2015.7 NO.49 アンナカレーニナ VS アンナカレーニ

 一昨年妻の実家を立て替えて住むために家財を整理していたところ、河出書房の『世界文学全集』が出で来た。妻に聞くと、中学生の頃か父に買ってもらったが全然読んでいないと言う。私も子供の頃本を読むのが好きでなく、純文学などはほとんど読んでいない。もうすぐ毎日日曜日になるからと思い全25巻残しておいた。

 分厚いものからと思ったのが大間違い。文豪トルストイの『アンナカレーニナ』を読み始めたが、なんとも長い(907頁、約122万字)。文学者は完全無欠と称賛するが、浅学非才かつ短絡的思考の私にとっては、典型的なキリスト教啓蒙小説にすぎない。要するに、不倫する主人公は悲劇的な末路を辿り、貞潔な妹は幸せな人生を送るとしか読めない。

 日本の妻は、キリスト教信者でなくとも貞節を守る。日本でも、夫の留守中に自宅のベットに男を誘い入れる肉食系妻も出てきたが、そんなのは稀だ(と思いたい)

 夫の浮気、妻の不倫、という呼び方が似合うように、妻に対しての方が世間の風当たりは強いようだ。

夫のおイタと違い、子供がいる妻が不倫、ひいては離婚に走るのは相当の覚悟がいるだろう。踏み切るのは夫への強い不満、とくに夫の裏切り、浮気であろう。夫の浮気に対し堪忍袋の緒が切れあてこすりの意味で不倫するのではないか。故ダイアナ妃しかり、フックンと別れた奥さんもきっとそうに違いない。

経済的な問題だけでは妻は揺るがない。やくざや借金取りが家に乗り込んでくるようなことがない限りは。夫の中身をみて結婚した妻というものは家計が悪化し生活レベルが急落したからと言って、他の男に走ったり離婚するものではないと思う。妻は自分が働いて家計を助けようと思うだけだ。夫の才能を信じ夫の目が死んでいない限り妻は夫を見捨てない(と信じたい)

 「杏奈カレーにしな!」とレイザーラモンHG(本姓住谷正樹)さんは夕食の献立で妻に偉そうに言えるだろうか。ハードゲイの恰好と「フォー~」と両手をあげるパフォーマンスで一世風靡したHGさんはその後プロレスの道に行ったのが悪かったのか怪我をして一発屋芸人の仲間入りしてしまった。HGさんに第二の有吉弘行さんになってもらうことを願い、妻の住谷杏奈さんがママタレとして奮闘し、家計を支えている。なりふり構わない言動はネット攻撃の餌食にされた感もあるが、その姿は私には健気と映る。

世界的演出家蜷川幸雄さんは、売れない俳優から演出家に軸足を変え、「その頃長女(映画監督の蜷川実花さん)が生まれ、それから6年間専業主夫をしていた」とテレビで言っておられた。1978年に奥さんの真山知子さんが女優休業を宣言するまで。結婚自体周りから反対されていたらしいが、奥さんは蜷川氏の才能を見抜き惚れていたのだろう。

それでは、妻からリスペクトされていない夫はどうなるのか。ダメよ~ではなく、ダメよ!ダメダメと私をよく叱責する我妻は「何か一つでも自分の事で良いと思うことがあれば言ってみて!?」と毒づく。「甘やかしすぎていたと今反省しているの」とのたまう。妻は私のことを今や出来の悪い子供と思っているのかも。私は母性に救われているだけかもしれない。

 乳飲み子をおんぶしながらの家事を厭わなかった敬服すべき蜷川氏と違い、出来の悪い私は自ら進んでではなく、妻から命じられて仕方なく専業主夫になる。料理は好きだが、掃除、洗濯は嫌いだ。妻が勤めを辞めれば済む話なのだが、60歳定年まで少なくとも2年間は働くと言う。今頃になって仕事に対する意欲と責任感をみせる。こちらは「すまじきものは宮仕え」の心境。我慢料(給料)の為に我慢するのが我慢ならなくなってきた(周りから我慢していたのはこちらの方だと怨嗟、怨嗟の合唱が聞こえてきそうだが)

 職業欄は「無職」となるのか。65歳で年金生活に入るまで40年以上に亘る企業活動等を通じて少しぐらいは世の中のお役に立てたのではないか。今別居とは言わず結婚生活を卒業するとの「卒婚」と言う言葉が生まれているが、職業生活を卒業するという意味で「卒職」と書かせてもらいたいものだ。

「愛川欽也さんは息を引き取る寸前まで仕事に行こうと言っていた」とチクリと言う妻は私が銀行を辞める折一生働くからと言ったことを忘れていない。「ろくでもないブログエッセイを書いている暇があるなら、お兄さんを見習って何かボランティアでもすればどうなの!?」と嫌味を言う。私の兄は長年の趣味のエレキギターをスチールギターに持ち替えて、仲間とハワイアンバンドをつくり、老人向け施設の高齢者を慰問する演奏活動に勤しんでいる。 

そう言われても、特技はないし、大した資格も持たない。強いて言えば事務局代行ぐらいか。20年間2つの団体で事務局長をしていたから。しかしそれに入れ込んでしまえば卒職した意味がなくなる。

四季のある人生の冬の時代に死出の旅の準備と思うのだが、そう妻に言えば、「準備なんか要らないから、とっとと逝けば!」と言われるのがオチだ。





2015.6 NO.48 ケメン と ケメン

 『ラーメン、つけ麺、僕イケメン』とは、お笑い芸人狩野英孝さんのキャッチフレーズ。イケメンとは言い難いがブサ男でもないところに狩野さんの妙味がある。

 私は、ラーメンは好きだか、ツケメンは嫌い。イケメンはもっと苦手だ。

 神戸っ子だった私は、薄口醤油がベースの透き通ったスープと芯のあるストレート麺が好きで、その芯が消えて伸びてしまわないうちに一心不乱に食べ切るのが常だった。

 今までで一番美味しいと思ったのは、昭和46年頃大学生の時家庭教師のバイトからの帰り道みぞれまじりの寒い夜道を23キロほど歩いて、やっとの思いでたどり着き食べた一杯のラーメン。屋台に毛の生えたラーメン屋で週に一度は食べに行くにもかかわらず、こんなに美味しいものだったかと驚いた。高額な物を食べてもアントキほどの感慨は得られていない。

 冷え切った体に、あったかいんだから、そう感じたのかもしれない。その頃『人間の條件』がTVで再放送されていた。最終回加藤剛さん扮する主人公が屋台の饅頭を盗み妻への土産としてそれを握りしめて雪の中で死んでいった。あの夜のラーメンの経験で私は「アツアツの饅頭を食べておれば妻と生きて再会できたのに」と歯ぎしりしたものだ(作家にとっては主人公が死なないと物語が完結しないのであろうが)

 昭和33年ラーメンに革命がおこった。日清のチキンラーメンの誕生だ。私はコマーシャル通り、どんぶりに即席めんを入れ3分間待つのが待ち遠しかった。勇んで蓋のお椀を開け一口食べたが、チキン味が合わなかったのか油なのか頭が痛くなってしまった。大きすぎた期待の反動でトラウマとなりそれから56年間は味付け油麺を食することができなかった。それで乾麺のマルタイ棒ラーメンをよく口にしていた(スープが濁っていると思ったが、とんこつ味いうことは当時知らなかった)

チキンラーメンは私の落胆をよそに半世紀以上のロングセラーを続けており、芦田愛菜ちゃんの「チッキンラメーンちょっぴっとだっけ、好っき~になってってっとってっと・・」の愛らしいコマーシャルソングは記憶に新しいが、いまだにCMに力を入れている。

 昭和46 年第二のラーメン革命が起こる。今度も日清食品によるカップヌードルの誕生だ。またしても、普通の人が味わえる小さな喜びを自分は共有できないのかと恐る恐る口にしたが、セーフだった。それでも定番のコンソメ味ではなくカレーヌードルを好んで食べていた。

つけ麺は、食べない。文字通り「つけ麺の神」となった故山岸一雄氏の東池袋「大勝軒」も行ったことがない。アツアツのつけ汁に冷やした麺を入れるのが分からない。家庭料理研究の第一人者故土井勝先生は、「体温に近いのが一番まずく感じるものなんですよ。冷たいものは冷たく、熱いものは熱く」と海軍経理学校出身の強面の顔をこれ以上ないほどにこやかにしていつも言っておられた(イケメン、と言っても今や白髪交じりのオジサンになってしまったが、次男の善晴氏が後を継いでいる)

麺が冷たいのが嫌なら「あつもり」があると言われる。それならラーメンでいいじゃないかと私は理屈をこねる。

 副都心として再開発が急ピッチに進むJR大崎駅の近くで品川区大崎2丁目12と西品川3丁目21との間を西に上ると百反坂通り(近くには商店街に銀座名の使用が初めて許された戸越銀座商店街)がある。再開発とは無縁の昔ながらの通りにランチにたまに寄る天ぷら屋があった。数年前そこに行くときに斜め向かいにすごい行列の連なった店があり驚いた。店の前ではなんと列がどくろを巻いていた。噂に聞く六厘舎がこんなところにあると知りまた驚いた。近所迷惑ということでこの本店は閉鎖された。意を決して一度ネット通販で注文したが、結局食べることなく子供達の胃袋に消えた。喰わず嫌いはいまだ続いている。



女というものはそもそも面喰いだ。もっとも男も美人が好きだ。違いと言えば、女はイケメンに振られた直後は「男は顔ではない。優しさと生活力だ」と思い直す。

 かれこれ40年近く前私がまだ独身の頃、僚店のイケメン行員が閨の睦言ならぬ失言をして傷ついた当店の新入女子行員が辞めて故郷に帰るという事件が起こった。そうとは知らず支店長に応接間に呼ばれた。「お前のことを二番目に好きだと言っている」と高校の大先輩でもある支店長に言われたが、藪から棒で頭が○☓△となり、裏をとった。新入行員を早々と辞めさせては人事部への聞こえが悪いと支店長は思ったらしい(まったく!)

こんなのは論外だが、イケメンにあたって砕けるとこちらに好意の眼差しを向けてくれることもあった(「もしかしてだけど、もしかしてだけど」の歌マネと同じで妄想だと妻は相手にしない)が、何だかイケメンの尻拭いをさせられる気分になったものだ。

 人気者のイケメンもそれを維持するは容易くない。美人は飽きると言われる。顔が商売のイケメン俳優もたいへんだ。速水もこみちさんは、趣味の料理で、美木良介さんはブレスダイエット(どっちが本業か分からないほど)で新しい商品(俳優)価値を生み出している。

 人気のラーメン店も顧客が味に慣れてしまうと味が落ちたと足が遠のいてしまうと言われる。すぐれた店主は日々味を進化させて客に味が変わっていないと思わせる。

 企業も同じだ。少しでも胡坐をかいたり、ゆるんだりすると外資に狙われるスキが生まれる。1960年前後の即席めん業界の草創期から日清食品とライバル同士しのぎを削っていた、チャルメラでお馴染みの明星食品が50年後他社の子会社になった。よりによって日清食品の軍門に下った。友好的TOBにより日清食品に救われたとはいえ、明星食品の社員の忸怩たる想いはいかばかりか。その気持ちは痛いほど分かる。







2015.5 NO.47 ブル と ブル (2)

こうした状況下、政策投資の評価損の問題だけではなく、私自身の運用も傷ついていた。平成4年の正月休みの間ずっと「正月明けの大発会では日経平均の先物を売るぞ!」と心に決めておいたのに、1/6大発会で場が立つと、どうした訳か、買ってしまった。それから株が下がり続けるのだが、ナンピン(難平)し続けた。所詮大口の売れない株を所有している以上「相場はいずれ回復する」との希望的見立てしかできない。「下手なナンピン素寒貧」との格言があるが、最初は周りの部下の人たちも心配して声をかけてくれていたが、事態が深刻になってくると近づかなくなった。運よく後に相場が回復し8月から9月にかけて手仕舞いができ無限難平(無限地獄)にならずに済んだが、その時は知る由もなく、頭も心も痛かった。それに追い打ちをかけるように大蔵省検査が入った。その前に決算対策として、企画担当役員から国債先物で1兆円単位の両建てを命じられることがあった。相場が動き、どちらか含み益が出た方をクロスを振り益出しする。証券部長に就任したときから変なことはしないと心に決めており「そんなことをすれば大問題になる」と抵抗したが、押し切られた。案の定、大阪証券取引所から連絡が行き大蔵省の出先機関近畿財務局からお叱りを受ける羽目に陥った。その後の大蔵省検査であるから、何か変なことをしているハズだと検査官に色眼鏡で見られた。我々実務家の新しい手法が後追いの検査官は理解できず、なにか裏があるだろうとの見方に終始した。私はともかくとして部下はみな優秀で真面目な者たちだったので、口惜しさで一杯になった。

 それに前後して、出来の悪い天下りトップが、何を勘違いしたのか、出張中の、生え抜きトップの会長に、証券部に関することで告げ口したものだから、大騒ぎとなったこともあった。

 そんなこんなで、前編(1)の冒頭の「最低! 三途の川!」発言に至る。


 平成48月ぐらいになると、これまで私がすることを静観していた総合企画部がいろいろと口出ししてきた。非常にやりづらくなったと思っていた矢先蓄膿症が悪化し、9月中旬入院することになった(その時の経緯は20129月掲載の15号「ハブ カブ」に記載している)

 私に好意的な役員らが入院のどさくさに紛れて融資企画部に横滑りさせてくれた。

 しかし、融資企画部に行って、愕然とした。プロジェクタに大口の不良債権の内容が映し出されるのだが、ゴルフ場の造成段階でとん挫している案件や、竣工し運営しても決してランニングコストが賄えないリゾートホテル案件(設計段階で設計変更もなされ十数億のお金が既に出てしまっている)など債権回収が不可能と思える案件のオンパレード。

 そんな債権をどう回収するのか、件の天下りのトップが陣頭指揮をとっていた(わざわざ進んで火中の栗を拾うのだから人は悪くないのかもしれない)

 私は絶望してしまった。証券部では元本の問題はさほどなく利益の問題たけであったが、融資部門においては、不良債権により金利が入って来ないP/L上の問題とそれ以上に問題な、顧客から預かった大事な預金に見合うハズの融資債権が紙切れとなるB/S上の問題とダブルに銀行を傾城させる。

 私の必死さは怒りに変わった。もはや建設的な意見は言わなくなって行った。さすがに好意的な役員たちも捨てておけぬとなり、平成55月に私を支店に放出させた。その年の年末に20年間務めた銀行を退職した。

 私に好意的だった役員らは皆平均余命をかなり余らして他界している。銀行全体の内情を把握しなんとかせねばというプレッシャーやストレスは私の比ではなかったことだろう。癌で逝ったのだが、つくづく癌の餌はストレスだと思い知った。

 好意に報おうとしなかったお詫びはもうできないが、墓参りはしたいと思っている。

 退職のつい3年程前では、都銀が関係会社の運営を視察に来ており、小さい銀行も捨てたものではないと内心喜んでいた。このまま役員になればいずれ実務から遠ざかっていくだろうが退屈しないか。若い頃何も知らずあこがれたアカデミックな世界に身を移すことはどうかと能天気に考えていた。抜け出せないブラックホールへの軌道に入り込んでいるとも知らずに。

 平成61月社団法人の設立に参画すべく上京した。たしかにアカデミックな組織の事務局に身を置いた。しかし、地位を捨てての華麗なる転身ではない。敵前逃亡と言われても、そのそしりは甘んじて受けざるを得ない。

 それでも、ともに株価に翻弄された戦友として、小さくない金額だったが、山一を除く大手3証券が餞に4口入会してくれた。

証券部の2年間は、生前母親が妻に向かって私の事を「のんきやろ!?」と評したこの私でも、土日は居ても立っても居られないという気持ちになっていた。職業人生を振り返ってみて、あれほど真剣に仕事をしたのは後にも先にもほかにはなかった。







2015.5 NO.47 ブル と ブル (1)

 銀行の証券部時代の一時期私の部下となり、その後総合企画部に移った後輩と十数年振りに再会したとき、「(銀行の生え抜き)トップ3を三途の川と呼んだらしいですね」と言われ、そんなこともあったなと思い出した。

平成4年に大蔵検査が入った。その主任検査官との部長面談の折確かにそう言った。その頃大蔵省から天下りでトップが来ていた。人質なのだからできの悪い人を招へいしたと噂されていた。たしかに、平時では問題ないが、有事には大事な局面で出来の悪さを発揮して困らせた。私も迷惑を被り腹に据えかねていたので、主任検査官の面談で、最低だ!と言い、返す刀で、当時生え抜きトップ3人がH川会長、I川副社長、H川専務と姓に川がつくのでそう呼んだ。今考えてみれば大蔵省の検査官にそんなことを言っても何もいいことはないのに、それだけ追い詰められていたのだろう。銀行を助けてくれと何度も言った。主任検査官は「何様のつもりか!?」とあきれて印象に残っていたのだろう。

 その時はまだ辞職する気持ちにはなっていなかったが、帰属意識はすでに薄くなっていたのかもしれない。また、その頃からキャリア官僚としての特権階級を疑問視し始めた。優れた人が処遇されるのは特権でもなんでもない。一度国家上級試験を通っただけで、できの悪い人も終身処遇されるのはコストが無駄であるし、第一周りが迷惑する。

新宿支店から証券部に移って1年が過ぎた平成3年の秋頃か、私自身は日経平均先物で日々勝負し、さらに、日経平均先物のオプション取引をしていた。6ヶ月後に日経平均が想定水準を割っていなかったら5億円がタダ取り(プットの売り)できるもので、5億円を2本タダ取りしたこともあった(噂によると、某投資顧問事件でこれを私の100倍の単位で勝負し負けたと聞く)。ただ、大蔵省検査では褒められるどころか銀行経営になじまないと叱られた。

だが、どちらにしろ大したことではなかった。当時銀行には売れない株が1,500億円もあった。銀行同士株を持ち合いしていて、下がると分かっていても売れないのだ。その株の管理は隣りの資金部が管理していた。私がいた証券部はそれを先物でヘッジする役割を担っていた。元々1,500億円の半分しかヘッジできないし、ヘッジして逆に株が上がれば多額の評価損を抱えることに理解を示す人はいない。そこで、担当役員に「素人の私が証券部長をやっているぐらいだから、資金部だって先物はできる。資金部に先物の売り買いの権限を委譲したい」と申し入れた。すると意に反して、「君がそこまで言うなら、1,500億円の株を証券部で管理すれば」と言われてしまった。策士、策に溺れるではないが、やぶへびとなってしまった。さぁ大変! 銀行の命運が私の貧相ななで肩にのしかかってきた。

 当時は時価発行増資が行われており、額面50円の株を例えば1,000円の時価で発行することができた。一株当たり950円の返さなくてよいお金が集まるということになる。

 打出の小槌よろしく、私の居た銀行は他行よりも頻繁に時価発行増資を行った。だが、発行すれば株の引き受け手が必要となり、他の銀行に頼むと同じように株を引き受けざるを得ない。それで株価変動リスクに耐えうる銀行体力以上の株が政策投資の名の下に膨らんで行った(時価発行増資の乱発のツケが証券部に押し付けられることになる)

 株が上がっているうちはよいが、バブルが崩壊し、株が下がってくると、銀行全体の利益に影響してくる。バブル崩壊は不良債権の増大をもたらし、本業収益の悪化をカバーすべく政策投資として所有する銀行株等をクロス売買して益出して簿価を上げてしまう。当時株の評価は低価法がとられ、期末に株の簿価より時価が下がれば評価損を計上しなければならなかった。

 平成43月末の決算、できるだけ株価を上げたいとする金融機関の思惑を見透かして外資が売り浴びせてきた。所有する大口の銀行株の売り気配に買いを入れて消そうとしたが、“B29を竹やりで突く”というのはこういうことかと嘆息した。

 一難去ったと思ったら翌日新年度(平成4年度)の初日からほぼ総銘柄において株価が続落し(3/31日経平均19,345円、4/916,598)、ノアの方舟の大洪水のごとく所有株がすべて水浸しになってしまった。1週間で評価損が年間の業務純益の1.5倍まで膨らんだ。期末までに株価が戻らなければ、前代未聞の銀行の大赤字となる。1年間全行員が汗水たらして得た利益を期末1日の株価次第で帳消しして余りあることになる。それは、株式不況の最中、すこぶる現実味を帯びていた。


2015.4 NO.46 せん と ゆせん

入学シーズンが到来した。新入生たちは期待と不安で緊張した面持ちで入学式に臨む。はたして今年はどうなのだろうか?

昨年埼玉の50代の女性教諭が担任の入学式に出席せず自らの子供の入学式に出席して物議を醸した。教育長は自らの子を優先するとは許せんと異例の注意喚起を行った。

子供が小学生にあがるのならともかく高校生の息子に付き添ったということでは私としては同情できない。私が高校受験した49年前の当日の朝、私は進んで勉強するタイプで日頃受験に無関心を装っていた母親が受験会場まで一緒についてくると言い出した。気遣いは嬉しかったが、そんな恥ずかしいことは止めてくれと駅まで走って逃げた。

高校生になった男子なら、心細いというより、母が教師として担任の入学式に出ていることを誇らしげに思うハズだ。母親が子離れ出来ていないだけだと思う。

聖職者としての自覚をもてとの教育長のお達しに対する反応において、いろんな意見があってしかるべきとは思うが、ネットで反対意見が過半数を占めていることには驚いた。

当時の週刊誌によると、それらの反対意見に対して、普段オネエ言葉の尾木ママ(教育評論家尾木直樹氏)が聖職の観点から一人猛然と反論していたのには尾木ママの男気を感じた。

反対意見は、「自分の子供がかわいいのは当たり前だ」「年次休暇を取って何しても勝手だ」「校長が認めている」などで、そこには聖職者としての視点がない。

我々と同じ一労働者と言うなら「教師」ではなく、教えることが仕事の「教仕」でよいだろう。

48年前神戸高校2年の折別府に船で修学旅行に行く際、550名の生徒を講堂に一堂に集め川﨑汽船の担当者がガイダンスした。「万が一の時は船の一番高い所に登ってできるだけ遠くにお飛込みください。」と。不安を煽らないようわざと“お飛込み”と面白く言っていたと同窓の女子が覚えていた。学校側の未来ある命への気遣いと責任感を感じさせた。

昨年416日の韓国の旅客船沈没事故(300名以上の修学旅行学生等が犠牲)の折、最後まで船と運命を共にすべき船長らがさっさと逃げ、助かった引率の教師が首をつって自裁した。前述の教育長に異を唱えた人たちは、「自らに非がないのだから何も死ぬことはないだろう」と言うのか。親から預かった大事な子供達を守れなかったことに対し命で償った。心から冥福を祈りたいと言うほかはないだろうに。

多忙、体罰、いじめ問題、モンスターペアレンツなど教師は疲弊・委縮し、校長はそんな教師のなれの果てなのか? 私が通った中学校は当時神戸市内で3本の指に入る柄の悪い学校だったが、不良たちも先生には逆らわず、ましてや手を出すことは絶対しなかった。

一体どうして教師がこんなに軽い存在になってしまったのだろうか?

教師と並んで先生と呼ぶ代表格の医師も同じだ。「医者の不養生」と言う諺がある。養生を説く割には医師自身はかえって不養生なのを揶揄しているのだが、それは自身の健康よりも患者のそれを優先している為だと思う。私の主治医も前立腺がんを調べる生検を私に再三勧めていたが、自身はすい臓がんで6か月程であっという間に逝ってしまった。好感のもてるよい女医だったが、頭の中は患者のことで一杯だったのだろうと思った。

今さだまさしさんの小説の映画『風に立つライオン』が封切りされているが、現実の世界においても西アフリカでエボラ出血熱の治療にあたる国境なき医師団に頭が下がる。

フクシマ原発事故当時放射能漏れの中逃げずに患者を診続けていた医師がいた。避難した医師の中には罪悪感に苛まれた人がいたという。それでこそ医師というものだ。

 こんなに儲かるのだと言わんばかりに何かにつけスポンサーに名乗りを上げる整形外科医がいるが、美容整形はそんなに儲かるのか。

 これを見て、何かあるとすぐ訴訟される外科を嫌い整形外科に走るなら、医は仁術ではなく算術。ハリー・ポッターの世界ならそんな医師は石に変えられるだろう。

 我々庶民の夫婦のライフスタイルも変わった。我妻が「今は幼児を連れて夫婦が外出するとき夫が抱っこしている。私たちのときは妻が抱いていた」と言った。確かにそう言われればそのようだ。お産の時も今は夫が立ち会うらしい。私は女の正体・本性を見るようで怖く絶対に立ち会いたくはない(無痛分娩なら眠れる森の美女かもしれないが)

子供の運動会等も、「父親がいない子もいるのに、(父親が)いるだけで・・・」と休みなのに行かないことが多かった。今は当時変にイキがっていたと後悔しており、オシメも替えるなど夫が積極的に育児に協力する今の流れはよいことだと思う。

ただし、100%の賛同ではない。私の所属する協会での話。子供の卒業パーティーか何かがあると若手委員から連絡が来た。「それはおめでたい。ん、それで?」と聞くと、協会の行事に出られないと言う。学校のか近所でのパーティーか知らないが、奥さんだけが出れば済むだろう。旦那も必要となら土日にすればよいではないかと思うが、部下でもないし、手弁当で協力してもらっているので余計なことは言わない。ただ、遅れても顔出すぐらいの思い入れもないのなら、責任のある協会役員には推薦できないと思うだけだ。

 古い奴だと思われるかもしれないが、時代が変わり日々進化するとしても、変えてはいけないものがあるハズだと思う。



2015.3 NO.45 かけがのない  かけがのない

 少し前四十の独身男が会社を辞し私が所属する団体の委員も辞めた。いろいろあったが有志で送別の宴を催してあげようと声をかけたところ、「出ないといけませんか?」と当人に言われ、35年以上前の遠き日のことを思い出した。

昭和491月神戸から新宿支店に転勤となった。新宿支店の先輩たちはゴルフに夢中になっていたが、その頃若き尾崎将司プロが快進撃を続け日本トッププロの座をかけ登っていた。当時ツイッギー女史に端を発したミニスカートの流行がまだ続いており、新宿支店でも女子行員が少し前屈みになるとパンツが顔を覗かせていた。

パワハラによるセクハラは当時でもあったが、まだ大らかな時代であった。今なら完全にアウトな私だったが、それでもスキンシップとはいえ女子に触るのは躊躇した。ある一人の女子を触ると、触られた本人ではなく、他の女子が「あの子に気があるのだ」「依怙贔屓だ」とうるさかった。他の女子たちにも同じことをさせられる羽目に陥るので、めんどくさいのだ。今の若い人は信じないだろうが、そんな時代だった。

 その頃毎年新卒の女子行員が234月に配属されてきた。3月に入ると既女子行員の雲行きが怪しくなり、われら独身男性は期待に胸を膨らませた。期待に反する年はしかたなく来年に期待しようと思い直すのであった。

 あの年は不作。若手の中では中堅となっていた私は新人の二人の女子に声をかけた。「近々新入行員歓迎会を行いたいのだが」と問いかけると、二人揃って「出ないといけませんか?」と返事がきた。日本語が通じないのか。声のかけ甲斐のない返事に憤慨した。

 既女子行員もユニークだった(今はいいお母さん、いやお祖母さんになっていることだろう)。貸付係りの女子は昼間からにんにく臭をぷんぷんさせている。昼間から餃子を食べないといけないのかと聞くと、悪びれるどころか、「体が求めているの、フフフ」とあしらわれ、夜何してんだとあきれたものだ。

 昼間は淑女で、夜お酒が入ると淫乱(言い過ぎ!)になる、男子にとって理想的な女子(あくまで個人の見解)もいた。こちらも嫌いではなく、私のことだけ好きになってくれたらと言われもしたが、意気地がなかった(今にして思えば・・・・)。もっとすごい女子もいたが、触れるのはさすがに気が引ける。言えることは、男子寮の飲み会などで男どもは自慢したがる。女子よ、職場恋愛に気を付けろ! 本命でなければ言いふらされる。間違いない!!

 そんな飛んでる女子が多い中に、東京育ちなのにまったくと言っていいほどすれていない田舎娘のような女子が昭和534月に入ってきた。それが妻だった。妻と私は歓送迎会で一緒になっただけ。私か送られる方で妻が歓迎される方、ともに主賓席に並んだ。仕事は一日も一緒にしていない。一期一会で終わるハズが、神戸の男と福島をルーツとするあずま女が3年後に:結婚することになった。後年「僕たちは赤い糸で結ばれていたのだ!」と妻に言うと、鳥肌が立つ仕草をした。いつもながら可愛げがない。

 新婚旅行先の宮崎空港で拾った観光タクシーの運転手さんが、見合いか恋愛か聞かずともすぐわかると豪語した。「私たちはどうですか?」と聞いたところ、一瞬間があって「どちらでもない」と答えが返ってきた。恋愛だとペアルックだったり互いの荷物も一緒くたにどちらかにぞんざいに置く。見合いの場合は、服装もばらばらで荷物も自分の脇にしっかりと置くものらしい。私たちは、一応社内恋愛であるが、一緒に仕事はしていないし先輩の仲立ちもあったので社内見合いに近い。運転手さんはさすがに長年カップル(当時はアベック)を見てきたことはあるものだと感心した。

 妻が勤めていた時の銀行の支店長は、妻を頭がいいと言っていた。どう見ても脳ミソよりも脂肪の方が多いと思うのだが、社会的IQ(他人への気遣い、円滑なコミュニケーション力)が高いと支店長は見ていたのだ。道理で、IQは高くないが、社会的IQはもっと低い私は、「学校の勉強なんて社会に出て何の役にも立たないことがアンタを見ててよく分かった!」と七つ年上のアドバンテージもどこへやら妻にいつも見下げられていた。

妻は銀行の女性の先輩たちに騙されたと愚痴る(当時私は独身ということもあり、女子達での評判は珍しく悪くなかった)。「チープすぎる玉の輿に乗ってやったつもりがいつの間にかボロ神輿を担がされていた」とぼやく。

しかし、妻は、口では違うことを言っていても、どんな亭主であれ一旦配偶者となれば添い遂げようと思う人だ。苦労をかけ、見た目は変わってしまったが、心はきれいなままだ。三人の子供に対しても、私のDNAをうまく消し去り、他人を怒らせない気遣いのある子に育ててくれた。

見えない空気とは違い、妻は厭でも目につくが、ともに掛け替えのないものに変わりはない。

早や3年になるか。長男の結婚披露宴の最後に新郎の父としてこう挨拶した。

「・・・私も30年前このような披露宴を開きました。その時銀行のある先輩からこの結婚が君の人生で最大の喜びになると言われました。そのとき意味が理解できず、すこしむっとしたことを覚えています。あれから30年人生山あり、谷ありでしたが、今振り返って、たしかに妻との結婚が一番だったなぁと思うに至りました。新郎も、社会人として成功しても、しなくても、そう思えるように二人して・・・」

 妻は「本当かしら!?」と言っていたが、少しは罪滅ぼしになったと思ってくれただろうか。


2015. 2 NO.44  はらたつり と はらたつ

 数年前と言ってもかなり前の話だが、長男が就職し東北に赴任するとき、見送る妻が泣き出した。戦地に送り出すわけでもあるまいしとあきれたが、不覚にももらい泣きしそうになった(涙もろくなったことに老いを感じる)
 普段旅行に誘っても四の五の言う妻であったが、長男のところに遊びに行こうと言うと、二つ返事。数か月後長男と函館で待ち合わせした。

 ロープウェーで親子3人函館山に登ったが、あいにく雨模様で霧がかかり、長崎、神戸と肩を並べる夜景が台無しだ。夢中は楽しいが、霧中は興ざめだ。

 妻と初めて海外に連れ立った時も、香港島のビクトリア・ピークに向かうもあいにく霧がかかり、頂上付近からの眺望は臨めなかった。

 銀行員時代にゴルフをしていたときも、ゴルフ場に向かう車の中で雨が止んでよかったと思った矢先、コースに出るとフェアウエイに霧がかかりスタートができない。なんとも言えず腹立つ霧だ。

 巨人軍の原辰則監督の采配は「はらたつのり!」とは昔の話。監督としての実績は日本一が3度。WBCの優勝もあり、あの長嶋監督を上回っているのだから。昨年も9/26にリーグ優勝を決めた。監督への賞賛一色と思われたが、翌日グループ傘下のスポーツ紙が松井秀樹元選手の来期入閣はないと報じた。11/22には白石オーナーが2016年以降の有力監督候補として松井選手の名を挙げたと報じられ、来期の指揮をとる原監督に失礼とのコメントがネットで寄せられていた。終身監督どころか、巨人軍に複雑な想いの松井選手を恩師として逆らえない長嶋監督を使い原監督の後釜に球団が急ぐと見えるのは、あの1億円口止め問題が尾を引いているとしか思えない。

ファンには申し訳ないが、他山の石として我々が教訓とすべきことは、よからぬ筋に脅されたら、すくに警察に相談すべきだということ。ドラマで弱みを握られた女性が体を求められそれに応じるのを見たとしたら、ゆすられるネタが増えるだけと岡目八目で分かるだろう。自身のこととなると客観的に見れないものだが、同じことだ。大金を出せばと思うかもしれないが、蛇の道はへびであり、こんないいカモはいないとその筋に広まるかネタとして売られてしまう。

相手は警察には相談しないだろうと見くびっているのだから、私ならその場で警察に電話しようとする。背負っているものが大きいとしても、腹をくくり警察に相談すべきだろう。我々庶民も日頃から想定外のことが起きれば親身になって対応してくれる警察、弁護士、医師ら信頼できる相手を地縁・人縁・血縁を駆使し確保しておきたい(依怙贔屓とかの話ではない。知っている人ならばより力になってあけだいと思うのが人情という話)。それが私生活におけるリスク管理というものなのだろう。

 そもそも浮気しなければとは言うつもりはない。人気芸能人でモテるハズなのに妻以外には目もくれぬ、高島忠夫さん、関根勤さん、三浦友和さんら「聖人」たちは稀だ。赤信号は渡るな!てなことを言っても守らない人はいるものだ。英雄色を好むとも昔から言われてもいる。ただ、女は怖いということを肝に銘じるべきであろう。

 か弱い筈の女も怒髪天を衝くほど腹立てれば、怒りの炎をフラッシュオーバーさせる。そうなれば恥も外聞もなく、怖いものが無くなる。元愛人に変な性癖を暴露された政治家やバナナでTVから消えた解説者など潰された男どもは少なくない。

 小沢一郎代議士の和子夫人は「公開離縁状」を支援者に送った。夫人は橋本龍太郎元首相夫人と並び称されるほど賢妻の誉高く、地元の選挙民からも絶大の信頼を寄せられているだけにその衝撃はドラキュラの胸に十字架を杭打ちしたのと匹敵する。かの田中角栄元首相をあれだけ信奉していたのであれば、なぜ私生活においても角栄氏と同じようにできなかったのか。家も守れない者が国を統治することはできないではないか。

 「私の体の上を通り過ぎた」というフレーズは女性固有のもの。女の人は何もなくても後で損をしたと思いがちだ。

 我が大学の先輩故宇野宗佑元首相は、首相としては有能との評されたが、指3本で、あっけなく失脚したとみられている。「浮気は男の甲斐性だ」と思っている人には、呑むならではないが、「ケチるなら、乗るな! 乗るならケチるな!」と言いたい。お金だけではなく、相手が恐縮するほど情愛も注いでもらいたいものだ。間違っても見下してはならぬ。北野武監督はその模範との評判らしい(漢・高倉の健さんがウマが合うのだから、きっとそうなのだろう)。そのようにする自信がないのなら火遊びは止めておきなはれ!

 見かけによらず短気で好戦的な私は、男どもとよくぶつかるが、女の人とは喧嘩しない。何度かきついメールをもらうことがあったが、火に油を注ぎ相手の腹立つキリがなくなってもと反論も言い訳もしない。沈黙を守り、相手が言い過ぎたかと思うのを待つ。さすがに妻とは言い争いはするが、翌朝には「あれ!? まだ怒っているの?」とこちらから歩み寄り怒りの炎をすばやく消し去る。亭主の古傷を妻がフラッシュバックする前に。

限りなく粗大ごみに近い居候としての今の身の上ではもちろんのこと、結婚当初のご主人様扱いのときからそうしていた。それが夫婦和合の秘訣だと思っていたが、親戚によると母親に対してもそうしていたらしい。私は覚えていないのだが、母親が生前「腹立つが、憎めない」と言っていたとのことだ。女は怖いということを最初に母親から教わったのかもしれない。


2015.1 No.43 かんん と かん

エバラは美味いが、エボラは怖い。焼肉のたれのエバラ食品は恐ろしいエボラ出血熱と並べられても有難迷惑だろうから、標題にはしなかった。

2015年の新春を迎えた。ちょうど100年前の1915年に北里研究所が設立された。その頃近代細菌学の父と言われるコッホ博士やその弟子にあたる北里柴三郎博士ら医学者の尽力によりコレラ菌やペスト菌ら怖い細菌を克服した。

現代においては獰猛なウイルスに対する特効薬を早期に開発してもらい、今年をウイルス制圧の元年としてもらいたいものだ。

 エボラ出血熱制圧作戦の全貌を描き出した迫真のノンフィクション『ホットゾーン』(小学館文庫;上・下)を知ったのは、将棋棋士先崎学現九段のエッセイから。かれこれ67年前だろうか? 当時先崎九段は週刊文春に『浮いたり 沈んだり』というエッセイコーナーを持っておられた(現在は週刊現代で『吹けば飛ぶよな』を連載中)。ある回の中で身の毛もよだつような怖い本として紹介しておられたので、興味が涌き、読んでみた。なるほどショッキングな内容で、知人に推奨して貸し出したところ気持ちが悪いとか言ってそのままになり、今手元にない。

読んだ当時所属の業界団体の会報に私が書いた内容を引用すると、エボラウイルスと言っても種類があり、最も強毒性が高いのがエボラ・ザイール。死亡率90%と言われ、その感染者の悲惨さとアメリカ国内発生時の軍による制圧劇(実体はエボラ・レストン)が同書に描かれた。

エボラ・ザイールほど強毒性は高くないが、空気感染するのが、エボラ・レストンで、これにエボラ・ザイールが混合すれば、中世の黒死病(ペスト菌)と同程度以上の大きな被害が出ると懸念されていた。

昨年ギニア、シエラレオネ共和国等に発生したのもこのエボラ・ザイールに似ていると言われ、ニュースで紹介する折にはまず空気感染しないと断りが入る。医師や看護婦も多く感染しているが、人手不足に伴うミスだけと言えるのか。空気感染しないとしながら治療医らは空気感染対策をしているように見える。ワクチンのない完全無欠な凶悪なウイルスだけに未解明であっても断定的に言わないとパニックが起こるのかもしれない。同様に怖い鳥インフルエンザも空気感染すると言った日本の国の研究者が結局大学に転出した。もっとも、無知な原住民にとっては、宇宙服のような重装備で家や村を封鎖する者の方が悪魔に見えて怖いのかもしれないが。

 エボラウイルスやエイズウイルスも中央アフリカで発生したと言われているが、密林の奥に人間が入り込んだだけなのか。それとも、環境破壊でコウモリなど自然宿主(ウイルスは生きている細胞に寄生しないと生きられない)が減り、環境破壊した人間に復讐しているのか。あるいは、SARSのように突然発生し、突然消えていくのは、ウイルスにとって獰猛な人間に警告を発しているのだろうか(宿主が見つからないので、実験室から逃げたという説もある)

 いずれにしろ、自然環境破壊は、南北問題とも絡んで解決が容易ではないだろうから、今後とも未知のウイルスの出現により人間の生命が脅かされ続けるのかもしれない。

 今回エボラ出血熱が流行したシエラレオネの名を聞くとレジオネラ属菌を想起する。こちらは細菌でウイルスと違い生きた細胞が不要で単独で生きられる。

レジオネラ属菌は、土壌等普通に環境中に存在しているが、免疫力の弱い高齢者や乳幼児などが感染すると、肺炎に似た症状(オレンジ色の粘調な痰が特徴)を引き起こす。健常者では通常感染しないので、日和見感染と呼ばれる。

210日の潜伏期間を経て、高熱、咳、頭痛、筋肉痛、悪寒等の症状が出現し、進行すると呼吸困難となり、下痢、意識障害等併発の上、死に至ることもある。

19767月、米国フィラデルフィア市のホテルで開催された在郷軍人大会で原因不明の221名もの肺炎患者が集団発生し、うち29名の死者を出した事故が起きた。後に、原因は冷却塔で増殖したレジオネラ属菌が外気ダクトから混入し、空調ダクトを経由し室内に飛散したことが原因と判明した。

第二次大戦下銃弾を潜りぬけ生き貫いた軍人達が、見えないほど小さな敵に倒さるという皮肉な結末であるが、この在郷軍人の名にちなんでレジオネラ属菌と後に命名された。

 レジオネラ属菌は、温泉施設などで水しぶきを吸い込むと気道を介して肺に侵入し発病する(タバコのタールは気管の繊毛を塗り固めてしまうので、喫煙者の方が罹りやすいと言われる)。幼児が屋外の噴水で遊ぶのは気をつけた方がよい。一時流行った家庭の24時間風呂の湯でそのまま頭にかけるのは避けた方がよい(6070℃の熱湯でレジオネラ属菌は死滅すると言われる)。折り合いが悪い嫁からの「露天風呂で打たせ湯にあたると気持ちいいですよ」という話には姑は乗ってはいけない。悪天候の日に飛行機に乗れと言っているのと同じだ。温泉の湯を飲み込んでも感染しないが、免疫力の落ちた高齢者が打たせ湯で水しぶきを肺に吸い込むと感染する恐れがある(もっとも最近は打たせ湯を止めている温泉が増えているようだが)

我々はいろんな危険の中に生きている。宇宙人を含む外の人からの侵略や攻撃から守るのが国防。人以外からの害や疾病を防ぐのが予防。ともに危機感と安全にはコストがかかるという認識を持つことが肝要だろう。


2014.12 No.42 こくう と こく

 日本国宝展が今東京国立博物館で催されている。国宝は、国の重要文化財の一種で1,100弱存在する。東京都、京都府、奈良県を中心として全国に点在するので、他国からの侵略よりすべてを守るのは容易ではない。その国宝や領土を守る以上に国民の生命と財産を守るのが国防の目的。人間国宝だけではなく我々庶民も守ってくれなければ困る。

 平和国家を標榜しているから日本は平和が維持できていると思っている日本人は少なくない。本当にそうか。例えば、東京の真ん中で家の玄関に「私どもは他人の物を盗みません」と貼り紙すれば、ドアを開けていてもだれも盗みに入って来ないと言うことと同じではないか。「入って来なかった!」って、それは隣が交番だからだろう。

 日本の平和は世界の警察力としての米国のバックアップが前提。“いつまでもあると思うな親と金”と同じだ。

 尖閣問題の折李登輝元台湾総統が「中国は美人を見ると他人の妻でも自分の妻と言いかねない」と言ったとされるが、中国は本当は「日本は中国の妻だ」というのが本音たろう。日本の領海(:内水)+排他的経済水域は約447万㎢で国土(38万㎢)の約12倍もあり世界第6位と広い。中国はうらやましくて仕方がない。太平洋に出るのに邪魔だし、そこに眠る海洋資源は垂涎の的。中国は本気で尖閣→沖縄→本土と侵略する機を窺っていると思うべきだろう。

中国共産党一党独裁体制の瓦解を期待する向きがあるが、たとえそうなったとしても、国名が変わるだけで、中華思想は中国四千年のDNAに刷り込まれており普遍で不変だ。最悪の場合をも想定し長期的な備えが不可欠だろう。

平和国家が矛や盾を持つことはなにも矛盾しない。他国が侵略してきて、愛する妻、娘や恋人が連れていかれそうになった時、命だけは助けてやってくれと哀願するのか。今故趙紫陽元総書記の『極秘回想録』(光文社)を読んでいるが、天安門事件で自国民に向け無慈悲な武力弾圧をなす中国が他国民に容赦すると思うのか。平和国家だからこそ国防力を他の国よりも強化する必要がある。

そうであるなら、時の政権が進めようとしていることに反対するのはおかしいかもしれない。しかし、積極的平和主義の第一弾がなぜ武器輸出の解禁となるのか。順序や動機に問題があると思っている。

国民に理解を求めなければならないことは、古賀茂明氏が上梓した『国家の暴走』で危惧する「集団的自衛権の行使により米国の戦争に巻き込まれる」ことではなく、「自力でいかに日本を守るかということであり、その為に憲法改正が必要か」ということだろう。

 今はまだ米国は軍事的に日本に助けてもらおうなんて思っていないだろう。日本に求めるのは、米国に対する忠誠と応分の負担だと思う。

去る7/13()の夜、集団的自衛権の閣議決定の舞台裏がNHKで放映されていた。その中で公明党の内でなぜそんなに急ぐのかの内部の問いに幹部が「首相がやりたがっているから」と答えると、(信じられないことに)みんなは押し黙ったと解説されていた。その一方で山口代表は「自民党は従来内部で色んな意見が出されていたが、今回はそのようなことはなかった」と訝しげに発言していた。首相は独裁者と責任転嫁したいのか?

国民の見ているイメージはこうだろう。先代の番頭に愚かなお坊ちゃんと言われても言い返しできない二世経営者が、親しい仲間内だけで先代と違うことを推し進めようとし、従業員がこの経営者について行って大丈夫かなと心配しているのと同じだ。

 ドイツは集団自衛権の行使容認に4年要したとHNKは報じていた。

 日本国民は、夫の転職に反対する妻と同じ気持ちだ。このまま安定した生活を望む。それを70年間も続けてきたのだから。おいそれと考え方が変わる訳がない。  

 しかるに、国会の充分な議論も経ず閣議決定にて集団的自衛権だけを先行させようとした。護憲派メディアの思うツボだ。手続きの不備だけをつつき、本質的な問題から国民の目をそらさせる。

 案の定、支持率が下がるとあれだけ急いでいたのに関連法案は1年間先送り。あの古賀茂明氏は、週刊現代7/268/2合併号の『官々愕々』で、「1年間ほとぼりを冷ました後20156月の国会会期末までに関連法案は強硬採決し、支持率低下を防ぐため拉致被害者10数人を北朝鮮から連れ戻すことをセットにする」のではと首相サイドのシナリオを見透かしていた。

その後9月の女性閣僚が目玉の内閣改造という目くらましは失敗に帰し、もっと大きな目くらましをと消費税増税先延ばしという大義なき衆議院解散(衆院選12/2公示)に首相は打って出た。

国税67百億円をも使うなら、80議席減らしても与党自体は安泰だろうから、姑息の色が付いた集団的自衛権ではなく、堂々と憲法改正の是非を国民に問うてもらいたい。

真に国の将来を憂うるというのであれば、時の首相が私心を捨て捨石となる覚悟が必要だ。国民に訴えるだけではなく、選挙後の国会においても野党とも正々堂々と議論を戦わせなければならない。新設の担当大臣を盾にした“岩陰隊長”では国民は信用しない。

国民は国防力強化とそのための改憲にあくまで反対するだろうが、首相自身が国会で激しい論戦を繰り返す中で国民は次第に首相の確固たる信念を理解し、国民も改憲に向けての心の準備が次第に出来てくるのだろう。そうなった時、祖父と似てきたなと思ってもらえるのかもしれない。


2014.11 No.41 いこく と いこく

 今年の9月にスコットランド独立を問う住民投票が行われ、住民投票を認めた英国のキャメロン首相は危うく売国奴並みのそしりを受けるところだった。

 高を括っていたのか、独立賛成派と反対派が拮抗していると分かると、うろたえ、直前にスコットランド入りした折、「私が嫌いでも英国は嫌いにならないで」みたいな発言を行った。日本のネットの中で英国の前田敦子か?と苦笑された。

 エリザベス女王にあれだけ心配と迷惑をかけながら、すくに責任をとって辞めようとしないのは、騎士道の国も武士道の国と変わらない。

 民主主義の名の下に、ムードに流されやすい民衆に、国の命運がかかった大事な問題の判断を委ねるのは、リスクが大きすぎると思う。

 赤信号みんなで渡れば怖くない。事故が起き死人が出ても、みんなで決めたことだからとして、だれも責任を取らない。

 キャメロン首相は、普段意識することのない国民主権について、我々に再認識する機会与えてくれた。

議会主権の英国と違い、日本は、日本国憲法の第1条において国民主権が謳われているが、実態は国民主権が弄ばれている。

小泉元首相は国民主権を逆手にとった。自身の政治信条として郵政の民営化を何かの一つ覚えのように唱え、国会でうまく事が運ばないとなると総選挙に打って出て、もともと国民が望んでいないものを、国民に判断させた。

狙いは郵貯・簡保だったかもしれないが、郵便事業は公共経済の最たるもの。採算が合わないものだから国でやる。それを民営化するということは過疎地域の切り捨てを意味することにならないか。国民はその是非を考えることもなく、小泉人気になびいた。

なお、民営化するとしても、郵政に限らず、民間に払い下げ社員を入れ替えるのでなければ、民営化の成果は疑問だ。極論かもしれないが、「最小のコストで最大の利益を」になじまない職員の制服を変えるだけで、上から利益、利益と言えば、職員は何もしないで経費を押さえようするだけになる。JR北海道のように。

その頃、私は当時所属していた団体の講演会で大手新聞社の某政治部長を講師に招いた。政治部長は「私の妻は小泉首相をかっこいいと言っている」と話した。こりゃダメだ。政治部長の妻でさえこれでは(口にする政治部長もどうかと思う)。海外から“警察は一流、経済は二流、政治は三流”と揶揄されるのは宜なるかなと思った。

 安倍首相は、特定秘密保護法を来月12/1より施行させる。特定秘密の判断は内閣内の機関が行うという。国民主権とは程遠い。

 裁判員制度も国民主権を愚弄している。裁判官がおかしいと財界、弁護士会らから陪審制度の導入を求められると、主権者たる市民も入れて独善ではないと装う。市民は経済行為を行っているから民事裁判の方が対応しやすいのに、あえて、裁判員になる善良な市民には無縁のハズの刑事裁判を担当させる。その舞台裏については『絶望の裁判所』(元裁判官瀬木比呂志氏著)P6677に書かれているので一読願いたい。しかも、死刑判決もありうる重大犯罪を担当させる。何の因果で、惨殺された被害者の惨状を見ないといけないのか。人の命を奪うことに関わらないといけないのかと裁判員の心を苦しめさせる。その理由が、「裁判は死刑になるようなことは犯さないから、間違っても素人の裁判に裁かれることはない」とするなら、なにをか言わんとあきれるほかはない。

 

国民主権だからと言って、全能の神や聖徳太子でもあるまいし国民がすべてできるわけはない。政治には代議士がおり、裁判には職業裁判官がいる。国民からの信託に応えるべく責任を持って自らの職責を全うする。それが出来なければ国民から罷免されるのが国民主権のあり様。 

代議士の頂点、すなわち日本のトップが、バカで頑固(私のことか)なタイプでは困る。隣国を見てつくづくそう思う。そういう意味では、官僚出身の大物政治家がよいのかもしれない。日本の存否の鍵を握るトップは賢くなければならぬ。また、官僚出身のほうがより私心を抑える術を知っているハズという意味で。戦後、吉田、岸、池田、佐藤、大平、中曽根等官僚出身の首相が多かったが、今はいないのか。それとも頭角を現す機会が与えられていないのか。

 司法を支配する最高裁裁判官については、憲法改正(国民投票)と並んで特別に国民審査をすることになっているが、茶番もいいところだ。名前だけ見て判断できる訳がない。『絶望の裁判所』に書かれている酷い状況であるからこそ、江川詔子さんが問題提起していたように、最高裁裁判官の任免については国会の俎上にあげるべきであろう。

 さらに、国民主権が機能するためには、チェックする我々市民も経済オンリーでなく政治的ステージを引き上げることが不可欠と言える。