2019.9 臨時号 NO.120  ぐち VS  ぐち

 また今年も終戦記念日がやって来た。敗戦から70余年経っても、太平洋戦争を避ける機会があったのではと識者たちは考える。その一つとして、1932年のリットン調査団の報告を受け入れておればと言う意見もあろう。その報告は日本にとって悪い話ではなかった。満州国の独立は認めないが、日本の潜在的主権は認めるということであった。しかるに、それを不服として、日本の松岡洋右全権大使が決然と国際連盟を脱退してしまった。

 しかし、私はリットン調査団の報告を受け入れたとしても、結局戦争の時期が少しずれるだけで、やっぱり戦争になったと思う。

それは1989年の年末に日経平均が38,915円の史上最高値を記録したときの状況に似ている。翌新春には日経平均が4万円の大台になると囃し立てていた。中には、ケネディ大統領の父親が靴磨きが株の話をしているのを見て世界恐慌の導火線となる1929年のウォール街での株大暴落を予見した。それと同じく、バブルの中で庶民の主婦まで株の話をし始めたとして株の暴落を予知した人もいただろう。が、多勢に無勢、昭和恐慌を知らず、長らく一本調子に株が右肩上がりに推移するのをずっと見てきた人たちには、株が下がっても、すぐに回復するとしか思えない。38千円台で高値買しなかった人も30千円を割り込んだからと買いを入れて損をする。さらに株価が下がり「今こそ買う時機だ」と言って買い、結局皆損をしてしまう。

 米国の世界恐慌時における株価の調整局面は10年続いた。それを学んでいれば、日本もバブル崩壊からの株価の回復にも10年は要すると理解できるのだが(実際はバブル処理の失敗により、“失われた20年”と呼ばれるようになった)。人は経験のないことは理解しにくい。株は上がるものとしか思えない。大きな痛さを知って初めて株の本質(怖さ)を知る。

 

国際連盟を脱退して帰国すれば国民からの非難に晒されると危惧した松岡は逆に国民から英雄としてして賞賛された。であれば、リットン調査団報告を許諾したなら、国民から松岡は「そんな弱気でどうする!?」と罵倒されたのかもしれない。日比谷焼き討ち事件のごとく(戦争の実情を知らされていない大衆が大勝したと思う日露戦争後の講和条約に不満を抱き暴動となる)。真珠湾奇襲攻撃が成功したとき、大衆だけではなく知識人も戦勝に沸き返った。そんな国民からすれば戦争回避策はすべて弱腰と非難されただろう。

我々は、戦争責任を東條英機が率いる軍部に押し付けてはならない。あるいは、天皇に東條を進言した木戸幸一内務大臣に責任があると思ってもいけない。日清、日露に勝ち、部数拡大に走る新聞等に煽られ「不敗神話の神国日本は絶対に負けない」と思う国民にとって、東條でなくとも精神論でイケイケなトップなら、だれでもよかったのかもしれない。

 ドイツ人も、自らがナチスを生んだ、と言わないまでも、歓迎したことを認めず、ナチスを悪魔と非難するだけでは、反省したことにはならない。

 

 歴史に学ぶ学者でさえ、戦争での経験の有無が先の戦争の評価を変えていくようだ。中島岳志氏の『保守と大東亜戦争』(集英社新書)P258で、先の戦争を「侵略戦争」とする林健太郎と「アジア解放のための聖戦」と反論する中村粲との学者対立を紹介している。著者は、大東亜戦争開戦当時28歳だった林と7歳の中村とでは戦争体験をめぐる世代間ギャップが歴史認識のあり方に如実に反映されていると言う。

 私は、学者ではないので、All or Nothingの立場はとらない。真実は「侵略戦争」と「聖戦」の間にあると思っている。ただ、戦争を体験した侵略戦争派の根底には、目的は何であれ勝敗はどうであれ、悲惨な戦争はすべきではないとの想いが根底にあると思う。直接的な戦争体験がない聖戦派は、戦争の悲惨さに余り目を向けず、戦争の正当性を主張しているように、私には思える。

なお、自衛戦争ならまだしも聖戦というのは、耳障りがよく、それだけに危険でもある。

 ネット上のコラムを見ると、19443月の史上最悪の作戦と言われる『インパール作戦』でさえアジア解放のための聖戦としている。援蒋ルートの遮断を戦略目的として英軍拠点インド北東部の都市インパール攻略を目指したこの作戦で日本兵7万人が飢えに苦しむ中命を落としたとされる。この無謀な計画を食料など兵站問題で反対する師団長達は消極的、無駄口をたたくな!とばかりに愚将牟田口廉也中将に次々と更迭された。

 敗戦が濃厚の折、更迭された師団長達は、決して「アジアを解放するためになぜ我々がこんな無謀で拙速な作戦をしなければならないのか?」のような言い方はしていないハズだ。

ビルマ人やインド人が、日本のお蔭で独立できたと言っているのは、同じアジア人として、敗れた日本に対して、惻隠の情を示した。アジア人でも欧米人と対等に戦えるのかと目からウロコ、勇気もらったと感謝したということではないか。たしかに独立を支援した面はあろうが、日本は、敵の敵は味方と、ビルマ人やインド人に独立運動で英国に叛乱を起こさせようとしたのが本意だと思う。もし、日本が勝っていれば、大東亜共栄圏と言いながら、欧米の植民地主義のような奴隷扱いはしないが、二等国民として差別する植民地政策を採ると思われる。そうなれば、日本に対して独立運動が起こったに違いない。

 

戦後74年が経ち終戦当時20歳の人は今94歳にもなる。戦争の生き証人がほとんどいなくなっていく。本当の戦争の悲惨さを知らない人ばかりの、その危うい時代に、危うい政権がまだ続いていく。我々は世論としてまた大きな判断の誤りを犯してしまうのだろうか。

 「我々一人ひとりはアリのような小さな存在だから庶民の意見など意味をもたない」と思う人も少なくない。しかし、1万、10万、100万となれば、象も倒す大きな世論となる。

 今の国民主権ではなく、天皇主権の戦前においても、日米開戦に消極的な政府や現人神の天皇でさえ世論は無視しえなかった。世論が軍部に対して声を上げて反対していたら、武力で脅す軍部さえ政府は抑えられ、日本が日米開戦に舵を切ることはなかったかも。

 かくいう私も、学生時代からノンポリで政治に高い関心寄せ来なかった。ようやく、卒職に近づいた、本ブログを書き始めた頃から、少しずつ経験のないことは歴史に学び、右派、左派どちらのメディア情報も鵜呑みせず自分で考えだした、ばかりである。

 それで、私は自身が今は「保守」であることに気づいた。憲法に関して私が思う保守とは、「天皇制を維持し、平和憲法の精神を守り、その範囲内で、時代の変化に対応し、憲法を少しずつ改正し、日本を真の平和国家に昇華させていくこと」と捉えている。

この意味で言えば、安倍政権は決して保守とは言えない。天皇に対する向き合い方、憲法解釈による安保法制の強硬採決、米兵の為になっても紛争地の海外邦人救出の為にはならない改憲案を見れば。そうでないなら、天皇(現上皇)による(保阪正康氏が命名した)“平成の人間宣言”“平成の玉音放送”がなされることはなかったと思う。

 安倍政権を支持している人も、何をもって支持しているのか、終戦記念日のこの機によく自問してもらいたいものだ。戦前の愚を繰り返してはならない。