2019.1 臨時号 NO.108 ょうさい VS  ょうさい

 よく知らない男性と仕事をするような時その男性をよく理解するために、飲みに行ったり、麻雀をしたり、ゴルフしたりして、本性を探ったりすることがあるのでは。相手に奥さんがいる場合、奥さんを見て、本人を推し量ったりもするだろう。

 今から10数年前業界団体のトップから事務局長にと指名がかかった時のこと。トップとは前からの知り合いだが、人となりをよく知っている訳ではない。就任するにあたり、トップ夫妻と会食する機会を得た。トップと中学からの幼馴染という奥さんは、多分少し派手な感じではと想像していた。が、会って一目見て学校の教師かと見間違えてしまった。

後で知ったことだが、奥さんの一族はみな教育者で、奥さんはそれに反発していて教師に見られるのは一番堪えられないとのことであった。しかし、DNAには抗えないものだ。こんな奥さんを娶るトップであれば大丈夫だろうとその時私は安堵した。

『やばい日本史』(ダイヤモンド社)によれば、清少納言は悪口三昧だったという。さしずめ安倍首相への批判ばかり書く私は、“徳少罵言”というところか。そんな私も妻に少し助けられていると思う。私の妻を知っている人なら「感じの良いあの奥さんが37年も連れ添っているのだから、少しは良い所もあるのだろう」と思う人もいてくれるのかもしれない。

 庶民でこうなのだから、政治家の妻の持つ意味合いはすこぶる大きい。ファーストレディで真っ先に思い浮かべるのは、ローラ・ブッシュ(ジュニア)元大統領夫人だ。賢くもなく人気も低迷していた大統領に内助の功を発揮した。気さくで聡明なローラ夫人は米国民から高い人気を得ていた(ミシェル・オバマ前大統領夫人もここにきて人気に火が付いた)

日本の賢首相夫人と言えば、故橋本龍太郎首相の久美子夫人だろう。久美子夫人も気さくで地元選挙区で人気が高く良妻賢母の鏡。橋本首相にまつわるハニートラップ等女性問題の醜聞も、11年前に夫人が上梓した『夫 橋本龍太郎 もう一度「龍」と呼ばせて』(産経新聞出版)にも触れているが、モテる男だからと割り切り消化してしまっている。今においても夫・龍に対し生前と変わらぬ厚い信頼と愛情を貫いている。

 安倍首相夫人は首相の足を引っ張っていると皆がそう感じた(森友学園問題では疑いの眼差しを一身に受け健気に首相の盾になった感はあるが)。ファーストレディとは本来皇室のない米国の大統領夫人を指す。日本にファーストレディは不要。皇后陛下がおられるから。

 

 夫の別称は良人、主人、旦那、亭主と敬意が込められる。封建社会では妻からの揶揄は御法度だったのか(私は、女房から、ダメ亭主、ハズレ、ポチ犬、ナメクジと呼ばれてきたが)。一方妻の方は良妻、愛妻、賢妻の他、恐妻、愚妻、悪妻、鬼嫁などと悪態をつかれる。

 恐妻と言えば、プロ野球の選手としても、監督としても共に名声を得た、野村克也監督、落合博満監督の奥さんを思い起こす。沙知代夫人も、信子夫人も、姉さん女房。勝負師の妻としては、自身がピンチや不安な折「なんとかなるわよ」と背中をポンと叩いてくれる肝っ玉母さんタイプがよいのだろう。

 沙知代夫人は昨年の暮れ思いがけず亡くなったが、恐妻と一口に言っても、いろんな側面がある。夫の言うことを聞かず夫を従わせた(強妻)。いつも夫を愛し盾にも矛にもなり夫を支え続けた(良妻)。罪に問われ夫に迷惑をかけた(悪妻)。そんな夫人を野村監督は年明けのお別れ会後の囲み取材で一言「いい奥さんだった」と締めくくった。野村監督は、「これからどうして生きていけば」と寂しそうに語っていたが、一気に老け込んだと見受けた。

本ブログの初号で書いたが、妻にとって夫の存在がストレスだが、夫にとって妻の死が大きなストレスになる。同じ頃保守派論客西部邁が入水自殺した。前から自裁を考えていたとするが、奥さんを亡くしてからは死にたいと周りに漏らしていたという。心情は理解できる。だが、賢人がほう助した逮捕者まで出してまで痛ましい“土座衛門”をなぜ選んだのか。保守としての「言論」が通じないとの抗議なのか。佐藤優氏は『平成史』(小学館)で「原点だったブントの活動家に立ち返って自分の生涯を終えた」(1979年マルクス主義者対馬忠行が瀬戸内海にフェリーから飛び込んだのを先行事例として)との見方をとるが。

なお、老人の自殺問題は次の機会に「あんらくし VS あんならくし」で考えたいと思う。

 

今や2人に1人が癌に罹ると言われる。夫婦の組み合わせで言えば、①夫も妻も癌にならない夫婦と夫も妻も癌になる夫婦。②夫が癌になり、妻は癌にならない夫婦。③妻が癌りなり、夫は癌にならない夫婦。

 夫がもっとも心痛めるのは③の妻が癌になること。さらにそれで妻に先立たれるケースではないか。夫は妻に看取られることを想定している。思いがけず妻に先立たれると狼狽する。中には、妻の死を受け止められず、やり場のない怒りを担当医師にぶつける者もいる。が、多くの夫は生きる意欲を失い、鬱になるか、免疫力を低下させ病に伏せてしまう。妻の所に逝き急ぐ(俳優津川雅彦も朝丘雪路を看取った3か月後に逝去)

 さだまさしさんの『関白宣言』の「俺より先に死んではいけない 例えばわずか一日でもいい 俺より早く逝ってはいけない」という歌詞のごとく、私も7つ年下の妻に看取られことを願っている。「皆に迷惑をかけず早く逝くのよ」と言う妻(生き別れは青春返せと怒るが死に別れはもうウエルカム)は今まで病気らしい病気は罹ってないが、癌は分からない。

女性の死亡原因は大腸がんがトップ。5年前に亡くなった女優坂口良子も大腸がん(結腸がん)だった。亡くなる少し前に開いた尾崎建夫プロとの結婚披露宴(TV中継)で長兄尾崎将司プロがめでたい席の挨拶で急に嗚咽したので、エッ!?と違和感を覚えたが、後日そういうことであったかと理解した。

女性がとくに気にする乳がんは(男性の前立腺がんと同様)ホルモンが関係しているから、乳がんで死ぬ率は閉経前後にピークが来てそれ以降下がっていく。

我が妻は還暦を過ぎているので、乳がんより大腸がんの方をより気にかけるべきなのだ。ダメ亭主のせいで長年フルタイムで働いていた我妻は会社の人間ドックで毎年検便を受けていた。再検査は一度もなかったが、便潜血検査の陰性とは便に血液成分が含まれていないという意味でしかない。陰性だから癌やポリープがないとは限らない。一度大腸内視鏡検査を妻に受けさせようと思っている。胃の検査と違い、何もなければ3年に1度程度でよいらしい。私はポリープがあるので、2,年に1度受けている。良性のポリープでも1cmを超えると癌に変る確率は30%に上がるという(私の場合、2014年に分かった4mmのポリープが2016年には5mmに。今年2018年には8mmにもなり、他も併せ全て切除した)

私の前立腺がん治療の主治医の弟君も医師なのだが、その奥さんが48歳で大腸がんで亡くなったという。医師や大企業社員は高給取りで奥さんは専業主婦が多いのではないか。それは夫の甲斐性かもしれないが、十分な生活費を渡すだけが夫の役目ではない。「後は良きに計らえ」ではなく、子供の教育に加え妻の健康にも十分留意してもらいたい。

 私は過去人間ドックに懐疑的であった。歳とればどこか悪い所が出てくる。人間ドックは患者を釣るための撒き餌と思っていた。しかし、自身が前立腺がんに罹患して理解した。癌はサイレント・キラーで潜行する。気づいた時手遅れになるケースが少なくない。私の知合いの男性も腸ねん転で救急車で運ばれ、その時に初めて末期の大腸がんであることが判明した。それまで大腸がんとはまったく疑いもしなかったとのことだ。

 癌は早期発見が一番だが、体の奥にある前立腺を診ることは容易ではない。癌が5mm未満ではMRIにも映らない。腫瘍マーカー(血液検査)の値の推移を見る(最終的には生検を行い細胞を採取して癌を探す)。それに比べれば、大腸内視鏡検査は簡単。肛門より直接腸壁を診ることができる。麻酔(鎮静剤)で眠っているから、不快さも感じなくて済む。

 妻が逝くのは天寿かもしれないが、一人残された孤独と悔恨の日々は辛い。病院嫌いの(又は行くのが怖い)専業主婦を持つ旦那は無理にでも愛妻でも恐妻でも病院に連れて行こう。

 

 

2019.1 NO.107   VS   

 外国人が書いた日本人論が数ある中で、『「縮み」志向の日本人』と並んで、我ら庶民の間でポピュラーになっているのは、ファーストネームがエッグではなく、ルースというベネディクト女史の『菊と刀』であろう。『菊と刀』は日本人を称賛するために書かれてはいない。第二次大戦下、「低劣と見下すアジア人の中で日本人はなぜ違うのか?」「軍事力における彼我に大きな差があるのになぜ米国に戦いを挑むのか。その精神構造は?」、その答えを求めて、文化人類学見地から女史が調査し報告書としてまとめられたのが同書だと思う。

 その中でとくに有名な、「欧米の罪の文化、日本の恥の文化」において、日本人を揶揄している。平たく言えば、欧米人は神が見ているから罪を強く意識する。日本人は世間にバレなければ罪の意識をもたないと女史は言う。そんなことはない。日本人でも、「お天道様が見ている」「ご先祖様に申し訳が立たない」という罪への歯止めがあると反論したい。が、世間にバレても非をなかなか認めないのであれば、反論が腰砕けになってしまう。

 中国人は「恩知らず」と言われるのを一番嫌う(日中国交正常化を遂げた田中角栄首相の娘真紀子さんが訪中時「中国人は受けた恩はいつまでも忘れない」と中国首脳は歓待した)

日本人は「恥知らず」と言われるのを一番恥ずかしいと思っていたハズなのだが、いつの間にこんなに厚顔無恥になったのか。

 恥の文化は本来日本の美徳であったハズ。周りの目を気にするのは、自身より周りの人を気遣うためだ。それが、「義理」「人情」「和の精神」を育んでいった。

 日本の若者に問題があるわけではない。9月の全米オープンテニス。何も情報を持たない人が観れば、アメリカ人女子プロ同士の決勝戦と見えただろう。勝利した大坂なおみプロが優勝セレモニーで(大坂プロに向けられたものではなかったが)ブーイングの嵐の中涙ながらに「私が勝って、ごめんなさい」と謝った。自分のことより観客を気遣った。

 二十歳の大坂プロは、日本人の心を持っている。日米二重国籍であろうが、日本語がたどたどしかろうが、日本人そのものだ。他にも、不正タックルの日大アメフト部の宮川泰介君は正々堂々表に立ち謝罪した。奇しくも同姓の体操宮川紗江プロは、権力に屈して保身に走ることなく、選手生命を賭して信頼するコーチを救い出そうとした。サッカーでは、だれかに強制されているわけでもなく、サポーターがゴミ拾いをし、選手がロッカーを綺麗に片付ける。DNAなのか日本人の美徳が若者には息づいている。

問題は大人だ。それも各界のトップ層だ。昔で言えば、武士クラスだ。まっとうな子供が大きくなればそうでなくなるということなのか。ならばそれはどうしてか。

 女史は、『菊と刀』のタイトルからすれば、二度と米国に楯突かせないためには、日本人の急所、菊(天皇制)と刀(武士道精神)を壊すことだと分析したのかもしれない。

 実際はどうだったか。天皇制は連合国軍最高司令官マッカーサーが存続に舵を切ってくれた。高山正之氏は週刊新潮の連載『変見自在』で幾度となくマッカーサーをこき下ろしているが、そんな人物だとしても、私は「菊」が咲き続けていることに感謝の念を抱く。

 「刀」は、米国から武器を取り上げられ、あるいは制約を受け、代わりに米国は米軍基地を配置し、監視もしている。そして米国から与えられた、見えない檻の中の偽りの平和な暮らしで、米国の思惑どおりか、武士道精神は、日本人から忘れさられてしまった。戦国から徳川の天下泰平の世に移って、武士は戦士から為政者に変わったが、武士道により自らを厳しく律した。不正や正義に悖る行為をしたときは生き恥に堪えず切腹したのだが。

 

日本人の心、精神は日本酒と同じなのかもしれない。酒は火落ち菌があると白濁し清酒として売り物にならない。そのために火入れする。人の心における火落ち菌は権勢欲、我利私欲、自己保身と言える。その火落ち菌を抑える火が武士道精神ということではないか。

今火入れされず心が濁り異臭を放つトップが何と多いことか。最近も地面師に転がされた積水ハウスのトップが責任なすりつけ内紛を起こす。大企業で不正・不祥事が後を絶たないが、トップは会社の命運よりも自身の保身に走る。それを生き恥とは思っていない(日産の「報酬過少記載」も、指名された社長らが知らなかったというのは、? か。罪軽減を目的にゴーン会長を売ったと見るべきか。一方、司法取引で勇み立った検察を危ぶむ声もある。いずれにしろ司法取引は武士道精神と対極にある。日本人の劣化を助長させかねない)

201712月臨時号NO.82(「ぶし VS ぎし」)で触れたように、警察と並んで倫理感の高いハズの銀行業界において商工中金でとんでもない不正融資が明るみになった。天下りトップは直に辞任を表明した。が、逃げたとしか私には思えない(切腹というより斬首される前に出家したようなものだ。ほとぼりが冷めたら他所で還俗するだろう)

 さらに、スルガ銀行で禁断の審査資料改竄の不正融資が発覚した。優良地銀と見られていたので驚きだ。またぞろノルマがと言っているが、どの職業でも絶対してはいけないことがある。例えば、運送業で、ノルマに追われているからといって、赤信号を突っ走る者はいない。改竄が一人ではなく相当数いるとすれば、個々人の問題ではなく、トップに全責任がある。創業家の会長は、切腹を逃れようとしたが、第三者委員会により斬首された。

パワハラ問題の連鎖が続くスポーツ界では、日本ㇾスリング協会、アメフトの不正タックル問題で揺れる日本大学では、トカゲの尻尾斬りで、しかるべき上が責任を取っていない。日本体操協会も第三者委員会の調査は一体どうなったのか。

相撲界でも、20181月臨時号NO.84(「はくほうVSこくほう」)で心配したことが現実になった。改革すべき側の相撲協会が魔女狩り(貴乃花親方曰く、内閣府への告発が事実無根だと認めるよう強要された)で、告白状を取り下げ歩み寄っていた貴乃花親方を土俵際に追い込み、親方は自ら土俵割った。被害者ながら四面楚歌となった貴ノ岩関も日馬富士関への民事提訴を取り下げた。軍配が八角理事長に上がったが、相撲協会は公益法人を隠れ蓑として悪弊を続けていくのか。相撲界にはタニマチは必要でも正義は不要なのか。

恥知らずの風潮を象徴するかのごとく、「生き仏」と言われる長野善光寺の管主がセクハラ等で信徒から罷免要求されるも、色ボケを恥じ辞任しようとはせず、解任に及んだ。

 みなかみ町の前町長も町議会で不信任を決議されたにも拘わらず、恥ずかしくも切腹せず議会をセクハラ解散させた。結局町民から斬首された形となり、恥の上塗りとなった。

こうした現状を正すのが政治家の務めだと思うが、そのトップが火入れされているとは思えない。ペンス米副大統領も相手にしない?“失言癖”の政権NO2の麻生財務大臣は財務省の前代未聞の不祥事の責任をとらず意地でも辞任しようとしなかった。自身に都合のよい政権が倒れない様に。勝った総裁選後の内閣改造で体よく交代するのかと思ったらそのまま居座った。まさに“蛙の面に小便”だが、水すらもメディアはかけられないのか。

安倍首相は、モリ・カケ問題で、官僚制組織を壊し、国会も1年以上も空転させた。国会形骸化も入管法改正案審議を見ても反省の色はなく行政の長としての責任はどこ吹く風。

総裁選前の8月週刊ポスト誌の政治記者・評論家・学者52人対象実名アンケートよる「戦後歴代最低の総理大臣」調査で、ワースト1位の菅元総理に次いで安倍首相は2位となった(現権力者への遠慮もあるか)。当然安倍首相の名を挙げた天敵元通産官僚古賀茂明氏は「平和ブランドを崩壊させ、米国追随の戦争国家への転換を始めた。“逮捕されなければ何をしても良い”という倫理規範を政官界に蔓延させた」とコメントした。

こうした世情を拭い去るために、火入れする杜氏の役割を担えるのは、もはや検察しかない。本ブログ20128NO.14(「けいさつ けんさつ」)で書いたが、地検は、微罪であれ何であれ、公開処刑ならぬ公開処罰により、村上世彰氏らスーパーエリートが扇動する、日本人の美徳・美学に反する拝金主義的な風潮、価値観を払拭させた。

 日本の陽が落ちる前に、今こそ検察が火入れする時。文科省のタダ飯をたかるようなさもしい事案でお茶を濁す場合ではない。まさか検察にも火落ち菌がとか言わないだろうね。

 

2018. 12 NO.106  るがお VS るがお

本ブログの初号は20117(「オス メス」)で、7経つ。Wordで文章を作り、ブログに貼り付けたのだが、段落等体裁がどうしても整わなかった。内容も含めて忸怩たる思いだが、いまだにアクセスがある。ありがたくもあり恥ずかしくもある。高校の先輩で、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がる作家村上春樹氏のことを載せているからかもしれない。

夫の不倫がテーマの201612NO.66(ふりん VS ふしん)は芸能人が不倫し文春砲が火を噴けばアクセスがあるように思える。

 歌謡曲の世界では、妻が不倫する内容の名曲が少なくない。この前意地を通して公演を中止し美学を貫いた沢田研二さんが「あなたは帰る家がある やさしくつつむ人がいる 指輪はずして愛し合う いけない女と呼ばせたくない」と歌うのは『LOVE(抱きしめたい)』。

私のカラオケの十八番でもある大川栄策さんの『さざんかの宿』は歌詞に「せめて朝まで 腕のなか 夢をみさせて くれますか」とあるが、夜に花開く不倫妻は朝には萎むなら、花に喩えれば夜顔(朝咲き昼には萎む朝顔の花言葉は「はかない恋」)

 その夜顔をタイトルとした谷村新司さんの名曲の最終節「見知らぬ人に抱かれながら 涙がほほをぬらす 悲しい仮面のその下で 怪しく燃えてゆく」は、男の理解を超えた女心の不可思議さを上手く表現している。まさに、1967年公開された洋画『昼顔』で大女優カトリーヌ・ドヌーヴさんが扮した、医師の夫に隠して娼婦に身を落としたヒロイン・セヴリーヌを思い起こす。

 20147月~9月に放映された日本のTVドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』は上述の映画『昼顔』をオマージュして制作されたらしい。大ヒットしたこともあり、昨年映画化された。ダブル不倫の末引き裂かれたあとの3年後偶然再会し焼けぼっくりに火がつく話となっている。私は、ドラマは観なかったが、映画館には足を運んだ。その中で、黒澤あすかさん演じる、姉御肌の厨房スタッフ・絹江の「女は自分ができなかったこと(不倫)をする女が嫌い」というセリフが心に刺さった(女性国会議員・芸能人はとくに心すべき)

 昼顔が人気を博したのは、主人公の男優斉藤工さんの魅力もさることながら、主婦にとって現実の世界ではないからだ。一夫一婦制(後述の中野信子女史は農耕社会からとするが、NHKスペシャルでは400万年前の祖先の頃からとしている)における禁断の夢だからこそ上戸彩さん演じるヒロインに自身を投影させ叶わぬ夢を見ていると言えまいか。

 動物のメスには、不倫しても罪悪感はない。限られた卵子の中で優秀な遺伝子を得る確率を考えれば特定のオスに限定しない方よい。不倫は合理的な行動となる。鳥の中には、メス鳥が不倫して他人の子供を亭主のオス鳥に面倒見させる鳥がいる。

 鳥だけの話かと思っていたら人間社会でもそうらしい。『不倫』(文春新書)を書いた中野信子女史は、2人に1人は、不倫率を高める「不倫遺伝子」を持つ、と言う。

橘玲氏の『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)P171では、イギリスの生物学者よれば、「平均すれば男性の10%が他人の子どもを自分の子どもと誤解して育てている」という。最低所得層に限ればその比率は3倍に上がるという。バレたときの妻の経済的損失が少ないからだ。

 日本でも少し前男性芸能人が子供のDNA鑑定をして話題になったことは記憶に新しい。そう言えば、私が若い頃、40年くらい前だが、「結婚してすぐ子供ができ、その後ずっとできないなら誰の子か分からん」という市井の迷言を耳にしていた。

 

動物のメスは仔を生まなくなると早く死んでしまうことが多い。鮭などは何千キロと離れた海からにおいを頼りに故郷の川に戻り、産卵したら力尽きて死んでしまう。メスの役割とは子供を産むことなのか。女もそうだと言わんばかりの発言をしてある校長はクビになった。イギリスの生物学者が「生殖器官の機能を失っても持って生まれた寿命を引き延ばしている状態が生じている。更年期とは生殖年齢を過ぎても存命しているために起こる、用済み後のエラー作動」と酷い?ことを言っている(あろうことか、自民党杉田水脈女性議員は「子どもをつくらないLGBTは『生産性がない』」と『新潮45』に寄稿して炎上した)

鮭ほどすぐ死なないマゼランペンギンは繁殖をしなくなっても老後を一緒に過ごし言わば偕老同穴するという。元祖おしどり夫婦の高嶋忠夫・寿美花代夫妻はペンギン夫婦と尊称すべきなのだ。鳥のオシドリは実際には冬が変る度に相手をとっ変えるらしい。

現に昨年おしどり夫婦と呼ばれた芸能人夫婦も不倫による夫婦関係の亀裂が相次ぎ報道された。今後も続けば、おしどり夫婦と呼ばれるのを光栄と思わなくなるかもしれない。

 

動物もつがいでいる意味は繁殖だけではないようだが、生殖年齢が過ぎて不倫するのは、人間の女だけだろう。生涯現役のような男と違い、女は、なぜ閉経後も不倫をするのであろうか。不倫遺伝子で説明がつくとも思えない。

快楽はなくならないのも大きいが、不倫する亭主に対する意趣がえしという動機もあろう。もっと能動的な動機としては尊敬する人に惹かれてしまうということか。この視点から言えば、我が高校の大先輩白洲次郎の妻で随筆家の白洲正子の朝帰りは興味深い。昨年末騒動となった50歳台の女優は文春砲に対しW不倫を否定するも(元外交官宮家邦彦氏によれば、越えない一線はないらしいが)、相手の男性を「尊敬している」と答えていた。

ゴージャスな羽を持つクジャクのオスを選ぶメスのようにメスはオスの見た目の良さに眼がいく。それは人間の女も同じ。さらに、ナチス高官夫人の書いた『ヒトラーをめぐる女性たち』(三修社)を読むと、青白く貧相なヒトラーをマクダとか女がほっとかない。権力が女を引き付ける磁石と分かるが、権力=強さと見れば、猿山のボス猿も同じだろう。

しかし、尊敬する、平たく言えば、頭が良い男を好きになるのは、女だけ。年齢は関係ない。そして、頭の良い女、高学歴な女ほどその傾向が強いという仮説が成り立つのでは。

 

「今でしょ!」で人気者になったカリスマ予備校講師で、東大法学部卒というブランドを持つ林修先生は、「高学歴の女性はほぼ100%落とせる」と豪語していた(TVで大言を吐いていたから独身時代の話だろう)。入れ喰い状態のダボハゼと同じではと私も感じていた。と言っても、私自身が良い思いをした訳ではない。銀行を辞めて社団法人に所属していたとき某有名女子大生にバイトに来てもらっていた時の話だ。歴代10数人の女子にお手伝いいただいた。賢く真面目で大いに助かったのだが、こういう女子群がいるのだと面食らったことも確かだ。大半が東大生の彼氏を見つけることが大学に入った目的なのかと思ってしまった(看護婦は、医師は総じてみな優秀で患者の命を救う姿を間近に見れば医師に惚れてしまっても不思議ではない。でも、そのために看護学校に入るわけではないだろう)

その辺の事情は、東大運動部の同じマネジャーとして、東大生の彼氏をゲットしようする私大女子大生に煽られた東大法学部首席卒業の山口真由弁護士(元財務官僚で財務省問題にてTVのワイドショーに引っ張りだこになった)が詳しい。

 「東大生といっても、東大からの人と東大までの人がいる」「男の価値はそれだけか」と言いたがりの私でも彼女らに言うのを躊躇した。東大出でない私が言っても聞く耳を持たないと思うからだ。東大出の某先生に聞くと「東大生ということだけで誰でもモテる。据え膳喰わぬはとの諺もある。だが、そんな早く結婚なんか考えていない。のちのち政治家、官僚、企業家からの閨閥につながる縁談もあろうからと思う人も多いのでは」と当時語っていた。彼女らの中には「それでもいい。青春のよき思い出」と割り切る女子もいた。

そんな青春の一ページを経て、彼女たちも、今は分相応の旦那と結婚し、旦那が思うほど出世しなくても、子供が期待するほど成績が上がらなくとも、それなりの幸せを感じ暮らしていることだろう。

ただ、中には考えが変っていない彼女もいるとするなら、お受験を迎えて子供も大変な思いをしているかもしれない。彼女が満足する結果が得られなければ、その彼女が離婚は考えないとしたら、採るべき行動は、ただ一つであろう。

 

2018.11 臨時号 NO.105  VS  (2)

女を売り物に、男に媚びるという点で言えば、共に13.5点と東大出の才媛ながら古谷氏に低採点された丸川珠代議員と片山さつき大臣とが挙げられよう。

 丸川議員は、森友関係資料改竄問題での証人喚問で佐川局長に誘導尋問を行い、マツコ・デラックスさんから「自民党の歴史の中でも最高峰のホステス」と揶揄された。テレ朝のアナ時代のリベラルから保守への急変は別によしとしても、人格は豹変したのか。否、良くなるとは思えない。私が社団法人に在籍していた頃アルバイトの私大女子大生がテレ朝に就活した。私が「どうだった?」と聞くと、予想だにしない返事が返ってきた。「面接に臨席していた丸川アナが、横柄で、私たちを見下げる態度をとった。あんな嫌な人はいない!」と憤っていた。それは一人だけの意見ではなかった。

ミス東大、聖子ちゃんカット?の片山大臣も、丸川議員ほどでないにしろ、同類と言えるだろう。(元旦那)舛添氏によれば片山氏は媚びるのは苦手らしいが、9月のロシアの経済フォーラムでプーチン大統領になめた発言(無条件による平和条約締結)をされた安倍首相についていつになく笑顔で成果を強調しヨイショしていた。内閣改造直前のBSの報道番組で。

功を奏したのか図らずも大臣に任命された。すると、待ってました!とばかりに週刊新潮(10/18)が暴露した。秘書に対するパワハラは後輩のあの豊田前議員に引けを取らないと叩いた(ライバルの週刊文春は100万円国税口利き疑惑を報じる)。また、古谷氏のこの本で、片山大臣が過去生活保護受給問題で弱い立場のお笑い芸人をスケープゴートにしたかのように見えたことを思い出した。それは政治家のすることなのかと疑問に感じでいた。

 所詮類が友を呼んだと言うことだろう。彼女らを呼んだ安倍首相自身がそんな人物だ。北朝鮮の金正恩党委員長も首相を嫌っているのでは。内心恐れを抱きながらも独裁者トランプ大統領と対等に対峙している青年独裁者からすれば、「トランプ大統領にはポチ犬のように振る舞い、自身には高圧的な態度とる安倍首相を絶対許すまじ!」と思っているのでは。

拉致問題は金党委員長の父親の犯罪。前よりは柔軟に対応でき拉致問題を経済支援の切り札と考えてもおかしくないが、安倍首相とは交渉したくない。日朝会談の話が進まないのも、金党委員長が首相が交代する3年後を待つか否か思案しているからではないか。

 私らが、東大出の才媛議員に期待するのは、志も見えず上の顔を窺うだけの体たらくな男議員連中に政治家としてのあるべき姿を見せつけてもらうこと。菅官房長官に対峙する東京新聞の女性記者の立ち位置だ。菅官房長官の木で鼻をくくる答弁に対し、情けないことに臆して男性記者は黙ってしまうが、東京新聞望月衣塑子記者はするどく切り返す。

  男議員に媚びる、代弁をする役割は、杉田議員らに任しておけばよいのだ。

上に媚び、下を顧みない。とくに底辺で苦しんでいる人に思いを馳せることができない者は政治家に向いていない。それが理解できないなら、頭はよくても賢者とは言えない。

 

 古谷氏は本に登場する現役女性議員のほとんどについてダメ出ししている。その中で、地味だとして「ルックス」の低採点がひびき採点計は高くないものの、古谷氏が野田議員よりも評価しているのが上川陽子議員だ。「政策力」は4.5点と最高点をつけている。

 私もオウム事件の死刑囚に対する死刑執行に粛々とその責務を果たした(上川議員には一生SPが必要だと言われている)のを見て、「なかなかいい女性議員がおるな」と思い始めた。

過去死刑執行の責務を果たした長勢甚遠大臣や故鳩山邦夫大臣は人殺し呼ばわりされた。ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言ったように、死刑廃止が世界的な趨勢だとしても日本が死刑を認めている以上法の番人である法務大臣が死刑執行を進めるのは当然の責務。過去法務大臣に就任しておきながら個人的信条を理由に死刑執行から逃げる、いいとこ取りして権利の裏側にある責務を果たさない法務大臣を何度苦々しく見てきたことか。

 地味とはいえ、うわついておらず、感情に走ることもないようだ。胆力もありそうだ。東大を経て三菱総研に在籍。経済にも明るいという。「海外から日本を眺め、改革の必要性を感じた」という志もよい。このひとが女性初の首相にふさわしいのかもと思わせる。

9年前にそう見抜いていた、敵ながらあっぱれと見ていた、人がいた。日経記者出身のジャーナリストで当時民主党を贔屓にしていた宮崎信行氏がその人。第45回衆議院総選挙の2ヶ月前の20096月自身のコラムで、『伏兵「上川陽子総裁」に要注意だ!』と題してネットにあげた。その前から「上川陽子総裁最強説」を唱えていたという。実際は、先見の明があったが、タイミングが悪かった。鳩山民主党政権ができたときの総選挙で、自民党に逆風が吹き荒れており、当の上川議員は落選してしまった。福田康夫内閣の公文書管理担当大臣として尽力し総選挙前の6月に公文書管理法を成立させた功労者だったのに。

その公文書管理が9年経ち「改竄」というところまで地に堕ちた。古谷氏はもう一度上川議員の手で公文書管理をと言うが、モリ・カケ問題の種火が燻る安倍首相が続投になった以上やらせるわけはないか。

それでも、上川議員が法務大臣を留任するかはともかくとしても新内閣でも処遇されると思った。しかし、他の大臣にも起用されることはなかった。メディアも触れないので理由はよく分からない。ひょっとすると、国民から「上川首相待望論」が湧き起こるのを警戒されたのかもしれない。

 

 

2018.11 臨時号 NO.105  VS  (1)

 私は若い頃月刊誌は文藝春秋を読んでいた。最近は新潮社の週刊新潮(藤原正彦氏、高山正之氏のコラムを味読)と同様月刊の新潮45を愛読していた。年間購読していたこともある。

しかし、今年の2月号特集『「反安倍」につける薬』、同4月号特集『「朝日新聞」という病』(このテーマなら上述高山氏の右に出る者はない)あたりから「少し変わった? 産経化に拍車か?」と思い始めた。それからは、新潮45と文藝春秋の目次を見比べどちらかを購読するようにしていた。そして、とうとう、杉田水脈議員が「子どもをつくらないLGBTは『生産性がない』」と寄稿した8月号と10月号の杉田議員擁護特集で、金脈ならぬ水脈を掘り起こした新潮45は溺れ流され心肺停止になってしまった。

その2月号の『「反安倍」につける薬』で、若手(35)論客古谷経衡氏が寄稿した『「安倍嫌い」を解剖する』(私はデイリー新潮で内容把握)は「反安倍という病は、有権者の知的水準を一方的に低いままであると仮定している。」と文を結んでいる。反安倍の私は痛い所を突かれたと思った(他国に較べて日本の有権者の知的水準が低いとは思わない。ただ、大衆は、メディアに煽動され、ムードに流されやすく、時に大きな判断の誤りを犯す。小泉首相の郵政解散総選挙の時のように。戦前の大きな節目の折もそうだ)

これ以外でも政治問題を勉強し始めた私にとって参考になることもあり、古谷氏の言説に注意を払っている。ビジュアルバンドメンバーと見間違う髪形から歳より若く見え独身と思ったが、共働きの妻と子供がいる。守るべきものがある中で、誰にも媚びず、あちこちでぶつかり(年賀状もずいぶん減ったと何かに書いていた)、一匹オオカミで生きていくのは大変だと思うが、その生き様は嫌いではない。ネトウヨを上げたり下げたり、右にいき左に寄れ、まだ安定飛行に入っていない感があるが、保守論客として大成してもらいたい。

古谷氏の新刊本(今年6月発刊)を一冊買った。印税100円程度ではエールを送ったことにもならないが。

 

  その本のタイトルは、『女政治家の通信簿』(小学館新書)TVで、現職の女性議員の醜聞だけではなく、元国会議員の、池坊保子相撲協会評議員会議長や谷岡郁子至学館大学学長を観ていて、ろくな女性議員しかいない。いい女性議員はいないものかと思っていたので、渡りに船と読んでみた。

採点基準に「政策力」「選挙力」「政治経験」「保守層支持」「ルックス」の5項目を挙げ、各5点満点(0.5点刻み)で採点し、レーダーチャートで表示する。「保守層支持」「ルックス」は読者の異論を想定し、前書きに彼なりの断りを入れているが、「保守層支持」は非自民の女性議員に不利になるので、いかがなものか。「ルックス」(「ビジュアル」の方がまだ抵抗は少ないと思うが)は政治家にとって女に限らずケネディとニクソンの大統領選以降重要なファクターであり項目として納得するが、客観的評価は難しい。採点に古谷氏の嗜好が色濃く反映し過ぎてはいないか。蓮舫議員5点満点、丸川珠代議員4.5点に対して(ファンではないが)稲田朋美議員2.0点。古谷氏はたぬき顔よりきつね顔が好きなのか。

 本に登場した主な女性議員・元議員を採点合計の高い順に並べると、次のようになる。

 野田聖子前総務大臣20.5点、扇千景元議員19.0点、田中真紀子元議員16.5点、小池百合子都知事16.0点、上川陽子前法務大臣15.5点、小渕優子議員15.5点、山谷えり子議員15.0点、中山恭子議員14.5点、蓮舫議員14.0 点、片山さつき地方創生担当大臣13.5点、丸川珠代議員13.5点、稲田朋美議員12.0点、三原じゆん子議員11.5点、今井絵理子議員8.5点、山尾志桜里議員8.0 点、杉田水脈議員8.0、豊田真由子前議員2.5点。

 野田議員が最高点と最も評価が高い。その事由は、野田議員は女を売り物にしていない。男性に媚びを売らず、むしろ敵対姿勢。それでも潰されずしぶとく自民党内で生き残っているということ。そこを古谷氏は高く評価している。

 野田議員は女性初の首相を狙っている。しかし、「まだ女性首相がいないから一度女性に首相を」と言うのは男女平等とは言えない。実力があれば男も女もだれでも首相になれるというのが男女平等の趣旨。野田議員の総裁選出馬の動きは、ローンを組んでマイボームを建てるのに頭金を友人たちに借りるようなものだ。貸す友人がいるか。いても、その人は真の友人と言えるのか?

 20名の推薦人を集められず総裁選を断念にするに際し野田議員は安倍首相を支持した。石破氏支持に回るか棄権が筋なのに。女を下げた。首相の道はますます遠のいたと言える。

 女性議員ならではの使命は、性差別で苦しめられる女性がいなくなる社会を創ること。女性首相の誕生はそれからでも遅くない。

 

2018.11 NO.104 ムラ― VS ムラー

 去る916日歌手安室奈美恵さんが引退した。大の安室ファンを公言する、ゲジゲジ眉毛がトレードマークのイモトアヤコさんは、今「アムロス」の真っ最中なのであろうか?

  安室ファンのことをアムラーと称する。『無印良品』の商品の愛好家はムジラーと呼ばれる。マヨネーズ好きはマヨラー。航空会社のマイルを集めるのに熱心な人たちをマイラーと呼ぶ。それなら、今般醜聞が出るも旧聞で難を難なく逃れたお笑い『バナナマン』の日村勇紀さんのファンはヒムラーと呼ばれているのだろうか。

 私が若い頃は名詞(名前)erではなくist付けていた。ピアニストのごとく、吉永小百合ファンはサユリスト、栗原小巻ファンはコマキストと呼ばれていた。安室さんももっと早く生まれていたら、ファンはアムラーではなく、アムリストと呼ばれたのかもしれない。

 他に、名詞にianを付ける場合もある。ボヘミアン、ミュージシャン等に擬えて、大音楽家ワグナーに心酔するファンはワグネリアン(今年のダービー馬も同名)と呼ばれる。かのヒトラーがワグネリアンだったことはつとに有名。なお、オバタリアンはファンを指すのではない。おばさん(とくに関西のオバハン)+映画のエイリアンの合成語。オバタリアンにファンなどいるか?という怖いことは思っても決して口に出してはいけない。

 

 安室さんの生ライブは観られなくなっても、CDやライブ動画等で視聴することは可能。だ。が、行きつけの飲食店で老齢や病気で店主が引退した場合、後継者がいなければ絶メシとなってしまう。素人が自宅で見よう見まねで味を再現してもうまくいかない。そこで、何としても残したいと思う常連客が頼み込んで弟子入りし後を継ぐことも少なくない。

 その代表例として、取り上げられるのが、銀座のカレー店『ニューキャッスル』。初代の故柳田嘉兵衛がダジャレでメニューを駅名にした。品川(その手前)、大井(多い)、大森(大盛)、蒲田(その先)と名付けて話題を呼んだ。私が上京してからTVで観たと思うので、1994年以降だろう。ニコニコと小ぢんまりした店主が、来店客に話しかける。「ひと口カレーだけを食べて。その次はごはんと一緒に食べて。あら不思議。最初は辛くないのにご飯と一緒だとと辛くなる」と笑う店主を日テレ『ぶらり途中下車の旅』などで何度か観た。

 ある回で、店主が合気道?か何か忘れたが、教えているところが映し出されていた。ただのカレー屋のオヤジではないなと思っていたら、後年『上海シネマと銀座カライライス物語』(山口猛氏著;集英社)で激動の時代での波乱万丈の80年の生涯が語られた。関東大震災→二度の徴兵(上官の命令とはいえ生涯忘れ得ぬ心の傷を負う)→上海映像技師・南京映画館支配人時代→敗戦帰国→喫茶店開業。生き抜く力強さと他人が構わずにいられない人柄と義理堅さで苦境を乗り越えてきた。長年の風雪で角がとれ好好爺の名物オヤジとなった。

 その店主が引退し娘婿が後を継ぐのだが、2012年地盤沈下で閉店を機に引退した。閉店を惜しむ若者がレシピを受け継ぎ近くの場所に1年後ニューオープンさせた。私は残念ながら先代の頃には訪問できず今の店になってから初めて訪問した。美味しいのには違いないが、初訪の私にとっては思い出の味ではない。店主の人柄もかくし味となりカレーに味わい深さを与えていたのでは。若い店主にはその味も引き継げるよう頑張ってもらいたい。

 木場の元祖タンギョー(タンメン+餃子)の店として有名な『来々軒』も常連客が受け継いだ。昭和36年に開業し、タンメンと餃子を売りに人気を得たが、店主が体を壊し閉店するのを現店主荒張好衛氏が引き継ぎ2009年に新たにオープンした。

 私のタンギョーの思い出の味は大阪『珉珉』。中でも三宮店(阪急三宮駅のガード下)のタンメンと餃子。それがタンギョーにおける私の評価の基準となっている。タンメンは黄金色の澄んだ塩系スープに限る。餃子は、野菜6≧肉4(キャベツより)白菜、薄い皮、具は細かく餡状態、ニンニク入りが基本。来来軒のタンギョーを食べてみて、透き通った塩味のスープもほどよく、麺もモチモチの太麺で合格。餃子は、皮はしっかり、肉も多め、具がキャベツ等でややごろごろしており、私好みではないが、味わい深い。タンメン、餃子両方揃っている店は少ない。元祖タンギョーの名に恥じることはない。

常連客ではなく、他の飲食店の店主が引き継ぐ場合もある。京都にあった玉子サンドので有名な『コロナ』。天才騎手武豊さんがTVで何度か紹介していた。その老舗洋食店の店主原昌二氏が96歳で引退する際に喫茶店『マドラス』の店主に造り方を伝授し、その味の引き継ぎを認めた。そのマドラスが東京1号店を神楽坂に出店したのを知り訪問した。

厚さ1㎝の食パンの間に45㎝もある極厚のだし巻き卵が挟まったサンドが4切れもあり、見た目も量もインパクト大。サンドイッチ侯爵もポーカーしながら食べるのは無理か。

本卵サンドは京都が発祥なのでだし巻き卵で甘くないので、私好みだ。このだし巻き卵を大根おろし、明太子と一緒に白米で食べてみたい。それでは褒めたことにならないか。

 他にも、私は未訪だが、TVで紹介された店がある。広島『中華そばめじろ』は名店『すずめ』に25年通い詰めた常連客が弟子入りし2015年に開店。東京・不動前『味一』は味にほれ込み通い詰めた港区三田『味一番』の絶品チャーハンを世に残すべく今の店を開店。

 

 絶メシに対する常連客の想いは共感できる。だが、一日も早く閉店してもらいたいと思っていた安倍政権の続投を望んだ自民党員には理解ができない。そんなにおいしいのか。

 安室さんが引退表明した1年ほど前、本号を思いつき、その時の標題は「アムロスVS アベロス」を予定していた。「親衛隊の、櫻井よしこ女史、古参政治評論家の田崎史郎氏はアベロスに沈んでいることだろう。大衆は何事ともなかったように新しい首相に靡いて行くだろうが、櫻井女史には、承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が隠岐の島に島流しになるのを同行した亀菊のようにいつまでも安倍首相について行ってもらいたい」と文を締めくくっていた。それは当然没にして、標題も変え大幅に書き直すことになった。

 今回の総裁選は当てが外れた。政治家口調はイッパシだが上着も中身もスカジャンとの先入観を持つも大衆から高い支持を得る小泉進次郎氏に今回の総裁選で竜馬になることを私は期待した。だが、進次郎氏は風を吹かすのではなく、風を読んだだけだった(小早川秀秋との汚名はかろうじて避けたが)。安倍首相への批判を強めていた小泉元首相が元総理同士のゴルフに参加した時点ですでに討幕(倒閣)は無理と断念していたのであろう。

今思うに、石破氏は自民党内の総裁連続3期決議に、「それはそれとして」と軟弱に同意してしまった時点に既に負けていたのだ。競馬で言えばクラシック三冠を目指せるのは皐月賞、ダービーを連勝した馬だけ。総裁3選は安倍総裁だけ。自民党の総意で連続3期を可としたなら今回の総裁選は無投票でもおかしくはなかった。

敢えて総裁選に立つなら、敵失であれ全面攻撃するしかない。がしかし、中途半端な連衡に止まった他派の味方から「個人攻撃はするな!」と後ろから矢を射られた。万事休す。

それでも予想200票を大きく上回る254(うち地方票181)獲得したことで石破氏は大善戦したと言える。それだけになおさら、識者たちに東條英機に擬えられる安倍首相らから石破氏は次期総裁の芽を潰されそうな、そんな目に遭うかもしれない。

対米開戦に反対した石原莞爾や小畑敏四郎等賢者達は、素人目には、(無責任とは言わないが)東條英機らにやすやすと隅に追いやられ、又は呆気なく身を引き、日本は奈落の底に突き進んで行ったと見える。

石破氏には賢く骨もある齋藤健農水大臣もいる。安倍首相に追従続ける岸田派(宏池会)に代わり新保守本流として戦い続けてほしい。ブレなければ石破氏は首相になれるハズだ。

たとえ首相になれずに終わったとしても、敗れて、自刃した西郷隆盛、梟首にされた江藤新平のごとく、歴史が評価してくれる。それも政治家としての本懐ではないか。

 

2018.10 NO.103  ぼう VS  ぼう

体操界でのパワハラ問題に対し第三者委員会にてこれから調査が始まる。よく似た構図の日本レスリング協会の谷岡郁子副会長(至学館大学学長)は責任をとったとは思えない。パワハラが認定される前は自身に責任が及ばない様に栄和人全日本女子レスリングヘッドコーチ・至学館大学レスリング部監督を庇い、パワハラが認定されれば、ほとぼりが冷めた頃、職務遂行上の理由ではなく(キャバ嬢との焼肉・同伴の理由で)栄氏を大学でも切り捨てたと私の目にはそう映る。副会長として、協会の謝罪会見に同席していないし、パワハラ問題に加え協会と大学との利益相反問題についても自身の責任問題について表明していないのでは。日大田中英寿理事長より酷いとは言うつもりはないが。

日本体操協会は日本レスリング協会を反面教師としてよく自浄できるのであろうか?

 

 体操界のこの問題がTVで報じられ始めの頃、正義感、男気があると普段好感を持って観ている坂上忍氏が自らMCを務める番組で「パワハラは宮川紗江選手がどう思っているか関係あるが、暴力は関係ないですよ。暴力は絶対ダメなんですよ!」とややヒステリックに言っていた。テレ朝の朝の情報番組で玉川徹氏も同じ調子で言っていた。違和感を覚えた。

 暴力の罪・暴行罪は非親告罪だと言っているのか。しかし、被害者が被害届を出している訳でもない。それどころか被害者が被疑者を擁護している。そんな状態では、一般論として検察は起訴なんかできっこない。

 私は今回の件で中世の魔女狩りを想起してしまった。キリスト教の異端者=魔女の排除から民衆の不安と不満のヒステリー状態のはけ口へと変貌し、気に入らない者は簡単に魔女されていった。一旦魔女とされてしまえば、魔女と認めるまで拷問されて死ぬか、魔女と認めて処刑されるか、どちらにしろ死ぬしかない。

 今回の速見コーチの件も現代版魔女狩りと言える。コーチは魔女(暴力)を認めてしまっても死刑にはならないだろうと思い、魔女(暴力)だと認めたのであろうか。ところが、ふたを開けたら無期限の登録抹消処分にされてしまった。あわてて、地位保全の仮処分を裁判所に申し立てた。勝てる見込みもあったが、速見コーチは選手生命を賭して告発した宮川選手の立場を考え、訴えを取り下げた。体操協会と距離を置く元協会理事池谷幸雄氏は悔しい速見コーチの胸の内を慮りテレビで人目を憚らず男泣きしていた(一方、取り下げは速見コーチの保身とする批判的な見方もあるが)

 もし、宮川選手が権力を笠に着て暴走したとみられる塚原夫妻に屈服し口をつぐんでいたら、コーチは世間から魔女扱いされ体操界から抹殺されていただろう(宮川さんは立派だ。“準”司法取引で他社を売るような某建設会社役員に宮川さんの爪の垢を煎じて飲せたい)

 宮川選手は会見で「暴力が悪いことは認めます。でもコーチは私の命に関わるような時に私のことを思って」と言っていた。塚原夫妻にさんざん暴力があったと言えと強要されていたのであろう。地動説を支持したガリレオが異端審問で異端誓絶を強要された後、「それでも地球は動いている」と言った逸話を思い起こす。

 「体罰はあった。だけど暴力ではなく、愛のムチ。そう思える楽しいことも一杯あった」と言わば主張する被害者宮川選手の声に耳を貸そうとせず、協会は速見コーチを断罪した。それで、一番困るのは誰だ。信頼するコーチをなくす被害者の宮川選手自身だ。

選手を守るための体罰への懲罰が、選手を守っていないことになる。塚原夫妻の主導か否かは別にして体操協会が異端の二人を追放しようとしたと見られても仕方がない。

18歳の小娘に何ができようかと高を括っていたら、窮鼠猫を噛んだ。

 

 高校バスケット部の主将が顧問による執拗な体罰を受けた後自殺した事件以降、スポーツ関係者、スポーツ評論家は体罰=暴力の根絶に躍起になっている感がある。それ自体悪いことではないが、だからといって、飲酒運転のように問答無用のアウトにはできない。国民全体でそんなコンセンサスはまだない。宮川選手だけではなく、今回の件でTVが街の声を聞いても「体罰は愛のムチならよい」という意見が散見される。生徒から先生に手を出すのは暴力としか言いようがない。先生が生徒に手をかける場合、「愛のムチ」とそれを超えた「暴力」があると思う人が、とく年齢の高い層を中心に一定数いるようだ。ある体罰のアンケートによると、体罰を容認する、つまり体罰を愛のムチだとする回答が1/3を超えている。

 私も、前にも書いたように長男が中学上がる頃までは、日本語が通じない時肉体的苦痛(痛さ)でしつけした。左ききなので右手で、グーではなくパーで。世のママさん達も、叩かないかもしれないが、怒鳴りつけて精神的苦痛(怖さ)を与えしつけたことがあるのではないか。

 そんな親からすれば、愛情をもって指導してくれていると思えて、体罰を受けた理由が納得できるなら、程度の問題はあるにしろ、体罰を必ずしも絶対悪とは思っていないのではないか。現に宮川選手の両親も“過去”に起きた体罰の事は知っているハズだが、速見コーチを今も変わらず支持している(両親も洗脳されているのではとの見方は宗教でもあるまいし失礼。洗脳できるコーチならもっと巧妙かつ慎重に行動していただろう)

過渡期ということかもしれない。体罰を飲酒運転と同じに扱うのは時期尚早ではないか。

罪の中で最悪の一つ「殺人」においても、「どんな事情があろうと、殺人は殺人だ。死刑だ!」とはならない。正当防衛もある。やらなけれはこちらがやられるとの追い詰められたケースと酌量の余地のない身勝手な場合とでは、扱いは同じではない。体罰も同じだろう。

 

スポーツ評論家は世界から非難されると言うが、世界は体罰禁止が徹底されているのか。

家庭、学校の話ではあるが、非暴力主義ガンジーの国インドは体罰が禁止されているが現状はひどいらしい。ネット上の体罰の国際比較記事によれば、EUの体罰禁止は家庭内が中心という。紳士の国英国は家庭内、学校内で体罰を禁止していたが、学校の規律を守らない子供たちが増えたとして、2006年英政府は教育法を改定。規律を乱す学生に対して、教師が一定枠内(6回までの尻叩きは可とか)での懲戒ができる権利を保障する内容を付け加えたとする。米国は、北部に体罰禁止の州が、南部に体罰容認の州が、多いという。トランプ大統領もこの問題ではさすがに第2の南北戦争を起こすことはないだろう。 

 我が国では、先生の間で体罰禁止を過度に意識するあまり、問題(を起こす)生徒らがそれを悪用する構図ができ、防衛手段が奪われた先生は警察に通報するしかないという。却って問題を大きくしている側面もある。

法で禁止されているとはいえ、体罰の功罪に決着がついているとは言い難い。死に追いやるような体罰(狭義の暴力)は論外だが、体罰根絶を急ぐあまり、「今叩きましたね。認めますね。皆も見てましたよね。ハイ、魔女一丁あがり。人間改造強制収容所へ」という怖い社会になってはいけない。小さな暴力をなくすために大きな暴力が生まれるなら後世に嘲笑される。我々が中世の魔女狩りを嗤うがごとく。

 

2018. 9臨時号NO.102 びぼう VS ぼう

一時TV等で芸能人が、どれだけ貧乏だったか、競うかのように貧乏ぶりを披露していた。通知簿で、アヒルの行進(オール2)とか、軍隊の行進(1212)とか自慢したりしない。

貧乏を卑下する必要はないが、自慢するものでもない。今も赤貧に苦しむ人が見ているかもしれない。どんなに貧苦だったかが重要なのではなく、そこから努力すれば抜け出せるという希望を見せることが芸能人、TVの役割ではないのか。

逆に、貧乏から抜け出しても、必ず幸せになるとも言えない。美貌をもって貧乏から抜け出し栄華を極めた美人もいる。だが、「ん」がつかないだけに、幸せな人生の結末を迎えるとは限らない。永遠のセックス・シンボルマリリン・モンローしかり、フィリピン元大統領夫人マルコス・イメルダしかり、20世紀最悪女独裁者エレナ・チャウシェスクしかり。

恵まれたタレント(才能)により貧しい生い立ちから政治家に出世した男達も、「ン」があっても「ヒン」がなければ政治家としての結末はめでたしとはいかないのかもしれぬ。

政治家、特にトップ層となれば、自分と同じ境遇の人だけではなく、いろんな人の上に立つ。品格を備えていること(国民が安心して託せると判断する重要な要素。前近代では血筋)が求められる。一時期首相候補と期待された橋下徹前大阪市長も、在特会会長との面談で、オマエ! オマエ!と怒声が飛んだ。カメラが回っているのに。我が目や耳を疑った。

橋下氏と同じく舛添要一氏も都知事に就任していなければ、叩かれず俊英な人物との評価だけで人生を全うできたものを。それが残念に思う。

ドイツ系移民の3代目トランプ大統領は世界から品がないと顰蹙を買い米国も恥ずかしい思いをしているだろう。故ケネディ大統領はアイルランド系移民の4代目。財を成した3代目の父ジョセフ・P・ケネディは駐英大使となり、息子が大統領に上り詰めた。政治家としては3代目にあたる小泉元首相も醜聞の真偽はともかく品があるとは思えない。4代目の進次郎氏とその兄の芸能人孝太郎氏の代に至って品が備わってきたと見受けられる。

私が思う戦後の政治家の双璧、岸信介首相と田中角栄首相との違いはお金との関わり方。マズローの7段階(元は5段階)欲求説によれば、人は下の欲求から段階を経て成長していくという。首相としては6段階の自己超越の段階(無私・利他)が理想的だが、貧しい生い立ちで最下の生理的欲求の段階から一代で駆け上がるのは至難の業ということなのであろうか。

 

今のナメクジではなく、ポチ犬と家で私がそう呼ばれた頃の話。品はないが、甲斐性はもっとない私には、妻から命じられた、土日のスーパーへの買い出しの務めがあった。売り出しの卵パックを求めてセールス開始時刻ぎりぎりに向かう。店内はごったがえしになっている。帰ってきて、「貧乏人ばかりで厭になる」とうそぶくと、妻娘から間髪入れず口を揃えて「アンタが一番貧乏人でしょ!」と叱責された。ハウス!と言われた私は、「ぼろは着てても こころの錦 どんな花より・・・」と唄いながらポチの部屋に戻って行った。

勘違い男の私はともかく、日本人というものは、貧しさはそれほど気にしないのではないか。それよりも心の貧しさを恥じ入る民族ではなかろうか? 

日本人は「社会的地位よりも義理堅さで人間を評価する」と『梅干と日本刀』(祥伝社新書)の著者樋口清之氏は言う。薩摩島津家『日新公のいろは歌』は、二番目のロで「楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそは 高きいやしき」と教える。住む家で人間の価値は判断してはいけない。心のあり方によってこそ真価が決まる (今で言えば、行方不明の2歳児を助け出した元魚屋ボランティア尾畠春夫氏が尊敬を集めているように) と諭す。

お隣中国の価値観は「貴・賤」と言われる。若い頃作家陳舜臣氏の『小説十八史略』を読んで、中国は4千年同じことを繰り返しているだけだ。人間はそんな簡単に進歩しないのだと感じた。乱暴な言い方をすれば、易姓革命(徳を失った皇帝から徳のある者が天命を受けてとって代わる)の衣を纏うが、革命が、賤の、貴に対する強烈な嫉妬心と野心から生まれるならば、独裁国家の誕生と滅亡が繰り返されその都度国名が変るだけ。そこから社会主義国家は生まれない(中国に限ったことではないが)。『真説 毛沢東』(ユン・チアン氏+・ジョン・ハリデイ氏)や遠藤誉女史の『毛沢東 日本軍と共謀した男』を読む限り、毛沢東とて同じ。世襲がないだけで、建国の同志を皆粛清した(周恩来重用は男色によるとの説も)。習近平総書記がその毛沢東を目指す。また独裁国家の存亡を見ることになるのか。

中国から帰化した某学者が言っていた。日本こそ唯一の社会主義国家だと。

 封建制度の解体、身分制度の廃止等社会的な大きな変革があった明治維新において、革命と呼ばず中国古典の「詩経」由来の維新を使ったのは、私流の解釈によれば、天皇の権威を維持し、為政を新むる(為政者が、上級武士から下級武士に、あるいは幕府から薩長に、入れ替わる)にすぎない。天武天皇時代から13百年国名は「日本」から変わっていない。

その天皇制の下での、聖徳太子由来の和の精神から、奴隷がいない、労使間の所得格差は海外諸国より少ないこと、和を乱した制裁・村八分も八分まで(火事、葬式は協力)、軍隊での序列は社会的地位ではなく入隊順であること、国民皆保険であることに加え、戦勝国からの改革(GHQによる農地解放と財閥解体、シャウプ勧告による富の集中防止と相続税の高税率化)もあり、いわゆる「天皇制社会主義」(ナチスの国家社会主義と似て非なるというか、根本的に違う)が確立された。これが世界で類を見ない、OnlyOneであることは、3.11東北大地震での東北人の立ち振る舞いを見て世界は納得した。 

 

 しかし、その天皇制社会主義に翳りが見え出して来た。1980年頃から「格差社会」と言われだしたが、小泉首相時代から格差はさらに広がり、労使間だけではなく労働者階級の中で二層化し、今や「階級社会」だと『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)で橋本健二氏は指摘する。最下層の非正規労働者は平均年収186万円では結婚もできない。子供が出来ても教育格差から子供が東大に入り官僚になるとの道も閉ざされていく。天皇の下皆平等が崩れ、最下層から抜け出せず固定化していく。西欧のごとく、反日や過激な思想に走しる者が増え、日本社会にも不安・不穏が訪れることになるかもしれぬ。

私が若い頃「自己責任」とは、富裕者は自己責任で自由にやってもらう。貧しい人は国が目をかけると理解していた。今や、非正規労働者の苦境に対して、富裕者らは、自己責任、自業自得だと見下すがごとき(平昌五輪のスケート・パシュートで最後尾の韓国女子スケターを置き去りにしたのを思い起こす)。消費税増税が低所得者の重荷になる中ふるさと納税も「我が家の食材はすべて返礼品で賄う」と嘯く高額納税の富裕者がいても、所得の再分配に逆行するとの声は聞こえてこない。懐は豊かになったかもしれないが、心は貧しくなっているのではないか。本来官邸が是正指示できる立場にあると思うが、富裕層優遇を自ら旗振りしているのだから、始末が悪い。

 世界に誇る和の精神も、裁判員制度や司法取引で崩されていく。司法取引に準ずるリーニエンシー(課徴金減免)制度もそうだ。リニア不正受注に見るように、事の是非はともかく、業界必要悪として談合したならば秘密を厳守すべきところ、バレたら我真っ先に抜けがけするのは、誇り高き日本人のすることとは思えない(韓国セウォル号の船長を嗤えない)

 さらに、秘密保護法、共謀罪、改憲案に盛り込まれる予定の国家緊急権により監視社会の影がちらつく。安倍政権は無理やり法案を通せばそれで満足している感があるが、いつか厳格に法を運用する、あるいは悪用する政権が現れるかもしれない。

人が人を裁き、人が人を売り、人が人を監視する。これまで漢字「」を、左側のひとを右側のひとが支えていると見てきたが、これからは左側のひとが右側の人を押さえつけていると見るようになる日が来るかもしれない。

監視・密告社会の怖さを、「平和警察」という国家権力による現代版魔女狩りの形で、伊坂幸太郎氏のSF『火星に住むつもりかい?(光文社文庫)が、我々に教えてくれる。

 

2018. 9 NO.101  VS 

妻は私に向かって「アンタには何一つ良いところがない」と言う。仰る通り。私は、頭が悪い。顔はもっと悪い。目も悪い(ド近眼しかも白内障が進み緑内障も少し)。鼻は慢性蓄膿症。耳は時々難聴(都合の悪いことが聞こえない)。歯はほとんど差し歯。口が悪いのは母親譲り。手くせは悪くないがそれが当たり前。腹は黒い。へそ下三寸オソマツクン。足は短くないが、足で稼ぐこともなく役立たない。足の指は水虫の集合住宅。

真実を面と向かって言われるほど腹立つことはない。ならば、家庭内セクハラ?と言われようが言い返してやる。妻と一緒なら動物園に居るようで楽しいと。妻の食べる姿は豚の様。風呂に入ればカバとなり、怒ればサイとなる。走る様はイノシシそっくり。寝そべってTVを観る姿はまさにトド。

 他人様から見れば、破れ鍋に綴じ豚?の匹夫匹婦に過ぎない。が、37年もの星霜をこえて、琴瑟相和、比翼連理とは嘘でも言えないが離れずつがいで暮らしてきた。

いつも冗談とふざけた態度の私は「気難しかったお義父さんとは正反対でこんな楽チンなことはないだろう」と妻に言うと、「そこまで違わなくていいんだけど」と苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。

 妻は、義父は顔をみれば勉強! 勉強! とうるさかったと言う。銀行の女子行員時代、飲み会で遅くなると電話すると「早く帰って来い!」とガチャン!と電話を切られたという。口うるさくて嫌いだと思っていたが、自身も親になり、また、夫としても父親としてもダメダメ亭主を間近に見て、今は亡き父の親心が理解できたと言っている。義母によると、義父は「私が子供たちに厳しくするからお前は優しくしてやってほしい」と言っていたそうだ。 義父は、義兄つまり妻の兄が国立の医学部を受験する折、一所懸命に受験勉強しているからと言って自身も遅くまで仕事をしていたという。

 妻は義父が食事のときなどよく癇癪を起こすのも嫌いだったと言う。義母が、同じ頃に移り住んだ近所の自営業の人たちの中で義父よりも羽振りに良い人の話をして、義父は自尊心が傷つき皿を割るなどの行為に及んだらしい。妻はその時は父がなんて酷いことをすると思ったとのことだ。しかし、「今にして思えば、言わんでよいことわざわざ父に言って怒らせた母の方がよくなかったと思うようになった。AB型はみんなそうなのかしら?」と言って妻は私を睨みつけた(主婦の井戸端会議でAB型の亭主だけば嫌よねと皆でそう言っているらしい)。それでも、義母の生前の日記には義父が亡くなったとき「主人にごはんを作るのが生きがいだった。これから何を生きがいに・・・」と書いていたと妻は言う。

 義父は福島から当時は珍しく東京の私大に行かせてもらったのに、商社?に就職したがすぐに辞めてしまった。故郷で再就職先も内定したのだが、親に二度と敷居を跨ぐな!と激怒されたという。東京に舞い戻り裸一貫からアクセサリー製造の職人となり、都内に一戸建ての家を建て、息子を国立大出の医師にし、勉強が好きでない娘を短大に行かせた(短大に行ったばっかりに先々変な奴に捕まることになったと妻は罰当たりなことを言うが)。私も転職したが20年は銀行にいたので、義父の背負った苦労に比べれば苦労にあたらない

何かの折、私は「お義父さんは、裸一貫から身をお起しここまで成し遂げたのだから人様にとやかく言われる筋合いのない立派な人生だ」と妻に言った。それを何かの折妻が義父に伝え、義父は「婿殿はさすが分かってくれている」と喜んでくれたという。

 それが、私が銀行を辞めるのを反対し妻を不憫だと心配し続けてくれた義父への唯一の恩返しというか、せめてものお詫びとなった。

 義母は、手先が器用で義父がデザインしたブローチなどアクセサリーを義父と一緒にせっせと作ったとのことだ。昔ガラス玉のダイヤモンドブローチが飛ぶように売れ、夫婦にて寝食を忘れて量産したという。

義父は「お金一切を義母に任せたのでよかった。感謝している」と生前言っていたそうだ。今の異常な超低金利とは違い、私が銀行にいた30年前の頃は、定期預金金利が6%台の時もあり、仮に平均5%としても一年定期預金を15年前後そのまま預けているだけで複利なら預金額が倍になっていた。

 義母は義父が亡くなってからも一人で住み質素に生きていた。義母が6年前亡くなった時義兄がこんなにとびっくりしたらしい。10数年前に義父が亡くなった時義兄は「自分たちで苦労して残したものだから全部使っていいよ」と義母に言っていた。義母がまだ生前の折に分かっておれば義兄は同じことを言ったことだろう。

義母は糖尿病を患っており、「小さい時は貧しくて満足に食べられなかった。今はお金があっても食べられない」とよく愚痴っていた。スキルス性胃がんと解る前、私が神戸の実母と義母を招待して三重にある伊勢海老づくしの宿に行く企画を立てたが、私の母が体調を崩して取り止めとなった。義母は大変残念がっていたことが後で分かったが、その時はすでに末期胃癌の治療が始まりそれどころではなかった。それが心残りとなった。

 兄君(泉下)が私と神戸高校の同期生である作家小林恭二氏の私小説『父』(新潮文庫)と較べればなんとも凡庸な義父母の人生ではあるが、それでも一つの生きた証に違いない。

もはや恩に報いることはできないが、ファミリーだけでも、ささやかでも子供達のために懸命に生きた一組の夫婦がいたことをいつまでも忘れないようにしよう。

 

 数年前、長男が台湾の女性と結婚して、嫁からすると私たち夫婦も義父母となった。

 台湾では、互恵関係(子供夫婦が両親の生活を見る代わりに親が孫の面倒を見る)が増えてきたというが、まだ日本に比べて敬老精神が強く息づいている。

私が卒職したとき義娘が仕送りすると言ったので、びっくりし、それには及ばぬと返事した。子供たちに甘えず、迷惑をかけず、差し出がましいことはせずも請われればいつでも助ける、そんな義父母でありたいと思っている。

 何の報いも望まない。ただ、異国の地台湾からひとり渡日した義娘が日本人ファミリーの一員になったことを心からよかったと思ってくれたら、それだけで嬉しい。

 

 

2018.8 NO.100 ンパクト VS ンパクト(2)

欧州牝馬の血を引いても日本産のDI産駒が思うように通用しないのであれば、馬場の違いに基づく育成の仕方が異なるだけかもしれない。日本の馬場は軽くて固い。その上を飛ぶように走る。後ろの位置で足を溜め、一気に差し切ることもできる。深くて重い芝で起伏もある欧州レース場では好位につけ抜け出していく走法になる(凱旋門賞で後方から差し切ったのは欧州史上最強馬ダンシングブーレヴぐらい)。前肢でかき込で激走する様は、ちょっと大げさだが映画『ベンハー』に出てくる馬の戦車を見るがごとし。

育成・鍛え方が日本よりハード(日本ではDI産駒の連闘などありえないがSWは連闘した)なのだろう。調教師や騎手の問題ではなく、育成の段階から変えないと内国産馬が凱旋門賞を制するのは困難。だが、マッチョになれば日本の高速馬場では勝てなくなるかもしれぬ(私は後ろから飛んで来て差す今の日本競馬が好きだが)

欧州競馬と日本競馬は別物と思うべし。日本の競馬関係者は内国産馬の凱旋門賞制覇が悲願かもしれないが、(私の孫娘は日台のハーフだが没問題なのと同じで)我々DIファンは欧州娘の仔であろうと、欧州で生まれようと、欧州で育とうと何の問題もない。

今凱旋門賞にSMSW(回避?)が出馬するなら例年より期待が持てる。勝てば日本競馬界の至宝としてDIが一段と輝きを増す。それだけのことだ。

 

欧州の競馬界がDIに注目したのは、日本での圧倒的なパフォーマンスを見せるDI2006年の凱旋門賞で初めて欧州以外の馬に勝たれてしまうとの危機感を持った(DIが日本では認められている薬物の使用で失格になったが、仏競馬関係者の陰謀説も囁かれたほど。真相は関係者が口を閉ざすので藪の中)ことから始まる。

横道に反れるが、2006年凱旋門賞へのDIの挑戦について触れておこう。戦う前から、ぶっつけ本番で大丈夫か。タフな欧州の馬場で430㎏台の細い体で59.5㎏を背負って日本のように飛んでくることができるのかと心配していた。凱旋門賞当日のアンラッキーな事柄は以下の通り。①馬の体調が悪かった。②ゲートの出遅れ癖のあるDIに現地が配慮してか一番最後にゲートインしたらスッと出てしまった。いつも最後方からまくってくるのに、先頭の方に押し出されDIが戸惑っていたと現地記者が分析していた。③4コーナーあたりでテレビ解説の岡部元騎手が「まだ! まだ!」と声を上げていた。早めに先頭に立ったが持ち堪えられず、3着に終わる。DIが後ろから差されるのは悪夢を見ているようだった。

DIをもってしても凱旋門賞を勝てないなら永久に勝てないと皆悲嘆に暮れた。武騎手としては翌年にリベンジしたかっただろう。我々ファンも同じ気持ちだったが、薬物違反判明後金子オーナーがその年末での引退を決断してしまった。

閑話休題。DIは、種牡馬になってからも日本のリーディングサイヤーに君臨し、しかも優秀な産駒を多く輩出した。20173月末に「ディープインパクトは世界の最高種牡馬としてガリレオに取って代わる」との海外記事が出たが、それ以前にも20162月フランスの日刊の電子版競馬紙『ジュールドギャロ(JDG)』が「ディープインパクトが欧州を征服する」の見出しで種牡馬DIの特集記事を組んでいる。その当時ですでに世界ランカーとされる『115』以上の国際レーティングを獲得する現役競走馬にDI産駒が18頭含まれていた(欧州連続リーディンクサイヤーとして君臨する大種牡馬ガリレオでさえ12頭に過ぎない)

2011年~1018年上半期でDI産駒は日本のG142勝もしている。その上世界主要の競馬場でG1を勝利しさらに衆目を集める。エイシンヒカリは仏イスパーン賞と香港カップを、ジェンティルドンナとリアルスティールはドバイシーマクラッシックを、制覇した。元プロ野球選手佐々木主浩氏が馬主のヴィヴロスがドバイターフを制した。この他豪州においても、リアルインパクトが1度、トーセンスターダムが2度豪G1レースを制している。

加えて、海外で育成されたDI産駒はまだ数が極めて少ないのに、2009年にビューティーパーラーがG11000ギニーに勝ち、DIの血が欧州に通用することが証明された。今般SMが仏G1SWが英GI2勝していることに世界は驚きDIの血の評価が高騰する。

さらに、DIの血を求める理由が欧州競馬界にある。競馬は血のスポーツと呼ばれるが、欧州では大種牡馬ノーザンダンサー(ND)の血の後継はサドラーウェルズ→ガリレオ(欧州のリーディングサイヤー)がサイヤーラインの本流で、サドラーウェルズ、ガリレオの血が飽和状態にある。NDにはダンジク→ディンヒル(豪州のリーディンサイヤー)という系統もある。ガリレオを父親とし、母親の父、祖父をディンヒルとするニックス(優秀な仔が生まれる可能性が高い組合せ)をとくにガリディンと呼ぶ。ガリディンの最高傑作が史上最強のマイラー、怪物フランケル。

ガリディンやサドラーウェルズ系以外の大種牡馬として我らのDIに白羽の矢が向けられた。先陣を切って、ガリディンを母として、我らのDIが父として誕生したのがSW。その成功を受けて、アイルランドを拠点とする、ガリレオ、SWも所有する世界的生産者クールモア(正式名称:クールモアスタッド)から、英1000ギニー(3歳牝馬限定1,609)、英オークス(2,400)2冠で2016年には年度代表馬に選出されたマインディング(牝5)、英愛1000ギニーを連覇したウィンター(牝4)ら同じガリディンの名牝3頭の繁殖牝馬がDIと交配すべく日本に送られて来ている。さらに来年は10頭の牝馬が押しかけてくるという。SWを上回る産駒が2021年以降欧州競馬を席捲していくかもしれない。

一方SMについては、愛ダービーの結果を受け、例年とは違い英ダービー出走組より仏ダービー出走組の方がレベルが高いとの見方が出てきた。その仏ダービーを勝ち切ったSMはもっと評価されてよい。SMは母親が名牝ミエスク(父は米国の大種牡馬ストームキャット)SMは日本で成功している、父DI、母の父ストームキャットのニックス(上述のキズナ、エイシンヒカリの他桜花賞を制したアユサンなど)。サドラーウェルズ、ガリレオの血が入っていないので、日本ほど近親交配を忌避しない欧州ではあるがSWよりSMの方が選り取り見取りいろんな牝馬に種付けることができる(もっともSM自身が選べる訳てはないが)

                                                                                                                                        

DIの種を求めて内外から肌馬が押し寄せ種付料が4千万円から5千万円(ガリレオは公開していないが同額らしい)以上になり世界一になる公算が高い。DIは今年で16歳。人間で言えば50歳。後4年もすれば還暦を迎える。そんな歳になり早春からの半年間で200頭以上の牝馬の相手をするのなら、羨ましいとは思えない。もっと楽させてあげたい。

そろそろ誰もが認める日本での後継種牡馬が出てきてもと思う。この数年の間に3冠馬でも出れば文句なしだが。既に産駒の中ではダービー馬キズナの仔が評判らしい。2019年からその仔らが走り出し好成績を収めれば、キズナが後継種牡馬になれるかもしれない。

 浅い知識しかないド素人の私が、知ったかぶりして、DIファンの誰かに頼まれた訳でもなく、DI礼賛を書いてみた。競馬ファンの方にとっても、ゴルフのサンドウェッジみたいSWやサドマゾと間違うSM等の略語が溢れ、読みづらかったのではと思う。

 競馬に興味のない方も、DIが将棋の羽生永世七冠、世界体操6連覇の内村選手と肩を片を並べる、世界に誇る日本の宝であることを何となくでも理解賜ったならば、幸いである。