2021.1臨時号NO.145  いきん VS いきん(2)
 新型コロナ禍で私が気づいたことは次の3点である。第1に、年金は大事で、ありがたい、ということを実感した。私も若い頃年金に関心がなかったが。我々老人(70歳の私はとかく忘れがちだが)、とくに持病(心血管疾患、糖尿病等)のある者は、外出しない方がよい。年金は、働かなくとも、寝ていても定期的に一定額が振り込まれる。銀行を早く辞めた私などは金額が少ないが、それでも助かる。一方、若い人は年金制度は自身が貰えるときには崩壊していると思っているのかもしれない。
  国民が帰属意識を持ち税金を納めるのは政府が国益を守ってくれると思うから。国益とは、国民の生命と財産。生命は、国内では「警察」がよく守ってくれている。「消防」は火事の原因が何であれ(住民の不始末でさえ)身の危険を冒してまで火を消し住民を救ってくれる。
  しかし、他国に拉致されれば、されたまま。「政府」は不都合な事実が顕在化しないよう、紛争地の真実の姿を我々に知らせてくれる戦場ジャーナリスト等のパスポートを取り上げる(憲法が保障する「職業選択の自由」に含まれる「職業遂行の自由」を侵害か)。北朝鮮に拉致された被害者の家族達が「政府は頼りにならん」とトランプ大統領に陳情に行けば、「それでも独立国家なのかと世界から嗤われる」と思わないのか、一国のトップが一緒になって米大統領に懇願する。憲法改正も、自衛隊員の肩身が狭いからと言っても、紛争地の在留邦人を自衛隊が救出する為には憲法第9条2項の改正が必要とは決して言わない。
  財産は、預金金利を限りなくゼロに近づけタンス預金より良いのは盗難、火災等に対する安全性だけか。無駄遣いする政府の借金に国民の債権(国債)が担保にされる。さらに年金制度まで崩壊させるに加え、監視・統制が強まると思う若い日本人の中には、自由を奪われた香港人のように国外に脱出する人も出るのかもしれない。しかし、私自身は政治家はともかく官僚は年金制度も崩壊させてしまうほど愚かではないと信じている(日本人全体の劣化に伴い官僚も政治家にただ迎合するだけの者が増えようが、気概のある優れた官僚が日本国を支えてくれると思いたい)。
 第2は、新型コロナ禍の中やはり「差別」が横行する。パニックになると人の本性がむき出しになりがち。普段感情の起伏が少ないと見ていた知人の新型コロナに過剰に反応する言動には少し驚いた。感染者を差別視する人が老若問わず現れるのは予想どおり。
  人気芸人3名ほどが性風俗を含む「風俗」に対して差別発言をした。功なり名を遂げたのになぜ?と訝しく思う。売れていく過程での屈折した思いがそう言わしめるのか。
  けだし、「嫉妬」と「差別」は人間の宿痾なのか。白人に差別されるアフリカ系アメリカ人は、アジア人やヒスパニック系に対して差別発言するという。
 大坂なおみ選手はテニスで大成しセレブへの仲間入りを果たした。白人社会に媚びても、差別問題に背を向けても、おかしくないが、差別に対する抗議の先頭に立つ。TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたのは当然。誇らしい日本人である。
 最後に、日本人はお上の言うことに従順すぎる。頭のよい知人でもお上の言うことには思考を停止させるのかと思う人も少なくない。医師に対してもそうだ。前立腺がんの治療方法は医師任せでなく自身で選択すべきと本ブログ2019年11月臨時号NO.123(「TOHO VS TOMO」(2))を掲載し、高校の同級生にメールしたら、「やっぱり主治医に従う」というような返事があり、頭のよい者でもこうなのかと落胆したことを覚えている。
 バブルの頃再開発に向け地上げ屋が立ち退きを依頼した。拒否する住人に対して地上げ屋は脅し、嫌がらせをする。それは「暴力」。それに対して「世間」は住人に頑張れ!と声援を送った。
  今般の新型コロナで自治体からの休業要請(お願い)に一部パチンコ店が従わない。大衆はそのパチンコ店を非難する(風俗店に対する差別意識もあるのか)。自治体はその店名を公表すると言う。これも立派な「暴力」。特措法第45条二項、三項で正当化しても。そんな自治体の首長を、非難するどころか、一国のトップにと大衆は声を上げる。「ヒトラーを歓迎した戦前のドイツ国民と変わらない」と言えば、言い過ぎか。
 国民の暴力を抑止するために法律がある。権力者の暴力を許さないがために憲法がある。憲法29条には「財産権は、これを侵してはならない。」とある。さらに3.項で「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」とする。
  某弁護士は『狭い意味では土地などの公用収用についてのものであるが、個人の財産である施設や店舗の使用を、コロナウイルスの感染防止のために禁止することは「公共のために用ひる」に当たるといえる。したがって、法律でこれらの使用を「禁止」する場合には「正当な補償」が憲法上求められる』と言うが、私もこの説に賛同する。
 戦前の軍人は理不尽な命令でも従った。拒否すれは軍法会議で裁かれるだけ。海上特攻で沖縄に出撃を命じられた戦艦大和の司令官は「我々に死ね!と言うのか」と思いながらも一億総特攻の魁となるべく乗組員3千人とともに海中に沈んだ。
  パチンコ店の店主は軍人とは違う。特措法により休業を指示されても休業補償がなければ従うことは難しい。店は潰れ、従業員は失業し、自殺者も出るかもしれない。
  必要がない富裕層を含めて一律のバラマキ給付するぐらいなら、憲法が謳うように休業補償をすべきだと主権者たる国民は声を上げなければならないのだ。
 EUのようにロックダウンをしなくても、日本人は行動を自ら制限する。その規律性の高さや他人を気遣い、助け合う「和の精神」の発揚は、世界に誇れる。
   しかし、自身の頭で考えず、政府、メディア等の言うことを鵜呑みしがちなのは、はっきり言って欠点である。未知のウイルスからある程度ウイルスの性質も分かり、治療薬もでき、治療方法も分かってきた。重症者の死ぬ割合も減っていると言われるのに未だに感染症の分類を変えようとしないのはなぜか。権益、予算の拡充を狙うかのような厚労省、治療薬、マスク、go toキャンペーン等「コロナ利権」を目論むと見られる政権、知事選等政治利用しているかのような都知事に対して懐疑的な眼を向けた人は国民の何割いるのだろうか。
 
  かの佐藤優氏は、週刊誌の対談でフランスの人口学者エマニュエル・トッド氏の『大分断』という本を紹介している。トッド氏によれば、家族類型で民主主義を3つに分けられ、日本は、ドイツ・日本型に属するという。それは、家父長制的な関係、つまり、権威主義的な体制が強く、階級闘争が生まれにくい。みんなが権威に従ってしまうとする。要は、全体主義に親和性があるということか。
  時あたかも戦前の全体主義を復活させるかごとき動きがある。本ブログ2020年8月臨時号 NO.137 (「しきけん VS しききん(2)」)にて岩竹美加子女史が『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮新書)の中で日本の教育を批判しているのを紹介した。
  女史は、『2018年から新しくなった高校の「学習指導要領」での道徳は郷土愛、愛国は小中学校と同じだが、「現代社会」が廃止され、「基本的人権の保障」と「国民主権」が削除されている。』と言う。また、選挙権が18歳に引き下げられたことに関しても、『しかし、自分の権利を充分教えられることなく、批判的思考や政治参加の訓練も受けないままでは、政治が身近な問題と直接繋がる事としては感じられないであろう。18歳に選挙権を与えるだけでは不十分なのではないか』と言う。ネット上の声を拾い読みすると、今の若者は政治家を芸能人かユーチューバーと混同しているのではないかとの印象を私は抱いてしまう。
 政治家と官僚とは、いわば対立関係にあるように見えるが、「国民を愚民のままにしておきたい」との思惑は双方一致しているのではないか。
   本アメブロでブログを掲載している人の中には、子供の教育に尽力している方も多くおられよう。学校では教えない?「自身の頭で考える」「お上の言うことを鵜呑みにしない」等、次代を担う子供たちに「主権者としての自覚と責任」(それが民主主義を守る)の大切さを教えてあげてもらいたいものだ。

2021.1臨時号 NO.145  いきん VS いきん(1)
  私は我が家でバイキンマンと呼ばれている。要らぬことを言い家族を不快させる。そのことよりも、足指の集合住宅に60年以上水虫を住まわせている大家であることが問題視されている。私だけ風呂上がりのマットは皆が使うものと区別されている。
 昔は娘が他家に嫁ぐ時「二度と家の敷居を跨ぐな!」と言われたものだが、我娘は毎週土曜アンパンマンが好きな2歳の孫を連れて戻ってくる。その日の朝は妻に早く風呂に入れ!と急かされる(現役の頃からの習慣で朝風呂に入り加齢臭を流し落とす)。風呂を洗い湯を替えるため。孫が泊まるときは、翌朝湯舟に入らせてもらえない。
 区別は、身から出たサビ、ではなく、白癬菌なので、甘んじて受ける。区別を差別だと言おうものなら銭湯に行く羽目に遭うだろう(非がある私とは違い、非がなくとも、米国では、奴隷が解放されたら黒人に対する差別がさらに酷くなった。日本においても、身分の区別が撤廃されると、職業的特権は奪われ、さらに米国のように見かけでは判別できないから地域とか職業で色分けしようとした。区別はなくさないといけないが、差別がなくなることを意味しない)。

 眼には見えない細菌には、体内に常在する乳酸菌、ビフィズス菌などの人の健康に有益な、いわゆる善玉菌と黴菌(ばいきん)と呼ばれる人体に有害な細菌が存在する。
 ウイルスにも、人に有益なものもあるが、エボラウイルス、エイズウイルス、今般の新型コロナウイルス等人に害を与えるウイルスの制圧の研究に注力されているのが現状。黴菌と同じく人体に有害なウイルスを「バイルス」と呼んではどうか。英語表記はVirusでもあることだし。
  ウイルスは、細菌より小さく(50分の1程度)、自分で細胞を持たず、人とか宿主の細胞に入り込んで生き、増殖する。無生物と生物の性格を併せ持つより原始的な微生物。
 ウイルスは、譬えれば、飢えと寒さに震える戦災孤児みたいなもの。家の明かりが見れば本能的にその家に入ってしまう。攻撃する気などない。人を殺す気などさらさらない。第一、考える器官を持たない。それなのになぜ人は死ぬのか。ウイルスが生きるために不可欠な宿主を殺すのは不条理(絶滅危惧種と揶揄される芸能リポーターも、芸能人が宿主であるハズなのに、謝罪する芸能人に群がり殺そうとするかのように見える)。

 エボラウイルスによるエボラ出血熱という感染症では感染し治療が遅れれば致死率が80~90%と言われる。人間から見れば最も頭の悪いウイルスと言えるが、そうではない。それほど怖いウイルスから、感染者の意志ではなく、種の保存という本能?で、感染者が自ら命を絶つことにより感染を防止しているのではと考えていたら、東大の小林一三教授らの研究チームが「利他的死による感染防御」仮説を立てその研究が進められていることを知った。
  そうだとすれば、エボラ出血熱に感染した人は、ウイルスもろとも死ぬとともに悲惨な形で「危険だ。近づくな!」と警告してくれているということになろうか。感染すれば、穴という穴から血が流れ出て見るからにおどろおどろしい(10年以上前将棋の先崎学棋士が週刊誌のコラムで紹介したので知ったノンフィクション『ホットゾーン』<上巻・下巻>を知人に貸したが、「気持ち悪い!」と言ったきり、本が戻ってこなかった)。
 志村けんさん、岡江久美子さん、外務省OB岡本行夫さんが新型コロナウイルスにより亡くなったときは驚愕した。が、残念なるも、良き人達が利他的死により我々に警鐘を鳴らしてくれたと思いたいものだ。        
 世界中で猛威を振るった新型コロナウイルス(以下「新型コロナ」)は、人間からみれば賢いウイルス。地球上最強の生き物で、しかも長生きする、人間を宿主として選んでいる。しかも、一番余命の長い幼児は殺さず、私のような余命いくばくもない老人は死なせてもかまわないとする。普通、免疫力の低い、老人と乳幼児がセットで重篤しやすい。インフルエンザもそうであるように。
 さらに、幸いなことに、新型コロナからすれば日本人は虫が好かないらしい。手洗い、マスクの励行に加え、毎日風呂に入る。土足で家の中に入らない。とにかく清潔好き。欧米人のようにやたらキスしたりハグしたりしない。むやみに握手もしない。
 人から人へ移すのが容易な欧米人の体内では新型コロナは我が物顔で居座る。日本人の体内では、息を殺し、身を潜めるしかない。感染しているのに気づかず自由に他人と交流してもらうためには。(医学的知見に縁のない)素人考えではあるが、日本の方が時間の経過とともに欧米より新型コロナの無毒化、無症状化がより顕著になってもおかしくないと思っている。
  今第3波が来て、感染力も高まっていると言われるが、強毒化に変異していないらしい。生物として生き残るために変異しているのなら、ことさら人体に悪影響を与える必要はない(強毒化する場合があるなら、ウイルスにとって何の意味があるのだろうか)。
  週刊新潮が以前から主張しているように、私も早く医療ひっ迫の元凶?である指定感染症の2類相当からインフルエンザと同等の5類に新型コロナを変更すべきだと思う。それができないとすればGO TOキャンペーンの実施・延長は整合性があると言えるのか。
  現行の感染者に対する濃厚接触者の隔離は医療従事者に大きな負担を与える。さらに感染者だけでなく(感謝されるべき)感染者を受け入れる協力病院まで差別の対象とされ、それが病院経営を悪化させ、医療従事者をなおさら疲弊させる。インフルエンザでも脳症、脳炎等重篤化することがある。インフルエンザと同じにしておれば差別視する国民は出現しなかっただろうに。
  現場の医療従事者には頭が下がる思いだが、門外漢の私からすれば、(自衛隊看護官が1千人しかいない)自衛隊に支援を要請せざるを得ないほど医療がひっ迫するのは、根本的にはこれまでの医療行政の失敗であるにしても、感染症法により新型コロナに対応する病院が限定されていることも関係していると思っている。新型コロナを指定感染症の2類相当からインフルエンザと同等の5類への変更をして、無症状・軽症者は隔離せず自宅待機・自宅療養にし、中等症感染者に対する病院を増やすべきだ。重症者向けのECMO等増設と専門の看護師増員は国がとるべき最優先課題であろう。

 

 そんな考えの私自身は、他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいとの「愚行権」を行使するつもりはないが、7月頃には、新型コロナ前の日常をすでに取り戻している。年金生活者の週課としての一人カラオケと一人映画鑑賞を復活させている。
 それで、新型コロナを軽視するトランプ大統領のように自らが感染すれば、面目が立たない。3蜜回避を徹底した上、家の玄関を出てから家に戻るまで、マスクを外さない(歌うときはさすがに外すが。独りでもあるし)。その間、口、鼻、目には一切触らない。外ではこまめに施設のアルコール消毒液を利用する。家に着けば、真っ先に手洗い、うがいをする。その後、おまじない程度に日本酒で口腔内を洗っている。
 メディアは、日本では海外と比し、思っていたほどには大したことないと分かっても、報道姿勢を変えようとしない。相変わらず、感染者数しか報じない。(大型連休を迎える前や時短要請等の前に)PCR検査数が増えれば感染者数も増える。その比率(陽性率)の推移が感染拡大の指標だが、それを報じようとしない。昨日も都内は感染者572人と視聴者に漠然とした不安しか与えない。その内無症状が何人かは報じない(無症状感染者の感染力は弱いか否かまだ分からないらしいが、少なくとも咳をして他者に感染させることは少ないのであれば感染者数から無症状を除外した感染者数を重視するべきではないのか)。
  そんな報道姿勢に嫌気が差し、テレビっ子を自認する私だったが、それを今は辞任・返上している。“新型コロナの女王”O教授や昭和大N客員教授が画面に映るとチャンネルを変えていた(新型コロナのストレスなのか意に沿わぬ意見に対して私自身が寛容さを失っているのかもしれない)。それも億劫になり、テレ朝に限らず、どの局の朝の番組を観なくなった。新型コロナ禍における新しい生活様式となった。

2021.1 NO.144 かんさいん VS かんさい
 令和2年目の今年ももう少しで終わる。令和の世に変わってから心に残る出来事を、関西弁で振り返り、放言する。
  歌謡曲でも関西弁を使った歌がある。ただ、関西圏だけで聴かれるのではないから概してサビのところだけ関西弁になる。満州生まれ、青森、北海道育ちの作曲家浜圭介氏が作詞・作曲の『大阪暮色』の「あほやねん あほやねん 騙された私が あほやねん」のように。
  すべて関西弁にすると歌詞が散文的にもなるだろう。私の場合はもともと駄文なので散文的で構わないのだが、私の関西弁は、上京してから四半世紀以上経つ記憶の中の関西弁なので、今の関西弁に即しているかは自信がないのだが。
 

 令和が始まってすぐの昨年7月末悲報が飛び込んできて、びっくりしたわ。 日本競馬界の至宝ディープインパクト(以下「ディープ」)が17歳(人間換算52.5歳)で亡くなってしもた。あと10年ぐらい先に今70歳のオレとどっちが先に逝んかと思ってたんやけど。
 ファンは種付けが多すぎたんやと残念がっとる。ディープは、亡くなった2019年を除く2007年から2018年までの12年間で2,771頭もの牝馬に種付け(年平均230頭)したんや。その内1,557頭の産駒がディープの仔として誕生したことになるんや。
  種付けを年間100頭に制限していたとしたら、2,771頭の種付けを完了するのには28年かかる。2018年の16歳(人間換算50歳)から12歳も伸びる。馬の28歳は人間換算で80歳や。そこまで生きてないかもしれへんし、生きてても繁殖能力があるかわからへん。それやったら、ディープの最高傑作と言われる、無敗の3冠馬コントレイルも生まれてへんかもしれへん。多くの優れた産駒を残せたんが不幸中の幸いと思わな、しゃあないんかな。
 悲報のすぐ後嬉しいニュースで日本中が沸き上がったな。ゴルフの渋野日向子選手(以下「シブコはん」)が8月に42年振りに海外メジャー全英女子オープンを制したんや。
  最終日の夜テレビで観てたんやけど、3番でダボを叩き、やっぱりダメやと8番ホールの終わり12時半頃に寝たんや。そやけど、やっぱり気になるんか1時間程で眼が覚め1時半にTVつけたらミドルでワンオンさせバーディーとした12番が終わったところやった。それからの快進撃から表彰式に向かうピヨピヨ歩きの最後まで観てたんや。最終18番の勝利を呼び込むバーディーパットを決めた時同組プレーヤー南アフリカのアシュリー・ブハイ選手が我が事のように万歳したんや。普通プロはそんなことせえへんで。シブコはんが優勝できた要因の一つに決勝ラウンドをブハイ選手と一緒に回ったこともあると思ったわ(あれから1年。シンデレラの魔法が解けたかのように、米ツアースポット参戦では強気のパットとか海外選手も瞠目するものが消えたな。米ツアーは、畑岡奈紗選手とパワーヒッターで英語も堪能な新星笹生優花選手に任せればええんや。前から言うてるけど、シブコはんは今季3勝し抜きん出た古江彩佳選手ら黄金&プラチナ世代と切磋琢磨し、岡本綾子はんのように日本で圧倒的なNO.1になってからでええんちゃう、その先は。“遼化”したら、あかんで。「急がば回れ」と言うこっちゃ、そう思うんやけどな)。
 9月猛威を振るった台風15号の翌月の台風19号の時には初めて少しうろたえてしもうたわ。神戸に居た子供の頃家の目の前に市電が走り、みなとの祭りの日にはミス神戸など別嬪さんを乗せて花電車が2、3両パレードしていたもんや。台風の季節になったら線路に水が溜まり、線路が全然見えへんようになるんを楽しんでたんや。それ以来台風で避難など考えたことなかったんや。それがネット上に「墨田区に避難勧告」と出たんや。隅田川が氾濫し2階まで水が上がってきたら、細君ならぬ太君の嫁はんは、煽てたらすぐ木に登るころも似てるんやけど、泳ぎも似て出来へん。避難浮き具もあらへんし、不安になったがな。後で江戸時代から氾濫対策に力を入れてきた隅田川が氾濫する訳ないと気を落ち着けたんやけど。後日荒川からの水を堰き止めてへんかったら6.9mの隅田川の堤防を越えていたと知って驚いたやんか。日本はすっかり温帯から亜熱帯気候に変わってしもたんやな。
  その頃千葉県森田健作知事が叩かれたんや。釈明に追われた知事に万年青年の面影はなかったな。知事は一つ歳上なんやけど、お互い年とったなと思わずにはおれんかったわ。  

  2020年1月台湾総統選で独立志向の民進党蔡英文現総統が再選されたんや。よかったやん。台湾ナショナリズムの勝利や。香港の民主化を求めるデモ隊と香港警察の衝突激化が追い風になったんやろ。香港の一国二制度は英国から中国に返還された1997年の50年後2047年に“死ぬ”のが決まっているねん。そんでなんで香港の学生らはあんなに闘っているんやろ。まぁオレらかて寿命から27年もまだあるんやったら癌と闘うわな。
  中国共産党の方は、あと27年適当にやり過ごせばええんやけど。27年後見えへん壁が取り外され、民主化ウイルスが中国の10億以上の農民層に伝染・蔓延するのが怖いんや。共産党一党独裁国家を転覆させるんは米国やない。農民層の蜂起なんや。民主化ウイルスの無毒化と感染力低下を図らなあかん。27年かけて香港の一国二制度を一・五制度、一・二、一・一と限りなく一国一制度に収れんさせていくんやろな。そう思てたら、いきなり国家安全維持法や。中国共産党は何を焦っとるんや。反中の香港人を矯正するより追い出した方が早いと思っとるんか。(中国共産党は「一国二制度を維持する」と言ってるんやけど)これで台湾との統一の選択肢は武力行使しかなくなってしもうたな。小熊(習近平)は小瓶(鄧小平)より体は大きいが器は小さいということなんやろな。
 日本では令和になって初めての正月、平穏なスタートを願ったやんけど新型コロナウイルス(以下「新型コロナ」)で大荒れや。東京五輪も1年延期になってしもうた。
  感染しても無症状の人がいるなら本来怖くないウイルスのハズや。そやから4日間も悠長に家で様子見させたんやろ。岡江久美子はんもな、すぐに病院で抗原検査を受け陽性ならその日の内にアビガンでも投与されていたらと思うと残念至極やな。志村けんさんも同様、もう飛沫も息さえも吐かないのに、肉親に荼毘に立ち会わせへん。エボラ出血熱でもあらへんのに、骨上げだけでもさせへんのはむごいで。それも人々の恐怖心に火をつけ、日本全体がシュリンクしたと思うわ。
 政府の対応はまずかったのに、日本は世界に比し感染者、死亡者が明らかに少ないやないか。手洗い、マスク等の生活習慣+α、世界は日本人の特質を再認識したことやろ。
  思てたほどではないと分かっても、緊急事態宣言解除後7月ニューヨーク感染者1日5万人、加州同 1万人なのに、東京は同100人を超えたとメディアも相変わらずの大騒ぎ。
  都知事選を意識したかのような感染者公表に対する不信感や治療薬、マスク等「コロナ利権」により不必要に不快な思いをさせられたと思てるわ。
  新型コロナで大変な時に北朝鮮の金正恩委員長の死亡説が世界中を駆け巡ったなあ。誤報みたいやったけど。そやけど妹に一部権限移譲したんかな。与正氏の豹変よる韓国叩きは、与正氏が口に出して罵ってへんから、真相は、副操縦士が韓国管制塔にメーデー、メーデーと発信したんかな。それほど経済は瀕死の状態にあるハズなのに、なんであんなに核・ミサイルをさらに進化させることができるんやろ。どないなってんねん。
  白人至上主義者を岩盤支持層としたトランプ大統領は大統領選で敗北したな。これで安倍前首相の再浮上の芽もなくなったんかな。猛獣使いはいらんようになったんやから(政争がらみか? 「桜を見る会」前夜祭の疑惑も再燃したしな)。
 50州あろうとも勝敗のカギとなるんは、錆ついた工業地帯(ラストベルト)におけるスイング・ステート(青、赤旗幟が鮮明でない州)。2年前の中間選挙でラストベルトのプアーホワイトは「トランプが救ってくれる」という幻想からもう目が覚めてたんや。それからの2年間で大統領はリカバリーしようとしてたんやろうけど、予期せん新型コロナで失業率が上がってしまったんは誤算やろな。白人至上主義者もさぞかしがっかりしてるやろ。
  白人の全米人口での比率は急増するヒスパニック系に圧され2014年62.2%だったものが、2060年には43.6%になると言われてるねん。白人至上主義者は白人がDNA的には北アフリカのアダムとイブにたどり着くことを認めへん。神が人を作ったとするキリスト教福音派にしがみつき、白人至上主義者は2割台に落ち着くやろ。自らの方が差別されてると過激な言動をしたら、逆に迫害されていく運命やないか。
  トランプ大統領が(軍事的、経済的理由だろうが)グリーンランドの買収に失敗?したから北極の真白な氷上に、無理なら南極大陸に白人王国を築くことになるんかな。そやけど、ニュー・メイフラワー号にはトランプ大統領の子孫は乗船せえへんのとちゃうん。知らんけど。
  新型コロナや自殺(家族の心も殺し、他人の連鎖も呼ぶ。美化するような「自死」は使わへん)で次々と有名人が亡くなったことが象徴する暗い年もあと1か月ちょっとや。新年はいい風が吹き明るい年になることを祈るばかりや。ホンマにな。

2020.12 NO.143  いばら VS  いばら
  かつて茨城県人と一緒に仕事をしたことがある。仮にA君としておこう。A君は偉そぶるところもなく性格もおだやか。関東人が嫌う、私のような(東京在住の)関西人が他人をいじって笑いをとるようなこともせず、自虐ネタで周りの人を和ませる。私も好ましく思っていた。その彼が一つだけキィーッと感情的になるので驚いた。私がいばらぎと言うと「茨城は、いばらき、で、いばらぎ、でない!」と怒ったように言う。
  大阪府にある茨木市も「いばらき」であるが、神戸っ子の私も、地元の大阪府民も「いばらぎ」と発音していた。関西人は損でもしない限りそんなことに拘らない。固有名詞でないなら発音し易いように変えるのは洋の東西を問わずいくらでもある。天童よしみさんの『珍島物語』の歌詞にある「カムサハムニダ」も韓国人は「カムサミダ」と発音する。欧米人もI miss you.をアイミッシューと発音する。
 A君だけの拘りかと思っていたが、そうでもなそうだ。グラビアアイドル、タレントで「いばらき大使」を任ずる磯山さやかさんもTV番組で「いばらぎじゃない。いばらきぃー!」と叫んでいた。白ポチャで私好み。体型からして穏やかな性格と見ていたので、少し驚いた。こうなると、個人の性癖ではなく県民性の問題。興味が湧いてきた。

 故祖父江孝男の『県民性の人間学』(ちくま文庫、以下「同書」)によれば、茨城には県民性を表す「3ぽい」があるという。「怒りっぽい」「飽きっぽい」「忘れっぽい」なのだが、それとは別に水戸の「3ぽい」もあるという。「理屈っぽい」「骨っぽい」「怒りっぽい」であるが、一つにまとめれば「激情性」となるのか。これが明治維新で政界をリードするハズなのにそうならなかったことに関係しているか。今では都道府県別魅力度ランキング(以下「魅力度ランキング」)で最下位を争う北関東の団子3兄弟の群馬、栃木に、「世界遺産がない」「国宝が少ない」(他藩に先駆けて反射炉建設の為貴金属を集めたことも影響)「新幹線が通っていない」(駅はないが古河をかすめて通っていると反論する人もいる)に加えて「総理大臣を輩出してない」とディスられる。
  烈公と呼ばれた名君徳川斉昭を初め尊王攘夷に繋がる水戸学の理論的支柱会沢正志斎、藤田東湖ら有能な家臣により水戸藩が幕末の政治思想を先導し吉田松陰、西郷隆盛に大きな影響を与えた。しかるに、大事(欧米列強の圧力に直面した国の危機)の前の小事(小藩の内紛)。斉昭の藩政改革を支持した尊王攘夷派(天狗党)とそれに反対する保守派(特に諸生党)との対立が激化し内乱につぐ内乱で有能であった藩士3,500人が800人までに減少した。
 本来明治維新をリードするハズたったのに、大幅な出遅れ。政府のポストは薩長等に押さえられ、水戸藩士の出る幕はなかった。それで「巡査」になった人が多かったという。
 こうした史実を踏まえれば、県の読み方という小さな事に拘って感情的になってはならないと思うハズなのだが。そう見えないのは私には不思議に思える。

 県名の読み方にそれだけ拘り郷土愛があるのなら、なぜ魅力度ランキングに7年連続最下位に甘んじていることに憤慨しないのか。それも関西人の私にはよう分かりまへん。
  あまり茨城県民は気にしている様子もない。気にしていれば前知事に6期24年も知事にさせることはないか。マスコミの方が、心配しているというか面白がってよく取り上げ、茨城県を喧伝していた(その効果もあったのか本年度は42位に浮上。栃木県が最下位となった。U字工事の2人を初め栃木県民はまさかあの茨城に負けてビリとはとさぞかし悔しがっていることだろう)。
 関東圏を徳川の幕藩体制に擬えると、皇居(前江戸城)のある東京都は「親藩」、神奈川、埼玉、千葉は「譜代」、北関東の群馬、栃木、茨城は「外様」というところか。
 東京都の2015年の昼夜間人口比率(2018年版人口統計)は117.8%でタントツ。逆に譜代の埼玉は88.9%と昼間会社や大学に県外に出る人が多く最低。東京の一番のベットタウン(千葉は89.7%、神奈川は91.2%)か。“だ埼玉”は今は昔。関東住みたい街ランキング2019で大宮4位、浦和8位。千葉は災害対応の問題も出てもう埼玉のライバルと言えないか。 
 北関東3県は群馬99.8%、栃木99.0%、茨城97.5%。ほとんど県外に出ないが、茨城は大仏のある牛久だと特別快速なら52分で東京駅に着く。通勤可能で少し比率は高い。
 東京に住む我々にとって北関東は外様の形容が合うように交流するには遠い。逆に旅行となれば近すぎて、泊りがけで東北地方に行こうとする。一昨年ねぶたを見に夫婦で青森に(その足で函館にも)行ったが、今夏は秋田の竿灯まつりを予定した。仕事で1、2度行っただけなので、どれだけ美人が多いのか街を探索したかったが、祭り中止で断念した。
  一方、茨城は大きな夏祭りもない。加えて、仙台、三河と並んで“日本三大不美人”とありがたくない勲章を貰っている。他県を後回しにしてでも先に訪れたいとは思わない。
  茨城県民自身も、昔のフェイクニュースだと分かっているのに「400年前関ヶ原の戦いで西側につき、水戸から秋田に転封された。その際、藩主佐竹義宣が水戸の美人を全員秋田に連れて行った」と流説を口にする。秋田出身の藤あや子さん、佐々木希さんと茨城出身の愛嬌のある人気芸人、渡辺直美さん、森三中の黒沢かずこさんとを思い浮かべて、「なるほど!」と納得してはいけない。茨城にも、羽田美智子さん、城之内早苗さんとか正統派美人はいる。
  日本海側の雪国女性は肌がきめ細やかで、雪のように白い。「色白は七難隠す」ということだ(秋田美人はロシア人の血がというのは俗説らしい)。

 おいしい物があるとそれだけでその地へ旅行に行きたくなる。天然フグを食べに博多、下関に行った。カニや魚介を食べに北海道へ夫婦で度々出かける。「茨城は、納豆と干し芋がある」てか。リッチ感もないし好きでもない。なにより、納豆はどこにでもある。名産と言っても、全国納豆鑑評会で農水大臣賞(最優秀)が出来た第4回以降今年で第25回になるが、茨城県の納豆メーカーの商品が農水大臣賞を受賞したのは第13回(平成19年)のみ。ところが、高級果物メロンの出荷高日本一は、静岡(6位)かと思っていたが、実は茨城。
  同書によれば、北関東は敬語が最も発達していない関東無敬語地帯と呼ばれる。口ベタでもあり宣伝下手でもある。それも県別魅力度ランキングで最下位を争う要因になるのか。
  茨城は、メロン以外にもレンコン、ピーマン、クリ、白菜、レタス等産出高、出荷高で日本一が多い。平成29年度の農業産出高ランキングでは、茨城は4,967億円で北海道(12,762億円)、鹿児島(5,000億円)で次いで第3位であるが、1k㎡あたりの産出高は茨城は8,250万円で北海道、鹿児島を圧倒している。茨城は農業県と言えるが、県外に出る人も少ない。茨城国際空港は新型コロナがなくとも中国人や親日台湾人しかインバウンドしないなら江戸時代の長崎の出島と変らないか。茨城は鎖国をしている農業国と言えば言い過ぎか。
 フランスはEU最大の農業国。なのに首都パリは国際芸術都市。県都水戸も国際芸術都市を目指してはどうか。まず食文化から茨城産の食材を使いフレンチの東のメッカになっては。既に水戸フレンチの店があるが、仏で初めての三ッ星日本人シェフ小林圭氏やドラマでキムタク扮する尾花シェフのような気鋭のシェフを水戸へ誘致しては。「水戸フレンチコンテスト」の開催はどうか。実りのない空港愛称変更の対応より、ベトナム、タイ等の親日国の観光客も増え路線拡大も期待できるのではないか。
 神楽坂は坂、石畳等街並みがパリに似ていると在日仏人が多く集まる。水戸もそうなれば滝川クリステルさんや沢尻エリカさんのような日仏ハーフ美人が多く誕生するかも。400年後には「秋田美人も見上げる水戸美人」との呼び声が聞こえるんちゃうん。知らんけど。
 思い出したくもない解任「いばらき大使」を思い起こし、「おめぇぶくらすぞ。おひゃらかしてんでね!」と茨城県民にいい加減怒られそうなので、これぐらいで手仕舞いにする。
  最後にお笑いのはなわさんにお願いがある。ぜひ、面白い県宣伝ソング『茨城県』を作ってもらいたい。「き、き、き、き、いばらきぃー!」と。話題を呼んだ映画『飛べ埼玉』の主題歌として映画のラストに『埼玉県のうた』が流れていた。初めの『佐賀県』は45万枚のヒット。ディスられたのに佐賀県民の購入は全国で2位だったとか。
  だが、本号をアップする前によくよく調べ直したら、はなわさんは既に歌っていたのだ。「ラッキー ラッキー ラッキー イバラッキー」と。不人気で知られていない。いやはや収まりのよい結びの文に困ってしまった。“茨の城国”と言えば、シャレにならないか。

2020.11臨時号 NO.142 い VS まい(2)  
 平成4年秋に副鼻腔の手術をしてから10年後平成14年(2002年)の年末に今度は胆のう摘出手術を受けた。胆のう内の胆石が胆管に蓋をしかけており黄疸になり命の危険があった。
 たまたまランチに牡蠣フライを食べた夜に発熱し翌日血尿(原因は不明)が出た。街の内科でエコーで診てもらったところ直に紹介先の病院に行けと言われた。ノロウイルスによる食中毒と同じで牡蠣に罪はないが、それ以来好物だった牡蠣フライを余り食べなくなった。
  緊急入院して、6人部屋の患者に挨拶したら、何の癌かと聞かれた。私以外皆癌患者だった。ある人は再手術を希望していたが、医師が反対していた。癌が全身に回っておれば、手術しても免疫力が下がり土竜叩きゲームのようになるだけらしい。部屋は沈鬱だった。
  3週間?か絶食し点滴で栄養補給した。脂質が食道を通れば胆のうが収縮して胆汁を出そうとする。胆のう炎がより悪化する。胆のうの炎症を抑えて肝臓との癒着を改善させてからでないと手術ができなかった。一旦退院した後、再入院し、ようやく手術となる。
  手術前日に担当医から唐突に「医師と看護師の安全確保の為エイズ検査をさせて」と言われた。その頃数年に亘る体の不調が何故かと訝しく思っていたので、一瞬ぎくりとなった。
  といっても、拒否もし辛く同意した。それにより図らずもエイズでないことが立証されることになった。胆のうを摘出したら頗る元気になる。胆のうが体不調の犯人であった。
 全身麻酔での腹腔鏡下胆嚢手術による胆のうの摘出は、皮下脂肪が予想外に多く時間がかかった。手術を終え集中治療室に運ばれる際、麻酔が切れかっており、「お父さん!? お父さん!?」と何とも愛し気な妻の声が聞こえてきた。後日妻にそれを言うと、妻は医師から呼びかけてと指図されただけとつれない返事。妻は「エ~ッ!?と思ったが、仕方がないので」と情愛溢れた呼びかけではないと断固否定し続けている。
 開腹手術より回復が早い。翌日(だったと思うが)には食事もできた。ただ、注意を受けていたのだが、まだ腸が、麻酔が完全に抜け切れず、動いていない。それでは胃の幽門が開かないので、胃が張ってしまい悶絶した。病院の廊下をそこら中歩き回り腸の回復を促したのを覚えている。
 胆のうは、肝臓からの胆汁を一旦貯蔵して濃縮する。貯蔵庫がなければ胆管を通して濃縮されていない胆汁が十二指腸に垂れ流しになる。脂質の多い食べ物の消化力が弱くなる。退院して10日後に天ぷらを食べたら一ぺんにお腹がピーピーになってしまった。18年経った今は、お腹も壊さないし、3箇所に穴あけた傷もどこにあったかまったく分からない。

  平成4年、平成14年と全身麻酔による手術を受けた。次の10年後平成24年(2012年)はまた手術することにならなければよいがと思っていたら、前立腺がんの疑いが判明した。

 そのあたりの経緯は2019年7月 臨時号NO.117(「 TOHO VS TOMO (1)(2)」)に書いたが、生検で癌が見つかった時は、もう手術はこりごり(幾度もの全身麻酔及び手術は体によいハズもない)で前立腺がん治療に適する放射線治療を選択することを心に決めていた。
  その生検自体は脊椎麻酔(下半身麻酔)で行われる。ネット上では脊椎麻酔は凄く痛いとの書き込みが多数載っていた。覚悟して臨んだが、腰を丸めてと言われた後少しチクりとするだけなので、看護婦さんに「麻酔はこれからですか?」と聞いた。すると、もう終わったと言う。昔と違って針が細く大きく改善されているとのことだった。
 そして、2012年2月の長男の結婚式の翌日から前立腺がんとの闘いを開始し、同9月から38回の放射線治療に入った。それから8年経ち、次の10年(2022年)にあと2年と迫ってきた。またぞろ全身麻酔のお世話になるような大病が判明しないことを祈るばかりだ。
 2020年の今年は、まだ麻酔のお世話になっていないが、来月点眼麻酔で白内障の手術を受ける。目はもともとよかったのだが、頭の悪い私は他人より勉強時間が長くド近眼になった。それもあり緑内障の目薬を毎日朝夕(面倒だが)点眼している。加齢による白内障の手術は簡単な手術とはいえ、麻酔なしでは目の手術などできたものではない。
 
  織田信長は「人間五十年下天のうちをくらべば・・・」と詠んだが、私は麻酔(及び手術)がなければ、50年も生きられなかったと思う。まさに麻酔様様だ。
 今のように麻酔が確立されていない18世紀末頃は、外科手術は最後の手段だった。手術を受けるぐらいなら死んだ方がましと思った人もいたのでは。
『世にも奇妙な人体実験の歴史』(文春文庫)によれば、その当時、外科手術医には次のルールがあったとする。
(1)悲鳴が他の患者の耳まで届かないような場所に手術室を設ける。
(2)外科医の疲労に最大限の配慮を払う。
(3)患者をしっかり縛りつける。
(4)患者に外科医のステッキを噛ませる。
(5)急いで仕事を済ませる。
 我々は麻酔の恩恵に浴している蔭には、危険を顧みず使命感に燃えた医師・科学者、華岡青洲の妻のような協力者、エーテル、クロロホルム等の実験で亡くなった患者たち、その者達の貴い犠牲があることに想いを馳せる必要がある。

 ただ、前述のように、麻酔はまだよく分かっておらず、上記の書によると、米国では、手術中に意識が戻ってしまう例が一日に少なくとも100例あると言われているらしい。
 私の体験でも全身麻酔は体に良いとは思わない。放射線治療等医療技術が発達した現在ではひと昔のように(全身麻酔の)外科手術は最後の手段とすべきではないかと思っている(比較的手術が簡単で、臓器が動く胃がんなどは今のまま外科手術でよいと思うが)。
  その流れを作るのは、日本の最高権威である東大医学部だと思うのだが、上皇(天皇時の前立腺がん)、上皇后(乳がん)両陛下に全身麻酔による外科手術を施している。
  東大医学部の外科が最大の抵抗勢力と見えるのは、私の頭が悪いだけなのであろうか。



 

2020.11 臨時号NO.142 い VS まい(1)
 10/4競馬の祭典仏凱旋門賞が行われた。本題に入る前に少し触れたい。
  新型コロナの影響で日本からは欧州に滞在のディアドラだけが出走した。注目の女王エネイブルは、昨年同様不良馬場に泣かされ、“前馬未到”の3勝目を挙げることはできなかった。
  昨年本ブログ2019年11月号NO.122(「ハリウッド VS ポリウッド(1)」)で凱旋門賞への日本馬の挑戦について当日より前に述べた。その時はファンの期待に水を差してはと遠慮がちに書いたが、今回は本音で少し毒を吐く。
  昨年凱旋門賞発走後フィエールマンの調教師は「打ちのめされた」と言っていた。キセキの調教師は「馬場が合わなかった」と。ロンシャンは特殊な馬場と言っても条件は皆同じ。7着だったキセキは武豊騎手が跨った、仏で7戦して未勝利戦しか勝ったことのない3歳牡馬ソフトライトの後塵を拝した。馬場以前の問題では。馬場が敗因と言って許されるのは史上初の3連覇を逃したエネイブルの調教師と騎手だけ。雨でよりタフになった重馬場でややハイぺースで流れエネイブルと同じ前目にいたフィエールマンは4コーナーでずるずると後退し最下位に沈んだ。エネイブルはゴール前50メートルまで先頭に立っていた。
 日本と欧州の競馬は別物。欧州の凱旋門賞馬級の一流馬が日本の高額国際レースJCに来なくなった(今年は薬物検査等で凱旋門賞の出走が叶わなかった馬たちが11/29のJCに向け予備登録してきたが)のは、一流のメジャーリーガーが日本野球を格下と思っているのとは訳が違う。勝てないと分かっていることが大きい。
 日本人はノーベル賞と凱旋門賞への思い入れが強すぎるのでは。ノーベル賞はともかく、馬主、調教師、騎手が凱旋門賞の勝利が日本競馬界の悲願と言うが、文系の高校生が東大医学部に入って天才と呼ばれたいと思うのと同じではないか。馬自身そんなこと考えないなら、親(馬主等)が東大病に罹り、子息(競走馬)が辛い思いをさせられていると言えば言い過ぎか。
 凱旋門賞で日本馬が勝つ条件は、①出走馬がディープインパクト、オルフェーヴル等三冠馬クラスで重馬場を苦にしない。②地元欧州に抜けた有力馬がいない。③エネイブルが負けたように地元馬の優位性が発揮できない重馬場・不良馬場(過去日本馬最高位2着の時はいずれも重か、不良)、と思う。なお、10/25にコントレイルが菊花賞に勝ち無敗の三冠馬になれば来年凱旋門賞へとの声が一層高まるが、前目につける脚質は適するが馬場適性があるとは思わない。
  ディープインパクトの馬主としてまた並外れた相馬眼を持つ伯楽として著名な金子真人氏は、2016年所有馬のダービー馬マカヒキが凱旋門賞にチャレンジし惨敗した時、当初金子氏は凱旋門賞挑戦に前向きではなかった。調教師等周りが強く推したのではないかと私は見ている。今後日本ダービーを勝つぐらいでは凱旋門賞に金子氏は挑戦させないと思う。
 馬場だけではなく血統、育成・調教等欧州スタイルに全面的改変する。そうするつもりがないのなら、悲願とする目標を替えるべき時が来ているのではと私は思っている。

  さて、人は生まれながらにして不公平である。頭といい、顔といい。せめて体・健康くらいは人並みにと思うが、残念にもこれも私の場合「出来損ない」ときている。それで何かと不都合が生じ、その都度麻酔のお世話になる。
 作家林芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と詠った。花の咲かない草が70歳まで生きれば短いとは言えないが、私も、苦しきことのみ多かりきと言いたい。
 生まれて間もない頃は、麻酔のお世話にならなかったが、危ない目には遭った。4つ上の兄に二度殺されかけた(ちょっとオーバーだが)。0歳の時兄と一緒に寝ていたが、兄が起きた時布団が私の顔を覆い、呼吸困難に陥った。
 2歳か3歳の頃、兄と駄菓子屋に行った時、店主が花火に火をつけてくれたのだが、吃驚した兄が花火を陳列しているところに投げ入れてしまった。花火が爆発して私は顔に大やけどを負った。家に戻り豆腐で顔を冷やし、応急措置の後病院に行き透明人間のごとく包帯で顔をぐるぐる巻きされたらしい。その事を私は覚えていないが、小学生の頃まで炎がゆらゆら燃えるフラッシュ・バックは何度か見ていた。表面が焦げただけでケロイドにはならなかった。それでも歳を重ねた時皮膚がんになってはと、学生時代は、元々青白く真っ黒に日焼けした方がカッコイイのだが、夏に顔を焼くのを避けていた。今となっては、顔立ちはともかく、しわもシミも少なく肌もきれいな方なので、却ってよかったのかもしれない。
 
 小学校に上がる前あたりから麻酔のお世話になっていく。まず局所麻酔だ。小学校に入学する前に、口蓋垂(のどちんこ)の近くにできるアデノイド(咽頭扁桃の肥大症)をのどに麻酔をかけ切除してもらった。切除しないと知能の発達が阻害されると当時言われていた(少し手遅れだったか)。
 出来損ないの私は、歯並びも悪く、歯質もよくない。虫歯に悩まされた。日に一度は歯磨きしていたと思うが、歯ブラシが当たらない所があり、虫歯になりやすい。直に歯医者に行けばよいのだが、痛くなるまで行かない。虫歯はほっとけば悪くなる一方なのだが。
  30歳の時の晴れ舞台結婚式当日も虫歯で上の前歯が欠けており、披露宴での写真で口を開けている写真がない。今や下の前歯数本を除いてすべて差し歯になった。差し歯になる都度麻酔のお世話になったことになる。今は虫喰う歯が少なく歯周病を心配している。
 歯はよくないが鼻はもっと悪い。慢性副鼻腔炎(蓄膿症)で、大学生になっても鼻水垂らしてはと、昭和44年大学受験に合格するも大学紛争で6か月ほど閉鎖されたその間に地元神戸で評判の開業医の所で手術をした。今のように鼻の穴から内視鏡で手術する方法はなく当時口の中を切り上唇をめくりあげて手術していた。局部麻酔なのでノミを局部に当てている医師が看護婦に木槌でたたくよう指示(ええんかいな!?)していたのが聞こえていた。
 手術の翌日お岩さんのように顔が腫れあがり、外来の幼児が私の顔を見て泣いてしまった。1週毎に左右の副鼻腔を削り、3週間目に鼻の中の軸を矯正すへく削りその後血止めのガーゼを詰める。そのガーゼを入れ替える時麻酔はかけないので、手術より痛く嫌だった。
  体の他の所はどこも悪くない元気な若者が3週間も病室に籠ると気も変になる。若い看護婦さん達に口でちょっかい出したが、男として見なされもせず逆におちょくられていた(もう70歳台になっているハズだが皆さんお達者であろうか?)。
 相部屋の病室では妻の操縦法(下ネタ)を得意気に話すおっさんやイケメンのお兄さん達に色々大人の話を教えてもらった。命に関わる病気でないので病室は和気藹藹であった。
 それから20年以上歯医者以外麻酔のお世話にならなかったが、平成4年(1992年)の秋手術を受けることになった。その経緯は本号2012年9月NO.15(「ハブ と カブ」)で触れたが、バブル崩壊後の平成4年の秋株価長期低迷による仕事上のストレスから上述の副鼻腔手術にも拘わらず右側の副鼻腔炎が再度悪化し右頬が鼻の高さまで膨らんでしまった。
 今回は全身麻酔(局部麻酔で十分だと私自身は思っていたが)なのだが、同意を求められた。麻酔にも同意書がいるのかと思ったが、医学界において未だなぜ麻酔が効くのかよく分かっていないらしい。死亡事故のような極めてまずいケースは少ないとはいえ、我々が思っている以上に難しい作業とのことだ。
  手術は母校の、山中伸弥ノーベル賞医学者も卒業した神戸大学付属病院で若い先生が担当になった。学部は違うが私は先輩でもあるので、喜んでとは言わないが、若手医師の練習台となった。

 手術が終わり全身麻酔が切れかけたとき、指導の先生が「麻酔がどんなものか。患者がどういう状態にあるのか、全身麻酔を経験しておくべき・・・」と言っているのが聞こえてきた。そして担当医師から「聞こえたら返事してください。手を上げてください」と声をかけられた。
 医師の声はすごく鮮明に聞こえているのだが、どうしても声を発することができない。手を動かすこともできず身もだえていた。医師達にはそう見えなかっただろうが。
  それで私は悟った。「たとえ植物人間の状態にあると見えても、患者の前でめったなことを言うものではない。逆に励まし続ければ奇跡が起こっても不思議ではない」と。

2020.11 NO.141  いけん VS いけん(2)

 注目の河野太郎大臣は、下馬評で官房長官の呼び声が高かったが、(総理になることしか頭にない為か)不用意な衆院解散発言にて自ら鎮静化させてしまったか。
  共同通信、産経新聞が総務相に内定かと報じ、TV画面のテロップにも流れたが、不自然に変更になった。それに対してメディアはダンマリを決め込んでいたが、9/16 J-castニュースがネット上に『河野太郎「行革相」人事のウラ側 「総務相」には党内反発?菅首相の思惑は...』を載せた。「行革相は、受け持ち省庁のない無任所大臣であることから、「役不足だろう」「実質左遷みたいな形かこれ?」「総理大臣レースから外す思惑があるのではないか」などと推測する声も相次いだ。河野氏は、イージス・アショアの配備断念で十分な根回しを行わずに反発を受けたなどとも報じられていることから、党執行部からクレームがついたのではとの憶測も出た」と報じている。
 新首相に組閣でクレームをつけられる者がいるとしたら、二階幹事長しか考えられない(菅氏擁立の主流派における二階氏と麻生氏の確執と見る向きもある)。「誰のお蔭で・・・」と言わなくても、二階派武田良太行革相を格上の総務相に入れ替えることなど容易なことだろう。
 構想が狂った?菅首相は「俺はつくるほう。壊すのは河野」と河野氏を必要以上に持ち上げる。新型コロナ禍で失業者、それに伴う自殺者が急増し経済の再建が焦眉の急である時に行政改革をぶち上げる。それを国民は歓迎するのか。米国で山火事の類焼が止まらない時に消防局のトップが「組織改革に傾注します」と宣言すれば非難囂々だろうが。
  縦割り行政の問題も平時、経済が安定しているとき着手すべきもの。過去から成し得なかった問題を田中角栄首相のように官僚を心腹させるならまだしも恫喝による官僚を押さえるなら上手くはいくまい。ただ旧民主党「事業仕分け」のごとく「一生懸命やっている感」は演出できるから、国民を煙に巻いて解散総選挙に打って出る魂胆なのか。
 河野大臣に対しては、9/10のBSフジにて防衛大臣経験者3名が集まった中で、中谷元防衛相が河野大臣のイージス・アショア配備停止を英断と発言したことに対して、森本敏元防衛相(現拓殖大学総長)が珍しく反論した。代替案も出さずに無責任と言わんばかりに河野大臣を批判し気色ばんでいた。
 さらに河野前防衛大臣は引継ぎをドタキャンした。独断専行で配備停止をしたのであれば、菅首相に引き続き防衛大臣を担わせてほしいと言ってもおかしくないところだ。そう言えるほどの親しい関係でないのなら、難題を引き継ぐ新大臣に一刻も早く会い、思いの丈を打ち明け、後事を託すところだろうに。朝日も問題官僚として河野氏を注視しているのか。防衛大臣の交代式の模様をwithnewsで報じている。午前中河野前大臣の挨拶、午後新大臣の訓示の後引継ぎをすべきところまたキャンセルとなり翌日ようやく引継ぎとなったが、形だけとなったらしい。後は分厚い資料を読んでということか。その報道が本当なら、安倍前首相の弟君の岸信夫新大臣は人格者なのだろう。私なら「ふざけるな!」とどやしつけるのだが。
 政治家にとって国防より大事なこととは何なのだ。河野大臣にとって国防も総理なるためのパフォーマンスでしかないということか。
 そんな行革相を菅首相は衆参両院本会議場の閣僚席の席次において、NO.2とされる演壇右側に座らせることにした。本当の序列は官邸応接室の席次(NO.2席は麻生副総理、NO.3席は外交、経済の要・新“影の総理”?茂木大臣)であるが、直近の安倍内閣では、国会の閣僚席の席次のNO.2は野田聖子総務相→高市早苗総務相であった。その流れでいけば武田総務相がNO.2の席となるが、意趣返しで河野行革相になったと見るのは穿ち過ぎか。ともあれ、スキージャンプではないが、下げて持ち上げてのバウンドは河野行革相暴走の助走となることはないのか。メディアも突破力があると囃し油を注ぐ中でそうなれば、菅首相と二階幹事長は「私たちはどうかしている」と言うのであろうか。
 
  時事ドットコムは、総裁選前の9/13のフジテレビ番組で、菅官房長官が「私ども(政治家は)選挙で選ばれている。何をやるという方向を決定したのに、反対するのであれば異動してもらう」と述べたとし、政府が政策を決めた後も反対する官僚は異動させる方針を示したと報じた。菅氏は語彙が乏しいというか言葉足らずなので、「何をやるという方向」が「方針」を意味するのか、「政策」をも含むことなのかよく分からない。時事ドットコムを初め他のメディアも政策も含むと解釈したようだ。
  たしかに、総務省自治税務局長の要職にあった平嶋彰英氏は菅氏肝いりであるが問題のある「ふるさと納税」の拡充に反対して菅官房長官に省外の自治大学校に飛ばされた。
  平嶋氏は週刊文春や週刊朝日を通じて「菅氏は役人を押さえつけることがリーダーシップと思っている」と実名告発している(戦前大蔵省を凌ぐ巨大官庁でGHQにより解体された内務省の本流を引き継ぐ自治省出身の元官僚であり、その自負心と信念から時の総理といえども、今のヒラメ官僚と違い、臆することはない)。菅首相は「政策」においても反対する官僚を異動させるとメディアに思われても仕方があるまい。
 官邸主導に問題がある訳ではない。その場合の「官邸」は、民間企業で言えば、企画部あるいは総合企画部にあたる。企業の方針を示し現業各部に施策を求めて長・短の経営計画を策定する。首相は、「政策」ではなく、「方針」、日本丸が進むべき方向や目標を示し、官僚がそのための「政策」を立案する。国家試験にて各年でいわば一番頭の良い者を集めキャリア官僚として処遇する。官僚は「国民の公僕」(国家公務員法第96条に「国民全体の奉仕者」と明記)であり、「官邸の下僕」ではないのだ。
 官僚は、省益により政策を歪めてはならない。それと同時に、たとえ首相からの指示された政策であっても、国益に照らし、国民全体の利益にならない、公共の利益に反すると判断すれば、首相に忠言しなければならない。それを俺の言うことが聞けないのかと内閣人事局を使って潰すようなことは主権者たる国民への背信行為と言っても過言ではない。
 「官僚の忖度」の元凶と見られている内閣人事局は、イエスマンを登用し、上が嫌がることでもきちっと進言できる有能な者を排除するためにあるのではない。
  大企業で人事部のないところはないだろう。それは、「適材適所」「人材育成」それ以上に「人事の公正・公平」を図るため。そのためには、例えば、東大卒や京大卒が多い企業なら、大きい学閥による依怙贔屓や恣意的人事を排すべく、人を異動させる人事課長ポストは人数の少ない小学閥の中から人選し公平さを確保しようとするものだ。人事部は上から嫌われているが有能な人材をいかに守り活かしていくかも大事な仕事なのだ。
 仕える官僚の目には、官邸の主・菅首相は、「政府」という日本一の大企業のトップではなく、出来の悪い息子を溺愛する零細中小企業のワンマンオーナーとして映っていることだろう。
 
  菅政権がショートリリーフならまだしも、ようやく森元首相から続いた清和会の政権支配が終焉したのに、河野行革相→小泉環境相へと経済に弱く「中身のない」政権が続くなら悪夢でしかない。現内閣を「安倍政権残務整理内閣」として1年で終わらせるべきだ(1年でも首相として名を歴史に刻める)。自民党の岸田派や竹下派等は結束すべきであろう。
  安倍前首相、麻生副総理は親菅首相というわけではない。強烈な反石破元幹事長だけなのだ。菅首相陣営にとって1年後の総裁選に先般の総裁選3位で後がない石破氏ではあるが立候補してくれる方が都合がよい。二階幹事長は、1年後も菅首相を担ぐのであれば、「首相になるのを諦める必要はない。1年後に立候補できるよう頑張れ!」と石破氏を励ますこともなしとしないか。それでも、石破氏は、1年後総裁選の壇上に立つのであろうか。

2020.11 NO.141  いけん VS いけん(1)

 菅政権が船出した。世はお祭り騒ぎ。70歳爺の引かれ者の小唄ではないが、昔は「泣く子と地頭には勝てない」と言ったが、今は「大衆とメディアは度し難い」と嘆息する。安倍前首相も8年の苦労は何だったのかとの思いだろう。直近あれほど批判された前政権を引き継ぎ、影の総理が表の総理になっただけなのに。それが大衆の本質と言えばそれまでだが。

 反ABEの視点から菅氏についてもこれまで注視してきた。それをふり返ってみる。

2017年9月号NO.75(「スガVSスカ」)では、モリ・カケ問題での最中「李下に冠を正すおしどり夫妻の尻ぬぐいに、弁慶の仁王立ちさながら全身で野党、メディアからの質問の矢を受け続けた。その忠誠心の強さは敬服に値するが、その対応が悪いと党内で非難を浴びた。私なら、やってられるか!と辞表をたたきつけるところだが、さすが苦労人である菅氏は辛抱した。ただ、報われるとは思えない。国民は「菅官房長官は気の毒だ、被害者だ」とは見ていない。安倍首相が(ヒトラーに擬え)アベラ―なら菅官房長官はアムラー(ヒトラーに仕えた親衛隊全国指導者・全ドイツ警察長官のヒムラー)との印象を受けただろう。首相への道は遠くなってしまったと言えるだろう。」と書いた。

 その時は、スキャンダルをもみ消し、批判分子を排除する、言わば汚れ役の総務部長がトップになることはないとやや同情的に見ていた。

 2年後の2019年7月号NO.116(「おもろいVSおもろな」)では、「いかんせん石破氏、岸田氏への待望論も湧いてこない。新元号発表時に注目を浴び、「令和おじさん」と人気が上がった、無派閥の菅官房長官にショートリリーフならと思うのかもしれない。森友学園問題が燻り続けている安倍首相も、官僚の手のひら返しも菅氏が首相になるなら安心だろう。しかし、菅氏が首相ならABE政治の継続を意味し、より独裁的になるかも。それならSHINZO病が治っても、新・SHINZO病に罹るだけ。おもろないと思うより、憂鬱だ。」と述べた。

 ほんとうに新・SHINZO病に罹る日が来るとは想像していなかった。今思うに、米ペンス副大統領に会いに女房役の官房長官が単独で訪米したときに、岸田議員と石破議員はもっと危機感を持つべきであった。国民の目には、「二人とも何もしていない。首相になる気が本当にあるのか」と映っていたことだろう(領袖本人の責任だけではなく、所属議員も同罪だろう)。私は新元号「令和」を発表したときの菅氏の上気した顔を見て首相になる気だなと思った。

 なお、新元号「平成」の発表の時には、小渕恵三官房長官が厳粛に発表し、竹下登首相は天皇に関する事柄として談話を遠慮した。政治利用しなかった。この経世会コンビの方が政治家としての見識が上だと思う。

 この116号を掲載した3か月後の10月、戸坂弘毅(ペンネーム? 大手メディア関係者とも)氏はもっと踏み込み、『次期首相に最も近い男・菅官房長官、哀しいまでの「中身」のなさ』と題して、「自らを『国家観がない』と評して恥じない男に、わが国は命運を託すことになるのだろうか。政策や志ではなく、権謀術数と情報操作で霞が関や永田町を操る──その集大成として、首相の座に手をかけようとしている『安倍政権のゲッベルス』の本質を、われわれ国民は改めてじっくりと見極める必要があるだろう。」と文を締めている。

 戸坂氏はなぜ菅氏をナチスの宣伝相であった雄弁家ゲッベルスに擬えたのか。権謀術数と情報操作並びに言論弾圧か。ゲッベルス自身は、自裁したヒトラーの遺言で首相になったが、終生ヒトラーを裏切らなかった。唯一背いたのは遺言で落ち延びろと指示されていたのに家族諸共ヒトラーの後を追ったことだ。

 2020年4月臨時号NO,131(「へんせんVSしんせん(2)」)では、新型コロナが蔓延する中菅官房長官と彼の野心を警戒する安倍首相との関係について、「命運尽きかけたと言える安倍政権における安倍首相と菅官房長官の関係はファンタジー小説『十二国記』シリーズ(累計1,200万部を誇る国民的人気小説)での王と麒麟の関係に似ていると思えてきた。麒麟が王を選ぶ。麒麟は天命に反しない限り王に服従する。麒麟は王になれない。王は不死となるが、王の政治が乱れると麒麟が病の床につく。麒麟が逝くと王も終わる。」と綴った。

 王が倒れれば麒麟は新しい王を探す。宏池会OB古賀誠氏が望んだように「岸田首相、菅官房長官」であれば、キングメーカーとして安倍前首相も異存はなかっただろう。

 

 あろうことか、麒麟が、新王候補を潰し、王になった。麒麟はまず自民党新総裁になったとき、「国民のために働く内閣」と謳った。私は50年ほど前のある就活の面接で君の売りは何かと聞かれ「一生懸命働くことです」とアホな答えをしたことを思い出した。面接官に「それは当たり前だろう!」と一蹴された。菅首相自身も当事者の一人であった前政権の「友達の為に働く内閣」からチェンジするということなら意味をなすが。

 そして首相になり、組閣がなされた。さすがにリスクを取れないのか噂に上がっていた三原じゅん子議員の大臣就任(厚労副大臣に)はなかった。代わりに私が女性首相候補一番手と評する上川陽子議員が入閣すると喜んだのはつかの間、法務大臣と分かり顔を曇らせた。

 安倍政権(菅官房長官)の守護神黒川弘務元検事のライバル・現検事総長の林眞琴刑事局長(2018年当時)との意見対立により上川大臣は林氏の事務次官昇格を拒み名古屋高検に左遷させたと見られている。その因縁の対立が再燃することになるのか。

 「桜を見る会」疑惑再燃に繋がるジャパンライフの警視庁による摘発は、菅首相の門出にぶつけたのか。疑惑には安倍前首相だけでなく菅首相も無関係とは言えないハズだ。

 韓国文在寅政権と鋭く対立する尹錫悦検察総長の手足をもぎ取った法務部秋美愛長官(前任者と同様疑惑浮上で“タマネギ女”と揶揄される)の役割を担うことにならなければ、よいのだが。

2020.10 NO.140  んき VS んき

 安倍首相が病気を理由に辞任した。同じ健康上の理由で2度退陣することは避けたかったろうが、佐藤栄作元首相の連続在職日数を超えるのが精一杯というほど体調は良くなかったのだろう。散々批判してきた私だが、「長い間お疲れさまでした」と申し上げたい。
 大叔父にあたる佐藤元首相と安倍首相は、よく似ている。強力なライバルがいなく長期政権になったこと、朝日嫌いであることに加え、「総裁もう一期」が余計であったことが挙げられる。
 佐藤元首相は、3選で終わっていれば、キングメーカーとして君臨することができた。しかし、周りからの要請もあり批判を受けながら4選(任期2年)したが、意中の福田赳夫の宿敵田中角栄の力を蓄えるのを許しただけだった。安倍首相もなり損ねたと言える。これから述べることは、安倍首相への批判ではなく、将棋で言う勝負がついた対局後の感想戦と同じだと思ってもらいたい。
 安倍首相は何としてもレガシーを残したい。2019年11月には桂太郎首相の在任記録を抜く。東京五輪も2020年にある。それを花道にと思って3選に前向きになっても不思議ではない。それ以上に、側近議員や官邸官僚が権力を持ち続けたいとの野心が総裁任期規定を変えてでも総裁3選を実現させたのかもしれない。
  だが、首相在任記録の更新だけで、他には何も首相にとって良いことはなく、ストレスを溜める一方だった。2018年9月からの3期目のスタート直後、北方領土問題が大きく進展するかと思われたが、首相の前のめり発言に対してロシア国民が反発し交渉がとん挫した。2019年5月には「桜を見る会」疑惑が浮上。3選していなければ表面化しなかったかもしれない。同年10月には河井案里議員の公選法違反が問題となり翌年河井議員夫妻が逮捕された。首相も交付罪に問われるかとの憶測が飛んだ。
 2020年は新型コロナが大流行しトドメを刺された。東京五輪も延期となった。その中での検察庁法改正提議も批判を浴びた。
  易姓革命の観点から見れば、徳を失った共産党一党独裁王朝を倒すため天が新型コロナを中国に授けたハズなのだが、当の習近平国家主席は健在で、自由主義陣営の安倍首相が倒れ、トランプ大統領も窮地に立たされている。皮肉なものだ。

 新しい権力者・次の首相に対しては、誰であれ当然問題があれば批判する。が、それ以外にも、防衛大臣の河野太郎氏を批判のターゲットとして私は注視していくことにした。
 政界に詳しいが評判が?の田崎史郎氏は、かなり年上の古老政治評論家と思っていた。実際は私と誕生日が2か月しか違わない。我ら故志村けんと同じ1950年生まれ。その彼に対して安倍首相に関すること以外は私は彼の意見に耳を傾けている。
 彼はTVで河野大臣のことを「首相の前では直立不動だが、私が会いに行った時目も合わそうとしなかった」と言って、その人間性に疑問を呈していた。下への優しい眼差しは政治家の原点。だが、河野大臣は、外相時韓国の大使を呼びつけて高圧的な言動をとった。この前の記者会見でも、東京新聞?の記者が「敵基地攻撃について隣国の了解が必要では」との問いに「自国を守ることに中国や韓国の了解を取り付ける必要があるのか」と切れ気味に記者に言い捨てていた。
 河野大臣が、昭和天皇の前では直立不動になり、下には精神論で罵倒し、独断専行した東條英機首相とダブって見えるのは、短絡的な私だけであろうか。成果ではなく隣国に対する威圧的な言動等でネトウヨらが河野大臣を持ち上げ、それに大衆が迎合するのを懸念する。
 河野大臣は、安倍首相にだけ報告し、自民党に事前相談もせず、陸上イージス・アショア配備を停止すると発表した。そしてその代わりに敵基地攻撃を検討すると(こんな重大なことを厳重注意で済ませる自民党もすこし妙ではあるが)。
 なぜ今敵基地攻撃なのか。その答えが載っているかと、月刊『文藝春秋』9月号の『陸上イージス配備停止で「ポスト安倍」3位に急浮上 河野太郎防衛大臣「中国の暴挙を放置するな」を読んだ。冒頭配備停止を独断専行するに至った経緯、言い訳が書かれていた。次に敵基地攻撃に関することが書かれているかと期待したが、一切触れられていない。がっかりした。そして呆れた。後半では「早く総理を追い抜きたい」と、ツィッターの安倍首相のフォロアー数が約210万で、河野大臣が約165万と書く。発想が芸能人並みか。最後には「先ほど申し上げたように、私は初当選の頃から総理を目指してきました。この国はどうあるべきか。どのような立場でも常々考えてきたつもりです。そしてこれからも国民のために考えていきたいと思います。」と文を締めくくっている。
 目的が「総理になること」、手段が「国、国民のために・・・」と言っているようなものだ。目的と手段が、アベコウノではなく、アベコベではないか。
 上述の「中国や韓国の了解を取り付ける必要があるのか」との発言で「よくぞ中国、韓国にタンカを切ってくれた」と好意的に解釈した保守の方々も国防に穴を開けたまま?の防衛大臣の唐突な(リベラルが言うごとき)女系天皇容認?発言には困惑を覚えた人も少なくないだろう。総裁選を意識し大衆に迎合したか。目的が「総理になること」であれば、何でもありということか。
  トップはなりたい者がなるのではない。周りから推されてなるもの。
  民間でも、賢者のトップから「次の取締役会で後継者に君を指名しようと思う」と言われれば、トップの御眼鏡に適ったその役員は「私に社長の後継が務まるとは思いません。そんなことは考えたこともありません」と答えるハズ。そうではなく、「ありがとうございます。私は新入社員の頃から社長になりたいと思い続け、一生懸命会社に尽くしてきました」と答えるなら、取締役会当日に後継者に指名されることはないだろう。
  なりたい、なりたいと言う者をトップにしてはいけないのは、念願のトップになれば、トップの権利を追及し、トップの座を維持することだけに執着しがちになるから。
  河野大臣は新米外相ながら外相専用機を要求した(実現せず)。既にその片鱗を見せている。
 
 それにしても、陸上イージス配備停止→敵基地攻撃の検討のコペルニクス的な転換は腑に落ちない。戦のゲームである将棋においても、守りを固めてから攻めに着手する。守りを捨てて攻めに転じるときは負けを覚悟して一か八かの攻めしかないとき。死に場所を求めるがごとく。今の日本はそこまでの状況にない。
 発表直後、BSフジの情報番組で自衛隊の制服組幹部OB3名が「聞いていない。守りに問題があるなら守りの見直しを検討するのが筋だ」と驚きとともに憤慨気味に話していた。
  元海将の香田洋二氏は「今回の断念を招いた原因の本質は、イージス・アショア自体が抱える問題ではありません。レーダーに「SPY-7」を選定したことに問題があったのです。そのことをきちんと明らかにして、国民に説明する必要があります。ずさんなレーダー選択に起因する全ての問題と矛盾をブースターのコントロール問題に押し付けて、イージス・アショア配備計画を棺桶に入れ葬り去ったとの印象です。国民を守るべき防衛省がこのようなことをしていてはいけません。」と批判する。
  説得力のある見解と言え、それが真相とするなら、守りの見直しを避けるのも合点がいく。
 敵基地攻撃を検討していけば、必ず憲法第9条の改正問題につながる。それも期待しているかもしれないが、技術面、コスト面で守りよりも数倍問題が生じると言われている。とても敵基地攻撃を本気で考えているとは思われない。
 なお、憲法改正問題については、憲法第9条の精神は維持すべきではあるが、現状の問題点に即して変更を加えるべきは早期に改正すべきとは思う。各地に米軍基地がある日本への北朝鮮からのミサイル攻撃は現実的ではない。一国二制度が形骸化した今中国の台湾統一は武力統一しかなく習近平国家主席在任中に武力統一が行使され米中が台湾で有事になった場合現行の第9条のままでは自衛隊が在台邦人を救出しに行くことができない。その方が優先課題だ。
 また、遅れをとっているサイバー攻撃対策についても、先に攻撃を受けてしまうと反撃すらできない。平和国家を標榜する日本に似つかわしい手段と言えるサイバー攻撃対策の拡充とともに、サイバー攻撃に限っては先制攻撃が可能となるよう第9条2項を改正する必要がある。
  新自民党総裁は9/14の総裁選で決まる。立候補した石破茂元幹事長が新総裁・総理になれば今回の「敵基地攻撃への転換」は見直しされるのは確実だろう。ただ、両院議員総会での選出では、誰が考えても石破氏は不利(来年の天下分け目の関ケ原で家康を期すのか)。大方の見方通り菅義偉官房長官が総裁・総理になるとして(来年は秀吉の後の三成なのか、それとも信長の後の秀吉なのか)、誰が「国防の要」防衛省の尻拭いをするのか。石破氏は適任だが受けないか。そもそも要請されないか。
 今回出馬を見送った河野大臣は噂通り官房長官に抜擢され、総理への階段をさらに登るのか。「つなぎの首相の後の首相には河野大臣しかいない」というネット民の声は少なくない。それが正しいのか。それともゲーテの「活動的な馬鹿ほど恐ろしいものはない」と言う通りなのか。

2020.9 臨時号 NO.139  ッホ VS ッホ
  日本人が好きな西洋画家は長らく(今年没後130年にあたる)ゴッホがトップの座に君臨していたが、今やフェルメールの方に人気が高いのではないか。
  一昨年秋上野の森美術館でフェルメール展が開催された。映画のように日だけではなく時間帯まで予約するようになっていた。当日朝一番の9時半~10時半で15分前に到着したが、もう100人以上が並んで開門を待っていた。同時期に開催されたムンク展にも行ったが、行列ほどではなかった(4枚ある『叫び』の内初来日のテンペラ・油彩の1910年版が目玉だが、ムンクが自画像を多数描いていることに驚いた)。
  フェルメール展でフェルメール作品10点が展示されたが、目玉の『牛乳を注ぐ女』より『赤い帽子の娘』の方が私の目を引いた。当時高価だったラピスラズリを原料としたフェルメール・ブルーが防腐剤や経年劣化で色褪せていた。大きな帽子のあざやかな赤色が強く印象に残った。その『赤い帽子の娘』は、23.2×18.1cmととくに小さく、キャンパスではなく支持体に板が使用されていることから、真筆に疑念を抱く美術家もいるのだが。
  『フェルメール最後の真実』(文春文庫)によれば、謎多き画家ヨハネス・フェルメールは1632年オランダ西部の商業都市デルフトに生まれ、1641年父親が宿屋『メーヘレン亭』を購入しそこに移り住む。1652年父親が亡くなりフェルメールは20歳で宿屋業と画商を受け継いだ。なお、宿屋のメーヘレンという名は、天才贋作画家ハン・ファン・メーヘレンと奇しくも同じ名前。メーヘレンがナチスのゲーリングにフェルメール作品を売ったとして戦後売国奴と糾弾されたが、贋作だと分かると一転オランダの英雄として崇められた。
  画家としてのフェルメールは43歳という若さで死んだこともあり、寡作でしかもチューリップ・バブルからオランダの黄金期が衰退していく頃であり、作品が世界に散逸して行ったことにより写楽と同様謎の多いことも人気の高さに繋がっているのかもしれない。

  一般的に科学者と画家と一見関係がなさそうだが、カメラがない時代は科学者は画家に頼らざるを得ない。1677年精子を発見したオランダのレーウェンフックは、初めて顕微鏡を使って微生物を観察した「微生物学の父」と呼ばれる。オランダ科学アカデミーは彼の功績を讃え、10年一度微生物の分野で最も顕著な発見をした科学者を顕彰するレーウェンフック・メダル制度を創設した。ちなみに、1895年には近代細菌学の開祖と呼ばれるパスツールや1950年にはストレプトマイシンを発見したワクスマンなどが受賞している。
  レーウェンフックは顕微鏡に映るものを精密にスケッチすることを画家に依頼せざるを得なかった。上手に描けないので画家に依頼したことが記録に残されている。
  その依頼された画家の一人があのフェルメールではないかとロマンあふれる仮説を大のフェルメールファンでもある青山学院大学福岡伸一教授は自著「フェルメール光の王国」(木楽舎)で遠慮がちに述べている。科学者の立場からではなく作家として。
  レーウェンフック(1632年~1723年)とフェルメール(1632年~1675年)は、同郷デルフトに同じ年に生まれ誕生日はわずかに1週間違い(10/24と10/31)。レーウェンフックの依頼によりフェルメールがスケッチした直接的な証拠はない。が、1675年フェルメールの死後レーウェンフックが遺産管財人になっており、極めて親しい間柄であったことからすれば、ありえない話と否定できない。

 『細菌と人類』(中公文庫)によれば、古代ローマ人の学者マルクス・テレティウス・ウアロが感染症の原因を「非常に小さな、目に見えない生物が人間の口や鼻から侵入して病気を引き起こす」と示唆していたという。紀元前の大昔から仮説があったが、それを立証する手段がなかった。レーウェンフックの顕微鏡は画期的ではあったが、その顕微鏡を他の科学者に譲ることはなかったので、細菌の解明には100年以上の年月を必要とした。
 ようやく顕微鏡を活用し細菌の解明が進んできた19世紀、人類の存続に脅威となっていたペスト、1830年からヨーロッパに現れたコレラ、フランス人の4、5人に1が罹患していたという梅毒(カツラが流行した要因の一つ)等の病原菌を解明・制圧することがまさに最優先課題であった。したがって、1901年に創設されたノーベル賞の生理学・医学賞部門の最初は人間に害を及ぼす細菌の解明に寄与した科学者が相次いで受賞(第1回ジフテリア菌のフォン・ベーリング、第2回マラリア菌のロナルド・ロス、第5回結核菌のロベルト・コッホ)している。
 なお、第1回生理学・医学賞の有力候補に「日本の細菌学の父」と崇められている北里柴三郎が挙げられていた。だが、受賞したのはジフテリア血清療法の共同研究者の上述フォン・ベーリングのみであった。人種差別の明白な証拠はないとされているが、高山正之氏は週刊新潮連載コラム『変見自在』2019.5.23号で「真の日本人」と題して、数々の功績を残す日本人北里を忌々しく思う白人による人種差別の見方を展開している。2024年からの新札千円札に北里が載るが、新札を見る度に日本の偉大な医学者に敬意を表しよう。

 伝染病をもたらす細菌の解明・制圧がほぼ終わった現在、新型コロナウイルス、エボラウイルス等ウイルスの解明・制圧に研究の目が向けられている。
 細菌の方は、最近、ヒトに害を与える細菌ではなく、体内にいる常在細菌等ヒトに有益な細菌の研究に軸足が置かれているようだ。
 阪大の研究チームは、腸内細菌を使って大腸がんを早期診断する手法を開発したとする。大腸がんの発症初期にだけ大腸で増殖する細菌を特定できたという。検便による便潜血検査では大腸がんの有無は分からない。併用することで大腸がんの早期発見が期待される。
 『細菌が人をつくる』(朝日出版社)によると、ヒトの体内の細胞が10兆個に対して、微生物は100兆個体内に存在する。DNAで見れば、ヒト遺伝子は約2万個もっているが、細菌遺伝子は200~2,000万個保持しており、その意味ではヒトは99%細菌と言えるとする。
 こうした体内にある常在細菌と肥満、関節症、自閉症等の病気との関係が研究により示唆されているという。そうなると、腸内細菌を変えるとどうなるかという試みも始まる。
 悪い細菌だけではなく良い腸内細菌も殺してしまう抗生物質を以ってしても余り効果がない病気の一つにクロストリジウム・ディフィシル腸炎という病気がある。本病気に罹ると日に数十回トイレに行く羽目になる。その治療に健康な人から腸内細菌を患者に移す「糞便移植」が実験的に行われ効果があるという。
 マウス実験によれば、糞便移植でマウスの肥満が治るという。細君ならぬ太君にそんな話をしたら「気持ちの悪い話をしないで!」と嫌がられたが。
 糞便移植で健康になった人と移植に協力した人とは、刎頸の友ならぬ“糞契の友”と称される日も近いのではないか。