2014.4 NO.34 ウッズ と キッズ
ウッズと言えば、さすがに今となっては野球の熱狂的な中日ファンでもタイロン・ウッズ(2005年~2008年中日の大型スラッガーとして活躍)とは言わないだろう。ゴルフのタイガー・ウッズだ。今年も4月10日(日本時間11日)からマスターズが始まる。すっかり猫になったと揶揄されるタイガーが久しぶりに優勝するかと期待されたが、腰痛でそれどころではないようだ。
私自身は25歳から44歳まで20年間ゴルフを嗜んだ。ゴルフ練習場からタクシーに乗ったら「プロゴルファーですか?」と聞かれたこともあるように恰好だけは一人前。スコアは100切れば上機嫌の下手の横好きだった。年平均15ラウンドとして20年間で300ラウンドはプレイしたと思うが、その中で後にも先にも1回だけキャディーさんから「お上手ですね!」と言われたことがあった。
舞台は、神戸市の北区にあり都心から至便の兵庫カンツリー俱楽部。距離はないが狭くOBが出やすいコースだ。
INコース出だしの10番ホールはミドルでバーディー。続く11番のロングもスリーオンして長いパットが入った。3ホール目は12番ショートでワンオン、ワンパットでこれまたバーディーとなり3連続バーディー。盆と正月が一緒に来たような騒ぎであった。続くミドルもバーディー逃しのパーで、続くロングもパー。なんと5ホール廻って3アンダー。
茶店に寄る途中でキャディーさんに褒められたのだが、あきれた様子の同伴同級生たちはやけ酒を呷っていた。冬の寒い中私はじっと何も飲み喰いせず後半のホールに臨もうとした。それが却ってよくなく、ティーショットはドスライス。40㎝ほどのパットも緊張のあまりちびってしまった。あの時ばかりはプロのしびれとはどういうものか実感できた気がした。ハーフ後半人が変わったように荒れ結局30台で廻れなかったのは今となっても誠に残念に思う。
ゴルフに勤しんだ最後は1995年の11月末宮崎フェニックスのトムワトソンコースでのプレイ。最終ホールで、会心のドライバーを放ち開眼したと思った。そのゴルフ場から北海道のゴルフ場へゴルフ道具を送ったのだが、北海道入りする前に悪天候で中止が決まり返してもらうよう連絡した。ところが、宅配業者の内部でキャディバッグもろともレフティー用のゴルフ道具一式が忽然と消えてしまった。結局20数万円弁償してもらったが、そのお金も消えてなくなった。胃袋に消えてしまったのだ。お蔭で今もドライバーを開眼したと思い続けられている。
ウッズにあこがれてゴルフを始めたキッズが世界中にたくさんいると思うが、日本では石川遼君が真っ先にあがるだろう。遼君が登場したとき10年いや50年に一度の逸材と言われた。イケメンで思いっきりドライバーをたたく姿は、大好きだった若き日のセべ・バレステロスを彷彿し、私もファンになった。
ツアー最年少記録や1ランド58の世界最小記録を持ちプロとして順風満帆と思われたが、アメリカツアーでもがいている。遅れてやってきた同い年の松山英樹君に追い越されたと、気の早い人ならそう思うだろう。
技術的なことはヘボゴルフファーの私に分かる訳がないが、誤算というか惜しむらくは、思うほど身長が伸びなかったことであろうか。世界に名を知られた日本のトッププロ、青木功プロ、中嶋常幸プロは180㎝、尾崎将司プロは181㎝。松山英樹君も180㎝あるが、石川遼君は175㎝しかなく体の線も細い。私と変わらない様な体で300ヤード以上飛ばすのはコントロールが難しいし腰に負担がかかるだろう。
「薬師寺広のノーカット放送室」というネット記事(2012.11)によると、2002年シーズンのドライバーディスタンスでウッズは293.3ヤードで第5位(1位はJ・デーリーの306.8ヤード)であったが、ドライバーやボールの進化した10年後の2012年シーズンではあの
ウッズですら35位(297.4)に落ちている。2002年頃であれば技で勝負する丸山茂樹プロでも太刀打ち(アメリカで3勝)できたが、今は平気で300ヤード以上かっ飛ばすプロが多くなった中で優勝するのは容易ではない。ボクシングに例えると、日本人ボクサーは、フライ級、バンタム級のチャンピオンにはなれるが、ミドル級以上の世界チャンピオンになることは至難の業と言える。陸上の100m走では、日本チャンピオンは世界ではファイナリストを目指すとし、決して金メダルとは言わない。今のゴルフ界も同じでは。石川遼君も世界の上位ではなく、日本の金メダルを目指してほしい。
石川遼君はゴルフスタイルや性格が尾崎プロに似ていると言われる(松山英樹君は青木プロに)。尾崎プロのように日本のスーパースターになって、日本のキッズたちのあこがれの的になってほしい。女性ファンも多いので、早く帰ってきて男子の日本プロゴルフ界を再興してもらいたいと思う。