2020.9 NO.138 げいのうかい VS ていのうかい
テレビっ子を自認してきたが、国民の義務として三蜜は避けるものの感染拡大に対する楽観論的学説に近い私は、連日の新型コロナ報道に倦厭し、朝の情報番組は観なくなった。テレ朝の玉川徹氏が奇論等を発すればネット上にあがるのでそれを読めば済む。
パソコンでYAHOO!を観てると、芸能人の発言が目につく。毎日観ていると、疑問が浮かんできた。なぜ芸能人は同業の芸能人の不祥事に批判の声をあげるのか。銀行員が顧客から他の銀行マンの不祥事を聞かれたら、「同業の者としてお詫びします」と言っても「あそこは銀行自体がおかしいんですよ」とかは言わない。近所の住民が、内心少し変と思っていた事があっても、マイク向けられたら、「いい人でしたよ。ちゃんと挨拶もしてくれるし。まさかあんなことを・・・」と言うのが普通だろう。
お笑いイケメンタレントの渡部建さんの私生活上の不祥事について、普段親しくもない芸能人が批判コメントをなぜネット上に載せるのか(お笑いのカズレーサーさんは7/18に急死した三浦春馬さんの訃報に対して「生前に接点がなかった。推測でお人柄や内面を、あまりしゃべるべきじゃないと思う」と亡くなった人への気遣いをみせているが)。芸能界は生存競争が厳しい世界で足の引っ張り合いなのか。他の芸能人の不祥事は自身がアピールできる絶好の機会なのか。
大御所なら誰もが悪いと思うことなど沈黙しておけばよいのに。メディアから“関西の女帝”と呼ばれる上沼恵美子さんは、転ばぬ先の杖ならともかく、転んだ渡部さんをわざわざ自身で批判し、さらに7/10自身がMCの関西テレビ『快傑えみちゃんねる』にて、触れたくない、言及したくないと思うココリコの遠藤章造さんや南海キャンディーズのしずちゃんに、テレビ復帰は「無理ちゃいますか」と言わせるように仕向けたという(同番組別騒動に起因してか7/24突然25年の長寿番組の幕を下ろした)。
私の「女帝」のイメージは、自身の利害得失で、気分次第で、独断専行の末国を傾城させるというもの。上沼さんには「ご意見番」として、だれもが気づいていない、あるいは間違っていると思われることを指摘し、警鐘を鳴らす役割を担って欲しい。
今芸能界に真のご意見番がいないのでは。いるなら、指原莉乃さんが藤本敏史(フジモン)さんと木下優樹菜さん元夫妻のことに対して「誰か本当に憧れてたのかな」と発言したことに対して、「何を小娘が先輩達に対して失礼なこと言うてんねん!?」と怒りのコメントがあってもおかしくない。優樹菜さんへのバッシングが強い中ではパワハラとしか理解されないとしても。
日曜フジテレビ『ワイドナショー』、最近観ていなかったが、7/12チャンネルを合わせると指原さんが出ており、それならばと観ていた。ところがやや唐突に上記発言をして驚かされた。その夕方東スポWEBが『指原莉乃のフジモン&木下優樹菜元夫妻斬り「誰か本当に憧れてたのかな」に称賛の声』と若きバラエティーの女王を持ち上げた。それを読んで私は視聴者は皆「低能かい!?」と悪態をついた。だが、投稿コメントを見ると、賞賛の声だけではなく、批判コメントもあり、安心した。
「指原さんはいつも弱ってる人や叩きやすい人にしか強い事言わない(言えない)のにご意見番気取りなのが世渡り上手感が滲み出ていて好きになれません」「単に事後の完成した世論の空気を読んで自分に火の粉が飛んでこないように慎重に保守的にコメントしてるだけ。鋭くもなんともない。」等のコメントに対して、指原さんは、言葉足らずだとはぐらかすのではなく、真摯に向き合うべきだろう。
優樹菜さんが池に落ち助けようと飛び込んだ元夫フジモンも一緒に溺れかかっているときに、浮き輪を投げずにひどい言葉を投げつけたのと同じではないか。「芸能界は怖い。持ち上げられて、自分が見えなくなる恐ろしさ・・・」と言ってるその口で。好意的に見れば、思い上がりではなく、心の中に不安を抱えて混乱しているということなのかもしれない。
いかにせよ、弱っている者を叩き自らを浮上させることをすれば我が身に跳ね返ってくる。
かつて辻元清美議員は鈴木宗男議員に対して「疑惑の総合商社!」と滅多切りした。すると、自らの秘書給与詐取疑惑が発覚し、議員辞職に追い込まれた。「国会論戦では熱くなったり、言い過ぎたりということも経験し、それが自分にはねかえってくることもみんな理解している」と辻元議員も反省しているという。これ程ではないが、私自身も思い至らされたことが過去にあった。
私は、社会への影響力はなく自己満足にすぎないが、皆が安倍首相を持ち上げているときに、「それは間違いだ」と安倍首相を批判し続けた。今はほとんどの人が気づいた。もう私のこの役目(誰からも求められてはいないが)は終わったと思っている。傲慢な権力者の姿はなく弱り切った安倍首相自身を「具体例を挙げて」批判することはもうないだろう。今の私の関心事は、真の保守政権が誕生し、小泉政権、安倍政権の政治路線から脱却して、日本のあるべき姿に戻してくれるかということだ。
ワイドナショーの2日後の7/14指原さんの大分等への2,000万円寄付が報道された。それ自体賞賛すべきであり、しかも「指原、動きます」と自身の口から言わなかったのはさらに好感を覚える。失言を打ち消す効果は大いにあった。だが、浮き沈みの激しい芸能界で成功している故に昂じる不安が時として本人の自覚する性根の悪さを暴れさせる?のは解消された訳ではないだろう。「性根は腐っている」と公言できる指原さんに親近感を持つ私は、それだけに古諺「人を呪えば穴二つ」を肝に銘じてほしいと思う。それでないといつか後輩から「さっしーなんかに憧れたことなど一度もない!」と言われる日が来るかもしれない。
芸能人が、ピンチの同業者を叩くのではなく、政権・権力者批判することは悪いことではない。本ブログの前号にて検察庁法改正案への抗議を契機にようやく政治発言をし出した芸能人を私は“タレサヨ”と呼んで歓迎した。タレサヨはタレント左翼の略だが、一部日本共産党に近い人もいようが基本左翼思想とは関係がない。権力者の横暴にNO!と声をあげるだけ。それでもタレサヨに対して何らかの攻撃があるとみていた。攻撃手段には、世良公則さんに脅迫状を送る直球の場合もあれば、いやらしい変化球で来る場合もある。
その変化球が7/8デイリー新潮から投げられた。『「#検察庁法改正案に抗議」した芸能人たちは香港問題にどうコメントしたか』と題して。私自身は、安倍政権が保守でないと批判しているだけで、保守だと思っている。よって毎週週刊新潮を愛読している。誌面ではこれまでWEB版の今回の記事みたいに胸くそ悪い思いをしたことはなかったのだが。
デイリー新潮の記者は、きゃりーぱみゅぱみゅ(を筆頭に)、小泉今日子、浅野忠信、宮本亜門、城田優、麻木久仁子、井浦新、秋元才加等々と名前を列挙し、政治的発言は問題がないとしつつも、香港問題に発言しているか否かで振り分け、次のように文を結んでいる。
『もちろん検察に関心があるからといって、香港にも関心を持つ必要があるわけではない。「あの問題について触れた以上、この問題についても触れよ」というのは押しつけもいいところであって、それこそ言論の自由の原則に反する。しかし、香港には日本の芸能人を愛してくれる人も多くいるという。きゃりーぱみゅぱみゅは、かつて香港公演もしたほどだから縁も深いだろう。彼らを励ましてあげると喜ばれるかもしれないのだが……』
これは明らかに、きゃりーぱみゅぱみゅさんを狙い打ちにしている。同じく香港問題にコメントしていない浅野忠信さん、宮本亜門さんなどは、芸能界で確固たる居場所を確立している。揺さぶっても動じない。歌手本人も若く、若者に大きな影響力を持つきゃりーぱみゅぱみゅさんに「香港問題に言及しないなら日本の政治にも口出しするな」と言わんばかりにプレッシャーをかけているとしか思えない。
きゃりーぱみゅぱみゅさんは、「釘を刺しておきましたよ」とネトウヨ向けに書かれた記事だと思えばよい。気にせず、背伸びもせず、自然体で自身がオカシイ?と思うことがあるときに発信すればよい。「出る杭は打たれる」は世の常。より活躍して米歌手テイラー・スイフトさんのようになってもらいたい。スイフトさんには誰も文句を言わない。平気で暴言を吐くあのトランプ大統領でさえ「前より25%好きじゃなくなった」としか言えない。
テレビ出禁状態の宮迫博之さんが“嫁迫”さんの功もありYOU TUBE登録者が100万人を超え、若手人気芸人らが「もっと自由におもろいことを」とYOU TUBEに進出する。テレビマンは指をくわえているだけなのか。
芸能人からテレビマンに矛先を転じ批判し出す私はクレーマーかと少し自己嫌悪に。本日古希を迎えたというのに。次号(8/20掲載)は誰も批判しない内容を掲載したい。