2013.6 NO.24
ゆい と ぬい
昨年度の女の赤ちゃんの名前ランキング1位は結衣(ゆい)。若い男子ならガッキーこと新垣結衣さんを連想するだろう。私のようなオジンとなると夏川結衣さんを思い浮かべる。一時イケメンお笑い芸人と噂になっていたが、別れたとのことで得意然とした彼の顔を想像しなくて済むのはなによりの僥倖だ。
「ぬい」という名前は今時あまり聞かない。思い浮かべるのは大阪の料亭「恵川」の尾上縫女将しかいない。平成の初め一料亭女将が北浜の天才相場師とし脚光を浴びるも巨額詐欺事件を起こし世間を大きく騒がせた。小説(『女帝 小説・尾上縫』)にもなった。
この女将を私たちに紹介してくれたY君との出会いは遠き日の大学時代に遡る。
昭和44年の新年早々東大安田講堂を占拠する全共闘と機動隊との攻防をTVにてかたずを飲んで見守っていた。なんとか東大入試が中止にならないように願っていたが、結局東大校内は荒れ果て東大入試は中止に決定してしまった。
当時私は京大経済学部を志望していたが、東大入試が中止になれば東大志望者が多数都落ちしてくるとの噂で、私より成績の良い人たちが次々と神戸大学(神大)経済学部に志望を変更していった(理系の人の多くは阪大へ)。当時神戸高校の生徒はせめて神大ぐらいはとの認識をみな持っていた。私はせっかく人一倍受験勉強したのにと2~3日ふて寝して抵抗を試みたが、担任の先生のちょっとした反撃に遭い早々と武装解除した。
他校と同様神大も合格後半年ほど学校が閉鎖されていた。封鎖が解け登校してもそれほどうれしくもなかったが、ほどなくして麻雀を覚え、下宿している学生のところに行くことが多くなった。下宿先では有名画家の絵画を模写した絵を飾る人や、同じ麻雀を覚えたてのハズなのにもう理牌せずに難しい手が読める人などが居て驚いた。一番親しかった麻雀仲間には、灘中・灘校出身のT君がいた。2つ年上で京大受験に2度失敗し、3度目の正直と思っていた矢先東大入試中止のあおりで神大に来ていた。ある種オーラを放ち、就活でも東京海上保険、三井物産、第一勧銀と超一流企業すべてに内定を得ていた。一つ年上のO君は体は小さいが才気立ち、ナポレオンタイプというべきか。卒業後損保に行き将来を嘱望されていたが、母親の病気を機に故郷岡山に帰り不動産鑑定士として活躍している。豊かな才能を持つ人がゴロゴロ居ると分かり、受験勉強しか取り柄のない自分はこの大学で本望だと思えるようになり、それ以降身の不運をかこつことはなかった。
親しい麻雀仲間のもう一人がY君で、ともに現役でおとんぼ(関西弁で末っ子)同士ということもあってお互いバカにしあったり、よく口喧嘩していた。
Y君は某都銀に入行したので、同業のよしみで折にふれ連絡を取り合っていた。女性にまつわる話も聞いたが、あの顔でよくもと思うが、それも彼の才能なのであろう。
その彼が大阪の支店にいた頃(平成元年前後?)、恵川の女将を当時私が居た銀行で取締役大阪支店長をしていたI支店長に紹介したいと連絡してきた。
なぜY君が紹介したいと思ったかその理由は定かではないが、ともあれI支店長と一緒に女将の料亭に向った。女将のお酌で当時人気の高かった越乃寒梅を賞味した後女将の行きつけのスナックでカラオケに興じたのだが、京大出のI支店長に対し死んだお父ちゃんも京大出と女将が言ったのを横で聞いて、思わず眉に唾をつけそうになったことを覚えている。
女将は当時何十億単位のお金を動かしており(当時理由はよく分からなかった)、手形や小切手の当日他券過振りという銀行の掟破りをさせて、支店がそのリスクを負ってまでそれに応えるとより大きな預金をもらえるという仕組みになっていた。某都銀の支店長は日参していたが、Y君やI支店長は一目置かれていて、札びらで頬を叩かれるようなことはなかったようだ(もっとも日参した都銀支店長も女将に頭を下げずにお金に頭を下げていたのであろうが)。
こんな多額の個人預金をする人はめったにいないので、銀行内の個人預金獲得コンペではI支店長も大いにメリットを享受したが、その時は私の紹介だとは一言も言わなかった。バブルがはじけ女将の窮地を間違った形で救おうとした某信金の定期預金偽造発覚を機に一大事件として表面化すると、今度は女将を私が紹介したとあちこちにI支店長は言いまくった。それはないよと思ったが、高校の先輩で無理を頼んで仲人をお願いした経緯もあり、また、I支店長は偽造事件の関連で地検に呼び出され、(当然無関係なのだが)極めて不愉快な目に遭ったらしいので、まぁいっかと不問に付した。
当時某週刊誌は大阪府警がパンドラの箱を開けそうになってあわてて蓋を閉じたと書いていた。Y君に素顔を垣間見せていた女将はダミーとしか私には思えない。
産業金融の雄ともいうべき天下の日本興業銀行が、一女将に深入りし、後発取引ながらなぜ大きなババを掴む羽目に陥ったのか、その真相は闇に葬られた。そして数年後興銀の名はこの世から消え失せた。