2019.9 NO.121  たい VS たい(1)

 2020年の大イベントと言えば、日本では東京五輪。世界に目を転じれば、11月に米国大統領選があり、その前に1/11台湾で総統選がある。私自身の願望は、赤がシンボルカラーの共和党トランプ米大統領が負け(青の民主党候補が勝つ) 青の国民党が負ける(緑の民進党蔡英文現総統が勝つ)ことである。しかし、台湾だけ青が勝ってしまう可能性もなしとしない。その時は私の気分もブルーになる。

 2012年長男が台湾女性と結婚し台湾に親戚が出来たが、義娘の両親は、台中に住む自営業の本省人なので、当然民進党支持かと思ったらそうでもないらしい。台湾の政治情勢に疎い私だが、一次情報ソースもない。それでアメブロ掲載の『中国情報ジャーナル ディープな香港・中国・台湾』や台湾に関係する団体の会報紙等を参考にさせてもらっている。

それらによると、2018年末中華民国統一地方選では、独立志向に対する中国政府からの圧力、締め付け、貿易相手の中国経済自体の失速等から台湾経済が低迷し、それが主因となり民進党が大敗し蔡総統は党首を辞任した。しかし、危ぶまれた民進党内予備選において蔡総統は有力視された前行政院長頼清徳氏に勝利した。1月の習近平中国国家主席の一国二制度による中台統一発言に毅然たる反対姿勢を見せ、香港での「逃亡犯条例改正への大規模な反対デモ」が追い風となり、総統の再選も可能なほど蔡総統は人気を回復している。

 

苦境に立っていた蔡総統に対し、折れそうな心を奮い立たせ、精神的に支えているのが、生誕100年を記念して自伝が発刊された史明(本名施朝暉)氏だ。にわか台湾フェチの私は恥ずかしながら史明氏を知らなかった。が、長男に薦められ読んでみた。

 史明氏は100年の生涯を通じて台湾独立に命を捧げた。革命という手段については、殺戮、粛清、恐怖政治のイメージが付きまとい、共感はしない。が、その志の高さと行動力は畏敬の念を抱く。台湾が民主化されてからは平和的な方法に転じる。一時期革命を学ぶため中国共産党と行動を共にした(疑念を抱き入党していない)ことで未だに共産党員のレッテルを貼られているが、中国共産党の真の姿を熟知しており、台湾国民に警鐘を鳴らす。

「賢者でない大衆が賢者でないトップを支える」とイヤミのようなことを言うだけの私とは違い、中国への接近の危うさに「なかなか市民が気をつけようとしない」と嘆息するも100歳を超えた今も精力的に政治活動している。尊敬を集めるのは至極当然のことだ。

 史明氏は昔早稲田大学に学んでおり、日本に愛着を感じ、日本人に敬意を払っているように思われる。自伝に特記された前田光枝という日本女性に対しても。彼女は史明氏の手先となり台湾人の2人と共に台湾での地下工作員として活動していたが国民党の当局に逮捕された。台湾人の2人は取引に応じて直に口を割ったが、彼女は拷問とも言える尋問や辱めを受けても決して仲間を売ることはしなかった。釈放後東京に戻り史明氏に「台湾人は確固たる政治理念や信念がない。人として信用できない」と訣別し、消え去ったという。

これこそが台湾人から敬仰される日本人像の一つではないか。史明氏は、日本版司法取引でゴーン会長を売った日産や談合がバレたら仲間を裏切り真っ先に抜け駆けした建設大手の今の日本男子に対して、どう思っているのだろうか。

 

 台湾は1624年のオランダ支配から始まり終始外部からの支配を受けてきた。日本にも支配され日本の敗戦時本省人は犬(日本軍・行政府)が去り、豚(中国国民党)が来たと言った。

2.28事件以降白色テロで台湾人を弾圧した国民党を白豚とするなら、今度は赤豚(中国共産党)が来るかと危惧されている。歴史的に韓国も台湾同様の境遇で日本にも支配された。同じ境遇なのに、今韓国は「反日」で台湾は一番の「親日」。その違いはどうしてなのか。

 台湾より韓国(及び北朝鮮)の方に日本軍がより酷いことをしたと言うのは簡単だが、台湾でも、収奪もあり、反抗する者は弾圧され、二等国民と差別され、日本語を強要されたのは同じだ。台湾は帝国日本から受けたメリット、デメリットを分けて考えるが、韓国は全面否定する。『台湾物語』(筑摩選書)で著者の新井一二三氏は、「台湾人は清朝に愛慕や郷愁の念がなく、清朝が自分の利益を守るために台湾を捨石にしたという恨みに似た感情を持っていた。朝鮮人は自民族の李王朝が日本に潰された悲劇を目の当たりにした、その事情の差も対日感情の差として表れているのでは」と言う。

加えて、台湾は戒厳令(1949年~1987)が解かれ排日が止んで行ったのに対し、韓国は反日教育とメディアによる反日煽動が今日まで続いていることも関係していよう。

さらに、地政学的には、韓国は島国台湾と違い大国に陸続きで外部からのストレスを受けやすい。気候は韓国は夏暑く冬寒く厳しい。それに他の事由も合わさり「恨の文化」が生まれたか。

台湾は一年中温暖。義娘の台湾の両親が来日した際言葉の壁で意思疎通がもどかしく、カラオケBOXで日台歌合戦を行うことが多い。私たち夫婦は演歌で韓国のトロット(韓国演歌)と似た哀愁に満ちている曲を多く唄う。台湾の両親の歌う歌は、皆明るく、悲しい歌を聴いたことがない。 国民性の違いも大いに関係しているのではないか。

台湾人は大陸の中国人と同じく多くは漢族と言えるが、台湾人(本省人)のルーツは福建省辺りから渡って行った漢族男性(当時男性単身以外中国からの出国が禁止されていた)と台湾原住民族(これが憲法に明記された正式名称であり日本で使う「先住民」は台湾では否定されていると前述の新井氏が同書の中で述べている)の女性とのミックス。

台湾人と中国人、性格が似ているようで、そうでない。お酒の件で言えば、橘玲氏の『もっと言ってはいけない』(新潮新書)によると、「下戸遺伝子」というものがあり、その保有率は中国北部は15.1%にすぎないが、福建省辺りの南部は23.1%に上がる。日本も23.9%と酒が弱い人が多い。

 酒席における中国人と台湾人の違いについて、私が業界団体に属していた時のエピソードを披露する。

中国のある都市のCDCから主任医師と副主任医師の二人の医師が来日した。ブッシュ元大統領と小泉元首相が居酒屋会談した西麻布店ではないが『権太』渋谷店で歓迎会を催した。副主任医師は宴会部長?も兼ねており座が白けると無理やり酒をあおって場を盛り上げようとする。こちらの若い人をけしかけて酒を飲ます。場がお開きになりトイレから戻ってきたその若い彼は足腰が立たなくなり銀座線渋谷駅まで介抱された。その後ひとり渋谷駅の車庫と浅草駅の間を何往復かする中で吐き、のたうち、スーツ、携帯、カバンをダメにしたという。アルコールハラスメント(アルハラ)と言えないが、中国人が下戸の日本人を酔い潰して溜飲を下げているように思える。『魯迅と紹興酒』(東方書店)で藤井省三氏が「中国の学会の公宴では、酔っ払いは君子・淑女に非ずと見做される」と言う。それでは、なおさらにそう思ってしまう。

そんな中華思想の共産党独裁国家に日本が支配される日が来るとしたら、「真っ先に天皇制が否定される。我々はどんな目に遭わされるか」と思うだけで、ぞ~とする。

一方、台湾で国際シンポジウムを開催した時、まず台北に入り故宮博物院に訪れ、翌日新幹線で台中入りした。同行の義娘の母親と合流し手配してもらったバスに乗り換え、義娘と母親を添乗員として、古都台南で昼食を摂った後灌漑用ダムを造り、台湾人が今でも感謝の念を忘れない、技師八田與一の墓参り(地元の人か花が手向けられていた)に向かった。

翌日の国際シンポジウム後の大学教授達とのレセプションでは、台湾人、日本人は中国人のように酒を無理強いすることはないと中国人を肴に盛り上がった。下戸同士ウマが合う。と思う以上に日本統治時代の日本教育が今の台湾人にも息づいているのではと感じた。