2016.2 NO.56 ドイツ VS トイツ
ドイツと日本が防共協定を結んで今11月で満80年を迎える。
そのドイツに関して昨秋対子(トイツ:麻雀用語)をなして新書が上梓された。一冊は熊谷徹氏の『日本とドイツふたつの「戦後」』(集英社新書、2015年7月)。もう一冊は三好範英氏の『ドイツリスク』(光文社新書、2015年9月)。内容は、ドイツ(以下「独国」)に学ぶべきか否かで対置している。前者は独国に学ぶべきだとするスタンスであり、後者は副題に『「夢見る政治」が引き起こす混乱』と付けているように独国を見習うことに警鐘を鳴らしている。本ブログの読者も読み比べされてはと思う。
戦後70年経った今独国は日本に反省が足りないと言う。独国の反省は、国民全体の戦争犯罪ではなく、ナチスによるホロコースト(その残忍極まりない現実を描いた映画『サウルの息子』が今公開されている)。そうであるならば、独国が言うべき相手は、勝るとも劣らない残虐な原爆を投下した米国に対してであろう。原爆「マンハッタン計画」の関係施設を国立歴史公園化する暇があるのなら、広島に行き原爆死没者慰霊碑文の「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」のあとにby Americaと刻むようにと。
日本が反省すべきはナチス・独帝国と同盟を結んだこと。米国のルーズベルト大統領は対独戦争の参戦のためその口実として独国の同盟国日本を戦争に引き込んだとの見方がある。そうでなくても、そもそも幕末から尊王攘夷に走りだしたのは、列強国に清国が蹂躙されているのを目の当たりにして、列強国から、とくにロシアから日本を守ることにあった。第二次世界大戦前夜においてもロシア(ソ連)が脅威だったので、ソ連と敵対する独国と組んだ。しかし、その時点で民主主義を錦の御旗とする連合国から日本も他国を侵略する賊軍扱いされてしまった(関東軍の暴走は侵略と言われても仕方がないが)。
日本は植民地にされたくないというのが富国強兵の第一義であった。よって、統治、併合した台湾や韓国に同化政策を採り、列強国のような奴隷扱いはしなかった。韓国は認めないが、台湾は日本の敗戦後「犬(日本)が去って豚(国民党)が来た」との諺が市井に流れた。日本に統治されたことは許し難いが、今日の台湾の基礎を日本が造ったと評価もしている。
1994年にマレーシアに当時の村山首相が訪問したとき、謝罪する村山首相にマハティール首相は「日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ」と言った。その当時他の日本国民も同じだと思うが、私も「ありがたいが、そう言われても」という感じであった。
しかし、その後20年経ち、中国共産党(敵の国民党の敵日本は味方)、韓国(日本人として一緒に戦った)は、建国が「抗日」「反日」なので、その矛盾を覆い隠すためには次々と反日カードを切り謝罪を要求していかざるを得ないと理解した。謝罪外交は意味を持たない。とりあえず謝るという愚は繰り返してはならない。毅然と史実で対抗する一方、反日で自国経済が疲弊すれば日本にすり寄ってくる。それを待つだけでよいではないか。
それよりも日本がどういう国を目指して行くのかを考え、世界に発信していくべきだ。改憲せず安保法制だけを急いだのは、国民だけではなく、世界を訝らしただけだ。
尖閣に紅船が来襲したが、米国は日本を守るというより米国の利益に反するから中国に手を出させない。米中二大強国時代が続く限り米国は日本を切らない。切れば、オセロのごとく日本が中国と一緒になって敵対してくることになる。安倍首相は安保法制を現宗主国米国に朝貢したにすぎない。自身に対する覚えをめでたくするために。私心なく尊王攘夷に命を投げ出し、明治の大舞台に立てなかった吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞等の長州人と同じDNAを安倍首相が引き継いでいるとは思えない。
世界を麻雀に例えると、麻雀牌は数牌、字牌合わせて34種類あるが、数字、漢字いずれも刻まれていない牌は白牌(俗にパイパンと言う)だけである。日本は白牌、Only Oneを目指そう。發、中、白の3種という最少の種類で役満を構成する大三元。發(はつと読む。青とも呼ぶ)、中(チュンと呼ぶ、字は赤い)、それと白だ。米国を發牌と擬えれば中国は中牌にあたる。NO1争いは發と中でやってくれ。日本としては、青の色を少しずつ落としていき、赤にも染められず、それでも環太平洋での平和という大三元の役満には白という日本が不可欠という、そういう存在を目指してほしいものだ。
しかし、Only Oneといっても、“独善”になってはいけない。イギリス人アナリストで日本の美術関連企業の社長でもあるデービッド・アトキンソン氏が著書『イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」』で、言葉を選びながら問題点を指摘してくれる。日本人が各国の料理を日本人の口に合うようにアレンジしているのに、和食が海外でアレンジされるのを声高にあげつらうのはとの旨を読んで、なるほど!と思った。
また、大虐殺とは決して容認できぬとはいえ、白髪三千丈の国からの南京失陥事件を記憶遺産から削除することを求めるなら、シベリヤ抑留も登録すべきでない。加害者と被害者がいる事をユネスコにさも競うかのように登録する風潮に、日本は乗るべきではない。
3.11の東北大地震の折日本に暴動が起こらないことに世界は驚嘆した。しかし、その真珠のごとく輝くべき白牌(日本)がくすんできた。貧富格差の拡大。人が人を裁く(裁判員制度)。人が人を売る(司法取引)。洋の東西を問わぬ、“罪を憎んで人を憎まず”の普遍的信条・価値観を勝手に変え、罪でなく人を憎む(暴力団排除条例)。
マスコミも、野々村元兵庫県議の号泣会見の動画を何度も何度も放映するところをみると、罪よりも人が憎くいようだ。実話に基づく映画『ビリギャル』で主人公の母は「娘が仲間を売らなければ退学との学校方針なら、それで構わない!」とタンカを切った。庶民に息づいているものをお上がなぜ壊そうとするのか。守るのがお上の役目ではないのか。
かくして、白牌としての資格たる「和の精神」が揺らぐ。
大衆は、長いものに巻かれることはできても、お上を正すことなどできない。官僚もお上で矛盾するかもしれないが、官僚しかいない。若き官僚達は何思う。官僚を目指した者は城山三郎氏の『官僚たちの夏』を皆読んでいるハズ。時代が違うと逃げるのか。
ノブレス・オブリージュの意味を今一度噛みしめてほしい。