2020.4 臨時号NO.131 へんせん VS しんせん(2)
私は以前から北野武氏を「愛人を持つ男の鏡」として見ていた。前述NO.44号に加え、2016年12月号NO.66(「ふりんVSふしん」)にて、糟糠の妻を大事にし別れた愛人からも一切悪口が聞こえてこないと北野氏を持ち上げていた。
ところが、老いらくの愛人問題が浮上し二人三脚で映画を作ってきた事務所社長と袂を分かつと私は一変して北野氏を批判し始めた。2018年5月臨時号NO.93(「ゴーストライダーVSゴーストライター」)で北野氏は写楽と同じか?と揶揄した。糟糠の妻との離婚が報じられる前後には2019年7月臨時号(「テレビVSトレビ」)では TV界である種大きな権力を有する北野氏に対して「老いらくの北野武氏の番組は見ない」と断しだ。
私が一時期コンサルの真似事をしていた頃コンサル先の社長からある社員の事で「必要以上に好意的に肩入れするものだと思っていたら、ある時点を境に掌を返して冷淡になった」と指摘された(自分の価値観と合わないと感じたとき感情の振れ幅が他人より大きいのは欠点との認識はある。昨今の「世間」の不寛容さ、厳罰化を憂慮する立場なのだが)。
安倍首相に対しては、愛人問題がある訳でも首相が私を騙した訳でもない。私が勝手にいい人だと勘違いしただけ。違う!と感じた時から一転批判を強めている。籠池泰典氏なら恨んでおかしくないが、個人的恨みなどあるハズもない。国民にとって不幸と思うだけ。
北野氏との違いは、安倍首相に好感を覚えたのは本ブログを連載する前、第一次安倍政権が誕生する前後なので、本ブログには批判しか載っていない。もう一つの違いは、北野氏の能力は評価している。「殿、早く眼を覚まして!」と愛人(現妻)をパワハラで提訴した元運転手と同じく、老いらくによる俗物化で晩節を汚すのを残念に思っているだけ。
安倍首相には、京大教授藤井聡氏らが憲政史上最長となったお祝い代わりに安倍首相を「空虚な器」といまさら評したのを読むまでもなく、能力などハナから認めていない。
問題なのは、真に国益を考え、それが首相の為にもなるとする優れた人材を登用できる立場にありながら類が友を呼ぶ状態であること(同類では問題に気づかない。気づいたとしても諫めが出来ない)。モリ・カケ問題に懲りず「桜を見る会」の私物化疑惑も、長期政権の驕りからではなく、「公私の区別ができない」持って生まれた資質と類が友を呼ぶ問題でしかない。新型コロナウイルスへの対応のまずさも、無関係ではないだろう。
安倍首相を批判し始めたのは安保法制の強行採決のあと2016年2月号 NO.56(「ドイツVS トイツ」)から。その後、(今般自殺した近畿財務局職員の遺族による民事訴訟で再燃した)森友事件が表面化してからは、月1連載を破り、臨時号、増刊号も出して安倍首相、安倍政権を批判した。平成の終わりには、批判の集大成として2019年2月号NO.109(「たいざいVSたいがい」)で平成における安倍首相の失政を5つの大罪に総括した。
これに対し、知人らは「また安倍首相批判か。新鮮味がない」と思っているだろう。週刊新潮『変見自在』での高山正之氏の(朝日新聞叩きほどでないにしろ)マッカーサーに対する見下しはしつこい。元駐韓大使武藤正敏氏の韓国批判も耳にタコ。私はそれ以上なので「またか」と言われても仕方がない。公開日記みたいな本ブログを偶然にしろ安倍首相支持のネトウヨらの目に留まることがあれば、「パヨク」と嗤うだろう。何でもかんでも安倍首相の責任にしているとは思わないが、批判し続けているのは事実。過去本ブログで悪口三昧だったという清少納言に擬え自身を“徳少罵言”と自嘲したぐらいだから。それは甘受する。ただ、私は左翼ではないので、「パー(馬鹿)+無欲」の合成語と理解しておこう。
しかし、ネトウヨらに病気だと言われるのは癪だから、言われる前にこちらから2019年7月号NO.117(「おもろいVSおもろな」)で心臓病ならぬSHINZOU病と名乗った。
SHINZOU病は安倍首相が退陣するまで治らない。それまでは大きな発作が起きないよう定期的に安倍首相を批判してガス抜きするしかない。
賢者のトップはたえず自省し後進に早く道を譲ろうする。そうでないコンプレックスのあるトップは自身のことしか考えられず功を焦ってはドツボに嵌る。プーチン大統領が呆れたであろう北方領土問題における安倍首相の拙速な言動しかり。
さすがに安倍首相も懲りたと見え、レガシーに拘泥せず、桂太郎を抜き憲政史上最長の首相」を勲章として、東京五輪を花道にキングメーカーへの道を考えているのではないか。
五輪は国家間の紛争を排除するため都市が主催する。リオ閉会式における五輪旗の引き渡しのセレモニーは小池東京都知事の晴れ舞台であるが、マリオに扮した安倍首相がそれに水を差した。首相には、「後世に何と言われようと、私が『フクシマはアンダーコントロール』と大見えを切らなかったら東京が開催地に選ばれなかった」との想いもあるだろう。マラソン等が札幌開催になったことでAllJapan五輪の様相を呈してきたことでもあるし。
先般の内閣改造は閉店に向けての在庫一掃と揶揄された。開店休業と見られれば、政権はレームダック化する。セールスキャンペーンを装う必要がある。それが「憲法改正」と「拉致問題」。自衛隊は国民が認めており国民は改憲には消極的。安倍首相も分かっている。
自衛隊員及び家族が肩身の狭い思いをとの理由で国民投票まで行く訳がない。自衛隊員にとって肩身が狭く不面目と思うのは、過去“紛争地”での海外邦人救出の為の救援機により救出される他国民から「なぜ日本は自衛隊が救出に来ないのか」と言われた時だろう。
安倍首相は北朝鮮の金正恩委員長に無条件の会談を呼びかけていた。“無条件゛に引っかかっていたが、先月「昨年の5月に新“日朝平壌宣言”の提言を政府が打診したが北朝鮮からは梨の礫」との報道があり、納得した。トランプ大統領にはポチ犬のように振る舞い金委員長には高圧的に非難するだけだった安倍首相に金委員長が応じるハズもなかろうに。セールスキャンペーンは実質「憲法改正」だけなのであろう。
しかし、それどころではなくなった。新型コロナウイルスへの対応が批判され、五輪間際中止なら安倍政権は即倒壊も(延期を模索か)。また「桜を見る会」の公権力の私物化問題に加え検察官の定年延長問題も浮上した。安倍政権の最後の大罪?中国習近平国家主席の“国賓”招聘決定に至って、安倍首相を庇ってきた亀井静香元議員にも見放された感がある。
命運尽きかけたと言える安倍政権における安倍首相と菅官房長官の関係はファンタジー小説『十二国記』シリーズ(累計1,200万部を誇る国民的人気小説)での王と麒麟の関係に似ていると思えてきた。
麒麟が王を選ぶ。麒麟は天命に反しない限り王に服従する。麒麟は王になれない。王は不死となるが、王の政治が乱れると麒麟が病の床につく。麒麟が逝くと王も終わる。
かの政治評論家田崎史郎氏が「安倍首相が年内に退陣する」との年初の見通し発言には驚いたが今なら驚かない(ただ五輪が1年延期なら来年9月の総裁任期まで粘るかも)。
消費税増税、新型コロナウイルスに対する経済活動の自粛、インバウンドの大巾減少により令和不況の様相を帯びてきた。元号の代り端大不況が来る歴史が繰り返されるのか。
昭和4年に昭和恐慌が起り、平成2年バブルが崩壊した(元年末4万円近くの株価が10月に2万円を割る。その時私は証券部長に就任し、人生で最も真剣かつ苦闘した。その時のストレスによる免疫力の低下が目に見えない前立腺がん細胞を見逃したと思っている)。
安倍政権も、政敵ではなく、見えない敵に倒されようとしている。安倍政権の命綱である株価と支持率が急落している。政界も小説上の十二国と同じく摩訶不思議な世界で自民党総裁連続4期も絶対なしとは言えないが、可能性は限りなくゼロに近づいた。
総裁4選になれば任期は2024年9月まで延びる。そこまで本ブログを継続し批判し続けられる自信は私にはないが、もういつでも止められそうだ。ただ、無駄に酸素を吸い二酸化炭素と毒気を吐いているだけに終わってしまう。もっとも世の中は何も困らないが。