2020.11臨時号 NO.142 い VS まい(2)  
 平成4年秋に副鼻腔の手術をしてから10年後平成14年(2002年)の年末に今度は胆のう摘出手術を受けた。胆のう内の胆石が胆管に蓋をしかけており黄疸になり命の危険があった。
 たまたまランチに牡蠣フライを食べた夜に発熱し翌日血尿(原因は不明)が出た。街の内科でエコーで診てもらったところ直に紹介先の病院に行けと言われた。ノロウイルスによる食中毒と同じで牡蠣に罪はないが、それ以来好物だった牡蠣フライを余り食べなくなった。
  緊急入院して、6人部屋の患者に挨拶したら、何の癌かと聞かれた。私以外皆癌患者だった。ある人は再手術を希望していたが、医師が反対していた。癌が全身に回っておれば、手術しても免疫力が下がり土竜叩きゲームのようになるだけらしい。部屋は沈鬱だった。
  3週間?か絶食し点滴で栄養補給した。脂質が食道を通れば胆のうが収縮して胆汁を出そうとする。胆のう炎がより悪化する。胆のうの炎症を抑えて肝臓との癒着を改善させてからでないと手術ができなかった。一旦退院した後、再入院し、ようやく手術となる。
  手術前日に担当医から唐突に「医師と看護師の安全確保の為エイズ検査をさせて」と言われた。その頃数年に亘る体の不調が何故かと訝しく思っていたので、一瞬ぎくりとなった。
  といっても、拒否もし辛く同意した。それにより図らずもエイズでないことが立証されることになった。胆のうを摘出したら頗る元気になる。胆のうが体不調の犯人であった。
 全身麻酔での腹腔鏡下胆嚢手術による胆のうの摘出は、皮下脂肪が予想外に多く時間がかかった。手術を終え集中治療室に運ばれる際、麻酔が切れかっており、「お父さん!? お父さん!?」と何とも愛し気な妻の声が聞こえてきた。後日妻にそれを言うと、妻は医師から呼びかけてと指図されただけとつれない返事。妻は「エ~ッ!?と思ったが、仕方がないので」と情愛溢れた呼びかけではないと断固否定し続けている。
 開腹手術より回復が早い。翌日(だったと思うが)には食事もできた。ただ、注意を受けていたのだが、まだ腸が、麻酔が完全に抜け切れず、動いていない。それでは胃の幽門が開かないので、胃が張ってしまい悶絶した。病院の廊下をそこら中歩き回り腸の回復を促したのを覚えている。
 胆のうは、肝臓からの胆汁を一旦貯蔵して濃縮する。貯蔵庫がなければ胆管を通して濃縮されていない胆汁が十二指腸に垂れ流しになる。脂質の多い食べ物の消化力が弱くなる。退院して10日後に天ぷらを食べたら一ぺんにお腹がピーピーになってしまった。18年経った今は、お腹も壊さないし、3箇所に穴あけた傷もどこにあったかまったく分からない。

  平成4年、平成14年と全身麻酔による手術を受けた。次の10年後平成24年(2012年)はまた手術することにならなければよいがと思っていたら、前立腺がんの疑いが判明した。

 そのあたりの経緯は2019年7月 臨時号NO.117(「 TOHO VS TOMO (1)(2)」)に書いたが、生検で癌が見つかった時は、もう手術はこりごり(幾度もの全身麻酔及び手術は体によいハズもない)で前立腺がん治療に適する放射線治療を選択することを心に決めていた。
  その生検自体は脊椎麻酔(下半身麻酔)で行われる。ネット上では脊椎麻酔は凄く痛いとの書き込みが多数載っていた。覚悟して臨んだが、腰を丸めてと言われた後少しチクりとするだけなので、看護婦さんに「麻酔はこれからですか?」と聞いた。すると、もう終わったと言う。昔と違って針が細く大きく改善されているとのことだった。
 そして、2012年2月の長男の結婚式の翌日から前立腺がんとの闘いを開始し、同9月から38回の放射線治療に入った。それから8年経ち、次の10年(2022年)にあと2年と迫ってきた。またぞろ全身麻酔のお世話になるような大病が判明しないことを祈るばかりだ。
 2020年の今年は、まだ麻酔のお世話になっていないが、来月点眼麻酔で白内障の手術を受ける。目はもともとよかったのだが、頭の悪い私は他人より勉強時間が長くド近眼になった。それもあり緑内障の目薬を毎日朝夕(面倒だが)点眼している。加齢による白内障の手術は簡単な手術とはいえ、麻酔なしでは目の手術などできたものではない。
 
  織田信長は「人間五十年下天のうちをくらべば・・・」と詠んだが、私は麻酔(及び手術)がなければ、50年も生きられなかったと思う。まさに麻酔様様だ。
 今のように麻酔が確立されていない18世紀末頃は、外科手術は最後の手段だった。手術を受けるぐらいなら死んだ方がましと思った人もいたのでは。
『世にも奇妙な人体実験の歴史』(文春文庫)によれば、その当時、外科手術医には次のルールがあったとする。
(1)悲鳴が他の患者の耳まで届かないような場所に手術室を設ける。
(2)外科医の疲労に最大限の配慮を払う。
(3)患者をしっかり縛りつける。
(4)患者に外科医のステッキを噛ませる。
(5)急いで仕事を済ませる。
 我々は麻酔の恩恵に浴している蔭には、危険を顧みず使命感に燃えた医師・科学者、華岡青洲の妻のような協力者、エーテル、クロロホルム等の実験で亡くなった患者たち、その者達の貴い犠牲があることに想いを馳せる必要がある。

 ただ、前述のように、麻酔はまだよく分かっておらず、上記の書によると、米国では、手術中に意識が戻ってしまう例が一日に少なくとも100例あると言われているらしい。
 私の体験でも全身麻酔は体に良いとは思わない。放射線治療等医療技術が発達した現在ではひと昔のように(全身麻酔の)外科手術は最後の手段とすべきではないかと思っている(比較的手術が簡単で、臓器が動く胃がんなどは今のまま外科手術でよいと思うが)。
  その流れを作るのは、日本の最高権威である東大医学部だと思うのだが、上皇(天皇時の前立腺がん)、上皇后(乳がん)両陛下に全身麻酔による外科手術を施している。
  東大医学部の外科が最大の抵抗勢力と見えるのは、私の頭が悪いだけなのであろうか。