2021.11 NO.161 じじつこん VS じじつむこん
女性向け雑誌の目玉は、何と言っても、芸能人の熱愛スクープ記事だろう。記者は必死に探すが、どうしても見つからないときは、仕方がない。火のないところに煙を立てるしかない。名前を出された芸能人には、会ったこともないと驚く人もいるが、有名税としてスルーすることも珍しくない。
それでも芸能人から反撃される場合がある。2016年元旦にスポーツ紙がTV旅行番組で共演する神田正輝さんと(離婚裁判中の)三船美佳さんとの熱愛を報じた。神田さんは事実無根として法的措置も考えると怒りを顕わにした。元々証拠写真もなく、その後三船さんはオーナー美容師と再婚したという。今年の夏においても有村架純さんが関取との交流を報じた週刊誌に対して法的措置をとると所属事務所が激怒した。
マスコミの間で芸能人が同棲していることが周知の事実でも報道されない場合もある。所属事務所の意向か法律婚ができず、事実婚の形をとるのか。大手芸能事務所に逆らってまでリークする記者もいないようだ。
同棲と事実婚の違いは、一緒に住むという点では同じだが、それだけでは事実婚と認定されない。「婚姻の意思」と「夫婦共同生活の実体」が必要。生計を共にして夫婦としての共同生活の期間については、明記されていないが、一般的に3年は必要と言われている。
新型コロナで亡くなった故志村けんは生前3年ごと同棲を解消していると見えたので、ドンファン的?な生き方に快く思っていなかった。しかし、志村は、結婚してもいい女性には母親に紹介していたという。結婚に至らなかったのは、相手の女性に結婚願望がなかった場合もあったとする。3年を目安に同棲を解消したのは、志村自身結婚するつもりがないのに、相手の女性が家財を持ち込み既成事実(婚)化を図る場合のようであったらしい。
事実婚は、近年増加していると言われるが、その理由に、子作りを離れた熟年からの結婚の場合、籍を入れる必要性を感じないということがある(若くても、娘が跡取りの場合夫の姓を名乗れない場合もある)。この事実婚には、モーリー・ロバートソン・池田有希子夫妻が有名。モーリーさんは、東大、ハーバード大等に合格する天才肌で、ジャーナリスト、俳優、DJ、作家、歌手等八面六臂の活躍を見せている。それは、妻で女優の池田さんが、こんな天才が世に埋もれているのはもったいないと業界に売り込んでくれたことによる。モーリーさんにとって、奥さんの池田さんは、糟糠の妻ではなく、“あげまん”なのだ。
モーリーさんは、事実婚の理由として、紙切れ一枚で、後は「釣った魚に餌やらぬ」ではなく、1年1年真剣に妻を愛する為だと言っていた。プロ野球の契約更改で、有利な複数年契約を断り単年度契約にこだわる選手と同じ気持ちなのだろう。
事実婚には、夫婦別姓が叶う、名字を替える煩雑な手続きが不要などのメリットがあるが、互いが法定相続人になれない、税制上の優遇措置(配偶者控除、配偶者特別控除等)も受けられない。さらに事実婚で生まれた(法律上の婚姻関係にない男女間に生まれた)子は婚外子(非嫡子)と呼ばれ、自動的に母親の戸籍に入る。父親が認知しなければ、子と父親との間に親子関係が発生しないという問題が生じる。
そういうデメリットがあるので、事実婚で夫婦別姓をとる女性は、夫婦の双方が氏を変えることなく結婚することができるようにする「選択的夫婦別氏制度」の実現を心待ちしている。だが、自民党の中で、この制度を反対する声も少なくなく、まだ実現していない。
中には法的結婚した上で旧姓を名乗っているのにこの制度に反対している女性議員もいる。男女共同参画担当大臣の丸川珠代議員が選択的夫婦別姓に反対を表明する国会議員グループの文書に名前を連ねていたことが明らかになったことを受け、海外の主要メディアから「日本の女性担当大臣は女性差別を容認している」と批判された。
キリスト教西洋社会が自分たちの価値観が絶対正義だと他に圧しつけ過ぎることがテロ問題等イスラム教社会との確執・紛争の根本原因と思う私は、欧米から「別姓を認めない日本の法律は女性差別的な制度」とそこまで言われる筋合いはないと思っている。
それはともかく、丸川大臣は、矛盾を指摘されると「個人の信念」からとしか言わない。女性ならそれで許されるのか。「どうしても」とそれだけ言い張るウーマンズロジック(パリコレならぬポリコレで死語になったか)のような筋が通らないことを男性議員が言えば、誰からも相手にされなくなってしまう。たとえ首相であろうとも。IRを主導していた菅首相はお膝元の横浜市長選で盟友とはいえIR反対の小此木前国家公安委員長を応援したことより横浜市民の信を失う。首相辞任の最後のトリガーとなる。
野田聖子議員は過去安倍総裁に対抗して総裁選に出馬を表明したが推薦人が集まらず断念したとき安倍総裁を支持し、男ではなく、女を下げた。それでも今回の総裁選に登壇できた。
国のトップに甘えは許されない。日本人初の女性総理大臣の誕生には、誰がなるにせよ、まず捨てることが必要だ。「女」ではなく、「女の甘え」を。
私は、保守の立場をとっているつもりだが、「選択的夫婦別姓」に断固反対ということではない。それでも、6/23の判決で最高裁は「夫婦同姓制度は合憲」との見解を示している通り、まだその時期ではないと思っている。
現実には95%超の夫婦が夫の姓を名乗っている。現行法律上は妻の姓を選択することもできる。夫が妻の姓を名乗る抵抗感も薄れつつある。
ある有名私大のアンケート調査で「夫婦別姓」に70%としていたが、保守誌の週刊新潮は「②自分は同姓がよい。他の夫婦は同姓でも別姓でも構わない」まで「賛成」に加えるのはいかがなものかと疑問を投げかけている。
さらに同誌は別号で「平成29年実施の内閣府の世論調査でも過半数の人が夫婦別姓に賛成しているとは言えない」とする。反対派は29.3%に過ぎないが、第三の「夫婦は同じ名前を使うべき。しかし、旧姓の通称使用は認める」とする『通称使用拡大派』は24.4%おり、それを合算すると別姓反対派が過半数を超える。賛成派が大半との見方に疑問を呈している。
なお、月刊誌『文藝春秋』本年8月号の連載巻頭コラムで作家・数学者藤原正彦氏は、19世紀英国の首相ディズレーリの「世の中には三種の噓がある。噓、大噓そして統計だ」との言も紹介し、とかく数字に騙されやすいと説く。
反対意見も根強い現段階では、いきなり「選択的夫婦別姓」するのではなく、「例外的夫婦別姓」に移行するのがよいのではないか。深い事情がなくても、例えば、瞳まな子という女性がいて、野呂姓の男性と熱愛した場合、結婚して一人息子の夫の姓に改姓せざるを得ない場合野呂まな子となり、病院等で「のろまな子さん、のろまな子さん」とアナウンスされるのは精神的苦痛と訴えれば、家裁も別の男性を見つければとは言わないのではないか。
離婚した場合手続きが簡単という理由では、認められないだろう。私は、古い人間かもしれないが、簡単に結婚し、簡単に離婚するのは、よくない風潮だと思っている(親を選べない子が継父や内縁の男に虐待され、実母も男に捨てられるのを恐れ毒親になるのを見るにつけ、よりそう思う)。
仲人を立て、仰々しい結婚披露宴をするのは簡単に離婚することを避けるため。離婚届も電子申請できるような改正はすべきではない。行政の事務手続きの迅速化が日本固有のハンコ文化の消滅につなげてもいけない。婚姻届、離婚届に限らず大事な契約の際ハンコを用い、慎重になるよう実印等はどちらが上か判るしるしをつけないのは先人たちの知恵であり、それを侮ってはならない(日本のハンコ文化に憧れて海外から若者がハンコをつくりにも来る)。
後先考えず、ハンコ文化を葬ろうとしたとしか思えない河野大臣が新総裁に選ばれなかった。傷口に塩を塗るようで恐縮だが、突破力があり壁を打ち破るのはよいがそのまま下の道路に転落するリスクが、とりあえず避けられたと思っている。自民党もまだ捨てたものではないとも。
事実婚の話に戻すと、事実婚が、庶民の世界だけではなく、皇族の世界にも関わりを持つことになるとは思わなかった。28頁に及ぶ「小室文書」に対して、却って世論が硬化した。一転解決金を支払うと言い出したのは、「遺族年金不正受給」の疑惑がクローズアップされてきたことにも関係していると見る向きもある。一連の報道によると、母親の小室佳代さんは元婚約者と婚約したという関係を「あえて隠して」、亡き夫の配偶者として遺族年金の給付を「不正受給」していたのではないかという指摘がなされている。遺族厚生年金の受給権は、受給権者が「婚姻(事実婚を含む。)」した場合消滅するとされている(厚生年金保険法63条2項)。事実婚であれば、元婚約者からの支援金は、贈与ではなく、貸付金でなくてはならない(さらに今9月に入って週刊新潮により母親の傷病手当不正受給疑惑が報じられた。また、週刊文春が小室圭氏のニューヨーク就活での経歴詐称疑惑、さらに留学ビザ不正疑惑を報じた)。
日本に帰国すれば、「小室文書」には触れられていないそれらの問題に集中してメディアから詰問されるのは不可避。帰国できなくなったのではと見られていた。
そうなると、駆け落ちして眞子様が渡米することもありうる。明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏は、「事実婚となれば内縁関係になるので、眞子内親王殿下は皇族を離脱しなくていいということになる。 すると一生分の皇族費が、総額で20億円とかになってくる」と懸念を示していた。
しかし、今日にもご結婚の正式発表があるという。小室氏の単独会見はなく眞子様との共同会見(記者に小室氏側の疑惑への追及をさせない形で?)が行われるのか。 もっとも、母と子で生きてきた上での多すぎる疑惑の真否自体に大した関心はない。それよりも、そんな環境にあれば庶民の我々なら一番遠い存在の皇女に近寄ろうと思わないものだ。ましてや・・・。引け目を感じるものだし、そうでなくとも好奇な目に晒され、メディアに丸裸にされるのがオチ。それをもろともしない強さを持つ小室圭氏に驚きと強い違和感を覚える(常識のない私の目からでも純愛を貫く一途な好青年とは映らない)。彼の皇室感にも不安を感じる。
そんな彼を新鮮に感じ共感なさる?眞子様を危ぶみ婚約の破談を願っていた少なからずの国民を唐突に失望させることになった。国民に祝福されないと・・と言われている中、国民が納得するもしないも何の進展もないと思っているところに、一転国民には関係ないとばかりに、いわゆる勘当婚とはいえ強行されるのは予想外。30歳までに結婚をというレベルの問題ではないハズなのだが。
事実婚は竹田氏の杞憂となったが、事態が好転した訳ではない。週刊新潮9/9号で静岡福祉大学小田部雄次名誉教授は「本来であれば眞子様が、どんな時も私よりも公を重んじる皇室の『無私の精神』をお伝えすべきなのに、あろうことか母子に同情してばかりで、“好きだから結婚したい”としか仰らない。成年皇族としてのご自覚を失われていると言わざるを得ません」と皇女に対して異例なほどにはっきりと批判している。
秋篠宮殿下の責任は避けたいところだろうが、主権者たる国民から問われざるを得ないのか。「子どもの意思を尊重する」という教育方針は、庶民の場合と違い、皇室を守るという前提があってこそ。だが、報道による佳子様の言動からもそれは感じられない。秋篠宮殿下は、全国民がこぞって祝福することにはならない結婚に対し、娘に正面切って反対できない為、憲法上の権利を口にされたのか。国民は「憲法の枠組みを超えた特別な存在が憲法上の権利を主張する。いいとこ取りだ」と反発する。秋篠宮家の私的な問題が皇室を揺るがす問題に変貌してしまう。
ネット上では「国民統合の象徴どころか、国民を分断するような皇室ならば、天皇制の廃止が視野に」との声があがり、「憲法に対する事実上の“謀反”を起こされた眞子内親王と秋篠宮皇嗣殿下を制御されないことで、憲法第99条に定められた天皇の憲法尊重・擁護義務を十分に果たしておられないのではないか」との今上天皇にまで言及する記事まで現れる。
芸能人等の発言の風向きが急に変わってきたが、言論統制?し、正面突破してしまえば「時間が経てば国民は忘れる」と高を括っているのか。安倍政権は確かにそう国民を愚民扱いしていた。それに対して国民はいずれ権力者は代わるからと鷹揚に構えていた。しかし、「権威」である皇室は不変。日本人の精神的支柱(象徴天皇制の存在意義)でもあり、それだけに国民は真剣なのだ。宮内庁は読み違いしてるのではないか。
祝賀ムードが演出される中で法律婚がなされ、それで勘当同然と言われたところで、それですべて方が付くと思う国民は少ないだろう。皇室として不名誉な問題が続くなら、主権者たる国民の秋篠宮殿下に向けられる目は、内容が全然違うとはいえ、英国民の英王室チャールズ皇太子へのものと同じになるのであろうか。
戦後皇室は平民化路線へ向かっていると言われるが、その行くつく先が(「特権」と「無私の精神」が表裏一体と思しき)皇室の不要論であっては困る。平民化路線は皇室の「無私の精神」を蝕んでしまうのか。そのなれの果てが英王室か。
皇室と違い英王室は私有財産が有り個人支出は個人収入からだとしても、庶民と同じで良いのか。不倫、不仲、離婚、不審事故死、王室離脱、王室暴露、レイプ疑惑。何でもありだ。エリザベス女王とウイリアム王子ファミリーが英国民の心をつなぎとめているのか。
国民に寄り添うことが、国民に近づくことを意味するものであってはならないと思う。皇室が庶民に近づけば近づくほど庶民は皇室に親しみを感じるが、それに反比例して畏敬の念を薄れさせていく。映画女優がTVバラエティ番組に出演すれば茶の間の住人に親近感を持たれるが、女優としての神秘性が損なわれるのに似ているかもしれない。
なぜ比叡山の大阿闍梨が生き仏として今も崇められるのか。