2022.4 NO.169 オミクロン VS ゴミクロン
2年後の2024年に千円札の顔には、日本が誇る世界的な二人の細菌学者の、野口英世(1876年~1928年)から北里柴三郎(1853年~1931年)に代わる。
細菌は5ミクロン(今はマイクロメートル<μm >と呼ぶのが正しい。1μm =0.001mm)前後の大きさ。ウイルスはその1/50前後の大きさで光学顕微鏡は見えない。野口が黄熱(病)の病原体を発見したとされたが、野口が見たものは症状が似ているワイル病の細菌であった。北里が亡くなった頃に電子顕微鏡が開発されたので、野口が黄熱ウイルスを発見することは不可能であり、その業績は数ある野口の功績から今は除外されている。
細菌研究の分野では日本は世界に誇る二大細菌学者を生んだが、ウイルス研究の世界ではそれに匹敵する学者が果たして現れるのだろうか。
私は業界団体に在籍の折感染症について少し齧っていたので、素人の浅智恵であるが、
半信半疑ながらも当初から新型コロナは大したことないと思っていた。幼児は重篤化しないことだけでも人類にとって脅威ではない。我ら高齢者とくに80代は風邪でもインフルエンザでもそれに伴う肺炎でもまた何もなく亡くなっても不思議ではないのに新型コロナの場合だけ特別視するのは、どうなのか(私自身が80代になってもそう言える自分でありたいと思うが)。新型コロナの指定感染症5類相当への引き下げを主張する、元厚労省医系技官で医師の木村盛世氏も「日本の平均寿命が80代ということもあり、80代の重症者や死者を減少させることは不可能に近い。」と言っている。
新型コロナの第一波が収束する頃、カラオケ会を定期的に行っていた高校の同期生たちとは、彼らは地頭は私より数段良いが予備知識を持たないこともあったのか、新型コロナに対する見方の相違から疎遠になってしまった。
今は、国民全体において見方はある程度収れんしているのではないか。ウイルスは細胞を持たず他の生物の細胞の中でしか増殖できない。よって宿主である人を殺すのはウイルスにとって不条理。オミクロン株が感染力が強くなっても毒性が弱まっているのは理屈に合う。人間にとって恐ろしいエボラ出血熱においては、脳機能のないウイルスに攻撃意図はなく、人が感染拡大を阻止すべく自(爆)死しているのではとの仮説が成り立つ。
東京マラソンが昨日2年ぶりに開催されたが、いまだ変わらないのは、TV局の報道姿勢だ。オミクロン株は花粉症の症状に似ているとも言われる。が、花粉症は衛生面が向上し回虫等がいなくなり暇になった「免疫」が花粉(30~40μm)に対して過敏に反応している為とも言われる。平和に慣れ切った日本において、その「免疫」にあたるのが今のTV局(一部の感染症学者も)ではなかろうか。
いまだに毎日感染者数だけをもって増えたから警戒をと(感染者数が減ってくるとその時だけ検査数をとり上げ検査数が減少している面もあると解説するTV局もある)報道し続けている。不安を煽る方が視聴率を稼げると思うからかと問えば、楽観的なことを言い感染拡大を誘発するようなマネはできない立場だと反論するのかもしれない。それなら、例えば地上波のTBSが毎日報道するならBS-TBSの『報道1930』(19:30~20:54)まで毎日同じ報道しなくても、もうよいのでは。羽目を外すような若者らはBS報道番組は観ないだろうから。
84分の時間でCMを除けば正味70分ぐらいしかなく、その前半を新型コロナ関連で30分もとれば(新型コロナに関係ないゲストを冒頭から座らせ待たせて)、政治や国際問題等の本テーマの所要時間は40分程度になってしまう。それで十分な議論ができるのか。
新型コロナ関連は週に一度、一週間の分析結果を検討するとか、慎重論の感染症学者と楽観論の学者と論戦させるとかにすべきではないのか(さすがにウクライナ侵攻に際しては番組の前半で新型コロナは取り上げていないが)。
TV局の姿勢に対しては疑問を感じるが、厚労省内の旧厚生省の部署(以下「厚生省」)に対しては怒りさえ覚える。
怖がりな私は70余年の人生の中で感染症を怖がってきたが、厚生省に何度か必要以上に不安にさせられたと思っている。私が生まれた昭和25年(1950年)にはハンセン病(当時の呼び名は「らい病」)の特効薬が出来ていたが、昭和28年(1953年)の「らい予防法」では患者の人権を蹂躙する強制隔離政策が継続されていた。私が中学生?の頃でもTV番組で女の子が父親と一緒に百貨店に行き服を買ってもらった後何も分からないまま一人島に渡り家族とは永遠の別れとなるドラマがあり、何という怖い病気かとずっと思わされてきた(TV局も同罪)。
成人してからは「梅毒」を恐れた。これは厚生省とは関係がないが、独身寮に居たとき背中の肩一面にぶつぶつが急に出来たと感じた。無知な私は皮膚科に行き「梅毒か何か悪い病気かと思って」と告げると医師の顔色が変わった。それで怖い病気と実感した(ただのニキビだったのだが、当時色が白く肌もきれいな私の顔にはニキビができず、ニキビがどんなものかよく知らなかった)。中高年になるとむ「エイズ」を恐れた(長らくの体の不調は後で胆石によるものと分かるのではあるが)。薬害エイズ問題もさることながら権益拡充を目論んだ厚生省に翻弄されたと記憶している。
今般の新型コロナにおいても権益拡充のため指定感染症2類相当にしたのではとの疑念を抱いている。故志村けんが亡くなった時実兄の骨箱を持つやるせない姿をTVで観て、石ころが入った白木の骨箱を特攻隊員の遺族が受け取る映画の場面を思い起こした。
宿主の人間が亡くなればウイルスも死ぬ。息もしないのだから咳もしない。病院での面会は無理だとしても、火葬場で骨を拾うことに感染リスクはないハズだ。それをさせなかった厚生省は一体誰のためにあるのか。
しかし、厚生省の権力は絶大で牙城を崩すことは容易ではないのだろう。自民党の政権公約に岸田首相が就任前の党総裁選で掲げた「健康危機管理庁(仮称)」は一体どうなったのか。感染症に一元的に対応する日本版CDCのようなものに反対する厚生省になし崩しされたのか(改憲で「緊急事態条項」をと思う議員にとっても不都合であり加担したのか)。
厚生省は自らの権益に固執するが、それ以外はどうでもいいのか。現代ビジネスが2/7に配信した『安倍晋三がほくそ笑む…「アベノマスク」大復活で、岸田総理への逆襲がはじまった』に対して、下記投稿が代表するようにネット民は安倍元首相、希望者への送付に批判的だ。
「破棄する話が出てきて、捨てるなら欲しいと言う人間が出てきただけで需要があった訳ではない。マスク市場は既に安定してマスクの供給は十分に民間レベルで完了している。そんな中で破棄すれば6000万で済む話をマスクを税金で大量に作った安倍政権の愚策無駄遣いだったと批判を避ける為にその場しのぎの保管と言う選択をした事で更に6億かかり、保管を長期化すると更に何億と監査委員会から注意喚起されてじゃあ破棄するかともう一度検討している最中、捨てるなら欲しいで配送費にまた10億の可能性が出てるのに笑顔の安倍元首相の金銭感覚と言うか政治家はみんなそうなのか完全に金勘定の感覚が壊れている。算数出来ないと揶揄されるくらいに。」(2月17日11時6分時点いいね332 いいえ37)
財政逼迫に際し財務省が黒子の立場を超えバラマキに対して問題提起している折、厚生省はコスト意識がないのか。マスクを希望者に配送するなど過剰サービスもいいとこだろう。自治体にでも送り、希望者に取りに来てもらえば良いだけではないか。
アベノマスクは「世紀の愚策」と批判されているなら、恥じ入り沈黙すればよいものを安倍元首相は子供じみた言動をとる(首相時代と変わらず国民はついてくると思いたいだろうが、日本人は国民性から良くも悪くも「お上」なら何であれ従っただけに過ぎない)。それ以上に問題なのは安倍元首相を筆頭として日本のタカ派により国民が戦争に巻き込まれないかということ。
安倍首相が退陣した時私はもう名指しで批判することはないと本ブログで書いた。2度の健康上の事由による退陣(とくに、2度目は健康問題を表向きの理由にして新型コロナ禍に対する失政への批判、「桜を見る会」問題等から逃げたとしか思えない)より、もう政治家としては“死に体”と思ったからだ。
そんな常識は、安倍元首相には通用しない。匹夫の勇で戦争に巻き込まれ戦況が暗転すれば持病悪化を理由に逃げ出しそうな安倍元首相に日本の安全保障問題を左右されたくない。
ロシアによるウクライナ侵攻(12/7米ロ首脳会談後「戦が起きても米軍派遣はしない」とバイデン米大統領が発言し、1/26独から兵器ではなく神経を逆なでするようなヘルメット5千個の供与が発表された時点で、2014年クリミア併合のロシアに続き西側も核放棄の見返りにウクライナを守る「ブタペスト覚書」を無視したのと同じ。梯子を外されたゼレンスキー大統領は、元々NATOへの加盟は民族問題で直ぐに認められるものでないことから、NATOからの中立化を匂わせロシアとの交渉へと軟化し、核を放棄したウクライナと核保有大国ロシアとの常軌を逸した戦争は何としても回避させる努力をすべきだったのでは。非はロシアにあるにせよ、戦争に国民を巻き込んだゼレンスキー大統領を英雄視するのは違うかと私は見ている)が始まった頃、平井美帆女史の『ソ連兵に差し出された娘たち』(集英社)や同じ77年前の満州でレイプされそうになった作家澤地久枝女史の『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』(集英社新書;電子書籍)を読み、つくづくとそう思う。
戦争の犠牲者は、戦場の露と消える男と戦利品にされる女に代表される、我々庶民なのだ。
前言を翻し、安倍元首相への批判を再開したい。