2019. 7 臨時号 NO.117  レビ VS  レビ

私はテレビをよく観る。昔からテレビっ子だった。『月光仮面』は家で観ていなかったから、ドラマが終了した昭和347月以降に、当時そう呼んでいた三種の神器(白黒テレビ、洗たく機、電気冷蔵庫)の内先陣を切り、神戸貧乏長屋の我が家にもテレビが鎮座した。

 テレビが私にとっての娯楽で、子供の頃遊びで運動したと言えるのは小学生のときのインサ(神戸の方言。「がんばこ」というドッジボール使った遊び)、草野球、草相撲と中学1年の時の卓球ぐらい。同級生に西浦君という学年でダントツ一番の秀才がいたが、親御さんが神戸駅近くで時計卸の会社を営んでいた。当時その会社ビルの2Fには卓球台が置かれていた。そこで毎日のように数人で学校帰りに立ち寄った。西浦君がいなくとも勝手知ったるなんとかで勝手に卓球をさせてもらっていた。

高校時代は受験勉強に明け暮れテレビもあまり観れなかったが、デビット・ジャンセン主演の『逃亡者』と真空飛び膝蹴りの沢村忠のキックボクシングは毎週欠かさず観ていた。

大学では、勉強、バイト、麻雀、レコード鑑賞、たまに映画で、それ以外は彼女とのデートという浮いた話もなく、テレビを観て過ごしていた。とくにスポーツ番組が好きだった。土日は競馬中継や囲碁番組を毎週観ていた。本を読むのは教財と参考文献中心で、毎日小説を読むような文学青年ではなかった。

 

 卒職した今は、家に居るときは、午前中妻にろくでもないと言われる本ブログの原稿を書き溜める。あるいは、パソコンでニュース記事を読む。最近はとくに、日産会長ゴーン事件で特捜部を批判する郷原信郎弁護士のTwitterを日々確認している。この他、月曜は競馬の種牡馬リーディング、火曜日は内外のプロゴルフファーの賞金・世界ランキング、たまにテニス世界ランキング、将棋の順位戦の勝敗表などをチェックする。台湾に親戚ができ中国語の勉強も日課とするが、英語も不得意な語学の才能のない私はさぼってばっかり。

 昼食を自分で摂った後自室のベッドに横たわり飽きない様2(新書中心)を交互に読む。いつの間にか寝ていることもしばしば。時には近所の喫茶店にて読書することもある。

夕食も、妻の分も一緒に私が作る(女房族は稼がなくなった亭主に食事を作るのが一番のストレスらしい。この一点をもって、ポチ犬であれナメクジであれ生き物扱いで粗大ごみにならずに私は済んでいる)。食事を済ませた後は、自室でYou Tubeで音楽を視聴した後眠るまでテレビを観ていることが多い。

 

TVが好きだと言っても、選り好みはある。喰わず嫌いの辛坊治郎氏、老いらくの北野武氏の番組は観ない。NHKもほとんど観ない。大相撲もたまにしか。朝ドラも中学生の時の『たまゆら』で終わった。自慢じゃないが、ゲゲゲもじぇ!じぇ!じぇ!も観ていない。ニュースも民放で事足りる。観るのはNHKスペシャルか日本オープンとかNHKでしか観ることができないスポーツ番組ぐらい。受信料は払っている。反NHKではなく、観ないでも困らないだけ(NHKしか観ないインテリの方は業況が反映する民放のCMは観た方がよい)

 夜はテレビを観ながら毎夜目を腫らしている。人前では母が亡くなったときも、娘が結婚したときも涙を見せなかったが、自室では涙腺が緩んでいる。ちょっとしたことで涙ぐんでしまう。68歳にもなると、自身が悲しいとか悔しいとかで泣くことはない。ボランティア達人尾畠春夫氏に助け出される前、行方不明の二歳児の我が子に向かって自治体のスピーカーを通して必死に呼びかけていたお母さんの姿をニュースで見る度、涙が溢れた。

盲導犬が役目を終え里親の所に戻る場面も絶対ダメ。我儘で我慢のできない私は、思い出しただけでも涙する。一部の動物愛護家が虐待だと批判するが、どういう方法にしろ、その存在を否定することを虐待と言うのだと思う(批判は筋違い)。犬が好きな訳ではない。猫にしろ触れない。私は盲導犬を擬人化してリスペクトしているのかもしれない。

 今お気に入りの番組は、日本贔屓の外国人が日本を訪れる番組。月曜の『YOUは何しに日本へ?』とその後の『世界!ニッポン行きたい人応援団』。外国人にとって日本は天国だ。日本にも人種差別はないとは言えないが、外国はもっと難儀。黒人に対してだけではなく、白人の間でも、差別と言うほどでなくてもアメリカ人VSカナダ人、フランス人VSベルギー人など関係が微妙だ。日本人はそんなの関係ない。ユダヤ人もクリスチャンもムスリムも知ったことではない。分け隔てなくおもてなしする。そんなところが気に入られ、ペルシャ系インド人を両親に持つフレディ・マーキュリーを初めQueenのメンバーも大の親日家になったのだろう。とくに、まれびと信仰のなごりなのか、地方の心の温かさともてなしは格別で、それに触れた外国人だけではなく、観ているこちらも涙が滲んでしまう。

 日本行きを切望し番組により夢が叶った外国人は、日本人にとってもはや関心が薄い日本の伝統工芸・技術に対して光を与え我々に素晴らしさを再認識させてくれる。紙漉き、カラクリ人形、寄木細工、手延べそうめん等に対する愛執の強さ、半端ない知識、教えを乞う真摯な態度を見て、心打たれた日本の職人たちは惜しみなく秘技を伝授する。互いに心通わせハグする姿を観て、いつも感涙にむせぶことになる。

 この他、土曜の『出没! アド街ック天国』『美の巨人たち』や水曜特番のカラオケ採点番組等(視聴率で苦戦していると言われる)テレビ東京の番組を私は観ることが多い。

 他局では、テレビ朝日の『あいつ今何してる?』を欠かさず観ている。芸能人等の学生時代の親しい同級生の今を調査する番組。同級生の波乱万丈の半生や芸能人となった同級生を陰ながら応援している様子を見ていると涙目になってくる。

故有賀さつきが昨秋登場した時、病気だとは全く想像もしなかったが、「ぜひみんなに会いたい」と言わなかったことに少し?の印象を持ったのを記憶に留めている。

 

最近健康番組と並んでクイズ番組が多いように思うが、スポンサー収入の減少の中お手軽なのか。素人の真剣勝負は観ることがあるが、芸能人によるクイズ・バラエティーは観ない。ギャラを貰った高学歴な俳優・芸人に「どうだ、賢いだろう」とのドヤ顔を見せられて、そんなの面白いものか。ノーギャラで賞金を懸けて真剣勝負するなら観る気が起きるのかもしれないが。

 『パックンマックン』という米国人と日本人との異色漫才コンピがいるが、そのコンピが漫才をしているのを観たことがない。漫才も頭が必要だが、学才とは別物らしい。

パックンこと米国人パトリック・ハーラン氏はハーバード大卒(何でコメディアンにと思ったが、離婚して極貧に辛い思いをしていた母を笑わすことが子供の頃の務めだったことに起因するとか)。高学歴(学力、知識、ブランド)を活かして、クイズ番組よりも、大学講師、講演活動、報道番組のMCなど、日本社会に順応しかつ貢献しようとしている。その姿勢は、高学歴エリートとしての使命感みたいなものが感じとれ、私は好感を覚える。

地上波は見るべきものが少なくなり、勢いBSの情報番組、歴史番組を観ることが多くなった。WOWOW等で映画も見る。卒職して鈍さが増した頭を刺激してくれる。『ローマの休日』を観ると、イタリアに行きたいとの気持ちが蘇ってきた。以前高校の同級生夫妻とイタリア旅行の話もあったのだが、ISのフランステロもあり立ち消えてしまった。トレビの泉や真実の口のようなべタな所に一度は訪問したいと思い直した(会社員ながら大学に短期留学中の長男ファミリーに会いに今月訪仏するが、残念ながら伊まで足を延ばせない)

また、アン王女に扮した故オードリー・ヘップバーンを見て、美人の定義とは? との疑問が浮かぶ人はまずいないだろうと思った。浮かぶ、そのことだけでもう美人とは言えない。大相撲の横綱の品格も同じことだと理解した。

 このままでは「地上波」は「痴情派」しか観なくなると本文を結ぶつもりで、ネットで確認すると、既に書き込みが多数見られた。このダジャレはもはや陳腐なんだと苦笑いした。だが、テレビマンは笑っている場合ではないぞ!