2019.5 NO.113 ほう VS  ほう

 日産ゴーン()会長事件、無罪請負人の異名を持つ弘中惇一郎弁護士と東京地検特捜部との全面対決となろうその裁判はいつ行われるであろうか?

 本事件については、次第に内容が私にも見えてきた。仏政府からのルノーと日産自動車との経営統合要請に対し当初ゴーン会長が反対していたが、抗しきれず統合を進めようとするに至り、ゴーン会長の子飼い役員が統合を阻止すべくクーデターを起こした。起訴内容は本来社内の取締役会にて処理すべき問題にも拘らず、違法であった司法取引が解禁されたのを利用していきなり独裁者ゴーン氏を追放しようとしたと見える。

一方、司法取引の導入に尽力したという森本宏現特捜部長は、日本人に馴染むかとの疑念を払拭し司法取引を根付かせる為大きな花火を打ち上げたいと考えたのではと見られる。

しかし、双方の思惑どおりに事が進むか雲行きは怪しい。西川廣人日産社長は追放できると目論んだゴーン氏の特別背任容疑だけではなく、金融商品取引法違反(有価証券報告書への虚偽記載)における両罰規定から日産自体も起訴され、司法取引したにも拘わらず西川社長の責任も問われることになったのは誤算だろう。さらに、今も衣の下に鎧ならぬ経営統合の野心が見え隠れする仏政府・ルノーに弓を引いた事実は残る。保釈されたゴーン氏の復讐も始まろう。続投意欲を見せる西川社長は明智光秀にならずに済むものなのか。

地検特捜部の方も、「検察の正義とは何なのか?」と特捜部のあり方に疑問を抱き検事を辞めた郷原信郎弁護士が「ゴーン氏逮捕に正当性なし」と特捜部を猛然と批判している(弘中弁護士の弁護方針も同じか?)。「人質司法」と海外からの批判も浴び、大花火を打ち上げるハズが、絶対負けられない戦いとなり特捜部存続の瀬戸際に立たされていると言える。

 

 上述の郷原弁護士は、ゴーン会長の担当弁護士で2月に辞任した大鶴基成弁護士が特捜部長時代にライブドア事件を事件化したことに批判的であるが、私は「世直し」は検察にしかできないと思っている。堀江貴文氏や村上世彰氏のスーパーエリートが扇動する、日本人の美徳・美学に反する拝金主義的な風潮、価値観を払拭させたことを評価している。

 ただ、本件に大義はない。自動車という国策産業を外国企業に支援させるのを許しておいて、いまさら国策捜査はないだろう。また、司法取引も問題があると思う。「取り調べの可視化が義務付けられる見返りに司法取引を」と言われることに、それが本当だとすれば、違和感を覚える。テストでのカンニング防止のため学校側から監視カメラを設置すると言えば、生徒側から「それなら参考書の持ち込みを認めて欲しい」と言うのとどう違うのか。

 郷原弁護士は、日本版司法取引では、かえって捜査の透明性が損なわれると、次のように批判する。「米国の『自己負罪型』(被疑者・被告人本人が自らの罪の一部を認める代わりに他の罪の処罰をしない旨の検察官との合意)であれば、司法取引が成立すれば、有罪答弁によって、裁判も経ることなく事件は決着するので、それはただちに表に出ることになる。しかし(日本版の)『他人負罪型』(他人の犯罪についての捜査公判についての協力の見返りに、自己の犯罪の処罰を軽減する合意)は、その『他人』の刑事事件の捜査の結果、その他人が起訴され、公判が開かれなければ、どのような司法取引が行われたのかが明らかにならない」と説く。これでは、我々第三者はもちろん当の日産側も検察との取引が有利なのか不利なのかはっきりしてこない。結局、検察の為の司法取引ということか。

 

この他、本事件により我が国の「司法」における問題点に目を向けることになった。

ゴーン会長拘留の長期化に対する今回の海外からの批判は、先月再審請求が棄却された「鈴木宗男事件」で連座した佐藤優氏の勾留期間(512)、鈴木氏の勾留期間(400日以上)の異常さを思い起こさせる。当時私は「国策捜査なのか? 気の毒に」と思っただけだった。

鈴木、佐藤両氏は、知性も知力も気概もあり威信を賭けて戦い屈服することはない。しかし、無知あるいは無辜の庶民なら、弁護士と一緒に検事と対峙することは許されず孤立する中で長期に亘る苦痛からただただ逃れたいが為に、やってもいないことを想像して偽証自白してしまいかねない。それを裁判官が見抜けなければ、冤罪が生まれてしまう。

 罪を認めるまで保釈させたくないとの検事が思う気持ちは分からなくもない。しかし、保釈を認める立場の裁判所が証拠隠滅の一点をもって長期に拘束続ける検察に同調している(「推定無罪の原則」から逸脱している)と思われることはどうなのか(ゴーン氏保釈が、これまでの流れを断ち切ることになるのか、外圧による特例なのか、まだ分からない)

それでなくとも、起訴するか否かは検察に権限があり、起訴した99%以上の刑事事案が裁判で有罪にとなる現状において裁判所は検察の追認機関かと揶揄する向きもある。

 今の日本においては、三権分立が機能しているとは言えない。最高議決機関としての「国会」は議論がなされず権威も失墜している。「行政」は官邸に幹部官僚の人事を実質握られ、官僚は官僚道を踏み外し、文書改竄、計数操作?してでも官邸に媚び、忖度する。とくに独立が求められる「司法」においては前述のとおり裁判所と(行政の中にある)検察との位置づけが逆転しているかのごとくにある。権力者を規制する憲法は、憲法解釈で変えられてしまう。まさに権力者による独裁体制にあると言っても過言ではない。現権力者が能力も大した思想もないからこれ位で済んでいるが、将来真の独裁者が生まれる余地がある。

 独裁体制の中では、とくに権力者の不正が懸念されるが、国会で野党が真相解明するのには限界がある。やはり取り調べのプロの検察に期待がかかるが、行政内(権力者の指揮下)にあれば及び腰になり易い。森友学園問題に係る財務省の文書改竄問題で、(「村木裁判」で弘中弁護士に検事による証拠改竄を見抜かれ信用失墜した)名誉挽回のチャンスでもあり大阪地検の女性特捜部長による真相解明が当初期待された。だが、文書の本幹部分が改竄されていないとの詭弁みたいな事由で佐川元理財局長らを不起訴とし(先月末大阪検察審査会が「不起訴不当」と議決)、当の女性特捜部長はさっさと函館に栄転して行ってしまった。

 警察・検察体制は、本来行政と切り離すべきと思うが、武力を有し時に(戦後の共産主義が吹き荒れたときなど)政府と敵対関係になりうる可能性が絶対にないと言い切れない限り行政の長の指揮下に置かざるを得ないのは理解できる。

韓国では、特別検察官制があり特別検察官が朴槿恵前大統領を捜査し、容疑を認定した。ただ事件化には国会の議決が必要。日本では証人喚問すらままならないので機能しないか。

仏にはJOC竹田会長の贈賄疑惑を捜査する予審判事がいるが、日本の特捜部検事は1949年に廃止した予審判事と同じではないか。それなら特捜部を地検から離脱させ、予審判事として権力者等に関わる重大事件の捜査の公正・中立性を確保した方よいのではないか。

 さらに権力者への規制で言えば、失政しようと思い失政する権力者はいない。だが、失政になっても失敗を認めず統計指標を操作?してでも失政を続ける権力者はいるかもしれない。権力を握った者に鈴をつけることは容易ではない。それで歯止めとして(自民党総裁の)多選禁止がある。だが、連続26年までを自民党は軽挙に39年に変更してしまった。

その総裁選で勝利し首相の3選が決まり、一番嘆いたのは、日銀マンではなかったか。

20192月号N.107(「たいざい VS たいがい」)で触れたが、首相がアベノミクスの失敗を認めない限り超金融緩和政策を変更できない(止めるに止められない事態に陥っているとしても)6年間での日銀財政の惨状がもう3年さらに悪化する。英国紳士風を装いプライドも高い日銀マンが頭を抱えている姿を想像するに難くない。

小選挙区制以前の自民党では、自由闊達な議論がなされ自浄作用も期待できたが、選挙での公認という生殺与奪権で抑え込まれた自民党議員に昔の面影はない。そんな自民党に議員の利害で総裁はともかく総理(首相)まで勝手に多選させることを許してよいものか。

洋の東西を問わず、「権力は腐敗する」。党派を超えて議決し国民投票を経て、憲法に連続2(6)までとか、首相の多選禁止の条文を明記すべきであろう。

 

2019.4 NO.112 つやの VS つやの                                                   

 つやのよる。通夜のことではない。それなら馬から落馬と同じだ。天才シンガーソングライターの井上陽水さんは遊び心で『リバーサイドホテル』の歌詞で「夜明けが明けたとき」「川沿いリバーサイド」「金属のメタル」とわざとダブらせているが。

『艶の夜』は、作家井上光晴氏の長女で同じく作家の井上荒野女史による小説の題名。まだ若いのに余命いくばくもない艶という男好きする、欲望のおもむくままに生きた女に絡まる男達の妻、愛人の揺れ動く心のひだを女流作家ならではの感性で描く。映画化もなされた。大竹しのぶさん、風吹ジュンさん、小泉今日子さん、真木よう子さんら豪華女優陣が“競艶”している。

  つやのひる。艶の生き方とは似ても似つかぬ亡き我が母の通夜に纏わる小話。亡くなってもう6年になる。昨年の暮れ7回忌だった。母が亡くなったときのことは、20134月号「さくら と さわら」で少し触れた。母が亡くなる前日に義母が亡くなり線香の番をして夜を明かそうとしたとき思いがけず兄から連絡が入った。急遽、義母の通夜に出る妻と子供を残し、線香の寝ずの番をした翌朝私一人が故郷神戸に向かった。

神戸に着くと既に母の遺体は葬儀会館の安置所に安置されていた。母の顔を見たが涙は流れなかった。

 

平成5末に銀行を辞めた私は翌正月単身上京したがすぐに二重生活が難しくなり、母を残し東京に家族を呼び寄せることになった。一旦帰郷し家財を整理した。ひとり東京に戻る夜の新幹線の中で外は真っ暗で景色は見えないのにずっと窓を見ていた。窓ガラスに泣顔が映っていた。以来母の分の涙は底をついたのか、母を思って涙を流したことはない。

心に棘が刺さったままの私の母を偲ぶ心情はすぎもとまさとさんの『吾亦紅』の歌詞に近い(「来月で俺 離婚するだよ そう、はじめて 自分を生きる」の部分は共感できないが)

親不孝の私は母に母の一生はどうだったかと聞くことはできなかった。さだまさしさんの『無縁坂』の歌詞どおりの人生ではなかったかと思っている。

思えば、よくぞ母は米寿近くまで生きたものだ。一病息災というものか。

敗戦後打ちひしがれていた日本人が自信を取り戻していくその一つのエポックとして昭和34年児島明子さんがミス・ユニバースで世界一になり世の中が沸き返った。私が9歳の頃だが、30歳半ばの母は胃下垂が腸に癒着し、50㎏を超えていた体が35㎏までやせ衰えていた(母の顔を書いたとき時骸骨の絵になったという。私は覚えていないのだが)。手術するとき麻酔でそのまま逝ってはと余り麻酔を利かせなかった。昔のことで泣き叫んでいる方が大丈夫だということらしい。母は「メスが入ったときバリバリと音がした。切腹させられた。金輪際こりごり」とよく言っていた。それから50年以上生きた。

検査等で一緒に病院へ行くとき子供心に母がもういなくなるのではと心細い思いをしていた。それがあるのか、アホな私は小学校の母の日の作文で「お母さんが死んだら、大きなおはかをたててあげる」と書いた。成人してからも母や兄によく冷やかされたものだ。

 

通夜は翌日だということで葬儀会館から近くのビジネスホテルを紹介してもらいそこに泊まった。通夜当日の昼頃葬儀会館に出向いた。控室で手持ち無沙汰で横になって土曜の競馬中継をぼんやり眺めていたら突然後ろの襖が開いた。死化粧が終わったので視てくれという。薄化粧とはいえ白く顔が塗られ口紅も赤く、見慣れた母親の顔ではなく戸惑いを感じた。熟視することもなく、すぐに「ありがとうございます」と頭を下げ終わらせた。

 通夜には昔長屋の隣同士だったご主人が来てくれていた。40数年振りに会ったが、もう90歳になるという。本人はここまで長生きするとは思わなかったとのことだ。他の長生きしている人もきっと結果論に過ぎないのだろう。身寄りの少ない、母の友達は寂しそうに泣いていた。次々と友らを送らなければいけないのなら、長生きするのも辛いものだ。

 

通夜が終わり、喪主の兄ら他の家族は皆家に戻り、私だけ控室で寝る。敷かれた布団を見て、怪訝に思った。たしか昼に死化粧を施された母の枕は北向きだった。同じ方向だから北向きではないか。会館の窓から確認してもどうやら北向きだ。神戸は東西に長く山側が北で分かりやすい。会館の人に指摘すると、返事は「仏さんに足を向けなければ、それでよい」ということだった。「ほんまかいな!? いくら無宗教の私でも60数年日本の風習の中で暮らしていると気になる。南向きに枕を移し寝ることにした。

 翌日葬式の朝別の階に個室の風呂があり朝風呂に入った。控え室に戻ると民宿にありがちな朝食メニューの数々が用意されていた。

 葬儀会館は至れり尽くせり、遠方から来るものにとってはありがたいことこの上ない。縁起でもないが、次の葬儀もここでやってもらえたらと身勝手にそう思った。

 

ただし、私自身のときは葬儀ビジネス、お寺ビジネスを利用するつもりはない。

本ブログ20123月号NO.9(「アダム サダム」)に書いたように、神仏を恐れるどころか、阪神大震災で壊れた神社に八つ当たりして以来もう20年程、きっぱり神社仏閣に手を合わせることはない。とはいえ、それを家族にも強要するようなことはしない。

ファミリーの祝い事でお参りするときは、内孫3才の七五三では富岡天満宮で家族と一緒にお祓いを受けた(その後すぐ神主が刃傷沙汰に遭ったが)。その後内孫が生まれた時も水天宮で、外孫が生まれた時は葛飾八幡宮で、皆と一緒にお祓いを受けている。

某住職の本を読むと、「坊主丸儲け」と言える大きな利権がある寺はほんの一握りでしかない。ほとんどの住職が兼業しないと立ち行かないことが分かったが、それでもNO!(僧衣反則切符問題よりも、もっと、いわば構造不況業種として抜本的対策を住職たちは考える必要があろう)

高校の大先輩白洲次郎に肖り「葬式無用」「戒名不要」と遺言している。火葬場でのど仏を妻が拾って持ってくれたら、それだけでいい。遠い神戸の墓には入らない。妻は、ちゃんとした墓に入りたいなら、死後離婚して自宅から歩いていける実家の墓に入ればよい。

 私にとっての位牌は、本ブログ50号までをまとめた非売本だ。私の存在を知る孫たちが高校生・大学生になり大人の話ができる頃には私は鬼籍に入っているだろう。ブログ本を読んで、祖父がどんな人で、どんなことを考えていたかを知ってもらえればと思う。私が見ることのない曾孫たちは、自慢にもならない曾祖父のことなど関心を持つ必要はない。

 

命日でなくとも、家族が集まったカラオケの時にでも、晩年吉幾三さんの『ありがとうの唄』の6分を超える長い歌を私がよく唄っていたことを思い出してくれたらそれでいい。

「ありがとう 言えるよな 最後であればいい お前にも子供もにも すべての人たちに」と唄っていたことを。

 

2019.3 臨時号NO.111 ゃく VS ゃく(2)

本ブログエッセイのこれまで掲載した中で、私自身が気に入っているものを取り上げてみた。各号の標題の一字違いについては、必ずしもオリジナルなものだけではない。初号の「オス メス」や50号の一字違いの定番である「コンクラーベ コンクラベ」なども使用している。

オリジナルで気に入っているのは、NO.13ちょうしゅうりき(長州力)としょうしゅうりき(消臭力)NO.38 むりしで(無利子で)とむりして(無理して)NO.49アンナカレーニナ(小説の主人公) アンナカレーニシナ(杏奈カレーにしな)NO.62ピペット(スポイトの類)VSパペット(操り人形)NO.69いたがり(痛がり)VSいいたがり(言いたがり)

 一字違いを探すのはまだ苦にはなっていない。色に関するだけでも、あかVSあお、きいろVSきんいろ。きんいろVSぎんいろ。しろVSくろは99号で使用したが、まだシロサギVSクロサギや白人VS黒人がある。

世に出ている面白いものに、ミランダ―カー(美人モデル)VSニランダカー(睨んだかー)、やくみつる(漫画家)VSやくみつゆ(東国原氏の芸能界復帰時没になった芸名候補)がある。

しかし、面白い一字違いがあっても、3千~4千字の文章を書くことは簡単ではない。とくに下ネタ等は。あげまんVSさげまん、あんこVSうんこ(うの字を他の字に換えても)、ドエスVSドエムなど、それを標題にするのも憚れるし、Storyも難しい。

 

そのStoryで私が気に入っているものは次の通り。裁判員制度を批判したNO.5サイパン()とサイバン(裁判)。甲斐性のない夫の末路を描いたNO.16アントキノイノチ(さだまさし氏の小説)とアントキノイノキ(ものまね芸人)。国民主権の欺瞞に触れたNO.41えいこく(英国)とばいこく(売国)ABE主義と批判したNO.80かいげん(改元)VSかいけん(改憲)、武士道を思い起こしたNO.82ぶし(武士)VSぎし(義士)。紛争地の海外邦人救出の為の憲法第9条二項の改変をなぜ政治家は口にしないのかとの疑問を呈したNO.87ほご(保護)VSほこ()。戦後は終わっていないと書いたNO.91かいざん(改竄)VSたいざん(大山)。“天皇制社会主義”が揺らぐと新自由主義を批判したNO.102びぼう(美貌)VSびんぼう(貧乏)。日本人の心・精神に武士道精神という火入れをと説いたNO.107はじ()VSいじ(意地)。支持者に眼を覚ませ!と安倍首相の失政を総括したNO.109たいざい(大罪)VSたいがい(大概)

それから女支配社会の夢物語NO.63おとこ()VSおとめ(乙女)。これは、その前月号のNO.62ピペットVSパペットの冒頭にて枕詞で「SMAP解散とSTAP細胞はともに幻に終わった。」と書いた。SMAP独立騒動でメンバーに公開処刑ならぬ公開謝罪をさせ、後日(経営面のトップではない?)代表のジャニー喜多川氏が解散はないと明言したと思ったのでそう書いた。が、アップして10日ぐらいあとに解散報道が出た。

「落日のジャニーズ帝国はどないなってんねん!?」と怒り心頭に達した。翌月号に訂正原稿を載せるべくすぐに着手したが、鈍い頭も怒ると回転がよくなるのか、私にしては上出来なStoryが出来た(ミソジニーのつもりはない。ただ女は怖いとは正直思っている)。災い転じて福となすと言ったところか。私にとって思い出深い号になった。

 

 私は人生のゴールを一応喜寿77歳に設定しているが、あと9年もある。ブログ掲載を月1に戻しても煩悩の数108もある。そこまでブログを書き続けるのは、如才はあるが文才のない私にとっては至難の業。畢生の事業とするには荷が重い。

 毎週愛読していた週刊新潮連載コラム『管言妄語』が昨年11月に10年を区切りに472号で残念にも終了した(保守の論客西部邁が亡くなり、「言論」の無力感からか劣化した日本社会に声高に喝!を入れてくれる大御所がいなくなっていく。執筆者の藤原正彦氏には世のご意見番の任は別の形でも引き続き担ってもらいたいが)。最終回で藤原先生は週1連載の大変さに触れられていた。

10年でもすごいことだと思うが、次のお二人はもっと凄い。

櫻井よしこ女史の同誌コラム『日本ルネッサンス』は800号を優に超える。年間48号前後とすると何と18年に及ぶ。1年間ですら、1週間で3号分書き溜めるほどの力量がなければすぐに自転車操業に陥りとん挫してしまう。安倍首相擁護の号は読むに堪えないが、何にしろこんな長期間掲載し続けられるのは称賛するに値する。

 高山正之氏の同誌連載コラム『変見自在』も800号を超えた。毎週知られざる逸話、裏話を披露する、それを延々と続けられることに感嘆を禁じ得ない。

 私にはとてもお二人のマネはできない。仕事でもないし、誰かに頼まれたわけでもない。ズタボロになる前に止めた方が賢明に違いない。ただ、ブログエッセイを止めてしまえば、怠け者の私は本を読まなくなるし、考えることもしなくなる。一気にボケてしまうだろう。

この歳になれば癌も怖いが脳が壊れる方をもっと恐れる(家族や知人はとっくに壊れていると言うだろうが)。とりあえず150号を目標としてなんとか書き続けて行こうと思う。

 

2019.3臨時号 NO.111 ゃく VS ゃく(1)

 TVのワイドショー等で連日のように眞子さまの婚約延期問題が取り沙汰された。新たな動きがあればその都度また大騒ぎになるのか。秋篠宮殿下が会見で「多くの国民に心から祝福される・・・」というご発言を逆手に取るかのように。

私に言わせれば、「とっくに詰んでいる話なのに、次代における皇嗣家となられる秋篠宮家に関し喧喧囂囂囃し立てるようなことは不敬ではとの認識には至らないのか」となる。国民の税金が絡むとはいえ、マスコミはもっと節度を持ち静観すべきだと思うのだが。

宮内庁の方は、秋篠宮家の問題として静観しているように見えるのはいかがなものか。事前に進言したが聞いてもらえなかったとして傍観しているとでも言うのか。それとも(穿ちすぎかもしれないが)宮内庁が総理府外局から内閣府直属に変り現首相のスタンスが強く反映しているとでも言うべきなのか。

下々の最底辺に位置する私めが、“身の程を弁えず”、やむにやまれず物申す次第である。

 

さて、8年前、私が還暦を迎え後ろを振り返るようになった時、前後して前立腺がんと分かり、元気な内に、細やかな人生ながらこの世に生を受けた証を遺したい。子供達には遺言となるものを遺したいと思い、20117月から月1ペースでエッセイをアメブロに掲載し始めた。

  3年半前50号に達したとき、家族への遺言書とすべく知り合いの印刷会社にお願いし非売本(A5版、2百数頁、ハードカバー、リボン付きで80冊、費用約50万円)にまとめた。

肝腎の家族には、期待した程ダメ親ダメ亭主の評価を覆すには至らなかった。一方、嗤われないかとおそるおそるお世話になった先生方に謹呈すると、予想に反して好意的な反応があった。社交辞令もあろうが、気をよくして今後も続けて行こうという意欲が湧いた。

 

本にした50号までは、遺言書として遺るものであり、ある面よそ行きの趣が多分にがあるが、51号からはもっと私の素に近い本音を書くようにした。ブラックユーモアというより世に毒を吐くようになって行った(ベストセラー『終わった人』『すぐ死ぬんだから』を書いた作家内館牧子女史のようにフグ肝の猛毒ほどではないにしろピリピリ感が病みつきになるのが理想だが、私の場合は単に悪臭を放つにすぎないか)

ある号を大学の同級生に読んでもらったことがある。「幸せなんだろうと思っていたが、不幸なんだな」と言われた。そのときはすぐに意味を理解できなかった。たしかに、銀行員を辞めず続けていても今のように首相批判等をしていたとは断言はできない。「負け犬の遠吠え」、「ごまめの歯ぎしり」など何を言われても甘んじて受けよう。それでも、売名行為と思われたくないとボランティアを全然しない芸能人よりも売名行為と言われてもボランティアをし続ける芸能人を私は支持したい。

 

75号前後の頃だと思う。100号に到達すればまた本にするかと思案し始めたとき、妻に先手を打たれた。何か無駄遣いの話をしているときに「まさか、また本を出すつもりではないでしょうね!?」と釘を刺されてしまった。「50万円ほどしか」と反論しようと思ったが、「あんな雀の涙みたいな年金で働きもせず、いけしゃあしゃあとよくも言える・・・」と言い返されるのがオチ。癪だが沈黙するしかなかった。

 本にしないとなると月1の定例に拘る必要もない。月初の例月号のほかに臨時号や増刊号をアップし3度掲載する月もあった。NO.60ネットVSシットを書いた時点では掲載アップするまで一か月以上時間をかけていたが、23日で書き上げアップしてしまうことも。

残念ながら私の力量ではより拙劣になりがちになる(画家も一応の完成を見ても後からじっくり手直しするように、そんな時間が必要。私にとってTwitterなど危なくて論外)

ブログを書くにあたっての心掛け(①他人様(故人は除くが)を呼び捨て扱いしない。②原則私憤は晴らさない。③公人やそれに準ずる著名人を批判するが、反権力であって、反日ではない)は、今も守ってはいるが。

それで、今は乱作を慎み、原則、20日経過ごと(2ヶ月間で3)1日、20(臨時号)、翌月10日のサイクルで、掲載するのを守っている。

 

星の数ほどあるブログの中で匿名のどこの馬の骨がも分からない私のブログを見つけ読んでくれるのは、偶然彗星を見つける確率と同じ程度かもしれない(フォロワー登録して頂いている方や知人・同級生が読んでくれるのは感謝の気持ちが強いが)全く知らない他人が読んでくれていることが分かるとそれは嬉しいものだ。

20186月臨時号NO. 96 (「イエローカードVS イエローバード」)で、事件が2月に起こり被害者が被害届を取り下げた後の4/25になってなぜかニュース速報したNHKに対し猛抗議もせず? TOKIOに仲間を公開処刑させた件を取り上げた(財務省のセクハラ騒動等から国民の関心を逸らす為との陰謀説が出たが、昨年暮れ総理官邸に不祥事が大々的に報じられたTOKIOがわざわざ招かれた。陰謀説の真実味が増したと言えまいか?)

世論に背を向けることは珍しくないが、怒りに任せいつもより踏み込んで書いていたので、どうかと案じた。が、一人が「いいね!」を押してくれた。それも遠い海外在住の日本女性。一人でも賛同してくれる“女性”がいると分かり、安堵&勇気を得た。

 

2019. 3 NO.110  ぜんとうよう VS  ぜんとうよう

 この前の米国の中間選挙では、(大統領の)弾劾裁判を担う上院で共和党が勝利した。まだトランプ大統領への風は続いているが、錆ついた工業地帯(ラストベルト)のプアーホワイトは「トランプが救ってくれる」という幻想から目が覚めたようだ。だが、岩盤支持層以外にもまだ覚めていない人が多い。国民と違い間近に大統領を見るホワイトハウスの住人はトランプ王国の社員とは訳が違う。大統領にNO!を突き付け解任されるか自ら去っていく。

 その中でマチス国防長官が辞任しないことは米国だけではなく世界にとって救いだった。戦争に詳しい人ほど戦争を回避しようとする。そのマチス長官もついに2月末辞任を表明すると、昨年末に職を解かれてしまった。アメリカファーストのトランプ大統領の暴走に歯止めが利かなくなると世界が心配している。

マチス前長官と並んで国際協調派のティラーソン前国務長官はとっくにいない。1年強前、対北朝鮮対策を巡って、トランプ大統領がツイッターでティラーソン氏を批判し、それに対してティラーソン氏は大統領をmoron!(noromaではなく manukeというような意味)と呼んだ。もともとエクソンモービルのCEOであるティラーソン氏の方が独立系不動産業のトランプ氏より社会的地位は高い。堪忍袋の緒が切れたのであろう。そして解任された。

 

私もティラーソン氏と同じようなことをしてクビになった。20158月に卒職したのだが、実際は業界団体のその後が心配と顧問に就任し、小遣い銭を貰っていた。1年半が過ぎた頃、トップの姿勢に不満を持ち姿勢を改めるようアドバイスを強めていた。トップがさすがにうるさいと感じ逆切れしたようなメールを寄越したので、自宅で観た私は、キレて、6歳年下とはいえトップに向かって「お前はバカか?」と返信メールした。それで、トップから「You are fired!」と宣告された。妻には「何でそうなるの!?」と呆れられた。

コンサル契約に準ずるので事の経緯には関係なく契約を解除されても仕方がない。が、一矢報いずにおくものかと友人の弁護士に会いに行った。だが、相談した相手が悪かった。

 その弁護士は、私とは逆に、数日前に無二の親友からみんなの前で罵倒され、絶交を宣告されたばかりだった(仕事がらみなので守秘義務から経緯は聞けなかった)。思いがけず親友の逆鱗に触れてしまい、困惑と屈辱でとても私の味方になるどころではなかった。

 私が採れる最終的な反撃手段としては、負けを承知で裁判に持ち込むか、全会員にメールするかであるが、唯我独尊であれ協会の為にトップの姿勢を批判したのだから協会自体を傷つける選択肢はない。「反権力だが反日ではない」が基本スタンスの私には。

ちょうどその頃森友学園問題で籠池氏が国会に証人喚問されていた時だった。TVで籠池氏の様子を見て自分には籠池氏ほどの覚悟はないと思い、矛を収めることにした。

 話が横道に反れるが、それにしても国会の証人喚問に昔ほどピリピリとした緊張感が感じられない。籠池氏の時もそうだが、佐川、柳瀬(参考人)両官僚の応答ぶりを見てそう思った。事の重大さが違うとはいえ、我が大学の先輩旧日商岩井の故海部八郎はロッキード事件の証人喚問の署名の際酷く指が震えてサインが出来ないほどだった。小泉元首相と安倍首相が国会の権威を大きく失墜させたと思う。それを許した他の政治家も同罪と言えるが。

 

伝説上の龍の逆鱗は分かりやすい。81枚の鱗のうち、顎の下に1枚のみ逆さに生えるとされる。人間の逆鱗はどこにあるか、何枚あるか、分からない。外見からは、頭が薄くなった、無様に太ったなどある程度想像でき逆鱗に触れない様用心できる。しかし、心の中の逆鱗は見え辛い。癌は、若い頃にはなくても、癌が発生すると20年ぐらいかけて1cmになるが、2cmになるのに1年しかかからない。そうなると生命の危機に関わる大ごととなる。人の逆鱗も癌と同じではないか。急に現れたように見え、人間関係を壊す。

ある大学同級生が大学時代の旧友と旧交を温めたが、大学時代の上下関係を今だに持ち出すと怒っていた。我ら現役組は浪人組からすれば弟分。50年タイムワープして同じ物言いが気に入らないと言うのだ。それぐらい許してもよいではないかと宥めていた私も結局浪人組と同じく絶交状態に置かれた。なぜそれが逆鱗となるのか彼の心の内は分からない。

 

逆鱗では難しいのかもしれないが、普通、怒りは6秒間我慢すれば、静まるという(怒りに打ち震えている時利き手の右手の拳を強く握る人がいるが、怒りで活性化している前頭葉の左側がさらに刺激され攻撃性が増すので、握るなら左手がよいという)

年をとるとその6秒が我慢できない。前頭葉(前頭前野)が劣化すると抑制が利かなくなる。そこに酒が加われば大爆発となるのか。

年とると性格が丸くなると言われるが、それで性格が変わるとは私には思えない。男性ホルモンが少なくなり男としての攻撃性が弱まるだけなのではないか。それでも、感情のコントロールが利かなくなると女より怒りの出方は暴力的だ。

 高齢化社会、核家族化が進む現在老々介護が問題になる。妻が夫を看病・介護する場合よりも夫が妻を看る場合が危ない。妻の看病で疲れ、無理心中するケースが散見される。男は馴れない家事にストレスを感じる。妻が認知症であれば無償の愛とは言え反応を示さなければ絶望感が押し寄せるのか、抑制が利かず一線を越えてしまうことも少なくない。

昨年の初め台湾の火鍋店では、隣に座った女性の長い髪が老人の手に触れたことでちょっとした口論になっていたら、いきなり老人が火鍋ごと女性にぶちまけた。老人の普段の言動は知る由もないが、それが前頭葉の劣化のなせる業なら、他人事とは思えなく、怖い。

 前頭葉の劣化は、運動機能の低下も引き起こす。高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違いでコンビニ等に突っ込む事件が後を絶たない。元特捜部長ほどの人物でも78歳のとき踏み間違え?で死亡事故を起こし、晩節を穢してしまった。

 高齢者は車の運転を止めればよいのだが、家長然として振る舞う人には首に鈴をつける者がいない。アニメ『ちびまる子ちゃん』の食卓風景は息子ヒロシが上座に座り、父の友蔵はサイドに位置する。「老いては子に従え」が良いのだが、偉い人はそうはいかない。

 無理に家族が免許の返納をさせようとしても、それが不満で自宅兼工場を放火し自殺しようとした高齢者が出た。我妻ならずとも「何でそうなるの!?

 

脳以外の他の臓器や手足が劣化すると、食べる量が減る。歩けない。骨が折れやすいなど自身が不利益を被る、不自由になるだけ。他人に世話になっても迷惑をかけることは少ない。脳が壊れていくと、味覚が落ちる。暑さ寒さに対する感覚が鈍くなり熱中症や肺炎になりやすいのは、まだよい。車で事故や死傷者を出す。かっとなり他人に危害を加える。ガスを消し忘れ、隣家も類焼させる。万引きするなど他者に迷惑をかける。年とってムショ暮らしは悲惨。若者は前途洋々だが、年寄りの前途はなにかと不安が覆い暗い。

 『ホンマでっか!?TV』でお馴染みの池田清彦先生は「生物学的に言えば、人の寿命は40年位」と言った。実際はその倍の80年以上生きる。耐用年数をはるかに超えている脳が壊れても不思議ではない。頭が壊れる前に癌で亡くなるのは一概に不幸せとは言えないのかもしれない(若者の癌は理不尽。何としても直ってもらいたいと切に願うが)

 

 

2019.2 NO.109  たい VS  たい

 5月から新元号の世がスタートする。日本の権威天皇陛下は、20168月に国民にビデオメッセージを発せられた。「人の寿命が伸びる中天皇も生身の人間である以上終身在位は過酷であり、子孫にもそのような負担を負わせたくない。生前退位を認めてほしい」との旨を国民に訴えられた。保阪正康氏は「平成の人間宣言」「平成の玉音放送」と名付けた。

 「一代限り」として陛下の想いに沿わなかった日本の権力者安倍首相はまだ首相の地位にある。何に胸を張ってか総裁3選を果たした。

3選がよくて4選がダメという理由はない。自民党の総裁は多選しようと何しようと自民党の勝手だ。しかし、総理(首相)も主権者たる国民の意思に関係なく(勝手に)延長することは許されてよいものか(予定通り退陣しても、ABE政治が続くなら、意味がないが)

 今制度の下では、参議院選で民意を発現するしかない。「自民党も大概にしろよ!?」と。

今般“徳少罵言”(前号参照)の私は平成における安倍首相の失政を5つの大罪にまとめた。

1の大罪は、憲法解釈による安保法制の成立。それにより米国の戦争に自衛隊員等日本人が巻き込まれることが危惧されることになった。広く国民の間で議論されることなく、権力者の禁じ手憲法解釈で強行された。そのことに対して直接の言及はないものの、現憲法による平和を希求し続けてこられた天皇陛下は、象徴天皇として守り続けたあるべき姿を超えるかのようなギリギリのお言葉を発せられたと私は思っている。その平成の玉音放送に対して内閣が総辞職してもよい事態と思うが、それに対する鈍さは大罪の名に値する。

 切れ者元参議院議員平野貞夫氏は、この憲法解釈による安保法制を手始めとして安倍首相を刑法78条「内乱予備罪」により昨年9月から東京高検に告発し続けているという。

 第2は、米朝対立に際し米国に加担したこと。唯一の被爆国にとして非核化を求めるのは、北朝鮮だけではなく、それは米国、中国等に対しても同じことのハズ。北朝鮮が悪魔の書をマスターしてしまった以上、北朝鮮だけに非核化を求めても徒労に終わる。米国に追従し北朝鮮に圧力をかけ続けた結果は中国と北朝鮮の関係が元に戻っただけ。今の韓国が離米・反日を続けるなら宗主国中国の下に北朝鮮主導の南北統一も視野に入る(その折レーダー照射問題で首相が一番ムキになっているとの印象を韓国側に与えてどうするのか?)

ノーベル委員会も会談は茶番と見たのかトランプ大統領に平和賞を受賞させなかった。米朝対立・会談の明確な結実は、一方の演出者米国が日本に(ミサイル連射では役立たない)核・ミサイル防衛装備を高値で買わしたこと。トランプ大統領は、買わせた以上おだて一辺倒である必要がないと、安倍首相に懸案の対日貿易赤字で厳しい顔を向け始めた。

3は、カイロでの人道支援声明。20151ISと闘う周辺各国に2億ドルの人道支援する声明を熟慮もなく発した。キリスト教宗主国米国からの自身の覚えをめでたくするために。ISが敵意を剥き出しにする十字軍側に日本が加担するのかとIS側を怒らせた。

その後起こったことは、人質の湯川遥菜さんと助けに行った後藤健二さんが殺害され、翌年ダッカでバングラデシュの為に尽力する無辜な日本人7名が殺害された。

その頃から政府関係者よりもネット上で「自己責任」論が喧しくなった。首相支持のネトウヨらに、首相のこの大失態や邦人保護という政府の「自己の責任」を果たしていないことに対する非難をかわそうとする意図があるように私には思える。

IS等のテロ行為は宗教戦争としての側面も見るべき。圧倒的な軍事力の差から、そういう方法しかとれないのでは。一神教を理解できない日本人にとっては、一神教はどこも残酷に思える。サウジ記者のトルコの総領事館での暗殺も残虐極まりないが、キリスト教側も残忍だ。古代エジプト女性天文学者ヒュパティアの虐殺、十字軍の遠征、聖バルテルミーの虐殺、開拓の名によるアメリカインディアンの大虐殺、日本への原爆投下等を見れば。

 日本は、ルールもなく、場外乱闘もある宗教戦争では、日本の出る幕はない。宗教も敵味方もないナイチンゲールの役割しか果たせない。1890年トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難した折漁村の人々が献身的に救助した。第二次大戦下ユダヤ難民に杉原千畝が命のビザを発給した、ように。

4は、無駄にアベノミクスを吹かし続けたこと。3本の矢と言うけれど実質は1本だ。超金融緩和政策だけ。それについて本ブログ20173月号NO.69(「いたがりVS いいたがり」)で批判した。が、その後に発刊された『アベノミクスによろしく』(インターナショナル新書)は、リフレ理論による壮大な実験が大失敗に終わったが、それを隠蔽するかのごとくGDPの改定に合わせかさ上げがなされたことなどを庶民の私らにも理解できるよう分かりやすく説明している(上梓したのはエコノミストではない。35歳前後のつい最近まで司法試験と格闘していたと思われる弁護士の明石順平氏だ)。読んでいな人でも、横ばいで推移するに過ぎないのに戦後最長の景気回復と言われても庶民に実感ができるハズもない。

 頭の悪い私でも皮膚感覚で物価を上げる(前年比2%)のを政策目標にするのは変だと分かる(借金までして勉強部屋を増築すれば子供が勉強し成績も上がると思う甘い考えの親と変らない)。物価が上がっても名目賃金が上がらなければ実質賃金は改善されない。消費意欲も湧かない。賃金を上げられるよう景気をよくすることが「政府」の政策目標であり、その過程でインフレにならないように物価の安定を図るのが「日銀」の役目であるハズだ。

超金融緩和の結果は、円安により輸出企業が潤ったのと年金(GPIF)、日銀(ETF)、富裕層が株に走り、経済の実態に関係なく、株価が上がっただけ。一時日本のGDP550兆円程度に対し株式の時価総額は675兆円(20189月末)まで乖離した。いずれ実体経済が株価に追いつくより株価が実体経済に見合うまで下がる公算が高い。株価が乱高下してきたのはその前触れともとれる。バブルは文字通り泡と消え、その時残るのは日銀保有の443兆円(20181220日現在。第二次安倍政権発足時は100兆円にすぎない)にのぼる、金利0%に近い超低金利の国債の屑の山。

フローで見れば、超低金利の反動、トランプ政権からの円安是正要求から金利は反転していく。日銀の負債・当座預金の金利が上昇すれば、逆ザヤになり、直に日銀は債務超過に陥る。民間銀行なら間違いなく倒産だ。ストック面から言えば、金利が上がれば国債価格は下がるから売るに売れない。売れば暴落を呼ぶだけ。酷いツケを将来に持ち越しするしかない。一時的に株高でよい思いをした富裕層だけではなく、国民全体で背負わされる。

黒田日銀総裁は任期満了で泥船から逃げたかったと推察するが、叶わなかったようだ。戦後最低の自民党・日銀の総裁コンビとして歴史に断罪されるだろう。

5の大罪は、官僚制組織を壊し、議論の場としての国会を形骸化させたこと。自身のモリ・カケ問題で、国会も1年以上も空転させたが、行政の長としての責任も反省もない。その後の労働裁量制案の撤回や(技能実習生の失踪多発、シンガポール型階級社会が日本に馴染むかとの問題等の吟味もしない)生煮えのままの入管法改正案の強硬採決を見ても。

  5つの大罪に加え、この実質の移民拡大政策が第6の大罪として浮上して来よう。藤原正彦氏は週刊新潮の連載『管言妄語』終了直前の11/8号で(掉尾を飾るがごとく)「日本がなくなる」と批判し、「みごとな外交を展開してきた安倍首相だ。正気を取り戻すことを期待したい」と文を結んだ。正気を失った?権力者に精一杯の空世辞を言い翻意を求めていたが。

 拉致問題、改憲もダメ。安倍首相が前のめりになる北方領土返還問題も、年金改革で人気が低下したプーチン大統領は2島返還など考えていないハズ。共同経済活動という日本側のGiveを急かしているだけ。その後の日本側が期待するTakeはのらりくらりかわすのでは(首相の「米基地置かぬ」発言報道に対し、米国も返還はないと見て問題視しないのか)

この他、水道法改正(運営権の民営化)も強行されたが、これに限らず、『日本が売られる』(幻冬舎新書)とジャーナリスト堤未果女史は警鐘を鳴らす。暗澹たる気持ちになる。

安倍首相しかいないと思うのは大きな勘違いだ。経団連のスタンスも変ってきている。

新元号の世に、上皇陛下、新天皇陛下が安寧なお気持ちで国民を見守っていただけるよう我々国民がしっかりしなければならない。

 

2019.1 臨時号 NO.108 ょうさい VS  ょうさい

 よく知らない男性と仕事をするような時その男性をよく理解するために、飲みに行ったり、麻雀をしたり、ゴルフしたりして、本性を探ったりすることがあるのでは。相手に奥さんがいる場合、奥さんを見て、本人を推し量ったりもするだろう。

 今から10数年前業界団体のトップから事務局長にと指名がかかった時のこと。トップとは前からの知り合いだが、人となりをよく知っている訳ではない。就任するにあたり、トップ夫妻と会食する機会を得た。トップと中学からの幼馴染という奥さんは、多分少し派手な感じではと想像していた。が、会って一目見て学校の教師かと見間違えてしまった。

後で知ったことだが、奥さんの一族はみな教育者で、奥さんはそれに反発していて教師に見られるのは一番堪えられないとのことであった。しかし、DNAには抗えないものだ。こんな奥さんを娶るトップであれば大丈夫だろうとその時私は安堵した。

『やばい日本史』(ダイヤモンド社)によれば、清少納言は悪口三昧だったという。さしずめ安倍首相への批判ばかり書く私は、“徳少罵言”というところか。そんな私も妻に少し助けられていると思う。私の妻を知っている人なら「感じの良いあの奥さんが37年も連れ添っているのだから、少しは良い所もあるのだろう」と思う人もいてくれるのかもしれない。

 庶民でこうなのだから、政治家の妻の持つ意味合いはすこぶる大きい。ファーストレディで真っ先に思い浮かべるのは、ローラ・ブッシュ(ジュニア)元大統領夫人だ。賢くもなく人気も低迷していた大統領に内助の功を発揮した。気さくで聡明なローラ夫人は米国民から高い人気を得ていた(ミシェル・オバマ前大統領夫人もここにきて人気に火が付いた)

日本の賢首相夫人と言えば、故橋本龍太郎首相の久美子夫人だろう。久美子夫人も気さくで地元選挙区で人気が高く良妻賢母の鏡。橋本首相にまつわるハニートラップ等女性問題の醜聞も、11年前に夫人が上梓した『夫 橋本龍太郎 もう一度「龍」と呼ばせて』(産経新聞出版)にも触れているが、モテる男だからと割り切り消化してしまっている。今においても夫・龍に対し生前と変わらぬ厚い信頼と愛情を貫いている。

 安倍首相夫人は首相の足を引っ張っていると皆がそう感じた(森友学園問題では疑いの眼差しを一身に受け健気に首相の盾になった感はあるが)。ファーストレディとは本来皇室のない米国の大統領夫人を指す。日本にファーストレディは不要。皇后陛下がおられるから。

 

 夫の別称は良人、主人、旦那、亭主と敬意が込められる。封建社会では妻からの揶揄は御法度だったのか(私は、女房から、ダメ亭主、ハズレ、ポチ犬、ナメクジと呼ばれてきたが)。一方妻の方は良妻、愛妻、賢妻の他、恐妻、愚妻、悪妻、鬼嫁などと悪態をつかれる。

 恐妻と言えば、プロ野球の選手としても、監督としても共に名声を得た、野村克也監督、落合博満監督の奥さんを思い起こす。沙知代夫人も、信子夫人も、姉さん女房。勝負師の妻としては、自身がピンチや不安な折「なんとかなるわよ」と背中をポンと叩いてくれる肝っ玉母さんタイプがよいのだろう。

 沙知代夫人は昨年の暮れ思いがけず亡くなったが、恐妻と一口に言っても、いろんな側面がある。夫の言うことを聞かず夫を従わせた(強妻)。いつも夫を愛し盾にも矛にもなり夫を支え続けた(良妻)。罪に問われ夫に迷惑をかけた(悪妻)。そんな夫人を野村監督は年明けのお別れ会後の囲み取材で一言「いい奥さんだった」と締めくくった。野村監督は、「これからどうして生きていけば」と寂しそうに語っていたが、一気に老け込んだと見受けた。

本ブログの初号で書いたが、妻にとって夫の存在がストレスだが、夫にとって妻の死が大きなストレスになる。同じ頃保守派論客西部邁が入水自殺した。前から自裁を考えていたとするが、奥さんを亡くしてからは死にたいと周りに漏らしていたという。心情は理解できる。だが、賢人がほう助した逮捕者まで出してまで痛ましい“土座衛門”をなぜ選んだのか。保守としての「言論」が通じないとの抗議なのか。佐藤優氏は『平成史』(小学館)で「原点だったブントの活動家に立ち返って自分の生涯を終えた」(1979年マルクス主義者対馬忠行が瀬戸内海にフェリーから飛び込んだのを先行事例として)との見方をとるが。

なお、老人の自殺問題は次の機会に「あんらくし VS あんならくし」で考えたいと思う。

 

今や2人に1人が癌に罹ると言われる。夫婦の組み合わせで言えば、①夫も妻も癌にならない夫婦と夫も妻も癌になる夫婦。②夫が癌になり、妻は癌にならない夫婦。③妻が癌りなり、夫は癌にならない夫婦。

 夫がもっとも心痛めるのは③の妻が癌になること。さらにそれで妻に先立たれるケースではないか。夫は妻に看取られることを想定している。思いがけず妻に先立たれると狼狽する。中には、妻の死を受け止められず、やり場のない怒りを担当医師にぶつける者もいる。が、多くの夫は生きる意欲を失い、鬱になるか、免疫力を低下させ病に伏せてしまう。妻の所に逝き急ぐ(俳優津川雅彦も朝丘雪路を看取った3か月後に逝去)

 さだまさしさんの『関白宣言』の「俺より先に死んではいけない 例えばわずか一日でもいい 俺より早く逝ってはいけない」という歌詞のごとく、私も7つ年下の妻に看取られことを願っている。「皆に迷惑をかけず早く逝くのよ」と言う妻(生き別れは青春返せと怒るが死に別れはもうウエルカム)は今まで病気らしい病気は罹ってないが、癌は分からない。

女性の死亡原因は大腸がんがトップ。5年前に亡くなった女優坂口良子も大腸がん(結腸がん)だった。亡くなる少し前に開いた尾崎建夫プロとの結婚披露宴(TV中継)で長兄尾崎将司プロがめでたい席の挨拶で急に嗚咽したので、エッ!?と違和感を覚えたが、後日そういうことであったかと理解した。

女性がとくに気にする乳がんは(男性の前立腺がんと同様)ホルモンが関係しているから、乳がんで死ぬ率は閉経前後にピークが来てそれ以降下がっていく。

我が妻は還暦を過ぎているので、乳がんより大腸がんの方をより気にかけるべきなのだ。ダメ亭主のせいで長年フルタイムで働いていた我妻は会社の人間ドックで毎年検便を受けていた。再検査は一度もなかったが、便潜血検査の陰性とは便に血液成分が含まれていないという意味でしかない。陰性だから癌やポリープがないとは限らない。一度大腸内視鏡検査を妻に受けさせようと思っている。胃の検査と違い、何もなければ3年に1度程度でよいらしい。私はポリープがあるので、2,年に1度受けている。良性のポリープでも1cmを超えると癌に変る確率は30%に上がるという(私の場合、2014年に分かった4mmのポリープが2016年には5mmに。今年2018年には8mmにもなり、他も併せ全て切除した)

私の前立腺がん治療の主治医の弟君も医師なのだが、その奥さんが48歳で大腸がんで亡くなったという。医師や大企業社員は高給取りで奥さんは専業主婦が多いのではないか。それは夫の甲斐性かもしれないが、十分な生活費を渡すだけが夫の役目ではない。「後は良きに計らえ」ではなく、子供の教育に加え妻の健康にも十分留意してもらいたい。

 私は過去人間ドックに懐疑的であった。歳とればどこか悪い所が出てくる。人間ドックは患者を釣るための撒き餌と思っていた。しかし、自身が前立腺がんに罹患して理解した。癌はサイレント・キラーで潜行する。気づいた時手遅れになるケースが少なくない。私の知合いの男性も腸ねん転で救急車で運ばれ、その時に初めて末期の大腸がんであることが判明した。それまで大腸がんとはまったく疑いもしなかったとのことだ。

 癌は早期発見が一番だが、体の奥にある前立腺を診ることは容易ではない。癌が5mm未満ではMRIにも映らない。腫瘍マーカー(血液検査)の値の推移を見る(最終的には生検を行い細胞を採取して癌を探す)。それに比べれば、大腸内視鏡検査は簡単。肛門より直接腸壁を診ることができる。麻酔(鎮静剤)で眠っているから、不快さも感じなくて済む。

 妻が逝くのは天寿かもしれないが、一人残された孤独と悔恨の日々は辛い。病院嫌いの(又は行くのが怖い)専業主婦を持つ旦那は無理にでも愛妻でも恐妻でも病院に連れて行こう。

 

 

2019.1 NO.107   VS   

 外国人が書いた日本人論が数ある中で、『「縮み」志向の日本人』と並んで、我ら庶民の間でポピュラーになっているのは、ファーストネームがエッグではなく、ルースというベネディクト女史の『菊と刀』であろう。『菊と刀』は日本人を称賛するために書かれてはいない。第二次大戦下、「低劣と見下すアジア人の中で日本人はなぜ違うのか?」「軍事力における彼我に大きな差があるのになぜ米国に戦いを挑むのか。その精神構造は?」、その答えを求めて、文化人類学見地から女史が調査し報告書としてまとめられたのが同書だと思う。

 その中でとくに有名な、「欧米の罪の文化、日本の恥の文化」において、日本人を揶揄している。平たく言えば、欧米人は神が見ているから罪を強く意識する。日本人は世間にバレなければ罪の意識をもたないと女史は言う。そんなことはない。日本人でも、「お天道様が見ている」「ご先祖様に申し訳が立たない」という罪への歯止めがあると反論したい。が、世間にバレても非をなかなか認めないのであれば、反論が腰砕けになってしまう。

 中国人は「恩知らず」と言われるのを一番嫌う(日中国交正常化を遂げた田中角栄首相の娘真紀子さんが訪中時「中国人は受けた恩はいつまでも忘れない」と中国首脳は歓待した)

日本人は「恥知らず」と言われるのを一番恥ずかしいと思っていたハズなのだが、いつの間にこんなに厚顔無恥になったのか。

 恥の文化は本来日本の美徳であったハズ。周りの目を気にするのは、自身より周りの人を気遣うためだ。それが、「義理」「人情」「和の精神」を育んでいった。

 日本の若者に問題があるわけではない。9月の全米オープンテニス。何も情報を持たない人が観れば、アメリカ人女子プロ同士の決勝戦と見えただろう。勝利した大坂なおみプロが優勝セレモニーで(大坂プロに向けられたものではなかったが)ブーイングの嵐の中涙ながらに「私が勝って、ごめんなさい」と謝った。自分のことより観客を気遣った。

 二十歳の大坂プロは、日本人の心を持っている。日米二重国籍であろうが、日本語がたどたどしかろうが、日本人そのものだ。他にも、不正タックルの日大アメフト部の宮川泰介君は正々堂々表に立ち謝罪した。奇しくも同姓の体操宮川紗江プロは、権力に屈して保身に走ることなく、選手生命を賭して信頼するコーチを救い出そうとした。サッカーでは、だれかに強制されているわけでもなく、サポーターがゴミ拾いをし、選手がロッカーを綺麗に片付ける。DNAなのか日本人の美徳が若者には息づいている。

問題は大人だ。それも各界のトップ層だ。昔で言えば、武士クラスだ。まっとうな子供が大きくなればそうでなくなるということなのか。ならばそれはどうしてか。

 女史は、『菊と刀』のタイトルからすれば、二度と米国に楯突かせないためには、日本人の急所、菊(天皇制)と刀(武士道精神)を壊すことだと分析したのかもしれない。

 実際はどうだったか。天皇制は連合国軍最高司令官マッカーサーが存続に舵を切ってくれた。高山正之氏は週刊新潮の連載『変見自在』で幾度となくマッカーサーをこき下ろしているが、そんな人物だとしても、私は「菊」が咲き続けていることに感謝の念を抱く。

 「刀」は、米国から武器を取り上げられ、あるいは制約を受け、代わりに米国は米軍基地を配置し、監視もしている。そして米国から与えられた、見えない檻の中の偽りの平和な暮らしで、米国の思惑どおりか、武士道精神は、日本人から忘れさられてしまった。戦国から徳川の天下泰平の世に移って、武士は戦士から為政者に変わったが、武士道により自らを厳しく律した。不正や正義に悖る行為をしたときは生き恥に堪えず切腹したのだが。

 

日本人の心、精神は日本酒と同じなのかもしれない。酒は火落ち菌があると白濁し清酒として売り物にならない。そのために火入れする。人の心における火落ち菌は権勢欲、我利私欲、自己保身と言える。その火落ち菌を抑える火が武士道精神ということではないか。

今火入れされず心が濁り異臭を放つトップが何と多いことか。最近も地面師に転がされた積水ハウスのトップが責任なすりつけ内紛を起こす。大企業で不正・不祥事が後を絶たないが、トップは会社の命運よりも自身の保身に走る。それを生き恥とは思っていない(日産の「報酬過少記載」も、指名された社長らが知らなかったというのは、? か。罪軽減を目的にゴーン会長を売ったと見るべきか。一方、司法取引で勇み立った検察を危ぶむ声もある。いずれにしろ司法取引は武士道精神と対極にある。日本人の劣化を助長させかねない)

201712月臨時号NO.82(「ぶし VS ぎし」)で触れたように、警察と並んで倫理感の高いハズの銀行業界において商工中金でとんでもない不正融資が明るみになった。天下りトップは直に辞任を表明した。が、逃げたとしか私には思えない(切腹というより斬首される前に出家したようなものだ。ほとぼりが冷めたら他所で還俗するだろう)

 さらに、スルガ銀行で禁断の審査資料改竄の不正融資が発覚した。優良地銀と見られていたので驚きだ。またぞろノルマがと言っているが、どの職業でも絶対してはいけないことがある。例えば、運送業で、ノルマに追われているからといって、赤信号を突っ走る者はいない。改竄が一人ではなく相当数いるとすれば、個々人の問題ではなく、トップに全責任がある。創業家の会長は、切腹を逃れようとしたが、第三者委員会により斬首された。

パワハラ問題の連鎖が続くスポーツ界では、日本ㇾスリング協会、アメフトの不正タックル問題で揺れる日本大学では、トカゲの尻尾斬りで、しかるべき上が責任を取っていない。日本体操協会も第三者委員会の調査は一体どうなったのか。

相撲界でも、20181月臨時号NO.84(「はくほうVSこくほう」)で心配したことが現実になった。改革すべき側の相撲協会が魔女狩り(貴乃花親方曰く、内閣府への告発が事実無根だと認めるよう強要された)で、告白状を取り下げ歩み寄っていた貴乃花親方を土俵際に追い込み、親方は自ら土俵割った。被害者ながら四面楚歌となった貴ノ岩関も日馬富士関への民事提訴を取り下げた。軍配が八角理事長に上がったが、相撲協会は公益法人を隠れ蓑として悪弊を続けていくのか。相撲界にはタニマチは必要でも正義は不要なのか。

恥知らずの風潮を象徴するかのごとく、「生き仏」と言われる長野善光寺の管主がセクハラ等で信徒から罷免要求されるも、色ボケを恥じ辞任しようとはせず、解任に及んだ。

 みなかみ町の前町長も町議会で不信任を決議されたにも拘わらず、恥ずかしくも切腹せず議会をセクハラ解散させた。結局町民から斬首された形となり、恥の上塗りとなった。

こうした現状を正すのが政治家の務めだと思うが、そのトップが火入れされているとは思えない。ペンス米副大統領も相手にしない?“失言癖”の政権NO2の麻生財務大臣は財務省の前代未聞の不祥事の責任をとらず意地でも辞任しようとしなかった。自身に都合のよい政権が倒れない様に。勝った総裁選後の内閣改造で体よく交代するのかと思ったらそのまま居座った。まさに“蛙の面に小便”だが、水すらもメディアはかけられないのか。

安倍首相は、モリ・カケ問題で、官僚制組織を壊し、国会も1年以上も空転させた。国会形骸化も入管法改正案審議を見ても反省の色はなく行政の長としての責任はどこ吹く風。

総裁選前の8月週刊ポスト誌の政治記者・評論家・学者52人対象実名アンケートよる「戦後歴代最低の総理大臣」調査で、ワースト1位の菅元総理に次いで安倍首相は2位となった(現権力者への遠慮もあるか)。当然安倍首相の名を挙げた天敵元通産官僚古賀茂明氏は「平和ブランドを崩壊させ、米国追随の戦争国家への転換を始めた。“逮捕されなければ何をしても良い”という倫理規範を政官界に蔓延させた」とコメントした。

こうした世情を拭い去るために、火入れする杜氏の役割を担えるのは、もはや検察しかない。本ブログ20128NO.14(「けいさつ けんさつ」)で書いたが、地検は、微罪であれ何であれ、公開処刑ならぬ公開処罰により、村上世彰氏らスーパーエリートが扇動する、日本人の美徳・美学に反する拝金主義的な風潮、価値観を払拭させた。

 日本の陽が落ちる前に、今こそ検察が火入れする時。文科省のタダ飯をたかるようなさもしい事案でお茶を濁す場合ではない。まさか検察にも火落ち菌がとか言わないだろうね。

 

2018. 12 NO.106  るがお VS るがお

本ブログの初号は20117(「オス メス」)で、7経つ。Wordで文章を作り、ブログに貼り付けたのだが、段落等体裁がどうしても整わなかった。内容も含めて忸怩たる思いだが、いまだにアクセスがある。ありがたくもあり恥ずかしくもある。高校の先輩で、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がる作家村上春樹氏のことを載せているからかもしれない。

夫の不倫がテーマの201612NO.66(ふりん VS ふしん)は芸能人が不倫し文春砲が火を噴けばアクセスがあるように思える。

 歌謡曲の世界では、妻が不倫する内容の名曲が少なくない。この前意地を通して公演を中止し美学を貫いた沢田研二さんが「あなたは帰る家がある やさしくつつむ人がいる 指輪はずして愛し合う いけない女と呼ばせたくない」と歌うのは『LOVE(抱きしめたい)』。

私のカラオケの十八番でもある大川栄策さんの『さざんかの宿』は歌詞に「せめて朝まで 腕のなか 夢をみさせて くれますか」とあるが、夜に花開く不倫妻は朝には萎むなら、花に喩えれば夜顔(朝咲き昼には萎む朝顔の花言葉は「はかない恋」)

 その夜顔をタイトルとした谷村新司さんの名曲の最終節「見知らぬ人に抱かれながら 涙がほほをぬらす 悲しい仮面のその下で 怪しく燃えてゆく」は、男の理解を超えた女心の不可思議さを上手く表現している。まさに、1967年公開された洋画『昼顔』で大女優カトリーヌ・ドヌーヴさんが扮した、医師の夫に隠して娼婦に身を落としたヒロイン・セヴリーヌを思い起こす。

 20147月~9月に放映された日本のTVドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』は上述の映画『昼顔』をオマージュして制作されたらしい。大ヒットしたこともあり、昨年映画化された。ダブル不倫の末引き裂かれたあとの3年後偶然再会し焼けぼっくりに火がつく話となっている。私は、ドラマは観なかったが、映画館には足を運んだ。その中で、黒澤あすかさん演じる、姉御肌の厨房スタッフ・絹江の「女は自分ができなかったこと(不倫)をする女が嫌い」というセリフが心に刺さった(女性国会議員・芸能人はとくに心すべき)

 昼顔が人気を博したのは、主人公の男優斉藤工さんの魅力もさることながら、主婦にとって現実の世界ではないからだ。一夫一婦制(後述の中野信子女史は農耕社会からとするが、NHKスペシャルでは400万年前の祖先の頃からとしている)における禁断の夢だからこそ上戸彩さん演じるヒロインに自身を投影させ叶わぬ夢を見ていると言えまいか。

 動物のメスには、不倫しても罪悪感はない。限られた卵子の中で優秀な遺伝子を得る確率を考えれば特定のオスに限定しない方よい。不倫は合理的な行動となる。鳥の中には、メス鳥が不倫して他人の子供を亭主のオス鳥に面倒見させる鳥がいる。

 鳥だけの話かと思っていたら人間社会でもそうらしい。『不倫』(文春新書)を書いた中野信子女史は、2人に1人は、不倫率を高める「不倫遺伝子」を持つ、と言う。

橘玲氏の『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)P171では、イギリスの生物学者よれば、「平均すれば男性の10%が他人の子どもを自分の子どもと誤解して育てている」という。最低所得層に限ればその比率は3倍に上がるという。バレたときの妻の経済的損失が少ないからだ。

 日本でも少し前男性芸能人が子供のDNA鑑定をして話題になったことは記憶に新しい。そう言えば、私が若い頃、40年くらい前だが、「結婚してすぐ子供ができ、その後ずっとできないなら誰の子か分からん」という市井の迷言を耳にしていた。

 

動物のメスは仔を生まなくなると早く死んでしまうことが多い。鮭などは何千キロと離れた海からにおいを頼りに故郷の川に戻り、産卵したら力尽きて死んでしまう。メスの役割とは子供を産むことなのか。女もそうだと言わんばかりの発言をしてある校長はクビになった。イギリスの生物学者が「生殖器官の機能を失っても持って生まれた寿命を引き延ばしている状態が生じている。更年期とは生殖年齢を過ぎても存命しているために起こる、用済み後のエラー作動」と酷い?ことを言っている(あろうことか、自民党杉田水脈女性議員は「子どもをつくらないLGBTは『生産性がない』」と『新潮45』に寄稿して炎上した)

鮭ほどすぐ死なないマゼランペンギンは繁殖をしなくなっても老後を一緒に過ごし言わば偕老同穴するという。元祖おしどり夫婦の高嶋忠夫・寿美花代夫妻はペンギン夫婦と尊称すべきなのだ。鳥のオシドリは実際には冬が変る度に相手をとっ変えるらしい。

現に昨年おしどり夫婦と呼ばれた芸能人夫婦も不倫による夫婦関係の亀裂が相次ぎ報道された。今後も続けば、おしどり夫婦と呼ばれるのを光栄と思わなくなるかもしれない。

 

動物もつがいでいる意味は繁殖だけではないようだが、生殖年齢が過ぎて不倫するのは、人間の女だけだろう。生涯現役のような男と違い、女は、なぜ閉経後も不倫をするのであろうか。不倫遺伝子で説明がつくとも思えない。

快楽はなくならないのも大きいが、不倫する亭主に対する意趣がえしという動機もあろう。もっと能動的な動機としては尊敬する人に惹かれてしまうということか。この視点から言えば、我が高校の大先輩白洲次郎の妻で随筆家の白洲正子の朝帰りは興味深い。昨年末騒動となった50歳台の女優は文春砲に対しW不倫を否定するも(元外交官宮家邦彦氏によれば、越えない一線はないらしいが)、相手の男性を「尊敬している」と答えていた。

ゴージャスな羽を持つクジャクのオスを選ぶメスのようにメスはオスの見た目の良さに眼がいく。それは人間の女も同じ。さらに、ナチス高官夫人の書いた『ヒトラーをめぐる女性たち』(三修社)を読むと、青白く貧相なヒトラーをマクダとか女がほっとかない。権力が女を引き付ける磁石と分かるが、権力=強さと見れば、猿山のボス猿も同じだろう。

しかし、尊敬する、平たく言えば、頭が良い男を好きになるのは、女だけ。年齢は関係ない。そして、頭の良い女、高学歴な女ほどその傾向が強いという仮説が成り立つのでは。

 

「今でしょ!」で人気者になったカリスマ予備校講師で、東大法学部卒というブランドを持つ林修先生は、「高学歴の女性はほぼ100%落とせる」と豪語していた(TVで大言を吐いていたから独身時代の話だろう)。入れ喰い状態のダボハゼと同じではと私も感じていた。と言っても、私自身が良い思いをした訳ではない。銀行を辞めて社団法人に所属していたとき某有名女子大生にバイトに来てもらっていた時の話だ。歴代10数人の女子にお手伝いいただいた。賢く真面目で大いに助かったのだが、こういう女子群がいるのだと面食らったことも確かだ。大半が東大生の彼氏を見つけることが大学に入った目的なのかと思ってしまった(看護婦は、医師は総じてみな優秀で患者の命を救う姿を間近に見れば医師に惚れてしまっても不思議ではない。でも、そのために看護学校に入るわけではないだろう)

その辺の事情は、東大運動部の同じマネジャーとして、東大生の彼氏をゲットしようする私大女子大生に煽られた東大法学部首席卒業の山口真由弁護士(元財務官僚で財務省問題にてTVのワイドショーに引っ張りだこになった)が詳しい。

 「東大生といっても、東大からの人と東大までの人がいる」「男の価値はそれだけか」と言いたがりの私でも彼女らに言うのを躊躇した。東大出でない私が言っても聞く耳を持たないと思うからだ。東大出の某先生に聞くと「東大生ということだけで誰でもモテる。据え膳喰わぬはとの諺もある。だが、そんな早く結婚なんか考えていない。のちのち政治家、官僚、企業家からの閨閥につながる縁談もあろうからと思う人も多いのでは」と当時語っていた。彼女らの中には「それでもいい。青春のよき思い出」と割り切る女子もいた。

そんな青春の一ページを経て、彼女たちも、今は分相応の旦那と結婚し、旦那が思うほど出世しなくても、子供が期待するほど成績が上がらなくとも、それなりの幸せを感じ暮らしていることだろう。

ただ、中には考えが変っていない彼女もいるとするなら、お受験を迎えて子供も大変な思いをしているかもしれない。彼女が満足する結果が得られなければ、その彼女が離婚は考えないとしたら、採るべき行動は、ただ一つであろう。

 

2018.11 臨時号 NO.105  VS  (2)

女を売り物に、男に媚びるという点で言えば、共に13.5点と東大出の才媛ながら古谷氏に低採点された丸川珠代議員と片山さつき大臣とが挙げられよう。

 丸川議員は、森友関係資料改竄問題での証人喚問で佐川局長に誘導尋問を行い、マツコ・デラックスさんから「自民党の歴史の中でも最高峰のホステス」と揶揄された。テレ朝のアナ時代のリベラルから保守への急変は別によしとしても、人格は豹変したのか。否、良くなるとは思えない。私が社団法人に在籍していた頃アルバイトの私大女子大生がテレ朝に就活した。私が「どうだった?」と聞くと、予想だにしない返事が返ってきた。「面接に臨席していた丸川アナが、横柄で、私たちを見下げる態度をとった。あんな嫌な人はいない!」と憤っていた。それは一人だけの意見ではなかった。

ミス東大、聖子ちゃんカット?の片山大臣も、丸川議員ほどでないにしろ、同類と言えるだろう。(元旦那)舛添氏によれば片山氏は媚びるのは苦手らしいが、9月のロシアの経済フォーラムでプーチン大統領になめた発言(無条件による平和条約締結)をされた安倍首相についていつになく笑顔で成果を強調しヨイショしていた。内閣改造直前のBSの報道番組で。

功を奏したのか図らずも大臣に任命された。すると、待ってました!とばかりに週刊新潮(10/18)が暴露した。秘書に対するパワハラは後輩のあの豊田前議員に引けを取らないと叩いた(ライバルの週刊文春は100万円国税口利き疑惑を報じる)。また、古谷氏のこの本で、片山大臣が過去生活保護受給問題で弱い立場のお笑い芸人をスケープゴートにしたかのように見えたことを思い出した。それは政治家のすることなのかと疑問に感じでいた。

 所詮類が友を呼んだと言うことだろう。彼女らを呼んだ安倍首相自身がそんな人物だ。北朝鮮の金正恩党委員長も首相を嫌っているのでは。内心恐れを抱きながらも独裁者トランプ大統領と対等に対峙している青年独裁者からすれば、「トランプ大統領にはポチ犬のように振る舞い、自身には高圧的な態度とる安倍首相を絶対許すまじ!」と思っているのでは。

拉致問題は金党委員長の父親の犯罪。前よりは柔軟に対応でき拉致問題を経済支援の切り札と考えてもおかしくないが、安倍首相とは交渉したくない。日朝会談の話が進まないのも、金党委員長が首相が交代する3年後を待つか否か思案しているからではないか。

 私らが、東大出の才媛議員に期待するのは、志も見えず上の顔を窺うだけの体たらくな男議員連中に政治家としてのあるべき姿を見せつけてもらうこと。菅官房長官に対峙する東京新聞の女性記者の立ち位置だ。菅官房長官の木で鼻をくくる答弁に対し、情けないことに臆して男性記者は黙ってしまうが、東京新聞望月衣塑子記者はするどく切り返す。

  男議員に媚びる、代弁をする役割は、杉田議員らに任しておけばよいのだ。

上に媚び、下を顧みない。とくに底辺で苦しんでいる人に思いを馳せることができない者は政治家に向いていない。それが理解できないなら、頭はよくても賢者とは言えない。

 

 古谷氏は本に登場する現役女性議員のほとんどについてダメ出ししている。その中で、地味だとして「ルックス」の低採点がひびき採点計は高くないものの、古谷氏が野田議員よりも評価しているのが上川陽子議員だ。「政策力」は4.5点と最高点をつけている。

 私もオウム事件の死刑囚に対する死刑執行に粛々とその責務を果たした(上川議員には一生SPが必要だと言われている)のを見て、「なかなかいい女性議員がおるな」と思い始めた。

過去死刑執行の責務を果たした長勢甚遠大臣や故鳩山邦夫大臣は人殺し呼ばわりされた。ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言ったように、死刑廃止が世界的な趨勢だとしても日本が死刑を認めている以上法の番人である法務大臣が死刑執行を進めるのは当然の責務。過去法務大臣に就任しておきながら個人的信条を理由に死刑執行から逃げる、いいとこ取りして権利の裏側にある責務を果たさない法務大臣を何度苦々しく見てきたことか。

 地味とはいえ、うわついておらず、感情に走ることもないようだ。胆力もありそうだ。東大を経て三菱総研に在籍。経済にも明るいという。「海外から日本を眺め、改革の必要性を感じた」という志もよい。このひとが女性初の首相にふさわしいのかもと思わせる。

9年前にそう見抜いていた、敵ながらあっぱれと見ていた、人がいた。日経記者出身のジャーナリストで当時民主党を贔屓にしていた宮崎信行氏がその人。第45回衆議院総選挙の2ヶ月前の20096月自身のコラムで、『伏兵「上川陽子総裁」に要注意だ!』と題してネットにあげた。その前から「上川陽子総裁最強説」を唱えていたという。実際は、先見の明があったが、タイミングが悪かった。鳩山民主党政権ができたときの総選挙で、自民党に逆風が吹き荒れており、当の上川議員は落選してしまった。福田康夫内閣の公文書管理担当大臣として尽力し総選挙前の6月に公文書管理法を成立させた功労者だったのに。

その公文書管理が9年経ち「改竄」というところまで地に堕ちた。古谷氏はもう一度上川議員の手で公文書管理をと言うが、モリ・カケ問題の種火が燻る安倍首相が続投になった以上やらせるわけはないか。

それでも、上川議員が法務大臣を留任するかはともかくとしても新内閣でも処遇されると思った。しかし、他の大臣にも起用されることはなかった。メディアも触れないので理由はよく分からない。ひょっとすると、国民から「上川首相待望論」が湧き起こるのを警戒されたのかもしれない。