2021.7 臨時号 NO.155  ンポ VS  ンポ(2)
 話が横道に逸れすぎたが、ジャンヌ・ダルクは「フランスを救え」と神から啓示を受け(『世界史を動かした脳の病気』の著者小長谷正明氏によれば「側頭葉てんかん」によるものらしい)、1492年イギリス軍と戦い、フランス中部の町オルレアンを開放し、今でも市民から感謝されているという。
 樺はこれからという時に亡くなった。生きていれば、今年84歳になる。その後の日本の高度成長、社会主義の自壊を見たとしても、西部のように早々と転向するとは思えない。歴史の研究者か、慈悲深く生徒から慕われる学校教師か、高校の4年先輩にあたる扇千景元参院議長のごとく国会議員(非自民系だろうが)になったのだろうか。
 社会主義革命を目指した(過激派にはならなかったと思うが)樺はクリスチャンであるハズはない。どんな神?がよき人を早く召しあげたのであろうか。

 反体制派のシンボルが樺なら、体制側の象徴は「妖怪」と称された岸信介首相。当時10歳になる直前の私にはもちろん樺は知らないし安保の意味も知る由もない。ただ、岸首相が本当に妖怪に見えたことを覚えている。それから成長し20代の頃には、国のトップとしてあるべき姿を示した一人だと思っていた。米国の傀儡だと批判する声もある。頭がよく複雑なので分かりにくい面があるが、敗戦した米国から真の独立を果たしたいが、現状を鑑みればやむなしと、国民全員に反対されようとも日本の将来のために安保改定を断行し、(内心はともかく)潔く官邸から去ったと私は高く評価している。今の大衆に媚びる政治家とは一線を画す岸首相は、戦後の首相の中で田中角栄首相と双璧だと思っている。
 
  70年安保が近づいてきた頃私は(大学)受験勉強に没頭していた。関心事は1969年東大入試が実施されるかということ。新年早々東大安田講堂を占拠していた全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生と排除しようとする警視庁との闘いに固唾を呑んで見守っていた。
  結局東大入試は中止となり、東大を目指した受験生が都落ちしてくると京大を目指していた私だけではなく他の同級生も志望校を変更することになってしまった。その時の私の心情は本号2013年6月号NO.24(「ゆい と ぬい」)で吐露しているので省略する。
 神戸大学に入学したが、大学紛争で半年間登校できなかった。大学に通えるようになると麻雀を覚え、学生運動には関心がなく、いわゆる典型的なノンポリであった。
 1970年11月25日陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫が割腹自決したことを聞いたのも大学から雀荘に向かう途中大学に向かう同級生から聞き及んだ。
 大学で受講を終え、雀荘に向かう時、よく大学の正門のところにゲバ棒を持ちヘルメットをかぶって立っていた同級生に対して、半分冷ややかに見、半分負い目を感じていた。
  就活時期になると、バンバンの『「いちご白書」をもう一度』の歌詞「就職が決まって髪を切ってきた時 もう若くはないさと君に言い訳したね」ではないが、髪を短く切ってネクタイも締めているその同級生を見て、負い目など感じる必要はなかったと思った。
 チャーチルは「若い頃に左翼でない者は情熱が足りない、大人になっても左翼の者は知能が足りない」と言ったという。当時インテリな学生にとって学生運動はブームだったのだ。その後官民を問わず体制側で大成した者が数多くいる。若い時に抑えきれないエネルギーを持っていることが大事なのだろう。そのあり余るエネルギーを御す為に柔道を習った山下泰裕JOC会長、ボクシングを覚えた世界チャンプの村田諒太選手も同じだろう。
 昨年映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観た。1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・ 三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会を50年後の冷めた目で観ると、日本で革命が起きるハズはなかったと思った。ほとんどが裕福な家庭で育った東大生と大作家の論戦は高度な知的水準でのゲームに過ぎない。平気で人を大量殺戮する武力による革命は、毛沢東のごとく、賤の貴に対する、強烈な怨嗟、嫉妬と野心がなくてはならない、当時の日本の知識人達にそんなものがあるとは見えない。
  当時神戸大学の経済学部は近経(近代経済学)が主流で、マルクス学者は少なかった。が、それでも置塩信雄という名の通ったマルクス学者がおり、当然講義を聴講したが、全然面白いとは思わなかった。マルクスの『資本論』(東大卒忍者タレント鈴木柚里絵さんは愛読書らしいが)にも関心もなく読みこなせる能力もないと思い購読しなかった。私自身は資本主義が終焉するのではなく、資本主義も社会主義も一つの方向へ収れんしていく「体制収れん説」を支持していた。
 その結果は、米ソ冷戦で見れば、終焉したのは社会主義体制の方であり、体制収れんも起きなかった。現在は米中対立。資本主義対国家資本主義との様相にあると言えるが、垣根が低いともいえる。覇権争いと言い換えるべきか。
  米中はよく似ている。多民族国家であり、数%の国民に富が集中し、90%以上の国民が貧困にあえぐ。違いは、覇権の目的とその手段と言えるか。米国は自由主義陣営での盟主。そのために既得権とする軍産複合体による目に見える大型軍事兵器で敵対国を破壊する。中国は中華大皇帝国の復活であり、他の国をすべて自治区ないし朝貢国する。支配した国のビルなどを居ぬきで活用したい。それにふさわしい手段と言えば、米国に追い付くことが容易でない(『中国人民解放軍の全貌 習近平 野望実現の切り札』<扶桑社BOOKS新書>によると、米国と中国の核戦力比は15対1という)、目に見える大型軍事兵器でなく、目に見えない、人だけ襲うウイルス兵器ではないか。それは話が飛躍し過ぎているのだろうか(ただ、日本は中国にとやかく言える立場にない。言えば藪蛇になる。戦前ノモンハン事件の大敗でソ連との軍事力の彼我の差を痛感した満州の関東軍は細菌兵器を開発し使用した。史実に基づくノンフィクションと呼ぶべき吉村昭作の小説『蚤と爆弾』<文春文庫>の中で描かれている。ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した『スパイの妻』もこれを題材にしている)。
  北朝鮮、イランの核兵器への監視よりも、中国へのウイルス研究に対する監視がより重要課題なのかもしれない。武漢ウイルス(WHOは地域名をつけた呼び方を批判するが)の真相解明と責任追及を世界が協調して実施されるべきと思うのだが。 
 さらに、宇宙軍事力、AI技術、サイバー攻撃等で覇権争いを激化させる二大強国の狭間に位置する日本は、戦争に巻き込まれかねない難しい立場ではあるが、米中双方から頼られる立場を利用し米中戦争を回避させながら、私の戯言「平和大三元論」の真珠のごとき輝く白牌としてOnly Oneの立場を確立していくことが望まれる。

  香港の学生は闘争ゲームではなく、民主化を守るため本気で中国共産党と戦っている(暴徒化しているのはベトナム難民二世を主体とする武勇派だとか)。周庭さんは刑務所から出所した。沈黙を続けることになるのか。それとも“香港の樺”になるのか。どちらにしろ過酷な運命だが。
 ミャンマーも民主主義が弾圧されている。平和慣れした日本人は、それを他人事と傍観するのではなく、日本も香港やミャンマーほどドラスティックではないにしろ全体主義国家に回帰しないか民主主義に対する危機感を持つべきだろう。
  だが、今の若者は、男子も体毛を剃り、ネイルサロン行く。女子は、それを女々しいと思わず、良しとするという。
  予算難のTV局に持ち上げられその気になっている東大生もいる。一般大衆とは呼べない、他の東大生のサイレントマジョリティはどうしているのか。あり余るエネルギーがあるのか。東大生ということだけで敬意が払われる(天才モーリー・ロバートソン氏ならいざ知らず、凡才がテストが3科目程度の有名私大ならともかく急に勉強し出し東大を目指すTVドラマ等は観ない。東大生に対する冒瀆と思うから)ことに応え、学歴エリートとしての使命感は、日本の置かれた立場を憂慮し日本の将来を背負っていくとの気概は、あるのか。
  それを私が言えば、「ノンポリだったくせに。アンタごときにとやかく言われたくない」と反発するだけか。それとも、言われなくとも時期が来れば豹変するのだろうか。
 22歳の乙女のままの樺と爺の姿の西部が60年ぶりに天国で再会しているだろう。後輩の今の東大生について何を語っているのだろうか。