義化の懸念が無くなる。1989年4月竹下政権の下で低所得者に累進課税的な消費税が導入された。それ以降貧富格差が広がっていく起点となったと言えるかも。
 1991年3月にバブルが崩壊してから失われた10年と言われたとき、2001年4月(大衆迎合的な)ポピュリスト小泉純一郎氏が首相となる。フランスの人口統計学者、歴史学者で親日のエマニュエル・トッド氏は著書『老人支配国家 日本の危機』(文春文庫・電子書籍)の「ポピュリズムを克服する方法 - 8/8」の中で、「ポピュリズムは、エリートが民衆の声に耳を傾けるのを拒否し、国民を保護する国家の枠組みを肯定的に引き受けないときに台頭してくるもの」と言う。
 私は過去に五人組による密室での森喜朗首相誕生がなければ、政変・加藤の乱もなく小泉首相の存在もなかったと書いたが、そうではなく、バブル崩壊後の失われた10年の中で欝々とした大衆が小泉首相の誕生を待ち望んでいたということか。ただ、小泉首相は、大衆の期待に応えることなく、新自由主義に基づく、規制緩和、貧富の拡大をもたらしただけだった。後継者である安倍首相に引き継がれ、失われた10年は20年、30年となっていった。2018年には堤未果女史が『日本が売られる』(幻冬舎新書)と警鐘を鳴らすに至る。
 新自由主義の旗頭である、米国レーガン大統領が1989年1月に、英国サッチャー首相が1990年11月に、退陣している。それから10年経ち既に英国でサッチャリズムが批判されていたハズの2001年から何故か(米国からの要求か)小泉首相が新自由主義政策を展開していく。中国においても、レーガン、サッチャー両巨頭が退陣した直後の1992年にソ連の瓦解を受けて鄧小平が「南巡講話」を発し、資本主義を導入し、市場経済化・グローバル化が進められた。東西を分離する鉄のカーテンが除かれた中で新自由主義が時代の寵児となったのであろうか。
 新自由主義の見直しは、2016年6月国民投票でブレグジット(2020年末EUからの離脱)の支持、2016年に就任したトランプ大統領の保護主義への転換まで待たなければならなかった。
 昨年11月新自由主義からの転換(国民の声を聞き、貧富格差を是正する)を唱える岸田政権が誕生した。それは時代の要請による必然であろう。
 (経済成長していない中で)裕福な人々をより裕福にすることではなく(私に言わせれば、トリクルダウン理論は詭弁。シャンパンタワーにシャンパンを注ぐようにはいかない)、新産業を育成し、アメとムチにより企業の投資意欲を喚起させる一方、貧しい人々も日本人としての誇りと生きがいを持って生きていけるよう下支えすることが、時代の流れの中の一過性のブームではなく、聖帝仁徳天皇の治世以来普遍的な国の役割だと私は思う。
 ただ、成長と分配による「令和版所得倍増」ではなく、格差を拡げることがあっても是正はありそうにない「一億総株主」と聞けば、安倍政権かと見誤るほどに、岸田首相の唱える「新しい資本主義」はもうメッキが乾く間もなく剝がれて行くのか。

 

 宮沢政権の退陣は、官僚派首相の終焉だけではなく、38年に亘る自民単独政権並びに55年体制の終焉との意味合いがある。
 ポスト55年体制ではすべて連立政権となっていく。中北浩爾氏の『自公政権とは何かー「連立」にみる強さの正体』(ちくま新書)によれば、第1期細川政権、羽田政権(非自民非共産)、第2期村山政権、橋本政権(自社さ政権)、第3期小渕政権~麻生政権(自公政権)、第4期民主党政権(民主、社民、国民新の三党連立)、第5期第2次安倍政権以降(自公政権)となっている。
 この中で、自公による連立が双方にメリットがありうまく機能している。公明党はとにかく与党側にくっつくことが目的と見ていたが、民主党政権誕生したとき、公明党は自民党と一緒に下野した。公明党の山口那津男代表は民主党政権が短命に終わることを予見していた(その先見の明には敬意を表する)。さらに地方の支持基盤が弱い民主党の選挙協力はメリットが少ないとの判断もあったろう。自民党も2016年参議院選で大勝し単独政権が可能となるも選挙協力の観点から公明党との連立を解くことはしなかった。
 国民側としても、公明党支持・不支持に関係なく、右傾化する自民党がアクセルなら公明党がブレーキの役割を果たし、憲法第9条が守られたと認めざるを得ないのではないか。小泉政権に対する神崎武法代表は「平和の党」との看板を守っていたと言える。
 ただ、安倍政権に対する山口代表はどうだったのか。右傾化アクセルが強い安倍首相は変人と言われた小泉首相より御し難がったのか。第二次安倍政権以降特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認(限定的な集団的自衛権で済んだのは公明党の功績と佐藤優氏は評価するが)、安全保障関連法の制定、改正組織犯罪処罰法の制定等安倍政権の右傾化を許してきた。自民党側に、憲法第9条、とりわけ9条2項に触らなければ公明党を黙らせられると思わせていないか。支持母体の創価学会(以下「学会」)はそれをどう思っているのであろうか(その意思表示でないのか。年明けの「自民支援は『自動的ではない』候補者支援は『人物本位』」との学会側の発言は。没になった自公での年金生活者への1律5千円支給案がそれに対する回答なら、ズレているのではないか)。
 黒子であるべき財務官僚トップによるバラマキ批判が物議を醸したが、公明党主導?の度重なるバラマキは学会側が公明党に要望しているのか。それとも公明党がただ忖度しているだけなのか。どちらにしろ国民も批判的なバラマキが学会女子部の選挙協力に対する見返りと国民に邪推されるのは得策ではない。
 安全保障面は、岸田政権に代わっても安倍政権と代わり映えしなく、危うい。自民党が進める改憲による「緊急事態条項」について公明党はどう対応するのか。

 山口現代表は13年の長きに亘る。今般の参議院選挙の選挙結果に拘わらず代表交代も視野に入れた方が良いのではないか(学会員でもなく、大きなお世話だが)。
 今後も連立政権が続くと思われる中、年初に立憲・菅直人元首相から「ヒトラーを思い起こす」と誹謗?された(表現は問題だがその菅氏の懸念は一概に的外れとは言えない)日本維新の会(以下「維新」)が躍進し「自維連立政権」が樹立されることが起きるならば、ブレーキがなくなるかも。だが、今すぐはその心配はないかもしれない。参院選を前に自民党と維新の関係が険悪に。さらに維新内で掲げるベーシックインカムの財源は「増税」か「赤字国債」かで内輪もめし、ルッキズム発言等問題議員が目立っている間は。

2022.7 NO.174 いぜつ VS いぜつ(1/2)
 今春WOWOWで洋画『最後の決闘裁判』を観た。1385年フランスで最後の決闘裁判が行われた史実に基づく映画。妻(扮したジョディ・カマーさんは同時期公開された『フリー・ガイ』にも出演していたが、ゲームキャラのヒロインでの容姿が違い過ぎてカマーさんと気づかず)がレイプされたとマット・デイモンさん扮する夫がアダム・ドライバーさん演じる相手の男を裁判に訴えた。密室での出来事であり、相手の男も断固として否認する為、決闘により決着をつけることになる。
 「神は正しい者に味方する」「決闘の結果は神の審判」というキリスト教の信仰が背景にあるとウイキペディア(「決闘」)に書かれている。負けると裸で吊るされさらし者にされる。夫が負けた場合妻も生きながら火あぶりにされてしまう。結果は、馬乗りになった夫がとどめを刺す前に自白を求めるがあくまで罪を認めない相手を殺し勝利して終わる。
 映画を観終わったとき中世ではこんな不条理なことが行われていたのかと、その時はそう思った。が、ロシアの侵攻によるウクライナの凄絶(せいぜつ)な惨状を見ているうち、今回の戦争もプーチン大統領とゼレンスキー大統領が決闘すればよかったのにと思うようになった。
 ロシアとNATOが国境で対峙するのを嫌い、緩衝地帯となるよう中立国に留まって欲しいとするプーチン大統領に対して、ゼレンスキー大統領は、就任直前の2019年2月に憲法が改正され、「将来的にはEU、NATO加盟を目指す方針」が憲法に明記(なぜか。遠藤誉女史によれば、バイデン大統領が副大統領時代に操った傀儡の親米派ポロシェンコ前大統領〔2014年6月~2019年5月〕にそうさせたとする)されてしまっており、支持率が20%台に落ち込む中では、中立化を国民に問うことは自滅行為となる。それでも何とかプーチン大統領に対して融和的な関係を保てばよかったが、保身が優先したか対ロシア強硬路線に舵を切ってしまった。プーチン大統領はゼレンスキー大統領を説得することを諦め武力行使に至る。
 こんなことの為に、なぜウクライナが焦土化し、欧州最貧国の経済が壊滅し、とりわけ無辜な住民が多数犠牲とならないといけないのか。決闘裁判より不条理ではないか。
 私は、いまだにプーチン大統領が「悪」で、ゼレンスキー大統領が「善」という見方が多いが、それに与しない(逆に陰謀論者に与していると揶揄されるかもしれないが)。国のトップとしての政治家の第一の使命は国民の生命と財産を守ること。「それを捨ててでも勝利するまで戦う」と言うなら、ゼレンスキー大統領は、軍人そのもの(長年の北方領土交渉を無にしてまでウクライナを支援した日本政府に兵器支援でないと感謝の意を国として表しようとしないのを見ても)。“ウクライナの東條英機”と呼ぶに値する。

 5/21ゼレンスキー大統領が「ロシア軍を2月24日の侵攻開始前の状態まで撤退させられれば“勝利”だ」との認識を示したと報じられた。弱気になったか。それでもそれが成就されればゼレンスキー“将軍”としての勝利。だが、ゼレンスキー大統領がプーチン大統領に対して外交的努力を続けていた方がはるかに国民にとってはよかったハズだ。殺された兵士・無辜な住民たちは元には戻らない。続いて 「最も重要なのは、より多くの人命を守ることにある」と語ったとされるが、いまさら何を言わんやと思う。
 

 ただ、両大統領以上に(反米ではないが)バイデン大統領に私は嫌悪感を覚える。私が思うバイデン大統領の罪は2つある。
 1つは、米国が“世界の警察官”を降りるのは自由で仕方がないが、普通住民を守る警察官が引退するとき、喧嘩するなと言い残すものだ。とくに相手が飛び道具(核兵器)を持っているなら。後ろで情報や武器を供与する、戦争指南もするからとゼレンスキー大統領に喧嘩するよう嗾けた。そしてプーチン大統領には攻め込むよう仕向けたと思う。ロシアの弱体化、米国の利害に加え、あわよくばバイデン大統領の息子とウクライナの関係も闇に葬る為にも。
 4/20付け 『プーチン氏はいかにして開戦に至ったのか? ジョン・ボルトン元米大統領補佐官が解説』〈AERA dot.〉にて共和党の超タカ派ボルドン氏が次のように述べている。「プーチンは、ウクライナ侵略の機会を長年待ち構えていました。彼は20年11月の米大統領選挙で、トランプ前米大統領が再選を果たすかどうか見極めようとしていたと思います。トランプは一貫して北大西洋条約機構(NATO)を批判し、脱退寸前までいきました。トランプが再選すれば、プーチンは(NATOの弱体化という)利を得続けることができました。しかし、トランプは負けた。そこでプーチンは21年夏、バイデンと3時間半の首脳会談をした後、彼の品定めをし、準備期間を経て、22年2月24日の開戦に至ったのだと思います。」「今回、米国とNATOの最大の瑕疵(かし)は、ロシアのウクライナ侵略を防ぐために事前に十分な『抑止』行動を取らなかったことです。」と。
 ボルドン氏が言うように、トランプ共和党政権が続いていたら、ウクライナの侵攻はなかった。喩えで言えば、共和党なら「あなたの夫には問題がある」と忠告する程度。民主党は「あなたの夫は問題があるから離婚しなさい」と強硬に介入するから「嫌われ者かもしれないが、家族にとっては掛け替えのない主人」と言い返し喧嘩になる。

 民主党も共和党も根っこは同じだが、リベラルな民主党は、「自由」を標榜しながら、上から目線で、非民主主義国家や非キリスト教社会に対して、自らの価値観を押し付け、断る「自由」を認めないから、争いを起しがちになる(しかも自身で戦うならまだしもウクライナの大統領にやらせ、ウクライナ国民に多大な犠牲を払わせる。そんなバイデン大統領が正義漢面するのに我慢がならない。爺になった今も私は青臭いのだ)。

 ボルドン氏は、抑止行動をとらないことを「瑕疵」としたが、たしかにNATOは及び腰だが、バイデン大統領は「意図」したと言うべきではないか。さらに、プーチン大統領を侵攻するよう仕向けたことも触れるべきではないか。

 薄暗い部屋の中で連結された動物の檻が二つあり、一方に大きな熊が入っており、もう一方に小さな乳牛が入っていた。飼育員は連結部分の扉に施錠しなかった。それでも熊が入ろうとしないので開錠してある(米国は軍事介入しない)と教えた。裸の王様の大熊はそれならと入ると火花のように電気がつき、そこには乳牛ではなく(ウクライナの歴史的なシンボル)ライオンが入っていた。

 中国問題研究で一番信頼を置き、今回のウクライナ戦争の見方においても私が支持する遠藤誉女史は、ロシアを擁護するのではないと断りながら、今回のウクライナ紛争の起点と言うべきマイダン革命はバイデン大統領(当時副大統領)が首謀者と断言している。2014年2月野党がクーデーターで親ロ派ヤヌコーヴィチ大統領をロシアに亡命させる(上述の親米派ポロシェンコ大統領が就任)。それに対抗するかのように2014年3月ロシアによるクリミア併合→ウクライナのアゾフ大隊による東部親ロ派住民への殺戮→今般のロシアによるウクライナ侵攻。今回もバイデン大統領が脚本を書き代理戦争させられるゼレンスキー大統領は悲しきコメディアンの役を演じさせられているのでは。
 

 もう1つの罪は、欧州の一小国の為に厭戦気分の米国兵士を投入する気がないとの本音を隠すためにも、米国軍事不介入の理由として「ロシアと戦う(核戦争を意味する)つもりがない」と言ってしまったことだ。ウクライナに戦争させるなら、「核攻撃は米国が抑止させるから、安心して戦え!」と言うべきところなのに。
 核が抑止力として機能するにはお互いが打たれたら必ず打ち返すとの強気の心理が前提。核戦争はしたくないと弱みを見せれば、敵はそこを突いてくる。核で脅しにかかってくる。
 脅しだけではなく、戦争が長引き通常兵器が品切れになれば、化学兵器のあと限定的な戦術核攻撃をロシアが使うかもしれない(TVでお馴染みの東大小泉悠専任講師ら専門家は現実に起こりうる問題として懸念を示す)。自衛隊の元幹部はロシアが制圧したへルソン州等で人民共和国を建て、ウクライナが奪還すべく攻撃した場合ロシア領土を攻撃した、戦争になったとして戦術核の使用の口実にされる恐れがあると言う。

 戦術核が使用された場合、目には目と、米国と核を共有するNATO(ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの5か国が核共有)が核兵器による反撃をと思ったとしても、核を管理もし使用の最終的な決定権も持つ米国(当たり前。自由に使えさせたらいつ自国に向けられるか分からない。広島、長崎を原爆で焦土化させた日本となら、なおさらに)はゴーサインを出せるか。バイデン大統領は、プーチン大統領から「米日戦争を早く終わらせるため原爆を落とした米国に倣っただけ」「核兵器でロシア・ベラルーシ等に反撃すれば、多核弾頭ICBMで米本土に報復する」と脅されれば、チキンゲームに負けるのか。それとも反撃するのか。あるいは戦術核使用の兆候を把握した時点で米国が何らかの手を打つのか。

 はっきりしていることは、ロシアに戦術核兵器の使用を許してしまい、その上反撃もしなければ、“西側の守護神”としての称号も失い、米国の威信が地に落ちること。

 様々な重病説が流されプーチン大統領が早く逝くことを多くの西側の人々から願われていようが、プーチン大統領の戦術核の使用を止められるのはプーチン大統領自身しかいない(破滅的な米国との戦略核戦争は軍幹部でも拒否するだろうが)。

  

 それに対して、米国自身はどう見ているのか。核保有軍事大国と核の傘も無い非核保有国とのありえない戦争(映画の世界でも、拳銃を持っているのにナイフの相手にナイフで戦っても最後は銃を使う)の落とし所を考えるべき時期に来ているが。

 今は米国は、緻密な戦力比較と戦況分析をした上、米ロ軍同士の情報交換での感触から、最終的にロシアが戦術核を使わずとも優位な立場でウクライナと停戦すると読んでいる。それでも「ロシアの弱体化」を始めとした米国の所期の目的は達成されると踏んでいるのかもしれない。

 このほど共和党の重鎮キッシンジャー氏から「領土割譲による停戦案」の発言がなされた。これが潮目となり、ウクライナ穀倉地帯及び輸出港がロシアに制圧され、ウクライナ経済の破綻のみならず、世界的な食糧不足への影響が出てきており、さらにこれ以上無辜な住民が犠牲になることが忍びず、国際世論も、ウクライナ軍への声援から、(タオルを投げ)「よく頑張った。ウクライナ国民の勇猛果敢さ、愛国心の強さは世界を感嘆たらしめた」との声に変わっていくのではないか。

 妥協を政治家としての死と捉えるゼレンスキー大統領は断固拒否するかもしれないが、最後はバイデン大統領が引導を渡さざるを得ないのではないか。マッチポンプになるが。

  一方、日米にとっての最大の懸案国である中国は、米国と日本がロシアへの対応に追われている事態は歓迎していよう。戦争が長引くのには拱手傍観し、戦争が終わりそうになれば和平の使者としておいしい仲裁役をロシア、ウクライナ両国と友好関係にある中国習近平国家主席が買って出るのかもしれない。

2022.7 NO.174 いぜつ VS いぜつ(2/2)
 ロシアに隣接する北欧2か国が核の傘がないことに恐れを感じ、長年の軍事的中立を捨てスェーデン、フィンランド両国がNATO加盟に向かう。

 両国のNATO加盟はスムーズに進むと思われたが、NATO加盟のトルコが両国の加盟に反対を表明。NATOには親ロ派政権のハンガリーもいる(まるでトルコの陰に身を潜めているかのようではあるが)。

 トルコの条件闘争との見方が有力だが、加盟問題が長引けば、フィンランドとの国境付近できな臭くなることはないとは言えなくなる(エジプトのファラオ率いる戦車が迫る中モーゼは紅海の海を割ったが、フィンランド女性首相は神にご加護をと祈るのか)。

 日本も長年の方針に見切りをつけロシアと戦争の一歩手前の関係となったが、ロシアのウクライナ侵攻前では、自衛隊OBならまだしも外務省OBまでが「防御より攻撃の方が安上がり」とBSの番組で言っていた。

 敵国の一基地からミサイルが連発されると防げない。だから敵基地を攻撃すると言うのなら不真面目極まりない。世界第1位のロシアの国土面積は日本の45倍(ロシア国土面積約1,707万㎢に対して日本同約37.8万㎢。中国は日本の25倍)。広大なその中で野外展開できる輸送起立発射機(発射台付車両)には対処できるのか。さらに原潜もある。
 参院選を乗り越えれば長期政権もありそうな岸田政権は、評判の悪い「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えて批判をかわすのか。反撃能力の範囲が、攻撃対象を逐一攻撃しきれないから「指揮統制機能等も含む」(ウクライナ戦争の発端時にプーチン大統領でさえ首都キエフの大統領府を攻撃していない)のなら、専守防衛と言えるのか。先制攻撃だと世界から批判を浴びれば、国連での非難決議は米国が拒否権を発動してくれても憲法第9条違反で首相が責任を取ることになる。不可逆的な敵国の攻撃意思をどう把握できるのか。米国等他国の情報に頼るならなおさら首相はそんな決断できるのか。平和主義を唱える宏池会の政権とも思えない。

 攻撃すること、軍事費を増やすことばかり議論の中心となっていないか。ウクライナ等陸続きの欧州諸国と違い島国日本は元寇以来本土に上陸され攻められたことがない。沖縄で米国と死闘を繰り広げたが、米国はこれ以上の死闘を危惧し原爆を投下したため本土では悲惨な攻防を経験していない。日本の政治家は「専守防衛」と言いながら日本の領土で戦争することについて問題認識が甘いのではないか。戦争を知らない世代ということだけではなく、DNAに凄惨な記憶が刻み込まれていないから。

 戦後は世界最強国の米国の軍隊が駐留している日本に攻めてくる国はないという前提に立っていたこともあろう。

 将棋でも攻める前に守りを固めるであろう。抜けがちな本元の「国民の生命と財産をどう守るのか」の視点から地に足をつけて「専守防衛」を考え、その上で憲法第9条と整合性を持たせてほしい。
 日本の富裕層から核シェルター販売会社への問い合わせが増えているという。私のような貧乏人はそこまで期待しえない。家に地下室がない。地下鉄の駅まで10分以上かかる。国民を守る為の初歩の初歩、最寄りの避難場所を指定してもらいたい(ウクライナ住民は歩いてポーランドに避難できる。日本の住民は、台湾有事で中国が攻めてくる場合、ボートピープルになっても親日の台湾が中国に包囲されて無理であれば、周りは近くても反日国ばかりで受け入れてくれそうにない)。

 

 安倍元首相に至っては、敵基地攻撃、反撃能力よりさらに飛躍した話をする。核シェアリング(核の共有)の議論をとぶち上げるのだ。だが、明解に、明海大学の小谷哲男教授に言下に否定される。「既にNPT(核不拡散条約)体制が確立している現在、新たに日本が核シェアリングを始める事が認められる可能性は決して高くありません」「仮に認められてもこの核シェアリングは、アメリカが核兵器の使用を決定します。今現在アメリカのICBMの最大射程は1万㎞以上ありますが、ニューヨークからモスクワまでは6700㎞しかありませんし、ロサンゼルスと平壌の距離は9500km、ロサンゼルスと北京の距離は1万㎞です。ロシア、北朝鮮、中国の核による日本への脅威に対して核抑止力を働かせるにはアメリカ本土のICBMで十分であり、日本に核兵器を配備する意義は殆どありません。」と。
 安倍元首相も知らないハズはなく、核の共有がダメなら核の自己保有と世論をミスリードしかねないようなことを元首相たる者が発言すべきではなく、5/7のTV「報道特集」にて天敵のような金平茂紀氏に「恥ずかしさを考えて」とまで言われてしまう。

 知性とプライドの高い官僚派の首相なら、上記に加えて日銀に対する発言のごとく自らの存在をアピールするつもりが自らを貶める、そんなことは言わないだろう。

 小選挙区制の副作用として自民党と(党人派の)首相の劣化を招いた今日日本を立て直す為に官僚派首相が必要と私は言い続けている。

 

 ウクライナ侵攻に国連が無力さを晒す中、岸田首相は「国連の改革」へとアドバルーンをあげる。報道によれば、自民党が後押しをし、政府に提言する。それには、ロシアによる侵攻を「前代未聞の暴挙」と非難。国連改革に向けて「日本がリーダーシップを発揮し、国際社会に道筋を示さなければならない」とし、国連憲章から日本やドイツなどを対象にした「旧敵国条項」を削除するよう外交努力を求めるとする。
 (国連が)実質経営破綻しているような段階に来てしまっているのに、「オレに改革させろ、オレを役員にしろ」と言う、相手にされない吸収合併された側の社員と同じと言えば、さすがに言い過ぎか。
 第一次世界大戦後世界平和維持と国際協力を目的に1920年に創設された国際連盟の常任理事国であった日本はその責任を放棄し1933年3月脱退した(それが後の国連で「大国の脱退を防ぐために」と5大戦勝国が傲慢にも常任理事国として拒否権を持つ大義名分に利用されたと思う。そしてその常任理事国の拒否権が今日の国連機能不全の最大の要因になっている事実について日本政府はもっと真摯に向き合うべきだ)。

 脱退した日本に常任理事国の独と伊が続いた。「民主主義」の錦の御旗の下で、「全体主義」の日独伊は賊軍とされ、悪の枢軸国として連合国軍に打倒された。勝利した連合国、特に5大戦勝国(常任理事国)体制を維持する為の新たな国際機構が国連(国際連合)であり、それが70年以上も続き、耐用年数を大幅に超え機能不全に陥っている。
 創立当初は戦勝気分で一枚岩であったが、直に米ソ冷戦となり、5大戦勝国の今は、米・英・仏VS中・ロとなる。今や米国と堅固な同盟関係にある敗戦国日本が、今回のウクライナ戦争においてロシアとウクライナに対して中立的な立場をとるならまだしも、ロシアと中国を非難している。日本が何を提案しようと中・ロが反対するに決まっている。岸田首相が国連改革を訪日中のバイデン大統領に説明し、大統領が日本の常任理事国入りを支持したと言われるが、訪日土産ならぬリップサービスに過ぎない(支持率は低下を続け中間選挙後バイデン民主党政権はレームダック化するだろうし)。

 日本が、常任理事国間の対立を仲裁できる立場ならまだしも米国の属国と見る東側諸国は中・ロに追随し、国連加盟国の2/3の賛同を得ることは至難の業と言うべきだろう。

 万が一、常任理事国になれば、「強制措置」履行の義務を負う。それができる環境に日本はない。安全と平和の維持・回復のために平和を脅かす国家などへの軍事行動に対して、日本は自ら常任理事国入りを希望しながら「憲法第9条の範囲内で」とまた国際連盟時と同じように身勝手な言動をとるのか。世界から許されるとでも思うのか。

 ウクライナへ侵攻したロシアへの拙速な対応(長年の北方領土交渉を無にし、台湾有事の際ロシアが日本の敵としても中国に加担するリスクを高める)に加えて、天下の開成高校出身の久しぶりに地頭のよい首相が誕生したと思うインテリ層を失望させる。そんな少数のインテリ層より圧倒的に多い一般大衆向けに参院選を控えアピールできればよいということなのか。
 そんなことより、今こそ唯一の被爆国のトップとして、被爆広島選出の国会議員として、「核の廃絶」を訴え(核兵器禁止条約に加盟へ)、岸田首相のレガシーとすべきではないか。それでこそ、「NPTは、不公平・不平等だ」と思う非核保有国からも真の信頼が得られよう。
 唯一の被爆国として悲惨な目に遭った日本が核保有国と非核保有国の仲立ちしているのは、「減らしていくなら核兵器の保有は少しならいいですよ」と保証するようなもの。抑止力としての盾となるだけで矛には使用しないという前提では、ある意味それでもよかった。
 しかし、ロシアのウクライナ侵攻で、「環境破壊の20世紀」の遺物であるべき核兵器がゾンビのごとく(目を覚まし、棺桶から出ようとする段階だが)21世紀の今戦力として生き返ってしまった今では日本がとるべき態度ではない。
 同盟国の米国にとっても、「核の廃絶」は悪い話ではない。通常兵器戦をプロボクシングに擬えると、米国は世界ヘビー級チャンピオン。核大国のロシアはウクライナ侵攻での通常兵器戦で馬脚を現した。ミドル級で周りから栄養を補充され体重オーバーなウクライナと互角の戦いでは、米国への挑戦権はない。

 中国は、NPT体制ではいずれ核兵器数で米国に追い付いてくる。通常兵器戦では、体重はヘビー級に違いないが、実力は不明。ヘッドギアをつけてのスパーリングはよくなされているかもしれない。それでもヘッドギアをつけない実戦のリングにはあまり上がっていない。ましてやタイトルマッチのリングには。

 元々中国は「文」の国で、戦争下手。漢民族の国は、「漢」と「明」との2つだけ、ほとんど夷狄に支配されている。人民解放軍は、中国共産党の為の軍隊であり、愛国心があるか分からない。長期戦になると士気が低下するかも。チャンプの米国軍は、愛国心は強く、百戦錬磨で、12ラウンドになっても気力、体力は落ちない。
 岸田首相が「核廃絶」を事前に同意を求めても米国は了解しないだろう。だとしても、ロシアへの牽制にもなり、米軍産複合体にとっても好都合かもしれず、「日本が勝手に言っていること。米国は関知せず」と米国から世界に向かって言ってもらえるかもしれない。
 無論、核廃絶を訴えたからといって、地球上からすぐに核兵器が無くなる訳ではない。とりわけ、北朝鮮、ロシアは絶対核を手放さない。ただ、北朝鮮は核を盾にしか考えていない(戦術核を開発しても脅すだけ。韓国に打てば対ロシアと違い米国に北朝鮮が国ごと破壊されるを理解している)。ロシアを文字通り、“大きな北朝鮮”として核の矛としての使用を封じ込めることに繋がっていければと思う。
 日本は、当然「非核三原則」を堅持することになるが、現実問題として核兵器が矛として使用されるリスクが高まっている以上、同盟国米国に守護神になってもらうしかない(世界バンタム級チャンピオンの井上尚弥選手は日々体を鍛え、パンチに磨きをかけているが、ヘビー級で闘えるとは思っていない。日本も同じ立場だ)。

 その為には、米つきバッタ(米国に唯唯諾諾と従い、米国製の兵器を買い集めるだけ)では待ち受けるのは捨て猫になる運命。対中国に日本が不可欠、逆に日本が中国に取り込まれてならぬと米国に思わせることだ。そして今回ウクライナが米国の代理戦争をさせられたようなことを避けるためには、憲法第9条は堅持しなければならない。
 虎の威を借りて、猫が前門のパンダと後門の熊と敵対する必要はない。ネコ科の虎がクマ科の熊とパンダをネコ科に変えるのは無理筋であると分かった以上、クマ科はクマ科としてその存在を認め、ネコ科とクマ科とが喧嘩しないように中立的、仲介的に動くことが、“東アジアのウクライナ”にならない、(ズル賢い猿ならぬ猫と呼ばれてもいい)日本の生きる道ではないか。

2022.6 NO.173  きし VS きし
 3月末の米アカデミー賞授賞式でハプニングが起こった。ウイル・スミス氏がプレゼンターの人気コメディアン・クリス・ロック氏を平手打ちした。同じ黒人ながら、たたき上げのロック氏とエリートのスミス氏と以前から確執があったとも言われている。

 欧米社会は一方的にスミス氏を非難した。日本人は、「暴力はいけないが、スミスさんの気持ちも理解できる」という意見が男だけではなく女にも多く見られた。

 日本は昔から喧嘩両成敗なのだ。浅野内匠頭が吉良上野介を江戸城の松の廊下で切りつけ即日切腹となった。赤穂藩士は幕府の裁定が片手落ちとして仇討ちに向かった。本懐を遂げた赤穂浪士に庶民は拍手喝采した。
 米国は問答無用にて「加害者」と「被害者」と単純明快に分断する。人種差別の問題が根底にあるからか。それでは米社会の分断を解消させるのは難しいのではないか。

 平手打ちされたロック氏は「被害者」であると同時に「加害者」スミス氏の妻を揶揄した「加害者」でもある。日本なら、手を出したスミス氏が先に謝罪し、ロック氏も「脱毛症を知らなかったとは言え、申し訳なかった」と謝り、握手させた上和解させようとするものだろう。日本の美徳「和の精神」にも沿う。
 そんな日本人もロシアによるウクライナ侵攻ではプーチン大統領を一方的に非難する(四面楚歌のプーチン大統領は、スミス氏のごとく恭順の姿勢を示さず、より強硬的になり、核兵器の使用も辞さない構え。西側は、スミス氏の件と違いハプニングではなく事前に予見できたハズで、事後に非難するのではなく、回避させるべきであったのに)。

 日本人も目を瞑る。圧倒的な人気でウクライナの大統領になったゼレンスキー大統領は有言不実行で国民の期待を裏切り支持率が20%台に落ち込む。批判をかわし保身の為ロシア敵視政策に舵を切り、NATOの東方拡大に不信感と危機感を募らせたプーチン大統領の堪忍袋の緒を切れさせたことを。

 さらに、プーチン大統領がウクライナ侵攻の大義名分にしている、その保護すべき東部ロシア系の住民を2014年クリミア併合以降ウクライナが独立の動きを抑えるため殺戮している。それが1万余に上ると週刊新潮のコラムで高山正之氏が伝え、鳩山元首相もそう言及する問題もスルーする。また、ウクライナ侵攻前の2021年10月26日にウクライナ政府軍(親欧米派)が東部ドネツク州の親ロ派勢力にミンスク合意の停戦違反となるドローン攻撃を行っており、遠藤誉女史は「戦争の第一砲はゼレンスキーが放った」と言えるとしているが、知る者は少ないか。

 喧嘩両成敗の日本は、領土問題を抱える隣国ロシアを一方的に批判するのに与するのではなく、戦後から世界平和を標榜する国家として戦争の両当事国を仲裁する立場をとるべきだったと思うのだが(日本国の「目的」が「米国に従うこと」になってしまっているから思考停止してしまうのか。それとも虎の威を借りているのか。遠い戦火のハズなのに、わざわざ火の粉を浴び、国民を不安にさせる。ロシアの外交官ら8人を追放したことの報復措置として、ロシアが、日本の外交官8人を追放し、さらに岸田首相以下63名を入国禁止としてきた。まさに戦争の一歩手前になってしまっているではないか)。

 これでは、何のために清和会系政権から宏池会系政権に代わったか、分からない。
 ともあれ、芸能人同士がケンカしても当人同士で終わる。大統領同士が喧嘩すれば、多くの両国民が犠牲となってしまう。喧嘩を続けるよう米大統領が裏で糸を引けば、なおさらに。

 

 さて、棋士には、「碁打ち」と呼ばれる囲碁棋士と「将棋指し」と呼ぶ将棋棋士がいる。ここでは藤井フィバーがさめやらぬ将棋の棋士を取り上げる。「相撲取り」と呼ばれる力士を擁する大相撲と将棋は、「動」と「静」の違いがあるが、日本の伝統的な「競技」として共通点が少なからずある。
 まず第1に、棋士も力士もプロであるが、誰にでも目指せる世界ではない。プロ棋士になるには、将棋のプロ棋士養成機関である「奨励会」に入会する必要があるが、 奨励会への受験(満19歳以下)に際し、まずプロ棋士の弟子(推薦)になることが求められる。
 力士は、義務教育を終えた23歳までの男子が「新弟子検査」を受ける必要があるが、所属したい部屋の師匠となる年寄(親方)を通じて力士検査届を出さなければならないので、勝手に誰でも挑戦できないのは将棋と同じ。
 プロの力士は、十両と幕内の力士で、月給等が支給され、付き人もつく。「関取」と呼ばれる。棋士は4段以上がプロで、給料(参稼報奨金)が支給される。4段に上がると「先生」と呼ばれる。
 将棋の奨励会会員(3段以下。26歳までに4段に上がらなければ退会)にあたるのは、力士では大相撲の番付で幕下以下の「力士養成員」で、今は「若い衆」とか「褌担ぎ」と呼ばれている。「関取」「先生」になるとなれないとでは、天と地との差がある共に厳しい世界なのだ。
 棋士には性別の制限はないが、奨励会の2級以上でなれる「女流棋士」に4段以上の者がまだ現れていないので、厳密にいえば、力士と棋士のプロは男の世界と言える。
 第2に、相撲も将棋も格闘技であり、力士も棋士も格闘家である。スポーツ総合誌『NUMBER』が一昨年1010号にて初めて将棋の特集を組み、「『将棋はスポーツ』であり『棋士はアスリート』」と謳った。端的に言えば、相撲が「体」の格闘技に対して将棋は「頭」の格闘技。キアヌ・リーブス氏主演の映画『マトリックス』の世界とよく似ている。一昨年藤井挑戦者の3連勝で後がない木村王位とって王位戦第4局は残酷。頭の中では、戦国時代の合戦さながら攻め合い、最後18歳の若き武将が47歳の武将に「お・し・ま・いdeth!」と最後の太刀を振りかざす。
 将棋は、敵の王将の首をとる激しいゲームなので、武士の時代なら刃傷沙汰もあってもおかしくない。よってか、将棋は「礼に始まり礼に終わる」。最終局面中年の星木村一基王位は負けを覚悟し投了すべくトイレに立ち、身繕いとともに心の乱れも整える。戻ってくるまで、若き挑戦者も最後の手を指さない。戻ってから指された手を観て人格者の木村王位は、無言で駒台の端に手を触れてちょこっと頭を下げるだけでもよいのだが、「負けました」と潔い。それを受けて藤井挑戦者は「ありがとうございました」と言い深々と頭を下げる。
 人間の脳のエネルギーの消費量はすごいらしい。それで、人間が将来進化して行っても、脳はこれ以上大きくならないと言われている。棋士は1時間以上平気で考え続ける(今1月の王将戦第2局で藤井5冠は一手に2時間28分の大長考)。それで絶えず脳にエネルギーを補給する。体はほとんど動かさないのに、対局前の朝食のあと対局中10時半頃におやつが出され、12時半頃昼食が用意され15時にはまたおやつが提供される(将棋ファンは、勝負めし、おやつを何にするかも関心が高い。解説者は棋士が長考に沈めば間をもたせるために対局とは直接関係のない話もするが、対局者の食事の話題はお約束)。
 第3に、棋士も力士も天才である。プロ棋士は前期、後期2名ずつ4名しか1年で誕生しない。東大は毎年3千人も合格する。元名人で日本将棋連盟の会長も務めた故米長邦雄は「兄達は頭が悪いから東大へ行った、私は頭がいいから将棋指しになった」と言ったとされる。実際は本人が言ったのではないらしいが、将棋ファンは、それを傲慢だと思わず、さもありなんと素直に受け入れてしまうほど、棋士を天才だと認めている。ちなみに、谷川浩司永世名人の兄も将棋のアマ高段者であるがプロを目指さず東大に行っている。
  天才が揃う棋士の中で「天才中の天才」(以下「大天才」)と呼ばれる棋士がいる。中学生棋士(中学生で4段に昇段した棋士)で、“ひふみん”が愛称の加藤一二三元名人、谷川永世名人、羽生善治永世7冠、渡辺明2冠、藤井5冠の5人しかいない。まだ19歳の藤井5冠を除き、すべて皆名人位を獲得している。渡辺2冠はなかなか名人になれず、下手をすると藤井5冠に先を越されるかもしれないところであったが、一昨年めでたく名人となった。
 加藤元名人から22年後に中学生棋士となった谷川永世名人は9年後の羽生永世7冠の登場により長く続くハズだった谷川時代はやや短命に終わった。果たして魔王が愛称の渡辺2冠も(魔王が好きな競馬に譬えれば)三冠馬ミスターシービーが翌年誕生した無敗の三冠馬シンボリルドルフの影に隠れてしまったように、藤井5冠に棋聖位、王将位を奪われた渡辺2冠もこのまま藤井時代に飲み込まれてしまうのか。
 タイトル戦で魔王を圧倒し、苦手だった豊島将之棋士を無冠に追い落とし、史上最少年19歳で5冠となり、次々と羽生永世7冠の記録を塗り替え、藤井時代到来と言える。が、スノーボード男子ハーフパイプ界の第一人者ショーン・ホワイト選手の引退試合となる北京五輪で金メダルに輝き平野歩夢選手が後継者と正式に認められたように、名実共に羽生時代から藤井時代に替わったと認められるのは、藤井5冠がこの6月からのA級順位戦でトップ立ち来年初夏の名人戦で勝ち伝統と格式の高い名人位に就位したときであろう。
 藤井時代が到来すれば、「タイトル8冠を達成するか」とともに、「羽生永世7冠の偉大な記録・タイトル獲得99期(47歳)を超えられるか」が話題になろう。絶えず羽生永世7冠と比較されようが、藤井5冠がこのまま5冠を毎年維持すると仮定すれば38歳で100期(7+5×19)を超える。ただ、最初の10年は可能としても10年後匹敵する逸材が登場するかもしれず19年間平均5冠を維持するのは容易ではない。平均3冠でも大変なことだが、それなら47歳で99期には到達しない。(羽生永世7冠自身においても100期を遮る大きな壁となっている)99期はそびえ立つ高い壁なのだ。我ら凡人も何かと辛いが、孤高の大天才たちも大天才たちで、メディアに煽られる中で安寧に生きるのは難しいものだろう。
 力士も天才と言える。頭も必要だが、より体格、とくに体重が重要。100㎏は最低限。その100㎏になり俊敏さも兼ね備えるのは天賦の才能の持ち主(映画『新解釈・三国志』で“時代考証的美人”を演じた渡辺直美さんも天才。30㎏も増えて公表107㎏で激しい踊りができる女性は稀だろう)。私は20代の頃52~55㎏で痩せていた。71歳の今72㎏だが、74㎏を超えたとき、足指先が痛風とは違う違和感を覚え、血糖値も上昇していた。もっと若い頃に仮に100㎏を目指したとしても、到達する前に沈黙の臓器・肝臓が悲鳴を上げることだろう。
 その点大横綱の元白鵬関は大天才といえる。Wikipediaによると、白鵬関はモンゴルから他のモンゴル人と来日した時どの相撲部屋からも声が掛からなかったほど(先輩の旭鷲山関が救う)、体が細かった。15歳で175cm、68㎏の華奢な体が引退前192 cm、151㎏になったという。祖国モンゴル相撲の英雄であった父親のDNAを引き継ぐとはいえ、体を大きくするための不断の努力とそれに耐えうる内臓の強さは、常人では考えられない。 
 最後の第4は、不正問題である。棋士は200人、力士は650人前後いる中で関取(幕内+十両)は70人程度。皆顔見知りと言ってもよい。それで不正疑惑がつきまとう。八百長と言えば相撲と反射的に浮かぶほど昔から問題視されている。しかし、相撲協会は「無気力相撲」はあっても、八百長は断固認めていない。
 将棋界では、わざと負けることはあり得ないという。ベテラン棋士がこの一局を落とせば引退に追い込まれる時でも対戦相手がわざと手加減することはない。上述の米長元名人も全身全霊を傾けて真剣勝負すると公言していた。「そこで手を抜くものは将棋の神様から見放される」との米長理論は棋界にあまねく行き渡っていたと将棋ミステリ小説『死神の棋譜』(新潮社)の著者奥泉光氏もP22~23で触れている。    
 それもあってか、昔有名な「陣屋事件」が起きた。神奈川県にある旅館『元湯 陣屋』(タイトル戦で対局場として利用される常連宿)での昭和27年2月第一期王将戦で升田幸三八段が対局をすっぽかした。当時「三番手直りの指し込み制度」があり、挑戦者の升田八段が木村義雄名人に対して4勝1敗でタイトルを奪取したのに、それで終わる今と違って第六局もあり、第一人者の名人に対して香車を一枚落として戦うことになる。それが夢で将棋指しになった升田八段ではあったが峠を越えた名人に屈辱的な思いをさせるのはと悩んだ。わざとポカして「錯覚いけない、よく見るよろし」と言う発想は棋士にはない。それで、旅館の応対、主催新聞社への不満を口実にして対局をエスケープした(厳しい協会の処分に世論が反発し裁定を委ねられた木村名人が、升田八段の心の内を理解していたのであろう。不問に付した)。
 将棋界には性善説が浸透していた。だが、それがアダとなって不正問題騒動が起きることになる。将棋のAIソフトの精度が向上しスマホの普及につれ、私のような下衆の人間はいずれ不正疑惑が持ち上がらないかと案じていたが、天才を自負する棋士らは起こり得ないと対応が遅れた。
 2016年10月の竜王戦を前にして、渡辺明竜王と他の棋士らにより、挑戦者の三浦弘行九段が不正に将棋ソフトを使用しているのではとの疑惑騒動が持ち上がった。第一人者の羽生永世7冠は、一部では「黒に近い灰色」と発言したと報じられたが、「疑わしきは罰せず」と妻のツイッターから公言した。

 結局三浦九段は竜王戦の対局席に座れなかった。が、後の第三者委員会で不正がなかったと判断された。アンチ・ドーピングが確立された中で物議を醸した女子フィギュアのワリエワ選手の五輪出場(他選手に「絶望」を感じさせていた15歳の天才少女が針のむしろというリングに立たされ「絶望」の淵に沈む、いかにも後味の悪い結果に)とは違い、前例も規則もない段階で確証もないのであれば、今はスマホの持ち込みができないが、そのようにして三浦九段に渡辺竜王と対局をさせればよかったのだ。それなら谷川永世名人の会長辞任も必要なく、渡辺2冠も、もともと数多いる羽生ファンから敵役と見られていたが、そのヒールとしてのイメージが強まることもなかったのだと思う(もっとも、向かう所敵なしの藤井5冠の前に立ち塞がることができず、今やヒールのイメージは影を潜めたが、いいような、淋しいような)。
 
 相撲も将棋も世界に誇る日本の伝統的な“国技”。野球、サッカー等の人気プロスポーツと比べて天才たちへの報酬が低いと思う。とくに将棋界はそう思う。藤井5冠の昨年の獲得賞金・対局料は7千万円に届かない。1位の渡辺2冠でも8千万円を上回る程度(市場規模が違うとはいえ楽天の田中将大投手は年俸9億円とか)。少なくとも全8冠制覇すれば5億円を超える様にはして欲しい。構造不況業種に仲間入りしそうな新聞業界だけではなく成長産業にもっとスポンサーになってもらいたいと思う。

 

2022.5 臨時号 NO.172  うが VS うが(1/2)
 私はファイザー製ワクチンの3回接種を終えている。日本人の端くれとして、外出中でのマスクの着用、手洗い、アルコール消毒等最低限のマナーは心得ている。卒職した今睡眠と栄養は十分。ストレスは妻の小言ぐらい。聞き流せば怒るので、聞いているフリして遣り過ごす。

 その毎日の中で、新型コロナ禍でありながら週課としての「一人カラオケ」、「映画鑑賞」を続けてきた。カラオケ店も新型コロナ禍以前は換気が不十分でインフルエンザに罹る人もいたが、今は未使用の部屋は開けっ放しで部屋の消毒も行き届いており、却って安全である。映画館も、銀座や日本橋など人出の多い所は避け、平日で込み合わない日に行くので、これまた他の施設に行くより安全である。
 それ以外の日は普通家に居るのだが、映画や韓流ドラマを観ることが多くなった。本ブログ2022年4月号NO.169(「オミクロンVSゴミクロン」)で、いまだに毎日感染者数だけをもって増えたから警戒をと報道し続けているのかと疑問を呈した。が、その前から朝の習慣として地上波の朝の情報番組を観ないことが続いている。観るとしたら時事問題を扱わず芸人とアイドル等でのバラエティ一色のTBS『ラビット!』。観ていて腹が立たないし、役に立たないどころか、プロ料理人によるランキングで、丸美屋食品の『ソフトふりかけ ちりめん山椒』を知り常備している。桃のジャムがあることにも気づき今ではアヲハタの『まるごと果実 白桃』を毎朝トーストに塗っている。
 昼前後の情報番組も観なくなった。低予算の中でレギュラーコメンテーターが専門外の事でMCからコメントを求められ苦し紛れにゲスト解説者に質問するのを観て、観ているこちらも辛くなる。時事問題については、夜のBSの報道番組においてTBS『報道1930』、フジ『プライムニュース』のどちらかをその日のテーマ、登壇者を見て。さらに時々日テレ『深層NEWS』も観ている。

 ここ1年で観た映画や韓流ドラマについて感じたことを書いてみたい。
 邦画は、JKが対象のような青春恋愛映画はガキがそのまま爺になった私でも観ない。今年の日本アカデミー賞で有村架純さんが最優秀主演女優賞に輝いた『花束みたいな恋をした』は予告編しか観ていない。

 私自身はWOWOWで観た『茜色に焼かれる』での迫真の演技と型どおり表現では失礼なような尾野真千子さんが最優秀主演女優賞に相応しいと思った。候補にも挙がらずネット上では❛尾野真千子事件❜として日本アカデミー賞は大手映画製作配給会社中心、商業性偏重かとの声が挙がる。

 昨年米アカデミー賞の作品賞に輝いた『ノマドランド』は日本なら候補にも挙がらないか。こんな姿勢で日本の映画界がレベルアップするのか、観客の目が肥えるのか。
 映画館で観た中で記憶に残る2作品は、昨年観た、3.11を舞台とした『護られなかった者たちへ』と有村さんが主演の今年初公開された『前科者』。とくに『前科者』が強く印象に残った。有村さんはアイドル系の女優ではなく役者根性のある本格的な女優と初めて理解した。有村さんが扮する新米保護司の最初の対象者で友人ともなる女性前科者を石橋静河さんが演じていたが、私が抱いていたイメージとギャップがありすぎて石橋さんと気が付かなかった(映画鑑賞後WOWOWのドラマ版の再放送を観た)。主演男優の森田剛さんはジャニーズ出身の役者とは思えないほど演技達者な根っからの役者と感じた。清原果耶さんが日本アカデミー賞最優秀助演女優賞に選ばれた『護られなかった者たちへ』で主演佐藤健さん (『ドライブ・マイ・カー』と一緒の年でなければ最優秀主演男優賞でもおかしくない) が熱演した「利根勝久」役も森田さんも適していると思った。
 来年の日本アカデミー賞では、有村さんはすでに受賞したので(2年連続もありうるが)、石橋さんは最優秀助演女優賞を、森田さんは最優秀主演男優賞を、ぜひ受賞してもらいたい。ただ、日本アカデミー賞のこれまでの傾向からすれば、どうなのか。
 保護司は、罪を犯した少年等の更生を手助けすることで生きがいを感じることができるが、再犯されて大きな失望感も味わう。難しく神経をすり減らし私生活もままならないが無報酬。そんな頭が下がる保護司の仕事を女優故小暮美智代がしていたことをウイキペディアで知った。映画(小津作品・1952年公開『お茶漬けの味』の主人公の妻役等)でのキャラと違い良妻賢母の鑑だと書かれている。小暮にすごく興味が湧いた。ぜひ小暮の半生をドラマ化してほしいと思う。
 米アカデミー賞の作品賞には届かなかった(国際長編映画賞受賞)が、日本アカデミー賞をほぼ総ナメした『ドライブ・マイ・カー』は、最初封切されたとき、TOHOの公開作品の紹介欄を見た限り、運転手役の三浦透子さんが小池栄子さんに似ている。主役の西島秀俊さんは韓国女優キム・テヒさんと共演したドラマ『僕とスターの99日』(2011年秋)の頃からのファンであるが、ほぼ3時間もあり内容的にもだるそうと思い映画を観ようとしなかった。本家のアカデミー賞にノミネートされたとあっては敬意を表すべきと映画館に足を運んだ。前半は韓国官能映画を観ているような気になったが、後半西島さん扮する主人公と運転手とのぎくしゃくした関係からともに正直な思いを吐露し理解しあい信頼を寄せていく過程での描写が良いと思った。トイレが近い私だが途中で行くことはなかった。

 家では、邦画はWOWOWで観た。とくに小津安二郎監督の名作を。映画全盛期の頃の日本を代表する名監督は「動」と「静」の作品が対極的な黒澤明監督と小津監督か。黒澤作品はハリウッドが好むスペクタクルかつダイナミックで、私は中学生・高校生の頃から神戸新開地の東宝の向かい側にあった新劇?(違うかも)で3本立ての上映にて『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『椿三十郎』等を既に観ていた。小津作品は、欧州映画に似ていて人情の機微に疎い私は古希を超えた今までじっくりと観たことがなかった。今回最初から最後まで観ようと思ったのは、作品を理解するということよりも私自身が物心ついていない頃の生活風景を垣間見たかったからである。
 小津作品で(故原節子扮する)紀子三部作と呼ばれる、私が母のお腹にいた頃の『晩春』(公開1949年)、生まれた翌年の『麦秋』(同1951年)、名作『東京物語』(同1953年)を観た。が、70年前なので出演者のほとんどが亡くなっている。作家故半藤一利が銀座にあった文藝春秋社に入社する前後であるが銀座等東京の中心地はビルが立ち並び既に復興しているのが映画から窺えた。『晩春』では江の島に灯台(旧灯台でも1951年設置)がなく、不思議な感じがした。街には市電が通りその為の電線が張り巡らされていた。家では裸電球にうちわパタパタ。また、当時昼間は家の玄関の鍵は掛けなかったことを思い出した。4~5歳の頃か家に突然若者が乱入してきた。「刑事に追われているので少しだけ隠れさせてくれ」と脅すのではなく、震えて哀願していた。母親も私もただ唖然として固まっていただけで数分後若者が立ち去ったことを思い出した。それだけははっきりと覚えている。
 男が集まれば戦争の話(今は戦争体験を語れる人が稀に)。当時の娯楽は麻雀とパチンコ(他の小津作品では花札の場面も登場するが、私が中学生の頃までは正月伯父の家に集まるのが恒例にて、その時花札も興じたが、どんなゲームだったか忘れてしまった)。
 当時の女性は中流以上の家庭のお嬢さんもタバコを吸っており、家族以外の男性の呑んだおちょこで酒を注がれたのをそのまま主人公の紀子が口にしていた(新型コロナ禍でなくとも今では考えられない)。
 一家の主人が家に戻れば服を無造作に脱ぎ捨てる。それを当然のごとくの体で妻や娘が片付ける。今それをすればカミさんから怒鳴られる。私だけではないだろう。

 寡の父を独り残して結婚できないと思う娘。娘がいなくなると淋しいが嫁に行き幸せになってもらいたいと願う父。この関係性は今も変わらない。と思いたい。
 故原節子は、好みの問題かもしれないが、私はとくに美人だと思わない。当時の日本女性の平均身長は153㎝。そして皆貧しかった。原は165㎝で目が大きく鼻も高くやや日本人離れしており、しかも中流家庭のお嬢さんのような上品で愛らしい喋り口と気品ある身のこなしに男も女も憧れを抱いたのではないか。
 当時がデビューの頃にあたる、私が美人と思う女優(以下「美人女優」)で1930年(昭和5年)代生まれの女優を見ると、(敬称略で)八千草薫(154㎝)、若尾文子(155㎝)、富士眞奈美(154㎝)等は平均身長と変わらない。が、山本富士子(159㎝)、岸恵子(161㎝)、司葉子(160㎝)、岡田茉莉子(158㎝)、小山明子(160㎝)、三ツ矢歌子(未公開;160㎝?)、佐久間良子(158㎝)は比較的背が高い。皆オーラを放つ美人だと思う。今は30代の美人女優が少ないように私には思える。韓国女優に注目が集まるからか(YAHOO! ニュースも日本女優より韓国女優の記事が多いかも)。
 ただ、(敬称略にて)新垣結衣(169㎝)、比嘉愛未(169㎝) 、佐々木希(168㎝)、長澤まさみ(168㎝)、橋本マナミ(168㎝)、 木村文乃(164㎝)、桐谷美玲(163.5㎝) 、瀧本美織 (162㎝)など一般女性 (日本女性の平均身長158㎝。ただ、最近伸び悩み韓国女性の平均より4㎝低い)より高い美人女優が、それなりにいる。オーラは感じないのは映画全盛期と比べて女優の神秘性が薄くなっているためか。それとも、若尾文子さんたちには子供として仰ぎ見、爺になった今は女優さんたちを子や孫のように私が見ているからかもしれない。

 

 洋画では、記憶に残る新作が少なかった。2003年のマトリックスの3作目から18年も経過して公開された4作目『マトリックス レザレクションズ』は初めて観た時のスローモーションで飛んでくる銃弾を荒川静香さんばりのイナバウアーで避けるような新機軸が何もなくがっかりした。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は観るつもりはなかったが、人気ランキングで上位に挙がっていたので、思い直して映画館に足を運んだ。途中で居眠りしてしまった。どちらも柳の下の二匹目だけではなく何匹ものドジョウを狙うハリウッドの商魂に踊らされたとの不快感を覚えた。

 昨年公開の『Mr.ノーバディ』は、期待していなかったが、私の好きなキャラで面白かった。家族に正体を隠したダメンズの中年男がいざとなると(スーパーマンではなく同じ人間なのに)超人的な活躍を見せる。さながらハリウッド版必殺仕置人中村主水と言ったところか(小さい頃私は仇討ちをカモフラージュした大石内蔵助が好きだった)。
 ダメンズぶりは見せないがローンウルフで同じ人並みはずれた身体能力により悪を倒す「ジャック・リーチャー」シリーズの『アウトロー』『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』(主演のトム・クルーズさんはこの2作のみ)、『イコライザー』シリーズ(主演デンゼル・ワシントンさんはシリーズ化を潔しとしないが、これは例外)のようにシリーズ化を期待するが、中村主水と違い家族に正体がばれてしまっているので、どうか。
 妻役は、キアヌ・リーヴスさん主演の『ディアボロス/悪魔の扉』(公開1997年)でシャーリーズ・セロンさんとともにヌードを披露したコニー・ニールセンさん。20年後(後述する)ガル・ガドットさん主演の『ワンダーウーマン』シリーズでワンダーウーマンの母で女王の役に扮し、本作ではセクシーさを残しつつしっかりとした中に気品さも漂わす母親役を好演していた。エンディングロールの前の映画の最後で発する妻の一言がシャレている。

 アガサ・クリスティの小説『ナイルに死す』を映画化した『ナイル殺人事件』も満足した。ヒロインのガル・ガドットさんの美貌に目を見張る。そしてエジプトを訪れているかのような錯覚に陥る。ナイル川(ワニがいたので驚いたが、ナイルワニと呼ばれ、単に私が不勉強なだけ)、ピラミッド、スフィンクス、世界遺産アブシンベル神殿(大王ラムセス2世建造)等エジプトに未訪で今後も行く予定がない私にとってそれだけでも本映画を観る価値があった。

 今年のアカデミー賞の最高の栄誉である作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』は封切された時妻と観に行く予定であったが、余計なことを言って妻の機嫌を損ねる。妻は私を見損ない、私は映画を見損なう。機会があれば観てみたいと思う。
 その後妻とは、異色のロックオペラ『アネット』を観た。妻は、二人で観た映画の中で、マリオン・コティヤールさんがエディット・ピアフ役を演じ第80回アカデミー賞主演女優賞を受賞した『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』が一番と言っていた。コティヤールさんが出演するよと持ち掛けたら案の上妻は話に乗ってきた。それで一緒に観たのだが、妻は、コティヤールさんが裸になっていたので、驚いた。私は、事前に知っていたら妻を誘わず、一人で観たのだが。妻の映画の評価は高くなかった。

 共演の歌も歌えるアダム・ドライバーさんは今や「カメレオン俳優」として引っ張りだこ。レデイー・ガガさん主演の『ハウス・オブ・グッチ』を映画館で、マット・デイモンさん主演で、決闘で勝った方を正義とする『最後の決闘裁判』をWOWOWで、観たその映画にもドライバーさんが出演していた。

 2022.5 臨時号 NO.172  うが VS うが(2/2)
 家では、洋画ならBSやWOWOWでとくに韓国映画・ドラマをよく観ていた。戦争を題材にした映画では、私が生まれた2か月後の朝鮮戦争への中国軍(人民義勇軍)参戦を背景にした『国際市場で逢いましょう』(公開2014年)、金日成暗殺計画の為編成された韓国684部隊を計画中止により抹殺し闇に葬ろうとした事件に基づく『シルミド』(同2003年)、民主化を求める学生ら光州の市民に対する全斗煥政権の軍による弾圧を描いた『光州5・18』(同2007年)に心動かされた。

 中でも、『国際市場で逢いましょう』は名作と思った。主人公がまだ子供の頃中国軍が攻めてくると現北朝鮮の興南から釜山への避難船に妹を負ぶってロープの梯子をよじ登るのだが、妹を落としてしまう。先に船に上がっていた父親が娘を探しに降りる時父親から主人公に「お前が家長なのだから家族を守れ」と言われる。それが父から聞いた最後の言葉となる。長じて父との誓いと妹を守れなかった心の傷を抱えながら家族の為に懸命に働く。ドイツの鉱山で生き埋めになり、ベトナム戦争に従軍し足に大けが負い、行方不明の妹を探す為TV番組に出る(里子で米国にいた妹と再会を果たす)。

 歳をとり、子や孫らとの団らんの場から独り離れ、この世にいないハズの父に(家族は知らない苦汁をなめ一家を支えた)「俺はよくやった」とつぶやく場面はじ~んと来た。
 主人公を演じたファン・ジョンミンさんは、韓国版アカデミー賞の一つ大鐘賞の主演男優賞に輝く。ファンさんが端役で出演した『シュリ』(公開1999年)でヒロイン役を演じ、本作で妻役のキム・ユンジンさんも、賞には選ばれなかったが、評価されてよいと思う。生き埋めになった彼氏の主人公の救出を哀願した場面。先に帰国した主人公を追って帰国し主人公に子供ができたと告げた時主人公が他人事と勘違いし「おめでとう」と言った彼の頬を平手打ちした場面。結婚後主人公がベトナムから帰った時ベトナム行きを反対していた妻が足の大けがを見て涙を流し夫を叩きながら怒り嘆いた場面が印象的であった。
 韓流ドラマでは、『夫婦の世界』(主人公のキム・ヒエさん、韓国の典型的な美女ハン・ソヒさんを知る)と『暗行御史:朝鮮秘密捜査団』(未観の『梨泰院クラス』で人気した、長身172㎝のクオン・ナラさんがヒロイン。子役出身で佐々木希さん似と思うチョ・スミンさんを知る。未観の『ペントハウス2』にて家庭教師役で転落死するシーンが話題になっていた)との2ドラマが印象に残る。

 キム・ヒエさんは女医の役どころで、浮気した夫と離婚し、子に去られ、病院も辞め絶望感から海の中に入っていく。波に飲み込まれ見えなくなるところはスタントでないと危ないと思った。人気女優の仲間入りしたクオン・ナラさんも主人公と一緒にさらしを巻いて池に入っていた。日本では、映画ではあってもTVドラマでは新型コロナ禍がなくてもそこまでやらないのでは。
 日本の名脇役國村隼さんは、2016年韓国映画『哭声/コクソン』(未観)に出演し第37回青龍映画賞 (2016年)男優助演賞を受賞したが、2020.5東京新聞WEBのインタビュー記事でこう述べている。ドラマにもあてはまるのではないか。 
 「映画を取り巻く環境、システムが日本より一歩先を行っていると実感させられたんです。もう一つうらやましく思ったのは観客ですね。韓国の人たちは驚くほど映画好きで、常に新作を待っている。皆がとにかくよく映画を見に行く。必然的に目が肥えたお客さんが増えて現場は下手なものは作れない。当然、作品のクオリティーは上がっていきますよね。」
 妻が珍しく毎日16時から韓流ドラマを観ていた。何かと思えば、『SKYキャッスル』。韓国在住の伊東順子女史の著書『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社)によれば、SKYとは韓国最難関大学のことで、Sはソウル大学、Kは高麗大学、Yは延世大学で皆ソウル市内にある。その最難関大学への受験競争における「財閥」の下の一般富裕層が狂奔する有様を描いている。韓国上流社会の現実を知る最高のテキストと本ドラマは位置付けられるらしい。
 このドラマの後に始まった『ホテルデルーナ』も妻は観ている。主演はIUさんで伊東女史が言う「色白、もち肌」の韓国美人を象徴するような美人でしかも歌手。「国民の妹」と称される国民的歌姫とのこと。役どころは1,300年生きるホテルの女社長。

 韓流ドラマでは人気を博した『トッケビ』(2016年)でも主演コン・ユさんの役どころは900年以上生きる武官。死神役で共演したイ・ドンウクさん(184㎝)も『九尾狐伝』にて主役の伝説の霊獣に扮するなど、現実離れした設定のドラマも多く見られる。
 ここに名を挙げた韓流ドラマの内『夫婦の世界』『ペントハウス(1~3)』(あまりにも女同士ドロドロかと尻込みし未観)『SKYキャッスル』『ホテルデルーナ』は女性たちが主人公である。
 韓流ドラマには、女性が主人公のドラマが多い。儒教の国韓国では日本より男尊女卑が酷く、それに戦い、伊東女史は、女史が韓国のテレビ界で仕事を始めた1990年後半頃から「ソウル大 ディレクター志望」の女性が増えた。韓流ドラマは、一貫して「女性の味方」だったと言う。

 伊東女史によれば、あるサイトによると台湾のテレビ部門のベスト10の内9作までが韓流ドラマ。残りの1作が『鬼滅の刃』だったという。お笑い芸人の塚地武雅さんが日本一のARMY(ファンの呼び名)を自認する『BTS』を擁するK-POP界を含めエンタメ業界は日本が韓国に完敗している。それだけではなく、近い将来一人当たりのGDPにおいて韓国や台湾に抜かれるという。
 過去の栄光にしがみつき隣国人を見下げている者がいるとすれば、その姿ほど見苦しいものはない。韓国人や台湾人は、まだ日本を「腐っても鯛」と思ってくれているのだろうか。
 「魚は頭から腐る」と言われる。国のトップは❛敵基地攻撃の能力の保有❜、❛憲法改正❜と「手段」しか言わない。

 銀座のクラブに喩えると、チーママには二種類のタイプがある。一つのタイプは、将来オーナーママになる志を持ち経営面等も勉強するチーママであり、もう一つは、そんな志はなくチーママの地位が続き楽しく日々が送ればよいというタイプ。
 日本のトップは後者のチーママタイプか。国の「目的」はオーナーママの米国に従うこと。それは口にする必要はない。オーナーママの信頼を得、友好な関係を保ちながら店から独立することなど考えない。問題は、本当に独立できるか、ではなく、その志があるか、なのだ。

 米国との同盟関係の解消を求めている訳ではない。一国で生きられないなら同盟の相手は米国しかない(ただ、バイデン政権に対しては、中間選挙で大敗し、レームダック化するのを望む。元々リベラルな米民主党政権は、「自由」を標榜するが、自身の価値観を他に押し付け、それを拒む「自由」を認めない。共和党政権より争いが起きやすい)。

 

 期待した宏池会の岸田首相とて同じなのか。ウクライナ侵攻においても、国益よりも米国への追随か。同盟国の米国が戦争している訳ではない。日本はNATOの一員でもない。北方領土の問題を抱える隣国ロシアに対して国交断絶の一歩手前のような対応までなぜとるのか(プーチン大統領が失脚しても、恨みを引き継ぐロシアは残る)。4月下旬に独首相が来日する予定だが、第二次世界大戦敗戦の教訓を「米と大ケンカするな、露は信用するな、独とは組むな」とする私は対ロシア強硬へと極端から極端に突っ走りがちな独に影響を受けることを懸念する(タカ派は軍事費増枠に利用するかもしれないが)。

 長年宿願としてきた四島返還が刹那的に絶望の淵に葬られる。敵対国にされ、それに伴うリスクや経済的損失は議論されたのか。

 岸田首相は4/8の記者会見で、「我が国周辺においてもロシア軍の活動が活発化している」と述べ、「懸念すべきことだ」と発言した。その事態を招いたのは首相自身ではないのか。遠い戦争のハズなのに自国民の生命と財産を危険に晒す。

 岸田政権による、ウクライナ難民に対する積極的な支援は支持する。が、欧州の安全保障と東アジアのそれと切り離しできない時代とはいえ、NATOに前のめりになるようなことは評価しない。そもそもNATOの東方拡大がプーチン大統領を騙されたと思わせ、恐れさせ、狂わせた。直接NATOとロシアが戦闘状態になり第三次世界大戦突入することがないように働きかける(ロシアと1,300㎞国境を接するフィンランドがスェーデンと一緒にNATOへの加盟申請へ。今手負いの獅子ならぬ熊を挑発する必要はあるのか。プーチン大統領は、NATOと直接国境を接するの嫌い、ゼレンスキー大統領への説得を諦め侵攻した。フィンランドの後ろに位置するスェーデンは良いが、NATO加盟が批准される前にフィンランドにロシアが侵攻するリスクに対してフィンランドはどう考えているのか。侵攻が起きれば、それはもう第三次世界大戦への突入と言えるのではないか)のが憲法第9条を擁する平和国日本の取るべき態度であろう。

 親中派と米国からも見られていた林外相もNATOの会合で「中国は、ウクライナ侵略について、いまなおロシアを非難していない」と中国の対応を名指しで批判したという(これで米側の覚えもめでたくなるかもしれないが)。

 西側の体制と対立する中国なら、(意図的か)予め軍事介入しないと公言したバイデン大統領がプーチン大統領をその気にさせウクライナを犠牲にしてウクライナとの戦争による疲弊と孤立化でプーチン大統領とロシアを打倒しようとしていると見るであろうし、西側に呼応しないのは是非は別にして理解できる。それを隣国日本があえて声高に非難する必要がどこにあるのか。

 居宅と違い国は引っ越せない。中国、北朝鮮、韓国、ロシアの向こう隣の国すべてを敵対国にしてどうするのか。日本を東アジアの「ウクライナ」にしてしまえば、悲惨な末路が待ちうけよう。

 (憲法で日本はできないが)ウクライナに防御用に留まらず攻撃用兵器を提供することは戦争の長期化・深刻化(核保有国と非保有国との戦いの最終形は広島・長崎への原爆投下と同じく核兵器の使用となる。ロシアが追い詰められたらそれは絶対ないとは言い切れない)を招く。

 戦場であるウクライナは焦土化し、勝敗に関係なく欧州最貧国ウクライナの経済は壊滅に帰する。軍人のようなゼレンスキー大統領はそれをどう考えているのか(特例加盟後のEUに復興を期待するのか。それをプーチン大統領が黙って許すと思うのか)。

 ロシア側の蛮行は戦争する前から予想されていたハズ。バイデン大統領は、ジェノサイドと非難するが(マクロン仏大統領は戦争をさらに拡大させるとその呼び方に賛同しないのは賢明)、プーチン大統領をもっと怒らせ何をさせたいのか。「広島・長崎での原爆投下で民間人が大半の15万~20万人の死者を出した米国がどの口で言う」と言い返され藪蛇になるのに。

 国際人道法の観点からことさらにロシアを非難しても、ウクライナの無辜な住民は助からない。西側が真にウクライナの住民のことを考えるなら、兄弟民族間の不毛な戦争を長引かせる武器供与等ではなく、早期停戦しかない。ゼレンスキー大統領と違いバイデン大統領は、自らは安全な所に身を置き、戦火に油を注いでいるだけと言えば、言い過ぎか。

 参院選を意識してるのか、新米首相としてか、岸田首相は(林外相も)熱くなりすぎていないか。日本は、離れた所から冷静になり、バイデン大統領にも働きかけてもらいたい。早期停戦や最悪事態の回避の為に(安定飛行前の岸田政権には酷すぎるか。ただ、追随はやむを得ないとしても、濃淡があってよいハズ。今回米国が正義だとは思えない)。

 こういう時こそNATO非加盟・永世中立国オーストリアのように、過去27回も会談した安倍元首相が、特使としてプーチン大統領に会いに行き、早期停戦や日本側の立場も説明すべきなのに、メディアから変わり身が早いと揶揄されるばかり。

 そんな安倍元首相と岸田首相は会食して、ウクライナ侵攻については「欧米の動向を注視していくことが重要」(しか二人は言わない)と報じられる。

 

 国のトップが国の将来を考えないなら企業のトップもそうなる。団塊の世代がリタイアし、さらに正規雇用を非正規雇用に変えて後ろ向きの利益を内部留保として溜めこむ。自身が社長の間株価を維持できれば、それでよいとなってしまう。
 腐っていく鯛の頭を替えられるものなら、知性と教養に裏付けされた「国家観」と「公共性」と「志と気概」のある官僚出身の首相にした方がと最近とくにそう思うのである。

2022.5 NO.171  じょい VS じょ
 ロシアのウクライナ侵攻による戦闘は、膠着状態にあり、今停戦交渉が対面で行われている。本紛争は本来(多くの両国民が犠牲になる)兄弟民族間における戦争になるような問題ではない。戦争の責任はひとえにロシア、ウクライナ両大統領にある。

 プーチン大統領は噂されるパーキンソン病?で残された時間が短いかと思う中なめている米バイデン民主党政権の今しかないと侵攻に打って出たのか。その結果ロシアは大国ではなく“大きな北朝鮮”と世界に知らしめた。独裁者は“裸の王様”になる好例の一つとして歴史に刻まれよう。戦後初で核兵器を実戦使用した暴君として記録されるのは絶対避けて欲しいが。

 (私が一貫として批判的な見方をする)ゼレンスキー大統領は、圧倒的な人気で大統領になったが、有言不実行で国民の期待を裏切り支持率が20%台に落ち込む。批判をかわす為にロシア敵視政策をとり、プーチン大統領の堪忍袋の緒が切れかかる。地政学的な観点からの帰結として「NATOからの中立化」を戦争になる前に宣言すればプーチン大統領の怒りが鎮まるかもしれないが、それでは支持率回復に結びつかない。乾坤一擲、戦争に賭けて思惑通り支持率が90%以上に跳ね上がった(ウクライナ人の民度がとくに低い訳ではない。どこの国民も、自国が攻撃されたら、ナショナリズムが高揚し、死を覚悟して戦おうとしてしまうものなのだろう)。

 しかし、日一日と国民が悲惨な目に遭っているのにゼレンスキー大統領は英雄気取りなのか(それを増長させるのか、政治的中立性を崩すのかと思われた米アカデミー賞授賞式前後でのゼレンスキー大統領の出演はなかった。賞関係者の見識が禍根を残すことを阻んだ)。

 山一証券の自主廃業会見で当時の社長が「私らが悪いんです。社員は悪くありせんから。どうか社員を応援して!」と涙ながらに訴えた。その何十倍、何百倍もの多くの国民が犠牲となり支援をお願いする第三国に対し、ゼレンスキー大統領は、土下座して哀願するのではなく、国連事務総長かのごとく演説し批判もする。自己の正当性をアピールする。私には、ゼレンスキー大統領は言葉巧みな希代のポピュリストにしか見えない。

 今般の停戦交渉でウクライナ側が「中立化」を提案しているという。それならそもそも戦争する必要がない。停戦、又は戦争が終結すれば、ウクライナ国民も、自国民の惨状を直視し、目が醒めることだろう。

 ナチスドイツから降伏を迫られた(戦力が拮抗する)英国が徹底抗戦し勝利するも、戦争を指揮し勝利に導いた英雄チャーチル首相でさえ政局のアヤもあるが首相の座を追われた。 

 国民性もあり判官びいきは止むを得ないが、ゼレンスキー大統領を英雄視する、そのような日本人は、悲惨な結果に終わった日米開戦の二の舞を演じることになるのではないか。

  

  話を国内に向けると、小室圭氏のNY州司法試験の結果が近々判明するだろう。合否どちらにしても状況が大きく好転することはなさそうだ。今私の関心は「天皇」問題にある。
 日本人にとって「天皇」とは何か。私は「太陽」と答える(天照大神が皇祖神でもあり)。
 第1に、天皇は太陽のごとく超然として不変である。国民に寄り添うことが庶民(あえて対比を際立たせる為以下「下々」とする)に近づくものであってはならない。太陽と衛星のごとく一定の距離を守ることが必要である。戦後の皇室の平民化路線も見直されていくのではないか。
 第2に、太陽は輝くばかりである。天皇は下々のすることに口出ししない。今の象徴天皇の時代に限らず天皇は政治への介入を慎んできた。現人神であった昭和天皇も元老から注意されている。明治政府は西洋型の富国強兵を目指す上で、西洋の精神的支柱キリスト教を導入せず、それに代わるものとして天皇を位置付けた。天皇主権としたが、国の運営は内閣で行うとしていた。
 下々が傷つき、心が寒くなれば、温め、暗くなれば、明るく照らす。未来永劫それを続けるのが、太陽としての天皇のお役目だと思う。
 「権威」である天皇が仮に政治的発言らしきものを発せられたとするならば、それは「権力」に対する不信感からと言え、「権力」はそれを恥じ、そんな「権力」を選んだ国民も反省しなければならない(安倍元首相や菅前首相の再登板が囁かれているが)。
 第3に、第2とは表裏となるが、太陽は沈黙する。言い訳しない。沈黙は雄弁に優る。明治天皇は寡黙に変わって行かれた。じろっと見られただけで臣下は震えあがったという。
 昭和天皇は、言い訳なさらず、戦争の全責任は自らにあると。それに感動して、マッカーサーは、米国本土での天皇戦犯の声を物ともせず天皇制存続に確信を持った。
 日米開戦に反対されておられたが、軍部に押し切られ戦争になってしまい、敗戦すると真珠湾攻撃成功に歓喜爆発した同じ国民に終わらせるならもっと早く止めさせておけばと陰口を叩かれる。昭和天皇は批判を甘受して国民に言い訳はなさらなかった。
 昨年の東京五輪での天皇陛下の開会宣言で、「祝う」を「記念」に変えたことに対して、宮内庁長官の「拝察」発言の後であり、憶測を呼んだ。すると、前天皇の侍従として、「英訳」も担当していた多賀敏行元チュニジア大使なる者による「陛下はJOCの誤訳を、人目につかぬよう訂正していた」との記事 ( 『東京五輪、天皇陛下はJOCの「誤訳」をさり気なく訂正』)がAERA dot.に載り、さり気なくではなく拡散した。元大使は1964年の開会宣言で昭和天皇は正式な英文の誤訳を読まれたとまで言った(誤訳と名指しされたJOCは、認めないが、空気を読んだのか反論という形はとっていない)。
 明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏が自身のネットチャンネルで元大使を肯定的に評したのには(日頃の言動からして)少し違和感を覚えた。
 開会宣言は天皇が国家元首として発するもの。当然宮内庁職員等が日本語で口上案を作成し、陛下の了解を得る。それが正式なものであろう。問題があるとしたらそれを英訳したものに問題があるのではないか。主催はあくまでもIOCだが、開催国の元首として昭和天皇が「よくぞ世界各国から多数集まってくれて、まことに喜ばしい。それを“祝し”、ここに高らかに開会を“宣言”する」との意味合いを発せられて、何の問題がある。宮内庁も先々代の天皇の名誉は守らなくてよいのか。
 宮内庁長官には警察庁の元高官が続くのか。神輿の担がれ方を熟知している為か。神輿の担ぎ方を知っている者の方が良いのでは。その方が神輿に乗る方にとって何が最も大事か常に考えているように思うから。
 昭和天皇が明治天皇を鑑とされたように今上天皇は昭和天皇を手本となされるのがよろしいかと。私ごときがはなはだ僭越ではあるが。
 最後の第4として、太陽のごとく唯一無二の存在に学歴は不要である。学歴は下々の為にある。学歴は、数多いる下々の中からエリートを選抜する目印の一つでしかない。天皇は「エリート」とは無縁の存在(「プライド」もそうだが、昭和天皇が生涯で唯一プライドなるものを感じられたことがあるとすれば、それは敗戦後突然マッカーサーと並んで写真を撮られた時であろう)。
 生き仏と崇められるチベットのダライラマ14世は、ごくありふれた農民の9番目の子であったが、4歳のときにダライラマの化身と認定される。すこぶる聡明だったのであろう(奇跡も必要なのだが)。ウイキペディアによると、8歳の時には兄ロブサンは私立学校に行き、ダライ・ラマ14世は一人で教育を受けるようになったという。

 昨年成人皇族になられてから愛子様を天皇にとの国民の声は日増しに高まっているとメディアは伝える。眞子様の手前勝手な?結婚会見直後に成人皇族となられた時の慈母観音のごとく微笑みを湛える気品ある立ち姿を見れば無理からぬこと。先月の成年皇族として初めてながら上品で堂々たる記者会見でさらにその声は高まっているのではないか。
 「男女平等」からも愛子様を天皇にと言う。ただ、それは「リベラル」としての重い発言ではないだろう。真の「リベラル」は同じ国民なのに憲法の枠を超えた特別な存在を否定するものだ。
 英国王は女系天皇ではないかとも言うだろう。今の女王はエリザベス2世だが、エリザベス1世(1533年~1603年)は正室の子メアリー女王との権力争いで勝った。側近からのメアリー女王の処刑の声に抗しきれず、メアリー女王を大ナタによる公開処刑にした。負けていればエリザベス女王も同じ運命にあったろう(フランス革命ではルイ16世とマリーアントワネット妃がギロチンで公開処刑された)。
 現エリザベス2世の高祖母にあたるビクトリア女王(1819年~1901年)は“ビクトリア朝の女帝”と言われるほど大英帝国の全盛期を築き、領土を拡大させた。しかし、何度も暗殺未遂に遭っているという。エリザベス女王はそれらを心得た上で即位している。
 エリザベス1世の頃日本は戦国時代で、敗将は落城する前に妻や子を裏門から落ち延びさせていた。勝った方も敗将の正室を側室に迎えたりしていた。中国の、人豚事件を起こした呂后(呂雉、BC241年~BC180年)や武則天(則天武后、624年~705年)等女に権力を持たせるのは恐ろしいと儒教で「控えめで、行儀よく、貞節を守る」を美徳とさせてきたのか、不勉強で私にはよく分からないが、島国で鎖国もしていた日本は「女は弱く守るもの」としてきた。
 他国とは違うのだ。平和な日本ではあるが、ウクライナ侵攻のように、中国による台湾進攻があり米中開戦となり一時的にしろ米軍が日本から撤退することは絶対起きないと言切れる者はいるのか。中国に日本が占領されたとき愛子様が国家元首として矢面に立たれることは想像したくない。
 悠仁親王と年が離れておらず過去の女性天皇のごとくつなぎの即位も現実的ではない。愛子様には一定期間成人皇族としてご活躍いただきその後は降嫁されて幸せな人生を歩んでもらいたいと心からそう願う。
 愛子天皇を望む女性は多いだろうが、同じ女性のつげのり子氏が「しかし直近の感情だけに流されず、皇室の歴史や役割をしっかり踏まえて男系という純粋性の重要さをあらためて意識する人が増えることを願っています。」と結ぶ『8割以上の日本人が待望する“愛子天皇” それでも“男系の天皇”を守るために慎重になる必要がある理由』(文春オンライン2/23の6:12配信)をぜひ読んでもらいたい。
 
 「権威」である天皇は「親」であり、国民は「子」である。「子」は「親」を選べない。権力者は「子」であり、国民は「親」である。「親」は「子」を選ぶことができる。
 男系・万世一系の天皇制の継続を支持する私は、安定的な天皇の継承問題もさることながら、目の前の悠仁親王の事が心配だ。マスコミは高校の入学経緯や東大入学如何に拘るが、問題の視点がズレているのでは。
 悠仁親王殿下は、もう高校生であらせられる。国民の8割が愛子天皇を望んでいるのに、自身が天皇になってよいのかと悩まれはしないか。「籠の鳥」と発言?の姉君たちと同じ秋篠宮家の家庭内教育を受けて「下々の世界でのエリート競争に身をおきたい」と仰ることはないと言えるのか。

 秋篠宮家の担当が最も避けたい部署とか、厳しくて辞めている宮内庁職員が多いとか、なぜ漏れ伝わるのか。それが事実とならば、不敬ながら、韓流ドラマの裕福な主人夫婦の家政婦への接し方を連想してしまう。悠仁親王殿下は(封建時代と違い、恩も義理もなくもかしずいてくれる職員に対して)国民にそんな誤解を与える言動はすべきでないとお思いならないとするならば、天皇に即位され被災地の下々の前で跪いて声を掛けられて、果たして心が通じ合うものなのだろうか。
 せっかちかつ短絡的な私は、国会審議で済む皇室典範の第9条を変更し、悠仁親王を今上天皇の養子にと思ってしまう。それは無理だとしても、遅いくらいの天皇学を秋篠宮家とは切り離して早く行うべきだ。それを天下に知らしめるべきだと思う。
 若き日の上皇陛下の教育係となった小泉信三はいない。ないものねだりをしても意味がない。今最善と思われる人材をあてるしかない。

 それを秋篠宮殿下・妃殿下に説得できるお方は上皇・上皇后両陛下しか考えられないのではないか。

2022.4 臨時号 NO.170  キエ VS  キエ
 私は、ウクライナに行ったこともなくほとんど何も知らないで、本ブログ2013年9月号NO.27(「ウクライナ と ユウクライナ」)にて、名横綱の大鵬親方の父親がウクライナ人だとか「世界10大美女都市」でキエフが1位だとか他愛もないことを書いた。その時は、今回のウクライナの美しい街並みと灯りが消えるとか露にも想像していなかった。
 今般のロシアによるウクライナ侵攻は、下衆な私は卑陋な喩えしかできないが、「守ってくれると信じていたウクライナ人女性が米警察官に相談した。米警察官から『もめているとはいえ、民族は違えど同じ屋根の下で暮らした間柄ではないか。民事に介入はできない』と言われる。ドイツ人からは護身用の銃が贈られると思ったら大量のコンドームであった。女性は町を離れる選択肢もあったが独り残った。襲うロシア人は『リベラルな米警察官なら、2014年の時もそうだったが、スタッフも変わらないなら今回も手出ししない』と高を括っていた。そして思惑通りロシア人は襲ってきた。周りは米警察官に「刑事事件になった。助けるべきだ」と言うが、米警察官は爆弾を持っているので近づけないと答える。ロシア人の方は襲ったものの誤算続きで罠に嵌められて袋のネズミかと焦っている」というところか。それで熊のような猫のハズのプーチン大統領が窮鼠と揶揄されるのか(成り上がり独裁者の先輩ナポレオン、ヒトラーはロシア遠征で落日を見た。プーチン大統領はウクライナ侵攻で、同じ道を辿ることになるのか)。
 (中国問題で私が一番耳を傾ける)遠藤誉女史は、米国のバイデン大統領の狙いは「米軍のアフガン撤退の際に失った信用を取り戻すと同時に、アメリカ軍事産業を潤すだけでなく、欧州向けの液化天然ガス輸出量を増加させアメリカ経済を潤して、秋の中間選挙に有利となる。」ことと言った(さらに米国にとって望外の収穫は、日清戦争の折中国が眠れる獅子ではなく、張り子の虎だったことが分かったように、ロシアが予想された以上にハイテク機器を用いた戦術面、兵站面、兵士の質面で通常兵器戦では米国の敵ではないと判明できたことであろう)。
 バイデン大統領はウクライナを囮にして上手くロシアに戦争へ誘いこんだ(ゼレンスキー大統領にはロシアからの侵攻情報を与えた上で、戦争回避ではなく、武器は提供するから戦えと嗾けたのか)と私も疑いの目を向ける。
 米国は自ら戦うわけでも、停戦させるわけでもなく、ウクライナに2億ドルの武器を供与するという。戦争両国の戦闘を長引かせ両国民がそれだけ犠牲となる。世界の警察官としての米国の威信を大きく失墜させた。私は失望し、単なる無能ではなく狡猾さもあるバイデン大統領に嫌悪感さえ抱く。米国民もプライドが傷つき中間選挙は民主党の惨敗に終わると思いたい。
 これまでトランプ前大統領を貶してきたが、トランプ氏が再選していれば、米国民を分断する内政はともかく、プーチン大統領もウクライナ侵攻はしなかったかもしれない。プーチン大統領は半狂気を装い核を使うと脅せば米大統領だけでなく世界が恐れをなすと考えただろう。しかし、冷徹なプーチン氏ならばこそ氏の理解を超えるトランプ氏(狂気を演じるのは一枚上手。トランプだけにポーカーの心理戦はお手の物か)が相手では脅せば脅し返され本当に何をされるか分からないと自重するのでは。たしかにトランプ大統領の在任中は、プーチン大統領だけではなく、北朝鮮の金正恩総書記も中国習近平国家主席も大人しくしていた。
 もっとも、バイデン大統領も戦略核による米ロ戦争を恐れた訳ではないだろう。ウクライナ侵攻後も軍事介入しない口実に利用しただけ。TV情報番組に引っ張り凧の東大小泉悠専任講師はキエフ陥落に際し西側の支援をけん制すべくロシアが小規模な核攻撃を人けのない所にかけるかもと懸念しているが、ブラフに終わるだけかどうかは分からない。が、米国本土に先制戦略核攻撃するようなことはないだろう。

 ロシア軍の幹部が大統領の命令に従うのは軍の「(家族も含めた)安全」と「権益」が保障されていることが前提であり、それに反する、米ロ双方破滅的な結果に終わる先制戦略核攻撃を命令されれば軍事クーデター等でプーチン大統領が錯乱、狂乱したとして排除されよう(実際の核ボタンを押す軍幹部は米ロ間のホットラインがあるのでは)。米国とて同じ。
 台湾有事の際米国が軍事介入しないのではないかとの心配も杞憂だと思う。ウクライナは、碁で言えば、花見コウ。ウクライナは、元々ソ連領でありプーチン大統領にとって死活問題だが、米国・NATO諸国にとってはそもそも民族問題を抱えるウクライナは簡単にはNATO入りできない為。台湾有事の場合は、覇権を賭けた米中における本コウであり、核保有数で中国より優位に立つ米国内に「台湾関係法」もあり、米大統領・米軍にとって米国民の厭戦気分などどこ吹く風。

 ウクライナは5大戦勝国に裏切られた。1991年ソ連邦の崩壊に際しソ連邦の一部であったウクライナは独立した上、ウクライナ領内に残る約1900発の核弾頭の保持を主張した。ロシアを初め国連常任理事国(5大戦勝国)はウクライナに対し、核不拡散条約(NPT)への加盟と、核兵器のロシアへの返還を求め、その見返りに「領土保全、政治的独立」に対する安全保障を提供する「ブタペスト覚書」(1994.12.5)が交わされていたという。
 2014年のミンスク合意を破りロシアが攻め込み、今回米国がいわば見捨てたのを目の当たりにした北朝鮮の金正恩総書記はリビアのガタフィ大佐の件と併せ「死んでも核は手放さない」と銘肝したことだろう。
 戦後発足し77年も経つ国際連合(国連)の英語表記は「United Nations」で第二次世界大戦中の連合国と同じ。実体は「戦勝国連合」なのだ。核兵器の保有など戦勝国の既得権を守る為にある。敗戦国の日本が常任理事国入りを目指したのは何を勘違いしているのかと思われ、核兵器の唯一の犠牲国である日本が核保有国と非保有国の仲立ちするのを外務省OBが自慢気に話しているのを戦勝国以外の国が見れば、戦勝国、とくに米国のポチ犬かと首を傾げるであろう。
 拒否権を持つ五大戦勝国が問題を起こせば国連は無力。とくに米国が世界の警察力としての役割を放棄したならば。
 二枚舌で狡猾かつ身勝手なアングロ・サクソン系のブロックと中華思想による唯我独尊の中国ブロックとの今後の2極化(近い将来世界一の人口に経済力・軍事力が備わるとインドブロックを含めた3極化?)の中で国際秩序と平和の為の新たな国際機構が必要である。核の「軍縮」ではなく「廃絶」を目指し、常任理事国の拒否権を廃した新しい枠組みの中で、愚直に約束を守ろうとする日本が真に活きてこよう。

 今回のウクライナ侵攻で日本が学ぶべき点は以下の通りか。
 第1に、戦争はしてはいけない。勝ち目の薄い負け戦などもってのほか。ウクライナ国民には申し訳ないが、自民党元幹事長故野中広務、作家故半藤一利等戦争の悲惨さ、愚かさを訴えて亡くなっていった戦争体験者の気持ちを、我ら戦争を知らない世代が理解することができた。
 ヒトラーに擬えられるプーチン大統領ではあるが民族浄化は考えていない。ゼレンスキー大統領自身がターゲットなのに、常軌を逸した戦争に国民を道連れにした(私の孫と同じ年頃の幼児が死傷したり、泣いているのを見ると心が張り裂けるとともに怒りがこみ上げてくる)ゼレンスキー大統領が英雄視される。
 平井美帆女史の『ソ連兵に差し出された娘たち』(集英社)によれば、敗戦直後満州に取り残された開拓団がソ連兵に守ってもらう為に「数えで18歳以上、未婚」の若き娘たちを「接待」との名のもとに差し出した。日本に無事に戻ってきた開拓団の者たちは何もなかったように振る舞い、中には犠牲になった娘たちを汚い物を見るような目を向けた。この世は何とも不条理だ。
 戦争の犠牲者は、戦う兵士だけではなく、女や子供の弱い立場の庶民だ。
 日本の女性諸君! 強い立場の勇ましい高市早苗自民党政調会長や桜井よしこ女史に拍手喝采している場合ではないぞ!
 第2に、国のトップを決める方法として直接選挙は危険ということだ。大企業において経営の素人がいきなりトップに起用されることはありえない。コメディアンが、俳優が、大統領になるのに問題がある訳ではない。レーガン大統領は8年間カルフォルニア州知事として政治経験を積んでいる(国民も大統領としての資質を見極めることができた)。

 ゼレンスキー大統領は政治家より軍人が向いている。そして、不勉強にしか見えない。日米開戦やソ連の参戦の顛末だけでも研究していればロシアとの戦争は回避するハズだ。(「一将功成りて万骨枯る」は政治家のすることではない。国民は愛国心から戦おうとするが、孤立無援で核を含め戦力に彼我の差がある場合武器を持たない戦争を選択するのが政治家というものだろう)。

 人気だけで大統領を決めたウクライナ国民も、今はナショナリズムから精神が高揚して大統領を英雄視しているが、戦争が終結あるいは一段落した時点で冷静さを取り戻せば余りにも多い犠牲者に目が向き後悔するのではないか。勝ったとしても。ましてや敗戦したならば。
 現下最もよいとされる民主主義が内包する構造的な欠陥は、「賢者な国民 << それ以外の国民」ということだ。この欠点をカバーする為に代表制民主主義(間接選挙)があると思うが、日本の国会議員はしょせん国民の縮図でしかない。官民問わず人数の多寡に関係なく仕事は“できる者”に集中する。議員歳費目当ての議員、志のない世襲議員を減らす意味でも衆議院の定数を減らす。国の権力者たちの内裁判官、検事は司法試験の合格者。キャリア官僚も国家公務員総合職試験等の合格者である。同じ国家公務員である国会議員は選挙の審判(不祥事には機能。能力には?) があるからとは言え同様な国家資格が必要ではないか。国家観もなく政争と利権に明け暮れる党人派の政権が続けば、大地震がなくても日本は沈没する。
 第3に、「緊急事態条項」はやはり認めてはならない。朝鮮戦争のときのような国連軍が使えない、同盟国でないからとNATOの参戦がない、孤立した中で無謀な、ロシア兵士も士気が上がらない兄弟民族同士の不毛な、戦争の片方の責任者ゼレンスキー大統領は国民総動員令に署名し、「18歳~60歳」の男子を出国禁止とした。日本の戦前の国家総動員法を思い起こす。火炎瓶で敵の戦車を止めるのは竹やりでB29を落とすよりは断然実効性はあると思うが、ロシア兵に殺戮されるウクライナ男性が増えてしまう結果になる。
 ウクライナの国の標語は、どこかで見たような「自由、調和、善良」(「平等」「博愛」は見果てぬ夢に違いない)。国の「自由」を守る為に個人の「自由」を制限するのだとゼレンスキー大統領は自らを正当化するのか。
 日本は悪名高い「国家総動員法」が復活することはないが、それに代わるものは、拡大解釈された「緊急事態条項」か。国会を通過し国民投票に委ねられたら、「緊急事態条項」を絶対に認めてはならない。
 最後の第4に、日本は大国の狭間に位置する核のないウクライナと同じ。日本においては、「ロシア」にあたるのが「米国」で、「NATO」にあたるのは「中国」。戦争になれば、朝鮮半島が南北に分割された。ウクライナは東西の分断で済まず全領土親ロ共和国(対NATOの緩衝地)にされてしまいかねない。

 今は日米同盟に揺るぎはない。将来、経済力・軍事力が中国 >> 米国となった時、日本の立ち位置は不安定になる。中国からの秋波を受けて米国から乗り換えようとの動きをみせたと捉えられ米国が日本に武力行使してきたとき、中国側は「日本は同盟国でも何でもない」と言うかもしれない。その時は今の米国のホンワカとした間接支配から直接支配に替わることを意味するのか。日本は、日米同盟を堅持しながら、米中対立が激化しないよう仲介的な立場を維持し、中立国の方向を目指していくべきではないか。
 

 ある意味プーチン大統領を目指していたと言える中国の習近平国家主席も独裁者がどんな末路を辿るか身に染みて分かったか。それとも成り上がり達とは違うと思うのか。

 わが国では、敵基地攻撃能力の保有の議論ばかりしていた。ロシアからの攻撃の懸念が出てきたが、イージスアショアの配備停止から2年間国防に穴があいたままではないのか。
 ウクライナの首都キエフの人々が防空壕に入るのを見て、(北朝鮮のミサイルが脅威とずっと不安を煽られてきた割には)東京には一体どこにあるのかと疑問に思った。台湾有事に備えて米軍基地が集まる沖縄は防空壕が整備されているのか。地に足がついた国防計画を政府にお願いしたいものだ。