2021.8 NO.156 ルー VS ルール
 新型コロナ禍での東京五輪の開催が秒読み段階となった折、西村宮内庁長官から「五輪開催がコロナ感染拡大につながらないか、天皇陛下が懸念していると拝察している」との発言があった。天皇の政治的発言と受け取られかねないと懸念したが、案の定海外からそんな指摘を受けた。

 象徴天皇が政治的発言をすると問題になる(それだけでなく政治利用する者が現れ、問題をより深刻化させる)ことを未然に防ぐことは、天皇陛下に使える宮内庁長官の大きな役目の一つであろう。それなのに宮内庁長官自身が天皇、ひいては天皇制を揺さぶる発言をするとは。

 五輪開催の是非は別にして、忠諫かなわず天皇陛下が直接ご発言なされてしまったのならともかく、加藤官房長官が宮内庁長官個人の意見として収めようとしたのは、至極当然である。

 28頁に亘る「小室文書」を評価したかのような発言も勘案すれば、警察官僚の元トップともあろう者が皇室と国民を引き離すかのような言動をとることに、違和感を禁じ得ない。

 

 そんな中、女子ゴルフの東京五輪出場者が決定した。日本からは畑岡奈紗選手と稲見萌寧選手が金メダルを狙う。とくに全米女子オープンで惜しくもプレーオフで敗れた畑岡選手にはここにきて復調気配であり、舞台の霞ヶ関カンツリー倶楽部は相性がよいとのことなので、大いに期待される。
  二重国籍を持つ笹生優花選手は全米女子オープンを勝つ前確実に五輪に出場できるフィリピン国籍を選択していた(五輪後日本国籍を選択するらしい)。
 2021全米女子オープン(以下「全米女子」)を史上最年少(19歳351日)で優勝し、晴れて米ツアーメンバーとなった笹生選手は、優勝直後の記者からの問いに対して「私は自分のことしか考えない選手になりたくない」と発言した。考え方はしっかり。佇まいはまるで女剣士。メディア等に囃し立てられても煽られても、自身を見失うことがないように思える。「藍ちゃんに憧れて」ゴルフを始めた笹生選手が日本を代表する女子プロ宮里藍さんの後を継いでくれることだろう。
  笹生選手は元々米ツアー志望で前回のQシリーズ(最終予選会)が不合格となったので日本でプレーしただけ。子供の頃から米ツアーで通用できるよう下半身を強化してきた。
 最難関メジャーを制したからよく見えて当たり前なのだが、飛距離と高弾道、深いラフからでもグリーンに乗せられるパワーと技術、アプローチでの引き出しの多さ、絶妙なバンカーショット&パット。メンタルのタフさ、語学堪能も含め米ツアーに必要なものをすべて19歳の若さで備えているように思える。
 笹生選手にあるものが渋野日向子選手には少ないように見える。メジャー・2019全英女子オープン(以下「全英女子」)に勝ったが、コースが、メジャーの中では6,585ydと比較的長くなく、しかも風が強く吹くリンクスコースでなく日本のコースに似ていた(今の飛距離、ボールの高さでは長い米本土メジャーの優勝はイメージしづらい。渋野選手が次にメジャーに優勝するとすれば、コースが6,523ydの仏でのメジャー・エビアン選手権ではないか。パワーヒッターではないチョン・インジ選手やキム・ヒョージュ選手等が制している。メジャー昇格前宮里藍さんも優勝している)。
  さらに、下りなのに優勝パットを強く打つ、怖いもの知らず。それで全英女子を優勝できたと言える(凱旋帰国後の2019NEC軽井沢72ゴルフトーナメントでは、最終日の最終ホールで、同じような優勝を決める下りのパットで強く打ち、返しのパットもはずし、プレーオフにも残れなかった)。
 渋野選手には、ビギナーズ・ラックだったと客観的に自分を見つめる謙虚さが必要ではないか。いや、ゴルフの怖さ、奥深さを知った今渋野選手本人も既に自覚しているのではないか。笹生選手の全米女子優勝で踏ん切りがついたのでは。聞く耳を持つようになる、そう思いたい。
 
  高額宝くじを当てた人が却って人生が狂うことがあるように、渋野選手が全英女子を初挑戦で勝った(宝くじと違いラッキーだけではなく実力も必要ではあるが)ことが、良かったかどうか。

 15歳で日本ツアーを最年少優勝したことにより、身の丈を超えた目標を設定し?タイガー・ウッズ選手を目指したのか空回りした石川遼選手の二の舞にならないか。石川選手とバラエティ番組で談笑しているだけなのか、指導を受けているのか、分からないが、“遼化”の道を辿るのを心配するファンは少なくない。
  渋野選手の影に隠れて、オフに地道に黙々と練習し、小祝さくら選手、稲見萌寧選手等若手選手が日本女子プロ賞金ランキングのトップ層を形成する。メジャー勝利がなければ渋野選手がその上に鎮座していたのかもしれない。
  渋野選手は、メジャーを勝つ1年前は2度目の挑戦でプロテストに合格したばかり。メジャー優勝後日本が好き、準備もまだと米ツアーへの権利も放棄した。東京五輪も出場したいと言っていたハズだ。にもかかわらず、メディアに煽られ、畑岡奈紗選手が優勝した2019日本女子オープンに出場した親日ユ・ソヨン選手には「米ツアーにいつ来るの?」と声をかけられ、台湾での米ツアートーナメントで親日台湾人に熱烈歓迎を受けると、半年も経たないうちに、「米ツアーに行きたい」との報道が流れ始めた。そして、「東京五輪よりも米ツアー」と公言するようになり、ディフェンディングチャンピオンとして出場すべき今年の公式戦「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」を欠場し、メジャーでもないタイでの米ツアーに参戦した。
  その折、渋野選手に100万円の罰金を課したことにファンは「時代錯誤」とか協会を批判した。罰と聞くとマイナスイメージを持つが、OB2打罰のルールは、そのままプレーすると何打たたくか分からなくなるのを防ぐ救済措置でもあるのだ。同じように、日本女子ツアーは米女子ツアーの二軍ツアーではなく、また、大会スポンサーの手前、協会から「そんなに米ツアーが良いなら、日本ツアーを退会してから、行け!」と死刑宣告を言い渡されてもおかしくないところをスポンサー収入も得ている渋野選手にとって痛くも痒くもない程度の罰金で済ませてもらっている。温情措置なのだ。大会スポンサーがあってこそ毎年ツアー開催の維持ができ、優勝者は高額な賞金が貰える。日本ツアーのプロとしての渋野選手の大会スポンサーに対する感謝の念は如何に。
  同じく、(森元首相の女性蔑視発言の折一国の元首相に対して「無知」とツイートしたとき勇み足をしないか不安を覚えた) テニスの大坂なおみ選手の、思いのほか他の選手の賛同が得られず、後出しの鬱告白で後味の悪い矛の収め方となった全仏オープンテニスにおける記者会見拒否問題も、莫大なスポンサー収入を得て、それは4大大会の優勝があればこそというプロの本質を見失っている面もあるのでは(セレブの仲間入りを果たしても差別問題の先頭に立つ彼女を讃美してきた私としては手のひらを返し過ぎか)。
  さらに、渋野選手は、スイングの改造に対して、レジェンドの、樋口久子さん、岡本綾子さんが、メジャーチャンピオンに遠慮しながら疑問を呈しているのを知りながら「誰が何と言おうと関係ない」と発言したとの報道がなされる。全米女子の前でも「みんな解説したがりだな、他人のことをねえ」とNumber Webに載る(こんな発言をやめさせる者は周りにいないのか)。
  まだ人生経験の少ない20代そこそこのいわゆる“ひょっこ”と言えども、プロテニスプレーヤ―もプロゴルファーも個人事業主だから、チームもスポンサーも女王様扱いなのか。所属ジムの会長、トレーナー(実父)がいるプロボクシングの井上尚弥選手は日本が世界に誇るチャンピオンとしての発言を心得ている。単に本人が賢いだけではなかろう(ベーブ・ルースの再来と囃されるMLB・エンゼルスの大谷翔平選手も、驕らず、謙虚そのもの)。
  渋野選手が、日本の代表、特別な存在という自覚がなく、「重荷」を背負わず、自由に生きる。それは本人の勝手。だが、それなら私も特別視しない。
  これまで4度本ブログで渋野選手のことに触れてきた(2019年12月臨時号NO.125「ひさこVSひなこ」、2020年8月号NO.136「ナナコVSヒナコ」では好意的に、2021年1月号NO.144「かんさいべんVSかんさいけん」、2021年3月臨時号NO.149「さそうVSなそう」ではやや否定的に)。

 日本の代表、日本女子ツアーの宝だと思えばこそ、私は、応援もするし、心配もした。親戚の爺ちゃんでもないので、言動の変化が見られないならもう本ブログで取り上げないと思っていた。しかし、笹生選手のメジャー制覇で事態は変わった。思うに任せないやるせなさから片意地を張っていた?渋野選手も変わるだろう。元の皆から愛される選手に戻るのでは。
  

  米女子ツアーは、多くのメジャーチャンピオンを擁する韓国勢の天下だったが、メジャー2勝・元世界ランク1位のアリヤ・ジュタヌガーン選手、メジャーの2021ANAインスピレーション(6,763yd)を制したパティ・タバタナキット選手、アマ時代笹生選手に勝るとも劣らない実績をもつ18歳のアッタヤ・ティティクル選手(渋野選手が出場した地元タイでの米ツアートーナメントで最終番に逆転負けし米ツアーメンバー入りを逃す)等パワーヒッターのタイ勢が台頭してきた。本家の米国勢では先週のメジャー・全米女子プロに優勝し世界ランク1位となったネリ―・コルダ選手と姉のジェシカ選手、レキシ―・トンプソン選手等長身の飛ばし屋がいる。笹生選手もいるとなると、米男子ツアー同様パワーヒッターでないと太刀打ちできない時代に米女子ツアーも突入していくのでは。

 黄金世代、プラチナ世代等とマスコミに持ち上げられる若手の中には、笹生選手や畑岡選手を見て私も米ツアーと言う女子プロが増えてこようが、勉強すれば皆東大に入れるわけでないように、皆が笹生選手や畑岡選手になれる訳でもない。
  日本ツアーで1勝あげたら、すぐに米ツアーに挑戦し、また直ぐに戻ってきた河本結選手に対しては、日本の代表と思っていなかったし、ファンでもなかったので、わざわざ名を挙げてコメントすることはしなかった。ただ、私も転職の時そうだったが、「強い憧れ」が不安や難点を隠してしまうということを改めて感じた。

  日本の若手女子プロは、(新型コロナ禍が収まれば)大いにメジャーに挑戦すればよい。が、米ツアーへの転戦は慎重さがあってよい。米ツアーに挑戦した先輩女子プロ達にもっと敬意を払い参考にしてはと思う。日本で活躍していたこの先輩達が下記の通りなぜ米ツアーでは勝てなかったのか。先輩たちと自身との彼我の差は如何にと見つめてもらいたい。
  上田桃子選手は2005年にプロテスト合格。2007年5勝あげ、史上最年少賞金女王となる。日米共同開催ミズノクラッシックでの優勝で米ツアーの権利を取得。翌年米ツアーを主戦場とするが、もう一度日本での開催ミズノクラッシックに優勝するだけで、米ツアー(単独開催)での優勝はない。有村智恵選手も、2012年までに国内女子ツアーで通算13勝をマーク。同年米国ツアーの予選会を突破し、翌2013年から本格参戦するもメジャーはおろか1度も優勝できなかった。2016年米ツアーを撤退している。
 韓国でレジェンド朴セリ元選手に次いで尊敬されている朴仁妃選手(米ツアー20勝、メジャー7勝。リオ五輪の金メダリスト)ですら、2008年に史上最年少で全米女子を制しているのに、石の上にも3年ではないが、2010年~2012年日本ツアーでプレーした後米ツアーに本格参戦している。

 17歳の梶谷翼アマも2021オーガスタ女子アマチュアに優勝したが、日本ツアーの11月予定のプロテストを受けるという。冷静な判断だと思う。
 
  日本女子ゴルフ協会のスタンスも少し理解に苦しむ。協会自ら米ツアーの二軍ツアーと認めているのかと思ってしまう。2019年、同年以降の複数年シード獲得者について、シード開始年度を権利獲得の翌年から10年のうちで、任意で選択できるよう規則を改めた(改定前は獲得翌年から発効)。

 今回の改正は、米ツアー挑戦に対する不安を和らげ、公式戦優勝者(3年シード)等に対して米ツアーへの早期転戦を後押しするだけではないか。

 賞金シードとダブるなら、翌々年から特典シードを付与すればよい。さらに公式戦の優勝の価値を高めるには、賞金の増額が望まれる。が、それが今のご時世容易ではないにしても、今年だけで5勝の稲見選手が目指しているという永久シードの条件を現行30勝を30ポイントに変更し、公式戦優勝ポイントは倍の2点とするのはどうか。公式戦5勝、その他20勝で、あるいは、公式戦10勝、その他10勝で、30ポイントに到達。公式戦優勝へのモチベーションがさらに高まるのではないか。

 協会はメジャーへの挑戦は支持している。アジアの有望選手が日本ツアーに来てくれるよう日本ツアーの代表として日本ツアーのレベルの高さを世界に示してほしいと積極的に送り出せばよい。女子プロ自身も、自らの位置、足りないものは何かを知ればよい。
  それなら、年間ポイントレース「メルセデスランキング」と同じようにメジャーの賞金も国内獲得賞金に合算すべき(そうなら、今季賞金女王を狙うと公言した小祝選手も積極的にメジャーに挑戦するのかもしれない)。男子ツアーと違い日本公式戦とメジャーとの賞金差は4千百万円前後(最高峰の全米女子は別格で優勝賞金は1億1千万円と破格だが)。日本男子ツアーのように、松山英樹選手のごとくマスターズを優勝(優勝賞金は約2億3千万円)すれば、それだけで日本の賞金王が決まってしまうこともないだろう。
  さらに、ゴルフファンが「時代錯誤」と声を上げるべきなのは、海外の一流選手を締め出す制度変更。韓国の一流選手にもプロテストを受け合格しないとQT受けさせないとする。実質韓国の一流選手を締め出す「令和の尊王攘夷」と言うべき悪法と言っても過言ではないだろう。
 2016年度の国内賞金ランキング・ベスト10(敬称略)では、1位イボミ、2位申ジエ、4位キムハヌル、6位テレサ・ルー(台湾)、7位全美貞、8位李知姫、9位アンソンジュ。上位10名中、7名が外国選手で、その内6名が韓国の選手。

 5年後の現在(2020年~2021年6月末)の同ベスト10になると、外国選手は先々週優勝しベスト10入りした申ジエ選手(7位)のみ。新型コロナ禍の一時的な影響に過ぎないのか。他の韓国人選手や台湾のルー選手は、一時的に不調なだけか、それとも峠を迎えているのだろうか。
 この状況を、日本選手が強くなったと手放しで喜んでよいのか。若手選手は、楽に賞金女王や公式戦勝利を得、3年シードの保険証書を手に米ツアーに転戦していける。成功すればそのまま米ツアーでプレーし、失敗すれば数年後戻ってくるが、渡米前の実力がもう発揮できない。発揮するのに時間がかかる。それでは、いつまで経っても、日本ツアーがレベルアップしないのではないか。
 ゴルフファンに韓国人選手をヘイトする者がどれぐらいいるのか。それも一因で韓国の一流選手を締め出すのではあるまいな。
 日本女子プロゴルフ界の“尊王(攘夷)”とは、誰を指すのか。小林浩美会長のことになるのか。

2021.7 臨時号 NO.155  アンポ VS  インポ(2)
 話が横道に逸れすぎたが、ジャンヌ・ダルクは「フランスを救え」と神から啓示を受け(『世界史を動かした脳の病気』の著者小長谷正明氏によれば「側頭葉てんかん」によるものらしい)、1492年イギリス軍と戦い、フランス中部の町オルレアンを開放し、今でも市民から感謝されているという。
 樺はこれからという時に亡くなった。生きていれば、今年84歳になる。その後の日本の高度成長、社会主義の自壊を見たとしても、西部のように早々と転向するとは思えない。歴史の研究者か、慈悲深く生徒から慕われる学校教師か、高校の4年先輩にあたる扇千景元参院議長のごとく国会議員(非自民系だろうが)になったのだろうか。
 社会主義革命を目指した(過激派にはならなかったと思うが)樺はクリスチャンであるハズはない。どんな神?がよき人を早く召しあげたのであろうか。

 反体制派のシンボルが樺なら、体制側の象徴は「妖怪」と称された岸信介首相。当時10歳になる直前の私にはもちろん樺は知らないし安保の意味も知る由もない。ただ、岸首相が本当に妖怪に見えたことを覚えている。それから成長し20代の頃には、国のトップとしてあるべき姿を示した一人だと思っていた。米国の傀儡だと批判する声もある。頭がよく複雑なので分かりにくい面があるが、敗戦した米国から真の独立を果たしたいが、現状を鑑みればやむなしと、国民全員に反対されようとも日本の将来のために安保改定を断行し、(内心はともかく)潔く官邸から去ったと私は高く評価している。今の大衆に媚びる政治家とは一線を画す岸首相は、戦後の首相の中で田中角栄首相と双璧だと思っている。
 
  70年安保が近づいてきた頃私は(大学)受験勉強に没頭していた。関心事は1969年東大入試が実施されるかということ。新年早々東大安田講堂を占拠していた全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生と排除しようとする警視庁との闘いに固唾を呑んで見守っていた。
  結局東大入試は中止となり、東大を目指した受験生が都落ちしてくると京大を目指していた私だけではなく他の同級生も志望校を変更することになってしまった。その時の私の心情は本号2013年6月号NO.24(「ゆい と ぬい」)で吐露しているので省略する。
 神戸大学に入学したが、大学紛争で半年間登校できなかった。大学に通えるようになると麻雀を覚え、学生運動には関心がなく、いわゆる典型的なノンポリであった。
 1970年11月25日陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫が割腹自決したことを聞いたのも大学から雀荘に向かう途中大学に向かう同級生から聞き及んだ。
 大学で受講を終え、雀荘に向かう時、よく大学の正門のところにゲバ棒を持ちヘルメットをかぶって立っていた同級生に対して、半分冷ややかに見、半分負い目を感じていた。
  就活時期になると、バンバンの『「いちご白書」をもう一度』の歌詞「就職が決まって髪を切ってきた時 もう若くはないさと君に言い訳したね」ではないが、髪を短く切ってネクタイも締めているその同級生を見て、負い目など感じる必要はなかったと思った。
 チャーチルは「若い頃に左翼でない者は情熱が足りない、大人になっても左翼の者は知能が足りない」と言ったという。当時インテリな学生にとって学生運動はブームだったのだ。その後官民を問わず体制側で大成した者が数多くいる。若い時に抑えきれないエネルギーを持っていることが大事なのだろう。そのあり余るエネルギーを御す為に柔道を習った山下泰裕JOC会長、ボクシングを覚えた世界チャンプの村田諒太選手も同じだろう。
 昨年映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観た。1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・ 三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会を50年後の冷めた目で観ると、日本で革命が起きるハズはなかったと思った。ほとんどが裕福な家庭で育った東大生と大作家の論戦は高度な知的水準でのゲームに過ぎない。平気で人を大量殺戮する武力による革命は、毛沢東のごとく、賤の貴に対する、強烈な怨嗟、嫉妬と野心がなくてはならない、当時の日本の知識人達にそんなものがあるとは見えない。
  当時神戸大学の経済学部は近経(近代経済学)が主流で、マルクス学者は少なかった。が、それでも置塩信雄という名の通ったマルクス学者がおり、当然講義を聴講したが、全然面白いとは思わなかった。マルクスの『資本論』(東大卒忍者タレント鈴木柚里絵さんは愛読書らしいが)にも関心もなく読みこなせる能力もないと思い購読しなかった。私自身は資本主義が終焉するのではなく、資本主義も社会主義も一つの方向へ収れんしていく「体制収れん説」を支持していた。
 その結果は、米ソ冷戦で見れば、終焉したのは社会主義体制の方であり、体制収れんも起きなかった。現在は米中対立。資本主義対国家資本主義との様相にあると言えるが、垣根が低いともいえる。覇権争いと言い換えるべきか。
  米中はよく似ている。多民族国家であり、数%の国民に富が集中し、90%以上の国民が貧困にあえぐ。違いは、覇権の目的とその手段と言えるか。米国は自由主義陣営での盟主。そのために既得権とする軍産複合体による目に見える大型軍事兵器で敵対国を破壊する。中国は中華大皇帝国の復活であり、他の国をすべて自治区ないし朝貢国する。支配した国のビルなどを居ぬきで活用したい。それにふさわしい手段と言えば、米国に追い付くことが容易でない(『中国人民解放軍の全貌 習近平 野望実現の切り札』<扶桑社BOOKS新書>によると、米国と中国の核戦力比は15対1という)、目に見える大型軍事兵器でなく、目に見えない、人だけ襲うウイルス兵器ではないか。それは話が飛躍し過ぎているのだろうか(ただ、日本は中国にとやかく言える立場にない。言えば藪蛇になる。戦前ノモンハン事件の大敗でソ連との軍事力の彼我の差を痛感した満州の関東軍は細菌兵器を開発し使用した。史実に基づくノンフィクションと呼ぶべき吉村昭作の小説『蚤と爆弾』<文春文庫>の中で描かれている。ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した『スパイの妻』もこれを題材にしている)。
  北朝鮮、イランの核兵器への監視よりも、中国へのウイルス研究に対する監視がより重要課題なのかもしれない。武漢ウイルス(WHOは地域名をつけた呼び方を批判するが)の真相解明と責任追及を世界が協調して実施されるべきと思うのだが。 
 さらに、宇宙軍事力、AI技術、サイバー攻撃等で覇権争いを激化させる二大強国の狭間に位置する日本は、戦争に巻き込まれかねない難しい立場ではあるが、米中双方から頼られる立場を利用し米中戦争を回避させながら、私の戯言「平和大三元論」の真珠のごとき輝く白牌としてOnly Oneの立場を確立していくことが望まれる。

  香港の学生は闘争ゲームではなく、民主化を守るため本気で中国共産党と戦っている(暴徒化しているのはベトナム難民二世を主体とする武勇派だとか)。周庭さんは刑務所から出所した。沈黙を続けることになるのか。それとも“香港の樺”になるのか。どちらにしろ過酷な運命だが。
 ミャンマーも民主主義が弾圧されている。平和慣れした日本人は、それを他人事と傍観するのではなく、日本も香港やミャンマーほどドラスティックではないにしろ全体主義国家に回帰しないか民主主義に対する危機感を持つべきだろう。
  だが、今の若者は、男子も体毛を剃り、ネイルサロン行く。女子は、それを女々しいと思わず、良しとするという。
  予算難のTV局に持ち上げられその気になっている東大生もいる。一般大衆とは呼べない、他の東大生のサイレントマジョリティはどうしているのか。あり余るエネルギーがあるのか。東大生ということだけで敬意が払われる(天才モーリー・ロバートソン氏ならいざ知らず、凡才がテストが3科目程度の有名私大ならともかく急に勉強し出し東大を目指すTVドラマ等は観ない。東大生に対する冒瀆と思うから)ことに応え、学歴エリートとしての使命感は、日本の置かれた立場を憂慮し日本の将来を背負っていくとの気概は、あるのか。
  それを私が言えば、「ノンポリだったくせに。アンタごときにとやかく言われたくない」と反発するだけか。それとも、言われなくとも時期が来れば豹変するのだろうか。
 22歳の乙女のままの樺と爺の姿の西部が60年ぶりに天国で再会しているだろう。後輩の今の東大生について何を語っているのだろうか。

2021.7 臨時号 NO.155  アンポ VS インポ(1)
  棒とヘルメットを使用して反対デモするのが安保(闘争)。棒が使えずそれ故ヘルメットも不要なのがインポ(Impotenz)。それは男を全否定するような侮蔑的意味合いがあるので、最近ではED(Erectile Dysfunction)と呼ぶのだそうだ。
 私は前立腺がんの治療で放射線治療を選択したが、前立腺が大きすぎるので、その前にホルモン療法(飲み薬と注射)を受ける必要があった。どんな変化が起きるか不安があり、2012年2月長男の結婚式まで待って翌日からホルモン療法を開始した。前立腺がんの餌である男性ホルモンを止めると癌自体が小さくなるし前立腺肥大も改善されるとのことであった。
 6か月間のホルモン療法で、ED以外にどんな変化があったかと言うと、鬚が薄くなり、胸が膨らんできた。女性の更年期障害と同じく、ホットフラッシュ(急に体が熱くなり汗が噴き出すこと)もあった。ヒステリーになるかとも思ったが、それは女性特有のものかそうはならなかった。 
 最も驚いたのは、その頃毎週毎日のように週刊誌を買っていたが、週刊ポストや週刊現代には袋とじがついている。若い頃ほど関心はないとはいえお金を出しているので、必ず鋏で開封していた。ところが、ホルモン療法を継続していた6か月間まったく開封することがなかった。私としたことが性的なことに関心が向くことが全然なかったのである。
 世の中には、止めたいと苦しんでいても、理性では男性ホルモンの暴走を止められず性犯罪を繰り返す人がいよう。ホルモン療法が有効かと思う。人権問題に関わってくるが。

 神戸高校の先輩故樺美智子については、本ブログ初号(「オスとメス」)で触れた。すぐ後にも詳しく書こうと思っていた。が、表題が表題だけに、なかなか筆をとる気にならず、本ブログ50号までをまとめて非売本にする際の50号にと思ったが、結局掲載できずに終わった。100号、150号にも載せられなかった。もう200号までもたない。いつ連載が終わってもおかしくない状況になってきたので、10年越しに今回掲載することにした。
 1950年生まれの私より13歳年上の樺は神戸っ子ではない。たまたま父親が神戸大学の教授として赴任にしたに伴い神戸に来た。それもあって東大を目指したのであろう。東大受験に失敗し一浪生活の時には東京に戻っている。私の時代でもそうであったが、女子は私立の有名進学校(灘、甲陽、六甲)に入れないので、神戸高校のトップクラスが女子でも不思議ではなかった。が、自宅からの通学も可能な京大を目指した女子が大半だったと思う。
 1960年の1月時点では少なくとも二人の美智子という女性がいた。一人は前年に皇太子(現上皇)と成婚された美智子妃(現上皇后)。もう一人は樺美智子その人である。樺は美智子妃ほど美しくないが、江刺昭子氏の『樺美智子、安保闘争に斃れた東大生』(河出文庫)の表紙を飾る写真では慈悲深い観音菩薩の仏像を思わせる(樺を後輩としてよく知る御茶ノ水女子大名誉教授故青木和夫は生前樺を興福寺の八部衆のどれかに似ていると言っている)。
 半年後、美智子妃は国民の安寧と世界平和に国母として天皇と共に尽力され現在に至る。が、樺は、生身の美智子は消え、“日本のジャンヌ・ダルク”との虚像として生き続けることになる。樺は1958年に東大に入りすぐに日本共産党に入党するも、離れ同年創設されたブント(共産主義者同盟)に翌年樺の二つ年下の東大生西部邁らと共に加入する。
 1960年1月15日安保改定の調印に向けた岸総理の翌日からの訪米を阻止しようと「羽田空港座り込み」事件で樺は逮捕される。拘留時の侮蔑的な身体検査は中流家庭のうら若き乙女には衝撃的なことであったハズ(母親にも親友にも一切話していないという)。
  しかし、それで挫折するどころか、学生仲間に「神がかっている」「死に急いでいる」と言われるほど安保闘争にのめりこんでいく。そして運命の6月15日を迎える。西部も、吃音で弁が立ちにくいのを知識不足と勘違いして(西部が既に知っている)共産党の歴史を教えてくれた樺に対して「私の方には彼女のただならぬ誠実さが強く印象づけられ、そのせいか、六・一五事件で死者が出たと耳にしたとき、すぐに彼女に間違いないと直感したのである」と『60年安保 西部邁』(文藝春秋)のP31でそう述懐している。
 樺の死が60年の時を経ても風化しないのは、死因について、「圧死」なのか「扼死」なのか、くすぶり続けていることも関係していよう。私も扼死説に一票を投じる。
  ただ、樺自身も死ぬこともあろうかとは思っていたかもしれない。当日の朝下着を替えたと母親が証言しているから逮捕されるのは覚悟していただろうが、殺されるとは思いもよらなかったのでは。一方政府側も、昨年の香港でのデモの際警官が至近距離から学生らに発砲したのを容認するような、そんな意志はなかっただろう。60年安保の時デモ隊はまだゲバ棒もヘルメットも装備せずスクラム組んでの肉弾戦にすきないというのだから。
  樺の死には政府も困惑したのではないか。上述の江刺氏によると、扼死説を死ぬまで唱え続けた父の俊雄は『「暴力ということについていうならば、単にデモ隊の暴力だけをとり上げるべきではない」。武装警官が「非武装の国民大衆のデモ隊にむかって行使した暴力」こそ糾弾されるべきだ』と主張した。その言葉に尽きると思う。
 膵臓を警棒でひと突きし、気絶した樺の首を絞めた警官か機動隊員かがいたとしたら、殺意があったのか、過失致死だったのか、どちらにしろ、良心の呵責に苛まれても自首することも許されず、何十年の長きに亘って十字架を背負い悶々とした日々を送ったと思いたい。今はもう鬼籍に入っているのかもしれないが。
 当の樺は「東大生」「聖少女」と謳われるのは喜んでいないだろう。ましてや、ジャンヌ・ダルクと持ち上げられるのをそれは違うと空の彼方から叫び続けているのではないか。
  地味で目立たない下働きを一人黙々とこなしていた東大の女子大学生が何かをなす前に亡くなっただけ。「東大女子大生の死」そのことが、メディア、国民の反響を呼ぶ。
  それは今も同じ。電通の東大卒の美人社員が自殺した。今まで進展しなかった時間外労働の問題で国を動かすことになった。35、36年前銀行の組合専従の時「100時間外労働制限キャンペーン」を展開したことを経験した私からすれば、100時間そこらの時間外では、電通の彼女の死の主因は、時間外労働とは思わない(元議員の豊田真由子氏は厚労官僚時代月間300時間の残業したこともあるという)。上司からのパワハラと私生活上の悩みの方が問題だと推考している。
  (現在の労働行政では過労死ラインは80時間らしいが)月間100時間は営業日数20日とすると一日5時間でしかない。17時から残業だとすると22時までにしかならない。銀行は9時から15時までだが、貸付営業の者は朝8時には出勤して、その日の準備をして営業会議に臨み9時半頃外回りに出る。夕方戻り顧客から預かった物を整理して現金、小切手を出納係に渡し、営業会議でその日の活動報告をする。その後貸付案件の稟議書を作成する。22時では終わらないのだ。組合はその実態を無視しえず、月間100時間の時間外を容認し100時間を超える店舗の支店長に改善を求めていた。
  そのような時間外労働問題で自殺する銀行員を私は知らない(浮気はご法度だが、浮気する暇もない。当時「亭主元気で留守がいい」と言う奥方にとって銀行員はピッタシの結婚相手だったのだ)。
 なんにせよ、彼女の死が時間外問題を進展させ、内外のエコノミストが指摘する「日本の生産性の低さ」を改善するにつながるなら、それに越したことはないのだが。
 

2021.7 NO.154 つま  VS  つみ
 6月は我妻の誕生月(2人の幼い孫娘も同じ)。今回は我妻のことを話してみたい。
  仲睦まじい三浦友和・(山口)百恵夫妻は昨年11/19に結婚40周年を迎えられた。半年後結婚した我ら夫婦もどうにか5/3に40周年(ルビー婚)を迎えられた。「別にめでたくもないけど」と言う妻と二人で祝杯を挙げるべく店を予約していたが、緊急事態宣言により店側からキャンセルの連絡が入った。長男ファミリーと一緒に妻と孫の誕生日会と併せて折を見てお祝いすることにした(妻は娘が嫁ぐ時「お父さんは女性的だから結婚記念日とか誕生日とかに飲食店に予約したりするけど、世の旦那はそうとは限らないのよ」と申し送りしていた)。
  結婚を前提にと数寄屋橋のソニービルで再会した23歳の妻は眩しかった。綾小路きみまろさんの漫談ではないが「あれから40年」。「同じだったらお化けでしょ!?」と妻は言う。「お化けでもいいから・・・」とは、さすがに口が減らない私でも口にしない。私が40年前に戻りたいと言うと、妻は「私は出会う前に戻りたい」とぬかしおる。
  結婚当初は、神戸市の東端、深江本町に住んでいた。阪神大震災の際国道43号線上の高速道路が芦屋市側との繋ぎ目から神戸市側の道路が横倒しになった、その繋ぎ目の近くに。
  昭和53年秋、5年程の東京勤務を終え本部の審査部に半年間ほど席をおいた。融資の可否を判断する審査役のアシスタントの仕事だ。決算書や資金繰り表、他行の融資状況等から矛盾、問題点を洗い出す(これからはAIがとって代わるだろう)。その時、以前新宿支店で上司だった人が同じ審査部にいた。その人から取引先が賃貸マンションを建てるので借りないかと勧められ、実家を出て昭和54年4月4階建ての4階に入居した。今は亡き母が好きだった、苦節十数年の小林幸子さんの『おもいで酒』が大ヒットして行く頃であった。
  それから2年後の昭和56年5月に妻と結婚し同居した。翌年に長男が生まれ、高速道路に近く洗濯物が汚れ空気がよくなく、またベランダの手すりが低く幼児にはアブナイと考え、転居した。

 新神戸駅から北に7㎞のトンネルを抜けると新興住宅街が見えてくる。その一角にある中古だが敷地58坪の一軒家に昭和57年秋に移った。そこで平成6年3月まで居住した。
  その頃、子供はまだ小さく成績やいじめの問題もなく、亭主は順調にそれなりに出世の階段を登っていた。妻自身はまだ若く、エアロビクスの教室に通い他の主婦と楽し気に飛び跳ねていた。その頃が妻の人生のバイオリズムの最高点であったろう。
  そんな平和な生活が急転する。私が妻に相談することもなく、銀行を辞めてできるかどうかも分からない社団設立に参画すべく平成6年正月ひとり上京した。社団のメドは立ったが、私自身は(今から思えば、考えが甘かったとしか言えないが)すぐに二重生活が出来なくなり、妻が自身の城と思っていた自宅を急遽売り家族も上京することになった。不動産業を営む高校の同級生が買い取ってくれた。私の方には過不足はなかったが、翌年思いもよらぬ阪神大震災が起こり同級生は損を被ったらしい(壊れた故郷を見るに忍びなく5年程帰郷しなかったこともあり、そのことに思い至らなかった)。
  家族も上京するに際し、私は「どうせ家ごと壊すので要らない物はそのままにしておいていい」と言い残しておいたのだが、律儀?な妻は (まだ家が建っていない) 向かいの車庫に廃棄するソファを置いた。それが近所の悪ガキによる花火でボヤ騒ぎになり妻は消防署からきつく絞られたらしい。加えて、銀行で優遇されていたハズの私が表面上泥舟からいち早逃げ出した形になるので、あることないこと噂が流されたのであろう。同じ銀行のOGである妻も元同僚と疎遠になってしまった。母を置き去りにし、妻を苦しめ、同級生の好意に甘えて転身したのだが。銀行を辞めたことには悔いはない。皆の想いを背負いながらも、自身の「志」を信じ切れず完全燃焼できなかったことは、後悔したくなくても、してしまう。
  平成6年の春休みに上京した家族は一旦妻の実家にヤドカリし、日本シリーズで長嶋監督が宙に舞った10月から家族5人狭いマンションで一緒に住むことになった。その年末長男が虫垂炎で手術した。翌正月3日見舞に妻が自転車で向かった。電話が鳴り警察からだった。妻が踏切で単車と喧嘩した。吃驚したがムチ打ちで済んだのは幸いだった。1年弱か妻の太短い首に首輪がついていた。生活の不安もあり、上京する(東京生まれの妻としては出戻り)直前からの数年間が妻の人生のバイオリズムの底だったと思う。その頃つんく♂さんがMY BABE~と熱唱していた。
  私自身は、社団の運営も容易ではなかったのだが、その頃メジャーでトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄(NOMO)投手に夢中だった。NOMOに自分自身を重ねていたこともあるのだが。NOMOの引退後は競馬界の至宝ディープインパクト(以下「ディープ」)に入れ込んだ。仕事が思うにまかせず日々鬱々としていた私の心をディープの快走が唯一晴らしてくれていた。ディープが一昨年7月末急逝したのは、私にとって痛恨の極み。
  そんな私に対して、妻は、私の母がかつて妻に私に関して申し送りしていたことをわざわざ口にする。「偉そうに言う」「食事にうるさい」「のんき」だと。私自身は前の2つは自覚があるが、心配性で呑気だとは思ってはいないのではあるが。
 妻は、上京した平成6年から正社員として働きだし、いつの間にか24年が経った。平成30年に妻も退職し、ある時二人で墨田区主催のカラオケ教室に向かった。歌は上手いが方向音痴の妻は最短コースでは30分で歩いて行ける所を三角形の2辺を辿り50分もかかってしまった。帰りは、土地鑑のない私がタブレットでグ―グルマップを見ながら最短コースを辿っていると、途中で「あら、私が働いていた会社の近くだわ!?」と妻が声をあげた。妻が勤めあげた会社を初めて見て、24年間も働いてくれたことを思い起こし、熱い物がこみ上げてきた。妻は体調不良で会社を休むことは一度もなかった。雨の日も風の日も通い続けた。
 今妻は、次男が独り立ちしていないことと自身の髪の毛とが気懸かりながら、職場でのストレスから解放され、週に2回一人カラオケに勤しみ(新型コロナ禍自粛しているが)、長男、長女の孫と戯れるのを楽しみにしている。振り回されてきたクソ亭主もポチ犬からナメクジへとさらに小さくなり、それでも目障りなら塩を振れば(死にはしないが)見えなくなる。ようやく妻の心に安寧さが戻ってきた。銀行時代の同僚にも再会してみようかとの気になってきたみたいだ。

 結婚当初に住んだ所から妻の実家を立て替えた今の家まで、これまで4回ほど引っ越しをして来た。本はその都度整理しいくらか処分したが、レコードとCDはそのまま持ち込んだ。しかし、今やレコードプレーヤーは壊れ、CDも面倒だとして聴いていない。もっぱらパソコンでYou Tubeを視聴している。反戦歌ではなく若い男女の切ない恋愛模様を綴ったフォークソングを聴くと銀行に入行した翌年昭和49年1月思いがけず新宿支店に転勤となり独身寮に入寮し寂しさを覚えた当時が蘇る。私は元々群れるのは好きではないし、アウトドアタイプでもない。独りでいることは苦痛ではないと思っていた。一人で居る孤独は耐えられる。しかし、大勢の中での孤独は耐えがたいことを悟った。
  それでも、昭和50年の後半に入る頃には、それなりに青春気分を味わった。気の置けない後輩も入寮してきた。ゴルフも覚え始め、正月三が日も帰省しなくなった。元旦は女子行員も来るので支店長社宅での新年会で過ごした(当時まだ入行していない妻には言えないこともあった)。
 寂しいと思っていた頃はビートルズ等の洋楽曲より歌詞が直接心にしみる、『心もよう』の井上陽水さんや『神田川』のかぐや姫などをアルバムで聴いて無聊を慰めていた。
 当時の歌を懐かしくYou Tubeで視聴していると、ファンではなかったが同時期ヒットしていたクラフトの『僕にまかせてください』、シグナルの『二十歳のめぐり逢い』がYou Tubeにアップされているのが目に入った。私には特段思い出はないが『二十歳のめぐり逢い』の「風に震える オレンジ色の 枯葉の舞い散る 停車場で・・・」を聴きながら、投稿コメントを読んでいると私と同世代と思しき女性Mさんの次のコメントに嗚咽してしまった。
    「この曲は、亡くなった主人が私によくギターで歌ってくれてました。息子が六才、娘が三才でした。親子苦労しましたが、今では孫が癒してくれます。・・・大切な思い出です。」
 妻子のご苦労、ご主人の死んでも死にきれない想いを思うと涙が溢れてきた。チューリップの『青春の影』の歌詞「自分の大きな夢を追うことが 今までのぼくの仕事だったけど 君を幸せにするそれこそが これからの僕の生きるしるし」を思い出した。人生は一度きり。残り少ない余生を妻への罪滅ぼしに使わねばと強くそう思った。といっても、要らぬことを言っては、妻を怒らせるのだろうけれど。

2021.6 NO.153 イ・ビョンホン VS イ・ビョンフン
 日本人の反感を買う韓国の政治家に対しては時に私も「反韓感情」をもたげるが、韓流映画・ドラマ並びに俳優には好感を抱いている。今第4次韓流ブームが到来しているらしいが、私的には第3次マイ韓流ブームと言える。
  第1次のキッカケは、ドラマ『冬のソナタ』が話題沸騰したことによる。日本ではNHKが2003年(平成15年)BSで放送して大反響を呼び、それを受けて翌年の総合テレビでの再放送版を観た。それを機にヒロインのチェ・ジウさんのファンになり、2004年10月から日本で放映された『天国の階段』も観ていた。悪女役で出演していたキム・テヒさんが私好みの美人だと思ったが、ソウル大出の才媛であることはずっと後から知った。
 2005年10月8日よりNHK総合で毎週土曜日午後11時10分から放映された『宮廷女官チャングムの誓い』は評判を呼び、ヒロインの「韓国の吉永小百合」と呼ばれたイ・ヨンエさんが人気になっていた。妻は毎週観ていたようだが、私は観なかった。私の第1次マイ韓流ブームはその程度であった。
 映画では、2005年公開された映画『私の頭の中の消しゴム』(日本のTVドラマ『Pure Soul〜君が僕を忘れても〜』のリメイク)を妻と観た。彼女が若年性認知症に罹る切ない話とヒロインのソン・イェジンさんと夫役の俳優が素敵でその映画は今でも心に残るものなったが、しばらくして第1次のマイ韓流ブームは去っていった。
 第2次マイ韓流ブームは10年後の2015年8月から。65歳の誕生日の前日をもって当時勤めていた業界団体を離職した。朝・昼TV観られる時間ができたので、韓流ドラマを観る機会ができた。とくに、日本と違い今も韓国では人気が高い時代劇・李王朝時代のドラマをよく観ていた。巨匠イ・ビョンフン監督が手掛けたTVドラマ『トンイ』(李氏朝鮮21代国王・英祖の母親の波乱の半生を描く)や同じく『イ・サン』(英祖の孫でありながら22代国王となる正祖の波乱万丈の人生を題材とする)。今も国民から敬愛される4代国王『大王世宗』など(この李王朝を日本は朝鮮併合という直接支配により廃した。その恨みが反日の源泉の一つにも。第二次世界大戦連合国の代表米国は間接支配により天皇制を存続させた。日本は日本人の精神的支柱を失わずに済んだ)。
  その頃本ブログ2016年4月号NO.58(「キムテヒVSキムソヒ」)にて23歳で『トンイ』に主演して以降国民的清純派女優として“千万女優”とも呼ばれるハン・ヒョジュさんを取り上げ注目していたのだったが、5年後の今年3月に邦画『太陽は動かない』(藤原竜也さん主演)を映画館で観た時、気がつかなかった。日本語を話す妖艶なアジア人女スパイは誰かと後で調べたらハン・ヒョジュさんと判り驚いた(26歳で主演の映画『監視者たち』で「韓国のアカデミー賞」と呼ばれる青龍映画賞で2013年の主演女優賞受賞の時はあれほど清純派だったのに)。これでは私はとても韓流ファンとは言えない。
 第3次マイ韓流ブームは、昨年秋あたりから新型コロナで悲観論的な感染学者を“偏用”するTV情報番組を嫌い(我々庶民はできることが決まっているし限られている)ドラマやWOWOWの映画を観る機会(とくに梅や桜が咲いている頃に)が増えたことによる。

 さらにドラマ『愛の不時着』及び主役二人のロマンスが話題になったことも影響している。このドラマ自体は観ていない(あらすじは把握した)が、人気俳優ヒョンビンさんとソン・イェジンさんが初共演した映画『ザ・ネゴシエーション』をWOWOWで観た。役柄とはいえ感情移入し熱愛に発展してもおかしくないと感じた。また、映画のラストで車で去ろうとする黒幕の権力者に対して逮捕を通告する警部補役のイェジンさんが凄く凛々しく惚れ惚れした。
 そう言えばと、映画『私の頭の中の消しゴム』でイェジンさんと共演した主演俳優はどうしているかと思い出した。名前も忘れ、15年前当時背が高くややワイルドなとおぼろげながらそんな印象を持っていたが、WOWOWで観た映画『無垢なる証人』でさわやかで誠実な弁護士を好演(2019年青龍賞主演男優賞受賞)したチョン・ウソンさんが彼と分かり、健在ぶりが確認でき、安堵した。
 韓国のホームドラマ等現代劇は、30話以上完結(日本は10話前後)も珍しくなく、ありえない設定で、あり得ないことが次々起こり(ありえないほど簡単に解決もするが)、妻の小言でも大きなストレスを感じる弱った老体の私には耐えられない。私が観るのは2周遅れの時期なので、既にファンが各話のあらすじをネット上に掲載している。あらかじめネタバレした上で観るようにしている。
  第3次のマイ韓流ブームの今回、名前は未だ覚えにくいが、顔を覚えた韓国俳優が格段に増えたと思う。熱心な韓流ファンからは青葉マークの初心者扱いされるだろうが。
 WOWOW『魔女たちの楽園~二度なき人生~』でゴルフ教習所コーチ役のオ・ジホさんが同時期BS日テレ『ガンバレ! プンサン』では髪を短くしてギャンブル狂の役を演じていた。イケメンながら演技派なオ・ジホさんはさしずめ“韓国の西島秀俊”と言ったところか。また、プロゴルファー役のソン・ウォンソクさんがBSテレ東『たった一人の私の味方』でヒロインに恋慕の情を抱くパン屋のアルバイト店員に扮しているのを見つけた。
  訳ありの人を長期宿泊させる楽園荘の女主人役のユン・ヨジョンさんが韓国映画ではなく米映画の『ミナリ』の祖母役(韓国人初のアカデミー賞俳優賞、2021年度助演女優賞受賞)を演じたが顔を観ただけですぐにヨジョンさんと判った。

 韓国の二大映画賞、青龍映画賞の主演女優賞、助演女優賞、大鐘賞の助演女優賞を受賞しているヨジョンさんは、過去の出演作品から“韓国の岸田今日子”かと思ったが、アカデミー賞に詳しい某映画評論家は若い頃からお婆ちゃん役が多かったからとして“樹木希林”と評していた。
  毎週金曜の19時からWOWOWに放映された、『シュリ』『8月のクリスマス』等を代表作とする名優ハン・ソッキュさん主演の『浪漫ドクター キム・サブ2』では、新型コロナで競うかのように立場を履き違えたかのような発言を繰り返す日本医師会会長と東京都医師会会長を見て、医師への尊敬の念を薄れさせてしまう。が、このドラマの医師・看護師たちの使命感や良心に感銘を受け、医師に対する敬仰する気持ちを蘇がえらせていた。
  全16話見たので、出演者の顔を覚えることができ、前病院長役のキム・ホンパさんがBS朝日『ブラックドッグ』の校長役など多数出演している。主任看護師役のチン・ギョンさんが上述のBSテレ東『たった一人の私の味方』で“韓流時代劇王”と呼ばれるチェ・スジョンさん扮する主人公の新妻役を演じていたことが判るようになった。
  時代劇では、遅ればせながら、『オクニョ 運命の女(ひと)』(これも巨匠イ・ビョンフン監督作)の全51話の後半をBS-TBSで観た。日本女優瀧本美織さん似の目が印象的なチン・セヨンさんを知った。同時期“チン・セヨン祭り”のごとく、これまた彼女がヒロインのBSテレ東『不滅の恋人』、前後してテレ東『カンテク~運命の愛~』が放送されていた。ストーリーがごちゃ混ぜになり少し頭が混乱した。
 
  映画では、WOWOWで観たが、2019年制作のヒット映画『エクストリーム・ジョブ』で紅一点の刑事役を演じたイ・ハニさんが同年制作の『権力に告ぐ』で映画のラスト主人公の検事を裏切る国際弁護士役で出演していた。最初似ているが、美人過ぎる。別人かと思った。2006年のミスコリアなので美しいのは当たり前なのだが。ソウル大卒の才媛でもある。
  『KCIA 南山の部長たち』(2020年青龍映画賞の作品賞受賞)は印象深い。朴大統領暗殺事件が題材で、しかもWOWOWで観た『王になった男』で李王朝の王様とその影武者の二役を好演し、それ以来私がファンになったイ・ビョンホンさん(この映画で2012年、青龍映画賞と並んで「韓国のアカデミー賞」と称される大鐘賞の主演男優賞を受賞)が主演ということで映画館に足を運んだ。
 映画を観た時は、本ブログ2021年3月号NO.148「えんざいVSめんざい(1)(2)」を掲載し、亡くなった近財の職員赤木の妻による文書改竄に関する提訴は、近財のスケープゴートが本省のスケープゴート佐川元理財局長を訴える皮肉なものと記した、その直後であった。
  映画を見て、『葉隠』で有名な山本常朝の「二者択一は、死に近い方を選べ」は現代に通用するやはり明訓だという思いを一層強くした。故赤木と朴大統領を暗殺したKCIA部長故金載圭は似ていると思う。仏になった人に何度ムチ打てば気が済むのかと叱られるが、(残された妻のやりきれない思いは理解するも)その死を美化するようなことではなく、我々は尊い教訓とすべきなのだ。

 赤木は改竄指示を拒否し抗議の意味で自殺した訳ではない。そうであれば“国民全体の奉仕者・公僕の鑑”として永らく祀られよう。苦渋の選択とはいえ指示に従い改竄に手を染めた。組織が守ってくれるどころか自分一人とり残された。罪悪感と恐怖心から精神が壊れた末自殺して不正の告発と恨みを晴らそうとした。私にはそう思える。
  KCIAの金は権力とともに傲慢不遜になった朴大統領から外されそうになっていた。映画によれば、朴政権の腐敗を世に告発する前KCIA部長を消したいと思う大統領は消せ!とは言わない。「いつも私は君のそばにいる」としか言わない。尊敬していた大統領とはもう違うと思っているのに誤った選択をした。金は部下に前部長を消さすが、大統領から褒められるどころか大統領側近の前で「こいつは前部長を殺すような奴だ」とののしられる。そして進退窮まる。赤木との違いは、恨みを晴らした後死んだこと。ただ、暴力装置・軍部へ根回しがなく、(世直し)クーデターとして理解が得られず、個人的な恨みによる犯行として処刑される。新たな軍事政権樹立に利用されて終わる。
  佐川元理財局長も同じ。夫妻が関係していたらとの後戻りできない首相発言を受けて善後策を協議する会議で菅官房長官が直接改竄を指示したとは考えられない。無理筋の案件で保身の為か近財は公文書に余計な?事を記した。それを知った官邸は弓を引くのかと激怒したとしてもおかしくない。佐川局長は自身の着任前の問題であり甘く考えたのかもしれない(結果は、未だに裁判の被告であり、世間からは人殺し呼ばわりされる。生活はできても、家族にも肩身が狭い思いをさせる)。

 佐川局長が、積極的にしろ苦し紛れにしろ、改竄という間違ったことを近財に指示してしまえば、本省で自らだけが窮地に追い込まれるだけ。何も言えなくなる。今「さざ波」発言で波風を立てた財務省OBからかつて貶められるような言い方をされても反論すらできない。矮小化された問題の責任を一人背負わされてしまう(赤木ファイルはそれを裏付けるに過ぎないのか。佐川局長より上の者は触れられていない、でなければ黒塗りするから、ファイルの存在を国は認めるのか)。
 宮仕えの現役各位、日本のトップ層は私が若かりし頃より官民問わず劣化している。明日は我が身と心得よ。常朝の明訓(「二者択一の際は死に近い方を選べ」)を肝に銘じるべきだ。
  韓国では1979年の朴大統領暗殺事件の真相を約40年経ってから映画化した。日本においても、ロッキード事件や森本学園問題の真相に迫った映画が放映される日は来るのだろうか。

2021.5 臨時号NO.152 オルセー VS ウルセー
 今月二つの嬉しい知らせが届いた。一つはゴルフの松山英樹プロが2021マスターズ・トーナメントを制したこと。アジア人初の優勝者かつ日本人男子プロ初の海外メジャーチャンピオンとなった。

 もう一つは有吉弘行さんと夏目三久さんとが結婚したこと。本ブログ前号で「出過ぎた杭は、打たれず、抜かれてしまう」と書いたが、お二人は抜かれてはいなかったのだ。ひそかに一途な愛を貫いていた二人にネット上はお祝いコメント一色となった。ファンなるも「熱愛・妊娠報道」騒動時の有吉さんの男気に疑問を抱き続けてきた私にとっても朗報となった。

 

 さて、新型コロナ禍がまだなかった一昨年の6月末妻と二人で短期留学中の長男ファミリーに会いにパリに渡った。数日間の滞在に過ぎず皮相的になろうが、私が感じたパリの印象、感想を述べてみたい。
 パリ初心者としては、ベタな観光名所を巡ることになるのだが、中でも美術館に訪れるのを楽しみにしていた。印象派の名画が多く展示されているオルセー美術館(旧オルセー駅駅舎を改装)に入り驚いた。まるで百貨店のようで、照明も明るく子供たちも大勢おりうるせーなぁと思うぐらい。義娘(長男の嫁)もベビーカーに乗せた当時0歳と4歳の孫娘2人を連れていた。

  日本では、上野の森にある諸美術館に時々足を運ぶが、皆会場は薄暗く、係員があちこちに立ち監視されているような雰囲気。親御さん達は幼児を連れて行く気にはならないのでは。
  印象派の父、近代美術の父と呼ばれるマネの代表作『草原の昼食』(それまで女性の裸体は宗教画に限られていたが生身の女性の裸体を描き猥褻と批判を浴びた)も無防備に展示されていた。フランス人は芸術に対する民度が高いのか。だとしても奔放な外国人観光客も多く心配するのだが。ルーブル美術館も同様の状況であったが、さすがに『ミロのビーナス』や「目には目を、歯には歯を」で著名な『ハンムラビ法典の石棒』などには係員か警備員がついていた。とりわけ『モナリザ』は2m前後離れたところに柵が設けられそこに5重6重に人垣ができ、押し合い圧し合いスマホで写真を撮り合う(絵が劣化するフラッシュを焚かなければOK)中、絵があるのは見えたが、観たとはとても言えない。
 もう一つ楽しみにしていたのは、ステンドクラスで有名なサントシャペル(礼拝堂)。以前よりステンドグラスに興味を持っていたが、金沢ステンドグラス教会しか行ったことがない。
  地震がないお国がらかサントシャペルの2階の礼拝堂にはステンドグラス(高さ15m以上)が全面に並び(ステンドガラスの総面積670㎡)、その荘厳さに圧倒される。日本からの観光客も多く日本語版の案内冊子があったので、土産に購入した。 
  留学先の大学の某コースを卒業し暫く休みになるので、長男が連日一日中アテンドしてくれた。猛暑の中歩き通しで疲れも出てきたので翌日予定していた(エッフェル塔近くでは川幅が墨田川の半分以下で思ったより狭い)セーヌ川下りをキャンセルした。
  すると、長男が気を利かせて、モンマルトルの丘の麓にある『ムーランルージュ』(赤い風車)のディナー付きショーを予約してくれた(日本にも1931年から20年間 新宿3丁目に『ムーランルージュ新宿座』があった。パリ本家との関係は分からないが、学生や知識人の間で人気を博した。同劇場から故森繁久彌、故由利徹らが輩出したという)。
  フレンチ・カンカンで有名な歌と踊り、コントがメインであるが、観ているうちトップレスの踊り子さんたちが皆美(微)乳なのに気がついた。大きければ踊りの邪魔になり、品位も損なうということなのだろうか。小さい胸が採用の条件かと感じた。
  この他に、脊椎がないのかと思うほど自由に体をくねらせる女性や、急に舞台が奥に引かれ下から大きな水槽が現れひとりの踊り子と2m以上あるウミヘビが戯れるのを見て驚いた。満足して外に出ると23時だというのに空は濃い紺色でまだ真っ暗ではなかった。なにしろ日の入りが21時半ということなのだから。
 世界三大料理の一つとされるフランス料理。本格的なフレンチは私には荷が重い。 それで庶民的なビストロで牛ヒレの一品を食べたが、肉は固く野菜が添えられず(妻の鴨には添えられていたが)マクドナルドやケンタッキーで供されるようなフライドポテトが大量に添えられていた。イタリアン等他の店でも山盛りにフライドポテトが供される。主食の代わりということか。フランス庶民は野菜も余り摂っている風にも思えず、これでよく成人病にならないものだ。人種(体質)が違うのか。それともよほど運動とかしているのかと感じた。
 凱旋門を訪れた時の昼食には、留学生仲間のブラジル人に推奨されたとして長男に連れられシャンゼリゼ通り近くのポルトガル料理の店に入った。席に案内しておきながらなかなか注文を取りに来ない。「何してんねん!?」と手を上げようとしたら、長男に制せられた。呼びつけるのはマナーの悪い客と思われる。じっと来るのを待たないといけないという。注文した物が来ず忘れているのかと思っても、店員と目が合うか店員から来るのを待つものらしい(アホちゃうか)。“郷に入っても業に従う”私はこの町に住めそうにない。
 宿泊先は、長男ファミリーが住む所から3分ほどで行ける小さなホテル。パッシー地区(16区)という高級住宅地にあり、この辺は治安がよいので駐在日本人が多く住むという。
 周りは100年ほど経過したオスマン風のアパルトマン(アパート)が立ち並ぶが、洗濯物は外で干してはならず、お店も極力景観を損なうことがないように留意されている。
 古く美しい町並みは画家を刺激し日本からも戦前から佐伯祐三、藤田嗣治等の多くの日本人画家がパリで活動している。『酒場放浪記』(BS-TBS月曜21時~)で酔いどれて一句紡ぐ吉田類氏も若い頃絵の修行で10年ほどパリに滞在している。

  どこの国のアンケートでも、パリは訪れたい町としては5本の指に入るだろう。しかし、物価は高いし、住みたい町としては10指にも入らないのではないか。古いのがよいとされるアパルトマン。私にはボロアパートしか思えないが、16区あたりでは一室1億円は下らないとする。100年前ではエレベーターがなかったから後から無理やりエレベーターを設置している。エレベーター内も2人入れるかどうかの狭さ。なんだか不安でホテルでは余り利用せず0階(日本の1階)から5階まで急なラセン階段を利用した。
 景観にはよく留意されているが、道端には犬の糞が転がり、エッフェル塔近くの橋にはペットボトルやごみが散見された。昔窓から汚水を投げ捨てていた習性の名残りなのか。
 トイレが少なく、また汚い。とくに公衆トイレは。便座もない所が少なくないらしい。潔癖症でなくとも日本女性なら顔が引きつることだろう。
  幼稚園は、日本ならバスで送迎してくれる。パリでは路線バスを利用して送り届け、終わればまた迎えに行かなければならない。義娘も5歳の孫娘を通わせるため1歳の孫をベビーカーに乗せ路線バスで毎日往復している。その路線バスの運転が乱暴で、急に止まったりして実に危ない(私も乗って実感した)。義娘も「ベビーカーが転倒してその母親が激怒しているのを見かけた」と言う。日本の主婦は庶民ならパリに住んで日本が恵まれていることを実感する。今般の新型コロナウイルスなどがあればなおさらに。
 渡仏する前からスリが多いと長男から幾度となく念押しされた。義娘のママ友もスリに遭ったという。オペラ座を見学に行く際にも金目のものは一切持たせてもらえなかった。中に入り写真を撮り終えれば私のタブレット、妻のスマホは直に取り上げられ長男のリュックサックに仕舞われた。そこまでしなくてもと思ったが、日本人の呑気そうな老夫婦はスリから見れば鴨がネギを背負っているとしか見えないのだろうか。
 往路空港に着きタクシーでホテルへ向かった際「初めてボラれた」と出迎えの長男がぼやいた運転手も黒人。ベルサイユ宮殿最寄り駅前のマクドナルドの店内トイレ(有料でないがレシートを見せないと利用不可)の番人も黒人。サントシャペルで行列に並んでいるときすり寄ってきたスリらしき老婆も黒人。店先で空き缶を差し出し物乞いするのも有色人種。
 能力の違いによるある程度の収入格差は不平等とは私は思わない。しかし、貧困や差別で同じ土俵に立てないのは、不平等、不公平。働く機会が与えられないなら、スリや物乞いしか生きる道はない。数日の観光では「ムスリム移民」への差別や偏見問題は見かけなかったが、フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」は、どこへ行ってしまったのか?
 帰国する日の昼食時ムール貝の酒蒸しを食べながら久しぶりに長男と三人で談笑した。それで妻がアホ気な事をしていることが判明しあきれた。私は銀行の支店長、証券部長等歴任したが、無駄遣いが過ぎると信用していない妻はお金のことは私に相談しない。妻に「何かするときは長男に相談しなさい」と言った。長男も30台後半、親孝行する年頃になり、また世の中の仕組みが分かってきた。「老いては子に従え」という。もう私は『ちびまる子ちゃん』の友蔵爺でよい。

 

 

2021.5 NO.151 ムネオハウス VS ムネオハウソ
 今回は前々々号(NO.148「えんざいVSめんざい(1)(2)」)に続いて国策捜査に関する話。
 昨年新型コロナウイルスでテレビに引っ張りダコになっていた私大教授に対しデーターねつ造疑惑が報じられた。まさに、出る杭は打たれる。
 では、出過ぎた杭はどうなるのか。打たれないのか。否、抜かれてしまうことになる。
 国策捜査で抜かれる杭には二種類あるようだ。否認しようがしまいが、どちらにしろ有罪となる確率が高いが(よほど特捜部の捜査の組み立てが杜撰でなければ)。
 国策捜査で逮捕されすぐ検事の言いなりになり、他人を売る者は「鉄の杭」。シャバに出れば、世間の塩気を含んだ冷たい風に晒されて行くうちにサビて朽ち果ててしまう。
 「私はお金にきれい」と無実を主張するも「鈴木宗男は嘘をついている」と有罪が最高裁で確定した、ムネオハウス事件等7つの事件が絡む鈴木宗男事件で佐藤優氏は連座し逮捕された。担当検事と丁々発止にやり合い、512日もの長期勾留に耐え無実を主張し続けた佐藤氏は「木の杭」。抜かれた後世間から漆喰を施され、光り輝き続ける。
 国策捜査の対象になるのは政治家や官僚だけではない。商社マンに限らず銀行員だって連座する。まさかの事態が起き、真っ逆さまの奈落の底に突き落とされる。
 私は検事と対峙した経験がない。ヤメ検(弁護士)のイメージを悪くした一人、大物の元検事で弁護士の故田中森一に挨拶したことがある。もう国家権力を身に纏ってはいなかったが、威圧感は凄かった。「現職の検事時代どれほど怖かっただろう」と思ったことを覚えている。
 しかし、高校同期生でヤメ検がいるが、高校時代は互いに知らず親しくもないのに同窓会で会ったとき「よう、ヤメ検!」と声を掛けると、一瞬顔が歪むが「無礼だろう!」と威圧することはない。じつに穏やかに接してくれる。検事は生まれながらに検事になる訳ではない。検事も我々と同じ人間。検事という役柄を演じる俳優と同じだろう。相手に合わせ演じ分けるのを学ぶのか。
 経験がなく叩かれ弱い企業エリートなら、差し出された名刺をその場で破り捨て、「オマエは地位も名誉もない、捨てられて寒さと飢えに震える仔犬だ!」と頭からかます。そして徐々に味方は検事しかいないと思わせる(そう言う私は「講釈師、見てきたような嘘を言い」みたい。本ブログ2013年6月号NO.24「ゆい と ぬい」で書いたが、高校の先輩I支店長が検察に不愉快な目に遭わされたことを聞いたことぐらいしか知らない)。ヤクザの手口は正反対。女を利用するとき、最初徹底的に優しくするらしい。後からどんなに酷い目に遭わせても、「本当はやさしい人だから」と女が思い込むように。
 そんなヤクザに対しては、検事は企業エリートと同じ取り調べ方法を採らないのだろう。(精神的に)叩いても口を割らない。検事よりも組組織の方が怖いから。
 国策捜査に限らず検察の取り調べは、無観客試合で、セコンドもつかないアマのボクサーがヘッドギアなしでより階級の重いプロと闘うようなもの(ミスマッチはフロイド・メイウェザー・ジュニアVS那須川天心戦の比ではない)。弁護士は同席出来ず、黙秘権の行使は不利。裁判官は正当な権利とみなさない。これでは勝てるハズがない(「自白中心主義」がそうさせるのか。私は、検察は本来日本の最後の砦、「良心」と思うから、西洋社会がすべて正しいとは思わないが長期拘留等の拷問や冤罪を生みやすい「自白中心主義」の後進性を内外から指摘され続けるのは残念至極に思う)。
 それでも「木の杭」になるよう心に銘記すべきだ。心の拠り所家族、特に子供たちが、渡る世間に鬼ばかりの中で力強く生き抜いて行けるのは、「お父さんは無実だけど検事に従うしかなかった」という弁解ではなく、無実だと最後まで闘い抜いた父の姿であろうから。

 上記佐藤氏の逮捕に関して、事件の背景や国策捜査での取り調べのやり取りを記したのが、佐藤氏の『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)。そのP384~385にて記憶を映像として克明に甦らせる天才将棋棋士と同じ頭脳を持つ佐藤氏をして敵ながらあっぱれと評す担当検事の西村尚芳氏(高松検察庁検事正を最後に昨年退官)は国策捜査についてこう述べる。「被告が実刑になるような事件はよい国策捜査ではないんだよ。うまく執行猶予をつけなくてはけない。国策捜査は逮捕が一番大きなニュースで、・・(省略)・・判決は小さい扱いで、少し経てばみんな国策捜査で摘発された人々のことを忘れてしまうというのが、いい形なんだ。国策捜査で捕まる人たちはみんなたいへん能力があるので、今後もそれを社会で生かしてもらわなければならない。うまい形で再出発できるように配慮するのが特捜検事の腕なんだよ。だからいたずらに実刑判決を追求するのはよくない国策捜査なんだ」
 被告人からすれば「世間は簡単に忘れない。疵物にされた相手から転身して頑張れと言われても」と受け入れ難いが、検察論理からすれば、それが国策捜査の王道なのだろう。
 その点からすれば、ライブドア事件等での堀江貴文氏、村上世彰氏の逮捕は、国策捜査の王道に適うものと言えようか。二人を冤罪ではなく微罪で逮捕し、日本人の美徳・価値観に反する欧米的な拝金主義を払拭し、株式分割で国家権力の一つ「紙幣発行権」を脅かす等既存秩序を壊しかねないのを未然に防いだ。西村検事が言うところの「時代のけじめ」をつけた。堀江氏は実刑で収監されたが、西村検事なら執行猶予が付いたのかもしれない。
 先般の日産コーン会長事件は、国策捜査とするなら、「時代のけじめ」という大義のない、良くない国策捜査の典型(本ブログ2020年3月号NO.129「はんげきVSかんげき(1)(2)」参照)なのだろう。

 『深層 カルロス・ゴーンとの対話』(小学館)を上梓したヤメ検郷原信郎弁護士はゴーン氏の日産「私物化」以上に森本特捜部は検察の権限を「私物化」をした(国連作業部会も「4度にわたる逮捕と勾留は根本的に不当だ」と意見書)と言えるのではと結論づける。将来の検察トップとの噂はまだ生きているのだろうか。

 上述の佐藤氏の単行本は長男の家の書棚に並んでおり、今般文庫本を購入し10数年ぶりに読み返した。ロシア人は身内がロシア大統領とかの悪口を言ってもよいが他国の人が同じことを言えば怒るという下りで昔母に叱られたことを当時思い出したことをまた思い出した。大学生の頃古くからの知合いの家の中学生の家庭教師をしていた時その親が「うちの子は出来が悪くて」と言ったのを親しいから正直に「そうですね」と答えた旨母に報告すると同じ説明を受けて「そういうことを言うもんじゃない!」と。

 小渕首相が倒れ、プーチン大統領が鈴木氏に向かって小渕首相がここにいるみたいだねと言ったとき鈴木氏の目から涙が流れ大統領がそれをじっと見つめていたという話が印象的だったこと。その小渕首相に対し愚直だとのイメージを私は抱いていたのだが、日本国の総理に足るしたたかで有能な人物だと佐藤氏が見ていると感じ小渕元首相への見方を変えたことも思い出した。
 小渕首相に関しては、切れ者で辛口の元参議院議員平野貞夫氏(小泉首相を厳しく批判し、安倍首相も内乱罪で告発し続けていた)も著書『亡国 民衆狂乱「小泉ええじゃないか」』(展望社)のP72で「龍馬の会員だから持ち上げるわけではないが、小渕氏は政治家としての志を失いたくない、自分が日本を亡国の道から救わねばならないという危機意識を持っていたのは事実」と評価している。

 小渕首相が急逝していなければと残念に思う。連立を組む(政治改革を推し進めたい)自由党の小沢一郎党首と(平野氏から見れば)自民党の守旧(保守)派幹部との間の板挟みになり心労が重なり倒れた。それが無ければ、五人組の密室談合による森首相の誕生もなく、その後の加藤の乱もない。倒閣に失敗したYKKの山﨑拓議員、加藤紘一議員の沈下で浮上した小泉議員が首相になることもなかったのではないか。
 それなら鈴木氏、佐藤氏が逮捕されることもなかったかもしれない(『国家の罠』の本では森元首相の名前が出たとたん国策捜査が突然終了する。小泉首相がマッチポンプしたと示唆するに止まるが、のちに発刊された『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』(アスコム)で鈴木氏が貸しを作った相手小泉首相からこんな形で返されるとは思わなかったと述べている)。
 森首相を誕生させた五人組も、その時は清和会から首相が続き、こんなに日本をダメにし、世界での地位低下をもたらすとは夢にも思わなかったのではないか。
 佐藤氏は、上記『反省』の本の中で、極めて能力が高いと認める東郷和彦外務省キャリア官僚(鈴木氏と佐藤氏の間に立ちこの超切れ者3人がタッグを組んだことより、周りの嫉妬と怨嗟を招くが)の官僚観を紹介している。「官僚には4通りある。それは、第一が『能力があり意欲もある』、第二が『能力があるが意欲がない』、第三に『能力がないが意欲はある』、第四が『能力がなく意欲もない』のどれかだ。どれが最低かといえば、(第三の)能力がなくて意欲があるヤツだ」
 それは官僚よりも国のトップの方がより問題となると言うべきではないか。小泉元首相からの流れを断ち切る必要があろう。

 偉大なゲーテも言う。「活動的な馬鹿ほど恐ろしいものはない」と。
 

2021.4 NO.150  しんよう VS しんこう
 我家の合い言葉は「好き・嫌い」と言える。卒職して過去を振り返るにつれ妻に対する感謝の念が昂じて、恥ずかしげもなくよく妻に好きと言うようになったが、嫌いと妻から必ず返ってくる。「正直な気持ち」という妻の言葉を嘘だと私は信用しない。
 齢を重ねるごとに、私の頑固さ、見方の偏りは、きつくなる。世の信用しないことが増えてくる。
 第1は、「天皇には基本的人権がなく、気の毒だ」と言う人。そんな人を私は信用しない。そんなのに限って天皇制を批判している立場の人が多いからだ。天皇を敬仰している人々は一労働者と同列に論じるようなことは言わないものだ。
 天皇(上皇)及び皇族は、国民であるが、憲法の枠組みを超えた、特別な存在である。国民の大半がそれを是認しているのに、皇族自身が問題提起されているかのような様相にある。
 眞子様が憲法を盾に「彼」との結婚を貫くことを主張し、それを秋篠宮殿下がそれを認めたとの報道を受け秋篠宮殿下に対しても「憲法をつまみ食いされるのか」との批判があがった。批判するのは皇室を敬愛する人々からでもあり、憂慮する事態と言える。天皇陛下をも巻き込みずるずると問題を引きずるなら国民の皇室への信頼に揺らぎを生じさせかねない。と言えば、言い過ぎか。

 もはや「彼」の言動如何で国民の理解・祝福が得られる段階は過ぎていないか。「彼」の事をとやかく言えぬ身の程をわきまえぬ私だが、秋篠宮殿下ご自身がご当主として決断を下し早く決着をつけなさるべきなのではと思う。たとえ親心としては忍び難い選択肢(庶民でも名家なれば、破談か、勘当して娘の好きにさせるかになるか。父親が娘の覚悟を求めよう)しか残されていないとしても。

 何にせよ、英国ヘンリー王子ファミリーの王室離脱のような最悪の事態は起きないであろう。悠仁親王殿下だけが天皇のご養子として皇室に留まるようなことは皇室典範第9条で禁止されている。
 ちなみに、私は(本ブログ2020年2月号NO.127「じょせいてんのう VS じょけいてんのう」で述べたように)男系・万世一系の天皇制維持の立場をとる。
 第2は、ご利益があるという宗教。宗教評論家ひろさちやさんが言っていたように、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のような2千年以上も続く宗教は厳しい戒律を求めるだけ。御利益などあるとは言わない。今から50年以上前私が受験勉強していた頃婦人が二人連れで訪れた。あいにく家人は私一人しかいなく私が応対した。一所懸命拝めば合格できると婦人たちは言った。私が不合格になったらと問うと「それは精進が足りない」と言われ、それで話が終わった。二度と勧誘に来なかった。
 元々信仰心は持ち合わせていなかったが、それでも正月には初詣に神社にお詣りしていた。阪神大震災のとき壊れた神社に八つ当たりした(2012年3月号NO.9「アダムとサダム」参照)。それ以降各地神社仏閣に見学に行くことはあっても参拝することはない。そんな態度では罰が当たると言われても、罰が当たり続けたような人生なので少々の罰では気がつかない。
 神社には自然や過去の偉人を祀る神社も多いが、怨霊を鎮めるために作られた怨霊神社もある。昔は本当に怨霊が存在すると思われていた。今日でも不可思議な現象が続き祟りかと怖がられて東京・大手町にある将門の首塚が動かせないでいる。
 権勢を誇る藤原氏から讒言、京から追放された菅原道真を祀った大宰府天満宮は怨霊神社だったと言える。が、時間の経過とともに怨霊神社は御霊神社に性格を変え、道真公は“天神さま”学問の神様として崇められるようになる(そりゃそうだろう。怨霊と聞けば気味悪がって庶民は参拝に二の足を踏むだろう)。
 年末年始大勢の受験生が全国各地にある天神さんゆかりの神社に参拝に向かう。受験生は、「合格しますように」と願掛けする。全員合格する訳ではないから天神さんも困惑するだろう。御利益を期待するのではなく、「一所懸命勉強しました。試験は必ず合格させて見せます!」と天神さんに対して決意表明するのが正しい作法というものだ(こう私が言っても誰も信用しないだろうが)。
 第3は、新型コロナに関する悲観論的な感染症学者。そんな感染症学者は不安を煽る悪意もなければ嘘もついていないだろう。相手側の問題ではなくこちら側の問題。信用しないと言うのは言い過ぎで、占いと同じで信じないと言うのが妥当か。占いとの違いは、占って欲しい人は能動的に占い師に会いに行く。感染症学者の意見はテレビをつければ毎日否応なしに(同じ話を)聞かされる。聞きたくない者にとって苦痛でしかない。反射的にTVを消してしまう。
 この世は若者の為にある。あの世は我々老人の為にある。新型コロナが乳幼児や若者を重篤化させることが少ないと分かった時点で、私は、新型コロナは(少なくとも日本においては)人類にとって脅威ではないと思っている(私の関心事は、感染症は免疫力の低い老人と乳幼児が重篤化しやすいハズなのに、なぜ新型コロナは乳幼児等を重篤化させにくいのか、ということ)。
 新型コロナに対応する指導者・関係者も内心そう思っているのではないか。そのため本気になっていないと見える。三蜜を避け時短等を国民に強いるが政治家たちはそれが守れない。分科会の会長は、「自身の傘下の病院では新型コロナ患者の受け入れが少ない」と批判報道される。ある感染症学者は「政府の対策が後手、後手だ」と叫びながら、その裏でバラエティー番組に出演し「愛の告白は自身からできないから相手からしてもらいたい」と色ボケた発言をしていた。 
 医師は新型コロナぐらいでは医師の使命感が燃え上がってこないのだろう(未曽有の関東大震災の時は全国から多くの医師がボランティアで上京したという)。指定感染症2類相当で負担が大きいなら、なおさらにコロナ患者の受け入れに消極的になるのか。その医師たちに働きかけるべき医師会のトップらは、相変わらず国のトップと勘違いしているかのような発言を繰り返している。
 これでは、新型コロナ対応で、台湾のように国民全体が心一つになれるハズがない。
 第4は、政治家の公約。公約とかけて膏薬と解く。その心は「時間が経つと効き目が無くなり貼り換えが必要です」。それもあって最近は選挙で公約と言わずにマニフェスト(manifesto。産業廃棄物管理票はmanifest)と言うのか。アジェンダと言う政治家もいた。
 早晩衆議院議員総選挙があり、各党マニフェストが提示されるのであろうが、橋下徹弁護士によると、「公約」は政治家のいわば願望であり、「マニフェスト」は、政治家が示す大きな方向性の下に、役所が具体的に政策や制度を作り込む際の工程表・スケジュールの意味合いである。政治家が示すものではない、とする。それでは結局看板の架け替えに過ぎないということになるか。
 最後は、「正直に言ってくれたら絶対に怒らない」という妻の言葉。それを真に受けてはいけない。ある芸人さんがTVで言っていた。妻から「私太ったと思わない?」と聞かれ、「太っていないんじゃない」と答えた。また同じことを聞かれ、同じ返事をした。それでもまだ聞いてくるので、「そういえば、少し太ったかなぁ?」と答えたら、「なにーっ!!」と妻に切れられたという。
 妻は「正直」を求めていない。求めているのは「否定」。夫は(妻が信じたくないことは)否定し続けなければならないのだ。次の芸人さんの下ネタはその真理をよく突いている。
 ホテルで愛人といるところを妻に見られたら、ベッドインしていないと否定する。ベッドインしているところを見られたら、脱いでいないと否定する。脱いでいるところを見られたら、していないと。していたら・・・と、あくまで否定する。それが正解なのだ。
 我妻に「信用できないものは?」と問うてみた。聞くや否や、「アンタ!」と妻は即答した。
 

2021.3 臨時号NO.149  さそう VS なさそう
 昨年新型コロナで実施されなかった春の甲子園高校野球大会が来月19日から開催される。同様に夏の大会も実施されるか。15年前の夏の決勝戦ではハンカチ王子こと斎藤佑樹投手が、駒大苫小牧高校のエース田中将大投手に投げ勝ち、早実高校を優勝に導いた。そのすぐ後の国体においても優勝戦で斎藤投手が田中投手に投げ勝っている。しかし、社会人になると、ライバル二人の立場は大きく逆転する。それは周知で説明は不要だろう。
 野球は、対人の格闘技である柔道にある体重別階級がない。無差別級で争う競技。高校生という制限がある場合には活躍できても、無差別級のプロの世界になると活躍できない場合が起こり得る。
 人間だけではなく、サラブレットの世界でも同じことが言える。日本でクラッシック競走という3歳(人間換算で17歳。4歳は同20歳。4歳以上を古馬と呼ぶ)限定のG1レースがある。正式には、(昨年コントレイルが無敗の三冠馬となった)皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞の3冠と(牝馬限定の)桜花賞、優駿牝馬(オークス)を言う。
 日本タービーを勝って3歳チャンピオンになっても3歳限定がはずれ、古馬と一緒に走れば勝てなくなった馬がいる。2016年のダービー馬マカヒキは、凱旋門賞の前哨戦3歳限定のニエル賞で優勝したが、古馬と一緒の凱旋門賞に惨敗(肉体的、精神的ダメージは不明だが)した後日本に戻ってから一度も優勝していない。マカヒキより2年前にダービー馬になったワンアンドオンリーも菊花賞の前哨戦3歳限定の神戸新聞杯を勝ったのが最後。その後3歳のハンデをもらっても自ら古馬になってからも一度も勝っていない。2018年のダービー馬ワグネリアンも古馬になってから勝利していない。

 ゴルフも野球と同じで身長、体重に制限のない無差別級の競技。ボクシングは一対一で殴り合う。彼我の体格(パンチ力や耐久力)差はいやでも思い知らされる。下手すると命に関わる。一番強いのはヘビー級(200ポンド、90.72㎏超) チャンピオンに決まっている。それでは味気ないので、仮に体重差がなかった場合に最強と目されるチャンピオンに与えられる称号を設けている。パウンド・フォー・パウンド(Pound for pound)と呼ばれ、各階級のチャンピオンの中で各階級で最もずば抜けた存在は誰かとランク付けする。従って軽量級のバンタム級(118ポンド、53.52㎏以下)でありながら天才井上尚弥選手が現在2位であり、1位になる日も近いと見られている。
 ゴルフは、ゴルフボールの飛んだ距離を争う競技ではなく最小スコアで回った選手を優勝者とする。体力だけではなく、ドライバー、セカンドのアイアン、アプローチ、パター等の技術が物を言う。それでも飛距離が出る方が有利。圧倒的な飛距離でジャック・ニクラス選手やタイガー・ウッズ選手が時代を変えてきた。今の世界ランク1位のダスティン・ジョンソン選手は、飛んで曲がらないから鬼に金棒だ。
  同学年のライバル石川遼選手と松山英樹選手。最初は石川選手が2007年に15歳史上最年少で日本の男子プロツアーで優勝し一躍“ハニカミ王子”と脚光を浴びた。その陰に隠れていた松山選手はその後頭角を現し米ツアーでメジャー優勝争いができる活躍を見せている。
  石川選手には、本ブログ2014年4月号NO.34(「ウッズ と キッズ」) で、体格面から日本に居てジャンボ尾崎さんのように日本のスーパースターを目指し日本ツアーを盛り上げてほしいと書いた。だが、田中投手のような凱旋ではなく、米ツアーからの出戻りでは遼フィーバーは再燃しない(石川選手が日本男子ツアーを背負うべき義務や責任などないのではあるが)。

 日本の第5のメジャーとも言うべき昨年11月ダンロップフェニックスの優勝賞金は20百万円(例年でも40百万円)。その前に変則開催された海外メジャー・マスターズの優勝賞金は約2億円。大きく差がついてしまった。これでは海外の有力選手が新型コロナが無くても来日しようとは思わない。
 プロデビュー当時“3R”と呼ばれた石川選手は175cm、71㎏か。ロリー・マキロイ選手は175cm、73㎏。リッキー・ファウラー175cm、68㎏。マキロイ選手が4大メジャーの内3つ勝利しており、体格的に石川選手が自分もできると思っても不思議ではない。しかし、一緒に回れば飛距離が違う。マキロイ選手の筋力等基礎体力が違うこと認識しただろう(ど素人の私には技術面は言及できない)。
 今やドライバーは400ydを目指す時代。20歳の南アのウィルコ・ニエナベール選手は欧州ツアーで439ydを記録。米ツアーのブライソン・デシャンボー選手は、極論すれば、ドライバー、サンドウェッジ、パターの3本で難攻であるハズの全米オープンを昨年制してしまった。181cm、90㎏の松山選手なら別だが、平均的な日本人の体形では太刀打ちするのが難しい(飛ばないボールへの変更が議論されているようだが)。
 昨年のダンロップフェニックスでプロ初優勝した金谷拓実選手(172cm、75㎏) が2019年世界アマチュアランキング1位となり、2つ年下の中島啓太選手(178cm) が同じく2020年の1位となった。いずれ両名米ツアーに挑戦するのだろうが、怪力が集うプロの世界でどう戦えるか、体格の壁を越えるのか否か興味深い。

  女子プロの世界でもライバルがいる。黄金世代の畑岡奈紗選手(158 cm)がウサギなら渋野日向子選手(167cm)はカメ。遅れてきたカメがウサギを追い付き追い越そうとしている。実際海外メジャーでは追い越している(畑岡選手が抜き返すのは可能。海外メジャー勝利に対する意識過剰と焦りがネックにならなければ)。
 渋野選手は、一昨年の全英女子オープン優勝に加え、この前の全米女子オープンでは最終日をトップで迎え(勝てなかったが)実力が本物と海外の強豪選手らにも再認識させた。渋野選手が不調時称賛から様変わりに辛辣な批判を浴びた青木コーチをも救ったと言える。
  過去の世界最高峰全米女子オープンにおいて、1998年の朴セリ選手優勝を皮切りに、2005年~19年の15年間で、韓国女子選手8人(9回)が優勝(米国選手は4名のみ)しており、その内6人が初出場で勝利している。内訳は、05年バーディーキム、08年朴仁妃(13年も)、11年ユソヨン選手、15年チョンインジ選手、17年パクソンヒョン選手、19年イジョンウン6選手。2013年からは奇数年に韓国選手が優勝しており、偶数年の2020年は韓国選手以外が優勝する番。それが渋野選手ならよかったのだが、韓国ツアーでプレーしていた韓国キムイェリム選手が韓国7人目の初出場優勝を遂げた。これでは優勝と米ツアーで揉まれることとは関係しないと言っても過言ではない。
  米ゴルフチャンネル解説者が渋野選手を(飛距離が売りでないメジャーチャンピオン)コリン・モリカワ選手に似ていると言った(飛距離と高弾道を武器として世界一を夢とする笹生優花選手に対して渋野選手が難しい設定の海外メジャー全制覇を目標とするのは理に適っている。笹生選手がマキロイ選手を真似るなら、渋野選手が目指すべきはモリカワ選手か)。
  この前の全米女子オープンにおける天候が良かった予選ラウンドのドライバー平均飛距離(GDO調べ)では、全英女子オープンを勝った後女ダスティンかと呼ばれた渋野選手は246.6yd。元々こんなものなのか、それとも飛ばなくなったのか153cmの古江彩佳選手(246.5yd)と変わらない(笹生選手262.3yd、原英莉花選手261.1yd、畑岡選手251.9yd)。悪天候で気温が下がった決勝ラウンドではセカンドの番手が2番手ほど変わり思うようにクラブコントロールできなかったと渋野選手本人も認めている。岡本綾子さんが言うようにショット力に磨きをかけるのが優先課題か。
  世界最強の韓国選手のショット力とメンタルの強さを学ぶなら、日本に居て、海外メジャーだけ参戦すればいい。レキシートンプソン選手等米女子選手が手本にならないなら、なにも遠い米ツアーに行く必要などないのでは。層が厚く距離も近い韓国ツアーにスポット参戦すればよい。大いに歓迎されるだろう。 
 米ツアーを熱望する渋野選手が古江選手に昨秋世界ランクを一瞬抜かれた時「東京五輪よりも米ツアーへ」と言ったとされる。信じられないが本当に言ったとすれば、考え方もアメリカナイズされたということか。渋野選手に期待を寄せる張本勲さんが全米女子オープンの後「普通の一流選手で終わっちゃう」と苦言を呈していた。ファンは彼女の何を知っているのかと反発しようが、張本氏の気持ちが分かる気がする。高額スポンサーがつかない頃の原点に戻って欲しいと私は思っている。
 黄金世代の2つ年下のプラチナ世代の安田祐香選手と古江選手とは兵庫県の滝川第二高校の同級生でライバル。プロ転向直前は安田選手の方が活躍し、渋野選手からマスコミに「プロテストを免除してあげて」と言わしめるほどであった。しかし、実際に免除されたのはアマでプロトーナメントを優勝した古江選手の方だった。そして古江選手は昨年プロとして3勝を挙げたのに、安田選手は優勝どころか故障を抱える。アマと違いプロでは試合数が多く体力を消耗し無理すれば故障につながる(それにプロは賞金を稼がないとのプレッシャーが重くのしかかってくる)。

 1985年全米女子アマを制した服部道子東京五輪ゴルフ日本代表女子コーチも現役時代ビジュアルの変化には目を瞑り体重を増量していた。163cm、53㎏で線の細い安田選手に対してファンは増量を願ったが、1日5食摂ると安田選手が言ったという(3/4からの開幕戦では違いが見られるか)。
  プラチナ世代のフロントランナー古江選手に続く西村優菜選手(プロ1勝)は150cmしかない。二人ともすぐには米ツアーに挑戦しなさそうだが、まず同じタイプの元世界女王申ジエ選手(156cm)を日本ツアーにて凌駕することに専念してもらいたい。
 

 野球のMLBと同様男子プロゴルフの最高峰は米ツアー。米女子ツアーは世界一とはいえ韓国選手に席巻される。日本ツアーがそのマイナーツアーの地位に甘んじる必要はない。申ジエ選手や日本ツアーに転戦希望を表明しているキムヒョージュ選手等韓国強豪選手の方が日本ツアーの価値を理解している。協会はもっと日本選手に自国ツアーへの愛着、誇りを持たせるべきだ。飛ばし屋だけでは勝てない一大世界ツアーに日本ツアーを昇華させるべきなのに韓国の強豪選手を実質締め出す制度変更は明治維新政府が鎖国を言い出すのと同じではないか。
 

2021.3 NO.148 えんざい VS  めんざい(2)

 佐川氏も不運で気の毒な面がある。佐川氏は問題の核心「8億円の値引き」には何ら関わっていない。前任の迫田英典理財局長時代の問題である。なのに、本筋の問題に付随した改竄問題で一身に非難を受け四面楚歌の状態に置かれる。財務省OBの高橋洋一氏からも昨年8月新刊『国家の怠慢』(新潮新書)のP120~121にて、「彼はとても不勉強だった。不勉強の典型で、答弁ミスして、それであとで決裁文書消せと言ったのが真相だと私は思います。・・・(中略)・・・だから全部、佐川氏が保身のために、自分の答弁を正当化するために言って、それで近畿財務局の方が亡くなっちゃった話じゃないでしょうか。とんでもないと思いますよ。」と言われてしまう。この発言の方がよほどとんでもないと思うのだが、菅首相からは愛い奴と思われるのであろう(高橋氏は昨年10月内閣官房参与に任命された)。

 赤木の遺書及び元上司が「改ざんは佐川さんの判断」などと述べたとする音声データーの提出は、真相解明に寄与することなく佐川氏に責任を擦り付けるにアシストするだけに終わるのでは。

 仮にも天下の財務省キャリア官僚で理財局長の要職にある者が自身の不始末でないのに自らの意思で改竄を部下に指示するとは到底思えない。直接的な指示があろうとなかろうと改竄を上から命じられた同じ立場なのだ。「遺書には私の名前がない」といみじくも安倍首相が言ったように、近財の一職員では本省の理財局長の向こう側は知ることはできない。

 私は、本ブログ2018年 5月号 NO.92(「かんりょうVS まんりょう」)で次の疑問を投げかけている。「現時点の疑問は、昨年2/17の夫妻が関係していたらとの後戻りできない首相発言を受けて2/24の佐川理財局長が「学園との交渉記録は破棄し、残っていない」と国会答弁で強弁した後の記者会見で、なぜ菅官房長官が「基本的には、決裁文書は30年保存するのだから・・」と、佐川局長が口にしていない、問題の「決裁文書」にあえて言及したのか、ということ。記録がないと言い張るなら、わざわざ改竄する必要はない。軽率な私と違いあの菅長官がそう発言した意図は何か。決裁文書を見せろ!と言われるのは明々白々なのに(2/17時点で首相の進退問題になっており改竄前決裁文書の内容を知らなかったとは考えにくい)。改竄前の決裁文書について官邸と佐川局長との間に事前協議があり、記録はないととりあえず時間稼ぎして、後で急いで改竄するということに決まっていたのか。その上で官邸は関与していないとのそぶりを見せたということなのだろうか。」

 その答えは、2/24の発言の2日前に菅官房長官は、当時の佐川理財局長、太田充大臣官房総括審議官、中村稔理財局総務課長を官邸に呼んでいる。上記籠池氏の告発本のP 472によれば、「2月22日に官邸で行われた菅官房長官による密会には、昭恵夫人の名前が3カ所書かれた『特例承認』の決裁者である中村稔総務課長も参加していました。当然、菅官房長官にも昭恵夫人の名前が記載されている事実が伝えられていたハズです。ところが、その2日後の記者会見で、『決裁文書を見ればすべてがわかる』と言っていました。菅官房長官は決裁文書から『昭恵夫人の名前が消える』ということを知っていたのではないでしょうか」とライターの赤澤氏は指摘する。なお、近財が改竄するのは2/26の日曜日。

 

 佐川局長が困惑したことは想像に難くないが、「二者択一」を誤った。スーパー官庁の中で出世競争に生き残ろうと奮闘していた佐川氏に「官僚の矜持」「官僚道とは」を考える余裕はなかったか。上に背けば、前任者と同じく花形ポスト国税庁長官(事務次官に次ぐポスト。昔は同期のトップが主計局長から事務次官に。NO.2が主税局長から国税庁長官に昇進することが慣例。安倍政権になると理財局長から国税庁長官に昇進も) になることが出来なくなるばかりかどんな酷い目に遭うか。そう思う気持ちは理解できなくはない。

 しかし、『葉隠』の「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」で有名な山本常朝は、むやみに死ねと言っているわけではない。「常住死身」、いつも死を覚悟する中で、「二者択一に際しては、死ぬ確率の高い方を選べ」と言う。今我々はそれが真理と思い知らされる。

 佐川氏は、国税庁長官にはなったが、任期半ばで辞任に追い込まれた。市民団体から告発されると不起訴になった。終わったと思ったら検察審査会に「不起訴不当」とされ、再捜査でまた不起訴になるも今度は民事訴追された。今でもマスコミが家に押しかけ家族も辛い思いをしていよう。名誉も尊厳も失い、残るは命だけ。命まで奪われたら本当の意味で生贄となってしまう。赤木の妻はそんなことは望んでいない。「なぜ夫が自裁しなければならなかったのか」と真相を知りたいだけであろう。35万人以上の署名を集めたことには大きな意義がある。だが、民事裁判で佐川被告の口から真実が語られることはないだろう。民事なら本人は出廷しないことだろうし。

 隣国韓国では、政権が代われば、現政権が前政権の暗部を暴く(強大な権力を有する韓国検察の捜査を見て見ぬふりをするというのが真相か)。日本ではまずそんなことは起きないだろう(当事者かもしれない現菅首相下ではありえないし、今後他の首相に代わっても同じ自民党議員でありながら第二の三木首相になろうと思う政治家はいないのでは)。

 ロッキード事件と同じく、モリ・カケ問題(公権力の私物化)の真相解明があるとすれば、関係者が鬼籍に入ってからということになろうか。

 

 私は、自らは能力的にも性格的にも不向きな(志がないと続けられない)警察官、消防士、自衛隊員、白衣を着ている時の医師、看護師、介護士を尊敬している。それと同等以上に上記の職業ほど表立って感謝されることが少ない裁判官、検察官、国家公務員、新聞記者(週刊新潮2020.4.9号高山正之氏の『変見自在』で新聞記者の過酷さを垣間見た)を敬仰している。

 能力も高く、志もあり、刻苦勉励して難関の国家資格試験や狭き門を突破し、念願の職業についた。その人たちが、志した当時の夢や理想と今の現実とのギャップに対して、「どのように感じているのか」「どう折り合いをつけているのか」について、とくに安倍政権以降、他人事ながら考える機会が増えた。

 組織の主従関係において、「主」が賢者なら問題が少ない。「主」が賢者でなく「従」が賢者な場合、面従腹背では済まされず「従」が究極の「二者択一」に迫られがちになる。

 その場合、人は本能的に死から遠い方を選ぼうとする。目先の利益に飛びつく。それが却って死に追いやられることを知らない。実際は逆なのだと佐賀藩士山本常朝は説く。

 角栄と同じく有能だがエスタブリッシュメントから見れば異質の政治家鈴木宗男議員に対する国策捜査が鈴木宗男事件。連座した佐藤優氏の『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)によれば、鈴木議員の場合は、「狡兎死して走狗烹らる」という諺の通り、田中真紀子外相を追い出す為に利用した鈴木議員を用済みになれば“知りすぎた男”として疎ましく思う外務省と華々しく活躍する鈴木議員に嫉妬した政治家との思惑が一致して、出過ぎた杭は抜かれた。

 ノンキャリア外務官僚でありながら準キャリア扱いに処遇されていたからキャリア、ノンキャリア双方から出過ぎと嫉妬(女の専売特許ではない。男性ホルモンが強い分より攻撃的。しかも武家・政治家より公家・外務官僚の方がより陰湿)されていた佐藤氏は、郵便不正事件の構図と対比すれば、村木企画課長の位置に当たる。本来東郷和彦キャリア外務官僚だが逮捕を免れたので(鈴木議員は石井元議員に)。村木氏(公留164日)と同じく佐藤氏も長期公留(512日)による検察の取り調べに屈しなかった。しかし、結論ありき?で佐藤氏は執行猶予付きの有罪判決を受けてしまった。

 佐藤氏は、外務省の意向に沿えば、さらなる厚遇もあったかもしれないが、断固鈴木議員を売ることを拒否した。最悪の場合逮捕の憂き目に遭うのは予想していたにも拘わらず。

 それでどうなったか。「世間」からケガレとして「はずし」に遭うどころか、国家公務員を志す若者達から憧れの目で見られる存在になっている。

 文字通りの“ラストサムライ”佐藤氏のように、確固たる信念と強い意志を持ち、さらに宗教がバックボーンにあり、「鈴木議員と一緒に沈むことがロシア等の政治家・官僚からの日本人に対する信用を維持することになり、国益にも適う」と言える日本人は今はまずいない。ならばこそ、銘肝するものが必要不可欠。昨年7月頬に90針縫う大怪我を負うも襲う犬から妹の盾になり続け、その理由を「もし誰かが死んでしまうくらいなら、自分がそうなろうと思った」と答えたという、米国の6歳児ブリッジャー・ウォーカー君なら必要ないが(彼を称賛してBoxing団体WBCがクルーザー級とヘビー級の間に「ブリッジャー級」を新設した)。

 「二者択一に際しては、死ぬ確率の高い方を選べ」は現代に通じる、先哲による明訓だ。公的な世界で人の上に立つ者こそ心に刻み付けるべきであろう。