2021.11臨時号 NO.162 よういち VS ゆういち
大谷翔平選手がMBLア・リーグのMVPに選出されるのは確実となった。ライバルのゲレーロJR選手がMVP対抗馬の資格となりうる三冠王を逃がしホームラン王一冠も打点王との二冠のペレス選手と分けたのであれば勝負あり。思えば、ルールを変えてまでオールスターでの二刀流を実現させたMBLから人気が低迷気味のベースボールの救世主として期待された大谷選手は、人一倍努力の上二刀流を完遂し、期待に十二分に応えた。来月の発表が待ち遠しい。
世の結婚祝賀ムードは、芸能人等が笛吹けど(当人の好感度を下げる?だけで)国民は踊る気配はない。それどころか小室氏の母親に対する刑事告発報道や結婚反対デモが水を差す。
眞子様の結婚問題に対して、反皇室でない庶民の結婚反対意見も「誹謗中傷」と見做される?直前に、本ブログ前号(161号)で私の思うところをほぼすべて吐露した。一つ加えるとすれば、本結婚問題の全般を通じて、宮内庁の言動は、皇室を守る為国民との間をとりもつというより、皇室と国民を引き離そうとしているとしか思えないこと。何のための宮内庁か。国民主権下の象徴天皇制における宮内庁のあり方に疑問を感じる。「権威」を目の上のナントカと思う「権力」がそう仕向けているのか。それは邪推としても、宮内庁が叱責されたとは聞こえてこない。
日本の権力者達の拙策・不作為による新型コロナの人災化もあり、最近私の他者批判のボルテージが上がりぱなしであるが、天井知らずになっても。政権の交代と大谷選手の二刀流が世界で認知されたことに対する嬉しさがそれを抑えてくれる。本号ではこれで終わり。批判はひと休みだ。それで、今回競馬、とりわけ好きな競走馬や騎手について、気を楽にして語ってみる。
私は、初物は嫌いな方ではないが、すぐには飛びつかない。2番手、3番手というところか。どういう訳か、人に対しては、新人には最初否定的な反応を示す。二刀流で「クインタプル100」(投手として100回投球、100奪三振。打者として100安打、100得点、100打点)をMBL史上初めて達成した大谷選手も日ハム入団時には関心も感心も示していない。今は彼の一挙手一投足に注目する。それは、25年前トルネード旋風を巻き起こしストライキの影響による人気低迷からMBLを救った野茂英雄投手以来ことだ。
競馬の騎手も同じだ。天才(強い馬をきちっと勝たせる)武豊騎手の場合も、最初は“ターフの魔術師”と称された父親の故武邦彦(騎手・調教師)の七光りがあるからかと、1987年デビュー年に新人最多勝利を挙げた時も評価しなかった。スーパークリークやイナリワン等でG1を勝利していた頃は応援していない。
評価し出したのは、1990年末の有馬記念で誰もが“終わった馬”と見ていたオグリキャップに奇跡が起こったごとく引退の花道を飾らせた(「キンシャサの奇跡」と呼ばれたフォアマンに逆転KO勝利したモハメド・アリの時と同じ大きな感動を覚えた)あたりから。実力だけではなく競馬界の第一人者としての姿勢も評価するようになっていく。日本競馬界の至宝ディープインパクト(以下「ディープ」)とのコンビの時にはもう大ファンになっていた。
元祖天才騎手に対しても同じ。1969年頃大学生であった私は神戸新聞系列のスポーツ紙野球・阪神命のディリースポーツの本社でアルバイトしている時に競馬を覚えた。その頃東の郷原、西の高橋と剛腕騎手として並び称され、連続して関西リーディングジョッキーの座にあった高橋成忠騎手のファンになった。そのリーディングジョッキーの座を脅かす憎っくき好敵手として頭角を現していたのが福永祐一騎手の父である天才(天性のひらめきを見せる)福永洋一騎手。
当時の私の気持ちは、1962年にプロデビューしたジャック・ニクラス選手を太った熊との意味で“ホワイト・ベア”と揶揄した、ゴルフ界のスーパースターアーノルド・パーマー選手の当時の熱狂的なファン“アーニーズ・アーミー”の気持ちと同じであったろう。
その洋一騎手が9年連続(1970年~78年)関西リーディンジョッキーとなり、第一人者として長く競馬界を背負っていくとみられていた(その頃には私もファンになっていた)が、1979年命に係わる大きな落馬事故に遭いターフを去った。
長男の祐一現騎手が母に騎手になりたいと言った時母はどんな気持ちだったろう。落馬事故で腎臓を一つなくした時、母は胸が潰れる思いがしたに違いない。だが、父の叶わなかったダービージョッキーとなり、昨年は名手岡部幸雄騎手、武騎手と並ぶ無敗の3冠馬ジョッキーとなり、今年もシャフリヤールでダービーを連覇(ディープ産駒が4年連続優勝だが、その内3勝が祐一騎手の騎乗馬)する。心配ばかりさせた母に報いる自慢の息子になった。
天才と呼ばれないのは気にしなくてよい。それは天才の子に生まれた宿命。天才は遺伝しない。それが「人類の種の保存」の摂理。アインシュタイン、フォン・ノイマンの子も例外ではない。
どうした訳か、競争馬には一目惚れしてしまう。馬という動物が好きだということでもない。犬や猫も触れない(正確には触りたくない)。生き物で触れるのは人間の♀ぐらい(もっとも妻でさえDon't touch me!)。大のディープファンと言っても北海道まで会いに行くことはなかった。TV画面を通して馬が競走している(ディープのアバターが疾走するテレビゲームを観ているようなもの)のを観るのが好きということなんだろう。
初恋の馬はタニノムーティエ(以下ムーティエ)。1970年皐月賞のトライアルレースであるスプリングステークスで東の御大将アローエクスプレス(以下アロー)と西の御大将ムーティエが初めて激突し最後の直線6馬身差があったがトップを走るアローをゴール直前ムーティエが差し切った。その後ムーティエは皐月賞、日本ダービーを制覇し2冠を達成。秋の菊花賞を制して3冠馬になることは確実と私も思っていた。だが、菊花賞の前哨戦のレースであろうことか惨敗した。暑い夏を越す調整に失敗したのかのど鳴りが判明し、菊花賞は2周目の4コーナーで一瞬見せ場を作ったが直ぐに失速した。ムーティエは日本ダービーを終えるまで15戦も走っていた。昨年のダービー馬コントレイルは5戦。今年のシャフリアールはたった4戦で戴冠。世界と肩を並べる現在の日本競馬でムーティエが走っていたら3冠は間違いないと思うと未だに残念で仕方がない。
悲運の初恋の馬ムーティーが忘れられず、その後も栗毛で鼻が白く、後方から進み3、4コーナーからまくって差し切る差し馬が好きになっていく。
菊花賞を最後にムーティエが引退した5年後、同じ栗毛で額から鼻先に流れ星のごとく白く線が走り“流星の貴公子”と呼ばれたテンポイントがデビューした。天馬と称されたトウシヨウボーイとの名勝負は今も語り草。今で言えば、ディープの仔キズナとエピファネイアとのライバル関係と似ている。キズナはエピファネイアに2戦して後塵を拝したが、日本ダービーで初めて雪辱し優勝した。種牡馬になってからも、父に似てアベレージヒッタータイプ(10/10時点の勝馬率は33. 0%=75勝/227出走で父を凌ぐ2位。賞金もさることながらウイナーズサークルで口取り式の記念写真を撮る馬主の夢を多くの馬主に叶える)のキズナと種牡馬として打率は低いが名種牡馬ステイゴールドに似たホームランバッタータイプ(勝馬率は26.1%=59勝/226出走と高くないが初年度産駒のデアリングタクトが牝馬3冠)のエピファネイアとライバル関係が続いている。
テンポイントは種牡馬になりトーショウボーイと産駒を争うことはできなかった(凍結精子があればと思うが、人工授精はサラブレットには万国共通ルールで認められていない)。
天馬との勝負に分が悪かったかった貴公子は最後の二頭の勝負1977年の有馬記念で貴公子は天馬に競り勝ちグランプリに輝いた。だが「好事魔多し」。暮れの有馬記念の激走後の翌1月激走から1か月しか経っていないのに、海外挑戦への行き掛けの駄賃みたいに、寒く馬場も良くないのに66.5㎏も背負って走り、骨折した(それ以降斤量の上限はないが60㎏で走らせることはまずないという)。
異例の延命措置が講じられたがファンの願いは届かず、天に召され貴公子が天馬となった。私の初恋の馬は悲運の名馬で、次に好きになった馬は悲劇の名馬となってしまった。
ガラス細工と言われるサラブレッドは美しいが、壊れやすい。米競馬史上最強馬セクレタリアトを彷彿させる大逃げで沸かせたサイレンススズカ。1998年秋の天皇賞で圧倒的一番人気の中レース中粉砕骨折。その晩武豊騎手は大泣きして泥酔したという。ディープと名牝ビワハイジの娘ジョワドヴィーヴルは馬名の由来が「生きる喜び」ながら調教中に骨折し早世した。繁殖牝馬としても期待されたのだが。両馬ともDNAを残せなかった。ムーティエと同じく栗毛で鼻に白い線が走る。名馬にとって不吉な紋様なのか。否、単なる偶然だろう。同じ特徴を持つオルフェーヴルは健在だ。3冠を抜きにしても「無事是名馬」なり。
1994年に三冠馬になりその年の暮れの有馬記念にも勝利した、故障する前のナリタブライアンを当時私は5冠馬シンザンを抜いて史上最強と思っていた。私の記憶の中でのナリタブライアンは栗毛だと思っていたが、実際は黒鹿毛らしい。引退した翌年にデビューしたグラスワンダーと混同しているのかもしれない。
2011年の三冠馬、上述オルフェーヴルも、栗毛で鼻筋に白い線が入っている。鬣も豊かで、立ち姿はさながら百獣の王ライオンで、神々しい。でも(ディープひと筋で)ファンにはならなかった。
本ブログ2018年8月号100号記念(「インパクトVSコンパクト(1)、(2)」)でディープ礼賛原稿を載せたが、高校の同級生の弁護士からオルフェーヴルが触れられていないとメールが着た。ディープの礼賛が目的では当り前だろうと少しムキになって、「オルフェーヴルは競走馬としても種牡馬としても評価していない。悪しからず」(種牡馬になった時は正直ディープの牙城を脅かすかと心配したのだが)と返信した。簡潔過ぎて却って相手を刺激した。弁護士は後日私と会った際わざわざ話を持ち出し憤慨していた。
他人の応援する馬を貶せばブーメランのごとく我が身に返ってくる。無敗の3冠馬のコントレイルはそれ以降G1勝利がまだない(JC2着、大阪杯3着、宝塚記念は回避)。本年末で引退し種牡馬入りすることが決まっているらしい。秋の3大GIレースの内暮れの有馬記念は出走しないとのこと。秋の天皇賞、JCのどちらか1つでも勝ってほしい(女傑クロノジェネシス、同じディープの仔でコントレイルとは異母兄弟となる姉グランアレグリア、弟シャフリヤールとそのライバル・エフフォーリア等が、立ち塞がるが)。
戦後の日本競馬において三冠達成後(古馬を交えての)G1レースを一つも勝っていない3冠(牡)馬はいない。コントレイルが勝てなければ、無敗の三冠馬でありながら“史上最弱の3冠馬”とアンチから呼ばれてしまう。コントレイル自身は馬耳東風であろうが。
6月から新馬戦が始まっている。来年は6頭?しかおらず、実質ディープのラストクロップ(最終世代)が走るといってもよい。2連勝のコマンドライン、ドーブネのほかリアド(5億円超で落札。未出走)などを含め、最終世代から来年のダービー馬が出るだろうか。5年連続ディープ産駒の優勝となるが。
来年の新馬戦からは、ディープ亡き後リーディングサイアーの座を目論むロードカナロアの対抗馬として浮上して来たキズナを筆頭に今年の新種牡馬として評価が高いシルバーステート、ディープの孫として初めてのG1馬となる仔を出したリアルインパクトやミッキーアイル等ディープの仔たちの仔(孫馬)を本格的に応援することにしよう。
毛色は違うがレース運びがムーティエとそっくりで、伝説の2005若駒ステークスを観て一遍にディープの大ファンになって以来、毛色に拘りはなくなった。青鹿毛でも、葦毛でも皆ディープの仔や孫に変わりはない。皆活躍して永らくディープの血を繋げて行ってもらいたいものだ。
10月3日に競馬の祭典・凱旋門賞が行われた。英オークスを16馬身差(「242年の歴史で最大着差」)で圧勝したスノーフォールが父ディープの果たせなかった夢をアイルランド娘が叶えてくれると期待したが、馬場が悪すぎたか(それから13日しか経っていないのにまたG1レースを走り楽勝のハズがまた敗れた。使われ過ぎで可哀想)。英気を養い来年凱旋門賞2着の現役最強牝馬で2歳年上のタルナワに他のレースに勝つようなら、凱旋門賞の雪辱を期待したい。
凱旋門賞は日本育ちでは容易ではない。アイルランド育ちでもディープの仔に違いない。数は多くないが、欧州育ちのディープの仔や孫も応援していきたい。