2022.7 NO.174 いぜつ VS いぜつ(1/2)
 今春WOWOWで洋画『最後の決闘裁判』を観た。1385年フランスで最後の決闘裁判が行われた史実に基づく映画。妻(扮したジョディ・カマーさんは同時期公開された『フリー・ガイ』にも出演していたが、ゲームキャラのヒロインでの容姿が違い過ぎてカマーさんと気づかず)がレイプされたとマット・デイモンさん扮する夫がアダム・ドライバーさん演じる相手の男を裁判に訴えた。密室での出来事であり、相手の男も断固として否認する為、決闘により決着をつけることになる。
 「神は正しい者に味方する」「決闘の結果は神の審判」というキリスト教の信仰が背景にあるとウイキペディア(「決闘」)に書かれている。負けると裸で吊るされさらし者にされる。夫が負けた場合妻も生きながら火あぶりにされてしまう。結果は、馬乗りになった夫がとどめを刺す前に自白を求めるがあくまで罪を認めない相手を殺し勝利して終わる。
 映画を観終わったとき中世ではこんな不条理なことが行われていたのかと、その時はそう思った。が、ロシアの侵攻によるウクライナの凄絶(せいぜつ)な惨状を見ているうち、今回の戦争もプーチン大統領とゼレンスキー大統領が決闘すればよかったのにと思うようになった。
 ロシアとNATOが国境で対峙するのを嫌い、緩衝地帯となるよう中立国に留まって欲しいとするプーチン大統領に対して、ゼレンスキー大統領は、就任直前の2019年2月に憲法が改正され、「将来的にはEU、NATO加盟を目指す方針」が憲法に明記(なぜか。遠藤誉女史によれば、バイデン大統領が副大統領時代に操った傀儡の親米派ポロシェンコ前大統領〔2014年6月~2019年5月〕にそうさせたとする)されてしまっており、支持率が20%台に落ち込む中では、中立化を国民に問うことは自滅行為となる。それでも何とかプーチン大統領に対して融和的な関係を保てばよかったが、保身が優先したか対ロシア強硬路線に舵を切ってしまった。プーチン大統領はゼレンスキー大統領を説得することを諦め武力行使に至る。
 こんなことの為に、なぜウクライナが焦土化し、欧州最貧国の経済が壊滅し、とりわけ無辜な住民が多数犠牲とならないといけないのか。決闘裁判より不条理ではないか。
 私は、いまだにプーチン大統領が「悪」で、ゼレンスキー大統領が「善」という見方が多いが、それに与しない(逆に陰謀論者に与していると揶揄されるかもしれないが)。国のトップとしての政治家の第一の使命は国民の生命と財産を守ること。「それを捨ててでも勝利するまで戦う」と言うなら、ゼレンスキー大統領は、軍人そのもの(長年の北方領土交渉を無にしてまでウクライナを支援した日本政府に兵器支援でないと感謝の意を国として表しようとしないのを見ても)。“ウクライナの東條英機”と呼ぶに値する。

 5/21ゼレンスキー大統領が「ロシア軍を2月24日の侵攻開始前の状態まで撤退させられれば“勝利”だ」との認識を示したと報じられた。弱気になったか。それでもそれが成就されればゼレンスキー“将軍”としての勝利。だが、ゼレンスキー大統領がプーチン大統領に対して外交的努力を続けていた方がはるかに国民にとってはよかったハズだ。殺された兵士・無辜な住民たちは元には戻らない。続いて 「最も重要なのは、より多くの人命を守ることにある」と語ったとされるが、いまさら何を言わんやと思う。
 

 ただ、両大統領以上に(反米ではないが)バイデン大統領に私は嫌悪感を覚える。私が思うバイデン大統領の罪は2つある。
 1つは、米国が“世界の警察官”を降りるのは自由で仕方がないが、普通住民を守る警察官が引退するとき、喧嘩するなと言い残すものだ。とくに相手が飛び道具(核兵器)を持っているなら。後ろで情報や武器を供与する、戦争指南もするからとゼレンスキー大統領に喧嘩するよう嗾けた。そしてプーチン大統領には攻め込むよう仕向けたと思う。ロシアの弱体化、米国の利害に加え、あわよくばバイデン大統領の息子とウクライナの関係も闇に葬る為にも。
 4/20付け 『プーチン氏はいかにして開戦に至ったのか? ジョン・ボルトン元米大統領補佐官が解説』〈AERA dot.〉にて共和党の超タカ派ボルドン氏が次のように述べている。「プーチンは、ウクライナ侵略の機会を長年待ち構えていました。彼は20年11月の米大統領選挙で、トランプ前米大統領が再選を果たすかどうか見極めようとしていたと思います。トランプは一貫して北大西洋条約機構(NATO)を批判し、脱退寸前までいきました。トランプが再選すれば、プーチンは(NATOの弱体化という)利を得続けることができました。しかし、トランプは負けた。そこでプーチンは21年夏、バイデンと3時間半の首脳会談をした後、彼の品定めをし、準備期間を経て、22年2月24日の開戦に至ったのだと思います。」「今回、米国とNATOの最大の瑕疵(かし)は、ロシアのウクライナ侵略を防ぐために事前に十分な『抑止』行動を取らなかったことです。」と。
 ボルドン氏が言うように、トランプ共和党政権が続いていたら、ウクライナの侵攻はなかった。喩えで言えば、共和党なら「あなたの夫には問題がある」と忠告する程度。民主党は「あなたの夫は問題があるから離婚しなさい」と強硬に介入するから「嫌われ者かもしれないが、家族にとっては掛け替えのない主人」と言い返し喧嘩になる。

 民主党も共和党も根っこは同じだが、リベラルな民主党は、「自由」を標榜しながら、上から目線で、非民主主義国家や非キリスト教社会に対して、自らの価値観を押し付け、断る「自由」を認めないから、争いを起しがちになる(しかも自身で戦うならまだしもウクライナの大統領にやらせ、ウクライナ国民に多大な犠牲を払わせる。そんなバイデン大統領が正義漢面するのに我慢がならない。爺になった今も私は青臭いのだ)。

 ボルドン氏は、抑止行動をとらないことを「瑕疵」としたが、たしかにNATOは及び腰だが、バイデン大統領は「意図」したと言うべきではないか。さらに、プーチン大統領を侵攻するよう仕向けたことも触れるべきではないか。

 薄暗い部屋の中で連結された動物の檻が二つあり、一方に大きな熊が入っており、もう一方に小さな乳牛が入っていた。飼育員は連結部分の扉に施錠しなかった。それでも熊が入ろうとしないので開錠してある(米国は軍事介入しない)と教えた。裸の王様の大熊はそれならと入ると火花のように電気がつき、そこには乳牛ではなく(ウクライナの歴史的なシンボル)ライオンが入っていた。

 中国問題研究で一番信頼を置き、今回のウクライナ戦争の見方においても私が支持する遠藤誉女史は、ロシアを擁護するのではないと断りながら、今回のウクライナ紛争の起点と言うべきマイダン革命はバイデン大統領(当時副大統領)が首謀者と断言している。2014年2月野党がクーデーターで親ロ派ヤヌコーヴィチ大統領をロシアに亡命させる(上述の親米派ポロシェンコ大統領が就任)。それに対抗するかのように2014年3月ロシアによるクリミア併合→ウクライナのアゾフ大隊による東部親ロ派住民への殺戮→今般のロシアによるウクライナ侵攻。今回もバイデン大統領が脚本を書き代理戦争させられるゼレンスキー大統領は悲しきコメディアンの役を演じさせられているのでは。
 

 もう1つの罪は、欧州の一小国の為に厭戦気分の米国兵士を投入する気がないとの本音を隠すためにも、米国軍事不介入の理由として「ロシアと戦う(核戦争を意味する)つもりがない」と言ってしまったことだ。ウクライナに戦争させるなら、「核攻撃は米国が抑止させるから、安心して戦え!」と言うべきところなのに。
 核が抑止力として機能するにはお互いが打たれたら必ず打ち返すとの強気の心理が前提。核戦争はしたくないと弱みを見せれば、敵はそこを突いてくる。核で脅しにかかってくる。
 脅しだけではなく、戦争が長引き通常兵器が品切れになれば、化学兵器のあと限定的な戦術核攻撃をロシアが使うかもしれない(TVでお馴染みの東大小泉悠専任講師ら専門家は現実に起こりうる問題として懸念を示す)。自衛隊の元幹部はロシアが制圧したへルソン州等で人民共和国を建て、ウクライナが奪還すべく攻撃した場合ロシア領土を攻撃した、戦争になったとして戦術核の使用の口実にされる恐れがあると言う。

 戦術核が使用された場合、目には目と、米国と核を共有するNATO(ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの5か国が核共有)が核兵器による反撃をと思ったとしても、核を管理もし使用の最終的な決定権も持つ米国(当たり前。自由に使えさせたらいつ自国に向けられるか分からない。広島、長崎を原爆で焦土化させた日本となら、なおさらに)はゴーサインを出せるか。バイデン大統領は、プーチン大統領から「米日戦争を早く終わらせるため原爆を落とした米国に倣っただけ」「核兵器でロシア・ベラルーシ等に反撃すれば、多核弾頭ICBMで米本土に報復する」と脅されれば、チキンゲームに負けるのか。それとも反撃するのか。あるいは戦術核使用の兆候を把握した時点で米国が何らかの手を打つのか。

 はっきりしていることは、ロシアに戦術核兵器の使用を許してしまい、その上反撃もしなければ、“西側の守護神”としての称号も失い、米国の威信が地に落ちること。

 様々な重病説が流されプーチン大統領が早く逝くことを多くの西側の人々から願われていようが、プーチン大統領の戦術核の使用を止められるのはプーチン大統領自身しかいない(破滅的な米国との戦略核戦争は軍幹部でも拒否するだろうが)。

  

 それに対して、米国自身はどう見ているのか。核保有軍事大国と核の傘も無い非核保有国とのありえない戦争(映画の世界でも、拳銃を持っているのにナイフの相手にナイフで戦っても最後は銃を使う)の落とし所を考えるべき時期に来ているが。

 今は米国は、緻密な戦力比較と戦況分析をした上、米ロ軍同士の情報交換での感触から、最終的にロシアが戦術核を使わずとも優位な立場でウクライナと停戦すると読んでいる。それでも「ロシアの弱体化」を始めとした米国の所期の目的は達成されると踏んでいるのかもしれない。

 このほど共和党の重鎮キッシンジャー氏から「領土割譲による停戦案」の発言がなされた。これが潮目となり、ウクライナ穀倉地帯及び輸出港がロシアに制圧され、ウクライナ経済の破綻のみならず、世界的な食糧不足への影響が出てきており、さらにこれ以上無辜な住民が犠牲になることが忍びず、国際世論も、ウクライナ軍への声援から、(タオルを投げ)「よく頑張った。ウクライナ国民の勇猛果敢さ、愛国心の強さは世界を感嘆たらしめた」との声に変わっていくのではないか。

 妥協を政治家としての死と捉えるゼレンスキー大統領は断固拒否するかもしれないが、最後はバイデン大統領が引導を渡さざるを得ないのではないか。マッチポンプになるが。

  一方、日米にとっての最大の懸案国である中国は、米国と日本がロシアへの対応に追われている事態は歓迎していよう。戦争が長引くのには拱手傍観し、戦争が終わりそうになれば和平の使者としておいしい仲裁役をロシア、ウクライナ両国と友好関係にある中国習近平国家主席が買って出るのかもしれない。

2022.7 NO.174 いぜつ VS いぜつ(2/2)
 ロシアに隣接する北欧2か国が核の傘がないことに恐れを感じ、長年の軍事的中立を捨てスェーデン、フィンランド両国がNATO加盟に向かう。

 両国のNATO加盟はスムーズに進むと思われたが、NATO加盟のトルコが両国の加盟に反対を表明。NATOには親ロ派政権のハンガリーもいる(まるでトルコの陰に身を潜めているかのようではあるが)。

 トルコの条件闘争との見方が有力だが、加盟問題が長引けば、フィンランドとの国境付近できな臭くなることはないとは言えなくなる(エジプトのファラオ率いる戦車が迫る中モーゼは紅海の海を割ったが、フィンランド女性首相は神にご加護をと祈るのか)。

 日本も長年の方針に見切りをつけロシアと戦争の一歩手前の関係となったが、ロシアのウクライナ侵攻前では、自衛隊OBならまだしも外務省OBまでが「防御より攻撃の方が安上がり」とBSの番組で言っていた。

 敵国の一基地からミサイルが連発されると防げない。だから敵基地を攻撃すると言うのなら不真面目極まりない。世界第1位のロシアの国土面積は日本の45倍(ロシア国土面積約1,707万㎢に対して日本同約37.8万㎢。中国は日本の25倍)。広大なその中で野外展開できる輸送起立発射機(発射台付車両)には対処できるのか。さらに原潜もある。
 参院選を乗り越えれば長期政権もありそうな岸田政権は、評判の悪い「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えて批判をかわすのか。反撃能力の範囲が、攻撃対象を逐一攻撃しきれないから「指揮統制機能等も含む」(ウクライナ戦争の発端時にプーチン大統領でさえ首都キエフの大統領府を攻撃していない)のなら、専守防衛と言えるのか。先制攻撃だと世界から批判を浴びれば、国連での非難決議は米国が拒否権を発動してくれても憲法第9条違反で首相が責任を取ることになる。不可逆的な敵国の攻撃意思をどう把握できるのか。米国等他国の情報に頼るならなおさら首相はそんな決断できるのか。平和主義を唱える宏池会の政権とも思えない。

 攻撃すること、軍事費を増やすことばかり議論の中心となっていないか。ウクライナ等陸続きの欧州諸国と違い島国日本は元寇以来本土に上陸され攻められたことがない。沖縄で米国と死闘を繰り広げたが、米国はこれ以上の死闘を危惧し原爆を投下したため本土では悲惨な攻防を経験していない。日本の政治家は「専守防衛」と言いながら日本の領土で戦争することについて問題認識が甘いのではないか。戦争を知らない世代ということだけではなく、DNAに凄惨な記憶が刻み込まれていないから。

 戦後は世界最強国の米国の軍隊が駐留している日本に攻めてくる国はないという前提に立っていたこともあろう。

 将棋でも攻める前に守りを固めるであろう。抜けがちな本元の「国民の生命と財産をどう守るのか」の視点から地に足をつけて「専守防衛」を考え、その上で憲法第9条と整合性を持たせてほしい。
 日本の富裕層から核シェルター販売会社への問い合わせが増えているという。私のような貧乏人はそこまで期待しえない。家に地下室がない。地下鉄の駅まで10分以上かかる。国民を守る為の初歩の初歩、最寄りの避難場所を指定してもらいたい(ウクライナ住民は歩いてポーランドに避難できる。日本の住民は、台湾有事で中国が攻めてくる場合、ボートピープルになっても親日の台湾が中国に包囲されて無理であれば、周りは近くても反日国ばかりで受け入れてくれそうにない)。

 

 安倍元首相に至っては、敵基地攻撃、反撃能力よりさらに飛躍した話をする。核シェアリング(核の共有)の議論をとぶち上げるのだ。だが、明解に、明海大学の小谷哲男教授に言下に否定される。「既にNPT(核不拡散条約)体制が確立している現在、新たに日本が核シェアリングを始める事が認められる可能性は決して高くありません」「仮に認められてもこの核シェアリングは、アメリカが核兵器の使用を決定します。今現在アメリカのICBMの最大射程は1万㎞以上ありますが、ニューヨークからモスクワまでは6700㎞しかありませんし、ロサンゼルスと平壌の距離は9500km、ロサンゼルスと北京の距離は1万㎞です。ロシア、北朝鮮、中国の核による日本への脅威に対して核抑止力を働かせるにはアメリカ本土のICBMで十分であり、日本に核兵器を配備する意義は殆どありません。」と。
 安倍元首相も知らないハズはなく、核の共有がダメなら核の自己保有と世論をミスリードしかねないようなことを元首相たる者が発言すべきではなく、5/7のTV「報道特集」にて天敵のような金平茂紀氏に「恥ずかしさを考えて」とまで言われてしまう。

 知性とプライドの高い官僚派の首相なら、上記に加えて日銀に対する発言のごとく自らの存在をアピールするつもりが自らを貶める、そんなことは言わないだろう。

 小選挙区制の副作用として自民党と(党人派の)首相の劣化を招いた今日日本を立て直す為に官僚派首相が必要と私は言い続けている。

 

 ウクライナ侵攻に国連が無力さを晒す中、岸田首相は「国連の改革」へとアドバルーンをあげる。報道によれば、自民党が後押しをし、政府に提言する。それには、ロシアによる侵攻を「前代未聞の暴挙」と非難。国連改革に向けて「日本がリーダーシップを発揮し、国際社会に道筋を示さなければならない」とし、国連憲章から日本やドイツなどを対象にした「旧敵国条項」を削除するよう外交努力を求めるとする。
 (国連が)実質経営破綻しているような段階に来てしまっているのに、「オレに改革させろ、オレを役員にしろ」と言う、相手にされない吸収合併された側の社員と同じと言えば、さすがに言い過ぎか。
 第一次世界大戦後世界平和維持と国際協力を目的に1920年に創設された国際連盟の常任理事国であった日本はその責任を放棄し1933年3月脱退した(それが後の国連で「大国の脱退を防ぐために」と5大戦勝国が傲慢にも常任理事国として拒否権を持つ大義名分に利用されたと思う。そしてその常任理事国の拒否権が今日の国連機能不全の最大の要因になっている事実について日本政府はもっと真摯に向き合うべきだ)。

 脱退した日本に常任理事国の独と伊が続いた。「民主主義」の錦の御旗の下で、「全体主義」の日独伊は賊軍とされ、悪の枢軸国として連合国軍に打倒された。勝利した連合国、特に5大戦勝国(常任理事国)体制を維持する為の新たな国際機構が国連(国際連合)であり、それが70年以上も続き、耐用年数を大幅に超え機能不全に陥っている。
 創立当初は戦勝気分で一枚岩であったが、直に米ソ冷戦となり、5大戦勝国の今は、米・英・仏VS中・ロとなる。今や米国と堅固な同盟関係にある敗戦国日本が、今回のウクライナ戦争においてロシアとウクライナに対して中立的な立場をとるならまだしも、ロシアと中国を非難している。日本が何を提案しようと中・ロが反対するに決まっている。岸田首相が国連改革を訪日中のバイデン大統領に説明し、大統領が日本の常任理事国入りを支持したと言われるが、訪日土産ならぬリップサービスに過ぎない(支持率は低下を続け中間選挙後バイデン民主党政権はレームダック化するだろうし)。

 日本が、常任理事国間の対立を仲裁できる立場ならまだしも米国の属国と見る東側諸国は中・ロに追随し、国連加盟国の2/3の賛同を得ることは至難の業と言うべきだろう。

 万が一、常任理事国になれば、「強制措置」履行の義務を負う。それができる環境に日本はない。安全と平和の維持・回復のために平和を脅かす国家などへの軍事行動に対して、日本は自ら常任理事国入りを希望しながら「憲法第9条の範囲内で」とまた国際連盟時と同じように身勝手な言動をとるのか。世界から許されるとでも思うのか。

 ウクライナへ侵攻したロシアへの拙速な対応(長年の北方領土交渉を無にし、台湾有事の際ロシアが日本の敵としても中国に加担するリスクを高める)に加えて、天下の開成高校出身の久しぶりに地頭のよい首相が誕生したと思うインテリ層を失望させる。そんな少数のインテリ層より圧倒的に多い一般大衆向けに参院選を控えアピールできればよいということなのか。
 そんなことより、今こそ唯一の被爆国のトップとして、被爆広島選出の国会議員として、「核の廃絶」を訴え(核兵器禁止条約に加盟へ)、岸田首相のレガシーとすべきではないか。それでこそ、「NPTは、不公平・不平等だ」と思う非核保有国からも真の信頼が得られよう。
 唯一の被爆国として悲惨な目に遭った日本が核保有国と非核保有国の仲立ちしているのは、「減らしていくなら核兵器の保有は少しならいいですよ」と保証するようなもの。抑止力としての盾となるだけで矛には使用しないという前提では、ある意味それでもよかった。
 しかし、ロシアのウクライナ侵攻で、「環境破壊の20世紀」の遺物であるべき核兵器がゾンビのごとく(目を覚まし、棺桶から出ようとする段階だが)21世紀の今戦力として生き返ってしまった今では日本がとるべき態度ではない。
 同盟国の米国にとっても、「核の廃絶」は悪い話ではない。通常兵器戦をプロボクシングに擬えると、米国は世界ヘビー級チャンピオン。核大国のロシアはウクライナ侵攻での通常兵器戦で馬脚を現した。ミドル級で周りから栄養を補充され体重オーバーなウクライナと互角の戦いでは、米国への挑戦権はない。

 中国は、NPT体制ではいずれ核兵器数で米国に追い付いてくる。通常兵器戦では、体重はヘビー級に違いないが、実力は不明。ヘッドギアをつけてのスパーリングはよくなされているかもしれない。それでもヘッドギアをつけない実戦のリングにはあまり上がっていない。ましてやタイトルマッチのリングには。

 元々中国は「文」の国で、戦争下手。漢民族の国は、「漢」と「明」との2つだけ、ほとんど夷狄に支配されている。人民解放軍は、中国共産党の為の軍隊であり、愛国心があるか分からない。長期戦になると士気が低下するかも。チャンプの米国軍は、愛国心は強く、百戦錬磨で、12ラウンドになっても気力、体力は落ちない。
 岸田首相が「核廃絶」を事前に同意を求めても米国は了解しないだろう。だとしても、ロシアへの牽制にもなり、米軍産複合体にとっても好都合かもしれず、「日本が勝手に言っていること。米国は関知せず」と米国から世界に向かって言ってもらえるかもしれない。
 無論、核廃絶を訴えたからといって、地球上からすぐに核兵器が無くなる訳ではない。とりわけ、北朝鮮、ロシアは絶対核を手放さない。ただ、北朝鮮は核を盾にしか考えていない(戦術核を開発しても脅すだけ。韓国に打てば対ロシアと違い米国に北朝鮮が国ごと破壊されるを理解している)。ロシアを文字通り、“大きな北朝鮮”として核の矛としての使用を封じ込めることに繋がっていければと思う。
 日本は、当然「非核三原則」を堅持することになるが、現実問題として核兵器が矛として使用されるリスクが高まっている以上、同盟国米国に守護神になってもらうしかない(世界バンタム級チャンピオンの井上尚弥選手は日々体を鍛え、パンチに磨きをかけているが、ヘビー級で闘えるとは思っていない。日本も同じ立場だ)。

 その為には、米つきバッタ(米国に唯唯諾諾と従い、米国製の兵器を買い集めるだけ)では待ち受けるのは捨て猫になる運命。対中国に日本が不可欠、逆に日本が中国に取り込まれてならぬと米国に思わせることだ。そして今回ウクライナが米国の代理戦争をさせられたようなことを避けるためには、憲法第9条は堅持しなければならない。
 虎の威を借りて、猫が前門のパンダと後門の熊と敵対する必要はない。ネコ科の虎がクマ科の熊とパンダをネコ科に変えるのは無理筋であると分かった以上、クマ科はクマ科としてその存在を認め、ネコ科とクマ科とが喧嘩しないように中立的、仲介的に動くことが、“東アジアのウクライナ”にならない、(ズル賢い猿ならぬ猫と呼ばれてもいい)日本の生きる道ではないか。

2022.6 NO.173  きし VS きし
 3月末の米アカデミー賞授賞式でハプニングが起こった。ウイル・スミス氏がプレゼンターの人気コメディアン・クリス・ロック氏を平手打ちした。同じ黒人ながら、たたき上げのロック氏とエリートのスミス氏と以前から確執があったとも言われている。

 欧米社会は一方的にスミス氏を非難した。日本人は、「暴力はいけないが、スミスさんの気持ちも理解できる」という意見が男だけではなく女にも多く見られた。

 日本は昔から喧嘩両成敗なのだ。浅野内匠頭が吉良上野介を江戸城の松の廊下で切りつけ即日切腹となった。赤穂藩士は幕府の裁定が片手落ちとして仇討ちに向かった。本懐を遂げた赤穂浪士に庶民は拍手喝采した。
 米国は問答無用にて「加害者」と「被害者」と単純明快に分断する。人種差別の問題が根底にあるからか。それでは米社会の分断を解消させるのは難しいのではないか。

 平手打ちされたロック氏は「被害者」であると同時に「加害者」スミス氏の妻を揶揄した「加害者」でもある。日本なら、手を出したスミス氏が先に謝罪し、ロック氏も「脱毛症を知らなかったとは言え、申し訳なかった」と謝り、握手させた上和解させようとするものだろう。日本の美徳「和の精神」にも沿う。
 そんな日本人もロシアによるウクライナ侵攻ではプーチン大統領を一方的に非難する(四面楚歌のプーチン大統領は、スミス氏のごとく恭順の姿勢を示さず、より強硬的になり、核兵器の使用も辞さない構え。西側は、スミス氏の件と違いハプニングではなく事前に予見できたハズで、事後に非難するのではなく、回避させるべきであったのに)。

 日本人も目を瞑る。圧倒的な人気でウクライナの大統領になったゼレンスキー大統領は有言不実行で国民の期待を裏切り支持率が20%台に落ち込む。批判をかわし保身の為ロシア敵視政策に舵を切り、NATOの東方拡大に不信感と危機感を募らせたプーチン大統領の堪忍袋の緒を切れさせたことを。

 さらに、プーチン大統領がウクライナ侵攻の大義名分にしている、その保護すべき東部ロシア系の住民を2014年クリミア併合以降ウクライナが独立の動きを抑えるため殺戮している。それが1万余に上ると週刊新潮のコラムで高山正之氏が伝え、鳩山元首相もそう言及する問題もスルーする。また、ウクライナ侵攻前の2021年10月26日にウクライナ政府軍(親欧米派)が東部ドネツク州の親ロ派勢力にミンスク合意の停戦違反となるドローン攻撃を行っており、遠藤誉女史は「戦争の第一砲はゼレンスキーが放った」と言えるとしているが、知る者は少ないか。

 喧嘩両成敗の日本は、領土問題を抱える隣国ロシアを一方的に批判するのに与するのではなく、戦後から世界平和を標榜する国家として戦争の両当事国を仲裁する立場をとるべきだったと思うのだが(日本国の「目的」が「米国に従うこと」になってしまっているから思考停止してしまうのか。それとも虎の威を借りているのか。遠い戦火のハズなのに、わざわざ火の粉を浴び、国民を不安にさせる。ロシアの外交官ら8人を追放したことの報復措置として、ロシアが、日本の外交官8人を追放し、さらに岸田首相以下63名を入国禁止としてきた。まさに戦争の一歩手前になってしまっているではないか)。

 これでは、何のために清和会系政権から宏池会系政権に代わったか、分からない。
 ともあれ、芸能人同士がケンカしても当人同士で終わる。大統領同士が喧嘩すれば、多くの両国民が犠牲となってしまう。喧嘩を続けるよう米大統領が裏で糸を引けば、なおさらに。

 

 さて、棋士には、「碁打ち」と呼ばれる囲碁棋士と「将棋指し」と呼ぶ将棋棋士がいる。ここでは藤井フィバーがさめやらぬ将棋の棋士を取り上げる。「相撲取り」と呼ばれる力士を擁する大相撲と将棋は、「動」と「静」の違いがあるが、日本の伝統的な「競技」として共通点が少なからずある。
 まず第1に、棋士も力士もプロであるが、誰にでも目指せる世界ではない。プロ棋士になるには、将棋のプロ棋士養成機関である「奨励会」に入会する必要があるが、 奨励会への受験(満19歳以下)に際し、まずプロ棋士の弟子(推薦)になることが求められる。
 力士は、義務教育を終えた23歳までの男子が「新弟子検査」を受ける必要があるが、所属したい部屋の師匠となる年寄(親方)を通じて力士検査届を出さなければならないので、勝手に誰でも挑戦できないのは将棋と同じ。
 プロの力士は、十両と幕内の力士で、月給等が支給され、付き人もつく。「関取」と呼ばれる。棋士は4段以上がプロで、給料(参稼報奨金)が支給される。4段に上がると「先生」と呼ばれる。
 将棋の奨励会会員(3段以下。26歳までに4段に上がらなければ退会)にあたるのは、力士では大相撲の番付で幕下以下の「力士養成員」で、今は「若い衆」とか「褌担ぎ」と呼ばれている。「関取」「先生」になるとなれないとでは、天と地との差がある共に厳しい世界なのだ。
 棋士には性別の制限はないが、奨励会の2級以上でなれる「女流棋士」に4段以上の者がまだ現れていないので、厳密にいえば、力士と棋士のプロは男の世界と言える。
 第2に、相撲も将棋も格闘技であり、力士も棋士も格闘家である。スポーツ総合誌『NUMBER』が一昨年1010号にて初めて将棋の特集を組み、「『将棋はスポーツ』であり『棋士はアスリート』」と謳った。端的に言えば、相撲が「体」の格闘技に対して将棋は「頭」の格闘技。キアヌ・リーブス氏主演の映画『マトリックス』の世界とよく似ている。一昨年藤井挑戦者の3連勝で後がない木村王位とって王位戦第4局は残酷。頭の中では、戦国時代の合戦さながら攻め合い、最後18歳の若き武将が47歳の武将に「お・し・ま・いdeth!」と最後の太刀を振りかざす。
 将棋は、敵の王将の首をとる激しいゲームなので、武士の時代なら刃傷沙汰もあってもおかしくない。よってか、将棋は「礼に始まり礼に終わる」。最終局面中年の星木村一基王位は負けを覚悟し投了すべくトイレに立ち、身繕いとともに心の乱れも整える。戻ってくるまで、若き挑戦者も最後の手を指さない。戻ってから指された手を観て人格者の木村王位は、無言で駒台の端に手を触れてちょこっと頭を下げるだけでもよいのだが、「負けました」と潔い。それを受けて藤井挑戦者は「ありがとうございました」と言い深々と頭を下げる。
 人間の脳のエネルギーの消費量はすごいらしい。それで、人間が将来進化して行っても、脳はこれ以上大きくならないと言われている。棋士は1時間以上平気で考え続ける(今1月の王将戦第2局で藤井5冠は一手に2時間28分の大長考)。それで絶えず脳にエネルギーを補給する。体はほとんど動かさないのに、対局前の朝食のあと対局中10時半頃におやつが出され、12時半頃昼食が用意され15時にはまたおやつが提供される(将棋ファンは、勝負めし、おやつを何にするかも関心が高い。解説者は棋士が長考に沈めば間をもたせるために対局とは直接関係のない話もするが、対局者の食事の話題はお約束)。
 第3に、棋士も力士も天才である。プロ棋士は前期、後期2名ずつ4名しか1年で誕生しない。東大は毎年3千人も合格する。元名人で日本将棋連盟の会長も務めた故米長邦雄は「兄達は頭が悪いから東大へ行った、私は頭がいいから将棋指しになった」と言ったとされる。実際は本人が言ったのではないらしいが、将棋ファンは、それを傲慢だと思わず、さもありなんと素直に受け入れてしまうほど、棋士を天才だと認めている。ちなみに、谷川浩司永世名人の兄も将棋のアマ高段者であるがプロを目指さず東大に行っている。
  天才が揃う棋士の中で「天才中の天才」(以下「大天才」)と呼ばれる棋士がいる。中学生棋士(中学生で4段に昇段した棋士)で、“ひふみん”が愛称の加藤一二三元名人、谷川永世名人、羽生善治永世7冠、渡辺明2冠、藤井5冠の5人しかいない。まだ19歳の藤井5冠を除き、すべて皆名人位を獲得している。渡辺2冠はなかなか名人になれず、下手をすると藤井5冠に先を越されるかもしれないところであったが、一昨年めでたく名人となった。
 加藤元名人から22年後に中学生棋士となった谷川永世名人は9年後の羽生永世7冠の登場により長く続くハズだった谷川時代はやや短命に終わった。果たして魔王が愛称の渡辺2冠も(魔王が好きな競馬に譬えれば)三冠馬ミスターシービーが翌年誕生した無敗の三冠馬シンボリルドルフの影に隠れてしまったように、藤井5冠に棋聖位、王将位を奪われた渡辺2冠もこのまま藤井時代に飲み込まれてしまうのか。
 タイトル戦で魔王を圧倒し、苦手だった豊島将之棋士を無冠に追い落とし、史上最少年19歳で5冠となり、次々と羽生永世7冠の記録を塗り替え、藤井時代到来と言える。が、スノーボード男子ハーフパイプ界の第一人者ショーン・ホワイト選手の引退試合となる北京五輪で金メダルに輝き平野歩夢選手が後継者と正式に認められたように、名実共に羽生時代から藤井時代に替わったと認められるのは、藤井5冠がこの6月からのA級順位戦でトップ立ち来年初夏の名人戦で勝ち伝統と格式の高い名人位に就位したときであろう。
 藤井時代が到来すれば、「タイトル8冠を達成するか」とともに、「羽生永世7冠の偉大な記録・タイトル獲得99期(47歳)を超えられるか」が話題になろう。絶えず羽生永世7冠と比較されようが、藤井5冠がこのまま5冠を毎年維持すると仮定すれば38歳で100期(7+5×19)を超える。ただ、最初の10年は可能としても10年後匹敵する逸材が登場するかもしれず19年間平均5冠を維持するのは容易ではない。平均3冠でも大変なことだが、それなら47歳で99期には到達しない。(羽生永世7冠自身においても100期を遮る大きな壁となっている)99期はそびえ立つ高い壁なのだ。我ら凡人も何かと辛いが、孤高の大天才たちも大天才たちで、メディアに煽られる中で安寧に生きるのは難しいものだろう。
 力士も天才と言える。頭も必要だが、より体格、とくに体重が重要。100㎏は最低限。その100㎏になり俊敏さも兼ね備えるのは天賦の才能の持ち主(映画『新解釈・三国志』で“時代考証的美人”を演じた渡辺直美さんも天才。30㎏も増えて公表107㎏で激しい踊りができる女性は稀だろう)。私は20代の頃52~55㎏で痩せていた。71歳の今72㎏だが、74㎏を超えたとき、足指先が痛風とは違う違和感を覚え、血糖値も上昇していた。もっと若い頃に仮に100㎏を目指したとしても、到達する前に沈黙の臓器・肝臓が悲鳴を上げることだろう。
 その点大横綱の元白鵬関は大天才といえる。Wikipediaによると、白鵬関はモンゴルから他のモンゴル人と来日した時どの相撲部屋からも声が掛からなかったほど(先輩の旭鷲山関が救う)、体が細かった。15歳で175cm、68㎏の華奢な体が引退前192 cm、151㎏になったという。祖国モンゴル相撲の英雄であった父親のDNAを引き継ぐとはいえ、体を大きくするための不断の努力とそれに耐えうる内臓の強さは、常人では考えられない。 
 最後の第4は、不正問題である。棋士は200人、力士は650人前後いる中で関取(幕内+十両)は70人程度。皆顔見知りと言ってもよい。それで不正疑惑がつきまとう。八百長と言えば相撲と反射的に浮かぶほど昔から問題視されている。しかし、相撲協会は「無気力相撲」はあっても、八百長は断固認めていない。
 将棋界では、わざと負けることはあり得ないという。ベテラン棋士がこの一局を落とせば引退に追い込まれる時でも対戦相手がわざと手加減することはない。上述の米長元名人も全身全霊を傾けて真剣勝負すると公言していた。「そこで手を抜くものは将棋の神様から見放される」との米長理論は棋界にあまねく行き渡っていたと将棋ミステリ小説『死神の棋譜』(新潮社)の著者奥泉光氏もP22~23で触れている。    
 それもあってか、昔有名な「陣屋事件」が起きた。神奈川県にある旅館『元湯 陣屋』(タイトル戦で対局場として利用される常連宿)での昭和27年2月第一期王将戦で升田幸三八段が対局をすっぽかした。当時「三番手直りの指し込み制度」があり、挑戦者の升田八段が木村義雄名人に対して4勝1敗でタイトルを奪取したのに、それで終わる今と違って第六局もあり、第一人者の名人に対して香車を一枚落として戦うことになる。それが夢で将棋指しになった升田八段ではあったが峠を越えた名人に屈辱的な思いをさせるのはと悩んだ。わざとポカして「錯覚いけない、よく見るよろし」と言う発想は棋士にはない。それで、旅館の応対、主催新聞社への不満を口実にして対局をエスケープした(厳しい協会の処分に世論が反発し裁定を委ねられた木村名人が、升田八段の心の内を理解していたのであろう。不問に付した)。
 将棋界には性善説が浸透していた。だが、それがアダとなって不正問題騒動が起きることになる。将棋のAIソフトの精度が向上しスマホの普及につれ、私のような下衆の人間はいずれ不正疑惑が持ち上がらないかと案じていたが、天才を自負する棋士らは起こり得ないと対応が遅れた。
 2016年10月の竜王戦を前にして、渡辺明竜王と他の棋士らにより、挑戦者の三浦弘行九段が不正に将棋ソフトを使用しているのではとの疑惑騒動が持ち上がった。第一人者の羽生永世7冠は、一部では「黒に近い灰色」と発言したと報じられたが、「疑わしきは罰せず」と妻のツイッターから公言した。

 結局三浦九段は竜王戦の対局席に座れなかった。が、後の第三者委員会で不正がなかったと判断された。アンチ・ドーピングが確立された中で物議を醸した女子フィギュアのワリエワ選手の五輪出場(他選手に「絶望」を感じさせていた15歳の天才少女が針のむしろというリングに立たされ「絶望」の淵に沈む、いかにも後味の悪い結果に)とは違い、前例も規則もない段階で確証もないのであれば、今はスマホの持ち込みができないが、そのようにして三浦九段に渡辺竜王と対局をさせればよかったのだ。それなら谷川永世名人の会長辞任も必要なく、渡辺2冠も、もともと数多いる羽生ファンから敵役と見られていたが、そのヒールとしてのイメージが強まることもなかったのだと思う(もっとも、向かう所敵なしの藤井5冠の前に立ち塞がることができず、今やヒールのイメージは影を潜めたが、いいような、淋しいような)。
 
 相撲も将棋も世界に誇る日本の伝統的な“国技”。野球、サッカー等の人気プロスポーツと比べて天才たちへの報酬が低いと思う。とくに将棋界はそう思う。藤井5冠の昨年の獲得賞金・対局料は7千万円に届かない。1位の渡辺2冠でも8千万円を上回る程度(市場規模が違うとはいえ楽天の田中将大投手は年俸9億円とか)。少なくとも全8冠制覇すれば5億円を超える様にはして欲しい。構造不況業種に仲間入りしそうな新聞業界だけではなく成長産業にもっとスポンサーになってもらいたいと思う。

 

2022.5 臨時号 NO.172  うが VS うが(1/2)
 私はファイザー製ワクチンの3回接種を終えている。日本人の端くれとして、外出中でのマスクの着用、手洗い、アルコール消毒等最低限のマナーは心得ている。卒職した今睡眠と栄養は十分。ストレスは妻の小言ぐらい。聞き流せば怒るので、聞いているフリして遣り過ごす。

 その毎日の中で、新型コロナ禍でありながら週課としての「一人カラオケ」、「映画鑑賞」を続けてきた。カラオケ店も新型コロナ禍以前は換気が不十分でインフルエンザに罹る人もいたが、今は未使用の部屋は開けっ放しで部屋の消毒も行き届いており、却って安全である。映画館も、銀座や日本橋など人出の多い所は避け、平日で込み合わない日に行くので、これまた他の施設に行くより安全である。
 それ以外の日は普通家に居るのだが、映画や韓流ドラマを観ることが多くなった。本ブログ2022年4月号NO.169(「オミクロンVSゴミクロン」)で、いまだに毎日感染者数だけをもって増えたから警戒をと報道し続けているのかと疑問を呈した。が、その前から朝の習慣として地上波の朝の情報番組を観ないことが続いている。観るとしたら時事問題を扱わず芸人とアイドル等でのバラエティ一色のTBS『ラビット!』。観ていて腹が立たないし、役に立たないどころか、プロ料理人によるランキングで、丸美屋食品の『ソフトふりかけ ちりめん山椒』を知り常備している。桃のジャムがあることにも気づき今ではアヲハタの『まるごと果実 白桃』を毎朝トーストに塗っている。
 昼前後の情報番組も観なくなった。低予算の中でレギュラーコメンテーターが専門外の事でMCからコメントを求められ苦し紛れにゲスト解説者に質問するのを観て、観ているこちらも辛くなる。時事問題については、夜のBSの報道番組においてTBS『報道1930』、フジ『プライムニュース』のどちらかをその日のテーマ、登壇者を見て。さらに時々日テレ『深層NEWS』も観ている。

 ここ1年で観た映画や韓流ドラマについて感じたことを書いてみたい。
 邦画は、JKが対象のような青春恋愛映画はガキがそのまま爺になった私でも観ない。今年の日本アカデミー賞で有村架純さんが最優秀主演女優賞に輝いた『花束みたいな恋をした』は予告編しか観ていない。

 私自身はWOWOWで観た『茜色に焼かれる』での迫真の演技と型どおり表現では失礼なような尾野真千子さんが最優秀主演女優賞に相応しいと思った。候補にも挙がらずネット上では❛尾野真千子事件❜として日本アカデミー賞は大手映画製作配給会社中心、商業性偏重かとの声が挙がる。

 昨年米アカデミー賞の作品賞に輝いた『ノマドランド』は日本なら候補にも挙がらないか。こんな姿勢で日本の映画界がレベルアップするのか、観客の目が肥えるのか。
 映画館で観た中で記憶に残る2作品は、昨年観た、3.11を舞台とした『護られなかった者たちへ』と有村さんが主演の今年初公開された『前科者』。とくに『前科者』が強く印象に残った。有村さんはアイドル系の女優ではなく役者根性のある本格的な女優と初めて理解した。有村さんが扮する新米保護司の最初の対象者で友人ともなる女性前科者を石橋静河さんが演じていたが、私が抱いていたイメージとギャップがありすぎて石橋さんと気が付かなかった(映画鑑賞後WOWOWのドラマ版の再放送を観た)。主演男優の森田剛さんはジャニーズ出身の役者とは思えないほど演技達者な根っからの役者と感じた。清原果耶さんが日本アカデミー賞最優秀助演女優賞に選ばれた『護られなかった者たちへ』で主演佐藤健さん (『ドライブ・マイ・カー』と一緒の年でなければ最優秀主演男優賞でもおかしくない) が熱演した「利根勝久」役も森田さんも適していると思った。
 来年の日本アカデミー賞では、有村さんはすでに受賞したので(2年連続もありうるが)、石橋さんは最優秀助演女優賞を、森田さんは最優秀主演男優賞を、ぜひ受賞してもらいたい。ただ、日本アカデミー賞のこれまでの傾向からすれば、どうなのか。
 保護司は、罪を犯した少年等の更生を手助けすることで生きがいを感じることができるが、再犯されて大きな失望感も味わう。難しく神経をすり減らし私生活もままならないが無報酬。そんな頭が下がる保護司の仕事を女優故小暮美智代がしていたことをウイキペディアで知った。映画(小津作品・1952年公開『お茶漬けの味』の主人公の妻役等)でのキャラと違い良妻賢母の鑑だと書かれている。小暮にすごく興味が湧いた。ぜひ小暮の半生をドラマ化してほしいと思う。
 米アカデミー賞の作品賞には届かなかった(国際長編映画賞受賞)が、日本アカデミー賞をほぼ総ナメした『ドライブ・マイ・カー』は、最初封切されたとき、TOHOの公開作品の紹介欄を見た限り、運転手役の三浦透子さんが小池栄子さんに似ている。主役の西島秀俊さんは韓国女優キム・テヒさんと共演したドラマ『僕とスターの99日』(2011年秋)の頃からのファンであるが、ほぼ3時間もあり内容的にもだるそうと思い映画を観ようとしなかった。本家のアカデミー賞にノミネートされたとあっては敬意を表すべきと映画館に足を運んだ。前半は韓国官能映画を観ているような気になったが、後半西島さん扮する主人公と運転手とのぎくしゃくした関係からともに正直な思いを吐露し理解しあい信頼を寄せていく過程での描写が良いと思った。トイレが近い私だが途中で行くことはなかった。

 家では、邦画はWOWOWで観た。とくに小津安二郎監督の名作を。映画全盛期の頃の日本を代表する名監督は「動」と「静」の作品が対極的な黒澤明監督と小津監督か。黒澤作品はハリウッドが好むスペクタクルかつダイナミックで、私は中学生・高校生の頃から神戸新開地の東宝の向かい側にあった新劇?(違うかも)で3本立ての上映にて『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『椿三十郎』等を既に観ていた。小津作品は、欧州映画に似ていて人情の機微に疎い私は古希を超えた今までじっくりと観たことがなかった。今回最初から最後まで観ようと思ったのは、作品を理解するということよりも私自身が物心ついていない頃の生活風景を垣間見たかったからである。
 小津作品で(故原節子扮する)紀子三部作と呼ばれる、私が母のお腹にいた頃の『晩春』(公開1949年)、生まれた翌年の『麦秋』(同1951年)、名作『東京物語』(同1953年)を観た。が、70年前なので出演者のほとんどが亡くなっている。作家故半藤一利が銀座にあった文藝春秋社に入社する前後であるが銀座等東京の中心地はビルが立ち並び既に復興しているのが映画から窺えた。『晩春』では江の島に灯台(旧灯台でも1951年設置)がなく、不思議な感じがした。街には市電が通りその為の電線が張り巡らされていた。家では裸電球にうちわパタパタ。また、当時昼間は家の玄関の鍵は掛けなかったことを思い出した。4~5歳の頃か家に突然若者が乱入してきた。「刑事に追われているので少しだけ隠れさせてくれ」と脅すのではなく、震えて哀願していた。母親も私もただ唖然として固まっていただけで数分後若者が立ち去ったことを思い出した。それだけははっきりと覚えている。
 男が集まれば戦争の話(今は戦争体験を語れる人が稀に)。当時の娯楽は麻雀とパチンコ(他の小津作品では花札の場面も登場するが、私が中学生の頃までは正月伯父の家に集まるのが恒例にて、その時花札も興じたが、どんなゲームだったか忘れてしまった)。
 当時の女性は中流以上の家庭のお嬢さんもタバコを吸っており、家族以外の男性の呑んだおちょこで酒を注がれたのをそのまま主人公の紀子が口にしていた(新型コロナ禍でなくとも今では考えられない)。
 一家の主人が家に戻れば服を無造作に脱ぎ捨てる。それを当然のごとくの体で妻や娘が片付ける。今それをすればカミさんから怒鳴られる。私だけではないだろう。

 寡の父を独り残して結婚できないと思う娘。娘がいなくなると淋しいが嫁に行き幸せになってもらいたいと願う父。この関係性は今も変わらない。と思いたい。
 故原節子は、好みの問題かもしれないが、私はとくに美人だと思わない。当時の日本女性の平均身長は153㎝。そして皆貧しかった。原は165㎝で目が大きく鼻も高くやや日本人離れしており、しかも中流家庭のお嬢さんのような上品で愛らしい喋り口と気品ある身のこなしに男も女も憧れを抱いたのではないか。
 当時がデビューの頃にあたる、私が美人と思う女優(以下「美人女優」)で1930年(昭和5年)代生まれの女優を見ると、(敬称略で)八千草薫(154㎝)、若尾文子(155㎝)、富士眞奈美(154㎝)等は平均身長と変わらない。が、山本富士子(159㎝)、岸恵子(161㎝)、司葉子(160㎝)、岡田茉莉子(158㎝)、小山明子(160㎝)、三ツ矢歌子(未公開;160㎝?)、佐久間良子(158㎝)は比較的背が高い。皆オーラを放つ美人だと思う。今は30代の美人女優が少ないように私には思える。韓国女優に注目が集まるからか(YAHOO! ニュースも日本女優より韓国女優の記事が多いかも)。
 ただ、(敬称略にて)新垣結衣(169㎝)、比嘉愛未(169㎝) 、佐々木希(168㎝)、長澤まさみ(168㎝)、橋本マナミ(168㎝)、 木村文乃(164㎝)、桐谷美玲(163.5㎝) 、瀧本美織 (162㎝)など一般女性 (日本女性の平均身長158㎝。ただ、最近伸び悩み韓国女性の平均より4㎝低い)より高い美人女優が、それなりにいる。オーラは感じないのは映画全盛期と比べて女優の神秘性が薄くなっているためか。それとも、若尾文子さんたちには子供として仰ぎ見、爺になった今は女優さんたちを子や孫のように私が見ているからかもしれない。

 

 洋画では、記憶に残る新作が少なかった。2003年のマトリックスの3作目から18年も経過して公開された4作目『マトリックス レザレクションズ』は初めて観た時のスローモーションで飛んでくる銃弾を荒川静香さんばりのイナバウアーで避けるような新機軸が何もなくがっかりした。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は観るつもりはなかったが、人気ランキングで上位に挙がっていたので、思い直して映画館に足を運んだ。途中で居眠りしてしまった。どちらも柳の下の二匹目だけではなく何匹ものドジョウを狙うハリウッドの商魂に踊らされたとの不快感を覚えた。

 昨年公開の『Mr.ノーバディ』は、期待していなかったが、私の好きなキャラで面白かった。家族に正体を隠したダメンズの中年男がいざとなると(スーパーマンではなく同じ人間なのに)超人的な活躍を見せる。さながらハリウッド版必殺仕置人中村主水と言ったところか(小さい頃私は仇討ちをカモフラージュした大石内蔵助が好きだった)。
 ダメンズぶりは見せないがローンウルフで同じ人並みはずれた身体能力により悪を倒す「ジャック・リーチャー」シリーズの『アウトロー』『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』(主演のトム・クルーズさんはこの2作のみ)、『イコライザー』シリーズ(主演デンゼル・ワシントンさんはシリーズ化を潔しとしないが、これは例外)のようにシリーズ化を期待するが、中村主水と違い家族に正体がばれてしまっているので、どうか。
 妻役は、キアヌ・リーヴスさん主演の『ディアボロス/悪魔の扉』(公開1997年)でシャーリーズ・セロンさんとともにヌードを披露したコニー・ニールセンさん。20年後(後述する)ガル・ガドットさん主演の『ワンダーウーマン』シリーズでワンダーウーマンの母で女王の役に扮し、本作ではセクシーさを残しつつしっかりとした中に気品さも漂わす母親役を好演していた。エンディングロールの前の映画の最後で発する妻の一言がシャレている。

 アガサ・クリスティの小説『ナイルに死す』を映画化した『ナイル殺人事件』も満足した。ヒロインのガル・ガドットさんの美貌に目を見張る。そしてエジプトを訪れているかのような錯覚に陥る。ナイル川(ワニがいたので驚いたが、ナイルワニと呼ばれ、単に私が不勉強なだけ)、ピラミッド、スフィンクス、世界遺産アブシンベル神殿(大王ラムセス2世建造)等エジプトに未訪で今後も行く予定がない私にとってそれだけでも本映画を観る価値があった。

 今年のアカデミー賞の最高の栄誉である作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』は封切された時妻と観に行く予定であったが、余計なことを言って妻の機嫌を損ねる。妻は私を見損ない、私は映画を見損なう。機会があれば観てみたいと思う。
 その後妻とは、異色のロックオペラ『アネット』を観た。妻は、二人で観た映画の中で、マリオン・コティヤールさんがエディット・ピアフ役を演じ第80回アカデミー賞主演女優賞を受賞した『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』が一番と言っていた。コティヤールさんが出演するよと持ち掛けたら案の上妻は話に乗ってきた。それで一緒に観たのだが、妻は、コティヤールさんが裸になっていたので、驚いた。私は、事前に知っていたら妻を誘わず、一人で観たのだが。妻の映画の評価は高くなかった。

 共演の歌も歌えるアダム・ドライバーさんは今や「カメレオン俳優」として引っ張りだこ。レデイー・ガガさん主演の『ハウス・オブ・グッチ』を映画館で、マット・デイモンさん主演で、決闘で勝った方を正義とする『最後の決闘裁判』をWOWOWで、観たその映画にもドライバーさんが出演していた。

 2022.5 臨時号 NO.172  うが VS うが(2/2)
 家では、洋画ならBSやWOWOWでとくに韓国映画・ドラマをよく観ていた。戦争を題材にした映画では、私が生まれた2か月後の朝鮮戦争への中国軍(人民義勇軍)参戦を背景にした『国際市場で逢いましょう』(公開2014年)、金日成暗殺計画の為編成された韓国684部隊を計画中止により抹殺し闇に葬ろうとした事件に基づく『シルミド』(同2003年)、民主化を求める学生ら光州の市民に対する全斗煥政権の軍による弾圧を描いた『光州5・18』(同2007年)に心動かされた。

 中でも、『国際市場で逢いましょう』は名作と思った。主人公がまだ子供の頃中国軍が攻めてくると現北朝鮮の興南から釜山への避難船に妹を負ぶってロープの梯子をよじ登るのだが、妹を落としてしまう。先に船に上がっていた父親が娘を探しに降りる時父親から主人公に「お前が家長なのだから家族を守れ」と言われる。それが父から聞いた最後の言葉となる。長じて父との誓いと妹を守れなかった心の傷を抱えながら家族の為に懸命に働く。ドイツの鉱山で生き埋めになり、ベトナム戦争に従軍し足に大けが負い、行方不明の妹を探す為TV番組に出る(里子で米国にいた妹と再会を果たす)。

 歳をとり、子や孫らとの団らんの場から独り離れ、この世にいないハズの父に(家族は知らない苦汁をなめ一家を支えた)「俺はよくやった」とつぶやく場面はじ~んと来た。
 主人公を演じたファン・ジョンミンさんは、韓国版アカデミー賞の一つ大鐘賞の主演男優賞に輝く。ファンさんが端役で出演した『シュリ』(公開1999年)でヒロイン役を演じ、本作で妻役のキム・ユンジンさんも、賞には選ばれなかったが、評価されてよいと思う。生き埋めになった彼氏の主人公の救出を哀願した場面。先に帰国した主人公を追って帰国し主人公に子供ができたと告げた時主人公が他人事と勘違いし「おめでとう」と言った彼の頬を平手打ちした場面。結婚後主人公がベトナムから帰った時ベトナム行きを反対していた妻が足の大けがを見て涙を流し夫を叩きながら怒り嘆いた場面が印象的であった。
 韓流ドラマでは、『夫婦の世界』(主人公のキム・ヒエさん、韓国の典型的な美女ハン・ソヒさんを知る)と『暗行御史:朝鮮秘密捜査団』(未観の『梨泰院クラス』で人気した、長身172㎝のクオン・ナラさんがヒロイン。子役出身で佐々木希さん似と思うチョ・スミンさんを知る。未観の『ペントハウス2』にて家庭教師役で転落死するシーンが話題になっていた)との2ドラマが印象に残る。

 キム・ヒエさんは女医の役どころで、浮気した夫と離婚し、子に去られ、病院も辞め絶望感から海の中に入っていく。波に飲み込まれ見えなくなるところはスタントでないと危ないと思った。人気女優の仲間入りしたクオン・ナラさんも主人公と一緒にさらしを巻いて池に入っていた。日本では、映画ではあってもTVドラマでは新型コロナ禍がなくてもそこまでやらないのでは。
 日本の名脇役國村隼さんは、2016年韓国映画『哭声/コクソン』(未観)に出演し第37回青龍映画賞 (2016年)男優助演賞を受賞したが、2020.5東京新聞WEBのインタビュー記事でこう述べている。ドラマにもあてはまるのではないか。 
 「映画を取り巻く環境、システムが日本より一歩先を行っていると実感させられたんです。もう一つうらやましく思ったのは観客ですね。韓国の人たちは驚くほど映画好きで、常に新作を待っている。皆がとにかくよく映画を見に行く。必然的に目が肥えたお客さんが増えて現場は下手なものは作れない。当然、作品のクオリティーは上がっていきますよね。」
 妻が珍しく毎日16時から韓流ドラマを観ていた。何かと思えば、『SKYキャッスル』。韓国在住の伊東順子女史の著書『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社)によれば、SKYとは韓国最難関大学のことで、Sはソウル大学、Kは高麗大学、Yは延世大学で皆ソウル市内にある。その最難関大学への受験競争における「財閥」の下の一般富裕層が狂奔する有様を描いている。韓国上流社会の現実を知る最高のテキストと本ドラマは位置付けられるらしい。
 このドラマの後に始まった『ホテルデルーナ』も妻は観ている。主演はIUさんで伊東女史が言う「色白、もち肌」の韓国美人を象徴するような美人でしかも歌手。「国民の妹」と称される国民的歌姫とのこと。役どころは1,300年生きるホテルの女社長。

 韓流ドラマでは人気を博した『トッケビ』(2016年)でも主演コン・ユさんの役どころは900年以上生きる武官。死神役で共演したイ・ドンウクさん(184㎝)も『九尾狐伝』にて主役の伝説の霊獣に扮するなど、現実離れした設定のドラマも多く見られる。
 ここに名を挙げた韓流ドラマの内『夫婦の世界』『ペントハウス(1~3)』(あまりにも女同士ドロドロかと尻込みし未観)『SKYキャッスル』『ホテルデルーナ』は女性たちが主人公である。
 韓流ドラマには、女性が主人公のドラマが多い。儒教の国韓国では日本より男尊女卑が酷く、それに戦い、伊東女史は、女史が韓国のテレビ界で仕事を始めた1990年後半頃から「ソウル大 ディレクター志望」の女性が増えた。韓流ドラマは、一貫して「女性の味方」だったと言う。

 伊東女史によれば、あるサイトによると台湾のテレビ部門のベスト10の内9作までが韓流ドラマ。残りの1作が『鬼滅の刃』だったという。お笑い芸人の塚地武雅さんが日本一のARMY(ファンの呼び名)を自認する『BTS』を擁するK-POP界を含めエンタメ業界は日本が韓国に完敗している。それだけではなく、近い将来一人当たりのGDPにおいて韓国や台湾に抜かれるという。
 過去の栄光にしがみつき隣国人を見下げている者がいるとすれば、その姿ほど見苦しいものはない。韓国人や台湾人は、まだ日本を「腐っても鯛」と思ってくれているのだろうか。
 「魚は頭から腐る」と言われる。国のトップは❛敵基地攻撃の能力の保有❜、❛憲法改正❜と「手段」しか言わない。

 銀座のクラブに喩えると、チーママには二種類のタイプがある。一つのタイプは、将来オーナーママになる志を持ち経営面等も勉強するチーママであり、もう一つは、そんな志はなくチーママの地位が続き楽しく日々が送ればよいというタイプ。
 日本のトップは後者のチーママタイプか。国の「目的」はオーナーママの米国に従うこと。それは口にする必要はない。オーナーママの信頼を得、友好な関係を保ちながら店から独立することなど考えない。問題は、本当に独立できるか、ではなく、その志があるか、なのだ。

 米国との同盟関係の解消を求めている訳ではない。一国で生きられないなら同盟の相手は米国しかない(ただ、バイデン政権に対しては、中間選挙で大敗し、レームダック化するのを望む。元々リベラルな米民主党政権は、「自由」を標榜するが、自身の価値観を他に押し付け、それを拒む「自由」を認めない。共和党政権より争いが起きやすい)。

 

 期待した宏池会の岸田首相とて同じなのか。ウクライナ侵攻においても、国益よりも米国への追随か。同盟国の米国が戦争している訳ではない。日本はNATOの一員でもない。北方領土の問題を抱える隣国ロシアに対して国交断絶の一歩手前のような対応までなぜとるのか(プーチン大統領が失脚しても、恨みを引き継ぐロシアは残る)。4月下旬に独首相が来日する予定だが、第二次世界大戦敗戦の教訓を「米と大ケンカするな、露は信用するな、独とは組むな」とする私は対ロシア強硬へと極端から極端に突っ走りがちな独に影響を受けることを懸念する(タカ派は軍事費増枠に利用するかもしれないが)。

 長年宿願としてきた四島返還が刹那的に絶望の淵に葬られる。敵対国にされ、それに伴うリスクや経済的損失は議論されたのか。

 岸田首相は4/8の記者会見で、「我が国周辺においてもロシア軍の活動が活発化している」と述べ、「懸念すべきことだ」と発言した。その事態を招いたのは首相自身ではないのか。遠い戦争のハズなのに自国民の生命と財産を危険に晒す。

 岸田政権による、ウクライナ難民に対する積極的な支援は支持する。が、欧州の安全保障と東アジアのそれと切り離しできない時代とはいえ、NATOに前のめりになるようなことは評価しない。そもそもNATOの東方拡大がプーチン大統領を騙されたと思わせ、恐れさせ、狂わせた。直接NATOとロシアが戦闘状態になり第三次世界大戦突入することがないように働きかける(ロシアと1,300㎞国境を接するフィンランドがスェーデンと一緒にNATOへの加盟申請へ。今手負いの獅子ならぬ熊を挑発する必要はあるのか。プーチン大統領は、NATOと直接国境を接するの嫌い、ゼレンスキー大統領への説得を諦め侵攻した。フィンランドの後ろに位置するスェーデンは良いが、NATO加盟が批准される前にフィンランドにロシアが侵攻するリスクに対してフィンランドはどう考えているのか。侵攻が起きれば、それはもう第三次世界大戦への突入と言えるのではないか)のが憲法第9条を擁する平和国日本の取るべき態度であろう。

 親中派と米国からも見られていた林外相もNATOの会合で「中国は、ウクライナ侵略について、いまなおロシアを非難していない」と中国の対応を名指しで批判したという(これで米側の覚えもめでたくなるかもしれないが)。

 西側の体制と対立する中国なら、(意図的か)予め軍事介入しないと公言したバイデン大統領がプーチン大統領をその気にさせウクライナを犠牲にしてウクライナとの戦争による疲弊と孤立化でプーチン大統領とロシアを打倒しようとしていると見るであろうし、西側に呼応しないのは是非は別にして理解できる。それを隣国日本があえて声高に非難する必要がどこにあるのか。

 居宅と違い国は引っ越せない。中国、北朝鮮、韓国、ロシアの向こう隣の国すべてを敵対国にしてどうするのか。日本を東アジアの「ウクライナ」にしてしまえば、悲惨な末路が待ちうけよう。

 (憲法で日本はできないが)ウクライナに防御用に留まらず攻撃用兵器を提供することは戦争の長期化・深刻化(核保有国と非保有国との戦いの最終形は広島・長崎への原爆投下と同じく核兵器の使用となる。ロシアが追い詰められたらそれは絶対ないとは言い切れない)を招く。

 戦場であるウクライナは焦土化し、勝敗に関係なく欧州最貧国ウクライナの経済は壊滅に帰する。軍人のようなゼレンスキー大統領はそれをどう考えているのか(特例加盟後のEUに復興を期待するのか。それをプーチン大統領が黙って許すと思うのか)。

 ロシア側の蛮行は戦争する前から予想されていたハズ。バイデン大統領は、ジェノサイドと非難するが(マクロン仏大統領は戦争をさらに拡大させるとその呼び方に賛同しないのは賢明)、プーチン大統領をもっと怒らせ何をさせたいのか。「広島・長崎での原爆投下で民間人が大半の15万~20万人の死者を出した米国がどの口で言う」と言い返され藪蛇になるのに。

 国際人道法の観点からことさらにロシアを非難しても、ウクライナの無辜な住民は助からない。西側が真にウクライナの住民のことを考えるなら、兄弟民族間の不毛な戦争を長引かせる武器供与等ではなく、早期停戦しかない。ゼレンスキー大統領と違いバイデン大統領は、自らは安全な所に身を置き、戦火に油を注いでいるだけと言えば、言い過ぎか。

 参院選を意識してるのか、新米首相としてか、岸田首相は(林外相も)熱くなりすぎていないか。日本は、離れた所から冷静になり、バイデン大統領にも働きかけてもらいたい。早期停戦や最悪事態の回避の為に(安定飛行前の岸田政権には酷すぎるか。ただ、追随はやむを得ないとしても、濃淡があってよいハズ。今回米国が正義だとは思えない)。

 こういう時こそNATO非加盟・永世中立国オーストリアのように、過去27回も会談した安倍元首相が、特使としてプーチン大統領に会いに行き、早期停戦や日本側の立場も説明すべきなのに、メディアから変わり身が早いと揶揄されるばかり。

 そんな安倍元首相と岸田首相は会食して、ウクライナ侵攻については「欧米の動向を注視していくことが重要」(しか二人は言わない)と報じられる。

 

 国のトップが国の将来を考えないなら企業のトップもそうなる。団塊の世代がリタイアし、さらに正規雇用を非正規雇用に変えて後ろ向きの利益を内部留保として溜めこむ。自身が社長の間株価を維持できれば、それでよいとなってしまう。
 腐っていく鯛の頭を替えられるものなら、知性と教養に裏付けされた「国家観」と「公共性」と「志と気概」のある官僚出身の首相にした方がと最近とくにそう思うのである。

2022.5 NO.171  じょい VS じょ
 ロシアのウクライナ侵攻による戦闘は、膠着状態にあり、今停戦交渉が対面で行われている。本紛争は本来(多くの両国民が犠牲になる)兄弟民族間における戦争になるような問題ではない。戦争の責任はひとえにロシア、ウクライナ両大統領にある。

 プーチン大統領は噂されるパーキンソン病?で残された時間が短いかと思う中なめている米バイデン民主党政権の今しかないと侵攻に打って出たのか。その結果ロシアは大国ではなく“大きな北朝鮮”と世界に知らしめた。独裁者は“裸の王様”になる好例の一つとして歴史に刻まれよう。戦後初で核兵器を実戦使用した暴君として記録されるのは絶対避けて欲しいが。

 (私が一貫として批判的な見方をする)ゼレンスキー大統領は、圧倒的な人気で大統領になったが、有言不実行で国民の期待を裏切り支持率が20%台に落ち込む。批判をかわす為にロシア敵視政策をとり、プーチン大統領の堪忍袋の緒が切れかかる。地政学的な観点からの帰結として「NATOからの中立化」を戦争になる前に宣言すればプーチン大統領の怒りが鎮まるかもしれないが、それでは支持率回復に結びつかない。乾坤一擲、戦争に賭けて思惑通り支持率が90%以上に跳ね上がった(ウクライナ人の民度がとくに低い訳ではない。どこの国民も、自国が攻撃されたら、ナショナリズムが高揚し、死を覚悟して戦おうとしてしまうものなのだろう)。

 しかし、日一日と国民が悲惨な目に遭っているのにゼレンスキー大統領は英雄気取りなのか(それを増長させるのか、政治的中立性を崩すのかと思われた米アカデミー賞授賞式前後でのゼレンスキー大統領の出演はなかった。賞関係者の見識が禍根を残すことを阻んだ)。

 山一証券の自主廃業会見で当時の社長が「私らが悪いんです。社員は悪くありせんから。どうか社員を応援して!」と涙ながらに訴えた。その何十倍、何百倍もの多くの国民が犠牲となり支援をお願いする第三国に対し、ゼレンスキー大統領は、土下座して哀願するのではなく、国連事務総長かのごとく演説し批判もする。自己の正当性をアピールする。私には、ゼレンスキー大統領は言葉巧みな希代のポピュリストにしか見えない。

 今般の停戦交渉でウクライナ側が「中立化」を提案しているという。それならそもそも戦争する必要がない。停戦、又は戦争が終結すれば、ウクライナ国民も、自国民の惨状を直視し、目が醒めることだろう。

 ナチスドイツから降伏を迫られた(戦力が拮抗する)英国が徹底抗戦し勝利するも、戦争を指揮し勝利に導いた英雄チャーチル首相でさえ政局のアヤもあるが首相の座を追われた。 

 国民性もあり判官びいきは止むを得ないが、ゼレンスキー大統領を英雄視する、そのような日本人は、悲惨な結果に終わった日米開戦の二の舞を演じることになるのではないか。

  

  話を国内に向けると、小室圭氏のNY州司法試験の結果が近々判明するだろう。合否どちらにしても状況が大きく好転することはなさそうだ。今私の関心は「天皇」問題にある。
 日本人にとって「天皇」とは何か。私は「太陽」と答える(天照大神が皇祖神でもあり)。
 第1に、天皇は太陽のごとく超然として不変である。国民に寄り添うことが庶民(あえて対比を際立たせる為以下「下々」とする)に近づくものであってはならない。太陽と衛星のごとく一定の距離を守ることが必要である。戦後の皇室の平民化路線も見直されていくのではないか。
 第2に、太陽は輝くばかりである。天皇は下々のすることに口出ししない。今の象徴天皇の時代に限らず天皇は政治への介入を慎んできた。現人神であった昭和天皇も元老から注意されている。明治政府は西洋型の富国強兵を目指す上で、西洋の精神的支柱キリスト教を導入せず、それに代わるものとして天皇を位置付けた。天皇主権としたが、国の運営は内閣で行うとしていた。
 下々が傷つき、心が寒くなれば、温め、暗くなれば、明るく照らす。未来永劫それを続けるのが、太陽としての天皇のお役目だと思う。
 「権威」である天皇が仮に政治的発言らしきものを発せられたとするならば、それは「権力」に対する不信感からと言え、「権力」はそれを恥じ、そんな「権力」を選んだ国民も反省しなければならない(安倍元首相や菅前首相の再登板が囁かれているが)。
 第3に、第2とは表裏となるが、太陽は沈黙する。言い訳しない。沈黙は雄弁に優る。明治天皇は寡黙に変わって行かれた。じろっと見られただけで臣下は震えあがったという。
 昭和天皇は、言い訳なさらず、戦争の全責任は自らにあると。それに感動して、マッカーサーは、米国本土での天皇戦犯の声を物ともせず天皇制存続に確信を持った。
 日米開戦に反対されておられたが、軍部に押し切られ戦争になってしまい、敗戦すると真珠湾攻撃成功に歓喜爆発した同じ国民に終わらせるならもっと早く止めさせておけばと陰口を叩かれる。昭和天皇は批判を甘受して国民に言い訳はなさらなかった。
 昨年の東京五輪での天皇陛下の開会宣言で、「祝う」を「記念」に変えたことに対して、宮内庁長官の「拝察」発言の後であり、憶測を呼んだ。すると、前天皇の侍従として、「英訳」も担当していた多賀敏行元チュニジア大使なる者による「陛下はJOCの誤訳を、人目につかぬよう訂正していた」との記事 ( 『東京五輪、天皇陛下はJOCの「誤訳」をさり気なく訂正』)がAERA dot.に載り、さり気なくではなく拡散した。元大使は1964年の開会宣言で昭和天皇は正式な英文の誤訳を読まれたとまで言った(誤訳と名指しされたJOCは、認めないが、空気を読んだのか反論という形はとっていない)。
 明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏が自身のネットチャンネルで元大使を肯定的に評したのには(日頃の言動からして)少し違和感を覚えた。
 開会宣言は天皇が国家元首として発するもの。当然宮内庁職員等が日本語で口上案を作成し、陛下の了解を得る。それが正式なものであろう。問題があるとしたらそれを英訳したものに問題があるのではないか。主催はあくまでもIOCだが、開催国の元首として昭和天皇が「よくぞ世界各国から多数集まってくれて、まことに喜ばしい。それを“祝し”、ここに高らかに開会を“宣言”する」との意味合いを発せられて、何の問題がある。宮内庁も先々代の天皇の名誉は守らなくてよいのか。
 宮内庁長官には警察庁の元高官が続くのか。神輿の担がれ方を熟知している為か。神輿の担ぎ方を知っている者の方が良いのでは。その方が神輿に乗る方にとって何が最も大事か常に考えているように思うから。
 昭和天皇が明治天皇を鑑とされたように今上天皇は昭和天皇を手本となされるのがよろしいかと。私ごときがはなはだ僭越ではあるが。
 最後の第4として、太陽のごとく唯一無二の存在に学歴は不要である。学歴は下々の為にある。学歴は、数多いる下々の中からエリートを選抜する目印の一つでしかない。天皇は「エリート」とは無縁の存在(「プライド」もそうだが、昭和天皇が生涯で唯一プライドなるものを感じられたことがあるとすれば、それは敗戦後突然マッカーサーと並んで写真を撮られた時であろう)。
 生き仏と崇められるチベットのダライラマ14世は、ごくありふれた農民の9番目の子であったが、4歳のときにダライラマの化身と認定される。すこぶる聡明だったのであろう(奇跡も必要なのだが)。ウイキペディアによると、8歳の時には兄ロブサンは私立学校に行き、ダライ・ラマ14世は一人で教育を受けるようになったという。

 昨年成人皇族になられてから愛子様を天皇にとの国民の声は日増しに高まっているとメディアは伝える。眞子様の手前勝手な?結婚会見直後に成人皇族となられた時の慈母観音のごとく微笑みを湛える気品ある立ち姿を見れば無理からぬこと。先月の成年皇族として初めてながら上品で堂々たる記者会見でさらにその声は高まっているのではないか。
 「男女平等」からも愛子様を天皇にと言う。ただ、それは「リベラル」としての重い発言ではないだろう。真の「リベラル」は同じ国民なのに憲法の枠を超えた特別な存在を否定するものだ。
 英国王は女系天皇ではないかとも言うだろう。今の女王はエリザベス2世だが、エリザベス1世(1533年~1603年)は正室の子メアリー女王との権力争いで勝った。側近からのメアリー女王の処刑の声に抗しきれず、メアリー女王を大ナタによる公開処刑にした。負けていればエリザベス女王も同じ運命にあったろう(フランス革命ではルイ16世とマリーアントワネット妃がギロチンで公開処刑された)。
 現エリザベス2世の高祖母にあたるビクトリア女王(1819年~1901年)は“ビクトリア朝の女帝”と言われるほど大英帝国の全盛期を築き、領土を拡大させた。しかし、何度も暗殺未遂に遭っているという。エリザベス女王はそれらを心得た上で即位している。
 エリザベス1世の頃日本は戦国時代で、敗将は落城する前に妻や子を裏門から落ち延びさせていた。勝った方も敗将の正室を側室に迎えたりしていた。中国の、人豚事件を起こした呂后(呂雉、BC241年~BC180年)や武則天(則天武后、624年~705年)等女に権力を持たせるのは恐ろしいと儒教で「控えめで、行儀よく、貞節を守る」を美徳とさせてきたのか、不勉強で私にはよく分からないが、島国で鎖国もしていた日本は「女は弱く守るもの」としてきた。
 他国とは違うのだ。平和な日本ではあるが、ウクライナ侵攻のように、中国による台湾進攻があり米中開戦となり一時的にしろ米軍が日本から撤退することは絶対起きないと言切れる者はいるのか。中国に日本が占領されたとき愛子様が国家元首として矢面に立たれることは想像したくない。
 悠仁親王と年が離れておらず過去の女性天皇のごとくつなぎの即位も現実的ではない。愛子様には一定期間成人皇族としてご活躍いただきその後は降嫁されて幸せな人生を歩んでもらいたいと心からそう願う。
 愛子天皇を望む女性は多いだろうが、同じ女性のつげのり子氏が「しかし直近の感情だけに流されず、皇室の歴史や役割をしっかり踏まえて男系という純粋性の重要さをあらためて意識する人が増えることを願っています。」と結ぶ『8割以上の日本人が待望する“愛子天皇” それでも“男系の天皇”を守るために慎重になる必要がある理由』(文春オンライン2/23の6:12配信)をぜひ読んでもらいたい。
 
 「権威」である天皇は「親」であり、国民は「子」である。「子」は「親」を選べない。権力者は「子」であり、国民は「親」である。「親」は「子」を選ぶことができる。
 男系・万世一系の天皇制の継続を支持する私は、安定的な天皇の継承問題もさることながら、目の前の悠仁親王の事が心配だ。マスコミは高校の入学経緯や東大入学如何に拘るが、問題の視点がズレているのでは。
 悠仁親王殿下は、もう高校生であらせられる。国民の8割が愛子天皇を望んでいるのに、自身が天皇になってよいのかと悩まれはしないか。「籠の鳥」と発言?の姉君たちと同じ秋篠宮家の家庭内教育を受けて「下々の世界でのエリート競争に身をおきたい」と仰ることはないと言えるのか。

 秋篠宮家の担当が最も避けたい部署とか、厳しくて辞めている宮内庁職員が多いとか、なぜ漏れ伝わるのか。それが事実とならば、不敬ながら、韓流ドラマの裕福な主人夫婦の家政婦への接し方を連想してしまう。悠仁親王殿下は(封建時代と違い、恩も義理もなくもかしずいてくれる職員に対して)国民にそんな誤解を与える言動はすべきでないとお思いならないとするならば、天皇に即位され被災地の下々の前で跪いて声を掛けられて、果たして心が通じ合うものなのだろうか。
 せっかちかつ短絡的な私は、国会審議で済む皇室典範の第9条を変更し、悠仁親王を今上天皇の養子にと思ってしまう。それは無理だとしても、遅いくらいの天皇学を秋篠宮家とは切り離して早く行うべきだ。それを天下に知らしめるべきだと思う。
 若き日の上皇陛下の教育係となった小泉信三はいない。ないものねだりをしても意味がない。今最善と思われる人材をあてるしかない。

 それを秋篠宮殿下・妃殿下に説得できるお方は上皇・上皇后両陛下しか考えられないのではないか。

2022.4 臨時号 NO.170  キエ VS  キエ
 私は、ウクライナに行ったこともなくほとんど何も知らないで、本ブログ2013年9月号NO.27(「ウクライナ と ユウクライナ」)にて、名横綱の大鵬親方の父親がウクライナ人だとか「世界10大美女都市」でキエフが1位だとか他愛もないことを書いた。その時は、今回のウクライナの美しい街並みと灯りが消えるとか露にも想像していなかった。
 今般のロシアによるウクライナ侵攻は、下衆な私は卑陋な喩えしかできないが、「守ってくれると信じていたウクライナ人女性が米警察官に相談した。米警察官から『もめているとはいえ、民族は違えど同じ屋根の下で暮らした間柄ではないか。民事に介入はできない』と言われる。ドイツ人からは護身用の銃が贈られると思ったら大量のコンドームであった。女性は町を離れる選択肢もあったが独り残った。襲うロシア人は『リベラルな米警察官なら、2014年の時もそうだったが、スタッフも変わらないなら今回も手出ししない』と高を括っていた。そして思惑通りロシア人は襲ってきた。周りは米警察官に「刑事事件になった。助けるべきだ」と言うが、米警察官は爆弾を持っているので近づけないと答える。ロシア人の方は襲ったものの誤算続きで罠に嵌められて袋のネズミかと焦っている」というところか。それで熊のような猫のハズのプーチン大統領が窮鼠と揶揄されるのか(成り上がり独裁者の先輩ナポレオン、ヒトラーはロシア遠征で落日を見た。プーチン大統領はウクライナ侵攻で、同じ道を辿ることになるのか)。
 (中国問題で私が一番耳を傾ける)遠藤誉女史は、米国のバイデン大統領の狙いは「米軍のアフガン撤退の際に失った信用を取り戻すと同時に、アメリカ軍事産業を潤すだけでなく、欧州向けの液化天然ガス輸出量を増加させアメリカ経済を潤して、秋の中間選挙に有利となる。」ことと言った(さらに米国にとって望外の収穫は、日清戦争の折中国が眠れる獅子ではなく、張り子の虎だったことが分かったように、ロシアが予想された以上にハイテク機器を用いた戦術面、兵站面、兵士の質面で通常兵器戦では米国の敵ではないと判明できたことであろう)。
 バイデン大統領はウクライナを囮にして上手くロシアに戦争へ誘いこんだ(ゼレンスキー大統領にはロシアからの侵攻情報を与えた上で、戦争回避ではなく、武器は提供するから戦えと嗾けたのか)と私も疑いの目を向ける。
 米国は自ら戦うわけでも、停戦させるわけでもなく、ウクライナに2億ドルの武器を供与するという。戦争両国の戦闘を長引かせ両国民がそれだけ犠牲となる。世界の警察官としての米国の威信を大きく失墜させた。私は失望し、単なる無能ではなく狡猾さもあるバイデン大統領に嫌悪感さえ抱く。米国民もプライドが傷つき中間選挙は民主党の惨敗に終わると思いたい。
 これまでトランプ前大統領を貶してきたが、トランプ氏が再選していれば、米国民を分断する内政はともかく、プーチン大統領もウクライナ侵攻はしなかったかもしれない。プーチン大統領は半狂気を装い核を使うと脅せば米大統領だけでなく世界が恐れをなすと考えただろう。しかし、冷徹なプーチン氏ならばこそ氏の理解を超えるトランプ氏(狂気を演じるのは一枚上手。トランプだけにポーカーの心理戦はお手の物か)が相手では脅せば脅し返され本当に何をされるか分からないと自重するのでは。たしかにトランプ大統領の在任中は、プーチン大統領だけではなく、北朝鮮の金正恩総書記も中国習近平国家主席も大人しくしていた。
 もっとも、バイデン大統領も戦略核による米ロ戦争を恐れた訳ではないだろう。ウクライナ侵攻後も軍事介入しない口実に利用しただけ。TV情報番組に引っ張り凧の東大小泉悠専任講師はキエフ陥落に際し西側の支援をけん制すべくロシアが小規模な核攻撃を人けのない所にかけるかもと懸念しているが、ブラフに終わるだけかどうかは分からない。が、米国本土に先制戦略核攻撃するようなことはないだろう。

 ロシア軍の幹部が大統領の命令に従うのは軍の「(家族も含めた)安全」と「権益」が保障されていることが前提であり、それに反する、米ロ双方破滅的な結果に終わる先制戦略核攻撃を命令されれば軍事クーデター等でプーチン大統領が錯乱、狂乱したとして排除されよう(実際の核ボタンを押す軍幹部は米ロ間のホットラインがあるのでは)。米国とて同じ。
 台湾有事の際米国が軍事介入しないのではないかとの心配も杞憂だと思う。ウクライナは、碁で言えば、花見コウ。ウクライナは、元々ソ連領でありプーチン大統領にとって死活問題だが、米国・NATO諸国にとってはそもそも民族問題を抱えるウクライナは簡単にはNATO入りできない為。台湾有事の場合は、覇権を賭けた米中における本コウであり、核保有数で中国より優位に立つ米国内に「台湾関係法」もあり、米大統領・米軍にとって米国民の厭戦気分などどこ吹く風。

 ウクライナは5大戦勝国に裏切られた。1991年ソ連邦の崩壊に際しソ連邦の一部であったウクライナは独立した上、ウクライナ領内に残る約1900発の核弾頭の保持を主張した。ロシアを初め国連常任理事国(5大戦勝国)はウクライナに対し、核不拡散条約(NPT)への加盟と、核兵器のロシアへの返還を求め、その見返りに「領土保全、政治的独立」に対する安全保障を提供する「ブタペスト覚書」(1994.12.5)が交わされていたという。
 2014年のミンスク合意を破りロシアが攻め込み、今回米国がいわば見捨てたのを目の当たりにした北朝鮮の金正恩総書記はリビアのガタフィ大佐の件と併せ「死んでも核は手放さない」と銘肝したことだろう。
 戦後発足し77年も経つ国際連合(国連)の英語表記は「United Nations」で第二次世界大戦中の連合国と同じ。実体は「戦勝国連合」なのだ。核兵器の保有など戦勝国の既得権を守る為にある。敗戦国の日本が常任理事国入りを目指したのは何を勘違いしているのかと思われ、核兵器の唯一の犠牲国である日本が核保有国と非保有国の仲立ちするのを外務省OBが自慢気に話しているのを戦勝国以外の国が見れば、戦勝国、とくに米国のポチ犬かと首を傾げるであろう。
 拒否権を持つ五大戦勝国が問題を起こせば国連は無力。とくに米国が世界の警察力としての役割を放棄したならば。
 二枚舌で狡猾かつ身勝手なアングロ・サクソン系のブロックと中華思想による唯我独尊の中国ブロックとの今後の2極化(近い将来世界一の人口に経済力・軍事力が備わるとインドブロックを含めた3極化?)の中で国際秩序と平和の為の新たな国際機構が必要である。核の「軍縮」ではなく「廃絶」を目指し、常任理事国の拒否権を廃した新しい枠組みの中で、愚直に約束を守ろうとする日本が真に活きてこよう。

 今回のウクライナ侵攻で日本が学ぶべき点は以下の通りか。
 第1に、戦争はしてはいけない。勝ち目の薄い負け戦などもってのほか。ウクライナ国民には申し訳ないが、自民党元幹事長故野中広務、作家故半藤一利等戦争の悲惨さ、愚かさを訴えて亡くなっていった戦争体験者の気持ちを、我ら戦争を知らない世代が理解することができた。
 ヒトラーに擬えられるプーチン大統領ではあるが民族浄化は考えていない。ゼレンスキー大統領自身がターゲットなのに、常軌を逸した戦争に国民を道連れにした(私の孫と同じ年頃の幼児が死傷したり、泣いているのを見ると心が張り裂けるとともに怒りがこみ上げてくる)ゼレンスキー大統領が英雄視される。
 平井美帆女史の『ソ連兵に差し出された娘たち』(集英社)によれば、敗戦直後満州に取り残された開拓団がソ連兵に守ってもらう為に「数えで18歳以上、未婚」の若き娘たちを「接待」との名のもとに差し出した。日本に無事に戻ってきた開拓団の者たちは何もなかったように振る舞い、中には犠牲になった娘たちを汚い物を見るような目を向けた。この世は何とも不条理だ。
 戦争の犠牲者は、戦う兵士だけではなく、女や子供の弱い立場の庶民だ。
 日本の女性諸君! 強い立場の勇ましい高市早苗自民党政調会長や桜井よしこ女史に拍手喝采している場合ではないぞ!
 第2に、国のトップを決める方法として直接選挙は危険ということだ。大企業において経営の素人がいきなりトップに起用されることはありえない。コメディアンが、俳優が、大統領になるのに問題がある訳ではない。レーガン大統領は8年間カルフォルニア州知事として政治経験を積んでいる(国民も大統領としての資質を見極めることができた)。

 ゼレンスキー大統領は政治家より軍人が向いている。そして、不勉強にしか見えない。日米開戦やソ連の参戦の顛末だけでも研究していればロシアとの戦争は回避するハズだ。(「一将功成りて万骨枯る」は政治家のすることではない。国民は愛国心から戦おうとするが、孤立無援で核を含め戦力に彼我の差がある場合武器を持たない戦争を選択するのが政治家というものだろう)。

 人気だけで大統領を決めたウクライナ国民も、今はナショナリズムから精神が高揚して大統領を英雄視しているが、戦争が終結あるいは一段落した時点で冷静さを取り戻せば余りにも多い犠牲者に目が向き後悔するのではないか。勝ったとしても。ましてや敗戦したならば。
 現下最もよいとされる民主主義が内包する構造的な欠陥は、「賢者な国民 << それ以外の国民」ということだ。この欠点をカバーする為に代表制民主主義(間接選挙)があると思うが、日本の国会議員はしょせん国民の縮図でしかない。官民問わず人数の多寡に関係なく仕事は“できる者”に集中する。議員歳費目当ての議員、志のない世襲議員を減らす意味でも衆議院の定数を減らす。国の権力者たちの内裁判官、検事は司法試験の合格者。キャリア官僚も国家公務員総合職試験等の合格者である。同じ国家公務員である国会議員は選挙の審判(不祥事には機能。能力には?) があるからとは言え同様な国家資格が必要ではないか。国家観もなく政争と利権に明け暮れる党人派の政権が続けば、大地震がなくても日本は沈没する。
 第3に、「緊急事態条項」はやはり認めてはならない。朝鮮戦争のときのような国連軍が使えない、同盟国でないからとNATOの参戦がない、孤立した中で無謀な、ロシア兵士も士気が上がらない兄弟民族同士の不毛な、戦争の片方の責任者ゼレンスキー大統領は国民総動員令に署名し、「18歳~60歳」の男子を出国禁止とした。日本の戦前の国家総動員法を思い起こす。火炎瓶で敵の戦車を止めるのは竹やりでB29を落とすよりは断然実効性はあると思うが、ロシア兵に殺戮されるウクライナ男性が増えてしまう結果になる。
 ウクライナの国の標語は、どこかで見たような「自由、調和、善良」(「平等」「博愛」は見果てぬ夢に違いない)。国の「自由」を守る為に個人の「自由」を制限するのだとゼレンスキー大統領は自らを正当化するのか。
 日本は悪名高い「国家総動員法」が復活することはないが、それに代わるものは、拡大解釈された「緊急事態条項」か。国会を通過し国民投票に委ねられたら、「緊急事態条項」を絶対に認めてはならない。
 最後の第4に、日本は大国の狭間に位置する核のないウクライナと同じ。日本においては、「ロシア」にあたるのが「米国」で、「NATO」にあたるのは「中国」。戦争になれば、朝鮮半島が南北に分割された。ウクライナは東西の分断で済まず全領土親ロ共和国(対NATOの緩衝地)にされてしまいかねない。

 今は日米同盟に揺るぎはない。将来、経済力・軍事力が中国 >> 米国となった時、日本の立ち位置は不安定になる。中国からの秋波を受けて米国から乗り換えようとの動きをみせたと捉えられ米国が日本に武力行使してきたとき、中国側は「日本は同盟国でも何でもない」と言うかもしれない。その時は今の米国のホンワカとした間接支配から直接支配に替わることを意味するのか。日本は、日米同盟を堅持しながら、米中対立が激化しないよう仲介的な立場を維持し、中立国の方向を目指していくべきではないか。
 

 ある意味プーチン大統領を目指していたと言える中国の習近平国家主席も独裁者がどんな末路を辿るか身に染みて分かったか。それとも成り上がり達とは違うと思うのか。

 わが国では、敵基地攻撃能力の保有の議論ばかりしていた。ロシアからの攻撃の懸念が出てきたが、イージスアショアの配備停止から2年間国防に穴があいたままではないのか。
 ウクライナの首都キエフの人々が防空壕に入るのを見て、(北朝鮮のミサイルが脅威とずっと不安を煽られてきた割には)東京には一体どこにあるのかと疑問に思った。台湾有事に備えて米軍基地が集まる沖縄は防空壕が整備されているのか。地に足がついた国防計画を政府にお願いしたいものだ。

2022.4 NO.169  ミクロン VS ミクロン
 2年後の2024年に千円札の顔には、日本が誇る世界的な二人の細菌学者の、野口英世(1876年~1928年)から北里柴三郎(1853年~1931年)に代わる。
 細菌は5ミクロン(今はマイクロメートル<μm >と呼ぶのが正しい。1μm =0.001mm)前後の大きさ。ウイルスはその1/50前後の大きさで光学顕微鏡は見えない。野口が黄熱(病)の病原体を発見したとされたが、野口が見たものは症状が似ているワイル病の細菌であった。北里が亡くなった頃に電子顕微鏡が開発されたので、野口が黄熱ウイルスを発見することは不可能であり、その業績は数ある野口の功績から今は除外されている。
 細菌研究の分野では日本は世界に誇る二大細菌学者を生んだが、ウイルス研究の世界ではそれに匹敵する学者が果たして現れるのだろうか。

 私は業界団体に在籍の折感染症について少し齧っていたので、素人の浅智恵であるが、
半信半疑ながらも当初から新型コロナは大したことないと思っていた。幼児は重篤化しないことだけでも人類にとって脅威ではない。我ら高齢者とくに80代は風邪でもインフルエンザでもそれに伴う肺炎でもまた何もなく亡くなっても不思議ではないのに新型コロナの場合だけ特別視するのは、どうなのか(私自身が80代になってもそう言える自分でありたいと思うが)。新型コロナの指定感染症5類相当への引き下げを主張する、元厚労省医系技官で医師の木村盛世氏も「日本の平均寿命が80代ということもあり、80代の重症者や死者を減少させることは不可能に近い。」と言っている。
 新型コロナの第一波が収束する頃、カラオケ会を定期的に行っていた高校の同期生たちとは、彼らは地頭は私より数段良いが予備知識を持たないこともあったのか、新型コロナに対する見方の相違から疎遠になってしまった。
 今は、国民全体において見方はある程度収れんしているのではないか。ウイルスは細胞を持たず他の生物の細胞の中でしか増殖できない。よって宿主である人を殺すのはウイルスにとって不条理。オミクロン株が感染力が強くなっても毒性が弱まっているのは理屈に合う。人間にとって恐ろしいエボラ出血熱においては、脳機能のないウイルスに攻撃意図はなく、人が感染拡大を阻止すべく自(爆)死しているのではとの仮説が成り立つ。
 東京マラソンが昨日2年ぶりに開催されたが、いまだ変わらないのは、TV局の報道姿勢だ。オミクロン株は花粉症の症状に似ているとも言われる。が、花粉症は衛生面が向上し回虫等がいなくなり暇になった「免疫」が花粉(30~40μm)に対して過敏に反応している為とも言われる。平和に慣れ切った日本において、その「免疫」にあたるのが今のTV局(一部の感染症学者も)ではなかろうか。
 いまだに毎日感染者数だけをもって増えたから警戒をと(感染者数が減ってくるとその時だけ検査数をとり上げ検査数が減少している面もあると解説するTV局もある)報道し続けている。不安を煽る方が視聴率を稼げると思うからかと問えば、楽観的なことを言い感染拡大を誘発するようなマネはできない立場だと反論するのかもしれない。それなら、例えば地上波のTBSが毎日報道するならBS-TBSの『報道1930』(19:30~20:54)まで毎日同じ報道しなくても、もうよいのでは。羽目を外すような若者らはBS報道番組は観ないだろうから。
 84分の時間でCMを除けば正味70分ぐらいしかなく、その前半を新型コロナ関連で30分もとれば(新型コロナに関係ないゲストを冒頭から座らせ待たせて)、政治や国際問題等の本テーマの所要時間は40分程度になってしまう。それで十分な議論ができるのか。
 新型コロナ関連は週に一度、一週間の分析結果を検討するとか、慎重論の感染症学者と楽観論の学者と論戦させるとかにすべきではないのか(さすがにウクライナ侵攻に際しては番組の前半で新型コロナは取り上げていないが)。
 
 TV局の姿勢に対しては疑問を感じるが、厚労省内の旧厚生省の部署(以下「厚生省」)に対しては怒りさえ覚える。
 怖がりな私は70余年の人生の中で感染症を怖がってきたが、厚生省に何度か必要以上に不安にさせられたと思っている。私が生まれた昭和25年(1950年)にはハンセン病(当時の呼び名は「らい病」)の特効薬が出来ていたが、昭和28年(1953年)の「らい予防法」では患者の人権を蹂躙する強制隔離政策が継続されていた。私が中学生?の頃でもTV番組で女の子が父親と一緒に百貨店に行き服を買ってもらった後何も分からないまま一人島に渡り家族とは永遠の別れとなるドラマがあり、何という怖い病気かとずっと思わされてきた(TV局も同罪)。

  成人してからは「梅毒」を恐れた。これは厚生省とは関係がないが、独身寮に居たとき背中の肩一面にぶつぶつが急に出来たと感じた。無知な私は皮膚科に行き「梅毒か何か悪い病気かと思って」と告げると医師の顔色が変わった。それで怖い病気と実感した(ただのニキビだったのだが、当時色が白く肌もきれいな私の顔にはニキビができず、ニキビがどんなものかよく知らなかった)。中高年になるとむ「エイズ」を恐れた(長らくの体の不調は後で胆石によるものと分かるのではあるが)。薬害エイズ問題もさることながら権益拡充を目論んだ厚生省に翻弄されたと記憶している。
 今般の新型コロナにおいても権益拡充のため指定感染症2類相当にしたのではとの疑念を抱いている。故志村けんが亡くなった時実兄の骨箱を持つやるせない姿をTVで観て、石ころが入った白木の骨箱を特攻隊員の遺族が受け取る映画の場面を思い起こした。
 宿主の人間が亡くなればウイルスも死ぬ。息もしないのだから咳もしない。病院での面会は無理だとしても、火葬場で骨を拾うことに感染リスクはないハズだ。それをさせなかった厚生省は一体誰のためにあるのか。
 しかし、厚生省の権力は絶大で牙城を崩すことは容易ではないのだろう。自民党の政権公約に岸田首相が就任前の党総裁選で掲げた「健康危機管理庁(仮称)」は一体どうなったのか。感染症に一元的に対応する日本版CDCのようなものに反対する厚生省になし崩しされたのか(改憲で「緊急事態条項」をと思う議員にとっても不都合であり加担したのか)。

 厚生省は自らの権益に固執するが、それ以外はどうでもいいのか。現代ビジネスが2/7に配信した『安倍晋三がほくそ笑む…「アベノマスク」大復活で、岸田総理への逆襲がはじまった』に対して、下記投稿が代表するようにネット民は安倍元首相、希望者への送付に批判的だ。
 「破棄する話が出てきて、捨てるなら欲しいと言う人間が出てきただけで需要があった訳ではない。マスク市場は既に安定してマスクの供給は十分に民間レベルで完了している。そんな中で破棄すれば6000万で済む話をマスクを税金で大量に作った安倍政権の愚策無駄遣いだったと批判を避ける為にその場しのぎの保管と言う選択をした事で更に6億かかり、保管を長期化すると更に何億と監査委員会から注意喚起されてじゃあ破棄するかともう一度検討している最中、捨てるなら欲しいで配送費にまた10億の可能性が出てるのに笑顔の安倍元首相の金銭感覚と言うか政治家はみんなそうなのか完全に金勘定の感覚が壊れている。算数出来ないと揶揄されるくらいに。」(2月17日11時6分時点いいね332 いいえ37)
 財政逼迫に際し財務省が黒子の立場を超えバラマキに対して問題提起している折、厚生省はコスト意識がないのか。マスクを希望者に配送するなど過剰サービスもいいとこだろう。自治体にでも送り、希望者に取りに来てもらえば良いだけではないか。
 
 アベノマスクは「世紀の愚策」と批判されているなら、恥じ入り沈黙すればよいものを安倍元首相は子供じみた言動をとる(首相時代と変わらず国民はついてくると思いたいだろうが、日本人は国民性から良くも悪くも「お上」なら何であれ従っただけに過ぎない)。それ以上に問題なのは安倍元首相を筆頭として日本のタカ派により国民が戦争に巻き込まれないかということ。
 安倍首相が退陣した時私はもう名指しで批判することはないと本ブログで書いた。2度の健康上の事由による退陣(とくに、2度目は健康問題を表向きの理由にして新型コロナ禍に対する失政への批判、「桜を見る会」問題等から逃げたとしか思えない)より、もう政治家としては“死に体”と思ったからだ。
 そんな常識は、安倍元首相には通用しない。匹夫の勇で戦争に巻き込まれ戦況が暗転すれば持病悪化を理由に逃げ出しそうな安倍元首相に日本の安全保障問題を左右されたくない。

 ロシアによるウクライナ侵攻(12/7米ロ首脳会談後「戦が起きても米軍派遣はしない」とバイデン米大統領が発言し、1/26独から兵器ではなく神経を逆なでするようなヘルメット5千個の供与が発表された時点で、2014年クリミア併合のロシアに続き西側も核放棄の見返りにウクライナを守る「ブタペスト覚書」を無視したのと同じ。梯子を外されたゼレンスキー大統領は、元々NATOへの加盟は民族問題で直ぐに認められるものでないことから、NATOからの中立化を匂わせロシアとの交渉へと軟化し、核を放棄したウクライナと核保有大国ロシアとの常軌を逸した戦争は何としても回避させる努力をすべきだったのでは。非はロシアにあるにせよ、戦争に国民を巻き込んだゼレンスキー大統領を英雄視するのは違うかと私は見ている)が始まった頃、平井美帆女史の『ソ連兵に差し出された娘たち』(集英社)や同じ77年前の満州でレイプされそうになった作家澤地久枝女史の『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』(集英社新書;電子書籍)を読み、つくづくとそう思う。

 戦争の犠牲者は、戦場の露と消える男と戦利品にされる女に代表される、我々庶民なのだ。
 前言を翻し、安倍元首相への批判を再開したい。
 

2022.3 臨時号 NO.168 コスメ VS コスメ
 前号(167号)で前川喜平氏の彼には不似合いなツイートに言及した。残念ながら私のブログなど前川氏の目に留まるハズはないか。辻元清美前議員の参院選出場宣言を受けて「こんな良い政治家をなぜ選挙で落とすのか。敢えて言う。有権者がアホなんや。」とまた先月末前川氏はツイートした。とくに最後の言葉が余計だ。衆院選で落選した辻元前議員に同情心が湧いた有権者まで怒らせるだけではないのか。前川氏は一体どうしたというのか。

 

 さて、今6月妻が前期高齢者入りする。私はあと3年で後期高齢者になる。ということは、今年で6回目の年男だ。本号では、まだ働き盛りであった4回目(1998年48歳)と仙人のような爺になった今回と比較してみる。
 新型コロナ禍北京五輪が今開催されている。今回小林陵侑選手が個人戦で金、銀2つのメダルを獲得したジャンプ競技において、24年前の1998年(平成10年)2月に開催された長野五輪で日の丸飛行隊が団体金メダルに輝いた。吹雪で2本目が中止になれば日本の優勝はなかった。2大会連続失敗ジャンプの原田雅彦選手が戦犯の汚名を着せられるところであった。

 猛吹雪の中25名のトライアルジャンパーがジャンプを成功させ、2本目が実施される。日本が逆転優勝し、原田選手は一転ヒーローとなった(私は三越本店近くの昭和通り沿いの町洋食店で観ていた)。その裏方の功績を23年後の昨年田中圭さん主演の映画『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』で讃えられた。
 1998年と言えば、1995年にMBLのドジャーズに入団しトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄投手(以下「NOMO」)がメッツに移籍した年でもある。1994年1月銀行を辞め社団設立に参画すべく上京した自身をNOMOに重ねたことは2011年9月号NO.3(「NOMOとNORO」)で書いた。

  NOMOは投手なので1週間に1回しか投げない。次の登板が待ち遠しかったことを覚えている。NOMO以降、イチロー選手、松井秀喜選手も活躍したが、日本人として応援するもファンと言うほどではなく、MBLの試合をあまり観ることはなかった。
 四半世紀ぶりに昨年はMBLの試合を毎日のように見ていた。二刀流の大谷翔平選手は毎試合出場するので嬉しい。31号ホームランの時私の孫と同じ年恰好の女の子が泣きじゃくりして喜んでいた。別の試合では外野でホームランボールを握りしめ誇らしげに頬を紅潮させている男の子がいた。大人と違って子供の頭の中は大谷選手で一杯になっているだろう。ホームランが出ない日はさぞかしがっかりしているのでは。そんな孫みたいな子供たちのことを思うと、無茶な話だが、大谷選手には毎日ホームランを打ってほしいと思ってしまう。
 私自身の子供が小さい時、さすがに自分の子供は愛しいが他人の子供には興味がなかった。自分の子供に対しても、妻が「子供が風邪を引いたので休ませる」と言うと、風邪など生きている証拠だと言い放っていた(今私が風邪を引いて体調が悪いと言うと妻に「生きている証拠でしょ!?」と皮肉られる)。運動会もお父さんがいない子もいるとか言ってあまり参加しなかった。当時変にカッコつけていた。
 今は、余命がよくてあと10年ぐらいでは孫(女子2人、男子1人)の行く末を見届けられないこともあり、孫が無事に成人するのを願う。毎週のごとく娘と孫息子が土曜に来るが、帰れば、無事に嫁ぎ先に戻ったか心配する。年老いて軟弱になったのか。それとも、ようやく人間らしくなったのであろうか。
 孫に甘い世の祖父母と大差なく、孫息子に私もまあまあ、あまあまだ。妻のように絵本を読んであげたりママゴト遊びの相手はできず、パソコンでアンパンマンやプラレールの動画を見せてあげるだけ。もっぱらお菓子で歓心を買おうとする。
 孫息子は祖母(我妻)の隔世遺伝か食べることが好きで食べるのも速い。その孫息子がお腹にいるとき通常2本ある臍帯動脈が1本しかないことが判明。詳しい先生に診断してもらうまでの3週間娘と妻は心配したらしい(1本でも大丈夫との診断後妻は私に事後報告した)。それの影響か、男の子としては2,600g台と小さく、あまり泣きもせず大人しかった。娘は看護婦さんに母乳をたくさん飲ませてと言われていた。
 「小さく産んで大きく育て」なのだが、3歳半の時の検診では22㎏もあり、肥満と判定され娘はショックを受ける。家族に太った人がいるかと問われ娘は妻の名を挙げた(化粧を落とした妻が似ていると思ったので、私がいつもの調子で「あのー、ぼる塾の田辺さんですか?」とからかうと、あにはからんや「まぁねー」と返って来ず、「そんなに体重ない!」と妻に切れられた)。
 孫息子は、重たくかつやんちゃでさらに駄々っ子ぶりが加わり、手に負えない。娘は孫を連れて毎週土曜ヘトヘトの疲れを癒しに実家に戻ってくる。実家、嫁ぎ先とも周りが皆甘い中、(一人っ子の予定で)厳しく躾けようとするのはよいが懸命過ぎて強弱がなく、そんな娘を私は鬼ママと呼ぶ。が、孫息子には、(心根が優し過ぎる)鬼ママが怖い顔しても「そんな顔しないでよ!」ともう見透かされている。
 私が鬼ママの目を盗んで孫息子にお菓子をあげようとすると「なんてことするのよ!」と鬼ママに怒鳴られる。非は私にあるが、息子たちと違い、どうして娘は父親にあんなに偉そうに言うのか。もっとも、言葉使いに違いはあろうが、タメ口で言いたいことを言うのは、庶民の名家でも皇族でも同じようではあるが。
 鬼ママはコスメに縁のない小娘の頃から私に偉そうに言っていた(いまだに広い世の数多いる大人の中で私に対してだけだが)。1998年当時娘は中学1年生。寝惚け眼で食卓に着きボーとしている娘に2、3言声を掛けると娘がキィーッ!と口答えし目が覚めるのが平日の朝のルーティンであった。

 4回目の年男と言うことは48歳。人生の折り返し点を越えているが、まだまだ食欲も性欲も働き盛りであった。私は男の原動力は男性ホルモンと思っているが、その頃はまだ男性ホルモンが枯渇し出しているという認識はなかった。
 その頃は、お腹が空くと不機嫌になり、私は何と下等動物なのかと自嘲していた(今はそんなこともなくなった)。毎月グルメ雑誌『大人の週末』を購読し興味ある店に一人で訪問し良ければ妻を同伴して再訪していた。いつの間にか、購読しなくなり、結婚記念日、誕生日以外は、妻とカラオケか映画鑑賞の折回転寿司屋に寄るぐらいになってしまった。
 当時土日は私が料理していた。仕事からの気分転換になっていたのだろう。今では面倒くさいと思うフライ、お好み焼き、ハンバーグなど子供たちも好む料理を手作りしていた。
 今は、朝は妻が作ってくれる。昼は私が自分の分だけ作り、夜は妻の分も一緒に私が作る(妻は次男の分を作るので、食べるために生きている?妻は結局2料理食べることになり、思いと裏腹に体重が減ることがない)。それで、「ポチ犬」から(居間で妻にへばりついていたところを目にした娘が鳥肌をさすりながらそう呼んで以来)「ナメクジ」に格下げされた私ではあるが、「粗大ゴミ」扱いを受けずに済んでいる。
 世の主婦は「自分の分だけだと作る気がしない」と言うが、毎昼だとその気持ちが私もよく理解できる今日この頃である。
 性欲は、生殖に関係してか生殖期間が過ぎれば、落ちてくる。助平(今や死語か)な私は男性ホルモンが湧きいづる大学生の頃興味のない講義では10分に一度はあらぬ妄想をめぐらしていた。男性ホルモンに支配されていた頃が今は懐かしい。
 女性にも性欲があるが、それは女性ホルモンが関係していると思っていたが、それは間違い。女性の性欲も男性ホルモンによるもの。ただ、私のように常時10分に一度というようなことは起きない。起きるなら、ゾンビ並みに「逃げるが勝ち」と男から忌避されよう。
 女性も男性ホルモンが分泌され、男性にも女性ホルモンがある。そのバランスが違うだけか。「閉経」(男性の場合の「へいけい」は「閉茎」と書くか。明確なエポックがある女性と違い、男性の時期は不明確かつ個人差が大きいが)を過ぎ、更年期から老齢期に移ると、女性ホルモンのエストロゲンの分泌が極端に少なくなり、それまで男性に多かった生活習慣病にも女性が罹りやすくなると言われる。

 それだけではなく、「オッサン」化していないか。逆に男性ホルモンが枯渇した男性は「オバハン」化しているのでは。
 我が家においても、今は妻がマウントを取っている。妻と一緒にスーパーに行けば、「これ持って!」と言われる。外では「お持ちになって」だろうと言うと、「アンタにはもったいなくて、言えない」と言い捨てられて、おしまい。

 私は結婚から41年にして妻に手をかけたのは一度きり(妻が長男を妊娠しているとき実家の犬が死んだことにオイオイと余りにも泣きじゃくるので、お腹の子にさわると左利きの私が右手で妻の頬を一回張っただけ)。妻は注意されたことしか覚えていないが。今私が突然死すれば、検視官はDVを疑うことだろう(妻が読めば、「よくも人聞きの悪いことを」と怒りまた私を抓るだろう。腕に新しい勲章が加わることになる)。
 
 私は神戸高校在籍中高校近くの交差点で信号無視したとき、お巡りさんに呼び止められ「神高の生徒が信号無視していいのか」と叱られた。信号を守らねばと思うより、そのように見られているのか、それにふさわしい生き方をしなければと思った。それが原点となった。高校ではもっと相応しい生徒がいたのに、面白半分に学級委員長にされ、社会人になれば公共性の高い銀行に就職し、一時期組合専従となる。1994年に非営利法人に転身する。私の半生では常に「公」を意識して生きてきた(お釣りが多い時でも違うと即告げる。それが私のささやかなプライドだ)。
 その反動なのか、生来もあるのか、「私」では、だらしない。妻に甘える。ふざけてばかりで、まったく良いところがない(10年前前立腺がんが判明した時そう家族に思われたまま逝くのはと思い本ブログを連載し始めた次第)。
 妻は私の「公」の顔を知らない(「口で損している」と言うから少しは理解しているか)。妻が愛想を尽かさなかったのは、ひとえに妻の(出来の悪い子供に対するような)母性によるものだろう。
 私は公人の評価は「公」の面ですべきだと思っている。公人であるが国会議員を聖人君子と思っている人はいないだろう。フランスでは問題ならない「浮気」で(失望するのは理解するも)議員辞職まで求めるべきではない。「風俗」に通う議員がいても、それでストレスが解消され国益に適う仕事がバリバリできるなら、私にはないタフネスぶりは個人の性癖で済ませばよいのでは。

 浮気も風俗通いも家族との「私」の問題であり、国民との「公」の問題ではない(TPOをわきまえないと議員としての資質を問われるが)と思っている。
 私が週刊新潮の毎号真っ先に読むコラム『変見自在』で著者の高山正之氏が何度かマッカーサーの内面を揶揄する。昨年の号でも、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ったときチビッテいたと書いた。敗戦後の日本人にとって恩人なのに。全権を持つマッカーサーは、天皇制を存続させた(加えてソ連の進駐を許さず日本が分割統治されずに済んだ)。“チキン”なればこそ、天皇制を廃止すれば日本人が一斉蜂起することを恐れた。頭の悪い鬼軍曹のような司令官であれば天皇を戦犯に処したかもしれないのだ。
 マッカーサーがトップのGHQが日本に、日本人になしたことを批判するのは、一面的であれ何であれ構わない。高山氏の朝日新聞のトップや記者に対する多くの批判も「公」に対してのものであり、朝日が明確に姿勢を変えるにつながるなら良いと思うが。
 私は若い頃から「公」を意識してきたと書いたが、銀行の新宿支店長時代までは、自分自身に問いかけ、自らに求めてきた。が、アラフォーの証券部長として銀行の危機に直面したあたりから、経営陣に矛先を向け批判するようになった(その時は無意識であったが、今考えれば、自身が及ぼす影響など良きにつけ悪しきにつけ微々たるもの。トップの失政は大勢を不幸にする。そんな当たり前のことを悟ったのだ。不倒神話の銀行が潰れるのかとの恐怖心によって)。
 43歳で非営利法人に転身してからも事務局長の分際で権利を享受しても義務を果たさないような「私」が強く出た理事たちを公然と批判した。問題となり、私自身も傷つくが。卒職した今は国のトップら権力者を本ブログで批判している(琵琶湖に一粒の塩を投げ入れるようなものでしかないが)。
 トランプ前大統領や小泉元首相等ポピュリストの権力者は低所得者層からも熱烈な歓迎を受けるが、低所得者層の為に何かをなすことはほとんどない。米国への従属に安住し国家観を亡失し、利権と権力争いに明け暮れる党人派の首相が続く中で、欧米の小選挙区制や二大政党制をマネし、新自由主義に飲み込まれ、その結果政治の劣化と経済の世界的地位の低下・貧富格差の拡大を招いた。

 国・国民に奉仕することを志し官僚となり、さらに政治家になった官僚派の首相が絶えて久しいが、今一度知性と教養に裏付けされた「国家観」と「公共性」を備えた官僚派首相が登場し(その前に議員歳費目当ての議員や志のない世襲議員を減らし官僚出身の議員を増やす必要があるが)日本のよき独自性と誇りを取り戻し日本を立て直すべきだと思う。その過渡期として党人派ながら宏池会の首相が位置すると思っている。
 

 

2022.3 NO.167 こうせんい VS こうせん
 この7月には参議院議員選挙が行われる。昨年の衆議院選挙は岸田新政権への信認が問われたが、実質自民党が勝利し、岸田政権は離陸に成功した。
 立憲民主党は選挙を政権選択の選挙と位置付けたが、結果として、立憲民主党の代表選択の選挙となってしまった。
 とりわけ、立憲民主党の名物女将のような辻元清美議員が落選したのは痛かった(参院比例に擁立と昨日報じられた)。辻元議員を応援していた元文科事務次官の前川喜平氏はよほど悔しかったのか、11/3午後4:33「政治家には言えないから僕が言うが、日本の有権者はかなり愚かだ。」とツイートする。それに対して橋下徹弁護士が、日本維新の会の議員に投票した有権者が揶揄されたと怒ったのか、前川氏と前から因縁があるからか、同日午後9:58 「元官僚にはこの手の勘違い野郎が多い。自分の考えこそが絶対に正しいと信じて疑わない。古賀茂明も」と反撃ツイートした(とばっちりを受けた古賀氏は大人の対応をとったみたいだが)。
 「軽佻浮薄」が似合う私は、ツイッターへの誘惑に駆られるが、やらない。便利なだけに感情に赴くまますぐにツイートすればボロが出る。とくにほろ酔い気分では。前川氏にとってストリートファイトは自身の土俵ではない。しかるべき場で理路整然と「論じる」べきだ。
 著名人のツイートはネット上から消せない。ツイートするなら、時間をあけて(夜であれば下書き保存し朝見直してから)発信すべき(怒りが収まりツイートを思い止まることもある)だろう。
 

 ともあれ、立憲民主党の代表が変わった。来る参院選において旋風が沸き起こる気配を感じないが、参院選は善戦してもらいたい。私の希望は、宏池会の岸田政権が存続する。半面、憲法改正が参議院でも発議できるようになるほど改憲勢力の議員数が増えないことなのだ。

 参院選を乗り切れば、岸田政権は安定飛行に入りシートベルトを外すことができる。岸田首相は宏池会の領袖として清和会とは違う差配できるようになるハズ。新自由主義から脱却し貧富格差の是正に向かうと思いたい。なぜか(前2、3政権の弱みを知るのか)岸田首相肝入りの「デジタル田園都市国家構想実現会議」の委員に名を連ねる竹中平蔵氏が恥ずかしげもなく「私は新自由主義ではない」と言っているのを見ても。
 一方国防面では、岸田首相は、「敵基地攻撃能力の保有」に言及し、改憲も3年以内にとの意向を示す。安倍元首相とスタンスが変わらないのは意外。日本共産党は宏池会の岸田首相をハトの羽をつけたタカと警戒する。今の共産党は一見「天皇制の容認、護憲、対中国は外交」と日本で一番のハト派に映る(佐藤優氏は「騙されるな!」と警鐘を鳴らす。党名を変更できるかが踏み絵となるか)。
 「敵基地攻撃能力の保有」の議論を主導しているのも宏池会の小野寺五典議員であり、安倍派所属と勘違いしてしまう。

 「敵基地攻撃能力」も手段であり、目的ではない。目的は何なのか。日本は平和国家を標榜し戦後70年以上自衛隊が敵を殺したこともなければ、自衛隊員が戦闘で死んだ者はいないのでは。他国は、領空侵犯されたら、警告しても応じなければ撃ち落とす。1983年9月に大韓航空のボーイング747が、ソ連(現ロシア)の領空を侵犯し、民間機なのにソ連の戦闘機に撃墜された。2015年11月今度はロシア空軍の戦闘爆撃機がトルコ・シリア国境付近でトルコ軍に撃墜された。そんな世界の常識の中で、日本は、領空・領海を侵犯されても攻撃することはない。憲法第9条があっても個別的自衛権は認められているのに、自制してきた。
 今回敵基地攻撃保有の検討は、拳闘に喩えると、試合でディフェンス重視のスパーリングのごとく相手の攻撃を避けるだけで、殴られても殴り返さない。しかし、1分の休みが終わると、突然相手コーナーに走って詰め寄り猛然と殴りかかるようなものだ。何でそうなるの!?
 今議論すべきは、「反撃」を躊躇するか否か、どの程度までの反撃能力が可能か、の段階であるハズ。それを一気に飛び越えて、敵基地攻撃を検討するという。先にサイバー攻撃を受けると反撃できなくなるとの問題は理解できるが、それにしても飛躍し過ぎていないか。

 自衛隊出身の“ヒゲの隊長”こと佐藤正久自民党議員が言うのならまだ理解できる。問題は、外務省OBの言動だ。敵基地攻撃能力の保有に関して批判する佐藤優氏の週刊東洋経済の2020年8月1日号「勇ましいことを言う人が愛国者とは限らない 敵基地攻撃能力をめぐる自民党の危険なアプローチ」によれば、「谷内氏が敵基地攻撃能力保有に関して、公の場で前向きの発言をし、それが新聞に報じられたことによってこれまでと位相が変わることになった。」と憂慮する。元外務次官矢内正太郎氏と言えば、2015年の暴露本『外務省 犯罪黒書』(講談社エディトリアル)を佐藤氏が上梓した当時外務省で唯一と言わんばかりに真っ当な人物と佐藤氏が評していた人物だ。その影響もあるのか、「外交」を専門とする外務省OBで「越えぬ一線はない」と言っていた、宮家邦彦氏が一線を越えてしまったのか。昨年末のBSフジの情報番組で森本敏氏と一緒になって敵基地攻撃は矛ではなく盾の延長線だ。抑止力になるというようなことを言っていた(賢者と評されていた二人がまやかしみたいなことを言うのかと愕然とした)。
 手段である「敵基地攻撃能力」は目的かのようにクローズアップされるのはなぜか。日本に何が起きているのか。
 素人ながら我思うに、核の時代に、核を持たない日本が敵基地攻撃を言い出すのはおかしくないか。仮想敵国が核兵器を保有し、サーバー攻撃を含め軍事力、それを支える経済力に彼我の差がある相手国ならなおさらに。核保有国同士であれば通常兵器による局地戦はありうる。ということは、台湾有事を想定し、米国が日本に後方支援ではなく先兵になれと強要してきているということなのか。まさか日本が進んで先兵になることを志願しているのではあるまいな。
 憲法を改正し、敵基地攻撃を可能とし、自衛隊を「殺す軍隊」にしてはならない。前々号NO.165「あおVSあか(1)(2)」にて「平和大三元論」で述べたように、米中対立に対しては、戦争が起きないよう両国に対して外交努力する。日米同盟を保持(卒婚の形になろうとも籍は抜かない)する一方中国とも良好な隣国関係を維持し米中二大強国による新冷戦体制を堅持することが、日本の自主独立に繋がる国益に適うものであり、(米国のポチ犬でなく、中国に媚びず臆せず)毅然とした日本が米中双方から頼りにされることが、生きる道なのだ。
 外務省の役割は、米中開戦の引き金になる台湾への武力攻撃を中国が自制するよう働きかけること。「人民解放軍が沖縄等日本にある米軍基地を攻撃した場合日本は後方支援ではなく米軍と一緒に攻撃することにならざるをえないが、それは望まない」と日本側の立場を理解してもらうことだ。

 憲法改正も、手段であり、目的ではない。改憲勢力は何のために改憲を急ぐのか。自衛隊の明記に意味があるとは思えない。緊急事態条項などあり得ない。憲法はそもそも権力者を縛る為にある。万能の杖みたいなものを権力者に与えてどうするのか。百歩譲って、議論の俎上に載せてよいのは、①賢者たる権力者が②最善を尽くしても③どうにもならない、場合であろう。

 権力者が賢者ならまだしも、そうでないなら、緊急事態条項は「ナントカに刃物」になりかねない。たとえ、対象を限定しても拡大解釈、何でもありの恐れがある。国民に認めさせた権力者が悪用しなくても後から悪用する権力者が出るかもしれない。ヒトラーのように。
 その他、改憲に積極的な政党の改憲案を見ると、国民民主党では国会運営における問題現象に鑑み、「臨時国会の召集期限の明確化」「内閣による衆議院解散権の制限」も挙げている。首相が賢者であればこんなことは問題にならない。銀行の内規に「お金を盗むな」、警察の規則に「罪を犯すな」とは書いてない(皇室典範は行動規範に触れていない。「国民からの批判に反論してはならない」と書かれていない。皇室は、国民の模範にはなれど、批判されるようなことはしない、国民から敬仰される崇高な立場との前提に立つ)。当たり前の事を憲法に明記することは国民投票でも(溜息をついたとしても)反対者は少ないだろう。
 このような観点からすれば、私も一つ提案したい。「首相任期の制限」を憲法に組み入れることを。米国においても、「アメリカ合衆国憲法修正第22条」で大統領の任期を定めている。「2期8年。最大でも引き継ぎの任期を含めて3期10年未満となる」(たとえ現職大統領が自身の任期を延長しようと憲法を改正しても、改正が適用されるのは次の大統領からになるので意味がないという)との制限を設けている。
 戦後一時期を除いて、自民党総裁=内閣総理大臣(総理)となっている。総裁任期を延長すれば自動的に総理の任期も延長されてしまう。
 総裁任期は1978年以降2期4年が長らく続いた。が、小泉首相の時2期6年となり、安倍首相の時3期9年(持病があること自体は揶揄してはいけない。だが、権力者は絶対に秘密にするハズの、車で病院に入るところをメディアに撮らせ、持病を表向きの理由にして辞任した。逃げたとしか思えない。それがなければ4期もあったかも)に変更された。
 政界、財界を問わず、賢者ほど早く後進に道を譲ろうとし、周りから続投を求められても固辞する。賢者でない者の方が、権力に長くしがみつこうとし、国や会社を傾城させる。
 西側の代表制民主主義(間接民主主義)による二大政党制がうまく機能しているとは言えず、中国一党独裁の共産党内での厳しい競争に勝ち抜いた政治エリートたちによる政治運営システム(自民党一党が政権を独占し、総裁2期4年が順守され、中選挙区制の下での派閥間の切磋琢磨・競争があった全盛期の自民党に似る)が、ある意味評価の見直しもされているとき、当の習近平国家主席が任期制限を撤廃し終身国家主席(権威主義による独裁)を目指している。習国家主席は賢者とは思えない。
 自民党が劣化し、自浄作用が期待されないのであれば、憲法で縛るしかない。賢者を前提にして首相の任期に触れていない憲法に首相の任期に関し明文化する必要がある(政権が野党に移っても長期政権となって行けば同じ問題が起こりうる)。

 これに関連して、自民党総裁選においても私は問題があると思っている。総裁選に国会議員だけではなく党員・党友に参加をさせる。党友は、会費を払う以外、国会議員と接点のない私のような一庶民とどう違うのか。総裁が総理に直結していなければ、党友の特典にしようが何をしようが自民党の勝手。事実上総裁=総理であるなら、総裁選の中で総裁を選ぶ方式と総理候補を選ぶ方式とを分けるべきだと思う(役割分担からの総理・総裁分離案の方が理に適っているが、過去浮上しては消えているのであれば)。
 次期総裁(自民党のトップ)を選ぶのは、今までどおり党員・党友を入れてもいい。決戦投票で国会議員に限るのは物理的・時間的制約があるためだろう。決戦投票はしなくてよい。
 総理(国のトップ)は本来政党に関係なく衆参両院で各々国会議員の指名投票にて選出されるが、国会議員が所属の党首等に投票するのが実情なら、投票する前から自民党総裁が総理になることが決まっている。だからと言って、党員・党友も入れて自民党の自由なやり方で決めてよいとは思わない。代表制民主主義の理念からしても自民党内で総理候補(新総裁も立候補可)を選ぶときは国会議員だけに限定すべきだと思うが、どうか。
 この選出方式で前回の総裁選が行われていれば、事前調査で人気の高かった河野太郎議員が総裁に、岸田文雄議員が総理に、なった可能性もある。これには河野新総理誕生を憂慮した私も文句はない。
 河野議員を支持したネット民らは、国民からの投票により首相を直接選出する「首相公選制」に「こうせんかい!」と主張する。が、若者は、政治への関心が低く、批判的思考や政治参加の訓練も受けていない。しかも昨年度より高校の「学習指導要領」で「現代社会」が廃止され、「基本的人権の保障」と「国民主権」が削除されている。国民は政治的にますます愚民にされていくと言っても過言ではない。このような政治的民度が低い状態では、首相公選制が現実味を帯びることはない(一方、国民が制度の正体、問題点に気付き辞退率が2/3を超える裁判員制度は廃止を検討すべきなのに、逆に、どさくさに紛れて裁判員の対象年齢を「18歳以上」に引き下げ(飲酒・喫煙は20歳以上のままにして)、殺人事件等重大犯罪事案を来年から18歳の高校生にも担わせる。戦争末期の学徒動員を思い起こさせる。反省もなく同じことを繰り返すのかと後世に嗤われないよう、全体主義を目指した?前政権の負の残滓を岸田政権は早期に取り除くべきだ)。

 3年以内にと言う岸田首相も憲法改正をレガシーとしたいのか。自民党の改憲4項目に第9条2項の改正が入っていない。国民や連立を組む公明党が望まないと思うからか。それとも安保法制で事足りる。あるいは、緊急事態条項が認められたら何とでもなると考えているのか(ただ、それだと、第9条2項の改正論議を伴わない敵基地攻撃能力保有の検討は軍事予算拡大への単なる口実とも見れるか)。
 自民党の改憲の本命は、緊急事態条項であろう。新型コロナウイルスに対する失政への批判を逆手にとり、天災等への緊急対応として国民に理解を求めていくだろう。それを国民民主党が加勢する(野党も同調するのならと国民が判断を誤ることが懸念される)。
 昨12月のBSフジのプライムニュース(テーマ:憲法審査会)で新藤義孝自民党憲法改正実現本部事務総長から「敗戦直後の日本国憲法制定時日本政府は緊急政令制度を主張したがGHQに完全拒否された。」との主旨の発言があった。GHQは天災等の対応に資するだけと思えば反対などしない。問題の本質を見抜いていたと見るべき。認めれば、民主主義に転換させても全体主義に逆戻りすることをGHQは危惧し、“完全拒否”したのであろう。
 国民投票においては、緊急事態条項だけではなく、首相が賢者であれば不要な上記改憲項目もいくつか並べ、(各々可否を問うが)緊急事態条項への国民の警戒心を解かせるかも。
 憲法にないと人を助けられないと言う政治家は、勉強部屋がないと勉強できないと言う子供と変わらない。頑として緊急事態条項には賛成してはならない。

2022.2 NO.166 そう VS そう 
 日本女子ゴルフツアーに先駆け1/20(米時間)より米女子ツアーの2022シーズンが開幕する。
 昨年は、大谷翔平選手が二刀流でMVPとなりMBLを席巻したが、ゴルフ界も、男女・プロアマの日本人プレーヤーが世界で旋風を巻き起こしたと言える。4月アマの梶谷翼選手がオーガスタ・ナショナル女子アマチュア選手権で優勝。翌週同じオーガスタで開催されるメジャー大会マスターズにおいて、松山英樹選手が、東京五輪で妹の阿部詩選手が金メダルに輝いたのを力として兄一二三選手が金メダルを獲得したごとく、悲願の初優勝(アジア人初)を遂げた。6月笹生優花選手が畑岡奈紗選手とプレーオフの末女子ゴルフ最高峰・全米女子オープンを制した。8月の東京五輪で稲見萌寧選手が銀メダルに輝いた。

 11月にはアマチュア世界ランク1位の中島啓太選手がマスターズの出場権が懸かった「アジア太平洋アマチュア選手権」に優勝した。さらに「アジアパシフィック女子アマチュア選手権」で橋本美月選手が優勝した。アマ女子のオーガスタでの優勝で始まり、最後アマ男子・女子のオーガスタへの出場権を得て、躍進の1年が終わる(日系4世のコリン・モリカワ選手も7月の全英オープンや欧州最終戦にも勝ち、米国勢初にてヨーロピアンツアーのポイント制年間王者となる)。
  
 日本人初のゴルフ五輪メダリストとなった稲見選手には日本女子ゴルフ協会(JLPGA)からも報奨金(10百万円)が出された。いわゆるボーナスが支給されるのは私も喜ばしいと思う。だが、5年シード権(プロゴルファーとしての生活権と言えるか)が与えられるとの報道には驚いた。8/10付け日刊スポーツは大会前からの規定通り(公表されたか?)と報じたが、複数年の特典シードはJLPGAツアーでの公式戦優勝者や賞金女王等に与えられるものではないのか。ネット上の「2020-21JLPGAツアー出場有資格者」を見る限り五輪のメダルなど対象に挙がっていないのでは。臨時理事会で決定したのか。スジが違うと他の女子選手からは異論はなかったのだろうか(もっとも稲見選手は日本女子プロ選手権優勝と賞金女王とで、「公式競技で優勝し、かつ当該年度JLPGAツアー終了時点の賞金ランキング第1位の者」に該当し、正々堂々と5年シード権を勝ち得た。実質銀メダルの5年シード権を有名無実とした)。
 ともあれ、女子選手の五輪に対する見方が変わってくるかもしれない。東京五輪の女子ゴルフをテレビで観戦した渋野日向子選手は、「3年後のパリ五輪は出たいな」と言ったという。今の渋野選手では、口で言うほどパリ五輪の出場は容易ではない。昨年末時点での世界ランクは37位(2019年のJLPGAツアー4勝、全英女子オープン優勝のポイントは全て消滅)。それに対して畑岡選手は6位。笹生選手は8位。                                  
 日本女子ツアーの顔となった稲見選手は、MLBの大谷翔平選手に似て、浮いた話もなくオフもゴルフ漬け。ストイック及び完璧主義かつ頭もよくブレない。その稲見選手が銀メダルリストになった直後ではパリ五輪は難しいと言っていた。五輪はメジャー大会等と違って10位以内なら次回の出場権が与えられる訳ではない。稲見選手が永久シードを目標に主戦場とする日本女子ツアーの世界ランクを決めるポイントは米ツアーより低い。その中で日本選手の中で世界ランク上位2名に入ることは簡単でないことを稲見選手は理解している。パリ五輪では、畑岡奈紗選手と共に米ツアーで活躍する笹生選手(東京五輪では比国代表)が日本国籍にて出場してくるので、なおさらに(ただ、世界ランク15位以内なら4名出場できる。古江彩佳選手は14位。稲見選手も16位と枠内に接近してきた)。
 もっとも、2024パリ五輪での出場選手が確定するのは2024年6月末あたりなので、該当する世界ランクの順位は、今年2022年7月からの2年間での平均ポイント(104週の獲得ポイントを出場試合数で割る)が問題となる。つまり、今7月より皆同じゼロからのスタートとなる。 

 4年に一度の五輪と違い、毎年開催されるメジャー大会。2021年8月の全英女子オープン(以下「全英女子」)開催前において、女子の5大メジャーの優勝者を見ると、現役選手の中では、メジャー3勝以上しているのは、韓国朴仁妃選手(7勝)と台湾ヤニツェン選手(5勝)の2人しかいなかった。
 2勝は多くいる。世界ランク2位の韓国コ・ジンヨン選手、同ユ・ソヨン選手、同申ジエ選手、同チョン・インジ選手、同パク・ソンヒヨン選手、泰国(タイ)アリヤ・ジュタヌガーン選手、新国(ニュージーランド)リディア・コ選手、米国クリスティ・カー選手、同ブリタニー・リンシコム選手、同ステーシー・ルイス選手。そして典国(スェーデン)アンナ・ノルドクビスト選手。
 凄い顔ぶれで2勝できるなら直ぐに3勝もと思うが、どういう訳か2勝目から3勝目が遠い。それもあってか、2019年8月全英女子オープンの渋野選手優勝以降、メジャー大会においては、すべてメジャー初優勝者(2020年ANA韓国イ・ミリム選手→全米女子プロ同キム・セヨン選手→全米女子オープン同キム・アリム選手→エビアン中止→全英女子独国ソフィア・ポポフ選手。2021年ANA泰国パティ・タバタナキット選手→全米女子オープン笹生優花選手→全米女子プロ米国ネリー・コルダ選手→エビアン豪国ミンジ―・リー選手)が続いていた。
 しかし、2021年最後のメジャー全英女子において、ノルドクビスト選手が優勝したことにより、メジャー初優勝者の流れが途切れるとともにノルドクビスト選手自身が4年ぶり3度目のメジャー優勝となった。
 
  メジャーに挑む主要な日本人選手に言及すると、2021全英女子を勝てば本人が夢と言う世界ランク1位に近づくと笹生選手に期待を寄せたが、首から肩にかけての痛みが出て本来の実力が発揮できなかった。今シーズンはメジャーでなくてもよいので早く1勝を挙げてもらいたい。       2019年全米女子オープンを制した韓国イ・ジョンウン6選手はその後2年間1勝も挙げられなかったが、メジャー2勝目の絶好の機会が訪れた。昨年のエビアンにて第2ラウンドで10アンダーを叩き出し、2位に5打差をつけて最終日を迎えた。楽勝かと思われたが、何としても勝たねばとのプレッシャーからか7打差あったミンジー・リー選手とプレーオフになってしまい負けしてしまった。笹生選手は確固たる自信がありメンタルも強いと思うのではあるが。
  渋野選手は、昨年10月2年ぶりに国内で優勝(年間2勝)した。物議を醸したスイング改造について、賛成派は改造スイングが板に付いてきたと見、反対派の目には少し元に戻して(ティアップするドライバーはともかくセカンドが左足下がりでは改造スインクではまともに当たらない)復調したのではと映る。
  渋野選手の日本ツアーでの「おもしろいゴルフ」が米本土ツアーで通用するか。渋野選手はメジャーという大舞台で強い。が、昨年の全英女子で一時トップに立ったが長く続かなかった。本人はメンタルが弱いと言っていたが、ド素人の私が僭越ながら、「心」の問題と言うより、「コースマネジメント」の問題ではないかと思っている(ご本人も国内最終戦終了後の日刊スポーツのインタビューで、「バカなりにいろいろ考えながら、やっている感じです。マネジメントを考えながらですかね」と答えている)。
  全英女子の初日ポットバンカーに掴まったボールをユーティリティのクラブで打とうとし解説者が疑問を口にしていた。素人の私でも「えっ!?」と驚いた。案の定球は前壁の低いところに直撃しあらぬ方向のラフに落ちた。そこからピンそばにナイスショットしパーで切り抜けた。面白いゴルフではあるが、その時渋野選手は、起死回生のショットに満足したのか。それともバンカーで無謀とも言える選択をしたことを反省したのであろうか。当時そのことが気になっていた。
 あの畑岡選手でもキャディーと二人三脚で戦っている。コーチをつけないにしても、小姓のようにキャディーを引き連れるのではなく、マネジメント面をアドバイスしてくれるベテラン(英語も話せる)キャディーを採用してもらいたいと思う(イ・ボミ選手も2年連続国内賞金女王になった時優勝請負人清水重憲キャディーと二人三脚)。
  プロ転向時に「5年以内にメジャータイトルを取る」と誓いを立てていた畑岡選手は、その期限がくる先般の全英女子においても奮闘するも優勝争いに絡むことができなかった。
 メジャーを勝てる実力があるのになかなか勝てないのが不思議と言われた、米ツアー12勝の韓国キム・セヨン選手は2015年から米ツアーに参戦し6年目の2020年全米女子プロに勝利した。同じく2015年から本格参戦し5勝を挙げていた豪国ミンジ―・リー選手も7年目の2021年にようやくエビアンでメジャー優勝した。
 畑岡選手もこれからだ。昨年2勝し通算5勝となった(最終戦も優勝争いを演じた)。2019年渋野選手が優勝した全英女子で2位となり、2021年の全米女子プロと全英女子との両方で2位となった、メジャー大会で力を発揮する米国リゼット・サラス選手とどちらが先に花嫁介添人から花嫁になるか(メジャー初優勝を飾るか)、競ってもらいたいものだ。
 古江選手はヨーロッパの大会で通用することが証明された。全英女子は最終日ラスト2ホールで崩れたが、上位争いしていた。その前のエビアンでは4位となり、来年の出場権を取得した。

 ただ、153㎝の古江選手が155㎝の宮里藍さんが活躍した時代と違いより飛距離と高弾道を要する米本土の大会を主とする米ツアーに転戦するとは思わなかった。選手層が厚く「1位じゃないとダメ」という古江選手がメジャー大会でなくても優勝するのは容易でないと思うのだが。爺の性(さが)で心配が先に立つが、本人は“日本の朴仁妃”になる自信があるのか。
  10/17のプレーオフにて昨年ようやく1勝(その後連勝し年間3勝)を挙げたとき「もう勝てないかもと思っていた」と言い涙を見せた翌日米ツアーの最終予選会を受けるとの報道には爺の私の頭は○×△となった。決断は締切の10/12以前とはいえ、「出場資格があるということで急に家族と話し合い」というその程度の気持と準備で大丈夫か。それは煙に巻いた発言で、緊張するハズの米ツアー最終予選会でのプレー態度を観ても、可愛らしい見かけとは違いずっと男前で大物なのかもしれない。
 ともあれ、仏国7月開催のエビアンは、全英女子のようにリンクスで強い風が吹く、雨が降ると気温が下がり飛距離が落ち、難しくなるということも少ない。日本人選手にとってメジャーの優勝カップに一番手が届きやすいと思う。30勝以上での永久シード入りを具体的な目標(前季9勝しており、生涯目標ではなく数年のうちに達成してしまう勢い)とし、穴のない無双状態のゴルフを目指す稲見選手や世界ランク38位で出場資格のある西郷真央選手も挑戦してもらいたい。西村優菜選手(43位)、小祝さくら選手(62位)も早く世界ランク40位以内(全米女子オープンは75位内が出場資格)に入って。
  今季から日本のシード権もメルセデス・ランキングのみで争われることになった。メルセデス・ランキングにはメジャーの成績も含まれることもメジャー挑戦への後押しとなるだろう。

 米ツアーへの転戦は、渋野選手でも反対するぐらい、よほどの日本選手(笹生選手のように条件が揃っていなければ、日本で優勝を重ね世界ランク15位以内が一つの目安になるか)でないと私は賛成しない。とくに優勝争いが目的なら。しかし、日本ツアーに居ながらメジャーに挑戦するのは声高にエールを送りたい。

 果たして、2022シーズンの世界の女子プロの勢力図はどうなるのだろうか。
 現女王の朴仁妃選手(1988年生れ)は唯一「メジャー生涯4大グランドスラム+リオ金メダル」を達成し、史上最年少でゴルフ殿堂入りしている。五輪連覇の夢が散った今、グランドスラム達成後メジャーに昇格したエビアン(メジャー昇格前には優勝している)に勝ちメジャー完全制覇が現役続行のただ一つのモチベーションなのかもしれない。一年下で元世界ランク1位の中国フォン・シャンシャン選手は引退が囁かれている。全英女子を2度制覇している申ジエ選手(1988年生れ)は、今は日本ツアーに専念している。全英女子勝利でメジャー3勝となったノルドクビスト選手(1987年生れ)はこの中では最年長にあたる。花の命は短いが、女子ゴルフ選手の旬も短くなっている。35歳が壁となるのか。
 100週を超えて世界ランク1位の座にあったコ・ジンヨン選手は、レジェンドの典国アニカ・ソレンタム選手(メジャー10勝、米ツアー72勝)や墨国(メキシコ)ロレーナ・オチョア選手(世界ランク1位158週で断トツ)のようなずば抜けた存在になるかと思われた。が、2019年にANAとエビアンの2メジャーを制した以降2年間メジャー優勝がないこともあり、2021年6月全米プロ優勝のネリ―・コルダ選手に世界ランク1位の座を明け渡した。
 ただ、コ・ジンヨン選手は、祖母の死から立ち直ったのか、奮起したのか、抜かれて以降メジャーでない大会に4勝を挙げ、その間休んでいる?ようなネリ―選手を抜き返し世界ランク1位に返り咲いた。が、直にまたネリ―選手が抜き返した。ただ、高額の最終戦に勝ち(年間5勝)、コ・ジンヨン選手は3年連続の賞金女王となった。
  今季も亀のコ・ジンヨン選手がコツコツと勝利を積み重ねていくのか。それとも、兎に喩えられる、東京五輪で金メダルにも輝いたネリ―選手がさらにメジャーの勝ち星を増やし「一強時代」を築き、新女王と呼ばれることになるのか。
  世界ランク1位のネリ―選手(1998年生れ)、2位のコ・ジンヨン選手(1995年生れ)以外にも、3位のリディア・コ選手(1997年生れ)、同6位の畑岡選手(1999年生れ)やパワーヒッターの、レキシー・トンプソン選手(1995年生れ)、アリヤ選手 (1995年生れ)、タバタナキット選手(1999年生れ)等有力選手が目白押しで、20世紀最終世代(1991年~2000年)が主導権を握ってもおかしくない。
 それに対して、笹生選手(2001年生れ)を筆頭に、昨年のエビアンで優勝争いを演じた、韓国系米国人のイエリミ・ノー選手(2001年生れ)、天才女子ゴルファーと呼ばれ欧州ツアーの昨年女王で今季から米ツアーに本格参戦する泰国アッタヤ・ティテイクル選手(2003年生れ、来月19歳)、同じく泰国の175cmの長身で“ミス・300ヤード”と呼ばれるアマのナタクリッタ・ボンタビーラップ選手(2002年生れ)、アマながら2021全米女子オープンの初日トップの米国ミーガン・ガンヌ選手(2003年生れ)等21世紀初頭世代(2001年~)が台頭してくるか。20世紀最終世代と21世紀初頭世代との間で繰り広げられる戦国時代になることもなしとしないか。

2022.1 NO.165 VS あ(2)

 妻の日本は、ゴージャスに装うのを夢見るのではなく、泥まみれの足元を何とかすべき。敵基地攻撃などとカラ吠えしても、中国に「吠える犬は噛まない」と言われるだけ。無駄吠えしない土佐犬になり、目の前の中国海警局の船舶の尖閣諸島への領海侵犯に対して毅然な態度をとることだ。その為の防衛体制強化が最優先だろう。
  米中対立に対しては、戦争が起きないよう両国に対して外交努力する。米中戦争で当事国以外では日本と台湾とが被害を被る。新冷戦体制を維持することが、日本の役割であり、米中双方から頼りにされることが、生きる道なのだ。米国への従属に疑問を感じなくなった日本人からは二股外交と誹られようが。

 今般の安倍元首相の「中国が台湾に武力攻撃すれば日米同盟の有事になる」との発言は、岸田政権の特使として蔡英文総統に日本の決意を伝えるのならともかく、台湾のフォーラムで公言しては中国を刺激し硬化させるだけ。挑発する意図はないと言いながら、思いとどまらせるよう直接中国に働きかけるのではなく、中国が最も嫌がる形では、挑発以外の何物でもない。日本のタカ派は拍手喝采だろうが。岸田首相は、事前に聞いていないなら「余計なことしないで!」と釘を刺すべきだ。
  米国が北京冬季五輪で「外交的ボイコット」する。その主因となる新疆ウイグルの人権問題は、見方を変えれば、イスラム教派と無宗教の中国共産党の問題(異教徒のキリスト教圏よりもイスラム教圏が問題解決を図るべきとも言える)。後述するように日本は宗教問題では中立の立場をとるべきである。日本としても「人権問題」への発信はすべきだが、必ずしも欧米と歩調を合わせる必要はない。米国にすぐ追従することはしない岸田首相はさすが宏池会の領袖だ。

 米国は、対中国に対して「覇権」の競争相手と言うが、通商取引を止める訳ではない。デカップリングはハイテク分野のみでは。  日本も、米国の妻とはいえ、夫以外の男と交友することは操を破ることと思う必要はない。 欧米と違い日本にとって中国はお隣さん。体を求めてこなければ(安全保障問題に触らなければ)少しぐらい夫にやきもちを焼かせてもよい。

 しかし、「夫を差し置いて」と米国のトランプ大統領が激怒したと言われるように、愛人になったと公言するような(延ばし延ばしになっている安倍政権からの宿題)習近平国家主席を国賓として招聘するのは、止めた方がよい。中国女子テニス選手の人権問題(中国通の遠藤誉女史による現状認識は、習国家主席の超高齢な元高官任命にかかる責任問題とならぬよう、告発女子選手にとって悪い話ではない?生涯厚遇する代わりに沈黙させる、監禁ではなく軟禁状態)も浮上し世界が批判を強めている折わざわざ欧米の神経を逆なでする必要もない。

 

 今後の日本の生きる道での、もう一つのスタンスは、同じ小国としてアジアの諸国の幹事役(世話役)になること。戦前の大東亜共栄圏での盟主として結局欧米の植民地支配と変わらないことをするのではなく、真にアジアの諸国の信頼を得ると言うことだ。
 そのためには何と言っても、大国のエゴに対して核兵器廃絶に向けて旗幟を鮮明にすることだ。それでないと日本は信用されない。
  国連の存在と同じく、核の軍縮は、戦勝国(米、露、中、英、仏)体制を維持するためのもの。戦後から喜寿を迎えるというのに。その中で日本が核を持つ国と持たない国を仲介するのは、持たない国からの理解は得られない。銃乱射で子を殺された親が、銃規制派と銃規制反対派との間を仲立ちするようなものだ。それを見て規制派は首を傾げるだろう。
  肉食動物は、他種を殺して食べるが、覇権争いで相手を殺すことはしない。同種を絶滅させる真似はしない。原爆で同種を絶滅させる殺人兵器を持つ人間は地球上で最も愚かな動物。
  杉山晋輔前駐米大使がBSフジの番組で核兵器禁止条約の参加に反対していた。佐藤優氏の『外務省犯罪黒書』(講談社エディトリアル)で杉山氏が特記されていたが、なるほど!と思うほど外務事務次官経験者としては藪中三十二氏、斎木昭隆氏らと比して異質と感じた。筑駒OBなら天才肌かもしれないが、岸田首相、林外相とは合わないと思いたいが。
 本ブログ2018年2月号NO.85(「いしばVSいしばし」)で、「9月の総裁選に出馬するのなら、核兵器禁止条約不参加決定の折決然と閣外に去り、広島選出の国会議員としての矜持を見せつけるべきだったと思う。」と岸田外相を批判した(2017年3月外相として核兵器禁止条約不参加を表明。2018年9月の総裁選には結局出馬しなかった)。当時外務省OBの天木直人氏に「政治家としての信念がなく、総理大臣にふさわしい器ではない」と酷評されていたが、首相となってからではなく、総裁選に向けて豹変した今の岸田首相なら言えるだろう。

 衆院選で実質勝利しても岸田政権の顔は見えないと言われる。新自由主義からの転換はそうすべきだが「新しい資本主義」とは何かよく分からない(浜矩子同大教授はアホノミクスを焼き直したアホダノミクスと看破するが)。核兵器禁止をもう一つの顔とするべきだと思う。
  同じ立場のドイツが年明け3月の核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバー参加するという。日本こそ参加すべき。米国の傘に守られているとは言え、夫の米国だけに求めるのではない。全世界に対して、唯一の被爆国として(核兵器廃絶は、通常兵器でも圧倒的地位にある米国にとって一概に不利益とは言えない。核軍縮には核の数で米国と伍すまで心配な中国は応じない)。その代わり、同盟国が反対する、バイデン大統領の「核の先制不使用」への反対を取り下げるのだ。米国は圧倒的な核兵器数とミサイル防衛システムを持ち横綱相撲で戦うと言っているだけ。21世紀の米国が恐れるのは、共倒れとなる中国の核先制使用ではなく、米国の軍事力を無力化させるサイバー攻撃と生物兵器攻撃及び宇宙覇権での敗北であろう。
 岸田首相は短命政権になることを恐れてはならない。歴史は、首相在任の長さなど評価しない。何を成したかだ。
 
 一神教の対立には、中立を守る。日本人は理解できない(神風特攻隊が生への未練を無理やり押し殺し、鬼気迫って米戦艦に体当たりした、そんな日本人には、我々のイメージと少し違うが酒池肉林の神の国へ行けると信じまるで恍惚の表情で自爆する過激派イスラム兵士もアダムとイブの子孫と言う米キリスト教福音派も理解不能)。
 なぜ世界の警察力である米国が、米国がそう呼ぶ「テロ集団」をせん滅できないのか。『限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(集英社)の著者内藤正典氏は「自らを正当化し、異なる文明を征服しようとしてきた傲慢な態度とそれに対するリベンジが生み出した負の連鎖にほかならない」と喝破する。
 キリスト教社会とイスラム教社会との宗教戦争に終わりはない。互いに相手の一神教を認め棲み分けするしかないのだ。タリバンの報道官が「日本人は残って欲しい」と発言した。医師故中村哲の殺害も否定している。鵜呑みはできないにしても、十字軍に加担するのかとの悪感情を抱いたイスラム社会に対して日本の宗教的中立の立場をアピールするチャンスと言える。

 日本は、自由主義陣営の一員ではあるが、宗教対立の面にはできるだけ中立な立場をとり、アフガニスタンに対しては中村医師の遺志が永らく継がれていくをことを期待したい。
 
 東アジアの諸国に対して、中国とは違って、無償の支援を今まで以上に推進していく必要がある。とくに台湾は大切である。一番の親日派。それ以上に地政学的にも。村井友秀東京国際大学特命教授(防衛大学校名誉教授)は、「台湾は日本の外堀」と言う。大坂冬の陣の和議の後徳川側の計略か分からないが大坂城の外堀を埋めたことにより夏の陣で豊臣家は滅んだとする。
 習近平国家主席は、終身国家主席を狙って、(北京冬季五輪が終われば)台湾統一に向け在任中に軍事行動を起こすかもと見られている。台湾本土を攻撃すれば、さすがに米国は金融制裁だけではなく、軍事行動を起こすだろう(台湾が制圧されれば、次に日本が攻略される。そうなれば、米国は最強覇権国の座から滑り落ちていく)。
 台湾を舞台に米中戦争になれば、最初は中国が圧倒していても朝鮮戦争と同じくAUKUSを中心とする連合国が巻き返す(愛国心が強い米兵士に対して、国ではなく共産党を守る近衛兵のような人民解放軍兵士にどれだけ愛国心があるかは不透明)ことが予想される。
  米国の金融システムを凌駕する、人民元を基軸通貨として大中華圏の金融システムを構築できる(2019年4月の外国為替取引高のうちドルを一方の取引とする取引は88%。人民元は4%。中国が世界一の経済大国になるのが2030年だとして、中国人民元が米ドルから基軸通貨の地位を奪うのはそれから半世紀後だろう。本号の(1)で上述の著者杉田氏はそう言う。それで中国は違う土俵である「デジタル人民元」を急いでいる)までは、全体主義でしかも中華独尊の中国に先進国で与する国も現れない。ロシアも静観するか。台湾本土を攻撃し米国と全面戦争するのは当面避けるのではないか。
 村井教授は、台湾本土ではなく、金門島(もしくは馬祖島)を占拠するのではと言う。それだけでも毛沢東もなし得なかった偉業と人民にアピールできるとする。米国にとっては中国に近すぎる島で有益性がないからバイデン政権は黙認するかもしれない。
 それはオバマ大統領の戦略的忍耐を踏襲するのと同じだろう。ナチスに宥和政策をとった英首相チェンバレンの二の舞になるかも。ポーランド侵攻をヒトラーに許してしまうことになったように、米国を弱腰として見て習国家主席による台湾本土攻略が起こってしまうかもしれない。習国家主席は、漢族による「漢」「明」に続く、中華民族による第3帝国を目指している。21世紀のヒトラーと見るべきなのだ。
 妻の日本は、夫の米国に寝間でこう囁く。「金門島の支配を許してはいけません。米国に居る北戴河会議メンバーの長老の家族を人質にし、資産を凍結すると警告すべき」と。一方中国に対しては「夫は、本気で金融制裁を考えている」と自重を説得するのだ。台湾を守る為には、それぐらいの立ち回りは厭うべきではない。
 「2049年建国100周年に世界を征服する」とのヒトラーのような習国家主席の野望を内外からの圧力により、断念させるか、失脚させる。米中二大強国が並存する、いわゆる新冷戦体制を維持させるよう日本は率先して外交(武器を持たない戦争)努力すべきだ。

  今の「習近平VS蔡英文」の対立関係が続く間は、台湾人としてのアイデンティティが揺らくことは、あり得ない。ただ、外省人だけでなく内省人も漢族中心。新型コロナの第1波を見事に抑え込んだのも、中国に100万人の台湾人がいていち早く真実が知り得たこともあるという。22歳まで日本人で親日派であった台湾総統李登輝でさえ日本人から見れば理解しかねる動きがあったとする。
  この世に不滅なものはあるのか。親日台湾も同じだろう。台湾の人々が「喜んで日本の外堀になる」と言ってもらえるには、長男が台湾女性と結婚する前の私と同じように、台湾に無関心であってはならない。
 戦前の日本人を敬仰し今の日本人を叱咤激励してくれる、(台湾人に影響を与える)親日の偉人がいなくなる。李登輝、司馬遼太郎が“老台北”と親しみを込めて呼んだ蔡焜燦、100年の生涯を通じて台湾独立に命を捧げ蔡英文現総統の精神的支えであり、日本人に畏敬の念を持っていた史明(本名施朝暉)たちはもういない。『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』等を書いた黄文雄氏はもうすぐ83歳になる。
 日本の統治時代を知らない台湾の若者は、今の日本はよく知っている。とくに、スポーツ選手には憧れを抱いていよう。フィギュアスケートの羽生結弦選手、MBLの大谷翔平選手、ゴルフの海外メジャーを制した松山英樹選手、渋野日向子選手たちは台湾人の若者の心を掴む。
 一方、日本の政界人を敬仰してくれていると思うか。新型コロナウイルスの第1波封じ込めに成功したことで、「台湾の奇跡」と世界中から称賛を浴びた台湾。その中心人物が、不眠不休で働く姿から「鉄人部長」と呼ばれる陳時中衛生福利部長(日本の厚労大臣)。後藤新平の「衛生」に対する「志」「想い」を受け継ぐのは、日本の政界人ではなく、台湾総督児玉源太郎の片腕民生長官として台湾の「衛生」に尽力した後藤に今も感謝の念を持つ台湾の政界人なのだ。私腹を肥やさず、全身全霊にて公共のために働こうという気概には戦前の日本教育が今も息づいている。陳部長に加え、蔡総統、オードリ・タンIT大臣に国民が信頼を寄せ、国民の心が一つになっている。
 それに引き替え、日本は、水際対策に失敗し、風邪、インフルエンザと同じではないが新型コロナ(感染力を高める変異を繰り返しても、強毒化はしていない。強毒化は自己矛盾)を必要以上に怖い感染症として医療体制を狭め、厚労省は権益拡充を、政権はマスクやGoToトラベルキャンペーン等コロナ利権に利用しようとしたとしか思えない。その裏で、弱い立場の国民が瀕死状態になるのに手をこまねいている。否、切り捨てている。

 私にそう見えるなら、中国への従属を拒否する台湾の人々の方がよりそうだと思うだろう。もはや米国への従属に安住する日本から学ぶものは何もないと思われてしまうのかもしれない。

 
  新型コロナ禍は、我々に再認識させた。国のトップには(未知な事に対しても理解が速く問題の本質を見抜ける)「知性と教養」に裏付けされた「国家観」と「公共性」が不可欠であることを。
  戦後吉田茂を初め岸信介、池田勇人、佐藤栄作等官僚派と呼ばれる官僚出身の首相が続いた。ところが非官僚出身の党人派と呼ばれる田中角栄が首相になった後(田中自身は不世出の大政治家ではあるが)それが節目になったのか、福田赳夫、大平正芳、中曾根康弘に続き、宮沢喜一を最後に官僚派の出身の首相がいない。学者肌で「東大法学部にあらずんば人にあらず」との態度を隠さない宮沢を見て、自民党内に官僚派アレルギーができたのがダメ押しになったかもしれないが、官僚派中曽根から党人派で消費税を導入することになる竹下登に首相が代わる1987年の時点で官僚派は終わっているのかもしれない。
 これ以上、党人派の、党利、私欲(権力欲、利権)で政治を動かす首相が続くと日本が沈没するとの危機感は官僚たちにあるのか。日本を憂い、政権を託せる政治家を官僚たちが選び、支えるという使命感と気概のある官僚はいなくなったのか。
  キャリア官僚ともあろう者が官邸の下僕に成り下がるのを良しとする(自浄能力を無くしたような官庁もある)なら、旧朝鮮時代の両班のような特権を享受すべきではない。返上すべき。
  ただ、党人派とはいえ、保守本流を自認する宏池会の(天下の開成高校出身の)岸田首相に続き衆議院に鞍替えし総理・総裁候補の資格ができた宏池会NO.2林芳正外相、さらに(人格がうんぬんされているが)旧竹下派の新領袖茂木敏充幹事長など賢いトップが続けば官僚との関係は修復されていくのでは。心服させるのではなく人事権を盾に恫喝まがいで官僚を抑えつける、誤った「政治主導」が是正される中で、官僚の本分の発揮に期待したい。