2020.11 NO.141  いけん VS いけん(2)

 注目の河野太郎大臣は、下馬評で官房長官の呼び声が高かったが、(総理になることしか頭にない為か)不用意な衆院解散発言にて自ら鎮静化させてしまったか。
  共同通信、産経新聞が総務相に内定かと報じ、TV画面のテロップにも流れたが、不自然に変更になった。それに対してメディアはダンマリを決め込んでいたが、9/16 J-castニュースがネット上に『河野太郎「行革相」人事のウラ側 「総務相」には党内反発?菅首相の思惑は...』を載せた。「行革相は、受け持ち省庁のない無任所大臣であることから、「役不足だろう」「実質左遷みたいな形かこれ?」「総理大臣レースから外す思惑があるのではないか」などと推測する声も相次いだ。河野氏は、イージス・アショアの配備断念で十分な根回しを行わずに反発を受けたなどとも報じられていることから、党執行部からクレームがついたのではとの憶測も出た」と報じている。
 新首相に組閣でクレームをつけられる者がいるとしたら、二階幹事長しか考えられない(菅氏擁立の主流派における二階氏と麻生氏の確執と見る向きもある)。「誰のお蔭で・・・」と言わなくても、二階派武田良太行革相を格上の総務相に入れ替えることなど容易なことだろう。
 構想が狂った?菅首相は「俺はつくるほう。壊すのは河野」と河野氏を必要以上に持ち上げる。新型コロナ禍で失業者、それに伴う自殺者が急増し経済の再建が焦眉の急である時に行政改革をぶち上げる。それを国民は歓迎するのか。米国で山火事の類焼が止まらない時に消防局のトップが「組織改革に傾注します」と宣言すれば非難囂々だろうが。
  縦割り行政の問題も平時、経済が安定しているとき着手すべきもの。過去から成し得なかった問題を田中角栄首相のように官僚を心腹させるならまだしも恫喝による官僚を押さえるなら上手くはいくまい。ただ旧民主党「事業仕分け」のごとく「一生懸命やっている感」は演出できるから、国民を煙に巻いて解散総選挙に打って出る魂胆なのか。
 河野大臣に対しては、9/10のBSフジにて防衛大臣経験者3名が集まった中で、中谷元防衛相が河野大臣のイージス・アショア配備停止を英断と発言したことに対して、森本敏元防衛相(現拓殖大学総長)が珍しく反論した。代替案も出さずに無責任と言わんばかりに河野大臣を批判し気色ばんでいた。
 さらに河野前防衛大臣は引継ぎをドタキャンした。独断専行で配備停止をしたのであれば、菅首相に引き続き防衛大臣を担わせてほしいと言ってもおかしくないところだ。そう言えるほどの親しい関係でないのなら、難題を引き継ぐ新大臣に一刻も早く会い、思いの丈を打ち明け、後事を託すところだろうに。朝日も問題官僚として河野氏を注視しているのか。防衛大臣の交代式の模様をwithnewsで報じている。午前中河野前大臣の挨拶、午後新大臣の訓示の後引継ぎをすべきところまたキャンセルとなり翌日ようやく引継ぎとなったが、形だけとなったらしい。後は分厚い資料を読んでということか。その報道が本当なら、安倍前首相の弟君の岸信夫新大臣は人格者なのだろう。私なら「ふざけるな!」とどやしつけるのだが。
 政治家にとって国防より大事なこととは何なのだ。河野大臣にとって国防も総理なるためのパフォーマンスでしかないということか。
 そんな行革相を菅首相は衆参両院本会議場の閣僚席の席次において、NO.2とされる演壇右側に座らせることにした。本当の序列は官邸応接室の席次(NO.2席は麻生副総理、NO.3席は外交、経済の要・新“影の総理”?茂木大臣)であるが、直近の安倍内閣では、国会の閣僚席の席次のNO.2は野田聖子総務相→高市早苗総務相であった。その流れでいけば武田総務相がNO.2の席となるが、意趣返しで河野行革相になったと見るのは穿ち過ぎか。ともあれ、スキージャンプではないが、下げて持ち上げてのバウンドは河野行革相暴走の助走となることはないのか。メディアも突破力があると囃し油を注ぐ中でそうなれば、菅首相と二階幹事長は「私たちはどうかしている」と言うのであろうか。
 
  時事ドットコムは、総裁選前の9/13のフジテレビ番組で、菅官房長官が「私ども(政治家は)選挙で選ばれている。何をやるという方向を決定したのに、反対するのであれば異動してもらう」と述べたとし、政府が政策を決めた後も反対する官僚は異動させる方針を示したと報じた。菅氏は語彙が乏しいというか言葉足らずなので、「何をやるという方向」が「方針」を意味するのか、「政策」をも含むことなのかよく分からない。時事ドットコムを初め他のメディアも政策も含むと解釈したようだ。
  たしかに、総務省自治税務局長の要職にあった平嶋彰英氏は菅氏肝いりであるが問題のある「ふるさと納税」の拡充に反対して菅官房長官に省外の自治大学校に飛ばされた。
  平嶋氏は週刊文春や週刊朝日を通じて「菅氏は役人を押さえつけることがリーダーシップと思っている」と実名告発している(戦前大蔵省を凌ぐ巨大官庁でGHQにより解体された内務省の本流を引き継ぐ自治省出身の元官僚であり、その自負心と信念から時の総理といえども、今のヒラメ官僚と違い、臆することはない)。菅首相は「政策」においても反対する官僚を異動させるとメディアに思われても仕方があるまい。
 官邸主導に問題がある訳ではない。その場合の「官邸」は、民間企業で言えば、企画部あるいは総合企画部にあたる。企業の方針を示し現業各部に施策を求めて長・短の経営計画を策定する。首相は、「政策」ではなく、「方針」、日本丸が進むべき方向や目標を示し、官僚がそのための「政策」を立案する。国家試験にて各年でいわば一番頭の良い者を集めキャリア官僚として処遇する。官僚は「国民の公僕」(国家公務員法第96条に「国民全体の奉仕者」と明記)であり、「官邸の下僕」ではないのだ。
 官僚は、省益により政策を歪めてはならない。それと同時に、たとえ首相からの指示された政策であっても、国益に照らし、国民全体の利益にならない、公共の利益に反すると判断すれば、首相に忠言しなければならない。それを俺の言うことが聞けないのかと内閣人事局を使って潰すようなことは主権者たる国民への背信行為と言っても過言ではない。
 「官僚の忖度」の元凶と見られている内閣人事局は、イエスマンを登用し、上が嫌がることでもきちっと進言できる有能な者を排除するためにあるのではない。
  大企業で人事部のないところはないだろう。それは、「適材適所」「人材育成」それ以上に「人事の公正・公平」を図るため。そのためには、例えば、東大卒や京大卒が多い企業なら、大きい学閥による依怙贔屓や恣意的人事を排すべく、人を異動させる人事課長ポストは人数の少ない小学閥の中から人選し公平さを確保しようとするものだ。人事部は上から嫌われているが有能な人材をいかに守り活かしていくかも大事な仕事なのだ。
 仕える官僚の目には、官邸の主・菅首相は、「政府」という日本一の大企業のトップではなく、出来の悪い息子を溺愛する零細中小企業のワンマンオーナーとして映っていることだろう。
 
  菅政権がショートリリーフならまだしも、ようやく森元首相から続いた清和会の政権支配が終焉したのに、河野行革相→小泉環境相へと経済に弱く「中身のない」政権が続くなら悪夢でしかない。現内閣を「安倍政権残務整理内閣」として1年で終わらせるべきだ(1年でも首相として名を歴史に刻める)。自民党の岸田派や竹下派等は結束すべきであろう。
  安倍前首相、麻生副総理は親菅首相というわけではない。強烈な反石破元幹事長だけなのだ。菅首相陣営にとって1年後の総裁選に先般の総裁選3位で後がない石破氏ではあるが立候補してくれる方が都合がよい。二階幹事長は、1年後も菅首相を担ぐのであれば、「首相になるのを諦める必要はない。1年後に立候補できるよう頑張れ!」と石破氏を励ますこともなしとしないか。それでも、石破氏は、1年後総裁選の壇上に立つのであろうか。