2014. 7 NO.37  らち と ふらち

 今日北京にて拉致問題における日朝政府間協議が行われる。一ヶ月前の報道では、拉致被害者の返還ではなく、誠実に北朝鮮が拉致被害者の安否を調査すれば経済制裁(人的往来の規制措置、送金に関する措置、人道目的の北朝船舶の入港規制措置)を解除するという。なんとも物分かりの良い話だ。アメリカとの核問題における交渉に対しても不埒な態度を取り続けた北朝鮮が、今度は北朝鮮の暗部を知る拉致被害者を既に逝っていると言わないのか。遺骨を入れ替えるなどの行為はしないと言えるのか。それとも象徴的な横田めぐみさんを戻して幕引きを図ることはしないのか(特定失踪者は8百人を超え、大半が北朝鮮の拉致と見られている)。

 小泉首相の折、3組5名の拉致被害者が帰国した。戻ってきた家族には僥倖であったが、一枚岩だった被害者家族の会にひび割れが生じた。

 今度も首相は訪朝し数名連れて戻ってくるつもりなのか。里子に出した子を迎えに行くのとはわけが違う。どこの世界に自国民が拉致されて大きな土産をもってのこのこと出かけていく国があるのか。国民には子供が誘拐されたら勝手に身代金を払わずに警察に連絡しろと指導しておきながら、大きな土産の中身を隠して電撃的に訪朝する。世界はさすが平和国家はやることが違うと評価すると思うのか。


数年前『アルゴ』という映画が封切られた。1979年のテヘランのアメリカ大使館員救出の実話を描いた映画だ。イラン内のカナダ大使公邸に匿われた6人の大使館員を救出するのは困難の極みで打つ手が難しい。それでも見捨てはしない。CIAは奇想天外ともいうべき架空の映画(『アルゴ』)をでっち上げその6人をロケハンのスタッフに見せかけてイラン国外に脱出させる計画を立て、見事に成功させた。見破られたらCIAの工作人もろとも皆殺しにされる。民間人のためとは言えないが、自国民の命を自らの命を賭して救出させた。

 敗戦国日本は国民を守れない。拉致されたと分かっても手出しができない。沖縄米軍の狼藉に対しても無力に等しい。

経済的な大きな見返りを代償に数人をありがたく北朝鮮から返してもらう。これを訪朝した首相が歴史に名を残したと思うなら、なんという欺瞞だと私は思うのだが、だれもそんな公言はしない。しかし、一人はいることが分かり安心した。

軍事ジャーナリストの鍛冶俊樹氏は、自著の『国防の常識』の中で、「拉致問題はなぜ解決しないのか?」と題して、P77~78にかけて、こう書いている。「・・・。一般の日本国民は震災の市民ボランティアを見るまでもなく、国民を守ろうとする気概に溢れている。ところが、日本の肝心の国家中枢にはこの気概が見られない。「日本国憲法」があるから国民を守れないのではない。国家中枢に国民防衛の理念と情熱がないからである。これが典型的に現れているのが、北朝鮮による拉致問題である。政府は一貫して、北朝鮮に対して対話と圧力で臨むという姿勢である。しかし、これは誘拐犯と交渉するということだ。誘拐犯が特定できない段階では交渉は唯一の情報収集手段である。だが、誘拐犯が特定されれば、そこから被害者の位置を特定し、踏み込んで、被害者を救出するのが常套手段だろう。・・・・・・。具体的には各種情報機関により情報収集し、綿密な作戦計画を立て特殊部隊を潜入させ救出する。どこの国でもこうした手段を検討するのは当然だろう。ところが、日本の国家中枢は始めからこうした手段を放棄している。・・・・。自衛隊に救出する気がないのではない。政府や国会などの国家中枢にその気がないのである。」

これを理解する賢い?政治家は拉致問題への言及を避ける。今までの延長線上で全拉致被害者を救出させると高らかに唱える政治家は、ひとが良いというよりむしろ悪いのでないかと思ってしまう。

戦国時代末期ポルトガル人イエズス会士のジョアン・ロドリーゲスが『日本教会史』で「自分の保護と援助の下に身をおいている者のためには無造作に、わが生命を賭ける」と称賛したとされる日本人はどこに行ってしまったのだろうか?

有事に同盟国米国の兵士の命を守る仮定の話で集団的自衛権の行使を議論するのなら、目の前にある拉致被害者の命と家族の苦しみを救うため憲法解釈の変更や憲法改正を議論するべきではないのか。


平和国家、平和国家と言うが、一体誰のための平和国家なのか。武力をもって他国に侵略しないと言ってくれるのは他国にとっては勿怪の幸い。しかし、一方的にそう宣言しているだけで、その代わり絶対攻めて来るなとは言っていない。永世中立国のスイスは、攻めて来たら二度とそんな気を起こさせないほど酷い目に遭わせるとの気概と態勢をとっている。拉致されてもすぐ取り戻せない。侵略されたら個別的自衛権はあるがそんなに武力を行使していいのかと言っているようでは、日本国民にとって平和国家でもなんでもない。

日本国民が日本国に帰属意識を持ち、税金を払うのは、国が自分の生命と財産を守ってくれると思うからだ。平和国家の幻想から目を覚まし、国というものの原点に立ち返って考え直す時に来ていると思う。





2014.6 NO.36  もらう と はらう

 寓話「アリとキリギリス」。最後働き者のアリが怠け者のキリギリスを助けるという話は教訓として二通りの解釈ができると思う。一つは真面目に働かないと他人様の施しを受けるみじめな目に遭う。二つ目は、怠け者でも救済すべきだということ。

 私は前者の解釈に組みしたい。妻からキリギリス呼ばわりされている私が言うのもなんだが、社会主義イデオロギーの根幹ともいえる「働かざる者喰うべからず」というフレーズは、資本主義の我が国においても通じると思う。

 憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は、働けるけど働かない怠け者を前提としていない。働く意思があっても企業からNEEDがないNEETや差別により就職できない人は国として手を差し伸べる必要があるのは言うまでもない。

 しかし、好きな仕事が見つからない。楽しい仕事がないと言って働かない連中まで国は面倒みる義務はない。

 過去著名な経営者でもあっても第二志望の職業人生で成功している人も少なくない。今所属する業界団体の役員も、長男だからとして親の会社を継いでいる人が多い。父親が亡くなった、亡くなりそうだとして、大企業等に勤めていたとしても辞めて親の会社を継ぐ。「オーナーの長男には職業選択の自由がないものだ。憲法違反だ」と同情申し上げるが、当人たちは会社のため従業員の生活のため先頭に立ち奮闘しておられる。

 

楽しい仕事をしてお金ももらいたいというのは幻想。辛いからお金をもらい、楽しいことにはお金をはらうのだ。

 私たちはゴルフする前の晩はウキウキして寝つきが悪い。楽しいからお金をはらう。プロゴルフのシード選手は、予選落ちが続くとゴルフ道具も見たくないほど落ち込む。辛い稼業だから賞金をもらうのだ。

 ソープランドのソープ嬢も好きでもない男と交わらないといけない、女性にとってこんな辛いことはないから少なくないお金をもらう。惚れた男からはお金をもらわないことがあるのは楽しいからだ。

 ソチ冬季オリンピックの折明治天皇の玄孫の武田恒泰氏が、自身のツイッターで次の発言を行い物議を醸した。「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」「日本は国費を使って選手を送り出しています。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません」

 竹田氏が日本オリンピック委員会会長の竹田恆和氏の子息であることも、何様のつもりとさらなる反発を呼んだのかもしれないが、竹田氏の発言自体は私の考えと同じことを言ったに過ぎず、的を射ていたと思う。

 日本人はプレッシャーから大舞台で本来の実力が発揮できないことが少なくない。応援する方もそれが分かっているから、「頑張れ!」とは言わず、「楽しんでこいよ」と声援を送る。選手達もそれを理解しているから、「頑張ってきます!」とは言わずに「楽しんできます」と答える。

 そうすると、それを勘違いして、本当に自分が楽しめばいいのだと思ってしまう人が出てくる。自分が楽しむのなら自分で旅費をはらうのだ。日本を代表し日本国民の期待を一身に集めそのすごいプレシャーに耐えねばならぬ。辛いから国費で行かせてもらうのだ。

 

フィギュアスケートの浅田真央さんのSP後の顔面蒼白の姿が忘れられない。そこには微塵も私心などなく日本国民の期待を裏切ってしまったと茫然自失していた。

 気持ちを切り替え自らを叱咤し臨んだ翌日のFPでのパーフェクトな演技後彼女から出た言葉は「恩返しできた」。

その人となりと生き様は、日本国民だけではなく他国の有力選手からも金メダル以上の賞賛が彼女に向けられた。

 大舞台で緊張しすぎるという日本人の性格は弱点だけではない。責任感の強い裏返しであり、愛国心の強さでもある。そこに我々は感動をもらい、敬意をはらう。

これがオリンピックでなく、戦争となれば日本人の特性がもっと顕著に表れるだろう。平和ボケの日本とは対極の米国は同盟国日本をも戦争相手と想定するとき、「神風特攻隊や人間魚雷など同じ事はしてこないだろうが、必ずやわが身を犠牲にしてでも国のために死に物狂いで挑みかかってくるだろう」と恐れる。

その日本の怖さの本質を知る米国は、尖閣をめぐる日中の武力衝突が米中戦争に引き込まれることを憂慮する。

 集団的自衛権を急ぐ安倍首相が靖国神社に参拝すると、米国は憂鬱をもらい、注意をはらう。

2014.5 NO.35 さっちゃん と やっちゃん

さっちゃんは、童謡「さっちゃんはね~さちこっていうんだ、ほんとはね・・・・」にあるように、小さくてかわいい、さちこの愛称。

やっちゃんと言えば、「やっちゃんはね~やくざというんだ、ほんとはね。だけどおっかないからやっちゃんというんだね、へつらってるよね。やっちゃん」。

昭和30年代の初め、神戸の下町では「みっちゃん道々ばば(ウンチ)こいて、さっちゃん皿持て受けに来た」とよく口ずさんでいた。そのため、さっちゃんには童謡のような愛くるしいイメージは当時感じられなかった。

 今の灘区とは違いJR神戸駅の西の方に当時広域暴力団山口組の本拠地があった。神戸駅の北側には北朝側には負けたのに戦神として楠正成を祀っている湊川神社(愛称:楠公さん)がある。当時その神社から見て西南側に米軍キャンプ地が残っており、その近くに山口組配下?の某組長の自宅があった。その組長の悪がき(私が6,7歳のころで5つか年上のハズ)は、おもちゃのピストルで近所の子供の鼻先に至近距離から弾を撃って嫌われていた。私は遭遇しなかったが、おもちゃの弾といえどもそれなりに痛かったらしい。

 ある日、米軍キャンプの跡地にあったガソリンスタンドの裏手の空き地で、4つ上の兄と一緒に近所の子供とすすきのような雑草にガソリンを撒いて火をつけては消す、文字通りマッチ・ポンプの悪ふざけで遊んでいた。ところが、撒いたガソリンの量が多かったのか、子供たちには手に負えなくなってしまった。隣のガソリンスタンドに引火すれば、最悪少年院(実際2~3キロほど北側にある)送りになっていたかもしれない。

 みんながパニクりだしたまさにその時に、どこからともなく月光仮面のように現れて、ささっと消し止めてくれた。なんと!あの組長の悪がきが消してくれたのだ。

 爾来私は還暦を迎えるまで、幸いなるかな、一度もやくざにひどい目に遭わされたことがない。一度だけやっちゃんジュニアに助けてもらったことがあるだけだ。



 だからといって、やくざを擁護するつもりはないし、関わりたくもない。ただ、暴力団排除条例はいかがなものかと思う。

 憲法21条の結社の自由に基づき暴力団の存在を認めながら、暴力団排除条例で暴力団の人間性を否定する。何人も法の下での平等という憲法の精神に違反とする意見もある。昔から「罪を憎んで、人を憎まず」ではなかったか。人権派弁護士のようなことを言うようだが、暴力団の組員も人の子の親。やくざの子は学校に行けないのか? やくざの子は堅気にはなれないのか?

警察の目的は、暴力団の壊滅だ。しかし、それは手段であって、暴力団が無くなっても世の中から「悪」がなくなるとは限らない。

喧嘩早いイメージの俳優哀川翔さんがテレビ番組の中で質問されていた。「やくざに絡まれたら、どうしますか?」と。哀川さんは「こちらは堅気ですからと言う」と返答した。しかし、任侠→やくざ→半グレと市民との垣根が低くなれば、それも通用しなくなるだろう。将来人間国宝になるかもしれない歌舞伎の市川宗家市川海老蔵さんが顔も含めてボコボコされた。本人にも非があるにせよやくざなら顔をなぐったであろうか。かえって、市民が巻き込まれる危険性が高くなるのかもしれない。


飲食店等がみかじめ料を払えば制裁を加えるという。政治家への贈賄とはわけが違う。脅されて払っているだけだ。暴力団と直接対峙しろと言うなら、アメリカ社会のように自衛のための銃使用を認めるのか。

あたかも、裁判官がおかしいと言われれば、ならば一緒に裁判してみろと裁判員制度をつくり、警察官がだらしないと批判されれば、では暴力団と直接対峙しろと言わんばかりだ。やくざから情報が入らず検挙率が下がるので司法取引の検討も視野に入っているとかいないとか。小学校の頃「自らが不利になっても仲間を売るな」と教えられたものだ。

人が人を裁き、人が人を売るようなことになれば、世界が羨む日本の「和の精神」が溶解してしまうだろう(韓国の旅客船沈没への対応を見るにつけ「和の精神」がいかに大事かが分かる)。我が国の司法はどこをめざしているのだろうか? 古来からの日本の良き精神性を守るのは、政治家ではなく、司法の務めと思うのだが。

 かつての花形エコノミストとしての時代の寵児から反権力の鬼と化した感のある植草一秀さんは、暴力団排除条例は、警察天下り利権拡大が目的と看破する。そうでないと思いたいが、一体誰の発案なのだろうか?

ポストをめぐって警察庁キャリアと県警ノンキャリとの確執を描いた横山秀夫氏の『64』をはじめ警視庁OB濱嘉之氏の警視庁情報官シリーズ及び同公安部・青山望シリーズなど書店には警察小説が溢れている。私に限らず、縁のない世界を垣間見ることができるとともに心ある警察官の生き様に酔いしれるのが好きなのだ。

志がないと続かない警察官、とくに心ある者の志気があがる組織に環境整備することが警棒や拳銃を持たぬ「上」の務めのハズなのだが。


2014.4 NO.34  ウッズ と キッズ

ウッズと言えば、さすがに今となっては野球の熱狂的な中日ファンでもタイロン・ウッズ(2005年~2008年中日の大型スラッガーとして活躍)とは言わないだろう。ゴルフのタイガー・ウッズだ。今年も4月10日(日本時間11日)からマスターズが始まる。すっかり猫になったと揶揄されるタイガーが久しぶりに優勝するかと期待されたが、腰痛でそれどころではないようだ。

 私自身は25歳から44歳まで20年間ゴルフを嗜んだ。ゴルフ練習場からタクシーに乗ったら「プロゴルファーですか?」と聞かれたこともあるように恰好だけは一人前。スコアは100切れば上機嫌の下手の横好きだった。年平均15ラウンドとして20年間で300ラウンドはプレイしたと思うが、その中で後にも先にも1回だけキャディーさんから「お上手ですね!」と言われたことがあった。

舞台は、神戸市の北区にあり都心から至便の兵庫カンツリー俱楽部。距離はないが狭くOBが出やすいコースだ。

 INコース出だしの10番ホールはミドルでバーディー。続く11番のロングもスリーオンして長いパットが入った。3ホール目は12番ショートでワンオン、ワンパットでこれまたバーディーとなり3連続バーディー。盆と正月が一緒に来たような騒ぎであった。続くミドルもバーディー逃しのパーで、続くロングもパー。なんと5ホール廻って3アンダー。

茶店に寄る途中でキャディーさんに褒められたのだが、あきれた様子の同伴同級生たちはやけ酒を呷っていた。冬の寒い中私はじっと何も飲み喰いせず後半のホールに臨もうとした。それが却ってよくなく、ティーショットはドスライス。40㎝ほどのパットも緊張のあまりちびってしまった。あの時ばかりはプロのしびれとはどういうものか実感できた気がした。ハーフ後半人が変わったように荒れ結局30台で廻れなかったのは今となっても誠に残念に思う。

 ゴルフに勤しんだ最後は1995年の11月末宮崎フェニックスのトムワトソンコースでのプレイ。最終ホールで、会心のドライバーを放ち開眼したと思った。そのゴルフ場から北海道のゴルフ場へゴルフ道具を送ったのだが、北海道入りする前に悪天候で中止が決まり返してもらうよう連絡した。ところが、宅配業者の内部でキャディバッグもろともレフティー用のゴルフ道具一式が忽然と消えてしまった。結局20数万円弁償してもらったが、そのお金も消えてなくなった。胃袋に消えてしまったのだ。お蔭で今もドライバーを開眼したと思い続けられている。

 

 ウッズにあこがれてゴルフを始めたキッズが世界中にたくさんいると思うが、日本では石川遼君が真っ先にあがるだろう。遼君が登場したとき10年いや50年に一度の逸材と言われた。イケメンで思いっきりドライバーをたたく姿は、大好きだった若き日のセべ・バレステロスを彷彿し、私もファンになった。

 ツアー最年少記録や1ランド58の世界最小記録を持ちプロとして順風満帆と思われたが、アメリカツアーでもがいている。遅れてやってきた同い年の松山英樹君に追い越されたと、気の早い人ならそう思うだろう。

技術的なことはヘボゴルフファーの私に分かる訳がないが、誤算というか惜しむらくは、思うほど身長が伸びなかったことであろうか。世界に名を知られた日本のトッププロ、青木功プロ、中嶋常幸プロは180㎝、尾崎将司プロは181㎝。松山英樹君も180㎝あるが、石川遼君は175㎝しかなく体の線も細い。私と変わらない様な体で300ヤード以上飛ばすのはコントロールが難しいし腰に負担がかかるだろう。

「薬師寺広のノーカット放送室」というネット記事(2012.11)によると、2002年シーズンのドライバーディスタンスでウッズは293.3ヤードで第5位(1位はJ・デーリーの306.8ヤード)であったが、ドライバーやボールの進化した10年後の2012年シーズンではあの

ウッズですら35位(297.4)に落ちている。2002年頃であれば技で勝負する丸山茂樹プロでも太刀打ち(アメリカで3勝)できたが、今は平気で300ヤード以上かっ飛ばすプロが多くなった中で優勝するのは容易ではない。ボクシングに例えると、日本人ボクサーは、フライ級、バンタム級のチャンピオンにはなれるが、ミドル級以上の世界チャンピオンになることは至難の業と言える。陸上の100m走では、日本チャンピオンは世界ではファイナリストを目指すとし、決して金メダルとは言わない。今のゴルフ界も同じでは。石川遼君も世界の上位ではなく、日本の金メダルを目指してほしい。

 石川遼君はゴルフスタイルや性格が尾崎プロに似ていると言われる(松山英樹君は青木プロに)。尾崎プロのように日本のスーパースターになって、日本のキッズたちのあこがれの的になってほしい。女性ファンも多いので、早く帰ってきて男子の日本プロゴルフ界を再興してもらいたいと思う。

2014.3 NO.33   ザイニチ と タイニチ

 在日と言えば、在日韓国人、朝鮮人と続くだろう。亡くなった劇作家のつかこうへいさんのペンネームは「いつかこうへい」に由来していることは有名な話だ。

作家の伊集院静さんは夏目雅子さんと再婚したということだけで毛嫌いし、作品も読んだことがなかった。ある時雑誌かなんかである作家の大御所を大嫌いとか書いてあったのを見て興味が涌き、『お父やんとオジサン』で伊集院さんのルーツを知り、『いねむり先生』で雀聖と謳われた阿佐田哲也さん、私の寂しい青春時代を癒してくれた井上陽水さんの知遇を得ていると知り、親しみを覚えた。

 孫正義さんは自身の評伝『あんぽん』をかの佐野真一氏が書くにあたって取材協力している。日本が好きで日本で成功すればこそ、祖国の血のルーツを思わざるを得ないのか。アメリカから日本に帰化した人などはそんな感慨は湧いてこないのだろう。

 南北朝鮮人に対する差別問題は関東より関西の方が根が深い。

 神戸で育った私は、子供の頃、「朝鮮、朝鮮、バカするな! 同じ飯くってどこ違う!?」と日本人がからかって口マネしているのをよく聞いたものだ。平成の世になって支店長として赴任した地域でも取引先の社長が嫌厭しているのを耳にした。

 銀行の先輩たちも在日韓国人等との取引は難しいと言っていた。「イザとなれば半島に逃げる」「うまく行っている時はよいが、トラブルと大変だ」

それは偏見、そういうことは言うべきではないと私は思っていた。しかし、ほどなくしてやはり難しいものだと実感させられてしまった。

 平成に入った頃人を介して在日韓国人系の金融機関出身のA君とB君と知り合った。

A君は日本に帰化しており、韓国語は喋れない。就職や結婚を考える段になって初めて出自の問題を思い知ることになる。B君は韓国語が喋れるので、通訳になってもらいバブル末期の頃よく韓国に皆で繰り出した。

 分け隔てしない私の居る銀行ならと思ったのだろう。A君は自身の会社の立ち上げに梅田支店に融資を申し込んだところ、支店長にお前みたいな若造にとの扱いを受けたということだ。B君は京都支店長に「韓国人に金貸せる訳ないだろう!」と言われたとさびしいそうに私に報告しに来た。返す言葉がなかった。それは初めから分かっていること。何か他の理由で本部が否決したのであろうが、そんな心無い言い方をするとは。両支店長ともよく知っている真っ当な先輩たちだけに悲しくなったことを覚えている。

 ある時A君に良かれと思い某物件を斡旋しようとした。ところが後になって横やりが入り、つっぱねたらよかったのだが、理由も告げずキャンセルを申しでた(自分自身が弱かったと後悔している)。本人よりもお父さんが激怒した。過去幾度かそういう目に遭ったことがあるのだろう。それを機に疎遠になって行った。

 対日といえば、対日感情と続き、反日感情を連想するだろう。韓国の反日の声が喧しいが、日本の新大久保辺りのヘイトスピーチも日本の声を代表しているわけでもないように、韓国の過激な意見も同じことだ。韓国では「古代中国を宗主国として日本が韓国の弟分だ」という思いが根底にあるのだろうが、民間人の多くは「現代ではいわばアメリカを宗主国として韓国が弟分である」ことも理解しているハズだ。反日プロパガンダに対して、国が看過せず適切に対処しようとしているのだから、我々庶民は日本人としての品位を守り大人の態度を見せるべきではないか。

韓国の人気女優のキムテヒさんが過去スイスで独島(竹島)のキャンペーンをやったからと言って、反日女優のレッテルを貼り、日本に来るな!と言うのはやり過ぎだと思う。彼女が歴史をねつ造したわけでもなく、子供のころからそういう教育を受け愛国心から行動した、あるいは芸能人としての踏み絵を踏んだのかもしれない。本当に反日であれば、日本語を覚え、日本に来て日本男優とキスをするドラマには出演しなかっただろう。

私はむしろ日本人が、日本のメディアが日本を貶め国益を損なうその言動こそが「反日」で問題だと思う。慰安婦強制連行等西岡力氏や高山正之氏らが糾弾する朝日新聞のねつ造記事問題が事実とすれば、大手メディアとしての、「権力は腐敗する」とアクトンが言う「権力」に対して監視・批判するとの役割をはき違えている。社として総括しなければ、社会的影響力はじり貧となって行くだろう。

 

 韓国の前大統領の竹島上陸、天皇への謝罪要求に端を発して、近くて遠い関係に逆戻りしてしまった。支持率アップと退任後の逮捕を恐れての行動だとみられている。現朴大統領も自らの政権基盤の脆弱さから反日を通り越した嫌日を全面に押し出す。トップの私心が国際軋轢をもたらし、自国民を不幸にする。日本の首相も前首相時代に靖国に参拝できなかったことが痛恨の極みとして参拝し物議をかもした。「日本よ、お前もか」とトップの私心を「失望した」とアメリカは言ったのだと私はそう思う。

プリンスの子はプリンス。マスクにならんとする、そう見えるのは、国民にとってどうなのか?

 今世論が過度に右傾化し、時の政権を後押しするのではなく、冷静に時世を注視していくことが肝要であろう。

2014.2 NO.32 きんゆう と しんゆう

 テレビドラマ『半沢直樹』がすごい好評を博した。これまで金融業界を舞台にしたドラマはあったが、これほど注目されたものはない。なにしろあの『家政婦のミタ』の瞬間最高視聴率42.8% を超え、最終回の関西地区の瞬間最高視聴率は50.4%と年末恒例の紅白歌合戦と見間違える驚愕の数値だ。

 普段くだらない番組しか見ない我娘も、真面目な顔をして初回から見ていた。企業戦士が奮闘する男性向けの番組だが、女性の共感も得ることができたのが大ヒットとなった要因だろう。

 私の周りでも原作を読んでドラマも観ている人が結構いたので驚いた。私は直木賞の受賞作となった『下町ロケット』を読んでいた。原作者が三菱銀行のOBと知っており、さすが都銀マンは違うと畏敬の念を抱いていたが、さすがに銀行員ものは読む気がしない。

 私は銀行時代大蔵省から天下りしてきたキャリア官僚Y氏(故人の方ではない)にタメ口や小馬鹿にした物言いをしたことに対して、どんな事情があったにせよ礼節を欠いてはと今となって反省しているので、半沢の言動は他の視聴者と違って心地よく感じない。主人公よりもミッチーこと及川光博さんが扮する親友・渡真利忍に興味を覚えた。同期は一番身近なライバルであり、しかもどう見ても渡真利の方がエリートコースを歩んでおり、あれほど半沢を助け、同期の中から頭取がでるかもしれないと嬉しそうに半沢のことを言う様は不思議に感じる。

 もっと違和感があるのは、大和田常務が半沢のお父さんの自殺をよく覚えていないという設定だ。殺しを生業にしている者ならともかく、融資を拒絶したばかりに自殺に追いやったとなれば覚えていない銀行員はいない。銀行員でなくてもそうだろう。一生重い十字架を背負っていくのだから。銀行OBの作者がなぜと訝ったが、原作にはないと聞いて安心した。

 このほかにも何点か気になったことがあった。

 まずは、『銀行は日傘は貸すが、雨傘は貸さない』とのフレーズ。これは倒産した中小企業の恨み節だ。たしかに日傘は貸したがる。貸し倒れのリスクの低い先に借りてもらえればそれに越したことはない。一方雨傘は貸さないのかと問われれば、時と場合によると答える。貸したいのは山々なのだ。金利がもっと高くとれる。取引先のピンチを救ったときはえも言われぬ醍醐味となる。在任中は倒産企業を出したくないのでリスクはあるが融資を続けるという支店長もいるかもしれない。

親しくしていた融資先の経営が急変し、社長から土下座をして懇願されたら、融資に応じてやりたいと思うのが人情の常だろう。しかし、回復の見込めない公算が極めて大きいということが分かっていながら融資に応じることは、情実融資であり、背任行為なのだ。これを事前に避けるべく、問題先は支店長決済ではなく本部決済に替わるようになっている。本部が否となれば助けたくとも助けられないのだ。銀行が貸せない先をどんどん貸して行けばどうなるかは、石原前都知事肝いりの新銀行東京の顛末を見れば明白だろう。

『部下の手柄は上司のもの!上司の失敗は部下の責任!』と言う上司も、人材が多く競争の激しい都銀では減点主義なので、たしかに実在するのかもしれない。

私が居た銀行では、人材が少ないので、良い所を見つけては引っ張りあげる得点主義を採っていた。最初は学歴がものを言う。まだ仕事していないので、それぐらいしか判断材料がないのだから。10年も経てば学歴に関係なく幹部候補として大事に育てるか否か分別されていく。それに乗ればある程度の将来は見込めていたので、どちらかというと、『部下の手柄は部下のもの!部下の失敗は上司の責任!』を信条として、部下に慕われる、部下から尊敬されることを心がけようとした人が多かったように思う。

主人公の『やられたら、やりかえす。倍返しだ!』というセリフも引っかかる。他行のOBと居酒屋で飲んでいた折に話題になった。「倍返し」は、本来不動産取引や結納の折安易な契約不履行を牽制するためにあり、不履行の場合貰った手付金や結納金の倍をお返しするというお詫びのしるしのハズである。倍返しの復讐は、復讐がエスカレートすることを戒めたハンムラビ法典の趣旨にも反する。まさか流行語大賞に選ばれると思っていなかったが、これにより、反対の意味に捉えられやすい、「役不足」「気が置けない」「流れに掉さす」らと同じ仲間入りをすることになるだろう。

ともあれ、あれだけ視聴率が高かったのだから、続編が近々放映されるのであろう。堅いだけが取り柄の唐変木との印象を持たれがちな銀行員にも、熱い血が通った奴も居るものだと思ってくれるのであれば、観る価値があるということになろうか。

2014.1 NO.31  せいなん と さいなん

  昭和56年5月3日に神戸で華燭の典を挙げその日は宝塚ホテルに宿泊した。翌5月4日の朝ホテルで新聞を見ると、でかでかと当銀行員の不祥事がスクープされていた。前日臨席いただいた銀行からの主賓たちは急遽本部に集まり善後策を協議することになった。せっかくのGWが連日つぶれてしまい、私一人が浮かれて申し訳ないと思いながら、伊丹空港から宮崎空港に飛び、宮崎フェニックスホテルに宿泊した。翌日観光タクシーで鹿児島に向かい宮崎神宮、霧島高原、西郷隆盛南州洞窟を経由して城山観光ホテルに逗留した。

 翌日は鹿児島空港から南西方向に400マイル(約643㎞)先にある沖縄に向かった。

宮崎、鹿児島の宿泊ホテルはよく覚えているのに、2日間も泊った沖縄のホテルが思い出せない。着いた日妻は水着を買い翌日泳ぐのを楽しみにしていたが、事態が急変し不機嫌となった妻に散々なじられたのを思い出したくないのかもしれない。

 覚えているのは、観光タクシーで沖縄を縦断しているとき、沖縄返還から9年の歳月が流れていたが、①米軍基地が沖縄の一等地を占有している、②本土より10年開発が遅れているとの印象をもったということだ。

 その後も仕事で2度ばかり沖縄を訪れたが、あまり印象は変わらなかった。

 

それだけに沖縄の人々の気持ちも分からなくはないが、地元メディア等反日的な言動をする人たちには共感を覚えない。県外!県外!と言うが、自身が嫌なことを他県に押し付けるというのはいかがなものか?
 米軍基地の負担も真実なら、沖縄も日本国として米軍に守られているのも事実だ。

第二次大戦での犠牲も沖縄だけではない。戦艦大和も撃沈されるのを覚悟の上で沖縄に向かった。赤紙で召集された庶民は各戦地で砲煙弾雨の盾となった。『少年H』に描かれた神戸の大空襲もあり東京大空襲もあった。広島や長崎は原爆を落とされた。核兵器の廃絶は今も訴えて続けているが、米国への直接的な恨み、つらみは今や言わないだろう。

 いつまでも反省を強要し見返りを求める隣国を反面教師としたい。

 国も、米国にものが言えないからといって、いつまでも一部の芸能人のように負い目から子供に不相応な小遣いだけを与え続けるようなマネは止め、国益と県益、健全な形で向き合ってほしいものだ。 

 米ソ冷戦時代での沖縄の米軍基地の意味合いは歴史的評価を待つとして、現在の米中二大強国時代にあっては、沖縄は双方の好点、囲碁で言うところの要石だ(沖縄の人々を石呼ばわりしているわけではない)。

 中国が橋頭堡と狙う尖閣諸島において仮に軍事的小競り合いが起きたとしても、多分今の段階なら日本が征することができるのだろう。しかし、それは中国の核兵器に対するカウンターパワーがあることが前提だ。好むと好まざるとにかかわらず今はアメリカの核の傘に入っておくしかない。嫌なら、それに替わる強力なカウンターパワーを独自開発するしかない。軍事的衝突は絶対に回避し外交努力による解決を目指すとしても、前提は同じだ。



中国は防空識別圏を設定しゆさぶりをかけてきているが、日米同盟における米国の強い意志を知って、また、北朝鮮から眼が離せなくなったことから、暫くの間中国は尖閣、沖縄への直接的な侵略行為は控えざるをえないだろう。今後は沖縄の土地を買い占めるとか沖縄の春?を扇動する方向に向かうのかもしれない。

そんな折、能天気に「琉球民族独立総合研究学会」という沖縄独立学会が昨年5月に旗揚げされた。内部からの離脱の動きは中国とって渡りに船だ。

佐藤優氏らは今や新帝国主義時代に入ったと言っており、そんな中、平和的に独立し理想郷を創るなどあり得ない。すぐに中国に包含されてしまうだろう。

 沖縄が独立する動きがあれば、強く阻止されることになるだろう。1959年“地上の楽園”北朝鮮への帰還事業で北へ帰る同胞を体を張って止めようとした人達と同じ思いだ。最悪は、130数年前の日本最後の内戦“西南の役” の二の舞。新西南の役の勃発だ。その時は沖縄の西郷隆盛として誰が担がれるのか?


さらに、中国が沖縄に加担し、米国が日本政府につけば、まさに、私が生まれた1950年に起こった朝鮮戦争と同じ様相を呈する。

 歴史は繰り返し、沖縄が再度決戦の舞台となり、災難が沖縄の人々に降りかかる。

 自ら禍を招き入れるのか。第二次世界大戦から生き延びた方々を含めサイレント・マジョリティはどう考えているのだろうか。



2013.12 NO. 30 ケイバ と カイバ

 ケイバとは言わずと知れた競馬。年末には1年を締めくくる有馬記念が行われる。今年は凱旋門賞で2年連続で2着となったオルフェーヴルがラストランを飾れるか楽しみだ。カイバは競争馬がたべる餌としての飼葉ではなく、人間の脳の海馬をここでは取り上げる。

 競馬というギャンブルはバイト先で覚えた。高校ではクラブにも属さず受験勉強に明け暮れた生活を続けていたので、大学に合格した後昭和44年春頃から世間を広く知るという目的で多くの職種のバイトをしようと考えた。家庭教師が一番多かったが、せっかちですぐにイラつくので、良い家庭教師とは言えなかった。喫茶店のウエイターでは安定の悪い山盛りになった氷のフラッペを登山帰りの女性客の太ももに溢したりした。ストップオッチで数える市場調査やポリシャーを使った床清掃も経験した(数多くバイトした中で職業に貴賤はないとはいえ私には無理と一日で音を上げたバイトが2つあった)。

 神戸港の日雇労働を午後5時まで行い、その後神戸新聞社旧社屋の8F?にあった系列のスポーツ紙で阪神タイガース命のデイリースポーツでパシリのバイトもしていた。パソコンを駆使する今と違い原稿作成班が起こした原稿を植字するところに走って持っていき、帰りに別の校正原稿を持って帰る作業を反復していた。それで自然と競馬に興味を覚えた。

昭和48年に銀行に就職が内定すると、当時仁川競馬場の近くに研修所があり、入行前研修を受けた。研修の冒頭トップの挨拶でいきなり「君たち、金持ちになることは諦めて欲しい!」(顧客の繁栄を第一義とする「利他」の精神を訓示したものだが、後年「利他」とは他人を利用することかと訝ったこともあった」)と言われて面食らったが、研修担当からは「お金を扱う仕事だからギャンブルはしないように」と言われた。お金が消えた時や収支が合わない時原因が判明しなければ普段の言動により疑いの眼を向けられるとのことだった。入行当時は素直で良い子だった私は、言いつけを守り賭けることは余りしなかった。もっぱらミーハー的にTVで好きな馬や騎手応援するのを楽しみにしていた(40年間で好きだった馬BEST3は、古い順に、のど鳴りで三冠を逃したタニノムーティエ、競馬ファンが涙に暮れたテンポイント、日本競馬界の至宝ディープインパクト)。

 銀行に入行当時関西競馬界では高橋成忠騎手がリーディングジョッキーでタマミ、リキエイカンなどの馬でG1も多く勝っていた。「東の郷原(洋行)、西の高橋」と剛腕で鳴らし好きだった。その陰にかくれて騎手としてぱっとせず、逃げと牝馬で評価されるに過ぎなかった池江泰郎騎手がいた。

 この三人とも騎手から調教師に転身したが、一昨年揃って調教師を卒業した。野球やサッカーでは「名選手必ずしも名将にあらず」と言われるが、競馬界においても同じだ。池江調教師はメジロマックイーンや競馬ファンでもなくても名前を知っているディープインパクトなど数々の名馬を育て名伯楽と呼ばれ(今年馬主にもなった)、騎手時代とは大きく立場が逆転した。

 競馬は記憶のゲーム(あるいはスポーツ)と言われることがある。本気で儲けようと思えば覚えなければならないことがいくらでもある。コースの特徴、騎手の特徴、血統データー、馬の能力・過去の実績、レースでの馬の位置づけ(昇級戦、自己条件戦)、過去のレース展開、パドックでの馬の状態等挙げたら切りがない。金持ちならいざしらず、小金では頭、とくに記憶力を駆使しなければ勝てるものではない。

 

その記憶力と言えは、将棋棋士がすごい。脳の海馬部分が発達しているのだろう。海馬は記憶や空間学習能力をつかさどる器官で、アルツハイマー病において最初に病変が現れるとされている。とくに、羽生善治三冠は、天才と言われる将棋棋士(現役は162名ほどしかいない)の中で天才中の天才と呼ばれる。羽生二冠は早指しのNHK杯で24連勝、4連覇し、10回の優勝で得られる名誉NHK杯選手権者の称号を手にした。

かつてNHKの番組で羽生三冠の脳を解析していたが、実験中他の棋士とは違って羽生三冠だけが海馬近くの嗅周皮質が反応していると紹介されていた。記憶を迅速に働せる能力が際立って高いということだ。

 それは天賦の才能に加えて不断の努力がもたらしたものと思う。神武以来の天才と言われた棋士加藤一二三元名人も上梓した『羽生善治論-「天才]とは何か』の中で羽生三冠は秀才型の天才と評している。

我々凡人は「才能」+「努力」だが、天才は「才能」☓「努力」で、努力次第で天才の中では乗数的に差が付く。天才も磨かなければダイヤモンドにはならない。

将棋の世界以外でも同じで野球の長嶋選手、イチロー選手、体操の内村選手など天才中の天才は努力なしに生まれない。努力している姿を見せないだけだ。

天才の世界は厳しい。勝つことを宿命づけられた、馬の芸術作品と呼ばれるサラブレッドは2歳でデビューし3歳の秋までに1勝しないと原則引退(過酷な運命が待っている)。それと同じように厳しいのが将棋の世界。将棋棋士も三段になって26歳までに四段に上がらないと引退させられる。佐藤慎一現四段は、ラストチャンスの年に昇段できなければ馬に関する仕事をすると決めていたと故米長前会長が書いていた。同じ厳しい勝負の世界に身を置く競争馬に共感を覚えていたのであろうか。

2013.11 NO.29 ステルス と スキルス

 この春北朝鮮の金正恩第一書記の居所の上を監視網潜って飛び回ったと噂されるのは米国のステルス戦闘機。スキルスと言えばスキルス胃癌。ともに潜航し見つけ難い。急に眼の前に現れる戦闘機も怖いが、気が付いた時既に手遅れの癌もまた恐ろしい。

 1988年元来白ポチャが好きでファンだった堀江しのぶさんが23才の若さでなくなった。本人にも伏せられていたほどで当時スキルス胃癌とは知らなかった。スキルス胃癌が世に知れるのはなんといっても人気アナウンサーの逸見政孝さんのケースだ。弟さんが先にスキルス癌で亡くなっており、逸見さん本人もその怖さを知っておられたと思うのだが、1993年末同じスキルス癌で惜しまれながらこの世を去った。

この当時、NHKのニュースを見ていると、なんと高校時代の同級生で当時から秀才の誉高かった笹子三津留君が出ているのに驚いた。東大入試中止の翌年東大医学部に入り直したとは便りに聞いていたが、ブラウン管を通して20数年振りに尊顔を拝した。確か「逸見さんは本当のことを教えられておらず、頓珍漢なことを言っておられる」と話していたと思う。

癌の存在が認知され始めた当時不治の病だとされ医師は患者には本当のことを言わなかった。その後医療が発達し治療法も確立されて来たのに、依然として先輩たちが本当のことを言わないことに若手医師たちは疑問を感じていた。そんな心ある若手の先頭に立ち国立がんセンターの臨床医をしていた笹子先生は『家族がガンになったとき』(1992年11月発刊)を上梓し、告知およびインフォームド・コンセント(正しい説明と同意)の重要性を説いていた。

 私の義母も昨年末スキルス胃癌で亡くなった。主治医からではなくひょんなことから告知を受けてしまうのだが、昔近所に住んでいたあの人やこの人に会いたいと言い出かけて行った。最後は子供や孫たちに感謝の言葉だけが続いた。奇しくも一日遅れで亡くなった私の母は癌ではなく自分の寿命が分からなかった。内心では感謝していたと思うのだが、1年半もの看病していた兄や姪に感謝の意を伝えることなく逝ってしまった。

 命に限りが迫っていると本人が知れば後顧の憂いなく始末したいだろう。中小企業のオーナーならなおさらだ。

 患者等が正しい情報を得ることになった功労者には近藤誠医師もいる。

 近藤先生の著作を読んだ私も、白血病などを除いて抗がん剤は効果が疑問だということと癌には転移する本物の癌と癌もどきがあることを知った。前立腺がんと分かる前から、手術はせず放射線治療と心に決め、そのとおり実践した(78歳にもなる俳優北村総一朗さんが舞台を降板してまでも前立腺がん手術を急いだ理由を聞けるものなら聞いてみたい)。

 近藤先生の功績はなんといっても医療界の愚民政策に風穴を開けたことにあるが、異端児どころか当初は魔女扱いであった。それゆえ慶応大医学部の万年講師に甘んじることになったが、それでも辞めず居続けたのは、慶応大の懐が深いというよりは先生がそれほど怖く、強かったのだろう。

 精力的な情報発信を続けた近藤先生は、『ホンマでっか!?TV』でお馴染みの生物学者池田清彦先生も20年来の信奉者となるほどで、昨年菊池寛賞を受賞し完全に市民権を得た。

 医師の言うことを盲信する患者たちの眼を覚まさせるために、『患者よ、がんと闘うな』や『抗がん剤は効かない』と先生の著書には衝撃的なタイトルが躍るし、口調も強い。目から鱗の話も多いが、それでも私は自己責任で取捨選択する。先生は前立腺がんのホルモン療法より睾丸を取れと言うが、私は宦官になるつもりはない。

 近藤先生の著作がベストセラーになっている今日、逆に今度は近藤先生に盲従する大衆が出てくる。それなら肉を食べるな、牛乳を飲むなと言う教祖と変わりがなくなる。それは先生の本意ではないだろう。メジャーになった今先生の情報発信のやり方が変わってくるのかもしれない。



笹子先生や近藤先生の尽力により告知やインフォームド・コンセントが義務のようになると、逆になんでもかんでも医師が本人に告知してしまうことが起きてくる。家族が反対するのを押し切って本人に告知しそれがもとで早く逝ってしまったケースは裁判沙汰になっている。患者や家族の立場に立って何がベストかを考えようともせず、保身的な言動に終始するのなら、医は仁術とは言えない。ロボットの方が余計なことを言わなくてよい。

個人情報保護法で私も眼に見えぬストレスを感じたことがある。数年前某大学教授がすい臓がんで亡くなり、その教授が会長をしていた団体から訃報が回ってきた。が、肝心の喪主欄が空欄となっており、FAXしてきた団体に聞き返すのも嫌味と思い、八王子方面の斎場に弔電を打ちたく喪主名を教えて欲しいと電話した。するとそれは個人情報だから喪主側に聞けと言われ、やり切れぬ思いで電話を切った(若い頃なら罵倒していたが、私も大人になったものだ)。

 法律になってしまうと、逆にその法律を作った趣旨や想いが忘れ去られてしまい、保身だけに走ってしまうのを見るのは、実に面白く、ない。






2013.10 NO.28 ゴビンダ と ゴビンタ

 東電OL殺人事件のゴビンダさんの再審が昨年8月に確定した。早々と日本を離れたゴビンダさんはまっぴらゴメンダと二度と日本の土を踏むことはないだろう。

 1997年3月事件が発生した当時のその前後私は渋谷の昼間人口に数えられていたので、事件ゆかりのネパール料理屋にも何度か行ったことがあった。

殺されたWなる女性が大企業東電のOLという昼の顔だけではなく、江戸の夜鷹のような夜の顔を持っていた。まさに小説より奇なりとして当時私も関心が高かったが次第に記憶の片隅に消えて行った(当初からゴビンダさんの無実を信じ支援してきたボランティアの女性達には頭が下がる)。

 ゴビンダさんは日本の司法に5度ビンタされた。1度目は、1997年3月入管難民法違反で逮捕。2度目は、2000年5月無罪勾留は人権侵害だとする弁護団の異議棄却。3度目は、2000年12月のT裁判長による逆転有罪判決(無期懲役)。4度目は、2003年上告棄却(刑務所での服役生活開始)。5度目は、2005年の弁護団の再審請求から再審決定まで7年の歳月が経過(もっとも司法界の常識からすると異例ともいうべき短さだという)。

1度目のビンタはゴビンダさんが悪い。不法滞在していなければ、Wと面識がないとのウソをつく必要もなかった(このため捜査関係者はクロとの心証を強く抱くことになった)。

 銀行でも取引先が粉飾していると分かると手のひらを返した対応をすることがある。警察・検察の方は銀行なんかと一緒にするなと怒るかもしれないが、私などはすごく親近感持っている。若い頃「警察官は人を見たら泥棒と思え。銀行員は決算書を見たら粉飾と思え」と教えられた。一昔旅館業界では三コウ(銀行、ポリ公、先公)と呼び、固い職種だけに却って宴会で乱れる要注意職種の代表としてブラックリストに載っていたという。

 銀行は大衆の大事な金を預かる。警察・検察は、財産だけではなく命も守る。ともに公共性の高い仕事であるが、ともに数字を持たされている。銀行も預金量、貸出量を上げんがために勇み足をしたり、越えてはならぬ一線を踏み外す場合がある。それを防止したりチェックするために、銀行内部の検査があり、さらに数年に一度日銀考査や大蔵検査(現金融庁検査。TBSドラマ『半沢直樹』の舞台にもなった)を受けることになる。

警察・検察も検挙率等数字をもたされている。とくに、マスコミや作家達の好奇心をいたく刺激する事件では絶対に犯人を起訴し、有罪にしなければならない。証拠が十分でないとしても一旦起訴したからには、DNAがなんであれ秘密の暴露をして真犯人が自首でもしない限り「今もって彼が犯人だと信じて疑わない」と言うほかはない。

 裁判官の役割は、刑事裁判の場合検察官が有罪の証明を成し得たかどうかを判断することであり、その立場からして警察・検察の行き過ぎ・暴走をチェックする機能も本来有してしているのではと私は思う。しかるに、起訴するか否かの裁量権が検察にあり、起訴できると確信をもったものだけを起訴すればほとんど100%近くが有罪となる日本の裁判においては、あたかも東電と経産省の関係のごとく検察官と裁判官の関係が逆転しているかのような感がある。『犬になれなかった裁判官』(安倍晴彦著)によれば、社会の秩序維持の観点から警察・検察・裁判所は三位一体の関係と言う。若い判事補などは警察・検察の意向に沿わなければ時には罵声を浴びせられる場合もあるとのことだ。

 一審で無罪判決を言い渡した大渕敏和裁判長はその後左遷させられたとみられている。まるで、「よくも警察・検察に大恥をかかせたな」と上層部の逆鱗に触れたかのようだ。当時作家の佐野眞一氏は渾身の取材を経て『東電OL殺人事件』を書き、司法の判断に真正面から挑んでいた(週刊朝日の橋下市長特集記事を書いた同じ人物とは信じられない)。

 償うかのような逆転有罪判決等あとの4度に亘るビンタは酷い。不法滞在の外国人であったとしても、その人の命、人生が虫けらのように扱われて良いハズはない。

 それでも、弁護団等の粘り強い支援により再審の道は拓かれた。2011年の3.11以降エスタブリシュメントの一角から東電がすべり落ちたその同じ時期の2011年7月に第三者の犯行を示唆するDNA鑑定結果が判明したことは、まるで、同じ東電社員であったWの父親の遺志を継いで原発の危険性を指摘したレポートを作成し社内で孤立し、最後は変死していったWの怨念がそうさせたかのようで、因縁めいていると思う。

 かくして、再審を決定した小川正持裁判長は正義の味方となり、一審無罪を破棄し逆転有罪判決を下したT高裁判長は昨年の週刊誌での特集『冤罪 ゴビンダさんからの手紙』の中でこう酷評された。「狭山事件の第二次再審請求を棄却し、足利事件の被告側控訴も棄却している。これほど多くの冤罪事件にかかわっている以上、裁判官としての資質を疑わざるをえない」と。ここまで言い切られるかとネットで調べようとしたところ既に鬼籍に入っていた。読売新聞社会部が上梓した『東電OL事件~DNAが暴いた闇』等からすると、T裁判長は、検察の言い分を丸呑みするとの評価と当時の刑事裁判を代表する裁判官の一人との評価に分かれている。犬になれなかったとする安倍元裁判官ならどう評定するのであろうか。