2012.8 NO.14 けいさつ と けんさつ
警察は被疑者を逮捕する仕事。検察は警察が逮捕した者を起訴するかを吟味・判断する仕事。建前は対等なのだが、検察に起訴してもらうのだから警察に分が悪いらしい。
警察のキャリアとノンキャリの対立を風刺したのが、織田裕ニさん主演のドラマ映画『踊る大捜査線』。木村拓哉さん主演のTVドラマ『ヒーロー』はキャリアの検察官とノンキャリの検察事務官の掛け合いを描いた。
かつて北海道県警の本部長を経験した原田宏二氏が裏金問題で告発した。ノンキャリであったがキャリア扱いで警視長までに処遇されていたのだから反旗を翻すのはよほどのこと。公憤からで裏切り者呼ばわりは覚悟の上だ。その経緯については原田氏自著『警察内部告発者』(2005年)に詳しく書かれている。この筋の話は風化せず、当時道警の裏金問題を追及していた元北海道新聞担当デスク高田昌幸氏が7年の月日を経て今般『真実~新聞が警察に跪いた日』を上梓し、私憤を晴らすというより記者としての意地と矜持を見せている。
検察の裏金を告発した暴露本もある。『検察の大罪』の著者とは一期一会の縁があったが、上役との諍いで出世が閉ざされた腹いせのような裏金告発には、共感を覚えない。
裏金問題は想像するより根が深そうだが、当初は組織上の必要悪として生まれたものが一部の不届きなキャリアに乱用され、それが常態化したのか?
「こんなことをするために・・・」と忸怩たる思いのノンキャリと既得権益として当然のごとく自分達で使いまわすキャリアとの構図では、真の信頼関係は生まれない。ただ、これに限らず、そういう気持を捨てなければノンキャリとして生きてはいけないと元外交官で作家の春江一也氏は書いている。3部作の小説「プラハ春」、「ベルリンの秋」、「ウイーンの冬」のストーリーの中で外務省におけるキャリアとノンキャリの対比を垣間見せている。
検察トップ人事では、東大を中心とする法務官僚歴任の赤レンガ派と捜査現場派との対立という側面もある。検事総長の椅子をめぐっては捜査現場派はノンキャリ扱いと言っても過言ではない。捜査現場派で検事総長となった吉永祐介氏がトップであればこの前の大阪郵便不正事件は起こらなかったという見方がある。その吉永氏が後任の検事総長として捜査現場派にこだわったためかえって巻き返しに遭い赤レンガ派の総長が何代も続いたとも言われる(この事件を機に9年ぶりに2010年捜査現場派が就任したが、先月赤レンガ派に交代した)。このため捜査現場派の劣化が進んだという。一部には特捜部に入り、実績を挙げヤメ検になって金儲けしたいという人もいるとかいないとか。それが目的なら真実を曲げてでもひと花咲かせたいということも起こりうるのかもしれない。
私は今塀の中にいるヤメ検として名を馳せたT弁護士にかつて挨拶したことがある。正立方体とも言うべきがっちりした体格で強面と相まって検事時代はさぞかし怖かっただろうと思った。厚い赤レンガに阻まれ巨悪を追求できず挫折感を味わったのかもしれないが、環境を変えても正義に仕えるという志は忘れてほしくはなかった。
今特捜部の存否が問われている。組織防衛からか、あるいは既存エスタブリッシュメントの意を酌んだものなのか、小沢一郎代議士関連の強引かつ無理筋の捜査・裁判が非難の的となっているが、それでも名前を変えるかは別にして私は特捜部を必要だと考える。
これも挫折のエリートがお金に走ったケース。灘中、灘高、東大を経てキャリア官僚と絵に描いた超エリートコースを歩んだM氏(高杉良氏著『虚像』には森川氏として登場)だ。スーパーエリートのM氏が国費でアメリカに留学した後一転ファンド業に転身し、ファンド事件の折りに吼えた。「儲けて何が悪い!?」と。総会屋まがいに老舗企業の社長をバカ呼ばわりし、含み益を吐き出させて市場原理に反するローリスク・ハイリターンを実現させ、それにエンジェルの名に恥じるハイエナのような金持ちどもが群がった。
“青豆”に頼んで闇に葬っても第2、第3の同じ者が現れる。影響力のあるスーパーエリートが扇動する、日本人の美徳・美学に反する拝金主義的な風潮、価値観を払拭するためには、公開処刑ならぬ公開処罰が必要なのだ。超法規的とも言えることが出来るのは地検特捜部だけしかない。
世直しは、外務省の佐藤優氏は自著の『国家の罪と罰』で検察ではなく国民の手でと言っておられるが、過去歴史の節目に世論がミスリードしてきたことをみても国民は担えない。
医師はキャリア、看護師は待遇面からすればノンキャリと言えるかもしれない。看護師、介護士等志がないと続けられない職業は金銭面等労働環境が恵まれているとは言い難いが、皆生き甲斐を感じ頑張っている。ましてや崇高な使命やファッショにもなりうる強権を持つ検察官なら、地位や金に惑わされず生涯志に生きて欲しいと思う(私ごときに言われたくないだろうが)。