2020.4 臨時号 NO.131  んせん VS  んせん(1)

 今年の8月で古希(70)を迎える。本ブログのタイトルも「アラ古希の戯言録」と改題すべきだが、煮詰まってきた、のではなく、行き詰ってきた。本ブログ50号までを非売本にまとめたが、たまに読み返すと、文章力が元々ないのだが、書き進めた今の方が下がっていると感じる。卒職して緊張感がなくなったのか、それとも加齢による劣化なのか。いつまで続けられるか分からない。さらに、仏教では聖者のことをアラカン(阿羅漢)と呼ぶ。聖者なら戯言を吐かないと思うが、気に入っているので、アラ還のまま続けさせてもらう。

 20108月還暦を迎え、前後して前立腺がんに罹患していることが表面化したこともありブログエッセイを連載することを思い立ち原稿を書き始めた。3.11の東日本大震災の日も家に戻ることができず業界団体の事務局で夜を明かしブログ原稿を書いていた。10か月号分の原稿が書き溜めできたので、20117月から月1(現在20日毎)で連載を開始した。

それから9年。変遷と言えるほどでなくとも、人生での変化が生まれるには十分長い。

 私は、20122月長男の結婚式の翌日から前立腺がんの治療に入った。放射線治療して8年になったが再発の兆候はない。末っ子の長女も結婚した。30歳過ぎても幼い子供が子供を産んでと案じたが、ままごとからママごとへカマボコになった(板についてきた)。妻も2018年に退職した。世の祖父母と同じく「孫は来て嬉しい。帰ってうれしい」を実感する。

美食への執着も薄れ、グルメ雑誌月刊『大人の週末』を購読し未訪先を探訪することもいつの間にか止めてしまった。目的のない散歩もおっくうになり、生命力の衰えを感じる。

安倍首相と並んで黒田日銀総裁のことを思う時だけ熱くなる。蝋燭の火が燃え尽きる寸前一瞬輝きを増すがごとく。

 私が平成210月から2年間銀行の証券部長の折証券不況から公定歩合の引き下げ要請が金融証券界で叫ばれていたが、当時の日銀総裁故三重野康は、年金生活者の為にと言って、頑として下げようとしなかった(平成28月公定歩合6%が5.5%に下がったのは11か月後の平成37)。今は大手都銀に100万円を一年定期で預けても税引き100円にも満たない。老後2千万円が不足すると言われる中、黒田日銀総裁の発言には、年金のねの字も出ない。日銀のマイナス金利は、経済の好転に寄与せず、モラルのある銀行は瀕死の状態になり、モラルのないカンポ生命・日本郵便は不正販売に走る。

黒田日銀総裁は現筑駒→東大法学部→大蔵省と絵に描いて賢いハズ。あたかも日銀の独立性を放棄し、安倍首相に従属し続けたと思われるのは、何とも理解に苦しむ。

空の彼方から三重野はほっとしていることだろう。もう戦後最低の日銀総裁と歴史に断罪されることはないだろうとして。

 

 反権力(いい歳してそう粋がっているにすぎないが)の私は、本ブログで政治家や芸能人らを公人及びそれに準ずる者として批判してきた。

不倫という観点からも言及あるいは批判させていただいた人たちの人生においてもこの9年の間で大きな変化があった。その人たちに対する私の評価も変ってきている。

 20163月号NO.57(「イケメンVSイクメン」)で議員の育児休暇(私は批判した)を主張する宮崎謙介議員と妻の金子恵美議員夫妻を取り上げた。妻の出産中に不倫してゲス不倫と叩かれ宮崎議員は辞職した(育休を口にした環境大臣も不倫スキャンダルにまみれた。“政界あるある”に挙げられるか)。妻の金子議員は長く議員を続け意地で離婚はしないと見ていたが、先の選挙で落選してしまった。その後夫妻でテレビのバラエティ番組に肩肘張ることもなく等身大で出演している。『踊る!さんま御殿!!』で金子氏が夫に惚れていると見受けた。夫の宮崎氏は、他の不倫男性がひどいのか議員辞職は潔かったと見直されている。

夫妻は今批判される側から批評する側に立場が変わっている。影響力はこれからだろうが、なんにしろ子供の為にも頑張って欲しいと思う。

この夫妻よりずっと問題があると思えるのは、不倫(本人は否定)で民進党ダッチロールの契機を作ったが自責の念が訝しい山尾志桜里議員と北方領土戦争発言の丸山穂高議員の方ではないか。この両東大卒の議員のほかに201811月臨時号NO.105(「おんなVSおるな(1)(2))に載せた、片山さつき前大臣らも考え併せれば、短絡的な私は(ねじれた性格の自分のことを棚に上げ)つい人間性に?がつく東大卒の者が(組織から弾かれ、あるいは自ら出て)国会議員になるのかと思ってしまう。

私は非営利法人に勤務していた頃東大卒の官僚や学者に接する機会があった。皆深く考え、バランスもいい。自負心の裏返しで責任感も強い。奇をてらうこともない。

新しい物を生み出すことはともかく既存秩序を守る意味では(真っ当な)東大卒は適任。とくに政治家と官僚の関係が崩れている現在においては、齋藤健元農水大臣のような東大卒の官僚出身の議員が首相になるのがよいと思っている。

ただ真っ当なら目立たない。マスコミも追っかけない。首相が所属する細田派以外の東大卒の真っ当な議員は安倍政権では友達関係以外積極的に登用されないか?

登用されるときは思惑があるときか。岸田派林芳正元文科大臣(地元選挙区の政敵に加計学園問題の尻拭いをさせる)しかり。石破派齋藤健元農水大臣(総裁選の宿敵石破茂議員への牽制)しかり。石破派山下貴司元法務大臣(問題の多い改正入管難民法への強行採決)しかり。

 

 不倫に関して、未経験の私が講釈師のごとく20152月号NO.44(「はらたつきりVSはらたつのり」)で「ケチるなら乗るな! 乗ったらケチるな!」と書いた。元総理の二の舞にならぬようにと。しかし、その後ケチって評判を落とす芸能人が相次いだ。

 アパホテルでポイントを貯めた俳優、車中で事をなした俳優。視聴者からケチぶりを嗤われたが、俳優生命の危機にはつながらなかった。だが、大物芸能人となるとその代償は小さくない。落語家の大御所は念願の人間国宝が絶望的になったろう。

 愛人がたとえどんな美人であってもそれだけでは収穫逓減の法則から逃れられない、飽きは来る。愛していても離れるべき事情が発生したりもする。それで捨てて何が起こるか。路頭に迷っても、イヌ・ネコは反撃しないが、愛人は窮鼠に変わる。

 サラリーマンは生涯で得る2億円(平均年収5百万円×40)程度の報酬の大部分を家族を養う為に費やする。囲った愛人と別れるならその半分1億円は手切金として払うべきだ。それを惜しむなら素人に手を出す資格はない。自称3百年に一度の役者梅沢富美男氏のように玄人と遊べはよい。梅沢氏は浮気をネタにするも茶の間の主婦も笑って済ませている。

 

約四半世紀前石田純一さんが「不倫は文化」と言ったとされて大炎上したが、雨後春筍のごとく不倫報道が続くなら、今やそう呼んでもおかしくないのでは。悪文化だけれど。

文化と縁のない動物のメスはよりよい仔を求めて不倫する。だが、閉経後も不倫するのは人間の女だけ。最近独身ながらアラフィフ2女性の不倫が話題となった。不倫を認めた女優は同性芸能人や主婦らに叩かれ、一時ノックアウト寸前に。女性官僚の方は実に堂々としたもの。限りなく黒くても疑惑の段階。官房長官は「公私分けている」と庇うが、公務での続き部屋で、上半身が「公」で下半身が「私」と分けている問題だと思うのだが。

不倫はしなかったのではなく、出来なかっただけの私は、不倫はダメとか言える立場にない。それでも「父親の不倫に嫌悪した女優杏さんと結婚したのなら夫東出昌大氏の不倫はただの背信行為では済まされない」と私もそう思う。しかし、嫌いだ、懺悔すべきと言うのは「言論の自由」の範疇だろう。が、テレビ局やスポンサーまでに抗議や圧力をかけるなら、それは行き過ぎ。赤の他人に東出氏の職業人として生きる権利まで奪う権利はない。激高する主婦ら側も、いわば「公私を分けて」考えて言動する必要はあるのだろう。

 

2020.4 NO.130 にと VS  にと

 「二兎追うもの一兎も得ず」という諺がある。「虻蜂取らず」とも言う。恋愛の場合は「二股をかける」と言う方が多いか。二股は両方失うと相場が決まっていよう。

TVに引っ張りだこの長嶋一茂(『二人の武蔵』の作者故五味康祐が「一であれ三であれ数だから石田三成はカズシゲと読むべき」と主張していたと東大本郷和人教授が近著で紹介)さんは、独身の時、自室マンションで彼女2人が鉢合わせとなり、一人の彼女が包丁を持ち出し、「どっちか選んでよ!」と言ってフローリングに突き刺したという。一茂さんは土下座したが、その彼女?に頭を思いきりかかと落としされたと話していた(既婚男性の不倫発覚は、ヘタすると、妻と愛人の両方だけではなく仕事も失いかねない)

 これに対して、良い意味で同時に二つのことを成し遂げることを二刀流と呼ぶことが多い。本来、二刀流は剣豪宮本武蔵で有名な二刀剣法のことを言う。二刀流の剣士は少ない。1㎏もする真剣を片手で自由に操ることは難しい。

 スポーツ界においても二刀流は珍しい。「天は二物を与えず」(天も気まぐれなのか、東大医学部在籍中に2019年度ミス日本グランプリに輝いた度會亜衣子さんがいる)と言うが、2つとも超一流の才能と技術を発揮できるアスリートは少ない。

 スキー競技ノルディック複合は、ジャンプとクロスカントリーの両方で競う。日本ではジャンプが花形だが、船木和喜選手、葛西紀明選手、女子の高梨沙羅選手など北海道組が強い。ジャンプ単独では分が悪い本州の群馬(草津)の荻原健司選手、荻原次晴選手、現役の長野(白馬村)の渡部暁斗選手などはノルディック複合で活躍している。私が意味する二刀流と呼べないかもしれないが、王者として君臨した荻原健司氏はKing of Skiと称され、とくに北欧で尊敬を集めている。同じように陸上の10種競技も各々の種目単独では超一流とは言えないが、10種を2日間でやり切るのは心技体が整った、いわゆる超人でないとできない。勝者はKing of Athleteと賞賛されている。

 世界のトップアスリートが一堂に会するオリンピックの舞台で見事に二刀流を実現したのが、チェコのエステル・レデツカ選手。2018年の平昌五輪でスノーボード女子パラレル大回転とアルペンスキー女子スーパー大回転の2種目同時金メダルの快挙を達成した。

 レデツカ選手は、家族や周りに反対され、歴史も層も違うアルペンスキーの選手達からの冷ややかな目線にも耐え、二刀流をやり続け、大舞台で夢を実現させた。

昨年10月の世界陸上でオランダのシファン・ハッサン女子選手が、前代未聞となる体力的にきつい中距離1,500mと精神的に難しい長距離10,000mとの両方を制した。東京五輪でこの二冠を達成すればレデツカ選手に匹敵する偉業となろう。

 

日本においても、メジャーリークで大谷翔平選手がベーブルース以来の二刀流を実現したことにより二刀流が注目されている。冬季五輪スノーボード連続銀メダルの平野歩夢選手は夏季五輪スケートボードとの二刀流に挑み、何と昨年5月の日本選手権を制している。

ただ、二刀流は至難。よって、チャレンジすることすら「二足の草鞋(わらじ)を履く」のかと非難されやすい。『家政婦のミタ』で人気子役となった女優本田望結さんは、女優業とフギュアスケートの両立を公言しているが、それに対して、周りからフギュアでの期待がそれほど高くないからか揶揄されることもない。3歳年上の姉本田真凛選手は2016年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝した若手ホープ。芸能事務所に所属しているとはいえ本人はタレントの両立など言及していないのに、成績が振るわないととやかく言われがちになる。ライバルの紀平梨花選手がストイックなまでに自己管理しスケート漬けの毎日を送りあっという間に世界のトップスケーターになったことで、なおさらに。ただ、最近は学業(大学)との両立で真凛選手はメディアからやや好意的に報じられつつあるようだ。

競馬界においても、一昨年末二刀流が話題となった。大種牡馬サンデーサイレンスの後継馬として日本競馬界の至宝ディープインパクトの次に位置するステイゴールドの仔で障害レースで数々の記録を塗り替えたオジュウチョウサンに関してのことだ。

 日本競馬は芝レースが主流。そこで結果が出なければ、もう一つの平地レース・ダートレースに戦いの場所を替える。そこでもダメなら障害レースに転向することになる。陸上競技と違い障害レースが好きでない私は(偏見なのか)サラブレッドの墓場と思ってしまう。

 オジュウチョウサンは、流れ流れて障害レースに出た訳ではない。芝で2戦して1年休養した後若くして障害レースに移った。最初は結果が出なかったが、その後JRA障害G1競走最多勝利数(6) JRA障害重賞勝利数(11)等数多くのタイトルを得ている。

障害レース王としての地位を確立したオジュウチョウサンが人気の武豊騎手の手綱で平地()レースの最高峰の一つ有馬記念に一昨年末挑戦することになった。

賛否別れても、決まってしまえば、判官贔屓の競馬ファンは地方競馬出身ながら引退レースで同じ武豊騎手を背に予想を覆してオグリキャップが1990年の有馬記念を勝っ切った時のあの感動をもう一度と夢を見ない訳にはいかない。結果は9着で、二足の草鞋ならぬ蹄鉄の夢は叶ったとは言えないが。

スポーツ以外でも、元貴乃花親方の長男の靴職人とタレントとの二足の靴や立川志らくさんの落語の師匠と朝帯情報番組のMCとの二足の草履に、訝る声は少なくないか。

お笑い『ピース』の又吉直樹氏は、大ファンの太宰修が芥川龍之介の熱烈なファンで熱望するもついに受賞できなかったその芥川賞を小説『火花』で2015年に受賞した。作家とお笑い芸人の二足の草鞋かと思われたが、相方がニューヨーカーになった(渡米の真意は?) こともあり20173月よりコンビ活動は休止状態になってしまった。

 

 私自身、二刀流と言えるほどのものではないが、二足の草鞋を履き損ねたことが2度ある。1度目は、銀行員時代の昭和55年企画室調査担当と組合半専従の二足の草鞋。身は一つ。給料も変らない。私自身は0.5+0.51.0でよいだろうと軽く考えていた。しかし、各々の組織は私に1人前以上の仕事を期待する。次第に双方から不満の声が届くようになり、翌年私は組合専従に専念した。かのベーブルースも二刀流なのに報酬に加味されることがなかったため、投手を止め打者(野手)に専念したという。ちなみに、(昨季は手術明けで打者に専念の)大谷選手は、メジャー1年目は二刀流で、0.8(打者)+0.7(投手)1.5であったと評価できるだろう。二刀流としては申し分のない成績で、新人王にも選ばれた。

 2度目は、平成17年今で言う公益社団法人(以下公益社団)10年以上在籍しながら、一般社団法人(業界団体)にも所属する二足の草鞋。業界団体の事務局を公益社団の所に移して事務局長を兼務した。異業種交流の会を社団法人化した公益社団と業界団体とではルーチンワークの多寡が違う。公益社団を疎かにしているわけではないが、業界団体の日常業務に追われるのを公益社団のトップが見て気分がよい訳はないだろう。ギクシャクしだし、私自身も10年を経て煮詰まってきていたので潮時と考え、業界団体に専念することにした。

平成18年末公益社団を辞め業界団体の事務局とともに公益社団から退所した(袂を分かつことになったが、「トップの指導のお蔭で他の団体から招かれる、内容はともかくブログエッセイを連載できるほどに成長できた」との感謝の念は今も持ち続けている)

 二刀流は、高IQの人だけが参加できるクラブMensa(各国人口の上位2%の高いIQを有する者)のような明確な基準がないが、言わずもがな、ずば抜けた才能の持ち主だけの特権なのだ。

 

2020.3 NO.129 んげき VS んげき(2)

「検察の正義」に疑問を感じ検察を辞め、弁護人でもないのに今回の捜査を当初より厳しく検察を批判していた郷原信郎弁護士と検察の闘いでもある。検察批判を繰り返す郷原氏を大手メディアは取り上げない?ので我々素人の間ではそんなに知られた存在ではなかったか。失礼ながら今回のゴーン氏への単独インタビューなどで全国区になったろう。

一方、郷原弁護士の敵方として検察の意向を酌みTV等で代弁のような発言をするT弁護士は、未だ現職の検事のごとく高圧的、独善的な物言いにてなおも国家権力を笠に着ているように見える。庶民から反感を買うだけでは。それは検察にとって得策ではない。

 私がいた銀行でも銀行の役員が関係会社に転籍しても変わらず先輩風を吹かし銀行の後輩にあたる部長らに嫌われる。「バカだなぁ!?」とまともに相手にされなくなる者がいた。

郷原弁護士はゴーン氏の当初の弁護人大鶴基成元特捜部長も批判していた。そして当初の弁護人が「早く出たいなら罪を認めよ。認めて裁判で否認すればよい」と言ったとゴーン氏から郷原弁護士は聞いたとする。本当に大鶴弁護人がそう言ったとすれば、頭の切れる実業家ゴーン氏に対して舐めた発言だと思うが、それによりゴーン氏の不信感が募り解任されたとしても不思議ではない(ゴーン氏本人が直々指名したとは思えない。一体誰が弁護人として大鶴弁護士をゴーン氏に推薦したのか。さすがに検察の描くストーリーに入っていたとは思わないが)

 

 上記元検事の「早く出たいなら罪を認めよ。認めて裁判で否認すればよい」との発言は、それが本当なら、極めて重大だ。人質司法の一つの証左だけではなく、日本の冤罪の導火線となる恐れもあるのだ。無知あるいは無辜の庶民なら、弁護士と一緒に検事と対峙することが許されない中で、検事に言われるままに、供述調書にサインをしてしまいかねない。後の裁判で否認しても覆すことは極めて困難なのに。

 ゴーン氏が何度も口にする起訴後の「有罪率99%以上」も冤罪に繋がる面がある。「有罪率99%以上」は検事に相当のプレッシャーを与える。起訴後は一本道でしかない。被告人に有利な証拠が出て来たらその証拠はどうするのか。

 無実で否認していても一人孤立する中で長期に亘る苦痛からただただ逃れたいが為に、やってもいないことを想像して(検事が望む方向に)偽証自白してしまうことも起こりうる。

偽証自白しても裁判官が調書内容を熟読し供述の流れ・変化を吟味すれば分かるハズ。裁判官も「有罪率99%以上」に呪縛されるということなのか(もちろん冤罪・東電OL殺害事件で「検察の面子、裁判官の出世より不法滞在外国人の命の方が重い」という当たり前のことを当たり前にできる、裁判官の良心に恥じない木谷明元裁判長達もいる)

 

 検察は、国家権力の分身であり、軽々に批判されることがあってはならない。裁判所もそうだがそれは許されない立場にある。という意識は高いだろう。刑事司法界において弁護士等が改革を要望しても聞き入れられることは稀だろう。

しかし、日本は昔から外圧に弱い。しかも失点続きで国際世論に対し劣勢に立たされている。国外逃亡を許してしまい、その逃亡したゴーン氏に国際世論を味方につけて攻撃される。反論する日本の司法のトップ森まさこ法務大臣が「無罪を証明すべき」と言って痛恨のオウンゴールをしてしまった。「有罪推定」「有罪ありき」だと批判を受けた(後から何を弁明しても言い訳にもならない。法務大臣は弁護士出身なのだから)

 そんな中でいずれケリー氏裁判が始まろう。金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載~退任後に受け取る予定の報酬額が決まっていたにもかかわらず約91億円分を有報に記載しなかった)容疑での逮捕について、郷原弁護士は逮捕が必要なほどの明白で重大な犯罪でないことは明らかと主張。会社法が専門の東大田中亘教授も「まだ受け取っていない部分について受け取りが確定しているとは言い難く、虚偽記載の罪には問えないのではないか。会社法学者であればそう考えている人は少なくないと思う」と語ったと報じられた。素人の我々も、「強欲」=「裁判での有罪」とは必ずしもそうならないことを知る。

 検察側にとって、「ゴーン氏はゴーマン、ゴーヨクマン」と大手メディアを通じて世論形成し「ゴーン氏は極悪人」との国内世論を背景に裁判長にゴーン氏、ケリー氏の有罪判決を出してもらう」とのシナリオは大きく狂う。ケリー氏の裁判は雲行きが怪しくなった。

 ゴーン氏が煽り世界も注目する中で、裁判官が有罪判決をケリー氏に言い渡すのは困難ではないかと推測する。有罪判決なら「裁判所は検察にやはり従属している!?」「裁判官も会社法に疎い!?」と内外の批判の矛先が裁判所に向けられることになろう。逆に無罪判決ならゴーン氏も無罪となり、ゴーン氏はさらに勢いづき、検察は窮地に陥る。 

検察には悪いが、検察のピンチはいわゆる「刑事司法の民主化」の良いチャンスとも言える。橋下徹弁護士は2020121日付けメールマガジンで配信した『近代国家が絶対に守るべき原則、推定無罪と黙秘権』はネット民の間で高く評価されている。政治家としての発言は?もあるが弁護士としては適確だ。長年の弁護士活動で思うことが多々あったのではないか。まだ政治家に未練があるのかもしれないが、司法改革の先頭に立ってもらいたい。金岡繁裕弁護士は長年「取り調べ時の弁護人の立ち会い」を求めた活動をしているという。民主国家で立ち会いできないのは日本ぐらいと言う。橋下弁護士、郷原弁護士たちと連携してもらいたいものだ。

 ノーベル賞受賞者山中伸弥氏も、政権に思うところがあるだろう。有識者による「元号に関する懇談会」等客寄せパンダみたいに政権にいいように使われるのではなく、世のご意見番が不在の中、世の為、国民の為に、政権、司法に関しノーベル賞医学者として物申してほしい。同じ大学を卒業した、単に年上と言うだけの先輩からのお願いとして。

 

最期に、冒頭で述べたように今もなお私は日本人の美徳・価値観を守るのは検察しかないという思いは変わらない。ただ、「検察の正義」に対する疑問を世に発信続けた郷原弁護士の想いが心ある国民の間に浸透しつつあると言える。それを招いたのは、個性的な一特捜部長の問題だけではなく、捜査にゴーサインを出したであろう検事総長の問題でもある。

検察官全体で難関の司法試験に合格し検察官を志望した当時の志を思い起こし、「検察の正義」の再構築を図ってもらいたい。人事で官邸に検察が懐柔されると見られているが。

 

 

2020.3 NO.129  んげき VS  んげき(1)

 黒船が来襲し、260年に亘った「鎖国」が解かれた。第二次世界大戦に敗北し、神国日本の「不敗神話」が雲散霧消したが、GHQにより民主主義が根付かされた。戦後幾度となく米国の圧力により、規制緩和、構造改革などが進められてきた。

今国際世論を味方にするゴーン氏の逆襲により、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件でひび割れた「検察の正義」が瓦解することにつながるのか。

 話を進めるに際し私の立場を明確にしておきたい。ゴーン氏及び日産(自動車)に対しては、以前から快く思っていなかった。ゴーン氏の報酬がトヨタの全役員の合計より多いとの報道が出た頃から「日本の風土に馴染まない。日本の国策会社日産はいつまでゴーン氏に依存するのか。そんなに人材がいないならトヨタから人材を招聘したらどうか」と。ただ、ブログには書かなかった。戯言と称し好き勝手に載せてはいるが、自身で戯言過ぎると思うのは載せられない。それでも、三菱自動車の不正問題の折、201610月号NO.64(「ナチスVS マチス」)で「助っ人ゴーン社長率いる日産自動車に支援を仰ぎ、天下の三菱グループの元老院(金曜会)をしてこの体たらく。」と触れ、遠回しに日産を揶揄していた。

一方、検察に対しては、本ブログで幾度となく、日本が日本であることの日本人の美徳・価値観を守る最後の砦は検察だと期待を寄せている。

 

 ゴーン氏事件に対して、検察に「大義」があるとは思えない。日本を脱出し妻と感激の再会を果たしたゴーン氏はレバノンから日本政府が関与したク―データーだと反撃の狼煙をあげた。復讐心に燃えるゴーン氏は政府関係者の名前を公表しようとしたが、日本政府との友好関係を憂慮したレバノン政府に止められたようだ。それでも「安倍首相は関係ない」と言ったらしい。安倍首相も「日産の中で片づけてもらいたかった」と呟いたという。前から官邸関与が噂されていたことからすると絞るのは易いか。私の想像する人物であれば思想も国家感もあると思えない。故後藤田正晴ならこんなことは許さなかっただろう。

 日本の国策産業の日産は仏政府が出資する準国営企業ルノーの傘下に入った(なぜ? 取り込まれることになっても構わないと思うほど酷かったということか)。そんな瀕死状態にあった日産をルノーから来たゴーン氏が救い業績をV字回復させた。大きな痛みを伴ったとはいえ日産の救世主としての恩は黙殺するのではなく、功罪区別して評価すべきだろう。

ゴーン氏に辞めさせられず残っている役職員には、「生え抜きでは出来ない、生き残りの為の大ナタをゴーン氏に振ってもらった。その後の独裁を許したのは自分達ではないのか。最後は(都合の良い理由?) 国や検察に泣きつく。自分達だけでは何もできない。手を汚さない。」との自覚はあるのか。それは部外者の皮相的な見方と言えるのか。

神通力に翳りが見られる一方で独裁が強まったとしても、未上場のオーナー企業と訳が違う。会社を傾城させる程の私物化などできるものではない。取締役会で処理すべき問題だろう。任意の事情聴取もせずにいきなり逮捕しなければならない事案でもない。

日産は検察と謀議の上救済を引き受けてくれたルノーに恩を仇で返すがごとく事前連絡せず真珠湾攻撃のごとく奇襲しルノーを怒らせ戦争状態を演出しようとしたのか。だが、ルノーはしたたか。「ムッシュ、言う通りゴーンは悪い奴だね。だから排除したよ。これで経営統合への障害はなくなったよね。」と言われたか。それでお仕舞い。

無理を通した捜査は、業績悪化で責任を取らされそうな西川前社長ら一部の役員の保身目的のク―データーに、大きな捜査実績と新導入の司法取引のお披露目を狙った地検特捜部がそれに加担したという、口の悪い私に言わせれば、私欲まみれの話に成り下がる。日本の国益を守るための国策捜査の名に値しない。

 「無理が通れば道理は引っ込む」。それが出来たのは戦前の軍部。今回は無理が通れば「道理」でなく「信用」が引っ込んでしまった。日産は、ゴーン氏を追放できたが、ルノーとの関係は何ら変わらない。ク―データーの代償は、大幅な業績の悪化と株価の下落(ゴーン氏は、23年後日産はつぶれると予言する)。西川前社長らは株主代表訴訟の対象に?

検察は、ゴーン氏に逃亡され、得たものは「人質司法との国際世論からの非難」「会社法関連が弱いのではとの識者からの評判」「“他人を売る”日本版司法取引への国民の不信感」。

ゴーン氏を含めれば、三方一両損ならぬ三方大損だ。

心ある国民が検察に期待するのは、(適切な表現でないかもしれないが)いわば仏企業に身売りしたような一企業の権力の私物化ではなく、モリ・カケ問題、「桜を見る会」での公権力の私物化にメスを入れることだ。

自然界はどうか知らないが、政界は上の霧が晴れればおのずから下の霧も晴れる。

 

 ゴーン氏事件は、弁護士と検察との「正義」を巡る闘いと見ることもできる。大阪地検特捜部のねつ造を見抜いた弘中惇一郎弁護士が後任弁護人となり、「正義」のベルトを賭けた検察との世紀のリターマッチはゴーン被告人の国外逃亡により不成立となった。

それで終わったハズが特捜部は弘中弁護士事務所に殴り込みをかけるがごとく強制捜査に踏み切った。弘中弁護士はゴーン氏裁判で無罪を勝ち取る自信があったろうと思う。一転無罪請負人とのさらなる栄誉も得べかりし報酬もフィにした。そればかりかゴーン被告人逃亡の手助けをしたとの疑いもかけられてしまった。名が立つ弁護士にとってそんな自殺行為をするハズのない弘中弁護士は全否定している。ただ、元外務省佐藤優氏は「ゴーン氏救出の『チーム・ゴーン』に弘中弁護士が知らないうちに利用された可能性はあるのでは」と言う(弘中弁護士が刑事告訴の表明をし、それを受けて日産側が1229にゴーン被告人に対する監視を一旦解除したその日にゴーン被告人が国外逃亡に動き出した)

無罪を勝ち取るために心血を注いだ相手ゴーン被告人に後ろ足で砂をかけられたことに深く傷ついていると思う(ゴーン氏事件の直接の関係者である、ゴーン被告人、日産、検察、弘中弁護人の間で、誰ひとり勝者はいない。不毛な本事件の一番の痛手は投げたブーメランがまともに我が身に戻ってきた日産だろうが)

 

2020.2 臨時号 NO.128  ふっこ VS  ふっこ

 令和に元号が変って初めての正月を迎えた。明治の世は、大政奉還、王政復古より日本の近代化が進められた。令和の時代は、“往政復興”により、日本の良き時代における往年の政治を復活させ、劣化した日本経済社会の復興を成し遂げるべきではないか。

 人は道を間違えたと思ったとき、間違えたと思うその時点まで戻るだろう。それはいつか。21世紀が幕開けしたときに誕生した小泉政権の時代と見ることもできるのではないか。

バブルの後始末の失敗による経済の低迷を「失われた20年」と評するが、政治の面では「失われるべき20年」と呼ぶべきではないか。

 小泉首相発の新自由主義(ネオリベラリズム)の政治が、貧富の格差を拡大させ「格差社会」が「階級社会」へさらに深刻化させ、“天皇制社会主義”が揺らいでいる。天皇制社会主義とは、革命により誕生したソ連や中国のそれとは当然違う。革命が、賤の、貴に対する強烈な嫉妬心と野心から生まれるならば、そこに誕生するのは社会主義国家ではなく独裁国家。日本の唯一無二の天皇制社会主義とは、天皇の下に国民がみな平等であり、聖徳太子からの和の精神と、頻発する火山噴火、大地震、津波等の自然災害から助け合う心が醸成され、富めすぎる者も貧困にあえぐ人も作らない。身の貧しさよりも心の貧しさを恥じる。その日本人の美徳・価値観を表象したものだ。

 小泉政治を安倍政権も継承している。アベノミクスも輸出企業と富裕層に利しただけ。それも日銀に無茶苦茶な無駄遣いをさせて。

「ふるさと納税」という寄付もしかり。返礼品は何件寄付しても負担は2千円だけ。高額納税者は家の食材をすべてふるさと納税で賄うと豪語し、その一方で少額年金生活者や低所得者は1件の利用すらできない。他自治体への寄付で税収が減った当該自治体の住民サービスの低下によるデメリットはふるさと納税を利用できない低所得者がもろに被る。

 父親に情がないと言われた安倍首相はともかく、補佐する菅官房長官がふるさと納税の率先垂範の旗振りをしていると見られるのはどうしたことか。

 「続 昭和の怪物 七つの謎」(講談社現代新書)で、著者保阪正康氏は、貧しさから身を起こし首相に上り詰めた田中角栄について、毀誉褒貶に触れる中で「庶民の視線を忘れず、政治信条は庶民の生活を守ること」と評した。似た境遇の出?の菅官房長官が新元号・令和の発表の際の上気した顔見て、この人物の政治家を目指した志は何なのかと訝った。

 裁判員制度も小泉政権時代の遺産。司法制度改革推進本部が裁判員法を国会に提出し、2004年に成立。2009年より裁判員制度がスタート。私は、本ブログ20196月号NO.115(さいばんVSさいだん)等で抜本的な改革を忌避するために国民を巻き込んだまやかしと批判した。国民も制度への疑問、負担感が高まり、辞退する人が2/3に達する。

 一方検察には、警察から上がってきた事件を立件するだけではなく、日本の美徳・価値観を守る役割があると思う。捜査に利するため他人負罪型の日本版司法取引を導入して、日本人が恥じる“他人を売らせ”、日本人の美徳を損なわせるなら、本末転倒であろう。

 日本を統治するエスタブリッシュメントの一角を占める最高裁、検察の上層部に対して、「主権者たる国民を利用するような真似はすべきではない」と言えるのは、象徴天皇にその発言が許されないなら、三権分立とはいえ、一国の首相しかいない。しかし、モリ・カケ問題に続き「桜を見る会」で私物化が疑われる安倍首相にそんなこと言える訳がない。

新首相の下で、法曹の一元化を初めとする法曹界の抜本的な改革を議論してもらいたい。

ゴーン氏事件は検察の「人質司法」や日本版司法取引等の問題点を検察に縁のない善良市民にも広く知らしめた。国際世論の批判に応えて刑事司法制度の改変も着手すべきだ。

公権力の私物化が問題の折「行政」の中にある検察と権力者との関係も見直しすべき。安倍夫妻を震源とする森友学園問題に絡む文書改竄問題で佐川局長らを大阪地検特捜部が不起訴にしたのを選ばれた国民からなる検査審査会で「不起訴不当」の判断が下された。

しかし、「起訴相当」ほどの強制力はなく、再度検察の捜査が始まっても、三審制をとる裁判所と違い、同じ検察の別の検事か捜査しても権力者に絡む問題で違う判断をするとは思えない。実際そのとおりにまた不起訴になった。下々に寛容な面がある検察に起訴を猶予する権限を持たせる「起訴便宜主義」を変えるべきでないのなら、検察の不起訴判断が不当なら予審判事が担当するということも検討されるべき。1949年に予審判事が廃止された経緯を検証して。さらに、地検特捜部も、権力者に立ち向かえず、その反動がごとく、権力を持たない弱い立場の人々に傲慢に強権を振りかざす。そんな特捜部なら必要ない。

 

 メリットよりもデメリットが浮き彫りになってきた「小選挙区制」は、小泉政権の産物ではない。小泉政権誕生の5年前に施行された。私が畏敬する後藤田正晴が生みの親だとも言われる。今の自民党を予見し中選挙区制からの移行に反対していたのが当時の小泉議員(言と裏腹に首相時最大限利用したが)というのは、私にとってはこれほどの皮肉はない。

 たしかに、二大政党化に寄与すると見られ、簡単に政権与党が替わるが、本ブログ20185月号NO.92(「かんりょうVSまんりょう」)で指摘したように、生煮えの首相が誕生し、素材自体も悪ければ、それをありがたく頂戴する国民はたまったものではない。

 民主党政権が瓦解すると、今度は小選挙区制が政権与党に有利に働きだした。議席に結び付かない「死票」が大量に出ることや民意と議席の乖離という弊害が露呈してきた。

 それにとどまらず、小泉元首相が予見した通り、選挙公認という生殺与奪権を握った官邸による独裁体制が自民党内に敷かれた。それは政治家と官僚との関係も、Win-Winの関係からLose-Loseの関係に変えてしまった。国民の公僕として大所高所から日本を牽引するとの志に燃えた官僚が立案し、その果実を大臣や首相が得た。今や、『官僚たちの冬』(小学館新書)の田中秀明氏が言うように幹部官僚の人事をおさえた官邸の“下僕”に成り下がり、モラルとモラールを低下させた(官邸内の官僚以外の)官僚たちは、官邸からのオーダーを吟味することなく、おざなりな資料を作り、チェックもなおざりする。媚び、忖度し資料データーをいじる。問題が発覚すると、日頃の慇懃無礼な扱いの恨みを晴らさんばかりに野党議員にサンドバック状態されてしまう。テレビでそれを観た東大生は何と思うのか。

 日本が模範とした英国の二大政党制も今や機能していない。そんなことなら、いっそのこと、中選挙区制に戻した方がよいのではないか。

 

武士道精神の流れをくむ官僚道を踏み外した佐川元理財局長はまた検察捜査の対象となった時、起訴如何に関わらず忸怩たる思いをしていたのではないか。『葉隠れ』の山本常朝が言うように、二者択一に際しては、死ぬ確率の高い方(左遷)を選ぶべきだったのだ。

過去それを具現したのが、なんと武士とは対極の昭和天皇であった。マッカーサーに対して「全責任は私にある」と言い(無論延命を期しての発言ではない)、敗戦日本の無血統治には天皇制が不可欠とするマッカーサーの思いを確信に変えさせた。天皇とは真逆の言動をとった、首相の近衛文麿は、次第に、マッカーサー、米国政府、日本国民からの反発を買い自裁に追い込まれた。天皇と同じスタンスであれば、A級戦犯(死刑)は免れないとしても、福田和也氏が著書『<新版> 総理の値打ち』(新潮新書)で明治以降の首相の中でダントツの最下位の点数を付けたように、後世の酷評に晒されることはなかったのではと思う。

 外務省佐藤優氏も国策捜査の折上から鈴木宗男議員を売れと言われたが、断った。それで逮捕される目に遭ったようだが、芯を通し、周りから信頼も得て作家として大成した。

劣化した日本社会の今時こそ(他人を売る日本版司法取引とは真逆の)武士道精神の復活がぜひとも必要なのではないか。

令和の世は、問題や矛盾を抱えながら「和を命じる」時代ではなく、改めるに憚ることなく、不信も疑心もない「礼()をもって和()する」時代になってもらいたいものだ。

 

2020.2 NO.127 じょいてんのうVS じょいてんのう                                          

 眞子様と小室圭氏との婚約問題について、芸能人のゴシップと同様なマスコミの過熱報道を本ブログ20193月臨時号NO.111(「ひゃくVSしゃく(1))で批判した。今は沈静化している。もっとも小室氏側が何も動いていないだけなのかもしれない。

 今となっては、国民の大勢は、「婚約は破談にすべき」「結婚されるとしても国費から支給される一時金は辞退されるべき」ということになろうか。いずれにしろ秋篠宮家の私事として早晩結論が出ることであろう。

 しかし、結論が出ない。後退した感さえあるのが、女性宮家創設問題。

 眞子様の婚約問題に加え、昨年3月にICUの卒業にあたり、報道陣にあてたご回答の中で、眞子様について「結婚においては当人の気持ちが重要」「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と発言された以降美しいプリンセス佳子様に対する、世論、マスコミのスタンスが変化した(急先鋒と見える週刊新潮は「公」より「私」を優先かと捉えそれを揶揄するがごとく昨年8月の号で「佳子さまは普段、何をされているのですか?」を記事にした)。さらに、飛び火し、お二人の内親王とは立場の違う悠仁様に対する帝王学を心配する声が聞こえるようになり、愛子様を天皇にとの声が高まってきた。

私自身は女性天皇の存在について反対する立場ではない。過去にも例があることでもある。現在の皇室典範は法律に過ぎず、第一条の「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」を変えることは難しくない。ただ、女性天皇実現のハードルは低くない。

国民が天皇の直系としての愛子様を女性天皇にと望んでも、それは必ずしも直系で続いてきた訳ではない126代の歴史を否定するとの反対意見が出ることが予想される。

 過去の女性天皇は、みな独身。それは女性天皇と夫との間の子を次の天皇にする女系天皇をこれまで認めていないことに起因するのか。「リベラル」は男女平等なのだから女系天皇を認めればよいと言う。しかし、「男系男子による万世一系」を覆すのは容易ではない。

 女性天皇は主につなぎの役割を担ってきたが、愛子様(18)と悠仁様(13)5歳しか違わない。それがネックに? 仮に悠仁様が5歳で愛子様が35歳であれば、悠仁様が成人されるまで愛子様が15年ほど女性天皇の地位につかれるのであれば、異論は出ないだろうが。

 ご聡明と耳にする愛子様が202112月成人となられ翌2022年から皇女として本格的に公務をスタートされれば国民からの人気が沸騰し女性天皇誕生が熱望されることになるのかもしれない。が、権力者に政治利用されるとか、国民主権だからと言って、EUからの離脱問題で英国民がムードに流され大混乱を招いた国民投票は避けてもらいたい。

 

 女系天皇には、反対の立場。英国のエリザベス女王は女系国王。崩御すれば夫エジンバラ公との間に生まれた第一子チャールズ皇太子が国王に即位する。その後は皇太子と故ダイアナ妃との第一子ウイリアム王子。その王子とキャサリン妃との第一子ジョージ王子と続く。将来ジョージ王子の第一子が男子になるようなことがあれば、もうエジンバラ公を男系始祖とするエジンバラ王朝と見てもおかしくない。エジンバラ公は、どこの馬の骨ではなく、歴とした貴族ではあるのだが。テニス界のKならまだしもパラリーガル界のKを思い浮かべれば、女系天皇に消極的になる人が多いのではないか。

やはり、人の思惑が入り込む余地の少ない日本固有の今の「男系男子による万世一系」がよいということになるのか。共産主義者や一部の弁護士ら天皇制に反対する者(国民の2割前後?) は存在する。しかし、天皇の即位に際しその正当性に疑義を唱える者はいない。天照大神を皇祖神として126代連綿と続く史実ほど強いものはない。

 11家ある旧皇族を皇族に復帰させる動きもある。離脱して70余年にもなる。復帰を望まない人がいても不思議ではない。一部だけ認めるのか。国民は納得するのか。

旧皇族が復帰したとしても「男系男子による万世一系」の維持には「側室」が前提とならないのか。昨年5NHKは「125代におよぶ天皇のうち、約半分が側室の子」「過去400年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の前天皇の3人のみ」(126代今上天皇を含めれば4名となるが)と伝えた。

大正天皇は側室を置かず、昭和天皇は「人倫にもとる」と側室を排されたと言われる。敬服すべき昭和天皇は、側室を持とうと思えば持つことが出来たのに、終生皇后一人を愛されたことは世に範を示され、世の夫の鏡となられた。

 しかし、側室制度がなければ、男子を産まなければとのプレッシャーが大きく、悠仁様の妃になろうと思う女性が出てくるのかと心配になってしまう(女系天皇を認めても子を産まなければとの強迫観念は消える訳ではない)。それは娘の親御も同じ気持ちではないか。 

 

天皇の妃、皇后の役割は世継ぎを産むことだけではない。象徴天皇の現在、美智子上皇后がなされたように、“国母”として天皇と二人三脚で皇室外交を展開する役割も大きい。

 中東諸国が日本と友好関係にあるのは、中東を蹂躙していた英米に対し負けたとはいえ勇敢に戦った日本に親近感を持ったからと言われる。今はその米国と同盟関係にあり、安倍政権は米国への従属を強めている。その中で、サウジアラビア、クェート、ヨルダン等の王国が日本と友好関係を維持しているのは、皇室が世界にその範を示し続け、中東の王族が王室のあるべき姿として皇室を敬仰しているからに他ならない。

さらに前天皇・皇后がライフワークとされた、世界平和を祈る内外への慰霊の旅は、安倍政権による「また戦争をする国」との海外からの日本イメージを払拭させる。

皇族の方々による皇室外交については、詳細を知ることはあまりないが、西川恵氏の『皇室はなぜ世界から尊敬されるのか』(新潮新書)を読むと、そのすばらしさがよく分かる。

 美智子前皇后に続き、雅子皇后も元外交官のキャリアを生かし皇室外交に存分に力を発揮されることであろう。

 

「側室」が復活すれば、万が一皇后自身に男子が出来なくても側室が生んだ男子も皇后の子となる。さらに皇室外交という大きな役割もあるとなれば、悠仁様の妃になることへの憂惧はなくなるのではないか。

 昔は天皇と側室が寝所を共にしなければならなかったが、現代医学では、そうしなくても、子を作る方法はある(世継ぎの実母が表に出ないのは昔と同じ。江戸時代の天皇の側室は世継ぎを産めばすぐ子と離されたという)。天皇の愛が皇后のみに注がれることは守られる。昔の側室とは違うという意味では正室の代理「代室」と呼ぶべきか。

 こんなことを言えば、「“腹は借り物”と言うのか。」「時代錯誤」「男尊女卑」と石もて追われるのだろうか。だが、市民の間では、事情は違うとはいえ、元プロレスラーでタレントの高田延彦氏とタレント向井亜紀さん夫婦が米国人を代理母として双子の男子をもうけている(まさに借り腹ではないか)。日本では認められておらず、特別養子縁組で実質実子となっている。映画評論家有村崑氏と元アナ丸岡いずみさん夫妻もロシア人の代理母出産(代理母出産は数千万円の費用がかかる。日本の少子高齢化が問題となる中子を切望するがそんな財力がない夫婦でも子を儲けられるように日本でも認める方向で議論してもらいたい)。 

 杉田水脈議員は「LGBTは生産性がない」と言うも、米ゲイ男性がパートナーの男性の妹の卵子との対外受精卵を使って子を授かった。ゲイ男性の61歳の母親が代理母となった。

「代室」は無理と言うなら、(日本ではまだ認められていないが)体外受精後に受精卵の細胞を採取して染色体を調べ、XY染色体の受精卵を子宮に戻すという方法もあるという。

 倫理面等多々問題もあり安易には進められないとしても、医学の発達に伴い「男系男子による万世一系」を繋げる選択肢は多種多様に広がると思うのだが。

 

2020.1 NO.126  んなり VS  んなり

 最近京都を訪れることが多くなった。平成5年まで神戸に住んでいた頃はいつでも京都に行けると、修学旅行や銀行の社内旅行ぐらいでしか行かなかった。当時訪れたところは、金閣寺、銀閣寺、南禅寺、竜安寺、平安神宮、清水寺、太秦、貴船(川床)とベタで数少ない。

八坂神社も当時好きだった人と行ったハズなのだが、じっくり考えてもくっきりと思い出せない。昭和50年銀行の新宿支店に勤務の頃初めて二人で箱根の彫刻の森に行った際帰りが遅くなり銀行女子寮の同僚に心配させたことまではっきり覚えているのに。現か幻か分からない。20132NO.20(「カンオケ カラオケ」)に登場する彼女は既に関西に戻っている頃できっちり心の始末ができず未練がましく会いに行ったのだろうか。失恋が思い出の小箱にがっちり鍵をかけているのかもしれない。

なぜ、今になって京都なのか。お笑いミキのツイートはちっとも関係がない。どっきり阪神大震災が起きてから、20123月号NO.9(「アダム サダム」)に書いたように神仏を恐れるどころかきっぱり神社仏閣に手を合わせない。建築美、造形美もさっぱり。幕末の勤王志士、会津藩士、新選組がどう考えどう生きたかは我らぼんやりした現代人と対比する上で関心が高いが、龍馬がどこで斬られたかなどあんまり興味がない。日本人として千年の都の最低限の事はしっかり押さえておくべきとの思いはあるのかもしれない。

また、京都は古都であり食の都でもある。水の都大阪は“食い倒れ”と呼ばれるが、負けず劣らず京都も日本の食文化を牽引する。むしろそれが京都へ行く真の理由なのかも。

 たしかに、昨年伏見稲荷大社に訪れたとき、いけずにも4月のまだ冷たい雨がどしゃ降りでがっかり。すっかり稲荷山に登る気が失せ、元恐妻家でイケメン俳優西村和彦さんの実家の茶屋『仁志むら亭』に寄るのもさっさと諦めた。朱い千本鳥居をくぐっただけで、うどん屋『けんどん屋』に駆け込んだ。もっちりとしたうどんを食べ、ほっこりした。何がメインか分かったものではない。

 名所旧跡に訪れる際、どこで昼食・夕食を摂るか、食べログでじっくり下調する。『バカざんまい』(新潮新書)で「グルメサイトを信じるバカ」が載っている。それを私はきっぱり否定する。食べログは知らない土地でB級グルメの名店を探すのに羅針盤がわりとなる。私は次の3条件を設けている。皆原則がつくが、①点数が3.5以上(4.0以上は高級店が多い)、②業歴3年以上、③コメント投稿数50以上。自身の口に合うかどうかは別問題だ。

 食べログで3.54点の烏丸『アウーム』に、年1で旧交を温める高校の同級生である大阪の弁護士とその秘書の姫と3人で訪問した。食べるのがもったいなくとっくりを傾けながらいつまでも眺めていたいと思わせる。10数個の色とりどりの手織り寿司はインスタ映えすること大。はったりではなく、女性客がにっこりすること請け合いだ。

すっぽんの名店に『大市』がある。バブルの頃より安くなったと思うがそれでも3万円は下らないだろう。てっちりならきばって清水の舞台から飛び込む気持ちになる(実際博多『い津み』、下関『春帆楼』に天然フグを食べに訪れた)が、すっぽんでは首を竦めてしまう。

京都市役所前の京都ホテルオークラの中に『入舟』という京料理店が入っている。すっぽんの小鍋がついた豪華な朝食で話題を呼んでいる。これぐらいならとホテルに一泊し食してみた。個室のテーブル席で一人待っていると、小鉢(くるみ豆腐、イクラ、利休麩、じゃこ山椒煮等)、子持ち鮎の塩焼き、すっぽん小鍋仕立て、出汁巻玉子、焚合せ(冬瓜、焼茄子等)、味噌汁、お櫃のご飯(魚沼産コシヒカリ)、漬物盛合せ、焼海苔、季節の果物が運ばれてきた。質も高く量もたっぷりとある。

普段朝バナナと野菜サラダしか摂らない私は満腹を超え少々げんなりする。ごちそうでも一人で食べては興も乗らない。遊び人の社長さんなら綺麗なおなごはんと一緒にごはんを食べているのか。それなら食欲も湧くと言うものだ。庶民の私は、残念にも、ではなく、健全にも妻と一緒にということになる。妻は、朝からそんなに入らないと言うが、ごちそうを前にすると目がきらりと光り、残した私の分まできっちり平らげるに違いない。そして私は川柳を一句吐く。「もったいない もったいないが デブの元」と凡句をひっそりと。

もっとも妻は値段が5千円(税・サービス料別)と聞くや否や「もったいない。もったいない」と財布の紐をがっちり締める。それから私はみっちり絞られる。そうに決まっている。

 がっつり食べたい人なら値段も手ごろな四条『ビストロ希味』がお薦めだ。長女の嫁入り前に妻と3人で京都旅行したとき訪問した。無国籍料理の範疇に入ると思うが、年の瀬だったので、カニの肢やピザ、揚げ物等びっくりするほど品数(19種類ほど)が多いが、3千円(2,500円~)こっきり。コストパフォーマンス(以下「コスパ」という)は最高だ(今やカリスマ塾講師というよりすっかり芸能人セレブとなった感のある林修先生は割烹『大神』の20品、12千円コースを高コスパ料理としてTV番組で紹介している)

 

昨年末母の7回忌で妻を連れ神戸に戻り、翌日の帰路京都に途中下車した。八坂神社から秀吉の正室北政所が建立した高台寺に寄ったが、暖冬かちょっぴり紅葉が残っていて風情を感じた。そこから建仁寺を訪れた後近くにあるお好み焼き『かな』を覗いた。うすい生地に好きな九条ネギを乗せた店看板のねぎ焼きと定番の豚焼きなどを妻とシェアした。

そう言えばと、上京し社団にいた20年前の事を思い出した。会員と東京から一緒に大文字五山送り火を観に行った時飲食店のオーナー達は視察にお好み焼きのルーツとも言われる『壹錢洋食』を食べに向かった。宴会の後でもう満腹のハズなのに。さすが経営者、単に遊びに来ているのではない。事務局の私は立場を忘れうっかりをやらかしてしまったが。

 妻と『かな』を後にして河原町から嵐山駅(阪急線)に向かった。渡月橋を北上し、竹林の道に入った。ぎっしりとすし詰めというほどではないがぞろぞろと修学旅行みたいに人がつながり意味不明の外国語が飛び交えば情緒も何もあったものではない。やっぱり舞妓はんがはんなりと佇んだり、小雨の夕暮れ時相合傘の二人がしっぽりと寄り添うのが似合っている。もっとも、むっくりの妻ともっさりの私では、絵になったものではないが。

 上述とは別の嵐山駅(京福線)構内に、京友禅の生地を包んだアクリル製のポールがみっしり並べられた『キモノ・フォレスト』がある。夕暮れにライトアップされるまで時間があるので(桂川に面した旅館の敷地内にある)茶寮『八翠』に寄りひと時をゆったり過ごした。

英国式のアフターヌーンティでコーヒーや紅茶を飲みながら、たっぷりとは言えないが3段に分かれた小さなケーキ等を下の段から順に頬張った。香港に行ったことを思い出させる。古都にはミスマッチかもしれないが、新しいもの好きと言われる京都人には違和感はないのかもしれない。なにしろパンの消費量も京都府は県別全国一位でもあることだし。

 

今冬は、神戸での新婚当初妻の懐妊で中止した、デューク・エイセスが歌う『女ひとり』でお馴染みの京都大原三千院と世界文化遺産二条城に行きたいと思っている。当日の夜は焼肉にする。以前鴨川の川床で焼肉が食べられる『弘』木屋町店に足を運んだ。今回は太秦に近い芸能界人御用達の焼肉『有楽』にする。私はビール、甘酒が好きな妻はまったりとしたマッコリを呑みながら、評判のタンやハラミに舌鼓を打ちたい。

さらに、手持ちの特典をそっくり活用し、JRジパング倶楽部の3割引きで翌朝京都から新幹線・特急を乗り継ぎ松江に入り松江城や小泉八雲旧邸など探索する。翌日横山大観の130点に及ぶ作品と日本庭園で有名な足立美術館を経て、出雲大社に向かう(私自身は参拝せず見学するに過ぎないが)。その日は歌手竹内まりやさんの実家『竹野屋旅館』に泊まろう。帰りは電車で境港へ行き『水木しげるロード』を散策し、水木も愛した伯雲軒のブドーパンでも土産に買って帰ろうか。ANAで貯まったマイルを活用して米子鬼太郎空港からひとっ飛びで帰京するコースを考えている。

 年に2回は妻と旅行したい。妻はしぶしぶだが私は妻と旅行するのを好む。旅先では妻は仕切る自宅と違いしおらしくなるから。しっとりとした京美人みたいにはならないが。

 

2019.12 臨時号 NO.125 VS 

PGAツアーの新シーズンが既に始まっている。メジャーは来春からで第1戦のマスターズは4/9~開催される。注目は何といっても、先月初めて日本で開催のPGAツアーで完勝したタイガー・ウッズ選手がマスターズを連覇するかどうか。

数多くの記録を持つウッズ選手が破るか注目される記録が、ニクラス氏のメジャー最多の18勝。その記録を超すのにあと4勝だが、もう直44歳になることを考えれば微妙か。

 昨シーズン、マスターズ勝利後の毎年舞台が変る他の3つのメジャー成績は振るわなかった。それだけに同じコースで経験がアドバンテージとなるマスターズを勝つことがウッズ選手とって重要となる。ただ、マスターズは、メジャー大会であることに加え、優勝すればチャンピオンズロッカールームが持てることが一流プロのプライドをいたく刺激する。まだ勝ったことのない、「メジャー勝利しか要らない」と公言して憚らない世界ランク1位ケプカ選手(優勝7勝のうちメジャーが4)やマスターズ優勝で生涯グランドスラム達成となる同2位マキロイ選手、同3位ダスティン・ジョンソン選手などが、目の色を変えて臨んでくる。ウッズ選手をもってしても勝つことは容易ではない。

 海外女子プロゴルフ界では、5大メジャーの初戦となるANAインスピレーション(以下ANA)4/ ?~開催される。今年の5大メジャー優勝者は、(敬称略で)ANAとエビアン選手権がコジンヨン。全米女子オープンはイジョウン6、全米女子プロ選手権はオーストラリアのハナ・グリーン、そして全英女子オープンが“シブコ”こと渋野日向子(全米プロを制してから42年間後進のメジャー勝利を待ち焦がれた、レジェンド樋口久子さんは、試合中のお菓子を食べたりギャラリーとハイタッチする振る舞いや緊張が伝わってこないことで渋野選手を「新人類」と呼ぶも、孫が勝ったかのごとく喜んだ)

来年も上記メジャー優勝者と世界ランク2位パクソンヒョン選手の韓国勢3人と同4位畑岡奈紗選手、同10位タイのアリヤ・ジュタヌガーン選手らアジア勢で海外メジャーを争うことになるのか(そうなれば米国ファンは離れて米女子ツアーの人気も賞金も低迷する)

 

渋野選手は、メディア等が煽るも、来季米ツアーに行かない。世界ランク維持の為獲得ポイントの高い海外メジャー等にはスポット参戦する。とくに(東京五輪の前哨戦と言うべき)6/4~の全米女子オープンは頑張って欲しい。かつてニクラス氏は、「全米オープンと全英オープンとを両方制した者が真のメジャーチャンピオン」と言っていた。戦後では、(敬称略で)ベン・ホーガン、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤー、リー・トレビノ、ジョニー・ミラー、トム・ワトソン、アーニー・エルス、タイガー・ウッズ、ローリー・マキロイ、ジョーダン・スピース等となる。錚々たる顔ぶれだ。

それに擬えれば、女子プロでは全米女子オープンと全英女子オープンとなろう。両メジャーを制したのは、(敬称略で)アニカ・ソレンタム、カリー・ウエブ、朴セリ、朴仁妃、アリヤ・ジュタヌガーンの5名のみ。これら名選手と渋野選手もぜひ肩を並べてもらいたい。

2016年度末の世界ランクのトップ3は、上からリディア・コ選手(当時19歳)、アリヤ・ジュタヌガーン選手(同21歳)、チョンインジ選手(同22歳)。コ選手は現在世界ランク35位、インジ選手に至っては46位まで順位を落としている。

 17歳で世界ランク1位に輝いたコ選手はコーチやキャディーを次々と替え、元コーチで高名なレッドベター氏が「驚くほど無知な両親のせい」と親との確執を嫌悪感を露に暴露した。インジ選手の場合は1988年の全米オープンで初勝利したリサロッテ・ノイマン選手に似ているのかもしれない。ノイマン選手は早くメジャーに勝って却ってそれが重圧となって苦しんだ。201520歳で全米オープン、日本オープンを制したインジ選手も翌年エビアン選手権に優勝しフランスから凱旋帰国した際「国民の自分を見る目が変った。相応しい言動をしなければ」と言っていた。ノイマン選手と同様ショットメーカーで、パットも上手い。難しいセッティングのメジャー大会に向く。ただ飛距離が出る方ではない。パワーヒッターのパクソンヒョン選手やコジンヨン選手、イジョウン6選手ら後から来た韓国女子選手の後塵を拝している。結果が出ない焦りからかパットも不調に(ランク76)

俄かファンが知ったかぶりすれば、渋野選手もショットメーカーだが飛距離も出る。ハンドファーストの構えで曲がらず遠くへ飛ばす様は女ダスティンというところか。メンタル面は動と静の違いはあるが女ケプカと言えるか。これは天賦の才能。とくにプレッシャーがかかるメジャーではゴルフの実力以上に物を言う(1986年グレッグ・ノーマン選手が絶好調で4大メジャー各戦とも絶好の位置につけ年間グランドスラム達成もと見られたが、メンタルが弱く、勝ったのは中嶋常幸選手と優勝争いした全英オープンのみ)

加えて、ショットもパットも攻撃的な女セベと呼べる三拍子揃う渋野選手なら、ファンも指摘する課題が露見したが、必ずや克服し“見せるゴルフ”を貫いてくれるに違いない。

  

 海外メジャーでは後から来た渋野選手に先を越された畑岡選手は、日本女子プロ、日本女子オープンの二大メジャー連勝で黄金世代の旗頭としての貫禄と意地を見せつけた。

プロテストに落ちた頃既に雲の上の畑岡選手と互角に勝負できるのかとのきつい問いに、きっぱり勝負できると明言したという渋野選手は完敗から全英後の葛藤を捨て笑顔の内に闘志を滾らせたことだろう。他の黄金世代も二人に追いつけと切磋琢磨しているだろう。

小林浩美日本女子プロゴルフ協会(以下「協会」)会長は改革の成果と胸を張る。世界に伍するよう、ジュニアの育成、ステップアップツアーを世界ランクの対象にした。スポンサー等の協力を得て4日間トーナメントを増やしてもいる。

 黄金世代の台頭、2歳下のプラチナ世代の出現、渋野選手の海外メジャー勝利、鈴木愛選手のLPGAツアー優勝で日本女子ゴルフ界は新しいステージに入った。もっと誇りを持つべきだ。面積がカリフォルニア州(425千㎢)だけで日本全体(378千㎢)より広く移動が大変で、言葉等の壁、孤独感も味わう米ツアー(元米賞金女王申ジエ選手が母国近い日本ツアーに転戦したのも、それが主因?) に実績十分の鈴木愛選手以外行かない方がよいのでは。岡本綾子さんは30歳の時20勝と賞金女王をひっさげ日本の代表として渡米した。畑岡選手の米3勝も、米で1年程揉まれたからではなく、1718歳で日本女子オープンを連覇し今年一時里帰りで二大日本メジャーを連勝した実力が元々あり米環境に慣れ顕在しただけでは。

海外メジャー制覇への挑戦は、協会が大いに奨励、後押しするなら、男子ツアーと同じく賞金ランクに海外メジャー獲得賞金も加算すればよい。

かかる情勢変化の中で、プロテストに合格した選手でなけれQT受験させないという新制度が2020年度から実施される。要は、強い韓国女子選手を来させないためだろう。

日本の女子ツアーを(男子ほど日米に賞金額の差がない)米女子ツアーに匹敵する(日本、韓国、中国、台湾、タイ等の選手が参加する)一大ツアーに昇華させていく。そのよいチャンスでもあるのに、わざわざマイナーツアーに留めおこうとする協会の制度変更に対して、レベルの低下、ガラパゴス化を懸念する批判は少なくない。エビアン選手権チャンピオンのキムヒョージユ選手も日本への転戦希望を表明している(韓国選手の方が日本ツアーを評価している?)が、そんな強い選手こそ歓迎すべきではないのか。

今日本で活躍の全英女子オープン2度制覇の上述申ジエ選手(31)やアンソンジュ選手(32)はいずれ峠を迎えるだろう。今11/19時点の優勝者内訳を見ても、37試合中日本人選手の優勝は28試合(内黄金世代11試合)。外国勢(9試合)を凌駕できている。

 「韓国人優勝は見たくない」とネット上で見かけるが、イボミ選手が大活躍の時そんな声が大きかったか? 幕末尊王攘夷から尊王開国に改めたごとく協会も一刻も早く改めよう。

 

2019.12 NO.124 んどい VS んどい

今回は私の口述したのをそのまま書き起こした。

世の中全体が厳罰化して重く息苦しい空気を吸って生きるのはなんともしんどい。

 過日俄かファンになったシブコはんのネット記事の中から、来日したタイガー・ウッズ選手のスキンズマッチを見物していたシブコはんの写真を見てたら、笠りつ子はんも来ていて、「こんなベッピンさんやったんや」と初めて気がつきびっくりしたで。その矢先りつ子はんが暴言を吐いたと騒ぎになり二度吃驚してもたわ。

 嫁がオレに毎日のように言いよる「死ね!」は「早よ、あの世へ逝け!」と言う意味や。りつ子はんが言ったとされるのは言い合いの末の捨て台詞で英語のFuck Youとおんなじ。アホンダラ程度の意味でしかあらへん。一報が入った頃ゴゴスマで月曜のコメンテーターが、相手の男の方も悪いと言ってMCを慌てさせていたわ。喧嘩は両成敗が相場だが侮蔑的な言葉を投げかけたことは謝罪せなあかん。そんで本人が心から詫びたら、それで済む話やないか。ファンとのトラブルでもないのに、なんでプレーを自粛せなあかんね。プロはすばらしいプレーで罪滅ぼしするしかないやないか。タオルの問題も協会外で喧々囂々する問題ではあらへん。岡本綾子はんは、間違ったこと言ってへんけど、女子プロのレジェンドが「大問題ですよ!」といきなり世に拡散させた感があるんは、評価するネット民が多いねんけど、オレ的には?やな。

「かわいいふりしてあの子 わりと言うもんだねと・・・待つわ いつまでも待つわ りつ子はんが雲中白鶴と呼ばれる日まで」とあみんの『待つわ』の替え歌を歌って、みんなギスギスして余裕がなさ過ぎやと言うたら、嫁が「アンタは余裕あるんじゃない。呑気すぎるだけなんよ」と言いくさった。そんでちょっと言い合いになったんやけどな、さすがに嫁はいつもの「死ね!」は言わんかったわ。

 

納税申告漏れ問題でイケメンお笑い芸人徳井義実はんが、会見を開き謝罪したのに。日テレは番組変更なしと言っていたのに。謝罪会見で嘘があったと活動休止に追い込まれよった。徳井はんがまたカモンヌ!と叫べる日はいつになるんやろな。

日頃子供たちに「ウソはついたらいけませんよ」と言っている聖職者と呼ばれる教師らも不利な立場になると嘘つくやん。裁判では被告人が嘘ついても罪に問われへん。人は皆そういうもんなんやろ。「世間」は「司法」より厳しいんか。そんで日本は犯罪が少ないんか。けど、行き過ぎたら。中世の魔女狩りも最初はこんな雰囲気かと思ってしまうな。

ホリエモンこと堀江貴文はんは、世論次第で「刑事告発される可能性がある」と言いよった。ホリエモンには悪いけどな、ホリエモンの場合は、若者たちがホリエモンを既存秩序を壊すヒーローと仰ぎ見、村上はんと相まってこのままでは日本の美徳・価値観に反する欧米の拝金主義が蔓延すると危惧して検察は逮捕に踏み切ったとオレは思てる。

徳井はんの場合は、脱税額が逮捕の目安金額1億円の1/3であること。非を認め素直に追徴金併せて既に納付していること。社会的制裁も受けていることを理由として逮捕なんかされへんと思うわ。納税意識の欠如、悪質と言うたかて、世間は幼稚・杜撰さにあきれ果てるだけやし、他の芸人は納税に対する意識を新たにしたやろし。それで十分やろ。

 芸人が謝罪してそんでも気が済まん連中は、安倍首相にも「謝罪して済むんやったら警察いらんで!?」と言ってるんかい。内閣改造する毎に不祥事が発覚し早々と辞任する大臣が出る度「任命責任はこの私にあります。まことに申し訳ない」と言っているだけの首相に。なんどい!首相には言わへんのか。そやったら弱いもんいじめやろ。恥ずかしないんかい。

 世間は芸人をどないしたいねん。真っ当なサラリーマンにしたいんか。日テレの看板アナ桝太一はんがお笑いやっておもろいと思うんか。都はるみはんのデュエット曲『浪花恋しぐれ』の「芸のためなら女房も泣かす それがどうした文句があるか」の時代でないのは分かるが、芸人ちゅうのはサラリーマンに向かん奴がなるんやろ。そやからオレらにない発想で面白い事、無茶なことをやって楽しませてくれるんとちゃんかい。そやろ。 

 今は芸人のやることはおもろないと言わんばかりに、教師の方がアホなことをやりよる。神戸の激辛カレー事件の被害教師はたまったもんじゃあらへんが。もうテレビでは見られへん。和田アキ子はんが他の芸人に羽交い絞めにされた出川哲朗はんに激辛(実は辛くない)カレーを食べさせ出川はんが「ヤバいよ! ヤバいよ!」と言って顔を真っ赤にしてのたうつ。そんなコントはタブーになってしもた。芸人は営業妨害や!と教師らを訴えたい気持ちやろ。

 宮迫博之はんらの反社主催パーティへの直営業問題もそうや。うろたえてお金をもろてないと嘘をついたので、心証が悪くなってしもた。日頃の言動もあり宮迫はんの言うことは信用されへん面がある。そやけどあの明石家さんまはんが復帰に力添いしているところを見たら「反社とは知らなかった」と言うのはシロやろとオレは思てる。

そやったら、知らんで反社のパーティに出て反社の家族や子供たちを喜ばせたことがそんなに悪い事なんか。オレ頭がおかしいんやろか。馬鹿正直がスカートをはいたような嫁と娘に頭おかしいとよう言われるんやけど。

オレは、20199月号NO.119 (「ひげき VS きげき(2))で書いたように、暴排条例は憲法違反の恐れもある“悪法”だと思てる。そんでもソクラテスが言うたように「悪法でも法は法」。守らなあかんのは分かっとるが、「司法」は“疑わしきは罰せず”だが、「世間」は“疑わしきは罰する”なんか。宮迫はんが何で未だに「やっちまったなぁ! 芸人として追放されて当然。詐欺被害者たちにも謝れ!」とまで言われたままなんや。そこまで言う相手は、悪事と知って直接高齢者等に不正販売したかんぽ生命・日本郵便の職員の方だろうが。

 マスコミは、郵政グループの不正などお茶の間の関心が低いからそんなこと言わへんのか、あるいは郵政グループが怖いんか、それとも芸人を見下げているだけなんか。

芸人にサラリーマンと同等のモラルや社会倫理を求めてんのに、一方で芸人を見下したままなら、芸人の地位や権利を守る一般社団法人日本芸人協会があってもええんちゃうか。会長は人柄もええ変な権力志向もあらへん明石家さんまさんがええんちゃうんかな。

 

 返す刀で斬るけどな、相撲界もなぁ、親方が金属バットやビール瓶で弟子や付き人を殴る、横綱がカラオケ機器で殴打する。それと若い十両が手拳で付き人の頭を1回殴るのとは、おんなじなんか。

前から相撲協会に不信の目を向けているオレとしてはな、親から大事な子供を預かり親に代わってしつけ育てないといけないのに、そんなに簡単に路頭に迷わしてええんか。相撲界のイメージ、協会役員のメンツを守るだけで力士に対して愛があると思われへんのや。

 世の親は子供が2度万引きしたようなことぐらいで勘当なんかせえへんで。女優の三田佳子はん、息子に何度も何度も裏切られても、親も悪いと言われても、親子の縁はよう切れんと苦悶してはるんとちゃうんか。哀しいんやけどな、それが親心というもんやないか。

 鬼より怖い検察と言うてもな、「軽い罪でも犯罪は犯罪」とみな死刑を求刑したりせえへんやろ。それとな、起訴便宜主義と言うてな、起訴するかしないかの権限を検察が持ってるんやけどな。逮捕しても真摯に反省し謝罪している(フリだけなら見破られるけどな)と思ったら、嫌疑不十分や起訴猶予等を理由に不起訴にして釈放するのが大半みたいやで。検察が受理した事案で刑務所行きになるのは全体の2%もないらしいで。思ってたより検察は下々に寛容なんやで。

 

 世の中ムシャクシャするのは政治が悪いんかもしれんけど、他人を叩いてウサを晴らす奴、他人の成功が妬ましく足を引っ張りたい奴、そんな連中に乗っかってないか、おなごはんの胸じゃなく自分の胸に手を置いてよう考えておくれぇな。なんやて!? 「オマエはふざけ過ぎや!」てか。堪忍してぇや。不寛容はあかんよう。

 

2019. 11 臨時号NO.123  TOHO VS TOMO (2)

 私は平成4年に蓄膿症(急性副鼻腔炎)の手術を全身麻酔(局部麻酔で十分ではと疑問を持てはいたが)で神戸大学の付属病院で受けた。全英女子オープンを制した渋野日向子選手もこの前急性副鼻腔炎で心配されたが大事に至らなかった。私も右上の歯が痛くなり歯医者に行くと副鼻腔炎だと大学病院を紹介された。手術が終わり麻酔が冷める頃、指導医師が若い医師に「患者がどんな状態か、どんな思いか。全身麻酔を経験しておくべきだ」との声が聞こえてきた(仔細は別の機会に「ますいVSまずい」で記す)

前述の天皇(現上皇)の前立腺全摘手術につき、宮内庁の職員は、手術までは無理としても全身麻酔を受け、眼が覚めたら全身管だらけの状態を数日間自身が体験した上で(天皇の)手術を選択したのであろうか(宮内庁職員にそこまで要求するのは酷というものか)

そうではなく、陛下を治療するとなると、日本の最高権威の病院になろうが、そこに丸投げしたのか。最高権威となれば東大医学部の外科となろう。前立腺がんの治療は欧米では放射線治療が主流であるが、日本では外科が本流で放射線科がまだ亜流の位置付けに置かれ続けているのでは。それで手術することになったのであろうか。

よく動く胃などの癌は外科手術が向いているが、前立腺がんは放射線治療が主流となるべきだと思う。東大医学部は陛下の手術とその後の経過についてどう総括しているのか(なお、美智子上皇后は本日85歳の誕生日を迎えられたが、そんなご高齢にも拘わらず、同じ東大病院医学部付属病院で先月乳がんの手術を受けられた9/8付けの共同通信によると、全摘ではないという。体に負担のある全身麻酔までして手術した病院側の了見は如何に)

週刊現代昨年9/1号の特集でも、『医療先進国ドイツとフランスで「やらない手術」』で「前立腺がんで摘出手術はNG。」と真っ先に挙げている。

 しかし、3か月前のこと。著名演出家で影響力のある宮本亜門氏が前立腺がんを公表し、手術を選択すること、手術が成功したことなどをマスコミに話していた。茶の間の視聴者者に手術が最善?との印象を与えないかと懸念した。TV健康番組の検査で前立腺がんが判明した関係で手術なのか。それとも宮本氏の自由意思ならなぜ手術を選択したのか。その後の副作用の状況と併せて、その番組に再度出演して話してもらえればと思うのだが。

 

前立腺を全摘手術しても20%の確率で癌が残ると言われる。くだんのA氏も該当してしまった。前立腺を全摘すればPSAはゼロなるハズだが、時間の経過とともに値が上がり0.2

を超える (放射線治療の場合は前立腺は残っているからPSAが最低値から2.0)と残っていると判断される。それから放射線治療をするのであれば最初から放射線治療を選択すればよかったということになる。前立腺が無くなっているのに、放射線治療するには、摘出後の結び目に向けて当てるしかない。ファントム相手では周りの正常細胞を傷つける公算も高い。担当医師は早く決着させたいとA氏に迫る。私は「そんなに慌てることはない。それに不味い蕎麦を食べ後次にラーメンなら蕎麦屋のラーメンではなくラーメン専門店に行くだろう。放射線治療を得意とする病院に替えるべきだ」と言った。が、またしても聞いてもらえなかった。彼は医師に言われたまま直に放射線治療を受けたが、結局PSAは下がらず、最後の手段とも言うべきホルモン療法も始めてしまっている(前立腺がんの餌となる男性ホルモンを止めてがんを眠らせるだけでいずれ目が覚める。それを再燃するという)

 前立腺がん予備軍の方の参考になればとA氏のケースを長々と書いたが、最後に関心が高いであろう男性機能への影響について触れる。A氏は手術に同意する際医師から「前立腺を摘出する際周りの神経も切断することが往々にして起こりうる」との説明を受けた。最後に医師は殺し文句を発する。「だけど、命の方が大事でしょ!?」と言われれば患者は皆黙ってしまう。手術後しばらく経ってA氏が医師に「叩いても何してもピクリともしない」と訴えると、医師は「だから言ったでしょ。神経が切れると」と言い返す。もうリスク100%の話にすり変わっている。

 手術でも、今はダビンチ手術と呼ばれる、外科医の操作による内視鏡・メス・鉗子を 動かして行う内視鏡手術が主流となっている(宮本氏の場合も多分そうだろう)。体への負担も少なくなり、勃起神経を切ることも避けられるケースが多くなっているという(いずれにしろ手術すれば前立腺はなくなるので、射精感があっても?精液は出なくなるハズ)

放射線による私の場合は、治療の副作用で、前立腺は残っているのに射精障害(前立腺というオアシスが砂漠化したイメージ)となってしまった。

60代の男は、「まだ男として現役でいたい」と「もう卒業でよい」との二手に分かれる(医師も客商売なのでどちらも否定はしないが)。私は当然前者(使い道があるかは別問題)だが、よりによってそうなってしまった。副作用は肛門痛、直腸出血等色々あるというのに。

勃起に関して言うと、私とA氏の場合との違いは、A氏は携帯で言えば電源が入っていない状態。私の場合は電源は入っているが電波が弱い状態と言えるか。手術のように神経が切れてはいないが、放射線にあたり神経が麻痺しているのだろうか。それでも7年経過した今(再発もなく)EDは大幅に改善されている。射精障害は直る見通しは立たないが。

 週刊誌等で放射線治療は副作用がないかのような記事を見ることがあるが、それは正しくない。放射線治療でも副作用はある。治療を施すということは、そういうことなのだ。QOL(生活の質)を下げる。個人差はあるにしろ。

ただ、私が結果オーライだったのは、初めてPSAを測った時4を超えていたが直に生検(肛門から針を撃って前立腺の細胞を採取)をしなかった。PSA10を超えたらするつもりだった。それで5年間もQOLの低下が猶予された。生検を受けたのはPSA10を超える前に尿道から出血したため。「雉も泣かずば撃たれまいものを」と思ったが、今は「何ぐずぐずしている。早く検査を!」と癌自身が成敗されるのを覚悟して忠告してくれたと思い直している。前立腺から癌が外に出るギリギリのとろで知らせてくれたと恩に着ている。

もっとも、生検は早ければ早いほどよいという訳でもない。PSAが一度4を超えた程度では、直に生検するのは考えもの(MRIは一度撮った方がよいが)。癌が見つからなければ何度も不快な生検をする羽目になる。癌が見つからなければ癌とは認定されないし、保険も適用されない。PSAの推移、MRIの画像などを見て生検時期を判断するがよいのでは。

 

私はX線のトモセラピーを選択した訳だが(A氏にも勧めた訳ではあるが)、それが最善と言うつもりはない。外照射法としては陽子線や重粒子線を活用した方法もある。また、前立腺に線源を埋め込み、内部から放射線を当てる組織内照射(密封小線源)という方法もある。手術しかしない医師は手術しか薦めないと同様放射治療治療においても、例えば組織内照射専門の医師はそれしか勧めないものだろう。がんの進行段階、保険の適用の有無、メリット・デメリット等を自分なりに勉強し、医師たちの意見も聞き、自身で何を選択するか決定してもらえればと思っている。くどいようだが、「前立腺がんは放射線治療ありき」に変わるべきと言っているだけで、手術を全面否定している訳ではない。放射線治療も検討の上、前立腺肥大が酷い人が(前立腺がんが前立腺外に浸潤していない段階であれば)後腐れなく手術で前立腺を全摘する決断をするのなら、エールを送っても否定することはない。

 

癌の治療自体は、たとえ医師でも自分自身で行うことはできない。他の医師に委ねるしかない。どの治療法を選ぶかは、医師でも、医師でなくとも、自分で決めることはできる。

治療法を、自分で決めても、医師任せにしても、我々凡人は結果が悪ければTOHO-HOと後悔してしまう。しかし、自分で決めたのであれば他人を恨むことはない。他人を恨んで人生の最後を迎えるのは悲惨だ。その死に顔は穏やかなものにはならないであろう。