2013.2 NO.20 カンオケ と カラオケ
カンオケは狭くて暗い箱に一人で入る。カラオケは、普通数人で入り、歌や踊りで騒がしい。もっとも最近一人カラオケも流行っているが、電飾が点滅してカンオケのように真っ暗ではない。
銀行の組合の専従時代に組合員関係者の葬式によく参列した。20年以上前であったが、兵庫県の加古川あたりでは文字通り桶に亡骸を入れて運んでいた。土葬だったと思う。
組合員の家族で天寿を全うし大往生した場合など行かないことが多い。娘が不良に走りそれを苦にしたお母さんの葬式は参列して痛ましかった。若くして父親が亡くなった葬儀では残された母娘を切なくて見られない。普段付き合いがない人がほとんどで「最後のお別れに顔を・・・」と言われると正直つらかった。葬式は何度行っても慣れなかった。
30年以上の昔、新婚旅行中の沖縄観光タクシーの中で、妻は運転手さんの勧めで歌ったが、私は歌わずそれから20年以上妻の前で歌うことはなかった。
50歳を過ぎたあたりから、ツッパリが消えたのか、あるいは妻との壁がなくなったのか、妻の前で歌いもし、また涙も見せるようになった。
55歳以降は夫婦割引になるので映画も一緒に行くようになった。カラオケも夫婦で行っていたが、妻が付き合ってあげたと恩着せがましいので、最近は一人カラオケにも行く。
家の近くのカラオケボックスに一人で最初に行ったときは勇気が要った。帰るとき1時間半で300円と聞き900円を出そうとすると、300円(30分100円)だと念押しされた。あまりの安さにびっくりするやら、悪いやら。それからは焼酎とか日本酒とかを頼むことにしている。それでも野口英世先生1枚でお釣りが来る。
歌は世につれ、世は歌につれというが、昭和49年前後に流行った歌を聴くと初めて親元を離れ東京の独身寮でさびしい思いしていた当時を思い出す。井上陽水さんの『心もよう』、ばんばひろふみさん(当時はバンバン)の『「いちご白書」をもう一度』を聞いたり、自分で歌ったりするとあの頃の切ない気持ちが蘇ってくる。
伊勢正三さんやイルカさんが歌う『なごり雪』を聞くと、当時好きだった人を思い出す。お父さんが迎えに来て彼女が関西の故郷へ帰るのを東京駅新幹線ホームで同僚達と見送るとき、「汽車を待つ君の横で・・・東京で見る雪はこれが最後ねと」という歌詞を噛みしめていた。その人に「自分の気持ちは言わないで、相手の気持ちばかり聞こうとする」と言われた。ゴールデンボンバーの歌じゃないけれど、自分は女々しい人間だということを初めて悟って、辛かった。それから男らしくを意識してきた。妻と結婚できたのもこの反省が活きているのではと思う。
今若い人たちとのカラオケ会では、演歌唄ってエ~ンカと吉幾三さんの『酒よ』や金田たつえさんのド演歌『花街の母』などを唄うと若い人が引いてしまう。今どきの歌は歌えないので、チェッカーズの『ジュリアに傷心』を歌うが、妻は藤井フミヤさんのイメージ壊れると揶揄する。他にシャ乱Qの『いいわけ』やサザンの『HOTEL PACIFIC』などノリのいい歌を歌うようにしている。
一人カラオケでは気兼ねなく練習できるので、英語の歌もレパートリーに入れることが出来てきた。ビートルズの歌は英語がやさしいので、歌い易い。フランク・シナトラさんの『My Way』も十八番とは言えないまでも歌えるようになったが、高校時代にオペラに進んだ方がよいと煽てられた妻が、この歌はアンタごときが歌える歌ではないと上から目線で水を差す。前に不用意に「歌声はたしかにきれいだが、歌心がない」と言ってしまったのを妻はいまだに根に持っている。
歌うことも好きだが、聴くことも好きだ。プロで上手いとなると、女性歌手では、美空ひはりさん→八代亜紀さん→桂銀淑さん→坂本冬美さんが歴代の演歌の女王と思っている。動静が心配された桂銀淑さんも、高校の同級生の弁護士によると、ゴルフ旅行先の済洲島で歌っていたということで安心した。
男性歌手となると、松山千春さんある番組で森進一さんを挙げ、郷ひろみさんもだれも真似できないだろうと言っていたが、私も同感だ。
日々妻に言わんでよい事をわざと言い、日に1度は死ぬ? 死んで! 死ね!!と言われる。『死ねっと言われってぇ~、その気にぃ~』ならずとも、遅かれ早かれカンオケに入ると思うが、白州次郎先輩に肖り、葬式無用、戒名不要と遺言している。命日には家族でカラオケに行ってダメ親父を思い出してもらえればそれで十分だ。