2022.4 NO.169  ミクロン VS ミクロン
 2年後の2024年に千円札の顔には、日本が誇る世界的な二人の細菌学者の、野口英世(1876年~1928年)から北里柴三郎(1853年~1931年)に代わる。
 細菌は5ミクロン(今はマイクロメートル<μm >と呼ぶのが正しい。1μm =0.001mm)前後の大きさ。ウイルスはその1/50前後の大きさで光学顕微鏡は見えない。野口が黄熱(病)の病原体を発見したとされたが、野口が見たものは症状が似ているワイル病の細菌であった。北里が亡くなった頃に電子顕微鏡が開発されたので、野口が黄熱ウイルスを発見することは不可能であり、その業績は数ある野口の功績から今は除外されている。
 細菌研究の分野では日本は世界に誇る二大細菌学者を生んだが、ウイルス研究の世界ではそれに匹敵する学者が果たして現れるのだろうか。

 私は業界団体に在籍の折感染症について少し齧っていたので、素人の浅智恵であるが、
半信半疑ながらも当初から新型コロナは大したことないと思っていた。幼児は重篤化しないことだけでも人類にとって脅威ではない。我ら高齢者とくに80代は風邪でもインフルエンザでもそれに伴う肺炎でもまた何もなく亡くなっても不思議ではないのに新型コロナの場合だけ特別視するのは、どうなのか(私自身が80代になってもそう言える自分でありたいと思うが)。新型コロナの指定感染症5類相当への引き下げを主張する、元厚労省医系技官で医師の木村盛世氏も「日本の平均寿命が80代ということもあり、80代の重症者や死者を減少させることは不可能に近い。」と言っている。
 新型コロナの第一波が収束する頃、カラオケ会を定期的に行っていた高校の同期生たちとは、彼らは地頭は私より数段良いが予備知識を持たないこともあったのか、新型コロナに対する見方の相違から疎遠になってしまった。
 今は、国民全体において見方はある程度収れんしているのではないか。ウイルスは細胞を持たず他の生物の細胞の中でしか増殖できない。よって宿主である人を殺すのはウイルスにとって不条理。オミクロン株が感染力が強くなっても毒性が弱まっているのは理屈に合う。人間にとって恐ろしいエボラ出血熱においては、脳機能のないウイルスに攻撃意図はなく、人が感染拡大を阻止すべく自(爆)死しているのではとの仮説が成り立つ。
 東京マラソンが昨日2年ぶりに開催されたが、いまだ変わらないのは、TV局の報道姿勢だ。オミクロン株は花粉症の症状に似ているとも言われる。が、花粉症は衛生面が向上し回虫等がいなくなり暇になった「免疫」が花粉(30~40μm)に対して過敏に反応している為とも言われる。平和に慣れ切った日本において、その「免疫」にあたるのが今のTV局(一部の感染症学者も)ではなかろうか。
 いまだに毎日感染者数だけをもって増えたから警戒をと(感染者数が減ってくるとその時だけ検査数をとり上げ検査数が減少している面もあると解説するTV局もある)報道し続けている。不安を煽る方が視聴率を稼げると思うからかと問えば、楽観的なことを言い感染拡大を誘発するようなマネはできない立場だと反論するのかもしれない。それなら、例えば地上波のTBSが毎日報道するならBS-TBSの『報道1930』(19:30~20:54)まで毎日同じ報道しなくても、もうよいのでは。羽目を外すような若者らはBS報道番組は観ないだろうから。
 84分の時間でCMを除けば正味70分ぐらいしかなく、その前半を新型コロナ関連で30分もとれば(新型コロナに関係ないゲストを冒頭から座らせ待たせて)、政治や国際問題等の本テーマの所要時間は40分程度になってしまう。それで十分な議論ができるのか。
 新型コロナ関連は週に一度、一週間の分析結果を検討するとか、慎重論の感染症学者と楽観論の学者と論戦させるとかにすべきではないのか(さすがにウクライナ侵攻に際しては番組の前半で新型コロナは取り上げていないが)。
 
 TV局の姿勢に対しては疑問を感じるが、厚労省内の旧厚生省の部署(以下「厚生省」)に対しては怒りさえ覚える。
 怖がりな私は70余年の人生の中で感染症を怖がってきたが、厚生省に何度か必要以上に不安にさせられたと思っている。私が生まれた昭和25年(1950年)にはハンセン病(当時の呼び名は「らい病」)の特効薬が出来ていたが、昭和28年(1953年)の「らい予防法」では患者の人権を蹂躙する強制隔離政策が継続されていた。私が中学生?の頃でもTV番組で女の子が父親と一緒に百貨店に行き服を買ってもらった後何も分からないまま一人島に渡り家族とは永遠の別れとなるドラマがあり、何という怖い病気かとずっと思わされてきた(TV局も同罪)。

  成人してからは「梅毒」を恐れた。これは厚生省とは関係がないが、独身寮に居たとき背中の肩一面にぶつぶつが急に出来たと感じた。無知な私は皮膚科に行き「梅毒か何か悪い病気かと思って」と告げると医師の顔色が変わった。それで怖い病気と実感した(ただのニキビだったのだが、当時色が白く肌もきれいな私の顔にはニキビができず、ニキビがどんなものかよく知らなかった)。中高年になるとむ「エイズ」を恐れた(長らくの体の不調は後で胆石によるものと分かるのではあるが)。薬害エイズ問題もさることながら権益拡充を目論んだ厚生省に翻弄されたと記憶している。
 今般の新型コロナにおいても権益拡充のため指定感染症2類相当にしたのではとの疑念を抱いている。故志村けんが亡くなった時実兄の骨箱を持つやるせない姿をTVで観て、石ころが入った白木の骨箱を特攻隊員の遺族が受け取る映画の場面を思い起こした。
 宿主の人間が亡くなればウイルスも死ぬ。息もしないのだから咳もしない。病院での面会は無理だとしても、火葬場で骨を拾うことに感染リスクはないハズだ。それをさせなかった厚生省は一体誰のためにあるのか。
 しかし、厚生省の権力は絶大で牙城を崩すことは容易ではないのだろう。自民党の政権公約に岸田首相が就任前の党総裁選で掲げた「健康危機管理庁(仮称)」は一体どうなったのか。感染症に一元的に対応する日本版CDCのようなものに反対する厚生省になし崩しされたのか(改憲で「緊急事態条項」をと思う議員にとっても不都合であり加担したのか)。

 厚生省は自らの権益に固執するが、それ以外はどうでもいいのか。現代ビジネスが2/7に配信した『安倍晋三がほくそ笑む…「アベノマスク」大復活で、岸田総理への逆襲がはじまった』に対して、下記投稿が代表するようにネット民は安倍元首相、希望者への送付に批判的だ。
 「破棄する話が出てきて、捨てるなら欲しいと言う人間が出てきただけで需要があった訳ではない。マスク市場は既に安定してマスクの供給は十分に民間レベルで完了している。そんな中で破棄すれば6000万で済む話をマスクを税金で大量に作った安倍政権の愚策無駄遣いだったと批判を避ける為にその場しのぎの保管と言う選択をした事で更に6億かかり、保管を長期化すると更に何億と監査委員会から注意喚起されてじゃあ破棄するかともう一度検討している最中、捨てるなら欲しいで配送費にまた10億の可能性が出てるのに笑顔の安倍元首相の金銭感覚と言うか政治家はみんなそうなのか完全に金勘定の感覚が壊れている。算数出来ないと揶揄されるくらいに。」(2月17日11時6分時点いいね332 いいえ37)
 財政逼迫に際し財務省が黒子の立場を超えバラマキに対して問題提起している折、厚生省はコスト意識がないのか。マスクを希望者に配送するなど過剰サービスもいいとこだろう。自治体にでも送り、希望者に取りに来てもらえば良いだけではないか。
 
 アベノマスクは「世紀の愚策」と批判されているなら、恥じ入り沈黙すればよいものを安倍元首相は子供じみた言動をとる(首相時代と変わらず国民はついてくると思いたいだろうが、日本人は国民性から良くも悪くも「お上」なら何であれ従っただけに過ぎない)。それ以上に問題なのは安倍元首相を筆頭として日本のタカ派により国民が戦争に巻き込まれないかということ。
 安倍首相が退陣した時私はもう名指しで批判することはないと本ブログで書いた。2度の健康上の事由による退陣(とくに、2度目は健康問題を表向きの理由にして新型コロナ禍に対する失政への批判、「桜を見る会」問題等から逃げたとしか思えない)より、もう政治家としては“死に体”と思ったからだ。
 そんな常識は、安倍元首相には通用しない。匹夫の勇で戦争に巻き込まれ戦況が暗転すれば持病悪化を理由に逃げ出しそうな安倍元首相に日本の安全保障問題を左右されたくない。

 ロシアによるウクライナ侵攻(12/7米ロ首脳会談後「戦が起きても米軍派遣はしない」とバイデン米大統領が発言し、1/26独から兵器ではなく神経を逆なでするようなヘルメット5千個の供与が発表された時点で、2014年クリミア併合のロシアに続き西側も核放棄の見返りにウクライナを守る「ブタペスト覚書」を無視したのと同じ。梯子を外されたゼレンスキー大統領は、元々NATOへの加盟は民族問題で直ぐに認められるものでないことから、NATOからの中立化を匂わせロシアとの交渉へと軟化し、核を放棄したウクライナと核保有大国ロシアとの常軌を逸した戦争は何としても回避させる努力をすべきだったのでは。非はロシアにあるにせよ、戦争に国民を巻き込んだゼレンスキー大統領を英雄視するのは違うかと私は見ている)が始まった頃、平井美帆女史の『ソ連兵に差し出された娘たち』(集英社)や同じ77年前の満州でレイプされそうになった作家澤地久枝女史の『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』(集英社新書;電子書籍)を読み、つくづくとそう思う。

 戦争の犠牲者は、戦場の露と消える男と戦利品にされる女に代表される、我々庶民なのだ。
 前言を翻し、安倍元首相への批判を再開したい。
 

2022.3 臨時号 NO.168 コスメ VS コスメ
 前号(167号)で前川喜平氏の彼には不似合いなツイートに言及した。残念ながら私のブログなど前川氏の目に留まるハズはないか。辻元清美前議員の参院選出場宣言を受けて「こんな良い政治家をなぜ選挙で落とすのか。敢えて言う。有権者がアホなんや。」とまた先月末前川氏はツイートした。とくに最後の言葉が余計だ。衆院選で落選した辻元前議員に同情心が湧いた有権者まで怒らせるだけではないのか。前川氏は一体どうしたというのか。

 

 さて、今6月妻が前期高齢者入りする。私はあと3年で後期高齢者になる。ということは、今年で6回目の年男だ。本号では、まだ働き盛りであった4回目(1998年48歳)と仙人のような爺になった今回と比較してみる。
 新型コロナ禍北京五輪が今開催されている。今回小林陵侑選手が個人戦で金、銀2つのメダルを獲得したジャンプ競技において、24年前の1998年(平成10年)2月に開催された長野五輪で日の丸飛行隊が団体金メダルに輝いた。吹雪で2本目が中止になれば日本の優勝はなかった。2大会連続失敗ジャンプの原田雅彦選手が戦犯の汚名を着せられるところであった。

 猛吹雪の中25名のトライアルジャンパーがジャンプを成功させ、2本目が実施される。日本が逆転優勝し、原田選手は一転ヒーローとなった(私は三越本店近くの昭和通り沿いの町洋食店で観ていた)。その裏方の功績を23年後の昨年田中圭さん主演の映画『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』で讃えられた。
 1998年と言えば、1995年にMBLのドジャーズに入団しトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄投手(以下「NOMO」)がメッツに移籍した年でもある。1994年1月銀行を辞め社団設立に参画すべく上京した自身をNOMOに重ねたことは2011年9月号NO.3(「NOMOとNORO」)で書いた。

  NOMOは投手なので1週間に1回しか投げない。次の登板が待ち遠しかったことを覚えている。NOMO以降、イチロー選手、松井秀喜選手も活躍したが、日本人として応援するもファンと言うほどではなく、MBLの試合をあまり観ることはなかった。
 四半世紀ぶりに昨年はMBLの試合を毎日のように見ていた。二刀流の大谷翔平選手は毎試合出場するので嬉しい。31号ホームランの時私の孫と同じ年恰好の女の子が泣きじゃくりして喜んでいた。別の試合では外野でホームランボールを握りしめ誇らしげに頬を紅潮させている男の子がいた。大人と違って子供の頭の中は大谷選手で一杯になっているだろう。ホームランが出ない日はさぞかしがっかりしているのでは。そんな孫みたいな子供たちのことを思うと、無茶な話だが、大谷選手には毎日ホームランを打ってほしいと思ってしまう。
 私自身の子供が小さい時、さすがに自分の子供は愛しいが他人の子供には興味がなかった。自分の子供に対しても、妻が「子供が風邪を引いたので休ませる」と言うと、風邪など生きている証拠だと言い放っていた(今私が風邪を引いて体調が悪いと言うと妻に「生きている証拠でしょ!?」と皮肉られる)。運動会もお父さんがいない子もいるとか言ってあまり参加しなかった。当時変にカッコつけていた。
 今は、余命がよくてあと10年ぐらいでは孫(女子2人、男子1人)の行く末を見届けられないこともあり、孫が無事に成人するのを願う。毎週のごとく娘と孫息子が土曜に来るが、帰れば、無事に嫁ぎ先に戻ったか心配する。年老いて軟弱になったのか。それとも、ようやく人間らしくなったのであろうか。
 孫に甘い世の祖父母と大差なく、孫息子に私もまあまあ、あまあまだ。妻のように絵本を読んであげたりママゴト遊びの相手はできず、パソコンでアンパンマンやプラレールの動画を見せてあげるだけ。もっぱらお菓子で歓心を買おうとする。
 孫息子は祖母(我妻)の隔世遺伝か食べることが好きで食べるのも速い。その孫息子がお腹にいるとき通常2本ある臍帯動脈が1本しかないことが判明。詳しい先生に診断してもらうまでの3週間娘と妻は心配したらしい(1本でも大丈夫との診断後妻は私に事後報告した)。それの影響か、男の子としては2,600g台と小さく、あまり泣きもせず大人しかった。娘は看護婦さんに母乳をたくさん飲ませてと言われていた。
 「小さく産んで大きく育て」なのだが、3歳半の時の検診では22㎏もあり、肥満と判定され娘はショックを受ける。家族に太った人がいるかと問われ娘は妻の名を挙げた(化粧を落とした妻が似ていると思ったので、私がいつもの調子で「あのー、ぼる塾の田辺さんですか?」とからかうと、あにはからんや「まぁねー」と返って来ず、「そんなに体重ない!」と妻に切れられた)。
 孫息子は、重たくかつやんちゃでさらに駄々っ子ぶりが加わり、手に負えない。娘は孫を連れて毎週土曜ヘトヘトの疲れを癒しに実家に戻ってくる。実家、嫁ぎ先とも周りが皆甘い中、(一人っ子の予定で)厳しく躾けようとするのはよいが懸命過ぎて強弱がなく、そんな娘を私は鬼ママと呼ぶ。が、孫息子には、(心根が優し過ぎる)鬼ママが怖い顔しても「そんな顔しないでよ!」ともう見透かされている。
 私が鬼ママの目を盗んで孫息子にお菓子をあげようとすると「なんてことするのよ!」と鬼ママに怒鳴られる。非は私にあるが、息子たちと違い、どうして娘は父親にあんなに偉そうに言うのか。もっとも、言葉使いに違いはあろうが、タメ口で言いたいことを言うのは、庶民の名家でも皇族でも同じようではあるが。
 鬼ママはコスメに縁のない小娘の頃から私に偉そうに言っていた(いまだに広い世の数多いる大人の中で私に対してだけだが)。1998年当時娘は中学1年生。寝惚け眼で食卓に着きボーとしている娘に2、3言声を掛けると娘がキィーッ!と口答えし目が覚めるのが平日の朝のルーティンであった。

 4回目の年男と言うことは48歳。人生の折り返し点を越えているが、まだまだ食欲も性欲も働き盛りであった。私は男の原動力は男性ホルモンと思っているが、その頃はまだ男性ホルモンが枯渇し出しているという認識はなかった。
 その頃は、お腹が空くと不機嫌になり、私は何と下等動物なのかと自嘲していた(今はそんなこともなくなった)。毎月グルメ雑誌『大人の週末』を購読し興味ある店に一人で訪問し良ければ妻を同伴して再訪していた。いつの間にか、購読しなくなり、結婚記念日、誕生日以外は、妻とカラオケか映画鑑賞の折回転寿司屋に寄るぐらいになってしまった。
 当時土日は私が料理していた。仕事からの気分転換になっていたのだろう。今では面倒くさいと思うフライ、お好み焼き、ハンバーグなど子供たちも好む料理を手作りしていた。
 今は、朝は妻が作ってくれる。昼は私が自分の分だけ作り、夜は妻の分も一緒に私が作る(妻は次男の分を作るので、食べるために生きている?妻は結局2料理食べることになり、思いと裏腹に体重が減ることがない)。それで、「ポチ犬」から(居間で妻にへばりついていたところを目にした娘が鳥肌をさすりながらそう呼んで以来)「ナメクジ」に格下げされた私ではあるが、「粗大ゴミ」扱いを受けずに済んでいる。
 世の主婦は「自分の分だけだと作る気がしない」と言うが、毎昼だとその気持ちが私もよく理解できる今日この頃である。
 性欲は、生殖に関係してか生殖期間が過ぎれば、落ちてくる。助平(今や死語か)な私は男性ホルモンが湧きいづる大学生の頃興味のない講義では10分に一度はあらぬ妄想をめぐらしていた。男性ホルモンに支配されていた頃が今は懐かしい。
 女性にも性欲があるが、それは女性ホルモンが関係していると思っていたが、それは間違い。女性の性欲も男性ホルモンによるもの。ただ、私のように常時10分に一度というようなことは起きない。起きるなら、ゾンビ並みに「逃げるが勝ち」と男から忌避されよう。
 女性も男性ホルモンが分泌され、男性にも女性ホルモンがある。そのバランスが違うだけか。「閉経」(男性の場合の「へいけい」は「閉茎」と書くか。明確なエポックがある女性と違い、男性の時期は不明確かつ個人差が大きいが)を過ぎ、更年期から老齢期に移ると、女性ホルモンのエストロゲンの分泌が極端に少なくなり、それまで男性に多かった生活習慣病にも女性が罹りやすくなると言われる。

 それだけではなく、「オッサン」化していないか。逆に男性ホルモンが枯渇した男性は「オバハン」化しているのでは。
 我が家においても、今は妻がマウントを取っている。妻と一緒にスーパーに行けば、「これ持って!」と言われる。外では「お持ちになって」だろうと言うと、「アンタにはもったいなくて、言えない」と言い捨てられて、おしまい。

 私は結婚から41年にして妻に手をかけたのは一度きり(妻が長男を妊娠しているとき実家の犬が死んだことにオイオイと余りにも泣きじゃくるので、お腹の子にさわると左利きの私が右手で妻の頬を一回張っただけ)。妻は注意されたことしか覚えていないが。今私が突然死すれば、検視官はDVを疑うことだろう(妻が読めば、「よくも人聞きの悪いことを」と怒りまた私を抓るだろう。腕に新しい勲章が加わることになる)。
 
 私は神戸高校在籍中高校近くの交差点で信号無視したとき、お巡りさんに呼び止められ「神高の生徒が信号無視していいのか」と叱られた。信号を守らねばと思うより、そのように見られているのか、それにふさわしい生き方をしなければと思った。それが原点となった。高校ではもっと相応しい生徒がいたのに、面白半分に学級委員長にされ、社会人になれば公共性の高い銀行に就職し、一時期組合専従となる。1994年に非営利法人に転身する。私の半生では常に「公」を意識して生きてきた(お釣りが多い時でも違うと即告げる。それが私のささやかなプライドだ)。
 その反動なのか、生来もあるのか、「私」では、だらしない。妻に甘える。ふざけてばかりで、まったく良いところがない(10年前前立腺がんが判明した時そう家族に思われたまま逝くのはと思い本ブログを連載し始めた次第)。
 妻は私の「公」の顔を知らない(「口で損している」と言うから少しは理解しているか)。妻が愛想を尽かさなかったのは、ひとえに妻の(出来の悪い子供に対するような)母性によるものだろう。
 私は公人の評価は「公」の面ですべきだと思っている。公人であるが国会議員を聖人君子と思っている人はいないだろう。フランスでは問題ならない「浮気」で(失望するのは理解するも)議員辞職まで求めるべきではない。「風俗」に通う議員がいても、それでストレスが解消され国益に適う仕事がバリバリできるなら、私にはないタフネスぶりは個人の性癖で済ませばよいのでは。

 浮気も風俗通いも家族との「私」の問題であり、国民との「公」の問題ではない(TPOをわきまえないと議員としての資質を問われるが)と思っている。
 私が週刊新潮の毎号真っ先に読むコラム『変見自在』で著者の高山正之氏が何度かマッカーサーの内面を揶揄する。昨年の号でも、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ったときチビッテいたと書いた。敗戦後の日本人にとって恩人なのに。全権を持つマッカーサーは、天皇制を存続させた(加えてソ連の進駐を許さず日本が分割統治されずに済んだ)。“チキン”なればこそ、天皇制を廃止すれば日本人が一斉蜂起することを恐れた。頭の悪い鬼軍曹のような司令官であれば天皇を戦犯に処したかもしれないのだ。
 マッカーサーがトップのGHQが日本に、日本人になしたことを批判するのは、一面的であれ何であれ構わない。高山氏の朝日新聞のトップや記者に対する多くの批判も「公」に対してのものであり、朝日が明確に姿勢を変えるにつながるなら良いと思うが。
 私は若い頃から「公」を意識してきたと書いたが、銀行の新宿支店長時代までは、自分自身に問いかけ、自らに求めてきた。が、アラフォーの証券部長として銀行の危機に直面したあたりから、経営陣に矛先を向け批判するようになった(その時は無意識であったが、今考えれば、自身が及ぼす影響など良きにつけ悪しきにつけ微々たるもの。トップの失政は大勢を不幸にする。そんな当たり前のことを悟ったのだ。不倒神話の銀行が潰れるのかとの恐怖心によって)。
 43歳で非営利法人に転身してからも事務局長の分際で権利を享受しても義務を果たさないような「私」が強く出た理事たちを公然と批判した。問題となり、私自身も傷つくが。卒職した今は国のトップら権力者を本ブログで批判している(琵琶湖に一粒の塩を投げ入れるようなものでしかないが)。
 トランプ前大統領や小泉元首相等ポピュリストの権力者は低所得者層からも熱烈な歓迎を受けるが、低所得者層の為に何かをなすことはほとんどない。米国への従属に安住し国家観を亡失し、利権と権力争いに明け暮れる党人派の首相が続く中で、欧米の小選挙区制や二大政党制をマネし、新自由主義に飲み込まれ、その結果政治の劣化と経済の世界的地位の低下・貧富格差の拡大を招いた。

 国・国民に奉仕することを志し官僚となり、さらに政治家になった官僚派の首相が絶えて久しいが、今一度知性と教養に裏付けされた「国家観」と「公共性」を備えた官僚派首相が登場し(その前に議員歳費目当ての議員や志のない世襲議員を減らし官僚出身の議員を増やす必要があるが)日本のよき独自性と誇りを取り戻し日本を立て直すべきだと思う。その過渡期として党人派ながら宏池会の首相が位置すると思っている。
 

 

2022.3 NO.167 こうせんい VS こうせん
 この7月には参議院議員選挙が行われる。昨年の衆議院選挙は岸田新政権への信認が問われたが、実質自民党が勝利し、岸田政権は離陸に成功した。
 立憲民主党は選挙を政権選択の選挙と位置付けたが、結果として、立憲民主党の代表選択の選挙となってしまった。
 とりわけ、立憲民主党の名物女将のような辻元清美議員が落選したのは痛かった(参院比例に擁立と昨日報じられた)。辻元議員を応援していた元文科事務次官の前川喜平氏はよほど悔しかったのか、11/3午後4:33「政治家には言えないから僕が言うが、日本の有権者はかなり愚かだ。」とツイートする。それに対して橋下徹弁護士が、日本維新の会の議員に投票した有権者が揶揄されたと怒ったのか、前川氏と前から因縁があるからか、同日午後9:58 「元官僚にはこの手の勘違い野郎が多い。自分の考えこそが絶対に正しいと信じて疑わない。古賀茂明も」と反撃ツイートした(とばっちりを受けた古賀氏は大人の対応をとったみたいだが)。
 「軽佻浮薄」が似合う私は、ツイッターへの誘惑に駆られるが、やらない。便利なだけに感情に赴くまますぐにツイートすればボロが出る。とくにほろ酔い気分では。前川氏にとってストリートファイトは自身の土俵ではない。しかるべき場で理路整然と「論じる」べきだ。
 著名人のツイートはネット上から消せない。ツイートするなら、時間をあけて(夜であれば下書き保存し朝見直してから)発信すべき(怒りが収まりツイートを思い止まることもある)だろう。
 

 ともあれ、立憲民主党の代表が変わった。来る参院選において旋風が沸き起こる気配を感じないが、参院選は善戦してもらいたい。私の希望は、宏池会の岸田政権が存続する。半面、憲法改正が参議院でも発議できるようになるほど改憲勢力の議員数が増えないことなのだ。

 参院選を乗り切れば、岸田政権は安定飛行に入りシートベルトを外すことができる。岸田首相は宏池会の領袖として清和会とは違う差配できるようになるハズ。新自由主義から脱却し貧富格差の是正に向かうと思いたい。なぜか(前2、3政権の弱みを知るのか)岸田首相肝入りの「デジタル田園都市国家構想実現会議」の委員に名を連ねる竹中平蔵氏が恥ずかしげもなく「私は新自由主義ではない」と言っているのを見ても。
 一方国防面では、岸田首相は、「敵基地攻撃能力の保有」に言及し、改憲も3年以内にとの意向を示す。安倍元首相とスタンスが変わらないのは意外。日本共産党は宏池会の岸田首相をハトの羽をつけたタカと警戒する。今の共産党は一見「天皇制の容認、護憲、対中国は外交」と日本で一番のハト派に映る(佐藤優氏は「騙されるな!」と警鐘を鳴らす。党名を変更できるかが踏み絵となるか)。
 「敵基地攻撃能力の保有」の議論を主導しているのも宏池会の小野寺五典議員であり、安倍派所属と勘違いしてしまう。

 「敵基地攻撃能力」も手段であり、目的ではない。目的は何なのか。日本は平和国家を標榜し戦後70年以上自衛隊が敵を殺したこともなければ、自衛隊員が戦闘で死んだ者はいないのでは。他国は、領空侵犯されたら、警告しても応じなければ撃ち落とす。1983年9月に大韓航空のボーイング747が、ソ連(現ロシア)の領空を侵犯し、民間機なのにソ連の戦闘機に撃墜された。2015年11月今度はロシア空軍の戦闘爆撃機がトルコ・シリア国境付近でトルコ軍に撃墜された。そんな世界の常識の中で、日本は、領空・領海を侵犯されても攻撃することはない。憲法第9条があっても個別的自衛権は認められているのに、自制してきた。
 今回敵基地攻撃保有の検討は、拳闘に喩えると、試合でディフェンス重視のスパーリングのごとく相手の攻撃を避けるだけで、殴られても殴り返さない。しかし、1分の休みが終わると、突然相手コーナーに走って詰め寄り猛然と殴りかかるようなものだ。何でそうなるの!?
 今議論すべきは、「反撃」を躊躇するか否か、どの程度までの反撃能力が可能か、の段階であるハズ。それを一気に飛び越えて、敵基地攻撃を検討するという。先にサイバー攻撃を受けると反撃できなくなるとの問題は理解できるが、それにしても飛躍し過ぎていないか。

 自衛隊出身の“ヒゲの隊長”こと佐藤正久自民党議員が言うのならまだ理解できる。問題は、外務省OBの言動だ。敵基地攻撃能力の保有に関して批判する佐藤優氏の週刊東洋経済の2020年8月1日号「勇ましいことを言う人が愛国者とは限らない 敵基地攻撃能力をめぐる自民党の危険なアプローチ」によれば、「谷内氏が敵基地攻撃能力保有に関して、公の場で前向きの発言をし、それが新聞に報じられたことによってこれまでと位相が変わることになった。」と憂慮する。元外務次官矢内正太郎氏と言えば、2015年の暴露本『外務省 犯罪黒書』(講談社エディトリアル)を佐藤氏が上梓した当時外務省で唯一と言わんばかりに真っ当な人物と佐藤氏が評していた人物だ。その影響もあるのか、「外交」を専門とする外務省OBで「越えぬ一線はない」と言っていた、宮家邦彦氏が一線を越えてしまったのか。昨年末のBSフジの情報番組で森本敏氏と一緒になって敵基地攻撃は矛ではなく盾の延長線だ。抑止力になるというようなことを言っていた(賢者と評されていた二人がまやかしみたいなことを言うのかと愕然とした)。
 手段である「敵基地攻撃能力」は目的かのようにクローズアップされるのはなぜか。日本に何が起きているのか。
 素人ながら我思うに、核の時代に、核を持たない日本が敵基地攻撃を言い出すのはおかしくないか。仮想敵国が核兵器を保有し、サーバー攻撃を含め軍事力、それを支える経済力に彼我の差がある相手国ならなおさらに。核保有国同士であれば通常兵器による局地戦はありうる。ということは、台湾有事を想定し、米国が日本に後方支援ではなく先兵になれと強要してきているということなのか。まさか日本が進んで先兵になることを志願しているのではあるまいな。
 憲法を改正し、敵基地攻撃を可能とし、自衛隊を「殺す軍隊」にしてはならない。前々号NO.165「あおVSあか(1)(2)」にて「平和大三元論」で述べたように、米中対立に対しては、戦争が起きないよう両国に対して外交努力する。日米同盟を保持(卒婚の形になろうとも籍は抜かない)する一方中国とも良好な隣国関係を維持し米中二大強国による新冷戦体制を堅持することが、日本の自主独立に繋がる国益に適うものであり、(米国のポチ犬でなく、中国に媚びず臆せず)毅然とした日本が米中双方から頼りにされることが、生きる道なのだ。
 外務省の役割は、米中開戦の引き金になる台湾への武力攻撃を中国が自制するよう働きかけること。「人民解放軍が沖縄等日本にある米軍基地を攻撃した場合日本は後方支援ではなく米軍と一緒に攻撃することにならざるをえないが、それは望まない」と日本側の立場を理解してもらうことだ。

 憲法改正も、手段であり、目的ではない。改憲勢力は何のために改憲を急ぐのか。自衛隊の明記に意味があるとは思えない。緊急事態条項などあり得ない。憲法はそもそも権力者を縛る為にある。万能の杖みたいなものを権力者に与えてどうするのか。百歩譲って、議論の俎上に載せてよいのは、①賢者たる権力者が②最善を尽くしても③どうにもならない、場合であろう。

 権力者が賢者ならまだしも、そうでないなら、緊急事態条項は「ナントカに刃物」になりかねない。たとえ、対象を限定しても拡大解釈、何でもありの恐れがある。国民に認めさせた権力者が悪用しなくても後から悪用する権力者が出るかもしれない。ヒトラーのように。
 その他、改憲に積極的な政党の改憲案を見ると、国民民主党では国会運営における問題現象に鑑み、「臨時国会の召集期限の明確化」「内閣による衆議院解散権の制限」も挙げている。首相が賢者であればこんなことは問題にならない。銀行の内規に「お金を盗むな」、警察の規則に「罪を犯すな」とは書いてない(皇室典範は行動規範に触れていない。「国民からの批判に反論してはならない」と書かれていない。皇室は、国民の模範にはなれど、批判されるようなことはしない、国民から敬仰される崇高な立場との前提に立つ)。当たり前の事を憲法に明記することは国民投票でも(溜息をついたとしても)反対者は少ないだろう。
 このような観点からすれば、私も一つ提案したい。「首相任期の制限」を憲法に組み入れることを。米国においても、「アメリカ合衆国憲法修正第22条」で大統領の任期を定めている。「2期8年。最大でも引き継ぎの任期を含めて3期10年未満となる」(たとえ現職大統領が自身の任期を延長しようと憲法を改正しても、改正が適用されるのは次の大統領からになるので意味がないという)との制限を設けている。
 戦後一時期を除いて、自民党総裁=内閣総理大臣(総理)となっている。総裁任期を延長すれば自動的に総理の任期も延長されてしまう。
 総裁任期は1978年以降2期4年が長らく続いた。が、小泉首相の時2期6年となり、安倍首相の時3期9年(持病があること自体は揶揄してはいけない。だが、権力者は絶対に秘密にするハズの、車で病院に入るところをメディアに撮らせ、持病を表向きの理由にして辞任した。逃げたとしか思えない。それがなければ4期もあったかも)に変更された。
 政界、財界を問わず、賢者ほど早く後進に道を譲ろうとし、周りから続投を求められても固辞する。賢者でない者の方が、権力に長くしがみつこうとし、国や会社を傾城させる。
 西側の代表制民主主義(間接民主主義)による二大政党制がうまく機能しているとは言えず、中国一党独裁の共産党内での厳しい競争に勝ち抜いた政治エリートたちによる政治運営システム(自民党一党が政権を独占し、総裁2期4年が順守され、中選挙区制の下での派閥間の切磋琢磨・競争があった全盛期の自民党に似る)が、ある意味評価の見直しもされているとき、当の習近平国家主席が任期制限を撤廃し終身国家主席(権威主義による独裁)を目指している。習国家主席は賢者とは思えない。
 自民党が劣化し、自浄作用が期待されないのであれば、憲法で縛るしかない。賢者を前提にして首相の任期に触れていない憲法に首相の任期に関し明文化する必要がある(政権が野党に移っても長期政権となって行けば同じ問題が起こりうる)。

 これに関連して、自民党総裁選においても私は問題があると思っている。総裁選に国会議員だけではなく党員・党友に参加をさせる。党友は、会費を払う以外、国会議員と接点のない私のような一庶民とどう違うのか。総裁が総理に直結していなければ、党友の特典にしようが何をしようが自民党の勝手。事実上総裁=総理であるなら、総裁選の中で総裁を選ぶ方式と総理候補を選ぶ方式とを分けるべきだと思う(役割分担からの総理・総裁分離案の方が理に適っているが、過去浮上しては消えているのであれば)。
 次期総裁(自民党のトップ)を選ぶのは、今までどおり党員・党友を入れてもいい。決戦投票で国会議員に限るのは物理的・時間的制約があるためだろう。決戦投票はしなくてよい。
 総理(国のトップ)は本来政党に関係なく衆参両院で各々国会議員の指名投票にて選出されるが、国会議員が所属の党首等に投票するのが実情なら、投票する前から自民党総裁が総理になることが決まっている。だからと言って、党員・党友も入れて自民党の自由なやり方で決めてよいとは思わない。代表制民主主義の理念からしても自民党内で総理候補(新総裁も立候補可)を選ぶときは国会議員だけに限定すべきだと思うが、どうか。
 この選出方式で前回の総裁選が行われていれば、事前調査で人気の高かった河野太郎議員が総裁に、岸田文雄議員が総理に、なった可能性もある。これには河野新総理誕生を憂慮した私も文句はない。
 河野議員を支持したネット民らは、国民からの投票により首相を直接選出する「首相公選制」に「こうせんかい!」と主張する。が、若者は、政治への関心が低く、批判的思考や政治参加の訓練も受けていない。しかも昨年度より高校の「学習指導要領」で「現代社会」が廃止され、「基本的人権の保障」と「国民主権」が削除されている。国民は政治的にますます愚民にされていくと言っても過言ではない。このような政治的民度が低い状態では、首相公選制が現実味を帯びることはない(一方、国民が制度の正体、問題点に気付き辞退率が2/3を超える裁判員制度は廃止を検討すべきなのに、逆に、どさくさに紛れて裁判員の対象年齢を「18歳以上」に引き下げ(飲酒・喫煙は20歳以上のままにして)、殺人事件等重大犯罪事案を来年から18歳の高校生にも担わせる。戦争末期の学徒動員を思い起こさせる。反省もなく同じことを繰り返すのかと後世に嗤われないよう、全体主義を目指した?前政権の負の残滓を岸田政権は早期に取り除くべきだ)。

 3年以内にと言う岸田首相も憲法改正をレガシーとしたいのか。自民党の改憲4項目に第9条2項の改正が入っていない。国民や連立を組む公明党が望まないと思うからか。それとも安保法制で事足りる。あるいは、緊急事態条項が認められたら何とでもなると考えているのか(ただ、それだと、第9条2項の改正論議を伴わない敵基地攻撃能力保有の検討は軍事予算拡大への単なる口実とも見れるか)。
 自民党の改憲の本命は、緊急事態条項であろう。新型コロナウイルスに対する失政への批判を逆手にとり、天災等への緊急対応として国民に理解を求めていくだろう。それを国民民主党が加勢する(野党も同調するのならと国民が判断を誤ることが懸念される)。
 昨12月のBSフジのプライムニュース(テーマ:憲法審査会)で新藤義孝自民党憲法改正実現本部事務総長から「敗戦直後の日本国憲法制定時日本政府は緊急政令制度を主張したがGHQに完全拒否された。」との主旨の発言があった。GHQは天災等の対応に資するだけと思えば反対などしない。問題の本質を見抜いていたと見るべき。認めれば、民主主義に転換させても全体主義に逆戻りすることをGHQは危惧し、“完全拒否”したのであろう。
 国民投票においては、緊急事態条項だけではなく、首相が賢者であれば不要な上記改憲項目もいくつか並べ、(各々可否を問うが)緊急事態条項への国民の警戒心を解かせるかも。
 憲法にないと人を助けられないと言う政治家は、勉強部屋がないと勉強できないと言う子供と変わらない。頑として緊急事態条項には賛成してはならない。

2022.2 NO.166 そう VS そう 
 日本女子ゴルフツアーに先駆け1/20(米時間)より米女子ツアーの2022シーズンが開幕する。
 昨年は、大谷翔平選手が二刀流でMVPとなりMBLを席巻したが、ゴルフ界も、男女・プロアマの日本人プレーヤーが世界で旋風を巻き起こしたと言える。4月アマの梶谷翼選手がオーガスタ・ナショナル女子アマチュア選手権で優勝。翌週同じオーガスタで開催されるメジャー大会マスターズにおいて、松山英樹選手が、東京五輪で妹の阿部詩選手が金メダルに輝いたのを力として兄一二三選手が金メダルを獲得したごとく、悲願の初優勝(アジア人初)を遂げた。6月笹生優花選手が畑岡奈紗選手とプレーオフの末女子ゴルフ最高峰・全米女子オープンを制した。8月の東京五輪で稲見萌寧選手が銀メダルに輝いた。

 11月にはアマチュア世界ランク1位の中島啓太選手がマスターズの出場権が懸かった「アジア太平洋アマチュア選手権」に優勝した。さらに「アジアパシフィック女子アマチュア選手権」で橋本美月選手が優勝した。アマ女子のオーガスタでの優勝で始まり、最後アマ男子・女子のオーガスタへの出場権を得て、躍進の1年が終わる(日系4世のコリン・モリカワ選手も7月の全英オープンや欧州最終戦にも勝ち、米国勢初にてヨーロピアンツアーのポイント制年間王者となる)。
  
 日本人初のゴルフ五輪メダリストとなった稲見選手には日本女子ゴルフ協会(JLPGA)からも報奨金(10百万円)が出された。いわゆるボーナスが支給されるのは私も喜ばしいと思う。だが、5年シード権(プロゴルファーとしての生活権と言えるか)が与えられるとの報道には驚いた。8/10付け日刊スポーツは大会前からの規定通り(公表されたか?)と報じたが、複数年の特典シードはJLPGAツアーでの公式戦優勝者や賞金女王等に与えられるものではないのか。ネット上の「2020-21JLPGAツアー出場有資格者」を見る限り五輪のメダルなど対象に挙がっていないのでは。臨時理事会で決定したのか。スジが違うと他の女子選手からは異論はなかったのだろうか(もっとも稲見選手は日本女子プロ選手権優勝と賞金女王とで、「公式競技で優勝し、かつ当該年度JLPGAツアー終了時点の賞金ランキング第1位の者」に該当し、正々堂々と5年シード権を勝ち得た。実質銀メダルの5年シード権を有名無実とした)。
 ともあれ、女子選手の五輪に対する見方が変わってくるかもしれない。東京五輪の女子ゴルフをテレビで観戦した渋野日向子選手は、「3年後のパリ五輪は出たいな」と言ったという。今の渋野選手では、口で言うほどパリ五輪の出場は容易ではない。昨年末時点での世界ランクは37位(2019年のJLPGAツアー4勝、全英女子オープン優勝のポイントは全て消滅)。それに対して畑岡選手は6位。笹生選手は8位。                                  
 日本女子ツアーの顔となった稲見選手は、MLBの大谷翔平選手に似て、浮いた話もなくオフもゴルフ漬け。ストイック及び完璧主義かつ頭もよくブレない。その稲見選手が銀メダルリストになった直後ではパリ五輪は難しいと言っていた。五輪はメジャー大会等と違って10位以内なら次回の出場権が与えられる訳ではない。稲見選手が永久シードを目標に主戦場とする日本女子ツアーの世界ランクを決めるポイントは米ツアーより低い。その中で日本選手の中で世界ランク上位2名に入ることは簡単でないことを稲見選手は理解している。パリ五輪では、畑岡奈紗選手と共に米ツアーで活躍する笹生選手(東京五輪では比国代表)が日本国籍にて出場してくるので、なおさらに(ただ、世界ランク15位以内なら4名出場できる。古江彩佳選手は14位。稲見選手も16位と枠内に接近してきた)。
 もっとも、2024パリ五輪での出場選手が確定するのは2024年6月末あたりなので、該当する世界ランクの順位は、今年2022年7月からの2年間での平均ポイント(104週の獲得ポイントを出場試合数で割る)が問題となる。つまり、今7月より皆同じゼロからのスタートとなる。 

 4年に一度の五輪と違い、毎年開催されるメジャー大会。2021年8月の全英女子オープン(以下「全英女子」)開催前において、女子の5大メジャーの優勝者を見ると、現役選手の中では、メジャー3勝以上しているのは、韓国朴仁妃選手(7勝)と台湾ヤニツェン選手(5勝)の2人しかいなかった。
 2勝は多くいる。世界ランク2位の韓国コ・ジンヨン選手、同ユ・ソヨン選手、同申ジエ選手、同チョン・インジ選手、同パク・ソンヒヨン選手、泰国(タイ)アリヤ・ジュタヌガーン選手、新国(ニュージーランド)リディア・コ選手、米国クリスティ・カー選手、同ブリタニー・リンシコム選手、同ステーシー・ルイス選手。そして典国(スェーデン)アンナ・ノルドクビスト選手。
 凄い顔ぶれで2勝できるなら直ぐに3勝もと思うが、どういう訳か2勝目から3勝目が遠い。それもあってか、2019年8月全英女子オープンの渋野選手優勝以降、メジャー大会においては、すべてメジャー初優勝者(2020年ANA韓国イ・ミリム選手→全米女子プロ同キム・セヨン選手→全米女子オープン同キム・アリム選手→エビアン中止→全英女子独国ソフィア・ポポフ選手。2021年ANA泰国パティ・タバタナキット選手→全米女子オープン笹生優花選手→全米女子プロ米国ネリー・コルダ選手→エビアン豪国ミンジ―・リー選手)が続いていた。
 しかし、2021年最後のメジャー全英女子において、ノルドクビスト選手が優勝したことにより、メジャー初優勝者の流れが途切れるとともにノルドクビスト選手自身が4年ぶり3度目のメジャー優勝となった。
 
  メジャーに挑む主要な日本人選手に言及すると、2021全英女子を勝てば本人が夢と言う世界ランク1位に近づくと笹生選手に期待を寄せたが、首から肩にかけての痛みが出て本来の実力が発揮できなかった。今シーズンはメジャーでなくてもよいので早く1勝を挙げてもらいたい。       2019年全米女子オープンを制した韓国イ・ジョンウン6選手はその後2年間1勝も挙げられなかったが、メジャー2勝目の絶好の機会が訪れた。昨年のエビアンにて第2ラウンドで10アンダーを叩き出し、2位に5打差をつけて最終日を迎えた。楽勝かと思われたが、何としても勝たねばとのプレッシャーからか7打差あったミンジー・リー選手とプレーオフになってしまい負けしてしまった。笹生選手は確固たる自信がありメンタルも強いと思うのではあるが。
  渋野選手は、昨年10月2年ぶりに国内で優勝(年間2勝)した。物議を醸したスイング改造について、賛成派は改造スイングが板に付いてきたと見、反対派の目には少し元に戻して(ティアップするドライバーはともかくセカンドが左足下がりでは改造スインクではまともに当たらない)復調したのではと映る。
  渋野選手の日本ツアーでの「おもしろいゴルフ」が米本土ツアーで通用するか。渋野選手はメジャーという大舞台で強い。が、昨年の全英女子で一時トップに立ったが長く続かなかった。本人はメンタルが弱いと言っていたが、ド素人の私が僭越ながら、「心」の問題と言うより、「コースマネジメント」の問題ではないかと思っている(ご本人も国内最終戦終了後の日刊スポーツのインタビューで、「バカなりにいろいろ考えながら、やっている感じです。マネジメントを考えながらですかね」と答えている)。
  全英女子の初日ポットバンカーに掴まったボールをユーティリティのクラブで打とうとし解説者が疑問を口にしていた。素人の私でも「えっ!?」と驚いた。案の定球は前壁の低いところに直撃しあらぬ方向のラフに落ちた。そこからピンそばにナイスショットしパーで切り抜けた。面白いゴルフではあるが、その時渋野選手は、起死回生のショットに満足したのか。それともバンカーで無謀とも言える選択をしたことを反省したのであろうか。当時そのことが気になっていた。
 あの畑岡選手でもキャディーと二人三脚で戦っている。コーチをつけないにしても、小姓のようにキャディーを引き連れるのではなく、マネジメント面をアドバイスしてくれるベテラン(英語も話せる)キャディーを採用してもらいたいと思う(イ・ボミ選手も2年連続国内賞金女王になった時優勝請負人清水重憲キャディーと二人三脚)。
  プロ転向時に「5年以内にメジャータイトルを取る」と誓いを立てていた畑岡選手は、その期限がくる先般の全英女子においても奮闘するも優勝争いに絡むことができなかった。
 メジャーを勝てる実力があるのになかなか勝てないのが不思議と言われた、米ツアー12勝の韓国キム・セヨン選手は2015年から米ツアーに参戦し6年目の2020年全米女子プロに勝利した。同じく2015年から本格参戦し5勝を挙げていた豪国ミンジ―・リー選手も7年目の2021年にようやくエビアンでメジャー優勝した。
 畑岡選手もこれからだ。昨年2勝し通算5勝となった(最終戦も優勝争いを演じた)。2019年渋野選手が優勝した全英女子で2位となり、2021年の全米女子プロと全英女子との両方で2位となった、メジャー大会で力を発揮する米国リゼット・サラス選手とどちらが先に花嫁介添人から花嫁になるか(メジャー初優勝を飾るか)、競ってもらいたいものだ。
 古江選手はヨーロッパの大会で通用することが証明された。全英女子は最終日ラスト2ホールで崩れたが、上位争いしていた。その前のエビアンでは4位となり、来年の出場権を取得した。

 ただ、153㎝の古江選手が155㎝の宮里藍さんが活躍した時代と違いより飛距離と高弾道を要する米本土の大会を主とする米ツアーに転戦するとは思わなかった。選手層が厚く「1位じゃないとダメ」という古江選手がメジャー大会でなくても優勝するのは容易でないと思うのだが。爺の性(さが)で心配が先に立つが、本人は“日本の朴仁妃”になる自信があるのか。
  10/17のプレーオフにて昨年ようやく1勝(その後連勝し年間3勝)を挙げたとき「もう勝てないかもと思っていた」と言い涙を見せた翌日米ツアーの最終予選会を受けるとの報道には爺の私の頭は○×△となった。決断は締切の10/12以前とはいえ、「出場資格があるということで急に家族と話し合い」というその程度の気持と準備で大丈夫か。それは煙に巻いた発言で、緊張するハズの米ツアー最終予選会でのプレー態度を観ても、可愛らしい見かけとは違いずっと男前で大物なのかもしれない。
 ともあれ、仏国7月開催のエビアンは、全英女子のようにリンクスで強い風が吹く、雨が降ると気温が下がり飛距離が落ち、難しくなるということも少ない。日本人選手にとってメジャーの優勝カップに一番手が届きやすいと思う。30勝以上での永久シード入りを具体的な目標(前季9勝しており、生涯目標ではなく数年のうちに達成してしまう勢い)とし、穴のない無双状態のゴルフを目指す稲見選手や世界ランク38位で出場資格のある西郷真央選手も挑戦してもらいたい。西村優菜選手(43位)、小祝さくら選手(62位)も早く世界ランク40位以内(全米女子オープンは75位内が出場資格)に入って。
  今季から日本のシード権もメルセデス・ランキングのみで争われることになった。メルセデス・ランキングにはメジャーの成績も含まれることもメジャー挑戦への後押しとなるだろう。

 米ツアーへの転戦は、渋野選手でも反対するぐらい、よほどの日本選手(笹生選手のように条件が揃っていなければ、日本で優勝を重ね世界ランク15位以内が一つの目安になるか)でないと私は賛成しない。とくに優勝争いが目的なら。しかし、日本ツアーに居ながらメジャーに挑戦するのは声高にエールを送りたい。

 果たして、2022シーズンの世界の女子プロの勢力図はどうなるのだろうか。
 現女王の朴仁妃選手(1988年生れ)は唯一「メジャー生涯4大グランドスラム+リオ金メダル」を達成し、史上最年少でゴルフ殿堂入りしている。五輪連覇の夢が散った今、グランドスラム達成後メジャーに昇格したエビアン(メジャー昇格前には優勝している)に勝ちメジャー完全制覇が現役続行のただ一つのモチベーションなのかもしれない。一年下で元世界ランク1位の中国フォン・シャンシャン選手は引退が囁かれている。全英女子を2度制覇している申ジエ選手(1988年生れ)は、今は日本ツアーに専念している。全英女子勝利でメジャー3勝となったノルドクビスト選手(1987年生れ)はこの中では最年長にあたる。花の命は短いが、女子ゴルフ選手の旬も短くなっている。35歳が壁となるのか。
 100週を超えて世界ランク1位の座にあったコ・ジンヨン選手は、レジェンドの典国アニカ・ソレンタム選手(メジャー10勝、米ツアー72勝)や墨国(メキシコ)ロレーナ・オチョア選手(世界ランク1位158週で断トツ)のようなずば抜けた存在になるかと思われた。が、2019年にANAとエビアンの2メジャーを制した以降2年間メジャー優勝がないこともあり、2021年6月全米プロ優勝のネリ―・コルダ選手に世界ランク1位の座を明け渡した。
 ただ、コ・ジンヨン選手は、祖母の死から立ち直ったのか、奮起したのか、抜かれて以降メジャーでない大会に4勝を挙げ、その間休んでいる?ようなネリ―選手を抜き返し世界ランク1位に返り咲いた。が、直にまたネリ―選手が抜き返した。ただ、高額の最終戦に勝ち(年間5勝)、コ・ジンヨン選手は3年連続の賞金女王となった。
  今季も亀のコ・ジンヨン選手がコツコツと勝利を積み重ねていくのか。それとも、兎に喩えられる、東京五輪で金メダルにも輝いたネリ―選手がさらにメジャーの勝ち星を増やし「一強時代」を築き、新女王と呼ばれることになるのか。
  世界ランク1位のネリ―選手(1998年生れ)、2位のコ・ジンヨン選手(1995年生れ)以外にも、3位のリディア・コ選手(1997年生れ)、同6位の畑岡選手(1999年生れ)やパワーヒッターの、レキシー・トンプソン選手(1995年生れ)、アリヤ選手 (1995年生れ)、タバタナキット選手(1999年生れ)等有力選手が目白押しで、20世紀最終世代(1991年~2000年)が主導権を握ってもおかしくない。
 それに対して、笹生選手(2001年生れ)を筆頭に、昨年のエビアンで優勝争いを演じた、韓国系米国人のイエリミ・ノー選手(2001年生れ)、天才女子ゴルファーと呼ばれ欧州ツアーの昨年女王で今季から米ツアーに本格参戦する泰国アッタヤ・ティテイクル選手(2003年生れ、来月19歳)、同じく泰国の175cmの長身で“ミス・300ヤード”と呼ばれるアマのナタクリッタ・ボンタビーラップ選手(2002年生れ)、アマながら2021全米女子オープンの初日トップの米国ミーガン・ガンヌ選手(2003年生れ)等21世紀初頭世代(2001年~)が台頭してくるか。20世紀最終世代と21世紀初頭世代との間で繰り広げられる戦国時代になることもなしとしないか。

2022.1 NO.165 VS あ(2)

 妻の日本は、ゴージャスに装うのを夢見るのではなく、泥まみれの足元を何とかすべき。敵基地攻撃などとカラ吠えしても、中国に「吠える犬は噛まない」と言われるだけ。無駄吠えしない土佐犬になり、目の前の中国海警局の船舶の尖閣諸島への領海侵犯に対して毅然な態度をとることだ。その為の防衛体制強化が最優先だろう。
  米中対立に対しては、戦争が起きないよう両国に対して外交努力する。米中戦争で当事国以外では日本と台湾とが被害を被る。新冷戦体制を維持することが、日本の役割であり、米中双方から頼りにされることが、生きる道なのだ。米国への従属に疑問を感じなくなった日本人からは二股外交と誹られようが。

 今般の安倍元首相の「中国が台湾に武力攻撃すれば日米同盟の有事になる」との発言は、岸田政権の特使として蔡英文総統に日本の決意を伝えるのならともかく、台湾のフォーラムで公言しては中国を刺激し硬化させるだけ。挑発する意図はないと言いながら、思いとどまらせるよう直接中国に働きかけるのではなく、中国が最も嫌がる形では、挑発以外の何物でもない。日本のタカ派は拍手喝采だろうが。岸田首相は、事前に聞いていないなら「余計なことしないで!」と釘を刺すべきだ。
  米国が北京冬季五輪で「外交的ボイコット」する。その主因となる新疆ウイグルの人権問題は、見方を変えれば、イスラム教派と無宗教の中国共産党の問題(異教徒のキリスト教圏よりもイスラム教圏が問題解決を図るべきとも言える)。後述するように日本は宗教問題では中立の立場をとるべきである。日本としても「人権問題」への発信はすべきだが、必ずしも欧米と歩調を合わせる必要はない。米国にすぐ追従することはしない岸田首相はさすが宏池会の領袖だ。

 米国は、対中国に対して「覇権」の競争相手と言うが、通商取引を止める訳ではない。デカップリングはハイテク分野のみでは。  日本も、米国の妻とはいえ、夫以外の男と交友することは操を破ることと思う必要はない。 欧米と違い日本にとって中国はお隣さん。体を求めてこなければ(安全保障問題に触らなければ)少しぐらい夫にやきもちを焼かせてもよい。

 しかし、「夫を差し置いて」と米国のトランプ大統領が激怒したと言われるように、愛人になったと公言するような(延ばし延ばしになっている安倍政権からの宿題)習近平国家主席を国賓として招聘するのは、止めた方がよい。中国女子テニス選手の人権問題(中国通の遠藤誉女史による現状認識は、習国家主席の超高齢な元高官任命にかかる責任問題とならぬよう、告発女子選手にとって悪い話ではない?生涯厚遇する代わりに沈黙させる、監禁ではなく軟禁状態)も浮上し世界が批判を強めている折わざわざ欧米の神経を逆なでする必要もない。

 

 今後の日本の生きる道での、もう一つのスタンスは、同じ小国としてアジアの諸国の幹事役(世話役)になること。戦前の大東亜共栄圏での盟主として結局欧米の植民地支配と変わらないことをするのではなく、真にアジアの諸国の信頼を得ると言うことだ。
 そのためには何と言っても、大国のエゴに対して核兵器廃絶に向けて旗幟を鮮明にすることだ。それでないと日本は信用されない。
  国連の存在と同じく、核の軍縮は、戦勝国(米、露、中、英、仏)体制を維持するためのもの。戦後から喜寿を迎えるというのに。その中で日本が核を持つ国と持たない国を仲介するのは、持たない国からの理解は得られない。銃乱射で子を殺された親が、銃規制派と銃規制反対派との間を仲立ちするようなものだ。それを見て規制派は首を傾げるだろう。
  肉食動物は、他種を殺して食べるが、覇権争いで相手を殺すことはしない。同種を絶滅させる真似はしない。原爆で同種を絶滅させる殺人兵器を持つ人間は地球上で最も愚かな動物。
  杉山晋輔前駐米大使がBSフジの番組で核兵器禁止条約の参加に反対していた。佐藤優氏の『外務省犯罪黒書』(講談社エディトリアル)で杉山氏が特記されていたが、なるほど!と思うほど外務事務次官経験者としては藪中三十二氏、斎木昭隆氏らと比して異質と感じた。筑駒OBなら天才肌かもしれないが、岸田首相、林外相とは合わないと思いたいが。
 本ブログ2018年2月号NO.85(「いしばVSいしばし」)で、「9月の総裁選に出馬するのなら、核兵器禁止条約不参加決定の折決然と閣外に去り、広島選出の国会議員としての矜持を見せつけるべきだったと思う。」と岸田外相を批判した(2017年3月外相として核兵器禁止条約不参加を表明。2018年9月の総裁選には結局出馬しなかった)。当時外務省OBの天木直人氏に「政治家としての信念がなく、総理大臣にふさわしい器ではない」と酷評されていたが、首相となってからではなく、総裁選に向けて豹変した今の岸田首相なら言えるだろう。

 衆院選で実質勝利しても岸田政権の顔は見えないと言われる。新自由主義からの転換はそうすべきだが「新しい資本主義」とは何かよく分からない(浜矩子同大教授はアホノミクスを焼き直したアホダノミクスと看破するが)。核兵器禁止をもう一つの顔とするべきだと思う。
  同じ立場のドイツが年明け3月の核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバー参加するという。日本こそ参加すべき。米国の傘に守られているとは言え、夫の米国だけに求めるのではない。全世界に対して、唯一の被爆国として(核兵器廃絶は、通常兵器でも圧倒的地位にある米国にとって一概に不利益とは言えない。核軍縮には核の数で米国と伍すまで心配な中国は応じない)。その代わり、同盟国が反対する、バイデン大統領の「核の先制不使用」への反対を取り下げるのだ。米国は圧倒的な核兵器数とミサイル防衛システムを持ち横綱相撲で戦うと言っているだけ。21世紀の米国が恐れるのは、共倒れとなる中国の核先制使用ではなく、米国の軍事力を無力化させるサイバー攻撃と生物兵器攻撃及び宇宙覇権での敗北であろう。
 岸田首相は短命政権になることを恐れてはならない。歴史は、首相在任の長さなど評価しない。何を成したかだ。
 
 一神教の対立には、中立を守る。日本人は理解できない(神風特攻隊が生への未練を無理やり押し殺し、鬼気迫って米戦艦に体当たりした、そんな日本人には、我々のイメージと少し違うが酒池肉林の神の国へ行けると信じまるで恍惚の表情で自爆する過激派イスラム兵士もアダムとイブの子孫と言う米キリスト教福音派も理解不能)。
 なぜ世界の警察力である米国が、米国がそう呼ぶ「テロ集団」をせん滅できないのか。『限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(集英社)の著者内藤正典氏は「自らを正当化し、異なる文明を征服しようとしてきた傲慢な態度とそれに対するリベンジが生み出した負の連鎖にほかならない」と喝破する。
 キリスト教社会とイスラム教社会との宗教戦争に終わりはない。互いに相手の一神教を認め棲み分けするしかないのだ。タリバンの報道官が「日本人は残って欲しい」と発言した。医師故中村哲の殺害も否定している。鵜呑みはできないにしても、十字軍に加担するのかとの悪感情を抱いたイスラム社会に対して日本の宗教的中立の立場をアピールするチャンスと言える。

 日本は、自由主義陣営の一員ではあるが、宗教対立の面にはできるだけ中立な立場をとり、アフガニスタンに対しては中村医師の遺志が永らく継がれていくをことを期待したい。
 
 東アジアの諸国に対して、中国とは違って、無償の支援を今まで以上に推進していく必要がある。とくに台湾は大切である。一番の親日派。それ以上に地政学的にも。村井友秀東京国際大学特命教授(防衛大学校名誉教授)は、「台湾は日本の外堀」と言う。大坂冬の陣の和議の後徳川側の計略か分からないが大坂城の外堀を埋めたことにより夏の陣で豊臣家は滅んだとする。
 習近平国家主席は、終身国家主席を狙って、(北京冬季五輪が終われば)台湾統一に向け在任中に軍事行動を起こすかもと見られている。台湾本土を攻撃すれば、さすがに米国は金融制裁だけではなく、軍事行動を起こすだろう(台湾が制圧されれば、次に日本が攻略される。そうなれば、米国は最強覇権国の座から滑り落ちていく)。
 台湾を舞台に米中戦争になれば、最初は中国が圧倒していても朝鮮戦争と同じくAUKUSを中心とする連合国が巻き返す(愛国心が強い米兵士に対して、国ではなく共産党を守る近衛兵のような人民解放軍兵士にどれだけ愛国心があるかは不透明)ことが予想される。
  米国の金融システムを凌駕する、人民元を基軸通貨として大中華圏の金融システムを構築できる(2019年4月の外国為替取引高のうちドルを一方の取引とする取引は88%。人民元は4%。中国が世界一の経済大国になるのが2030年だとして、中国人民元が米ドルから基軸通貨の地位を奪うのはそれから半世紀後だろう。本号の(1)で上述の著者杉田氏はそう言う。それで中国は違う土俵である「デジタル人民元」を急いでいる)までは、全体主義でしかも中華独尊の中国に先進国で与する国も現れない。ロシアも静観するか。台湾本土を攻撃し米国と全面戦争するのは当面避けるのではないか。
 村井教授は、台湾本土ではなく、金門島(もしくは馬祖島)を占拠するのではと言う。それだけでも毛沢東もなし得なかった偉業と人民にアピールできるとする。米国にとっては中国に近すぎる島で有益性がないからバイデン政権は黙認するかもしれない。
 それはオバマ大統領の戦略的忍耐を踏襲するのと同じだろう。ナチスに宥和政策をとった英首相チェンバレンの二の舞になるかも。ポーランド侵攻をヒトラーに許してしまうことになったように、米国を弱腰として見て習国家主席による台湾本土攻略が起こってしまうかもしれない。習国家主席は、漢族による「漢」「明」に続く、中華民族による第3帝国を目指している。21世紀のヒトラーと見るべきなのだ。
 妻の日本は、夫の米国に寝間でこう囁く。「金門島の支配を許してはいけません。米国に居る北戴河会議メンバーの長老の家族を人質にし、資産を凍結すると警告すべき」と。一方中国に対しては「夫は、本気で金融制裁を考えている」と自重を説得するのだ。台湾を守る為には、それぐらいの立ち回りは厭うべきではない。
 「2049年建国100周年に世界を征服する」とのヒトラーのような習国家主席の野望を内外からの圧力により、断念させるか、失脚させる。米中二大強国が並存する、いわゆる新冷戦体制を維持させるよう日本は率先して外交(武器を持たない戦争)努力すべきだ。

  今の「習近平VS蔡英文」の対立関係が続く間は、台湾人としてのアイデンティティが揺らくことは、あり得ない。ただ、外省人だけでなく内省人も漢族中心。新型コロナの第1波を見事に抑え込んだのも、中国に100万人の台湾人がいていち早く真実が知り得たこともあるという。22歳まで日本人で親日派であった台湾総統李登輝でさえ日本人から見れば理解しかねる動きがあったとする。
  この世に不滅なものはあるのか。親日台湾も同じだろう。台湾の人々が「喜んで日本の外堀になる」と言ってもらえるには、長男が台湾女性と結婚する前の私と同じように、台湾に無関心であってはならない。
 戦前の日本人を敬仰し今の日本人を叱咤激励してくれる、(台湾人に影響を与える)親日の偉人がいなくなる。李登輝、司馬遼太郎が“老台北”と親しみを込めて呼んだ蔡焜燦、100年の生涯を通じて台湾独立に命を捧げ蔡英文現総統の精神的支えであり、日本人に畏敬の念を持っていた史明(本名施朝暉)たちはもういない。『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』等を書いた黄文雄氏はもうすぐ83歳になる。
 日本の統治時代を知らない台湾の若者は、今の日本はよく知っている。とくに、スポーツ選手には憧れを抱いていよう。フィギュアスケートの羽生結弦選手、MBLの大谷翔平選手、ゴルフの海外メジャーを制した松山英樹選手、渋野日向子選手たちは台湾人の若者の心を掴む。
 一方、日本の政界人を敬仰してくれていると思うか。新型コロナウイルスの第1波封じ込めに成功したことで、「台湾の奇跡」と世界中から称賛を浴びた台湾。その中心人物が、不眠不休で働く姿から「鉄人部長」と呼ばれる陳時中衛生福利部長(日本の厚労大臣)。後藤新平の「衛生」に対する「志」「想い」を受け継ぐのは、日本の政界人ではなく、台湾総督児玉源太郎の片腕民生長官として台湾の「衛生」に尽力した後藤に今も感謝の念を持つ台湾の政界人なのだ。私腹を肥やさず、全身全霊にて公共のために働こうという気概には戦前の日本教育が今も息づいている。陳部長に加え、蔡総統、オードリ・タンIT大臣に国民が信頼を寄せ、国民の心が一つになっている。
 それに引き替え、日本は、水際対策に失敗し、風邪、インフルエンザと同じではないが新型コロナ(感染力を高める変異を繰り返しても、強毒化はしていない。強毒化は自己矛盾)を必要以上に怖い感染症として医療体制を狭め、厚労省は権益拡充を、政権はマスクやGoToトラベルキャンペーン等コロナ利権に利用しようとしたとしか思えない。その裏で、弱い立場の国民が瀕死状態になるのに手をこまねいている。否、切り捨てている。

 私にそう見えるなら、中国への従属を拒否する台湾の人々の方がよりそうだと思うだろう。もはや米国への従属に安住する日本から学ぶものは何もないと思われてしまうのかもしれない。

 
  新型コロナ禍は、我々に再認識させた。国のトップには(未知な事に対しても理解が速く問題の本質を見抜ける)「知性と教養」に裏付けされた「国家観」と「公共性」が不可欠であることを。
  戦後吉田茂を初め岸信介、池田勇人、佐藤栄作等官僚派と呼ばれる官僚出身の首相が続いた。ところが非官僚出身の党人派と呼ばれる田中角栄が首相になった後(田中自身は不世出の大政治家ではあるが)それが節目になったのか、福田赳夫、大平正芳、中曾根康弘に続き、宮沢喜一を最後に官僚派の出身の首相がいない。学者肌で「東大法学部にあらずんば人にあらず」との態度を隠さない宮沢を見て、自民党内に官僚派アレルギーができたのがダメ押しになったかもしれないが、官僚派中曽根から党人派で消費税を導入することになる竹下登に首相が代わる1987年の時点で官僚派は終わっているのかもしれない。
 これ以上、党人派の、党利、私欲(権力欲、利権)で政治を動かす首相が続くと日本が沈没するとの危機感は官僚たちにあるのか。日本を憂い、政権を託せる政治家を官僚たちが選び、支えるという使命感と気概のある官僚はいなくなったのか。
  キャリア官僚ともあろう者が官邸の下僕に成り下がるのを良しとする(自浄能力を無くしたような官庁もある)なら、旧朝鮮時代の両班のような特権を享受すべきではない。返上すべき。
  ただ、党人派とはいえ、保守本流を自認する宏池会の(天下の開成高校出身の)岸田首相に続き衆議院に鞍替えし総理・総裁候補の資格ができた宏池会NO.2林芳正外相、さらに(人格がうんぬんされているが)旧竹下派の新領袖茂木敏充幹事長など賢いトップが続けば官僚との関係は修復されていくのでは。心服させるのではなく人事権を盾に恫喝まがいで官僚を抑えつける、誤った「政治主導」が是正される中で、官僚の本分の発揮に期待したい。

2022.1 NO.165 VS あ(1)
 本日12月8日をもってハワイ真珠湾の奇襲で火蓋が切られた日米開戦の80周年を迎える。敗戦後なぜあんな無謀な戦争してしまったのかと反省してきた。しかし、時が経ち、戦争を体験した人たちがほとんどいなくなる中で、狂人・フランクリン・ルーズベルト大統領が仕組んだ罠であり、仕方がなかったという見方が出てくる。モンロー主義をとる米国が英国を助け、民主主義を守る為に参戦するには日本からの先制攻撃を必要とした(そうだとしても、ルーズベルトが対日経済制裁に舵を切るのは日中戦争の契機となる1937年盧溝橋事件の後であり、真珠湾攻撃の誘因とも言える1941年8月の石油の対日全面禁輸は、1940年9月の日独伊3国同盟の後。日本がルーズベルトを参戦する方向にもって行ったともいえる)。
 そういう側面があったとして、日本がルーズベルトの思惑を事前に理解していたなら、戦争は避けられたのか。否、軍部はさらにいきり立ち、その軍部を「神国不敗神話」に酔いメディアにも煽られた国民がより焚きつけたことになっただけではないのか。
 軍人は、戦争屋、戦争するのが仕事。戦争するか、しないか。戦争を回避すると言ったら、「それでも軍人か、漢か!?」と嗤われる。陸軍においても、東條英機と対立していた石原莞爾は日米開戦に反対していたが、それは時期尚早ということで最終戦争では米国と戦争することを想定していた。関東軍は、1939年ノモンハン事件での大敗でソ連との軍事力における彼我の差を痛感するも、自制・自重するのではなく生物兵器開発に走った。行き着く所に行くまで止まらない、ブレーキの壊れた自動車と同じだ。
  皇道派の相沢三郎に斬殺された統制派の永田鉄山が生きておれば、日米戦争はなかったと言う人がいるが、永田が戦争をしないと言えば今度は統制派の手により結局同じ運命を辿ったのではと思う。時代は東條英機を欲していたのだ。
 海軍においても首相米内光政や連合艦隊司令長官山本五十六などは日米開戦に反対していた。しかし、1940年近衛文麿首相から問われた際、山本は「ぜひやれと言われれば半年や1年の間は暴れてご覧にいれるが、2年、3年となればまったく確信は持てない」と山本は答えたという。軍人だから、極力回避願いたいと言えても、絶対無理と答えられない(そんな答えを聞けば、昭和天皇とともに日米開戦に反対していたハズの近衛は優柔不断な性格から日露戦争の成功事例が頭に浮かび、彼我の軍事力に大きな差があっても短期決戦で早期講和に持ち込めると思ってしまうかも)。首相まで上り詰めた米内光政は、自身は日米開戦に反対であったが海軍の下士官まで意思統一することはしなかったと言われる。戦争回避に舵をとる米内内閣も、軍部大臣現職武官制により、陸軍に潰された。
  軍部の意向に沿わなければ大臣を引き上げ内閣を総辞職に追い込む。軍部が政治を牛耳るキッカケを作った軍部大臣現職武官制が復活するのが私の尊敬する一人広田弘毅が首相の時というは皮肉以外の何物でもない。

 敗戦後戦争屋の軍部(他国から見れば自衛隊は軍隊)の暴走、政治への関与を防ぐべくシビリアンコントロールが徹底されてきた。ところが最近になってシビリアンコントロールが崩れたと見られる“事件”が起こった。突然イージスアショアを断念すると発表された(二階幹事長が聞いていないと激怒したのは、演技ではないだろう)。河野太郎防衛大臣のスタンドプレーは目に余るが、無用の長物なら仕方がない。しかし、それなら米国が激怒するハズだが、それが報道される気配がない。別の防御手段を米国からの購入するのかと思ったら、敵基地攻撃に替える?というから驚いた。それなら米国が怒らないのも頷けるか。
 制服組の自衛隊幹部OBも驚愕していた。一体だれがそんなことを考えたのか。自衛隊の背広組と自民党の国防族議員なのか。戦争を知らない、戦争になっても自ら銃剣を持たない者たちなのか。元官房長官後藤田正晴が生きていたら絶対許さなかっただろう。生前「二度と戦争はしてはいけない」と言い続け、日本の先行きを憂慮しながら亡くなった元幹事長野中広務は空の上から歯ぎしりしていることだろう。
 岸田首相が敵基地攻撃に言及しているのは本気ではないと思いたい。軍事力、サーバー攻撃、AI面で米中に大幅に遅れをとっているのを無視しては、東條英機と変わらなくなる。
  先月の下旬BSフジのプライムニュースで暗澹たる気持ちになった。良識あると思っていた外務省OB二人から、敵基地攻撃とは何か、70年以上専守防衛しかしていない上での問題点、憲法第9条とのからみなど論じ、敵基地攻撃に対する慎重論が聴けると思ったが、そうではなかった。変節したのか? 

 補正予算で(米国から)ミサイル等を買う理由に敵基地攻撃を挙げているようにしか聞こえてこなかった。防衛するより攻撃する方が安く済む。矛ではなく盾の延長先だ。抑止力になると言う。

 仮想敵国中国が攻撃を躊躇するようになると言わんばかりだが、それでは戦前の軍部と同じで自身に都合の良い見方ではないか。日清戦争等の屈辱を晴らさずにおくものかとする中国を刺激しさらに軍拡に走らせるだけかもしれない。中国との軍拡競争に日本は勝てると思うのか。

 一方、戦争の悲惨さ、軍部上層部の愚かさ、無責任さを教えてくれた作家故半藤一利はもういない。故立花隆も鬼籍に入った。「帰納的な、実証主義的な歴史検証を行い、それによって得た教訓を次世代に伝えていく」ことを使命とする保阪正康氏(戦争の生き証人がいなくなる上、責任の所在を明らかにしない日本の悪弊により歴史的資料が散逸・消滅することを恐れている)も今月82歳になる。

 今回の衆院選で日本維新が躍進し、国防族議員を中心として憲法改正も推し進めるようとするだろう。高校の先輩故白洲次郎が日本国憲法を米国から押し付けられたと悔し涙を流したと伝えられている。
 日本は戦争に負けて連合軍の代表米国に支配されたが、奴隷扱いされず、表面上は米国の妻となった。本ブログ2015年9月号NO.51(「けんかんろんVSちんかんろん」)でこう書いた。「占領したのは米国だった。・・(略)・・パンパンと呼ばれた女性たちに盾になっていただいた面もあるが、米国でまだ助かった。占領したのがソ連や中国であれば、黄文雄氏は『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』(2011年5月発刊)を書く気が起こらなかったことだろう。」と。そう書いた時ソ連がそこまでしたとは思っていなかった。山本健氏の『ヨーロッパ冷戦史』(ちくま新書)によれば、ソ連の占領地区におけるソ連兵の女性への強姦は200万人に及ぶとも言われる。ナチスの蛮行に対するリベンジレイプという側面で済ませられるレベルではない(高山正之氏は週刊新潮で「降伏したベルリンで10万人の女を犯し2万人を孕ませた」と書く)。
 それに比べれば、日本の夫米国は紳士的ではあるが、当時の政治家は、敗戦時の人々の想いを胸に秘め、自民党の党是に憲法改正を掲げた。
 女郎に身をやつしても「身を売っても心は売らぬ」の心意気ではないが、首相吉田茂は、1950年の朝鮮戦争前後夫の米国から働きに出てもいい(再軍備)と言われたが、家事に専念し家を守る(専守防衛・軽武装)と夫の言いなりにはならなかった。岸信介は自立したいがまだその時期ではないと60年安保に舵を切った。田中角栄は自立しようとしていると夫に思われ、酷い目に遭わされた。
 夫婦の関係というものは、最初妻は、夫をご主人様扱いするが、年を追うにつれ力関係が変わっていき、夫が妻に頭が上がらなくなっていく。我々庶民だけではなく、大企業の社長でも恐妻家は珍しくないだろう。
 ところが、日本という米国の妻は、まったく逆行してしまっている。最初は強く出ていたが、田中角栄が失脚させされたあたりから、夫を恐れ、三つ指ついて、三歩下がって、ご主人さまに言われるままについて行くようになってしまったのではないか。
 「レーガンVS中曽根」のロン・ヤスと呼び合うのを手始めに、共和党の大統領とは、「ブッシュS小泉」「トランプVS安倍」、個人的な信頼関係を築くが、国同士でみれば米国から武器等米国からの要求をそのまま受け入れる朝貢国に成り下がったと言えないか。
 白洲たちが後世に託したのはそんなことではない。早く真の独立国になって、相応しい憲法を作って欲しいということだろう。自衛隊の肩身が狭いから、憲法に自衛隊を明記する、そんな「仏作って、魂入れず」のような憲法改正が自民党の党是に適う訳ないであろう。

 新型コロナ禍での改憲主張の本丸は「緊急事態条項」なのか。全体主義国家に回帰する為にと思ったが、憲法学者木村草太氏は「コロナの失政を憲法のせいにするな」と喝破していた。

  「憲法改正ありき」ではなく、米中の狭間における日本の進むべき方向を決め、その方策を国民に示したその後から、憲法を改正するのだ。

 今の自民党及び政権をすし職人に譬えれば、こうだ。自身の店を持ち屋号を復活させて欲しいとの親の遺言を胸に修行に励んでいたハズの雇われすし職人が、難しいとすっかり諦めてしまい、親方の命ずることだけして後は自分が楽しければそれでよいと自堕落に生きている。でも、親の遺志は忘れた訳ではないとのフリをしているのと同じ、と言っては言い過ぎか。

 幸い宏池会の岸田首相に代わった。すぐに清和会が作った流れを変えるのは難しいかもしれないが、変えてくれると思いたい。

  たしかに、核を持たない、持てない日本が、米国と婚姻を解消することは難しい。横田基地に居たことのあるスノーデンが日米同盟を破棄すれば日本のインフラは麻痺すると警告もしている。しかし、籍は抜かないが、妻がより自由に生きていける「卒婚」があるではないか。今の米中対立はそのチャンス到来と言えるかもしれない。
  聖徳太子(厩戸皇子)が607年遣隋使小野妹子を通じて隋の皇帝に渡した親書で「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」で隋の皇帝が激怒したと言われる。今では日の没するとの文言よりも、日本も天子と表現していることに怒りを発したと見られている。東夷の分際で対等の態度に立腹した。それでも日本に手を下すことはなかった。
  皇帝煬帝は、当時隋と高句麗(今の北朝鮮近辺) とが交戦状態にあり、日本が高句麗に与することを警戒した。聖徳太子は、身のほど知らずではなく、その情勢を読んだ上でのことだとする。それから約80年後日本は属国の証「国王」を使わず「天皇」と名乗るようになる。
 
  以前から日本の生きる道として、私はこれまで何度か戯言として「平和大三元論」を述べてきた。米国が發牌(あお)。中国は中牌(あか)。發3牌も中3牌もそれだけは一番安い1翻(イーハン:1,000点)役にしかならない。しかし、發3牌、中3牌に白牌(しろ)3牌が合わされば、役満(32,000点)となる。その白牌の役割を担うのが、今後の日本の進むべき道であり、生きる道ではないかと思っている。
 その為には、二つのスタンスで臨むべき。一つは、米中の間を仲立ちすること。「あお」と「あか」が交じって「むらさき」になれば、「しろ」の日本の存在価値はなくなる。日本は「うすむらさき」になる運命(布施明さんは「うす紫のシクラメンほど 淋しいものはない」と唄う)。

 「両雄並び立たず」で米中の覇権争いが激化していくのではなく、両雄が並存する、いわゆる新冷戦状態が続くのが望ましい。
 2016年に日本で翻訳・発刊された『中国軍を駆逐せよ! ゴースト・フリート出撃す』(上・下:二見文庫)では2026年に中国軍が真珠湾を攻撃しハワイを統治下置く。中国のサイバー攻撃でハイテク機器が使えない米軍が反撃していくフィクション。その中で、日米同盟には触れられず、日本が中立国になっているのが興味深い。中国は日本と中立条約を結んでいるのだ(P238)。
 中国としては死ぬ気で抵抗する日本(敗北したとたん従順になるが、元々憧れていた米国の場合のようにはいかない)と事を構えるより中立国にしておいた方がという作家の見立てか。  

 米国にしても日本がポチ犬なら捨てても本当の動物ではないので動物愛護団体からクレームは来ない。米国が捨てないとすると、強い日本が中国に味方すると困ると思うことだ。

 そう思われるよう日本は両大国に対して毅然たる態度と気概を見せつけることだ。そうできる政治家が日本のトップにならなければならない(トップがポチ犬だと官邸・官僚全体がポチ犬化する。ポチ犬のトップは下にもポチ犬になることを要求するから)。
 
  自衛隊出身の政治家がBS番組でクアッド(日米豪印4ヶ国戦略対話)をアジア版NATOにする構想を持ち掛けていたと記憶しているが、印大使はやんわり拒否していたと思う。核保有国同士の中印は国境付近の小競り合いはあっても核戦争には発展しない。インドは中国主導の「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」設立に参加し、中国は最大の出資国でありインドは最大の投融資先であるという関係でもある。中国に対するけん制の意味からもクアッドに参加するが、米国の為の戦争に加担するつもりはない。米中が勝手に戦争してくれれば漁夫の利を得られる。
 日本は、「敵基地攻撃に転換し、改憲もして、米国の攻撃に積極的に加担する」ことを考えてはいけない。吉田首相以来日本は半世紀以上経済重視及び専守防衛・軽武装を進めてきた。長年それしかしていない。ポエニ戦争でローマに滅ぼされたカルタゴのように経済大国で平和を謳歌してきた日本が戦争すればカルタゴの二の舞になる恐れが。戦争は量もさることながら最先端軍事技術を有する者が勝利することを歴史が教える。
  今後の日本の人口は急減していき今世紀末には半減すると言われており、先進国で低いとされる国民一人当たりの生産性が倍増でもしなければGDPが半減してしまう。小国に落ちぶれる。いまさら中国に対抗して軍事力の向上、軍事大国を目指すことは非現実的。小国でも米中から一目置かれるためには、軍事力よりも経済力・技術力なのだ。
  何しろ米国自身がクワッドに軍事的な同盟を望んでいない。軍事同盟としてはAUKUS(米英豪の安全保障の枠組み)に期待しているようだ。
  とはいえ、米政府は戦争をしたくない。米国民も厭戦気分。とくにトランプ大統領は軍事攻撃をとらなかったが、それは平和主義者を意味しない。米国の戦争代替手段は専ら金融制裁(「基軸通貨ドルと世界経済の動脈である米国の金融システムをフルに使う」と『アメリカの制裁外交』著者の杉田弘毅氏は述べる)とする。
  それでは軍産複合体が困るから、北朝鮮有事の後は台湾有事を煽り日本に武器等を買わせることになる。妻の日本に、「夫任せにせず自分でも守れ。最新鋭の薙刀を買えばよい」と。
  北朝鮮が脅威と言うのも、怪しい。核弾頭ミサイルを実践使用した国はない。完成しても今の段階では北朝鮮は自国から発射する。失敗したらどうなるか(それでSLBMの開発が必要になるが、その開発報道が10月になされたが、その真偽に関わらず日本に武器等を買わす米軍産複合体にとっては渡りに船)。それよりも10分で届く通常ミサイルで日本の稼働中の原発を狙う方が北朝鮮にとって現実的。10年以上前から可能なのに日本が枕高くして寝ていたのは、ひとえに日本が米国の妻だから。夫の家族(在日米軍)も日本の方々に居るからであろう。事が起これば、日本の被害はどの程度か不明だが、北朝鮮が地球上から消滅するのは明白だ。
  断りにくい夫・米国からのエスカレートする要求も憲法第9条が盾になってきた。それを安易に変えてはならない。ある対談本で、佐藤優氏が、軍隊には「殺す軍隊」と「救う軍隊」があると話していた。ならば、自衛隊は「救う軍隊」と言える。 (アフガニスタンでもまた世界から嗤われたが)紛争地の海外邦人を救出できるよう憲法第9条(2項)の改変は必要だが、「殺す軍隊」に替えるために憲法第9条を改変してはならない。
 

2021.12 臨時号 NO.164  ごのせかい VS ごのせかい (2)

  「記憶力」ではなく芸能人の「創作力」「創造力」のすごさを見せてくれるMBS『プレバト!!』は毎週楽しみにしている。学歴に関係なく、無から有を生み出す芸能人に感嘆する。
 プロ野球選手は皆天才。イチロー選手や大谷翔平選手は天才中の天才(以下「大天才」)。将棋棋士も皆天才。羽生善治永世七冠、藤井聡太三冠は大天才。同じようにTVに出ている芸能人も天才だと思っている。一芸に秀でるだけでなく色んな才能を持っているのだと感心する。
 プレバト(プレッシャーバトル)の看板、“ミスタープレバト”と自称する梅沢富美男さんは、『俳句の才能査定ランキング』の永世名人位にある。失礼ながら梅沢さんが得意とするのは女形 (私は銀行の支店長時代周年記念運動会で西宮地区の支店長たちでタカラジェンヌの仮装をした時白粉を塗れば誰でも綺麗になるものではないことを実感した) と女遊びだと思っていたが、俳句への造詣は深い。そのほかにも生け花、料理等役者一筋50余年なのに多才なのは、やはり自称300年に一人の役者ということか。
  俳句の四天王と呼ばれる他の3名のうち、梅沢さんに続いて永世名人になった東国原英夫さん、名人10段のフジモンこと藤本敏史さんは、発想力がずば抜けている。とくに、東国原さんの発想は凡人には思い浮かばない。
 名人10段のもう一人、お笑い『フルーツポンチ』の村上健志さんは元々短歌を嗜んでいたので俳句の才能もあるのだろう。もう若手と言うよりもう中堅が相応しいお笑いコンビの『ジャルジャル』(2020キングオブコント優勝)『しずる』『フルーツポンチ』は誰が誰か区別がいまだにつかないが、唯一村上さんだけは名前と顔が分かるようになった。
 「名人」や「特待生」には、お笑い兄弟コンビの千原ジュニアさん(名人8段。「消しゴムはんこ」は名人5段でトップ。「丸シールアート」「絵手紙」でも特待生)やノンスタイルの石田明さん(特待生)がいる。漫才のネタを書く人は短編のユーモア小説を書ける程の力量があってもおかしくない。国語力が高いのだろう。
 特待生の中には、私は観ていないが『東大王』で活躍していたという才色兼備の鈴木光さん(司法試験に専念でプレバトも卒業)は心の中に映った情景を季語を含む、たった十七音(文字)で表現する(『縮み志向の日本人』の得意とする)俳句の骨法(林修先生はメカニズムと表現)をすぐに理解して人並以上の俳句を紡いでいる感があった。ハーバード大卒のパックンさんや元MENSA会員俳優の岩永徹也(今月特待生から名人初段に)さんもそういうことなんだろう。
 俳句に次ぐ人気ジャンルは「水彩画」。俳句の梅沢さんがミスタープレバトなら、しずちゃんこと山﨑静代さんはプレバトの女王と言えるか。俳優の六平直政さんと並んで最高位の名人初段位にあった。そのしずちゃんがライバル視するのが、番組史上初の100点満点の評価を得た辻元舞さんである。『色鉛筆』でも一発で特待生(6?ジャンルで一発特待生)に推挙される美術の才能に溢れるだけでなく、美人モデルで、私生活では愛しい夫や子供たちに囲まれている。女の幸せを独り占めしたような“天使過ぎる母ちゃん”を、(沢田知可子さんの『会いたい』の歌詞のごとく)「半分笑って半分真顔で」シズちゃんは敵視する。それが観ていて可笑しい。
 ところが、そんな二人を横目に、最高位の名人3段に君臨したのがアンミカさんである。知らない人から見れば、関西の口うるさいオバタリアンにしか見えないかも。だが、すまして立てばパリコレのモデルとなり、喋らせれば通販の女王となる。水彩画も玄人はだし。歌も上手く、けたたましい喋り声も鶯の鳴き声となる。まさに才媛と呼ぶ相応しい。
 さらに、このアンミカさんを上回りそうな逸材が現れた。昨秋のタイトル戦で満点優勝した女優光宗薫さんその人で師範のプロに「こんな画描いてみたい」と言わしめた。すぐにアンミカさんと並び最高位・名人3段位に君臨した。さらに、お笑いコンビ『ナイツ』の土屋伸之さんも、特技は競馬予想と思っていたが、絵も玄人はだしで名人3段位に追い付く腕前である。女優田中道子さんも名人3段位となり、四天王を形成するに至る。が、それも束の間で、田中さんは4段に、光宗さんは5段となり頂点に立った。
  絵の上手な芸能人たちに触発されて、私は初心者用の水彩画セットを購入した。子供の頃から画力があるとは思っていなかったが、一度だけ、中二の頃か水彩画の絵具をたっぷりつけて油絵のごとくパリのオスマン風もどきの風景画を描いた時公民館かどこかで展示され学校の朝礼で賞状を貰ったことがあった。高校では道具を持参しなくてよい音楽を選択したので、その後一度も絵を描いたことがない。約55年ぶりに孫娘を描いてみようと思った。鉛筆で下書きしているのを妻に見られた。「なにこれ!? 止めたら」とぬかしおった。それで心が折れた。絵筆を折るどころか絵筆の封も切らないうちに。卒職して負けん気も卒業したみたいだ。

 季語の世界は四季折々の風情がある。同じ風景を見ても人の心の有り様で変わる。色とりどりだ。それでは死後の世界はどうなのか。 
 浅学非才の私はとくに宗教は不勉強で苦手。却って無知な故に無恥を感じず戯言を吐くことができる。キリスト教は「天国」があると言い、浄土真宗は「浄土」があると言う。ちなみに、イエス・キリスト自身はユダヤ教の異端教徒。パウロがイエスを救世主とするキリスト教を創った。ユダヤ教はイエスがキリスト(メシア)とは認めない。両宗教は別物。ただ、キリスト教はユダヤ教の経典である旧約聖書に新約聖書を加えて聖書としているから、ユダヤ新教と言えなくもない。

 一方、法然が起こした浄土宗の真髄を極めたのが親鸞の浄土真宗(親鸞が名付けた訳ではない)で、そのため「新宗」ではなく「真宗」。
 プロテスタントを先導したマルティン・ルター(1486年~1546年)と親鸞(1173年~1263年)はよく似ている(ルターは宣教師フロイスが『日本史』を書いた時すでに他界しているので浄土真宗のことは知らないか)。
  ルターは免罪符の発売等腐敗した教会の権威を否定し唯一の拠り所を聖書とし、神の前では皆平等とした。プロテスタントの牧師はカソリックの神父と違い妻帯できる。ルター自身も元修道女と結婚している。浄土真宗は、親鸞が妻帯しており、貧富の格差はもちろん男女の格差もなく、ただ南無阿弥陀仏を唱えるだけで浄土に行けるとした。凄いことに今から900年も前にすでに男女平等を謳っていた。
 
 東西の両宗教は、なぜ「天国」や「浄土」があると思ったのか。それは「臨死体験」が関係しているのではないか。故立花隆は『死はこわくない』(文藝春秋)で、死後の世界と思っていたことは、心停止してからも数十秒間脳活動が続きその間に見た夢(に近い現象)ではないかと言う。死後の世界は季語の世界と同じく心の中にある世界にすぎないのだ。
 「体外離脱の後、そのまま心はトンネルを抜けてまばゆい光に包まれた世界に移動して、美しい花畑で家族や友人に出会ったり、超越的な存在<神>に出会ったりする」のを死後の世界と過去から思い込んできた。洋の東西を問わず同じような夢を見るのは不思議なことではない。男児が皆電車や車のおもちゃが好きで、女児が人形を抱きたがる。爺婆が孫に甘いのは古今東西共通だ。人類は遡れば皆東アフリカの各一人のイブとアダムに辿りつくのであるから。
 封建社会において貧しい身の上の者はそこから抜け出すことができないが、浄土に行けることを希望として南無阿弥陀仏を唱えながら苦難の中を懸命に生きようとした。
 そんな皆が貧しい時代に比べて今の貧しさに苦しむ人はある意味もっと不幸だ。信者はともかく、話のアヤであの世を語ることがあっても、あの世が実在するとは思っていない人がほとんどだろう。国から見放され、たった2千円の負担でふるさと納税の答礼品をかき集める富裕層に「自業自得」と見下されば、まさにこの世は生き地獄。絶望死しかなくなる。
 天才宰相田中角栄は、貧しい身の上から事業を興し成功した。そして貧しい人が皆幸せになれるよう政治家になる。権力の亡者に見えてもその志を終生忘れることはなかった。
 恵まれた議員の世襲を悪いとは断定しない。しかし、角栄のような感性や志を持たない二世議員、三世議員が多くないか。「なに?」世襲議員でない前首相だって変わらないてか。そうであるなら、どうしたものか。とりあえず新首相が誕生し、衆院選で国民に信任されたのだから三世議員ながら期待してみるか。

 それでダメなら、国会議員も国家資格を設けては。中国の旧科挙制度は、世襲を廃し実力主義とした。日本の、法曹も司法試験があり、官僚も国家公務員総合職試験などがある。「国家権力」を行使する総理を初め国会議員も同じ国家公務員であり、国家試験を合格した者が選挙に立候補できるとすればどうか。議員歳費目当ての者、能力や志の低い者等排除できる。が、人材が偏るとの異論もあるか。とりあえず衆議院に限ってはどうか。

 それも素人の戯言と退けるなら、議員定数を減らすしかないか。そう言えば、イタリアは国民投票で議員定数を3分の1削減している。

2021.12 臨時号 NO.164  ごのせかい VS ごのせかい (1)
  私はテレビっ子でTVをよく観ていたと本ブログ2019年7月臨時号NO.117(「テレビVSトレビ」)に書いた。それから2年以上経過した。今はその時より地上波のTVを観なくなった。
 新型コロナウイルス禍において日本は世界に比べて大したことがない(五輪中止へと日本で大騒ぎの最中にも拘らず、世界の200を超える国々からアスリート・関係者たちが来日した)。新型インフルエンザと大差ないと分かってもTV局の報道姿勢がいつまでも変わらないのに嫌気が差し、朝・昼の情報番組はどの局もほとんど観なくなった。
 外出しない時は、昼は本を読み、夜はテレビを観て過ごしたいのだが、いい番組が少ない。いきおいBSの報道番組を観ることになる。地上波で毎週のごとく視聴するのは、テレ朝の水曜19時からの『あいつ今何してる?』(残念ながらレギュラー放送は終了。今後は単発番組に)、テレ東の月曜20時からの『世界!ニッポン行きたい人応援団』、MBS木曜19時からの『プレバト!!』ぐらいか。
 『あいつ今何してる?』で一番印象深く覚えているのは、昨年3月25日の3時間スペシャル。恋多き故志村けんだが、結婚してもよい人は母親に紹介していたという。その最初の女性と破局した理由を聞きたいと35年ぶりに再会した。志村に他に好きな人が出来ただけだったのだが、志村は忘れていたのではなく彼女に言わせることにより罪滅ぼしとしたかったのでは。虫の知らせで逝くのを知っていたかのように。5日後訃報に接したときは本当に驚いた(志村自身は放送を観ていない。人工心肺ですでに意識はなかった)。
 同日のホラン千秋さんの高校の同級生の話も印象的だった。母子家庭で母親が癌に侵され、進学校でひとり大学に行けずアルバイトをしながら母親の看病をしていた。その甲斐もなく母の死後は一念発起して猛勉強し奨学金の出る米ベレア大学に合格する。そこを首席で卒業しイリノイ大学の大学院で脳科学の研究員となる。そして今はハーバード大学からの誘いを受け関連病院で認知症を研究しているという。まさにアメリカンドリームの実現だ。同じ境遇にある若者に勇気を与えるし、境遇のせいにして努力を怠る者に喝を入れてくれる。
 政権が交代した今、小泉政権から続く「裕福な者はより裕福に、貧しい者はより貧しく」のような政治から脱却するとともにアメリカに行かなくてもDream come trueが可能な社会を実現してほしいと切に願う。
 『世界!ニッポン行きたい人応援団』は日本文化や伝統技術を深く愛しているが日本に来る経済的余裕がない人を招待する番組。来日を機に人生が大きく開けた外国人もいる。
 受け入れる日本の職人たちだけではなく、番組スタッフも来日した外国人に対する眼差しが温かいのが素敵だ。皇室外交ほどではないにしろ世界に日本ファンを増やすのに貢献していると思う。今は新型コロナ禍で収録が難しいようだが、長寿番組になることを期待したい。

 地上波では予算緊縮、思考停止でクイズ番組が花盛り(クイズ番組が好きな人も多いのも確かなのだろうが)。東大生や高学歴の芸能人が、最も得意とする土俵、答えのある世界で、記憶力等を争う。しかも生ぬるいクイズバラエティー番組には興味も湧かない。杉田水脈議員がクイズ番組を「生産性がない!」と言えば、私は賛同してあげたのに。答えのある世界なら現段階のAIが最も得意とする。囲碁や将棋のようにAIとクイズで勝負するなら別だが。
 高学歴にやっかみを覚えている訳ではない。「記憶力」ではなく「創作力」「創造力」に対しては素直にリスペクトしている。
 一昨年の我が母校神戸高校同窓会東京支部の会合でのこと。現在の東京支部長は、私より一つ年上の20回生で京大法学部を1973年卒業し旧自治省(戦前大蔵省を凌ぐ巨大官庁内務省が敗戦後GHQに解体されるがその本流を受け継ぐ。当時大蔵省、警察庁と並ぶ一流官庁。現在旧郵政省等と合体し総務省。菅前首相の長男等の接待問題は旧郵政省がらみ)に入省したキャリア官僚OBの平谷英明氏。政治家タイプが多い大蔵官僚と違い、自治官僚はまじめで地味だが、平谷氏もそのタイプと見受けた。その平谷氏が会合の席でコピー用紙よるA5版レジュメを参加者に配布した。題名は『人生を二度生きる~鈴木紀代さんの話』。神戸高校の大先輩(10回生。高校1年生の時には60年安保闘争で亡くなった樺美智子が3年生でいたハズ)で作詞家の鈴木紀代さんの半生を綴っている。鈴木紀代(本名清)さんは就職試験の面接時にご主人に見初められ結婚した。ご主人とロンドンに赴任した時、ビートルズを聴いているうちに演歌を思い出したことから祖国愛に目覚め、作詞家の道を歩むことになる。歌手長山洋子さんのヒット曲『捨てられて』『じょんから女節』を始め、北島三郎さんなど多数の歌手に歌詞を提供している。
 その平谷氏の文章を読んでいるうち、「なかなか書き馴れているな」「アレ! 格調も高いぞ!?」と少し驚いた。文を読み終え最後の平谷氏の名前の下に「日本作家クラブ会員」と書かれていた。なるほど!(能ある鷹が少し爪を見せたか)と私は唸った。
 それより前に、私は、2015年の秋本ブログの50号までを非売本にまとめた際本同窓会で配布することを考えていた。内容よりも費用の面で断念した。家族・親戚以外同期生、知人らに贈っただけ(高校時代のマドンナにも贈ったが50年経っても私を覚えていてくれたことが分かり、何より嬉しく思った)。同窓会で配布しなくてよかった。配布していたら恥をかいたことだろう。

2021.12  NO.163 しんぼうろう VS しんぼうろう

 長引いていた眞子様の結婚問題に一応決着がついた。本号では10/26の小室夫妻の結婚会見に触れることにする。

 小室氏が開口一番「私は眞子さんを愛しております」と発言したことに賛否が分かれた。私は、結婚前ならおかしくないが、結婚報告の時に言うのには違和感を覚える。プロ入りした野球選手が入団挨拶で「野球が好きです」とは言わない。聞かなくとも皆わかる。プロになったのだから。

 小室氏は、皇族ブランドの利用が結婚の目的かとの国民からの声なき声に反論したまで。本当は「私は勝ったぞ!」と勝利宣言したかったのではないか。小室眞子さんは一方的かつ結婚を反対した国民に対し挑発するかのごとく、自己主張された。明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏が会見は「やらない方がよかった」と述べた。皆そう思ったかも。

 眞子さんは、数時間前まで皇女であったことを忘れたごとく、心配している国民、心配と迷惑をかけた上皇・上皇后陛下、天皇・皇后陛下等に対して言及がなく、自身の心を守るために結婚したとしか言わない。

 「この質問は、誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問であると思います。このような質問に会場で口頭でお答えすることを想像すると、恐怖心が再燃し心の傷が更に広がりそうで、口頭で質問にお答えすることは不可能であると思いました。」には、国民に納得してもらい祝福されたいとの気持ちが感じられない。日本雑誌協会の質問はめでたい席には不適ではあるがこの機会でしかできない。「誤った情報」という根拠も示さず、病気を理由に回答を拒否する。誠実に質問に応えることはなかった。

 さらに「既にお話しした通り、圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めてもらいました。」には、驚きを越えて・・・。圭さんを庇ったのかもしれないが、皇室が民事に介入するタブーを犯したと正々堂々と発言されるとは。

 会見後批判が殺到するのはやむを得ないと思うが、この結婚会見に関する「Yahoo!ニュース」でコメント欄が閉鎖された。AIが判断したとするから恣意的ではないと言いたいのかもしれないが、その判断基準は人間が決めるのではないか。外圧か忖度か知らないが、真っ当な批判も誹謗中傷と一緒に葬るのは「言論の自由」に対する弾圧と変わらない。「権威」に関しての今回の件が先例となり、「権力」もこれに続くなら、中国型監視社会に日本もなってしまう。

 

 前世で何かあったかと思うほど食わず嫌いの辛坊治郎氏の10/26 東スポWEBにおける下記発言を観て、ジャーナリストの魂を太平洋の海底に沈めたのかと思った。

 「辛坊治郎氏『週刊誌やネットの書き込みを信じる連中がいかにアホか』 眞子さん結婚会見で」と題して「辛坊氏は『会見を見ながらつくづく思う。嘘しか書かない週刊誌やネットの書き込みを信じてる連中がいかにアホかと』と2人に対する批判記事や誹謗中傷の書き込みを嘆いた。」と報じられた。

 宿願のヨット単独太平洋往復横断の偉業を達成したのであればもっと達観されるのではと思っていたのだが。辛坊氏のこの発言に「辛抱しようなぁ」と自身に言い聞かせても、やはり辛抱できない。

 嘘しか書かない週刊誌などあるのか。それは口がすべっただけと軽視しても、週刊誌とかを鵜呑みにするのをアホと言うのは構わないが(説明もなく根拠も示さない小室夫妻の言うことを真に受ける人はどうなのか)、小室夫妻を批判する人をすべてそんなアホな人と結びつけるのは、批判を誹謗中傷と同じに見なすことと同じではないか。それは言論弾圧につながると批判する立場ではないのか、辛坊氏は。我々庶民は自身で取材しない、できない。得たニュースを自分なりに吟味して判断するしかない。自身で直接見た、聞いたことしか言えないのであれば、庶民は批判などできないことになる。そういう流れは権力者の思うつぼだ(主権者の国民が誤解しているなら、誤解を解くべく国民から負託された権力者側に説明責任がある)。

 

 小室夫妻の会見は意義が少なかったが、元皇女は世間知らずで小室氏に洗脳されているのかとの危惧、「無償の援助を求める」(と見える)小室家と「無償の愛を恵む」皇女とは合わないのではという懸念、は払拭されたのでは。眞子様は皇女としては類を見ない“異形の皇女” (ヤフーニュースならAIに誹謗中傷と認定されるか) に私の目には映る。民間人の方が似つかわしい。小室夫妻はニューヨークでもたくましく生きて行かれる。心配は大きなお世話なのだ。

 

 それにしても、宮内庁は皇室の危機に際して、能天気ではないか。10/28読売新聞は、西村宮内庁長官がこう述べたと報じた。

 「会見で眞子さんが『誤った情報』に恐怖心を覚えたと明かしたことに『あそこまで苦しまれてこられたことに、お支えする立場として大変申し訳ない思いがした』と話し、宮内庁としてホームページ以外の情報発信のあり方を研究する考えを示した。」

 それは眞子さんに直接言えばよいこと。(暗に宮内庁の対応の正当性もにじませながら)外に向かって発信されれば、皇女眞子様を、皇室を、心配して結婚に反対してきた国民の神経を逆なでするだけ。皇室と国民をより引き離すだけでは。

 今は天皇主権下の皇室ではない。国民主権下の皇室なのだ。国民に皇室を不要と言える権利も有する。それを宮内庁は理解しているのだろうか。宮内庁は戦前からの旧態依然の対応を見直すべきだ。脳科学者茂木健一郎氏は「一番反省すべきは宮内庁の広報体制」としたが、宮内庁改革は「ホームページ以外の情報発信のあり方」という広報体制だけに止めてはならない。

 

 ここまで本ブログの次号として掲載すべく原稿を起こしていた。ところが10/29になって(偶然にも結婚当日にニューヨーク州弁護士会の「ビジネス部会」コンテストで優勝との報道もあり)合格確実と見られたニューヨーク州の司法試験結果で小室氏が不合格ではないかとの報道が流れ始めた(合格者一覧に名がないことから憶測を呼ぶ)。鎮火に向かうかと思われた結婚騒動の火が燻ぶり続けることになっていくのか。

 遡れば、9月に入って急に結婚へとの報道が始まった。私の娘も30歳になる数日前に結婚した。眞子様がそれを望んでと思ったが、眞子様は誕生日が10/23で結婚したときは30歳を越えられている(同じ大安なのに10/20でなく、なぜ10/26なのか)。

 今回の不合格の報に接すれば、国民に新たな疑念が湧いてくる。7月に受験したと言われる司法試験の解答具合が芳しくなく、結果が判明する前に結婚会見を終わらせたかったのではとそう勘ぐるネット民が出てくる(秋篠宮家、宮内庁が青天の霹靂とするなら婿殿の立場は悪くなる)。

  さらに、病気を盾に質問も回答も文書になったことも、9月に文春が報じた、小室氏のニューヨーク就活での経歴詐称疑惑、さらに留学ビザ不正疑惑が関係しているのかもしれない。眞子様にとっては義母の件もそうだがなによりも夫小室氏本人の疑惑の件を結婚会見の場で触れられることはなんとしても避けたかったのではないか。

 以前からフォーラム大学の卒業名簿から小室氏の名が消えている?のに疑問を持っていた人達は、留学ビザ不正疑惑が関係しているからかとそう思いだす。そうであれば、司法試験自体を受けていないのでは。来年2月再チャレンジと言うが、それも怪しいと疑念を重ねていく。

 小室氏は再チャレンジ及びその結果を国民から注視され続けることになる。疑惑の真偽自体より国民が疑心暗鬼になっている。小室夫妻を不審視している。それが皇室に悪影響を与えることこそが問題なのだ。そして、臭い物に蓋をしたハズがまだ異臭が漏れ出る中、多くの国民が望まない、しかも意味をなさなかった結婚会見を段取りした宮内庁への不信も続くのであろう。

 本を正せば、なぜ宮内庁は身体検査しなかったのか。一部に秋篠宮殿下が必要ないと仰ったとの報道があるが、仮にそうだとして、役人はそれで調査をしない、役人とはそういうものなのか。そう言われても調査し婚約会見の前に問題が判明すれば、警察かにタレコミがあったとしてそこから宮内庁に注進する方法もあったのではないか。問題があるとしても、皇室にとってマスコミにスキャンダルとして騒ぎ立てられることより大きな問題となるのか。

 秋篠宮殿下は後悔されたかもしれないが、婚約につき4年前天皇であられた現上皇陛下から裁可がなされた以上殿下が自らの手で破談には。問題解決のボールを小室氏に投げられた。

  小室氏は、そのボールを握ったまま、時間稼ぎをし、(一部の国民に限られようが)皇族ブランドを活用して、社会的地位も経済的基盤も得たと思われた。そうであれば、本人の才能と弛まぬ努力も不可欠なので、それはそれでまだマシだったのだが。

 

 闇が多い小室氏側とその彼を愛し彼の為なら皇室が傷つくことも厭わない気配の眞子さん。そんな二人を秋篠宮殿下が今後皇室と関係を持たせないと仰っておられるなら、それは正しいご判断と思う。

 秋篠宮殿下にも批判の目が向けられる(悠仁親王の教育は秋篠宮家内でよいのか? 天皇学は?との声が高まる)ことが避けられない中で、ご自身の誕生日(11/30)会見で殿下が何を発言なされるのか注目される。ただ、翌日の12/1は愛子様が20歳となり成人皇族になられる晴れの日(行事としては12/5か)。それに水を差すような後を引くようなお話はなさらないと見られている。

 なんにせよ、国民と皇室とに距離ができてしまった今宮内庁がその距離を縮める役割を果たさなければ、皇室を守ったことにならない。宮内庁が勘違い?している限り、皇室の未来は暗い。

 こんな話をすれば、私の立場を訝る人がいるかもしれない。そんな人を私は誹謗呼ばわりしない。下記3点の本ブログのバックナンバーを提示して、私が、万世一系の天皇制存続を願う立場をとっていることを理解してもらう。

 〇 天皇制について書いた、2017年1月号NO.67「ルメートルVSニメートル(1)(2)(3)」

 〇 男系男子による万世一系の必要性を論じた、

   2020年2 月号NO.127「じょせいてんのうVSじょけいてんのう」

 〇 ソ連、中国の社会主義とは似ても似つかぬ「天皇制社会主義」に触れた、

   2020年2月号臨時号 NO.128「ふっこVSふっこう」

2021.11臨時号 NO.162 ういち VS ういち
 大谷翔平選手がMBLア・リーグのMVPに選出されるのは確実となった。ライバルのゲレーロJR選手がMVP対抗馬の資格となりうる三冠王を逃がしホームラン王一冠も打点王との二冠のペレス選手と分けたのであれば勝負あり。思えば、ルールを変えてまでオールスターでの二刀流を実現させたMBLから人気が低迷気味のベースボールの救世主として期待された大谷選手は、人一倍努力の上二刀流を完遂し、期待に十二分に応えた。来月の発表が待ち遠しい。
 世の結婚祝賀ムードは、芸能人等が笛吹けど(当人の好感度を下げる?だけで)国民は踊る気配はない。それどころか小室氏の母親に対する刑事告発報道や結婚反対デモが水を差す。

 眞子様の結婚問題に対して、反皇室でない庶民の結婚反対意見も「誹謗中傷」と見做される?直前に、本ブログ前号(161号)で私の思うところをほぼすべて吐露した。一つ加えるとすれば、本結婚問題の全般を通じて、宮内庁の言動は、皇室を守る為国民との間をとりもつというより、皇室と国民を引き離そうとしているとしか思えないこと。何のための宮内庁か。国民主権下の象徴天皇制における宮内庁のあり方に疑問を感じる。「権威」を目の上のナントカと思う「権力」がそう仕向けているのか。それは邪推としても、宮内庁が叱責されたとは聞こえてこない。
 日本の権力者達の拙策・不作為による新型コロナの人災化もあり、最近私の他者批判のボルテージが上がりぱなしであるが、天井知らずになっても。政権の交代と大谷選手の二刀流が世界で認知されたことに対する嬉しさがそれを抑えてくれる。本号ではこれで終わり。批判はひと休みだ。それで、今回競馬、とりわけ好きな競走馬や騎手について、気を楽にして語ってみる。
 

 私は、初物は嫌いな方ではないが、すぐには飛びつかない。2番手、3番手というところか。どういう訳か、人に対しては、新人には最初否定的な反応を示す。二刀流で「クインタプル100」(投手として100回投球、100奪三振。打者として100安打、100得点、100打点)をMBL史上初めて達成した大谷選手も日ハム入団時には関心も感心も示していない。今は彼の一挙手一投足に注目する。それは、25年前トルネード旋風を巻き起こしストライキの影響による人気低迷からMBLを救った野茂英雄投手以来ことだ。
 競馬の騎手も同じだ。天才(強い馬をきちっと勝たせる)武豊騎手の場合も、最初は“ターフの魔術師”と称された父親の故武邦彦(騎手・調教師)の七光りがあるからかと、1987年デビュー年に新人最多勝利を挙げた時も評価しなかった。スーパークリークやイナリワン等でG1を勝利していた頃は応援していない。
 評価し出したのは、1990年末の有馬記念で誰もが“終わった馬”と見ていたオグリキャップに奇跡が起こったごとく引退の花道を飾らせた(「キンシャサの奇跡」と呼ばれたフォアマンに逆転KO勝利したモハメド・アリの時と同じ大きな感動を覚えた)あたりから。実力だけではなく競馬界の第一人者としての姿勢も評価するようになっていく。日本競馬界の至宝ディープインパクト(以下「ディープ」)とのコンビの時にはもう大ファンになっていた。
 元祖天才騎手に対しても同じ。1969年頃大学生であった私は神戸新聞系列のスポーツ紙野球・阪神命のディリースポーツの本社でアルバイトしている時に競馬を覚えた。その頃東の郷原、西の高橋と剛腕騎手として並び称され、連続して関西リーディングジョッキーの座にあった高橋成忠騎手のファンになった。そのリーディングジョッキーの座を脅かす憎っくき好敵手として頭角を現していたのが福永祐一騎手の父である天才(天性のひらめきを見せる)福永洋一騎手。

 当時の私の気持ちは、1962年にプロデビューしたジャック・ニクラス選手を太った熊との意味で“ホワイト・ベア”と揶揄した、ゴルフ界のスーパースターアーノルド・パーマー選手の当時の熱狂的なファン“アーニーズ・アーミー”の気持ちと同じであったろう。
 その洋一騎手が9年連続(1970年~78年)関西リーディンジョッキーとなり、第一人者として長く競馬界を背負っていくとみられていた(その頃には私もファンになっていた)が、1979年命に係わる大きな落馬事故に遭いターフを去った。
 長男の祐一現騎手が母に騎手になりたいと言った時母はどんな気持ちだったろう。落馬事故で腎臓を一つなくした時、母は胸が潰れる思いがしたに違いない。だが、父の叶わなかったダービージョッキーとなり、昨年は名手岡部幸雄騎手、武騎手と並ぶ無敗の3冠馬ジョッキーとなり、今年もシャフリヤールでダービーを連覇(ディープ産駒が4年連続優勝だが、その内3勝が祐一騎手の騎乗馬)する。心配ばかりさせた母に報いる自慢の息子になった。
 天才と呼ばれないのは気にしなくてよい。それは天才の子に生まれた宿命。天才は遺伝しない。それが「人類の種の保存」の摂理。アインシュタイン、フォン・ノイマンの子も例外ではない。
  
 どうした訳か、競争馬には一目惚れしてしまう。馬という動物が好きだということでもない。犬や猫も触れない(正確には触りたくない)。生き物で触れるのは人間の♀ぐらい(もっとも妻でさえDon't touch me!)。大のディープファンと言っても北海道まで会いに行くことはなかった。TV画面を通して馬が競走している(ディープのアバターが疾走するテレビゲームを観ているようなもの)のを観るのが好きということなんだろう。
 初恋の馬はタニノムーティエ(以下ムーティエ)。1970年皐月賞のトライアルレースであるスプリングステークスで東の御大将アローエクスプレス(以下アロー)と西の御大将ムーティエが初めて激突し最後の直線6馬身差があったがトップを走るアローをゴール直前ムーティエが差し切った。その後ムーティエは皐月賞、日本ダービーを制覇し2冠を達成。秋の菊花賞を制して3冠馬になることは確実と私も思っていた。だが、菊花賞の前哨戦のレースであろうことか惨敗した。暑い夏を越す調整に失敗したのかのど鳴りが判明し、菊花賞は2周目の4コーナーで一瞬見せ場を作ったが直ぐに失速した。ムーティエは日本ダービーを終えるまで15戦も走っていた。昨年のダービー馬コントレイルは5戦。今年のシャフリアールはたった4戦で戴冠。世界と肩を並べる現在の日本競馬でムーティエが走っていたら3冠は間違いないと思うと未だに残念で仕方がない。
 悲運の初恋の馬ムーティーが忘れられず、その後も栗毛で鼻が白く、後方から進み3、4コーナーからまくって差し切る差し馬が好きになっていく。
 菊花賞を最後にムーティエが引退した5年後、同じ栗毛で額から鼻先に流れ星のごとく白く線が走り“流星の貴公子”と呼ばれたテンポイントがデビューした。天馬と称されたトウシヨウボーイとの名勝負は今も語り草。今で言えば、ディープの仔キズナとエピファネイアとのライバル関係と似ている。キズナはエピファネイアに2戦して後塵を拝したが、日本ダービーで初めて雪辱し優勝した。種牡馬になってからも、父に似てアベレージヒッタータイプ(10/10時点の勝馬率は33.  0%=75勝/227出走で父を凌ぐ2位。賞金もさることながらウイナーズサークルで口取り式の記念写真を撮る馬主の夢を多くの馬主に叶える)のキズナと種牡馬として打率は低いが名種牡馬ステイゴールドに似たホームランバッタータイプ(勝馬率は26.1%=59勝/226出走と高くないが初年度産駒のデアリングタクトが牝馬3冠)のエピファネイアとライバル関係が続いている。
 テンポイントは種牡馬になりトーショウボーイと産駒を争うことはできなかった(凍結精子があればと思うが、人工授精はサラブレットには万国共通ルールで認められていない)。
 天馬との勝負に分が悪かったかった貴公子は最後の二頭の勝負1977年の有馬記念で貴公子は天馬に競り勝ちグランプリに輝いた。だが「好事魔多し」。暮れの有馬記念の激走後の翌1月激走から1か月しか経っていないのに、海外挑戦への行き掛けの駄賃みたいに、寒く馬場も良くないのに66.5㎏も背負って走り、骨折した(それ以降斤量の上限はないが60㎏で走らせることはまずないという)。
 異例の延命措置が講じられたがファンの願いは届かず、天に召され貴公子が天馬となった。私の初恋の馬は悲運の名馬で、次に好きになった馬は悲劇の名馬となってしまった。
 ガラス細工と言われるサラブレッドは美しいが、壊れやすい。米競馬史上最強馬セクレタリアトを彷彿させる大逃げで沸かせたサイレンススズカ。1998年秋の天皇賞で圧倒的一番人気の中レース中粉砕骨折。その晩武豊騎手は大泣きして泥酔したという。ディープと名牝ビワハイジの娘ジョワドヴィーヴルは馬名の由来が「生きる喜び」ながら調教中に骨折し早世した。繁殖牝馬としても期待されたのだが。両馬ともDNAを残せなかった。ムーティエと同じく栗毛で鼻に白い線が走る。名馬にとって不吉な紋様なのか。否、単なる偶然だろう。同じ特徴を持つオルフェーヴルは健在だ。3冠を抜きにしても「無事是名馬」なり。
 1994年に三冠馬になりその年の暮れの有馬記念にも勝利した、故障する前のナリタブライアンを当時私は5冠馬シンザンを抜いて史上最強と思っていた。私の記憶の中でのナリタブライアンは栗毛だと思っていたが、実際は黒鹿毛らしい。引退した翌年にデビューしたグラスワンダーと混同しているのかもしれない。
 2011年の三冠馬、上述オルフェーヴルも、栗毛で鼻筋に白い線が入っている。鬣も豊かで、立ち姿はさながら百獣の王ライオンで、神々しい。でも(ディープひと筋で)ファンにはならなかった。
 本ブログ2018年8月号100号記念(「インパクトVSコンパクト(1)、(2)」)でディープ礼賛原稿を載せたが、高校の同級生の弁護士からオルフェーヴルが触れられていないとメールが着た。ディープの礼賛が目的では当り前だろうと少しムキになって、「オルフェーヴルは競走馬としても種牡馬としても評価していない。悪しからず」(種牡馬になった時は正直ディープの牙城を脅かすかと心配したのだが)と返信した。簡潔過ぎて却って相手を刺激した。弁護士は後日私と会った際わざわざ話を持ち出し憤慨していた。
 他人の応援する馬を貶せばブーメランのごとく我が身に返ってくる。無敗の3冠馬のコントレイルはそれ以降G1勝利がまだない(JC2着、大阪杯3着、宝塚記念は回避)。本年末で引退し種牡馬入りすることが決まっているらしい。秋の3大GIレースの内暮れの有馬記念は出走しないとのこと。秋の天皇賞、JCのどちらか1つでも勝ってほしい(女傑クロノジェネシス、同じディープの仔でコントレイルとは異母兄弟となる姉グランアレグリア、弟シャフリヤールとそのライバル・エフフォーリア等が、立ち塞がるが)。
 戦後の日本競馬において三冠達成後(古馬を交えての)G1レースを一つも勝っていない3冠(牡)馬はいない。コントレイルが勝てなければ、無敗の三冠馬でありながら“史上最弱の3冠馬”とアンチから呼ばれてしまう。コントレイル自身は馬耳東風であろうが。

 6月から新馬戦が始まっている。来年は6頭?しかおらず、実質ディープのラストクロップ(最終世代)が走るといってもよい。2連勝のコマンドライン、ドーブネのほかリアド(5億円超で落札。未出走)などを含め、最終世代から来年のダービー馬が出るだろうか。5年連続ディープ産駒の優勝となるが。
 来年の新馬戦からは、ディープ亡き後リーディングサイアーの座を目論むロードカナロアの対抗馬として浮上して来たキズナを筆頭に今年の新種牡馬として評価が高いシルバーステート、ディープの孫として初めてのG1馬となる仔を出したリアルインパクトやミッキーアイル等ディープの仔たちの仔(孫馬)を本格的に応援することにしよう。
 毛色は違うがレース運びがムーティエとそっくりで、伝説の2005若駒ステークスを観て一遍にディープの大ファンになって以来、毛色に拘りはなくなった。青鹿毛でも、葦毛でも皆ディープの仔や孫に変わりはない。皆活躍して永らくディープの血を繋げて行ってもらいたいものだ。
 10月3日に競馬の祭典・凱旋門賞が行われた。英オークスを16馬身差(「242年の歴史で最大着差」)で圧勝したスノーフォールが父ディープの果たせなかった夢をアイルランド娘が叶えてくれると期待したが、馬場が悪すぎたか(それから13日しか経っていないのにまたG1レースを走り楽勝のハズがまた敗れた。使われ過ぎで可哀想)。英気を養い来年凱旋門賞2着の現役最強牝馬で2歳年上のタルナワに他のレースに勝つようなら、凱旋門賞の雪辱を期待したい。
 凱旋門賞は日本育ちでは容易ではない。アイルランド育ちでもディープの仔に違いない。数は多くないが、欧州育ちのディープの仔や孫も応援していきたい。