2021.4 NO.150  しんう VS しん
 我家の合い言葉は「好き・嫌い」と言える。卒職して過去を振り返るにつれ妻に対する感謝の念が昂じて、恥ずかしげもなくよく妻に好きと言うようになったが、嫌いと妻から必ず返ってくる。「正直な気持ち」という妻の言葉を嘘だと私は信用しない。
 齢を重ねるごとに、私の頑固さ、見方の偏りは、きつくなる。世の信用しないことが増えてくる。
 第1は、「天皇には基本的人権がなく、気の毒だ」と言う人。そんな人を私は信用しない。そんなのに限って天皇制を批判している立場の人が多いからだ。天皇を敬仰している人々は一労働者と同列に論じるようなことは言わないものだ。
 天皇(上皇)及び皇族は、国民であるが、憲法の枠組みを超えた、特別な存在である。国民の大半がそれを是認しているのに、皇族自身が問題提起されているかのような様相にある。
 眞子様が憲法を盾に「彼」との結婚を貫くことを主張し、それを秋篠宮殿下がそれを認めたとの報道を受け秋篠宮殿下に対しても「憲法をつまみ食いされるのか」との批判があがった。批判するのは皇室を敬愛する人々からでもあり、憂慮する事態と言える。天皇陛下をも巻き込みずるずると問題を引きずるなら国民の皇室への信頼に揺らぎを生じさせかねない。と言えば、言い過ぎか。

 もはや「彼」の言動如何で国民の理解・祝福が得られる段階は過ぎていないか。「彼」の事をとやかく言えぬ身の程をわきまえぬ私だが、秋篠宮殿下ご自身がご当主として決断を下し早く決着をつけなさるべきなのではと思う。たとえ親心としては忍び難い選択肢(庶民でも名家なれば、破談か、勘当して娘の好きにさせるかになるか。父親が娘の覚悟を求めよう)しか残されていないとしても。

 何にせよ、英国ヘンリー王子ファミリーの王室離脱のような最悪の事態は起きないであろう。悠仁親王殿下だけが天皇のご養子として皇室に留まるようなことは皇室典範第9条で禁止されている。
 ちなみに、私は(本ブログ2020年2月号NO.127「じょせいてんのう VS じょけいてんのう」で述べたように)男系・万世一系の天皇制維持の立場をとる。
 第2は、ご利益があるという宗教。宗教評論家ひろさちやさんが言っていたように、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のような2千年以上も続く宗教は厳しい戒律を求めるだけ。御利益などあるとは言わない。今から50年以上前私が受験勉強していた頃婦人が二人連れで訪れた。あいにく家人は私一人しかいなく私が応対した。一所懸命拝めば合格できると婦人たちは言った。私が不合格になったらと問うと「それは精進が足りない」と言われ、それで話が終わった。二度と勧誘に来なかった。
 元々信仰心は持ち合わせていなかったが、それでも正月には初詣に神社にお詣りしていた。阪神大震災のとき壊れた神社に八つ当たりした(2012年3月号NO.9「アダムとサダム」参照)。それ以降各地神社仏閣に見学に行くことはあっても参拝することはない。そんな態度では罰が当たると言われても、罰が当たり続けたような人生なので少々の罰では気がつかない。
 神社には自然や過去の偉人を祀る神社も多いが、怨霊を鎮めるために作られた怨霊神社もある。昔は本当に怨霊が存在すると思われていた。今日でも不可思議な現象が続き祟りかと怖がられて東京・大手町にある将門の首塚が動かせないでいる。
 権勢を誇る藤原氏から讒言、京から追放された菅原道真を祀った大宰府天満宮は怨霊神社だったと言える。が、時間の経過とともに怨霊神社は御霊神社に性格を変え、道真公は“天神さま”学問の神様として崇められるようになる(そりゃそうだろう。怨霊と聞けば気味悪がって庶民は参拝に二の足を踏むだろう)。
 年末年始大勢の受験生が全国各地にある天神さんゆかりの神社に参拝に向かう。受験生は、「合格しますように」と願掛けする。全員合格する訳ではないから天神さんも困惑するだろう。御利益を期待するのではなく、「一所懸命勉強しました。試験は必ず合格させて見せます!」と天神さんに対して決意表明するのが正しい作法というものだ(こう私が言っても誰も信用しないだろうが)。
 第3は、新型コロナに関する悲観論的な感染症学者。そんな感染症学者は不安を煽る悪意もなければ嘘もついていないだろう。相手側の問題ではなくこちら側の問題。信用しないと言うのは言い過ぎで、占いと同じで信じないと言うのが妥当か。占いとの違いは、占って欲しい人は能動的に占い師に会いに行く。感染症学者の意見はテレビをつければ毎日否応なしに(同じ話を)聞かされる。聞きたくない者にとって苦痛でしかない。反射的にTVを消してしまう。
 この世は若者の為にある。あの世は我々老人の為にある。新型コロナが乳幼児や若者を重篤化させることが少ないと分かった時点で、私は、新型コロナは(少なくとも日本においては)人類にとって脅威ではないと思っている(私の関心事は、感染症は免疫力の低い老人と乳幼児が重篤化しやすいハズなのに、なぜ新型コロナは乳幼児等を重篤化させにくいのか、ということ)。
 新型コロナに対応する指導者・関係者も内心そう思っているのではないか。そのため本気になっていないと見える。三蜜を避け時短等を国民に強いるが政治家たちはそれが守れない。分科会の会長は、「自身の傘下の病院では新型コロナ患者の受け入れが少ない」と批判報道される。ある感染症学者は「政府の対策が後手、後手だ」と叫びながら、その裏でバラエティー番組に出演し「愛の告白は自身からできないから相手からしてもらいたい」と色ボケた発言をしていた。 
 医師は新型コロナぐらいでは医師の使命感が燃え上がってこないのだろう(未曽有の関東大震災の時は全国から多くの医師がボランティアで上京したという)。指定感染症2類相当で負担が大きいなら、なおさらにコロナ患者の受け入れに消極的になるのか。その医師たちに働きかけるべき医師会のトップらは、相変わらず国のトップと勘違いしているかのような発言を繰り返している。
 これでは、新型コロナ対応で、台湾のように国民全体が心一つになれるハズがない。
 第4は、政治家の公約。公約とかけて膏薬と解く。その心は「時間が経つと効き目が無くなり貼り換えが必要です」。それもあって最近は選挙で公約と言わずにマニフェスト(manifesto。産業廃棄物管理票はmanifest)と言うのか。アジェンダと言う政治家もいた。
 早晩衆議院議員総選挙があり、各党マニフェストが提示されるのであろうが、橋下徹弁護士によると、「公約」は政治家のいわば願望であり、「マニフェスト」は、政治家が示す大きな方向性の下に、役所が具体的に政策や制度を作り込む際の工程表・スケジュールの意味合いである。政治家が示すものではない、とする。それでは結局看板の架け替えに過ぎないということになるか。
 最後は、「正直に言ってくれたら絶対に怒らない」という妻の言葉。それを真に受けてはいけない。ある芸人さんがTVで言っていた。妻から「私太ったと思わない?」と聞かれ、「太っていないんじゃない」と答えた。また同じことを聞かれ、同じ返事をした。それでもまだ聞いてくるので、「そういえば、少し太ったかなぁ?」と答えたら、「なにーっ!!」と妻に切れられたという。
 妻は「正直」を求めていない。求めているのは「否定」。夫は(妻が信じたくないことは)否定し続けなければならないのだ。次の芸人さんの下ネタはその真理をよく突いている。
 ホテルで愛人といるところを妻に見られたら、ベッドインしていないと否定する。ベッドインしているところを見られたら、脱いでいないと否定する。脱いでいるところを見られたら、していないと。していたら・・・と、あくまで否定する。それが正解なのだ。
 我妻に「信用できないものは?」と問うてみた。聞くや否や、「アンタ!」と妻は即答した。