2022.3 NO.167 こうせんせい VS こうせんかい
この7月には参議院議員選挙が行われる。昨年の衆議院選挙は岸田新政権への信認が問われたが、実質自民党が勝利し、岸田政権は離陸に成功した。
立憲民主党は選挙を政権選択の選挙と位置付けたが、結果として、立憲民主党の代表選択の選挙となってしまった。
とりわけ、立憲民主党の名物女将のような辻元清美議員が落選したのは痛かった(参院比例に擁立と昨日報じられた)。辻元議員を応援していた元文科事務次官の前川喜平氏はよほど悔しかったのか、11/3午後4:33「政治家には言えないから僕が言うが、日本の有権者はかなり愚かだ。」とツイートする。それに対して橋下徹弁護士が、日本維新の会の議員に投票した有権者が揶揄されたと怒ったのか、前川氏と前から因縁があるからか、同日午後9:58 「元官僚にはこの手の勘違い野郎が多い。自分の考えこそが絶対に正しいと信じて疑わない。古賀茂明も」と反撃ツイートした(とばっちりを受けた古賀氏は大人の対応をとったみたいだが)。
「軽佻浮薄」が似合う私は、ツイッターへの誘惑に駆られるが、やらない。便利なだけに感情に赴くまますぐにツイートすればボロが出る。とくにほろ酔い気分では。前川氏にとってストリートファイトは自身の土俵ではない。しかるべき場で理路整然と「論じる」べきだ。
著名人のツイートはネット上から消せない。ツイートするなら、時間をあけて(夜であれば下書き保存し朝見直してから)発信すべき(怒りが収まりツイートを思い止まることもある)だろう。
ともあれ、立憲民主党の代表が変わった。来る参院選において旋風が沸き起こる気配を感じないが、参院選は善戦してもらいたい。私の希望は、宏池会の岸田政権が存続する。半面、憲法改正が参議院でも発議できるようになるほど改憲勢力の議員数が増えないことなのだ。
参院選を乗り切れば、岸田政権は安定飛行に入りシートベルトを外すことができる。岸田首相は宏池会の領袖として清和会とは違う差配できるようになるハズ。新自由主義から脱却し貧富格差の是正に向かうと思いたい。なぜか(前2、3政権の弱みを知るのか)岸田首相肝入りの「デジタル田園都市国家構想実現会議」の委員に名を連ねる竹中平蔵氏が恥ずかしげもなく「私は新自由主義ではない」と言っているのを見ても。
一方国防面では、岸田首相は、「敵基地攻撃能力の保有」に言及し、改憲も3年以内にとの意向を示す。安倍元首相とスタンスが変わらないのは意外。日本共産党は宏池会の岸田首相をハトの羽をつけたタカと警戒する。今の共産党は一見「天皇制の容認、護憲、対中国は外交」と日本で一番のハト派に映る(佐藤優氏は「騙されるな!」と警鐘を鳴らす。党名を変更できるかが踏み絵となるか)。
「敵基地攻撃能力の保有」の議論を主導しているのも宏池会の小野寺五典議員であり、安倍派所属と勘違いしてしまう。
「敵基地攻撃能力」も手段であり、目的ではない。目的は何なのか。日本は平和国家を標榜し戦後70年以上自衛隊が敵を殺したこともなければ、自衛隊員が戦闘で死んだ者はいないのでは。他国は、領空侵犯されたら、警告しても応じなければ撃ち落とす。1983年9月に大韓航空のボーイング747が、ソ連(現ロシア)の領空を侵犯し、民間機なのにソ連の戦闘機に撃墜された。2015年11月今度はロシア空軍の戦闘爆撃機がトルコ・シリア国境付近でトルコ軍に撃墜された。そんな世界の常識の中で、日本は、領空・領海を侵犯されても攻撃することはない。憲法第9条があっても個別的自衛権は認められているのに、自制してきた。
今回敵基地攻撃保有の検討は、拳闘に喩えると、試合でディフェンス重視のスパーリングのごとく相手の攻撃を避けるだけで、殴られても殴り返さない。しかし、1分の休みが終わると、突然相手コーナーに走って詰め寄り猛然と殴りかかるようなものだ。何でそうなるの!?
今議論すべきは、「反撃」を躊躇するか否か、どの程度までの反撃能力が可能か、の段階であるハズ。それを一気に飛び越えて、敵基地攻撃を検討するという。先にサイバー攻撃を受けると反撃できなくなるとの問題は理解できるが、それにしても飛躍し過ぎていないか。
自衛隊出身の“ヒゲの隊長”こと佐藤正久自民党議員が言うのならまだ理解できる。問題は、外務省OBの言動だ。敵基地攻撃能力の保有に関して批判する佐藤優氏の週刊東洋経済の2020年8月1日号「勇ましいことを言う人が愛国者とは限らない 敵基地攻撃能力をめぐる自民党の危険なアプローチ」によれば、「谷内氏が敵基地攻撃能力保有に関して、公の場で前向きの発言をし、それが新聞に報じられたことによってこれまでと位相が変わることになった。」と憂慮する。元外務次官矢内正太郎氏と言えば、2015年の暴露本『外務省 犯罪黒書』(講談社エディトリアル)を佐藤氏が上梓した当時外務省で唯一と言わんばかりに真っ当な人物と佐藤氏が評していた人物だ。その影響もあるのか、「外交」を専門とする外務省OBで「越えぬ一線はない」と言っていた、宮家邦彦氏が一線を越えてしまったのか。昨年末のBSフジの情報番組で森本敏氏と一緒になって敵基地攻撃は矛ではなく盾の延長線だ。抑止力になるというようなことを言っていた(賢者と評されていた二人がまやかしみたいなことを言うのかと愕然とした)。
手段である「敵基地攻撃能力」は目的かのようにクローズアップされるのはなぜか。日本に何が起きているのか。
素人ながら我思うに、核の時代に、核を持たない日本が敵基地攻撃を言い出すのはおかしくないか。仮想敵国が核兵器を保有し、サーバー攻撃を含め軍事力、それを支える経済力に彼我の差がある相手国ならなおさらに。核保有国同士であれば通常兵器による局地戦はありうる。ということは、台湾有事を想定し、米国が日本に後方支援ではなく先兵になれと強要してきているということなのか。まさか日本が進んで先兵になることを志願しているのではあるまいな。
憲法を改正し、敵基地攻撃を可能とし、自衛隊を「殺す軍隊」にしてはならない。前々号NO.165「あおVSあか(1)(2)」にて「平和大三元論」で述べたように、米中対立に対しては、戦争が起きないよう両国に対して外交努力する。日米同盟を保持(卒婚の形になろうとも籍は抜かない)する一方中国とも良好な隣国関係を維持し米中二大強国による新冷戦体制を堅持することが、日本の自主独立に繋がる国益に適うものであり、(米国のポチ犬でなく、中国に媚びず臆せず)毅然とした日本が米中双方から頼りにされることが、生きる道なのだ。
外務省の役割は、米中開戦の引き金になる台湾への武力攻撃を中国が自制するよう働きかけること。「人民解放軍が沖縄等日本にある米軍基地を攻撃した場合日本は後方支援ではなく米軍と一緒に攻撃することにならざるをえないが、それは望まない」と日本側の立場を理解してもらうことだ。
憲法改正も、手段であり、目的ではない。改憲勢力は何のために改憲を急ぐのか。自衛隊の明記に意味があるとは思えない。緊急事態条項などあり得ない。憲法はそもそも権力者を縛る為にある。万能の杖みたいなものを権力者に与えてどうするのか。百歩譲って、議論の俎上に載せてよいのは、①賢者たる権力者が②最善を尽くしても③どうにもならない、場合であろう。
権力者が賢者ならまだしも、そうでないなら、緊急事態条項は「ナントカに刃物」になりかねない。たとえ、対象を限定しても拡大解釈、何でもありの恐れがある。国民に認めさせた権力者が悪用しなくても後から悪用する権力者が出るかもしれない。ヒトラーのように。
その他、改憲に積極的な政党の改憲案を見ると、国民民主党では国会運営における問題現象に鑑み、「臨時国会の召集期限の明確化」「内閣による衆議院解散権の制限」も挙げている。首相が賢者であればこんなことは問題にならない。銀行の内規に「お金を盗むな」、警察の規則に「罪を犯すな」とは書いてない(皇室典範は行動規範に触れていない。「国民からの批判に反論してはならない」と書かれていない。皇室は、国民の模範にはなれど、批判されるようなことはしない、国民から敬仰される崇高な立場との前提に立つ)。当たり前の事を憲法に明記することは国民投票でも(溜息をついたとしても)反対者は少ないだろう。
このような観点からすれば、私も一つ提案したい。「首相任期の制限」を憲法に組み入れることを。米国においても、「アメリカ合衆国憲法修正第22条」で大統領の任期を定めている。「2期8年。最大でも引き継ぎの任期を含めて3期10年未満となる」(たとえ現職大統領が自身の任期を延長しようと憲法を改正しても、改正が適用されるのは次の大統領からになるので意味がないという)との制限を設けている。
戦後一時期を除いて、自民党総裁=内閣総理大臣(総理)となっている。総裁任期を延長すれば自動的に総理の任期も延長されてしまう。
総裁任期は1978年以降2期4年が長らく続いた。が、小泉首相の時2期6年となり、安倍首相の時3期9年(持病があること自体は揶揄してはいけない。だが、権力者は絶対に秘密にするハズの、車で病院に入るところをメディアに撮らせ、持病を表向きの理由にして辞任した。逃げたとしか思えない。それがなければ4期もあったかも)に変更された。
政界、財界を問わず、賢者ほど早く後進に道を譲ろうとし、周りから続投を求められても固辞する。賢者でない者の方が、権力に長くしがみつこうとし、国や会社を傾城させる。
西側の代表制民主主義(間接民主主義)による二大政党制がうまく機能しているとは言えず、中国一党独裁の共産党内での厳しい競争に勝ち抜いた政治エリートたちによる政治運営システム(自民党一党が政権を独占し、総裁2期4年が順守され、中選挙区制の下での派閥間の切磋琢磨・競争があった全盛期の自民党に似る)が、ある意味評価の見直しもされているとき、当の習近平国家主席が任期制限を撤廃し終身国家主席(権威主義による独裁)を目指している。習国家主席は賢者とは思えない。
自民党が劣化し、自浄作用が期待されないのであれば、憲法で縛るしかない。賢者を前提にして首相の任期に触れていない憲法に首相の任期に関し明文化する必要がある(政権が野党に移っても長期政権となって行けば同じ問題が起こりうる)。
これに関連して、自民党総裁選においても私は問題があると思っている。総裁選に国会議員だけではなく党員・党友に参加をさせる。党友は、会費を払う以外、国会議員と接点のない私のような一庶民とどう違うのか。総裁が総理に直結していなければ、党友の特典にしようが何をしようが自民党の勝手。事実上総裁=総理であるなら、総裁選の中で総裁を選ぶ方式と総理候補を選ぶ方式とを分けるべきだと思う(役割分担からの総理・総裁分離案の方が理に適っているが、過去浮上しては消えているのであれば)。
次期総裁(自民党のトップ)を選ぶのは、今までどおり党員・党友を入れてもいい。決戦投票で国会議員に限るのは物理的・時間的制約があるためだろう。決戦投票はしなくてよい。
総理(国のトップ)は本来政党に関係なく衆参両院で各々国会議員の指名投票にて選出されるが、国会議員が所属の党首等に投票するのが実情なら、投票する前から自民党総裁が総理になることが決まっている。だからと言って、党員・党友も入れて自民党の自由なやり方で決めてよいとは思わない。代表制民主主義の理念からしても自民党内で総理候補(新総裁も立候補可)を選ぶときは国会議員だけに限定すべきだと思うが、どうか。
この選出方式で前回の総裁選が行われていれば、事前調査で人気の高かった河野太郎議員が総裁に、岸田文雄議員が総理に、なった可能性もある。これには河野新総理誕生を憂慮した私も文句はない。
河野議員を支持したネット民らは、国民からの投票により首相を直接選出する「首相公選制」に「こうせんかい!」と主張する。が、若者は、政治への関心が低く、批判的思考や政治参加の訓練も受けていない。しかも昨年度より高校の「学習指導要領」で「現代社会」が廃止され、「基本的人権の保障」と「国民主権」が削除されている。国民は政治的にますます愚民にされていくと言っても過言ではない。このような政治的民度が低い状態では、首相公選制が現実味を帯びることはない(一方、国民が制度の正体、問題点に気付き辞退率が2/3を超える裁判員制度は廃止を検討すべきなのに、逆に、どさくさに紛れて裁判員の対象年齢を「18歳以上」に引き下げ(飲酒・喫煙は20歳以上のままにして)、殺人事件等重大犯罪事案を来年から18歳の高校生にも担わせる。戦争末期の学徒動員を思い起こさせる。反省もなく同じことを繰り返すのかと後世に嗤われないよう、全体主義を目指した?前政権の負の残滓を岸田政権は早期に取り除くべきだ)。
3年以内にと言う岸田首相も憲法改正をレガシーとしたいのか。自民党の改憲4項目に第9条2項の改正が入っていない。国民や連立を組む公明党が望まないと思うからか。それとも安保法制で事足りる。あるいは、緊急事態条項が認められたら何とでもなると考えているのか(ただ、それだと、第9条2項の改正論議を伴わない敵基地攻撃能力保有の検討は軍事予算拡大への単なる口実とも見れるか)。
自民党の改憲の本命は、緊急事態条項であろう。新型コロナウイルスに対する失政への批判を逆手にとり、天災等への緊急対応として国民に理解を求めていくだろう。それを国民民主党が加勢する(野党も同調するのならと国民が判断を誤ることが懸念される)。
昨12月のBSフジのプライムニュース(テーマ:憲法審査会)で新藤義孝自民党憲法改正実現本部事務総長から「敗戦直後の日本国憲法制定時日本政府は緊急政令制度を主張したがGHQに完全拒否された。」との主旨の発言があった。GHQは天災等の対応に資するだけと思えば反対などしない。問題の本質を見抜いていたと見るべき。認めれば、民主主義に転換させても全体主義に逆戻りすることをGHQは危惧し、“完全拒否”したのであろう。
国民投票においては、緊急事態条項だけではなく、首相が賢者であれば不要な上記改憲項目もいくつか並べ、(各々可否を問うが)緊急事態条項への国民の警戒心を解かせるかも。
憲法にないと人を助けられないと言う政治家は、勉強部屋がないと勉強できないと言う子供と変わらない。頑として緊急事態条項には賛成してはならない。