2020.9 NO.138  いのうかい VS いのうかい

 テレビっ子を自認してきたが、国民の義務として三蜜は避けるものの感染拡大に対する楽観論的学説に近い私は、連日の新型コロナ報道に倦厭し、朝の情報番組は観なくなった。テレ朝の玉川徹氏が奇論等を発すればネット上にあがるのでそれを読めば済む。
 パソコンでYAHOO!を観てると、芸能人の発言が目につく。毎日観ていると、疑問が浮かんできた。なぜ芸能人は同業の芸能人の不祥事に批判の声をあげるのか。銀行員が顧客から他の銀行マンの不祥事を聞かれたら、「同業の者としてお詫びします」と言っても「あそこは銀行自体がおかしいんですよ」とかは言わない。近所の住民が、内心少し変と思っていた事があっても、マイク向けられたら、「いい人でしたよ。ちゃんと挨拶もしてくれるし。まさかあんなことを・・・」と言うのが普通だろう。
 お笑いイケメンタレントの渡部建さんの私生活上の不祥事について、普段親しくもない芸能人が批判コメントをなぜネット上に載せるのか(お笑いのカズレーサーさんは7/18に急死した三浦春馬さんの訃報に対して「生前に接点がなかった。推測でお人柄や内面を、あまりしゃべるべきじゃないと思う」と亡くなった人への気遣いをみせているが)。芸能界は生存競争が厳しい世界で足の引っ張り合いなのか。他の芸能人の不祥事は自身がアピールできる絶好の機会なのか。
 大御所なら誰もが悪いと思うことなど沈黙しておけばよいのに。メディアから“関西の女帝”と呼ばれる上沼恵美子さんは、転ばぬ先の杖ならともかく、転んだ渡部さんをわざわざ自身で批判し、さらに7/10自身がMCの関西テレビ『快傑えみちゃんねる』にて、触れたくない、言及したくないと思うココリコの遠藤章造さんや南海キャンディーズのしずちゃんに、テレビ復帰は「無理ちゃいますか」と言わせるように仕向けたという(同番組別騒動に起因してか7/24突然25年の長寿番組の幕を下ろした)。
 私の「女帝」のイメージは、自身の利害得失で、気分次第で、独断専行の末国を傾城させるというもの。上沼さんには「ご意見番」として、だれもが気づいていない、あるいは間違っていると思われることを指摘し、警鐘を鳴らす役割を担って欲しい。
 今芸能界に真のご意見番がいないのでは。いるなら、指原莉乃さんが藤本敏史(フジモン)さんと木下優樹菜さん元夫妻のことに対して「誰か本当に憧れてたのかな」と発言したことに対して、「何を小娘が先輩達に対して失礼なこと言うてんねん!?」と怒りのコメントがあってもおかしくない。優樹菜さんへのバッシングが強い中ではパワハラとしか理解されないとしても。
  日曜フジテレビ『ワイドナショー』、最近観ていなかったが、7/12チャンネルを合わせると指原さんが出ており、それならばと観ていた。ところがやや唐突に上記発言をして驚かされた。その夕方東スポWEBが『指原莉乃のフジモン&木下優樹菜元夫妻斬り「誰か本当に憧れてたのかな」に称賛の声』と若きバラエティーの女王を持ち上げた。それを読んで私は視聴者は皆「低能かい!?」と悪態をついた。だが、投稿コメントを見ると、賞賛の声だけではなく、批判コメントもあり、安心した。
  「指原さんはいつも弱ってる人や叩きやすい人にしか強い事言わない(言えない)のにご意見番気取りなのが世渡り上手感が滲み出ていて好きになれません」「単に事後の完成した世論の空気を読んで自分に火の粉が飛んでこないように慎重に保守的にコメントしてるだけ。鋭くもなんともない。」等のコメントに対して、指原さんは、言葉足らずだとはぐらかすのではなく、真摯に向き合うべきだろう。
 優樹菜さんが池に落ち助けようと飛び込んだ元夫フジモンも一緒に溺れかかっているときに、浮き輪を投げずにひどい言葉を投げつけたのと同じではないか。「芸能界は怖い。持ち上げられて、自分が見えなくなる恐ろしさ・・・」と言ってるその口で。好意的に見れば、思い上がりではなく、心の中に不安を抱えて混乱しているということなのかもしれない。
  いかにせよ、弱っている者を叩き自らを浮上させることをすれば我が身に跳ね返ってくる。
 かつて辻元清美議員は鈴木宗男議員に対して「疑惑の総合商社!」と滅多切りした。すると、自らの秘書給与詐取疑惑が発覚し、議員辞職に追い込まれた。「国会論戦では熱くなったり、言い過ぎたりということも経験し、それが自分にはねかえってくることもみんな理解している」と辻元議員も反省しているという。これ程ではないが、私自身も思い至らされたことが過去にあった。
 私は、社会への影響力はなく自己満足にすぎないが、皆が安倍首相を持ち上げているときに、「それは間違いだ」と安倍首相を批判し続けた。今はほとんどの人が気づいた。もう私のこの役目(誰からも求められてはいないが)は終わったと思っている。傲慢な権力者の姿はなく弱り切った安倍首相自身を「具体例を挙げて」批判することはもうないだろう。今の私の関心事は、真の保守政権が誕生し、小泉政権、安倍政権の政治路線から脱却して、日本のあるべき姿に戻してくれるかということだ。
 ワイドナショーの2日後の7/14指原さんの大分等への2,000万円寄付が報道された。それ自体賞賛すべきであり、しかも「指原、動きます」と自身の口から言わなかったのはさらに好感を覚える。失言を打ち消す効果は大いにあった。だが、浮き沈みの激しい芸能界で成功している故に昂じる不安が時として本人の自覚する性根の悪さを暴れさせる?のは解消された訳ではないだろう。「性根は腐っている」と公言できる指原さんに親近感を持つ私は、それだけに古諺「人を呪えば穴二つ」を肝に銘じてほしいと思う。それでないといつか後輩から「さっしーなんかに憧れたことなど一度もない!」と言われる日が来るかもしれない。

 芸能人が、ピンチの同業者を叩くのではなく、政権・権力者批判することは悪いことではない。本ブログの前号にて検察庁法改正案への抗議を契機にようやく政治発言をし出した芸能人を私は“タレサヨ”と呼んで歓迎した。タレサヨはタレント左翼の略だが、一部日本共産党に近い人もいようが基本左翼思想とは関係がない。権力者の横暴にNO!と声をあげるだけ。それでもタレサヨに対して何らかの攻撃があるとみていた。攻撃手段には、世良公則さんに脅迫状を送る直球の場合もあれば、いやらしい変化球で来る場合もある。
 その変化球が7/8デイリー新潮から投げられた。『「#検察庁法改正案に抗議」した芸能人たちは香港問題にどうコメントしたか』と題して。私自身は、安倍政権が保守でないと批判しているだけで、保守だと思っている。よって毎週週刊新潮を愛読している。誌面ではこれまでWEB版の今回の記事みたいに胸くそ悪い思いをしたことはなかったのだが。
 デイリー新潮の記者は、きゃりーぱみゅぱみゅ(を筆頭に)、小泉今日子、浅野忠信、宮本亜門、城田優、麻木久仁子、井浦新、秋元才加等々と名前を列挙し、政治的発言は問題がないとしつつも、香港問題に発言しているか否かで振り分け、次のように文を結んでいる。
  『もちろん検察に関心があるからといって、香港にも関心を持つ必要があるわけではない。「あの問題について触れた以上、この問題についても触れよ」というのは押しつけもいいところであって、それこそ言論の自由の原則に反する。しかし、香港には日本の芸能人を愛してくれる人も多くいるという。きゃりーぱみゅぱみゅは、かつて香港公演もしたほどだから縁も深いだろう。彼らを励ましてあげると喜ばれるかもしれないのだが……』
 これは明らかに、きゃりーぱみゅぱみゅさんを狙い打ちにしている。同じく香港問題にコメントしていない浅野忠信さん、宮本亜門さんなどは、芸能界で確固たる居場所を確立している。揺さぶっても動じない。歌手本人も若く、若者に大きな影響力を持つきゃりーぱみゅぱみゅさんに「香港問題に言及しないなら日本の政治にも口出しするな」と言わんばかりにプレッシャーをかけているとしか思えない。
 きゃりーぱみゅぱみゅさんは、「釘を刺しておきましたよ」とネトウヨ向けに書かれた記事だと思えばよい。気にせず、背伸びもせず、自然体で自身がオカシイ?と思うことがあるときに発信すればよい。「出る杭は打たれる」は世の常。より活躍して米歌手テイラー・スイフトさんのようになってもらいたい。スイフトさんには誰も文句を言わない。平気で暴言を吐くあのトランプ大統領でさえ「前より25%好きじゃなくなった」としか言えない。

 テレビ出禁状態の宮迫博之さんが“嫁迫”さんの功もありYOU TUBE登録者が100万人を超え、若手人気芸人らが「もっと自由におもろいことを」とYOU TUBEに進出する。テレビマンは指をくわえているだけなのか。
 芸能人からテレビマンに矛先を転じ批判し出す私はクレーマーかと少し自己嫌悪に。本日古希を迎えたというのに。次号(8/20掲載)は誰も批判しない内容を掲載したい。

 

2020.8臨時号 NO.137 しきん VS しき

 大山鳴動した検事総長人事は検察構想の東京高検林眞琴検事長の就任で落着した。
  一寸先は闇という政治の世界は怖い。検察庁法改正案が先送りになった直後黒川弘務検事長の醜聞が唐突に表沙汰になり、黒川氏は辞任にした。小説より奇なり。火付盗賊改方の鬼平が罪人同然まで落ちることはあり得ないのに。自業自得と言わぬは武士の情け。
 政権末期はこんなものか。安倍首相は打つ手打つ手が裏目に出る。寝た子を起こしてしまった。なぜ新型コロナで大変な折に不要不急な検察庁法改正案を通そうとしたのか。
 内閣を脅し意のままにした戦前の軍部のごとく、時として正義感からとはいえ暴走する恐れがなしとしない強い権力を有する検察は、「行政」の指揮下に置かれる。それでも検察の独立性を維持するために、検事総長の人事案は検察の意向に委ねられていた。
  万が一、検察が暴走しても個別案件対しては法務大臣が検事総長に指揮権を発動させることができる。これで、政権と検察とは、一定の距離感、緊張感を持った、いわば健全な関係が維持されてきた。それに指を突っ込めばハレーションを起こすのは自明なのに。
  黒川氏の定年延長を正当化する為なら、その必要がなくなった。そうは言えないから、抱き合わせの公務員の定年延長案に問題があるとして、廃案に葬った。
  安倍首相自身は何を恐れていたのか。退陣後も追及されたくない懸案があるとすれば、それは「桜を見る会」の公職選挙法違反疑惑なのだろうか。夫と共に買収で逮捕された河井案里参議院議員への1.5億円もの選挙資金問題は、意図は安倍首相をコケにした溝手前議員への意趣返しにしろ、買収資金として指示するハズもなく、安倍総裁自身を交付罪に問うのは無理筋。菅原前経産相の不起訴処分からして官邸との全面対決はなさそうであるし。
  当てが外れたのは安倍首相だけではなく官僚もそうだろう。公務員の定年延長案が検察庁法改正案と抱き合わせで強引に通してもらえば、国民の目は検察庁法改正案に向き批判されずに済むと期待していたのではないか。だが、今は公務員定年延長案の内容に問題があることを国民に知られてしまった。
  私は35年前銀行の組合専従をしていた時に、低成長、高齢化の中で55歳定年を60歳に延長する私案を検討していた。延長により総人件費が大幅に膨らむのであれば銀行側は話に乗ってこない。右肩上がりの賃金カーブは50歳までとし、それ以降賃金カーブを下げていき、51歳~55歳の人件費の削減分で56歳~60歳の人件費増加の大部分をカバーする案を考えていた。民間企業ならどこでも似たような発想で定年延長されてきたのではないか。
 しかるに、今般の公務員の定年延長案は60歳までは現行通りで給与も減らさず61歳以降は段階的に65歳まで延長させるが、その給与は官僚人生最高額?の60歳時の7割。官僚一人当たり最大3.5年分 (5年×0.7) の人件費増は、国民以外誰が負担するのか。
  営業自粛で中小企業が瀕死の状態になっているときに、財政難でしかも新型コロナ対策の支出が増える一方、令和不況で税収が激減するときに、浮世離れしたような定年延長案をどさくさ紛れに出してくる。自治労等労働組合を支持母体とする野党は見て見ぬふりをするのか。我々国民にとってはこちらの方がより身近な大問題なのだ。
 国民にとっても予想外だったのは、タブーとされてきた日本の芸能人が多数政権批判をし出したこと。当然芸能人も主権在民の一員であり、政治的発言をしていけない理由はない。それを止めるのは憲法違反。かつて映画界には所属の映画監督や俳優の活動自由を制限する強力な五社協定があったが、憲法違反ままでは消えていく運命にあった。
 政権批判という一視点から観れば、「数」「匿名」のネトウヨ(ネット右翼)に対するカウンターパワーとして「影響力」「著名」の“タレサヨ”(左翼思想と直接関係がないタレント左翼)が存在することになり、ネット社会がより健全化すると思うが、どうか。
  タレサヨが根付くかどうかは芸能人がバッシングに耐えうる覚悟と自らの発言に責任を持つことができるかによる。影響力があるだけに、ファンは感化される。「間違っていた」と気づいた時は明確に訂正してもらいたい。
 政権もタレサヨパワーを意識し出した。権力者を規制する憲法に対しては憲法解釈を変え、自民党議員を小選挙区制における選挙公認権で押さえつけ、官僚を国民の公僕から官邸の下僕に落とし、日銀の独立性を無くし、検察の独立性も奪わんとする。なんでもありの権力者に新しい怖いものが出てきたことはよいことだ。

 今や、大家である国民は、安倍首相を信用して敷金・礼金なしで長年内閣を貸してきたが、拉致問題を踏み台にしただけで、特定秘密保護法、改正組織的犯罪処罰法(共謀罪法)で国民を監視・束縛しても我々庶民の為には何一つ成されなかったという思いではないか。
 安倍政権の政治を私はABE主義と批判した。American soldier(米国人兵士)>海外邦人、Better friend(より親しい友) >一般市民、Elect (特権階級) >低所得者・年金生活者。
  Aは安保法制。Bは、モリ・カケ問題、「桜を見る会」、河井案里参院議員への選挙資金1.5億円、持続化給付金の委託問題。さらに黒川検事長の定年延長案も。Eは、アベノミクス、ふるさと納税、新型コロナ対策。
 再三非難して来た私自身は詰めろがかかり弱り切った安倍首相への批判を手仕舞いしていく。今批判すべき対象は我々自身だ。こんな首相に憲政史上最長という勲章を与えてしまった。安保法制の強行採決、モリ・カケ問題等退陣を求める機会は少なくなかったのに。
 なぜ、そんなことになるのか。日本人は“政治的民度”が低いからなのか。20年に亘る銀行員時代政治に深い関心を示さなかった私にそんなこと言える資格はないが。
 京大故会田雄次教授は『アーロン収容所』(中公新書) のP140にて、「戦前も捕虜中も現在(敗戦から17年後)もちょっとも変わりがなさそうだ。私たち日本人は、ただ権力者への迎合と物真似と衆愚的行動と器用さだけで生きてゆく運命を持っているのか。」と述べた。
 会田教授がそう自嘲してから58年経つ。スピードは緩慢ながら民主主義は発達し、ようやくここにきて批判的に考えられる国民が増え、政権批判を発信するタレセヨも出現した。
 しかし、2018年からの教科化された「道徳」は、その流れに棹差すのではなく堰き止めるのかもしれない。その日本の道徳教育に対して、日本、フィンランド両国の教育に通暁する岩竹美加子女史は『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮新書)で次のように批判している。2018年から新しくなった高校の「学習指導要領」での道徳は郷土愛、愛国は小中学校と同じだが、「現代社会」が廃止され、「基本的人権の保障」と「国民主権」が削除されていると言う。指導要領には「履修させる」「理解させる」など使役動詞が多く、教育は権利であり、自主的に学習するものというよりも国が下々の者に与えるものなのだろうかと疑問を投げかける(世界が称賛する道徳心の高い日本児童に、為にする「道徳教育は」不要。必要なのは、大人の言うことの是非を自身で考えられる力をつけさせること。大人、とくに気高さと潔さがないトップ層に対しては、武士道精神を叩き込ませることだ)。
 選挙権が18歳に引き下げられたことに関しても、「しかし、自分の権利を充分教えられることなく、批判的思考や政治参加の訓練も受けないままでは、政治が身近な問題と直接繋がる事としては感じられないであろう。18歳に選挙権を与えるだけでは不十分なのではないか」と言う。今の若者が安倍首相を支持しているのは、それも関係しているのか。
  P78では「・・全体主義な国では国民は国家のイデオロギーに従順であるように育てられる。そうした国では、批判的な国民は社会的危険、国家制度を揺るがす存在と見なされるので、自分で考える能力を発達させる価値は認められない」と述べる。いかにも全体主義であった戦前への回帰を時の政権は目指しているのではないかと言わんばかりだ。
 そういえば、「一億総活躍」は戦前の国家総動員法を思い起こす。国民の幸福との視点に立つなら、忌まわしい「一億総決起」「一億総玉砕」を連想するフレーズは使わないだろう。
  そうだとすれば、京大藤井聡教授らに「この空虚な器」と称された安倍首相に一体誰が吹き込んだのだろうか。次の政権を担う自民党の政治家達も同じなのであろうか。


 

2020.8 NO.136 ナコVS ナコ

 女性の時代と言われて久しいが、スポーツの世界はそう呼んでもおかしくないか。

 競馬界では、天才武豊騎手が1987年にデビューした以降、競走馬では、オグリキャップ、ナリタブライアン、ディープインパクト、オルフェーヴルなどスーパーホースが何頭も誕生した。しかし騎手では武騎手に続くスター騎手が出現していない。そんな中で、日本人女性騎手として史上初でJRA重賞を勝利した、ナナコこと藤田菜七子騎手の人気が沸騰している。近い将来大きG1を勝ち日本の“ミシェル・ペイン”(女性騎手では勝てないとされた豪競馬の聖杯メルボルンカップを2015年に制した)と呼ばれることが期待される。

競馬界はかわいいだけでは通用しない。馬主が騎手に支払う報酬は賞金の5%と決まっている。いきおい勝てる上手い騎手に依頼が集まることになる。だが、藤田騎手は実力も備わっている。昨年はJRAだけでベテラン横山典弘騎手と並んで堂々のリーディング26位。43勝をあげ獲得賞金は608百万円。賞金面からの年間収入だけで30百万円を超える。22歳の若さで(今年2月初め落馬骨折したが3月中に早くも復帰。4/25に女性騎手として史上初のJRA100勝を達成した)

 “美人過ぎる”と形容詞がつく仏のミカエル・ミシェル騎手が数年後の中央競馬(JRA)での騎乗を望んでいる。足掛かりとして、201872勝の仏女性騎手年間最多勝利をひっさげ、新春から短期免許で地方競馬に参戦した。1/273/312か月で30勝し、地方競馬短期免許での外国人歴代最多勝記録を樹立した。「腕」も確かなところを見せJRA参戦も単なる夢物語ではなくなった。将来ナナコとの対決が実現すれば競馬界はより盛り上がる。

そのナナコに憧れて、昨年騎手試験で27年振りに競争率15倍の難関を突破して女性が3名合格 順調にいけば2023年には女性騎手が7名になるとか。

競走馬も歓迎だ。女性騎手はあたりが柔らかく、斤量2㎏減のハンデもある。

 

日本ゴルフ界も女子ツアーが熱い。昨年は黄金世代が台頭の中その一人渋野日向子選手が42年振り海外メジャー全英女子オープンを制しシブコフィーバーが湧き起こった。

百花繚乱とはいえ、渋野選手は今や日本女子ゴルフ界の宝。なのに来年渋野選手が米ツアーに転戦と言われていた。だが、東京五輪が1年延期となったのに続き、今年の米ツアーQスクールも中止となった。来年も日本でプレーする公算が高くなった。渋野選手本人にとっては残念だろうが(それでも海外メジャーに優勝すれば米ツアー参戦が可能となるが)、渡米を心配するシブコファンにとっては朗報と言えるだろう。

鈴木愛選手らの参戦に加え渋野選手が初挑戦する女子最高峰の全米女子オープンも12月に延期となった。過去の同オープンにおいて、1998年の朴セリ選手優勝を皮切りに、2005年~19年の15年間で、韓国女子選手8(9)が優勝しており(米国選手は4名のみ)、その内6人が初出場で勝利している。内訳は、05年バーディーキム、08年朴仁妃(13年も)11年ユソヨン選手、15年チョンインジ選手、17年パクソンヒョン選手、19年イジョンウン6選手となる。それは、何を意味するのか。米ツアーで揉まれ強くなり勝ったのではない。新人は無欲で怖い物知らず、勢いがあることを差し引いても、元々韓国選手の実力が突出している。または米国選手らがレベルダウンしていることを意味していないか。

言い換えれば、韓国には完全実力主義の国家代表選抜システムがあり、その熾烈な競争に勝ち抜き国家代表になった者が言わば刺客のように米ツアーに送られ、その刺客に米選手らは歯が立たないのでは(代表とも言えぬ日本選手が憧れや夢で行くのとは訳が違う)

昨年度5年連続で韓国選手が米ツアーの新人賞に輝いたが、そのイジョンウン6選手も「韓国ツアーで3年間やってきたことが、とても役に立ったと思う。」と言っている。

日本代表として米ツアーに今挑戦する資格があるのは開幕戦も優勝争いの鈴木選手だけと思う。万全ではなく気持ちだけで米ツアーに行き揉まれれば、移動の大変さや言葉・人種の壁(親日台湾人と米国人とは違う。大リーガー田中将大投手でさえ新型コロナで人種差別か?身の危険を感じ日本に避難した)と相まって、身も心も“勤続疲労”を起こすだけに終わるかもしれない。“花嫁の介添人”では自他ともに許されない立場であれば、なおさらに。

米賞金女王で全英女子オープン2度制覇の申ジエ選手が日本に転戦し、好成績なのにエビアン選手権チャンピオンのキムヒョージユ選手も日本への転戦希望を表明している事実にもっと目を向けるべきではないか。全英女子オープン勝利の渋野選手なら、あわてて行く必要はない。国内20勝、賞金女王をひっさげ30歳で米ツアーに参戦し米賞金女王となるレジェンド岡本綾子さんも「海外に行くとゴルフがうまくなるっていうのは勘違い」と言っている。黄金世代の勝みなみ選手、原英莉花選手ら、プラチナ世代の安田祐香選手、古江彩佳選手らと切磋琢磨し、日本ツアーをよりlevel upさせる中で成長していけばよい。なぜそう言わないのか。協会や日本のマスコミは。

渋野選手の究極の目標が5大海外メジャー制覇であれば、残り4つの海外メジャーを日本にいても制覇可能と思うファンは多いのでは。日本で走り海外G1だけ挑戦して勝つJRA年度代表馬名牝アーモンドアイやリスグラシュー(競走馬も牝馬の時代か)のように。

 

来年の五輪においても、政財界の男達を冷ややかに見ている私は男子アスリートにもやや懐疑的な視線を向け、女子選手の方に期待をかける。上述のゴルフでは、安定力の畑岡奈紗選手に加え、実力NO.1の鈴木愛選手か爆発力の渋野日向子選手(両名とも1年延期で世界ランク15位以内の維持は簡単ではなくなったが)に金メダルへ大きな期待を寄せる。

他は、シブコの恋人上野由紀子投手率いるソフトボールチーム。日本に恩義を感じ日本国籍を選択したテニスの大坂なおみ選手。柔道の阿部詩選手。同最重量級素根輝選手。空手・形の清水希容選手。レスリングの川井梨紗子選手。自転車の梶原悠未選手。トランポリンの森ひかる選手。バトミントンのダブルスペア等に「金」をとくに期待する。

 

 スポーツ界と較べて政財界は女性の時代には程遠い。大塚家具の父娘の経営方針をめぐる親子喧嘩騒動で大塚久美子社長の経営手腕に注目が集まったが、結局のところ、無借金優良企業を身売りさせてしまった。とくにピンチに陥ったときの女性経営者の限界を露呈したに終わる感がある。パリコレの冨永愛さん、女性指揮者の西本智実さん、三ツ橋敬子さん、バイオリニストの木嶋真優さんとか世界で活躍している日本女性は多い。

日銀清水季子名古屋支店長が初の理事に就任した。ニッポン放送の檜原麻希氏が在京キー局初の女性社長になった。他の気鋭の女性経営者はいないのかとネットで検索し、気になるタイトルを目にしたが、そのサブタイトルに美人経営者、ママさん経営者と書かれていたので、クリックするのを止めてしまった。

 その点、作家の世界は、男女平等、同権だ。新人作家の登竜門芥川賞、直木賞の直近15年間の受賞者(2005年上期~2019年下期)において、それぞれ男17名、女17名、男21名、女14名となっている。もっと女性の受賞が多いと思っていたが、それでもほぼ拮抗していると言えるか。女流作家には容姿は問われない(今時容姿も端麗だが)。完全な実力の世界だ。

政界は経済界と同じか。もう少し酷いとも言えるか。かつて小渕優子議員、稲田朋美議員らを女性首相候補と持ち上げた。本気でそうなると思っていないから軽々に口にする。上川陽子元法務大臣はその可能性があるから、口にされないし重用もされないのか。

男性議員は女性議員が大同団結などできないと高を括っている。国際的に見て女性議員比率が低いとは言え、衆参両院で100名前後女性議員がいる。男性議員の代弁や男性議員にいいように使われるのではなく、真に日本の女性の地位向上を目指す志があるのなら(三原じゅん子議員、杉田水脈議員等は固辞するかもしれないので)とりあえず20人程度でよいから女性党を立ち上げてはどうか。週刊新潮2020.5.714特大号『変見自在』で辛口の高山正之氏も褒めた?上川陽子議員を代表、野田聖子議員を幹事長として。

2020.7 NO.135 ひんかく VS ひんかく

 50年以上前全共闘1千人が集まる東大900番教室に単身乗り込んだ際三島由紀夫が口にした「男は敷居を跨げば七人の敵あり」という諺を、その頃私もよく耳にしていた。

今あまり聞かれない。その理由は二つあろうか。一つは、今は家でも敵ばかり。妻にイビられ、息子に無視され、娘には嫌われる。もう一つは、男は戦わなくなった。政治家は、独裁者に媚びる。媚びない者は戦わず、見て見ぬふりする。そんな男議員に政界を引退した亀井静香氏が歯ぎしりする(さすがに内閣支持率が急落の今は戦う気配を見せ始めたが)

今戦う気概を持ち合わせているのは女性の方だ。木で鼻をくくる菅官房長官に噛みつく東京新聞望月衣塑子記者。日本テコンドー協会における四面楚歌の理事会で命懸けの戦いを挑んだ女性理事二人。時の政権のNO1NO2を敵に回しても公文書改ざんで無念にも自裁した夫の遺志を継ぐ妻もいる。女は敷居を跨げば七人の敵あり」に諺を変えるべきだ。

男女同権とはいえ、フィギュアの“男性元大学監督”が“女性コーチ”をパワハラで訴えた。テレビ局の男は、離婚調停中に他のテレビ局の男と不倫?した妻を正論でもって擁護した女学者を提訴。さらに相手の男のテレビ局をも。理屈をこねても八つ当たりと思われ男を下げるだけ。妻にも結婚したことをさらに後悔させる。「あんな女に未練はないが なぜか涙が流れてならぬ 男ごころは男でなけりゃ 解るものかとあきらめた」と漢・村田英雄の歌を唄って忍べばよいのに。私は女々しいが故に男の矜持、意地を常に意識している。

 

 2005年の秋一級建築士による耐震偽装事件が発覚し世に激震が走った。翌年4月川北義則氏の『男の品格』(PHP)が発刊され、半年で13刷なのでベストセラーとなった。しかし、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないが、あれから15年。各分野での人の上に立つ“気高く、そして潔く”を忘れた品位欠く反面教師たちに「男の品格」を思い起こさせられる。

 「総理の品格」では、安倍首相を震源とするモリ・カケ問題により、紀元前の中国斉の国の賢い女性が当時の王に言ったとされる「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」が2千年の時を経て現代に蘇った。一方側近にまつわる「官吏男女、二間続きにして席同じゅうせず」は、そのまんまであるし、五経の一つ『礼記』のパクリで、故事にはならないか。

また国会の代表質問で側近の参議院議員から「謙虚で丁寧な対応」との異例の注文がつくが、安倍首相は直らない。「品格」は「育ち」とは直結しないことを思い知らされた。

 「横綱の品格」では、大横綱でありながら腕にきつくサポーターを巻きカチあげる、国技のしきたりを再三逸脱する白鵬関に横綱の品格とは何かを考えさせられた。帰化に反対の父親の逝去に伴い念願の日本国籍取得。親方を経て将来理事長の座を狙うのか。

「社長の品格」では、関西を代表する関西電力の会長、社長の品格の無さに空の上から武士が嘆いていよう。原発マネーの還流発覚後の会見において2度に亘って延命を図ったのは見苦しいの一言。日産の西川前社長も、強欲?ゴーン会長の“AGREE側近”となり日本のサラリーマン社長では法外と言える5億円もの報酬を受け取っていながら、社内で処理すべき問題を天下に晒しては、自身は刺し違えになる。それ以上に会社を大きく棄損することになると思わないならどうかしている。それ程苦し紛れの保身だったということか。

「協会長の品格」では、MBLの大谷翔平選手、テニスの大坂なおみ選手、ゴルフの渋野日向子選手のごとく若いアスリートは競技の実力だけではなく人格も素晴らしい。一方選手を指導、統括する立場の協会のトップや又は上層部が、日本ボクシング協会、日本レスリング協会、日本テコンドー協会、日本体操協会らが揃いも揃って、独裁的で潔さもない。

極めつけは「教師の品格」だ。私は東京に居を構えているが、神戸出身者としての郷土愛を持っている。いじめをなくすべき立場の教師が子供じみた弱い者いじめをしているのが神戸の小学校だと知って、愕然とした。さらに、いじめの主導者が女性教師で後輩男性教師らがそれに加担していると分かり、「それでも男か!?」と怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られた(「世間」からの冷たい視線を浴びる加害教師家族は気の毒だが)

正しい事をするのに女も男もない。しかし、教師の立場以前に大人の人間としてあるまじき行為に対して女王蜂に群れるオス蜂のこどく振る舞う。まさに「反面教師」の名に値する。諸悪の根源と思しき前校長の態度も潔くないと見える。

 我々も教師に限らず誰彼となく軽々しく「先生!」「先生!」と持ち上げる。それがいけないのかもしれない。同書(P166)で、著者は官僚、医師、弁護士、教師などをエリート 職業と呼び、「エリートになれば畏怖尊敬され、いい目にもあえる。なぜかといえば、それに見合う立派な働きをしてくれると思うからだ。以前は、エリートにその自覚があった。自覚したうえで威張っていた。だから庶民は彼らを認めたのだ。」「今は威張っていい目にあいたがるだけで、肝心の責務を十分に果たさない。それどころか特権を悪用して悪い事をする。・・・」と著者は15年前に批判した。今でもそのまま当てはまるだろう。

 

 男はいつ品格を意識するのだろうか。私の場合は前立腺がんが発覚し転移を心配し、死を意識した時。残された時間をいかに生きるべきか、家族とどう向き合うのかを考えた。夫として父として家族に良い思い出を残さねばとも思った。しかし、放射線治療から8年が経ち再発もないとなると、雑念が湧き、煩悩が擡げてくる。だらしなくなっていく。

 皆が「死」を意識するのは戦争の時だろう。男は「私」を捨て「国」の為に命賭けで戦う。女は自分たちの為に盾にも矛にもなる男に対して敬意を払う。

 チャーチルの「日本に経済繁栄を与えて二度と歯向かせさせないようにする」思惑は見事にはまり、武士道の国日本は平和ボケになった。しかしその騎士道の国英国も平和ボケ。

 いくら短絡的な私でも、男の品格を取り戻す為に戦争をすべきだとの愚言は吐かない。

 学ぶべきは、戦争屋の武士が戦争のない徳川の天下泰平の世に移って「武士の品格」をどう守ったかである。武士は為政者に変わっても、いつも死と隣り合わせで、厳しく自身を律し、気品高く、潔く、凛としていた。武家社会の武士道精神に関する書は戦争屋のバイブルかもしれないが、人の上に立つ者の心構えとしては現代でも通用する。

男の品格には武士道精神が必要と言って、それで世の中に浸透するハズもない。豆腐ににがりが、チーズにレモン汁が、必要なのと同じ様に、一滴垂らせば全体が変化する触媒が必要。その役を担うことができるのは、前から言っているように検察だと思っている。

その検察は今どうなのか。公権力の私物化疑惑ではなく、一民間企業の権力の私物化を捜査し大山鳴動した事件は裁判の未開廷と日産の業績・株価大幅悪化で終焉を迎える。

逃亡したゴーン氏はレバノンからICBMのごとく日産・検察に反撃する。政府関与?の国策捜査の不当性、「人質司法」の非人道性を世界に晒し、海外メディアは一定の理解を示した。ゴーン氏への捜査、弘中弁護士事務所への強制捜査等における「検察の強さ」をよりはき違えたような特捜部の捜査手法も合わさり「検察の品格」が今問われている。

 

時の政権は勝手に法解釈を変え検察官の人事に介入した。検察会議で受け入れ姿勢の上層部に対し静岡の検事正(現千葉地検)が異を唱えた。政権は正当化するために検察庁法改正を強行する。姑息さに政治的発言をタブーとした芸能人も多数抗議の声をあげ、元検事総長ら検察OBも異例の反対表明をする中、安倍首相は今国会での改正を断念した。

すると、渦中の黒川弘務検事長に醜聞が噴き出し、急転直下黒川氏は辞任した。後任は名古屋高検林眞琴検事長で結局現稲田伸夫検事総長の意向に沿う形に戻った。官邸と検察との手打ちなのか。それとも本丸(「桜を見る会」疑惑)に攻め入ることはあるのか(現検事総長下捜査中の河井案里議員に係る15千万円もの資金提供疑惑は直接的には自民党幹事長の問題。安倍首相の指示だとしても、不公平それだけでは罪に問える訳ではない)

韓国検察に対して、権力が強大すぎるところは「他山の石」とし、政権との対立をも辞さない姿勢は「爪の垢を煎じて飲む」べきと言う必要はないか。野武士の新検事総長なら。

「検察の独立性」のピンチの後は「検察の品格」を取り戻すチャンスだと思うのだが。

 2020.6 臨時号 NO.134 VS (2)

 昔は芸人から政治家に転身していた。漫才の故コロンビアトップ、講談の故一龍齋 貞鳳、漫才の西川きよし師匠。最近ではお笑い芸人・タレントの東国原英夫氏ぐらいか。もう辞めて政治評論家という立ち位置と言えるか。

とくに、西川師匠に対しては、小泉首相元秘書官の飯島勲氏によれば、厚生族の橋本龍太郎首相が西川参議院議員に出くわすと首相の方が最敬礼していたという。

 「福祉」の為に尽力した西川議員も芸人一人の資力では難しい面があったのか318年で政界を引退した。芸人たちは生半可な気持ちでは政治家になれないと悟ったことだろう。

 今はSNSがある。芸能活動しながら世に意見を政治的なメッセージも発信できる。

 今「# 検察庁法改正案に抗議します」と芸能人が次々とツイートしている。名主の所属事務所の制止を振り切り政権にNO!を突き付ける。農民一揆ならぬ“芸能人一揆”の様相を呈している。新型コロナ対策の無為無策な政権が姑息にも新型コロナに乗じて自らの保身策を謀るのを見て営業自粛が長引くいらだちと義憤が爆発した形だ。これを機に、タブーとされてきた芸能人の政治的発言が欧米化していくのかもしれない。

 

ダウンタウンの松本人志氏は、もう少し前から積極的に発信している。本人にそういう自覚があるか知らないが、影響力を考えれば「世のご意見番」を担っていると思う。

松本氏の天才的な所は、当意即妙な切り返し、アドリブにあると思う。だが、思いつきやアドリブなら、ツイッター発言は失言に繋がりやすい。

 松本氏しかできないと賞賛の声があがる、営業自粛で生活苦の芸人に対する「上限100万円の無利子貸し付け」については、思い付きではなく、前々から松本氏の頭の中で温められていたのであろう。返済期限の定めのない貸付は贈与とみなされても110万円以内なら非課税。無利息で芸人仲間内であっても貸金業法等に抵触する危険性はなしとしないが、その辺は弁護士と詰めた上での発表ということなのであろう。

ただ、その報道がなされた5/4、「善意にケチを付ける人達がいます。あーほー」と松本氏はツイートした。それは、松本氏を支持するネット民が言うことであって、本人が発してよい言葉ではない。才能ある若手芸人を助けたいとの一心なら、他人の評価なんかに動じないハズ。世にインパクトを与えた有徳な功業を成そうとする時に、そういう発言を軽々にするから「善意の衣の下に名誉心・権力欲という鎧が透けて見える」と言われかねない事態を自ら招く(それこそある程度の実績を残さねば、その時は何を言われるか分からない)

 長年ボランティアをし続ける俳優杉良太郎さんは、売名行為だとの心無い声を浴びせられてきたが、「ああ、売名行為ですよ。みなさんもなされたら、どうですか」と言い放つ。

 

松本氏のあーほー発言があっても、「貸し付け」自体の意義や価値が損なわれる訳ではない。前澤友作氏の5/10「シングルピアレントを支援する基金を創設した」との発表も松本氏に触発されたかも。前からその想いはあったが、世間の風当たりを気にし躊躇していたのを、松本氏に背中を押された形なのかもしれない。

欧米は貧富格差を是として富める者が貧しい者に「施す」ことで神に祝福される。救われる。日本は貧富の格差を良しとしない。富め過ぎる人も貧困にあえぐ人も作らない。よって、人と人が「助けあう」ことはあっても、人に「施す」との概念がなく意識が希薄である。馴れていないから、施す者に対して、違和感を覚え、やっかむ。

日本人でも、サッカーの本田圭佑選手、長友佑都選手は海外生活が長く海外セレブとの交流もあるので「売名行為だ」と批判される前澤氏を擁護している。

日本も小泉政権、安倍政権により貧富の格差が拡大した。それは次の政権により是正されなければならない。が、現実に貧富格差があるのなら、その気のない政府任せにせず、資産家が困った人、貧しい人を「施す」のではなく、「助ける」ことは意義深いこと(意味もなく助け、助けられる側がそれを当然と思うようになってはいけないが)

それが根付き、資産家個人の「新しい生活様式」の一つになるのなら、松本氏のこの度の行動はそのきっかけを作ったことになり、その意義は大きいと言える。

 

 人は変わる。と言っても、変わらないように見える人もいる。周りの見る目が変わってもいつまでも本人は変わらない人と言えば、明石家さんまさんだ。さんまさんは変わらない。「みんなを笑わせたい。笑顔にしたい」と言うだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 浜田雅功さんも、人柄が滲み出た人懐っこい顔は若い時から変わらない。礼儀知らずの若手やぼやぼやした番組スタップには厳しいらしいが。

MBS人気番組『プレバト!!』の「俳句の才能査定ランキング」で、師範の夏井いつき先生がゲストに問いかけするとMCの浜田さんがボソッと独り言ちするが、それが実に当を得ている。隠れた読書家で国語力が高いことを我々に気づかせる。それとなく。

 「能ある鷹は爪隠す」と言うが、私は妻に「偉くない者ほど偉そうに言う」と言われる。至言でぐうの音も出ない。私とは対照的と言うより「月とすっぽん」の天才羽生善治棋士と武豊天才騎手は偉そぶることがない。共に勝負師で内に激しい闘志を秘めているが、斯界の第一人者としての自覚から自らを律し声を荒げることはない。他者批判も公言しない。お二人のマネはしたくてもマネできない。敬仰する外ない。

 橋下徹弁護士も、政治家を辞めても、良くも悪くも変らない。

ただ、「一回、ここ来いよ! 尾辻!」はアカン。「あなたライオン たて髪ゆらし ほえるライオン・・・私はとまどうペリカン」と唄うほどか弱く見えへんでも、女性に。しかも国会議員の偉い先生に向かって。カッコ悪いで。そんなことより日産ゴーン会長事件でクローズアップされた「日本の刑事司法の民主化」問題に尽力してなぁ。お金にならへんけど。

違う? 怒った? 私にはかまへんけどな。「一ぺん、ここに来い! オマエ!」と言うても。

 

2020.6 臨時号 NO.134 VS (1)

 新型コロナ対策のアベノマスクはまだ我が家には届かない。心待ちはしていないが。一人10万円給付についてもまだ申請すらしていないが、パソコンの買い替えに充当するのに決めており、既に新しいパソコンを購入手配している。

 前号6月号 NO.133( VS(2))で「政府は、大借金しても自分の腹は痛まないからか、富裕層まで入れてばら撒く」と批判した。その後二-2つのことに気づいた。

 1つは、一人10万円給付は富裕層にとっては端金でとるに足らぬが話はそれで終わらないこと。政府が借金しても大臣や国会議員が返済する訳ではない。返済源は国民の税金。

ちなみに、東北大地震復興の復興特別税率は25(2013年~2037)に亘って2.1%。課税所得(収入金額-給与所得控除額-社会保険料等所得控除額)2,000万円の高給取りの所得税は、5,204,000(課税所得20,000,000円×累進税率40%-控除額2.796,000)とサラリーマンの平均年収以上の高額を納税している。これに加え復興特別所得税として109,284(所得税5,204,000円×2.1)を納めている。

新型コロナ復興対策の負債返済に、東北大地震復興並みに同じような特別所得税が設けられ同じ25年間同率適用されると仮定した場合、課税所得が2,000万円の人は、一律10万円を一度受給して、その代わりに(所得税が累進税率【5%~45%】のため特別所得税も累進的となり)11万円を25年間払い続けることになる。

復興対策のパイが大きければ大きいほど特別所得税率は高くなり、富裕層の負担はより大きくなる。「ちっちゃいことは気にするな」「そんなの関係ない!」と言うお大尽でないなら、「富裕層まで入れて大盤振る舞いせず、本当に困っている人、貧しさに苦しんでいる人の対策に絞ってほしい」と政府に訴えてよいのでは。とくにばら撒きをしたがる公明党に。

 もう1つは、ばら撒きを批判するのに給付を受けるのかと私が思案した時村上春樹氏のことを思い起こしたこと。批判するのに貰うのか。いや国民の権利であり、私は歴とした貧乏人。それでも受取りを隠して批判するのも気が引ける。筋を通してまずお礼を述べた。

そして、そう言えばと、2009年エルサレム文学賞受賞スピーチにおいて壁と卵の比喩でイスラエルを痛烈に批判した村上氏のことを思い出した。受賞を断り、その理由として、パレスチナを擁護しイスラエルを批判するのなら問題ない。エルサレムでの受賞スピーチで批判するのは、私の場合とは比較にならない。村上氏も相当悩んだ上での決断なのだが。

しかし、その苦渋の選択はユダヤ人に理解されない。全ユダヤ人を敵に回すだけではなく、世界的大作家の村上氏でなければ、モサドに・・・・されてもおかしくなかったかも(今年の10月も言われるか、ノーベル財団が全ユダヤ人を敵に回してまで授賞するハズないと)

201710月臨時号NO.77(「ノルウェーの森VSノルウエイの森」)を書いた時は、歌手ならグラミー賞があるのに、高校の先輩でもあり前評判も高かった村上氏を初め作家を差し置き歌手が前年度ノーベル文学賞を受賞したことに憤慨していた。それに頭が行き村上氏の受賞スピーチでのイスラエル批判をそれほど深刻には受け止めていなかった。

ボブ・ディラン氏の受賞に対し、「なんでやねん!? ディラン氏なら平和賞だろう。ディラン氏も「爆薬で大儲けした金で創ったノーベル賞など貰えるか。ボク・イラン」と蹴とばしてくれたらかっこよかったのだが。反戦歌手も年老いた感が否めない」と悪態をついた。

 

 人は変わる。良くも悪くも。チャーチルの名言に「若い頃に左翼でない者は情熱が足りない、大人になっても左翼の者は知能が足りない」がある。故西部邁は、情熱も、知能も大いにある。東大生の時にブント(共産主義者同盟)に加盟したが、後年保守の論客となった。

 芸能人として成功した者は、何によって変わるのか。老いか名誉欲・権力欲か。

 北野武氏は2018年旭日小綬章を受賞した。褒章など関心がないのではと勝手に思っていたので、すこし意外な感じがした。映画監督としてではなくビートたけしとしての北野氏を私が好きだったので、そう思ったのかもしれない。

北野氏が受けるそれ自体何ら問題はないが(叙勲は1度目の話の折は辞退し2度目の時に受けるのががっついていると思われない作法らしい)、元ファンとしては「フライデーを襲撃したオイラが貰ってどうする!?」とか洒落っ気たっぷりに断ればカッコよかったのだが。

誰の目にも変わったと映るのは、愛人との老いらくの恋が報じられて以降の経緯だ。二人三脚で映画製作してきた事務所社長と袂を分かち、たけし軍団とも別れる。「殿、早く目を覚まして」と愛人(現妻)を非難する弟子達に怒りを露にする。正気と狂気の二面性が魅力だったが、狂気の面が表になってしまったのだろうか。

 和田アキ子さんは、裸の王様ならぬ“裸の女王様”になったか。週刊女性のアンケート調査で、ダントツで「嫌いな女」の一位となった。V3らしい。投稿コメントには、「高圧的で怖い」、「偉そう。長く芸能界にいるから裸の王様状態で、注意する人がいない」「大御所ぶって中身がない」などが挙がるとする。世の女性もよく見ているものだと思う。

 私自身和田さんに関心はなかったが、申告漏れで自粛を余儀なくされた徳井義実さんに対する「世間」の動向を注視していると、和田さんが要らぬことを言っているのに気づいた。徳井さんが復帰に苦心したことを「しれっと」と水を差し、3/17の謝罪会見での東出昌大さんの舌先にピアスと見間違いかもしれないことを4月に入ってからわざわざ発言する。極めつけは、5/3TV『アッコにおまかせ!』時でのこと。ナイナイの岡村隆史氏による風俗への不適切発言について、出川哲朗さんは「今までの中でも一番大きなボリュームで、お前はバカか、と会ったら言ってあげたい」と。その上で「ちゃんと怒った後で、2人でご飯行っておごってやりたいですね」と話したという。それに対し和田さんが「なんかちょっと意味が分からないけど」と発言したという(私と同じ昭和25年生まれのアラ古希。もうろくなのか、岡村氏を批判していただけの和田さん自身と違ってフォローも言い添えた子分格の出川さんに嫉妬したのか、観ていない私には分からないが)。出演者は唖然とするも、「触らぬ神に祟りなし」だったとか。

マネージャーや事務所の社長は注意しないのか。しても言うことをもう聞かないのか。

 批判は自身より上の者、強い者にすべき。下の者、弱い者は庇うべし(陰で諭しても)。父親と母親が一緒に怒る子供に救いはない。「世間」が父親なら、和田さんはゴッド姉ちゃんからゴッド-マザーになればいい。そうすれば、「芸能人は身内に甘い」と言う声もあがっても、「叩かれる痛み、辛さを知っている和田さんならばこそ後輩を庇っているのでは」と理解してくる人も少なくないハズ。有名人だから批判票も多くなるにせよ、嫌いだと言う女性は今よりうんと少なくなると思うのだが。

 

2020.6 NO.133   VS (2)

緊急事態宣言が出るかなり前から、長男と同じように報道番組のMCなども、(働き手にとっては不要不急な)カラオケなんかという言い方していた。営業妨害ではと利用者である私は感じていた。当のカラオケの会社がそんなこと言えば、袋叩きにされるだろうが。

私が贔屓にするカラオケ館では、キッズルームもなく、どちらかと言えば一人カラオケ向けと言えるか。狭い独房のような部屋の扉がすべて開けっ放しにされ、器具等の消毒も余念がない。三蜜に該当せず、今頃焦点のスーパーよりよほど安全な場所だと思っていた。

宣言が出る前から行かなくなったのは、新型コロナに感染した場合、感染経路が特定できないとき、カラオケに行ったと分かれば、偏見からの非難に晒されるのを恐れたからだ。

 カラオケ業者の苦心も顧みず、頭ごなしに行くなと言うのではなく、何人以上のカラオケ会は避けるべきと発信すべきだったと思う。カラオケ館は業界大手で大丈夫だろうが、個人事業主等のカラオケボックスはつぶれてしまう。今となってはどの業界も同じだが。

 芸能人達が、ご意見番になるのは構わないが、その自覚がないがごとく「風俗」について差別発言をする。一般のカラオケ店は風営法の対象外であるが、対象風俗には、キャバレー、麻雀店、パチンコ店等の「風俗営業」のほかにソープランド等の「性風俗関連特殊営業」等がある。彼らが何を対象に言おうとも、風営法を遵守している限り、「職業に貴賤はない」は守られなければならない。

 野党議員が夜の外出自粛の最中「セクシーキャバクラ」(セクキャバ)に行ったことが発覚し、離党した。「夜の外出自粛を率先垂範すべき立場の国会議員でありながら、軽率にも夜の歓楽街に繰り出したこと」は、非難されてしかるべきであり、本人もそう謝罪している。

だが、不寛容、厳罰化の「世間」が議員辞職を口にするのはともかく、「世間」に同調するかのごとく国会議員が辞職まで求めるのは、問題はないのか。

現風営法は「取り締まり」から「規制・適正化」へ舵が切られ、大麻のごとく取締まるのではなく規制の下健全に育成していくとの方向に変わっている。国会議員の手によって。

その国会議員たちは、セクキャバでなく映画だとしても議員辞職をと言うのであろうか。

我妻のように新型コロナに頭が行き過ぎて、大事なことを忘れてはいけない。冷静さを失った行き着く先は、関東大震災朝鮮人虐殺事件だ。「朝鮮人が攻撃してくる」とのデマに対して正常な判断力を失い、虐げ差別してきた者たちに復讐されるとの恐怖心が朝鮮人(現朝鮮人・韓国人)を大量殺戮した。

 

 安倍政権の進める政治を201711月増刊号 NO.80(「かいげんVSかいけん」)ABE主義と次のように批判した。American soldier(米国人兵士)>海外邦人、Better friend(より親しい友) >一般市民、Elect (特権階級) >低所得者・年金生活者。

 新型コロナという前例のない、未知の課題に対して、安倍首相と類が友を呼ぶ政権では判断力と決断力の無さを露呈した。迷走する中それでもABE主義のEの堅持はブレない。

 火事に喩えると、類焼を避けるために裕福な大きな家の前にある小さな家を壊してしまう。小さな家の住人は代替の家をと叫んでいるのだが。大企業の社員は在宅勤務が可能だが、飲食サービス業等零細中小企業は休業補償がないと休業できない。彼らにとって倒産がより身に迫る恐怖。そんな折アベマスクと言われる「マスクを1世帯に2枚配付」が報じられ、ネット民は「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったとされたマリーアントワネットを思い起こした。その後安倍首相が自宅でくつろいでいるところをTwitterにアップすると、安倍首相はルイ16世で、昭恵夫人がマリー妃だと揶揄された。

 その後「国民一人当たり10万円の給付」が決定された。給付を受取り予定で批判するので筋を通してまずお礼を述べる。ありがたく頂戴し我が家の大蔵女大臣に却下されたパソコンの買い替えに充てる。この場を借りて政府に深謝する。それでは、批判させてもらう。

政治家はなんでこんなばら撒きができるのか。仮に米国の高額宝くじで500億円を在米邦人が当てたとする。それで困った日本人を助けたいと思ったら、即効性があるからと言って12500万人に400(500÷1.25)ずつ配ることにすると思うか。貧困から大学に行けない学生への奨学金賦与の団体を創るとかするだろう。政府は、大借金しても自分の腹は痛まないからか、富裕層まで入れてばら撒く(景気対策? 飲食・サービス業が休業し、いつまで耐えられるかと言っているときにか)12兆円もあるなら、どれだけ多くの苦しむ中小企業に休業補償できるかと考えないのか(財務省の一律配付への難色は無理もない)

公明党は何の為に政権与党に入っているのか。公明党は弱い立場や貧しい人に寄り添う政党ではないのか。なぜいつもばら撒きで選挙民の歓心を買うようなことばかりするのか。

 党内でも批判の安倍首相夫妻だが、ルイ16世夫妻と同じような運命を辿ることはないか。「時代のけじめ」をつける国策捜査には、禁じ手で検察人事に介入し、手を打った。アベノミクスの失敗も、「上手く行っていたのに新型コロナが木っ端微塵にしアベノモクズになった」と言い逃れする。疑惑が浮上したアベノマスクもアベノマズクには至らないのでは。

 

 新型コロナの発生については、実験室から漏出した「流出説」が根強い。私もそれに一票投じる。外国研究者のみならず、なにしろ身内の広州の華南理工大学生物科学と工程学院の肖波涛教授がそう論文発表したと中央日報が報じている。肖教授は「武漢ウイルス研究所よりも武漢疾病予防管理センターの実験室(新型コロナが検出された水産市場からわずか280)から流出した。新型コロナの天然宿主「キクガシラコウモリ」は武漢から900㎞離れた雲南省・浙江省等に棲息。水産市場でそんなコウモリは扱われていない」と言う。

立派な工業都市の武漢で自然発生するとは思えない。水産市場と聞けば、牡蠣に付着したノロウイルスならありうる話と思うが。

 ネット上の『新型コロナウイルス「生物兵器論」は本当なのか~専門家見解「人工で製造することは不可能」』を読んだ。疑惑の目を向けられる武漢ウイルス研究所の石正麗女史はいい加減な流出説を信ずる者達へとして「ご忠告申し上げる。お前たちの臭い口を閉じろ」と気高き研究者がお下劣な言葉を発する。「私と妻が関係していれば首相も議員も辞める」と言った安倍首相と同じく、こんな過剰反応を見れば、刑事なら容疑者をクロと直感する

米国ペンシルバニア大学医学部副研究員李懿澤氏は「新型コロナウイルスを実験施設で製造するのは不可能だ」と述べたとする。ノーベル賞仏学者は人工だと主張しているが。

 最終頁の文末に世界トップの大学MITの政治学部ヴィピン・ナラン教授が「いい生物兵器は致死率が高く感染力が低いものでなければなりません」と書いているのを見て呆れた。

それなら開発しなくてもエボラ出血熱ウイルスがある。致死率が高すぎて感染力が低いので、製薬会社は儲からないから?ワクチン開発に消極的だったとか。完成された生物兵器(広義)=狭義の生物兵器(高い致死率×強い感染力)+ワクチン、であるハズだ。こんな中国の反「流出説」プロパガンダのような記事を見ると私はより「流出説」に傾いてしまう。

 その「流出説」においても、生物兵器の開発ではなく、ウイルス研究上の事故とする見方が主流。だが、生物兵器の開発も完成まではウイルス研究と同じではないのか。北朝鮮の人工衛星とミサイルと同じく、生物兵器の開発とウイルス研究は、表裏一体だろう。

 中華思想の中国が、この地球を14億人の中国人だけのものにしようとはさすがに思わないだろう。が、他国をすべて大中華皇帝国の朝貢国にする野心はないとは言い切れない。

 だが、核兵器を頂点とする現兵器体制では米国を凌ぐ覇権国になるのは難しい。「疑わしくは罰せず」だが、注視、監視を強化していく必要はあろう。その意味で、今般の新型コロナを「武漢ウイルス」と呼んでしかるべきだ(言い淀んだ櫻井よしこ女史はらしくない)。中国が感染拡大国を支援するのはよいことだが、“救世主”気取りだけは許さないが為にも。

たとえ中国政府が1918年に米国から感染が始まったとする「スペインかぜ」を「アメリカかぜ」に名称変更すべきと主張し出しても。

 

2020.6 NO.133 VS (1)

今回は新型コロナウイルス(以下「新型コロナ」)に纏わる我が家のちょっとした騒動を披露する。後半は世に少し毒を吐く。もっとも、新型コロナのような毒性も感染力もないが。

 2/20過ぎカラオケ会の幹事から思いがけないメールが着た。高校の同期生ら6(うち女子2)3ヶ月に一度程度でカラオケ&飲み会をしており、次回の3/19を延期したいと言ってきた。新型コロナを鑑みてと言っても、一番元気で長生きしそうな彼がなぜと訝った。聞けば、奥方に持病あり彼自身は無症状でもという愛妻を気遣った話だった。

4月以降の方が新型コロナが深刻化する公算が高い。とりあえず実施の方向で、当日電車の中ではマスクをと念押して3月頭に再案内することになった。「女子」と言ってもアラ古希の有閑マダム2名だが不参加なら中止すると決めた。ところが、再案内する前に2月末に女子からキャンセルの連絡があったので、決定通り中止にした。

 その頃忌々しいことが我が身に降りかかる。前立腺がんを放射線治療で退治すると免疫細胞が暇になったのか年々花粉症が酷くなり毎年2月に入るとマスクをしている。

マスクをしないで歩いているときは、女性が私に目をやると目を背けるか何も見なかった如く通り過ぎていく。マスクをすると、髪は真っ黒、白い顎鬚は隠れ顔は眼鏡越しの目しか見えず、服は長男のお下がりも着て若作り。女性は整えるべく髪に手をやる。私を異性と認識してくれる。アラフィフぐらいにしか見えないのだと細君ならぬ太君に嘯く。「ふん! 後ろ姿だったらね」と妻は言い返すが。

ところが、2/24の祝日短期留学のパリから戻り会社の借上げ社宅に住む長男に招かれて焼肉を馳走になりその後孫娘らと公園で遊んだ帰りの電車でのこと。つり革をもって立っていた。電車が止まる直前座っていた若者が立ち上がったので降りるのかと思ったら、私に座れと合図する。私はハァっと口が開いたまま(マスクで見えないが)フリーズしてしまった。傍にいた妻が「いいんですよ! 次の駅で降りますから」と助け舟を出した。

同期のカラオケ会を中止にするか思案しているときで、左右後ろキョロキョロして、「女はみんなマスクしている。男は半分程度か」と調べていた。空いている席がないか探していると勘違いされただけなのだ。妻は、降りて、ドアが閉まり、電車が離れていくのを確認するやいなや、クックッと笑って「ショックだったでしょ!?」とぬかしおった。今まで席を譲られたことは一度ない。よりよって愚妻の目の前で(善意の若者は何も悪くないが)

 

 人を嗤う者は人に嗤われる。今度は妻が失態をやらかし凹んだ。3月に入ると長男から妻にLINEが入った。「まさかカラオケなんか行っていないと思うけど」と。妻は、ポチ犬からナメクジに扱いを下げた私のことはこれっぽちも怖いと思わないが、長男のことは怖いと思っている。それでも、負い目を感じながらカラオケ店に行き、それで事件が起きた。

 私が利用するカラオケ店とは違う店で妻は一人カラオケを楽しんでいた。リュックを持ちトイレに行き、「感染でもしたらご長男様に何と言われるか分からない」とばかりに念入りに手を洗い、ドアノブも素手で触らず、これで一安心と思い部屋に戻った。5分ぐらい経ちスマホを見ようとしたらリュックがない。慌ててトイレに駆け込んだが、無くなっていた。店長が防犯カメラを確認すると一人の老婆がリュックを持って帰るのが映っていた。受付で携帯番号が書かれていたので、店長が電話をすると知らないとしらを切る。

それで警察に来てもらったが、妻は若い婦警に「紛失届、被害届、どっちにするの!? どうせ出てこないけど」とかまされた。妻は「そう言われても」と返事に窮したが、結局被害届を出すべく署に向かった。妻は「忙しい時に、すみません。すみません」と繰り返すので、その婦警に「アンタは被害者なんだから謝る必要はない」と宥められたという。

 スマホのLINEに長男の家の新住所、我妻が合鍵を持っている経緯が書かれているので、長男に連絡せざるを得ない。妻は、カラオケ店で盗難に遭ったこと、長男から母の日に貰ったブランド品の財布も一緒に盗まれたことを伏せ、合鍵含め盗難されたことを報告した。長男も数日前居酒屋で鍵を無くしたらしく、あまり突っ込んで聴かれずに済んだらしい。

 リュックは数日後パチンコ店から届け出があり、戻ってきたが、現金と妻の母の形見の 焼銭(荼毘で焦げた100円硬貨)とが無くなっていた。鍵・合鍵、スマホ、Suica、預金通帳、キャッシュカード、クレジットカード数枚、nanaco等のカード、保険証、大事な長男からの財布も戻ってきた(忘れぽっい私には考えられないが、カラオケに行くのにまるで金庫をリュックに入れて持ち歩いているかのよう)。財布以外皆切り替えた後なので、後の祭り。マッチ箱の家でも鍵が二重で取り替えるのに4万円以上もした。高い勉強代になった。

日頃観察力に優れ、確認を怠らない妻は、うっかり、度忘れ、横着の私に向かって、アニマル浜口さんが愛娘の京子さんに気合いだ! 気合いだ!と連呼するように、嫌いよ! 嫌いよ!とよく言っていた。その妻がこれを機に少し優しくなった。巷では「コロナ離婚」が囁かれるが、我が家は、「雨降って地固まる」とは言わないか、「災い転じて福となす」だ。

 

 私は最初の頃素人の浅知恵、思い込みで新型コロナをなめていた。第一に、インフルエンザと同じではないか(最近ではSARSやエイズウイルスに似ているとも言われる)。私は、馬鹿でも風邪をひくが、少なくとも30年ほど医師からインフルエンザと言われたことがない。第二に、若い頃からタバコを吸わない。タバコの煙の成分は肺に悪いし、タールは気管支の繊毛も塗り固めてしまう。喫煙者は新型コロナが気管支で留まらず肺により容易に落ちてしまう。第三に、持病がない。前立腺がんを治療して8年になる。妻娘が「頭がおかしい」と言うが、自覚症状はない。最後第四に、素人考えだが、感染しても無症状な人がいると言うのなら、日和見菌と同じではないか。免疫力の低下した人が問題になるのでは。だから病院でクラスター(感染者集団)が起きやすい。ニューヨークの感染爆発も病院の前で大行列したことを原因とする説もある。私は現在いたって健康。免疫力が落ちない様、十分な睡眠と栄養をとるのを心掛けたら、運動不足と相まって、少し太ってしまったが。

 

 ところが、志村けんさんが新型コロナで亡くなったときは大きなショックを受けた。数日前にテレビで元気な姿を拝見した矢先のことでもあり、なおさら驚いた。

訃報報道に「70歳」「高齢者」の文字が躍る。同じ昭和25年生まれ。学年は私が1年下になるが、私は高齢者なんだと気づかされた。

 岡江久美子さんの訃報も新型コロナの怖さ、不気味さをより一層感じさせた。38回の連射を体験した私からすれば放射線治療により免疫力が低下したとの見方には首を傾げるが。

TV『ホンマでっか!?TV』でお馴染みの生物学者池田清彦氏が、積極的にツイッター投稿し、「新型コロナウイルスの感染者が増えている都会に遊びに行くのは『自殺行為』、少ない地方を観光するのは『殺人行為』」「悪魔のような安倍政権」「安倍氏もネトウヨもアホだけど」といつになく過激発言を連発している。それほど怖いウイルスなのかと思わされる。

 ただ、東京五輪中止以降急に感染者数が増え、連日「本日の都内の新たな感染者は100数十人」と報道されていたが、仮に140人だとすると都民(14百万人)が感染する確率は10万人に1人に過ぎない。PCR検査件数が少ないのか、そもそも検査台数が少ないからなのか。それとも一部に言われるBCG接種が効いており日本は世界より感染しにくいのか。

 検査数が少ないと、陽性率(陽性者数/検査数)が高く(全国10%、東京都30%?) ても実際の陽性者数を把握できず、気づかないうちにオーバーシュート(爆発的急増)になる恐れがあるとの指摘もある。PCR検査体制の一層の拡充と抗体検査の実施が焦眉の急だ。

新型コロナの正体というか底が見えず「正しく恐れる」とは何か分からない。それまでは妻が看守の牢獄に繋がれるしかない。早々と止めた一人カラオケに続き、緊急事態宣言が出される前に、皆さんがよく我慢してガラガラの映画館に足を運ぶのも止めている。もちろん地方に観光に訪れ上述の池田先生に殺人者呼ばわりされることもあるわけない。

 

2020.5 NO.132   けん VS けん

 日本の「世間」には、「ゆるし」という包摂的側面と、「はずし」という排除的側面が存在し、犯罪者にたいしてはつねにこの二つの側面がかかわってきた。著者の佐藤直樹氏は『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』(PHP研究所)の中でそう説く。

 古来より洋の東西を問わず、人は、罪を犯した者を忌み嫌う。それで聖書にも孔子の書にも「罪を憎んで人を憎まず」と諭す。日本の「世間」における、ケガレとしての「はずし」(より深刻化すれば集団ヒステリーから新型コロナウイルス感染者も対象とされる恐れも)はそれに離反し、真摯な謝罪に対する「ゆるし」はそれに合致しよう。だが、その美徳とも言える、「世間」の「ゆるし」が変貌しているのか。それについて今回触れてみたい。

 2017年ものまねタレントの大御所の三男が覚醒剤で逮捕された。大御所は親として直に自宅前で会見し、涙ながらに「育て方を間違えたのか」と謝罪した。それで「世間」は大御所本人を「ゆるす」。欧米では、「息子は成人しているから」として同情されこそすれ親に非難の目を向けられることはない。日本では、大御所が同じことを言えば親子共々芸能界から追放される「はずし」に遭う。

 なぜ親が謝るのか。昔は「縁座」と言って身内が国家に反逆する大罪を犯せば問答無用で家族も罰せられた。その名残りなのか。今はそんな法律はないが、「執拗かつ陰湿な嫌がらせを受けることや、被害者およびその遺族や社会一般への謝罪を要求される」との社会的制裁を受けるとウイキペディアに書かれている。

 主従関係等連帯責任の「連座」は、ゾンビのごとく選挙に関して法律が復活している。議員が指示して秘書が選挙違反したのを発覚すればその責任を秘書ひとりに負い被せるのを許さないがために(3月河井案里参院議員の公設秘書らが公職選挙法違反容疑で逮捕されたが、秘書が有罪となれば、河井議員には連座制が適用され失職する)

  親の罪を子が謝罪する場合もある。某俳優の親で芸能事務所の代表が覚醒剤で逮捕されたが、俳優は事務所H.Pで謝罪コメントを載せただけで謝罪会見は実施していない。それでもネット上批判めいた声はあがっていない。俳優の人徳なのか、それとも子に対して縁座意識が低いということなのか。分からないが、それが続くならよい傾向と言えるだろう。

  

問題を起こしたのが本人だと様相が大きく変わる。お笑い人気タレントの徳井義実氏は脱税ではなく申告漏れ。逮捕されて被疑者になった訳でも、ましてや裁判で有罪になった訳でもない。視聴者が迷惑を被った訳でもなく謝罪会見はmustではなかったハズ。会見したのは真摯に謝罪し「世間」のこの「ゆるし」を得た方がと徳井氏サイドは考えたのでは。だが完全に裏目となり、謝罪会見にウソがあったなどと叩かれ、出演自粛に追い込まれた。

 「世間」は変わったのか。それとも「ネット世論」の裏に隠れてしまったということか。

ネット社会への移行期にある「ネット世論」では、(匿名で年齢も立場も不明で推測するしかないが)古きを知り周りからも信頼され町内の長老や村の長にあたる70歳以上の賢者は含まれていないのではないか。もともとネットを活用する人が少ない世代であり、私の高校の同級生もそうだが、使っても「君子危うきに近寄らず」と思い、ネット投稿する者は少ないのでは。言いたがりの私でさえ、競馬の掲示版なら12度あるが、(定期的掲載の本ブログ以外)時事問題での投稿は一度もない(Twitterもしない)

 不寛容、厳罰化が進む中で、徳井氏を擁護する人は、「隠れトランプ」化して、非難コメントに対して、(今田耕司さんのようには)表立って反論できず、せいぜい「dislike」ボタンを押すだけでは(多勢に無勢だが)。積極的に非難する人が意見を投稿するのだろう。

中には他人の成功が妬ましく複アカを使って憎悪を増幅させる人もいるのではないか。

かくして、謝罪会見は、「世間」にとって「ゆるし」の場であるが、国民世論の総意を反映したとは言えない「ネット世論」においては「はずし」の場となるのではないか。

 二代目“ゲス不倫”と批判を浴びた俳優東出昌大氏は3/17囲み取材で謝罪会見を行った。諸般の事情があるとはいえ妻との関係修復がない段階の謝罪会見ではと危惧したが、案の定女性芸能レポーターの餌食となった(4月に入ると夫の会見に失望した杏さんが離婚に踏み切ったとの報道が流れ始めた)。私自身は会見で次の点が気になった。第一声が仕事関係者への謝罪。ファンには謝罪していない。途中男性記者が水を向けても謝罪せず、結局会見の最後まで「ファン」という言葉すら東出氏の口からは発せられることはなかった。

妻への謝罪という意図は明確になったが、私生活の問題で「はずし」の場と化した謝罪会見で「ゆるし」を乞うつもりはないとの意地と見るのは、穿ち過ぎか。

女優沢尻エリカさんは保釈された時謝罪会見をしなかった。本人が拒んだとしているが、それだけに事務所としても謝罪会見を無理強いさせなかったのは正解か。「ゆるし」を得るよりも、弱い立場の人を叩き憂さを晴らす者らにその機会を与えるだけなのかもしれない。

 

徳井氏は、強要された謹慎ではなく自ら課した自粛を解除し昨10月から約4か月振りに復帰すると公表した際、前回に懲りて会見を行わず芸能記者とのインタビューの形をとり、その内容をヤフーニュース編集部が構成した記事(コメントが出来ない)として配信した。

それに対して、2/27週刊女性は『徳井義実、電撃復帰のウラで使った「アンチの声を封じる」革命的手法か』と題して、その手法を評価し、「徳井さんの活動再開に関しては、賛否両論の声があるのはたしかです。特に徳井さんに関しては、まだまだ批判的な声が多く聞こえます。しかし、あの変わり果てた姿の写真と本当に誠心誠意詫びている言葉で、同情票が集まり、批判票が少なくなっているのは間違いないでしょう」と言うスポーツ記者の意見を載せ配信した。その翌日今度は『チュートリアル・徳井義実の復帰に批判が相次ぐ理由』(2020.2.28配信、週刊朝日オンライン限定記事)が配信された。文末には「仕事を再開する徳井にいばらの道が待ち受けていることは間違いないだろう。」と結んでいる。

対照的な記事の後、3/8に和田アキ子さん、ほんこんさんが、「復帰するのは歓迎」としながらも、和田さんは徳井氏の苦心を無にする疑問を(4/4にも3/17謝罪会見の東出氏が舌先ビアスと不確かなことをわざわざ発言)、ほんこんさんはまるで犯罪者に対するような苦言を呈するとメディアは「しれ~っと」「公費横領やで」の二人の発言の一部を強調した(「芸能界の身内が不用意な発言をして後輩の足を引っ張る。愛のムチなら直接本人に言うべきでは」「世の中が芸人に甘いなら敢えてそうすべきだが厳しい時に外に向けほんこんがきついことを言えばほんこんは評価されるが徳井への批判は強まるだけでは」との疑問の声は聞こえて来ないのか。それなら、それが今のご時世というものだ)

すると、3/10『徳井義実、復帰の先に待ち受ける受難「河本準一の二の舞」か』と題して、他誌に先駆けて上記2/27に好意的に報じていた週刊女性が「多大な代償を支払うことになりそうだ。」と文を結び配信した。一転週刊朝日と同じ論調に変わってしまった。

私は、週刊朝日が流れを変えたとは言わないが、世の不寛容、ネット世論の本質に週刊朝日はどんな問題意識を持っているのかとの疑問を感じた。「あの週刊朝日が問題意識もないがごとく批判を煽るだけならゴシップ誌と変らない」と思ってしまった(「早期復帰に反対。だけど彼にも生活があるから」と言う批判サイドのネット民の方がよほど真っ当では)

週刊朝日はサンデー毎日と並んで私には敷居が高いと思っていた。現役の頃通勤の往復2時間の為に月曜は週刊ポスト、火曜は週刊現代、水曜はなし。木曜は週刊文春、金曜は週刊新潮を購読した(卒職した今は基本新潮のみ)。サンデー毎日、週刊朝日は購読しなかった。

週刊朝日を買い被りしていたということか。上記    2/28付け週刊朝日オンライン限定記事を読んだ時ばかりは、週刊新潮のコラム『変見自在』で産経OBの高山正之氏がしつこく何度も朝日新聞を叩く、その気持ちに寄り添った。

 不寛容、厳罰化が進む中で、大手メディアの役割は一体何なのか。戦前戦争へと軍部を焚きつけた大衆に新聞等は真実を伝えず煽りに煽り、日本は悲惨な日米開戦に突入して行った。大衆に迎合するのは、朝日に限らず大手メディアの宿痾なのか。

 

2020.4 臨時号NO.131  んせん VS  んせん(2)

私は以前から北野武氏を「愛人を持つ男の鏡」として見ていた。前述NO.44号に加え、201612月号NO.66(「ふりんVSふしん」)にて、糟糠の妻を大事にし別れた愛人からも一切悪口が聞こえてこないと北野氏を持ち上げていた。

 ところが、老いらくの愛人問題が浮上し二人三脚で映画を作ってきた事務所社長と袂を分かつと私は一変して北野氏を批判し始めた。20185月臨時号NO.93(「ゴーストライダーVSゴーストライター」)で北野氏は写楽と同じか?と揶揄した。糟糠の妻との離婚が報じられる前後には20197月臨時号(「テレビVSトレビ」)では TV界である種大きな権力を有する北野氏に対して「老いらくの北野武氏の番組は見ない」と断しだ。

私が一時期コンサルの真似事をしていた頃コンサル先の社長からある社員の事で「必要以上に好意的に肩入れするものだと思っていたら、ある時点を境に掌を返して冷淡になった」と指摘された(自分の価値観と合わないと感じたとき感情の振れ幅が他人より大きいのは欠点との認識はある。昨今の「世間」の不寛容さ、厳罰化を憂慮する立場なのだが)

 

安倍首相に対しては、愛人問題がある訳でも首相が私を騙した訳でもない。私が勝手にいい人だと勘違いしただけ。違う!と感じた時から一転批判を強めている。籠池泰典氏なら恨んでおかしくないが、個人的恨みなどあるハズもない。国民にとって不幸と思うだけ。

 北野氏との違いは、安倍首相に好感を覚えたのは本ブログを連載する前、第一次安倍政権が誕生する前後なので、本ブログには批判しか載っていない。もう一つの違いは、北野氏の能力は評価している。「殿、早く眼を覚まして!」と愛人(現妻)をパワハラで提訴した元運転手と同じく、老いらくによる俗物化で晩節を汚すのを残念に思っているだけ。

安倍首相には、京大教授藤井聡氏らが憲政史上最長となったお祝い代わりに安倍首相を「空虚な器」といまさら評したのを読むまでもなく、能力などハナから認めていない。

問題なのは、真に国益を考え、それが首相の為にもなるとする優れた人材を登用できる立場にありながら類が友を呼ぶ状態であること(同類では問題に気づかない。気づいたとしても諫めが出来ない)。モリ・カケ問題に懲りず「桜を見る会」の私物化疑惑も、長期政権の驕りからではなく、「公私の区別ができない」持って生まれた資質と類が友を呼ぶ問題でしかない。新型コロナウイルスへの対応のまずさも、無関係ではないだろう。

 

安倍首相を批判し始めたのは安保法制の強行採決のあと20162月号 NO.56(イツVS イツ」)から。その後、(今般自殺した近畿財務局職員の遺族による民事訴訟で再燃した)森友事件が表面化してからは、月1連載を破り、臨時号、増刊号も出して安倍首相、安倍政権を批判した。平成の終わりには、批判の集大成として20192月号NO.109(「たいざいVSたいがい」)平成における安倍首相の失政を5つの大罪に総括した。

 これに対し、知人らは「また安倍首相批判か。新鮮味がない」と思っているだろう。週刊新潮『変見自在』での高山正之氏の(朝日新聞叩きほどでないにしろ)マッカーサーに対する見下しはしつこい。元駐韓大使武藤正敏氏の韓国批判も耳にタコ。私はそれ以上なので「またか」と言われても仕方がない。公開日記みたいな本ブログを偶然にしろ安倍首相支持のネトウヨらの目に留まることがあれば、「パヨク」と嗤うだろう。何でもかんでも安倍首相の責任にしているとは思わないが、批判し続けているのは事実。過去本ブログで悪口三昧だったという清少納言に擬え自身を“徳少罵言”と自嘲したぐらいだから。それは甘受する。ただ、私は左翼ではないので、「パー(馬鹿)+無欲」の合成語と理解しておこう。

しかし、ネトウヨらに病気だと言われるのは癪だから、言われる前にこちらから20197月号NO.117(「おもろいVSおもろな」)で心臓病ならぬSHINZOU病と名乗った。

SHINZOU病は安倍首相が退陣するまで治らない。それまでは大きな発作が起きないよう定期的に安倍首相を批判してガス抜きするしかない。

 

賢者のトップはたえず自省し後進に早く道を譲ろうする。そうでないコンプレックスのあるトップは自身のことしか考えられず功を焦ってはドツボに嵌る。プーチン大統領が呆れたであろう北方領土問題における安倍首相の拙速な言動しかり。

さすがに安倍首相も懲りたと見え、レガシーに拘泥せず、桂太郎を抜き憲政史上最長の首相」を勲章として、東京五輪を花道にキングメーカーへの道を考えているのではないか。

五輪は国家間の紛争を排除するため都市が主催する。リオ閉会式における五輪旗の引き渡しのセレモニーは小池東京都知事の晴れ舞台であるが、マリオに扮した安倍首相がそれに水を差した。首相には、「後世に何と言われようと、私が『フクシマはアンダーコントロール』と大見えを切らなかったら東京が開催地に選ばれなかった」との想いもあるだろう。マラソン等が札幌開催になったことでAllJapan五輪の様相を呈してきたことでもあるし。

先般の内閣改造は閉店に向けての在庫一掃と揶揄された。開店休業と見られれば、政権はレームダック化する。セールスキャンペーンを装う必要がある。それが「憲法改正」と「拉致問題」。自衛隊は国民が認めており国民は改憲には消極的。安倍首相も分かっている。

自衛隊員及び家族が肩身の狭い思いをとの理由で国民投票まで行く訳がない。自衛隊員にとって肩身が狭く不面目と思うのは、過去“紛争地”での海外邦人救出の為の救援機により救出される他国民から「なぜ日本は自衛隊が救出に来ないのか」と言われた時だろう。

安倍首相は北朝鮮の金正恩委員長に無条件の会談を呼びかけていた。“無条件゛に引っかかっていたが、先月「昨年の5月に新“日朝平壌宣言”の提言を政府が打診したが北朝鮮からは梨の礫」との報道があり、納得した。トランプ大統領にはポチ犬のように振る舞い金委員長には高圧的に非難するだけだった安倍首相に金委員長が応じるハズもなかろうに。セールスキャンペーンは実質「憲法改正」だけなのであろう。

 しかし、それどころではなくなった。新型コロナウイルスへの対応が批判され、五輪間際中止なら安倍政権は即倒壊も(延期を模索か)。また「桜を見る会」の公権力の私物化問題に加え検察官の定年延長問題も浮上した。安倍政権の最後の大罪?中国習近平国家主席の“国賓”招聘決定に至って、安倍首相を庇ってきた亀井静香元議員にも見放された感がある。

命運尽きかけたと言える安倍政権における安倍首相と菅官房長官の関係はファンタジー小説『十二国記』シリーズ(累計1,200万部を誇る国民的人気小説)での王と麒麟の関係に似ていると思えてきた。

麒麟が王を選ぶ。麒麟は天命に反しない限り王に服従する。麒麟は王になれない。王は不死となるが、王の政治が乱れると麒麟が病の床につく。麒麟が逝くと王も終わる。

かの政治評論家田崎史郎氏が「安倍首相が年内に退陣する」との年初の見通し発言には驚いたが今なら驚かない(ただ五輪が1年延期なら来年9月の総裁任期まで粘るかも)

 

消費税増税、新型コロナウイルスに対する経済活動の自粛、インバウンドの大巾減少により令和不況の様相を帯びてきた。元号の代り端大不況が来る歴史が繰り返されるのか。

昭和4年に昭和恐慌が起り、平成2年バブルが崩壊した(元年末4万円近くの株価が10月に2万円を割る。その時私は証券部長に就任し、人生で最も真剣かつ苦闘した。その時のストレスによる免疫力の低下が目に見えない前立腺がん細胞を見逃したと思っている)

安倍政権も、政敵ではなく、見えない敵に倒されようとしている。安倍政権の命綱である株価と支持率が急落している。政界も小説上の十二国と同じく摩訶不思議な世界で自民党総裁連続4期も絶対なしとは言えないが、可能性は限りなくゼロに近づいた。

総裁4選になれば任期は20249月まで延びる。そこまで本ブログを継続し批判し続けられる自信は私にはないが、もういつでも止められそうだ。ただ、無駄に酸素を吸い二酸化炭素と毒気を吐いているだけに終わってしまう。もっとも世の中は何も困らないが。