2019.7 NO.116  おもろ VS  おもろ

 私がかつて在籍した社団のトップは若い頃関西出身の上司に「ホカして」と言われ、大事に保管して呆れられたという。東京人は「捨てる」の関西弁「ほかす」が分からない。

 「おもろい」(おもしろい)はさすがに関東の人でも分かるのではないか。「おもろい」の否定形は「おもろない」。末尾の「い」を除き「おもろな」とも言う。穴党の競馬ファンが「何や、全然荒れへん。銀行レースか、おもろな!」と言うように。

 度量も狭く、文句たれの私は今とくに「おもろな!」と思っていることが3つある。

  1つ目は、正義がまかり通らないこと。日本体操協会のパワハラ問題、協会はパワハラのバーを恣意的?に上げた第三者委員会の後の特別調査委員会の報告を受け、宮川紗江選手が主張した問題につき、塚原千恵子女子強化本部長や塚原光男副会長に追加処分をせず(共に退任)、宮川選手には反省文の提出を求めた。これに対し、ネット記事によると、宮川選手を支援する高須クリニック高須院長は番組で「パワハラしたかどうかという問題検証での反省文は、加害者側とされる方が書くべき。被害者側に反省文を書かせるのは筋が違うのではないかと思う」と持論を述べたという。まったくもって高須院長の意見に賛同する

宮川選手の主張を認めることは本ブログ201810月号103(「ぼうこうVSぼうそう」)で書いた「塚原夫妻の主導か否かは別にして体操協会が異端の二人を追放しようとしたと見られても仕方がない」に繋がりかねない。従って協会側が認めないとは思っていたが、宮川選手に反省文を書かせるまでのことをするとは。“盗人猛々しい”の語句を思い出した。

 被害者が加害者にされてしまう。その意味では、NGT48のメンバーでファンに暴行されたことをSNSにあげ、事件に蓋をするばかりの所属会社から加害者呼ばわりされた山口真帆さんも同じ。「正しいことをしている人が報われない世の中でも、正しいことをしている人が損をしてしまう世の中ではあってはいけないと私は思います。」と言ってNGTを卒業した。準強姦事件での被害者伊藤詩織さんが相手側から逆提訴されたのも同じだろう。

日本はいつからこんな不条理な国になったのだろうか?

 

2つ目は、趣味の話で、日本競馬界の至宝ディープインパクト(以下ディープ)の後継問題。強い巨人の時代にはファンも多いがアンチも多かった。同じようにディープのアンチたちが次の切り口で貶してくる。まず、ディープの産駒は早熟のマイラー(1,600m前後)だと。しかし、産駒のサトノダイヤモンドが菊花賞(3,000)と有馬記念(2,500)を、フィエールマンが菊花賞と天皇賞春(3,200)を勝利した。早枯れの代表格として2歳チャンピオンのダノンプレミアムがやり玉に挙げられた。が、古馬として臨んだ今年の金鯱賞を初め連勝した(それでもアンチは明日の安田記念で後述牝馬アーモンドアイに負けると負けてない)

そして、アンチはディープのサイアー(種牡馬)ラインを継ぐ大物の牡馬が出ていないと攻撃する。痛い所を突かれた、netkeiba の掲示板における主導的立場みたいなファンも感情的になり、明らかにヘイトしているアンチやアンチでないと言いながらファンの神経を逆なでするアンチらに引きずり込まれ場外乱闘に及ぶ。心あるファンは、「これが、日本競馬界の至宝ディープの掲示板なのか!?」と嘆いた。

 ディープの後継候補として、今年産駒がデビューするキズナを筆頭にリアルスティール、サトノダイヤモンド、現役だが期待の上述ダノンプレミアムとフィエールマン等がいる。

 ただ、シビアな生産者サイドは待ってはくれない。サイアーランキングでディープに次ぐNO.2の座にあった一歳上のライバルのキングカメカメハ(以下キンカメ)はロードカナロアという後継種牡馬をすでに得ている。ロードカナロア産駒には早くも牝馬3冠を達成し昨年の年度代表馬となったアーモンドアイという名牝がいる。牝馬だけかと思ったら、今年の皐月賞(2,000)を無敗で制した牡馬サートゥルナーリアをも誕生させた。

キンカメ系は日本の高速馬場に適しており、しかも日本で飽和状態にあるサンデーサイレンス(以下SS)(ィープ、ハーツクライ等)とサイアーラインが違う。数多いるSS名牝を選り取り見取りできる。今首を痛め種付け中止中の17ディープ(5年後は人間換算で65)の次にその座にカナロアを据えようとするのは理には適っている。ただ、帝国のような生産者サイドの意向に(政界だけではなく)媚び、忖度し、競馬関係者、専門誌、テレビ局等が必要以上にロードカナロア産駒を持ち上げているように見えるのが、おもろない。

皐月賞でのサートゥルナーリアがアタマ差という辛勝(戦後6頭いる三冠馬はすべて半馬身以上の完勝)に終わったのに、ダービー、凱旋門賞へと囃し立てる。私は白けていた。

ダービーはともかく凱旋門へはないだろう。凱旋門賞(2,400)を勝つには高速馬場の日本の3,000m台のG1を制するスタミナが前提になろう。なにしろ菊花賞も含め3冠戦すべて圧勝したディープやオルフェーヴルでさえタフな馬場の凱旋門賞のゴール前で失速した。

キンカメ系の産駒で3,000m台のG1を勝った産駒はキセキのみ(しかも母の父はディープ)サートゥルナーリアは結局ダービーは4着。さすがに凱旋門賞へとはもう言えまい。

 素人の私が分かることを競馬関係者は当然承知していながらサートゥルナーリアを無理に持ち上げているとしか思えない。新馬が出る度に繰り返されるかと思うと、うんざりだ。

 

 最後は、心臓病ならぬSHINZO。安倍首相のやることなすことに動悸と息切れでなく憤りが激しい。頭はまだ壊れていない。何にしろ首相が政治家の中で一番働いているとの認識はある。ただ、二階幹事長が何を思って34に言及した時、めまいがした。

国会で問われた首相は自民党の内規に触れただけで、続投意志の有無に言及していない。

内心はどうなのか。自民党の支持議員の手前やレームダック化を避けるため、口に出せないが、任期満了でと思っても不思議ではない。モリ・カケ問題、裁量労働制をめぐる首相答弁の撤回。失踪実習生に関するデータ誤り、アベノミクス指標の操作疑惑等ここ数年野党に叩かれ続けてきた。それでなくとも首相の仕事は激務。疲れ果ててはいないか。

 レガシーに焦燥なのは任期を意識してのことか。拉致問題も憲法改正もダメ。前のめりになった北方領土問題は、安倍首相が北方領土で暮らす住民の「帰属問題」を持ち出すなど先走りロ国民を怒らせた。首相に反発するだけならまだしもロ国民の怒りの矛先が(支持率回復のテコと目論んでいた)プーチン大統領に向けられたので、プーチン大統領が怒るまいことか(交渉の難航は丸山議員の「戦争奪還」発言に責任転嫁されようが)。すると、根幹の「北方四島は日本に帰属する」が外交青書から消えてしまった。安倍首相の不用意かつ拙速な言動でロ側を怒らしたとはいえ、なぜ消してしまうのだ。

「安倍首相は外交(武器を持たない戦争)が強い」と言うのは、外遊の間違いではないか。

功を焦り、どこのトップにも靴を舐めるがごとく、次は「北朝鮮と無条件で会談」と首相が言い出した(独自制裁も更新し、先般の短距離弾道ミサイルも安保理決議違反と非難した日本がいまさら何を言うかと北朝鮮が本気で相手にするとは思えないが)

見るに堪えないし、国益も損ないかねない。「もうレガシーは『3期連続9年を初めて全うした総理・総裁』でよいのでは」と安倍首相を諭せるのはゴッドマザーしかいないか。

 次の総裁改選期は2年後の20219月。東京五輪の反動、消費税増税?で不景気の風が吹き荒れ、また日銀財政不均衡の爆弾が破裂するかもしれない。今般のトランプ大統領との関税密約?による日本農業の大打撃という不安要素もあり、安倍政権の尻拭いをする貧乏くじは引ひきたくないと、自民党の反主流派も二の足を踏むかも。いかんせん石破氏、岸田氏への待望論も湧いてこない。新元号発表時に注目を浴び、「令和おじさん」と人気が上がった、無派閥の菅官房長官にショートリリーフならと思うのかもしれない。森友学園問題が燻り続けている安倍首相も、官僚の手のひら返しも菅氏が首相になるなら安心だろう。

しかし、菅氏が首相ならABE政治の継続を意味し、より独裁的になるかも。それならSHINZO病が治っても、新・SHINZO病に罹るだけ。おもろないと思うより、憂鬱だ。

それにしても、騎士道の国も酷いが、武士道の国も。ひと昔「警察は一流、経済は二流、政治は三流」と言われたが、1ランク下がったと言えないまでも政治は四流までに劣化したのではないか。“サラブレットの墓場”と揶揄された日本競馬は今や一流になったが。

 

2019.6 NO.115 さいVS さい

 開廷が待たれる日産ゴーン前会長事件の裁判は、ボクシングに喩えれば、チャンピオンの東京地検特捜部に対し無罪請負人弘中弁護士がチャレンジするタイトルマッチと言える。本ビッグマッチのオッズがあるとしたら、1.5:8.5でチャンピオンが圧倒的有利となろう。

マスコミは地検からのリークをそのまま垂れ流しているようで、それを大衆は好物がごとく鵜呑みする。ゴーン氏の拝金主義的強欲さに日本人が抱く嫌悪感がそうさせるのか。

ただ、本事件で猛然と特捜部を批判する郷原信郎弁護士や某会計評論家の発信内容を虚心坦懐に読むと、我々素人が、酷すぎる、特捜部が立件するのは当然と思っても、裁判では、それが犯罪と認定され、有罪になるとは必ずしも限らないとの理屈が理解できる。

公開スパーリングでは、ゴーン氏保釈時の変装脱出や中身のない会見動画等弁護側の調子が上がらないが、試合(裁判)では、リストン対カシアス・クレイの試合の再来になるかも。

 ボクシングではスプリットデジョンに判定が分かれても勝ちは勝ちだが、地検は起訴4件の内1つでも無罪になれば負けとハードルを上げ背水の陣の覚悟で臨んでいるとか。

年明けと見られる地裁でのタイトルマッチはどちらが負けても必ずリターンマッチがあろうし、それに負けても、3度目(最高裁)があり、雌雄を決するのは遠い先の話となる。

 仮に大衆が望む特捜部全面勝利になったとしよう。それでも、“試合に勝って勝負に負ける”ということもなしとしない。地検の得るものは少ない。特捜部の存続が確保される。天敵の弘中弁護士のカミソリが錆びついたと世間に知らしめ溜飲を下げる、そのぐらいか。

反面、「人質司法」と海外から批判され、日本でも、特捜部がなりふり構わず強権を振り回し、弘中弁護士だけではなく世の弁護士たちを憤慨させた。その捜査手法は日本司法の特異性よりも特捜部の負の側面・暴力性をことさら露見させた(現特捜部長は超エリートらしいが、裁判の結果とは関係なく、トップへの資質が内部で問われるのではないか)

「強い検察」とは、戦前の特高警察のように強権を振りかざし、暴力的な捜査をすることではない。権力者らに敢然と立ち向かい、不正を暴き、世を正すことではないのか。

大きな花火を上げるハズの司法取引は日本版司法取引の問題点を浮かび上がらせただけでは。20195月号NO.113(「しほうVSいほう」)で郷原弁護士の解説を紹介したが、日本版の『他人負罪型』では、日本人が恥じる“他人を売っても”、検察は利するが、自らが得するか否かがよく分からない。また、前々からの指摘にあるように、「冤罪が生まれやすい」という問題点が日本版司法取引導入早々浮上した。ゴーン前会長も「日産の数人が私を陥れている」と主張している(裁判官が裁断しその主張を認めた場合に冤罪と言えるが)

 武士の時代、家老は切腹してまでも主君の乱行を諫めた。今は、トップの独断専行を諫めるどころか逆に取り入り、おこぼれに与っておきながら、自分の身が危ないとなれば、検察と司法取引し、トップを売って(又は陥れて)自身だけ助かろうとする。そんな悪しき先例を作ってはならないし、逆に自身も助からないのなら、日本版司法取引など普及しない。

「日本政府は日産とルノーが統合する可能性を阻止するため、昨年春に両社の協議に介入していた」と仏紙が報じた。それが事実なら、政府(経産省or官邸)が絡む国策捜査という見方は一転真実味を帯びてくる。だが、ルノーはゴーン氏を裁判を待たずに切り捨てた。裁判は、日産内部で処理すべき問題で、ゴーン氏個人の名誉回復と地検特捜部の看板とを賭けた争いに過ぎなくなった。ルノーによる経営統合への目論見はなんら変わっていない。

日本の国策産業の日産を仏政府の出資するルノーが支援するのを許しながら株主でもない日本政府の介入が続くのであれば、ゴーン氏逮捕の報復とみる向きもある、仏の予審判事によるJOC竹田恒和会長に対する東京五輪贈賄疑惑捜査に影響が出てくるのか。皇室に繋がる竹田会長が贈賄を疑われるリスクのあることを一存で指示したとは思えないだけに。

 ともあれ、動機に不純と言えないまでも問題があれば、事は上手く運ばないものだ。

 

動機が問題と言えば、裁判員制度もそうだろう。10年以上前から裁判官がおかしい。浮世離れした判決が出ると弁護士会、経済界から批判が相次ぎ(最近でも娘を性的暴行の父に無罪判決が出て物議を醸す)、陪審員制度の導入(私は反対だが)を要求された。これに対し、裁判所側は、法曹の一元化を図り、同じ難関な司法試験に合格し人生経験も豊富な立派な弁護士も登用すれば済むと思うのだが、それは頑として拒絶する。そればかりか(生え抜きしかいない)裁判官を締め付ける。

最高裁上層部(最高裁長官、事務総長ら)は日本の秩序を守る重大な責任を負っている。裁判官の意思を統一したいと言う気持ちは分からなくもない。しかし、司法試験を一発合格のごとくしかも優秀な成績を修めた若い逸材を裁判官に囲い込み、世間から遠ざけ、純粋培養して、金太郎飴にしていく。それが本当なら、日本の秩序を守るという使命感からというより、裁判官を支配したいという最高裁上層部のエゴ(権力欲)ではないかと思う。

『裁判官は劣化しているのか』(羽鳥書店)を読むと、目立つことをするだけでも出世コースから外されるのが垣間見える。著者の現役判事岡口基一氏は、苦学して東大法学部に入り、裁判官になった。他の裁判官等にも有用だと自身が作ったレジュメをまとめ、5版を重ねるベストセラー『要件事実マニュアル』(ぎょうせい)を発刊した。この他タブー視される判事や職員との本質論論議、外部との積極的な交流など金太郎飴から逸脱する行動は裁判所ではアウトサイダー。だが、裁判所にあり方に疑問を持つ私からすると裁判所改革の旗手になる人物だと思った。ところが、その岡口判事が白ブリーフでのパンツ一丁姿をSNSにアップさせた。何のために。ネット民の中では「目立ちたいだけ」と冷ややかな意見も。

さらに、岡口判事は、担当でない某裁判の原告に対して「感情を傷つけるツイートをした」として最高裁から裁判所法の「品位を辱める行状」にあたるとして戒告処分を受けた。

かの江川紹子さんは『「事件ウオッチ」第114回【Twitter投稿で戒告処分】』で「言論の自由がない裁判官に、言論の自由についての判断ができるのか」と岡口氏を擁護している。

 岡口判事自身も「言論の自由」「表現の自由」を主張している。私は賛同しない。釈迦に説法だが、安倍首相が国会で言論の自由と発言し識者らに失笑されたように、憲法21条に「言論の自由」などが謳われているのは、権力を持たない弱い立場の我々の「言論の自由」「表現の自由」を弾圧してはならないと権力者を戒めているのだ。“法の子”(本ブログ201111月号NO.5「サイパンとサイバン」参照)裁判官は権力者側にあると私は思っている。日本の裁判官が求めるべきは「最高裁上層部統制からの自由」ではないのか。

岡口判事ですら長い間裁判所に居ればこうなるというのなら、やはり法曹の一元化がと思ってしまう。だが、最高裁上層部はますます締め付けが必要と思うのだろう。

 

上記を背景として、2009年裁判所側は、陪審制、法曹の一元化は何としても阻止し、かつ弁護士側も乗りやすい妙案を考え、スタートさせた。それが裁判員制度だ。市民を参加させ批判をかわし、さらに元裁判官瀬木比呂志氏の『絶望の裁判所』(講談社)で暴露されたように、日陰に甘んじていた刑事裁判にスポットライトをあてるのが狙いだ。

善良な市民にとっては、民事の方が参画し易いのだが、馴染みのない刑事事件、しかも(絶対に裁判官が素人に裁かれることのない)死刑などの重大犯罪を担当させられる。何の因果で他人の命を奪わないといけないのか。見たくもない惨劇写真を見ないといけないのか。その苦痛を裁判員が訴えると惨劇写真をイラストに替えるという。検察が怒るまいことか。

 昨年裁判員裁判で辞退者が66%と過去最高となったという。市民の制度への理解が進み、選ばれるという一種優越感よりも制度への疑問、負担感が大きくなっているのではないか。

 “人が人を裁き”、“人が人を売る”。それがボディブローのようにじわじわと効き日本固有の美徳“和の精神”を壊していく。叫ぼうではないか!It is never too late to mend!

 

2019.5 臨時号 NO.114  いぞく VS  いぞく(2)

嫌われ者から英雄に評価が一変したと言えば、英首相チャーチルが挙げられる。昨年のアカデミー主演男優賞に輝き、日本人がメーキャップ部門でオスカーを手にした映画『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』で世界がまたチャーチルの偉業を再認識した。

 前首相のチェンバレンによるナチスドイツへの宥和政策が失政となり、保守党内で嫌われていたチャーチルが首相に就任することになった。ドイツのフランスへの侵略に対し英仏連合軍が劣勢となるも、チャーチルは断固ナチスと戦うことを決断する。フランス北東部ダンケルクから30万人の英兵士を引き上げるに際しドイツ軍を足止めさせるためにカレーに居た3千人の英兵士を犠牲にした(同じく事前通告なしで日本への原爆投下をトルーマンに迫ったという。その冷徹さと非情さは我ら凡人には決して真似できない。妻に頭が上がらないところは親近感もあるが)

ナチスとの和睦を主張する戦時内閣の中で孤立し思い悩むが、国王ジョージ6世がチャーチルを支持する(チャーチルの首相就任を危ぶんでいた国王が首相支持に変わるところは映画ではやや唐突)。国王と二人三脚で英国民に勇気を与えドイツ軍に勝利する。

 

一方フランスは、ユダヤ人歴史家マルク・ブロック(ナチスにより銃殺)が従軍日記を『奇妙な敗北』と表題したように、陸続きのナチスドイツとの近代戦に質、量共対応できなかった軍上層部の怠慢と結束力の無さにより、いとも簡単にナチスの軍門に下った(チャーチルも『第二次大戦回顧録 抄』〈毎日新聞社〉のP41に「フランスは一大攻勢に出て生命を賭けるようには見えなかった」と述懐している)。そして、ナチスの非人道的な政策に加担し拭い去れない心の傷を負った。フランスには国民が心を一つにする存在がいなかった。

 イギリスは、海峡が壁となり、海軍、空軍共ドイツと互角以上であったが、それだけではなく、避難せず戦火の中で国民を鼓舞し続けた国王がいたからドイツに徹底抗戦できたと私はそう思う。同じバイキング(海賊)の国ノルウェー国王もナチスへの降伏を拒否した(その様子は映画『ヒトラーに屈しなかった国王』で描かれている)

 自由・平等・基本的人権の理念に目を奪われてフランス革命を美化する人は革命の負の部分を見落としている。ロシア革命(とくに10月革命)、ドイツ革命(11月革命)も同じだが、革命により国王を倒した後は恐怖政治が待っている(文化大革命もそうだが、革命と聞くと血塗られたイメージが付き纏い嫌悪感を覚える。産業革命等経済用語としては良いのだが)

権威と権力を併せ持つ前近代の国王は、失政すると国民から攻撃された。だが、権威としての国王(日本は天皇)は宗教の違いを超えて国民の心を一つにするのに不可欠。片時も欠かさず国、国民、皇統の安寧を祈念しておられる存在なのだから。

EUからの離脱問題で英国民が二分し大混乱に陥っているが、収拾させるのは、最後はエリザベス女王のお言葉しかないだろう。日本においても、被災地の人々がこの上なく癒されるのは、天皇皇后両陛下のお見舞いなのだ。

 権威としての国王の存在を目の上のナントカと思う者は、共産主義者か独裁者を目指す権力者とその仲間らなのであろう。

 

 映画はドイツに勝利したところで終わるが、その直後の総選挙でチャーチルは首相の座を手放した。ナチスから国民を守った英雄であり国民から人気は高かったが、選挙のアヤで党が敗北した為という(私が若い頃平時に戻れば戦争を起こした首相はもう要らないとの見方であったと思うが)。しかし、6年後1950年に70歳で首相に返り咲いた。

 映画の本編が終わり、エンドロールの前に、正確には覚えていないが「成功しても、失敗しても、続けることが大事」という旨のチャーチルの言葉が綴られていた。

 以上、3人の継続力を見てきたが、信念があれば誰でもということではない。信念を支える高い才能とそれが発現された蓄積がなければ継続力を持つことはできない。

 そんな話を妻にすると、「チャーチルの性格に似ているところがあるだけではダメということね。アンタはいつまでも嫌われたままなのよ」と憎たらし気にぬかしおった。細君ならぬ太君が養豚場から屠殺場に連れて行かれるのを助けてもらった恩を忘れおって。「そんなことを口にするから妻にも嫌われるのよ!」と聞こえた気がした。ん? 天の声か?

 

 

2019.5 臨時号 NO.114  いぞく VS  いぞく(1)

新元号が「令和」に決まった。4/4TV番組でかの室井佑月さんより、「今の天皇が好きだから退位されるのは寂しい。新元号に纏わる狂騒にはついていけない」との旨の発言があった。良いこと言うなぁと感心した。私自身も白けていた。有識者の検討会議で漏れないよう携帯の電波も遮断されたという。新天皇=新元号のその新天皇が即位される1か月も前の発表に事前に漏れたとして、どれだけの不都合が、誰が困ると言うのか。

それよりも、永久に残るものであり、時代にふさわしく、また異論がでない新元号を選ぶということが最重要課題であろう。

しかし、4/11141分に新元号が発表されてすぐ、中国から「平和が零」と揶揄されたのはともかく、TV番組で「令和は和を命ずるという意味に通ずる」とゲスト解説者が言っていた(戦前の全体主義体制を想起する人もいよう)TVでもお馴染みの歴史学者東大本郷和人教授に至っては「命令」「巧言令色」「令旨」を挙げ令の字を疑問視し「『令和』以外の5つはケチのつけようがない」とまで言い切っている。そんな問題点を有識者による「元号に関する懇談会」で誰も指摘していないのか。それなら、無理だと分かっちゃいるけど、皇太子殿下(新天皇)ご自身にお選びいただいた方がよかったと思うのは、私だけであろうか。

そんな雑音を消し去るかのように、5年も先の新紙幣が発表された。順序が違う。そんなのは新天皇ご即位の一連の儀式が済んだ後、祝砲のごとく発表すべきものだろう。

世間がお祭りムードの中でこんな話をするのは嫌われる。分かっちゃいるけど。

 

 昨年のことになるが、タイトルに惹かれて映画『あなたの旅立ち、綴ります』を映画館に足を運んだ。シャーリー・マクレーンさんが主演で、アマンダ・セイフライドさん(マンマ・ミーア!の続編『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』にも出演していた)が助演のヒューマンコメディ。夫とも別れ娘とも疎遠になった裕福だが一人孤独な老婆が生前中に自分の訃報記事を準備しようする。若い駆け出しの女性記者が担当し取材するが、誰からも嫌われていることしか聞けず良い訃報記事が書けない。一旦老婆は若い記者を詰るが、老婆は最高の訃報記事を書いてもらえるよう自分を変えようと考えを改める。若い女性記者と共に行動を起こし、ハッピーエンドで閉じる、地味だが後味の良い佳作。

 

この映画とは逆に、日本の芸能界には、自身は何も変わっていないのに、嫌われ者から大晦日の紅白の審査員になるほどに評価が180度変わったと言ってよいタレントがいる。

「ヤバいよ! ヤバいよ!」が口癖で、若い時は切れたナイフだったと不良ぶる出川哲朗氏だ。

そんな出川氏の芸能人としての存在を格式高い親戚筋は歓迎していなかったという。大伯父に八幡製鐵初代社長三鬼隆がいる。伝説の女優原節子も母方の遠戚にあたる。

それが今や中高生からキャー、キャー言われるほどの大人気。少し前まで「キャ‐ッ、やだーッ、出川よ!」と言われていたのに。一つには、出川氏がもう55歳になり、年齢的に若い女性の恋愛対象から外れたこともあると思う。長らく出川氏の代名詞「抱かれたくない男NO.1の称号も一昨年の週刊誌のランキングでトップの座をアンガールズの田中卓志氏に譲った。

 恋愛対象と見なければ、小柄で、本人曰く喉が赤ちゃんで、言い間違いも多く、ユニークな和声英語を繰り出す出川氏は見ていて楽しい。母性本能もくすぐられるだろう。

 しかし、それだけで今の人気を説明することはできない。危険を顧みず体を張るリアル芸人の第一人者として30年この方浮き沈みの激しい芸能界で第一線を張り続けてきた才能による継続力が彼の土台になっている。それがあってこその今の人気なのだ。

 神武以来の天才棋士で引退後お茶の間で人気の加藤一二三氏も同じだ。現役の将棋棋士時代から氏を知る私からすると、今若者から「ひふみん」と親しまれているのは、意外のなにものでもない。現役時代での奇行は有名。ネット上にも『加藤一二三伝説』となるものがあるように、米長棋士とのタイトル戦で旅館の(人工)滝を止めさせた。三浦弘行七段(現九段)との“冷房スイッチ、オン・オフ合戦もあった。対局中の昼、夜の食事は40年間うな重(木村一基九段は対局中に目の前で食べられたとのこと)などエピソードは事欠かない。三浦九段は加藤棋士との対局のコツは動揺しないことと言っていた。将棋ファンは贔屓の棋士が加藤棋士との対局にあたるとやきもきするのが常であったと思う。

 そんな加藤氏が意識してゆるキャラに変えたとは思えない。将棋一筋。他の事なら意に介さず、仮に笑われたとしても何とも思わないのだろう。

 1954年当時の史上最年少(中学生)棋士となり、爾来63年並み居る天才の中第一線で活躍し続けた。それにより、お茶目に映る加藤氏をほほえましく思っても嗤う人などいない。

 

 

2019.5 NO.113 ほう VS  ほう

 日産ゴーン()会長事件、無罪請負人の異名を持つ弘中惇一郎弁護士と東京地検特捜部との全面対決となろうその裁判はいつ行われるであろうか?

 本事件については、次第に内容が私にも見えてきた。仏政府からのルノーと日産自動車との経営統合要請に対し当初ゴーン会長が反対していたが、抗しきれず統合を進めようとするに至り、ゴーン会長の子飼い役員が統合を阻止すべくクーデターを起こした。起訴内容は本来社内の取締役会にて処理すべき問題にも拘らず、違法であった司法取引が解禁されたのを利用していきなり独裁者ゴーン氏を追放しようとしたと見える。

一方、司法取引の導入に尽力したという森本宏現特捜部長は、日本人に馴染むかとの疑念を払拭し司法取引を根付かせる為大きな花火を打ち上げたいと考えたのではと見られる。

しかし、双方の思惑どおりに事が進むか雲行きは怪しい。西川廣人日産社長は追放できると目論んだゴーン氏の特別背任容疑だけではなく、金融商品取引法違反(有価証券報告書への虚偽記載)における両罰規定から日産自体も起訴され、司法取引したにも拘わらず西川社長の責任も問われることになったのは誤算だろう。さらに、今も衣の下に鎧ならぬ経営統合の野心が見え隠れする仏政府・ルノーに弓を引いた事実は残る。保釈されたゴーン氏の復讐も始まろう。続投意欲を見せる西川社長は明智光秀にならずに済むものなのか。

地検特捜部の方も、「検察の正義とは何なのか?」と特捜部のあり方に疑問を抱き検事を辞めた郷原信郎弁護士が「ゴーン氏逮捕に正当性なし」と特捜部を猛然と批判している(弘中弁護士の弁護方針も同じか?)。「人質司法」と海外からの批判も浴び、大花火を打ち上げるハズが、絶対負けられない戦いとなり特捜部存続の瀬戸際に立たされていると言える。

 

 上述の郷原弁護士は、ゴーン会長の担当弁護士で2月に辞任した大鶴基成弁護士が特捜部長時代にライブドア事件を事件化したことに批判的であるが、私は「世直し」は検察にしかできないと思っている。堀江貴文氏や村上世彰氏のスーパーエリートが扇動する、日本人の美徳・美学に反する拝金主義的な風潮、価値観を払拭させたことを評価している。

 ただ、本件に大義はない。自動車という国策産業を外国企業に支援させるのを許しておいて、いまさら国策捜査はないだろう。また、司法取引も問題があると思う。「取り調べの可視化が義務付けられる見返りに司法取引を」と言われることに、それが本当だとすれば、違和感を覚える。テストでのカンニング防止のため学校側から監視カメラを設置すると言えば、生徒側から「それなら参考書の持ち込みを認めて欲しい」と言うのとどう違うのか。

 郷原弁護士は、日本版司法取引では、かえって捜査の透明性が損なわれると、次のように批判する。「米国の『自己負罪型』(被疑者・被告人本人が自らの罪の一部を認める代わりに他の罪の処罰をしない旨の検察官との合意)であれば、司法取引が成立すれば、有罪答弁によって、裁判も経ることなく事件は決着するので、それはただちに表に出ることになる。しかし(日本版の)『他人負罪型』(他人の犯罪についての捜査公判についての協力の見返りに、自己の犯罪の処罰を軽減する合意)は、その『他人』の刑事事件の捜査の結果、その他人が起訴され、公判が開かれなければ、どのような司法取引が行われたのかが明らかにならない」と説く。これでは、我々第三者はもちろん当の日産側も検察との取引が有利なのか不利なのかはっきりしてこない。結局、検察の為の司法取引ということか。

 

この他、本事件により我が国の「司法」における問題点に目を向けることになった。

ゴーン会長拘留の長期化に対する今回の海外からの批判は、先月再審請求が棄却された「鈴木宗男事件」で連座した佐藤優氏の勾留期間(512)、鈴木氏の勾留期間(400日以上)の異常さを思い起こさせる。当時私は「国策捜査なのか? 気の毒に」と思っただけだった。

鈴木、佐藤両氏は、知性も知力も気概もあり威信を賭けて戦い屈服することはない。しかし、無知あるいは無辜の庶民なら、弁護士と一緒に検事と対峙することは許されず孤立する中で長期に亘る苦痛からただただ逃れたいが為に、やってもいないことを想像して偽証自白してしまいかねない。それを裁判官が見抜けなければ、冤罪が生まれてしまう。

 罪を認めるまで保釈させたくないとの検事が思う気持ちは分からなくもない。しかし、保釈を認める立場の裁判所が証拠隠滅の一点をもって長期に拘束続ける検察に同調している(「推定無罪の原則」から逸脱している)と思われることはどうなのか(ゴーン氏保釈が、これまでの流れを断ち切ることになるのか、外圧による特例なのか、まだ分からない)

それでなくとも、起訴するか否かは検察に権限があり、起訴した99%以上の刑事事案が裁判で有罪にとなる現状において裁判所は検察の追認機関かと揶揄する向きもある。

 今の日本においては、三権分立が機能しているとは言えない。最高議決機関としての「国会」は議論がなされず権威も失墜している。「行政」は官邸に幹部官僚の人事を実質握られ、官僚は官僚道を踏み外し、文書改竄、計数操作?してでも官邸に媚び、忖度する。とくに独立が求められる「司法」においては前述のとおり裁判所と(行政の中にある)検察との位置づけが逆転しているかのごとくにある。権力者を規制する憲法は、憲法解釈で変えられてしまう。まさに権力者による独裁体制にあると言っても過言ではない。現権力者が能力も大した思想もないからこれ位で済んでいるが、将来真の独裁者が生まれる余地がある。

 独裁体制の中では、とくに権力者の不正が懸念されるが、国会で野党が真相解明するのには限界がある。やはり取り調べのプロの検察に期待がかかるが、行政内(権力者の指揮下)にあれば及び腰になり易い。森友学園問題に係る財務省の文書改竄問題で、(「村木裁判」で弘中弁護士に検事による証拠改竄を見抜かれ信用失墜した)名誉挽回のチャンスでもあり大阪地検の女性特捜部長による真相解明が当初期待された。だが、文書の本幹部分が改竄されていないとの詭弁みたいな事由で佐川元理財局長らを不起訴とし(先月末大阪検察審査会が「不起訴不当」と議決)、当の女性特捜部長はさっさと函館に栄転して行ってしまった。

 警察・検察体制は、本来行政と切り離すべきと思うが、武力を有し時に(戦後の共産主義が吹き荒れたときなど)政府と敵対関係になりうる可能性が絶対にないと言い切れない限り行政の長の指揮下に置かざるを得ないのは理解できる。

韓国では、特別検察官制があり特別検察官が朴槿恵前大統領を捜査し、容疑を認定した。ただ事件化には国会の議決が必要。日本では証人喚問すらままならないので機能しないか。

仏にはJOC竹田会長の贈賄疑惑を捜査する予審判事がいるが、日本の特捜部検事は1949年に廃止した予審判事と同じではないか。それなら特捜部を地検から離脱させ、予審判事として権力者等に関わる重大事件の捜査の公正・中立性を確保した方よいのではないか。

 さらに権力者への規制で言えば、失政しようと思い失政する権力者はいない。だが、失政になっても失敗を認めず統計指標を操作?してでも失政を続ける権力者はいるかもしれない。権力を握った者に鈴をつけることは容易ではない。それで歯止めとして(自民党総裁の)多選禁止がある。だが、連続26年までを自民党は軽挙に39年に変更してしまった。

その総裁選で勝利し首相の3選が決まり、一番嘆いたのは、日銀マンではなかったか。

20192月号N.107(「たいざい VS たいがい」)で触れたが、首相がアベノミクスの失敗を認めない限り超金融緩和政策を変更できない(止めるに止められない事態に陥っているとしても)6年間での日銀財政の惨状がもう3年さらに悪化する。英国紳士風を装いプライドも高い日銀マンが頭を抱えている姿を想像するに難くない。

小選挙区制以前の自民党では、自由闊達な議論がなされ自浄作用も期待できたが、選挙での公認という生殺与奪権で抑え込まれた自民党議員に昔の面影はない。そんな自民党に議員の利害で総裁はともかく総理(首相)まで勝手に多選させることを許してよいものか。

洋の東西を問わず、「権力は腐敗する」。党派を超えて議決し国民投票を経て、憲法に連続2(6)までとか、首相の多選禁止の条文を明記すべきであろう。

 

2019.4 NO.112 つやの VS つやの                                                   

 つやのよる。通夜のことではない。それなら馬から落馬と同じだ。天才シンガーソングライターの井上陽水さんは遊び心で『リバーサイドホテル』の歌詞で「夜明けが明けたとき」「川沿いリバーサイド」「金属のメタル」とわざとダブらせているが。

『艶の夜』は、作家井上光晴氏の長女で同じく作家の井上荒野女史による小説の題名。まだ若いのに余命いくばくもない艶という男好きする、欲望のおもむくままに生きた女に絡まる男達の妻、愛人の揺れ動く心のひだを女流作家ならではの感性で描く。映画化もなされた。大竹しのぶさん、風吹ジュンさん、小泉今日子さん、真木よう子さんら豪華女優陣が“競艶”している。

  つやのひる。艶の生き方とは似ても似つかぬ亡き我が母の通夜に纏わる小話。亡くなってもう6年になる。昨年の暮れ7回忌だった。母が亡くなったときのことは、20134月号「さくら と さわら」で少し触れた。母が亡くなる前日に義母が亡くなり線香の番をして夜を明かそうとしたとき思いがけず兄から連絡が入った。急遽、義母の通夜に出る妻と子供を残し、線香の寝ずの番をした翌朝私一人が故郷神戸に向かった。

神戸に着くと既に母の遺体は葬儀会館の安置所に安置されていた。母の顔を見たが涙は流れなかった。

 

平成5末に銀行を辞めた私は翌正月単身上京したがすぐに二重生活が難しくなり、母を残し東京に家族を呼び寄せることになった。一旦帰郷し家財を整理した。ひとり東京に戻る夜の新幹線の中で外は真っ暗で景色は見えないのにずっと窓を見ていた。窓ガラスに泣顔が映っていた。以来母の分の涙は底をついたのか、母を思って涙を流したことはない。

心に棘が刺さったままの私の母を偲ぶ心情はすぎもとまさとさんの『吾亦紅』の歌詞に近い(「来月で俺 離婚するだよ そう、はじめて 自分を生きる」の部分は共感できないが)

親不孝の私は母に母の一生はどうだったかと聞くことはできなかった。さだまさしさんの『無縁坂』の歌詞どおりの人生ではなかったかと思っている。

思えば、よくぞ母は米寿近くまで生きたものだ。一病息災というものか。

敗戦後打ちひしがれていた日本人が自信を取り戻していくその一つのエポックとして昭和34年児島明子さんがミス・ユニバースで世界一になり世の中が沸き返った。私が9歳の頃だが、30歳半ばの母は胃下垂が腸に癒着し、50㎏を超えていた体が35㎏までやせ衰えていた(母の顔を書いたとき時骸骨の絵になったという。私は覚えていないのだが)。手術するとき麻酔でそのまま逝ってはと余り麻酔を利かせなかった。昔のことで泣き叫んでいる方が大丈夫だということらしい。母は「メスが入ったときバリバリと音がした。切腹させられた。金輪際こりごり」とよく言っていた。それから50年以上生きた。

検査等で一緒に病院へ行くとき子供心に母がもういなくなるのではと心細い思いをしていた。それがあるのか、アホな私は小学校の母の日の作文で「お母さんが死んだら、大きなおはかをたててあげる」と書いた。成人してからも母や兄によく冷やかされたものだ。

 

通夜は翌日だということで葬儀会館から近くのビジネスホテルを紹介してもらいそこに泊まった。通夜当日の昼頃葬儀会館に出向いた。控室で手持ち無沙汰で横になって土曜の競馬中継をぼんやり眺めていたら突然後ろの襖が開いた。死化粧が終わったので視てくれという。薄化粧とはいえ白く顔が塗られ口紅も赤く、見慣れた母親の顔ではなく戸惑いを感じた。熟視することもなく、すぐに「ありがとうございます」と頭を下げ終わらせた。

 通夜には昔長屋の隣同士だったご主人が来てくれていた。40数年振りに会ったが、もう90歳になるという。本人はここまで長生きするとは思わなかったとのことだ。他の長生きしている人もきっと結果論に過ぎないのだろう。身寄りの少ない、母の友達は寂しそうに泣いていた。次々と友らを送らなければいけないのなら、長生きするのも辛いものだ。

 

通夜が終わり、喪主の兄ら他の家族は皆家に戻り、私だけ控室で寝る。敷かれた布団を見て、怪訝に思った。たしか昼に死化粧を施された母の枕は北向きだった。同じ方向だから北向きではないか。会館の窓から確認してもどうやら北向きだ。神戸は東西に長く山側が北で分かりやすい。会館の人に指摘すると、返事は「仏さんに足を向けなければ、それでよい」ということだった。「ほんまかいな!? いくら無宗教の私でも60数年日本の風習の中で暮らしていると気になる。南向きに枕を移し寝ることにした。

 翌日葬式の朝別の階に個室の風呂があり朝風呂に入った。控え室に戻ると民宿にありがちな朝食メニューの数々が用意されていた。

 葬儀会館は至れり尽くせり、遠方から来るものにとってはありがたいことこの上ない。縁起でもないが、次の葬儀もここでやってもらえたらと身勝手にそう思った。

 

ただし、私自身のときは葬儀ビジネス、お寺ビジネスを利用するつもりはない。

本ブログ20123月号NO.9(「アダム サダム」)に書いたように、神仏を恐れるどころか、阪神大震災で壊れた神社に八つ当たりして以来もう20年程、きっぱり神社仏閣に手を合わせることはない。とはいえ、それを家族にも強要するようなことはしない。

ファミリーの祝い事でお参りするときは、内孫3才の七五三では富岡天満宮で家族と一緒にお祓いを受けた(その後すぐ神主が刃傷沙汰に遭ったが)。その後内孫が生まれた時も水天宮で、外孫が生まれた時は葛飾八幡宮で、皆と一緒にお祓いを受けている。

某住職の本を読むと、「坊主丸儲け」と言える大きな利権がある寺はほんの一握りでしかない。ほとんどの住職が兼業しないと立ち行かないことが分かったが、それでもNO!(僧衣反則切符問題よりも、もっと、いわば構造不況業種として抜本的対策を住職たちは考える必要があろう)

高校の大先輩白洲次郎に肖り「葬式無用」「戒名不要」と遺言している。火葬場でのど仏を妻が拾って持ってくれたら、それだけでいい。遠い神戸の墓には入らない。妻は、ちゃんとした墓に入りたいなら、死後離婚して自宅から歩いていける実家の墓に入ればよい。

 私にとっての位牌は、本ブログ50号までをまとめた非売本だ。私の存在を知る孫たちが高校生・大学生になり大人の話ができる頃には私は鬼籍に入っているだろう。ブログ本を読んで、祖父がどんな人で、どんなことを考えていたかを知ってもらえればと思う。私が見ることのない曾孫たちは、自慢にもならない曾祖父のことなど関心を持つ必要はない。

 

命日でなくとも、家族が集まったカラオケの時にでも、晩年吉幾三さんの『ありがとうの唄』の6分を超える長い歌を私がよく唄っていたことを思い出してくれたらそれでいい。

「ありがとう 言えるよな 最後であればいい お前にも子供もにも すべての人たちに」と唄っていたことを。

 

2019.3 臨時号NO.111 ゃく VS ゃく(2)

本ブログエッセイのこれまで掲載した中で、私自身が気に入っているものを取り上げてみた。各号の標題の一字違いについては、必ずしもオリジナルなものだけではない。初号の「オス メス」や50号の一字違いの定番である「コンクラーベ コンクラベ」なども使用している。

オリジナルで気に入っているのは、NO.13ちょうしゅうりき(長州力)としょうしゅうりき(消臭力)NO.38 むりしで(無利子で)とむりして(無理して)NO.49アンナカレーニナ(小説の主人公) アンナカレーニシナ(杏奈カレーにしな)NO.62ピペット(スポイトの類)VSパペット(操り人形)NO.69いたがり(痛がり)VSいいたがり(言いたがり)

 一字違いを探すのはまだ苦にはなっていない。色に関するだけでも、あかVSあお、きいろVSきんいろ。きんいろVSぎんいろ。しろVSくろは99号で使用したが、まだシロサギVSクロサギや白人VS黒人がある。

世に出ている面白いものに、ミランダ―カー(美人モデル)VSニランダカー(睨んだかー)、やくみつる(漫画家)VSやくみつゆ(東国原氏の芸能界復帰時没になった芸名候補)がある。

しかし、面白い一字違いがあっても、3千~4千字の文章を書くことは簡単ではない。とくに下ネタ等は。あげまんVSさげまん、あんこVSうんこ(うの字を他の字に換えても)、ドエスVSドエムなど、それを標題にするのも憚れるし、Storyも難しい。

 

そのStoryで私が気に入っているものは次の通り。裁判員制度を批判したNO.5サイパン()とサイバン(裁判)。甲斐性のない夫の末路を描いたNO.16アントキノイノチ(さだまさし氏の小説)とアントキノイノキ(ものまね芸人)。国民主権の欺瞞に触れたNO.41えいこく(英国)とばいこく(売国)ABE主義と批判したNO.80かいげん(改元)VSかいけん(改憲)、武士道を思い起こしたNO.82ぶし(武士)VSぎし(義士)。紛争地の海外邦人救出の為の憲法第9条二項の改変をなぜ政治家は口にしないのかとの疑問を呈したNO.87ほご(保護)VSほこ()。戦後は終わっていないと書いたNO.91かいざん(改竄)VSたいざん(大山)。“天皇制社会主義”が揺らぐと新自由主義を批判したNO.102びぼう(美貌)VSびんぼう(貧乏)。日本人の心・精神に武士道精神という火入れをと説いたNO.107はじ()VSいじ(意地)。支持者に眼を覚ませ!と安倍首相の失政を総括したNO.109たいざい(大罪)VSたいがい(大概)

それから女支配社会の夢物語NO.63おとこ()VSおとめ(乙女)。これは、その前月号のNO.62ピペットVSパペットの冒頭にて枕詞で「SMAP解散とSTAP細胞はともに幻に終わった。」と書いた。SMAP独立騒動でメンバーに公開処刑ならぬ公開謝罪をさせ、後日(経営面のトップではない?)代表のジャニー喜多川氏が解散はないと明言したと思ったのでそう書いた。が、アップして10日ぐらいあとに解散報道が出た。

「落日のジャニーズ帝国はどないなってんねん!?」と怒り心頭に達した。翌月号に訂正原稿を載せるべくすぐに着手したが、鈍い頭も怒ると回転がよくなるのか、私にしては上出来なStoryが出来た(ミソジニーのつもりはない。ただ女は怖いとは正直思っている)。災い転じて福となすと言ったところか。私にとって思い出深い号になった。

 

 私は人生のゴールを一応喜寿77歳に設定しているが、あと9年もある。ブログ掲載を月1に戻しても煩悩の数108もある。そこまでブログを書き続けるのは、如才はあるが文才のない私にとっては至難の業。畢生の事業とするには荷が重い。

 毎週愛読していた週刊新潮連載コラム『管言妄語』が昨年11月に10年を区切りに472号で残念にも終了した(保守の論客西部邁が亡くなり、「言論」の無力感からか劣化した日本社会に声高に喝!を入れてくれる大御所がいなくなっていく。執筆者の藤原正彦氏には世のご意見番の任は別の形でも引き続き担ってもらいたいが)。最終回で藤原先生は週1連載の大変さに触れられていた。

10年でもすごいことだと思うが、次のお二人はもっと凄い。

櫻井よしこ女史の同誌コラム『日本ルネッサンス』は800号を優に超える。年間48号前後とすると何と18年に及ぶ。1年間ですら、1週間で3号分書き溜めるほどの力量がなければすぐに自転車操業に陥りとん挫してしまう。安倍首相擁護の号は読むに堪えないが、何にしろこんな長期間掲載し続けられるのは称賛するに値する。

 高山正之氏の同誌連載コラム『変見自在』も800号を超えた。毎週知られざる逸話、裏話を披露する、それを延々と続けられることに感嘆を禁じ得ない。

 私にはとてもお二人のマネはできない。仕事でもないし、誰かに頼まれたわけでもない。ズタボロになる前に止めた方が賢明に違いない。ただ、ブログエッセイを止めてしまえば、怠け者の私は本を読まなくなるし、考えることもしなくなる。一気にボケてしまうだろう。

この歳になれば癌も怖いが脳が壊れる方をもっと恐れる(家族や知人はとっくに壊れていると言うだろうが)。とりあえず150号を目標としてなんとか書き続けて行こうと思う。

 

2019.3臨時号 NO.111 ゃく VS ゃく(1)

 TVのワイドショー等で連日のように眞子さまの婚約延期問題が取り沙汰された。新たな動きがあればその都度また大騒ぎになるのか。秋篠宮殿下が会見で「多くの国民に心から祝福される・・・」というご発言を逆手に取るかのように。

私に言わせれば、「とっくに詰んでいる話なのに、次代における皇嗣家となられる秋篠宮家に関し喧喧囂囂囃し立てるようなことは不敬ではとの認識には至らないのか」となる。国民の税金が絡むとはいえ、マスコミはもっと節度を持ち静観すべきだと思うのだが。

宮内庁の方は、秋篠宮家の問題として静観しているように見えるのはいかがなものか。事前に進言したが聞いてもらえなかったとして傍観しているとでも言うのか。それとも(穿ちすぎかもしれないが)宮内庁が総理府外局から内閣府直属に変り現首相のスタンスが強く反映しているとでも言うべきなのか。

下々の最底辺に位置する私めが、“身の程を弁えず”、やむにやまれず物申す次第である。

 

さて、8年前、私が還暦を迎え後ろを振り返るようになった時、前後して前立腺がんと分かり、元気な内に、細やかな人生ながらこの世に生を受けた証を遺したい。子供達には遺言となるものを遺したいと思い、20117月から月1ペースでエッセイをアメブロに掲載し始めた。

  3年半前50号に達したとき、家族への遺言書とすべく知り合いの印刷会社にお願いし非売本(A5版、2百数頁、ハードカバー、リボン付きで80冊、費用約50万円)にまとめた。

肝腎の家族には、期待した程ダメ親ダメ亭主の評価を覆すには至らなかった。一方、嗤われないかとおそるおそるお世話になった先生方に謹呈すると、予想に反して好意的な反応があった。社交辞令もあろうが、気をよくして今後も続けて行こうという意欲が湧いた。

 

本にした50号までは、遺言書として遺るものであり、ある面よそ行きの趣が多分にがあるが、51号からはもっと私の素に近い本音を書くようにした。ブラックユーモアというより世に毒を吐くようになって行った(ベストセラー『終わった人』『すぐ死ぬんだから』を書いた作家内館牧子女史のようにフグ肝の猛毒ほどではないにしろピリピリ感が病みつきになるのが理想だが、私の場合は単に悪臭を放つにすぎないか)

ある号を大学の同級生に読んでもらったことがある。「幸せなんだろうと思っていたが、不幸なんだな」と言われた。そのときはすぐに意味を理解できなかった。たしかに、銀行員を辞めず続けていても今のように首相批判等をしていたとは断言はできない。「負け犬の遠吠え」、「ごまめの歯ぎしり」など何を言われても甘んじて受けよう。それでも、売名行為と思われたくないとボランティアを全然しない芸能人よりも売名行為と言われてもボランティアをし続ける芸能人を私は支持したい。

 

75号前後の頃だと思う。100号に到達すればまた本にするかと思案し始めたとき、妻に先手を打たれた。何か無駄遣いの話をしているときに「まさか、また本を出すつもりではないでしょうね!?」と釘を刺されてしまった。「50万円ほどしか」と反論しようと思ったが、「あんな雀の涙みたいな年金で働きもせず、いけしゃあしゃあとよくも言える・・・」と言い返されるのがオチ。癪だが沈黙するしかなかった。

 本にしないとなると月1の定例に拘る必要もない。月初の例月号のほかに臨時号や増刊号をアップし3度掲載する月もあった。NO.60ネットVSシットを書いた時点では掲載アップするまで一か月以上時間をかけていたが、23日で書き上げアップしてしまうことも。

残念ながら私の力量ではより拙劣になりがちになる(画家も一応の完成を見ても後からじっくり手直しするように、そんな時間が必要。私にとってTwitterなど危なくて論外)

ブログを書くにあたっての心掛け(①他人様(故人は除くが)を呼び捨て扱いしない。②原則私憤は晴らさない。③公人やそれに準ずる著名人を批判するが、反権力であって、反日ではない)は、今も守ってはいるが。

それで、今は乱作を慎み、原則、20日経過ごと(2ヶ月間で3)1日、20(臨時号)、翌月10日のサイクルで、掲載するのを守っている。

 

星の数ほどあるブログの中で匿名のどこの馬の骨がも分からない私のブログを見つけ読んでくれるのは、偶然彗星を見つける確率と同じ程度かもしれない(フォロワー登録して頂いている方や知人・同級生が読んでくれるのは感謝の気持ちが強いが)全く知らない他人が読んでくれていることが分かるとそれは嬉しいものだ。

20186月臨時号NO. 96 (「イエローカードVS イエローバード」)で、事件が2月に起こり被害者が被害届を取り下げた後の4/25になってなぜかニュース速報したNHKに対し猛抗議もせず? TOKIOに仲間を公開処刑させた件を取り上げた(財務省のセクハラ騒動等から国民の関心を逸らす為との陰謀説が出たが、昨年暮れ総理官邸に不祥事が大々的に報じられたTOKIOがわざわざ招かれた。陰謀説の真実味が増したと言えまいか?)

世論に背を向けることは珍しくないが、怒りに任せいつもより踏み込んで書いていたので、どうかと案じた。が、一人が「いいね!」を押してくれた。それも遠い海外在住の日本女性。一人でも賛同してくれる“女性”がいると分かり、安堵&勇気を得た。

 

2019. 3 NO.110  ぜんとうよう VS  ぜんとうよう

 この前の米国の中間選挙では、(大統領の)弾劾裁判を担う上院で共和党が勝利した。まだトランプ大統領への風は続いているが、錆ついた工業地帯(ラストベルト)のプアーホワイトは「トランプが救ってくれる」という幻想から目が覚めたようだ。だが、岩盤支持層以外にもまだ覚めていない人が多い。国民と違い間近に大統領を見るホワイトハウスの住人はトランプ王国の社員とは訳が違う。大統領にNO!を突き付け解任されるか自ら去っていく。

 その中でマチス国防長官が辞任しないことは米国だけではなく世界にとって救いだった。戦争に詳しい人ほど戦争を回避しようとする。そのマチス長官もついに2月末辞任を表明すると、昨年末に職を解かれてしまった。アメリカファーストのトランプ大統領の暴走に歯止めが利かなくなると世界が心配している。

マチス前長官と並んで国際協調派のティラーソン前国務長官はとっくにいない。1年強前、対北朝鮮対策を巡って、トランプ大統領がツイッターでティラーソン氏を批判し、それに対してティラーソン氏は大統領をmoron!(noromaではなく manukeというような意味)と呼んだ。もともとエクソンモービルのCEOであるティラーソン氏の方が独立系不動産業のトランプ氏より社会的地位は高い。堪忍袋の緒が切れたのであろう。そして解任された。

 

私もティラーソン氏と同じようなことをしてクビになった。20158月に卒職したのだが、実際は業界団体のその後が心配と顧問に就任し、小遣い銭を貰っていた。1年半が過ぎた頃、トップの姿勢に不満を持ち姿勢を改めるようアドバイスを強めていた。トップがさすがにうるさいと感じ逆切れしたようなメールを寄越したので、自宅で観た私は、キレて、6歳年下とはいえトップに向かって「お前はバカか?」と返信メールした。それで、トップから「You are fired!」と宣告された。妻には「何でそうなるの!?」と呆れられた。

コンサル契約に準ずるので事の経緯には関係なく契約を解除されても仕方がない。が、一矢報いずにおくものかと友人の弁護士に会いに行った。だが、相談した相手が悪かった。

 その弁護士は、私とは逆に、数日前に無二の親友からみんなの前で罵倒され、絶交を宣告されたばかりだった(仕事がらみなので守秘義務から経緯は聞けなかった)。思いがけず親友の逆鱗に触れてしまい、困惑と屈辱でとても私の味方になるどころではなかった。

 私が採れる最終的な反撃手段としては、負けを承知で裁判に持ち込むか、全会員にメールするかであるが、唯我独尊であれ協会の為にトップの姿勢を批判したのだから協会自体を傷つける選択肢はない。「反権力だが反日ではない」が基本スタンスの私には。

ちょうどその頃森友学園問題で籠池氏が国会に証人喚問されていた時だった。TVで籠池氏の様子を見て自分には籠池氏ほどの覚悟はないと思い、矛を収めることにした。

 話が横道に反れるが、それにしても国会の証人喚問に昔ほどピリピリとした緊張感が感じられない。籠池氏の時もそうだが、佐川、柳瀬(参考人)両官僚の応答ぶりを見てそう思った。事の重大さが違うとはいえ、我が大学の先輩旧日商岩井の故海部八郎はロッキード事件の証人喚問の署名の際酷く指が震えてサインが出来ないほどだった。小泉元首相と安倍首相が国会の権威を大きく失墜させたと思う。それを許した他の政治家も同罪と言えるが。

 

伝説上の龍の逆鱗は分かりやすい。81枚の鱗のうち、顎の下に1枚のみ逆さに生えるとされる。人間の逆鱗はどこにあるか、何枚あるか、分からない。外見からは、頭が薄くなった、無様に太ったなどある程度想像でき逆鱗に触れない様用心できる。しかし、心の中の逆鱗は見え辛い。癌は、若い頃にはなくても、癌が発生すると20年ぐらいかけて1cmになるが、2cmになるのに1年しかかからない。そうなると生命の危機に関わる大ごととなる。人の逆鱗も癌と同じではないか。急に現れたように見え、人間関係を壊す。

ある大学同級生が大学時代の旧友と旧交を温めたが、大学時代の上下関係を今だに持ち出すと怒っていた。我ら現役組は浪人組からすれば弟分。50年タイムワープして同じ物言いが気に入らないと言うのだ。それぐらい許してもよいではないかと宥めていた私も結局浪人組と同じく絶交状態に置かれた。なぜそれが逆鱗となるのか彼の心の内は分からない。

 

逆鱗では難しいのかもしれないが、普通、怒りは6秒間我慢すれば、静まるという(怒りに打ち震えている時利き手の右手の拳を強く握る人がいるが、怒りで活性化している前頭葉の左側がさらに刺激され攻撃性が増すので、握るなら左手がよいという)

年をとるとその6秒が我慢できない。前頭葉(前頭前野)が劣化すると抑制が利かなくなる。そこに酒が加われば大爆発となるのか。

年とると性格が丸くなると言われるが、それで性格が変わるとは私には思えない。男性ホルモンが少なくなり男としての攻撃性が弱まるだけなのではないか。それでも、感情のコントロールが利かなくなると女より怒りの出方は暴力的だ。

 高齢化社会、核家族化が進む現在老々介護が問題になる。妻が夫を看病・介護する場合よりも夫が妻を看る場合が危ない。妻の看病で疲れ、無理心中するケースが散見される。男は馴れない家事にストレスを感じる。妻が認知症であれば無償の愛とは言え反応を示さなければ絶望感が押し寄せるのか、抑制が利かず一線を越えてしまうことも少なくない。

昨年の初め台湾の火鍋店では、隣に座った女性の長い髪が老人の手に触れたことでちょっとした口論になっていたら、いきなり老人が火鍋ごと女性にぶちまけた。老人の普段の言動は知る由もないが、それが前頭葉の劣化のなせる業なら、他人事とは思えなく、怖い。

 前頭葉の劣化は、運動機能の低下も引き起こす。高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違いでコンビニ等に突っ込む事件が後を絶たない。元特捜部長ほどの人物でも78歳のとき踏み間違え?で死亡事故を起こし、晩節を穢してしまった。

 高齢者は車の運転を止めればよいのだが、家長然として振る舞う人には首に鈴をつける者がいない。アニメ『ちびまる子ちゃん』の食卓風景は息子ヒロシが上座に座り、父の友蔵はサイドに位置する。「老いては子に従え」が良いのだが、偉い人はそうはいかない。

 無理に家族が免許の返納をさせようとしても、それが不満で自宅兼工場を放火し自殺しようとした高齢者が出た。我妻ならずとも「何でそうなるの!?

 

脳以外の他の臓器や手足が劣化すると、食べる量が減る。歩けない。骨が折れやすいなど自身が不利益を被る、不自由になるだけ。他人に世話になっても迷惑をかけることは少ない。脳が壊れていくと、味覚が落ちる。暑さ寒さに対する感覚が鈍くなり熱中症や肺炎になりやすいのは、まだよい。車で事故や死傷者を出す。かっとなり他人に危害を加える。ガスを消し忘れ、隣家も類焼させる。万引きするなど他者に迷惑をかける。年とってムショ暮らしは悲惨。若者は前途洋々だが、年寄りの前途はなにかと不安が覆い暗い。

 『ホンマでっか!?TV』でお馴染みの池田清彦先生は「生物学的に言えば、人の寿命は40年位」と言った。実際はその倍の80年以上生きる。耐用年数をはるかに超えている脳が壊れても不思議ではない。頭が壊れる前に癌で亡くなるのは一概に不幸せとは言えないのかもしれない(若者の癌は理不尽。何としても直ってもらいたいと切に願うが)

 

 

2019.2 NO.109  たい VS  たい

 5月から新元号の世がスタートする。日本の権威天皇陛下は、20168月に国民にビデオメッセージを発せられた。「人の寿命が伸びる中天皇も生身の人間である以上終身在位は過酷であり、子孫にもそのような負担を負わせたくない。生前退位を認めてほしい」との旨を国民に訴えられた。保阪正康氏は「平成の人間宣言」「平成の玉音放送」と名付けた。

 「一代限り」として陛下の想いに沿わなかった日本の権力者安倍首相はまだ首相の地位にある。何に胸を張ってか総裁3選を果たした。

3選がよくて4選がダメという理由はない。自民党の総裁は多選しようと何しようと自民党の勝手だ。しかし、総理(首相)も主権者たる国民の意思に関係なく(勝手に)延長することは許されてよいものか(予定通り退陣しても、ABE政治が続くなら、意味がないが)

 今制度の下では、参議院選で民意を発現するしかない。「自民党も大概にしろよ!?」と。

今般“徳少罵言”(前号参照)の私は平成における安倍首相の失政を5つの大罪にまとめた。

1の大罪は、憲法解釈による安保法制の成立。それにより米国の戦争に自衛隊員等日本人が巻き込まれることが危惧されることになった。広く国民の間で議論されることなく、権力者の禁じ手憲法解釈で強行された。そのことに対して直接の言及はないものの、現憲法による平和を希求し続けてこられた天皇陛下は、象徴天皇として守り続けたあるべき姿を超えるかのようなギリギリのお言葉を発せられたと私は思っている。その平成の玉音放送に対して内閣が総辞職してもよい事態と思うが、それに対する鈍さは大罪の名に値する。

 切れ者元参議院議員平野貞夫氏は、この憲法解釈による安保法制を手始めとして安倍首相を刑法78条「内乱予備罪」により昨年9月から東京高検に告発し続けているという。

 第2は、米朝対立に際し米国に加担したこと。唯一の被爆国にとして非核化を求めるのは、北朝鮮だけではなく、それは米国、中国等に対しても同じことのハズ。北朝鮮が悪魔の書をマスターしてしまった以上、北朝鮮だけに非核化を求めても徒労に終わる。米国に追従し北朝鮮に圧力をかけ続けた結果は中国と北朝鮮の関係が元に戻っただけ。今の韓国が離米・反日を続けるなら宗主国中国の下に北朝鮮主導の南北統一も視野に入る(その折レーダー照射問題で首相が一番ムキになっているとの印象を韓国側に与えてどうするのか?)

ノーベル委員会も会談は茶番と見たのかトランプ大統領に平和賞を受賞させなかった。米朝対立・会談の明確な結実は、一方の演出者米国が日本に(ミサイル連射では役立たない)核・ミサイル防衛装備を高値で買わしたこと。トランプ大統領は、買わせた以上おだて一辺倒である必要がないと、安倍首相に懸案の対日貿易赤字で厳しい顔を向け始めた。

3は、カイロでの人道支援声明。20151ISと闘う周辺各国に2億ドルの人道支援する声明を熟慮もなく発した。キリスト教宗主国米国からの自身の覚えをめでたくするために。ISが敵意を剥き出しにする十字軍側に日本が加担するのかとIS側を怒らせた。

その後起こったことは、人質の湯川遥菜さんと助けに行った後藤健二さんが殺害され、翌年ダッカでバングラデシュの為に尽力する無辜な日本人7名が殺害された。

その頃から政府関係者よりもネット上で「自己責任」論が喧しくなった。首相支持のネトウヨらに、首相のこの大失態や邦人保護という政府の「自己の責任」を果たしていないことに対する非難をかわそうとする意図があるように私には思える。

IS等のテロ行為は宗教戦争としての側面も見るべき。圧倒的な軍事力の差から、そういう方法しかとれないのでは。一神教を理解できない日本人にとっては、一神教はどこも残酷に思える。サウジ記者のトルコの総領事館での暗殺も残虐極まりないが、キリスト教側も残忍だ。古代エジプト女性天文学者ヒュパティアの虐殺、十字軍の遠征、聖バルテルミーの虐殺、開拓の名によるアメリカインディアンの大虐殺、日本への原爆投下等を見れば。

 日本は、ルールもなく、場外乱闘もある宗教戦争では、日本の出る幕はない。宗教も敵味方もないナイチンゲールの役割しか果たせない。1890年トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難した折漁村の人々が献身的に救助した。第二次大戦下ユダヤ難民に杉原千畝が命のビザを発給した、ように。

4は、無駄にアベノミクスを吹かし続けたこと。3本の矢と言うけれど実質は1本だ。超金融緩和政策だけ。それについて本ブログ20173月号NO.69(「いたがりVS いいたがり」)で批判した。が、その後に発刊された『アベノミクスによろしく』(インターナショナル新書)は、リフレ理論による壮大な実験が大失敗に終わったが、それを隠蔽するかのごとくGDPの改定に合わせかさ上げがなされたことなどを庶民の私らにも理解できるよう分かりやすく説明している(上梓したのはエコノミストではない。35歳前後のつい最近まで司法試験と格闘していたと思われる弁護士の明石順平氏だ)。読んでいな人でも、横ばいで推移するに過ぎないのに戦後最長の景気回復と言われても庶民に実感ができるハズもない。

 頭の悪い私でも皮膚感覚で物価を上げる(前年比2%)のを政策目標にするのは変だと分かる(借金までして勉強部屋を増築すれば子供が勉強し成績も上がると思う甘い考えの親と変らない)。物価が上がっても名目賃金が上がらなければ実質賃金は改善されない。消費意欲も湧かない。賃金を上げられるよう景気をよくすることが「政府」の政策目標であり、その過程でインフレにならないように物価の安定を図るのが「日銀」の役目であるハズだ。

超金融緩和の結果は、円安により輸出企業が潤ったのと年金(GPIF)、日銀(ETF)、富裕層が株に走り、経済の実態に関係なく、株価が上がっただけ。一時日本のGDP550兆円程度に対し株式の時価総額は675兆円(20189月末)まで乖離した。いずれ実体経済が株価に追いつくより株価が実体経済に見合うまで下がる公算が高い。株価が乱高下してきたのはその前触れともとれる。バブルは文字通り泡と消え、その時残るのは日銀保有の443兆円(20181220日現在。第二次安倍政権発足時は100兆円にすぎない)にのぼる、金利0%に近い超低金利の国債の屑の山。

フローで見れば、超低金利の反動、トランプ政権からの円安是正要求から金利は反転していく。日銀の負債・当座預金の金利が上昇すれば、逆ザヤになり、直に日銀は債務超過に陥る。民間銀行なら間違いなく倒産だ。ストック面から言えば、金利が上がれば国債価格は下がるから売るに売れない。売れば暴落を呼ぶだけ。酷いツケを将来に持ち越しするしかない。一時的に株高でよい思いをした富裕層だけではなく、国民全体で背負わされる。

黒田日銀総裁は任期満了で泥船から逃げたかったと推察するが、叶わなかったようだ。戦後最低の自民党・日銀の総裁コンビとして歴史に断罪されるだろう。

5の大罪は、官僚制組織を壊し、議論の場としての国会を形骸化させたこと。自身のモリ・カケ問題で、国会も1年以上も空転させたが、行政の長としての責任も反省もない。その後の労働裁量制案の撤回や(技能実習生の失踪多発、シンガポール型階級社会が日本に馴染むかとの問題等の吟味もしない)生煮えのままの入管法改正案の強硬採決を見ても。

  5つの大罪に加え、この実質の移民拡大政策が第6の大罪として浮上して来よう。藤原正彦氏は週刊新潮の連載『管言妄語』終了直前の11/8号で(掉尾を飾るがごとく)「日本がなくなる」と批判し、「みごとな外交を展開してきた安倍首相だ。正気を取り戻すことを期待したい」と文を結んだ。正気を失った?権力者に精一杯の空世辞を言い翻意を求めていたが。

 拉致問題、改憲もダメ。安倍首相が前のめりになる北方領土返還問題も、年金改革で人気が低下したプーチン大統領は2島返還など考えていないハズ。共同経済活動という日本側のGiveを急かしているだけ。その後の日本側が期待するTakeはのらりくらりかわすのでは(首相の「米基地置かぬ」発言報道に対し、米国も返還はないと見て問題視しないのか)

この他、水道法改正(運営権の民営化)も強行されたが、これに限らず、『日本が売られる』(幻冬舎新書)とジャーナリスト堤未果女史は警鐘を鳴らす。暗澹たる気持ちになる。

安倍首相しかいないと思うのは大きな勘違いだ。経団連のスタンスも変ってきている。

新元号の世に、上皇陛下、新天皇陛下が安寧なお気持ちで国民を見守っていただけるよう我々国民がしっかりしなければならない。