2014. 7 NO.37 らち と ふらち
今日北京にて拉致問題における日朝政府間協議が行われる。一ヶ月前の報道では、拉致被害者の返還ではなく、誠実に北朝鮮が拉致被害者の安否を調査すれば経済制裁(人的往来の規制措置、送金に関する措置、人道目的の北朝船舶の入港規制措置)を解除するという。なんとも物分かりの良い話だ。アメリカとの核問題における交渉に対しても不埒な態度を取り続けた北朝鮮が、今度は北朝鮮の暗部を知る拉致被害者を既に逝っていると言わないのか。遺骨を入れ替えるなどの行為はしないと言えるのか。それとも象徴的な横田めぐみさんを戻して幕引きを図ることはしないのか(特定失踪者は8百人を超え、大半が北朝鮮の拉致と見られている)。
小泉首相の折、3組5名の拉致被害者が帰国した。戻ってきた家族には僥倖であったが、一枚岩だった被害者家族の会にひび割れが生じた。
今度も首相は訪朝し数名連れて戻ってくるつもりなのか。里子に出した子を迎えに行くのとはわけが違う。どこの世界に自国民が拉致されて大きな土産をもってのこのこと出かけていく国があるのか。国民には子供が誘拐されたら勝手に身代金を払わずに警察に連絡しろと指導しておきながら、大きな土産の中身を隠して電撃的に訪朝する。世界はさすが平和国家はやることが違うと評価すると思うのか。
数年前『アルゴ』という映画が封切られた。1979年のテヘランのアメリカ大使館員救出の実話を描いた映画だ。イラン内のカナダ大使公邸に匿われた6人の大使館員を救出するのは困難の極みで打つ手が難しい。それでも見捨てはしない。CIAは奇想天外ともいうべき架空の映画(『アルゴ』)をでっち上げその6人をロケハンのスタッフに見せかけてイラン国外に脱出させる計画を立て、見事に成功させた。見破られたらCIAの工作人もろとも皆殺しにされる。民間人のためとは言えないが、自国民の命を自らの命を賭して救出させた。
敗戦国日本は国民を守れない。拉致されたと分かっても手出しができない。沖縄米軍の狼藉に対しても無力に等しい。
経済的な大きな見返りを代償に数人をありがたく北朝鮮から返してもらう。これを訪朝した首相が歴史に名を残したと思うなら、なんという欺瞞だと私は思うのだが、だれもそんな公言はしない。しかし、一人はいることが分かり安心した。
軍事ジャーナリストの鍛冶俊樹氏は、自著の『国防の常識』の中で、「拉致問題はなぜ解決しないのか?」と題して、P77~78にかけて、こう書いている。「・・・。一般の日本国民は震災の市民ボランティアを見るまでもなく、国民を守ろうとする気概に溢れている。ところが、日本の肝心の国家中枢にはこの気概が見られない。「日本国憲法」があるから国民を守れないのではない。国家中枢に国民防衛の理念と情熱がないからである。これが典型的に現れているのが、北朝鮮による拉致問題である。政府は一貫して、北朝鮮に対して対話と圧力で臨むという姿勢である。しかし、これは誘拐犯と交渉するということだ。誘拐犯が特定できない段階では交渉は唯一の情報収集手段である。だが、誘拐犯が特定されれば、そこから被害者の位置を特定し、踏み込んで、被害者を救出するのが常套手段だろう。・・・・・・。具体的には各種情報機関により情報収集し、綿密な作戦計画を立て特殊部隊を潜入させ救出する。どこの国でもこうした手段を検討するのは当然だろう。ところが、日本の国家中枢は始めからこうした手段を放棄している。・・・・。自衛隊に救出する気がないのではない。政府や国会などの国家中枢にその気がないのである。」
これを理解する賢い?政治家は拉致問題への言及を避ける。今までの延長線上で全拉致被害者を救出させると高らかに唱える政治家は、ひとが良いというよりむしろ悪いのでないかと思ってしまう。
戦国時代末期ポルトガル人イエズス会士のジョアン・ロドリーゲスが『日本教会史』で「自分の保護と援助の下に身をおいている者のためには無造作に、わが生命を賭ける」と称賛したとされる日本人はどこに行ってしまったのだろうか?
有事に同盟国米国の兵士の命を守る仮定の話で集団的自衛権の行使を議論するのなら、目の前にある拉致被害者の命と家族の苦しみを救うため憲法解釈の変更や憲法改正を議論するべきではないのか。
平和国家、平和国家と言うが、一体誰のための平和国家なのか。武力をもって他国に侵略しないと言ってくれるのは他国にとっては勿怪の幸い。しかし、一方的にそう宣言しているだけで、その代わり絶対攻めて来るなとは言っていない。永世中立国のスイスは、攻めて来たら二度とそんな気を起こさせないほど酷い目に遭わせるとの気概と態勢をとっている。拉致されてもすぐ取り戻せない。侵略されたら個別的自衛権はあるがそんなに武力を行使していいのかと言っているようでは、日本国民にとって平和国家でもなんでもない。
日本国民が日本国に帰属意識を持ち、税金を払うのは、国が自分の生命と財産を守ってくれると思うからだ。平和国家の幻想から目を覚まし、国というものの原点に立ち返って考え直す時に来ていると思う。