2015.5 NO.47 バブル と ダブル (1)

 銀行の証券部時代の一時期私の部下となり、その後総合企画部に移った後輩と十数年振りに再会したとき、「(銀行の生え抜き)トップ3を三途の川と呼んだらしいですね」と言われ、そんなこともあったなと思い出した。

平成4年に大蔵検査が入った。その主任検査官との部長面談の折確かにそう言った。その頃大蔵省から天下りでトップが来ていた。人質なのだからできの悪い人を招へいしたと噂されていた。たしかに、平時では問題ないが、有事には大事な局面で出来の悪さを発揮して困らせた。私も迷惑を被り腹に据えかねていたので、主任検査官の面談で、最低だ!と言い、返す刀で、当時生え抜きトップ3人がH川会長、I川副社長、H川専務と姓に川がつくのでそう呼んだ。今考えてみれば大蔵省の検査官にそんなことを言っても何もいいことはないのに、それだけ追い詰められていたのだろう。銀行を助けてくれと何度も言った。主任検査官は「何様のつもりか!?」とあきれて印象に残っていたのだろう。

 その時はまだ辞職する気持ちにはなっていなかったが、帰属意識はすでに薄くなっていたのかもしれない。また、その頃からキャリア官僚としての特権階級を疑問視し始めた。優れた人が処遇されるのは特権でもなんでもない。一度国家上級試験を通っただけで、できの悪い人も終身処遇されるのはコストが無駄であるし、第一周りが迷惑する。

新宿支店から証券部に移って1年が過ぎた平成3年の秋頃か、私自身は日経平均先物で日々勝負し、さらに、日経平均先物のオプション取引をしていた。6ヶ月後に日経平均が想定水準を割っていなかったら5億円がタダ取り(プットの売り)できるもので、5億円を2本タダ取りしたこともあった(噂によると、某投資顧問事件でこれを私の100倍の単位で勝負し負けたと聞く)。ただ、大蔵省検査では褒められるどころか銀行経営になじまないと叱られた。

だが、どちらにしろ大したことではなかった。当時銀行には売れない株が1,500億円もあった。銀行同士株を持ち合いしていて、下がると分かっていても売れないのだ。その株の管理は隣りの資金部が管理していた。私がいた証券部はそれを先物でヘッジする役割を担っていた。元々1,500億円の半分しかヘッジできないし、ヘッジして逆に株が上がれば多額の評価損を抱えることに理解を示す人はいない。そこで、担当役員に「素人の私が証券部長をやっているぐらいだから、資金部だって先物はできる。資金部に先物の売り買いの権限を委譲したい」と申し入れた。すると意に反して、「君がそこまで言うなら、1,500億円の株を証券部で管理すれば」と言われてしまった。策士、策に溺れるではないが、やぶへびとなってしまった。さぁ大変! 銀行の命運が私の貧相ななで肩にのしかかってきた。

 当時は時価発行増資が行われており、額面50円の株を例えば1,000円の時価で発行することができた。一株当たり950円の返さなくてよいお金が集まるということになる。

 打出の小槌よろしく、私の居た銀行は他行よりも頻繁に時価発行増資を行った。だが、発行すれば株の引き受け手が必要となり、他の銀行に頼むと同じように株を引き受けざるを得ない。それで株価変動リスクに耐えうる銀行体力以上の株が政策投資の名の下に膨らんで行った(時価発行増資の乱発のツケが証券部に押し付けられることになる)。

 株が上がっているうちはよいが、バブルが崩壊し、株が下がってくると、銀行全体の利益に影響してくる。バブル崩壊は不良債権の増大をもたらし、本業収益の悪化をカバーすべく政策投資として所有する銀行株等をクロス売買して益出して簿価を上げてしまう。当時株の評価は低価法がとられ、期末に株の簿価より時価が下がれば評価損を計上しなければならなかった。

 平成4年3月末の決算、できるだけ株価を上げたいとする金融機関の思惑を見透かして外資が売り浴びせてきた。所有する大口の銀行株の売り気配に買いを入れて消そうとしたが、“B29を竹やりで突く”というのはこういうことかと嘆息した。

 一難去ったと思ったら翌日新年度(平成4年度)の初日からほぼ総銘柄において株価が続落し(3/31日経平均19,345円、4/9同16,598円)、ノアの方舟の大洪水のごとく所有株がすべて水浸しになってしまった。1週間で評価損が年間の業務純益の1.5倍まで膨らんだ。期末までに株価が戻らなければ、前代未聞の銀行の大赤字となる。1年間全行員が汗水たらして得た利益を期末1日の株価次第で帳消しして余りあることになる。それは、株式不況の最中、すこぶる現実味を帯びていた。


2015.4 NO.46 ゆうせん と ゆるせん

入学シーズンが到来した。新入生たちは期待と不安で緊張した面持ちで入学式に臨む。はたして今年はどうなのだろうか?

昨年埼玉の50代の女性教諭が担任の入学式に出席せず自らの子供の入学式に出席して物議を醸した。教育長は自らの子を優先するとは許せんと異例の注意喚起を行った。

子供が小学生にあがるのならともかく高校生の息子に付き添ったということでは私としては同情できない。私が高校受験した49年前の当日の朝、私は進んで勉強するタイプで日頃受験に無関心を装っていた母親が受験会場まで一緒についてくると言い出した。気遣いは嬉しかったが、そんな恥ずかしいことは止めてくれと駅まで走って逃げた。

高校生になった男子なら、心細いというより、母が教師として担任の入学式に出ていることを誇らしげに思うハズだ。母親が子離れ出来ていないだけだと思う。

聖職者としての自覚をもてとの教育長のお達しに対する反応において、いろんな意見があってしかるべきとは思うが、ネットで反対意見が過半数を占めていることには驚いた。

当時の週刊誌によると、それらの反対意見に対して、普段オネエ言葉の尾木ママ(教育評論家尾木直樹氏)が聖職の観点から一人猛然と反論していたのには尾木ママの男気を感じた。

反対意見は、「自分の子供がかわいいのは当たり前だ」「年次休暇を取って何しても勝手だ」「校長が認めている」などで、そこには聖職者としての視点がない。

我々と同じ一労働者と言うなら「教師」ではなく、教えることが仕事の「教仕」でよいだろう。

48年前神戸高校2年の折別府に船で修学旅行に行く際、550名の生徒を講堂に一堂に集め川﨑汽船の担当者がガイダンスした。「万が一の時は船の一番高い所に登ってできるだけ遠くにお飛込みください。」と。不安を煽らないようわざと“お飛込み”と面白く言っていたと同窓の女子が覚えていた。学校側の未来ある命への気遣いと責任感を感じさせた。

昨年4月16日の韓国の旅客船沈没事故(300名以上の修学旅行学生等が犠牲)の折、最後まで船と運命を共にすべき船長らがさっさと逃げ、助かった引率の教師が首をつって自裁した。前述の教育長に異を唱えた人たちは、「自らに非がないのだから何も死ぬことはないだろう」と言うのか。親から預かった大事な子供達を守れなかったことに対し命で償った。心から冥福を祈りたいと言うほかはないだろうに。

多忙、体罰、いじめ問題、モンスターペアレンツなど教師は疲弊・委縮し、校長はそんな教師のなれの果てなのか? 私が通った中学校は当時神戸市内で3本の指に入る柄の悪い学校だったが、不良たちも先生には逆らわず、ましてや手を出すことは絶対しなかった。

一体どうして教師がこんなに軽い存在になってしまったのだろうか?

教師と並んで先生と呼ぶ代表格の医師も同じだ。「医者の不養生」と言う諺がある。養生を説く割には医師自身はかえって不養生なのを揶揄しているのだが、それは自身の健康よりも患者のそれを優先している為だと思う。私の主治医も前立腺がんを調べる生検を私に再三勧めていたが、自身はすい臓がんで6か月程であっという間に逝ってしまった。好感のもてるよい女医だったが、頭の中は患者のことで一杯だったのだろうと思った。

今さだまさしさんの小説の映画『風に立つライオン』が封切りされているが、現実の世界においても西アフリカでエボラ出血熱の治療にあたる国境なき医師団に頭が下がる。

フクシマ原発事故当時放射能漏れの中逃げずに患者を診続けていた医師がいた。避難した医師の中には罪悪感に苛まれた人がいたという。それでこそ医師というものだ。

 こんなに儲かるのだと言わんばかりに何かにつけスポンサーに名乗りを上げる整形外科医がいるが、美容整形はそんなに儲かるのか。

 これを見て、何かあるとすぐ訴訟される外科を嫌い整形外科に走るなら、医は仁術ではなく算術。ハリー・ポッターの世界ならそんな医師は石に変えられるだろう。

 我々庶民の夫婦のライフスタイルも変わった。我妻が「今は幼児を連れて夫婦が外出するとき夫が抱っこしている。私たちのときは妻が抱いていた」と言った。確かにそう言われればそのようだ。お産の時も今は夫が立ち会うらしい。私は女の正体・本性を見るようで怖く絶対に立ち会いたくはない(無痛分娩なら眠れる森の美女かもしれないが)。

子供の運動会等も、「父親がいない子もいるのに、(父親が)いるだけで・・・」と休みなのに行かないことが多かった。今は当時変にイキがっていたと後悔しており、オシメも替えるなど夫が積極的に育児に協力する今の流れはよいことだと思う。

ただし、100%の賛同ではない。私の所属する協会での話。子供の卒業パーティーか何かがあると若手委員から連絡が来た。「それはおめでたい。ん、それで?」と聞くと、協会の行事に出られないと言う。学校のか近所でのパーティーか知らないが、奥さんだけが出れば済むだろう。旦那も必要となら土日にすればよいではないかと思うが、部下でもないし、手弁当で協力してもらっているので余計なことは言わない。ただ、遅れても顔出すぐらいの思い入れもないのなら、責任のある協会役員には推薦できないと思うだけだ。

 古い奴だと思われるかもしれないが、時代が変わり日々進化するとしても、変えてはいけないものがあるハズだと思う。



2015.3 NO.45 かけがいのない と かけがえのない

 少し前四十の独身男が会社を辞し私が所属する団体の委員も辞めた。いろいろあったが有志で送別の宴を催してあげようと声をかけたところ、「出ないといけませんか?」と当人に言われ、35年以上前の遠き日のことを思い出した。

昭和49年1月神戸から新宿支店に転勤となった。新宿支店の先輩たちはゴルフに夢中になっていたが、その頃若き尾崎将司プロが快進撃を続け日本トッププロの座をかけ登っていた。当時ツイッギー女史に端を発したミニスカートの流行がまだ続いており、新宿支店でも女子行員が少し前屈みになるとパンツが顔を覗かせていた。

パワハラによるセクハラは当時でもあったが、まだ大らかな時代であった。今なら完全にアウトな私だったが、それでもスキンシップとはいえ女子に触るのは躊躇した。ある一人の女子を触ると、触られた本人ではなく、他の女子が「あの子に気があるのだ」「依怙贔屓だ」とうるさかった。他の女子たちにも同じことをさせられる羽目に陥るので、めんどくさいのだ。今の若い人は信じないだろうが、そんな時代だった。

 その頃毎年新卒の女子行員が2~3名4月に配属されてきた。3月に入ると既女子行員の雲行きが怪しくなり、われら独身男性は期待に胸を膨らませた。期待に反する年はしかたなく来年に期待しようと思い直すのであった。

 あの年は不作。若手の中では中堅となっていた私は新人の二人の女子に声をかけた。「近々新入行員歓迎会を行いたいのだが」と問いかけると、二人揃って「出ないといけませんか?」と返事がきた。日本語が通じないのか。声のかけ甲斐のない返事に憤慨した。

 既女子行員もユニークだった(今はいいお母さん、いやお祖母さんになっていることだろう)。貸付係りの女子は昼間からにんにく臭をぷんぷんさせている。昼間から餃子を食べないといけないのかと聞くと、悪びれるどころか、「体が求めているの、フフフ」とあしらわれ、夜何してんだとあきれたものだ。

 昼間は淑女で、夜お酒が入ると淫乱(言い過ぎ!)になる、男子にとって理想的な女子(あくまで個人の見解)もいた。こちらも嫌いではなく、私のことだけ好きになってくれたらと言われもしたが、意気地がなかった(今にして思えば・・・・)。もっとすごい女子もいたが、触れるのはさすがに気が引ける。言えることは、男子寮の飲み会などで男どもは自慢したがる。女子よ、職場恋愛に気を付けろ! 本命でなければ言いふらされる。間違いない!!

 そんな飛んでる女子が多い中に、東京育ちなのにまったくと言っていいほどすれていない田舎娘のような女子が昭和53年4月に入ってきた。それが妻だった。妻と私は歓送迎会で一緒になっただけ。私か送られる方で妻が歓迎される方、ともに主賓席に並んだ。仕事は一日も一緒にしていない。一期一会で終わるハズが、神戸の男と福島をルーツとするあずま女が3年後に:結婚することになった。後年「僕たちは赤い糸で結ばれていたのだ!」と妻に言うと、鳥肌が立つ仕草をした。いつもながら可愛げがない。

 新婚旅行先の宮崎空港で拾った観光タクシーの運転手さんが、見合いか恋愛か聞かずともすぐわかると豪語した。「私たちはどうですか?」と聞いたところ、一瞬間があって「どちらでもない」と答えが返ってきた。恋愛だとペアルックだったり互いの荷物も一緒くたにどちらかにぞんざいに置く。見合いの場合は、服装もばらばらで荷物も自分の脇にしっかりと置くものらしい。私たちは、一応社内恋愛であるが、一緒に仕事はしていないし先輩の仲立ちもあったので社内見合いに近い。運転手さんはさすがに長年カップル(当時はアベック)を見てきたことはあるものだと感心した。

 妻が勤めていた時の銀行の支店長は、妻を頭がいいと言っていた。どう見ても脳ミソよりも脂肪の方が多いと思うのだが、社会的IQ(他人への気遣い、円滑なコミュニケーション力)が高いと支店長は見ていたのだ。道理で、IQは高くないが、社会的IQはもっと低い私は、「学校の勉強なんて社会に出て何の役にも立たないことがアンタを見ててよく分かった!」と七つ年上のアドバンテージもどこへやら妻にいつも見下げられていた。

妻は銀行の女性の先輩たちに騙されたと愚痴る(当時私は独身ということもあり、女子達での評判は珍しく悪くなかった)。「チープすぎる玉の輿に乗ってやったつもりがいつの間にかボロ神輿を担がされていた」とぼやく。

しかし、妻は、口では違うことを言っていても、どんな亭主であれ一旦配偶者となれば添い遂げようと思う人だ。苦労をかけ、見た目は変わってしまったが、心はきれいなままだ。三人の子供に対しても、私のDNAをうまく消し去り、他人を怒らせない気遣いのある子に育ててくれた。

見えない空気とは違い、妻は厭でも目につくが、ともに掛け替えのないものに変わりはない。

早や3年になるか。長男の結婚披露宴の最後に新郎の父としてこう挨拶した。

「・・・私も30年前このような披露宴を開きました。その時銀行のある先輩からこの結婚が君の人生で最大の喜びになると言われました。そのとき意味が理解できず、すこしむっとしたことを覚えています。あれから30年人生山あり、谷ありでしたが、今振り返って、たしかに妻との結婚が一番だったなぁと思うに至りました。新郎も、社会人として成功しても、しなくても、そう思えるように二人して・・・」

 妻は「本当かしら!?」と言っていたが、少しは罪滅ぼしになったと思ってくれただろうか。


2015. 2 NO.44  はらたつきり と はらたつのり

 数年前と言ってもかなり前の話だが、長男が就職し東北に赴任するとき、見送る妻が泣き出した。戦地に送り出すわけでもあるまいしとあきれたが、不覚にももらい泣きしそうになった(涙もろくなったことに老いを感じる)。
 普段旅行に誘っても四の五の言う妻であったが、長男のところに遊びに行こうと言うと、二つ返事。数か月後長男と函館で待ち合わせした。

 ロープウェーで親子3人函館山に登ったが、あいにく雨模様で霧がかかり、長崎、神戸と肩を並べる夜景が台無しだ。夢中は楽しいが、霧中は興ざめだ。

 妻と初めて海外に連れ立った時も、香港島のビクトリア・ピークに向かうもあいにく霧がかかり、頂上付近からの眺望は臨めなかった。

 銀行員時代にゴルフをしていたときも、ゴルフ場に向かう車の中で雨が止んでよかったと思った矢先、コースに出るとフェアウエイに霧がかかりスタートができない。なんとも言えず腹立つ霧だ。

 巨人軍の原辰則監督の采配は「はらたつのり!」とは昔の話。監督としての実績は日本一が3度。WBCの優勝もあり、あの長嶋監督を上回っているのだから。昨年も9/26にリーグ優勝を決めた。監督への賞賛一色と思われたが、翌日グループ傘下のスポーツ紙が松井秀樹元選手の来期の入閣はないと報じた。11/22には白石オーナーが2016年以降の有力監督候補として松井選手の名を挙げたと報じられ、来期の指揮をとる原監督に失礼とのコメントがネットで寄せられていた。終身監督どころか、巨人軍に複雑な想いの松井選手を恩師として逆らえない長嶋監督を使い原監督の後釜に球団が急ぐと見えるのは、あの1億円口止め問題が尾を引いているとしか思えない。

ファンには申し訳ないが、他山の石として我々が教訓とすべきことは、よからぬ筋に脅されたら、すくに警察に相談すべきだということ。ドラマで弱みを握られた女性が体を求められそれに応じるのを見たとしたら、ゆすられるネタが増えるだけと岡目八目で分かるだろう。自身のこととなると客観的に見れないものだが、同じことだ。大金を出せばと思うかもしれないが、蛇の道はへびであり、こんないいカモはいないとその筋に広まるかネタとして売られてしまう。

相手は警察には相談しないだろうと見くびっているのだから、私ならその場で警察に電話しようとする。背負っているものが大きいとしても、腹をくくり警察に相談すべきだろう。我々庶民も日頃から想定外のことが起きれば親身になって対応してくれる警察、弁護士、医師ら信頼できる相手を地縁・人縁・血縁を駆使し確保しておきたい(依怙贔屓とかの話ではない。知っている人ならばより力になってあけだいと思うのが人情という話)。それが私生活におけるリスク管理というものなのだろう。

 そもそも浮気しなければとは言うつもりはない。人気芸能人でモテるハズなのに妻以外には目もくれぬ、高島忠夫さん、関根勤さん、三浦友和さんら「聖人」たちは稀だ。赤信号は渡るな!てなことを言っても守らない人はいるものだ。英雄色を好むとも昔から言われてもいる。ただ、女は怖いということを肝に銘じるべきであろう。

 か弱い筈の女も怒髪天を衝くほど腹立てれば、怒りの炎をフラッシュオーバーさせる。そうなれば恥も外聞もなく、怖いものが無くなる。元愛人に変な性癖を暴露された政治家やバナナでTVから消えた解説者など潰された男どもは少なくない。

 小沢一郎代議士の和子夫人は「公開離縁状」を支援者に送った。夫人は橋本龍太郎元首相夫人と並び称されるほど賢妻の誉高く、地元の選挙民からも絶大の信頼を寄せられているだけにその衝撃はドラキュラの胸に十字架を杭打ちしたのと匹敵する。かの田中角栄元首相をあれだけ信奉していたのであれば、なぜ私生活においても角栄氏と同じようにできなかったのか。家も守れない者が国を統治することはできないではないか。

 「私の体の上を通り過ぎた」というフレーズは女性固有のもの。女の人は何もなくても後で損をしたと思いがちだ。

 我が大学の先輩故宇野宗佑元首相は、首相としては有能との評されたが、指3本で、あっけなく失脚したとみられている。「浮気は男の甲斐性だ」と思っている人には、呑むならではないが、「ケチるなら、乗るな! 乗るならケチるな!」と言いたい。お金だけではなく、相手が恐縮するほど情愛も注いでもらいたいものだ。間違っても見下してはならぬ。北野武監督はその模範との評判らしい(漢・高倉の健さんがウマが合うのだから、きっとそうなのだろう)。そのようにする自信がないのなら火遊びは止めておきなはれ!

 見かけによらず短気で好戦的な私は、男どもとよくぶつかるが、女の人とは喧嘩しない。何度かきついメールをもらうことがあったが、火に油を注ぎ相手の腹立つキリがなくなってもと反論も言い訳もしない。沈黙を守り、相手が言い過ぎたかと思うのを待つ。さすがに妻とは言い争いはするが、翌朝には「あれ!? まだ怒っているの?」とこちらから歩み寄り怒りの炎をすばやく消し去る。亭主の古傷を妻がフラッシュバックする前に。

限りなく粗大ごみに近い居候としての今の身の上ではもちろんのこと、結婚当初のご主人様扱いのときからそうしていた。それが夫婦和合の秘訣だと思っていたが、親戚によると母親に対してもそうしていたらしい。私は覚えていないのだが、母親が生前「腹立つが、憎めない」と言っていたとのことだ。女は怖いということを最初に母親から教わったのかもしれない。


2015.1 No.43 かんせん と かんぜん

エバラは美味いが、エボラは怖い。焼肉のたれのエバラ食品は恐ろしいエボラ出血熱と並べられても有難迷惑だろうから、標題にはしなかった。

2015年の新春を迎えた。ちょうど100年前の1915年に北里研究所が設立された。その頃近代細菌学の父と言われるコッホ博士やその弟子にあたる北里柴三郎博士ら医学者の尽力によりコレラ菌やペスト菌ら怖い細菌を克服した。

現代においては獰猛なウイルスに対する特効薬を早期に開発してもらい、今年をウイルス制圧の元年としてもらいたいものだ。

 エボラ出血熱制圧作戦の全貌を描き出した迫真のノンフィクション『ホットゾーン』(小学館文庫;上・下)を知ったのは、将棋棋士先崎学現九段のエッセイから。かれこれ6~7年前だろうか? 当時先崎九段は週刊文春に『浮いたり 沈んだり』というエッセイコーナーを持っておられた(現在は週刊現代で『吹けば飛ぶよな』を連載中)。ある回の中で身の毛もよだつような怖い本として紹介しておられたので、興味が涌き、読んでみた。なるほどショッキングな内容で、知人に推奨して貸し出したところ気持ちが悪いとか言ってそのままになり、今手元にない。

読んだ当時所属の業界団体の会報に私が書いた内容を引用すると、エボラウイルスと言っても種類があり、最も強毒性が高いのがエボラ・ザイール。死亡率90%と言われ、その感染者の悲惨さとアメリカ国内発生時の軍による制圧劇(実体はエボラ・レストン)が同書に描かれた。

エボラ・ザイールほど強毒性は高くないが、空気感染するのが、エボラ・レストンで、これにエボラ・ザイールが混合すれば、中世の黒死病(ペスト菌)と同程度以上の大きな被害が出ると懸念されていた。

昨年ギニア、シエラレオネ共和国等に発生したのもこのエボラ・ザイールに似ていると言われ、ニュースで紹介する折にはまず空気感染しないと断りが入る。医師や看護婦も多く感染しているが、人手不足に伴うミスだけと言えるのか。空気感染しないとしながら治療医らは空気感染対策をしているように見える。ワクチンのない完全無欠な凶悪なウイルスだけに未解明であっても断定的に言わないとパニックが起こるのかもしれない。同様に怖い鳥インフルエンザも空気感染すると言った日本の国の研究者が結局大学に転出した。もっとも、無知な原住民にとっては、宇宙服のような重装備で家や村を封鎖する者の方が悪魔に見えて怖いのかもしれないが。

 エボラウイルスやエイズウイルスも中央アフリカで発生したと言われているが、密林の奥に人間が入り込んだだけなのか。それとも、環境破壊でコウモリなど自然宿主(ウイルスは生きている細胞に寄生しないと生きられない)が減り、環境破壊した人間に復讐しているのか。あるいは、SARSのように突然発生し、突然消えていくのは、ウイルスにとって獰猛な人間に警告を発しているのだろうか(宿主が見つからないので、実験室から逃げたという説もある)。

 いずれにしろ、自然環境破壊は、南北問題とも絡んで解決が容易ではないだろうから、今後とも未知のウイルスの出現により人間の生命が脅かされ続けるのかもしれない。

 今回エボラ出血熱が流行したシエラレオネの名を聞くとレジオネラ属菌を想起する。こちらは細菌でウイルスと違い生きた細胞が不要で単独で生きられる。

レジオネラ属菌は、土壌等普通に環境中に存在しているが、免疫力の弱い高齢者や乳幼児などが感染すると、肺炎に似た症状(オレンジ色の粘調な痰が特徴)を引き起こす。健常者では通常感染しないので、日和見感染と呼ばれる。

2~10日の潜伏期間を経て、高熱、咳、頭痛、筋肉痛、悪寒等の症状が出現し、進行すると呼吸困難となり、下痢、意識障害等併発の上、死に至ることもある。

1976年7月、米国フィラデルフィア市のホテルで開催された在郷軍人大会で原因不明の221名もの肺炎患者が集団発生し、うち29名の死者を出した事故が起きた。後に、原因は冷却塔で増殖したレジオネラ属菌が外気ダクトから混入し、空調ダクトを経由し室内に飛散したことが原因と判明した。

第二次大戦下銃弾を潜りぬけ生き貫いた軍人達が、見えないほど小さな敵に倒さるという皮肉な結末であるが、この在郷軍人の名にちなんでレジオネラ属菌と後に命名された。

 レジオネラ属菌は、温泉施設などで水しぶきを吸い込むと気道を介して肺に侵入し発病する(タバコのタールは気管の繊毛を塗り固めてしまうので、喫煙者の方が罹りやすいと言われる)。幼児が屋外の噴水で遊ぶのは気をつけた方がよい。一時流行った家庭の24時間風呂の湯でそのまま頭にかけるのは避けた方がよい(60~70℃の熱湯でレジオネラ属菌は死滅すると言われる)。折り合いが悪い嫁からの「露天風呂で打たせ湯にあたると気持ちいいですよ」という話には姑は乗ってはいけない。悪天候の日に飛行機に乗れと言っているのと同じだ。温泉の湯を飲み込んでも感染しないが、免疫力の落ちた高齢者が打たせ湯で水しぶきを肺に吸い込むと感染する恐れがある(もっとも最近は打たせ湯を止めている温泉が増えているようだが)。

我々はいろんな危険の中に生きている。宇宙人を含む外の人からの侵略や攻撃から守るのが国防。人以外からの害や疾病を防ぐのが予防。ともに危機感と安全にはコストがかかるという認識を持つことが肝要だろう。


2014.12 No.42 こくほう と こくぼう

 日本国宝展が今東京国立博物館で催されている。国宝は、国の重要文化財の一種で1,100弱存在する。東京都、京都府、奈良県を中心として全国に点在するので、他国からの侵略よりすべてを守るのは容易ではない。その国宝や領土を守る以上に国民の生命と財産を守るのが国防の目的。人間国宝だけではなく我々庶民も守ってくれなければ困る。

 平和国家を標榜しているから日本は平和が維持できていると思っている日本人は少なくない。本当にそうか。例えば、東京の真ん中で家の玄関に「私どもは他人の物を盗みません」と貼り紙すれば、ドアを開けていてもだれも盗みに入って来ないと言うことと同じではないか。「入って来なかった!」って、それは隣が交番だからだろう。

 日本の平和は世界の警察力としての米国のバックアップが前提。“いつまでもあると思うな親と金”と同じだ。

 尖閣問題の折李登輝元台湾総統が「中国は美人を見ると他人の妻でも自分の妻と言いかねない」と言ったとされるが、中国は本当は「日本は中国の妻だ」というのが本音たろう。日本の領海(含:内水)+排他的経済水域は約447万㎢で国土(約38万㎢)の約12倍もあり世界第6位と広い。中国はうらやましくて仕方がない。太平洋に出るのに邪魔だし、そこに眠る海洋資源は垂涎の的。中国は本気で尖閣→沖縄→本土と侵略する機を窺っていると思うべきだろう。

中国共産党一党独裁体制の瓦解を期待する向きがあるが、たとえそうなったとしても、国名が変わるだけで、中華思想は中国四千年のDNAに刷り込まれており普遍で不変だ。最悪の場合をも想定し長期的な備えが不可欠だろう。

平和国家が矛や盾を持つことはなにも矛盾しない。他国が侵略してきて、愛する妻、娘や恋人が連れていかれそうになった時、命だけは助けてやってくれと哀願するのか。今故趙紫陽元総書記の『極秘回想録』(光文社)を読んでいるが、天安門事件で自国民に向け無慈悲な武力弾圧をなす中国が他国民に容赦すると思うのか。平和国家だからこそ国防力を他の国よりも強化する必要がある。

そうであるなら、時の政権が進めようとしていることに反対するのはおかしいかもしれない。しかし、積極的平和主義の第一弾がなぜ武器輸出の解禁となるのか。順序や動機に問題があると思っている。

国民に理解を求めなければならないことは、古賀茂明氏が上梓した『国家の暴走』で危惧する「集団的自衛権の行使により米国の戦争に巻き込まれる」ことではなく、「自力でいかに日本を守るかということであり、その為に憲法改正が必要か」ということだろう。

 今はまだ米国は軍事的に日本に助けてもらおうなんて思っていないだろう。日本に求めるのは、米国に対する忠誠と応分の負担だと思う。

去る7/13(日)の夜、集団的自衛権の閣議決定の舞台裏がNHKで放映されていた。その中で公明党の内でなぜそんなに急ぐのかの内部の問いに幹部が「首相がやりたがっているから」と答えると、(信じられないことに)みんなは押し黙ったと解説されていた。その一方で山口代表は「自民党は従来内部で色んな意見が出されていたが、今回はそのようなことはなかった」と訝しげに発言していた。首相は独裁者と責任転嫁したいのか?

国民の見ているイメージはこうだろう。先代の番頭に愚かなお坊ちゃんと言われても言い返しできない二世経営者が、親しい仲間内だけで先代と違うことを推し進めようとし、従業員がこの経営者について行って大丈夫かなと心配しているのと同じだ。

 ドイツは集団自衛権の行使容認に4年要したとHNKは報じていた。

 日本国民は、夫の転職に反対する妻と同じ気持ちだ。このまま安定した生活を望む。それを70年間も続けてきたのだから。おいそれと考え方が変わる訳がない。  

 しかるに、国会の充分な議論も経ず閣議決定にて集団的自衛権だけを先行させようとした。護憲派メディアの思うツボだ。手続きの不備だけをつつき、本質的な問題から国民の目をそらさせる。

 案の定、支持率が下がるとあれだけ急いでいたのに関連法案は1年間先送り。あの古賀茂明氏は、週刊現代7/26~8/2合併号の『官々愕々』で、「1年間ほとぼりを冷ました後2015年6月の国会会期末までに関連法案は強硬採決し、支持率低下を防ぐため拉致被害者10数人を北朝鮮から連れ戻すことをセットにする」のではと首相サイドのシナリオを見透かしていた。

その後9月の女性閣僚が目玉の内閣改造という目くらましは失敗に帰し、もっと大きな目くらましをと消費税増税先延ばしという大義なき衆議院解散(衆院選12/2公示)に首相は打って出た。

国税6~7百億円をも使うなら、80議席減らしても与党自体は安泰だろうから、姑息の色が付いた集団的自衛権ではなく、堂々と憲法改正の是非を国民に問うてもらいたい。

真に国の将来を憂うるというのであれば、時の首相が私心を捨て捨石となる覚悟が必要だ。国民に訴えるだけではなく、選挙後の国会においても野党とも正々堂々と議論を戦わせなければならない。新設の担当大臣を盾にした“岩陰隊長”では国民は信用しない。

国民は国防力強化とそのための改憲にあくまで反対するだろうが、首相自身が国会で激しい論戦を繰り返す中で国民は次第に首相の確固たる信念を理解し、国民も改憲に向けての心の準備が次第に出来てくるのだろう。そうなった時、祖父と似てきたなと思ってもらえるのかもしれない。


2014.11 No.41 えいこく と ばいこく

 今年の9月にスコットランド独立を問う住民投票が行われ、住民投票を認めた英国のキャメロン首相は危うく売国奴並みのそしりを受けるところだった。

 高を括っていたのか、独立賛成派と反対派が拮抗していると分かると、うろたえ、直前にスコットランド入りした折、「私が嫌いでも英国は嫌いにならないで」みたいな発言を行った。日本のネットの中で英国の前田敦子か?と苦笑された。

 エリザベス女王にあれだけ心配と迷惑をかけながら、すくに責任をとって辞めようとしないのは、騎士道の国も武士道の国と変わらない。

 民主主義の名の下に、ムードに流されやすい民衆に、国の命運がかかった大事な問題の判断を委ねるのは、リスクが大きすぎると思う。

 赤信号みんなで渡れば怖くない。事故が起き死人が出ても、みんなで決めたことだからとして、だれも責任を取らない。

 キャメロン首相は、普段意識することのない国民主権について、我々に再認識する機会与えてくれた。

議会主権の英国と違い、日本は、日本国憲法の第1条において国民主権が謳われているが、実態は国民主権が弄ばれている。

小泉元首相は国民主権を逆手にとった。自身の政治信条として郵政の民営化を何かの一つ覚えのように唱え、国会でうまく事が運ばないとなると総選挙に打って出て、もともと国民が望んでいないものを、国民に判断させた。

狙いは郵貯・簡保だったかもしれないが、郵便事業は公共経済の最たるもの。採算が合わないものだから国でやる。それを民営化するということは過疎地域の切り捨てを意味することにならないか。国民はその是非を考えることもなく、小泉人気になびいた。

なお、民営化するとしても、郵政に限らず、民間に払い下げ社員を入れ替えるのでなければ、民営化の成果は疑問だ。極論かもしれないが、「最小のコストで最大の利益を」になじまない職員の制服を変えるだけで、上から利益、利益と言えば、職員は何もしないで経費を押さえようするだけになる。JR北海道のように。

その頃、私は当時所属していた団体の講演会で大手新聞社の某政治部長を講師に招いた。政治部長は「私の妻は小泉首相をかっこいいと言っている」と話した。こりゃダメだ。政治部長の妻でさえこれでは(口にする政治部長もどうかと思う)。海外から“警察は一流、経済は二流、政治は三流”と揶揄されるのは宜なるかなと思った。

 安倍首相は、特定秘密保護法を来月12/1より施行させる。特定秘密の判断は内閣内の機関が行うという。国民主権とは程遠い。

 裁判員制度も国民主権を愚弄している。裁判官がおかしいと財界、弁護士会らから陪審制度の導入を求められると、主権者たる市民も入れて独善ではないと装う。市民は経済行為を行っているから民事裁判の方が対応しやすいのに、あえて、裁判員になる善良な市民には無縁のハズの刑事裁判を担当させる。その舞台裏については『絶望の裁判所』(元裁判官瀬木比呂志氏著)のP66~77に書かれているので一読願いたい。しかも、死刑判決もありうる重大犯罪を担当させる。何の因果で、惨殺された被害者の惨状を見ないといけないのか。人の命を奪うことに関わらないといけないのかと裁判員の心を苦しめさせる。その理由が、「裁判官は死刑になるようなことは犯さないから、間違っても素人の裁判員に裁かれることはない」とするなら、なにをか言わんとあきれるほかはない。

 

国民主権だからと言って、全能の神や聖徳太子でもあるまいし国民がすべてできるわけはない。政治には代議士がおり、裁判には職業裁判官がいる。国民からの信託に応えるべく責任を持って自らの職責を全うする。それが出来なければ国民から罷免されるのが国民主権のあり様。 

代議士の頂点、すなわち日本のトップが、バカで頑固(私のことか)なタイプでは困る。隣国を見てつくづくそう思う。そういう意味では、官僚出身の大物政治家がよいのかもしれない。日本の存否の鍵を握るトップは賢くなければならぬ。また、官僚出身のほうがより私心を抑える術を知っているハズという意味で。戦後、吉田、岸、池田、佐藤、大平、中曽根等官僚出身の首相が多かったが、今はいないのか。それとも頭角を現す機会が与えられていないのか。

 司法を支配する最高裁裁判官については、憲法改正(国民投票)と並んで特別に国民審査をすることになっているが、茶番もいいところだ。名前だけ見て判断できる訳がない。『絶望の裁判所』に書かれている酷い状況であるからこそ、江川詔子さんが問題提起していたように、最高裁裁判官の任免については国会の俎上にあげるべきであろう。

 さらに、国民主権が機能するためには、チェックする我々市民も経済オンリーでなく政治的ステージを引き上げることが不可欠と言える。


2014.10 NO.40 エイゴ と エゴ

 4年ほど前楽天の三木谷浩史社長が英語を社内の公用語にすると発表した。

 その折、世界のHONDAの伊東社長が「ばかな話だ」と一蹴したとネットで見た。同感だ。

 ひと昔日本長期信用銀行から新生銀行に変わるとき外資が入ってきて会議は英語で行うと噂で聞いた。事実はともかくとして、能力があろうとなかろうと旧幹部を辞めさせるにはいい方法だと思った。クビと言い渡さなくても英語を聞き取りできず話ができない幹部は自ら辞表を提出するしかない。

 日本人としてのアイデンティティの最たるものが日本語を話すこと。日本に居ながら日本人社長が日本人社員に英語を強いるのはどうかしてると思う。オーナー会社の勝手だとしても。

 私は大学生の頃三木谷社長のお父さんに教わった。昭和46年か47年かに故三木谷良一先生が神戸大学の助教授の時アメリカ経済論を受講した。お母さんも帰国子女らしいので、三木谷社長は子供の頃からアメリカナイズされているのだろうか。

 ドイツの鉄血宰相ビスマルクが言ったとされる「愚者は経験に学び、 賢者は歴史に学ぶ」(経験は経済と読み替えたい)を聡明で教養のある三木谷社長が知らないハズはない。

 第二次世界大戦敗戦当時GHQから英語を公用語にする要求に対し重光葵外相が自らの命を賭してはねつけたことは周知の事実。それならばと今度は日本語のローマ字化を進める動きも先人達はなしくずしにしたと佐藤優氏の『人間の叡智』(文春新書)に出てくる。

 先人たちによって守られてきた日本語をなぜ粗末にするのか。なぜ文化人は声をあげないのかと思っていたら、三木谷社長は薬のネット販売規制問題でエゴ丸出しの単なる政商に過ぎない、馬脚を現したと誌面に書かれた。

 なーんだ、日本語文化まで壊されることはない。これで一安心と思っていたら、文科省がバカなことを言いだした。2020年東京オリンピックを見据え小学校での英語教育(現行5年生から)を前倒しして3年生から始め、英語教育を強化していくと。東京オリンピック時の外人観光客向けホスト、ホステスを養成するつもりなのか?

 2016年から正式種目に復帰するゴルフには、東京オリンピックに向け、全国の小学生、中学生全員にゴルフを始めようとは呼び掛けはしないだろう。英語も同じだ。すべての子供が意思疎通のツールにすぎないものをなぜやらなければいけないのか。日常会話ならスマホを使って簡単に意思疎通できる時代がすぐそこまで来ている。週刊新潮も9/4号で有識者に意見を求め小学3年生からの英語教育を批判した。

どう見ても欧米人としか見れないが英語が話せないハーフタレント兼歌手のウエンツ瑛士さんは、自身の体験から英語の幼児教育は無意味と声を大にしてTVで力説していた。さらに、北大の山口二郎教授は大学においてさえこう述べている。東京新聞の数年前の夏の「本音のコラム」欄で『若者の現在』と題して、「・・大学改革の議論では、英語が話せるグローバルな人材の育成が叫ばれているが、なんとも的外れな話である。欧米でも、大学の基礎教育は歴史と哲学が中心である。安直なハウツーを身に着けるのではなく、答えの出ない問題を必死で考え続ける知的基礎体力を持った人間を育てるのが大学の仕事である。・・」

 英語をよけいに教える時間があるのなら、人の命の大切さをもっと教えて欲しいと私は思う。子が親に、親が子に、簡単に手を掛ける。遠慮がない分エスカレートしがちであるが、諍いがあっても、つらい事情があるにせよ、命だけは奪うことがないよう小さい頃から強く戒めて欲しい。

 いじめによる自殺も同様だ。人を助けるのは勇気が要り容易ではないが、いじめるのは卑怯でた易い。いじめがこの世の中から消えてなくなるとは思わない。いじめられたら、闘わなくてよい。逃げても転校してもかまわない。あのカッコいいキムタクだっていじめに遭って転校したんだよ。世の中のこと、人生のことも分からないくせに勝手に死ぬな! 未成年なのだから親の同意を得てから死ねと言ってもらいたい。そう言って解決するなら苦労はしないが、いじめを減らす取り組みもよいが、それ以上にいじめられる側の視点での取り組みを強化してもらいたい。

 もう一つ学校で教えてもらいたいことがある。人としての生き方。人の道というべきか。今トルコ、ブータンなど親日国が少なくないが、そこには一人のあるいは数人の日本人の善行が深く関わっている。台湾では、戦前世界規模の灌漑用ダムを造った八田與一という日本人土木技師の墓で、毎年命日の5月8日(1942年殉職)に追悼式典が催される。70年以上経った今日でも台湾の人々に敬愛され続け、台湾の教科書にも登場する。しかし、私は台湾に親戚が出来ていなかったら『台湾を愛した日本人 土木技師八田与一の生涯』(古川勝三氏著)を読むことはなかったかもしれない。

私が子供の頃子供心に自虐史観の教育を受けたとは感じなかったが、貧しさから立身出世した豊臣秀吉や松下幸之助社長のような成功者の話しか学校で聞かされていなかったように思う。

台湾出身の評論家黄文雄氏に『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』を発刊してもらっているが、この前のワールドカップのサッカーの試合後のごみ拾いもそうだが、世界から認められた日本人の特性のルーツを日本の教師が教科書で子供達に教えてもらいたい。

過去の行為を正当化するためにではなく、反省すべきことと同じように過去の善行や日本人の特性も知らしめ、子供たちが誇りある日本人としていかに生きるべきかを考えてもらうために。

2014.9 NO.39  かせいふはみた と かせいふのみた

 女優市原悦子さんの主演で1983年7月を初回としてテレビ朝日系で人気シリーズ化したのが、ドラマ『家政婦は見た!』。市原さんが扮する主人公が「大沢家政婦紹介所」から上流家庭に家政婦として派遣されるのであるが、その家政婦紹介所のモデルが介護事業所の大手㈱やさしい手の前身(有)大橋サービスと言われている。㈱やさしい手を紹介した本によれば、社長の香取眞恵子さんは、それまで個人事業であった家政婦紹介所を法人経営にした先駆者で、しかも女子学生事業家のはしりということだ。

 私は、公益法人に勤務していた頃、飛び込みで㈱やさしい手の門をたたいた。㈱やさしい手の香取社長は、こちらをやましい手の者のようにはすこしも疑わず、快くお会いしてくれた。そして、こちらの表彰事業に賛同し数年協賛いただいた。今も感謝している。

 

 日本テレビ系列で2011年10月から放映されたドラマ『家政婦のミタ』のタイトルは、当然『家政婦は見た!』をオマージュして付けられている。

 TBSドラマ『半沢直樹』に抜かれたとはいえ、最終回は視聴率40%と20%を超えるのが難しい昨今では脅威的なヒット作となる。テレビ離れが進んでいるとはいえ脚本が良ければ数字はとれるのだということを再認識させられた。

 主人公に扮する松嶋奈々子さんが言う決まり文句「承知しました」はその年の流行語大賞に選ばれてほしいと思った。が、放映の時期が遅かったためか、ノミネートには至らなかった。

 最近若者を中心として目上の人にも平気で「了解しました」を使っている。我妻は携帯メールで私に向かって「了解です。」と返信してくる。「承知しました、ご主人様!と書くべし」と返信すると、「バカ」と切って捨てられた。知人に話すと、「力関係からすると了解で良いのじゃないか?」とまぜっかえされてしまった。長男はもっとひどく、「了解!」の一言。会社の上司にも了解と返事しているのかと長男に注意した。

 違和感を覚えるのは私だけではなく、世の中高年も同じ思いをしているらしく、週刊誌に採り上げられた。2012年12月14日号の週刊ポストの連載『現場の磁力』で【「了解しました」といってはいけない】と題し、「了解には敬意が含まれていない」と解説している。他誌も【あなたの「日本語」は間違ってます】と題し、うっかり口にしがちな「本当は失礼な物言い」に対し、いの一番に「了解しました」を挙げている。

 かく言う私も講師への礼状の末尾に「ご自愛ください」とよく書いたが、本来上から下に書くものとは知らなかった(今はどちらからでもよいとの意見もあるが)。

「生き様」は、本来自身が卑下して使うものだが、他人の立派な生き方にも使うように変わってきたことを最近私が所属する業界団体の研修で知った。

当業界は完全と言っていいほどの受注産業なので、初心者向けの研修において上記記事も活用し、マナー教育にも力を入れている。


 1983年7月に始まった『家政婦は見た!』から2011年12月に終わった『家政婦のミタ』まで28年が経過し、その間に、看護婦は看護師に呼称変更された。

 家政婦は30年近く経っても家政婦のままだ。ジェンダーフリーの闘士らは、男の家政婦が増えているのをご存じないのか。それとももう満足されたのか。

数年前某医学会の創立記念の懸賞論文に応募した。賞にはかすりもしなかったが、前立腺生検の体験を題材とした原稿の中で私はこう書いた。

「・・・今回の生検で検査当日一泊したが、検査なのに看護婦さんが夜通し定期的に様子を見に来てくれた。夜勤の任務とは言え、頭が下がる。これまでにも胆のう摘出とか何度か入院を経験したが、その度に看護婦さんに感謝した。下の世話というよりも苦痛や不安に対して癒してくれる役割は女性ならではのものと思う。ジェンダーフリーかなんか知らないが、私は看護師とは言わない。親愛と深い敬意を表して今でも看護婦さんと呼ぶ。・・・」

 週刊文春の連載『悩むが花』で作家の伊集院静氏が看護婦と呼ぶ方がいいと書いておられ、意を強くした。

 テレビ東京系で『YOUは何しに日本へ』と言う番組がある。外国人から日本が好きだと言うのを聞くと何げに嬉しくなる(こんな私でも愛国心があるのか)。ある回同性愛らしき男のカップルが来日し、その一人が職業を聞かれた時ナースと答えた。いわゆるオカマなのでナースと答えたのかと疑問を持ち、Nurseを調べると看護婦とあり、男性にも使うと書いていた。英国はなんと! Sister。Brotherにしてと言う野暮な英国紳士はいないのだろう。

 男女平等に今更異を唱える人はいない。だが、男と女は同一ではない(男が子供を産むまで私は認めない)。女性固有の呼称はあってしかるべきではないか。

 英国のエリザベス女王様も、何とか仰っていただくとありがたいのだが。





2014.8 NO.38 むりしで と むりして

今日は64回目の誕生日。齢を重ねるだけでめでたくもないが、明日妻娘と3人でちょっと名の知れたインドカレー店に行き、その後カラオケに繰り出す。

この年まで古い話だがずっと覚えていることがある。私が高校生の時に4つ上の兄にお金を借りたときの小話だ。

 私: 『無利子で貸すなんて兄弟だから当たり前やろう?』

兄: 『アホか、無理して貸してやると言っているんや!』

 私が兄にお金を借りたのはこれっきり。いつもこちらが兄に貸していたのだが、返してもらった記憶がない。自転車をあげるからと言ってはどこかで盗まれてきて貰えなかった。兄の言う「貸してくれ」の“貸して”は意味のない接頭語で要はくれ!(よこせ!)と言っているだけなのだ。

 兄は親から良いDNAを受け継ぎ、頭もよいし、絶対音感も持ち合わせハーモニカで音を拾っていた。歌も玄人はだし。大学生の頃はベンチャーズにあこがれてエレキギターのバンドをやっていた。ファンなのか寿司屋の娘さんが寿司折を持って貧乏長屋に訪ねてきたこともあった。当時兄はブルーコメッツの故井上大輔さんによく似ていた。

 残りカスを親から貰ったような私は、取り柄もなくアウトドア派でもないことから、しかたなく机に向かって勉強していた。

 社会人になると、まるで入れ替わったように、長男気質なのか兄は財閥系大企業の子会社に入社してからは30余年会社一筋で尽力し生え抜きながらも役員にもなった。

 一方、弟の私は銀行、公益団体、業界団体と渡り歩きやや波乱万丈の人生を歩み、また、バブルの頃は何度か隣国に繰り出し悪い日本人を演じていた。もっとも、兄は兄で、結婚後も相手の女性をその気にさせるだけさせては梯子を外す悪い男を演じていた(女性のハードではなくハートを奪うのが好きなのか、単に意気地がないだけなのか、分からないが)。

 兄は子供の頃両親からよく叱られていた。子供ながらに下手だなと思っていた。私の方が可愛がられていると思っていたが、自身が親になってみて気がついた。嫡男としてしっかりしてもらいたいとの思いから厳しくなり、次男には甘くなってしまうものなのだと理解した。

 ガラパゴス諸島などに棲むナスカカツオドリという鳥は、卵を2つ産むが、すぐに兄が弟を追い出すらしい。人間の兄はそんなことをしない。私の兄も、弟には負けたくないと思っているだろうが、可愛げのない弟でも折に触れどうしているかと気に掛けてくれているのを感じる。

2011年終戦記念日の近くでフジテレビが『最後の絆 沖縄 引き裂かれた兄弟~鉄血勤皇隊と日系アメリカ兵の真実~』を放映していた。実話に基づき、沖縄決戦を舞台とした、実の兄弟でありながら兄がアメリカ兵として弟が日本の少年兵として対峙するストーリーだが、やはり兄が弟や家族を心配する姿は絵になるし、しっくりとくる。

 しかし、子供の頃仲のよい兄弟でも、長じて進むべき道が違ってくると弟の方が反駁していくことも少なくないようだ。

過酷な稽古や先輩力士の可愛がりにも二人身を寄せ合って耐え、あんなに仲がよかった若乃花関と貴乃花関でさえ、若乃花関の横綱昇進をめぐる頃から仲が怪しくなった。

 親の遺産相続争いでは眉をひそめたが、お兄ちゃんの若乃花関が譲ったように映る。世の兄ちゃんはいつも我慢させられて損だとアンケート調査の上位に挙がる。

 御多分に洩れず、私の息子達も長じて仲が悪くなってしまった。仕事にかまけ、またデリカシーのない私はナイーブな次男のお守りをちいパパに指名した長男に任せた。

先々月娘が生まれた長男は子煩悩でよきパパになると思うのだが、その長男が大学生で次男が受験の頃長男の干渉やお仕着せがうるさいとして次男は長男と口も利かなくなった(悪者になった長男には悪い事をしたと謝りたい)。

 かつて私も人と袂を分かつことがあった。だからと言って、それまでの期間をすべて無益だったと否定するのは卑怯だと思っている。今還暦を優に過ぎてもまだ働く場があり、裕福と言えずとも家族と平穏に暮らせているのはその人のお蔭だと感謝している。仕事の進め方、交渉の仕方、とくに家族との接し方、いわゆる家族愛というものを教わった。お蔭で、15年ほど要したが、銀行時代には「好きになれない」とよく言っていた妻が今では「大嫌い!」(怒っているときは単に嫌いとしか言わない)と言うまでに回復させることができた。「本命」の母の日の後の「義理」の父の日にも子供達からプレゼントも貰えるようになった。

たしかに、子供の頃兄は弟に対して総じて横暴なところがあるものだ。弟だった私にも理解できる。しかし、そうだとしても兄の弟に向けてくれた情愛に眼をそむけてはいけない。

次男も社会人になって数年経ており、長男が言わんとした意味が分かってきたのではないかと思う。毎日風呂で頭を洗ってくれたこと、遊んでくれたこと、何かとかまってくれたことを素直にありがたいと思える日が早く次男に来ることを心待ちしたい。