2013.12 NO. 30 ケイバ と カイバ
ケイバとは言わずと知れた競馬。年末には1年を締めくくる有馬記念が行われる。今年は凱旋門賞で2年連続で2着となったオルフェーヴルがラストランを飾れるか楽しみだ。カイバは競争馬がたべる餌としての飼葉ではなく、人間の脳の海馬をここでは取り上げる。
競馬というギャンブルはバイト先で覚えた。高校ではクラブにも属さず受験勉強に明け暮れた生活を続けていたので、大学に合格した後昭和44年春頃から世間を広く知るという目的で多くの職種のバイトをしようと考えた。家庭教師が一番多かったが、せっかちですぐにイラつくので、良い家庭教師とは言えなかった。喫茶店のウエイターでは安定の悪い山盛りになった氷のフラッペを登山帰りの女性客の太ももに溢したりした。ストップオッチで数える市場調査やポリシャーを使った床清掃も経験した(数多くバイトした中で職業に貴賤はないとはいえ私には無理と一日で音を上げたバイトが2つあった)。
神戸港の日雇労働を午後5時まで行い、その後神戸新聞社旧社屋の8F?にあった系列のスポーツ紙で阪神タイガース命のデイリースポーツでパシリのバイトもしていた。パソコンを駆使する今と違い原稿作成班が起こした原稿を植字するところに走って持っていき、帰りに別の校正原稿を持って帰る作業を反復していた。それで自然と競馬に興味を覚えた。
昭和48年に銀行に就職が内定すると、当時仁川競馬場の近くに研修所があり、入行前研修を受けた。研修の冒頭トップの挨拶でいきなり「君たち、金持ちになることは諦めて欲しい!」(顧客の繁栄を第一義とする「利他」の精神を訓示したものだが、後年「利他」とは他人を利用することかと訝ったこともあった」)と言われて面食らったが、研修担当からは「お金を扱う仕事だからギャンブルはしないように」と言われた。お金が消えた時や収支が合わない時原因が判明しなければ普段の言動により疑いの眼を向けられるとのことだった。入行当時は素直で良い子だった私は、言いつけを守り賭けることは余りしなかった。もっぱらミーハー的にTVで好きな馬や騎手応援するのを楽しみにしていた(40年間で好きだった馬BEST3は、古い順に、のど鳴りで三冠を逃したタニノムーティエ、競馬ファンが涙に暮れたテンポイント、日本競馬界の至宝ディープインパクト)。
銀行に入行当時関西競馬界では高橋成忠騎手がリーディングジョッキーでタマミ、リキエイカンなどの馬でG1も多く勝っていた。「東の郷原(洋行)、西の高橋」と剛腕で鳴らし好きだった。その陰にかくれて騎手としてぱっとせず、逃げと牝馬で評価されるに過ぎなかった池江泰郎騎手がいた。
この三人とも騎手から調教師に転身したが、一昨年揃って調教師を卒業した。野球やサッカーでは「名選手必ずしも名将にあらず」と言われるが、競馬界においても同じだ。池江調教師はメジロマックイーンや競馬ファンでもなくても名前を知っているディープインパクトなど数々の名馬を育て名伯楽と呼ばれ(今年馬主にもなった)、騎手時代とは大きく立場が逆転した。
競馬は記憶のゲーム(あるいはスポーツ)と言われることがある。本気で儲けようと思えば覚えなければならないことがいくらでもある。コースの特徴、騎手の特徴、血統データー、馬の能力・過去の実績、レースでの馬の位置づけ(昇級戦、自己条件戦)、過去のレース展開、パドックでの馬の状態等挙げたら切りがない。金持ちならいざしらず、小金では頭、とくに記憶力を駆使しなければ勝てるものではない。
その記憶力と言えは、将棋棋士がすごい。脳の海馬部分が発達しているのだろう。海馬は記憶や空間学習能力をつかさどる器官で、アルツハイマー病において最初に病変が現れるとされている。とくに、羽生善治三冠は、天才と言われる将棋棋士(現役は162名ほどしかいない)の中で天才中の天才と呼ばれる。羽生二冠は早指しのNHK杯で24連勝、4連覇し、10回の優勝で得られる名誉NHK杯選手権者の称号を手にした。
かつてNHKの番組で羽生三冠の脳を解析していたが、実験中他の棋士とは違って羽生三冠だけが海馬近くの嗅周皮質が反応していると紹介されていた。記憶を迅速に働せる能力が際立って高いということだ。
それは天賦の才能に加えて不断の努力がもたらしたものと思う。神武以来の天才と言われた棋士加藤一二三元名人も上梓した『羽生善治論-「天才]とは何か』の中で羽生三冠は秀才型の天才と評している。
我々凡人は「才能」+「努力」だが、天才は「才能」☓「努力」で、努力次第で天才の中では乗数的に差が付く。天才も磨かなければダイヤモンドにはならない。
将棋の世界以外でも同じで野球の長嶋選手、イチロー選手、体操の内村選手など天才中の天才は努力なしに生まれない。努力している姿を見せないだけだ。
天才の世界は厳しい。勝つことを宿命づけられた、馬の芸術作品と呼ばれるサラブレッドは2歳でデビューし3歳の秋までに1勝しないと原則引退(過酷な運命が待っている)。それと同じように厳しいのが将棋の世界。将棋棋士も三段になって26歳までに四段に上がらないと引退させられる。佐藤慎一現四段は、ラストチャンスの年に昇段できなければ馬に関する仕事をすると決めていたと故米長前会長が書いていた。同じ厳しい勝負の世界に身を置く競争馬に共感を覚えていたのであろうか。