2012.5 NO.11  てんちょう と  てんちょう

 

 店長は“しがない”と揶揄しているのではない。店長と支店長と求められている役割が違うのだ。

 ファーストフードなどの店長は20歳そこそこの若い人が多い。アルバイトの模範になり率先垂範するプレイングマネージャーだ。顧客に待たせないスピード感が要求される。片や銀行の支店長は、不惑の40歳代が多い。

 

 証券マンが株屋と呼ばれることがあるのに対して、銀行マンが銀行家とかすこし敬意を払われるのは、株価の変動リスクは顧客が負う(顧客が得しても損しても手数料が証券会社に入る)のに対して、銀行は貸し倒れリスクを自ら負うことに起因している。

 貸付担当になった若い頃よく上司から手形を割引(割引料を差し引いて手形を買い取る)するときは自分のお金を貸すというつもりで手形を見ろ、信用照会をしっかりしろとよく教えられた。商取引の裏づけのない手形を割引すると期日に不渡りになって戻ってくることになり、銀行の損失となる。

 警察官は人を見たら泥棒と思え。銀行員は決算書を見たら粉飾と思えと教えられた。

 支店長は融資できるか否かの決裁者で審査力が必要。分析力と長年に培われた勘が必要だが、ある意味それ以上に必要なのが、揺さぶりをかけられても動じない胆力。

 大手銀行はともかく中小企業や庶民との取引を中心とする銀行では、いろんな人がやってくる。一般市民からやくざ、総会屋、エセ同和、詐欺師まで。

 私が平成2年新宿支店長をしているとき、名をかたり差別意識を逆手にとるエセ同和に遭遇した。素性がよく分からない、返済が滞っている取引先から守秘義務違反だとして呼び出された。その頃私は40歳になったばっかりで突っ張っていたのか、あるいはポストがそうさせたのか(日頃女々しいとののしる妻は信じまいが)単身敵陣に乗り込んだ。外で待機した支店の運転手さんには1時間後に戻ってこなければ警察にと言い残して。筋の悪そうな取引先の連れが同席していて、こちらを非難する。あわよくば返済の免除とか目論んでいる。私は政治家や官僚のように遺憾と言うが非を認めない(仔細は記さないが、実際に悪くない)。業を煮やして、連れの男が、支店長は謝らないから同和の先生に来てもらおうと当時トランシーバーのような大きな携帯で呼び出した。こちらはすぐにエセだと分かったが、向こうも関西人相手では勝手が違ったのか、こちらがタンカを切って折衝を打ち切り帰った。その後もなにもなかった。

 やくざ稼業の方には誠実さをもってしかもしっかりとお断りした。慇懃無礼はもってのほか。プライドを傷つけ損得勘定抜きにやられたらひどい目に遭う。向こうも商売だから時間をかけても取れそうもない所より早そうなところに注力する。逆に、蛇の道はへびで、一旦あそこの支店長はいい鴨だと広まるとろくなことにならない。


なお、私が心配しても仕方がないが、この度の暴力団排除条例を盾に預金まで断るとなるとそのお金は一体どこに行くのだろう。まさにアングラマネーだ。

 総会屋とか新聞屋とか呼ばれる人は支店よりも本店に来る。20年も前の話。本店に来て、たとえば「株主総会で△△するぞ!」と言えば、応対した警察OBの総務担当者は、株主総会で△△するぞ!と復唱しながらノートに書き留める。それを見て、相手はあわてて「一般論でんがな。そういう話もあると言っているだけやがな」と言って冷や汗をぬぐう。

その警察OBはいつもにこやかだが、ひと度事が起きると鬼の形相に変わった。さすがその道のプロは違うと感心したものだ。

 

銀行には店の格に応じて貸出権限が支店長に与えられている。新米の支店長は私が居た銀行では正式には支店長心得と言い、心得違いだと支店長から降格させられる。支店長心得は店格の一番低い住宅地店舗に赴任することが多いが、支店長の一存で無担保で貸せる金額は1百万円でしかない。それは、うろたえて脅し取られる金額は1百万円が限度ということも意味する。

 支店長には、世間を知り、胆力を養う時間が必要なのだ。