2022.1 NO.165 あお VS あか(1)
本日12月8日をもってハワイ真珠湾の奇襲で火蓋が切られた日米開戦の80周年を迎える。敗戦後なぜあんな無謀な戦争してしまったのかと反省してきた。しかし、時が経ち、戦争を体験した人たちがほとんどいなくなる中で、狂人・フランクリン・ルーズベルト大統領が仕組んだ罠であり、仕方がなかったという見方が出てくる。モンロー主義をとる米国が英国を助け、民主主義を守る為に参戦するには日本からの先制攻撃を必要とした(そうだとしても、ルーズベルトが対日経済制裁に舵を切るのは日中戦争の契機となる1937年盧溝橋事件の後であり、真珠湾攻撃の誘因とも言える1941年8月の石油の対日全面禁輸は、1940年9月の日独伊3国同盟の後。日本がルーズベルトを参戦する方向にもって行ったともいえる)。
そういう側面があったとして、日本がルーズベルトの思惑を事前に理解していたなら、戦争は避けられたのか。否、軍部はさらにいきり立ち、その軍部を「神国不敗神話」に酔いメディアにも煽られた国民がより焚きつけたことになっただけではないのか。
軍人は、戦争屋、戦争するのが仕事。戦争するか、しないか。戦争を回避すると言ったら、「それでも軍人か、漢か!?」と嗤われる。陸軍においても、東條英機と対立していた石原莞爾は日米開戦に反対していたが、それは時期尚早ということで最終戦争では米国と戦争することを想定していた。関東軍は、1939年ノモンハン事件での大敗でソ連との軍事力における彼我の差を痛感するも、自制・自重するのではなく生物兵器開発に走った。行き着く所に行くまで止まらない、ブレーキの壊れた自動車と同じだ。
皇道派の相沢三郎に斬殺された統制派の永田鉄山が生きておれば、日米戦争はなかったと言う人がいるが、永田が戦争をしないと言えば今度は統制派の手により結局同じ運命を辿ったのではと思う。時代は東條英機を欲していたのだ。
海軍においても首相米内光政や連合艦隊司令長官山本五十六などは日米開戦に反対していた。しかし、1940年近衛文麿首相から問われた際、山本は「ぜひやれと言われれば半年や1年の間は暴れてご覧にいれるが、2年、3年となればまったく確信は持てない」と山本は答えたという。軍人だから、極力回避願いたいと言えても、絶対無理と答えられない(そんな答えを聞けば、昭和天皇とともに日米開戦に反対していたハズの近衛は優柔不断な性格から日露戦争の成功事例が頭に浮かび、彼我の軍事力に大きな差があっても短期決戦で早期講和に持ち込めると思ってしまうかも)。首相まで上り詰めた米内光政は、自身は日米開戦に反対であったが海軍の下士官まで意思統一することはしなかったと言われる。戦争回避に舵をとる米内内閣も、軍部大臣現職武官制により、陸軍に潰された。
軍部の意向に沿わなければ大臣を引き上げ内閣を総辞職に追い込む。軍部が政治を牛耳るキッカケを作った軍部大臣現職武官制が復活するのが私の尊敬する一人広田弘毅が首相の時というは皮肉以外の何物でもない。
敗戦後戦争屋の軍部(他国から見れば自衛隊は軍隊)の暴走、政治への関与を防ぐべくシビリアンコントロールが徹底されてきた。ところが最近になってシビリアンコントロールが崩れたと見られる“事件”が起こった。突然イージスアショアを断念すると発表された(二階幹事長が聞いていないと激怒したのは、演技ではないだろう)。河野太郎防衛大臣のスタンドプレーは目に余るが、無用の長物なら仕方がない。しかし、それなら米国が激怒するハズだが、それが報道される気配がない。別の防御手段を米国からの購入するのかと思ったら、敵基地攻撃に替える?というから驚いた。それなら米国が怒らないのも頷けるか。
制服組の自衛隊幹部OBも驚愕していた。一体だれがそんなことを考えたのか。自衛隊の背広組と自民党の国防族議員なのか。戦争を知らない、戦争になっても自ら銃剣を持たない者たちなのか。元官房長官後藤田正晴が生きていたら絶対許さなかっただろう。生前「二度と戦争はしてはいけない」と言い続け、日本の先行きを憂慮しながら亡くなった元幹事長野中広務は空の上から歯ぎしりしていることだろう。
岸田首相が敵基地攻撃に言及しているのは本気ではないと思いたい。軍事力、サーバー攻撃、AI面で米中に大幅に遅れをとっているのを無視しては、東條英機と変わらなくなる。
先月の下旬BSフジのプライムニュースで暗澹たる気持ちになった。良識あると思っていた外務省OB二人から、敵基地攻撃とは何か、70年以上専守防衛しかしていない上での問題点、憲法第9条とのからみなど論じ、敵基地攻撃に対する慎重論が聴けると思ったが、そうではなかった。変節したのか?
補正予算で(米国から)ミサイル等を買う理由に敵基地攻撃を挙げているようにしか聞こえてこなかった。防衛するより攻撃する方が安く済む。矛ではなく盾の延長先だ。抑止力になると言う。
仮想敵国中国が攻撃を躊躇するようになると言わんばかりだが、それでは戦前の軍部と同じで自身に都合の良い見方ではないか。日清戦争等の屈辱を晴らさずにおくものかとする中国を刺激しさらに軍拡に走らせるだけかもしれない。中国との軍拡競争に日本は勝てると思うのか。
一方、戦争の悲惨さ、軍部上層部の愚かさ、無責任さを教えてくれた作家故半藤一利はもういない。故立花隆も鬼籍に入った。「帰納的な、実証主義的な歴史検証を行い、それによって得た教訓を次世代に伝えていく」ことを使命とする保阪正康氏(戦争の生き証人がいなくなる上、責任の所在を明らかにしない日本の悪弊により歴史的資料が散逸・消滅することを恐れている)も今月82歳になる。
今回の衆院選で日本維新が躍進し、国防族議員を中心として憲法改正も推し進めるようとするだろう。高校の先輩故白洲次郎が日本国憲法を米国から押し付けられたと悔し涙を流したと伝えられている。
日本は戦争に負けて連合軍の代表米国に支配されたが、奴隷扱いされず、表面上は米国の妻となった。本ブログ2015年9月号NO.51(「けんかんろんVSちんかんろん」)でこう書いた。「占領したのは米国だった。・・(略)・・パンパンと呼ばれた女性たちに盾になっていただいた面もあるが、米国でまだ助かった。占領したのがソ連や中国であれば、黄文雄氏は『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』(2011年5月発刊)を書く気が起こらなかったことだろう。」と。そう書いた時ソ連がそこまでしたとは思っていなかった。山本健氏の『ヨーロッパ冷戦史』(ちくま新書)によれば、ソ連の占領地区におけるソ連兵の女性への強姦は200万人に及ぶとも言われる。ナチスの蛮行に対するリベンジレイプという側面で済ませられるレベルではない(高山正之氏は週刊新潮で「降伏したベルリンで10万人の女を犯し2万人を孕ませた」と書く)。
それに比べれば、日本の夫米国は紳士的ではあるが、当時の政治家は、敗戦時の人々の想いを胸に秘め、自民党の党是に憲法改正を掲げた。
女郎に身をやつしても「身を売っても心は売らぬ」の心意気ではないが、首相吉田茂は、1950年の朝鮮戦争前後夫の米国から働きに出てもいい(再軍備)と言われたが、家事に専念し家を守る(専守防衛・軽武装)と夫の言いなりにはならなかった。岸信介は自立したいがまだその時期ではないと60年安保に舵を切った。田中角栄は自立しようとしていると夫に思われ、酷い目に遭わされた。
夫婦の関係というものは、最初妻は、夫をご主人様扱いするが、年を追うにつれ力関係が変わっていき、夫が妻に頭が上がらなくなっていく。我々庶民だけではなく、大企業の社長でも恐妻家は珍しくないだろう。
ところが、日本という米国の妻は、まったく逆行してしまっている。最初は強く出ていたが、田中角栄が失脚させされたあたりから、夫を恐れ、三つ指ついて、三歩下がって、ご主人さまに言われるままについて行くようになってしまったのではないか。
「レーガンVS中曽根」のロン・ヤスと呼び合うのを手始めに、共和党の大統領とは、「ブッシュS小泉」「トランプVS安倍」、個人的な信頼関係を築くが、国同士でみれば米国から武器等米国からの要求をそのまま受け入れる朝貢国に成り下がったと言えないか。
白洲たちが後世に託したのはそんなことではない。早く真の独立国になって、相応しい憲法を作って欲しいということだろう。自衛隊の肩身が狭いから、憲法に自衛隊を明記する、そんな「仏作って、魂入れず」のような憲法改正が自民党の党是に適う訳ないであろう。
新型コロナ禍での改憲主張の本丸は「緊急事態条項」なのか。全体主義国家に回帰する為にと思ったが、憲法学者木村草太氏は「コロナの失政を憲法のせいにするな」と喝破していた。
「憲法改正ありき」ではなく、米中の狭間における日本の進むべき方向を決め、その方策を国民に示したその後から、憲法を改正するのだ。
今の自民党及び政権をすし職人に譬えれば、こうだ。自身の店を持ち屋号を復活させて欲しいとの親の遺言を胸に修行に励んでいたハズの雇われすし職人が、難しいとすっかり諦めてしまい、親方の命ずることだけして後は自分が楽しければそれでよいと自堕落に生きている。でも、親の遺志は忘れた訳ではないとのフリをしているのと同じ、と言っては言い過ぎか。
幸い宏池会の岸田首相に代わった。すぐに清和会が作った流れを変えるのは難しいかもしれないが、変えてくれると思いたい。
たしかに、核を持たない、持てない日本が、米国と婚姻を解消することは難しい。横田基地に居たことのあるスノーデンが日米同盟を破棄すれば日本のインフラは麻痺すると警告もしている。しかし、籍は抜かないが、妻がより自由に生きていける「卒婚」があるではないか。今の米中対立はそのチャンス到来と言えるかもしれない。
聖徳太子(厩戸皇子)が607年遣隋使小野妹子を通じて隋の皇帝に渡した親書で「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」で隋の皇帝が激怒したと言われる。今では日の没するとの文言よりも、日本も天子と表現していることに怒りを発したと見られている。東夷の分際で対等の態度に立腹した。それでも日本に手を下すことはなかった。
皇帝煬帝は、当時隋と高句麗(今の北朝鮮近辺) とが交戦状態にあり、日本が高句麗に与することを警戒した。聖徳太子は、身のほど知らずではなく、その情勢を読んだ上でのことだとする。それから約80年後日本は属国の証「国王」を使わず「天皇」と名乗るようになる。
以前から日本の生きる道として、私はこれまで何度か戯言として「平和大三元論」を述べてきた。米国が發牌(あお)。中国は中牌(あか)。發3牌も中3牌もそれだけは一番安い1翻(イーハン:1,000点)役にしかならない。しかし、發3牌、中3牌に白牌(しろ)3牌が合わされば、役満(32,000点)となる。その白牌の役割を担うのが、今後の日本の進むべき道であり、生きる道ではないかと思っている。
その為には、二つのスタンスで臨むべき。一つは、米中の間を仲立ちすること。「あお」と「あか」が交じって「むらさき」になれば、「しろ」の日本の存在価値はなくなる。日本は「うすむらさき」になる運命(布施明さんは「うす紫のシクラメンほど 淋しいものはない」と唄う)。
「両雄並び立たず」で米中の覇権争いが激化していくのではなく、両雄が並存する、いわゆる新冷戦状態が続くのが望ましい。
2016年に日本で翻訳・発刊された『中国軍を駆逐せよ! ゴースト・フリート出撃す』(上・下:二見文庫)では2026年に中国軍が真珠湾を攻撃しハワイを統治下置く。中国のサイバー攻撃でハイテク機器が使えない米軍が反撃していくフィクション。その中で、日米同盟には触れられず、日本が中立国になっているのが興味深い。中国は日本と中立条約を結んでいるのだ(P238)。
中国としては死ぬ気で抵抗する日本(敗北したとたん従順になるが、元々憧れていた米国の場合のようにはいかない)と事を構えるより中立国にしておいた方がという作家の見立てか。
米国にしても日本がポチ犬なら捨てても本当の動物ではないので動物愛護団体からクレームは来ない。米国が捨てないとすると、強い日本が中国に味方すると困ると思うことだ。
そう思われるよう日本は両大国に対して毅然たる態度と気概を見せつけることだ。そうできる政治家が日本のトップにならなければならない(トップがポチ犬だと官邸・官僚全体がポチ犬化する。ポチ犬のトップは下にもポチ犬になることを要求するから)。
自衛隊出身の政治家がBS番組でクアッド(日米豪印4ヶ国戦略対話)をアジア版NATOにする構想を持ち掛けていたと記憶しているが、印大使はやんわり拒否していたと思う。核保有国同士の中印は国境付近の小競り合いはあっても核戦争には発展しない。インドは中国主導の「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」設立に参加し、中国は最大の出資国でありインドは最大の投融資先であるという関係でもある。中国に対するけん制の意味からもクアッドに参加するが、米国の為の戦争に加担するつもりはない。米中が勝手に戦争してくれれば漁夫の利を得られる。
日本は、「敵基地攻撃に転換し、改憲もして、米国の攻撃に積極的に加担する」ことを考えてはいけない。吉田首相以来日本は半世紀以上経済重視及び専守防衛・軽武装を進めてきた。長年それしかしていない。ポエニ戦争でローマに滅ぼされたカルタゴのように経済大国で平和を謳歌してきた日本が戦争すればカルタゴの二の舞になる恐れが。戦争は量もさることながら最先端軍事技術を有する者が勝利することを歴史が教える。
今後の日本の人口は急減していき今世紀末には半減すると言われており、先進国で低いとされる国民一人当たりの生産性が倍増でもしなければGDPが半減してしまう。小国に落ちぶれる。いまさら中国に対抗して軍事力の向上、軍事大国を目指すことは非現実的。小国でも米中から一目置かれるためには、軍事力よりも経済力・技術力なのだ。
何しろ米国自身がクワッドに軍事的な同盟を望んでいない。軍事同盟としてはAUKUS(米英豪の安全保障の枠組み)に期待しているようだ。
とはいえ、米政府は戦争をしたくない。米国民も厭戦気分。とくにトランプ大統領は軍事攻撃をとらなかったが、それは平和主義者を意味しない。米国の戦争代替手段は専ら金融制裁(「基軸通貨ドルと世界経済の動脈である米国の金融システムをフルに使う」と『アメリカの制裁外交』著者の杉田弘毅氏は述べる)とする。
それでは軍産複合体が困るから、北朝鮮有事の後は台湾有事を煽り日本に武器等を買わせることになる。妻の日本に、「夫任せにせず自分でも守れ。最新鋭の薙刀を買えばよい」と。
北朝鮮が脅威と言うのも、怪しい。核弾頭ミサイルを実践使用した国はない。完成しても今の段階では北朝鮮は自国から発射する。失敗したらどうなるか(それでSLBMの開発が必要になるが、その開発報道が10月になされたが、その真偽に関わらず日本に武器等を買わす米軍産複合体にとっては渡りに船)。それよりも10分で届く通常ミサイルで日本の稼働中の原発を狙う方が北朝鮮にとって現実的。10年以上前から可能なのに日本が枕高くして寝ていたのは、ひとえに日本が米国の妻だから。夫の家族(在日米軍)も日本の方々に居るからであろう。事が起これば、日本の被害はどの程度か不明だが、北朝鮮が地球上から消滅するのは明白だ。
断りにくい夫・米国からのエスカレートする要求も憲法第9条が盾になってきた。それを安易に変えてはならない。ある対談本で、佐藤優氏が、軍隊には「殺す軍隊」と「救う軍隊」があると話していた。ならば、自衛隊は「救う軍隊」と言える。 (アフガニスタンでもまた世界から嗤われたが)紛争地の海外邦人を救出できるよう憲法第9条(2項)の改変は必要だが、「殺す軍隊」に替えるために憲法第9条を改変してはならない。