2012.6 NO.12 Pen is  と Penis

 

一字違いと言えるか分からないが、今回は英語を取り上げた。しかも下ネタだ。

  The pen is mightier than the sword(ペンは剣よりも強し)

  The penis mightier than the sword  (剣より強いペニス)

 上記は神戸高校の国語授業中先生から教わった。駄洒落が好きな先生で、次のフレーズも忘れられない。

 「(句点)でダメならまるでダメ。 (読点)でダメならてんでダメ。」

 40年以上の前のこと。こんなくだらないことしか覚えていない。国語以外の時間も同じで、ほとんど授業内容は記憶にない。とにかく授業中先生の話を聞いていない。眼を盗んで弁当を食べているか、半分寝ているか、ぼ~っと好きな女の子のことを考えているか。とにかくうわの空で、一度数学の授業で先生に私のカバンで思い切り頭をなぐられたこともあった。

 中高一貫教育の灘高等私学と違って授業の進み具合が遅く、大学受験に間に合わない。自分で先に先にと家で勉強していた。参考書には答えが載っている。大学入試テストの過去問も後に答えが掲載されている。大した大学も出ておらず偉そうなことは言えないが、塾も家庭教師も不要だった。



 こういう答えのある世界でのチャンピオンが東大生だ。とりわけ東大法学部(理系なら医学部)。聞けば、法学部の中でも「公法」と「私法」とのランク付けがあるらしい。

『官愚の国』の著者は、同じ東大卒の大蔵キャリアでありながら理系出身のため本流の法学部卒に長年に亘って相手にされなかった積年の恨みを同著で晴らしている。実社会には答えがない。正解がない。だから、答えのある学業の世界でのチャンピオンが必ずしも実社会のチャンピオンであるとは限らないと著者は力説する。

 現行キャリア制度は、譬えて言えば、国語、英語、数学3科目とも90点計270点のバランスのとれた東大秀才タイプを欲する。国語100点、英語100点、数学50点の天才肌は総点数で負けるが、実社会では勝るとも劣らない能力を発揮できるのだが。

 元々明治維新以降の「薩長に非ずんば人にあらず」という風潮に対抗するために出身地と関係のない学閥が登場したとされる。それが嵩じて東大法学部出身者を中心とする日本のエスタブリッシュメントが形成された。その中核が国の官僚組織であり、キャリア官僚という特権階級であるのだが、元外交官春江一也氏は小説『プラハの春』の中で権力というものは腐敗すると書く。

既得権益・既存秩序を守りたいエスタブリッシュメントとしては、東大出であれば逮捕されなかったものをと言う田中角栄元首相の怨念を受け継ぎ、ドラスティックに変革させるかもしれない小沢一郎代議士の総理大臣就任の芽を未然につぶし事なきを得た(無罪判決でも元には戻れない)と見えた。が、しかし、あろうことか東大法学部卒の現役キャリア官僚から内部批判が出てきた。経産省の古賀茂明氏(昨年9月末に退職)だ。古賀氏の著書『日本中枢の崩壊』、『官僚の責任』の中で、公務員制度改革(キャリア制度の廃止、人事評価・実力主義への移行)等を訴えている。

 

私は、すべてのキャリア官僚が腐っているとは思わない。東大法学部卒の、答えのない世界でも力を発揮する優秀な方がいるハズだ。その者が民間大企業の社長でなく、天下国家のために大所高所に立ってリードするのは結構なことだと思う。

 天下りの問題にしても、一面だけを取り上げて大衆の嫉妬心を煽るTV番組の司会者などマスコミに組するつもりはない。

 同じ年に生まれた中で一番賢い人が公僕となり日本のために力を発揮し、成果をあげた(判断は難しいが)とするならば、大企業のトップの報酬と生涯報酬で追いつき肩を並べるのはある意味当然だと思う。今どき立派な勲章だけでは喜ばない。そうでなければ国家公務員を志望する学生が減っていくかもしれない。

 キャリアとノンキャア(俗称ノンキャリ)の給与体系が同じで区別がなく、特定の者を大幅にあげると下も上げないと給与体系がいびつになってしまうので、関係団体等に天下りすることで調整してきたのであろう。

 急に天下りはダメといわれると生涯報酬を見込んでいたキャリア官僚はそれはないよと憤慨もするだろう。現行の給与体系の中で解決しようとすると人件費が膨らみ、それこそ人員削減が必要になるだろう。それを含めて天下り問題を論議すべきだろう(来年度国家公務員新規採用2009年比56%削減は筋違い)

 国家資格もなくノンキャリ未満の私が言うのもなんだが、そもそも公務員は公僕であって下僕ではない。行き過ぎや不正は当然糺すべきだ。が、民間が高度成長期を謳歌しているとき官のことは歯牙にもかけなかったのに、官の給料が民間より上回るのはけしからんという今の論調には違和感を覚える。

マスコミも、時代にあわない既得権を剥ぐのもいいが、高い志を持って入省した優秀な頭脳集団がなぜそれに見合う国益に沿った大きな働きが出来ないのかそれにもっと焦点を当てるべきではないか。



問題の核心は、別々のところで二度とても優秀とは言えないキャリアOBと関わった経験(私憤を晴らすつもりはないので仔細は記載しない)からすれば、①できの悪いキャリアまで終身処遇する慣習(結束を固め省益に寄与するが、国益には資さない)と、②外務省の佐藤優さんのような異能な人がノンキャリの枠に押し込められ、キャリアが夜郎自大に陥りやすい現代の身分制度(キャリア、ノンキャリの慣習的区分)だ。その意味でなら、総理候補として賛否両論ながら人気沸騰の橋下大阪市長を後ろ盾として古賀氏がこれから何を変革できるのかを僭越ながら見届けたいと思う。