2011.10  おこ と おこ



 夏のフグと称せられるおこぜは、見た目は良くないが、美味しい高級魚である。一見ユーモラスだか針に刺されると大変だ。人間に譬えるなら、失礼ながら御茶ノ水女子大名誉教授の藤原正彦先生を思い浮かべる。

 数学者かつベストセラー『国家の品格』などの作家でもある藤原先生は日本がちがう方向に流されそうになると鋭い視点から警鐘を鳴らす。今や日本のご意見番。欧米に留学し世界を知る中で日本のあり方を論じておられるので信服できる。

 ユーモアがあり、奥様のことも面白く紹介しているが、美子夫人が書かれた『夫の悪夢』を読むと、夫人は女優高畑淳子さん似の才色兼備(我妻は菜食便秘)で、美女と野獣ならぬ「変な男」(出会った頃の夫人評)。もっとも3人の男児との家族写真をパスポートに貼付したりしておられるので、夫人のユニークさは先生に負けていない。

 私の妻と娘によると私の顔は世の中で一番ブサイクらしい。日頃から「他人様の顔をとやかく言うのは止めなさい。絶対に顰蹙(繁にしいことをして親が遠のく)を買うから」と口を揃えるが、このブログを見たら何というか?

先生の週刊新潮連載の『管見妄語』を愛読している。毎週書かれるのは大変と思うが、周知のとおり、藤原先生はお父様が大作家新田次郎氏でお母様が同じく作家で『流れる星は生きている』で知られる藤原てい女史。ご両親から才能をよく受け継いでおられるのだろう。

 

昭和484月に神戸にある銀行に入行した私は、翌年に新宿支店に転勤しそこで貸付係等4年勤務した後旧三長銀の一行の本店に調査トレーニーとして出向した。

出向先の調査部は本もよく読み文章力があるのが前提で企画力と調査力が勝負。文章が苦手で悩む人には向かない。私は融資の可否を審査する審査部とか銀行の本業の方が向いていると言われたが、銀行に戻ってしばらくすると経済月報の巻頭文を担当することになった。経済月報は銀行の一つの顔なのでそれなりの問題提起や提言を書かなければならない。1ヶ月あるといってもあっという間に過ぎる。220字詰4枚を書くのに、1枚分程度の情報や材料しかないときは窮した。ぎゅっと凝縮した中身の濃い4枚に膨らますのは文章力も想像力もない私にとっては至難の業。締切前夜は徹夜になるが、明け方涙とともにぽろっと駄文が出る。それでも出ないときは朝食の折砂を咬むとはこういうことかと思い知らされた。

斉藤由香(北杜夫氏の令嬢)さんや劇団ひとりさんも週刊誌に連載しておられるが、毎週書き続けることはともかく凄いことだ。


偉い藤原先生に譬えてもらった当のおこぜは、ず~っと焼きを入れられるとおこげになる。一昔巷ではおこげは胃の薬と言われていた。それがある日コペルニクス的180度転換し、大手新聞の一面に魚の焦げは癌になると。

 とかく学者・研究者というものは花火を打ち上げたがるものだが、焼き魚を食べ過ぎて癌になったという話は聞いたことがない。一体どんな癌になるというのか?

餅などの炭水化物のこげは炭素だから無害。魚の皮はたんぱく質で少し違うが癌になるほどには目の前が真っ暗になるほどの量を毎日のように食べることが必要だという。そんなに食べるなら何でも体に悪い。

 おこげよりも煙の方がよほど悪いというのが室内空気質を研究する学者の間では常識だ。レンジフード(天蓋)が少なかった時代の台湾では主婦の肺がんが多く、その原因が究明され、煙を吸い込むレンジフードの普及により減少したとのことである。


相当教養のある人でも見ていると、いまだにおこげを忌み嫌うかのように除けている。

 おこぜもおこぜ!である。











20119 NO.3    NOO と NO


NOMOといえば、ノーヒットノーランを両リーグで達成したメジャーリーガー(歴史あるメジャーリーグでも4投手しかいない)野茂英雄投手である。

 私は日本のパリーグの試合をあまり見なかったので、日本ではよく知らなかった。平成7年に野茂投手が天下のフォークボールでバッタ、バッタとバッターを三振に切ってとるニュースを見て再認識した。彼は当時1億円の年俸を捨てメジャーリーグに挑戦した。私は前年の平成6年に銀行を辞め、できるかどうか分からない非営利法人の設立に参画すべく神戸から上京していた。

彼と自分をだふらせ彼の熱烈なファンとなった。日頃サッカーのサポーターをよくもあんなに他人事で熱くなれるものだと冷ややかに見ていた私だが、他人のことは言えない。平成7年7月テキサス州アーリントンで行なわれたオールスターでは自分の息子が投げているかのように緊張しテレビにかじりついていた。先頭打者のホームラン性のあたりがライトスタンドに飛び込んだときは肝をつぶした。結局2回を被安打1本、三振3個、無失点とし、大投手ランディジョンソンと互角にわたりあった。すべての野球人とファンにその実力を認識させ、文字通り英雄となった。

当時ストライキで人気が落ちていており、野茂投手のトルネード投法によるストライクで人気が回復しメジャーリーグの救世主と称えられた。10年間の成績以上に貢献したと評価されており、イチロー選手は間違いないが、野茂投手も野球殿堂入りできるのではとひそかに期待している。

筋肉増強剤でパワーアップした怪力達にひとり立ち向かった侍の姿はもう見られない。メジャー=NOMOで、引退してからはメジャーリーグベースボールをあまり見ていない。

NOROはNOMOと違って人から好かれない。ノロとつく言葉にいい意味思いつかない。ノロ(呪)う、ノロける(惚気話は不愉快)、ノロノロ、ノロマ(鈍間)。野呂姓の方はいい迷惑だ。野呂麻奈子はノロマな子(ヤフーで検索したらなかったが、実在していたらごめんなさい!)。

 人の健康を脅かすのがノロウイルスNorovirus。生牡蠣にあたって七転八倒し二度と牡蠣は食べないと言う人は少なくない。牡蠣が悪いわけではない。人糞について下水に流れて牡蠣に付着したノロウイルスが急性胃腸炎の犯人だ。とすると、下水道が流れ込む海辺から遠い牡蠣の方が生で食する場合はより安全なのかもかもしれない。

 NOROならぬNAMAと言えば、北陸の焼肉店でユッケを食べてO111に感染し4名の方がなくなった。生の肉を食べる習慣は古くないので殺菌対策ノウハウの蓄積は足りないのか。私は生肉は食べない。なんとなく気持ちが向かない。生魚の寿司は、酢飯、がり、わさび、緑茶と殺菌の工夫がなされている。これに加えて日本酒を頼んで私はそれなりの用心をしている。

今回のO111の感染も当然焼肉店、納入業者が問題なのであるが、300円前後で生の牛肉を食べることに消費者も躊躇が必要だ(亡くなった方には申し訳ないが)。

 ハンバーガーチェーンや牛丼チェーンが無用な値下げ競争を繰りかえし、消費者の値段感覚が麻痺していることも影響していると思う。

焼肉店に限らず厨房ダクト火災が増えている。一酸化炭素(CO)中毒事故件数も家庭よりも業務用厨房の方が上回ってきている。安全性を犠牲にしてでも低価格を維持せざるを得ないのだ。

 O111で死者が出ているのに我関せずと牛丼チェーン各社が値下げキャンペーンを展開し、それを手放しに消費者が歓迎する。某テレビ局の番組はミシュランに叱られたにもかかわらず名前を変えていまだに“店はきたないが美味い店”を賞賛し続けている。

みんなNO天気だと言うと、何をアンタが偉そうにという妻の声が聞こえてきそうだ。



2011.8  NO.2  シーベルト と シーベルト

 

楽聖ベートーベンと並ぶ歌曲の王シューベルト。生体への被曝線量を表わす単位はシーベルト。シューベルトの音楽も、シーベルトで測る放射線も眼に見えない。ただ、小さい頃ら親しんだ野ばらなどシューベルトの音楽は心が安らかになるが、ガイガーカウンターで鳴るピーピーと耳障りな音は恐怖心が募る。

福島原発の事故により俄か評論家増え、文系、理系に分かれての応酬が姦しい。

理系「想定外の地震だから人災ではなく、天災だ」 文系「想定内の対応は準備。想定外を対応することが危機管理。安全性を棚上げして経済効率を優先させたのは人災だ」

理系「農産物等規制値より低いのなら支援のため購入すべきだ」 文系「規制値以内でも事故に起因するものは国民に転嫁すべきではない。国や東電が買い上げするか補償すべきもので、被災地支援とは別の問題だ。」


原子力発電はそもそもイギリスで原子爆弾を開発しているときに高温の熱が出るので並行し研究されていたそうだ。当時はAtomicを使っていたが、広島や長崎に落としたAtomic bombを想起するのを嫌ってか近年Nuclear(power generation) と称しているらしい。

 現在、原発は日本で54基。アメリカ全土では100数基あると言われ、人口比ではバランスしているが、国土面積で行くとアメリカは日本の24倍の広さ。日本(378千平方キロメートル)はカリフォルニア州(403千平方キロメートル)とほぼ同じなので、アメリカ地図上でカリフォルニア州に54基置くとすると、アメリカ全土(50州)にある半数の原発がカリフォルニア州一州にあることになり、アメリカに比較していかに密集しているかがよく分かる。  

日本は狭い上人口が多い。逃げ場所がない。地震も多い。

起こる確立は低いといえ事故自体はなくせない。ひと度起これば被害は長期的かつ広範囲に及ぶ。日本は原発に向いていないのではないか。


被爆と被曝は違うと言うが、大きな被曝は被爆と変わらない。原爆を他国から落とされ唯一の被爆国民が自国によって同じ目に遭わせられるという愚は避けなれればならない。

機械オンチの私にすれば、核兵器として開発された核は悪魔のようなもので、その悪魔を人間の都合のよいように手懐けること自体無理があるのではないか。魔法で壷に押し込めても何万年も生き続け、時には魔法がとけて外に出てくる。数ヶ月前その壷をモンゴルに持っていくという話が新聞に出ていた。中国が黙って認めるのか。


原発に従事しガンで亡くなったとされる平井憲夫氏の遺言というべきものを読むと、本当ならば平時においても現場作業員は被曝するリスクを負う。動員されるとなるとお金に困った人か弱者が担うことになる。

身分制度があった江戸時代には士農工商以下の差別されていた人は当時の認識での穢れた仕事をさせられたが、生命が危険なことはなかったのでは。死のリスクを強く意識したのは一番身分の高い武士であったろう。もしJIN(仁)が実在したとしたら江戸時代と比べて人間社会が進化していると言うだろうか?


他国の攻撃も想定外としているが、国防上原発は核兵器の不発弾と同じではないか。それに目がけてミサイルを連続して撃たれるとパトリオットでは防げない。脅しをかけられると土下座外交するしかない。


日本エネルギーの一翼を現実に担っている以上一挙に廃炉にはできないが、代替エネルギーの開発を急ぎながら順次減らしていくことが現実的な対応ではないか。


2011年7月 NO.1  ス VS

 人間のオスとメスの話。夫は妻に先立たれるのかストレス。妻は夫がいるのがストレスといわれる。私の母もそうだが、妻はさすがに夫が死んだとき6ヶ月ほどは意気消沈しているが、その後は元気溌らつオロナミンCを飲んだかのように以前より元気になり、長生きする。
夫は生きる意欲をなくし、後追うがごとく逝ってしまうことが多い。作家の大先生を見ても、城山三郎著『そうか、もう君はいないのか』、川本三郎著『いまも、君を想う』など感涙の追想記を書かれている。男どもは女々しいと言われても、私も7つ年下の妻に先立たれないことを切に願っている。
 
数年前神戸高校の同じ学年の卒業生で東京同窓会を行なったとき、バツ1のキャリアウーマンが、酔いにまかせて吼えた。「男は年の離れた若い女の子と再婚したりできるのに、女はなぜ若い男の子とデートすらできないの」と。
 こんな時、答えずやり過ごすのがよき大人の作法というもの。ところが小生は「ぺタージー二夫妻(プロ野球の助っ人外国人選手の彼は友達のお母さんと結婚した)は気持ち悪いやろ」と言わんでいいことを言い、科学的根拠のない自説を展開する。「よい子孫を残すには古い種(限度はあるが)と新しい畑の組み合わせが最適。だから、本能的に男は若い女を欲しがり、逆に女はかなり年上の男も守備範囲となる」と言って場をしらけさせる。
 兵庫県立神戸高校は、神戸一中の時代は東京の一中と肩をならべる名門校。終戦後GHQにより男女共学にさせられ(一中OBによると昭和天皇が行幸されGHQに睨まれたとのこと)、半数近くの男子が私立灘高校に移り、そこから東大進学校として灘高の快進撃が始まることにつながるとか。
 
神戸高校の卒業生には、俳優の高島忠夫氏がいる。経済界では白洲次郎氏やソニー会長の井深大氏。作家では今東光氏、小松左京氏など。男性に著名人が多いが、女性では、扇千景さん(元参議院議長)や樺美智子さん(安保闘争で死亡)。
 ネットのWikipediaを見ると、同期生では、ホリエモン事件でホワイトナイトとして登場した北尾吉孝君が掲載されているが、我ら神高21回生の中ではなんといっても笹子三津留君だ。彼は高校時代からのスターで、勉強もトップ、陸上短距離でも一番、カンツォーネも歌いこなし、秀才とはかくあるべしの典型。卒業した昭和44年は学生紛争で東大入試がない年で、翌年東大医学部に入りなおした。留学先のオランダでは外科学会の金メタルを受賞した。
国立がんセンター時代では週刊誌でよく胃がん手術の名医として紹介されているが、臨床医の道を選び、患者と二人三脚で病気に立ち向かう真摯な姿には頭が下がる。
今は高校の同級生の医師に請われ、兵庫医科大学の教授に転出している。笹子君こそWikipediaに載るにふさわしい。
 
毎年のようにノーベル文学賞候補にあがる作家村上春樹さんは2学年上の先輩にあたる。偉大な先輩に敬意を表してベストセラー『1Q84』も読ませていただいたが、還暦をゆうに過ぎているというのに、湧きいずる泉のごとく文章がほとばしるその才能、気力にはメモしか書けない私は驚嘆するばかり。
物語は♂の天吾と♀の青豆と交互につづられているが、文学の素養もなく俄かファンの私には今ひとつ内容が理解できないというのが正直な感想だ。