2018.8 NO.100 ンパクト VS ンパクト(1)

 本ブログ100号を記念する今回のテーマは、お決まりの首相批判ではなく、競馬の話。

2018年の世界の主要ダービーが終了した。日本ダービー(2,400)はワグネリアンが勝ち、仏ダービー(2,100)は内国産馬を父とするスタディオブマン(SM)が制した。

同じ内国産馬を父とし、より期待も大きかったサクソンウォリアー(SW)は、現地で圧倒的一番人気に推されながらも英、愛両ダービー(2,400)に勝てず、歴史的名馬の仲間入りは果たせなかった。しかし、これだけでも画期的なことだが、2G1を含め無敗で英2000ニギー(3歳限定の1,609m。種牡馬選定の為のレースとの位置付け。去勢された「せん馬」は出走不可)を圧勝しており、スピード重視の欧州における種牡馬への道はすでに約束されている。そのSWは年内で引退予定。距離の壁があるようなので秋以降2,000m以下でどれだけ箔をつけることができるかということになる。

 

日欧で活躍するこの3頭の競走馬は皆言わずと知れた日本競馬界の至宝ディープインパクト(DI)の産駒。私は、DIが登場するまでは、どちらかというと競走馬より馬を操る騎手のファンだった。本ブログ201312月号NO.30(ケイバ カイバ)に書いたように、ダニノムーティエ、テンポイントなど好きな馬がいたが、馬は年56回ほどしか走らない。競馬は毎週土曜、日曜に開催される。それで毎開催日多くの有力馬に騎乗するリーディングジョッキーのファンなり、競馬場には行かずTVの競馬番組を観て応援していた。

大学生時神戸のスポーツ新聞のバイト先で競馬を覚えた頃連続関西リーディングジョッキーの座にあった高橋成忠騎手のファンになった。が、ファンになった後すぐに元祖天才福永洋一騎手(今年ダービー騎手となった祐一騎手の実父)が現れた。直に飛びつくのではなく最初の12年は高橋騎手のトップの座を脅かす好敵手(1970年トップの座を奪う)と見ていた。3年経た頃ようやく福永騎手のファンとなった。今天才騎手として活躍する、ターフの魔術師故武邦彦騎手の二世武豊騎手の時も直には。かなり後になってからファンになった(武騎手が若い頃騎手では背が高い方で長い背中が馬の背と並行にピンと張っており、馬番を知らなくても馬群の中からすぐに見つけることができた)

馬には、雑念が働かないのか一目惚れのごとくすぐ好きになる。DIの新馬戦が評判となり、伝説となった2戦目の2005若駒ステークスの衝撃の走りを見てイッペンにファンとなった。皆が三冠馬になることを予想したが、実際無敗で三冠馬(皐月賞、ダービー、菊花賞)となる。無敗の三冠馬はもう一頭シンボリルドルフがいる。というか、日本競馬史上2頭しかいない。シンボリドルフの騎手は岡部幸雄騎手(2943勝、歴代2位で引退)DIは武豊騎手(7/8時点で3,980勝、歴代1)。無敗のまま三冠達成するには、馬が強いこともさることながら(東西の)トップ騎手も不可欠と言うことか。

 

DIは競走馬としては3年しか(もう少し飛ぶ姿を見たかったが)走らず2006年末に引退した。種牡馬になり2010年から産駒が走り出した。毎開催日何頭か産駒が走るので、毎回楽しみにし応援している。毎年6月のダービーが終われば新馬戦が始まるので翌年のダービー(3歳限定2,400)や桜花賞(3歳牝馬限定1,600)を勝てる、どんなDIの新星が現れるかそれが楽しみとなる。今やDI産駒一筋と言え、とくに応援する騎手は今はいない。

 DIの産駒が走り出した初年(2010)、巨人、大鵬、卵焼きと呼ばれた巨人全盛時代にアンチ巨人ファンも多かったように、早くもアンチDIにより2chで「なぜディープインパクトは種牡馬失敗したのか?」のスレが立てられていた。

米国から来て大種牡馬となる父サンデーサイレンス(SS)を鳶扱いしてはいけないが、鳶が鷹を生んだというより、馬からチーター(DIに跨った唯一の武豊騎手がそう形容する)が生まれた、DIは突然変異だと私は思っている。DI430㎏台のコンパクトと言えば聞こえが良いが痩せぽっちの牝馬のような小さな牡馬だったが、後述する世界的な大種牡馬ノーザンダンサーも小柄だったので、私は種牡馬としての成功を信じて疑わなかった。

翌年2011年にマルセリーナ(桜花賞)、リアルインパクト(安田記念)、ジョワドヴィーヴル(阪神ジュベナイルフィリーズ)G1を勝利したときはさすがに胸を撫でおろした。その翌年2012年からは連続してリーディングサイヤー(種牡馬)となり不動の地位を築いている(今もなおアンチは健在。DIの輝いていること自体が気に入らないので、ディスっても根拠が希薄。DIファンが寄ってたかってデーターを駆使し理路整然とアンチを黙らせる)

 ただ、DIに匹敵する、あるいは超える産駒は未だ誕生していない。チーターのような小さい馬が活躍すると思っていたが、大活躍する産駒は大型馬が多い。牡馬ではダービー馬のキズナやマカヒキ、菊花賞馬サトノダイヤモンドは皆500㎏台。牝馬3冠の女傑ジェンティルドンナは470㎏台で父DIより40㎏近く重い。今年のダービーを制したワグネリアンは450㎏台で父に似ていると言われるが、種牡馬としてのDIの特長は、DI自身の長所 (現役当時3,000m以上の長距離で世界NO.1のレーティングを得ていた。スピードはもとよりステイヤ―の血が仔に引き継がれてよいハズだが) が色濃く出るというより、肌馬(繁殖牝馬)の良い所を引き出す、というのが、今のところの大方の見方ではないか。

 だとすれば、欧州の肌馬ならば欧州競馬にも対応できる産駒が生まれても不思議ではない。今年のSWの活躍はそれを証明したことになる。元々DIの母はウインドインハーヘア。欧州の馬でエリザベス女王所有の名牝ハイクレア(1000ギニー、仏オークスを制する)の孫にあたる(エリザベス女王もDIに関心が高い)。欧州で通用する素地があると言える。

 

 

2018. 7 臨時号 NO.99  ろ VS 

 世紀の米朝首脳会談が終わった。ショーという見方が多かったが、北朝鮮は実をとり、米国はというよりトランプ大統領は名をとった。得るものがなく損をしたのは日本だろう。安倍首相が期待した拉致問題も不発に終わった。

元々拉致問題を他国に依頼するのは筋違い。大統領にとって友好ムードで会談を終えることが今回の目的。会談に水を差す、3人の人質を既に返してもらっている金正恩党委員長に人道問題に言及するのは大統領には埒外の話。たとえ大きな見返りを日本から貰えても。

 トランプ大統領は「日本の経済支援は拉致問題の解決が前提」と、約束不履行にならぬ最低限のことしか言っていないらしい。北朝鮮にとって目新しい話でもなんでもない。聞いた金党委員長としても「・・・」となっても不思議ではない。

米国と立場が違うのに大統領に盲従して単に核・ミサイル問題で非難し続けてきたツケが回ってきた安倍首相が、保身のスタンドプレーの為に血税数10億ドル(数千億円)もドブに捨てたと言われても仕方がない。日米首脳会談後数10億ドルの買い付けが露見した時6/8付け日刊ゲンダイが首相を売国奴呼ばわりしたのも、あながち過言とは言えない。

これではまずいとばかりに、親ABEは金党委員長が解決済みと言わなかったから交渉の扉が開かれたと前向きに評価する。「8月には首相平壌入りか?」と6/14付け読売が報じ、産経は金党委員長が「安倍首相に会ってもよい。オープンだ」と言ったとフォローした。

しかし、打ち消すかのごとく、6/14付の北朝鮮「労働新聞」は拉致問題には触れずモリカケ問題を取り上げ、翌6/15北朝鮮は「日本人拉致問題は解決済み」と報じた。6/18首相は北朝鮮に大きな決断をと言ったが、決断しているのでは。安倍首相では交渉しないと。

さらなる問題は、大統領が北朝鮮に安全(or安全保障)を確約したこと。それは何を意味するのか。北朝鮮が尖閣諸島を占拠した時、米国は傍観するということか。上陸した北朝鮮兵士らは日本だけで排除はできる。しかし、北朝鮮に中・短距離ミサイルを連射されたら。中国は、米国がにらみを利かしているので、喉から手が出るほど欲しい尖閣に手が出せない。北朝鮮と経済援助の裏取引で、北朝鮮に尖閣を占拠させるとした場合、米国は北朝鮮に手が出せないのであれば、何のための日米同盟か。遠いイラク問題におけるブッシュ大統領・小泉首相の関係よりも、今回のトランプ大統領・安倍首相の方がより問題だ。

世界平和や核兵器禁止などを訴える有識者でつくる「世界平和アピール七人委員会」が世紀の会談を待たず6/6「日本人の道義は地に堕ちた」と安倍内閣に退陣を求める、異例の緊急アピールを行った。株価を見て首相はよくやっていると言う富裕層や利口ぶらず親しみやすいよい首相だと思う庶民層の各位、いい加減眼を覚まされたら、いかがか。

 

米国にとって、安倍首相は都合のいい女と同じ。言いなりになってくれる。性能等情報が筒抜けになった防衛機器等を高値で買ってくれる。無理やり集団的自衛権を通してくれる。後述する属国からの脱却に不可欠な憲法9条二項の削除・改変を後送りさせる。

米国にとって唯一誤算と言えるのは、安倍首相の露骨とも言える言動により、国民の一部に属国における偽りの繁栄という夢から眼を覚まさせたということ。

英国は阿片により中国人をつぶした。米国は阿片が通用しない(ヒロポンは少し蔓延したが)日本人に経済的繁栄をさせることにより牙を抜いた。チャーチルが第二次世界大戦の回顧録で書いた思惑どおりか、日本人は劣化した。それもトップ組織のトップから腐る。

内閣、不正・不祥事の大企業・公益法人、採点ミスしたトップ大学、タレントが不祥事を起こしたトップ芸能事務所。共通するのは、組織・組織人を守ることよりも保身が優先。責任をとらないこと。為政者・経営者の先祖ともいうべき武士にはありえないこと。

子供に進められる道徳教育は不要だ。今年の1月号NO.83(よんれんぱVS よんれんぱい)で、こう書いた。「日本人としてのDNAなのか若者にはよき日本精神(勤勉、正直、謙虚、潔さ、約束の厳守、惻隠の情)がまだ息づいているのではと思うと嬉しい気持ちになる。」

悪質タックルをした日大アメフト部員は見事なまでに責任をとった。武士を見てるようだ。問題は、まっとうな子供達が大人になるとそうでなくなるということだ。子供に道徳教育を施すのは、間違った大人、馬鹿な大人に黙って従えということになるだけだ。かの籠池氏は幼児に教育勅語を暗唱させたが、今必要なのは、大人達に武士道を教えることだ。

 

戯言と言いながら私は再三「平和大三元論」を唱えている。發牌(米国)と中牌(中国)だけでは()22,000点に過ぎないが、白牌(日本)が加わると大三元(役満)になり16倍の32,000点となる。平和に向けた大きな力となる。そして白牌はNO.1ではなく、Only One目指すべきだと。

Only OneとはBoxingに喩えて説明すると、現世界チャンピオンの米国と挑戦者中国とのタイトルマッチで、米国のセコンドにつくのではなく、審判としてリングに立つことだ。。その審判の信条は「公平」と「正義」。

リング上では審判は現チャンプに優遇とは言えないまでも敬意を払っているように見える。日本も米国とはその距離感でよい。米国の股肱之属国ではなく、(正義に基づき)米中の股座膏薬戦略をとるのだ。米国が日本に無理難題を言うなら、倭の国に戻るぞと警告するのだ。地政学的に見れば、北から中国が黒、北朝鮮が黒、韓国は白、一番南の日本は白だが、日本が黒に変われば、オセロゲームのごとく、韓国も黒になり、黒一色となろう。

 

審判が選手を殴ることはないが、選手が審判を殴ることはある。観客席から物が飛んでくることもある。その為には備えが必要だ。

 日本が真の意味で独立し、審判になるには、国を守るための憲法第9条二項で禁止する戦力の保持と交戦権の賦与を認める改正が不可欠。長年自民党は改正を検討し自民党改正案を作案したが、あろうことか自民党総裁が9条二項を改正しない案を持ち出し、さらにモリ・カケ問題により国民の信を失い、改憲のチャンスを潰してしまった感がある。

 9条二項の削除・改変に反対する国民は、第二次世界大戦のように、東南アジアのジャングルや満州の極寒地で、自身や家族が悲惨な目に遭う。徴兵制が復活すると思っている人が多いのではないか。戦争の形態は時と共に変わる。

私が居た銀行業界も変っていく。私が若い頃融資の可否を判断する審査役の補助をしていたが、もうそれはAIの役目。内勤の銀行員はほとんど要らなくなる。戦争も、近い将来サイバー攻撃、無人攻撃機、AI ロボット兵士(スター・ウォーズに出てくるバトルドロイド)が主流となってくる。若くて体力があれば誰でもという時代ではない。天才高校生ハッカーが重用される時代に変わる。高度な技術を持つ者でないと志願しても採用されない。

 侵略はしない。防衛だけと言っても、サイバー戦では先制攻撃しないと意味がない。システムを先に壊されたら反撃できない。そのためにも9条二項の改変は焦眉の急だ。

 今のままでよいと言う人は、温暖化しているから二度と地球に氷河期は来ないと言う人と同じだろう。

 

 

2018.7 NO.98 ぎょう VS  ぎょう

 本ブログ前月号NO.95(「ゴロフキン VS ボロフキン」)で、男女平等・同権の権利の裏側にある義務を果たそうとしないと谷岡学長や女性議員を批判した。男にも、上っ面の謝罪はしても潔く自身の非を認めようとしない、アメフト内田監督やレスリング栄監督がいることを指摘しておかねばならない。不公平にならぬよう。身の処し方が酷いのは首相を手本にしているのか。日本人の美学はどこへ行った。草葉の陰で武士が泣く。

さて、今回は、私と中小企業とにまつわる、ちょっとだけ不都合な話。

自らの利益を追求して事業を行う法人を営利法人という。通常、会社とか民間企業と呼ばれる。これに対し、営利を目的としない事業法人を非営利法人という。主なものとしてここでは財団法人と社団法人を取り上げる。前者は活動原資を基本財産の運用益(預金利息等)とし、後者は会員の年会費を活動原資とする、違いがある。さらに、一般財団法人(又は社団法人)と公益財団法人(又は社団法人)とに分かれる。一般のそれは要件を満たせばだれでも作れるものだが、公益の方は、県の認定か、県を跨ぐ場合内閣府の認定が必要となる。

ちなみに、公益財団法人の日本相撲協会、日本レスリング協会に対して告発状が出されたことがあったが、都ではなく内閣府に届けられたのは、両法人が全国組織であるため。

 民間企業は、最小のコストで最大の収益を上げ、国に税金を納め、社会に貢献するというのが松下幸之助翁流の企業の社会的使命のあり様。非営利法人は発想が逆。基本財産の年間の運用益や会員の年会費等、まず1年間の活動資金ありきで、それを有効に活用して、不特定多数の利益に資する(公益)、あるいは、業界の利益に資する(共益)、ことを目的として事業を展開するのが役割。したがって、企業の利益とは違い、非営利法人が多額の収支尻を残すことは美徳でもなんでもない。年間収入(活動資金)1割程度なら許されるが、2割、3割残すのは、それは単に仕事が足りないか、怠けていると言っても過言ではない(だからといって、事業を拡充せず、役職員の人件費等を膨らますのは、もちろん本末転倒)

 私は、社会人となってから20年間中小企業向け金融機関に勤め、その後の20年間は中小企業を会員とする二つの社団法人(協会)に勤務した。さぞかし中小企業とウマが合ったと思われるかもしれないが、そうでもない。私は、一代で日本を代表する企業を築いた、ユニクロ柳井社長、楽天の三木谷社長はすごいとは思うが、下で働きたいとは思わない。

中小企業オーナーで最も苦手とするのは、ワンマンで、激しく、会社のお金は自身の財布と思うも、社員にはケチる、強烈な個性の持ち主。(20年以上前のことだが)証券大手の部長と意見一致をみたが、会社を上場させる中小企業のトップはそんな猛烈なタイプが多い。もっとも、そのようなトップでも、社会に貢献し、従業員とその家族の生活を立派に支えているのなら、私が嫌いなことなどどうでもよいことではあるが。

私が尊敬するのは、城山三郎作『落日燃ゆ』での広田弘毅首相、没後70余年を経ても台湾の人々が恩を忘れない八田與一土木技師、日本のシンドラーと呼ばれた杉原千畝外交官。ウィキペディアによると杉原が広田首相を尊敬してご子息にコウキと名付けたとあった。私も長男に広田首相に肖ってコウキと名付けた(人生の最後まで同じではとコウの一漢字は変えたが)。尊敬する杉原と同じ想いかと分かり嬉しかった。

こんな私なので非営利法人の事務局には向いているかもしれない。が、都合よく協会を利用(悪用?) しようとする中小企業オーナーにとっては私は目障りだったに違いない。上手くあしらえばよいものを、正面からぶつかるので、当時の社団のトップは私を困った奴だと思っていたハズだ。「君自身が怒る必要はない。私に報告するだけでよい」と諭された。冗談半分、本気半分で「君が方針を立てて私が事務(会員のお守り)をするのか」と言われたこともあった。一般社団法人(業界団体)の時も、理事としての権利の裏側にある責務を果たさない理事には事務局の分際でありながら容赦しなかった。当然軋轢が生じる。私の存在がメリットよりもデメリットが上回ってくると、出過ぎた参謀役の潮時となる。それでも両団体共10年ほど使ってもらえたから、そこは感謝を忘れてはいけない。

 

 かくいう私自身も中小の組織に身を置き続けた。20年在籍した銀行も中小金融機関であり、優良企業を育てても企業が大きくなると都銀にさらわれる。海外進出や社債発行など間尺に合わなくなり仕方ない面もある。当時たしか自虐的にサンドイッチ銀行と呼んでいたと思うが、今は死語となっているようだ。

非営利法人に転身してからも、社団法人(今流で言えば公益社団法人)も一般社団法人もどちらも小さな協会であり、それなりの苦労はした。天下り用のような親方日の丸の一部の公益財団法人に対しては少なからず敵愾心を抱いた。お金(会費)を集める苦労も知らず、形だけに拘るような言動には、よく虫唾が走り、罵声を浴びせたい衝動に駆られたものだ。

 40年の職業人生を通し、思うに任せず中小が故の悲哀も少しは味わったので、中小企業オーナーや社員に対する想いは、愛憎相半ばというのが正直なところだ。

 

芸能人は歯が命。中小企業は人が命。中小企業は“人財”が少ないことが悩みの種。人材紹介会社等を通じて中途採用することも少なくない。その場合大企業の部長などがよいと思われがちだが、そうでもない。例えば、経理部長経験者は中小企業に入るとすぐ経費削減を徹底しがちだ。売上3,000億円の大企業では経費率を0.1%下げるだけで3億円も節減できるが、売上3億円の中小企業ではたった30万円でしかない。そんなことよりも売上をいかに伸ばすかが先決だと言えば、それは自分の守備範囲でないと使えないことを言う。中小企業にはやはり中小企業の役員経験者などがよいのかもしれない。

取引銀行へ人材招聘を依頼する場合においても、支店長経験者を要望する中小企業は少なくない。支店という小さい組織であっても一国一城の主としての経験がある銀行員の方が経営に対する姿勢や責任感が違うと思われている。

 社団法人に居たとき、会員(中小企業)からの求人ニーズが強いことから人材仲介をやろうとした。が、有償でも無償でも免許がいると分かり、当時某県からの出向者がお手の物とばかりにちゃっちゃっと申請書類を用意し免許を取得してくれた。私が人材紹介の真似事をしたが、職を求めている割には覇気がない人がいるのはなぜかと思い始めた。

覇気のない人達は、アウトプレースメント(企業側の都合で離職せざるを得ない従業員のために、企業側が費用を負担して民間の会社に委託して行う再就職支援)の会社から紹介された中高年達であった。話を聞いてみると、能力や性格について厳しい指摘や指導があり、今の価値なら年収が半分以下になるのは当たり前だと言われたという。あたかも「退社は、自身が悪いのであって、会社を恨むなよ」と言わんばかり。何のための再就職支援なのか。

依頼する大企業側も?と思った。貢献度は知らないが長年企業に忠誠を誓ってきたいい歳をした大人たちに対してもっと違った親切?があるのではと感じた。

すべての人材紹介会社が皆そうだと言うつもりはない。無論すべての会社を知っている訳でも、近況が分かっている訳でも、ない。しかし、求職者を見下す、物扱いするような所は、免許があっても人材仲介や労働者派遣をする資格はないとは断言できる。

 今や病院ならどこでもよいと思う人はいないだろう。人材を求める中小企業も求職者も人材紹介会社を選別することも必要だろう。

 

2018. 6 増刊号 NO.97 くか VS  くか

  世紀の米朝首脳会談がいよいよ6/12にシンガポールで実現する見通しとなった。非核化で合意し朝鮮半島の平和の扉が開くか世界が固唾を呑んで見守ることになる。

 北朝鮮は、トランプ大統領との会談が実現すれば、会談内容の如何に拘らず、成功と言える。最貧国とも言える北朝鮮が核強国として世界最強の米国と差しで会談できるのだから。金正恩党委員長は晴れて祖父、父と肩を並べた将軍様として人民から崇められる。

たとえ、会談が物別れになっても、トランプ大統領は脅しているが、米国から攻撃されることはない。南北コリアが南北首脳会談で融和ムードが高まっており、さらに中国の庇護のもとにある。ロシアにとってのシリアと中国にとっての北朝鮮とでは地政学的に意味合いが全然違う。米国はシリアを攻撃できても北朝鮮を攻撃できない。北朝鮮が中国の言うことを聞いてお利口にしている限り攻撃されたら習近平総書記は面子にかけても応戦する。第二次朝鮮戦争になってしまう。

実際は南北会談と同様米朝首脳会談も融和ムードで終わるのではないか。北朝鮮の目的は金王朝体制の承認と経済制裁解除・経済支援。金王朝にとって、米国も怖いが、朝鮮人民も怖い。赤貧に苦しみ死んだ方がましだと追い詰められたら、怒りの炎が金王朝に向けられる。人民の大集団に銃を向けることはできない(中国にとって天安門事件は最大タブー)。核開発が一段落した今米国と和睦し一刻も早く経済を立て直さなければならない。

なによりも中国の経済制裁解除が最優先で、中国が堂々と制裁解除できるよう、北朝鮮はお利口になったというところを国際社会に猛アピールしなければならない。

その後は、財産目当ての結婚を目指すのか。軍事力が強い方が花婿。花婿の北朝鮮は標準時を早速韓国に合わせた。いざとなれば王朝を廃し、プーチン氏のように大統領を装うかもしれない。花嫁の韓国は、豹変ではなくいつ狼変するか分からない相手といきなり結婚ではなく、互いの体制を容認しゆるやかな連携を模索したい。縁談が強引に進められたらマリッジ・ブルーに陥るのかも。親同士の綱引きもありうる。花嫁の父(米国)は婿養子でないとダメと言うかもしれない。韓国も北朝鮮と同化し中国の属国になれば、釜山周辺に中国の軍事基地ができる。ますます日本から米軍基地が出ていくのが難しくなっていく。

非核化については、金正恩党委員長はトランプ大統領に恭順の体を演じるだろう。核・ミサイルは元々矛ではなく盾の為に開発。10数発保有できたならそれ以上は必要ない。核実験場等を破壊することなど痛くもかゆくもない。既に保有の核も放棄しろと言っても、IAEAの査察には限界がある。軍事施設内は北朝鮮が拒否するだろう。

 ロシア疑惑、ポルノ女優への口止め料等失点続きのトランプ大統領の本音は、とにかく会談を成功させたい。ICBMを米国に向ける気を北朝鮮が無くせばそれでよい。ノーベル平和賞を受賞し、大統領任期あと2年半の間北朝鮮が大人しくしてくれたら御の字だということだろう。軍産複合体はしばらく中東で核・ミサイルビジネスを展開するのだろう。

 

米朝会談の後は米・中・北朝鮮・韓国の4カ国協議が始まるのか。北朝鮮の仮想敵国が米国からとって代わる当の日本は蚊帳の外。元々南北コリアが反日である上、日本が独自のスタンスで半島問題に関わっておれば別だが、米国の威を借りて北朝鮮を非難していただけでは(ロシアが参加するならその時はバランス上日本も参加できるのかもしれないが)

味方のハズのトランプ大統領は、米朝首脳会談開催も国務長官の電撃訪朝も事前に知らせない。ポチ犬(某哲学者はバター犬と呼ぶ)に大事なことを相談してもということか。

拉致問題にしても、安倍首相は訪米しトランプ大統領に北朝鮮に言ってくれと懇願する。まるで、講義すらろくに出席もしていないのに「就職が内定しているので、なんでもするからとにかく単位をください」と教授の家に押しかける女子大生に似ている。

国民の生命と財産を守るべき首相として最も基本的なことを他の国に委ねる。天敵の拉致被害者の兄蓮池透氏に「お手上げだと表明しているのと同じだ」と安倍首相は皮肉られる。隠れて頼むならまだしも国民だけではなく世界にも配信され世界からも嗤われる。

ビジネスマン大統領のトランプ氏は、米人質3人が解放された以上人権問題が議題にあがるのを嫌がる北朝鮮に拉致問題を提議するかは分からない。話すとしたら、お安い御用のハズだが大きな見返りを求められるのでは。北朝鮮からの経済支援要請を日本が肩代わりさせられるだろう。北朝鮮は渡りに船で「もう一度よく探したら拉致した日本人が数人いた」と北朝鮮に言われたら、それで1兆円?単位での経済支援をするのか?

私は、「外交は武器をもたない戦争」と心得ていながら安倍首相のことを外交が強いと持ち上げる外務省OBやジャーナリストを信用していない。ニコニコと個人的に親しくなるだけでは外交とは呼べない。トランプ大統領にいいように使われ、プーチン大統領にあしらわれ何も前に進んでいない。

 北朝鮮は王朝時代の前近代から中国の属国から抜け出せず苦しんできた(今回の南北会談の板門店宣言の「南北と米国、あるいは南北と米中カ国による協議」で、なぜ最初から中国を入れないのか。中国に対する南北コリア首脳の気持ちが表れていると見てとれないか)。北朝鮮は核強国になった今も結局中国に屈服させられた形となった。安倍首相は、宗主国米国に、それも暴君が君臨する時に、進んで従属しようとしているとしか思えない。

昨年の憲法記念日に安倍首相は唐突にそれまでの自民党改正案と違う自衛隊明記の加憲総裁案を発表した。国会では自ら説明しようとせず読売新聞を読んで(読売の毛沢東サイドのサゼスチョンということか)と信じがたい暴言を吐いた。その前には「安保法制が成立したので、憲法改正は別しなくてもよいのだが」と首相が言っているとの記事もあったぐらいなのに。憲法学者は「安保法制に憲法を近づける」のがねらいと看破する。それなら米国しか見ていない安倍首相が飛びついたのも納得だ。

 

そんな首相に印籠を渡す動きが政界に出てきた。加計問題で愛媛県知事が声を上げ、政権内の石破鳥取藩の齋藤農水大臣、岸田広島藩の林文科大臣が呼応した。やむなく柳瀬元秘書官は20154月等の加計関係者との面会を認めた。それでは昨年1/20に獣医学部新設を知ったとする首相発言と平仄が合わない。「加計氏との奢り奢られは贈収賄か?」との疑念が再浮上。それで秘書官でありながら首相には一切報告していないと強弁する。国民の不信感は募るばかり。国会では無理。司法が動かないなら自民党内で自浄するしかない。

私は、旧経世会の竹下派(竹下島根藩)を長州藩と擬え、石破鳥取藩(薩摩藩)と連衡して経世会を壊した恨み骨髄の清和会幕府に戊申戦争を仕掛けると見た。しかし、どうやら竹下派は主導権を確保できるならどことでも組むようなスタンスに今の所ではそう見える。

 細川護熙元首相の佳代子夫人がTVで回想していたのを思い出した。細川首相に「いつ辞めるの? 政治家たちは自分のことばかり。早くこんなところから出て行きましょう」と言ったことを。竹下派もそうだと断言するのはまだ早い。最初に飛び出し新政府が出来たときには影すら見えなくなった水戸藩になりたくないということか。国を憂いた長州藩の下級武士ほどの志も気概も持ち合わせていると思いたい。

現役よりも自民党OBの方が事態を深刻に受け止めているらしい。それにしても、小泉元首相は、清和会幕府側の主要人物のハズだったが、討幕に向け暗躍しているように見える。幕末にこんな人物は実際いたか。いやぁ、さすがにこんな変人はいないのではないか。

 

 

2018.6臨時号NO.96 イエローード VS イエローード

山口達也氏騒動でデヴィ夫人が、ブログで「たかがキスで」と発言した。世の流れに掉さす人が多い中で、流れを堰き止める勇気と強さに触発された。私も思うことを書いておこうと思った。

5/1の不起訴報道を受け、TOKIOの山口氏を除く4人が会見した。私は次のような会見があるかと思っていた。「山口はアル中でした。しかし、それを言い訳にできないことをやらかしました。ですが、私たちにとってかけがえない仲間です。本人も猛省しています。甘いと言われるかもしれませんが、もう一度彼にチャンスをください。お願いします」

実際は、「我々に報告しなかったのは許しがたい」「自分のことよりも被害者のことを」などうらみつらみを言っていたので、山口氏を除籍させるつもりの会見だと思ったが、それはまだ決まっていないという。自分達は苦悩しているという。何の為の会見なのか。

会見を見た人は、山口氏以外の4人は歳相応の分別があり、発言も大人としてしっかりしていると思ったことだろう。それが狙いだったのか。当の山口氏はその会見を見ていたら、いたたまれなくなったことだろう。5/6事務所に山口氏は辞任を申し入れた。そして、受理された。今度は会見時とは打って変わって(私に言わせれば)空虚なコメントが4人連名で出されただけだ。

被害者本人及び家族は、示談に応じ、被害届を取り下げ、「誰一人の人生の未来もこの事件によって奪われてほしくない」との旨を寄せていた。今回の契約解除が、山口氏以外の4人が言っていた被害者のことを一番考えていることになるのか。家族の願いは世間が早くこの件を忘れてくれることだったハズだが(分かっていながら今書いている私も愚かだが)。女子高生本人も山口氏の事務所との契約解除に自身を責めることにならなければよいが。

 ブログ前号NO.95(ゴロフキン VS ボロフキン)で支店長に無理やりキスされた女子行員を知っていると書いたが、それは私の妻の事。結婚する前だがら、40年弱前の出来事。結婚を前提に付き合い始めた頃、妻の実家にタクシーで送り届けたときタクシーから降り際に突然妻が「変なことをするんでしょ!?」と言った。「何を言いだすのか」と不審に思い、妻に聞くと、支店長にキスされたとのことであった。宴席などがあると次長が支店長の横にすわる様仕向けたと言うから、単なるセクハラではなくパワハラによるセクハラ(セクパワ)にあたる。妻は私に告白したのはキス程度で終わっていたからだろう。仮にレイプだったとしたら訴えるか、あるいは訴えないなら結婚相手の私にも告白などしないだろう。私も、元上司のその支店長に対して「元々徳がない人だと思っていたが、やっぱりな」と思うだけで、「断じて許せない。が、怖くて訴えられない」などとは全然考えにも上らなかった。その支店長は、私らの想いも知らず、結婚式で妻側の主賓として祝辞を述べてくれた(#Me Too運動に乗っかっている訳ではない。デヴィ夫人の見解も一理あると言いたいだけ)

 それから時代が進み、セクハラに対する取り組みが進化しているのは認めるが、何でもかんでもレットカードにする風潮は、いかがなものか、行き過ぎではと思っている。

 厳格な法の世界でも、例えば覚醒剤の件でも、一回でも使用すれば罪は罪だが、初犯では執行猶予がつく。いわばイエローカードだ(再犯率が高いのは分かっていながら一度は人の良心を信じようと司法といえども血が通っているように私には感じる)。再犯すればほぼ問答無用で刑務所に入れさせられる。

 私は、ファンでもなんでもないが、今回の山口氏の件はイエローカードでよいと思っている。警察もそう判断し起訴猶予としたと思う。それなら、山口氏が心から反省し、もう一度だけチャンスが与えられ、5人でのTOKIOで演奏した音楽が愛の鳥イエローバードとなってファンの心に届ことくになることを期待していたのだが。

 

 TVワイドナショーで、松本人志氏が、女子高生(JK)のハニートラップでは?などネット上での中傷に対して、男気を出して反論したのは好感を持った。だが、「高校生になんで電話(番号を)聞くのか」と言ったのは、どうなのか。素面の時に電話番号を聞いたからといってわいせつ目的とは限らない。たしかに、毎週のように映画館に足を延すジジイの私は、恋だの青春だのというJK対象の映画は見ない。だが見たいオジサンがいてもよいではないか。常識から外れたら変な奴だと疎外すべきではない。松本氏でさえ漫才界の常識から外れていたから人気者になったのではないか。ロリコンと言う言葉もある。聖職者でもなければJKにあらぬ妄想をしてもよいではないか。妄想が罪なら男性ホルモンに支配される男達はみな罪人になる。妄想を本当に実行してしまえば罪となるが、その一線を越えさせたのは山口氏の場合はお酒。それを言い訳にしてもいけないが、酌量の余地もあっていい。

 洋の東西を問わず、宗教は、人は愚かで過ちを犯すとの前提に立ち、「罪を憎んで人を憎まず」と教える。不寛容はアカンヨウと諫める。

今は、罪を憎んで、人も憎む、になっていないか。そんな風潮を警察が先導していないか。警察は、暴力団を憲法で結社の自由が保障されていると結社を許し、その一方で暴力団排除条例にて暴力団員の憲法で守られるいるハズの基本的人権を否定する。付き合う者も罰せられる。本当になくしたいなら暴力団の結社を禁止させればよいだけ。庶民に人を憎ませるようなことをさせる必要はなくなる。大いなる矛盾、欺瞞だ。

弱い立場の我らは、相手が芸能人だからといえ、関係ない者たちが池に落ち溺れかけている人に石を投げるようなことはすべきではない。弱い立場だからこそ、薬を使用した?レイプ事件(準強姦罪としては不起訴)の被害者伊藤詩織さんが容疑者の逮捕を不当に回避させたとして警察権力と闘っているのに対して支援の声をもっと上げるべきなのではないか。

 私の頭の中でビリー・ジョエルさんの代表曲『オネスティ』(誠実)が鳴り響いている。

         Honesty is such a lonely word

Everyone is so untrue

Honesty is hardly ever heard

And mostly what I need from you

 

 

 

 

 

 

2018.6NO.95 ロフキン VS ロフキン

 妻が私の部屋に入ってきた。手になにやら持っている。殺虫スプレーか。何かブツブツ言いながらベットで寝ている私の方に吹きかけようとしている。「何するんだ!?」と喚いたが、聞こえていないのか。壁の鏡に眼をやると、私の姿が映っていない。「エッ! 俺はダニになったのか!?」と思うや否やプシューと顔面に殺虫剤が。噴霧された私は「ううっ、苦じい~」と呻いたところで目が覚めた。思えば、新婚の頃のご主人様扱いからどんどん妻の私に対する扱いがぞんざいになっていった。それに伴って呼び名も、ダメ亭主、ハズレ、ポチ犬、ナメクジと落ちて行った。もう後はダニか粗大ごみしかないと思っていたので、こんな夢を見たのだろうか?

 今世紀最強ボクサーの呼び声高いゲンナジー・ゴロフキン世界ミドル級チャンピオンは、GGG(Gennady “God of war” Golovkin)つまり、神の拳を持つ男と崇められている。私は妻からKKK(Kusai Kitanai Kirai)と蔑まれている。妻の私の扱いは、ボロフキンと同じだ。真っ新なフキンは食器等を拭くのに使われるが、少し古くなると水周りのテーブルを拭くときに使われ、ボロボロになると汚れた床を足で拭くときに使われてしまう。

か弱い妻は歳と共に強くなった。他の女ならもっとそうだろう。女()の一生における呼び名の変遷を見ても分かる。稚女→少女→生娘→若妻→妊婦→ママ→おばさん(関西ではオバタリアン)→老婆。死後は妖怪・お化け。だんだん強くなり、どんどん怖くなる。

 日馬富士暴行事件の折久しぶりに下重暁子女史をTV報道番組で拝見した。NHKのアナウンサーの頃可憐で人の後ろからちょっと顔を覗かすような感じに見えたが、今は貫禄もあり強いと感じだ。白鵬関に批判が集中していた時だったが、「私は白鵬のファンなの。よく頑張ってるじゃないの」と平然と言いのける態度にさすがのやくみつる氏も反論せず首をひねるのが精一杯だった。ただ怖さは感じなかった。レスリングのパワハラ問題で、名古屋の至学館大学谷岡郁子学長の怒りの会見を見た時は、怖さを感じた。爬虫類を見て恐竜時代の遺伝子が震えるように、道鏡を寵愛した孝謙天皇時代の遺伝子が震えた。

 五輪4連覇の伊調馨氏のことを「選手ですか?」と言い放ったにも拘わらず、第三者委員会によるパワハラ認定のあと福田協会長が謝罪した記者会見の場に副会長でありながら同席もせず、頭を下げなかった。追いすがる記者に対して、伊調さんの件は認定されなかったと負け惜しみしか言わない。本ブログ本年4月臨時号NO.90(「かつやくVS かくやく」)にて豊田前議員や山尾議員にも同じ指摘をしたが、非を認めず直に謝ることをしない。

 得も言われぬ怖さを感じ、男女平等・同権の権利の裏側にある義務を果たそうとしない学長や議員の女性たちを見ていると、本ブログ20169NO.63(「おとこVS おとめ」)の話はあながち夢物語ではないと思ってしまう。男たちに則天武后や西太后を思い起こさせるようでは女性総理の誕生はますます遠のいてしまうのではないか(そうではなく、真の女性総理にふさわしい女性が少なからずいるが、奥ゆかしいから表に出ないだけなのか)

今パワハラ、セクハラに対するMe Too運動が盛んだが、それをよそに、男の私は違うことを考えている。正直女という者がよく分からず、権力を持たぬ女も怖いと思っている。

 社団法人に在籍の時、県からではない他からの出向者がバイトの女子大生と一対一で呑みに行き、店から出たところで女子の手をとり行こうと誘った。女子は何を勘違いしているのとか言って手を振りほどいた。それで終わったのだが、女子はトップに報告した。出向取り消しとなった。

 女子がとった行動は間違ってはいない。だから口にはしなかったが、「なぜいきなりレッドカードなのか。イエローカードというものがあるのでは?」と私は疑問に感じていた。

 今回の福田財務次官の問題も同じ。私が女性記者なら、4/4の件の後「セクハラは許せないので、もう会いません。これまでのはテープに録音済。今後も他の女性記者にも同じことすればテープを公開します」と次官にそう通告する。いきなりぶった斬りせず、芝居の「番場の忠太郎」のごとく、次官の反省の色がないことを確認してから、斬りすてる(女性記者にとっても、イエローカードでことが済むなら、財務省への出禁は覚悟しても、全官庁から敬遠される事態は避けられるのでは)

 なお、私が女性記者の父親であればテレビ局を許さない。夜に一対一で取材であれ何であれ女性にそんなことさせるのは、私が居た(20年以上前だが)銀行ではありえない。本来権力と対峙すべきメディア業界は、即刻協定?を結びそんな悪弊を止め、姿勢を正すべきだ。

 財務省は、一旦問題として公表されてしまったら、すぐ泣いて馬謖を切るべきだった。パワハラによるセクハラ(セクパワ)は、世界共通の正義の問題で問答無用。海外から日本の最強官僚組織がセクパワに無理解で日本は後進国と評されてしまった。省益を優先し国益を損ねてしまった。さらに女性記者に名乗り出られるものならとの態度は最悪だった。

福田前次官も、恥の上塗りになるようなこと、裁判は止めた方がよい。

世界的な数学者岡潔(1901年~1978)は日本の数学者では理解されず苦節数十年を経て海外で評価された大天才。数学の研究を終えると、日本はどんな国か、どう進むべきか書籍を多数刊行した。『日本民族』(月刊ペン社)を読んだだけでも歴史学者か歌人かと思ってしまう。とても同じ人間とは思えない。同じく数学者で『国家の品格』でお馴染みの藤原正彦先生も研究が一段落すると世のご意見番として活躍しておられる。福田前次官も高い能力を持つ者の使命を感じ、世に提言していくことが、不名誉を雪ぐ最良の策となろう。

最強官庁とは違い民間企業の職場では男は女に怯えているようにすら見える。私は何でもかんでもセクハラという今の風潮に違和感を覚えている。深刻な人種問題を抱える欧米を真似て職場の中までぎりぎりとセクハラ狩りをすることには賛成しない。たしかに、職場でもセクパワはあるだろう。昔銀行支店長にエレベーターの中で無理やりキスされた女子行員を私は知っている。職場内のセクパワも厳罰に処すことには異論はない。

しかし、例えば、イケメンで好意を持つ男子から肩に手を置かれ嬉し恥ずかしと思う女子社員に対して、それを見ていた(その女子社員が嫌いと思っている)別の男子社員が同じ事をしたとき、女子社員が上司にセクハラと訴えたら、それは正義の問題と言えるのか。

そもそもイケメンが肩に手を置かなければよいとなれば、殺風景な職場になっていく。

 私は思ったことをそのまま口に出すから、キレイと思えば「今日はとくに綺麗だね」と言ってしまう。それすらセクハラになるのか。ある弁護士は職場では一切容姿の話はしないと言っていた。冗談も通じないようなそんな職場は楽しいか。私ならそんなところで働きたくない。早く生まれてきてよかった。もう職場で働くことはないから。

 我が家は和やか。私が妻に「お~い、デブ!」と声をかけると、妻は「何よ、デブ、デブって。叩いて欲しいと思っているのね。今度言ったら100回叩いてあげる」と言い返す。妻は強くなったが、怖くはならない。職場も家族のように信愛があれば違うのだろうか。

 

2018.5増刊号 NO.94 かい VS  かい

  大阪地検が決裁文書の改竄問題で佐川前理財局長の立件を見送るとの報道があった。改竄部分は枝葉で核心の幹の所は変えていないからという。ならば、なぜ意味のないと思われる部分のために公文書改竄という前代未聞のことを財務省がやったのかに、戻ってくる。

 加えて、また加計問題がぶり返し、国会が空転したままだ。「連続国会空転事件」のドラマを見ているようだ。一視聴者としての私としても長い間みているとドラマの制作サイドが見えてきた。プロデューサーは官邸砦の3?(安倍首相、菅官房長官、今井総理秘書官)、ディレクターは、官僚道という踏絵を踏んでしまった、迫田元理財局長、佐川前理財局長、藤原前内閣府審議官、柳瀬前総理秘書官の4人。

プロデューサー兼主役の安倍首相の精神的スポンサーは、日本のマクダと称すべき櫻井よしこ女史、古参政治評論家の田崎史郎氏とI元経産官僚など。

 政権延命の為なら、ありえない解散総選挙まで噂さに上るが、精神的スポンサーのみなさんに、こう申し上げたい。「もうアンモニアで気付けするのはよして、タオルを投げてあげてはどうですか。」

 安倍首相は、父も、父方の祖父も、母方の祖父も、東大法学部卒で政治家。安倍首相は同じ道を進まず、神戸製鋼でサラリーマン人生を送っていたのに、無理やり政治の世界に引きずり込まれた。しかし、父を超えて総理になり、歴代総理の中でも長く君臨できた。もう十分ではないか。

 自民党反主流派は何を躊躇しているのか。本ブログ5月号NO.92(「かんりょう VS まんりょう」)で竹下島根藩と石破鳥取藩が薩長連合し、清和会幕府を討幕すべしと書いた。政権を奉還し禅定(岸田広島藩?)という形では、小泉首相からの流れを完全断ち切ることはできない。清和会幕府+岸田広島藩を想定して、竹下島根藩+石破鳥取藩を核とする反主流派が結集し9月に戊辰戦争を起こし政権を勝ち取らねばならない。戦争とは大袈裟だが、所詮国民が支持している(せざるを得ない)自民党というコップの中の嵐にすぎない。

 小泉首相は自民党をぶっ壊すと言って、経世会を壊し、政権を握ると、後継の安倍首相と相まって日本を壊した。国会を軽視、官僚制組織を歪め、失敗を認めずアベノミクスを無駄にふかし、日銀に機能不全の爆弾を抱えさせる。貧富の拡大により和の精神を歪める。米国への従属を深め、核兵器禁止条約不参加より世界から白い眼で見られ、ISから敵視され無辜なボランティアが殺された。北朝鮮にはロック・オンされてしまった。

 小泉首相の戦いは覇権を目的としていた。今回は正義の、救国の戦いだ。戦いと言っても本当の戊辰戦争のように血が流れる訳ではない。臆しているのかと見えるようでは、よくもそれで憲法改正、戦力の保持、交戦権の賦与などと言えたものだと思われてしまう。

 自衛隊は、「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ」と無責任極まりなくイラクに派遣された。こんな怖い目にあっていると言いたいところだが、首相に迷惑をかけてはと日報を無いことにして報告しなかった。そんな自衛隊員に対して、シビリアンコントロールを無視するのかと叱りつける。南スーダンの件も同じだろう。戦前の陸軍上層部となんら変らない。トップが代わっても自衛隊から心腹される存在にならなければ、軍隊に変わるとき自衛隊員は拒否反応を示すことだろう。

 

 私は佐川長官が詰め腹を切らされたとき、福田財務事務次官がどう出るか注目していた。(官邸に非があると思う)私なら、自らの部下に責任を押しつけ省の名誉を著しく傷つけた官邸を許さない。省のトップとして真相を知りうる立場にあるのだから反主流派の政治家と組んで倒閣させる。そんな折も折、次官のセクハラ問題が報じられた。セクハラ的言動は今に始まったことではないだろう。反官邸の動きを制するために報じられたのか。

そんな憶測記事が出ないところを見ると、単に個人の性癖の問題なのか。省の重大事にテープにとられたのは、改竄問題は自身に関係がないと気が緩んでいただけとするなら、何をか言わんやだ。官僚の象徴ミスター官僚がこの体たらくでは他の官僚は推して知るべし。

官僚は、政治家のように定期的に国民の審判を受けない。一度の国家公務員試験をパスすれば、身分が保障され、主権者の国民から全幅の信頼を得た(とする)公僕となる。

官僚がその本分を弁えることができなくなったのは、米国の従属に慣れきって劣化してしまったのか。それとも、東大を出ても民間企業では学歴の低い者に負けることもある。学歴が保障される“両班”の方がよいとする志の低い官僚が増えたということか。

 両班と同じと言うべきキャリア待遇は、雑用をさせず、学歴コンプレックスを持ち嫉妬心も強い変な上司に潰されない様にし、心置きなく大所高所から天下国家を、日本の来し方行く末を考えることに専念してもらうという趣旨だろう。

 キャリア官僚が事の是非も考えず官邸に隷従するだけなら、そんな特権ははく奪するべきだろう。国家公務員試験を一本化し、真の実力主義に変え、内閣人事局が公正・公平に評価するのがよいだろう。

 

以前から鋭く安倍首相を批判し続けている哲学者・時事評論家の適菜収氏の新刊『問題は右でも左でもなく下である』(KKベストセラーズ)P43にて、チャーチル首相の第二次世界大戦での教訓を次のように紹介している。

「そこで、敗れた敵に永続的な軍備撤廃を強制するのは戦勝国である。そのためには二重の政策を実行しなければならない。第一には、自分自身十分の軍備を維持しつつ、常に監視を怠らず、権威をもって旧敵国の再軍備を禁止する条項を強制すること。第二には敗戦国内に最大限の繁栄をもたらすような恩恵的行為によって、その国民を運命に甘んじさせるように努力し、あらゆる手段によって真の友情と共通利害の基礎を作るよう努力し、それによって再び武器に訴えようとする衝動を絶えず減らすことである」

天国にいるチャーチルは、今の日本を見て、思惑通りとほくそ笑んでいることだろう。米英に復讐などしなくていい。戦争もまっぴらだ。しかし、正しく、清く、自立した日本、日本人に戻ろうではないか。

 

 2018.5臨時号 NO.93 ゴーストライ VS ゴーストライ

 米国人気俳優ニコラス・ケイジさん主演の映画『ゴーストライダ―』は、人間と悪魔が合体したアメコミ・アンチヒーローの実写版。罪なき命から血が流れるとき燃え盛る火に包まれた骸骨とバイクの火の玉ライダ―に変身する。女が怒髪天を衝くほど怒ったとき相手を含め周りを大やけどさせるが、その時私はこのゴーストライダ―を想起する。

 余談だが、続編の『ゴーストライダ―2』では、『ラスト・ターゲット』でジョージ・クルーニーさんと共演した、私好みのセクシーな伊歌手兼女優のヴィオランテ・プラシドさんがケバイ母親役で登場していたのには吃驚仰天した

 GhostRiderが火の玉に変身するのには火をつけるLighterは不要だが、アイドルが本を出版するには代わりに書いてくれるWriterが必要。これをGhostWriterという。

 天然で知られる歌手松本伊代さんはアイドル時代自身の出版本について聞かれ、「まだ読んでいない」と答えたのは有名な話。しかし、誰もそんなものだと思っているので問題にならない。企業や団体でも、筆が立つトップは下が書いた駄文を自身の名前で出されてはと自身で書く。が、それは少数で、普通年頭の挨拶など下の者が代わりに書くものだ。本当にトップが執筆したかなど、掲載する雑誌側や業界紙側も気にもかけない。

 書くことを本業とする作家や作曲家になると大きな問題になる。2014年に発覚した佐村河内事件をまだ覚えておられる人も多いのではないか。その事件の全貌を記した『ペテン師と天才』(文藝春秋)で著者神山典士氏が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

 地に落ちた佐村河内氏と天才作曲家新垣隆氏との関係は、偶然時を同じくして2014年に全米で公開された映画『ビッグ・アイズ』とそっくりだ。ペテン師の画家の夫を相手どり妻が「大きな瞳をもつ子供の絵はすべて私が描いたものだ」と訴えた話。1950年代の実話で裁判に及んでも夫はペテン師らしくなかなか認めようとしない。裁判官は業を煮やし、その場でビッグ・アイズの絵を描けと命ずるに及んで妻の主張が認められるに至った。

 有名になればなるほど、世間を欺いているという罪悪感、表に立つものに対する不信感と嫌悪感、本来ならば自分がとの自負心などが煮えたぎり沸点を超えた時、ゴーストライターはゴーストライダ―に大変身する。

勝訴した妻のマーガレット・キーンは世間から歓迎され、ペテン師の夫は無一文で寂しくこの世を去ったという。同じように、世間を欺いたのは共犯であるが、その作曲家としての才能と優しい人柄で新垣氏は世間から受け入れられた。告白した後に完成した新垣隆氏の新作交響曲「連祷─Litany─」がクラシックの世界的名門レーベル「Decca」から世界配信されるまでになった。

ミュージカルの世界にもゴーストシンガーがいる。『マイ・フェア・レディ』や『ウエスト・サイド物語』、『王様と私』など往年の大ヒットミュージカル映画でゴーストシンガーを務めハリウッドを救った陰の立役者と呼ばれる、マーニ・ニクソンだ。1950年代の当時ゴーストシンガーの存在はタブーで本人も絶対口外できないし待遇もひどいものだったらしい。ただ、『王様と私』が公開される直前の19563月に地元紙に主演デボラ・カーが暴露して大問題になる。マーニと友情を育んだデボラがその境遇に同情してのことだ。

 その後映画が下火になると、マーニはニューヨークに進出し、ゴーストシンガーとしてではなくミュージカル舞台女優として活躍し続けた。後輩たちに多大の影響を与えたが、2016(86)に没しレジェンドとなった。

 

 書く仕事に隠し事がつきものだ。ゴーストライターは珍しくないとなると、作品の熱狂的なファンの想いは次のようにエスカレートしていく。別人が書いた可能性もある→別人ならあの人であってほしい→あの作品の作者は絶対あの人でなくてはならない。

 その代表例がシェイクスピア。河合祥一郎氏の『シェイクスピアの正体』(新潮文庫)では7つの別人説が検証されている。哲学者フランシス・ベーコン説、劇作家クリストファー・マーロウ説、第六代ダービー伯爵ウィリアム・スタンリー説。紅一点として第二代ペンブルック伯爵夫人メアリー・ハーバー説ら。

 こうした別人説が出てくるのは、田舎町出身の役者風情に王族や貴族を題材にした傑作を何作も創作できるハズはないという思いと蔵書も原稿も残っていないということにある。

 別人説を唱える者に頭の良し悪しは関係ない。チャップリンやフロイト博士も別人説を支持していた。中には、狂信的となり、全財産を亡くした医師や終いには気がふれた女性もいた。恋愛、宗教と同じで反対されるとさらに燃え上がる。人間の不可思議で怖いところだ。別人説に共通するのは、ひとえに不都合な事実は無視するか脳が反応しないことだ。

 写楽の場合もよく似ている。美術研究家ユリウス・クルトが1910年に発刊した名著『Sharaku』により、写楽作品の芸術性(大胆な構図や人物のデフォルメ)が絶賛されてから評価が一変する。生きた化石と同じだ。シーラカンスは、不味い魚と漁民に見向きもされなかったが、学術的価値があるとなると俄然脚光を浴びた。

そうなると、本ブログ201212月号NO.18(「マネ モネ」)に書いたが、元々江戸時代に作者を示す記述があったにも拘わらず、阿波の能役者に書けるハズがないと多くの別人説が流布された。その中には後述する写楽のライバルの歌川豊国だとする説もあった。

 江戸時代の庶民にとって、浮世絵はプロマイドみたいなものだから、写楽よりもライバルの歌川豊国の方が断然人気があった。写楽が1年も経たず消えたが、豊国は役者絵の第一人者として浮世絵の最大派閥となる豊国一門隆盛(国貞、国芳等輩出)の礎を築いた。今観ても芸術に疎い私には、豊国作、例えば『四代目市川団蔵の毛谷村六助』の方がだんぜんカッコいいと思う。一応の決着を見た今なら後出しジャンケンで何とでも言えるが、私には豊国が写楽になる必要性が分からない。

 評価が海外から逆輸入されたと言えば、北野武映画監督の作品も同じだろう。我が国では、任侠、バイオレンスのイメージが強く賛否両論の様相を呈する。私は北野氏を映画監督としてではなく、天才芸人として、その才能と遊んても糟糠の妻を大事にする人となりを称賛させてもらっていた(その北野監督に愛人?報道が出たのは残念。不可解に事務所から独立した北野監督と30年来の腹心森社長との反目に影を落としているのでは。殿命のたけし軍団は否定し、元軍団の東国原氏は「その件は訴追の・・」とふざけてはぐらかすが)

しかし、写楽と同様作品の独創性、芸術性がフランス等で高く評価されている。独立を機に映画製作も終わるなら、それも写楽とそっくりと言えば、しゃらくさい!と叱られるか。

 写楽と違い、シェイクスピアの別人説はまだ決着をみていない。22世紀に向かって論戦がまだまだ続いて行こう。しかし、高度に情報化された現代社会において、天才芸人ビートたけしと映画監督北野武とは別人だとする説は100年経っても現れないことであろう。

 

2018. 5 NO.92 んりょう VS  んりょう

 決裁文書の改竄が朝日新聞にリークされた件に関し、本ブログ前号No.91(「かいざん VS たいざん」)で、拙速にも財務省リーク説を採った。その後の報道を見ると大阪地検リーク説が有力になってきた。ただ、朝日新聞が情報源を秘匿している限り、財務省には悪いが、書き換えも訂正もしない。そのまま掲載し続けることにさせていただく。文全体の主旨、結論には影響しないことでもあるので。

 官邸からの改竄指示の有無について、財務省官房長は調査中としていたのに、3/27の証人喚問では、丸川氏の官邸等からの「指示」についての問いに対し、佐川氏は「指示」を全否定した。それでは、なぜ天下の財務省の中で前代未聞の決裁文書改竄がなされたのかについては(捜査対象の身だからと)佐川氏は答えない。「指示」がなかったとしても、官邸から「決裁文書にどうしてこんなに余計なことを書き連ねているのか。官邸に弓を引いているのか!?」と「詰問」されたとすれば、指示以上の改竄プレッシャーを感じたことだろう。

現時点の疑問は、昨年2/17の夫妻が関係していたらとの後戻りできない首相発言を受けて2/24の佐川理財局長が「学園との交渉記録は破棄し、残っていない」と国会答弁で強弁した後の記者会見で、なぜ菅官房長官が「基本的には、決裁文書は30年保存するのだから・・」と、佐川局長が口にしていない、問題の「決裁文書」にあえて言及したのか、ということ。

記録がないと言い張るなら、わざわざ改竄する必要はない。軽率な私と違いあの菅長官がそう発言した意図は何か。決裁文書を見せろ!と言われるのは明々白々なのに(2/17時点で首相の進退問題になっており改竄前決裁文書の内容を知らなかったとは考えにくい)

改竄前の決裁文書について官邸と佐川局長との間に事前協議があり、記録はないととりあえず時間稼ぎして、後で急いで改竄するということに決まっていたのか。その上で官邸は関与していないとのそぶりを見せたということなのだろうか。

 

 3/19に若手(3回生)のホープ齋藤健農水大臣の朝食セミナーに参加してきた。20年以上前にほんの少しよしみがあり、以前から『本音で語る朝食セミナー』の案内をもらっていた。10回目で初めて参加したのだが、予想をはるかに上回る400名前後が参加していた。私は年金生活者が場違いな所に来てしまったと感じた。

 齋藤大臣は挨拶の中で、平昌五輪で2連覇した羽生結弦選手の「ケガをしたから、金メダルが取れた」との発言に感銘を受けたと話していた。大臣自身も3年半の浪人生活があればこそ今日があると言うのだ。3年半の浪人生活を支えた人たちが本当の支援者なのだろう。私は何だか恥ずかしくなって、終了後大臣に挨拶もせずそそくさと会場を後にした。

 齋藤大臣は、自民党内で天皇の生前退位に最後までひとり反対し、どんなお咎めがあるかと思っていたら、はからずも農水大臣に抜擢された。理由は分からないと言っていた。私が推察するに、①極めて優秀であり、副大臣としての実績もある、②上記生前退位の件を見ても骨っぽい。従って③敵に回すより、ポスト安倍の石破茂氏をけん制する意味でも石破派に属する齋藤氏を大臣として政権内に取り込んでおく、ということではなかろうか。

参加者が聞きたかったであろう決裁文書の改竄問題には、安倍政権の現職大臣でもあり言葉を濁していたが、元通産官僚の立場から「官僚には官僚道があるハズだ」と述べた。

 

 私は佐川元理財局長が不運で気の毒だと思う。しかし、『葉隠』の山本常朝の「二者択一に際しては、死ぬ確率の高い方を選べ」 (本ブログ201712月臨時号NO.82「ぶし VS ぎし」ご参照) も思い起こす。佐川氏は、官邸の意向に逆らえば、左遷させられたに違いない。だが、今は大阪地検に起訴されようとされまいともっとひどい目に遭っている。

 官僚がヒラメになったのは、内閣人事局が出来たからと言う人がいるが、人事局の存在が悪い訳ではない。大企業に人事部がないところがあるのか。内閣人事局の役割は、例えば、内閣が外交を最優先課題とする場合、ある省がこれまで国内派から事務次官を出していたのを今回国際派から登用すべきと、その調整をする、あるいは、ある省で局長人事がある場合、武士道に似た官僚道を貫き、下からの人望も厚い者がいるのに、大した実績もなく上にこびへつらってきただけの者を傀儡として事務次官が局長に推挙することが仮にあるとしたら、それを正す、など人材の適材適所と人事の公正・公平を図ることにある。

問題は、政治主導の行政運営の実現という本来の目的から逸脱しているのではないか。官邸が、官僚道という踏絵を官僚幹部達に踏ませることを人事局にやらせているように見えることにある。隷従し、国民に知られてはいけないことを指示せずとも忖度して上手くやってくれる官僚だけを重用するためかのごとく。

 トップが官邸にそう指示し、あるいは黙認しているとしたら、官僚や官僚制組織をよく理解していない、甘く見ていた。それで自らの窮地を招いたと言うこともできようか。

TV歴史番組でもお馴染みの東大教授本郷和人氏の新刊『壬申の乱と関ケ原の戦い』(祥伝社新書)の中で、朝廷での出世コースが紹介されている。本筋のコースは、内大臣→右大臣→左大臣→太政大臣とする。現代に置き換えると、幹事長(内大臣)→通産大臣or外務大臣(右大臣) →大蔵大臣(左大臣)→内閣総理大臣(太政大臣)となろうか。武家で初めてこの本筋のコースを駆け上ったのが明の臣下として日本国王を名乗った足利義満。現代では今太閤と呼ばれた田中角栄首相が挙げられる。田中首相はちゃんと段階を踏んで総理に上り詰めた。人心掌握術にたけ、官僚を押さえつけるのではなく、自身になびかせていた。

 内大臣から階段を飛ばし直接太政大臣になった格下のコースを進んだのが、「驕る平家は久しからず」の平清盛。今なら幹事長から主要大臣ポストを経ず総理になった安倍首相だ。

 民主党政権時代も同じことが言えるが、小選挙区制になり政権がオセロゲームのように簡単に与党から野党に変わるようになると、じっくり煮込まれず生煮えの総理が出来上がる。それで素材も悪いとくれば、それをありがたくいただく国民はたまったもんじゃない。

 

 佐川氏の証人喚問直後の週刊文春4/5(3/29発売)を見ると、『安倍政権「暗黒支配」と昭恵夫人の嘘を暴く』と容赦がない。3/30夜首相官邸前での大抗議デモを見て、総理は、5歳の頃岸邸前での祖父に向けられた日米安保改定反対デモの光景を思い出したことだろう。

直接関与の有無はともかく、モリ・カケ問題、裁量労働拡大法案での失態(官僚の忖度か士気低下か面従腹背か)等にて国会が長らく混乱、空転していることに対してトップとして自責の念があり、国民の信がなくなりつつあるのを痛感しているとすれば、安倍総理総裁が「任期満了時に政権を奉還する」といつ宣言してもおかしくはない。

それでも断固総裁3選に立つと言うのであれば、不利だとしても竹下島根藩と石破鳥取藩が合従連衡(薩長連合)して清和会幕府側と9月予定の総裁選決戦で戦うべきだ。象徴天皇は錦の御旗を授けることはできない。小泉進次郎議員がさしずめ竜馬となり国民の声援を背に自民党内で風を吹かせば、勝機は見えてくるのではないだろうか。

私は201951日に、明治維新ほど大きな変革ではないにしろ、“新元号維新”がスタートし、真の意味で、戦後レジームから脱却し、真珠のごとく白く輝く美しい国に向かって進んでいくことを期待して止まない。

 

2018. 4増刊号 NO.91 いざん VS  いざん

 故会田雄次京大教授が書いた『アーロン収容所』(中公新書)を遅まきながら読んだ。教授が学徒出陣し戦後2年間被武装解除軍人としてビルマ(現ミャンマー)の収容所に収監されていたことを初めて知った。1962年に発刊され今まで90回以上も改版されている。戦中派、戦後派等数多くの日本人に読まれたが、どんな感想を持ったのだろう。

 私は次のような感想を抱いた。著名な学者にとって隠してもよい過去をあえてさらけ出しても後世に伝えねばとの著者の強い思いを感じた。年初逝去した野中広務元官房長官が二度と戦争はしてはいけないと言い続けていたが、本を読んでその想いがよく理解できた。

私は、侵略戦争はしてはいけないが、守るべきもののためには戦う時もあるとの立場だが、戦争の生き証人がいなくなって行く今先達の戒めに心しなければと思いを新たにした。

 今年改版された同書のP140に、「戦前も捕虜中も現在(敗戦から17年後)もちょっとも変わりがなさそうだ。私たち日本人は、ただ権力者への迎合と物真似と衆愚的行動と器用さだけで生きてゆく運命を持っているのか。」と会田教授が述べている。それでは現政権に迎合する大衆、忖度する官僚がいても不思議ではない。権力者への迎合が変わらないとするなら、とりわけ日本の権力者自身が賢者でなくてはならない。

 GHQの将校が男女の営みを日本人のメイドに見られても何にも思わなかったという話を聞いたことがあった。同書にも、イギリス女将校が裸に近い状態のときに捕虜の日本兵が掃除で入ってきても驚かない場面が登場する。日本人女性が猫に裸を見られても恥ずかしく思わないと同じ感覚なのだ。ビルマ人にとって、同じ支配者でも、家畜扱いするイギリス兵と横柄でも人間扱いする日本兵に好感を抱くのは、ごく当たり前のことだと思う。

 単純かつ短絡的な私は、読み終わって、日本が米国に従属し、日本人がそれに慣れきってしまったことを思い起こし、本来の日本の、日本人のあるべき姿ではないと思い直した。

 1956度の経済白書に「もはや戦後ではない」と謳われたが、それは経済に限ってのこと。戦後70数年を経ても、まだ戦後は終わっていないと思い至った。

 

 米朝の対立に関し、本ブログの201711NO.78(「しゅうじん VS きゅうじん」)で、鼠(北朝鮮)に翻弄され猫(米国)の髭が切れて威厳を損なって終わるかもと書いた。狡猾な鼠とジャイアン似の猫が対等で核保有国同士のトップ会談をするとなれば、当たらずとも遠からずと言える。もっとも軍産複合体は儲けたと言わないまでも、元は取った。日本に核・ミサイル防衛関連機器を高値で購入させた。

 やはり、米朝対立は茶番だ。シナリオがあろうとなかろうと。戦争の兵力としては前世紀の遺物。環境の時代の21世紀の戦力は、サイバー攻撃、AI軍事技術・兵器、国際条約で禁止の生物・化学兵器となろう。軍産複合体は無用の長物を巨額の既得権ビジネスとして持続させるために、核の脅威を演出する。北朝鮮の非核化と言っても、米国まで届くICBMの開発を中止させるだけで、2060ある北朝鮮の保有核は見て見ぬフリをするのではないか(猫に丸腰にされた鼠は猫が豹に変わった場合もう窮鼠にはなれない。それでは会談は実らない)。核・ミサイルビジネスにとっては核の脅威の火種は残しておかねばならない。

また、平昌五輪の参加を機に北朝鮮が挑発から対話に舵を切り出したと見るや、危機回避ムードに水を差すかのごとく、米国は新型の小型核兵器(戦術的核兵器)等でロシアを挑発し新たな核の脅威を演出しようとした。

核の脅威が演出される度、馬鹿を見るのは今回もそうだった日本だろう。軍産複合体の眼には、トランプ大統領に追従する安倍首相の背中にネギが背負われているのが映っていることだろう。

 日本が北朝鮮に名指しで非難する対象は拉致問題だ。核問題で圧力をかけるべきなのは、北朝鮮だけではなく、米国もロシアも同じだ。

 やはり、核を持つべきではないし、持つこともできない日本が採るべき選択は、核兵器禁止条約に参加し、非核EU諸国たちと一緒になって核廃絶を目指して行くこと。それこそが、唯一の被爆国としての使命と国益に合致するものだと思う。

 本ブログの20162 NO.56(イツ VS イツ」)で、戯言だが“平和大三元論”を述べた。今の白牌(日本)は(米国)の青いタトゥーが刻まれ、美しくない。タトゥーを削り、真珠の輝きをとり戻そう。そして牌と対等になろう。しかし、現世界覇権国(最強軍事力+最上経済力)の發牌と次の世界覇権国を狙う中牌(中国)の狭間にある。NO.1を目指せば、両雄並び立たずの牌と牌が手を組み麻雀ゲームから白牌を追い出すだろう。白牌は美しく輝くOnly Oneになろう。それでも役満・大三元 (世界平和)には發牌と中牌と並んで白牌が不可欠という存在になろうではないか。

 

国内に目を転じれば、大企業トップが保身で不正を深刻化させる。政治家が我が身可愛さで首相にNOが言えない。最後の砦、日本の頭脳・財務官僚が公文書改竄、世も末だ。

今の財務官僚には大蔵時代と違い官庁中の官庁として自分たちが国を動かすという気概が見られない。なぜ賢者ならまだしもそうでないトップに隷従みたいなことをするのか。

朝日新聞に改竄をリークしたのは、大阪地検か財務省内部のどちらかとの憶測が飛び交っている。その中で、疑われている大阪地検が、わざわざ「電子鑑識で改竄後の文書であることは分かっていた」と後出したのは、地検の面子を守ったということだろう。

本省か近畿財務局(以下「近財」)かどちらかが(義憤の)リークをしたと私は見ている。首相夫妻に纏わる特例案件に対し、近財は、面従腹背し、決裁文書に本来残すべきでない特例事柄を書き連ねて近財組織全体で保身を図ったように私にはそう思える(昨年2/17に夫妻が関係していたら首相・議員を辞めると首相が後戻りできない発言をしてしまった後、何も知らない佐川理財局長が同2/24に国会答弁する為に改竄前の決裁文書を見たとしたら、驚愕したに違いない)。国益を損ない、いくらなんでも無理があると思うのであれば、近財は、腹をくくり、メディアに(正義の)リークをして潰してしまう方がよかったのでは。結果として、自分たちも守れず、財務省全体の権威を大きく傷つけてしまったのであれば。

 

詰め腹を切らされた佐川国税庁長官が辞めて、「大山鳴動して鼠一匹」では終わらない。自民党で唯一首相にNO言い続けた村上誠一郎議員は「問題の出発点は安倍首相」と公言したが、今回は世論も同調している感がある。佐川氏の証人喚問がなされても真相解明が進むとは思わないが、加計問題でも今治市文書改竄が取り沙汰されている。首相から人心が離れていくのは避けられない。安倍政権は泥舟になり、鼠が逃げ出していくだろう。

 新しい首相が誕生すれば、ぜひ上記白牌を目指してもらいたいものだ。ただ、現在の日本が米国に従属している状態からすぐさま抜け出せるものではない。

 しかし、我々日本人一人ひとりの心持ちは変えることができるハズだ。敗戦を契機に、過信・盟主意識→自虐・属国意識に180度方向転換してしまった。国や会社の事ではなく、自身の事しか考えない。90度だけ元に戻そうではないか。